延慶本平家物語 総ひらがな版

平家物語一

(系図)
(章段目録)
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 一 へいけのせんぞのこと 二 とくぢやうじゆゐんくやうのことつけたりだうしさんもんちゆうだうのやくしのこと
 三 ただもりしようでんのことつけたりやみうちのことつけたりただもりしきよのこと 四 きよもりはんじやうのこと
 五 きよもりのしそくたちくわんどなること 六 はちにんのむすめたちのこと
 七 ぎわうぎによのこと 八 しゆしやうしやうくわうおんなかふくわいのことつけたりにだいのきさきにたちたまふこと
 九 しんゐんほうぎよのおんこと 十 えんりやくじとこうぶくじとがくたてろんのこと
十一 とさばうしやうしゆんのこと 十二 さんもんのだいしゆせいすいじへよせてやくこと
十三 けんしゆんもんゐんのわうじとうぐうだちのこと 十四 とうぐうせんそのこと
十五 きんじゆのひとびとへいけをしつとのこと 十六 へいけてんがにはぢみせたてまつること
十七 くらんどのたいふたかのりしゆつけのこと 十八 なりちかのきやうはちまんかもにそうをこむること
十九 しゆしやうごげんぶくのこと 二十 しげもりむねもりさうにならびたまふこと
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廿一 とくだいじどのいつくしまへまうでたまふこと 廿二 なりちかのきやうひとびとかたらひてししのたにによりあふこと
廿三 ごでうのだいなごんくにつなのこと 廿四 もろたかとうかはのほふしとことひきいだすこと
廿五 るすどころよりしらやまへてふじやうをつかはすことおなじくへんてふのこと 廿六 しらやまうかはとうのしゆとしんよをささげてしやうらくのこと
廿七 しらやまのしゆとさんもんへてふじやうをおくること 廿八 しらやまのしんよさんもんにのぼりたまふこと
廿九 もろたかざいくわせらるべきよしひとびとまうさるること 三十 へいせんじをもつてさんもんにつけらるること
丗一 ごにでうのくわんばくどのほろびたまふこと 丗二 たかまつのにようゐんほうぎよのこと
丗三 けんしゆんもんゐんほうぎよのこと 丗四 ろくでうのゐんほうぎよのこと
丗五 へいけこころにまかせてふるまふこと 丗六 さんもんのしゆとだいりへしんよふりたてまつること
丗七 がううんのことつけたりさんわうかうげんのことつけたりしんよぎをんへいりたまふこと 丗八 ほふぢゆうじどのへぎやうがうなること
丗九 ときただのきやうさんもんへしやうけいにたつことつけたりもろたからざいくわせらるること 四十 きやうぢゆうおほくぜうしつすること
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平家物語第一本
一 ぎをんしやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひびきあり。しやらさうじゆのはなのいろ、じやうしやひつすいのことわりをあらはす。おごれるひともひさしからず、はるのよのゆめなほながし。たけきものもつひにほろびぬ。ひとへにかぜのまへのちりととどまらず。とほくいてうをとぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうい、たうのろくさん、これらはみなきうしゆせんくわうのまつりごとにもしたがはず、みんかんのうれひ、よのみだれをしらざりしかば、ひさしからずして、ほろびにき。ちかくわがてうをたづぬれば、しようへいのまさかど、てんぎやうにすみとも、かうわのぎしん、へいぢにしんらい、おごるるこころもたけきことも、とりどりにこそありけれども、つひにほろびにき。たとひじんじはいつはるといふとも、てんたういつはりがたきものか。わうれいなるなほかくのごとし、いはんやじんしんのくらゐのものいかでかつつしま
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ざるべき。まぢかく、だいじやうだいじんたひらのきよもりにふだう、ほふみやうじやうかいとまうしけるひとのありさま、つたへうけたまはるこそ、こころもことばもおよばれね。かのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわうだいごのわうじ、いつぽんしきぶきやうかづらはらのしんわうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがそん、ぎやうぶきやうただもりのあつそんのちやくなんなり。かのしんわうのみこたかみのわうむくわんむゐにしてうせたまひにけり。そのおんこたかもちのしんわうのおんとき、くわんぺいにねんごぐわつじふににちにはじめてたひらのあつそんのしやうをたまはりて、かづさのすけになりたまひしよりこのかた、たちまちにわうしをいでてじんしんにつらなる。そのこちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちのだいじようくにかとあらたむ。くにかよりさだもり、これひら、まさよし(まさのり)、まさひら、まさもりにいたるまでろくだい、しよこくのじゆりやうたりといへども、いまだてんじやう
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のせんしやくをゆるされず。
二 ただもりのあつそん、びぜんのかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくぢやうじゆゐんをざうしんし、さんじふさんげんのみだうをたて、いつせんいつたいのしやうくわんおんをあんぢしたてまつる。ちゆうぞんぢやうろく。よつててんじようぐわんねんかのとのゐ、さんぐわつじふさんにちきのえたつ、きちにちりやうしんをもつてくやうをとげられをはんぬ。ただもりは、いつしんのくわんしやうには、びぜんのくにをたまはる。そのほか、かぢ、ばんしやう、そまし、そうじて、けつえんけいえいのにんぶまでも、ほどほどにしたがひて、けんじやうをかうぶること、しんじつのごぜんこんとおぼえたり。ごだうしには、てんだいのざすと、おんさだめあり。しかるに、いかなることにかおはしけむ、ざす、さいさんじしまうさせたまふあひだ、「さては、たれにてかあるべき」とおほせあり。そのときところどころのめいそう、てらでらの
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べつたう、のぞみまうすところ、じふさんにんなり。じやうどじのそうじやうじついん、おなじくべつたうだうちゆうそうづ、こうぶくじのだいしんほふげんじつしん、どうじだいなごんのほふいんじやううん、おむろのでし、いうはんしやうにん、をんじやうじのごんのだいそうづりやうゑん、おなじくちかくそうじやう、とうだいじのだいなごんのほふいんりうばん、くわさんのそうじやうかくうん、みのをのほふげんれんじやう、ひやうぶきやうのそうづいうぜん、うぢのそうじやうくわんしん、さくらゐのみやのしやうにんゑんめういじやうじふさんにん。このちとくたちは、みなほふわうのごぐわいせき、あるいはほふわうのおんしとく、あるいはほふわうのおんきたうじよのまんとくなり。みなこうしやうをもつて、つとめらるるひとびとなり。まことにしゆしやうかうきにして、ちえめいれうなり。じやうぎやうぢりつにして、せつぽふにふるなのあとをつたへ、「われこそてんがいちのめいそうよ。われこそにつぽんぶさうのしやうだうよ」と、おのおのけうまんのはたほこ
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をたてて、のぞみまうさせたまふもことわりなり。「げにも、てんだいのざすのほかは、このひとびとこそ、きりやうよ」と、ほふわうもごぢやうあり。されば、おぼしめしわづらひてぞ、わたらせたまひける。まいにちに、くぎやうせんぎありけれども、さしてたれともさだまらず。さらばくじにとるべしとて、かのぜんりよらをみなとくぢやうじゆゐんにめされたり。ゆゆしきみものにてぞありける。さてくじのしだいは、じふさんのうちに、じふには「おんだうしたるべし」とかきて、よのじふには、ものもかかず、しらくじなり。ほふわうのおほせに、「まろがげんたうにせのだいじ、ただこのぶつじにあり。もしまことのどうしたるべききりやうのひと、このじふさんにんのほかにてなほやあるらん。みやうのせうらんしりがたし。さればいまひとつをくはへて、じふしのくじに、なすべし」とうんうん。よつてごぢやうに
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まかせて、じふしにして、じふさんにんよりて、めんめんにとりたまふに、みなくじをとりて、「おんだうしたるべし」といふくじはのこりたり。「みやうのせうらん、まことにやうあるべし」とおほせあり。じふさんにんのちとく、おのおのたからのやまにいりて、てをむなしくして、かへりたまへり。そののちほふわう、「このひとびとのほかに、たれあるべしともおぼえず。ただねがはくはかならずしもちしやにあらず、のうぜつにあらずとも、しゆしやうげれつなりとも、こころにじひありて、みにぎやうとくいみじく、てんがいちばんにまずしからむそうを、だうしにもちゐばやとおもふは、いかに」とおほせあり。くぎやういまだおんぺんじまうされざるところに、みのかさきたるものの、もんぜんにのぞみたり。あやしくごらんずるところに、みのかさをば、からゐしきにさしおき、くろきころもけさかけたるそうひとり、らうらうとして、
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ほふわうのおんまへにまゐりて、「まことにてさうらふやらん。とくぢやうじゆゐんくやうのおんだうしには、むちげせんなりとも、こころにじひありて、みにとくぎやうあらんひんそうを、めさるべしとうけたまはる。ぐそうこそ、じひとぎやうとくとはかけてさうらへども、びんぐうのことは、につぽんいちにてさうらへ。しんじつのおんことにてさうらはば、まゐるべくやさうらふらむ」。そのときくぎやうてんじやうびと、「さこそおほせあらんからに、わそうやうのものをば、いかでかめさるべき。ふしぎなり。みぐるしし。とくとくまかりいでよ」といふ。ほふわうのおほせに、「いかなるところにあるそうぞ」とおんたづねあり。そうまうしけるは、「たうじは、さかもとのぢしゆごんげんのおほゆかのしたに、ときどきにはくさむしりてさうらふ」とまうす。ほふわう、「さては、まめやかに、むえんひんだうのそうにこそあむなれ。ふびん
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なり。おんだうしにさだめおぼしめすところなり。きたるじふさんにちのむまのときいぜんに、かのみだうにまゐるべし」と、ごぢやうあり。そうなみだをはらはらとこぼして、てをあはせて、ほふわうををがみまゐらせて、みのかさとりてうちきて、まかりかへりけり。そのときほふわう、ひとをめされて、「あのそうのぢゆうしよみてまゐるべし。いかなるありさましたるそうぞ。よくよくみよ」とてつかはす。おんつかひみがくれにゆくほどに、げにぢしゆごんげんのおほゆかのしたにいりぬ。きよしよのありさま、あまがはひきめぐらして、ゑざうのみだのさんぞんかけて、ほとけのまへのつくへに、せうかうさんげのにほひ、かをりたり。さてはなにごともなし。ただしつくえのしたに、かみにひねりたるものあり。それをとりてちやはいにちといれて、あかおけなるみづにすすぎて、ぶくしけり。さてそののち、ひとりごとにまうし
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けるは、「とかくして、まうけたりし、まつのはもはやとぼしくなりぬ。なにをもてか、ろめいをもささふべき。あはれ、はやおんぶつじのひになれかし。さてもめでたき、ほふわうのごぜんごんのきよさかな。なむさんわうだいし、しちしやごんげん、じひなふじゆをたれて、しやうじやうのごぜんごん、しゆぎやうしたまへるほふわうを、しゆごしまゐらせたまへ」とて、ねんじゆしてはべり。おんつかひかへりまゐりて、このよしをそうもんす。ほふわうおほきにかんじおぼしめすところなり。すでにごくやうのひ、かのおほゆかのしたのひじりのもとへ、よはうごしをむかへにつかはさる。ひじりまうしけるは、「こしぐるまにのるべき、おんだうしをめさるべきならば、のぞみまうすところの、じふよにんのかうゐのそうをこそめされさうらふべけれ。しかるにいまは、わざとむえんひんだうの
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そうをくやうぜさせたまふ。しやうじやうのごぜんごんなり。いかでかいうめいむじつのこけのさうをば、げんじさうらふべきや」とて、よはうごしをかへしまゐらせをはんぬ。きちにちは、じふさんにち、りやうしんはむまのときなり。いぜんにごかうもなり、ぎやうがうもなりぬ。にようばうなんばうすべてうんしやうのひとびと、みなまゐりたまへり。いかにいはむや、とひ、ゑんきん、きせん、じやうげのしよにん、いくせんまんといふことをしらず。まゐりあつまり、くだんのおんだうしもすでにのぞみたまへり。ありしみのかさをこそ、けふはきたまはねども、ころもけさは、ただそのときのままなり。らうらうとしてこしすこしかがまりたまへり。じゆうぞうとおぼしくて、わかきそうふたりあり。おんふせもたせむとおぼしくて、げそうじふににんていしやうにあり。まことにわうじやくたるすがた、しよにんみなめを
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おどろかしてぞはべりける。だうしすでにかうざにのぼりたまへば、ひざふるひわななきて、ほふそくのしだいもぜんごふかくにみえたり。しばらくありて、くわんじやうのくを、はたとうちあげたまひたりければ、さんじふさんげんをひびきめぐり、いつせんいつたいのおんほとけも、なふじゆをたれたまふらむとぞ、めでたかりける。へうびやくまことにたまをはき、せつぽふいよいよふるなのべんぜつあり。ちやうもんしゆゑのばんにん、ずいきのなみだをながして、むしのざいしやうをすすぎ、けんもんかくちのだうぞくは、くわんぎのそでをかきあはせて、そくしんのぼだいをさとる。むかししゆだつちやうじやがしじふくゐんのぎをんしやうじやをたてて、しやかぜんぜいのごくやうありけんも、りやくけちえんのみぎり、これにはすぎじとめでたし。ごせちぽふながくして、みときばかりあり
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けるを、ほふわうはせつなのほどとぞおぼしめされける。すでにゑかうのかねならして、かうざよりおりて、しやうめんのひだりのはしらのもとにゐたまへり。はじめにはすみぞめのけさころもは、いまはにしきのほふぶくよりもたつとくぞみえける。おんふせせんごくせんぐわん、こがねせんりやう、そのうへにおんかぶせ、みだうのまへにやまのうごきいでたるがごとし。たむらのみかどのおんとき、たかきみことまうすにようご、かくれさせたまひて、あんしやうじにてみわざしたまひけるに、だうのまへにささげものおほくしてやまのごとし。それをざいちゆうじやうよみたりける。
やまのみなうつりてけふにあふことははるのわかれをとふとなるべし K001
ぜんごんのこころざしのふかきには、おんふせのいろにあらはれたり。つきのわにしやまに
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かくれて、やいんにおよびければ、みだうのまへにまんどうゑをともされたり。おんだうしすでにかへりたまひけるに、ちやうもんのしゆう、にはにおほくして、いでさせたまふべきやうもなかりければ、みだうのしやうめんよりこくうをとびあがりて、そうもんのうへにしばらくおはしましけり。ににんのじゆうぞうは、につくわうぐわつくわう、ひかりをかかやかし、じふににんのげそうは、やくしのじふにじんじやうなり。おんだうしはぢしゆごんげんのほんぢ、えいさんちゆうだうのいわうぜんぜいにてぞましましける。よすでにまつだいたりといへども、ぐわんしゆのしんじんしやうじやうなれば、ぶつじんのゐくわうなほもつてげんぢゆうなり。ほふわうのおんこころのうちさこそうれしくおぼしめしけめ。しやうむてんわうのごぐわん、とうだいじくやうのおんだうしは、
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ぎやうきぼさつとおんさだめありけるに、ぎやうきかたくじしまうさせたまひけるやうは、「ごぐわんのだいぶつじなり。せうこくのびくさうおうせず。りやうぜんじやうどのどうもんしゆ、ばらもんそんじやとまうすだいらかん、いまにてんじくにあり。むかへにつかはすべし」とて、ほうびやうにはなをたて、あかをしきにすゑて、なにはのうみにおきたまひければ、かぜもふかざるに、あかをしきながれて、にしをさしてゆく。なぬかをへてのち、くやうのひ、かのばらもんそんじや、あかをしきにのりて、なにはのつにきたりて、だいぶつでんをばくやうじたまひにき。それをこそきたいのふしぎとうけたまはるに、これはなほすぐれたり。さてかのばらもんそんじや、なんてんじくよりなにはのうらにたうらい
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のとき、ぎやうきぼさつたいめんしてのたまはく。
りやうぜんのしやかのみまへにちぎりてししんによくちせずあひみつるかな K002
ばらもんそんじやのへんじ。
かびらゑのこけのむしろにゆきあひしもんじゆのみかほまたぞはいする K003
さてばらもんそんじやはどくし、ぎやうきぼさつはかうじにて、だいぶつでんをばくやうありき。そのとき、「ばらもんをばそうじやうになして、とうだいじのちやうらうしたまへ」とせんじなりけれども、ふじつにてんぢくにかへりたまひにき。ぎやうきぼさつははちじふにて、てんぴやうしようほうぐわんねんにぐわつににふめつしたまひき。かのうたのこころにて、ばらもんそうじやうはふげん、ぎやうきぼさつはもんじゆなり。ふげんもんじゆとうのにぼさつ、だいぶつでんをばくやうじたまへり。いま
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このとくぢやうじゆゐんをば、ちゆうだうのやくしによらい、につくわうぐわつくわうとうのにぼさつをじゆぞうとし、じふにじんじやうらをけんぞくとしてごくやうあり。はるかにむかしのせいせきよりもたうがらんのかうげんはすぐれたまへりと、ばんにんみなほめたてまつるところなり。
三 とばのぜんぢやうほふわう、えいかんにたへさせおはしまさず、ただもりにたぢまのくにをたまはるうへ、としさんじふしちにてうちのしようでんをゆるさる。しようでんはこれしやうがいのえらびなり。たとへゐんのしようでんすらしかなり。いかにいはんやうちのしようでんにおいてをや。くものうへびといきどほりそねんで、おなじきとしじふいちぐわつごせち、にじふさんにち、とよのあかりのせちゑのよ、やみうちにせむとぎす。ただもりのあつそん、このことをほのかにききて、「われいうひつのみにあらず、ぶようのいへにむまれ
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て、いまこのはぢにあはむこと、いへのため、みのためこころうかるべし。せんずるところ、みをまつたうしてきみにつかへよといふほんもんあり」とのたまひて、ないないよういありけり。ただもりのあつそんのらうどう、もとはただもりのいちもんなりけるが、のちにはちちさぬきのかみまさもりがときよりらうどうしよくにふす、しんのさぶらうだいふたひらのすゑふさがこに、さひやうゑのじよういへさだといふものあり。びぜんのかみのもとにまゐりてまうしけるは、「ちちすゑふさ、おそれながらごいちもんのすゑにてさうらひけるが、こにふだうどののおんとき、はじめてらうどうしよくのふるまひをつかまつりさうらひけり。いへさだちちにまさるべきみにてさうらはねども、あひつぎてほうこうつかまつりさうらふ。ことしのごせちのごしゆつしには、いちぢやうひがこといできたりさうらふべきよし、ほぼうけたまはるむねのさうらふ。てんちゆうにわれもわれもとおもふひとどもあまたさうらふらめ
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ども、かやうのおんせのをりふしにあひまいらせむとおもふものは、さすがすくなくこそさうらふらめなれば、ごせちのしゆつしのおんともをば、いへさだつかまつるべし」とないないまうせば、ただもりこれをききて、しかるべしとてめしぐせられたり。いつしやくさんずんあるくろさやまきのかたなをよういして、ちやくざのはじめよりらんぶのをはりまで、そくたいのしたに、しどけなきやうにさして、かたなのつかをしごすんばかりさしいだして、つねはてうちかけて、つくりまなこして、ゐられたり。はうばいのうんかくこれをみて、きようくわうのこころあるならば、やみうちはせざらましのはかりことなり。いへさだもとよりさるものにて、ただもりにめをかけて、とくさのかりぎぬのしたに、もえぎのいとをどしのはらまき、むないたせめて、たちわきにはさみて、てんじやう
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のこにはにさうらふ。おなじきおとと、さつまのへいろくいへながとて、としじふしちになりけるが、たけたかく、ほねぶとにて、ちからおぼへとりて、たびたびはがねあらはしたるものありけり。まつかはのかりぎぬのしたに、むらさきいとをどしのはらまききて、びぜんづくりのさんじやくごすんありける、わりざやのたちかいはさみて、かりぎぬのしたより、てをいだして、いぬゐについひざまづきて、てんじやうのかたを、くもすきにみすかして、ゐたりければ、くわんじゆいげ、てんじやうびとあやしみて、くらんどをめして、「うつほばしらよりうちに、ほういのもののさうらふ、なにものぞ。らうぜきなり。まかりいでよ」と、いはせければ、いへさだすこしもさわがず、「さうでんのしゆう、ぎやうぶのきやうのとの、こんややみうちにせらるべきよしうけたまはりさうらへば、ならむやうみさうらはむとて、
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かくてさぶらふ。えこそまかりいづまじけれ」とて、かしこまりてさぶらひける。つらだましひ、ことがら、しゆうことにあはば、こにはより、でんじやうまで、きりのぼりつべき、けしきなりければ、ひとびとよしなしとやおもはれけむ、そのよのやみうちせざりけり。そのうへ、ただもりのあつそん、だいのかたなをぬきて、ひのほのぐらかりけるところにて、びんぱつにひきあててのごはれけり。よそめには、こほりなどのやうにぞみえける。かれといひ、これといひ、あたりをはらひてみえければ、よしなくぞおもはれける。さてごぜんにめしありて、ただもりのあつそんまゐられけるに、ごせちのはやしとまうすは、「しろうすやうの、こぜむじのかみ、まきあげふで、ともゑかきたるふでのぢく」とこそはやすに、これはひやうしをかへて、「いせへいじはすがめなりけり」とはやしたり。ただもり
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ひだりのめのすがみたりければ、かくはやしたり。くわんむてんわうのばつえふとまうしながら、なかごろよりはうちさがつて、くわんどもあさく、ぢげにのみして、みやこのすまひ、うとうとしく、つねはいせのくににぢゆうして、ひさしくひととなりければ、このいちもんをば、いせへいじとまうしならはしたるに、かのくにのうつはものにたいして、「いせへいじは、すがめなりけり」と、はやしたりけるとかや。ただもりすべきやうなくて、さてやみぬ。
そもそもごせちとまうすは、きよみばらのてんわうのおんとき、もろこしのみかどより、こんろんさんのたまをいつつまゐらせさせたまへり。そのたま、やみをてらすなり。いちぎよくのひかりごじふりやうのくるまにいたる。これをとよのあかりとなづけたり。ごひさうのたまにて、ひとこれをみることなし。そのころまた、もろこしのしやうざんより、せんぢよごにんきたりて、
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きよみばらのにはにて、くわいせつのたもとをひるがへすこと、いつたびあり。ただしあんてんにして、そのかたちみえざりしかば、かのいつつのたまをいだして、くわいせつのかたちをごらんじき。たまのひかりあきらかにして、ひるよりもなほあかし。しかるにごにんのせんにんのまふこと、おのおのいせつなり。ゆゑにこれをごせちとなづけたり。そのときよりかのせんにんのまひのてをうつして、くものうへびとまひけり。そのときのひやうしには、「しろうすやう、こぜむじのかみ、まきあげふで」とはやしけり。そのゆゑは、かのせんにんのころもの、うすくうつくしきことさま、しろうすやう、こぜむじのかみに、あひにたり。まひのそでをひるがへし、かんざしよりかみさまに、まきあげたるかたちににたりければ、「まきあげのふで」とははやしき。さればまひびとのかたちありさまを、はやすべきことにてぞありける。しかるに「すがめ
