栄花物語詳解

凡例
使用テキスト: 『栄花物語詳解』和田英松・佐藤球 明治書院、明治32〜40
緒言に「世に流布せる古活字本及び、明暦の印本を原本とし」と有り、諸本により校訂した物です。
栄花物語の本文は、(一)古本系統、(二)流布本系統、(三)異本系統の三つに大きく分類されています。
(一)古本系統は更に二種に分けられますが、第一種本の中で鎌倉中期を下らない時期に書写された三条西家本(梅沢記念館蔵)を最善本と見ることが出来ます。第二種本は、陽明文庫本をもって代表される。
(二)流布本系統は更に三種に分けられ、第一種西本願寺本を誤りの少ない最善本と考えられます。第二種本は、底本とした古活字本、明暦二年刊本が属しますが、誤脱が多いです。
(三)異本系統には、富岡家旧蔵甲本・富岡家旧蔵乙本があり、三十巻、すなわち正篇で完結しています。

歌の頭に@を付し、末尾にW+新編国歌大観番号を付しました。巻三の兼澄の歌は、新編国歌大観に無いためW000にしてあります。
参考としまして、岩波古典大系のページを記しました。P+巻数(上=1・下=2)+3桁
各巻の見出しの頭に、S+巻数(2桁)を付しました。
仮名・漢字の表記を一部変えた箇所が有ります。
句読点を追加、修正した個所があります。
脱字等を他本で補った場合は、〔 〕に入れました。主に古本系統第一種本の三条西家本(梅沢記念館蔵)によります。

栄花物語
P1023
栄花物語
P1025
栄花物語巻第一 月の宴
P1027
S01〔栄花物語巻第一〕 月のゑん
世はじまりてのち、このくにのみかど六十よ代にならせ給にけれど、このしだいかきつくすべきにあらず。こちよりてのことをぞしるすべき。よの中に、うだのみかどゝ申〔みかど〕おはしましけり。そのみかど〔の〕御子たちあまたおはしましける中に、一のみこあつきみのしんわうと申けるぞ、くらゐにつかせ給けるこそは、だいごのせいていと申て、よの中〔に〕あめのしためでたきためしにひきたてまつるなれ。くらゐにつかせ給て、卅三年をたもたせ給ひけるに、おほくのにようごたちさぶらひ給ければ、おとこみこ十六人、をんなみこあまたおはしましけり。そのころの太じやう大じんもとつねのおとゞときこえけるは、うだのみかどのおほんとき〔に〕うせ給ける。中なごん長良ときこえけるは、太じやう大じん冬嗣の御太郎にぞおはしける、のち〔に〕は贈太政大臣とぞきこえける、かの御三郎にぞおはしける、そのもとつねのおとゞうせ給て、のちの御謚昭宣公ときこえけり。そのもとつねのおとゞ、おとこぎみ四人おはしけり。太郎はときひらときこえけり。さ大じんまでなり給て、卅九にて〔ぞ〕うせ給にけり。二郎〔は〕仲平ときこえけり。さだいじんまでなり給て、七十一にてうせ給にけり。
P1028
三郎兼平ときこえけり。三位までぞおはしける。四郎たゞひらのおとゞぞ、太政大臣までなり給て、おほくのとしごろすぐさせ給ける。そのもとつねのおとゞの御女のにようごのおほんはらに、だいごのみやたちあまたおはしましける。十一のみこ寛明〔の〕しんわうと申ける、みかどにゐさせ給て十六年おはしましてのちに、おりさせ給ておはしけるをぞ、朱雀院のみかどゝは申ける。そのつぎおなじ〔はらからおなじ〕にようごのおほんはらの十四のみこ、成明のしんわうと申ける、さしつゞきてみかどにゐさせ給にけり。てんけい九年四月十三日にぞゐさせ給ける。朱雀院は御子たちおはしまさゞり〔けり〕。たゞ王女御ときこえける御はらに、えもいはず、うつくしきをんなみこ一所ぞおはしましける。はゝにようごも御子みつにてうせ給にしかば、みかどわれひとゝころこゝろぐるしき物にやしなひたてまつり給ける。いかできさきにすへたてまつらんとおぼしけれど、れいなきことにて、くちおしくてぞすぐさせ給ける。昌子内しんわうとぞきこえさせける。かくていまのうへのおほんこゝろばへ、あらまほしくあるべきかぎりおはしましけり。だいごのせいていよにめでたくおはしましける〔に〕、又このみかど堯の子の堯ならぬやうに、おほかた〔の〕御心ばへ〔の〕ををしう、けだかくかしこう、おはしますものから、御ざえもかぎりなし。わかのかたにもいみじうしませ給へり。よろづになさけあり、ものゝはへおはしまし、そこらのにようご<・みやすどころ、まいりあつまり給へるを、ときあるもときなきも、おほんこゝろざしのほどこよなけれど、いさゝか
P1029
はぢがましげに、いとをしげにもてなしなどもせさせ給はず、なのめになさけ有て、めでたうおぼしめしわたして、なだらかにをきてさせ給へば、このにようご・みやすどころたちのおほんなかも、いとめやすくびんなきこときこえず、くせ<”しからずなどして、御子むまれ給へるは、さるかたにおも<しくもてなさせ給、さらぬはさべうおほんものわすれなどにて、つれ<”におぼしめさるゝ日などは、おまへにめしいでゝご・すぐろくうたせへんをつがせ、いしなどりをせさせて御らんじなどまでぞおはしましければ、みなかたみになさけをかはし、おかしうなんおはしあひける。かくみかどのおほん心のめでたければ、ふくかぜもえだをならさずなどあればにや、はるのはなもにほひのどけく、あきのもみぢもえだにとゞまり、いと心のどかなる御ありさまなり。たゞいまの太じやう大じんにては、もとつねのおとゞのみこ、四郎たゞひらのおとゞ、みかどのおほんをぢにて世をまつりごちておはす。そのおとゞのみこ五人ぞおはしける。太郎はいまのさ大じんにてさねよりときこえて、をのゝみやといふところにすみ給。二郎はう大じんにてもろすけのおとゞ、九でうといふところにすみ給。三郎の御ありさまおぼつかなし。四郎もろうぢときこえける、大なごんまでぞなり給ける。五郎師尹のさ大じんときこえて、こ一でうといふところにすみ給。さればたゞいまはこのおほきおとゞの御子どもやがていとやむごとなきとのばらにて〔おはす。この殿ばら皆各御子どもさま<”にて〕おはするなかに、九でうのもろすけのおとゞ、
P1030
いとたはしくおはして、あまたのきたのかたの御はらに、おとこ十一人、をんな六人ぞおはしける。をのゝみやのさ大じんどのは、おのこぎみ三人ばかりぞおはしける。をんなぎみもおはしけり。一所はみやばらの具にておはす。さしつぎはにようごにておはしけり。つぎ<さま<”にておはす。小一でうの師尹のおとゞ、をのこゞ二人、をんなひとゝころぞおはしける。をのこ子一人ははかなうなり給にけり。かくてにようごたちあまたまいり給へる中に、九でうのもろすけのおとゞのひめぎみ、あるがなかに一のにようごにてさぶらひ給。又いまのみかどの御はらからの、重明のしきぶきやうのみやのおほんむすめ、にようごにておはす。又おなじ御はらからの代明のなかづかさのみや〔の〕御むすめ、麗景殿にようごとてさぶらひ給。又在衡のあぜち大なごんのむすめ、あぜちの御息所とてさぶらひ給。小一でうの師尹のおとゞの御むすめ、いみじううつくしくて宣耀殿のにようごときこえさす。又廣幡の中なごん庶明のおほんむすめ、廣幡のみやすどころとておはす。さてもこのおほんかた<”、みなみこむまれ給へるもあり。みこむまれ給はぬみやすどころたちもあまたさぶらひ給。まこともとかたみんぶきやうのむすめも、まいり給へり。としごろ東宮もかくふたゝびうせ給ぬるに、たうぐうかくゐさせ給はぬに、こゝらさぶらひ給おほんかた<”あやしう、こゝろもとなくみこむまれ給はざりけるほどに、九でうどのゝにようご、ただにもおはしまさで、めでたしとのゝしりしかど、をんなみこにていとほいなきほどに、たいらかにてだにおはしまさで、うせさせ給ぬるに、もとかたのみやすどころ、たゞなら
P1031
