辨の草紙
(『日本文学大系』第19巻「お伽草子」大正14年による。振り仮名省略。入力:菊池真一)
辨の草紙
夫れ前仏は早去りて、二千余歳の春秋に過ぎたり。経巻は残ると雖も、世衰へて学ぶ人尠し、後仏は未だ世に出ですして、種々の魔法来りて人を悩ます。中有の闇にまどひ夢醒め難く、剰へ乱世となりて、法師は袈裟法衣を忘れ、俗はしやうゑひたゝれと云ふ事なし。僅に心ある人、誰かこれを慨かざらむ。爰に何の比、常陸の国行方の郡とかや、竹原左近尉平昌保と云ふ人あり、武芸人にすぐれ、武云竝びなき人なりけり。その先祖を尋ぬるに、桓武天皇より六代の後胤、平将軍貞盛卿末孫流れ来りて、常陸の大丞平の貞国の次男にてぞおはしける。学問を好みて、夏は閑窗に蛍を集めて夜を明し、秋は槙の屋の隙漏る月の影を待ち、四季転変の折々には、敷島の道をたしなみ給ひける。ある時、如何なる御心やおはしけむ。人間の盛衰を案じ出して、こと古りたる譬なれども、蜉蝣のあだなる命も、朝顔の出づる日を待つ間も、皆、これわれらが様なりと思ひえて、発心の志深くなりて、古へ、鳥羽院の御世に、佐藤兵衛憲清髻を切りて、剃髪染衣の姿となりて、西行上人と名乗りしも、羨ましく思へども、父母の御心、北の方の御歎きをさすがに思ひ煩ひつつ空しく月日を送りける。御子あり、三歳にならせ給ふ。又その秋の頃より北の御方只ならず、いとゞ思ひの催しなり。ある時北の御方に向ひまゐらせ給ひて、「且つ聞き給へ、浮世の無情は定めなきものなれど、中にも弓馬の家に生れては、夕日の落つるをも跡さべからず、此の年月願ふ道におくれ侍らば、後生いかゞはせむ。」とて、幼き人の髪をかきなでて、「此の若は武士の家に生れ侍り、きこゆるまは人ゆるさじ、若し生れ来らむか、男ならば法師になりて、我が後の跡をもとはせ、御身もたすかり給へ。」と、懇に宣ひし。まことにいまはしきなどなりけり。かやうのはかなし事の積りにや、其の冬の比、国に兵乱惹りて討死し給ひけり。父母の御歎き、北の御方は云ふに及ばず、一門一族他家の人までも、皆惜しまぬはなかりけり。
さて、新玉の春にもなりて、北の御方、御産泣く/\し給ひけり。世に清らなる、玉の男にてぞおはしましける。歎きの中の悦びにておほしたて、かしづき給ひけり。七ツにならせ給ひける程に、未だいたはしながら遺言なれば、下野国日光山の座主の御坊へのぼせ参らせたまひける。生ひさき見えて、形いと美しく物したまひければ、座主の御坊おろかならず、らうたくし給ひ、人皆かしづき奉る。御手習物ならはしの為とて、西谷の円実坊昌誉僧都の許へうつし奉らせ給ひける。学文の敏く賢く、筆取る事たど/\しからず、五歳ばかりの坊に住み馴れ給ひて、ありがたきまで、をとなひをはしましけり。然るに僧都老いの浪の寄せ来たる積り、又病のおかせるむくいにや、限りの様にならせ給ひける。此の児の御様をつく/゛\と見まゐらせて、「いとをし、我永らへ侍らば、さりともと思ひ侍りしが、今は早空しくなり侍りなむ、なき跡にも、心に入れて御経読ませ給ひて、御手習怠るべからず、誠に後世の紲にてこそ侍れ。さりながらも。」とて、東谷の教城坊昌長僧都をかたらひ寄せ参らせて、枕近くよせ奉り、「老僧はかくなり侍りぬ、此の児らうたくし給ひて、出家、学文遂げさせ給ひて、一山のかざり、父の御跡、われらが後世をもとはせ給はり候へ。」