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なりけり」とはやされて、ぎよいうもいまだはてぬに、しんかうにおよびてまかりいでられけるに、「いかに、なにごとかさうらひつる」とまうせば、めんぼくなきことなれば、「なにごともなし」とて、いでられにけり。さてただもりいでたまひけるとき、こしのかたなをば、とのもりづかさにあづけてだいばんのうへにおかれてけり。ごにちにくぎやうてんじやうびと、これをまうされけるは、「ばうじやくぶじんのてい、かへすがへすいはれなし。さこそぢゆうだいのゆみとりならむからに、かやうのうんしやうのまじはりに、てんじやうびとたるものの、こしのかたなをさしあらはすこと、せんれいなし。それゆうけんをたいしてくえんにれつし、ひやうぢやうをたまはりてきゆうちゆうをしゆつにふするは、みなきやくしきのれいをまもり、りんめいよしあるせんぎなり。しかるをただもりのあつそんにおよびて、あるいはさうでんのらうどうとかうして、ほういのつはものをてんじやうのこにはにめしおき、そのみこしのかたなをよこだへさして、せちゑのざにれつす。りやうでう
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ともにきたいいまだきかざるらうぜきなり。ことすでにちようでふせり。ざいくわもつとものがれがたし。はやくみふだをけづりて、げくわんちやうじせらるべき」よし、おのおのいちどうにうつたへまうさる。しやうくわうおどろきおぼしめされて、ただもりをめしておんたづねあり。ちんじまうしけるは、「まづらうじゆうこにはにしこうのこと、ただもりこれをぞんぢせず。ただしきんじつひとびとあひたくまるるしさいあるかのあひだ、ねんらいのけにん、このことをつたへうけたまはるかによつて、そのはぢをたすけむために、ただもりにしられずして,ひそかにこにはにさんこうのでう、ちからおよばざるしだいなり。このうへなほそのとがをのがれがたくは、そのみをめししんずべくさうらふや。つぎにこしのかたなのこと、くだんのかたなとのもりづかさにあづけてさうらふ。いそぎめしいだされて、かたなのじつぷにつきて、とがのさうあるべきか」とまうされければ、しゆしやう、もつともしかるべしとおぼしめされて、かのかたなをめしいだして
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「てんじやうびとぬけ」とおほせくださる。えいらんをふるに、うへはさやまきのくろぬりなりけるが、なかはきがたなにぎんぱくをおしたりけり。しゆしやうすこぶるえつぼにいらせたまひて、おほせのありけるは、「たうざのちじよくをのがれむがために、かたなをたいするよしをかまふといへども、ごにちのそしようをぞんぢして、きがたなをたいしたるよういのほどこそしんべうなれ。きゆうせんにたづさはらむもののはかりことは、もつともかくこそあらまほしけれ。かねてはまたらうじゆう、しゆうのはぢをすすがむとおもふによつて、ひそかにさんこうのでう、かつうはぶしのらうじゆうのならひなり。まつたくただもりがとがにあらず」とて、かへつてえいかんにあづかりけるうへは、あへてざいくわのさたにおよばざりければ、おのおのいきどほりふかくてやみにけり。ちゆうなごんださいのごんのそつすゑなかのきやうはいろのくろかりければ、こくそつとぞ
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まうしける。むかしくらんどのとうたりしとき、それもごせちに、「あなくろくろ、くろいとうかな。いかなるひとのうるしぬりけむ」とはやしたりければ、かのすゑなかにならびたりけるくらんどのとう、いろのしろかりければ、すゑなかのかたうどとおぼしきてんじやうびと、「あなしろじろ、しろいとうかな。いかなるひとのはくをぬりけむ」とはやしたりけり。くわざんのゐんのにふだうだいじやうだいじんただまさ、じつさいとまうしけるとき、ちちちゆうなごんにおくれたまひて、みなしごにしておはしけるを、なかのみかどのちゆうなごんかせいのきやう、はりまのかみたりしとき、むこにとつて、はなやかにもてなされけるに、これもごせちに、「はりまよねはとくさか、むくのはか、ひとのきらをみがきつくるは」とはやしたりけり。「よあがりてはかかることにもさせることもいできたらざりけり。まつだいは
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いかがあらんずらむ、ひとのこころおぼつかなし。ただもりのきやうしそくあまたおはしき。ちやくしきよもり、じなんつねもり、さんなんのりもり、しなんいへもり、ごなんよりもり、ろくなんただふさ、しちなんただのり、いじやうしちにんなり。みなしよゑのすけをへて、てんじやうのまじはり、ひときらふにおよばず。につぽんにはなんししちにんあるひとをちやうじやとまうすことなれば、ひとうらやみけり。これもただことにあらず、とくぢやうじゆゐんのごりしやうのあまりとぞおぼゆる。
ただしいのちはかぎりありけるならひなれば、にんぺいさんねんしやうぐわつじふごにち、しやうねんごじふはちにてただもりのあつそんほくばうす。としいまだろくじふにみたざるに、さかりとこそみえたまひしに、はるのかすみときえにけり。さしたるやまひもおはせず、しやうぐわつじふごにちはまいねんにしやうじんけつさいしたまひければ、ことしもまたしんじんをきよめもくよくして、
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ほんぞんのおんまへにかうをたきはなをくんじたまひけるが、にしにむかひてねぶるがごとくしてひきいりたまひにき。こんじやうはいつせんいつたいのほとけのりやくをかうぶりて、いつてんしかいにえいぐわをひらき、しゆうえんのくれにはさんぞんのらいかうにあづかりて、くほんれんだいにわうじやうす。によしごにんなんししちにん、おのおのなみだをながしてをしみたまひき。なんによじふににんのはらから、みなとりどりにさいはひたまひき。おとひめぎみばかりぞことしはここのつになりたまひければ、ははにつきて、むなしきやどにひとりおはしける。ちちのこひしきときは、うゑおきたまひしつぼのうちのさくらのもとにたちより、なくよりほかのことなし。あけぬくれぬとすぎゆくほどに、しやうぐわつもすぎ、にぐわつやよひのころにもなりければ、つぼのうちのさくらうるはしくさきたり。ひめぎみこれをみたまひて、
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みるからにたもとぞぬるるさくらばなひとりさきだつちちやこひしき K004
四 きよもりちやくなんたりしかば、そのあとをつぐ。ほうげんぐわんねん、さだいじんよをみだりたまひしとき、あきのかみとてみかたにてくんこうありしかば、はりまのかみにうつつて、おなじきとしのふゆだざいのだいにになりにき。へいぢぐわんねんうゑもんのかみむほんのとき、またみかたにてきようどをうちたひらげしによつて、くんこうひとつにあらず、おんしやうこれおもかるべしとて、つぎのとしじやうざんみにじよす。これをだにもゆゆしきことにおもひしに、そののちのしようじん、りようのくもにのぼるよりもすみやかなり。うちつづき、さいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになりて、しようじやうのくらゐにいたり、さうをへず、ないだいじんよりだいじやうだいじんにあがる。ひやうぢやうをたまはつてだいしやうにあらねども、ずいじん
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をめしぐして、ぎつしやれんじやのせんじをかうぶつて、のりながらきゆうちゆうをいでいる。ひとへにしつせいのじんのごとし。さればしきのぐわつりやうのもんをひきおはして、くわんぺいのほふわうのごゆいかいにも、「だいじやうだいじんはいちじんにしはんとして、しかいにぎけいせり。くにををさめみちをろんじ、いんやうをやはらげ、そのひとなくは、すなはちかけよ」といへり。これをそくけつのくわんとなづけて、そのひとにあらずはけがすべきくわんにてはなけれども、いつてんたなごころのうちにあるうへは、しさいにおよばず。しやうこくのかくはんじやうすること、ひとへにくまのごんげんのごりしやうなり。そのゆゑは、きよもりそのかみゆぎゑのすけたりしとき、いせぢより、くまのへまゐりけるに、のりたるふねのなかへめおどろかすほどのおほきなるすずきとびいつたりけるを、せんだちこれをみておどろきあやしみて、すなはちかむなぎふみをしてみるに、「これはためし
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なきほどのおんよろこびなり。これはごんげんのごりしやうなり。いそぎやしなひたまふべし」とかんがへまうしければ、きよもりのたまひけるは、「もろこしのしうのせいはくしやうといひけるひとのふねにこそ、はくぎよをどりいつたりけるとはつたへきけ。このこといかがあるべかるらむ。さりながらせんだつはからひまうさるるうへは、なかばごんげんのしめしたまふなり。もつともきちじにてぞあるらむ」とのたまひて、さばかりじつかいをたもち、ろくじやうこんをさんげし、しやうじんけつさいしたるみちにて、かのうををてうびして、いへのこらうどう、てぶり、がうりきにいたるまで、ひとりももらさずやしなひけり。またとしさんじふしちのとき、にぐわつじふさんにちのやはんばかりに「くちあけくちあけ」と、てんにものいふよしゆめにみて、おどろきて、うつつにおそろしながらくちをあけば、「これこそぶしのせいといふものよ。ぶしのたいしやうをするものは、てんよりせいをさづくる」とて、とりの
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このやうなるもののきはめてつめたきを、みつのどへいるとみて、こころもたけくおごりはじめけり。さればくまのよりげかうののち、うちつづきよろこびのみありて、そしりはひとつもなかりけり。ほうげんにことありて、だいこくたまはりてだいにになり、へいぢにくまのまうでしたまひたりけるみちにこといできたりて、さんけいをとげず、みちよりげかうして、かつせんをいたし、そのこうによつて、おやこきやうだいだいこくをかね、けんぐわんけんじよくににんじけるうへ、さんぼんのかいぎふにいたるまで、くだいのせんじようをぞこえられける。これをだにゆゆしきこととおもひしに、しそんのしようじんは、りようのくもにのぼるよりもなほすみやかなり。かかりしほどにきよもり、にんあんさんねんじふいちぐわつじふいちにち、としごじふいちにしてやまひにをかされて、ぞんめいのため、たちまちにしゆつけにふだうす。ほふみやうじやうれんとまうしけるが、ほど
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なくかいみやうしてじやうかいといふ。しゆつけのくどくはばくたいなるによつて、しゆくびやうたちどころにいえててんめいをまつたくす。ひとのしたがひつくこと、ふくかぜのくさきをなびかすがごとし。よのあまねくあふげることは、ふるあめのこくどをうるほすにことならず。ろくはらどののいつけのきんだちといひてければ、くわそくもえいゆうも、おもてをむかへかたをならぶるひとなかりけり。さればにや、へいだいなごんときただのきやうまうされけるは、「このいちもんにあらざるものは、をとこもをんなもほふしもあまもにんぴにんたるべし」とぞまうされける。さればいかなるひとも、あひかまへてそのゆかりにむすぼほれんとぞしける。えもんのかきやう、えぼしのためやうよりはじめて、なにごともろくはらやうとて、いつてんしかいのひとみなこれをまなびけり。いかなるけんわうせいしゆのおんまつりごとも、せつしやうくわんぱく
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のせいばいをも、ひとのきかぬところにては、なにとなく、よにあまされたるいたづらものの、かたぶけまうすことはつねのならひなり。しかるに、このにふだうのよざかりのあひだは、ひとのきかぬところなれども、いささかもいるがせにまうすものなし。そのゆゑはにふだうのはかりことにて、わがいちもんのうへをそしりいふものをきかんとて、じふしご、もしはじふしちはちばかりなるわらはべの、かみをくびのまはりにきりまはして、ひたたれこばかまきせて、にさんびやくにんめしつかひければ、きやうぢゆうにじゆうまんして、おのづからろくはらどののうへをあしざまにもまうすものあれば、これらがききいだして、ふくけのとがをもとめてゆきむかひて、そくじにほろぼす。おそろしなどまうすもおろかなり。さればめにみ、こころにしるといへども、ことばにあらはれてものいふものなし。じやうげをぢをののきて、みちをすぐるむま、くるまも、よぎ
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てぞとほりける。「きんもんをしゆつにふすといへども、しやうみやうをとはず。けいしのちやうり、これがためにめをそばむ」とぞみえたりける。ただことにはあらずとぞみえし。
そのころあるひとのまうしけるは、「そもそもこのかぶろわらはこそこころえね。たとひきやうぢゆうのみみぎきのためにめしつかはるといふとも、ただふつうのわらはにてもあれかし。なんぞかならずしもかぶろをそろふる。これらがなかにいちにんもかけぬれば、いれたてて、さんびやくにんをきはとするもふしんなり。いかやうにもしさいあるらん」といひければ、あるじゆしやのいはく、「つたへきく、いこくにかかるためしありけり。かんのみかどのみよにわうまうだいじんといふ、けんさいしゆしようのしんかありけり。くにのくらゐをむさぼらむがために、はかりことをめぐらすやうは、かいへんにいでて、かめをいくせんまんといふかずをしらずとりあつめて、そのかめのこふのうへに、「しよう」といふじをかきて、うらうら
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にはなちぬ。またあかがねのうまとひととをつくりて、たけのよをとほしてこれをいる。きんごくのたけのはやしに、おほくこれをこめられけり。しかるのちくわいにんななつきのをんなをさんびやくにんめしあつめて、しゆしやをせんじて、まんやくといふくすりをあはせて、これをのます。つきまんじてうめるこ、いろあかくしてひとへにおにのごとし。かのわらはをひとにしらせずして、みやまにこめて、これをそだつ。やうやうせいぢやうするほどに、うたをつくりてならはしむ。『かめのこふのうへにはしようといふもじあり。たけのはやしのなかにはあかがねのじんばあり。わうまうてんがをたもつべきしるしなり』と。かくしてじふしごばかりのとき、かみをかたのまはりにきりまはしてみやこへいだすに、これらひやうしをうちて、さんびやくにんどうおんにこのうたをうたふ。このけしきふつうならざるあひだ、ひとあやしみてみかどにそうもんす。すなはちかのわらはをなんていにめさる。さきのごとくにひやうしをうちて、
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このうたをうたひ、ていしやうにまゐりのぞみければ、すこぶるえいりよにいぶからずといふことなし。すなはちくぎやうせんぎありて、うたのじつぶをたださむがために、うらうらのあまにおほせてかめをめす。そのなかにこふのうへに「しよう」のじかきけるかめあまたあり。またきんりんのたけのはやしをもとむるに、そのなかにあかがねのじんばおほくとりいだせり。みかどこのことをおどろきおぼしめして、いそぎおんくらゐをさり、わうまうにさづけられにけり。てんがをたもちてじふはちねんとぞうけたまはる。さればにふだうもこのことをへうして、さんびやくにんめしつかはるるにこそ。くらゐをもこころにかけてやおはすらん。しりがたし」とぞまうしける。
五 にふだうわがみのえいぐわをきはむるのみにあらず、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちゆうなごんのうだいしやう、さんなんとももり、さんみのちゆうじやう、
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しなんしげひら、くらんどのとう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、しやていよりもり、じやうにゐのだいなごん、おなじくのりもり、ちゆうなごん、いちもんのくぎやうじふよにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、しよゑふ、さいえう、しよし、つがふはちじふよにん、よにはまたひともなくぞみえける。ならのみかどのおんとき、じんきごねんつちのえのたつ、ちゆうゑのだいしやうをはじめておかれたりしが、だいどうしねんちゆうゑをあらためて、こんゑのだいしやうをさだめおかれてよりこのかた、さうにきやうだいあひならぶこと、わづかにさんがどなり。はじめはへいぜいてんわうのぎよう、ひだりにうちまろ、ないだいじんのさだいしやう、たむらまろ、だいなごんのうだいしやう。つぎにもんどくてんわうのぎよう、さいかうにねんはちぐわつにじふはちにち、かんゐんのぞうだいじやうだいじんふゆつぎのじなんそめどの、くわんばくだいじやうだいじんよしふさちゆうじんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんありて、おなじきくぐわつ
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にじふごにち、ごなんにしさんでうのさだいしやうよしあふこう、だいなごんのうだいしやう。つぎに、しゆしやくゐんのぎよう、てんぎやうはちねんじふいちぐわつにじふごにち、こいちでうのくわんばくだいじやうだいじんていじんこうのちやくなん、をののみやのくわんばくさねよりせいしんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんあり、じなんくでうのうだいじんもろすけこう、くわんばくだいなごんのうだいしやう。つぎにれんぜいのゐんのぎよう、ひだりによりみち、うぢどの、みぎによりむね、ほりかはどの、ともにみだうのくわんぱくみちながこうのきんだちなり。ちかくはにでうのゐんのぎよう、えいりやくぐわんねんくぐわつよつかのひ、ほつしやうじどのかんばくだいじやうだいじんただみちこうのごそく、ひだりにまつどのもとふさこう、みぎにつきのわどのくわんばくだいじやうだいじんかねざねこう、おなじきじふぐわつみぎにならびおはす。そのときのらくしよかとよ。いよさぬきさうのだいしやうとりこめてよくのかたにはいちのひとかな K005
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これみなせふろくのしんのごしそくなり。はんじんにおいてはいまだそのれいなし。じやうだいはかうこそ、こんゑのだいしやうをばをしみおはしましと、いちのひとのきんだちばかりなりたまひしか。これはてんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんの、きんじき、ざつぱうをゆりて、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになりあがりてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいといへども、ふしぎなりしことどもなり。
六 おんむすめたちはちにんおはしましき。それもとりどりにさいはひたまへり。いちはさくらまちのちゆうなごんしげのりのきやうのきたのかたとなづけられて、はつさいなるおはせしが、へいぢのみだれいできて、とげずしてやみぬ。のちにはくわざんのゐんのさだいじんのみだいばんどころになりたまひて、おんこあまたおはしまして、よろづひきかへてめでたかり
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けり。そのころいかなるものかしたりけむ、くわさんのゐんのよつあしのとびらにかきたりけるは。
はなのやまたかきこずゑとききしかどあまのこどもがふるめひろふは K006
このしげのりのきやうをさくらまちのちゆうなごんといひけることは、このひとこころすきたまへるひとにて、ひがしやまのさんざうのまちまちなりけるに、せいなんはちやうにさくらをうゑとほされたり、きたにはもみぢをうゑひがしにはやなぎをうゑられたりける、そのうちにやをたててすみたまひけり。きたれるとしのはるごとに、はなをえいじて、さくことのおそく、ちることのほどなきをなげきて、はなのいのりのためにとて、つきにさんどかならずたいさんぶくんをまつりけり。さてこそしちにちにちるならひなれども、このさくらはさんしちにちまでこずゑにのこりありけれ。せいなん
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のそうもんのみいれよりさくらみえければ、いみやうにさくらまちのちゆうなごんとぞまうしける。さくらまつのちゆうなごんともいひけるとかや。はなのもとにのみおはしければさくらもとのちゆうなごんともまうしけり。さればきみもけんわうにおはしませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをのべけり。いづかたにつけてもすきたるこころあらはれて、やさしくぞきこえし。ににはないだいじんしげもりこうのおんことす。すなはちきさきにたちたまへり。わうじごたんじやうありしかば、くわうたいしにたちたまふ。ばんじようのくらゐにそなはりたまひてのちは、ゐんがうありて、けんれいもんゐんとまうす。だいじやうにふだうのむすめ、てんがのこくもにておはしまししうへは、とかくまうすにおよばず。さんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにておはしまししが、たかくらのゐん
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おんくらゐのとき、おんははしろとて、さんこうになぞふるせんげあつて、ひとおもくおもひたてまつる。のちはしらかはどのとまうす。しはうひやうゑのかみのぶよりのきやうのそく、しんじじゆうのぶちかのあつそんのつま、のちにはれんぜいのだいなごんたかふさのきたのかたにて、それもおんこあまたおはしき。ごはこんゑのにふだうてんがのきたのまんどころなり。ろくはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのきたのかた。しちはあきのいつくしまのないしがはらなりけるが、じふはちのとし、ごしらかはのゐんへまゐりたまひて、にようごのやうにておはしけり。このほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにんおはしき。くわざんのゐんのさだいじんのおんもとに、みだいばんどころのしたしくおはすればとて、じやうらふにようばうにて、らふのおんかたとまうしけるとかや。ないしはのちにはゑつちゆうのせんじもりとしあひぐしけるとぞ
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きこえし。につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにおよべり。そのうへしやうゑん、でんばく、そのかずをしらず。きらじゆうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよくかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、ていけつもせんとうも、いかでかこれにはすぐべきと、めでたくぞみえし。むかしよりげんぺいりやうしてうかにめしつかはれて、わうくわにしたがはず、てうけんをかろんずるものには、たがひにいましめをくはへしかば、よのみだれもなかりしに、ほうげんにためよしきられ、へいぢによしともうたれてのちは、すゑずゑのげんじせうせうありしかども、あるいはながされ、あるいはうたれて、いまはへいけのいちるい
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のみはんじやうして、かしらをさしいだすものなし。いかならむすゑのよまでも、なにごとかあるべきと、めでたくぞみえし。

そのころみやこにしらびやうしににんあり。あねをばぎわう、いもうとをばぎによとぞまうしける。てんがだいいちのをんなにてぞありける。これはとぢといひししらびやうしがむすめなり。およそしらびやうしとまうすは、とばのゐんのおんとき、しまのせんざい、わかのまへといひけるにようばうを、すいかんばかまにたてえぼしきせて、かたなささせなどして、まはせはじめられたりけるを、ちかごろより、すいかんにおほくちばかりにて、かみをたかくゆはせてまはせけり。かのぎわうぎによを、だいじやうにふだうめしをかれてあいせられけるに、ことにあねのぎわうをば、わりなくさいはひたまひければ、ひとびとじやうげ、にふだうどののおんけしきにしたがひて、もてなし