ぬことのよし申てまかで給ぬれば、もしをのこみこむまれ給へるものならば、又なうめでたかるべきことに、よの人申おもひたるに、一のみこむまれ給へるものかな。あなめでたいみじとのゝしりたり。うちよりも御はかしよりはじめで、れいのおほんさほうのごとくどもにて、もてなしきこえ給。もとかたの大なごんいみじとおぼしたり。東宮はまだよにおはしまさぬほどなり。なにのゆへにか、わがみことうぐうにゐあやまち給はんと、たのもしくおぼされけり。いみじうよの中にのゝしるほどに、九でうどのゝにようご、たゞにもおはしまさずといふこと、をのづから世にもりきこゆれど、もとかたの大なごん、いでさりともさきのこともありきなど、きゝおもひけり。おほいどのも九でうどのもいとうれしうおぼすほどに、うへは、世はともあれかうもあれ、一のみこのおはするを、うれしくたのもしきことに覚しめすことはりなり。かゝるほどに太じやう大じんどの、月ごろなやましくおぼしたりつるに、てんりやく三年八月十四日うせさせ給ぬ。この三十六年おとゞのくらゐにておはしましけるを、おほんとしことしぞ七十になり給にける。左右のおとゞたちも、いとまためでたくたのもしき御ありさまなり。みかどうとからぬ御なからひにてよろづかた<”のおほんことも、めでたくてすぎもていきて、にようごも御服にて出給ひぬ。宣耀殿のにようごもおなじくぶくにていで給ぬ。こゝろのどかにじひのおほんこゝろひろく、世をたもたせ給へれば、よの人いみじくおしみ申。のちの御謚貞信公と申けり。つぎ<”のおほんありさま、
P1032
あはれにめでたくてすぎもていく。世の中のことをさねよりのさ大じんつかうまつり給。九でうどの二の人にておはすれど、なを一くるしき二とぞ人におもひきこえさせためる。かゝるほどにとしもかへりぬれば、てんりやく四年五月廿四日に、九でうどのゝにようごおとこみこうみたてまつり給つ。うちよりはいつしか御はかしもてまいり、おほかた〔の〕おほんありさまこゝろことにめでたし。よのおぼえことにさはぎのゝしりたり。もとかたの大なごんかくときくに、むねふたがるこゝちして、ものをだにもくはずなりにけり。いといみじくあさましきことをもし、あやまちつべかめるかな、ものおもひつきぬむねをやみつゝ、やまひづきぬるこゝちして、おなじくはいまはいかでとくしなむとのみおもふぞけしからぬXなるや九でうどのには、おほんうぶやのほどのぎしきありさまなど、まねびやらんかたなし。おとゞのおほんこゝろのうち、おもひやるに、さばかりめでたきことありなむや。をのゝみやのおとゞも一のみこよりはこれはうれしくおぼさるべし。みかどのおほんこゝろの中にも、よろづおもひなくあひかなはせ給へるさまに、めでたうおぼされけり。はかなふ御いかなどもすぎもていきてむまれ給て、三月といふに七月廿三日に東宮にたゝせ給ぬ。九でうどのは、〔おほき〕おとゞのうせ給ひにしをかへす<”くちおしくおぼされて、えいみあへずしほたれ給ぬ。一のみこのはゝ、にようごのゆみづをだにまいらで、しづみてぞふし給へる。いみじくゆゝしきまでにぞきこゆる。はかなくてとし月
P1033
もすぎて、このおほんかた<”われも<おとらじまけじとみなたゞならずおはして、みこたちいとあまたいできあつまり給ぬ。あぜちのみやすどころ、おとこ三のみや女三のみやうみたてまつり給つ。又この九でうどのゝにようご、おとこ四五のみやむまれ給ぬ。又宣耀殿にようご、おとこ六八のみやむまれ給へりけれど、六のみやははかなくなり給にけり。八のみやぞたいらかにておはしける。麗景殿のにようご、おとこ七のみや、をんな六のみやむまれ給にけり。しきぶきやうのみやのにようご、をんな四のみやぞうみたてまつり給へりける。廣幡みやすどころ、をんな五のみやむまれ給へり。あぜちのみやすどころ、おとこ九のみやむまれ給などして、又九でうどののにようごをんな七九十のみやなど、あまたさしつゞきむまれさせ給て、なをこの御ありさま、よにすぐれさせ給へり。かくいふほどにおほかたおとこみや九人、をんなみや十人ぞおはしける。このおほんなかにも、廣幡のみやすどころぞあやしう、こゝろごとにこゝろばせあるさまに、みかどおぼしめいたりける。内よりかくなん
@ あふさかもはてはゆきゝのせきもゐずたづねてとひこきなばかへさじ W001
といふうたをおなじやうにかゝせ給ておほんかた<”にたてまつらせ給ひける。この御返事をかたがたさま<”に申させ給ひけるに、廣幡のみやすどころは、たきものをぞまいらせ給たりける。さればこそなをこゝろことにみゆれとおぼしめしけり。いとさこそなくとも、いづれのおほんかたとかや、いみじくしたてゝまいり給へりけるはしも、なこそのせきもあらまほしく
P1034
ぞおぼされける。おほんおぼえもひごろにおとりにけりとぞきこえはべりし。宣耀殿のにようごはいみじう、うつくしげにおはしましければ、みかどもわがわたくしものにぞいみじうおもひきこえ給へりける。御門箏の御ことをぞ、いみじうあそばしける。この宣耀殿のにようごにならはさせ給ければ、いとうつくしうひきとり給へりけるを、にようごの御はらからのなりときのせうしやう、つねにおほんまへにいでつゝ、さりげなうきゝけるほどに、いみじうよくひきとり給へりければ、うへいみじうけうぜさせ給てめしいだしつゝ、をしへさせ給てのち<は御遊のおり<は、まづめしいでゝいみじきじやうずにてぞものし給ける。このとのばらの御こゝろざまども、おなじ御はらからなれど、さま<”心ごゝろにぞおはしける。をのゝみやのおとゞは、哥をいみじくよませ給。すき<”しき物からおくぶかくわづらはしきおほんこゝろにぞおはしける。九でうのおとゞはおいらかにしるしらぬわかずこゝろびろくなどして、月ごろありてまいりたる人をも、たゞいまありつるやうにけにくゝももてなさせ給はずなどして、いとこゝろやすげにおぼしをきてためれば、おほとのゝ人々おほくはこの九でうどのにぞあつまりける。小一でうの師尹のおとゞは、しるしらぬほどのうとさ、むつまじさもおぼしおぼさぬほどのけぢめさやかになどして、くせ<”しうぞおぼしをきてたりける。そのほどさま<”おかしうなんありける。東宮やう<およずけさせ給けるまゝに、
P1035
いみじううつくしうおはしますにつけても、九でうどのゝおほんおぼえいみじうめでたし。又四五のみやさへおはしますぞめでたきや。かゝるほどにてんとく二年七月廿七日にぞ、九でうどのにようごきさきにたゝせ給。ふぢはらの安子と申て、いまは中ぐうときこえさす。中宮大夫にはみかどの御はらからの高明のしんわうときこえさせし、いまは源氏にて例人になりておはするぞなり給にける。つぎ<”のみやづかさもこころことにえらびなさせ給。九でうどの御けしき世にあるかひありてめでたし。をのゝみやのおとゞにようごのおほんことをくちおしく覚したり。をのゝみやのおとゞの御太郎せうしやうにて敦敏とていとおぼえありておはせし一とせうせ給にしぞかし。そのおほんおもひにていみじくこひしのび給けるをあづまのかたより人かのせうしやうのきみにとてむまをたてまつりければ見給ておとどよみたまひける、
@ まだしらぬ人もありけりあづまぢにわれもゆきてぞすむべかりける W002。
このとの大かたうたをこのみ給ければ、いまのみかどこのかたにふかくおはしまして、おり<にはこのおとゞもろともにぞよみかはさせ給ける。むかし高野の女帝のみよ、天平勝寶五年には、左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等あつまりて、まんようしうをえらばせ給。だいごのせんていの御時は、こきん廿くわんえりとゝのへさせ給て、よにめでたくせさせ給。たゞいまゝで廿よ年なり。いにしへのいまのふるきあたらしきうたえりとゝのへさせ給て、世にめでたう
P1036
