延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版 4の1

平家物語 四(第二中)
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一  法皇とばどのにてつきひをおくりましますこと
二  とうぐうおんゆづりをうけおはします事
三  きやうぢゆうにせんぷうふくこと
四  しんゐんいつくしまへおんまゐりあるべきこと
五  入道いつくしまをあがめたてまつるゆらいのこと
六  しんゐんいつくしまへごさんけいのこと
七  しんていごそくゐのこと
八  よりまさにふだうのみやにむほんをまうしすすむることつけたりりやうじのこと
九  とばどのにいたちはしりまはること
十  平家のつかひみやのごしよにおしよすること
十一 たかくらのみや都をおちましますこと
十二 たかくらのみやみゐでらにいらせたまふこと
十三 げんざんゐにふだう三井寺へまゐることつけたりきほふのこと
十四 三井寺よりさんもんなんとへてふじやうをおくること
十五 三井寺よりろくはらへよせむとする事
十六 だいじやうにふだうさんもんをかたらふことつけたりらくしよのこと
十七 みやせみをれをみろくにまゐらせたまふこと
十八 みやなんとへおちたまふこと付うぢにてかつせんのこと
十九 げんざんゐにふだうじがいのこと
廿  さだたふがうたよみし事
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廿一 みやちゆうせられたまふこと
廿二 なんとのだいしゆせつしやうどののおんつかひおひかへすこと
廿三 だいしやうのしそくさんゐにじよする事
廿四 たかくらのみやのおんこたちのこと
廿五 さきのちゆうしよわうのこと付げんしんの事
廿六 ごさんでうのゐんのみやのこと
廿七 法皇のみこのこと
廿八 よりまさぬへいる事付さんゐにじよせし事
廿九 げんざんゐ入道むほんのゆらいのこと
卅  みやこうつりのこと
卅一 さねさだのきやうまつよひのこじじゆうにあふこと
卅二 入道とうれんをふちしたまふこと
卅三 入道にかうべどもげんじてみゆる事
卅四 がらいのきやうのさぶらひゆめみる事
卅五 うひやうゑのすけむほんをおこす事
卅六 えんたんのほろびし事
卅七 大政入道ゐんのごしよにまゐりたまふこと
卅八 ひやうゑのすけいづのやまにこもる事
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平家物語第二中
一 ぢしようしねんしやうぐわつにもなりぬ。とばどのにはぐわんざんのあひだ、としさりとしきたれども、しやうこくもゆるさず、ほふわうもおそれさせましましければ、こととひまゐる人もなし。とぢこめられさせたまひたるぞかなしき。とうぢゆうなごんしげのりのきやう、さきやうのだいぶながのり、兄弟二人ぞゆるされて、さんぜられける。ふるく物などおほせあはせられし、おほみやのたいしやうこく、さんでうのないだいじん、あぜちのだいなごん、なかやまのちゆうなごんなどまうしし人々もうせられにき。ふるき人とては、さいしやうなりより、みんぶきやうちかのり、さだいべんのさいしやうとしつねばかりこそおはせしかども、「このよのなかのなりゆくありさまをみるに、とてもかうてもありなむ。てうていにつかへて
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みをたすけ、さんこうきうけいにのぼりてもなにかはせむ」とて、たまたまよあうをまぬかれたまひし人々も、たちまちにいへをいで、よをのがれて、あるいはかうやのくもにまじはり、おほはらのべつしよにきよをしめ、あるいはだいごのかすみにかくれ、にんわじのかんきよにとぢこもりて、いつかうごしやうぼだいのいとなみよりほかはふたごころなく、おこなひすましてぞおはしける。昔しやうざんのしかう、ちくりんのしちけん、これあにはくらんせいてつにして、よをのがれたるにあらずや。中にもしげよりのきやう、このことどもをききつたへては、「あはれ、心とうもよをのがれにけるものかな。かくてきくもおなじことなれども、よにたちまじはりてまのあたりみきかましかば、いかばかりかこころうからまし。ほうげんへいぢのらんをこそあさましとおもひしに、よの末になれば、ますますにのみなりゆくめり。こののちまた
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いかばかりの事かあらんずらん。雲をわけつちをほりても、いりぬべくこそおぼゆれ」とぞのたまひける。よのすゑなれども、ゆゆしかりし人々也。廿八日に、とうぐうのおんはかまぎ、おんまなきこしめすべしなど、花やかなることども、せけんにはののしりけれども、法皇はおんみみのよそにきこしめすぞあはれなる。二 二月十九日にとうぐうおんゆづりをうけさせ給ふ。今年わづかに三歳にぞならせ給ふ。いつしかと人思へり。せんていもことなるおんつつがもをはしまさぬに、をしおろし奉らる。是は大政入道ばんじ思ふさまなるがいたすところなり。らうしきやうにいはく、「へうふうあしたをおへず。しゆうはひをおへず」といへり。へうふうとはときかぜなり。しゆうとは〔あらしの〕あめ也。いふこころは
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「とくするものはちやうずる事あたはず。にはかにするものはひさしきことあたはず」といへり。「このきみとく位につかせたまひて、とく位をやしりぞかせ給はむずらむ」と、人ささやきあへり。そくゐげんぶくのこと、わがてうに二歳三歳のれいなし。よつてがうちゆうなごんにかんかのれいをとはる。中納言せうそくをもつてまうさる。そのじやうにいはく、
「ちよさいになつてもつてまつりごとをきく、しうのせいわうこれなり。たいこういだいてもつててうにのぞむ、しんのぼくていこれなり。せいわう三才にしてくらゐにつき、ぼくてい二才にしてくらゐにつくなり」とうんうん。ここにとしのりかんもんをもつてまうさく、「( )とばのゐんのいはく、せいわうさんさいにしてそくゐげんぶくのよし、がうちゆうなごんまうすでう、きはめたるひがことなり。いつさいしよけんなし。十二
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歳にしてげんぶくなり」とうんうん。やまとのしんじともなり、ないないこのことをききてまうしけるは、「としのり、いつさいさることなしとまうしきるでう、たつときばんくわんのとしよ、しかしながらみつくしてけりとかくごせらる。ただしがうちゆうなごんのまうさるること、やうこそ有らめとさしおくべきか」とうんうん。じやうしひろくといふふみは、がうちゆうなごんのいつぽんのしよなり。よけにこれなし。くだんのしよにせいわう三才にしてそくゐのよし、これあり。としのり、しらざるなりとまうさるる、もつともしかるべし。しきに、「成王をさなくしてきやうほうのなか」とうんうん。これらをみてまうさるるか。成王は三才にして即位、ぼくていは二才にしてそくゐげんぶくなり。ちよさいはしうこうたん也。あるひとだいじやうにふだうのこじうと、へいだいなごんときただのきやうのもとへ
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ゆきむかひて、「京都にこざかしきじんどものあつまりてないないまうしさうらふなるは、『このきみのおんくらゐあまりにはやし。いかがわたらせ給はむずらむ』と、そしりさたつかまつりさうらふなるは」と申ければ、ときただのきやうふくりふしてまうされけるは、「なにしかは、この御位をいつしかなりと、人おもふべき。ひそかにせんぎをうかがひはるかにばうれいをたづぬるに、いこくにはしうのせいわう三才、しんのぼくてい二才、おのおのきやうほうの中につつまれて、いくわんをただしくせざりしかども、あるいはせつしやうおひて位につき、あるいはぼこういだきててうにのぞむといへり。なかんづく、ごかんのかうやうくわうていはうまれてひやくよにちののちにせんそありき。わがてうにはまたこんゑのゐん三才、ろくでうのゐん二才、皆てんしの
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位をつぎ、ばんじようの君とあふがれ給ふ。、せんじようわかんかくのごとし。ひともつてあながちにかたぶけまうすべきやうやはある」とて、へいだいなごんおほきにしかられければ、そのときのいうしよくの人々は、「あなおそろし。ものいはじ。さればそれはよきれいにやはある」とぞ、つぶやきあはれける。とうぐうおんゆづりをうけさせたまひにければ、ぐわいそぶぐわいそぼとて、にふだうふさいともにさんごうになずらふるせんじをかうぶりて、ねんくわんねんしやくをたまはりて、じやうにちの者をめしつかはれければ、ゑかきはなつけたるさぶらひしゆつにふして、ひとへにゐんぐうのごとくにぞ有ける。しゆつけにふだうののちも、えいえうはつきせざりけりとみえたり。出家の人のじゆんさんごうのせんじをかうぶる事は、ほごゐんのおほにふだうどのの
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ごれいなり。「それもいちのひとのごれいなずらへがたくや」とぞ人申ける。かやうに花やかにめでたき事は有けれども、よのなかはをだしからず。三 廿九日さるのこくばかりに、京にせんぷうおほきにふきて、いちでうおほみやよりはじめて東へ十二町、とみのこうぢよりはじめて南へろくちやう、なかのみかどより東へいつちやう、きやうごくをくだりに十二町、四条を西へ八丁、にしのとうゐんわたりにてとどまりぬ。そのあひだにでんしやの門々、ざふにんの家々、ついがき、つつゐをふきたをしふきちらすありさま、このはのごとし。馬、人、牛、車などをふきあげて、おちつくところにてしぬる者多し。「昔も今もためしなき程のもつけ」とぞ人々申あひける。
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四 三月十七日、しんゐん、あきのいちのみや、いつくしまのやしろへごかうなるべきにてありけるが、とうだいじ、こうぶくじ、さんもん、みゐのだいしゆ、京へうちいるべきよしきこえて、きやうぢゆうさわぎければ、ごかうにはかにおぼしめしとどまらせたまひにけり。「ていわうくらゐをさらせをはしましてのち、しよしやのごかうはじめには、はちまん、かも、かすが、ひらのなどへごかうありてこそ、いづれのやしろへも御幸あれ。いかにして西のはてのしまぐににわたらせたまふやしろへ御幸なるやらむ」と、人あやしみ申ければ、またひとまうしけるは、「しらかはのゐんは位をさらせたまひてのち、まづくまのへごかうありき。法皇はひよしへ参らせ給。せんれいかくのごとし。既にしりぬ、えいりよにありといふことを。そのうへご
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しんぢゆうに深きごぐわんあり。又むさうのつげもあり」なむどぞおほせありける。このいつくしまのやしろをばにふだうしやうこくしきりにあがめ奉られけり。かのやしろにないしとてありけるぶぢよまでも、もてなしあいせられけり。五 入道ことにいつくしまをあがめたまひけるゆらいは、とばのゐんのぎよう、あきのかみたりし時、「かのくにをもつてかうやのだいたふをざうしんすべし」と、院よりおほせくだされたりければ、わたなべたうにゑんどうろくよりかたといひけるさぶらひにおほせて、ろくかねんにことをはりてくやうをとげをはんぬ。そのとき、かうべには雪ににたるしらがをいただき、ひたひにはしかいの波をたたみ、まゆにははちじのしもを
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たれ、腰にはあづさの弓をはりて、はとづゑにすがれる、はちじふいうよのらうそうあり。へいざゑもんのじよういへさだをよびいだしてのたまひけるは、「やや、さゑもんどの。ごへんのしゆうのあきのかみどのは、あはれゆゆしきひとかな。このそうげんざんに入ぬ給へ」とのたまひければ、いへさだ、あきのかみにこのよしまうす。きよもり、ただひとにあらずとや思はれけむ、むしろたたみをしかせ、しやうぞくただしくして、いであひてげんざんしたまふ。このらうそうのたまひけるは、「やや、あきのかみどの、このやまのだいたふざうしんの事こそ、かぎりなくうれしけれ。みたまふがごとく、日本ひろしといへども、みつしゆうをひかへてちやうじつのつとめおこたらぬ事は、このやまにすぐるところなきぞ。ただしまたやうのあらんずるは
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いかに。ゑちぜんのくにけひのやしろはこんがうかいのかみなり。ほくろくだうはちくしやうこくにして、あらちのなかやまがちくしやうだうのくちにてあるぞ。さればけひだいぼさつ、これをあはれみたまひて、つるがのつにあとをたれて、『わくわうどうぢんのちからをそへ、われにちぐうせむ者をみちびけ』といふぐわんをたててをはします。そのぐわんすでにじやうじゆして、けひのやしろはさかりにおはします。ごへんのこくむのところ、あきのくにいつくしまのだいみやうじんはたいざうかいのかみなり。さればけひ、いつくしまのやしろはりやうがいの神にておはします。いつくしまのやしろ、既にはゑしをはんぬ。ごへん、にんをまうしのべてざうしんし給へ。ざうしんしつる者ならば、官位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじきぞ」とのたまへば、清盛、
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「かしこまりて」とおんぺんじ申す。らうそうおほきによろこびて、ころもの袖を顔におしあてて、かんるいをながしてたちたまひぬ。あきのかみ、ただひとにいまさずとみたてまつりて、いへさだをまねきよせて、「この老僧のいりたまはむ所、みおきたてまつりて帰れ。そうにはみえたてまつるべからず」とのたまひければ、いへさだ老僧のおんうしろにつきて、かくれかくれゆくほどに、さんぢやうばかりゆきてのち、老僧たちかへりてのたまひけるは、「ややへいざゑもんどの、なかくれそ。我はわどののみおくりたまふをばしりたるぞ。近くよれ。いふべき事あり」と宣へば、平左衛門ちからおよばずして、参てかしこまりてさうらふところに、老僧のたまひけるは、「ごへんのしゆうのあきどのは、哀れ、いみじきひとかな。いつくしまのやしろざうしんしつる者ならば、