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かしづきけることかぎりなし。ざいしよさるていにしつらひて、よしあるさまにてすゑられたり。さだよしにおほせつけて、ははいもうとなどにも、さるべきやうにいへつくりて、かのとくにてふそくなし。まいにちにじつぴきじつこくをおくられけり。そのうへをりふしにつけてあてられければ、ゆかりのものどもまでたのしみさかへけり。これをみきくひとうらやまずといふことなし。かくのみめでたかりしほどに、そのころまたみやこにしらびやうしいちにんいできたり。みめかたち、ありさまよりはじめて、てんがにならびなきいうぢよにてぞありける。なをばほとけとぞまうしける。にふだうのぎわうをもてなされけるをみききて、「よもさりともむなしくかへさるることはあらじ。のうなどをばあいしたまはんずらむ」とおもひて、あるときすいさん
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をぞしたりける。さぶらひども、にふだうどのに、「ほとけとまうしてたうじみやこにきこえさうらふしらびやうしのただいままゐりてさうらふ」とまうしければ、「さやうのあそびものは、ひとのめしによりてこそまゐれ。さうなくまゐるでうふしぎなり。そのうへぎわうごぜんのあらんところには、ほとけもかみもしかるべからず。とくとくまかりかへるべし」とぞのたまひける。このうへはちからおよばずしてまかりいでけるを、ぎわうごぜんききて、にふだうどのにまうしけるは、「いかにや、あれにはすげなくてはかへさせたまふぞ。あれらていのあそびもののならひ、めされねどもかやうのところへまゐるは、つねのことにてさぶらふ。ごげんざんにいらずしてまかりかへるは、いかにほいなくおもひさぶらふらむ。『ぎわうがごしよへすいさんして、おんめもみせられまいらせでかへりにけり』と、ひとのまうさむもふびんに
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おぼゆ。いまこそかくおんめをみせられまいらせずとも、かならずしもひとのうへとおぼえさぶらはず。こころのうちおもひやられさぶらふに、しかるべくはめしかへしてげんざんして、かへさせをはしませ。わがみのめんぼくとおもひさぶらふべし」とまうしければ、にふだうのたまひけるは、「こはいかに。かれをすさめてかへしつるは、ごぜんのこころをたがへじとてこそ、かへしつれ。さやうにまうすほどならばめしかへせ」とて、よびかへさせて、いであひたまひたり。「かやうにげんざんするほどならば、なににてものうあるべし」とのたまひければ、ほとけはとりもあへず、「きみをはじめてみるおりは、ちよもへぬべしひめこまつ。ごしよのまへなるかめをかに、つるこそむれゐてあそぶなれ」といふいまやうを、をしかへしをしかへし、さんべんまでこそ
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うたひけれ。にふだうこれをききたまひて、「いまやうはじやうずにてをはしけり。まひはいかに」とのたまひければ、「おほせにしたがひて」とてたちたりけり。
おほかたみめことがらせいありさまはさてをきつ、ものかぞへたるこはざしよりはじめておもしろし。たうじなをえたるしらびやうしなり。としのほどじふはちくばかりなり。さしもすさめておひかへしたまひつるに、にふだうどのふたごころもなくみたまひけり。ぎわうはにふだうどののけしきをみたてまつりて、をかしくおぼえて、すこしうちゑみてありけり。にふだういつしかついたちて、いまだまひもはてぬさきに、ほとけがこしにいだきつきて、ちやうだいへいれたまひけるこそけしからね。さてまうしけるは、「いかにやかやうにをはしますぞ。わらはがまゐりて
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さぶらひつるに、げんざんかなはずしてむなしくかへりさぶらひつれば、『なにしにすいさんしさうらひぬらむ』とよのひとのききて、『さればこそ。あそびもののはぢのなさは、めされぬところへまゐりて、おんめもみせられずしておひかへされまいらせたり』と、まうしさたせられむずらむと、こころうくおぼえさぶらひつれば、いづくのうらへもまかりゆかんと、けふをかぎりにはてぬべくさぶらひつるを、まことやらむ、ぎわうごぜんのあながちにまうさせたまひて、めしかへさせたまひたりとこそ、うけたまはりさぶらへ。わらはがためにはせせしやうじやうのほうこうなり。いかがたちまちにこのおんをわすれて、こころのほかのことはさぶらふべき。ぎわうごぜんのおもひたまはむもはづかし。のうにつきてのおほせは、いかにもそむくべからず。なめてならぬおんことは、ゆめゆめ
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おぼしめしとどまりたまへ」とぞまうしける。にふだうのたまひけるは、「ぎわういかにいふとも、じやうかいがききいれざらむには、なじかはよびかへすべき」とて、いかにまうせども、ほとけもちからおよばずして、あくるもくるるもしらず、さいはひふしたまへり。さるほどに、はかなきよのならひにて、いろみえでうつろふものは、よのなかのひとのこころのはななれば、ただひとすぢにほとけにこころをうつし、はてはぎわうをすさめて、「いまはとくまかりいづべし」とのたまひけるぞなさけなき。ひとゆきむかひてこのよしをぎわうごぜんにまうしければ、きくよりはじめて、こころうしなどまうすもなかなかおろかなり。いままでにふだうどの、めみせたまひつれば、じやうげしよにんもてなしかしづきつること、ただゆめとのみおぼえたり。「かやうなるあそびもの
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なれば、かならずさてしもながらへはてたまはじ。つひにはかくこそあらんずらめ」とおもへども、さしあたりてのひとめのはづかしさ、こころのあやなさ、なごりのかなしさ、とにかくにおしはかられてむざんなり。かなしみのなみだせきあへず。これをみたまひけるひとびとは、よそのたもともところせくぞあはれなる。さてしもあるべきならねば、このひごろすみなれしところをあくがれいづるぞかなしき。なみだをおさへてそばなるしやうじにかくぞかきつけていでにける。
もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき K007 
さてさとにかへりて、ぎわうははになくなくまうしけるは、「あはれ、われいかなるかたへもみやだて、いかなるひとのこともなしたまはで、かやうな
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あそびものとなしおきたまひて、いまはかかるうきめをみせたまふことよ。さもあらんひとをとりすへて、われをおもひすてたまはむはちからおよばず。おなじさまなるあそびものにおもひかへられぬることのくちをしさよ。かかるみのありさまにて、ながらふべきちぎりにはあらねども、いつたんなれども、なのめならずふびんにしたまひつれば、ちかきもとほきもうらやみて、めでたかりつることかなとて、いはひのためしにもひかれつることの、いつしかかくのみなれば、『さればこそ。ほどならぬもののなりぬるはてよ』と、いはれむもはづかし。ゆめまぼろしのよなれば、とてもかくてもありなむ。ぎによごぜんがさぶらへば、はははそれをたのみて、うきよのなかをわたりたまへ。わらはにはただみのいとまをたべ。いづくのふちかはにも
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しづみなむ」とぞいひける。いもうとのぎによも、「ともにこそいかにもまかりならめ。ひとりむかひてたれをたよりにてかあかしくらすべき」とかなしむ。ははまうしけるは、「いまだゆくすゑはるばるのひとびとをさきだてて、おいおとろへたるわがみののこりとどまりて、いくほどのとしをかおくるべき。あるいはみたらしがはにみそぎして、かみをかこつならひ、あるいはばうふせきのうらみ、かかるためしおほけれども、たちまちにみなどなぐることはありがたきならひなり。またわれももろともにみをなげば、おのおのははをころすつみありて、ごぎやくとかやのそのひとつにて、おそろしきぢごくにおちたまはむもつみふかし。あなかしこおもひとどまりたまへ」とせいしとどめて、さんにんいつしよになきゐたり。てんにんのごすいもかくやとおぼえてあはれなり。さるほどににふだうは
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ぎわうにあたりたまひつるにはさしすぎて、はなやかにもてなされければ、めでたさまうすはかりなし。したしきあたりまで、ひにしたがひてたのしみをなす。ぎわうはにふだうのあはれみたまひつるほどは、たのしみにほこりて、せけんのこともしたくなし。すてられてのちは、ひとすぢにおもひしづみて、これをいとなむことなし。さればしだいにおとろへけり。これをみ、かれをきくひとの、こころあるもこころなきも、なみだをながしそでをしぼらぬぞなかりける。さるほどにとしもすでにくれぬ。あくるとしのはるのころ、にふだうどのよりとてぎわうがもとへおんつかひあり。なにごとなるらむとあやしみおもふところに、「これにあるほとけごぜんがあまりにつれづれげにてあるに、まゐりてのうどもほどこしてみせよ。さるべきしらびやうし
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あらば、あまたぐそくしてまゐるべし」とぞのたまひける。ぎわうこれをききて、またははにまうしけるは、「ありしときよくおもひとりてさぶらひしものを、ゆるしたまはずして、いまかやうのことをきかせたまふことのかなしさよ。たとひさんぜざらむとがに、みやこのほかへうつさるるか、またいのちをめさるるか、このふたつにはよもすぎじ。なかなかさもあらばあれ。うらみあるまじ」とて、おんぺんじもまうさず。「いかにいかに」とおしかへしたびたびめされけれどもなほまゐらず。にふだうはらをたてて、「まゐるまじきか。こんどまうしきれ、あひはからふむねあり」と、にがにがしくのたまひたり。これをききて、ははなくなくぎわうにまうしけるは、「いかにやまゐりたまはぬぞ。おもひきりしをせいしとどめたてまつりしも、おいのみにうきめをみじがためなり。
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それにいままゐりたまはぬものならば、たちまちにうきめをみせたまふべし。ただいきてのけうやうこれにしくべからず。いそぎまゐりたまひてのち、さまをやつして、いかならむかたほとりにもくさのいほりをむすびて、ねんぶつまうしてごしやうのいのりをしたまへ」など、くどきければ、これをききて、ぎわうはははのおもひのかなしさに、こころならずいでたちけり。わがみ、いもうとのぎによ、またわかきしらびやうしににん、そうじてしにん、ひとつくるまにとりのりてぞまゐりける。くるまよりおりてさしいりたれば、いまだありしにもかはらぬごしよのありさま、なつかしともいふはかりなし。さてうちへいりたれば、にふだうどの、ほとけごぜんをはじめて、しそくあまたなみゐたまへり。このぎわうをばえんにをかれて、ひとところにだにをきたまはで、
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いまひとつなげしさがりたるところにぞすへられける。これにつけてもかなしみのなみだせきあへず。こころのうちにはははをのみぞうらみける。しげもり、むねもりいげのひとびと、めもあてられずして、さばかりかたぶきまうされけれどもちからおよばず。「いかにいかに。なにごとにてもとくとく」とのたまひければ、ぎわうは、「まゐるほどにては、さてしもあるべきならねば」とおもひて、いまやうのじやうずにてありければ、
ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり。
いづれもさんじんぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれ
と、おしかへしおしかへしさんべんまでこそうたひけれ。これをきくひと、よそのたもともところせきて、ほとけごぜんもともになみだをながしけり。されどもにふだうはすこしもあはれをかけたまはず。まして
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なくまではおもひもよらず。しばらくありて、にふだういかがおもはれけむ、ゑしやくもなくてうちへいりたまひぬ。そののちぎわうはひとびとにいとままうして、なみだとともにぞいでにけるしゆくしよにかへり、ははにむかひてまうしけるは、「さればこそ、よくまゐらじとまうしつるを。ははのおほせのおもくしてまゐりたれば、うきめみることのかなしさよ」とて、なきゐたり。さてそののち、よのひと、「にふだうどのすてはてたまひぬ」とききければ、こころにくくおもひて、われもわれもとふみをかよはし、えんにつきてちぎりをむすぶべきよしまうしけれども、ききいれずして、ぎわうはにじふに、ぎによはにじふ、はははごじふしちにていちどにさまをかへて、みなすみぞめになりつつ、さがのおくなるやまざとに、くさのいほりをひきむすび、さんにんいつしよにこもりゐて、ひとへにごしやうじやうど、
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わうじやうごくらくといのるほか、たじなくて、すでにみつきばかりになりけるに、あるよ、やはんばかりに、いほりのとぼそをほとほととたたくものありけり。このひとびとおもひけるは、「こはなにものにてかあるらん。みやこにもさるべかりしひとびともみなかれはてて、たれこととふべしともおぼえず。かかるしばのいほりのすまゐなれば、なにのたよりにかたづぬべき。さなくはごしやうぼだいをさまたげむとて、てんまなどのきたるやらむ。などかはやまのかみとかやもあはれみたまはざるべき。さりながらも」とて、おづおづしばのあみどをあけたれば、「いかにや。いたくなおそれたまひそ」とて、さしいりたるをみれば、ほとけごぜんにてぞありける。「さても、いかにこのひごろのおんこころのうちどもは」とばかりいひて、なみだもせきあへ
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ずぞなきける。そのときぎわうはさらにうつつともおぼえず、ただゆめのここちして、やかんなどのばけてきたるやらむ、おそろしながらぎわうまうしけるは、「そののちはなにはのこともおぼえずして、よろづあぢきなくのみありしかば、ただひとすぢにおもひきりてあかしくらすくさのいほりをば、いかにしてききつたへてをはしたるぞ」とまうしければ、ほとけなみだをおさへて、「さればこそ。わらはがにふだうどのへすいさんして、おんけしきあしくてまかりかへりしを、それにまうさせたまひけるによりて、めしかへされたりしかば、おもひのほかににふだうどのにげんざんにいりにき。さるほどににふだうどのこころよりほかのけしきにをはせしかば、あまりにあさましくおぼえて、『ただいまにふだうどのにげんざんにいるも、それのおんゆゑにこそさぶらへ。いかがはうしろめたなき
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ことはさぶらふべき』と、さしもいなみたてまつりしかども、をんなのみのはかなさは、おもひのほかのことどものありき。『たとひさりとも、あれていのひとのならひなれば、ひとすぢにはおもひたまはじ。あまたをこそみたまはんずらめ』とおもひしほどに、そのぎもなくて、うちすてたてまつりしことのあへなさ、まうすはかりなかりき。あまりにこころぐるしかりしかば、たびたびまうししかどもかなはず。これをひとのうへとおもはざりしかば、またいかなるひとにかと、なにはのこともあぢきなくて、『ただみのいとまをたべ』とまうししかども、ゆるしたまはざりしかば、きのふのひるほどにひまのありしににげいでてさぶらふなり。もろともにごしやうをいのり、このひごろのうらみをもやすめたてまつらんとて、うはのそらにいづかたとしもわかず、まどひありきさぶらひつるほどに、
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おもひかけざるみちゆきびと、『さやうのひとはこのおくにこそ』とまうしさぶらひつれば、これまでたづねまゐりたり。おんこころをきたまふべからず。われもかやうになりたり」とて、かづきたるきぬをひきのけたれば、あまにぞなりたりける。ぎわうまうしけるは、「これほどにこころざしのあさからずをはしけることよ。まことにかやうのためしはみなぜんぜのことなれば、ひとをうらみたてまつるにおよばず。ただみのほどのつたなさをこそおもひしかども、ぼんぶのならひのうたてさは、おもはじとすれども、うらみられしこともときどきありつるなり。かくちぎりをむすびたまはんうへは、いかがこころををきたてまつるべきなれば、さんげしつるぞ」とて、へだてなくしにんいつしよにつとめおこなひて、つひにはぶつだうをとげにけり。さてこそごしらかはのほふわうのちやうがうだうのくわこちやうにはいまも、「ぎわう、ぎによ、ほとけ、とぢ」とはよまれ
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けれ。ぎわうはうらむるかたもあれば、さまをやつすもことわりなり。ほとけはたうじのはなと、じやうげばんにんにもてなしかしづかれて、ゆたかにのみなりまさり、ひとにはうらやみをこそなされつるに、さりとてとしもわづかにはたちのうちぞかし。これほどにおもひたちけるこころのうちのはづかしさ、たぐひすくなくぞあらんとて、みきくひとのたもとをしぼらぬはなかりけり。さてにふだうどのは、ほとけをうしなひて、とうざいてをわかちてたづぬれどもかなはず。のちにはかくとききたまひけれども、しゆつけしてければちからおよばず。さてやみたまひき。
八 とばのゐんごあんがののちは、ひやうがくうちつづき、しざい、るけい、げくわん、ちやうじ、つねにおこなはれて、かいだいもしづかならず、せけんもらくきよせず。なかんづく
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えいりやく、おうほうのころより、うちのきんじゆをば、ゐんよりおんいましめあり、ゐんのきんじゆをばうちよりおんいましめあり。かかりしかば、たかきもいやしきもおそれをののきて、やすきこころなし。しんえんにのぞみて、はくひようをふむがごとし。そのゆゑは、うちのきんじゆしや、つねむね、これかたがはからひにて、ほふわうをかろしめたてまつりければ、おほきにやすからざることにおぼしめして、きよもりにおほせて、あはのくに、とさのくにへながされにけり。さるほどにまたしゆしやうをしゆそしたてまつるよしきこへありて、かものかみのやしろにしゆしやうのおんかたちをかきて、しゆじゆのことどもをするよし、さねながのきやうききいだして、そうもんせられたりければ、かうなぎをとこいちにんからめとりてことのしさいをめしとふに、「ゐんのきんじゆしや、すけながのきやうなどいふ、かくごんのひとびとのしよゐなり」とはくじやうしたりければ、すけながのきやう、しゆりのだいぶげくわんせられぬ。また
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ときただのきやう、いもうとせうべんのとのたかくらのゐんうらみたてまつらせけるとき、くわごんしたりしとて、そのさきのとしげくわんせられたりけり。かやうのことどもゆきあひて、すけとき、ときただににん、おうほうにねんろくぐわつにじふさんにち、いちどにながされにけり。またほふわうたねんのごしゆくぐわんにて、せんじゆくわんおんせんだいのみだうをつくらむとおぼしめし、きよもりにおほせて、びぜんのくにをもつてつくられけり。ちやうぐわんにねんじふにぐわつじふしちにちおんくやうあり。ぎやうがうなしたてまつらむと、ほふわうおぼしめされけれども、しゆしやう「なじかは」とて、おんみみにもききいれさせたまはざりけり。じくわんのけんじやうまうされけれども、そのごさたにもおよばず。ちかのりがしきじぶぎやうしけるを、みだうのごしよへめし、「けんじやうのことはいかに」とおほせくだされけれ
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ば、ちかのりがはからひにてはさうらはぬよしまうして、かしこまりてさうらひければ、ほふわうおんなみだをうかべさせたまひて、「なにのにくさに、かほどまではおぼしめしたるらむ」とおほせのありけるこそあはれなれ。このだうをれんげわうゐんとぞなづけられける。こまのそうじやうかうけいといひしひとは、しらかはのゐんのみこなり。みゐもんりうにはさうなきうちとくぎやうのひとなりければ、ほふわうことにたのみおぼしめして、しんごんのおんしにてをはしけるが、このみだうをばことにとりさたしたまひて、せんだいのちゆうぞんのぢやうろくのめんざうをば、みづからきざみあらはされたりけるとうけたまはるこそめでたけれ。しゆしやう、しやうくわうふしのおんなかなれば、なにごとのおんへだてかあるべきなれども、かやうにおんこころよからぬおんことどもおほかりけり。これもよげうきにおよび、ひとけうあくを
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さきとするゆゑなり。しゆしやうはしやうくわうをもつねにはまうしかへさせたまひける、そのなかに、ひとじぼくをおどろかし、よもつてかたぶきまうしけるおんことは、ここんゑのゐんのきさき、たいくわうこうぐうとまうすは、さだいじんきんよしこうのおんむすめ、おんはははちゆうなごんとしただのむすめなり。ちゆうぐうよりくわうだいこうくうにあがらせたまひけるが、せんていにおくれまいらせ、ここのへのほか、このゑかはらのごしよに、せんていのふるみやに、ふるめかしくかすかなるおんありさまなり。えいりやく、おうほうのころは、おんとしにじふにさんにもやならせたまひけむ、おんさかりもすこしすぎさせたまひけれども、このきさき、てんがだいいちのびじんのきこえわたらせおはしましければ、しゆしやうにでうのゐん、おんいろにのみそめるおんこころにて、よのそしりをもおんかへりみなかりけるにや、かうしよくにじよしおはして、
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ぐわいきゆうにひきもとめしむるにおよんで、しのびつつごえんしよあり。きさきあへてきこしめしいれさせたまはねばひたすらほにいでましまして、きさきじゆだいあるべきよし、ちちさだいじんげにせんじをくださる。このことてんがにおいてことなるしようじなりければ、いそぎくぎやうせんぎあり。いてうのせんじようをたづぬれば、そくてんくわうごうは、たいそう、かうそうりやうていのきさきにたちたまへることあり。そくてんくわうごうとまうすは、たうのたいそうのきさき、かうそうくわうていのけいぼなり。たいそうにおくれたてまつりて、あまとなりてかんごふじにこもりたまへり。かうそうののたまはく、「ねがはくはきゆうしつにいりてまつりごとをたすけたまへ」と。てんしいつたびきたるといへども、あへてしたがひたまはず。ここにみかど、すでにかんごふじにりんかうあつて、「ちんあへてわたくしのこころざしを
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とげむとにはあらず。ただひとへにてんがのためなり」と。くわうごうさらにちよくになびくことばなし。「せんていのたかいをとぶらはむがために、たまたましやくもんにいれり。ふたたびぢんしやうにかへるべからず」とおほせられけるに、くわうてい、うちとのきみ、たひらかにぶんせきをかんがへて、しひてくわんかうをすすむといへども、くわうごうくわくぜんとしてひるがへらず。ここにこしようのぐんこうら、よこしまにとりたてまつるがごとくして、みやこにいれたてまつれり。かうそうざいゐさんじふしねん、くにしづかにたみたのしめり。くわうごうとくわうていとににん、まつりごとををさめたまひしゆゑに、かのおんときをばじくわのぎようとまうしき。かうそうほうぎよののち、くわうていのきさき、ぢよていとしてくらゐにつきたまへり。そのときのねんがうをじんこうぐわんねんとあらたむ。しうわうのまごなるゆゑに、たうのよをあらためて、たいしうそくてんたいくわうていとしようす。ここにしんかなげきていはく、
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「せんていのかうそうよをけいえいしたまへること、そのこうせき、ここんたぐひなしといひつべし。てんしなきにしもあらず。ねがはくはくらゐをたいしにさづけたまひて、かうそうのこうげふをながからしめたまへ」と。よつてざいゐにじふいちねんにして、かうそうのこ、ちゆうそうくわうていにさづけたまへり。すなはちよをあらためて、またたいたうしんりようぐわんねんとしようす。すなはちわがてうのもんむてんわう、けいうんにねんきのとのみのとしにあたれり。「りやうていのきさきにたちたまふこと、いこくにはそのれいありといへども、ほんてうのせんぎをかんがふるに、じんむてんわうよりこのかたにんわうしちじふよだい、しかれどもにだいのきさきにたちたまへるそのれいをききおよばず」としよきやういちどうにせんぎしまうされけり。ほふわうもこのことをきこしめして、しかるべからざるよし、たびたびまうさせたまひけれども、しゆしやうおほせのありけるは、「てんし