せさせ給。このおほんときには、そのこきんにいらぬうたを、むかしのもいまのもせんぜさせ給て、のちにせんずとて、ごせんしうといふなをつけさせ給て、又廿くはんせんぜさせ給へるぞかし。それにもこのをのゝみやのおとゞのおほんうたおほくいりためり。たゞしこきんには、つらゆきじよいとおかしうつくりて、つかうまつれり。ごせんしうにもさやうにやとおぼしめしけれど、かれはそのときのつらゆき、このかたのじやうずにていにしへをひき、いまをおもひゆくすゑをかねておもしろくつくりたるに、いまはさやうのことにたへたる人なくて、くちおしくおぼしめしけり。このをのゝみやのおとどの二郎〔三郎〕、二所のこりておはしつるを、三郎右衛門督までなり給へりつるもうせ給にければ、いまは二郎よりたゞときこゆるのみぞおはすめる。まだおほんくらゐいとあさし。うへもんのぜうのわかうてかんだちべになり給へりしが、かくてやみ給にしかば、それにをぢてすが<しくもなしあげたてまつり給はで、うへもんのぜうのみこどもあまたおはしける中にも三郎をぞ、おほぢおとゞわがみこにし給て、さねすけとつけ給へりける。あつとしのせうしやうのきみも、おのこゞをんなご、あまたもたまへりけるを、此おほぢおとゞぞよろづに、はぐゝみ給ける。九でうどのゝきさきの御はらからの中のきみは、しげあきらのしきぶきやうのみやのきたのかたにてぞおはしける。をんなぎみ二人うみてかしづき給けり。かくてたうぐうよつにおはしましし年の三月に、もとかた大なごんなくなりにしかば、そのゝち一のみやもにようごも、うちつゞき
P1037
うせ給にしぞかし。そのけにこそはあめれ、たうぐういとうたてきおほんものゝけにて、ともすれば、おほんこゝちあやまりしけり。いと<をしげにおはしますおり<ありけり。さるはおほんかたちうつくしうきよらにおはしますことかぎりなきに、たまにきずつきたらんやうにみえさせ給。たゞいみじきことには、御修法あまた壇にて、よとゝもによろづ〔に〕せさせ給へどしるしなし。いとなべてならぬおほんこゝろざま・かたちなり。おほんけはひ有さま、みこはつきなど、まだちいさくおはします人のおほんけはひともみえきこえずまが<しう〔ゆゆしう〕いとをしげにおはしましけり。これをみかどもきさきも、いみじきことにおぼしめしなげかせ給。やう<おほんげんぶくのほどもちかくならせ給へれば、おほんむすめおはするかんだちべみこたちは、いたうけしきばみまし給へど、かくおはしませば、たゞいまさやうのことおぼしめしかけさせ給はぬに、前朱雀院のをんなみこ、又なきものにおもひかしづききこえさせ給しを、さやうにおぼしめしためるは、きさきにすへたてまつらんの御ほいなるべし。さればそのみやまいらせ給べきにさだめありて、こと人<たゞいまはおぼしとゞまりにけり。しきぶきやうのみやのきたのかたは、うちわたりのさるべきおりふしのおかしきことみには、みやへかならずまいり給けるを、うへはつかに御らんじて、人しれずいかで<と覚しめして、きさきにせちにきこえさせ給ければ、こゝろぐるしうて、しらぬがほにて二三ど
P1038
はたいめせさせたてまつらせ給けるを、うへはつかにあかずのみおぼしめして、つねになを<ときこえさせ給ければ、わざとむかへたてまつり給ひけれど、あまりはえものせさせ給はざりけるほどに、みかどさるべき女ばうをかよはせさせ給て、しのびてまぎれ給つゝ、まいり給。又つくもどころにさるべき御でうどどもまで、こゝろざしせさせ給けることを、をのづからたびたびになりてきさきのみやもりきかせ給て、いとものしき御けしきになりにければ、うへもつゝまじうおぼしめして、かのきたのかたもいとおそろしうおぼしめされて、そのこととゞまりにけり。かのみやのきたのかたは、おほんかたちもこゝろもおかしういまめかしうおはしける。いろめかしうさへおはしければ、かゝることはあるなるべし。みかど人しれずものおもひにおぼししみだる。かゝるほどにきさきのみやも、みかども四のみやをかぎりなきものにおもひきこえさせ給ければ、そのけしきしたがひてよろづのてんじやう人、かんだちべなびきつかうまつりて、もてはやしたてまつり給ほどに、やう<十二三ばかりにおはしませば、おほんげんぶくのことおぼしいそがせ給。おほんむすめもたまへるかんだちべは、いみじうけしきばみきこえ給に、みやの大夫ときこゆる人、源氏のさ大しやうえもいはずかしづき給。ひとりむすめをさやうにとほのめかしきこえ給ければ、みかどもみやもおほんけしきさやうに覚しければ、よろこびてよろづしとゝのへさせ給て、やがてそのよまいり給。れいのみやたちは、わがさとにおはしそむることこそつねのことなれ、これはにようご・
P1039
更衣のやうに、やがてうちにおはしますに、まいらせたてまつり給べきさだめあれば、れいのにようご・更衣のまいりはさることなり。これはいとめづらかにさまかはり、いまめかしうて、おほんげんぶくのよやがてまいり給。みかど・きさきの御よめあつかひのほどいとおかしくなんみえさせ給けり。かゝるほどにしげあきらしきぶきやうのみや、ひごろいたくわづらひ給と〔いふ事〕きこゆれば、九でうどのいかに<とおぼしなげくほどにうせ給にければ、みかど人しれず、いまだにとうれしうおぼしめせど、みやにぞはゞかりきこえさせ給ける。おほんいみなどすぎさせ給て、この四のみやをぞ一ぽんしきぶきやうのみやときこえさすめる。かゝるほどに九でうどのなやましうおぼされて、御かぜなどいひて、おほんゆゝでなどして、くすりきこしめしてすぐさせ給ほどに、まめやかにくるしうせさせ給へば、みやもさとにいでさせ給ぬ。おとこぎみたちあまたおはすれど、まだはかばかしくおとなしきもさすがにおはせず、なかにおとなしきは、中じやうなどにておはするもあり。いかにおはすべきにかと、うちにもいみじうおぼしめしなげきたり。東宮のおほんうしろみも、四・五のみやの御ことも、たゞこのおとゞをたのもしきものにおぼしめしたるに、いかに<とおほやけよりも御修法などをこなはせ給。いとめでたき御さいはひによの人も申おもへり。てんとく四年五月二日しゆつけさせ給て、四日にうせさせ給ぬ。おほんとし五十三。たゞいまかくしもおはしますべきほどにもあらぬに、くちおしうこゝろうく、おしみ申さぬ人なし。世をしり
P1040
給はんにも、いとめでたきおほんこゝろもちゐをと、かへす<”おぼしまどはせ給。みやおはしませばよろづかぎりなくめでたし。一てんがの人いづれかはみやになびきつかうまつらぬがあらん。かくてのちのおほんことゞも、あはれ<ときこえさするほどに、おほんはうじも六月十よ日にせさせ給。いまはとてうちにまいらせ給へとあれば、いとあつきほどすぐしてとおはします。う大じんには故時平のおとゞのみこあきたゞのおとゞなり給ぬ。この左のおとゞのこりて、かくおはする、いとめでたし。東宮のにようごも、みやのおほんものゝけのおそろしければ、さとがちにぞおはしましける。とし月もはかなくすぎもていきて、おかしくめでたき世の有さまどもかきつゞけまほしけれど、なにかはとてなむ。みやたちみなさま<”うつくしういづかたにもおはしますを、うへ左も右もとぞおぼしめさるゝが、うちにもなをみやのおほんかたのみこたちは、いとこゝろことにおぼしめす。九でうどのゝいそぎたるおほんありさま、かへす<”もくちおしういみじきことをぞ、みかどもきさきもおぼしめしたる。よの中なにごとにつけてもかはりゆくを、あはれなることにみかどもおぼしめして、なをいかでとうおりて、こゝろやすきふるまひにてもありにしがなどのみおぼしめしながら、さき<”もくらゐながらうせ給。みかどはのち<のおほんありさまいとところせきものにこそあれと、おなじくはいとめでたうこよなきことぞかしとまで覚しめしつゝぞ、すぐさせ給ける。しきぶきやうのみやも、いまは
P1041
いとようおとなびさせ給ぬれば、さとにおはしまさまほしうおぼしめせど、みかどもきさきもふりがたきものにおぼしきこえさせ給ものから、あやしきことはみかどなどにはいかゞと、見たてまいらせ給ことぞいできにたる。されば五のみやをぞ、さやうにおはしますべきにやとぞ。まだそれはいとおさなうおはします。それにつけてもおとゞのおはせましかばと覚しめすことおほかるべし。麗景殿御方の七宮ぞおかしう、おほんこゝろをきてなどちいさながらおはしますを、はゝにようごの御こゝろばへをしはかられけり。あぜちのみやすどころことにおぼえなかりしかども、みやたちのあまたおはしますにぞかゝり給める。しきぶきやうのみやのにようご、みやさへおはしまさねば、まいり給こといとかたし。さるはいとあてになまめかしうおはするにようごをなど、つねにおもひいでさせ給おり<は、おほんふみぞたえざりける。かゝるほどに、きさきのみや、ひごろたゞにもおはしまさぬを、いかにとおぼしめさるゝに、あやしうなやましうのみ、つねよりもくるしうおぼさるれば、いかなることにかと、わがおほんこゝちにもおぼしめさるれば、七壇の御修法、長日御修法おほやけがた・みやがたとをこなはせ給。ふだんの御読経などをこなはせ給しるしありて、おほんこゝちさはやがせ給などすれば、いとうれしきことにおぼしめせば、又おなじことにくるしうせさせ給ひなどして、月日すぎもていくほどに、さとにいでさせ給を、なを<かくてと申させ給へど、