と、かき口説き宣ひければ、誠に哀れにこそ。いなみ難くて、請取り参らせ給ひけり。此の昌長僧都と申すは、慈悲深重にして、三衣の破るゝを悲しまず、行業不退にしては、一鉢の空しきことを憂へず、一心三観に思ひをかけ、一念三千の心をすまし、世にありがたき人なりけり。かくて此の児十二にならせ給ひ、故昌誉僧都の御跡したひまゐらせ給ふこと、いと哀れなる程なりけり。とかく慰めまゐらせて、東谷にうつろはし奉りて、御名を千代若丸とぞ申しける。いうに優しくぞおはしける。論談けつちやくし給ふ声は頻伽声ともなずらへ、ひかに唱歌の御声は、又東雲に鴬の寝床をさらぬ木ずゑにて、ほのかに音信れたるとや聞ゆべからむ。一山のもてあそびにも、先づ此の児を先立てまゐらせぱやと、上下心を惑はしけり。和歌の道にも心を入れ、思ひ深くぞおはしける。ある折しも明けがた深く一声音信れければ、人こそ泣くや誰とかと目を覚し給ひて、
「梅が香にさそはれけりな鶯のまだ東雲に一声は鳴く
花の色に聞きそへてこそ。」と仰せられけば、さもありぬべき事と皆人感じ奉りける。中にも勝れて筆取る事竝びなし。人々申しけるは、まだ難波津のはか/゛\しからぬ時よりも、あくまで故はあるかしと、おろかならずほめ奉りける。折節ことの会席にも、御手習のすさみ書きにも、はかなき歌のみを好ませ給ひければ、御父のいまはしかりし事、其の人々申し出し慰め申しけれども、御心のならはし、又いかなる愁へのつみにや、一首はかくこそ詠ませ給ひけり。
まちこゝの花も甲斐なく散り行けば身のはかなきぞ思ひ知らるゝ
とあそばしければ、これはあまりなる御心のいまはしとて、誹らはしげに申す人もありけり。
さて僧都の御坊中禅寺とて、なほ山深き霊社おはします。この御嶽をこそ、世にことふりる黒髪山とぞ聞えける。勝道上人かの御山に千年の霊像をきざみ立て、御堂をば弘法大師建立したまひて、ふだらく山と額を書き給ふ。寔に南方無垢の成道と見えにける。かの山に在りて、三歳籠り居て、勤経せらるゝ例ありけり。千代若殿は寺中におはしますべき由宣ひけれども、いかなりける御心やおはしけむ、同じく閼伽の水をも汲み、花をも摘まむ。」と宣ひて、籠らせ給ひけるとかや。この所の様を云へば、腰は高山峨々として前に湖水を湛へたり。源氏物語に猶かひなしとや塩ならぬ海と詠みしも、此の所の様なるべし。春陽坊専順の歌に、
厭ふらむ黒髪山にかげうつす湖の鏡の霜と雪とを
ひゑんの柱に今にあり。十住心院心敬の歌には、
頼もしな三歳籠れる法の師をさぞなあまてる神もまぼらぬ
三歳の物籠りをよませ給ひけるにや。又雲護院道興は、
雲霧も及ぱで高き山の端にわきて照りそふ日の光かな
さてまた発句に、折しも秋の半なれば、
水海に錦をあらふ紅葉かな
そこなる人の脇にて、
江に影ひたす秋の遠山
と申されけるとかや。その外古人の歌ども、皆漏らしけり。されども新田刑部大輔源尚純卿、歌の浜と云ふ南の岸にて、
越の海にありといふなる歌の浜あはせて見ねどまけじとぞ思ふ