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にぶもなし。わればんじようのほうゐをかたじけなくせむひは、などかこれほどのことえいりよにまかせざるべき」とて、すでにじゆだいのにちこくまで、せんげせられけるうへは、しさいにおよばず。きさきこのこときこしめしてより、たぐひなきことにおぼしめされて、ひきかづきてふしたまへり。おんなげきのいろふかくのみぞみえさせたまひける。まこととおぼえてあはれなり。「せんていにおくれまゐらせられしきうじゆのあきのはじめに、おなじくさばのつゆときえ、いへをもいでてよをものがれたりせば、かかるうきことはきかざらまし。くちをしきことかな」とぞ、おぼしめされける。ちちさだいじんなぐさめまうされけるは、「よにしたがはざるをもつてきやうじんとすといへり。すでにぜうめいをくだされたり。しさいをまうすにところなし。ただひとへにぐらうをたすけさせおはしまさむは、けうやうの
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おんぱからひたるべし。またこのおんすゑにわうじごたんじやうあつて、きみもてんがのこくぼにてもやおはしまさむ。ぐらうもぐわいそぶといはるべき。かもんのえいぐわにてもやさうらふらむ。おほかたかやうのことはこのよひとつのことならぬうへ、あまてるおほんがみのおんぱからひにてこそさうらふらめ」など、やうやうにこしらへまうさせたまひけれども、おんぺんじもなかりけり。ただおんなみだにのみむせばせたまひて、かくぞすさませたまひける。
うきふしにしづみもはてぬかはたけのよにためしなきなをやながさむ K008
よにはいかにしてもれきこえけるやらむ、あはれにやさしきことにぞまうしける。すでにじゆだいのにちじさだまりにければ、ちちおとど、ぐぶのかんだちめ、しゆつしやのぎしき、つねよりもめづらしく、こころもことばもおよばずいだしたてまゐらせ
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たまへり。きさきはものうきおんいでたちなりければ、とみにもいでさせたまはず、はるかによふけ、さよもなかばすぎてぞ、おんくるまにはたすけのせられたまひける。ことさらいろあるおんぞはめさざりけり。しろきおんぞ、じふし、ごばかりぞめされたりける。ごじゆだいののちは、やがておんをかぶらせたまひて、れいけいでんにぞわたらせたまひける。あさまつりごとをすすめまうさせたまふ。せいりやうでんのぐわとのみしやうじにつきをかきたるところあり。こんゑのゐんいまだえうねんのみかどにてわたらせたまひけるそのかみ、なにとなくおんてまさぐりに、かきくもらかさせたまひけるが、すこしもむかしにかはらでありけるをごらんぜられけるに、せんていのむかしのおんおもかげ、おぼしめしいでさせたまひて、おんこころところせきて、
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かくぞおぼしめしつづけさせたまひける。
おもひきやうきみながらにめぐりきておなじくもゐのつきをみむとは K009
このあひだのおんなからへ、あはれにたぐひすくなくぞきこえし。そのころはこれのみならず、かやうのおもひのほかのことどもおほかりけり。かかるほどに、えいまんぐわんねんのはるのころより、しゆしやうにでうのゐん、ごふよのことおはしますときこえしが、そのとしのなつのはじめになりしかば、ことのほかによはらせたまひにき。これによつて、だいぜんのだいぶきのかねもりがむすめのはらに、こんじやういちのみこ、にさいにならせたまふわうじおはしまししを、くわうたいしにたたせたまふべきよしきこえしほどに、ろくぐわつにじふごにち、にはかにしんわうのせんじをくだされて、やがてそのよくらゐをゆづりたてまつらせたまひにき。なにとなくじやうげあわてたりし
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ことどもなり。わがてうのとうたいは、せいわてんわうくさいにて、ちちもんどくてんわうのおんゆづりをうけさせたまひしよりはじまれり。しうくたんのせいわうにかはりつつ、なんめんにして、いちじつばんきのまつりごとをおこなひたまひしになぞらへて、ぐわいそちゆうじんこう、えうしゆをふちしたまひき。せつしやうまたこれよりはじまれり。とばのゐんごさい、こんゑのゐんさんざいにてごそくゐありしをこそ、としとひとおもへりしに、これはわづかににさい、いまだせんれいなし。ものさわがしといへり。
九 えいまんぐわんねんろくぐわつにじふしちにちにしんていごそくゐのことありしに、おなじきしちぐわつにじふはちにちにしんゐんおんとしにじふさんにてうせさせたまひき。しんゐんとはにでうのゐんのおんことなり。おんくらゐさらせたまひてさんじふよにちなり。
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てんがのいうきあひまじはりてとりあへざりしことなり。おなじきはちぐわつなぬかのひ、かうりゆうじにあからさまにやどしまゐらせてのち、かのてらのうしとらにれんだいのといふところにをさめたてまつる。はつでうのちゆうなごんながかたのきやう、そのときだいべんのさいしやうにておはしましけるが、おんはうぶりのごかうをみたてまつりて、
つねにみしきみがみゆきをけさとへばかへらぬたびときくぞかなしき K010 
ちゆういんそうづがしうくもこのときのことなり。しちぐわつにじふはちにちいかなるひぞや、さりぬるひとかへらず。かうりゆうじいかなるところぞや、ぎよしゆつありてくわんぎよなき。あはれなりしことどもなり。こんゑのゐんのおほみやはにだいのきさきにたちたまひたりしかども、またこのきみにもおくれまいらせさせたまひしかば、やがておんぐしおろさせたまひけるとぞきこえし。たかきもいやしき
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も、さだめなきよのためし、いまさらにあはれなり。
十 ごさうそうのよ、こうぶくじ、えんりやくじのそうと、がくたてろんをして、たがひにらうぜきにおよべり。こくわうのほうぎよありてみはかへおくりたてまつるときのさほふ、なんぼくにきやうのだいせうのそうとら、ことごとくぐぶして、わがてらでらのしるしにはかうをたて、がくをうつ。なんとにはとうだいじ、こうぶくじをはじめとして、まつじまつじあひともなへり。とうだいじはしやうむてんわうのごぐわん、あらそふべきてらなければ、いちばんなり。にばん、たいしよくくわんたんかいこうのうぢてら、こうぶくじのがくをうちて、なんとのまつじまつじしだいにたちならびたり。こうぶくじにむかひて、ほくきやうには、えんりやくじのがくをうつ。そのほか、やまやまてらでらあなたこなたにたちならびたり。こんどごさうそうのとき、えんりやくじのしゆと
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ことをみだりて、とうだいじのつぎ、こうぶくじのかみにかうをたつるあひだ、やましなでらのかたより、とうもんゐんのしゆとさいこんだうじゆ、とさばうしやうしゆんとまうしけるだうしゆ、さんまいかぶとにさうのこてさして、くろかはをどしのおほあらめのよろひ、くさずりながなるいつしきざざめかして、ちのはのごとくなるおほなぎなたをもつて、あるいはこほりのごとくなるたちをぬきてはしりいでて、えんりやくじのがくをまつさかさまにきりたをして、「うれしやみづ、なるはたきのみづ」とはやして、こうぶくじのかたへいりにけり。えんりやくじのしゆと、せんれいをそむきて、らうぜきをいたせばそくざにてむかひあるべきに、こころぶかくおもふことありければ、ひとことばもいださず。そもそもいつてんのきみ、ばんじようのあるじよをはやくせさせたまひしかば、こころなきさうもくまでも、なほうれひたるいろあさからず
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こそありけむに、かかるあさましきことにて、あるいはちりぢりとして、たかきもいやしきも、たれをうとしもなければ、しはうにたいさんす。あるいはれんだいの、ふなをかやまのみぞにぞおほくはしりいりける。をめきさけぶこゑ、くもをひびかしちをうごかす。まことにおびたたしくぞきこえける。
十一 やまとのくににはりのしやうといふところあり。このしやうのさたによつて、さいこんだうのおんあぶらだいくわんをがはのしらうとほただがうちとどむるあひだ、こうぶくじのじやうかうじじゆうのごしくわいそんをそつして、くだんのはりのしやうへうちいりて、をがはのしらうをようちにす。とさばうしやうしゆんもとよりやまとのくにのぢゆうにんなり。じじゆうのごし、だいしゆをかたらひて、「しやうしゆんをおひこめて、おんさかきのかざりたてまつりてらくちゆうへいれたてまつりて、そうもんをふべし」とて、しゆとらはつかうするところに、しやうしゆんあまたのきようどをそつして、
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かのさかきをさんざんにきりすてけり。だいしゆいよいよほうきしてうつたへまうすあひだ、しやうしゆんをくげよりめすに、あへてちよくにしたがはざるときに、べつたうかねただにおほせて、ごせいだんあるべきよし、しやうしゆんにおほせくださる。これにつきしやうしゆんしやうらくせしむるところに、すなはちかねただにおほせてしやうしゆんをめしとりて、そのときのおほばんじゆ、とひのじらうさねひらにあづけらる。つきひをおくるほどにとひのじらうにしたしくなりたりけるとかや。したがひてまたくげにもごぶさたにておはしましけり。「なんとにはてきにんこはくして、げんぢゆうせむことかたかりければ、かさねてなんとのすまゐもいまはかなふまじ。るにんひやうゑのすけどのこそすゑたのもしけれ」とおもひて、いづほうでうにくだりて、ひやうゑのすけにほうこうしたりけり。こころぎはさるものにてありければ、ひやうゑのすけみをはなたずめしつかはれけり。ひやうゑのすけ、
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ぢしようしねんにゐんぜん、たかくらのみやのれいしをたまはりて、むほんをおこしたまひしとき、しやうしゆん、にもんじにおほかりのもんのはたをたまはり、きりものにてありけるあひだ、ひとのまうしけるは、「かすがのだいみやうじんのばつをかうぶるべかりけるものをや」とまうしけるに、のちにかまくらどのより、「くらうたいふのはうぐわんうて」とて、きやうとへさしのぼせられたりけるに、うちそんじてきたをさしておちけるが、くらまのおく、そうじやうがたによりからめとられて、ろくでうがはらにてかうべをはねられけるとき、「ちそくぞありける、みやうじんのばつはおそろしきことかな」とぞひとまうしける。
十二 おなじきはちぐわつここぬかのひのうまのこくばかりに、さんもんのだいしゆくだるときこえければ、ぶし、けんびゐし、にしざかもとへはせむかひたりけれども、しゆとしんよを
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ささげたてまつりて、おしやぶりてみだれいりぬ。きせんじやうげさわぎののしることなのめならず。うちのくらのかみたひらののりもりのあつそん、ほういにてうゑもんのぢんにさうらはる。「しやうくわう、やまのだいしゆにおほせて、へいぢゆうなごんきよもりをついたうすべきゆゑにしゆとみやこへいる」と、なにもののいひいだしたりけるにや、きこえければ、へいけのいちるいろくはらへはせあつまる。じやうげあわてたりけれども、うひやうゑのかみしげもりのきやうひとりぞ、「なにのゆゑにただいまさるべきぞ」とてしづめられける。しやうくわうおほきにおどろきおぼしめして、いそぎろくはらへごかうなる。へいぢゆうなごんきよもりもおほきにおそりおどろかれけり。さんもんのだいしゆ、せいすいじへおしよせて、やきはらふべきよしきこえけり。さんぬるなぬかのひのくわいけいのはぢをきよめんとなり。せいすいじはこうぶくじのまつじなるゆゑにてぞありける。せいすいじのほふし、
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らうせうをいはずおこりて、ふたてにわかれてあひまちけり。ひとてはたきをのふどうだうにぢんをとる。ひとてはさいもんにぢんをとる。さんもんのだいしゆ、からめではくくめぢ、せいがんじ、うたのなかやままでせめきたる。おほてははりようのくわんおんじまでせめよせたり。やがてばうじやにひをかけたりければ、をりふしにしかぜはげしくて、くろけぶりひがしへふきおほひてければ、せいすいじのほふしひとやをいるにおよばず。しはうにたいさんす。つひにはだいもんにふきつけたり。むかし、さがのてんわうのだいさんのわうじ、かどゐしんわうのきさき、にでうのうだいしやうさかのうへのたむらまろのおんむすめ、しゆんしにようご、ごくわいにんのおんとき、ごさんへいあんならば、わがうぢてらにさんぢゆうのたふをくむべきよし、ごぐわんにてたてさせたまひしさんぢゆうのたふ、くりんたかく
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かかやきしもやけにけり。こやすたふとまうすはこれなり。いかがしたりけむ、たふにてひはきえにければ、ほんだういちうばかりぞのこりける。ここにむどうじのほふしにはうきのりつしやじようゑんといふ、がくしやうだいあくそうのありけるが、すすみいでてせんぎしけるは、「ざいごふもとよりしようなし。まうざうてんだうよりおこる。しんしやうみなもときよければ、しゆじやうすなはちほとけなり。ただほんだうにひをかけてやけや、ものども」とまうしければ、しゆとら、「もつとももつとも」とまうして、ひをともしみだうのしはうにつけたりければ、けぶりくもゐはるかにたちのぼる。かんやうきゆうのいてうのけぶりをあらそふ。いちじがほどにくわいろくす。あさましといふもおろかなり。しゆとかくやきはらひてかへりのぼりければ、ほふわうくわんぎよなりにけり。うひやうゑのかみしげもりも、おんおくりにまゐらる。
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うひやうゑのかみおんともよりかへられたりければ、ちちちゆうなごんきよもりのたまひけるは、「ほふわうのいらせおはしましつるこそかへすがへすもおそれおぼゆれ。さりながら、いささかもおぼしめしより、おほせらるるむねのあればこそ、かやうにももれきこゆらめ。それらにもうちとけらるまじ」とのたまひければ、うひやうゑのかみ、「このことゆめゆめおんいろにも、おんことばにもいでさせたまふべからず。ひとびとこころづきて、なかなかあしきことなり。えいりよにそむきたまはず、ひとのためによくおはしまさば、さんぽうしんめいのごかごあるべし。さらむにとつては、おんみのおそれあるまじ」とてたちたまひぬ。「ひやうゑのかみはゆゆしくおほやうなるものかな」とぞ、ちゆうなごんのたまひける。ほふわうくわんぎよののち、うとからぬきんじゆしやども、ごぜんにさうらひけるなかに、あぜちのにふだうすけかた
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もさうらはれけり。ほふわう、「さるにてもふしぎのこといひいだしつるものかな。いかなるもののいひいだしつらむ」とおほせありければ、さいくわうほふしがさうらひけるが、「てんにくちなし、にんをもつていはせよとて、もつてのほかにへいけくわぶんになりゆけば、てんたうのおんぱからひにて」とまうしければ、「このことよしなし。かべにみみありといふ。おそろしおそろし」とぞ、ひとびとまうしける。さてもせいすいじやけたりけるこうてうに、「くわけうへんじやうちはいかに」と、ふだにかきて、だいもんのまへにたてたりければ、つぎのひ、「りやくこふふしぎ、これなり」と、かへしふだをぞたてたりける。いかなるあとなしもののしわざなるらむと、をかしかりけり。
十三 えいまんぐわんねん、ことしはりやうあんにて、ごけい、だいじやうゑもなし。
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どうねんの十二月廿五日、ひがしのおんかたのおんはらの法皇のみこ、しんわうのせんじかうぶらせ給。今年は五歳にぞならせ給ける。としごろはうちこめられておはしましつるが、いまはばんきのまつりごとわくかたなく法皇きこしめしければ、おんつつしみなし。このひがしのおんかたとまうすは、ときのぶのあつそんのむすめ、とものぶのあつそんのまごなり。せうべんのとのとてさうらはせたまひけるを、法皇時々しのびてめされけるが、わうじくらゐにつかせたまひてのち、ゐんがうありて、けんしゆんもんゐんとぞ申ける。しやうこくのじなんむねもり、かのにようゐんのおんこにせさせ給たりければにや、平家ことにもてなし申されけり。にんあん元年、ことしはだいじやうゑあるべきなれば、てんがそのいとなみなり。どうねん十月七日、きよねんしんわうの
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せんじかうぶらせたまひしわうじ、とうさんでうどのにてとうぐうだちのおんことありけり。とうぐうとまうすはつねはみかどのみこなり。これをばたいしと申。またみかどのおんおととのまうけのきみにそなはらさせたまふことあり。おんおととをたいていと申。それにしゆしやうはおんをひ、わづかに三歳、とうぐうはおんをぢ、六歳にならせ給。「ぜうもくあひかなはず。ものさわがし」といへり。「くわんにん三年にいちでうのゐんは七歳にてごそくゐあり。さんでうのゐん、十三歳にてとうぐうにたちたまふ。せんれいなきにあらず」と、人々まうしあはれけり。
十四 ろくでうのゐん、おんゆづりをうけさせ給たりしかども、わづかに三年にて、どうねん二月十九日、とうぐうたかくらのゐん八歳にてだいこくでんにてせんそありしかば、せんていはわづかに五歳にておんくらゐしりぞかせたまひて、しんゐんと
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まうして、同六月十七日にしやうくわうごしゆつけあり。ごしらかはのほふわうとぞ申ける。いまだごげんぷくなくて、ごどうぎやうにて、だいじやうてんわうのそんがうありき。かんか、ほんてう、これぞはじめなるらむと、めづらしかりしことなり。このきみのくらゐにつかせおはしますは、いよいよ平家のえいぐわとぞみえし。こくぼけんしゆんもんゐんとまうすは、平家の一門にておはしますうへは、とりわきにふだうのきたのかた、にゐどののおんいもうとにておはしましければ、しやうこくのきんだち二位殿のおんはらは、たうぎんのおんいとこにてむすぼほれまゐらせて、ゆゆしかりけることどもなり。へいだいなごんときただのきやうと申は、にようゐんのおんせうと、しゆしやうのごぐわいせきにておはしましければ、ないげにつけたるしつけんのひとにて、じよゐぢもくいげ、くげの
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おんまつりごと、ひとへにこのきやうのさたなりければ、よにはへいくわんぱくとぞ申ける。たうぎんごそくゐののちは、法皇もいとどわくかたなく、ばんきのまつりごとをしろしめされしかば、ゐんうちのおんなか、おんこころよからずとぞきこえし。
十五 ゐんにちかくめしつかはるる、くぎやう、てんじやうびと、げほくめんのともがらにいたるまで、ほどほどにしたがひて、くわんゐほうろくみにあまるほどに、てうおんをかうぶりたれども、ひとのこころのならひなれば、なほあきだらずおぼえて、この入道の一類、くにをもしやうをもおほくふさぎたること、めざましくおもひて、「このひとのほろびたらば、そのくにはさだめてかけなむ、そのしやうはあきなむ」としんぢゆうにおもひけり。うとからぬどしは、しのびつつささやくときもあり
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けり。法皇もないないおぼしめされけるは、「むかしよりいまにいたるまでてうてきをたひらぐるものおほけれども、かかることやはありし。さだもり、ひでさとがまさかどをうち、よりよしがさだたふ、むねたふをほろぼしたりし、よしいへがたけひらをせめたりしも、けんじやうおこなはるること、じゆりやうにはすぎず。清盛がさしてしいだしたることもなくて、かくこころのままにふるまふこそしかるべからね。これもまつだいになり、わうぼふのつきぬるにや」と、やすからずおぼしめされけれども、ことのついでなければ、きみもおんいましめもなし。また平家もてうかをうらみたてまつることもなくてありけるほどに、よのみだれけるこんげんは、
十六 さんぬるかおう二年十月十六日に、こまつのないだいじんしげもりこうのじなん、しん
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ざんゐのちゆうじやうすけもり、ゑちぜんのかみたりしとき、れんだいのにいでてこたかがりをせられけるに、こさぶらひ二三十騎ばかりうちむれて、はひたかあまたすへさせて、うづら、ひばりおひたてて、ひねもすかりくらされけり。をりふしゆきははだれにふりたり、かれののけいきおもしろかりければ、夕日、やまのはにかたぶきて、きやうごくをくだりにかへられけり。そのときはまつどのもとふさせつろくにておはしましけるが、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのより、なかのみかどひがしのとうゐんのごしよへくわんぎよなりけるに、ろくかくきやうごくにててんがのぎよしゆつに、すけもりはなづきにまゐりあはれたり。ゑちぜんのかみ、ほこりいさみてよをよともせざりけるうへ、めしぐしたるさぶらひども、みな十六七のわかものにて、れいぎこつぽふをわきまへたるものいちにん
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もなかりければ、てんがのぎよしゆつともいはず、いつせつげばのれいぎもなかりければ、せんぐう、みずいじん、しきりにこれをいらつ。「なにものぞ、ぎよしゆつのなるに、らくちゆうにてむまにのるほどのもののげばつかまつらざるは。すみやかにまかりとどまりており候へ」と申けれども、さらにみみにききいれず、けちらしてとほりけり。くらきほどにてはあり、おんともの人々もつやつや入道のまごともしらざりければ、すけもりのあつそんいげむまよりひきおとし、さんざんにせられにけり。はふはふろくはらへにげかへり、「このこと、あなかしこひろうすな」といましめられけれども、かくれなかりけり。入道のさいあいのまごにてはをはしけり。おほきにいかりて、「たとひてんがなりとも、いかでか入道があたりをばはばかりおもひたまはざるべき。をさなきものにさうなくちじよく
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をあたへてをはするこそ、ゐこんのしだいなれ。このことおもひしらせ申さでは、えこそあるまじけれ。かかることよりひとにはあなづらるるぞ。てんがをうらみたてまつらばや」とのたまひければ、こまつのだいふ、「このことゆめゆめあるべからず。重盛なむどがこどもと申さむずるものは、てんがのぎよしゆつにまゐりあひて、むまよりもくるまよりもおりぬこそびろうにて候へ。さやうにせられまゐらするは、ひとかずにおぼしめさるるによつてなり。このことかへりてめんぼくにてあらずや。よりまさ、ときみつていのげんじなむどにあざむかれたらば、まことにちじよくにてもさうらひなむ。かやうのことよりよのみだれともなることにて候。ゆめゆめおぼしめしよるべからず」とのたまひければ、そののちはだいふにはかくとものたまはず。かたゐなかのさぶらひどものこはらかにて、入道殿の
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おほせよりほかにはおもきことなしとおもひて、ぜんごもわきまへぬものども十四五人めしよせて、「きたる廿一日、しゆしやうごげんぷくのさだめに、てんがのさんだいあらむずるみちにてまちうけて、せんぐう、ずいじんらがもとどりきれ」とげぢせられて、またのたまひけるは、「てんがのぎよしゆつにみずいじんにじふにんにはよもすぎじ。ずいじん一人に二人づつつけ。そのなかにさがみのかみみちさだとて、よはひ十七、八ばかりぞあるらむ。かれはともひらしんわうのばつえふにて、ちちもそぶもきこえたるかうのものなり。みちさだもさだめてかうにぞあるらむ。かれにはつはもの十人つくべし」とぞいはれける。そのひになりて、なかのみかど、ゐのくまのへんにて六十余騎のぐんぴやうをそつして、てんがのぎよしゆつをまちかけたり。てんがはかかることありともしろしめさず。しゆしやうのみやうねんのごげん