P1042
それもおそろしきことなりとていでさせ給て、いよ<おほんいのりひまなし。おほくのみやたちのおはしませば、うへいかにとのみしづ心なくおぼしまどふも、げにとのみみえさせ給。うちにはよろづにおほんこゝろをやりおかしきおほんあそびも、このおほんなやみによりおぼしたえていかさまにと覚したれば、をのゝみやおとゞいとおそろしう、なをおほんこゝろをやりておはしましならひて、いたくしづませ給へるを、こゝろぐるしきおほんことなりとて、又おほんいのりなどよろづにつかうまつらせ給。このみやかくておはしませばこそ、よろづととのほりて、かたへのおほんかた<”も、こゝろのどかにもてなされておはすれ。もしともかくもおはしまさば、いかに<みぐるしきことおほからんと人々もいひおもひ、おほんかた<もいみじくおぼしなげくべし。かゝるほどにおほんなやみなをおどろ<しうなりまさらせ給へば、うちにもとにもこのおほんことをおぼしなげくに、うちより御つかひひまもなし。しきぶきやうのみやこのおりさへやとて、やがていでさせ給ひにしかば、うへさま<”にさう<”しく、おぼつかなきことゞもおほくおぼしめす。女宮たちは、なをしばしとてとゞめたてまつらせ給へり。五のみやをも、おほんものゝけおそろしとて、とゞめたてまつらせ給つ。かへす<”いかなるべきおほんこゝちにかとおぼしめさる。みやたちをばさう<”しくおぼしめさるらんにとて、おほんこゝろのいとまなけれど、うへわたらせ給ひて、よろづにこゝろしらひきこえさせ給も、かつはいかゞ
P1043
とおぼしつゞけても、おほんなみだこぼれさせ給へば、よくしのばせ給へど、おほんこゝろさはぎせさせ給。たゞにもあらぬにかくおはしますことを、よろづよりもあやうく大じにおぼしめさるゝに、おほんこゝちひさしうなれば、いとよはくならせ給て、ともすればきえいりぬばかりにおはしますおほんありさまを、うちにはむつまじきにようばうたち、かはり<”にまいりてみたてまつりつつ奏すれば、さま<”みゝかしがましきまでのおほんいのりどもしるしみえず、いといみじきことに覚しまどふ。おほんものゝけどもいとかずおほかるにも、かのもとかた大なごんの霊いみじくおどろ<しく、いみじきけはひにてあへてあらせたてまつるべきけしきなし。東宮をもいみじげに申おもへり。東宮もいかに<とおぼつかなさをおもひやりきこえさせ給。うちよりのおほんつかひ、よるひるわかずしきりてまいりつゞきたり。御はらからのとのばら・きみたちこゝろをまどはし給。かゝるほどにおほかたのおほんこゝちよりも、れいの御ことのけはひさへそひてくるしがらせ給へば、いとゞおほんしつらひし、おほんずきやうなど、そこらのそうのこゑさしあひたるほどに、いみじう、みやはいきだにせさせ給はず、なきやうにておはします。そこらのうちとぬかをつき、をしこりてどよみたるに、みこかい<となき給。あなうれしとおもひて、のちのおほんことゞもをおもひさはぐほどぞいみじき。やとのゝしるほどに、やがてきえいらせ給ひにけり。かくいふことは應和四年四月廿九日、いへばおろかなりや。おもひやるべし。うち
P1044
のみやたちもよべぞいでさせ給へる。このたびのみや、をんなにぞおはしましける。みやたちまだおさなくおはしませば、なにとも覚したるまじけれど、おほかたのひゞきにいみじうなかせ給。しきぶきやうのみやは、ふしまろびなきまどはせ給もことはりに、いみじう内にもきこしめして、すべてなにごともおぼえさせ給はず、御こゑをだにおしませ給はず、ゆゆしきまでみえさせ給おほんありさまなり。東宮もおほんものゝけのこのみやにまいりたれば、れいのおほんこゝちにおはしませば、いといみじうかなしきことにまどはせ給もあはれに、みたてまつる人みななみだとゞめがたし。あはれなりともをろかなり。さてやはとて、いまみやは侍従の命婦かねてもしかおぼしゝことなれば、やがてつかうまつる。あはれ、れいのやうにたいらかにおはしまさましかば、このたびはこゝろことにいかにめでたからましといひつゞけて、とのばら・にようばうたちなきどよみたる、ことはりにいみじきおほんことなりかし。かくてのみやはおはしまさんとて、二日ありてとかくしたてまつらんと覚しをきてたるにも、ぎしきありさま、あはれにかなしういみじきことかぎりなし。うち<にたてまつりつる。いとげのおほんくるまにぞたてまつる。よの中のさるべきてんじやう人・かんだちべなど、まいりをくりたてまつる、のこりすくなくみえたり。よろづよりも、しきぶきやうのみやのおほんくるまのしりにあゆませ給こそ、いといみじうかなしけれ。たてまつり給へりけるものゝさまなどのいみじさよ。香のこし・火のこしなどみなあるわざなりけり。すべておほんとものおとこをんな、いとうるはしき
P1045
さうぞくどものうへに、えもいはぬものどもをぞきたる。おほかたのぎしきありさま、いはんかたなくおどろおどろしう、うちにも東宮にもみなおほんぶくあるべければ、諒闇だちたれど、これはてんじやう人などもうすにびをぞきたる。なつのよもはかなくてあけぬれば、この御はらからのきみたち、そうもぞくもみなうちむれて、こはたへまうで給ほどなど、たれもをそくときといふばかりこそあれ、いときのふけふとはおもはざりつることぞかしと、うちにおぼしめしたるおほんけしきにつけても、なをめでたかりける九でうどのゝおほんゆかりかなとみえさせ給。をしかへしみかどのおはしますに、さきだちたてまつらせ給ぬるも、又いとめでたしやと申すたぐひもおほかりや。五のみやはいつゝむつにおはしませば、御服だになきを、あはれなるおほんありさま、よのつねのことにかはらずすぎもていくなかにも、よろづおどろ<しくこちたきさまはいとことなり。さてはうちはやがて御さうじにて、このほどはすべておほんたはぶれに、にようご・みやすどころ〔の〕御とのゐたえたり。いとさまことに孝じきこえさせ給。かくて御はうじ六月十七日のほどにぞせさせ給へりける。五月のさみだれにも哀にてしほどけくらし、たごのたもとにおとらぬ有さまにて、御はうじ〔に〕すべてつかさ<の人みなゐたち、さるべきおほやけがたざまにしをきてさせ給。かくて御はうじすぎぬれば、そうどもまかでぬ。みやのうちあらぬものにひきかへたり。されどみやたちおはしませば、さるべきてんじやう人・かんだちべたえず、この
P1046
とのばらもさぶらひ給へば、いみじくあはれにかなしくなん。ものゝこゝろしらせ給へるみやたちは、おほんぞのいろなども、いとこまやかなるもあはれなり。おほんめのとのじゞう命婦をはじめとして、小貳命婦・佐命婦など、二三人あつまりてつかうまつる。これはもとのみやのにようばう、みなうちかけたるなりけり。かくいみじうあはれなることを、うちにもまごゝろになげきすぐさせ給ほどに、おとこのおほんこゝろこそなをうきものはあれ、六月つごもりにみかどの覚しめしけるやう、しきぶきやうのみやのきたのかたはひとりおはすらんかしとおぼしいでゝ、御文物せさせ給に、きさきのみやのおほんをとゝの御かた<”、おとこぎみたち、たゞおやとも君ともみやをこそたのみ申つるに、ひをうちけちたるやうなるを、あはれにおぼしまどふ。かくてみやたちうちにまいらせ給に、いまみやもしのびておはしますをあはれにかなしとみたてまつらせ給。いみじうおかしげにめでたうおはします。御いかはさとにてぞきこしめす。おほんぞのいろども、ひたみちにすみぞめなり。みやのきたのかたは、めづらしき御ふみをうれしうおぼしながら、なき御かげにもおぼしめさんこと、おそろしうつゝましうおぼさるるに、そのゝち御ふみしきりにてまいり給へ<とあれど、いかでかはおもひのまゝにはいでたち給はん。いかになど覚しみだるゝほどに、おほんはらからのきみたちに、うへしのびて此ことをの給はせて、それまいらせよとおほせられければ、かゝることのありけるを、みやのけしきにもいださで、としごろおはしましける