万葉集に容れられし名所には、紅葉の浦、やしほの滝、老松、わか松、寺が崎、日輪寺、上野島あり。岩ふる浜、千手の岡その景筆にも写し難し。さてあり/\て千代若殿十五にならせ給ひけり。御髪剃らせ給ふべき由仰せられしを、一山の老若惜しみまゐらせて、御髪をそぎたてまつりて、戒有たせ参らせて、辨公昌信とぞ申しける。尼削ぎの髪の房やかに、御顔に散りかゝりて美しさ、眉の現はれしを、たとへて言はば、是れや霞の間よりかは、桜の匂ひたると、紫式部か書きたりし言の葉や、さなからと見えたり。かくて山籠りの久しかりし御慰みの為にとて、東谷に下らせ給ひける。児童子睦ましく語はせ給ひける御心愈しなし。或時池の汀も荒れ果て、花園山も荒れ果てければ、岸の岩をも立て直し、法師ばら召し集め給ふ中に、太輔公と云ふ人あり、様宜しく、賤しからぬ法師なり。そことも知らぬ風の吹き来て、障子を吹き破りける隙より見奉るに、御目を見合はせ、ほのかに笑はせ給ひし御顔ぱせは、秋の月雲間より洩れ出でたる様にやと見奉るに、如何なりける御心のよせやありけむ、御言葉をかけさせ給ひし嬉しさは、たとへむ方もなかりけり。我が宿に帰り来て思ひ染め奉る心の程こそ哀れなり。かくて僧都の御坊もの籠りこと終りて、東谷に下らせ給ふ。其の年も暮れ、明くる春の頃、辨公御父の十七回を弔はせたまひける。厳めしき法座を飾り、御位牌を立て、仏前に参らせ給うて、花奉り焼香して、世には此の例もありけるや、十六にして、父の十七回をとふ事と、見ぬ親を慕ひ参らせ、御涙を一目うけさせ給ふに、御様を見参らせて、高きも賤しきも、人は子なりけりとて、皆人歎きけり。さて太輔の君、思ひの催しけるにや、かの御かどのあたりを愁苦辛吟しけるを、辨公召使はるゝ童目敏く見咎むる故ありて、ことの次第を尋ぬるに、ありし障子の隙より、思ひ染め奉る此の年月の苦しさども、こまやかに語りければ、「あはれ実にもこそと思はすらめ。且つ聞き給へ、花につけ、紅葉に結びたる消息はとり入れも苦しからず、人目を忍びて巻き入らるゝ消息数多侍りし身の病にまかりなる事も侍りき。さりながら御身の白地に御物語り、誠にあはれに思ひまゐらせ奉る。御文ばかりは苦しからじ、たしかに認め給はり候へ。」と、いひ捨てて帰りけり。嬉しく思ひ、我が宿に帰り来て、薄様引重ねて、歎くあまりしらせ初めつる言の葉も、思ふばかりはと云ふ古き歌をも思ひ出て、ほのかに認めて、奥に一首の歌あり。
ほのみつる花の面影身に添ひてきえむ命のゆふべをぞ待つ
召しありし時、人目も隙もありければ、御前に開きて参らせければ、「むつかしの文な見せそ。」と仰せられけるを、さし寄りて、事の仔細を懇に申しけれぱ、「あはれの事や、さる事のあらば、今まで知らせざりし事。」と宣ひて、巻き返し涙ぐみ給ひけり。ある物語にゑびす心のむくつけし、思ひくづをれてやと書きたりし言の葉ども、思召し合はせ給ひて、いと哀れにぞし給ひける。暫しありて、御言葉はなくて、
風のつて待つまもあらでうつろはば花のとがとやいふべかるらむ
此の返し密かに伝へければ、嬉しさ限りもなかりけり。かくて忍び/\に隙をうかゞひ、終に語らひ奉る。凍り居し胸のつらさも打ちとけて、夢許りなる春の夜の、千夜を一夜に思ひしも、甲斐なく立別れなむとせし時、有明の月は朧に照りもせず、曇りもやらず、乱れてかゝる黒髪の隙より、眉のいとほのかなる御様にて、いかゞ思召しけむ、幽かに、
今よりはおもひおこせよ我もまた忘れじ今朝のきぬ/゛\の袖
御裳にとりつき奉りて、
ながらへてまた見む花とたのまねばよせを待つまの露ぞ悲しき