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位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、かきけつやうにうせたまひぬ。家貞このよしをあきのかみに申せば、清盛、「さてはいちごごさむなれ。子孫あひつぐまじかむなるこそ心うけれ。たうざんにてごしやうぼだいのいのりの為、ぜんごんをしゆせばや」とて、やがてさいまんだら、とうまんだらとて、ふたつのまんだらをかきたてまつる。とうまんだらをば、法皇のめしつかはせたまひけるじやうめう、是をかきたてまつる。さいまんだらをば清盛じひつにかきたてまつるとて、はちえふのくそんをば、わがなづきのちをいだしてかきたてまつり、まんだらだうをつくりてをさめまゐらせけり。そののち京へ帰りのぼりて、だいしの老僧にげんじておほせらるるむね、つぶさにそうもんしければ、「いつくしまのやしろ
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ざうしんすべし」とて、にんをのべられて、ちやうにんのこくむとして、やしろをざうしんし給。三ケ年のうちにひやくにじつけんのくわいらう、ならびにせうじんせうじんのとりゐとりゐをたてならべ、ごせんぐう有けるに、だいみやうじん、ないしにうつりてごたくせん有けるは、「なんぢしれりやいなや、ひととせかうやのこうぼふをもつてつげしめき。わがやしろはゑするあひだ、ざうしんすべきよし、おほせふくめき。かひがひしくざうしんしたる事、かへすがへすしんべうなり。このよろこびにゆふさりつるぎをあたへむずるぞ。てうのおんまもりとなるものは、せつとといふつるぎをたまはる。わがあたへたらむ剣をもつならば、わうのおんまもりとして、つかさくらゐ、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、ごんげん、あがらせたまひにけり。清盛は
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「只おほかたのものつきのことばぞ」と思て、あながちにしんをいたさざりけるに、そのよのやはんばかりに、「いつくしまのだいみやうじんより、しろかねのひるまきしたるこなぎなたをたまはりて、枕にたつる」と夢にみて、うちおどろき、枕をさぐりたまへば、うつつにしろかねのひるまきしたるこなぎなた、枕のかべに有けり。さてこそあきのかみ、大明神のげんべんのあらたなる事をおほせて、しんをとりたまひうやまひたてまつることをこたらず。しそくきやうだいにいたるまで、大臣、だいしやうにあがり、てうおんにあきみち給へり。かかりければ、うへにはごどうしんのよしにて、したには「みやうじんのおんぱからひにて、入道むほんの心もやはらぎやする」とおぼしめして、ごきせいの為に、はちまん、かもよりも先に、いつくしまへ
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まゐらせたまふともいへり。是は法皇のいつとなくうちこめら
れてわたらせたまふおんことを、なげきおぼしめしけるあまりにや。さるほどに山門、南都のだいしゆもしづまりにければ、いつくしまごかうとげさせおはしますべしときこえけり。
六 十八日、かねておぼしめしまうくる事なれども、ひごろはおんことばにもいださせ給はざりけるが、にはかにおぼしめしいづるやうにて、そのよひになりて、さきのうだいしやうをめして、「あすびんぎにてもあれば、とばどのへまゐらばやとおぼしめすはいかに。しやうこくにはしらせずしてはあしかりなむや」とおほせもあへず、おんなみだのうかびければ、だいしやうもあはれにおもひたてまつりて、「なにかはくるしくさうらふべき」
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とまうされければ、よによろこばしげにおぼしめして、「さらばとばどのへそのけしきまうせ」とおほせありければ、だいしやういそぎまうされたり。法皇なのめならずよろこびおぼしめして、「あまりにおもひつる事なれば、夢にみるやらむ」とまでおぼしめされけるぞかなしき。十九日、だいじやうにふだうのにしはつでうのしゆくしよより、いまだよぶかくいでさせ給ひ、やよひのとをかあまりの事なれば、かすみにくもるありあけの月の光もおぼろに、くもぢをさしてきがんのとほざかりゆく声々も、をりからことにあはれなり。おんとものくぎやうには、ごでうのだいなごんくにつな、とうだいなごんさねくにきんのりそく、さきのうだいしやうむねもり、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちか、しでうのだいなごんたか
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ふさたかすゑそく、うちゆうべんかねみつすけながそく、くないのせうむねのりのりいへそくとぞきこえし。御船にじつそうときこゆ。とばどのにてはかどよりおりていらせ給。はるのかげすでにくれなむとして、なつこだちにもなりにけり。のこんのはなのいろおとろへて、みやのうぐひすこゑおいたり。こみやの物さびしきけしきなれば、かどをさしいらせたまふより、御涙ぞすすみける。こぞの正月四日、てうきんの為に七条殿へごかうなり〔し〕事おぼしめしいでて、よのなかは只皆夢の如くなりけり。しよゑぢんをひき、しよきやうれつにたち、がくやにらんじやうをそうし、ゐんじのくぎやうさんかうして、まんもんをひらき、かもんれうえんだうをしき、ただしかりしぎしきひとつもなし。しげのりの
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ちゆうなごんまゐりむかひまゐらせて、けしきまうされければ、しやうくわういらせたまひにけり。法皇も上皇も御目を御覧じあはせて、物をばおほすることなし。ただおんなみだにのみむせばせ給ふ。少しさしのきてあまぜ一人さうらひけるも、りやうしよのおんありさまをみたてまつりて、うつぶして涙を流す。ややしばらく有て、法皇おん
なみだをおしのごはせたまひて、「さるにても、これはいかなるごしゆくぐわんありて、はるばるとおぼしめしたつにか」と申させ給ければ、しやうくわう「深くおもひきざすむねさうらふ」とばかり申させ給て、はじめのごとくおんなみだのうかびければ、「あはれ、さればこそわがことをいのりまうさせ給はむとてよ」と、ごとくしん有けるに、いとどかなしくおぼしめして、
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法皇もおんなみだにむせばせ給。ぎよいの袖もおんじやうえの袖も、しぼるばかりにぞみえさせたまひける。むかしいまのおんことども、たがひにまうしかよはせたまふほどに、ひをかさねよをあかすとも、つくすべからず。よろづおんなごりをしくおぼしめして、とみにもたたせ給はず。しやうくわうはごたいめんの御事を、よくよくよろこびまうさせ給ふ。今年ははたちにみたせ給ふ。おんものおもひにつきひをかさねて、少しおもやせてわたらせたまふにつけても、おんかぶりぎはよりはじめて、あてにうつくしく、おんおもかげさやかならぬつきかげにはえて、いときよげなるおんびんぐきほこらかにあいぎやうづきて、おんじやうえの袖さへあさつゆにしほれにけるも、いとど
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らうたく、こにようゐんににまいらせさせたまひたれば、昔のおんおもかげおぼしめしいでられて、あはれにぞおぼしめされける。「今一度みまいらせずして、いかなる事もやとこころうくさうらひつるに」とて、上皇たたせ給へば、法皇はおんなごりつきせずおぼしめしけれども、ひかげもたかくなれば、「しばし」とも申させ給はず。なにとなきやうにもてなさせ給へども、おんなみだのさうがんにうかばせたまひて、御袖もしほれければ、しるくぞみえさせ給ける。人々も皆たもとをかへし、涙をのごはる。上皇は法皇のりきゆうのこてい、いうかんのじやくまくたるおんすまゐを、おんこころぐるしくみおきまいらせ給へば、法皇は
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又上皇のりよはくのかうきゆう、船のうち、なみの上のおんありさまをいたはしく、誠にそうべうのはちまんかもをさしおきたてまつりて、都をたちはなれ、やへのしほぢをしのぎつつ、はるばるとあきのくにまでおぼしめしたちけむおんこころざしのふかさをば、いかでかしんめいのごなふじゆもなからむ。ごぐわんじやうじゆうたがひなしとぞおぼえし。法皇はしづかにたたせたまひて、ちゆうもんのれんじより、おんうしろのかくれさせたまふまで、のぞきまゐらせをはします。しげのり、ながのり二人のきやう、もんまで参りたまひて、おんこしのさうにさうらはれければ、しやうくわうひそかに、「人こそおほくあれ、かやうに近くつかまつりたまふこそほんいなれ。おんいのりはまうすべし」とおほせありければ、おのおのかしこまりて、かり
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ぎぬの袖をしぼりて、きさんせられにけり。なんもんにみふねまうけたりければ、ほどなくうつらせたまひにけり。おんおくりの人々は是より帰りたまひぬ。あきのくにまで参るくぎやうてんじやうびとは、おのおのじやうえにて参りまうけたり。さきのうだいしやうのずいひやう、ことにきよげにいだしたてて、すひやくきにおよべり。廿六日にいつくしまにごさんちやく。いちにちとうりうありて、ほつけゑおこなはる。ぶがくなどありき。けんじやうおこなはれて、かんぬしさへきのかげひろ、あきのこくしふぢはらのありつね、たうしやのべつたうそんえい、皆くわんどもなりにけり。しんりよにもさうおうし、入道の心もやはらぎぬとぞみえし。さてくわんかうなりにけり。四月七日、しんゐんいつく
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しまのくわんぎよのついでに、大政入道のふくはらへいらせたまふ。八日、けんじやうおこなはれて、入道の孫うちゆうじやうすけもり、じゆしゐのじやう、やうじたんばのかみきよくに、じやうごゐのげにじよす。今日やがてふくはらをいでさせをはします。てらえにおんとどまり有て、九日、京へいらせをはします。おんむかへの人々はとばのくさづへぞまゐられける。くぎやうには、うだいじんきんよしこうのおんそく、うのさいしやうちゆうじやうさねもり一人也。かんぬしをはじめておほうちへせんかうありければ、くぎやう皆それへまゐりたまふとて、只一人とぞきこえし。そのほか、てんじやうのじしん五人ぞ参りたりける。いつくしまへまゐりつる人々はふなつにとどまりて、さがりて京へいりたまひにけり。
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七 廿二日、しんていごそくゐあり。ごそくゐはだいこくでんにておこなはるることなれども、きよきよねんやけにしかば、ごさんでうのゐんごそくゐ、ぢりやくしねんのれいにまかせて、くわんちやうにておこなはるべきにて有けるを、うだいじんはからひまうさせたまひけるは、「くわんちやうはぼんにんにとらばくもんじよ也。だいこくでんなからむ上は、ししんでんにて」、ごそくゐあり。「かうほうしねん十一月十一日、れんぜいのゐんのごそくゐ、ししんでんにてありし事は、ごじやけによつて、だいこくでんへごかうかなはざりしゆゑなり。そのれいいかがあるべかるらむ。ただまぢかくは、ごさんでうのゐんのかれいにまかせて、だいじやうくわんちやうにてあるべきものを」とまうさるる人々をはしけれども、右大臣はからひまうさるる
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むね、さうなかりければ、しさいにおよばず。ちゆうぐうこうきでんよりじじうでんへうつらせたまひて、たかみくらへまゐらせたまひけるおんありさま、いふかたなくめでたし。されどもひそかごとにさまざまのさとしども有けるとかや。平家の人々は、むねもりのきやうはごかうぐぶせられぬ。こまつのおとどのきんだちは、しげもりうせたまひにしかば、これもり、すけもり、きよつねなど皆ぢゆうぶくにて、ろうきよし給へり。ほいなかりしことなり。うひやうゑのかみとももりのきやう、くらんどのとうしげひらのあつそんばかりぞ、しゆつしせられたりける。こうてうにくらんどのうゑもんのごんのすけさだなが、きのふのごそくゐの事にゐらんなく、めでたかりしよし、こまごまと四五枚にかきつづ
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けて、二位殿へまゐらせられたりければ、しやうこく、にゐどのはえみをふくみてぞおはしける。八 いちゐんだいにのみこ、もちひとのわうとまうすは、おんはははかがのだいなごんすえなりのきやうのおんむすめとかや、さんでうたかくらのごしよに渡らせたまひければ、たかくらのみやとぞ申ける。さんぬるえいまんぐわんねん十二月六日、おんとし十五とまうししに、くわうだいこうくうのこんゑがはらのごしよにてしのびて、ごげんぶくありしが、おんとしさんじふにならせたまひぬれども、いまだしんわうのせんじをだにもかうぶらせ給はず。おんしゆせきなどうつくしくあそばして、わかんのさいひいでたまへるじんにてをはせしかば、「位にもつき
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ましましたらば、まつだいのけんわうとも申べし」などまうす人々有けれども、このよにはけいしにてうちこめられさせたまひて、花のもとの春のあそびには、しんぴつおろして、てづからぎよせいをかき、月の前の秋のえんには、ぎよくてきをふきて、みづからがいんをあやつり、しいかくわんげんに御心をなぐさめてぞすごさせ給ける。四月十四日、よふけひとしづまりて、げんざんゐにふだうよりまさ、ひそかにまゐりて申けるは、「君はてんせうだいじんしじふはちだいのごべうえい、だいじやうほふわうだいにのわうじなり。たいしにもたち、帝位にもつかせたまふべきに、しんわうのせんじをだにもゆるされ給はで、既に三十にならせたまひぬ。こころうしとはおぼしめさぬか。