P1047
ことゝおぼす。なにゝつけても、いとかなしうおもひいできこえ給。さてかしこまりてまかで給て、はやうまいり給へなどきこえ給へば、あべいことにもあらずおぼしたれば、いまはじめたるおほんことにもあらざなるを、などはづかしげにきこえ給て、このきみたちおなじこころにそゝのかし、さるべきおほんさまにきこえ給。うちよりはくらづかさにおほせられて、さるべきさまのこまかなることゞもあるべし。さばとていでたちまいり給を、おほんはらからのきみたち、さすがにいかにぞやうちおもひ給へるおほんけしきどもゝ、すゞろはしくおぼさるべし。さてまいり給へり登花殿にて御つぼねしたる。それよりとして、御とのゐしきりて、ことおほんかた<”あへてたちいで給はず。こみやのにようばう・みやたちのおほんめのとなど、やすからぬことにおもへり。かゝることのいつしかとあること。たゞいまかくはおはしますべきことかはなど、ことしものろひなどし給ひつらんやうにきこえなすも、いと<かたはらいたし。おほんかたがたには、みやのおほんこゝろのあはれなりしことを、こひしのびきこえ給に、かゝることさへあれば、いとこゝろづきなきことにすげなくそしりそねみ、やすからぬことにきこえ給。まいり給てのち、すべてよるひるふしおきむつれさせ給て、よのまつりごとをしらせ給はぬさまなれば、たゞいまのそしりぐさにはこのおほんことぞありける。わたりなかりしおり、あやにくなりしにやとおぼされつるおほんこゝろざし、いましもいとゞまさりて、いみじうおもひきこえさせ給てのあまり
P1048
には、人のこなどうみ給はざらましかば、きさきにもすゑてましとおぼしめしの給はせて、ないしのかみになさせ給つ。御はらからのきんだちも、しばしこそこゝろづきなしとおぼしの給はせしが、おほんこゝろざしのまことにめでたければ、たけからぬ御ひとすぢをおぼすべし。をのゝみやのおとどなどは、あはれ、よのためしにしたてまつりつるきみのおほんこゝろの、よのすゑによしなきことのいできて、人のそしられのおひ給ことゝ、なげかしげにまし給。おほんかた<”たまさかにぞおほんとのゐもある。登花殿のきみまいり給ては、つとめての御あさい・ひるねなど、あさましきまでよもしらせ給はず御とのごもれば、なにごとのいかなれば、かくよるは、おほんとのごもらぬにかと、けしからぬことをぞ、ちかうつかうまつるおとこをんな申おもひためる。かゝるほどに、あぜちのみやすどころのおほんはらの女三のみや、ことをなんおかしくひき給ときこしめして、みかどいかでそのみやのこときかん。まいらせ給へと、みやすどころにたび<の給はせければ、はゝみやすどころいとうれしく覚して、したてゝまいらせ給へり。うへ、ひるまのつれ<”におぼされけるにわたらせ給て。いづら、みやはときこえ給へば。こなたにときこえ給。こなたにときこえ給へれば、ゐざりいで給へり。十二三ばかりにて、いとうつくしげにけだかきさまし給へり。けぢかきおほんけはひぞあらせまほしき。みかど、いづれもみこのかなしさはわきがたうおぼしめされて、うつくしうみたてまいらせ給に、はゝみやすどころにおぼえ給へりと御らんず
P1049
べし。みやすどころもきよげにおはすれど、ものおい<しく、いかにぞやおはして、すこしこたいなるけはひありさまして、みまほしきけはひやし給はざらん。ひめみやは、まだいとわかくおはすれば、あてやかにおかしくおはするに、おほんことをいとおかしうひき給へば、きゝ給や。これはいかにひき給ぞとの給はすれば、はゝみやすどころ、三尺の木丁をおほん身にそへ給へるを、き丁ながらゐざりより給ほど、なまごゝろづきなく御らんぜらるゝに、ものとなにとみちをまかればきやうをぞ一まき見つけたるを、とりひろげて、こゑをあげてよむものは、仏説のなかの摩訶のはんにやのしんぎやうなりけりとひき給にこそとの給に、せんかたなくあやしうおぼされて、ともかくもの給はせぬほど、いとはづかしげなり。そのおりにあさましうおぼされたりけるおほんけしきの、世がたりになりたるなるべし。かやうなることもさしまじりけり。きさいのみやおはしましゝおり、九のみやなどのおほんたいめんありしなどこそ、いみじうめでたかりしがなど、うへのにようばうたちは、よるひるみやをこひしのびきこえさするさまをおろかならず。おほかたのおほんこゝろざまひろう、まことのおほやけとおはしまし、かたへのおほんかた<”にもいとなさけあり、おとな<しうおはしましゝをぞ、おほんかた<”もこひきこえ給。尚侍のおほんありさまこそ、なをめでたういみじきおほんことなれど、たゞいまあはれなることは、ないしのかみのおほんはらからのたかみつせうしやうときこえつるは、わらは名はまちをさぎみと
P1050
きこえしは、九でうどのゝいみじうおもひきこえ給へりしきみ、中ぐうのおほんことなどもあはれにおぼされて、月のくまもなうすみのぼりて、めでたきを見給ひて、
@ かくばかりへがたく見ゆるよの中にうらやましくもすめる月かな W003。
とよみ給て、そのあかつきにいで給て、ほうしになり給にけり。みかどもいみじうあはれがらせ給。よの人もいみじくおしみきこえさす。多武岑といふところにこもりて、いみじくをこなひておはしけるに、みつ〔よつ〕ばかりのをんなぎみのいと<うつくしきぞおはしける。それぞなを覚しすてざりける。たふのみねまでこひしさはつゞきのぼりければ、はゝぎみの御もとに、それによりてぞをとづれきこえ給ける。かのちごぎみも、びやうぶのゑのおとこをみては、てゝとてぞこひきこえ給ける。これは物がたりにつくりて、よにあるやうにぞきこゆめる。あはれなることに、このことをぞよにはいふ。はかなくとし月もすぎて、みかど世しろしめしてのち、廿年になりぬればおりなばや。しばしこゝろにまかせても、ありにしがなとおぼしの給はすれど、ときのかんだちべたち、さらにゆるしきこえさせ給はざりけり。康保三年八月十五夜、月のえんせさせ給はんとて、せいりやうでんのおほんまへに、みなかたわかちて、せんざいうへさせたまふ。左の頭には、繪所別當蔵人のせうしやう済時とあるは小一でうのもろたゞのおとゞのみこ、いまの宣耀殿のにようごの御せうとなり。右の頭には、つくもどころの別當うこんのせうしやうためみつ、これは九でうどのゝ九郎君
P1051
なり。おとらじまけじといどみかはして、繪所のかたにはすはまをゑにかきて、くさ<”の花おひたるにまさりてかきたり。やりみづ・いはほみなかきて、しろがねをませのかたにして、よろづのむしどもをすませ、大井にせうようしたるかたをかきて、うぶねにひともしたるかたをかきて、むしのかたはらに〔うたはかきたり〕つくもどころのかたに、おもしろきすはまをゑりて、しほみちたるかたをつくりて、いろ<のつくりばなをうへ、まつたけなどをゑりつけて、いとおもしろし。かゝれども、うたはをみなへしにぞつけたる左方、
@ きみがためはなうへそむとつげねどもちよまつむしのねにぞなきぬる W004
右方
@ こゝろしてことしはにほへをみなへしさかぬはなぞと人はみるとも W005。
御遊ありて、かんだちべおほくまいり給て、御ろく様<”なり。これにつけても、みやのおはしましゝおりに、いみじくことのはへありておかしかりしはやと、うへよりはじめたてまつりて、かんだちべたちこひきこえ、めのごひ給。はなてふにつけても、いまはたゞおりなばやとのみぞおぼされける。とき<”につけてかはりゆくほどに、月日もすぎて康保四年になりぬ。月ごろうちにれいならずなやましげにおぼしめして、おほんものわすれなどしげし。いかにとのみおそろしうおぼしめす。御讀経御修法などあまた壇をこなはせ給。かゝれどさらにしるしもなし。れいのもとかたの霊などもまいりて、いみじくのゝしるに、