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ぷくのかくわんはいくわんのために、けふよりおほうちのおんちよくろになぬかさうらはせおはしますべきにてありければ、つねのごしゆつしよりもひきつくろはせたまひて、こんどはたいけんもんよりじゆだいあるべきにて、なにごころもなくなかのみかどをにしへぎよしゆつなりけるに、ゐのくま、ほりかはのへんにて六十余騎のぐんびやうまちうけまゐらせて、いころしきりころさねども、さんざんにかけちらして、うのふしやうたけみつをはじめとして、ひきおとしひきおとし十九人までもとどりをきる。十九人がうち、とうくらんどのたいふたかのりがもとどりをきりけるときは、「これはなんぢがもとどりをきるにはあらず。しゆうのもとどりをきる
なり」と、いひふくめてぞきりける。そのなかにさがみのかみみちさだは、たけたかくいろしろきが、たづなをくりしめてさうをきとみる。つはものよせてひきおと
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さむとしければ、ふところより一尺三寸ありけるかたなの、つかにむまのをまきたるをぬきいだして、むかふかたきのうちかぶとをさしければ、さうなくよするものなし。むまよりとびおりて、かたなをひたひにあてて、つはもののなかをうちやぶり、そばなるこいへにはしりいりけるを、つはものよせてうちとどめむとしければ、たちかへりて刀をもつておもふさまにきりたりければ、とりつかむとしけるもののこひぢを、こてをくはへてつときりおとし、かたをりどをちやうとたてて、うしろへつとにげにければ、つづいてかくるものもなし。かかりければ、みちさだばかりはのがれて、のこりははぢにぞおよびける。てんがは、おんくるまのうちへゆみのはずをあららかにつきいれつきいれしければ、こらへかねておちさせ給て、あやしのたみのいへにたちいらせたまひにけり。せん
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ぐう、みずいじんもいづちかうせにせむ、一人もなかりけり。ぐぶのてんじやうびと、あるいはものみうちやぶられ、あるいはしりがいむながひきりはなたれてくもをちらすがごとくにげかくれぬ。六十余騎のぐんぴやうかやうにしちらして、なかのみかどのおもてにてよろこびのときをはとつくりて、六波羅へかへりにけり。入道は、「ゆゆしくしたり」とかんぜられけり。こまつのないだいじんこのことをききておほきにさはがれけり。「かげつな、いへさだきくわいなり。たとひ入道いかなる不思議をげぢしたまふとも、いかでかしげもりにゆめをばみせざりけるぞ」とて、ゆきむかひたりけるさぶらひども十余人、かんだうせられけり。「およそは重盛などがこどもにてあらむものは、てんがをもおもんじ奉り、れいぎをもぞんじて
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こそあるべきに、いふかひなきわかきものどもめしぐして、かやうのびろうをげんじて、ふそのあくみやうをたつるふけうのいたり、ひとりなんぢにあり」とて、ゑちぜんのかみをもいましめられけるとかや。そうじてこのおとどはなにごとにつけてもよきひととぞ、よにもひとにもほめられ給ける。そののち、てんがのおんゆくゑしりまいらせたるものなかりけるに、おんくるまぞひのこらうのものに、よどのぢゆうにんいなばのさいつかひくにひさまると申けるをとこ、げらふなりけれども、さかざかしかりけるものにて、「そもそもわがきみはいかがならせたまひぬらむ」とて、ここかしこたづねまいらせけるに、てんがはあやしのたみのいへのやりどのきはにたちかくれて、おんなほしもしほしほとしてわたらせ給けり。くにひさまるただ一人、しりが
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ひ、むながひむすびあはせて、おんくるまつかまつりて、これよりなかのみかどどのへくわんぎよなりにけり。そのおんぎしき、こころうしともおろかなり。せつしやうくわんぱくのかかるうきめをごらんずること、昔も今もためしありがたくこそありけめ。これぞ平家のあくぎやうのはじめなる。あけぬるひ、にしはつでうのもんぜんにつくりものをぞしたりける。ほふしのひきこしがらみて、なぎなたをもつてものをきらんとするけいきをつくりたり。またまへにいしなべにけだちしたるものをおきたり。だうぞくなんによ、もんぜんいちをなす。されどもこころうる者一人もなし。「こは何事ぞ」といふところに、とし五十あまりばかりなるらうそうさしよりて、うちみて申けるは、「これはよべの事をつくりたるにや」と申せば、「それは何事
ぞ」と
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いふに、「よべてんがのぎよしゆつなりけるを、平家のさぶらひ、おほひのみかどゐのくまにてまちうけまいらせて、さんざんとおひちらして、御車くつがへしし、せんぐう、みずいじん、もとどりをきられたりけるをつくりたり。これをこそ、『むしものにあふてこしがらむ』とまうすは」といひければ、いちどうにはとわらひけり。いかなるあとなし者のしわざなるらむと、をかしかりける事共なり。十七 さて、せんぐうしたりけるくらんどのたいふたかのりは、あやなくもとどりきられたりければ、いかにすべきやうもなくて、しゆくしよにかへりてひきかづきてふしたりけるが、にはかに、「おほとのゐのあやをりがうちに、めあかくてききたる、二人ばかりきとめしてまゐらせよ」といひけ
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れば、さいしども、「なにやらむ」とおぼつかなくおもひけるところに、ほどなくめして参けるを、さいしけんぞくにもみせず、ひとまなる所にこもりゐて、きられたりけるもとどりを、かづらをたをしていちやのうちにむすびつがせて、くらんどどころに参りて申けるは、「いやしくもぶしにうまれて、かたのごとくのゆみやをとりぢゆうだいまかりすぐ。そのひしかるべきふしやうにあひたり。しかるにみにそくたいをまとひ、つめきるほどのこがたなていの物をもみにしたがへず。人にてをかくるまでこそなくとも、あたる所のくちをしきめをみむよりは、じがいをこそつかまつるべかりしかどもかなはず。あまつさへもとどりきられたりといふふじつさへいひつけられ、ゆみやとるもののしぬべき所にてしなざるがいたすところ也。
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すなはちよをものがれいへをもいづべけれども、さうなく出家したらば、『もとどきられたる事はいちぢやうなり』と、さたせられむ事、しやうじやうせせのかきん也。今いちどたれたれにもたいめん申さむとぞんじて参たり。ただしなましひに人なみなみによにたちまじはればこそ、かかるふじつをもいひつけらるれ。おもひたちたることあり」とて、ふところより刀をとりいだしてもとどりおしきりて、みだしがみにえぼしひきいれて、そでうちかづきてまかりいづるこそ、かしこかりけるしわざなれ。廿二日にせつしやうどのは法皇におんまゐりありて、「かかる心うきめにこそあひて候へ」と、なげきまうさせ給ければ、法皇もあさましとおぼしめして、「このよしをこそ入道にもいはめ」とぞおほせありける。入道もれきき、
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「入道が事をゐんにうつたへまうされたり」とて、又しかりののしりけり。てんがかく事にあはせ給ければ、廿五日、ゐんのてんじやうにてぞ、ごげんぷくのさだめはありける。さりとてさてあるべきならねば、せつしやうどのは十二月九日、かねてせんじかうぶらせたまひて、十四日にだいじやうだいじんにならせ給。これはみやうねんごげんぷくのかくわんのれうなり。おなじき十七日ごはいがあり。ゆゆしくにがりてぞありける。大政入道だいにのむすめきさきだちのおんさだめあり。今年十五にぞなりたまひける。けんしゆんもんゐんのいうしなり。
十八 めうおんゐんのにふだうどの、そのときは内大臣の左大将にておはしましけるに、だいじやうだいじんにならせ給はむとて、だいしやうをじしまうさせ給けるを、ご
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とくだいじの大納言さねさだ、いちの大納言にておはしましけるが、りうんにあててなりたまふべきよしきこえけり。そのほか、くわさんのゐんの中納言かねまさのきやうもしよまうせられけり。とののさんゐのちゆうじやうもろいへのきやうなどまうす、おんとしの程はむげにをさなくおはしませども、なりたまはむずらむと、せけんにはまうしあひけるほどに、こなかのみかどのちゆうなごんいへなりのきやうのさんなん、しんだいなごんなりちかのきやう、ひらにまうされけり。院のごきしよくよかりければ、さまざまのいのりをはじめて、さりともとおもはれけり。このこときせいの為には、あるそうをはちまんにこめて、しんどくのだいはんにやをよませられけるに、はんぶんばかりよみたりけるときに、かはらのだいみやうじんのおんまへなりけるたちばなのきに、やまばとふたつきたりてくひあひてしににけり。はとはだいぼさつのじしやなり。みやじ「かかる不思
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議なし」とて、べつたうしやうじやう、事のよしくげにそうもんしたりければ、じんぎくわんにてみうらあり。「てんし、大臣のおんつつしみにあらず。しんかのおんつつしみ」とぞ、うらなひ申ける。是のみならず、かものかみのやしろに七ヶ日、かもみおやのやしろに七ヶ日しのびて、かちのひまうでをして、ひやくどせられけり。「きみやうちやうらいわけいかづちだいみやうじん、しよしうなふじゆして、しよきにこたへたまへ」といのられけるに、第三日にあたるよる、まうでてげかうし給て、なかのみかどのしゆくしよに、あしやうふしたまひたりけるよるのゆめに、うへのおんまへにさうらふとおぼしきに、かみかぜ心すごくふきおろして、ごほうでんのみとをきつとおしひらかれたりけるに、ややしばらくありて、ゆゆしくけだかきにようばうのみこゑにて、一首のうたをぞえいぜられける。
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さくらばなかものかはかぜうらむなよちるをばえこそとどめざりけれなりちかのきやう、むちゆうにうちなげきておどろかれけり。これにもはばからず、かみのやしろにはにんわじのしゆんげうほふいんをこめて、しんごんひほふをおこなひけり。しもわかみやにはみむろどのほふいんをこめて、だきにてんをおこなはれけるほどに、七日にみつるよる、にはかにてんひびきちうごくほどのおほあめふり、おほかぜふきて、いかづちなりて、ごほうでんのうしろのすぎのきにいかづちおちかかり、てんくわもえつきて、わかみやのやしろやけにけり。かみはひれいをうけ給はねば、かかるふしぎいできたりにけるにや。なりちかのきやう、是にもおもひしらざりけるこそあさましけれ。
十九 さるほどに、かおう三年正月三日、しゆしやうごげんぷくせさせたまひて、十
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三日てうきんのぎやうがうとぞきこえし。ほふわう、にようゐんは御心もとなくまちうけまゐらせ給ふ。しんくわんのおんすがたもらうたくぞわたらせ給ける。三月にはにふだうしやうこくの第二の御娘、にようごにまゐりたまひて、ちゆうぐうのとくしとぞ申ける。ほふわうごいうしのぎなり。七月にはすまふのせちあり。重盛みぎにつらなりをはしければ、「こんゑのだいしやうにいたらむからに、ようぎ、しんだいさへ人にすぐれ給へるは」と、申あひけるとかや。「かやうにほめたてまつりて、せめての事にや、まつだいにさうおうせで、おんいのちやみじかくおはせむずらむ」と申あひけるこそ、いまはしけれ。おんこたち、たいふ、じじゆう、うりんなどいひて、あまたおはしましけるに、皆いうにやさしくはなやかなる人にておはしましける上、だいしやうは心ばへよき人にて、しそくたちにも
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しいかくわんげんをならひ、事にふれ、よしある事をぞすすめをしへられける。
廿 さるほどに、このごろのじよゐ、ぢもくは平家の心のままにて、くげ、ゐんぢゆうのおんぱからひまでもなし。摂政、関白のせいばいにてもなかりければ、ぢしよう元年正月廿四日のぢもくにとくだいじどの、くわさんのゐんのちゆうじやうどのもなりたまはず。いはむや新大納言、おもひやよるべき。入道のちやくし重盛、うだいしやうにておはしまししが、左にうつりて、じなん宗盛、中納言にておはしけるが、すはいのじやうらふをこえて右にくはへられけるこそ、まうすはかりなかりしか。ちやくし重盛のだいしやうになりたまひたりしをこそ、ゆゆしき事に人おもへりしに、じなんにてうちつづきならびたまふ、よには又人ありともみえざりけり。
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廿一 なかにもとくだいじ、いちのだいなごんにて、さいかくいうちやうし、いへぢゆうだいにてこえられたまひしこそふびんなりしか。「さだめてごしゆつけなどやあらむずらむ」とよのひとまうしあひけれども、「このよのなかのならむやうをもみはてむ」とおもひたまひければ、ろうきよしたまひて、「今はよにありてもなにかせむ。本鳥をもきりて、さんりんにもまじはりて、いつかうまことのみちにいらむ」とのたまへば、げんくらんどのたいふすけもとなげきまうしけるは、「平家、しかいをうちたひらげて、てんがをたなごころににぎり、ばんじおもふさまなる上、せつしやうくわんぱくに所ををかずちじよくをあたへ奉り、ばんきのまつりごとを心のままにとりおこなはる。ひれいひほふちやうぎやうする平家のふるまひをうらみさせ給はば、おほくのあをにようばうたちみながしし候はんずらむ事こそくちをしく候へ。よははかりことにてこそ候へ。
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大政入道のことにあがめたまふ、あきのくにのいちのみや、いつくしまへごさんけいあるべく候。だいしやうのおんきたうの為にごさんろうわたらせ給はば、そのみこをばないしと申候、おほくまゐりて候はば、しゆじゆのおんひきでものたびて、もてなさせおはしませ。さておんげかうあらば、さだめてないしどもおんおくりにまゐりさうらはむずらむ。やうやうにすかして、ないし四五人あひともなはせおはしまして、京へおんのぼりさうらへ。ないし、京にてさだめてだいじやうにふだうどののげんざんにいりさうらはんずらむ。『なにしにのぼりたるぞ』ととひたまはば、ないしどもありのままに申さば、『わがたのみたてまつるところのいつくしまのだいみやうじんにまゐりたまひたりけるごさむなれ。いかでかかみのごゐくわうをばうしなひまゐらすべき。だいしやうにまゐらせよ』とて、いちぢやうまゐりさうらひぬとぞんじさうらふ。かやうにおん
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ぱからひやあるべく候らむ。徳大寺をこのおんときうしなはせ給はむ事、くちをしくさうらふ」と、なくなくこしらへ申ければ、げにもとやおぼしめされけむ。御心ならず、いつくしまへおんまうであり。あんのごとく内侍共つどひたりければ、しゆじゆのおんひきでものたびて、さまざまにもてなし給けり。かくてなぬかのごさんろうありて、おんげかうあるところに、内侍共なごりををしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせけり。つぎのひかへらむとするに、とくだいじどのおほせのありけるは、「なさけなし。ないしたち、いまひとひおくれかし」とのたまひければ、「うけたまはりぬ」とまうして、おくり奉る。つぎのひかへらむとする処、又いろいろのおんひきでものたびて、「ややないしたち、都をたちいでて、おほくの国々をへだてて、なみぢをわけて参たるこころざしは、いかばかりとかおもふ。されば、「だいみやうじんおん
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なごりをしくおもひまゐらするに、内侍達の是までおくり給たるは、しかしながら
大明神のごなふじゆとあふぎてかたみをとる。そのうへは只今ひきわかれ給はむ事あまりになごりおしきに、いまひとひおくれかし」と宣へば、「承ぬ」とて、又参にけり。「いまひとひいまひとひ」と宣ふ程に、内侍もさすがにふりすてがたくて、都ちかく参にけり。徳大寺殿の宣けるは、「内侍、さすがにみやこはちかく、われらがほんごくはとほくなりたり。おなじくはいざ都へ。きやうづとばしもとらせむ」と宣へば、「承ぬ」とて、内侍十人きやうへのぼる。「このうへは又大政入道殿のげんざんにいらざらむ事もおそれあり」とて、内侍共入道殿へさんじけり。いであひてたいめんし給けるに、入道宣けるは、「なにしにのぼりたるぞ」ととひ給ければ、「徳大寺殿、
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だいしやうこえられたまひて、そのおんなげきにごろうきよさぶらひけるが、ごしゆつけありて、ごしやうぼだいのおんつとめせむとおぼしめしたちてさぶらひけるが、『まことや、いつくしまの大明神こそ現弁もあらたにわたらせ給なれ。このこときせいしてかなはずは、御出家あるべき』にて、おんまうでさぶらひて、ごさんろうのあひだ、御心いうにわりなくわたらせ給ふ。内侍共にもいろいろのおんひきでものたびて、おんなさけふかくわたらせ給ふ程に、おんなごりおしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせてさぶらへば、いまひとひいまひとひとておくりまゐらせさぶらひつる程に、京まで参てさぶらふ。のぼる程にては、いかでか又げんざんにいらざるべきとて、参てさぶらふ」と申ければ、入道殿、「いちぢやうか」、内侍達、「さむざうらふ」と申ければ、「いとほしいとほし。さてはいつくしまへおんまうでありけるごさむなれ。じやうかい、
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だいみやうじん権現をふかくそうきやうし奉る。いかでかごんげんのごゐくわうをばうしなひ奉るべき。重盛だいしやうにあげよ」とて、大将へおしあげて、徳大寺殿を左大将になし奉る。
廿二 さてしんだいなごんなりちかのきやうおもはれけるは、「とののちゆうじやうどの、徳大寺殿、くわさんのゐんにこえられたらばいかがせむ、平家のじなんにこえられぬるこそゐこんなれ。いかにもして平家をほろぼして、ほんまうとげむ」ともふおもふ心つきにけるこそ、おほけなけれ。ちちのきやうは中納言までこそいたりしに、そのこにてくらゐじやうにゐ、くわんだいなごん、としわづかに四十四、だいこくあまたたまはりて、かちゆうたのしく、しそくしよじゆうにいたるまでてうおんにあきみちて、なにのふそくありてか、今かかるこころのつきにけむ。是もてん
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まのいたす所也。のぶよりのきやうの有様をまのあたりみしひとぞかし。そのときこまつのおとどのおんをかうぶりて、くびをつがれし人にあらずや。うとき人もいらぬ所にてひやうぐをととのへあつめ、しかるべきものをかたらひて、このいとなみよりほかはたじなかりけり。ひがしやまにししのたにといふところは、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんがりやう也。くだんのところは、うしろはみゐでらにつづきて、よきじやうなりとて、「かしこにじやうくわくをかまへて、平家をうちてひきこもらむ」とぞしたくしける。ただのくらんどゆきつな、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわん、あふみのにふだうれんじやうぞくみやうなりまさ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはんぐわんやすより、そうはんぐわんのぶふさ、しんぺいはんぐわんすけゆき、さゑもんのにふだうらをはじめとして、ほくめんのげらふあまたどういしたりけり。平家をほろぼす
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べきよりきの人々、新大納言をはじめとして、つねによりあひよりあひだんぎしけり。法皇も時々いらせたまひて、きこしめしいれさせ給。まいどしゆんくわんがさたにて、おんまうけていねいにしてもてなしまゐらせて、ごえんねんある時もありけり。あるとき、かの人々俊寛がばうによりあひて、ひねもすにしゆえんしてあそびけるに、さかもりなかばになりてよろづきようありけるに、ただのくらんどがまへにさかづきながれとどまりたり。新大納言、せいしいちにんまねきよせてささやきければ、程なくきよげなるながぴついちがふ、えんのうえにかきすへたり。じんじやうなるしろぬの五十たんとりいだして、やがてただの蔵人がまへにおかせて、大納言めかけて、「ひごろだんぎしまうしつる事、たいしやうにはいつかうごへんをたのみたてまつる。そのゆぶくろのれうにまゐらす。
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今いちどさうらはばや」といひたりければ、ゆきつなかしこまりて、ぬのにてうちかけておしのけければ、郎等よりてとりてけり。そのころじやうけんほふいんと申ける人は、こせうなごんにふだうしんせいがしそくなり。ばんじおもひしりてふるまふひとにてありければ、へいしやうこくもことにもちゐて、よのなかのことども時々いひあはせられけり。法皇のおんけしきもよくて、れんげわうゐんのしゆぎやうにもなされなどして、てんがのおんまつりごとつねにおほせあはせられけるに、「さてもこのことはいかがあるべき」と、法皇おほせのありければ、「この事ゆめゆめあるべからずとおぼえ候。今は人おほくうけたまはりさうらひぬ。いかがし候べき。只今てんがのだいじいできさうらひなむず。わがきみはてんせうだいじん七十二代、だいじやうほふわうのそんがうにてござさうらふといへども、わうぽふのよすゑになり、きよもりまたてうか
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にさかり也。それとまうすは君のごおんならずといふ事なし。しかるにてうてきをたひらぐる事たびたびなり。さればなにをもつて、清盛をばうしなはせ給候べき」と、はばかるところなくまうされければ、なりちかのきやうけしきかはりてたたれけるが、ごぜんなるへいじをかりぎぬのそでにかけてたふしたりけるを、法皇、「あれはいかに」とおほせありければ、「とりあへずへいじすでにたふれて候」と、まうされたりければ、法皇おんえつぼにいらせをはしまして、「やすよりまゐりてたうべんつかまつれ」とおほせありしかば、やすよりがのうなれば、ついたちて、「およそちかごろはへいじがあまりおほく候て、もてえひて候」と申たりければ、なりちかのきやう、「さてそれをばいかがすべき」とまうさる。やすより、「それをばくびをとるにはしかず」とて、へいじのくびをとりていりにけり。法皇もきようにいらせ給て、ちやく
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ざの人々もえみまげてぞわらはれける。じやうけんほふいんばかりぞ、あさましとおもひて、ものものたまはず、こゑをもいだされざりける。かのやすよりはあはのくにのぢゆうにんにて、しなさしもなき者なりけれども、しよだうにこころえたる者にて、君にちかくめしつかはれまゐらせて、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。ばつざにさうらひけるをめしいだされけるも、時にとりてはめんぼくとぞみえし。つちのあなをほりていふなる事だにももるといへり。ましてさほどのざせきなれば、なじかはかくれあるべき。そらをそろしくぞおぼゆる。かのしゆんくわんはこでらのほふいんくわんがこ、きやうごくのだいなごんまさとしがまごなり。さしてゆみやとるいへにあらねども、かの大納言ゆゆしく心のたけくはらあしき人にておはしましければ、きやうごくのいへのまへをば人をもたやすくとをさず、つねにはをくひし
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ばりて、いかりておはしましければ、人、「はぐひの大納言」とぞ申ける。かかりし人のまごなればにや、この俊寛もそうなれども、心たけくおごれる人にて、かやうの事にもくみせられたりけるにや。なかんづく、このしゆんくわんそうづとなりちかのきやうとことさらにしたしくむつびける事は、新大納言のうちに、まつ、つるとて二人のびぢよありけり。俊寛、かの二人をおもひてかよひける程に、つるは今すこしようばうはまさりたり、まつはすこしおとりたれども、心ざまわりなかりければ、まつにうつりてしそく一人まうけたりけるゆゑに、大納言もへだてなくうちたのみかたらひけるあひだ、よりきしたりける也。三月五日、ぢもくに内大臣もろながこう、大政大臣にてんじ給へるかはりに、左大将重盛、大納言さだふさのきやうをこえて、内大臣になられにけ