と聞えて、よしさらば別れしと、朝の床のうへの枕ぞ形見、またやうちねむもさすがに、人目を忍ぶならひなれば、閨のおち髪の一筋、二筋ありけるを拾ひて、畳紙に入れ、我が宿に帰り来りて、美しかりし御顔ばせと、あかぬ別れの物思ひ、何れを何れともわきかねて、そのまゝ起きも上らず、七日と云ふにつひに空しくなりにけり。此の事聞召されて、哀れにや思しけむ、童を召して、「煩ふ事やありしか。」と問はせ給ひければ、「此の年月の物思ひ、わづかなりける御物語に、いとゞ思ひの勝るにや、五六日は露をだにも口に、何しかあつかふ人もなきにや、果なくなりし。」と申しければ、「哀れのさや、いつの世の何の夕べには、此の哀れおもはむ。」と宣うて、衣引被ぎて、人目をも忍び給はぬ様にや、臥し転ばせ給ひける。されども、「いかに。」と慰め申しければ、さらぬ体にし給ひけれども、何くれの果物をだに触れさせ給ふこともなかりけれぱ、僧都の御房、狽て騒ぎ、一山の大衆足を空にして、物怪にやとて、様々の修法などせさせ給ひ、療治など加へ奉る。おどろ/\しくはなけれども、日々に重り給ひけり。匂ひやかに美しき御姿の、いとう面痩せて哀れなり。ある時人をよきて、かの童を御枕近く候はせて、「あこはしらじ、古、奈良の都に、侍従と云ふ童あり、とその身えらなりけるにや、ある人、語らひかしづき侍りしを、さはらずる人ありて、その人なげき、終に空しくなりにけり。此の事を侍従哀れに思ひて、悲しみに堪へかねけるにや、和泉川に身を投げて、底の水屑となりにけり。僧都範玄はその心も知らず、哀れに思召して、一首の歌あり、
何事の深き思ひに和泉川底の玉藻と沈みはてけむ
とあそぱしけるとかや、千載集に入れられたり。昔は人の思ひを哀れむ事、斯様にありしことなり。」と仰せければ、童、承つて、「こは浅ましき事を仰せらるゝ物かな、未だ生れたまはぬ先だにも、後世を頼むと仰せ置かれし、御父の御志、又御母上の御歎き、いかゞはせさせ給はむ。」と申しければ、「いさとよ、思ひ立つことはなし。」と仰せられ、やみたりけり。されども、日々に弱りもて来て、限りの様にならせ給ひける。僧都の御坊は申すに足らず、同谷に法門坊綱誉僧都其のよしみおはして、病窗かの床にも去らず労り給ひける。されども老少不定のならひ、古言にも遅れ先立つ花は残らじとの例にや、水無月十四日、昌長、綱誉の御手をひし/\と取り、御眉のいとたゆげなる御眼を開き、いと嫋々として御母上の恋しさなど仰せられて、程もなく消え入る様に失せ給ひける。昌長、綱誉は申すに及ばず、一山の大衆、狽て騒ぎ、さながら五月のくれ闇の如くにして、夢に道行く心にや、ものにみなあたりける。御母上に伝へ申しければ、そのまゝ起きも上り給はず、「昌保に離れまゐらせしは、又ことの数にもあらざりしを。」と歎かせ給ひける。道理にぞ人皆申し奉る。
さてあるべきにあらざれば、清滝寺尊豪法印と申す貴き聖を頼み奉りて、一時の煙となし奉る。果なかりける事どもなり。様々の御弔ひ、七日々々に限らずし給ひける御欺きの余にや、昌長僧都、伝法灌頂を執り行ひ、壇上に御位牌を立て、過去幽霊平昌信頓生菩提と廻向し給ひける御志、道理にもと、袖を濡らさぬはなかりけり。次の日又綱誉僧都も灌頂執行し、「過去幽霊一つ蓮花に上らせ給ひて、我等が終の行く道には、観音の御手の内の蓮台にとりのぼせ、都卒の内院に引取り給へ。」と、法施し給ひし御志、又すぐれて人皆哀れに思ひ奉る。召使はれし童と、髻切り、出家して、御骨を首に懸けて行方も知らず出でにけり。