P1052
なをよのつきぬればこそ、かやうのこともあらめと、こゝろぼそくおぼしめさる。かねてはおりさせ給はまほしくおぼされしかど、いまになりては、さばれ、おなじくは位ながらこそとおぼさるべし。おほんこゝちいとをもければ、をのゝみやのおとゞしのびて奏し給。〔もし〕非常のこともおはしまさば、東宮にはたれをかとおほんけしき給はり給へば、しきぶきやうのみやをとこそおもひしかど、いまにをきてはえゐ給はじ。五のみやをなんしかおもふとおほせらるれば、うけたまはり給ぬ。御惱まことにいみじければ、みやたち・おほんかた<”みななみだをながし給もおろかなり。そのなかにもないしのかみ、あはれに、人わらはれにやと覚しなげくさま、ことはりにいとおしげなり。されどつゐに五月廿五日〔に〕うせ給ぬ。東宮くらゐにつかせ給。あはれにかなしきこと、たとへんかたなし。めでたうてりかゝやきたる月日のおもてに、むらくものにはかにいできて、おほひたるにこそにたれ。又こゝのへのうちのともしびを、かいけちたるやうにもあり。あさましういみじともよのつねなり。こゝらのてんじやう人・かんだちべたちあしてをまどはかしたり。わがきみの御やうなるきみには、いまはあひたてまつりなむや。われもをくれたてまつらじ<と、あしずりをしつゝぞなき給。たうぐうのおほんことまだともかくもなきに、よの人みなこゝろ<”におもひさだめたるもおかし。おとゞはみなしりておはすめるものをと。よろづ御のちのことゞもいといみじ。御さうそうのよは、つかさめしありて百くはんをゝしかへして、この
P1053
みちかのみちとあかちあてさせ給に、つねのつかさめしはよろこびこそありしが、これはみななみだをながすも、げにゆゝしくかなしうなんみえける。いづれのてんじやう人・かんだちべかはのこらんとする、かずをつくしてつかうまつり給。てんじやうには人ただすこしぞとまれる。むらかみといふところにぞおはしまさせける。そのほどのありさまいはんかたなし。なつよもはかなくあけぬれば、みなかへりまいりぬ。いみじげれどもおりゐのみかどのおほんことは、ただ人のやうにこそありけれ。これはいと<めづらかなる見ものにぞ、世人申おもひける。そのゝちつぎ<の御ことゞも、いみじうめでたき御ことゝ申せども、おなじやうにて月日もすぎぬ。みや<おほんかた<”のすみぞめどもあはれにかなし。おなじ諒闇なれど、これはいと<おどろ<しければ、たゞ一てんがの人からすのやうなり。よもやまのしゐしばのこらじと見ゆるも、あはれになん。ことゞも〔も〕みなはてゝ、すこしこゝろのどかになりても、たうぐうのおほんこと有べかめる。しきぶきやうみやわたりには人しれずおとゞの御けしきをまちおぼせど、あへてをとなければ、いかなればにかとおほんむねつぶるべし。源氏のおとゞ、もしさもあらずば、あさましうもくちおしうもあべきかなと、ものおもひにおぼされけり。かゝるほどに、九月一日東宮たち給。五のみやぞたゝせ給ふ。おほんとし九にぞおはしける。みかどのおほんとし十八にぞおはしましける。このみかどたゝせ給おなじ日、にようごもきさきにたゝせ給て中ぐうと申。昌子内親王と
P1054
ぞ申つるかし。朱雀院の御こゝろをきてを、ほいかなはせ給へるもいとめでたし。中宮のだいぶには、さいしやうともなりなり給ぬ。東宮大夫には、中なごん師氏、傅には小一でうのおとゞなり給ぬ。みな九でうどのゝおほんはらからのとのばらにおはすかし。たゞし九でうどのゝ君だちは、まだおほんくらゐどもあさければ、えなり給はぬなるべし。みかどれいのおほんこゝちにおはしますおりは、せんていにいとようにたてまつらせ給へる。おほんかたちこれはいますこしまさらせ給へり。あたらみかどのおほんものゝけ、いみじくおはしますのみぞ、よにこゝろうきことなる。ことしは御禊・大嘗會なくてすぎぬ。かゝるほどに、おなじとしの十二月十三日をのゝみやのおとゞ、太じやう大じんになり給ぬ。源氏の右のおとゞ左になり給ぬ。う大じんには小一でうのおとゞなり給ぬ。源氏のおとゞくらゐはまさり給へれど、あさましくおもひのほかなる世の中をぞ、こゝろうきものにおぼしめさるゝ〔。かかる〕ほどにとしもかへりぬ。ことしはねんがうかはりて、安和元年といふ。正月のつかさめしに、さま<”のよろこびどもありて、九でうどのゝ御太郎伊尹のきみ、大なごんになり給て、いとはなやかなるかんだちべにぞおはする。女君たちあまたおはす。おほひめぎみうちにまいらせ給はんとて、いそがせ給といふことあり。二月にとぞおぼしこゝろざしける。これをきこしめして、中ぐうもさとにしばしいでさせ給。うへのおほんものゝけのおそろしければ、このみやもさとがちにぞおはしましける。二月ついたちににようごまいり給。そのほどのありさまをしはかる
P1055
べし。みかどいとかひありてときめかせ給ほどに、いつしかとたゞにもあらぬおほんけしきにてものし給ぞ、いとゝゆゆしく、ちゝ大なごんむねつぶれておぼされける。おほんいのりをつくし給。みかどもいとうれしきことにおぼしめしたり。みつきになりぬれば、ことのよしそうしていでさせ給ほど、いみじくめでたし。これにつけてもなを九でうどのをぞ、ありがたきおほんさまにきこえさすめる。さてさとにいで給へるほども、うちよりおぼつかなさをおぼしきこえさせ給。中ぐううちにいらせ給へり。中ぐうのおほんかたのありさま、むかしもいまもなをいとおくぶかく、こゝろことにやむごとなくめでたし。こぞはよの中の人すみぞめにてくれにしかば、こぞ御禊・大嘗會などのゝしるめれ。さま<”にめでたきこと、おかしきこと、あはれにかなしきことおほかめり。伊尹大なごん一でうにすみ給へば、一でうどのとぞきこゆる。そのにようご、よの中の大じいそぎどもはてゝ、すこしのどかになりて、みこうみたてまつり給へり。おとこみこにおはすれば、よにめでたきことにおもへり。御うぶやのほどのありさまいへばをろかなり。おほきおとゞをはじめたてまつりてみなまいりこみさはぎたり。七日のよは、くはんがくゐんの衆どもみなまいり、しきぶみんぶのつかさみなまいりこみたり。一てんかをしろしめすべききみのいで給へると、よろこびおがみたてまつる。おほぢの大なごんのおほんけしきいみじうめでたし。九でうどの、このごろ六十にすこしやあまらせたまはましとおぼすにも、おはしまさ
P1056
ぬをかうやうのことにつけても、くちおしくおぼさるべし。七日もすぎ、つぎ<の御いかのおほんありさまいはんかたなし。源氏のおとゞは、しきぶきやうのみやの御ことを、いとゞへだておほかるこゝちせさせ給べし。みやの御おぼえのよになうめでたくめづらかにおはしましゝも、よの中のものがたりに申おもひたるに、さしもおはしまさゞりしことは、みなかくおはしますめり。みかどゝ申ものは、やすげにて、又かたきことにみゆるわざになんありける。しきぶきやうのみやのわらはにおはしましゝおりのみこ日の日、みかど・きさきもろともにゐたゝせ給て、いだし〔たて〕たてまつらせ給しほど、おほんむまをさへめしいでゝ、御まへにて御よそひをかせなどして、たかいぬかひまでのありさまを御らんじいれて、こき殿のはざまよりいでさせ給し。御ともにさこん中じやうしげみつ朝臣・蔵人頭うこん中じやう延光朝臣・しきぶ大輔保光朝臣・中ぐうごん大ぶかねみちあそん・ひやうぶの大輔兼いゑあそんなど、いとおほくおはしきや。その君たち、あるはきさきの御せうとたち、おなじき君たちときこゆれど、えんぎのみこなかづかさのみやのおほんこぞかし。いまはみなおとなになりておはするとのばらぞかし。おかしき御かりさうぞくどもにて、さもおかしかりしかな。ふなをかにてみだれたはぶれ給しこそ、いみじき見ものなりしが、きさいのみやのにようばう、くるまみつよつにのりこぼれて、をほうみのすりもうちいだしたるに、ふなをかのまつのみどりもいろこく、ゆくすゑはるかにめでたかりしことぞやと、かたりつづくるをきくも、いまはおかしうぞ。四のみやみかどがねと