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平家栄花既にみに余り、あくぎやうとしひさしくなりて、只今ほろびなむとす。つらつらことのこころをあんずるに、ものさかりにしておとろふ、つきみちてかく。これてんのみちなり。じんじにあらず。ここにきよもりにふだう、ひとへにぶようのゐをふるひて、たちまちにくんしんのれいをわする。ばんじようそんかうのきみをもおそれず、さんたいてうにんのしんにもはばからず。ただあいぞうのこころにまかせて、みだりがはしくだんかつのけいをとる。にくむところはさんぞくをほろぼし、よみするところごしゆうをてらす。おもひをいつしんのしんぷにたくましうす。そしりをばんにんのしんぼつにかく。てんのせめすでにいたり、じんばうはやくそむく。ときをはかりてせいをたつるは、ぶんのみちなり。ひまにのりて、かたきをうつは、へいのじゆつなり。よりまさそのうつはものにあらざるによつて、そのじゆつにまどへりといへども、ぶりやくいへにうけ、へいはふみにつたふ。つらつらりくせんのぎをかへりみて、いまひつしようのほふをあんずるに、おのれにくはへてやむことをえず。これをようへいといふ。あらそひうらみて
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せうなるがゆゑに、かたずして、ふんぬとす。これをふんぺいといふ。とちをりしてくはほうをもとむ。これをたんへいといふ。こくかのたいなるをたのんで、たみのしゆうををごる。これをけうへいといふ。このたぐひみなぎをそむきれいをそむく。かならずやぶれかならずほろぶ。らんをすくひぼうをちゆうす。これをぎへいといふ。このたぐひすでにみちにかなひほふにかなふ。ももたび戦て百び勝つ。かみはてんいにおうじ、しもはちりをう。ぎへいをあげてげきしんをうちて、ほふわうのえいりよをなぐさめたてまつり、ぐんしんのゑんばうをえらばれんこと、もつぱらこのときにあり。ひをふべからず。いそぎりやうじをくだされて、はやくげんじらをめすべし。なかんづくさうこくさうじやうをかんがへたるに、へいたうめつばうすべし。きげんじゆんじゆく、時をえたり。そのゆゑはねんがうぢしようの二字、ともにさんずい也。中にも承の字をみるに、さんずいとかけり。かたのさまにも、宮のおんともまうして、げきとをしりぞけんずる入
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道、又みづのせいなり。入道じやうかい、うだいしやうむねもり、ふしともにひのせいなり。しちすいをもつて、などかりやうくわをけさざるべき」と申ければ、「このことしんしやうのしごく、てんがのちんじなり。ひとへにふげんをしんじて、しりよなきににたれども、いませんせつするところ、すでにへいはふをえて、よくじんりをわきまへり。ぶんぶことことなれども、つうだつのむねおなじ。あざけつてえきなし。昔、びしいんをさりてしうにいる。きやうはくそにそむきてかんにきす。しうぼつたいわうをむかへて、せうていをしりぞけ、くわくくわうかうせんをたつとびて、しやういふをはいす。これみなそんばうのしるしとみて、はいきようのことをみる。いかがせむ」とおぼしめされけるに、入道かさねて申けるは、「このときいかにもおんぱからひなくは、いつをかごせさせたまふべき。とくとくおぼしめしたつべし。つつみすご
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させたまふとも、つひにあんをんにてはてさせ給はむ事ありがたし。もしさやうにもおぼしめしたたば、入道も七十に余りさうらへども、などかはおんともつかまつらざるべき。よろこびをなして参らむずる者こそ多く候へ」とてまうしつづく。「きやうとには、ではのはんぐわんみつのぶがこ、いがのかみみつもと、ではのくらんどみつしげ、げんはんぐわんみつなが、ではのくわんじやみつよし。くまのには、ためよしがこじふらうくらんどよしもり。つのくにには、ただのくらんどゆきつな、ただのじらうともざね、おなじくさぶらうたかより。やまとのくにには、うののしちらうちかはるがこ、うののたらうありはる、おなじくじらうきよはる、おなじくさぶらうよしはる、おなじくしらうなりはる。あふみのくにには、やまもと、かしはぎ、にしごり、ささきがいつ
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たう。みのをはりのりやうごくには、やまだのじらうしげひろ、かはべのたらうしげなほ、おなじくさぶらうしげふさ、いづみのたらうしげみつ、うらののしらうしげとほ、あじきのじらうしげより、そのこたらうしげすけ、おなじくさぶらうしげたか、きだのさぶらうしげなが、かいでんのはんぐわんだいしげくに、やしまのせんじやうただとき、おなじくやしまのとききよ。かひのくにには、へんみのくわんじやよしきよ、おなじくたらうきよみつ、たけたのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、やすだのじらうよしさだ、いちでうのじらうただより、いたがきのじらうかねのぶ、たけたびやうゑありよし、おなじくごらうのぶより、をがさはらのじらうながきよ。しなののくにには、をかだのくわんじやちかよしがこ、をかだのたらうしげよし、ひらがのくわんじやもりよし、おなじくたらうよしのぶ、
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たてはきのせんじやうよしかたがこ、きそのくわんじやよしなか。いづのくにには、ひやうゑのすけよりとも。ひたちのくにには、ためよしがこよしともがやうじ、さぶらうせんじやうよしのり、さたけのくわんじやまさよし、おなじくたらうよしすゑ。むつのくにには、よしともがばつし、くらうくわんじやよしつね。これらはみなろくそんわうのべうえい、ただのしんぼちまんぢゆうがこういんなり。だいしゆをもふせき、きようどをもしりぞけ、てうしやうにあづかり、しゆくばうをもとげし事は、げんぺいりやうししようれつなかりしかども、たうじはうんでいのまじはりをへだてて、しゆうじゆうのれいよりもはなはだし。わづかにかひなきいのちをいきたれども、国々のたみひやくしやうとなりて、ところどころにかくれゐたり。国にはもくだいにしたがひ、しやうにはあづかりどころにつかへ、くじざふえきにかりたてられて、
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よるもひるもやすきことなし。いかばかりかはこころうくさうらふらむ。きみおぼしめしたちてりやうじをだにくだされさうらはば、皆夜をひにつぎてうちのぼり、平家をほろぼさむ事、にちこくをめぐらすべからず。平家をほろぼして、法皇のうちこめられておはします御心をもやすめ奉らせたまひなば、かうのいたりにてこそさうらはめ。しんめいも必ずめぐみをたれたまふべし」など、こまごまと申ければ、このこといかがあるべかるらむと、かへすがへすおぼしめされけれども、せうなごんこれながと申ける人は、あこまるのだいなごんむねみちのきやうのまご、びんごのせんじすゑみちのこ也。めでたきさうにんにてをはしければ、時の人、さうせうなごんとぞ申ける。そのひとのこのみやをば、「位につきたまふべきさうをは
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します。てんがのことおぼしめしはなつべからず」とまうししかば、「しかるべき事にてこそ有らめ」とおぼしめして、りやうじをしよこくへおぼしめしたちたまひにけり。かのりやうじにいはく、
「くだすとうせんとうかいほくろくさんだうしよこくのぐんびやうとうのところ
はやくきよもりほふしならびにじゆうるいほんぎやくのともがらをついたうせらるべきこと
みぎさきのいづのかみじやうごゐのげかうみなもとのあつそんなかつな、さいしようしんわうのちよくせんをうけたまはるにいはく、きよもりほふしならびにむねもりら、ゐせいをもつてていわうをほろぼし、きようどをおこしてこくかをほろぼす。ひやくくわんばんみんをなうらんして、ごきしちだうをりやくりやうす。くわうゐんをへいろうし、しんこうをるざいす。かだましくくわんしよくをうばひて、ほしいままにてうしようをぬすむ。
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これによつて、ぶぢよはきゆうしつにとどまらず、ちゆうしんはせんとうにつかへず。或はしゆがくのそうとをいましめ、ごくしやにしうきんし、あるいはえいさんのけんまいをもつて、むほんのらうにあつ。ときにてんちことごとくかなしみ、しんみんみなうれふ。よつていちゐんだいにのみこ、かつうはほふわうのいうきよをやすめたてまつらんがため、かつうはばんみんのあんどをおぼしめすによつて、むかしじやうぐうたいし、もりやのげきしんをはめつせしがごとく、ほんぎやくのいちるいをちゆうして、むかのしかいををさむるなり。しかればすなはち、げんけのともがら、かねてはさんだうしよこくのぶようのやから、よろしくよりきをげんめいにくはへて、ちゆうばつをきよもりにいたすべし。もししゆこうあらんにおいては、ごそくゐののち、あておこなはるべきなりてへれば、せんによつてこれをおこなふ。ぢしようしねんしぐわつぴ いづのかみじやうごゐのげみなもとのあつそん
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きんじやう さきのうひやうゑのすけどの」とぞくさだされける。
しんぐうの十郎をめして、「りやうじをもちてよりともがもとへくだれ」とおほせくだされければ、「ちよくかんのみにて候へば、かなひ候まじ」と申せば、「そのいはれあり」とて、しんぐうのじふらうをくらんどになされて、よしもりとなのりけるをかいみやうして、ゆきいへとなのらせけり。よつてしんぐうのじふらうくらんどゆきいへ、たかくらのみやのりやうじをたまはりて、ぢしようしねん四月廿八日にひそかに都をいでにけり。おなじき五月八日、いづのほうでうへくだりつきて、ひやうゑのすけにみやのりやうじをたてまつる。兵衛佐、この令旨をたまはりて、国々のげんじらにせぎやうせらる。そのじやうにいはく。
さいしようしんわうのちよくめいをかうぶるにいはく、とうせんとうかいほくろくだうのぶようにたへん
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ともがらめしぐして、りやうじをまもりて、よういをらくやうにいたすべしてへれば、きんごくのげんじら、さだめてさんかしたてまつらむか。ほくろくだうのようじらは、せたのへんにさんかうせしめて、しやうらくをあひまちて、らくちゆうにぐぶせらるべきなり。しんわうのおんけしきによつて、しつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ さきのうひやうゑのごんのすけみなもとのあつそん
九 いちゐんは、「なりちかなりつねが如く、とほきくにはるかのしまにもはなちうつされむずるやらむ」とおぼしめしける程に、せいなんのりきゆうにとぢられて、春もすぎ、夏もなかばにたけにけり。五月十二日、法皇常よりも御心すみわたりて、いつものおんつとめながらおんきやうをあそばしければ、はちくわんふげん
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ぼんにかからせたまひける時、いづくよりきたりけるやらむ、いたちおんまへににさんべんばかりはしりまはりて、ぎきめきなきて、法皇を守らへまゐらせてうせにけり。是を御覧ぜらるるに、いよいよおんこころぼそくて、「きんじうてうるいのなかにぜんあくせんべうをしめすもの多し。かれはあくにかたどれるせんさうをしめすけだものなり。このうへにわがみいかなるうきめをみんずらむ。まことにとほきくにはるかのうみへもやはなたれむずらむ。ねがはくはふげんだいし、じふらせつによ、こんじやうごしやうたすけさせ給へ」と、御涙をうかべてごきねんありける程に、とのもんのかみみつとほ、そのときにげんくらんどなかかぬとまうしけるが、余りにおぼつかなくおもひまゐらせて、しのびてとばどのへまゐり
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たりければ、御前には人一人も候はず。なかかぬをめして、「只今かかる事ありつ。いかやうなる事やらむと、やすちかにありのままにかんなぎつかまつりて奏すべし」とごぢやうありて、そのうらかたをたまはりたりければ、なかかぬやがておほせをうけたまはりて、都へはせかへりて、おんやうのかみやすちかに是をいそぎかたりければ、やすちか、せいめいさうでんのしゆじゆのひしよを開て、ぼくぜいして、うちえみたるけしきして申けるは、今さんがにちのうちにおんよろこびとそうもんしたまふべきよしを申けり。なかかぬ、又とばどのへ参て、このよしをそうもんしければ、「いちだうの者はけうまんなきこそうるはしけれ。なにごとのよきことかあるべき。わがこころをなぐさめむとて、かやうにまうすやらむ」と、法皇おぼしめされける程に、おなじき十五日
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に、とばどのよりれいのぐんびやう多くぜんごさうにうちかこみて、はちでうからすまるのごしよへごかうなし奉る。これは、うだいしやうむねもりしきりになげきまうされければにやらむ、入道やうやくおもひなほりて、かやうにかへしいれ奉りけるなり。「ことわりや、このやすちかはせいめいごだいのあとをうけてしかば、ぼくぜいつゆもたがふべからず」とぞおぼしめされける。さんぬる十二日にこのことありて、いくほどもなく、りやうさんにちのあひだにくわんぎよ。まうしてもまうしてもいみじかりけるぼくぜいかな。十 どうにちにたかくらのみやのごむほんの事あらはれおはす。いんじ四月廿八日に、じふらうくらんどゆきいへ、高倉宮の令旨をひそかにたまはりて、いづのくにへくだりてひやうゑのすけに奉り、あんをかきてよしつねにみせむとて、それよりあうしう
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へおもむきけり。ゆきいへはへいぢよりこのかた、くまのにきよぢゆうしければ、しんぐうによりきする者多かりければ、なにとなくそのよういをぞしける。このことよにひろう有ければ、なちのしゆぎやうごんのじしゆしやうじしゆかくごほつけう、らごらほつけう、とりゐのほつけう、かうばうのほつけうら申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれたてまつりて、平家をうたむとて、げんじどもをもよほさむが為に、とうごくへげかうしけるよしきこゆれ。さやうのあくたうをくまのにこめたりけりと、平家にきこえ奉らむ事、はなはだおそれあり。たうじよしもりこそなけれども、しんぐうをひとやいばや」とて、なちのしゆとをはじめとして、くまののじやうがうらことごとくいでたちけり。是を聞て、新宮の
