笈の小文
                    芭蕉

笈之小文序
風羅坊芭蕉桃青と聞えしは、今此道の達人なり。其門葉日々に茂り月/\に盛なり。門葉推て翁と耳(のみ)いへば、皆芭蕉翁なることを知れり。是江戸深川の庵室に閑居せしむる時、手づから芭蕉を植置レたりし故成べし。此翁上かた行脚せられし時道すからの小記を集て、これをなづけて笈のこぶみといふ。積て漸浩瀚となる。昼夜に是を翫て、花に戯ては歌仙の色をまし、月にうつしては四十四百韻の色をます。爾来門葉多しといへども、唯乙州にのみ授見せしむ。乙州其群弟と共にせざることをなげき、今般梓にちりばめて世伝を広ふせんと欲して、物すといへども、俄に病に遇て息(やみ)ぬ。暫愈日(いゆるひ)を俟といふなる。
  江州大津松本之隠士観桂堂砂石子
  宝永四丁亥年春乙州之因慇求不得止染筆畢


笈之小文
                 風羅坊芭蕉

百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦て放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふて、これが為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学て愚を暁ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道(通カ)する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
 旅人と我名よばれん初しぐれ
 また山茶花を宿/゛\にして
岩城の住、長太郎と云もの、此脇を付て其角亭におゐて関送りせんともてなす。
 時は冬よしのをこめん旅のつと
此句は露沾公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初として、旧友親疎門人等あるは詩歌文章をもて訪ひ、或は草鞋の料を包て志を見す。かの三月の糧を集に力を入ず。紙布綿小などいふもの、帽子したうづやうのもの、心/\に贈りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小舟をうかべ、別墅にまうけし草庵に酒肴携来りて行衛を祝し、名残をおしみなどするこそ、故ある人の首途するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ。
抑道の日記といふものは、紀氏長明阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降昼より晴て、そこに松あり、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれ/\もいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なかれ。されども其処々の風景心に残り、山館野亭のくるしき愁も、且ははなしの種となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ処/\跡や先やと書集侍るぞ、猶酔ル者の●(リッシンベン+「孟」)語にひとしく、いねる人の譫言するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。
   鳴海にとまりて
 星崎の闇を見よとや啼千鳥
飛鳥井雅章公の此宿にとまらせ給ひて、都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてゝと、詠じ給ひけるを、みづからかゝせ給ひてたまはりけるよしをかたるに、
 京まではまだ半空や雪の雲
三川の国保美といふ処に、杜国がしのびて有けるをとぶらはんと、まづ越人に消息して、鳴海より跡ざまに二十五里尋かへりて、其夜吉田に泊る。
 寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき
あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き処なり。
 冬の日や馬上に氷る影法師
保美村より伊良古崎へ一里計も有べし。三河の国の地つゞきにて、伊勢とは海へだてたる処なれども、いかなる故にか万葉集には、伊勢の名所の内に撰入られたり。此洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらこ白といふとかや。骨山と云は、鷹を打処なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など歌にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし、
 鷹一つ見付てうれしいらこ崎
   熱田御修覆
 磨なをす鏡も清し雪の花
蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休息する程、