P1057
申おもひしかど、いづらは源氏のおとゞのおほんむこになり給しに、ことたがふとみえしものをやなど、よにある人、あいなきことをぞ、〔くるしげにいひおもふものなめる。みかど〕御ものゝけいとおどろ<しうおはしませば、さるべきてんじやう人・とのばら、たゆまずよるひるさぶらひ給。いとけおそろしくおはしますに、けふおりさせ給。あすおりさせ給とのみ、きゝにくゝ申おもへるに、みかどゝ申ものは、一たびはのどかに、一たびはとくおりさせ給といふことも、かならずあるべきことに申おもへるに、ことしは安和二年とぞいふめるに、くらゐにて三とせにこそはならせ給ぬれば、いかなるべき御ありさまにかとのみみえさせ給へり。かゝるほどに、よの中にいとけしからぬことをぞいひいでたるや。それは、源氏の左のおとゞの、しきぶきやうのみやの御ことを覚して、みかどをかたぶけたてまつらんとおぼしかまふといふこといできて、よにいときゝにくゝのゝしる。いでや、よにさるけしからぬことあらじなど、よ人申おもふほどに、ぶつじんの御ゆるしにや、げに御こゝろの中にもあるまじき御こゝろやありけん、三月廿六日にこのさだいじんどのにけびいしうちかこみて、宣命よみのゝしりて、みかどをかたぶけたてまつらむとかまふるつみによりて、ださいごんのそつになしてながしつかはすといふことをよみのゝしる。いまは御くらゐもなきぢやうなればとて、あじろぐるまにのせたてまつりて、たゞいきにゐてたてまつれば、しきぶきやうのみやの御こゝち、おほかたならんにてだにいみじとおぼさ
P1058
るべきに、まいてわが御ことによりて、いできたることゝおぼすに、せんかたなくおぼされて、われも<といでたちさはがせ給。きたのかたの御むすめ・おとこ君達、いへばをろかなるとのゝうちのありさまなり。おもひやるべし。むかしすがはらのおとゞのながされ給へるをこそ、よのものがたりにきこしめししが、これはあさましういみじきめをみて、あきれまどひて、みなゝきさはぎ給もかなし。おとこ君だちのかぶりなどし給へるも、をくれじ<とまどひ給へるも、あへてよせつけたてまつらず。たゞあるがなかのおとゝにて、わらはなるきみのとのゝ御ふところはなれ給はぬぞ、なきのゝしりてまどひ給へば、ことのよしそうして、さばれ、それはとゆるさせ給を、おなじ御くるまにてだにあらず、むまにてぞおはする。十一二ばかりにぞおはしける。たゞいまよのなかにかなしくいみじきためしなる。人のなくなり給、れいのことなり。これはいとゆゝしうこゝろうし。だいごのみかど、いみじうさかしうかしこくおはしまして、ひじりのみかどゞ〔と〕さへ申しみかどの一のみこ源氏になり給へるぞかし。かゝる御ありさまはよにあさましくかなしうこゝろうきことに、よに申のゝしる。しきぶきやうのみや、ほうしにやなりなましとおぼせど、おさなきみやたちのうつくしうておはします、おほきたのかたのよをいみじきものにおほいたるも、たゞいまはみやひとゝころの御かげにかくれ給へれば、えふりすてさせ給はず。いみじうあはれに、かなしともよのつねなり。すませ給みやのうちも、よろづにおぼしむもれ
P1059
たれば、おまへのいけ・やり水も、みぐさゐむせびて、こゝろもゆかぬさまなり。さま<”にさばかりうへあつめ、つくろはせ給しせんざいうへきどもゝ、こゝろにまかせておひあがり、にはもあさぢがはらになりて、あはれにこゝろぼそし。みやはあはれにいみじとおぼしめしながら、くれやみにてすぐさせ給にも、むかしの御ありさまこひしうかなしうて、御なをしのそでもしぼりあへさせ給はず、いきながら身をかへさせ給へるぞ、あはれにかたじけなき。源氏のおとゞのあるがなかのおとゞのをんなぎみの、いつゝむつばかりにおはするは、おとゞの御はらからの十五のみやの、御むすめもおはせざりければ、むかへとりたてまつり給てひめみやにてかしづきたてまつり給て、やしなひたてまつり給。それにつけても、いとあはれなるものはよなりけり。そちどのはほうしになり給へるとぞきこゆめる。はかなく月日もすぎて、ことかぎりあるにや、みかどおりさせ給とてのゝしる。安和二年八月十三日なり。みかどおりさせ給ぬれば、東宮くらゐにつかせ給ぬ。御年十一なり。東宮におりゐのみかどの御このちごみやゐさせたまひぬ。師貞親王なり。伊尹の大なごんの御さいはひ、いみじくおはします。おりゐのみかどは、れいぜんゐんにぞおはします。さればれいぜんゐんときこえさす。たうぐうの御としふたつなり。おほきおとゞせつしやうのせんじかうぶり給ぬ。師尹のおとゞはさ大じんにておはす。御禊・だいじやうゑなどゝいとちかうなれば、よの人さはぎたちたり。かゝるほどに、小一でうのさ大じんひごろなやみ
P1060
給ける、十月十五日御年五十にてうせ〔させ〕給ぬとのゝしる。宣耀殿女御、おとこきんだちよりはじめて、よろづにおぼしまどふ。いまのせつしやうどのゝ御はらからなれば、御ぶくにならせ給へば、大じやうゑのおりのこと、いとくちをしうおぼせどなどてか。御おとうとなれば、一月の御ぶくこそあらめなど、さだめさせ給も、あはれなるよの中なり。れいのありさま〔の事〕どもありて、はかなくとしもくれぬれば、いまのうへ、わらはにおはしませば、つごもりのついなに、てんじやう人ふりつゞみなどしてまいらせたれば、うへふりけうぜさせ給もおかし。ついたちになりぬれば、天禄元年といふ。めづらしきおほんありさまにそへて、そらのけしきもいとこゝろことなり。小一でうのおとゞのかはりのおとゞには、在衡のおとゞなり給へるを、はかなくなやみ給て、正月廿七日うせ給ぬ。おほんとし七十八。としのはじめに、いとあやしきことなり。さるべきとのばら、御つゝしみあり。う大じんにて伊尹のおとゞおはす。せつしやうどのもあやしうかぜおこりがちにておはしまして、うちにもたはやすくまいり給はず。いかなるにかとおぼしめす。をのゝみやのおとゞ非常のこともおはしまさば、この一でうのおとゞ世はしらせ給べしとて、さるべき人々しのびてまいる。このおほきおとゞの二郎は、たゞいまのさ大しやうにてよりたゞとておはす。せつしやうどのゝ御なやみいとおもくおはしまして、まめやかにくるしうなりもておはしまし、御としなどもおとろへ給へれば、人いかにとぞ申おもへる。御はらからのとのばらはうせもて
P1061
おはしにたるに、かくひさしくよをたもたせ給へるもいとおそろし。よろづ御こゝろのまゝにつゝしませ給。よこぞりてさはげども、人の御いのちはすぢなき事なりければ、五月十八日にうせ給ぬ。のちの御いみな清慎公ときこゆ。さだいしやうよりたゞによをもゆづりきこえ給はで、ありのままにてうせさせ給ぬる御こゝろざまいとありがたし。御とし七十一にぞならせ給ける。あはれにかなしきよのありさまなり。七月十四日もろうぢの大なごんうせ給ぬ。貞信公のみこおとこぎみ四ところおはしける、みなうせ給ぬ。御とし五十五にておはしましける。かゝるほどに五月廿日一でうのおとゞせつしやうのせんじかうぶり給て、一てんがわが御こゝろにおはします。東宮の御おほちみかどの御おぢにて、いと<あるべきかぎりの御おぼえにてすぐさせ給。この御ありさまにつけても、九でうどのゝ御ありさまのみぞなをいとめでたかりける。さ大じんに源氏の兼明ときこゆる、なり給ぬ。これにだいごのみかどの御子におはして、姓えてたゝ人にておはしつるなりけり。御てをえもいはずかき給。道風などいひけるてをこそは、よにめでたきものにいふめれど、これはいとなまめかしうおかしげにかゝせ給へり。右大臣には、をのゝみやのおとゞのみこよりたゞなり給ぬ。かくいふほどに、天禄二年になりにけり。みかど御とし十三にならせ給にければ、おほんげんぶくのことありけり。九でうどのゝ御次郎ぎみとあるは、いまのせつしやうどのゝ御さしつぎなり。かねみちときこゆる。このごろくないきやうときこゆ。その
P1062