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しゆとら、いちみどうしんして、じやうくわくをかまへてあひまちけり。ほんぐうのしゆとはおもひおもひにつきにけり。たなべのほつけうをたいしやうぐんとして、なちの衆徒、ならびにしよじやうがうらくわいがふして、二千よきのぐんびやうをそつして、五月十日、新宮のみなとにおしよせて、平家のかたにはかくごをさきとしてせめたたかふ。源氏のかたには、かくごをきれとて、あづさのまゆみのつるたりもなく、みつめのかぶらのならぬまもなく、いちにちいちやぞ戦ひける。なちのしゆとら多くうたれて、きずをかうぶる者そのかずをしらず。ことごとくかけちらされて、おのづからうたれぬ者はただ山へのみぞにげいりける。是をみて新宮のしゆとら申けるは、「源氏と平家とのくにあらそひのいくさはじめに、かみの
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いくさに平家はまけて、源氏はかちぬ」とぞ、いちどうによろこびあへりける。そのころくまののべつたうかくおうほふげんといひける者をば、おほえの法眼とぞ申ける。これはろくでうのはんぐわんためよしが娘の腹にて有ければ、ははかたげんじなりけれども、よにしたがふ事なれば、平家のいのりのしとなりたりける故にや、かくおうほふげんろくはらへ使者をたてて申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれまゐらせて、むほんおこさむとて、源氏もよほさむが為に、とうごくにくだりてさうらふなれ。しかるあひだ、かのよたうらをせめんとして、君にしられぬみやじとおんかたうどつかまつりて、しんぐうにおしよせて、かつせんすこくつかまつりさうらひぬ。しかるによせて多くうたれて、いくさにまけて、じやうがうならびに
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なちのしゆとら、さんりんにまじはるべきにて、あんどしがたくさうらふ。そのよしいそぎおんたづねさうらへ。しんぐうのしゆとら、よしもりにどういのでう、もちろんの上は、よせいをたまはりて、新宮をせむべき」よしをぞ申ける。にふだうしやうこくこれをききておほきにおどろきて、一門の人々、おのおのあわてさわぎてはせあつまる。いけのちゆうなごんよりもり、ちゆうぐうのすけとももり、くらんどのとうしげひら、ごんすけぜうしやうこれもり、しやていさせうしやうすけもり、うせうしやうきよつね、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、さぶらひにはひだのかみかげいへ、おなじくたいふはんぐわんかげつな、つのはんぐわんもりずみ、かづさのたらうはんぐわんただつな、ゑつちゆうのせんじもりとし、せきより東のさぶらひには、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのやさぶらうともつな、
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たうの者には、なすのごばうざゑもん、これらをはじめとして、平家のけにんじゆうるいら、そのかずをしらずはせあつまりけり。にふだうしやうこく、このひとびとにむかひてのたまひけるは、「あはれ、しんぐうのじふらうめをへいぢにうしなふべかりしを、入道があをだうしんをしてすておきたれば、今かかる事をきくよ。よりともが事は、いけのあまごぜんいかにまうしたまふとも、入道ゆるさずは、いかでかいのちをいくべき。やすからぬことかな」とていかりたまひけり。こうくわいさきにたたずとは、かやうの事をいふにや。かづさのかみただきよ、入道のごぜんにすすみいでて申けるは、「源氏のかたうどはたれにてさうらふやらむ」。「たかくらのみやぞかし」。「ささうらはば、せいのつかぬさきに宮をいけどりまゐらせて、いづれの国へもるざいし奉りさうらはばや」。「もつとも
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しかるべし」とぞのたまひける。たかくらのみやごむほんのおんくはたてありとて、あひかまへていけどりまゐらせて、とさのはたへうつしたてまつるべきよし、ぎぢやうあり。「しやうけいはさんでうのだいなごんさねふさのきやう、しきじはくらんどのうせうべんゆきたか」とぞきこえし。べつたうへいだいなごんときただのきやう、おほせをうけたまはりて、けんびゐしげんだいふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながをたいしやうぐんとして、かのみやのごしよへぞさしむけられける。ほふわうはとばどのにて、おんみみのよそにきこしめさるれば、「いかがはせむ。これひとのうへのことならず。いまさらにこのおんことをまのあたりみたてまつる事こそはじめて悲しけれ」と、おんなげきの色ひときは深くぞおぼしめされける。
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十七のあさ、だいじやうにふだうのもんの前にふだを書てたてたりけり。「山門のだいしゆ、高倉宮のおんかたらひをえて、平家の一門をついたうの為に、京へうちいらむとす」といふ事也。平家の一門おほきにさはぎて、武士をさんでうきやうごくのへんへはせむかはせたりけれども、ほふしばら一人もみえず、あとかたなきそらごとなり。かかりければ、「宮をさておきたてまつればこそ、かやうにそらごとをもいひいだし、われらもきもをもつぶす事なれ。宮をいけどり奉てるざいし奉りぬるものならば、そのおそれあるべからず。いそぎもちひとのみやをとさのくにへはいるしたてまつるべきよし、りやうしやうにおほせふくめらる。さてもげんだい
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ふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながら、三千よきのぐんびやうをいんぞつして、さんでうたかくらへ参て、かのごしよをうちまきて、「みやごむほんのよしをうけたまはりて、おんむかへにみつなが、かねつな参て( )候。いそぎろくはらへごかうなるべきにて候」とまうしいる。しかりといへども、さきだちてこのよしきこしめされければ、かねてうせさせたまひにけり。ここにさきのさひやうゑのじようはせべののぶつらとて、てんがだいいちのかうの者、そばひらみずのゐのししむしやあり。としごろおんあるじゐうちして朝夕にさうらひければ、参るべかりけるが、いそぎいでさせおはしましぬれば、ごしよにみぐるしきことなども有らむとて、さがりまゐらせて、みまはらむと
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おもひてとどまりたりけるが、うすあをのひとへ、かりぎぬの戸前あげたるきつつ、三尺五寸のたちわきにはさみてさしいだしつつ、さはがぬていにて、みつながにむかひて申けるは、「このほどは、これはごしよにてはさうらはぬぞ。とくかへりてそのよしをまうさるべし」といひけるは、かねつなが申けるは、「御所はいづくにてさうらふやらむ。参てせんげのおもむきをまうすべし」といひければ、光長が申けるは、「子細にや及ぶ。御所をうちまきてもとめまゐらせよ」とげぢしければ、のぶつらがいはく、「君はわたらせ給はぬといふうへを、かくらうぜきなるやうやはある。物もおぼえぬゐなかけんびゐしかな」といふほどこそあれ、狩衣の
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おびひもひききりつつぬぎすてて、したはらまきをきたりけるが、はかまのそば高くはさみ、おほだちをさとぬくとぞみる程に、光長が前へとびてかかりければ、かねたけといひけるくつきやうのはうべむの有けるが、うちがたなをぬきあはせて中にへだたりければ、それをばうちすてて、御所へみだれのぼりたりけるらうどう十よにんが中へはしりいりて、さんざんにたたかひければ、このはの風にふかれてちるが如く、さと庭へおりぬ。いなづまのごとくに程なしとおもひけれど、七八人ばかりはきずをかうぶりぬ。庭に(  )おひちらして、ごひさうのおんふえの、ぎよしんじよのおんまくらがみにおかれたりけるをとりつつ腰に
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さして、こもんよりはしりいでて、「このむかひへ宮のいらせたまひぬるぞ。にがしまゐらすな」とて、かたをりどの有けるをふみあけて、しりへついとほりつつ、なかがきをとびこえてろくかくおもてへいでて、東をさしてゆきけれど、うちとどむる者なかりけり。そうじてこののぶつらは、弓矢をとりて命ををしまず、どどかうみやうしたりし者也。中にもにでうたかくらにてがうだういりて、さんざんにらうぜきをす。ばんしゆとどめかねてあます所を、さんでうばうもんたかくらにてこののぶつらが六人にゆきあひて、四人やにはにきりふせ、二人いけどりにして、そのときのけんじやうに今のさひやうゑのじようになされし者也。さてもかねつな、光長
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はよもすがら御所の内、ならびにきんぺんの家々をあなぐりもとめまゐらせけれども、渡らせ給はず。かねつながちちにふだうがもとへ夢みせたりけるとかや。十一 げんざんゐにふだうのまうしすすめとも平家はしらずして、げんだいふのはんぐわんをしもさしそへられける、ふしぎなり。宮はすこしもおぼしめしよらず、さみだれのはれまの月を御覧じて、御心をすましつつおはしましけるに、「げんざんゐにふだうのもとよりおんふみありとて、つかひあわてたるけしきにてはしりたり」と申ければ、なにごとやらむとて、いそぎ御覧じければ、「君よをみださせたまふべきおんくはたてありとて、
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とりまゐらせにけんびゐしあまたまゐりてさうらふなるぞ。かねつなもそのうちなり。ひとまどなりとも、とくとくたちしのばせ給へ。入道もまゐるべくさうらふ。きやうぢゆうはいづくもあしくさうらひなむ。いかにもしてみゐでらまでだにことゆゑなく渡らせたまひなば、さりとも」と申たり。是を御覧じて、あさましともいふはかりなし。さだいふむねのぶといふひとをめして、「こはいかがせむずる」とおほせありけれども、それもあはてわななくよりほか、たのもしげなし。のぶつらをめしておほせありければ、おんもとどりをみだして、にようばうのうすぎぬをきせまいらせつつ、いちめがさといふものをたてまつらせて、走りいでさせたまひぬ。ごしよぢゆうの人々も
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しりまいらせず。くろまるといふちゆうげん、さだいふむねのぶばかりぞまゐりける。宗信けしかるひたたれこばかまきて、からかさもちたり。黒丸にふくろひとつもたせて、せいしていの者の女むかへてゆくとみえたり。さみだれのころなれば、雲はれて月くまなし。みぞのひろかりけるを、しやくとこえさせたまひたりければ、あひ奉りたりける人の、女房と思へば、「はしたなくもこゆるものかな」とおもひげにて、たちとどまりてあやしげにみまいらせけるこそ、さだいふはいとどひざふるひて、あゆまれざりけれ。昔けいかうてんわうのだいにのみこ、をうすのわうじ、いこくをたひらげにくだり給けるにこそ、をとめのかたちをかりて、ぞく
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の三かはかみのたけるをばほろぼし給たりけれ。などや是は、むかしいまこそことならめ、わがおんみをほろぼし給けむ。ぜんぜのごしゆくごふをさつしたてまつるこそあはれなれ。宮は七八丁ばかりのびさせたまひぬらむとおぼゆる程にぞ、けんびゐしまゐりたりける。さえだといふひさうのおんふえありけり。夜も昼もおんみをはなちたまはざりけるを、忘れさせたまひたりけるを、くちをしきことにおぼしめして、たちも帰らせたまひぬべくおぼしめしけれども、いふにかひなし。それにのぶつらがおひつきまゐらせて、こんゑのひがしのかはらの程にて、「おんふえとりてこそ参たれ」と申ければ、まことかやとて、なのめならずよろこばしげにおぼしめしたりければ、腰よりぬきいだしてまゐらせたりけり。さだいふむねのぶ、
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ろくでうのさいしやういへやすのおんまご、さゑもんのすけむねやすがこ也。「高倉の宮うせさせたまひぬ」といひけるより、ろくはらもきやうぢゆうもはしりさわぎける上に、山のだいしゆ、既にさんでうきやうごくのへんにくだるよしきこえければ、平家の人々、だいしやういげのぐんびやうはせこみて、騒ぎあはるる事なのめならず。されどもひがことにてぞ有ける。てんぐのよくあれにけるとぞおぼえし。高倉の宮と申も、法皇のみこにておはしませば、よそのおんことにあらず。「いつしかやがてかかるあさましきこといでたれば、ただとばどのにしづかにておはしまさで、よしなく都へいでにけるかな」とぞおぼしめす。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんしげもり、去年八月にうせたまひにしかば、じなん
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さきのうだいしやうむねもりにわくかたなくせけんの事ゆづりて、入道ふくはらへくだりたまひたりしてあはせに、だいしやうふかくして、宮をにがしまいらせたる事、くちをしとぞひとまうしける。十二 十九日、たかくらのみやみゐでらににげこもらせたまふよし、きこえけり。御馬にだにも奉らざりけり。ひといちりやうにんぞおんともにさうらひける。ひがしやまにいらせ給て、よもすがらによいやまをこえさせたまひけり。いつあゆませたまひたるおんあゆみならねば、なつくさのしげみが下のつゆけさ、さこそ所せく、みあしみなそんじて、つかれよはらせたまひつつ、みやまの中を心あてにたどり渡らせ給ければ、白くうつくしきみあしはむばらの為に