 箱根こす人も有らし今朝の雪
   有人の会
 ためつけて雪見にまかるかみこ哉
 いざ行む雪見にころぶ処まで
   ある人興行
 香を探る梅に蔵見る軒端哉
此間美濃大垣岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙あるは一折など度々に及。
師走十日余、名ごやを出て旧里に入んとす。
 旅寐してみしやうき世の煤はらひ
桑名よりくはで来ぬればと云日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ぬ。
 歩行ならば杖つき坂を落馬哉
と物うさのあまり云出侍れども、終に季ことばいらず。
 旧里や臍の緒に泣としの暮
宵のとし空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寝わすれたれば、
 二日にもぬかりはせじな花の春
   初春
 春立てまだ九日の野山哉
 枯芝ややゝかげろふの一二寸
伊賀の国阿波の庄といふ所に、俊乗上人の旧跡有。護峰山新大仏寺とかや云。名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶て田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全くおはしまし侍るぞ、其代の名残うたがふ処なく、涙こぼるゝ計也。石の蓮台獅子の坐などは、蓬葎の上に堆ク、双林の枯たる跡も、まのあたりにこそ覚えられけれ。
 丈六にかげろふ高し石の上
故主蝉吟公の庭にて、(原本此一行を脱す)
 さま/゛\の事おもひ出す桜哉
   伊勢山田
 何の木の花とはしらず匂哉
 裸にはまだ衣更着の嵐哉
   菩提山
 此山のかなしさ告よ野老堀
   龍尚舎
 物の名を先とふ蘆のわか葉哉
   網代民部雪堂に会
 梅の木に猶やどり木や梅の花
   草庵会
 いも植て門は葎のわか葉哉
神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと神司などに尋侍れば、只何とはなしをのづから梅一もともなくて、子良の館の後に一もと侍るよしをかたりつたふ。
 御子良子の一もとゆかし梅の花
 神垣やおもひもかけずねはんぞう
弥生半過る程、そゞろにうき立心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ花におもひ立んとするに、かのいらこ崎にてちぎり置し人の、伊勢にて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且は我為に童子となりて道の便りにもならんと、自万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさまいと興有。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書ス。
   乾坤無住同行二人
 よし野にて桜見せふぞ檜の木笠
 よし野にて我も見せふぞ檜の木笠 万菊丸
旅の具多きは道さはりなりと、物皆払捨たれども、よるの料にと、かみこ一つ、合羽やうの物、硯筆かみ薬等昼笥なんど、物に包て後に背負たれば、いとゞすねよわく力なき身の、跡ざまにひかふるやうにて、道猶すゝまず、たゞ物うき事のみ多し。
 草臥て宿かる頃や藤の花
   初瀬
 春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
 足駄はく僧も見えたり花の雨 万菊
   葛城山
 猶みたし花に明行神の顔
   三輪 多武峯
   臍峠 多武峯より龍門へ越道也
 雲雀より空にやすらふ峠哉
   滝門
 滝門の花や上戸の土産にせん
 酒のみに語らんかゝる滝の花
   西河
 ほろ/\と山吹ちるか滝の音
   蜻蛉が滝
布留の滝は、布留の宮より二十五丁山の奥也。
 津国幾田の川上に有
   布引の滝
  大和
   箕面の滝
   勝尾寺へ越る道に有
   桜
 桜がりきどくや日々に五里六里
 日は花に暮てさびしやあすならう
 扇にて酒くむかげやちる桜
   苔清水
 春雨のこしたにつたふ清水哉
よしのゝ花に三日とゞまりて、曙黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公のながめにうばゝれ、西行の枝折にまよひ、かの貞室が是は/\と打なぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたるいと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、こゝに至りて無興の事なり。
   高野
 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
 ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊
   和歌