御ひめぎみ参らせたてまつり給。せつしやうどのゝひめぎみたちは、まだいとおさなくおはすれば、えまいらせ給はず。いとこゝろもとなくくちおしくおぼさるべし。くないきやうはほりかはなるいゑをいみじくつくりてぞすませ給ける。にようごいとおかしげにおはしければ、うへいとわかき御こゝろなれど、おもひきこえさせ給へる。うちには、ひとつ御はらの女九のみや、せんていいみじうおもひきこえ給へるを、このいまのうへもいみじうおもひかはしきこえさせ給て、一ぽんになしたてまつり給へり。うちのいとさう<”しきにおかしくておはします。女十のみや、この御ときに斎院にゐさせ給にけり。九でうどのゝ御三郎かねいゑの中なごんときこゆる、いみじうかしづきたてゝ、ひめぎみ二ところおはす。たゞいまの東宮はちごにおはします、うちにはほりかはのにようごさぶらひ給、きほひたるやうなりとて、れいぜんゐんにこのひめぎみをまいらせたてまつり給。をしたがへたることによの人申おもへり。せつしやうどのゝにようごときこゆるは、東宮の御はゝにようごにおはす。その御ひとつはらに、をんなみやふたところむまれ給にけり。されど女一のみやはほどなくうせさせ給て、女二のみやぞおはしましける。それはゐんのくらゐにおはしましゝおりならねど、のちにむまれ給へる、いみじううつくしげにひかるやうにておはしましけり。たうぐうかくておはしませば、ときどきこそみたてまつりまいらせ給へ、たゞこのひめみやをよろづのなぐさめにおぼしめしたり。かゝるほどに、かのむらかみのせんていの御おとこ八のみや、宣耀殿のにようごの御はらのみこにおはします、いとうつくしく
P1063
おはしませど、あやしう御こゝろばへぞこゝろえぬさまにおひいで給める。御おぢの済時のきみ、いまはさいしやうにておはするぞ、よろづにあつかひきこえ給て、小一でうのしんでんにおはするに、このさいしやうはびはの大なごん延光のむすめにぞすみ給ける。はゝは中なごんあつたゞのおほんむすめなり。えもいはずうつくしきひめぎみさゝげものにしてかしづき給。かの八のみやは、はゝにようごもうせ給にしかば、この小一でうのさいしやうのみぞ、よろづにあつかひきこえ給に、まだおさなきほどにおはすれど、この八のみやいとわづらはしきほどにおもひきこえ給へれば、ゆゝ〔し〕うてあへてみせたてまつり給はずなりにたり。おさなきほどはうつくしき御心ならで、うたてひが<しくしればみて、またさすがにかやうの御心さへおはするを、いと心づきなしとおぼしけり。さいしやうの御をひのさねかたの侍従も、このさいしやうをおやにしたてまつり給。このひめぎみの御あにゝて、おとこぎみは長命君といひておはす。おばきたのかたとりはなちて、びは殿にてぞやしなひたてまつり給ける。そのきみたちもたゞこのみやをぞもてわらひぐさにしたてまつり給ければ、ともすればうちひそみ給を、いとゞおこがましきことにわらひたてまつり給へるに、にくさはひめぎみをいとめでたきものにみたてまつり給て、つねに参り給けるを、さいしやうむげに心づきなしとおぼしなりにけり。この八のみや十二ばかりにぞなり給にける。この御心ざまの心えぬなげきをぞ、さいしやうはいみじうおぼしたる。さねかた侍従・長命君などあつまりて、むま
P1064
にのりならはせ給へ。のらせ給はぬはいとあやしき事なり。みやたちはさるべきおり<はむまにてこそありかせ給へとて、みまやの御むまめしいでゝ、おまへにてのせたてまつりて、ざゞとみさはげば、おもていとあかくなりて、むまのせなかにひれふし給へば、いみじうわらひのゝしるを、さいしやうかたはらいたしとおぼすに、いだきおろしたてまつれ、おそろしとおぼすらんとの給へば、ざゞとわらひのゝしりていだきおろしたてまつりたれば、むまのかみをひとくちくくみておはするを、さいしやういとわびしとみ給。にようばうたちなどわらひのゝしる。かゝるほどにれいぜんゐんのきさいのみや、みこもおはしまさずつれ<”なるを、この八のみやこにしたてまつりて、かよはしたてまつらんとなんの給はするといふことを、さいしやうつたへきゝ給て、いと<うれしうめでたきことならん。かのみやはたからいとおほくもたせ給へるみやなり。故朱雀院の御たからものはたゞこのみやにのみこそあんなれ。このみやは幸おはするみやなり。たからのわうになり給なんとすとて、よき日してまいりそめさせ給へり。中ぐう、さりとも、かの小一でうのさいしやうをしへたてたらむこゝろのほど、こよなからんとおぼして、むかへたてまつらせ〔給ふ〕。さいしやういみじうしたてゝゐてたてまつり給へれば、みたてまつり給に、御かたちにくげもなし。御ぐしなどいとおかしげにて、よおろばかりにおはします。うつくしき御なをしすがたなりや。やがてよびいれたてまつらせ給て、みなみおもてのひのおましのかたにかしづきすへたてまつらせ給て、御ともの人々
P1065
にかづけもの給ひ、御をくりものなどしてかへしたてまつらせ給。ものなど申させ給けるに、すべて御いらへなくて、たゞ御かほのみあかみければ、かぎりなくあてにおほどかにおはするなめりとおぼしけり。そのゝちとき<”参り給に、なをものゝ給はず。あやしうおぼしめすほどに、きさいのみやなやましうせさせ給ければ、さいしやう、みやの御とぶらひにいだし〔たて〕たてまつらせ給。まいりてはいかゞいふべきとの給はすれば、御なやみのよしうけたまはりてなんとこそは申給はめなど、をしへられてまいり給へれば、れいのよびいれたてまつり給に、ありつることをいとよくの給はすれば、みやなやましうおぼせど、うつくしうおぼしめして、さはのどかに又おはせよなどきこえさせ給。まかで給て、さいしやうに、ありつることいとよくいひつとの給へば、いであなしれがましや、いとこゝろづきなうおぼしていかでいひつとは申給ぞ。それはかたじけなき人をときこえ給へば、をい<さなり<との給ほど、いたはりどころなう心うくみえさせ給をわびしうおぼすほどに、天禄三年になりぬ。ついたちには、かのみや、御さうぞくめでたくしたてゝ、みやへいらせ奉り給。きこえ給〔ふべきことを、この度はわすれてをし〕へたてまつり給はずなりにけり。みやには、八のみやまいらせ給て、御まへにてはいし奉給へば、いと<あはれにうつくしとみ奉らせ給。心ごとに御しとねなどまいり、さるべき女ばうたちなど花やかにさうぞきつゞいてゐて、いらせ給へ
P1066
と申せば、うちふるまひいらせ給ほど、いとうつくしければ、あなうつくしやなど、めできこゆるほどに、しとねにいとうるはしくゐさせ給て、なにごとをきこえ給べきにかと、あつまりてあふぎをさしかくしつゝをしこりて、みなゐなみて、かつはあなはづかしや。小一でうのひめぎみの御かたのいみじからんものをなど、きこえあへるほどに、うちこはづくりて申いで給ことぞかし、いとあやし。御なやみのよしうけ給りてなんまいりつることゝ申給ものか。こぞの御なやみのおりにまいり給へりしに、さいしやうのをしへきこえ給しことを、正月のついたちのはいらいにまいりて申給なりけり。みやの御まへあきれてものもの給はせぬに、女ばうたちなにとなくさもわらふ。よがたりにもしつべきみやの御ことばかなとざゞめき、しのびもあへずわらひのゝしれば、いとはしたなく、かほあかみてゐ給て、いなや、おぢのさいしやうの、こぞの御こゝちのおりまいりしかば、かう申せといひしことを、けふはいへばなど、これがおかしからん。ものわらひいたうしける女ばう達おほかりけるみやかな。やくなし。まいらじと、うちむづかりてまかで給有さま、あさましうおかしうなん。小一でうにおはして、あさましきことこそありつれと語給へば、宰相なにごとにかときこえ給へば、いまはみやにすべてまいらじ。たゞころしにころされよとの給はすれば、いなや、いかにはべりつることぞときこえ給へば、御なやみのよし承てなんまいりつると申つれ
P1067
ば、にようばうの十廿人といでゐて、ほゝとわらふぞや。いとこそはらだゝしかりつれ。さればいそぎ出てきぬとの給へば、との、いとあさましういみじとおぼして、すべてものもの給はず。いなや、ともかくもの給はぬは、まろがあしういひたることか。こぞまいりしに、さ申せとの給しかば、それを忘ず申たるは、いづくのあしきぞとの給を、いみじとおぼしいりためり。