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赤くなり、黒くみどりなるおんぐしは、ささがにの糸にまとはれぬ。をりしもほととぎすのひとこゑかすかにきこえければ、御心のうちにかくぞおぼしめしつづけさせたまひける。ほととぎすしらぬやまぢにまよふにはなくぞわがみのしるべなりける K068
むかしてんむてんわう、おほとものわうじにをそはれて、よしののやまへいらせたまひけむも、いまさらにおぼしめしいだされて、あはれにぞおぼしめされける。おんともの人々、御手をひかへ肩にかけまゐらせて、あひかまへてみゐでらへかかぐりつかせたまひて、「われ平家にせめられて、のがれがたかりつるあひだ、かひなき命のをしさに、しゆとをたのみてきたれり。たすけてむや」となくなくおほせられければ、
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しゆとほうきして、かひがひしくごしよしつらひいれまゐらせ、さまざまにいたはり奉る。

十三 廿日、げんざんゐにふだう、おなじくしそくいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうなかみつ、わたなべたうらをあひぐして、よるにいりてこんゑがはらのしゆくしよにひをかけて、みゐでらへは参りにけり。げんだいふのはんぐわんかねつなは、入道のをひをやしなひて、じなんにたてたり。これによつて、むほんのぎは兼綱にはしらせず。このときにこそ兼綱は、「たにんはせざりけり。ちちにふだうのしわざよ」とおもひけれ。わたなべたうの中にきほふのたきぐちは、入道のともにはもれにけり。どうれうどもがまうしけるは、「きほふに
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このことをしらせさうらはで、いかさまわれらはうらみられさうらひぬ」と申。いづのかみのたまひけるは、「よしよしくるしかるまじ。むねもりのしゆくしよちかければ、このこときこえなばあしかりなむ。しらせずとも、競さる者なれば、参らむずらむ」とのたまふ。競はこの事ききて、「うたてくもこの事をばしらせ給はぬものかな。只今参らむ」と思へども、「うだいしやうむねもりのむかひ也。馬よくらよとせむ程に、きこえなばあしかりなむ」とて、やすらふ。宗盛はげにんをよびたまひて、「むかひのしゆくしよにきほふはあるか。みてかへれ」とのたまひければ、ほどなくかへりて「そのけもなくてさうらふなり」とこたふ。「いかになほみよ」とてつかはす。またはしりかへりて、「おなじやうにて候」と申。「競めせ」とてめされけり。たきぐちまゐり
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たりければ、「いかに、さんゐにふだうどのはみゐでらへときくに、おのれはゆかぬか」。「さ(ん)ざうらふ。ひごろはずいぶん人にもこえてこそさうらひつれども、今はかくのこしとどめられぬる上は、おひて参るにおよばず」と申。「さらば我につかへよかし」。きほふ「さうけたまはりぬ」と申。宗盛かねてより、哀れとおもはれけるびんぎに、をりをよろこびて、「競にさけのませよ」とて、さけとりいだして、しゆじゆのひきでものしたり。中にもくろかはをどしのよろひに、ゆみやたちどもひかれたり。そのうへなほ、とほやまとてひさうしたる馬に、くらおきてひかれたり。競「かくてあらばや」とは思へども、「けんじんはじくんにつかへず。ていぢよはりやうふにまみえず」といふ事
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なれば、ひごろのぢゆうおんをわするるにおよばず。宗盛「きほふはあるか」、「さうらふ」とたびたびまうしながら、よふけひとしづまりければ、えたりけるよろひき、かぶとのををしめ、馬にうちのりて、むちをあげて、三井寺へはせまゐる。どうれうどもにあひて、「いかにとのばらはすておきて、しらせ給はざりつるぞ」とうらみければ、おなじことばに申けるは、「『しらせむ』とまうしつれども、かうのとのの『宗盛の宿所の近ければあしかりなむ。競さる者なれば、しらせずとも参らむずらむ』とおほせられつれば、ちからおよばず」と申ければ、競、「さてはうへにもいまだおぼしめしはなたせたまはざりけり」とよろこび、にふだうどの、いづのかみの前にまゐりて、「きほふこそもつてのほかにひがこと
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してさうらへ。だいしやうどののよろひかぶと、むまともに取て参たり」とて、事のしさいかたりまうして、「人のたばぬ物を取たらばこそひがことならめ」と申ければ、入道、伊豆守をはじめとして、じやうげのしよにん、一度にはとわらひけり。
十四 さるほどにしゆとせんぎして、山門ならびに南都へてふじやうをおくる。そのじやうにいはく。
をんじやうじてふす えんりやくじのが
ことにかふりよくをいたしてたうじのぶつぽふはめつをたすけられんとおもふじやう
みぎ、にふだうじやうかい、ほしいままにわうぼふをうしなひ、またぶつぽふをほろぼず。しうたんきはまりなき
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あひだ、さんぬるじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、ふりよのなんをのがれむがために、にふじせしめたまふところなり。ここにゐんぜんとかうして、いだしたてまつるべきせめありといへども、こじせしむるところに、くわんぐんをつかはさるべきむね、そのきこえあり。たうじのはめつ、まさにこのときにあたる。えんりやく、をんじやうりやうじは、もんぜきふたつにあひわかるといへども、がくするところはこれゑんどんいちみのけうもんにおなじきなり。たとへばとりのさいうのつばさのごとし。またくるまのふたつのわににたり。いつぱうかけむにおいてはいかでかそのなげきなからむやてへれば、ことにかふりよくをいたし、ぶつぽふのはめつをたすけられば、はやくねんらいのゐこんをわすれて、ぢゆうさんのむかしにふくせん。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。
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ぢしようしねん五月十七日 せうじしゆほふしせいか
とゐなだいほふしていさん
じしゆだいほふしえいけい
じやうざほつけうしやうにんちゆうせい
をんじやうじてふす こうぶくじのが
ことにかふりよくをかうぶりてたうじのぶつぽふはめつをたすけられむとこふじやう
みぎ、ぶつぽふのしゆしようなることは、わうぼふをまもらむがため、わうぼふまたちやうきうなること
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は、すなはちぶつぽふによるなり。しかるをきやうねんよりこのかた、にふだうさきのだいじやうだいじんたひらのきよもり、ほしいままにこくゐをぬすみて、てうせいをみだり、うちにつけほかにつけ、うらみをなしなげきをなすあひだ、こんぐわつじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、たちまちにふりよのなんをまぬかれんがために、にはかににふじせしめたまふ。しかるにゐんぜんとかうして、たうじをいだしたてまつるべきよし、せめありといへども、いだしたてまつるにあたはず。しゆといつかうにこれををしみたてまつる。かのぜんもん、ぶしをたうじにいれむとほつす。わうぼふといひぶつぽふといひ、いちじにまさにはめつせんとほつす。しよしゆなんぞしうたんせざらん。むかしたうのゑしやうてんし、ぐんびやうをもつてぶつぽふをほろぼさしめしとき、しやうりやうせんのしゆ、かつせんをしてこれをふせく。わうけんなほかくのごとし。いかにいはむやむほんはちぎやく
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のともがらにおいてをや。たれびとかけふせいすべきや。なかんづくなんきやうは、れいなくてつみなきちやうじやをはいるせらる。定位田内うごくらむ。こんどにあらずは、いづれのひかくわいけいをとげむ。ねがはくはしゆと、うちにはぶつぽふのはめつをたすけ、ほかにはあくぎやくのはんるいをしりぞけば、どうしんのいたり、ほんくわいにたりぬべし。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふじやうくだんのごとし。
ぢしようしねん 五月十七日
なんとよりのへんてふにいはく、
こうぶくじてふす をんじやうじのが
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らいてふいつしにのせらる。きよもりにふだうじやうかいがために、きじのぶつぽふをほろぼさむとほつするよしのこと。
てふす、こんぐわつにじふにちのてふじやう、おなじきにじふいちにちたうらいす。ひえつのところ、ひきあひまじはる。いかんとならば、たがひにてうだつがましやうをふくすべし。そもそもきよもりにふだうは、へいじのさうかう、ぶけのぢんかいなり。そぶまさもり、くらんどごゐのいへにつかへて、しよこくのじゆりやうのむちをとる。おほくらのきやうためふさ、かしうししのいにしへ、けんびゐどころにふし、しゆりのだいぶあきすへ、はりまのたいしゆたりしむかし、むまやのべつたうしきににんず。しかるをしんぶただもりのあつそんにおよび、しよう
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でんをゆるされしとき、とひのらうせう、みなほうこのかきんををしみ、ないげのえいかう、おのおのばたいのしんもんになく。ただもりせいうんのつばさをかいつくろふといへども、せじんなほはくをくのたねをかろんず。なををしむせいし、そのいへにのぞむことなし。しかるにいんじへいぢぐわんねん、だいじやうてんわういつせんのこうをかんじて、ふしのしやうをさづけたまひしよりこのかた、たかくしやうこくにのぼり、かねてひやうぢやうをたまはる。なんしあるいはたいかいをかたじけなくし、あるいはうりんにつらなる。によしあるいはちゆうぐうしきにそなはり、あるいはじゆんごうのせんをかうぶる。くんていそし、みなきよくろをあゆみ、そのまごかのをひ、ことごとくちくふをさく。しかのみならず、きうしうをとうりやうし、はくしをしんだいして、みなぬびぼくじゆうとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわう
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こうといふといへどもこれをとらへ、へんげんみみにさかふれば、またくぎやうといふといへどもこれをからむ。これをもつてもしはいつたんのしんみやうをのべむがため、もしはのがれむとほつしてへんしのりようじよくを、ばんじようのせいしゆ、なほめんてんのこびをなし、ぢゆうだいのかくん、かへりてしつかうのれいをいたす。だいだいさうでんのけりやうをうばふといへども、しやうさいもおそれてしたをまきみやみやさうじようのしやうゑんをとるといへども、けんゐにはばかりてものいふことなし。かつにのるあまり、去年の冬十一月、たいしやうくわうのすみかをついふくし、はくりくこうのみをおしながす。ほんぎやくのはなはだしきこと、まことにここんにたえたり。そのときわれら、すべからくぞくしゆにゆきむかふべく、そのつみをとふべきなり。しかれどもあるいはしんりよをあひはかり、あるいはわうげんとしようするによつて、うつたうをおさへてくわういんをおくるあひだ、
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かさねてぐんびやうををこして、いちゐんだいにのしんわうぐうをうちかこむところに、はちまんさんじよ、かすがごんげん、すみやかにやうがうをたれてせんひつをささげ、きじにおくりつけて、しんらのとぼそにあづけたてまつる。わうぼふつくべからざるよし、あきらけし。したがひてまたきじ、しんみやうをすてて、しゆごしたてまつるでう、がんじきのたぐひ、たれかずいきせざらむ。われらゑんゐきにありて、そのなさけをかんずるところに、きよもりにふだう、なほきようきをおこして、きじにいらんとほつするよし、ほのかにうけたまはりおよぶをもつて、かねてよういをいたす。十七日たつのこくに、だいしゆをおこし、十八日、しよじにてふそうし、まつじにげぢして、ぐんしをえてのち、あんないをたつせむとほつするところに、せいてうとびきたり、はうかんをなげたり。すじつのうつねん、いつしにげさん
す。かの
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たうかしやうりやういつさんのひつすう、なほぶそうのくわんびやうをかへす。いはむやわこくなんぼくりやうもんのしゆと、なんぞぼうしんのじやるいをはらはざらん。よくりやうゑんさうのぢんをかためて、よろしくわれらがしんぱつのつげをまつべしてへれば、しゆうぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。じやうをさつしてぎたいをなすことなかれ。もつててふす。
ぢしよう四年五月廿一日
とぞ書きたりける。そのうへ、南都にはしちだいじにてふじやうを送る。まづ東大寺へてふじやうを送る。そのじやうにいはく。
こうぶくじのだいしゆてふす とうだいじのが
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はやくまつじまつしやをかりて、ぐぶせられて、こんみやうのうちにらくやうにはつかうして、をんじやうじのしやうめつをすくはんとほつするじやう
てふす、しよしゆうことなりといへども、みないちだいのしやうげうよりいづ。しよじまちまちなりといへども、おなじくさんぜのぶつざうをあんず。なかんづく、をんじやうじは、みろくによらいじやうぢゆうのれいくつなり。われらはあそうのながれをうけ、じしのけうもんになる。きじは、はつしゆうのけうぼふ、あひならびて、これをがくす。あにかのてらをおくせざらむや。しかるにくわらくのもと、いつしんのあやつりあり。へいぢぐわんねんよりこのかた、しかいはちえんをあふりやうし、はくしりくきゆうをぬびとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわうこうといふといへども、もつてこれをとらへ、へん
P1725