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り。ゐんのさんでうどのにてだいきやう行はる。こんゑのだいしやうになりたまひし上は、しさいにおよばねども、又うぢの左大臣のごれい、はばかりあり。又大政入道心もとなげにいはれければ、「由なし」と、おほせられけるとかや。
廿三 ごでうの中納言くにつなのきやう、大納言にならる。とし五十六、いちの中納言にておはしましけれども、第二にてなかのみかどの中納言むねいへのきやう、第三にてくわさんのゐんのちゆうなごんかねまさのきやう、このひとびとのなりたまふべかりけるをとどめて、くにつなのきやうのなられける事は、大政入道、ばんじおもふさまなるゆゑ也。このくにつなのきやうは中納言かねすけのきやうのはちだいのばつえふ、しきぶのたいふもりつながまご、さきのうまのすけなりつながこなり。しかるにさんだいはくらんどにだにもならず、じゆりやう、しよしのすけなどにてありけるが、しんじのざつしきとてこんゑのゐんのおん
とき、ちかく
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めしつかはれけるが、さんぬるきうあん四年正月七日、いへをおこしてくらんどのとうになりにけり。そののちしだいになりあがりて、ちゆうぐうのすけなどまではほつしやうじどのごすいきよにてありし程に、ほつしやうどのかくれさせたまひてのち、大政入道にとりいりて、さまざまにみやづかひける上、ひごとになににてもいつすをたてまつられければ、「しよせん、げんぜのとくい、この人にすぎたる人あるまじ」とて、しそくいちにん入道のこにして、つねくにとまうしつけてじじゆうになされぬ。三位の中将しげひらをむこになしてけり。のちには中将、うちのおんめのとになられたりければ、そのきたのかたをばははしろとて、だいなごんのてんしとぞ申ける。〔ほくめんは〕しやうこにはなかりけり。しらかはのゐんのおんときはじめておかれて、ゑふどもあまたさうらひけり。なかにもためとし、もりしげ、わらはより、せんじゆまる、いまいぬまるなどとて、きりものにて
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ありけり。千手丸はもとはみうらの者也。のちはするがのかみになさる。今犬丸はすはうのくにのぢゆうにん、のちはひごのかみとぞ申ける。とばのゐんのおんときも、すゑのり、すゑよりふしちかくめしつかはれて、てんそうするおりもありときこえしかども、みなみの程をばふるまひてこそありしに、このおんときのほくめんのものどもはことのほかにくわぶんして、くぎやう、てんじやうびとをも物ともせず、れいぎもなかりけり。げほくめんよりじやうほくめんにうつり、上北面より又てんじやうをゆるさるるものもありけり。かくのみあるあひだにおごれる心ありき。かのすゑのりと申はげんざゑもんのたいふやすすゑがしそく、かはちのかみこれなり。すゑよりはすゑのりがこ也。たいふのじようといふも、是也。そのなかにこせうなごんのにふだうのもとにもろみつ、なりかげといふ者ありけり。こでい人わらは、もしはかくごしやにて、けしある
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ものどもなりけれども、さかざかしかりけるあひだ、院のおんめにかかりてめしつかはれけり。もろみつはさゑもんのじよう、なりかげはうゑもんのじように、二人いちどになりたりけり。少納言の入道の事にあひし時、ににんともに出家して、おのおのなのりの一字をかへず、さゑもんの入道はさいくわう、うゑもんの入道はさいきやうとぞいひける。二人ながらみくらのあづかりにてめしつかはれけり。西光がこ、もろたかもきりものにてありければ、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。
廿四 あんげん二年十一月廿九日、かがのかみににんじて、こくむをおこなふあひだ、さまざまのひれいひほふちやうぎやうせしあまり、じんじや、ぶつじ、けんもんのしやうりやうをもたふし、さんざんのことどもにてぞありける。たとひせうこうがあとをつたふとも、をんびん
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のまつりごとをこそおこなふべかりしに、よろづ心のままにふるまひしゆゑにや。おなじき三年八月に、しらやまのまつじにうかはといふやまでらにいでゆあり。かのゆやにもくだいがむまをひきいれてゆあらひしけるを、てらのこぼふしばら、「わうごよりこのところにむまのゆあらひのれいなし。いかでかかかるらうぜきあるべき」とて、しらやまのちゆうぐう、はちゐんさんじやのそうちやうりちしやく、かくめいらをちやうぼんとして、もくだいのひさうの馬のををきりてけり。もくだい是をおほきにいかりて、すなはちかのうかはへおしよせて、ばうじやいちうものこさず、やきはらひにけり。うかはしらやまはちゐんのだいしゆ、こんたいばうたいしやうぐんとして、五百騎にてかがのこくふへおひかかる。つゆふきむすぶあきかぜはよろひのそでをひるがへし、くもゐをてらすいなづまはかぶとのほしをかかやかす。かくてかうだうにたてごもり、
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ちやうへつかひをたてたれば、目代ひがことしつとやおもひけむ、ちやうにはしばしもたまらずしてにげのぼりにけり。うかはのだいしゆどもちからおよばずしてせんぎしけるは、「しよせんほんざんのまつじなり。ほんざんへうつたへまうすべし。もしこのそしようかなはずは、われらながくしやうどにかへるべからず。」「もつとももつとも」とて、じんずいをのみいちどうして、しんよをやがてふりあげたてまつるあひだ、あんげん三年二月五日うかはをたちて、ぐわんじやうじにつき給ふ。おんとものたいしゆ一千余人也。願成寺よりおなじき六日、ほとけがはら、かなつるぎのみやへいり給ふ。ここにおいていちりやうにちとうりうす。
廿五 おなじきここのかのひ、るすどころよりてふじやうあり。ししやにはくすのきじらうたいふのりつぎ、たんだの二郎大夫ただとしら也。かのてふじやうにいはく、るすどころのてふ、しらやまのみやのしゆとのが
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はやくしゆとのさんらくをちやうじせられんとほつすることてふす、しんよをふりたてまつりて、しゆとさんらくをくはたてて、そしようをいたさしむ。ことのおもむきおもからざることなきにあらず。これによつてざいちやうただとしをさしつかはして、しさいをたづねまうすをところに、いしゐのほつけううつたへまうさんがために、さんらくせしめむとへんたふありとうんうん。このでうあにしかるべからず。いかでかせうじによつて、おほかみをうごかしたてまつるべきをや。もしくにのさたとしてさいきよしたるべきそしようかてへれば、げじやうをたまはりてまうしあぐべきなり。こふや、じやうをさつしてもつててふす。
安元三年二月九日 さんゐのあつそん
さんゐのあつそん
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さんゐのあつそん
もくだいみなもとのあつそんざいはん
とぞかきたりける。これによつて、しゆとのへんてふにいはく、しらやまちゆうぐうのだいしゆまんどころへんてふところのがらいてふいつしにのせおくらるる、しんよごしやうらくのことてふす、こんげつここのかのてふ、どうにちたうらいす。じやうによつてしさいをあんずるに、しんめいわがふしまします。しかるにきちにちをてんぢやうして、たびぢにしんぱつす。つぎにじんりきをもつてこれをせいばいすべからず。みやうりよあにこれをおそれざらんや。よつてごにちをもつててふへんのじやうにまかするしさいのじやうくだんのごとし。
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あんげん三年二月九日 ちゆうぐうのだいしゆら
廿六 おなじきとをかのひ、ほとけがはらをいでてすいづへさしたまふ。同日またるすどころよりつかひ二人あり。さいしよのたいふなりさだ、きつじらうのたいふのりつぎら、のしろやまにて大衆のごぢんにくだんのつかひおひつきたり。すなはちらくばしぬればむまのあしをれたり。是をみてしゆといよいよしんりきをとる。同十一日にににんのつかひすいづにたうらいす。あへてへんてふなし。ことばをもつてししやしんよをとどめたてまつるといへども、事ともせずしやうらくす。そのときのくわんじゆはろくでうのだいなごんみなもとのあきみちのおんこ、こがのだいじやうだいじんのおんまご、めいうんそうじやうにておはす。もんぜきのだいしゆ三十余にん
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をさしくだし、つるがのなかやまにてしんよをとどめたてまつる。つるがのつ、かねがさきのくわんおんだうへいれたてまつりて、しゆごしけり。
廿七 しらやまのしゆとら、さんもんへてふじやうをつかはす。そのじやうにいはく、きんじやうえんりやくじごじてふしらやまのしんよをさんじやうにあげたてまつりもくだいもろつねのざいくわをさいきよせられむとほつすることみぎ、しさいをごんじやうせしむといへども、いまにさいほうをかうぶらざるあひだ、しんよごじゆらくのところ、よくりうのでう、これいつさんのだいそなり。つらつらことのこころをあんずるに、しらやまはしきぢありといへども、これしかしながらさんぜんのしやうぐなり。めんでんありといへども、たうにんいうめいむじつ
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なり。これによつて、ぶつじんのことだんぜつけんぜんなり。よつてたうねんのはつかう、さんじつかう、おなじくもつてだんぜつす。わがやまは、これだいひごんげん、わくわうどうぢんのそいさうらふ。ちかごろかたじけなくもむかひはいするやからまたもつてだんぜつす。このときにあたりてふかきなげきせつなり。しかれば、しんよをふりたてまつり、ぐんさんをくはたつるところなり。ながくきやうこうのさかえをわすれ、ごしやくのこうしよう、いたづらにくわうこんのつとめをひびかす。たれかみやうだうのとくをあきらかにせむ。じんりんにありてめいちのようふかきなり。なんぞまつたくしやうらいのきつきようをあらはさざらむや。ごんげんのごじげんこれあり。しかればすなはちせいはふにかかはらずして、すでにつるがのつにつかしむ。ごじてふのじやうにまかせて、しんよしやうらくのぎをとどめむ。ごさいほうをまつべきじやう、くだんのごとし。
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あんげん三年二月廿日 しゆとら
とぞかきたりける。
廿八 同廿一日、せんたうらこのじやうをとりてかへりのぼるあひだ、さいきよをあひまつところに、かさねてししやきたりていはく、「しやうらくせられたりといふとも、ごさいきよあるべからず。そのゆゑは、ゐんのみくまのまうでなり。おんげかうののち、しやうらくせらるべし」とて、かのしんよをうばひとりたてまつり、かねがさきのくわんおんだうにいれたてまつりて、だいしゆ、みやじ、せんたうら、是をしゆごしたてまつる。しらやまのしゆと、ひそかにしんよをぬすみとりたてまつりて、つるがのなかやまみちへはかからで、あづまぢにかかり、いるのやまをこえ、やながせをとほり、あふみのくにかふだのはまにつく。それよりふねにみこしをかきのせ奉て、ひがしざかもとへいれたてまつらむとほつす。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、かいしやうしづかならずして、こまつがはまへふきよせられ
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たまひけり。それよりひがしざかもとへしんよをふりあげたてまつる。さんもんの衆徒、さんたふくわいがふしてせんぎしけるは、「まつしやのしんよおろそからならず、ほんじやのごんげんのごとし。まつじのそういやしからず、ほんざんのたいしゆにおなじ。いかでか訴訟をききいれざるべき」といちどうにせんぎして、ひよしのやしろにはしらやまをばまらうとといはひたてまつりたれば、はやまつのしんよをばまらうとのみやにやすめたてまつりて、さんもんのだいしゆら、ゐんのくまのまうでのごきらくをぞあひまちける。
廿九 さるほどにゐんおんげかうあり。しらやまのしゆとら、「そしようかくのごとし。げにこのこともだしがたくさうらふや。しからば、もろたかをるざいにおこなはれ、もろつねをきんごくせらるべき」よし、そうもんせしに、ごさいきよおそかりしかば、大政大臣、さうのだいじんいげ、さもしかるべきくぎやうたちは、「あはれ、とくごさいきよあるべき
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ものを。山門の訴訟は昔よりたにことなる事也。おほくらのきやうためふさ、ださいのごんのそつすゑなかはてうかのちようしんなりしかども、大衆の訴訟によつてるざいせられにき。ましてもろたかなどが事はもののかずならず。しさいにやおよぶべき」と、ないないはまうされけれども、ことばにあらはれてそうもんのひとなし。たいしんはろくをおもんじてまうされず、せうしんはつみをおそれていさめずといふことなれば、おのおのくちをとぢ給へり。そのときのげんにんのくぎやうには、かねざね、もろながをはじめとして、さだふさ、たかひでにいたるまで、みをわすれていさめ奉り、ちからをつくしてくにをたすくべき人々にてをはしける上、ぶゐをかかやかしててんがをしづめし入道のしそく重盛など、しくやのきんらうをつつみてをはせしに、かれといひ、これといひ、もろ
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たかひとりにはばかりて、心にかたぶけながらことばにはいさめまうされざりける事、君につかふるほふ、あにそれしかるべけむや。「せんしやのくつがへるをたすけずは、こうしやのまはるをあにたのまんや」とこそ、せうがをばたいそうはおほせられけれ。おそらくは君もくらくおぼえさせ給べきにあらず、しんもはばかりあひ給べき人々にやをはせし。いかにいはむや、くんしんの国にをいてふや、けんせいのまつりごとひがまむにをいてふや。「かもがはのみづ、すごろくのさい、やまほふし、これぞわがこころにかなはぬもの」と、しらかはのゐんはおほせありけるとかや。さればとばのゐんのおんとき、へいせんじをもつてをんじやうじにつけらるべきよし、そのきこえあり。さんもんのしゆとたちまちにさうどうしてそうじやうをささげ申す。そのじやうにいはく、
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卅 えんりやくじのしゆとらのげ、ゐんのちやうさいをこふことまげておんじゆつをたれ、おうとくのじてふにまかせて、しらやまへいせんじをもつて、ながくたうざんのまつじたらむとこふじやうみぎつつしみてあんないをかんがふるに、さんぬるおうとくぐわんねん、しらやまのそうら、かのへいせんじをもつて、たうざんのまつじにきしんず。ときに、ざすりやうしん、よせぶみのむねにまかせて、じてふをなしてかのやまにつけをはんぬ。しかしてよりこのかた、そうりよのそしようなきによつて、しゆとのさたにおよばず。しかるあひだ、いんじはる、かのやまのぢゆうそうらきたりて、たうざんにうつたへていはく、「これえんりやくじのまつじなり。おうとくのじてふ、もつともしようげんにたれりと」うんうん。かくしゆう
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かのべつたうのしきにまかせて、ひほふらんぎやうひをおひてばいぞうし、うれひをつみてまくらとす。けつくたうざんをもつて、をんじやうじのまつじとなさむとほつすとてへり。たうざんもとよりほんじなきにあらず。なかんづくひよしのまらうとのみやは、しらやまのごんげんなり。すいしやくかのしんしよをはかるにおいて、さだめてそのゆゑあらむか。えいりよたちまちにへんず。きみのふめいにあらず、しんのふちよくにあらず。わがやまのぶつぽふ、まさにもつてほろぶるきざしなり。うれひてあまりあり。さうてんをあふぎてなみだをおさふ。かなしみていかがせむ。ちゆうたんにきうしてたましひをけす。しゆともしちよくめいにくわいゐせば、せんぞうのくじやうにおうずべからず。しゆともしてうゐをいるかせにせば、うれひをいだきていつさんのさうどうをとどむべからず。さいほうのところ、なんぞぎやうしやくなからむや。のぞみこふ、まげて
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おんじゆつをたれ、しらやまへいせんじをもつて、もとのごとくてんだいのまつじたるべきよし、さいきよせられば、まさにじやうぎやうさんぜんのしうぎんをなぐさめて、いよいよせんゐんすひやくのかれいをいのりたてまつらむ。よつてろくじやうつつしみてげす。
きうあん三年しぐわつ び
とぞかきたりける。このまうしじやうによつて、くぎやうせんぎありて、さんもんにつけらるべき、ゐんぜんをくだされていはく、ゐんぜんをかうぶりていはく、しゆとのさうどう、せいしにかかはらず、ことらんそたり。これによつて、かつはけうあくのともがらをふせかんがため、かつはほうきのたぐひをとどめんがため、せんれいにまかせて、
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ぶしをまうけらるるところなり。しかるにようじほこきをつて、しいうをけつせんとほつするよし、らくちゆうにをうかし、さんじやうにふうぶんす。すでにえいりよにあらずに。よつてぶしすなはちぐんをといて、ほんごくにかへしつかはしをはんぬ。いかにいはむや、こんどくじやうといひじんじといひ、ただ、ちよくめいをもつぱらにしてごんぎやうせしむるよし、ひちんのむねえいんでんのうちにいかでかあいれんなからんや。よつてそうじやうかくしゆういはく、「かのしらやまへいせんじをもつてえんりやくじのまつじたるべきよし、せんげせらるべし。ただしじこんいご、まつじしやうゑんのことによつて、ひだうのうつたへをいたすべからず。」このでうにおいては、ほとほとしよしゆうのひばうをまねくか。いつさんのかきんをのこすににたり。しかるにおんきえのそうあさからずして、つゐにひをもつてりとして、さいきよせらるるところなり。おのおのくわんぎのたなごころをあはせて、ひやくにじふねんのさんをいのりたてまつるべきよし、おほせつかはすべき
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ものなり。せんによつて、しやうけいくだんのごとし。
きうあん三年四月廿七日 みんぶきやううけたまはり
とぞかきたりける。昔がうのちゆうなごんまさふさのまうされけるやうに、「しんよをぢんとうへふりたてまつりてうつたへまうさむ時は、君いかがおんぱからひあるべき」とまうされたりけるには、「げにもだしがたき事なり」とこそおほせられけれ。
卅一 ほりかはのゐんのぎよう、さんぬるかほうぐわんねんきのえのいぬ、よりよしが なん、みののかみみなもとのよしつなのあつそん、たうごくのしんりふのしやうをてんだうするあひだ、やまのくぢゆうしやゑんおうをせつがいす。これによつて、さんもんのいきどほりふかくして、同十月廿四日、このことをうつたへ
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申さむとて、じくわんじんぐわんをさきとして、大衆げらくする由、ふうぶんありしかば、ぶしをかはらへさしつかはしてふせかせらる。しかるにじくわんら三十余人まうしぶみをささげて、おしやぶりてぢんとうへさんじやうせむとしけるを、もろみちごにでうのくわんぱくどの、ちゆうぐうのだいぶもろただがまうしじやうによつて、おんさぶらひやまとげんじなかづかさのじようよりはるをめして、「ただほふにまかせてあたるべきなり」とおほせられければ、よりはるうけたまはりてふせきけるに、なほおほうちへいらむとするあひだ、よりはるがらうどうさんざんにいる。きずをかうぶるじんにん六人、しぬる者二人、しやじ、しよしら、しはうににげうせぬ。まことにさんわうのしんきんいかばかりかおぼしめすらむとぞみえける。中にもはちわうじのねぎともざねにやたてたりけるこそあさましけれ。大衆ふんまんのあまり、おなじき廿五日しんよをちゆうだうへふりあげたてまつり、
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ねぎをばはちわうじのはいでんにかきいれて、じやうしん、ぢやうがく二人をもつてくわんぱくどのをしゆそし奉る。そのけいびやくのことばにいはく、「われらがなたねのふたばよりおおしたてたまふ、ななのやしろのかみたち、さうしかのみみふりたててきき給へ。むしものにあひてこしがらふで、さんわうのじんにんみやじいころしたまひつる、しやうじやうせせにくちをし。ねがはくははちわうじごんげん、ごにでうのくわんぱくどのへかぶらやひとつはなちあてたまへ。だいはちわうじごんげん」と、たからかにこそきせいしけれ。そのころのせつぽふ、へうびやくはしうくをもつてさきとす。しんじやうのだうしはちゆういんそうづとぞきこえし。がうのちゆうなごんまさふさ申されけるは、「もろただがまうしじやう、甚だしんめいのちじよくにおよぶ。あはれ、ばうこくのもとゐかな。うぢどののおんとき、だいしゆのちやうぼんとて、らいじゆ、りやうゑんらをながさる
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べきにてありしに、さんわうのごたくせんいちしるかりければ、すなはちざいめいをなだめられて、さまざまにおんおこたりを申させたまひしぞかし。さればこの事いかがあらんずらむ」と、うたがひまうされけり。さても不思議なりしには、はちわうじのごてんよりかぶらやのこゑいでて、わうじやうをさしてなりてゆくとぞ、人のゆめにはみえたりける。そのあしたくわんぱくどののごしよのみかうしをあげたりければ、只今やまよりとりてきたるやうに、つゆにぬれたるしきみひとえだたちたりけるこそおそろしけれ。やがて後にでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとておもきおんいたはりをうけさせ給ふ。ははうへ、おほとののきたのまんどころ、なのめならずおんなげきありて、おんさまをやつしつつ、いやしきげらふのまねをして
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ひよしのやしろにごさんろうありて、なぬかななよがあひだいのり申させ給けり。まづあらはれてのおんいのりには、ひやくばんのしばでんがく、百番のひとつもの、けいば、やぶさめ、すまふ、おのおの百番、ひやくざのにんわうかう、百座のやくしかう、いつちやくしゆはんのやくしひやくたい、とうじんのやくしいつたい、ならびにしやかあみだのざう、おのおのざうりふくやうせられけり。またごしんぢゆうにあまたのごりふぐわんあり。おんこころのうちのことなれば、いかでかしりたてまつるべき。それに不思議なりし事は、はちわうじのおんやしろにいくらもなみゐたるまいりうどのなかに、みちのくによりはるばるとのぼりたりけるわらはみこ、やはんばかりににはかにたえいりけり。はるかにかきいだしていのりければ、ほどなくいきいでて、たちてまひかなづ。人きどくのおもひを
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なして是をみる。はんじばかりまひてのち、さんわうおりさせたまひて、やうやうのごたくせんこそおそろしけれ。「しゆじやうらたしかにうけたまはれ。われゑんしゆうのけうぽふをまもらんが為に、はるかにじつぽうけわうのどをすてて、ゑあくじゆうまんのちりにまじはり、じふぢゑんまんのひかりをやはらげて、このやまのふもとにとしひさし。きもんのきようがいをふせかんとては、あらしはげしきみねにてひをくらし、くわうていのほうそをまもらん為には、ゆきふかきたににてよるをあかす。そもそもぼんぷはしるやいなや、関白のきたのまんどころ、わがおんまへになぬかこもらせたまひて、ごりふぐわんさまざまなり。まづだいいちのぐわんには、『こんどてんがのじゆみやうたすけてたべ。さもさぶらはば、はちわうじのやしろよりこのみぎりまでくわいらうつくりて、しゆとのさんじやの時、うろのなんを