 行春にわかの浦にて追付たり
   きみ井寺
跪はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時は、いきまきし聖の事心にうかぶ。山野海浜の美景に造化の功を見、あるは無依の道者の跡をしたひ、風情の人の実をうかゞふ。猶栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉よりも甘し。泊るべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん。草鞋のわが足によろしきを求んとばかりは、いさゝかのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。もしわつかに風雅ある人に出あひたる、悦びかぎりなし。日頃は古めかしくかたくなゝりと、にくみ捨たる程の人も、辺土の道づれにかたりあひ、はにふむぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中にこがねを得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもふぞ、又是旅のひとつなりかし。
   衣更
 一つぬひて後に負ぬ衣かへ
 吉野出て布子売たし衣がへ 万菊
    (一本「売をし」とあり)
灌仏の日は奈良にて爰かしこ詣侍るに、鹿の子をうむを見て、此日におゐておかしければ、
 灌仏の日に生れあふ鹿の子哉
招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎ給ひ、御目のうち汐風吹入て、終に御眼盲させ給ふ尊像を拝して、
 若葉して御めの雫ぬぐはゞや
旧友に奈良にてわかる。
 鹿の角まづ一ふしのわかれかな
大坂にてある人の許にて、
 杜若語るも旅のひとつ哉
   須磨
 月はあれど留守のやうなり須磨の夏
 月見ても物たらはずや須磨の夏
卯月中頃の空も朧に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶なるに、山はわか葉にくろみかゝりて、時鳥啼出づべき東雲も、海の方よりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は、麦の穂なみあからみあひて、漁人の軒ちかきけしの花の、たえ/゛\に見わたさる。
 海士の顔先みらるゝやけしの花
東須磨西須磨浜須磨と三処にわかれて、あながちに何わざするとも見えず。藻塩たれつゝなど歌にも聞え侍るも、今はかゝるわざするなども見えず。きすごといふ魚を網して、真砂の上に干ちらしけるを烏の飛来りてつかみ去ル。これをにくみて弓をもておどすぞ、海士のわざとも見えず。もし古戦場の余波をとゞめて、かゝる事をなすにやと、いとゞ罪深く、なを昔の恋しきまゝに、てつかひが峰にのぼらんとする。導びきする子のくるしがりて、とかくいひまぎらはすを、さま/゛\にすかして、麓の茶店にて物くらはすべきなどいひて、わりなき体に見えたり。かれは十六と云けん、里の童子よりは四つばかりも弟なるべきを、数百丈の先達として羊腸険岨の岩根をはひのぼれば、すべり落ぬべきことあまたゝびなりけるを、つゝじ根笹にとりつき、息をきらし汗をひたして、漸雲門に入こそ、心許なき導師の力なりけらし。
 須磨の海士の矢先に啼やほとゝぎす
 時鳥きえゆく方や島ひとつ
 須磨寺やふかぬ笛きく木下闇
   明石夜泊
 蛸壺やはかなき夢を夏の月
かゝる処の秋なりけりとかや、此浦の実は秋を宗とするなるべし。悲しさ淋しさいはんかたなく、秋なりせばいさゝか心のはしをも、云出べきものをとおもふぞ、我心匠の拙きをしらぬに似たり。淡路島手にとるやうに見えて、須磨明石の海右左にわかる。呉楚東南のながめも斯る処にや。物しれる人の見侍らば、さま/゛\のさかひにも思ひなぞらふるべし。又うしろの方に山を隔てゝ、田井の畑と云処、松風村雨のふるさとゝいへり。尾上つゞき丹波路へかよふ道あり。鉢伏のぞき、逆落など、おそろしき名のみ残て、鐘掛松より見下に、一の谷内裏やしき目の下に見ゆ。其代のみだれ、其時のさわぎ、さながら心にうかび、俤につどひて、二位の尼君皇子をいだきたてまつり、女院の御裳に御足もたれ、船屋形にまろび入らせ給ふみありさま、内侍局女嬬曹子のたぐひ、さま/゛\の御調度もてあつかひ、琵琶琴なんどしとね蒲団にくるみて、船中になげ入、供御はこぼれてうろくづの餌となり、櫛笥はみだれて、海士の捨草となりつゝ、千歳のかなしび、此浦にとゞまり、素波の音にさへ愁おほく侍るぞや。

 翁名古屋仁滞留乃時有更科紀行。幸而爰仁次。



(奥付)
昭和四年四月二十九日印刷
昭和四年五月一日発行
日本名著全集
第一期出版
江戸文芸之部
第三巻
芭蕉全集
(非売品)
編輯発行兼印刷者 東京市日本橋区馬喰町二丁目一番地
         日本名著全集刊行会
         代表者 石川寅吉
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