げんおもひにそむけば、すなはちしやうけいたりといへども、もつてこれをひしほにす。ここをもつて、さうでんのかくん、かへりてしつかうのれいをなし、ばんじようそんちようのこくわう、ほとんどめんてんのこびをいたす。つひにてうかうしろくのはかりことをめぐらして、いよいよわうぼふをほろぼす。あまつさへふつさひざうのあとをおひ、まさにぶつけをうしなはむとす。すなはちこんみやうのあひだ、をんじやうじをさんがいせむとほつすとうんうん。いまだおこらざるよりさきにあひすくはずは、われらひとり、まつたくなんのせんあらむや。しかればすなはち、ふじつにへいをととのへて、きやうくわにむかはんとほつす。ぶつぽふのこうはい、ただこのことにあり。かつうはぶつじんにきせいし、まぐんをがうぶくすべし。かつうはまつじしやうえんをかりて、ぐぶせられば、よろしくてんちのしんりよにかなひ、なんぼくのぶつぽふをたもつべきのみ。よつてあらあらいうしよをしるして、
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てふそうくだんのごとし。こふやじやうをさつして、ちいんせしむることなかれ。ゆゑにてふす。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ こうぶくじのだいしゆら
やくしじとうのてふじやう、たいていとうだいじのてふじやうのごとし。ぢしようしねん五月十七日に、てんが、ださいのそつたかすゑ、さきのだいなごんくにつな、べつたうときただ、しんさいしやうのちゆうじやうみちちか、しんゐんにまゐらる。たかくらのみやのことぎぢやうあり。うちゆうべんかねみつのあつそん、てんがのおほせをうけたまはりて、みげうしよを、こうぶくじのべつたうごんのそうじやうげんえん、ごんのべつたうごんのせうそうづざうしゆんがもとへつかはされけり。をんじやうじのしゆと、みだりがはしくちよくめいをそむく。
P1727
えんりやくじまたどうしんして、てふをおくるよしふうぶんす。さらにどういすべからざるおもむきなり。こんせきまたをんじやうじのそうがうじふにんをめさる。さきのだいそうじやうかくさん、そうじやうばうかく、ごんのそうじやうかくち、さきのごんのそうじやうこうけん、ほふいんじつけい、ごんのだいそうづかうじよう、ごんのせうそうづしんゑん、ほふげんかくけいとぞきこえし。かくさん、じつけいはまゐらざりけり。おのおのほんじにまかりむかひて、たかくらのみやをいだしたてまつるべきよし、しゆとにおほせふくむべきよしをぞ、おほせくだされける。またざすめいうんそうじやうをめされて、さんもんどうしんすべからざるよしを、おほせくだされけり。そのじやうにいはく。
P1728
えんりやく、をんじやうりやうじのきようど、ひごろけいぎあるよし、ふうぶんせしむといへども、さらにしんようなきところに、みゐのそうりよ、すでにちよくかんのひとをまねきよせて、じちゆうににふきよし、けつこうをあつるいたり、たちまちにもつてろけんす。いかでかいちじのかんらんをひかれ、おなじくはつこのざいくわをかうぶるべけむや。かつうはじつぷをたづね、かつうはきんあつをくはふべしてへれば、ゐんぜんによつて、ごんじやうくだんのごとし。
五月十六日 させうべんゆきたか
しんじやうてんだいざすごばう
さんもんには、をんじやうじよりてふじやう送りたりけるには、どうしんしたてまつるべき
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よし、りやうじやうしたりけるあひだ、みや、ちからつきておぼしめされけるに、「山門の衆徒こころがはりするか」など、ないないひろうしければ、「なにとなりなむずるやらむ」と、おんこころぐるしくおぼしめされけり。かさねてまたさんもんへゐんぜんをなしくださる。そのじやうにいはく、
をんじやうじのあくとぼうぎやくのこと
みぎ、ひごろなだめおほせらるといへども、なほしちよくめいをそむく。いまにおいてはついたうしをつかはさるべきなり。いちじのめつばう、なげきおぼしめすといへども、ばんみんのわづらひ、もだすべからざるか。まことにこれまえんのけつこう、なんぞぶつきやうのみやう
P1730
じよをあふがざらむや。まんざんのしゆと、いつこうどうおんにいのりまうさしむべし。かねてはまたのがれさるともがら、さだめてえいさんにむかはんか。ことにようじんをそんして、けいゑいせしむべきよし、さんざんにつげまはさしめたまふべしてへれば、しんゐんのおんけしきによつて。しやうたつくだんのごとし。
五月廿二日 させうべんゆきたか
とぞおほせくだされける。ここに山門のしゆとの中に、ではのあじやりけいくわいとて、さんたふにきこえたるがくしやうあくそうありけるが、申けるは、「そもそもをんじやうじはちしようのこんりふ也。わがやまはでんげうのさうさうなり。しよ
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がくひとつにして、しゆうぎおなじなりといへども、ほんまつきいにして、うんでいまじはりをへだつ。しかるにみゐのしゆとら、ほしいままにひてうのりやうよくにたとへ、おしてぎつしやのにりんにるいするでう、しよぎやうのくはたて、はなはだもつてきくわいなり。きようくわうのおもひをもつて、くぎやうのことばをいたさば、どうしんせしむべし。しからずは、よりきすべからざる」よし、まうしけるとぞきこえし。
十五 三井寺には、「ろくはらにおしよせて、大政入道をようちにせむ」とぞせんぎしける。「もののようにもあはざらむらうそうたちに、たいまつもたせてによいやまへさしのぼせ、あしがろ二百よにんそろへて、しらかはのへんへさしむけて、家々にひをかけさせ、のこらむものどもはいはさか、さくらもとへはせ
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むかひてまたむ程に、しらかはにひかけなば、ぜうまうとて、へいけのぐんびやうどもおほくはひのもとへこそはせむずれ。六波羅にのこりとどまる者はまれなるべし。そのあひだにおしよせて、だいじやうにふだうようちにせむ事いとやすし」とぞはからひける。ここにいちのうばうのあじやりしんかいといふ者あり。としごろ平家のいのりしにて有けるが、だいしゆの中にすすみいでて申けるは、「かく申せば、平家のかたうどをするとおぼしめさるらめども、ひとつはそれにてもさうらふべけれども、またいかでかわがてらのなをもをしみ、衆徒のゐをも思はで侍るべき。たうじ平家のはんじやうするをみるに、ふくかぜの草をなびかし、ふるあめのつちをくだく
P1733
ににたり。とうい、なんばん、せいじゆう、ほくてき、なびきしたがはざる者やある。『たうらうのをのをもつてりふしやをかへし、えいじのかひをもつてきよかいをつくす』とまうすことはあれども、ぐんびやうそのかずこもりゐてさうらふ六波羅をようちにせむ事、いかがあるべかるらむ。いふかひなき事ひきいだしたらば、なんとほくれいのあざけり、よくよくおんぱからひあるべき也」と、夜をふかさむとやおもひけむ、ながせんぎをぞしたりける。じよういんばうのあじやりきやうしうは、ころもの上にうちがたな、まへだりにさしなし、かせづゑにかかり、さしあらはれて申けるは、「れいしようをほかにもとむべからず。わがてらのほんぐわん、てんむてんわう、おほとものわう
P1734
じにをそはれて、よしののやまへこもらせたまひけるに、やまとのくにうだのこほりをすぎさせたまひけるには、上下わづかに七騎のおんせいにてとほらせ給けれども、つひにはいづみ、きいのくにのせいをめしぐして、いが、いせをへて、みのとをはりのせいとをもよほして、みのとあふみとのさかひに、さかひがはといふ所にて、河をへだてておほとものわうじと戦はせたまひしに、河くろちにて流れたり。これよりしてかのかはをくろちがはと申す。つひにおほとものわうじをほろぼし、ふたたびくらゐにつき給ふ。じんりんあはれみをなせば、きゆうてうふところにいるといへり。いかでかおんちからを
あはせ奉らざらむ。よをばしるべからず、きやうしゆうがもん
P1735
とどももらすべからず。だいじやうにふだうようちにしてまゐらせよ」といひもはてねば、ときをつくる。山のてへむかふ老僧には、いちのうばうのあじやりしんかい、じよういんばうのあじやりきやうしゆう、じようなんばうのあじやりかくせい、きやうしうばうのあじやり、武士にはげんざんゐにふだうよりまさをはじめとして、もののようにかなひげもなきらうそう五百よにん、てんでにたいまつもちて、によいがみねへ登る。あしがろ二百余人そろへて、しらかはのかたわらへつかはす。そのほかのあくそうには、しまのあじやりたいふこう、ほふれんばういがこう、すみのろくらうばう、ろくてんぐうにはしきぶ、たいふ、のと、かが、びんご、ゑつちゆう、あらとさ、おにさど、ひをぢやううん、しらうばう、ご
P1736
ぢゆうゐんのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、だいじゆにはつつゐのじやうめうめいしゆん、いちらいほふし、武士にはいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうながみつ、わたなべたうをさきとして、七百五十余人、時をつくりていでたつ。をんじやうじにみやいれまゐらせてのちは、ほりほり、さかもぎ引たれば、堀に橋を渡し、さかもぎのけさせなどせしほどに、さつきのみじかよなれば、やごゑの鳥もなき渡り、しののめしだいにあけぞゆく。いづのかみのたまひけるは、「今はかなはじ。ひけや」とぞいはれけり。ゑんまんゐんのたいふすすみいでて申けるは、「昔もろこしにまうしやうくんといふものありき。こはくのかはぎぬといふ物を
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ひさうしてもてり。しんのせうわうこのことをききたまひて、『なんぢがしよぢのこはくのかはぎぬ、われにえさせよ』と云ければ、わがみには第一の宝とおもひけれども、これををしみてはわれほろびなむずとおもひて、このかはぎぬをせうわうにあたへ奉る。すなはちくわんこにをさめてけり。このかはぎぬをきつれば、いつてんしかいをがんぜんにみ、しつちんまんぼうを、もとめいだす宝なり。されば、まうしやうくん三千人のしよじゆうに、こがねのくつをはかせてあさゆふめしつかひしも、このかはぎぬのゆゑなり。まうしやうくんこのことをやすからずおもひて、ひごとのしよくじをとどめて、かのかはぎぬのをしきことをなげきゐたりけるに、まうしやうくん心ひろくかしこき者にて、さまざまにのうある者をめしつかひけり。あるいは牛馬のほゆるまねをし、犬のほゆるまねをし、
P1738
あるいはにはとりのなくまねをし、ぬすみにちやうぜる者もあり。そのなかにりふていといふ、ぬすみよくする者あり。『こはくのかはぎぬをぬすみいだしてたてまつらむ』といひければ、まうしやうくんおほきによろこびて、りふていをつかはす。ふてい、せうわうのもとに行て、ほうざうをひらきて、かのかはぎぬをぬすみいだして、まうしやうくんに奉る。まうしやうくんこのかはぎぬをえて、『せうわうききたまひなば、われをいましめによせたまはむずらむ。さらばいまだ天のあけざるさきに』とて、ねのこくばかりにしんこくをにげいだしけるに、『かのかんこくくわんとまうすは、にはとりのなかぬさきには、せきどを開く事なし。いかがはせむ』となげきけるに、三千人のかくのなかにけいめいといふもの、たかきのすゑにのぼりて、にはとりのそらねをしたりければ、そのこゑ
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にもよほされて、『せきぢのにはとりなきければ、夜あけにけり』とて、せきもりとをあけければ、まうしやうくんよろこびて、ことゆゑなくとほりにけり。これもかたきのはかりことのよきゆゑなり。今もわれらが心をはからむとて、鳥のそらねにてもや有らむ。只よせよや」とぞ申ける。伊豆守、「いやいやかなふまじ。ひけや」とのたまひければ、ちからおよばずひきしりぞく。これはしんかいめがながせんぎにこそ、夜はふけたれとて、帰りさまにしんかいがばうをきりはらふ。心海がどうじゆくども、命をすててさんざんにふせきたたかふ。よせてもあまたうたれにけり。心海がどうじゆくはちにんうたれけり。心海ここうをのがれて、ろくはらにはせまゐりてこのよしを申す。されどもぐんびやうその
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かずこもりたりければ、すこしも騒ぐ事なし。
十六 だいじやうにふだう、ただきよをめしてのたまひけるは、「なんと、えんりやくじ、みゐでら、ひとつになりなば、よきだいじにてこそあらんずらめ。いかがせむずる」。ただきよ申けるは、「やまほふしをすかしてごらんさうらへかし」。「しかるべし」とて、山のわうらいにあふみよねさんぜんごくよす。げぶみのうちしきに、おりのべぎぬさんぜんびきさしそへて、めいうんそうじやうをかたらひたてまつりて、山門のごばうへなげいる。いつぴきづつの絹にばかされて、ひごろほうきの衆徒へんがいして、宮のおんことをすてたてまつりけるこそかなしけれ。山門のふかく、ただこのときにあり。ならぼふしこれを聞て、じつごけうにつくりてぞわらひけ
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る。そのことばにいはく、
「やまたかきがゆゑにたつとからず、そうあるをもつてたつとしとす。ひとこえたるが故にたつとからず、
はぢあるをもつてたつとしとす。おりのべはいつたんのたから、みめつせざれどもすなはちやぶる。
恥はこればんだいのきず、みをはるまでさらにうせず。玉みがきたつればきずなし。
きずなきを頼政とす。とんよくのものは恥なし。はぢなきをさんぞうとす。
くらのうちのたからはくつることあれども、みの中のよくはくつることなし。せんりやうのこがねをつむといへども、
いちにちの恥にはしかず。しだいひびにおとろへ、さんたふよよにくらし。
あへてしよをよむにともがらなし。がくもんのかたにはあとをけづる。ねぶりをのぞきてようちをこのみ、
うゑをしのびずしてたからをそんず。しにあふといへどもおそれず。でしにむかふといへどもはぢんや。
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しとうの船にのらざれども、かいぞくの道にことわりをう。はつしやうのみありといへども、
じふあくなるがゆゑにがくせず。むゐのみやこにありといへども、はういつのためつかへず。
ただちくしやうにぜんどうなり。すなはちぼくせきにことならず。ふぼには常にきやうはいし、
しゆくんにはさらにちゆうなし。をんじやうみやをうやまへば、しよにんみゐをうやまふ。