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ふせくべしと」。このぐわんまことにありがたし。されどもわがやまのそうりよ、みつの山のさんろうの間、さうせつうろにうたるるをもつて、ぎやうじやのこうをあはれみて、わくわうどうぢんのけちえんとして、此所をしめてわれにちかづく者をあはれまんとなり。第二には、『三千人の衆徒にまいとしのふゆこそでひとつきせん』とのぐわん、これまたおぼしめしうけられず。そのゆゑは、きうかさんぷくのあつきにはあせをのごひて、ひねもすにさんだいそくぜのはなぶさをたむけ、けんとうそせつのさむきにもみをわすれて、よもすがらしくわんみやうじやうのつきをもてあそぶをもつて、しぢゆうのそうりよのぎやうとせり。第三には、『みづからいちごのあひだ、つきのさはりをのぞきて、都のすまゐをすてて、みやごもりにまじはりてみやづかひ申さむ』となり。このぐわんことにいとほし。しかりといへども、おほとののきたのまんどころほどの人
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を、みやごもりの者にならべ奉らむ事かなふまじ。だいしのぐわんには、『おんむすめごにんのひめぎみ、いづれもわうじやういちのびぢよなり。かれをもつてしばでんがくせさせてみせまゐらせん』とのおんこころざしせつなれども、摂政関白のおんむすめたち、いかがさやうのふるまひをばせさせたてまつるべき。第五には、『はちわうじのおんやしろにてまいにちたいてんなく、ほつけもんだふかうおこなふべし』となり。これらのごぐわんども、いづれもおろそかならねども、ほつけもんだふかうは誠にあらまほしくこそおぼしめせ。こんどの訴訟は、むげにやすかりぬべき事を、ごさいきよなくして、もろみち、よりはるにおほせて、われを馬のひづめにけさするのみならず、じんにん、みやじいころされ、人おほくきずをかうぶりて、なくなくまいりて、わがごぜんにてうつたへまうすことが心
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うければ、いかならむすゑのよまでもわするべしともおぼしめさず。かれらにたつところのやは、しかしながらわくわうすいしやくのおんはだへにたちたるなり。まこととそらごととは是をみよ」とて、かたぬぎたるをみれば、左のわきのした、おほきなるかはらけのくちほどうげのきたるこそ、きどくなれ。「これがあまりに心うければ、いかに申ともしじゆうのことはかなふまじ。いちぢやうほつけもんだふかうおこなはすべくは、みとせが命をのべ奉らむ。それをふそくにおもひたまはばちからおよばず」とて、さんわうあがらせ給けり。ははうへひとにかたらせ給はねば、たれもらしつらむとうたがはせ給ふかたもなかりしに、おんこころのうちの事ども、ありのままにごたくせんありしかば、いとどしんかんにそみて、たつとくぞおぼえける。
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なくなくまうさせ給けるは、「たとひひとひかたときながらへさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてみとせが命をのべてたまはらむ事、しかるべうさぶらう」とて、ひよしのやしろをおんくだりありて、都へいらせ給けり。やがててんがのごりやう、きいのくにたなかのしやうといふところ、えいたいきしんせられけり。されば今のよにいたるまで、ほつけもんだふかう、まいにちたいてんなしとぞうけたまはる。かかりし程にごにでうのくわんぱくどの、おんやまひかるませたまひて、もとのごとくにならせたまふ。じやうげよろこびあはれしほどに、みとせのすぐるはゆめなれや、えいちやう二年になりにけり。六月廿一日、またごにでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとて、おんぐしのきはにあしきおんかさいできさせたまひて、うちふ
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させたまひしが、おなじき廿七日、おんとし三十八にて、つゐにかくれさせ給へり。おんこころのたけさ、りのつよさ、さしもゆゆしくをはせしかども、まめやかにいまはの時にもなりしかば、おんいのちををしませ給ける也。誠にをしかるべきおんよはひなり。四十にだにみたせ給はで、おほとのにさきだちまいらせさせたまふこそかなしけれ。かならずしもちちをさきだつべしといふことはなけれども、しやうじのをきてにしがたふならひ、まんとくゑんまんのせそん、じふぢくつきやうのだいしたちもちからおよばせ給はず。じひぐそくのさんわう、りもつのはうべんなれば、おんとがめなかるべしともおぼえず。かのよしつなも程なくじがいして、いちるいみなほろびけり。もろただも程なくうせにけり。昔も今もさんわうのごゐくわうはおそるべき事とぞまうしつたへたる。
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そうじてだいだいのみかど、ほくれいをそうちようせらるること、たさんにこゆ。ぶつぽふ、わうぼふたがひにこれをまもれば、いちじよう、ばんじよう共にさかり也。されば山門の訴訟は只しゆとのなげき、山王ひとりのおんいきどほりにもかぎるべからず。べつしては国家のおんだいじ、そうじてはてんがのうれひなり。しんこくにすみて、かみよをつぎ、かみをあがめ給ふ事、てうかのとくせいなれば、さんわうにかたさりおはしても、などかごさいきよなきとぞ、人かたぶき申ける。誠にぶつぽふ、わうぼふはごがくのごとし。ひとつもかけてはあるべからず。ほふあればくにしづかなり。仏法もしほろびなば、王法なんぞまつたからむ。山門もしめつばうせば、ゑんしゆうなにかそんすべきや。よまつぼふにうつりてすでに二百よさい、とうじやうけんごの時にあたれり。にんま、てんまのちからつよくして人の心をさまらず。およそえいさんのぢぎやうのすがたをみるに、ししのふせるににたりとぞ承はる。
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人のこころのぢゆうしよににたること、みづのうつはものにしたがふがごとしといへり。きよをたかきみねにしめてとこしなへにけはしきさかをのぼりくだれば、衆徒の心たけくして、けうまんをさきとす。さればむかしまさかど、宣旨をかうぶりて、おんつかひにえいさんにのぼりけるが、おほだけといふ所にてきやうぢゆうをみおろすに、わづかにてににぎるばかりにておぼえければ、すなはちむほんの心つきにけり。あからさまのとうざんなほしかなり。いかにいはむやたんぼのきやうりやくにおいてをや。そもそも延暦寺と申は、でんげうだいしさうさうのみぎり、くわんむてんわうのごぐわんなり。つたへきく、伝教大師おんとし十九とまうす、えんりやくしねんしちぐわつのころ、えいさんによぢのぼり給て、がらんをこんりふしぶつぽふをひろめむとて、ほんぞんをつくりたてまつらんがために、さんちゆうにいりたまひて、「りやくしゆじやうのぶつざうとなるべきれいぼくやをはする」と、声をあげてさけびたまひけるに、こくうざうのをの北
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なる林の中に、「ここにあり」とぞこたへける。かのれいぼくをきりて、だいし、てづからみづからやしくによらいのぎやうざうをぞきざみあらはし給ける。ひとたびけづりては、「あまねくぢやうやのやみをてらし給へ」と、けづるたびにらいはいし給へば、おんかしらよりはじめて、めんざうあらはれおはす。おんむねのほどにもなりしかば、大師らいし給ふごとに、れいざうかしらをたれてうなづき給ふ。其時しゆじやうさいどをばことうけしたまひぬ。「あなかしこ一人ももらしたまふな」とて、ざうひつし給にけり。たけ五尺五寸のみなこんじきのりふざう也。同七年に本堂をつくりて、あんぢしたてまつり給へり。じかくだいし、かのぶつざうと常に物語し給けるとかや。さうおうくわしやうばかりぞ御声をばきき給ける。おなじき十三年、ながをかのきやうよりへいあんじやうにうつりてくわうきよを
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さだめられけるに、きもんの方にあたりてたかきみねあり。「かのみねにがらんをたてば、みやこのきようがいあるべからずと」、みかどおぼしめして、でんげうだいしにおほせあはせられければ、「わがてらをきみにたてまつるべし」とて、ほんぶつやくしによらいはごそくさいの御ため、もつともさうおうし給へり。ざうりふのしだいなどこまかく申させ給ければ、てんわうおほきにえいかんありて、大師とふかくしだんのちぎりをむすび給て、ごぐわんじとさだめられにけり。みかどあまりにたうざんをしふしおぼしめして、おんことばのつまにも、「わがやま」とぞおほせありける。さればちかごろも山門を「わがやま」と申は、かのおんことばの末とかや。大師は、「わがたつそま」とものたまへり。えいりよにたぐへるが故に、「ひえいさん」ともなづく。又、「えいがく」ともいふなるべし。てうばうよそにすぐれて、しはうとほくはれたるが故に、
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「しめいさん」ともなづくとかや。又てんだいしゆうのてらなるが故に、「てんだいさん」ともなづけたり。たいていもろこしの天台山ににたりといへり。さても天台宗はなんがく、天台ともにりやうぜんのちやうじゆとして、しんだんにいでたまひて、仏法をひろめたまひしより、ししさうじようせり。しんだんこくにがんじんわじやうといひし人、げんぎ、もんぐ、しくわんのさんだいぶをもちてほんてうへわたりしに、きこんたへざりしかば、いしのむろにをさめてひろうせざりしを、伝教大師しよしゆうのけうさうをうかがひ給ふに、天台のほふもんにこころづきたまひければ、わがやまにるふし給て、諸宗のめいとくをくつして、かいかうのろんぎをだんぜられけるに、りくつなほきはまらずおもはれければ、おなじき廿三年四月におんとし三十八にしてにつたうす。まづかの
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せいしゆにそうして、天台のゆいせきをじゆんれいし給けるに、ひとつのほうざうあり。てんだいだいし、にふめつのあしたより今にいたるまで、かぎなくしてひらく人なし。だいしのきもんにいはく、「われめつごにとうごくよりしやうにんきたりて、このほうざうをばひらくべしと」うんうん。伝教大師是を聞給て、ふところよりかぎをとりいだし、「是は本朝にてがらんこんりふのためちをひきし時、つちの中よりほりいだしたりしを、やうあるべしとおもひて、昼夜にみをはなたずたもちたり。もしこのかぎやあひたる。こころみにあけてみむ」とのたまひて、くだんのかぎをさしあはせ給へば、あたかもふけいのごとくして、宝蔵ひらきにけり。せいしゆにこのよしをそうし申ければ、ぜんぜのしゆくえんあさからざることをえいかんありて、かのこざうにをさむるところのしやうざい、ことごとく大師に
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わたしたてまつりたまへり。すなはちだいし是をしやうらいし給て、わがやまにぞをさめられける。今のごきやうざうとまうすは是也。でんげうだいしじやうぎの道具、しやうあんだいしのわたし給へるしやうげうとう、皆かのきやうざうにをさまれり。このなかに「天台のいちのはこ」となづけて、いつしやうふぼんの人一人してみることにて、たやすくひらくざすまれなり。かのとたうの時、たうすいくわしやう、かうまんざすにあひてけうさうをでんぢし、じゆんげうあざりにこんたいりやうぶのひほふをでんじゆして、おなじき廿四年六月にきてうし給へり。けんみつのあうぎをきはめられしかば、いつてんぎやうそうししかいきぶくす。さんせんのちやうがうを制作して、せんしうのほうそをいのり、ろくきのたふばをろくしうにわかちすゑたてまつりて、ばんしゆんのあんねいをきせいし給ふ。
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さればにや、てんがをさまりてこくぐんゆたかなりき。次にじやうぎやうだうのあみだは、じかくだいしきてうの時、かいしやうにじげんして、光をはなち、声をあげて、いんじやうをとなへたまひしそんざうを、大師むかへたてまつり、あんぢし給へる、じねんゆじゆつの仏也。かの大師、よかはのすぎのほらにてみとせのあひだおこなひて、書写し給へるによほふきやう、わがてうのうせいむせいのかみたち、昼夜にけつばんして、守護したまふとかや。むどうじのほんぞんは、さうおうくわしやう、しやうじんのふどうををがみたてまつらんとちかひて、きたのかたへむかひてあこがれおはしける処に、もんじゆのけしんなるらうをうにをしへられて、かつらがはの第三のたきにいたりつつ、たんぜいのまことをいたし、きせいせられければ、しやうじんのふどうしゆつげんし給へり。くわしやうずいきの涙をながしつつ、「又と
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そつてんにいたりて、しやうじんのみろくをはいせさせ給へ」ときねんせられければ、御肩にのせつつ、ほどなくとそつのないゐんにのぼり給て、げんしんにみろくぼさつをはいしたてまつり給ける、しやうじんのふどうそんこれなり。このほか、だいごんのすいしやく、そのかずおほし。かうそうのぎやうとくあらたなるもおほかりき。かのゑりやうなづきをくだき、そんゑつるぎをふりしかうげん、たれびとか肩をならべんや。そうじてさいたふよかはのだいしせんとくのざうりふ、りしやうけちえんのほんぞん、かずをしらず。そのれいげんはんたなり。これみな、ぶつにちせうらんをへうじし、せいてうあんをんのきずいにあらずや。誠にてんがぶさうのりやうぜん、ちんごこくかのだうじやうなり。くわんむてんわうのちよくぐわんなれば、よよのけんわうせいしゆ、皆わがやまをあがめ給ひ、しよゐんしよだう、ちよくぐわんにあらずといふことなし。だうたふのぎやう
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ぼふ、いまにたえず。せいざうしひやくよくわい、くんじゆいくばくかつもるらむ。法はこれいちじようさんみつのめうほふ、ぶつぽふのげんていにあらずや。人はしくわんしやなのぎやう、ぼさつのだいかいをたもてり。なかんづく、ひよしさんわうしちしや、わうじやうしゆごのちんしやうとして、きもんのかたにあとをたれ給へり。このひよしのさんわうと申は、きんめいてんわうのおんとき、みわのみやうじんとあらはれて、やまとのくににぢゆうし給き。てんちてんわうのおんとき、大和国よりこのみぎりへうつりたまひて、たうざんのさうさうにさきだちたまふことひやくよさい、のちにいちじようゑんしゆうをひろめらるべき事をかんがみたまひけるにや、あるいはなんかいのおもてにごしきのなみたちけるが、「いつさいしゆじやうしつうぶつしやう」ととなへける。そのみのりの声をたづねてこのみぎりへはうつりおはしたりともまうしき。はじめはおほつのひがしのうらにげんじおはして、
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それよりにしのうらにうつらせたまひて、たなかのとこよがふねにめして、からさきのことの御たち、うしまろがもとへいらせ給にけり。牛丸、ただひとにあらずとおもひて、あらこもをしきてすゑたてまつりて、とこよにあはのごはんをまゐらせたりければ、とこよにたくし給けるは、「なんぢ、わがうぢひととなりて、まいねんしゆつしの時、あはのごはんをぐごにそなふべし」とぞのたまひける。今のおほつのじんにんは、かのとこよがばつえふ也。其時の儀式になぞらへて、うづきの御祭の時、必ずあはのみごくをたてまつるとかや。さてうしまろが船にのりたまへば、「いづちへわたらせおはしますやらむ」と、あやしみみたてまつるほどに、かのていぜんのたいぼくのこずゑにぞげんぜさせ給ける。牛丸、不思議のずいさうをはいして、きいのおもひをなす処に、「是より
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さいほくにしようちあり。なんぢ、わがうぢひととして、くさをむすびたらむをしるしにてほうでんをつくりたてまつるべし」と、しめし給へり。牛丸、「さてみなをばなにとかうしたてまつるべきぞ」と申ければ、「たてにさんてんをたて、よこにいつてんをひき、よこに三点をひきて、たてに一点をたつべし」とをしへ給へり。すなはち、さんわうといふもんじなり。牛丸、しんめいのをしへにまかせて、西北のかたへたづねゆきてみるに、ふうゆひ結べる所あり。是をしるしとしてほうでんをざうしんし、たいぼくのうへにあらはれたまひたりしおんかたちをうつしたてまつりて、いははれ給へり。今のおほみやとまうすはこれなり。しかしてよりこのかた、大小のじんぎ、ねんねんさいさいにあとをたれたまひて、かれもこれもけんぞくとなりたまへり。にのみやは、くるそんぶつの時より、しんめいとあらはれたまひにけり。はじめしゆぜんのきた、よかはの
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さいなんに、だいひえいといふ山の中におはしけるが、東南のふもとにいぢゆうし給けるに、今のおほみやきたり給ければ、そのところをさらせたまひて、じゆげんのにしのしきぢにいぢゆうし給へり。ぢしゆごんげんじふぜんじとまうすは、てんせうだいじんのみこなり。そうじてじちゐきのぢしゆにてぞわたらせ給ける。かのさんしやうはでんげうだいしにちぎりをむすびて、わがやまのぶつぽふおうごのちんじゆとして、がくとをはぐくみゑんしゆうをまもらんとちかひ給て、さんしやうともにしゆつけじゆかいせさせおはし、おなじくほふがうをさづけられ給へり。もろこしのてんだいさんの麓にもさんわうすいしやくしおはすといへり。でんげうは天台のけしんなれば、ごんじやのぎもあひたまひけるやらむと、たつとくぞおぼゆる。すみよしのみやうじんはぢしゆごだいのそんなり。はじめはあくじんとして、いつぴやくいちじふのじや、
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じんにともなひて、ぶつぽふをしんじたまはざりけるに、でんげうだいし、かのおんやしろにまうでて、にんわうぎやうをかうどくせられければ、「じやしんをあらため、ぶつぽふのだいだんなとなりて、ゑんどんのをしへをまもらん」とちかはせたまひて、おほみやにいぢゆうせさせ給へり。ひがしのちくりんこれなり。かのごたくせんにいはく、「てんぎやうねんぢゆうにきようどをちゆうせしには、われたいしやうとして、さんわうはふくしやうぐんなりき。かうへいのくわんぐんにはさんわうたいしやう、われ副将軍たりき。およそわがてうの大将として、いぞくをせいばつする事、既に七ヶ度なり。さんわうはとこしなへにいちじようのほふみにばうまんし給へるが故に、せいりきわれにすぐれ給へり」とぞ、しめし給ける。はちまんのわかみやも伝教大師にちぎりをむすび給て、わがしゆうをまもらんとておほみやにおはす。にしのちくりんこれなり。
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卅二 あんげん二年六月十二日にたかまつのにようゐんかくれさせたまひにけり。おんとし三十三。是はとばのゐんのだいろくのひめみや、にでうのゐんのきさきにておはしき。えいまんぐわんねんにおんとし二十二にてごしゆつけありき。おほかたの御心ざまわりなき人にて、をしみ奉けり。
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卅三 おなじき七月八日、けんしゆんもんゐんかくれさせたまひぬ。おんとし三十五。是はぞうさだいじんときのぶのおんむすめなり。ほふわうのにようごにて、たうだいのおぼぎなり。せんねんふれいの時、ごぐわんをはたさむとて、おんかちにてみくまのさんけいありけり。四十日にほんぐうへまゐりつかせたまひて、ごんげんほふらくのために、こいんじゆといふまひをまはせてましましけるに、にはかにおほあめふりけれども、舞をとどめず、ぬれぬれ舞ければ、せんじをかへす舞なれば、ごんげんめでさせたまひけるにや、たちまちにてんはれて、さまざまのれいずいども有けり。さておんげかう有て、いくほどをへずして、いんじはるのころよりごしんちゆうくるしくして、よのなかをあぢきなくおぼしめして、いんじ六月十日ゐんがうごじたいあり。こんてうに御出家、ゆふべに
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むじやうの道におもむきたまふ。いんうちのおんなげき、いづれもおろかならず。てんがりやうあんのせんじをくださる。そのごけうやうの為に、殺生禁断(せつしやうきんだん)といふ事をおこなはれける。をりふし、はうきのそうづげんそん、あふみのくにおほしかのしやうをめされてなげきけるが、おんなげきやうやくごをすぎて、ひとびとおんめさまし申ける時、げんそんたちて、「殺生禁断(せつしやうきんだん)とは」といふまひをいたす事、三度ありき。ゐんのおんまへちかく参て、「おほじかはとられぬ」と申てはしりいりぬ。院えつぼにいらせましまして、かのおほしかのしやうをかへしたまはりにけり。
卅四 おなじき廿七日、ろくでうのゐんほうぎよなる。おんとし十三。こにでうのゐんのおんちやくしぞかし。おんとしごさいにてだいじやうてんわうのそんがうありしかども、
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いまだごげんぷくもなくてほうぎよなりぬるこそあはれなれ。かやうにうちつづきてんがになげきのみおほく、人の心のさだまらざる事は、ひとへに平家の一門のみさかえて、いつてんしかいをたなごころににぎりて、せんれいにたがへるまつりごとをまうしおこなへる故とぞ、ないないは申あひける。
卅五 すいこてんわうのぎよう、しやうとくたいしじふしちかでうのけんぽふをつくりたまひて、よのふでうなる事をあらはしたまひしかども、おほかたのきんばかりにて、たうだいのおんわづらひにあらざりき。もんどくてんわうのぎよう、ふひとのおとどりつり
やうをえらびたまひき。おのおのじつくわんのしよをつくりてましまししかども、是をさしおきてひがまれしかばおこなはれざりき。そののちひやくよねんをへて、じゆんわのみかどのぎようにこそよみだれすぐならざりしかば、はふれいをさきとしてよを
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をさめたまひてしひやくよさい、それよりこのかた、よはひをおくりておとろへ、人は時々にしたがひてひがめり。へいぢのげきらんの時までは、げんぺいりやうじ、かたをならべて、たがひにてうてきをしづめられき。このりやうじ、わうくわにしたがひ奉るかとみえし程に、平治いご、源氏ほろびて、平家おごりておそるるかたなし。大政入道、てんがのまつりごとをしゆぎやうして、ひぎひれいをおもんじしかば、いかでかしんりよのめぐみしかるべき。せいむをとりおこなはむひは、わがこころふでうにしてはあるべからず。かみしづまりてしもみだれぬといへり。みただしくしてかげかがむ事なしとこそまうすめれ。されば、「人のわづらひをいたすべからず」とぞ人申ける。
卅六 ぢしようぐわんねんひのとのとり四月十四日、おんまつりにて有べかりけるを、だいしゆうちとどめて、おなじき十三日たつのこくに、しゆとひよししちしやのみこし、おなじくはちわうじ、
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まらうと、じふぜんじとうのさんじや、やまいつしやのしんよをぢんとうへふりくだしたり。もろたかをるざいせらるべきよしうつたへまうさんとて、にしざかもと、さがりまつ、きれづつみ、かものかはら、ただす、むめただ、とうぼくゐん、ほふじやうじのへん、じんにん、みやじじゆうまんして、声をあげてをめきさけぶ。きやうしらかはのきせんじやうげあつまりきたりて、これをはいしたてまつる。それにつきて、ぎをんに一社、きやうごくに二社、きたのに二社、つがふ十一社のしんよをぢんとうへふりたてまつる。そのときのくわうきよはさとだいり、かんゐんどのにて有けるに、既にしんよをにでうからすまるむろまちのへんにちかづきおはす。そのときへいじのたいしやうはこまつのないだいじんしげもりこう、にはかのことなりければ、なほしにあこめさしはさみて、こがねづくりのたちはきて、れんぜんあしげの馬のふとくたくましきに、き
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ぷくりんのくらおきてぞのられける。いがいせりやうごくのわかたうども三千余騎あひぐせられたり。ひがしおもてのさゑもんのぢんをかためたり。源氏のたいしやう、ひやうごのかみよりまさは、けつもんじやのかりぎぬに紫のさしぬきしやうくくりて、ひをどしのよろひに、きりふのやにしげどうの弓のまなかとりて、二尺九寸のいかものづくりのたちはきて、えぼしのへりひききりて、おしいれてきるままに、かげなる馬にしろぷくりんのくらおきてのりたりけり。つづくのげんだ、さづく、はぶく、きをふ、となふをはじめとして、いちにんたうぜんのはやりをのわかたう三百余人あひぐして、北の陣をかためたり。しんよかのもんよりいりたまふべきよしきこえければ、頼政馬よりおりてかぶとをぬぐ。たいしやうぐんかくすれば、いへのこらうどうも又かくのごとし。