其の外、召使はれし人々、深き思ひに引籠るもあり、谷に転び落つるもあり、あはれなりし事どもなり。又爰に、真鏡坊昌澄と云ふ人あり。愚かなれども、筆執る業を得たり。辨公かの法師を召して、天台の四教五時の名目を書くべき由宣ひけり。その夏の比、此の山に峯あり、神護慶雲元年に勝道上人この山を開白し給ふに、本宮と中禅寺南社をあがめおき給ひて後、智光行者に密約し給ひ、かづらきのれいくつを写しふみわけ給ひけるとかや。弘法大師、其の後、滝尾の霊社を作り立て、品々の仏像を彫み置き給ふ。慈覚大師下り給ひて、新宮を建立し給ひ、千手、弥陀、馬頭の霊相を彫み立て、満願寺と云ふ寺号をなし置き、神殿にはほど/\の御宝物を納め給ふ。傍には又文殊の霊相を作り立て、常山の宝祚を守らしめ給ひける。されば桓武、平城、嵯峨の三帝の敕願寺として、正一位准三宮日光山大権現と御神官進らせ給ひて、未来永劫まで、人民の守らせ給へとなり。さて昌澄法師、夏峯の先達にあたりて、辨公返答しけるは、「修行辞み難し、出峯事終りて書き奉らむ。」と申し請ひて、五月半に入峯して山林斗薮の行を立て、樹下石上を宿とし、不惜身命に身をなして、一心不乱に修行しけるに、辨公失せ給ひぬと聞えければ、篠懸の袖を絞りける。されども日限りあれば、文月十四日に成就して、御墓に参り、臥し歎きけれども、甲斐なく、翌日より、かの聖教を書き奉り、御墓に納め参らせ、愚かなれども一絶を仏前に備へける。
翰墨約君君別離 無親疎似有親疎 莫嫌紙上斑々色 進孝野僧滴涙書
その夕、我が宿に帰り、歎き明して、微眠みたりける夢に、辨公この聖教を聞き給ひて、御嬉しげなりける御顔ばせにて、一首詠ませ給ひける。
筆の跡見ろとは知らじ夢のうちもかはす言葉の例なければ
と詠ませ給ひ、その夢にしばしもなくて、明け行く空に覚えけり。もしやと眼を開き、あたりをうかゞひけれども、跡かたも無くなりにけり。昌澄法師かやうの哀れともにいさゝかなる身をうらみて、往生院と云ふ蓮台に、弘法大師阿弥陀の霊相を作り立て、妙覚門と額を遊ばしける。今に絶えざる事共なり。或る外典を見るに、一日安閑は値万金とあり。又大隠は朝市にかくれ、小隠は岩薮にかくると云へり。しかし只かのたはらに住まま欲しく、在於閑処修摂其心いふ経文をさとり得て、方丈なる庵室を結び、朝夕にかの御菩提を弔ひ琴らせて、二六時中には法華妙典をよみ奉る。されぱ寂莫無人声読誦此経典と読みあげけるを、聞く人愚かにはせざりけり。辨公、或る人の夢に、鹿島のみかくれの明神のかりに現じ給ひ、あまたの人を発心せさせ給ふと、慥に告げどもありけり。又或る人の夢に一首の歌あり。
恋しくば上りても見よ辨の石われはごんしやの神とこそなれ
黒髪山の頂に、辨の石と云ふ霊石あり。富士の獄の望夫石の古語を思へば、事あひたる心地して、あらたなりける事どもなり。斯かる不思議ともに人みな見いて、あるは語り、あるは歎き、よしさらば、人の唱ふべきものは、弥陀の名号、願ふべきわざは安養の浄刹なるぺしと、一慶に不惜の阿弥陀仏を両三返申して、目を閉ぢ塞ぎ、袖を濡らさぬはなかりけり。
(奥付)
大正十四年九月二十日印刷
大正十四年九月二十三日発行
(非売品)
日本文学大系
第十九巻
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