さんぞうやくをへんずれば、こくどあまねくこれをにくむ。てんがえいさんをそしり、
ばんにんしめいをかたぶくれば、さんもんことごとくめつしつすること、あたかもさうかのはなのごとし。
みをおりのべにかへて、さいしのあひせつとす。つねにやすきはざいごふなり。
しやうらいのはぢをあらふべし。故にばんだいのさんぞう、まづこのしよをならふべし。
これがくもんのはじめなり。みををふるまでばうしつすることなかれ。
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じつごけういつくわん、これすなはちさんぞうぎやうなり。よつてだらにほんにいはく、おん、やまほふし、はらぐろはらぐろ、よくふかよくふか、はぢなや、そはか」とぞかきたりける。
おなじくならぼふしのよみける。
やまほふしおりのべぎぬのうすくして恥をばえこそかくさざりけれ K069
おなじくこぼふしばらの読みける。
やまほふしみそかひしほかからひしほかへいじのしりにつきてまはるは K070
げんざんゐにふだうかくぞ読みける。
たきぎこるしづがねりそのみじかきがいふことのはの末のあはぬは K071
さんぞうの中に絹にもあたらぬこぞう、このうたどもをききて、かくぞ読みける。
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おりのべを一きれもえぬ我さへにうす恥をかく数にいるかな K072G15
十七 たかくらのみやのごぜんに参て、だいしゆまうしけるは、「さんもんのしゆともこころがはりしさうらひぬ。南都よりもおんむかへにまゐると、けふよ、あすよと申せども、いまだみえ候はず。寺ばかりにてはかなふまじ。いづかたへものびさせおはしますべし」と申す。みやおんこころぼそげにおはします。されどもこんだうにごにふだうあり。このみや、さえだ、せみをれといふひさうのおんふえふたつあり。せみをれをみろくに奉らせ給ふ。このおんふえは、とばのゐんのおんとき、あうしうよりしやきんせんりやう奉りたり。鳥羽院、「是はわがてうのちようほうのみにあらず、だいこくの宝にてもある物を」とて、
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時のしゆしやうへまゐらせたまひたり。もろこしのこくわうおほきによろこばせたまひて、ごへんぽうとおぼしくて、かんちくをいつぽんたてまつる。そのたけのなかに、笛にえらせ給べきよを、ひとよきらせまします。くちの穴とふしとおぼしきところに、しやうじんのせみのやうなるものありけり。せいしゆ、きたいのほうぶつとおぼしめされて、みゐでらのかくいうそうじやうにおほせて、ごまだんの上、いちしちかにちかぢせさせたまひてのち、笛にえられたりけり。てんがだいいちのほうぶつなりける間、おぼろけのぎよいうにはとりいだされず。おんがのありけるに、たかまつのちゆうなごんさねひらのきやうたまはりてふかんとす。ぎよいうのご、いまだおそかりければ、ふつうの笛のごとくおもひなして、ひざのしもにおしかくし
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て、そのごにとりいだしてふかんとすれば、笛とがめおもひて、とりはづして、せみをうちをりたり。それよりしてこそ、このおんふえをば「せみをれ」とはなづけしか。鳥羽院のぎよぶつなりけれども、そのおんまごのおんみとして、つたへもたせたまひたりけるが、「いかならむよまでも、おんみをはなたじ」とおぼしめされけれども、みゐでらをおちさせたまふとて、「こんじやうにてはつたなくしてうせなむず。たうらいにはかならずたすけたまへ」とて、こんだうにおはしますしやうじんのみろくぼさつにたむけ奉て、ならへおちさせたまふべきにさだまりぬ。さえだとまうししおんふえを、最後までおんみをはなたれず。あはれなりし御事也。そののち、あるうんかく、ひよしのやしろへまうでて、やいんにおよびて
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げかうしけるに、三井寺に笛のねのしけるを、しばらくやすらひてたちききければ、こたかくらのみやのせみをれといひし御笛のねにききなして、子細をたづねければ、こんだうのしゆぎやうけいしゆんあじやり、そのころちようあいしけるちごのふえふきをもちたりけるに、ときどきとりいだして、このふえをふかせけり。ゆゆしくもききしりたるひとかな。だいしゆこのよしをききて、「このふえをいるかせにする事、しかるべからず」とて、そのときよりはじめていちのくわしやうの箱にをさめられて、をんじやじのほうぶつのそのいちにて今にあり。十八 廿三日、たかくらのみやは、だいしゆどうしんせば、かくてもをはしますべきに、さんもんこころがはりの上はをんじやうじばかりにては弱ければ、げんざんゐにふだうよりまさ、
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いづのかみなかつな、たいふのはんぐわんかねつな、わたなべたうには、きほふ、つづく、あたふ、てうじつとなう、てらほふしには、ゑんまんゐんのたいふ、おほかが、やぎりのたぢま、つつゐのじやうめうめいしゆんらをはじめとして、三百よきにておちさせ給。うぢと寺とのあひだにて、ろくどまでらくばせさせ給ふ。このほどぎよしんならざりけるゆゑなり。うぢはしさんげんひきて、かいだてにかき、そのあひだ、宮をばびやうどうゐんにいれまゐらせて、ぎよしんなし奉る。平家このことを聞て、ぐんびやうをさしつかはしておひたてまつる。たいしやうぐんには、さひやうゑのかみとももり、くらんどのとうしげひらのあつそん、ごんのすけぜうしやうこれもりのあつそん、こまつのしんせうしやうすけもりのあつそん、ちゆうぐうのすけみちもりのあつそん、させうしやうきよつねのあつそん、
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さまのかみゆきもりのあつそん、みかはのかみとももり、さつまのかみただのり。
さぶらひにはかづさのかみただきよ、おなじくたいふのじようただつな、ひだのかみかげいへ、
おなじくはんぐわんかげたか、かはちのかみやすつな、つのはんぐわんもりつね、
いげ、二万よきとぞきこえし。うぢぢより南都へむかふ宮のおんかた、三百よき也。うぢはしひきて、びやうどうゐんにおんやすみありけるに、「かたきすでにむかひたり」といふほどこそあれ、河のむかひにうんかのせい、ちをうごかせり。びやうどうゐんにかたきありとめがけてければ、河にうちのぞみて時をつくる。さんゐのにふだうも声をあはせたり。平家のかたよりは、われさきにとすすみけり。宮のおんかたよりつつゐのじやうめうめいしゆん、かつのよろひひたたれにひ
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をどしのよろひきて、ごまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓に、にじふしさしたるたかうすべをのやを、うしろだかにおひなして、三尺五寸のまろまきのたちをかもめじりにはきなして、このむなぎなたつゑにつき、橋の上にたちあがりて申けるは、「ものそのものにさうらはねども、宮のおんかたにつつゐのじやうめうめいしゆんとて、園城寺にはそのかくれなし。平家のおんかたにわれとおぼしめさむ人、すすめや。げんざんせむ」とぞ申ける。へいけのかたより、「明俊はよきかたき、われくまんわれくまん」とて、橋の上へさとあがる。明俊はつよゆみせいびやう、やつぎばやのてききにて有けり。にじふしさしたるやをもつて、廿三騎いふせて、ひとつはのこりて
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やなぐひにあり。このむなぎなたにて十九騎きりふせて、廿騎にあたるたび、かぶとにからりとうちあててをれにければ、河へなげすつるままにたちをぬきて、九騎きりふせて、十騎に当る度、ちやうどうちをれ、河にすつ。たのむところはこしがたな、ひとへにしなむとのみぞくるひける。じやうめうばううたせじとて、ごぢゆうゐんのたぢま、こうがうゐんのろくてんぐ、おにさど、びつちゆう、のと、かが、をぐら、そんぐわつ、そんやう、じぎやう、らくぢゆう、かねこぶしのげんきやうばうら、命ををしまずたたかひけり。はしげたはせばし、そばよりとほるにおよばず。めいしゆんがうしろにたちたりけるいちらいばう、「今はしばらくやすみ給へ、じやうめうばう。いちらいすすむでかつせん
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せむ」と云ければ、明俊「もつともしかるべし」とて、ゆきげたの上にちとひらみたる所を、「ぶれいにさうらふ」とて、一来法師、うさぎばねにぞこえたりける。これをみてかたきもみかたも、「はねたりはねたり、よくこえたり」とぞほめたりける。このいちらいほふしは、普通の人よりはたけひきく、せいちひさし。きもたましひのふとき事、ばんにんにすぐれたり。さればこそ、かつちうをよろひ、きゆうせんひやうぢやうをたいしながら、みをかへりみず、あれほどせばきゆきげたの上にて、だいのほふしをかけもかけず、うさぎばねにはこえたりけれ。たちの影、天にもありちにもあり、いかづちなどのひらめくがごとし。きりおとしきりふせ
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らるる者、そのかずをしらず。じやうげばんにん、めをすましてぞはべりける。めいしゆん、いちらい二人にうたるる者、八十三人也。まことにいちにんたうぜんのつはもりなり。「あたらものどもうたすな。あらてのぐんびやううちよせよやうちよせよや」と、げんざんゐにふだうげぢしければ、わたなべたうには、はぶく、つづく、いたる、さとる、さづく、あたふ、きほふ、となふ、つら、くばる、はやし、きよし、はるかなどをはじめとして、我も我もとこゑごゑにひとつもんじのなどもなのりて、卅余騎馬よりとびおりはしげたをわたしてたたかひけり。めいしゆんはこれらをうしろにしたがへて、いよいよちからつきて、ただきよが三百余騎のせいにむかひて、ししやうふちにぞたたかひける。三百余騎とはみえしかど、めいしゆん、いちらい
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わたなべたう、卅余騎のつはものどもに二百余騎はうたれて、百余騎ばかりはひきしりぞく。そのあひだに明俊は平等院のもんないへ引て休む。たつところのやは七十余、だいじのてはいつところ也。ところどころにきうぢして、かしらからげじやうえきて、ぼうづゑつきたかねんぶつまうして、なんとのかたへぞまかりにける。ゑんまんゐんのたいふきやうしう、やぎりのたぢまみやうぜんといふ者あり。これまたぶようのみち、人にゆるされたる者也。慶秀は、しろきかたびらのわきかきたるに、きなるおほくちをき、もえぎのはらまきにそでつけたり。明禅は、かちんのかたびらにしろきおほくちをき、あらひかはの腹巻に、いむけの袖をぞつけたりける。おのおのなぎなたをとり、し
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ころをかたぶけて、又ゆきげたをわたしけるを、よせむしやどもやぶすまをつくりていければ、いすくめられてわたりえざりけるに、明禅なぎなたをふりあげ、すいしやをまはしければ、や、長刀にたたかれて、しはうにちる。春ののにとんばうの飛ちりたるにことならず。みかたもきように入てぞ、ほめののしりける。橋を引てければ、かたきすせんぎありといへども、わたりえず。みやうぜんらにふせかれて、かつせんときをぞ移しける。やぎりのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、いちらいほふし、これら三人して、はしげたわたるむしやどもをのこりすくなくきりおとしければ、のちのちにはわれわたさむとするつはものなし。びやうどうゐんのまへ、西
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岸の上、橋のつめにうつたちたる宮のおんかたのぐんびやうども、我も我もと扇をあげて、「わたせやわたせや」とまねきて、どつとわらひけり。「それほどおくびやうなるもののたいしやうぐんする事やはある。大政入道殿心おとりし給たり。あれほどふかくなるものどもをかつせんのにはにさしつかはす事、うたてありやうたてありや」と云て、まひかなづる者もあり、おどりはぬる者もあり。かくわらひはづかしむれども、橋渡らむとする者一人もなし。ゑんまんゐんのたいふは、すすみいでてさんざんにたたかひけるが、かたきあまたうちとりて、かはなじとやおもひけむ、河のはたをくだりに、しづしづとおちゆきけるを、かたきおひかかりて、「いかにいかに、
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かへしあはせよやかへしあはせよや。きたなくもうしろをばみするものかな」と申けれどもききいれず、おちてゆく。敵まぢかくせめつけたりければ、たへずして、河の中へとびいりにけり。水の底をくぐりて、むかひの岸にあがりて、「いかに、よきよろひもぬれておもくなりて、おつべしともおぼえぬぞ。よせてうてや、殿原」とまねきけれども、たいしやうにもあらねば、よせてうつにもおよばず、めにもかけず。たいふは、「さらばいとままうしてよ。寺のかたにてげんざんせむ」と申て、しづしづと三井寺の方へぞおちゆきける。平家は橋の中さんげんひきたるをもしらずして、かたきばかりにめをかけて、われさきにと渡りければ、
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どしをしにおされて、せんぢん五百余騎、河におしいれられてながれけり。ひをどしのよろひのうきぬしづみぬながれけるは、かのかむなびやまのもみぢの、みねの嵐にさそはれて、たつたがはの秋のくれなゐ、ゐせきにかかりて流れもやらぬにことならず。さんゐにふだうこれをみて、「よをうぢがはの橋の下さへおちいりぬれば、たへがたし。いはむやめいどのさんづのかはの事こそおもひやらるれ」とて。
おもひやれくらきやみぢのみつせがはせぜのしらなみはらひあへじを K073
いちらいほふし、にはかにみだぐわんりきの船に心をかけて。
宇治河にしづむをみればみだほとけちかひの船ぞいとど恋しき K074
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河におちいりてむしやどもの流るるをみて、さんゐにふだう。