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大衆是をみて、やうあらむとて、しばらくしんよをかきとどめたてまつる。頼政がらうどう、わたなべのきほふのたきぐちをめして、大衆の中へ使者にたつ。きほふはしやうねん三十四、たけ七尺ばかりなる男のしろくきよげなるが、かちんのよろひひたたれに、こざくらをきにかへしたるおほあらめのよろひの、すそかなものうちたるに、へうのかはのしりざやのたちはきて、くろつばのそやのつのはずいれたるにじふしさしたる、かしらだかにおひなして、ぬりごめどうの弓のにぎりぶとなるに、おほなぎなた、かちはしりにもたせて、ゆんでのわきにあひぐしたり。かげなる馬のふとくたくましきに、くろぐらおきてぞのりたりける。しんよちかづかせ給ければ、馬よりとびおりて、かぶとをぬぎ左肩にかけ、
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弓とりなほし、みこしの前にひざまづきて申けるは、「この北の陣をばみなもとのひやうごのかみよりまさのかためてさうらふが、だいしゆのおんなかへ申せとさうらふは、『昔はげんぺいりやうかさうにならびてすこしもしようれつさうらはざりしが、源氏にをいてはほうげんへいぢのころより皆たえうせて、たいりやくなきがごとし。ろくそんわうのばつえふとては頼政ばかりこそ候へ。さんわうのみこしぢんとうへいらせおはしさうらふべき由、そのきこえさうらふあひだ、くげことにさわぎおどろきおはして、源平のぐんびやうしはうをかたむべきよし、せんじをくだされさうらふ。わうどにはらまれながら、ちよくめいをたいかんせむもそのおそれさうらひて、なましひにこのもんをかためてさうらふ。またこんどさんもんのごそしよう、りうんのでう、もちろんに候。ごせいだんちちこそ、よそにてもゐこんに候へ。そのうへ、頼政
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もとよりしんめいにかうべをかたぶけたてまつりたるみにて候へば、わざとこのもんよりこそいれ奉るべうさうらふあひだ、もんをこそあけて候へ。ただしじこんいごにおいては、ながく弓矢のみちこそはなれはてさうらはんずれ。しんゐにおそれたてまつりてみこしをいれ奉り候はば、りんげんをかろんずるとがあり。せんじをおもんじてしんよをふせきたてまつらば、みやうのせうらんはかりがたし。しんだいここにきはまれり。かつうはまたこまつの内大臣いげのくわんびやう、おほぜいにてかためて候もんもんをばやぶりたまはで、頼政わづかなるぶせいの所をごらんじていらせおはしぬる物ならば、山の大衆はめだりいんぢをしけりなど、人の申候はん事も、山のおんなをれにてや候はんずらむ。かつうはことにおどろおどろしくてんちやうをおどろかし奉んとおぼしめ、
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され候はば、ひがしおもてのさゑもんの陣はこまつの内大臣三千余騎にてかためて候。たせいのもんをうちやぶりていらせおはしさうらはば、いよいよしんゐの程もあらはれて、大衆のおんゐもいまひときみにてさうらひぬべければ、しんよをばさゑもんの陣へまはしいれたてまつらるべうもや候らむ。しよせんかく申候はん上をなほやぶりたまはばちからおよばずさうらふ。こうたいのなをしく候へば、いのちをばさんわうだいしに奉り、かばねをばしんよの前にてさらしし候べしと申せ』と候。御使はわたなべたうに、みだのげんしちつながばつえふ、きほふのたきぐちと申者にて候」とて、いむけのそでひきつくろひて、かしこまりてぞ候ける。大衆是をききて、「なんでふべちのしさいにやおよぶべき。只やぶれ」といふ者もあり。又
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しばらくせんぎせられよや」といふ者もあり。そのなかに、さいたふのほふしにつのりつしやがううんと申ける、さんたふいちのいひぐち、だいあくそうなりけるが、もえぎのいとをどしのはらまき、ころものしたにき、たちわきにはさみ、すすみいでて申けるは、「今頼政がでうでうまうしたつるところ、そのいはれなきにあらず。しんよをさきだてたてまつりて、しゆとそしようせらるるならば、ぜんあくおほてをうちやぶりてこそ、こうたいのなもいみじからめ。かつうはまた頼政はろくそんわうよりこのかた、ゆみやのげいにたづさはりて、いまだそのふかくをきかず。ぶげいにおいては、たうしよくたるものをいかがはせむ。しかのみならず、ふうげつのたつしや、わかんのさいじんにて、よにきこゆるめいじんぞかし。ひととせこゐんのおんとき、とばどのにてなかのとののごくわいに、『みやまのはな』といふだいをれんちゆうより
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いだされたりけるを、たうざの事にて有ければ、さちゆうじやうありふさなどきこえしかじんもよみわづらひたりしを、頼政めしぬかれて、すなはちつかまつりたり。みやまぎのそのこずゑともわかざりしにさくらははなにあらはれにけりとよみて、えいかんにあづかりしぞかし。ゆみやとりてもならぶ方なし。かだうのかたにもやさしきをのこにて、さんわうにかうべをかたぶけまゐらせたる者のかためたるもんよりは、いかでかなさけなくやぶりていれたてまつるべき。頼政がまうしうくるむねにまかせて、ひがしおもてのさゑもんのぢんへしんよをかきなほしまゐらせよや」といひければ、「もつとももつとも」と一同して、さゑもんの陣へかきたてまつる。ごじんぼうあさひにかかやきて、日月のひかりちにおちたまへ
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るかとうたがはる。やがてしんよをすすめたてまつりて、さゑもんの陣へぞおしいりける。かんゐんどのへしんよをふりたてまつること、これはじめなり。ぐんびやう、馬のくつばみをならべて、だいしゆしんよをさきとしておしいらむとする間、心よりほかのらうぜきいできたりて、武士のはなつや、じふぜんじのみこしにたつ。じんにん一人、みやじ一人、やにあたりてしぬ。そのほかきずをかうぶる者おほし。かかる間、だいしゆじんにんのをめきさけぶ声、ぼんでんまでもおよぶらむと、をびたたしくぞきこえける。きせんじやうげことごとくみのけいよだつ。大衆しんよをぢんとうにすておきたてまつりて、なくなくほんざんへかへりのぼりにけり。
卅七 かのがううん、訴訟ありてごしらかはのゐんへ参たりけるに、をりふし法皇なんでんにしゆつぎよあり。あるてんじやうびとをもつて、「なにものぞ」とおんたづねあ
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りけるに、「さんぞうつのりつしやがううんと申者にて候」とそうす。「さては山門にきこゆるせんぎしやごさむなれ。おのれがさんもんのかうだうのにはにてせんぎすらむやうに只今申せ。訴訟あらばただちにごせいだんあるべき」よし、おほせくださる。がううんかうべをちにかたぶけて、「山門のせんぎとまうしさうらふは、ことなる事にて候。まづわうのまひをまひさうらふには、おもてがたのしたにてはなをしかむる事の候なるぢやうに、さんたふのせんぎのやうは、だいかうだうのにはに三千人のだいしゆくわいがふして、やぶれたるけさにてかしらをつつみて、にふだうづゑとて、にさんじやくばかりさうらふつゑをめんめんにつきて、みちしばのつゆうちはらひて、ちひさきいしをひとつづつもちさうらひて、そのいしにこしをかけゐならびて候へば、どうじゆくなれどもたがひにみしら
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ぬやうにて候。『まんざんのだいしゆたちめぐられ候へや』とて、訴訟のおもむきをせんぎつかまつりさうらふに、しかるべきをば『もつとももつとも』とどうじ候。しかるべからざるをば『いはれなし』と申候。わがやまのさだまれるほふに候。ちよくぢやうにて候へばとて、ひたかしらにてはいかでかせんぎつかまつりさうらふべき」と申たりければ、法皇きようにいらせおはして、「さらばとくいでたちて参てせんぎつかまつれ」とおほせくださる。がううんちよくぢやうをかうぶりて、どうじゆくじふよにんにかしら
つつませて、しもべのものどもにはひたたれこばかまなどをもつてぞ、かしらをばつつませける。いじやうじふにさんにんばかりひきぐして、御前のあめうちのいしにしりかけて、がううんおのれが訴訟のおもむき、事のはじめよりひととき申たりければ、どうじゆくどもかねてぎしたる
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事なれば、いちどうに「もつとももつとも」とまうしたり。法皇きようにいらせおはして、ごちよくさいたうざにかうぶりたりしがううんとぞきこえし。くらんどのさせうべん、おほせをうけたまはりて、せんれいをではのかみもろなほにたづねらる。「ほうあんしねんみづのとのう七月しんよじゆらくの時は、ざすにおほせてしんよをほんざんへおくりたてまつらる。またほうえんしねんつちのえのむまごじゆらくの時は、ぎをんのべつたうにおほせて、しんよをぎをんのやしろへおくりたてまつる」とかんがへまうしければ、てんじやうにてにはかにくぎやうせんぎありて、「今度はほうえんのれいたるべし」とて、しんよをぎをんのやしろへわたしたてまつるべきよし、しよきやういちどうにまうされければ、ひつじのこくにおよびてかのやしろのべつたう、ごんのだいそうづちようけんをめし、しんよをむかへたてまつるべきよし、おほせくださる。ちようけんまうされけるは、「てんがぶ
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さうのすいしやく、ちんごゑんしゆうのれいしんなり。はくちうにぢんくわいのなかにけたてまゐらせて、たうしやへいれたてまつること、しやうじやうせせくちをしかるべし。わうぼふはこれぶつぽふのかごをもつてこくどをたもち給ふにあらずや。さればむかしにんみやうてんわうのぎよう、こうにんくねん、しよこくききんし、えきれいちまたにおこりて、しにんだうろにみつ。そのときのみかどたみをはぐくみ給ふおんこころざしふかくして、しよじしよさんにおほせて、是をいのらせ給けれども、さらにそのしるしなし。みかどいよいよなげきおぼしめして、えいさんの衆徒におほせて、是をいのるべきよしせんげせらる。さんたふくわいがふして、『このおんいのりいかがあるべかるらむ。昔よりあめをいのりひをいのる事はありしかども、ききんえきれい、たちどころにいのりとどまるれい、いまだうけたまはりおよばず。さればとてじしまうさば、わう
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めいをそむくににたり。しんだいここにきはまれり』といふしゆともあり。又、『仏法のゐげんおろそかならず。ききんなりとも、などかわがやまのいわうさんわうのおんちからにてしりぞきたまはざるべきなれば、ごこくりみんのはうぽふ、きようがいせうぢよのきたうには、にんわうぎやうにすぐべからず』とて、三千人の衆徒、いくどうおんにたんぜいをいたして、こんぽんちゆうだう、だいかうだう、もんじゆろうにして、七ヶ日の間、十四万七千よざのにんわうぎやうをかうどくしたてまつる。くやうはぢしゆじふぜんじのしやだんにてとげられにけり。ころはうづきなかばの事にや、ききんをんびやうにせめられて、おやしぬる者はこなげきにしづみ、こにおくれたるはおやけがれけるによつて、いがきにのぞむ人もなし。ここをもつて、だうしせつぽふのはてがたに、『うづきは
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すいしやくのえんぐわつなれども、へいはくをささぐる人もなし。八日はやくしのえんにちなれども、なむととなふるこゑもせず。あけのたまがきかむさびて、ひくしめなはのあともなし』と申たりければ、衆徒あはれをもよほしつつ、一度にかんるいをながして、ころものそでをぞぬらしける。そのよみかどのごむさうに、『ひえいさんよりてんどうににんきやうへくだりて、あをきおにとあかきおにとのおほくありけるを、びやくほつにてうちはらひければ、きじんどもみなみをさしてとびゆきぬ』とごらんじて、『ほんざんのきせいすでにかんおうして、びやうなんもなほりぬ』とおぼしめす。れいずい有ければ、みかど御夢のしだいをおんじひつにあそばして、ぎよかんのゐんぜんをしゆとの中へくだされたりけるとぞうけたまはる。すなはちこくどをだやかにし
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て、たみのけぶりもにぎはひて、あさなゆふなのけぶりたえせざりければ、みかどふるきうたをつねにえいぜさせたまひけるとかや。たかきやにのぼりてみればけぶりたつたみのかまどはにぎはひにけりかかるめでたくやむごとなきおんがみを、はくちうにざふにんにまじへたてまつりてうごかしたてまつらんこと、こころうかるべし」とまうして、ひすでにくれ、へいしよくにおよびて、たうしやのじんにんみやじまゐりて、みこしをぎをんのやしろへいれたてまつる。およそしんよじゆらくのこと、そのれいをかんがふるに、えいきうぐわんねんよりこのかたすでに六かど也。武士をめしてふせかるることもたびたびなり。しかれどもまさしくしんよをいたてまつること、せんれいなし。今度じふぜんじのみこしにやをいたつること、あさましといふもおろかなり。「人をうらむるかみをうらむれば、くににさいがいおこる」といへり。「只
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てんがのだいじいできなむ」とこそおそれあひけれ。
卅八 十四日に大衆かさねてくだるべきよしきこえければ、よなかにしゆしやうえうよにめして、ほふぢゆうじどのへぎやうがうなる。ないだいじんしげもりいげ、ぐぶのひとびとひじやうのけいごにて、なほしにやおひてぐぶせらる。させうしやうまさかた、けつてきそくたいをき、ひらやなぐひおひてぐぶせらる。内大臣のずいひやうぜんごにうちかこみて、ちゆうぐうは御車にてぎやうけいあり。きんちゆうのじやうげあわてさわぎ、きやうぢゆうのきせんはしりまどへり。くわんぱくいげ、だいじんしよきやう、てんじやうのじしん、みなはせまゐりけり。「さいほうちちの上、しんよにやたち、じんにんみやじやにあたりてしす。衆徒おほくきずをかうぶる上は、今は山門のめつばう、このときなり」とて、おほみやにのみやいげのしちしや、かうだう、ちゆうだう、しよだう、
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いちうものこさずやきはらひて、さんやにまじはるべきよし、三千人いちどうにせんぎすときこえければ、さんもんのじやうかうをめして、しゆとのまうすところごせいばいあるべきよし、おほせくださる。十五日、そうがうらちよくせんをうけたまはりて、しさいを衆徒にあひふれんとてとうざんするところに、しゆとらなほいきどほりをなしておひかへす。そうがうらいろをうしなひてにげくだる。
卅九 院より、「衆徒をなだめられむがために、大衆のうつそをたつすべきよし、ちよくしとして、とうざんすべしと」、おほせくだされけれども、くぎやうの中にもてんじやうびとの中にも、「われしやうけいにたたん」とまうすひとなし。皆じしまうしけるあひだ、へいだいなごんときただ、そのときはさゑもんのかみにてをはしけるを、とうざんすべきよし、おほせくだされければ、ときただしんぢゆうには、「えきなきことかな」とおもはれけれども、「きみの
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おほせそむきがたきうへ、おほくの人の中におぼしめしいりておほせくださるること、めんぼく」とぞんじて、ことにきらめきていでたちたまへり。さぶらひ一人、花ををりてしやうぞくす。ざつしき四人、たうじきにてよろづきよげにてとうざんして、だいかうだうのにはにたたれたり。さんたふの大衆、はちのごとくおこりあひて、ゐんゐんたにだによりおめきさけびてくんじゆするありさま、おびたたしなどはなのめならず。ときただのきやう、いろをうしなひたましひをけして、うちあきれてたたれたりけるに、しゆとら時忠をみて、いよいよいきどほりて、「なにゆゑに時忠とうざんすべきぞや。かへすがへすきくわいなり。既にさんわうだいしのおんかたきなり。すみやかにだいしゆのなかへひきいれて、しやかぶりをうちおとし、あしてをひつぱり、もとどりきりて、みづうみにさかさまにはめよ」と、こゑごゑにののしりけるを
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ききて、ともにありつるさぶらひもざつしきも、いづちかゆきぬらむ、皆にげうせぬ。時忠あやふくおもはれけれども、もとよりさるひとにて、みだれの中のめんぼくとやおもはれけむ、さわがぬていにてのたまひけるは、「しゆとのまうさるるところ、もつともそのいはれあり。ただしひとをそんずるは君のおんなげきたるべき。ひれいをうつたへまうさるるあひだ、ごさいきよちちする事はこくかのほふなり。されども今ごせいばいあるべきよし、おほせくださるるうへは、衆徒あながちにいきどほりをなされんや」とて、ふところよりこすずりをとりいだして、しよしをめしよせてみづをいれさせ、たたうがみをおしひらきて、いつくをかきて、だいしゆのなかへなげいだされたり。そのことばにいはく、「しゆとのらんあくをいたすは、まえんのしよぎやうか。めいわうのせいしをくはふるは、ぜんぜいのかごなり」とぞかかれたりける。
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しよしこのいつぴつをささげて、さしもどどめく大衆のまへごとにひろうす。ある大衆是をみて、「おもしろくもかかれたるいつぴつかな」とて、はらはらとぞなきける。大衆めんめんに、「げんにおもしろくかきたり」とかんじあひて、時忠をひつぱるにおよばず、しずまりにけり。大衆しづまりてのち、山門の訴訟たつすべきよしのせんじをぞひろうせられける。そのときこそ共なりつるものどもも、事がらよげにみえければ、ここかしこよりいできたりて、しゆうをもてなし奉けれ。時忠いつしいつくをもつて、さんたふさんぜんの衆徒のいきどほりをやすめ、ここうをのがれけるこそありがたけれ。さんじやうらくちゆうの人々、かんじあへる事かぎりなし。「山門の衆徒ははつかうのかまびすしきばかりかとこそぞんじつれ。ことわりをもしりたりけるにこそ。いかでかごせいばい
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なかるべき」など、おのおのまうしあひけり。さてときただのきやう、院のごしよへまゐられたりければ、「さても衆徒のしよぎやうはいかに」と、とりあへずおんたづねありけり。時忠、「おほかたともかくもまうすにおよばずさうらふ。たださんわうだいしのたすけさせ給たるとばかりぞんじて、はふはふにげくだりて候。いそぎごさいほうあるべくさうらふ」とそうもんせられければ、このうへは法皇ちからおよばせ給はずして、廿日、かがのかみふぢはらのもろたかげくわんして、をはりのくにへはいるせらるべきよし、せんげせらる。そのじやうにいはく、じゆごゐのじやうかがのかみふぢはらのあつそんもろたか、くわんをときくらゐををはりのくににおふこと。しきじのかみうちゆうべんけんさひやうゑのかみみつよしのあつそんおほす。しやうけいべつたうただまさおほす。うせうべんふぢはらのみつまさ、さだいしをつきのすみもとにおほせて
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くわんぶをつくらしむ。さんぎたひらのよりさだのきやう、せうなごんふぢはらのまさもとら、おんまつりごとごいんくわんぷ。またおほせていはく、けんびゐしうゑもんのさくわんなかはらのしげなり、はやくはいしよへおひつかはすべしてへれば、こんげつじふさんにち、えいさんのしゆと、ひよしのやしろへんしよをささげ、ちよくせいをかろんぜしめ、ぢんちゆうにみだれいらしむるによつて、けいごのともがら、きようたうをあひふせきしあひだ、そのやあやまりてしんよにあたること、はからずといへども、なんぞそのとがをおこなはざる。よろしくけんびゐしにおほせて、たひらのとしいへ、おなじくいへかぬ、ふぢはらのみちひさ、おなじくなりなほ、おなじくみつかげ、たつかひとしゆきらをめして、きんごくせしめたまはるべきものなり。かがのかみもろたかるざい、ならびにしんよをいたてまつるくわんびやうどもろくにんきんごくのこと、こんにちすでに
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せんげしをはんぬ。くだんのあひだのことにつうこれをつかはす。このむねをもつて、さんじやうにひろうせしめたまふべきよし、さうらふところなり。きようきようきんげん。四月廿日 ごんのちゆうなごんふぢはらのみつよししつたうのほふげんごばうへとぞかかれたりける。おつてがきにいはく、きんごくのくわんびやうらがけふみやう、さんじやうにさだめてふしんせしむるか。よつてないないくはしくしりつきのけふみやうをあひたづね、いつつうあひそへられさうらふところなり。きんごくにんら、たひらのとしいへあざなはへいじ、これはさつまのにふだういへすゑがまご、なかづかさのじよういへすけがこ。おなじくいへかぬあざなはへいご、こちくぜんのにふだういへさだがまご、へいないたらういへ
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つぐがこ。ふぢはらのみちひさあざなはかとうだ、おなじくなりなほあざなはさうじふらう、うまのじようなりたかがこ。おなじくみつかげあざなはしんじらう、さきのさゑもんのじようただきよがこ。たつかひとしゆき、なんばのごらうとうなり。かやうにこそはしるされけれ。もくだいもろつねをばびぜんのこくふへながされにけり。
四十 廿八日ゐのときばかりに、ひぐちのとみのこうぢよりひいできたる。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、きやうぢゆうおほくやけにけり。つひにはだいりにふきつけて、しゆしやくもんよりはじめて、おうでんもん、くわいしやうもん、だいこくでん、ぶらくゐん、しよしはつしやう、だいがくれう、しんごんゐん、くわんがくゐん、こくさうゐん、ふゆつぎの
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おとどのかんゐんどの、これたかのみこのをののみや、くわんしようじやうのこうばいどの、むめどの、ももどの、よしあきらのおとどのたかまつどの、ぐへいしんわうのあきをこのみしちくさどの、さんだいのみかどのたんじやうし給しきやうごくどの、ちゆうじんこうのそめどの、せいわのゐんの、ていじんこうのこいちでうのゐん、やまぶきさきしこにでうのゐん、せうぜんこうのほりかはどの、かやのごてん、かうやうゐん、くわんぺいのほふわうのていじのゐん、えいらいのさんゐのやまのゐどの、しうんたちしきんたふの大納言のしでうのみや、しんぜんゑんのとうさんでう、おにどの、まつどの、はとのゐどの、たちばなのいつせい、ごでうのきさきのとうごでう、とほるのおとどのかはらのゐん、かやうのめいしよ三十
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よかしよ、くぎやうのいへだにも十六かしよ、やけにけり。ましててんじやうびと、しよだいぶのいへはかずをしらず、ちをはらひてやけにけり。ひぐちとみのこうぢよりすぢかへにいぬゐのかたをさして、くるまのわばかりなるほむらとびゆきければ、おそろしといふもおろかなり。これただことにあらず。ひとへにえいさんより、さるおほくまつにひをつけて、きやうぢゆうをやくとぞ、人のゆめにみえたりける。だいこくでんはせいわてんわうのおんとき、ぢやうぐわん十八年四月九日はじめてやけたりければ、おなじき十九年正月九日、やうぜいのゐんのおんくらゐはぶらくゐんにてぞありける。
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ぐわんきやう元年四月廿一日ことはじめありて、同三年十月八日にぞざうひつせられける。ごれんぜいのゐんのぎよう、てんき五年四月廿一日に又やけにけり。ぢりやくしねん八月二日ことはじめありて、どうねん十月十日むねあげありけれども、ざうひつせられずして、ごれんぜいのゐんはかくれさせたまひぬ。ごさんでうのゐんのぎよう、えんきう四年十月十日つくりいだして、ぎやうがうありつつえんくわいおこなはる。ぶんじんしをけんじ、がくにんがくをそうす。このだいりはしゐのせうなごんにふだうしんせいちよくせんをうけたまはり、くにのつひえもなくたみのわづらひもなくして、いちりやうねんの
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間にざうひつして、ぎやうがうなしたてまつりしだいり也。今はよの末になりて、くにのちからおとろへて、又つくりいださむ事もかたくやあらんずらむと、なげきあへり。

平家物語第一本