いせむしやは皆ひをどしのよろひきて宇治のあじろにかかるなりけり K075
宮のおんかたに、ほふりんゐんのあらとさ、きやうばんといふ者あり。いみやうにはいかづちばうとぞ申ける。いかづちはさんじふろくちやうをひびかす声あり。このとさも、卅六町のほかにあるものをよびおどろかすだいおんじやうあり。「おほぜいなれば、さだかにはよもきこえじ。きにのぼりてよばはれ」と云ければ、岸の上の松のきにのぼりて、いちごのだいおんじやう、けふをかぎりとぞよばひたりける。「いつさいしゆじやうほふかいゑんりん、かいぜしんみやうゐだいいちじつとて、しやうある者は皆いのちををしむならひ
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なれども、ほうこうちゆうきんをいたすともがらは、さらにもつてしんみやうををしむことあるべからず。いはむや合戦の庭にかたきをめにかけながら、くつばみをおさへて馬にむちうたざるでう、だいおくびやうのいたす所なり。平家のたいしやうぐん心おとりしたりや心おとりしたりや。げんけの一門ならましかば、今は、このかはをわたしてまし。平家はいたづらに栄花をいつてんにひらきて、臆病を宇治河のほとりにあらはす。きんもつかうじきじざいにして、しひやくしびやうはなけれども、いちにんたうぜんのつはものにあひぬれば、臆病ばかりはみにあまりたりけり。やや、平家のきんだち、ききたまへ。これにはげんざんゐにふだうどの、やはずを
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取てまちたまふぞ。げんぺいりやうかの中にえらばれて、ぬえいたまひたりしたいしやうぐんぞや。おくするところもつともだうりなり。ゆゑにいちらいほふしたちをふれば、二万余騎こそひかへたれ。びろうなり。みぐるしみぐるし。おもひきりてはふはふも渡すべし」とぞよばはりたる。さひやうゑのかみとももりこのことをきき、「やすからぬことかな。かやうにわらはれぬる事こそこうたいのちじよくなれ。はしげたを渡ればこそ、ぶせいなるあひだ、いおとさるれ。おほぜいを河に打ひたし、いちみどうしんにして渡せや、ものども」とぞ、げぢせられける。かづさのかみただきよまうしけるは、「このかはのありさまをみるに、たやすく渡すべしともおぼえず。そのうへこの
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ほどはさみだれしげくして、河の水かさまさりたり。このせいをふたてにわけて、ひとてはよど、いもあらひ、かはちぢをまはりて、かたきのさきをきりて、なかにとりこめばや」とまうしければ、とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつなといふものあり。あかぢのにしきのひたたれに、ひをどしのよろひに、さんまいかぶとゐくびにきなし、しげどうの弓に、にじふしさしたるきりふのやに、あしじろのたちに、しらあしげの馬に、きぶくりんのくらおきて乗たりけるが、おほくのむしやの中にすすみいでて申けるは、「淀、いもあらひ、かはちぢをば、もろこし、てんぢくの武士がたまはりてよせんずるか。それもわれら
こそせめんずらめ。今
P1763
なからむが、そのときいでくべきにもあらず。むかしちちぶとあしかがとなかたがひて、ちちあしかが、かうづけのくににつたのにふだうをかたらひて、からめでをまはししに、につたの入道、かたきちちぶに船をやぶられて、『船なければとて、これにひかへたらむは、ゆみやとるかひあるまじ。水におぼれてこそしぬともしなめ』とて、とねがはを五百余騎にてさと渡したる事もあるぞかし。さればこのかは、とねがはにはまさりもせじ、おとりもせじ。渡す人なくは、忠綱渡さむ」とてうちいる。続くものどもはたれたれぞ。いへのこには、をのでらのぜんじたらう、さぬきのひろつなしらうだいふ、へやこのしちらうたらう、らうどうには、おほをかのあんごらう、あねこの
P1764
弥五郎、とねのこじらう、おうかたのじらう、あきろの四郎、きりうの六郎、たなかのそうだをはじめとして、三百五十騎にはすぎざりけり。ただつなまうしけるは、「かやうのだいがをわたすには、つよき馬をおもてにたて、よはき馬をしたにたてて、肩をならべてをとりくみて渡すべし。そのなかに馬もよわりて流れむをば、弓のはずをさしいだしてとりつかせよ。あまたがちからをひとつにあはすべし。馬の足のとづかむ程は、たづなをくれてあゆませよ。むまのあしうかば、たづなをすくふておよがせよ。われらわたすとみるならば、かたきやぶすまつくりていんずらむ。いるともてむかひなせそ。いむけの袖をかたきにあてて
P1765
むかひやをふせかせよ。むかひのはたみむとて、うちかぶとのすきまいらるな。さればとてうつぶきすごして、てへんのあないらるな。馬のかしらさがらば、弓のうらはずをなげかけてひきあげよ。つよくひきてひきかづくな。馬よりおちんとせば、わらはすがりにとりつきて、さうづにしととのりさがれ。かねになわたしそ。おしながさるな。すぢかへさまにみづのをにつきて、渡せや渡せや」とて、一騎も流れず、むかひのはたにまいちもんじにさとつく。向のはたにうちあがりて、忠綱はゆんづゑをつき、さうのあぶみふみはり、鎧づきせさせ、もののぐの水ぞくだしける。もんぐわい近くおしよせてまうしけるは、「とほくはおとにもきけ、
P1766
今はまぢかし、めにもみよ。とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつな、しやうねん十七歳、どうみやうわうぼふしまるとは、源平しろしめしたる事ぞかし。むくわんむゐの者の、宮にむかひ奉て弓をひきさうらふは、おそれにては候へども、しんもみやうがもだいじやうにふだうのおんうへにて候へば」とて、ざざめかひてぞかけたりける。げんざんゐにふだうよりまさは、ちやうけんのひたたれにくろかはをどしの鎧をきて、かぶとをばきざりけり。馬もわざと黒き馬にぞ乗たりける。なかつな、かねつなをさうにたてて、わたなべたうをぜんごにたてて、今を限りとさんざんにぞたたかひける。宮はそのあひだにのびさせたまひけり。そこばくのおほぜい
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せめかさなりける上、よりまさにふだうやいつくし、ておひて後は、今はかなはじとやおもひけむ、南都のかたへぞおちにける。いづのかみなかつなもうたれぬ。げんだいふのはんぐわんかねつなは、父をのばさむとて、ひきかへしひきかへしたたかひけり。ておひたりければ、むちをあげておちられけり。きなるすずしのひたたれにあかをどしのよろひきて、しらあしげのむまにぞ乗たりける。かづさのたらうはんぐわんただつな、「あれはげんだいふのはんぐわんどのとこそみたてまつりつれ。うたてくもうしろをばみせたまふものかな。返させ給へ」とて、おひかけたりければ、「宮のおんともに参る」とぞ答へける。むげに近くせめよせたりければ、今はかなはじとや
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おもはれけむ、馬の鼻をひきかへして、わがみあひともに十一騎、かたきの中へをめいてかけけるに、一人もくむものなし。さとあけてぞ通しける。じふもんじにかけわりたるを、忠綱がいるや、かねつながうちかぶとにあたりぬ。忠綱がこどねりわらは、じらうまるとて、すぐれたるだいぢからなりけるが、むずとくみておちたりけり。兼綱は下になり、二郎丸は上になりけるを、かねつながらうどうおちあひて、二郎丸が鎧のくさずりをひきあげて、あげさまにさしてけり。さて兼綱は山の中へひきこもりて、鎧ぬぎすて、腹かい切て死にけり。ひだのはんぐわんかげたかがらうどうおひつづいて、
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くびをば取て返りにけり。
十九 げんざんゐにふだうはげんぱちつづくをまねきて申けるは、「みはろくだいのけんくんにつかへて、よはひははつしゆんのすいらうにおよぶ。くわんゐすでにれつそにこえ、ぶりやくとうりんにはぢず。みちのためいへのため、よろこびはありうらみはなし。ひとへにてんがのために、いまぎへいをあぐ。いのちをこのときにほろぼすといへども、なをこうせいにとどむべし。これようじのねがふところ、ぶしやうのさいはひにあらずや。おのおのふせきやいて、しづかに自害せさせよ」とぞ申ける。三位入道は右のひざのふしをいさせたりけるが、こつがはのはたにて高き岸の有けるかくれにて、鎧ぬぎすて馬よりおりつつ、息つぎゐたりけるが、
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ねんぶつひやつぺんばかりとなへて、和歌をぞいつしゆよまれける。
むもれぎの花さく事もなかりしにみのなるはてぞあはれなりける K076
このときなどよむべしとこそおぼえねども、心にこのみし事なれば、かやうの折もせられけるこそ哀なれ。わたなべたうにちやうじつとなふといふ者に、「くびうて」といはれけれども、いけくびをとらむ事さすがにやおぼえけむ、「じがいをせさせ給へかし」と申ければ、たちを腹にさしあてて、うつぶしに伏たりけり。そののちくびかい切て、穴を深くほりてうづみたりけるを、平家のぐんびやうおひかかりて、ここかしこ穴ぐりもとめけるほどに、こつがは
P1771
のはたにして、もとめいだしてとりをはんぬ。宮はぎよしんもならせ給はず、おんのどかわかせ給ければ、水まいりたくおぼしめされけれども、かたきのいくさ多くうしろより参りかさなりければ、おんひまなくてすぎさせ給けり。おんともに参りけるのぶつら、くろまるらに、「ここをばいづくといふぞ」と、おんたづねわたらせましましければ、「これはゐでの里とまうすところにてさうらふなり。またこのかはの事にてさうらふ、やましろのみづなしがはとまうしさうらふは」と申ければ、宮うちうなづかせましまして、かくぞおぼしめしつづけさせ給ひける。
やましろのゐでのわたりにしぐれしてみづなしがはに波やたつらん K077
P1772
と、うちすさませましまして、にえのの池をうちすぎて、なしまのしゆくをも通らせ給ければ、やうやくならのきやうもちかづきて、くわうみやうざんへぞかからせたまひける。廿 昔もかつせんの庭にてかやうの歌のなをあぐる事は多けれども、まのあたりあいしやうをもよほす事はなし。みなもとのよりよしのあつそん、あべのさだたふ、むねたふをせめられし時、あうしうしのぶの乱れに、年をへて、あけぬくれぬとあらそひて、十二年までせめ給ふ。あるとしの冬のあしたに、ちんじゆふをたちて、あきたのじやうへうつりたまふ。雪は深くふりしき、道すがらかつふるままの空なれば、いむけの袖、やなみつくろふこ
P1773
ての上までも、皆しろたへにみえわたる。しらふのたかをてにすへたれば、とぶはかぜに吹むすばるる雪、都にてみなれし花のえんのまひびと、せいりやうでんのせいがいはのたもとにもおとらずこそみえられけれ。たてをのせてかぶととし、たてをうかべていかだとして、きしたかくそばたちたるころもがはのじやうをば、かしらをたれ、はをくひしばりてせめおとし給しに、さだたふ、じやうのうしろよりくづれおちて逃げけるに、いちなんはちまんたらうよしいへのあつそん、ころもがはにおひくだりてせめつけつつ、「やや、きたなくもにげいづるものかな。しばらくひかへよ」とて、
ころものたちはほころびにけり
P1774
といひかけたりければ、さだたふ少しくつばみをひかへ、しころをふりむくる形にて、
年をへしいとの乱れのくるしさに K078
と申たりければ、義家はげたるやをさしはづして、かへられにけり。いうなる事にぞ、そのころは申ける。
廿一 さてもをんじやうじのしゆと、げんざんゐにふだうよりまさら、皆ちりぢりになりて、ひとむれにても宮のおんともにもまゐらず。さひやうゑのじようのぶつら、くろまるばかりぞつきまゐりたりける。信連はあさぎのひたたれ、こばかまに、あらひかはのおほあらめのはらまきにひざのくちたたかせ、さうの
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こてさしつつ、さんまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓にたかうすべをのやおひ、三尺五寸のたちはきたり。げんざんゐにふだうのひさうの馬、あぶらかげに乗て、「宮のおんともせよ」とてえたりけるにぞ、乗たりける。宮を先にたてまいらせておちけるが、かたきをめいてせめかかりければ、かへしあはせかへしあはせ戦ひけり。くわうみやうざんのとりゐの前にて、ながれやのおんそばはらにたちぬ。馬よりさかさまにぞおちさせたまふ。こはいかがせむずるとおもひあへず、のぶつら馬よりとびおりて、物へまゐらせたれども、いふかひなし。御目も御覧じあけず、物もおほせられず、きえいらせ
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たまひにけり。黒丸と二人して、御馬にかきのせまゐらせむとすれどもかなはず。さるほどにかたきすでにせめかかりにけり。ひだのはんぐわんかげたか、このおんありさまをみまゐらせて、むちをさして、「あれあれ」といへば、らうどうおちあひて、宮のおんくびをかかむとす。のぶつら弓をすてたちを抜て、躍りあがりて、景高がらうどうのかぶとのはちをむずとうつ。うたれて、うつぶしにふしぬ。のぶつらまうしけるは、「ひだのはんぐわんとみるはひがめか。いかでか『君のわたらせ給』と申。信連かくてゐたり。馬にのりながら、事をばをきつるぞ。につぽんだいいちのをこのひとかな」と
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いひければ、「さないはせそ」とて、郎等七八人さとおりあふ。信連少しもさはがず、中へ入て、八方ちとうちまはる。十よにんのものども、みなうちしらまされぬ。ちかづく者なかりけり。「きたなし。よせてくめ。景高、おそろしきか。景高」とてきりまはるに、はせくむ者こそなかりけれ。只とほやにのみいける程に、ひざのふしをかせぎにいぬかれて、かたひざをちにつけて、こしがたなをぬきつつ、腹巻のひきあはせおしきりて、つかぐちまで腹につきたて、宮のおほとのごもりたるおんあとに参てふし、はらわたくりいだして死にけり。宮のおんくびは景高ま
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いりてかきまいらす。このまぎれに黒丸ははしりうせにけり。ぢしよう四年五月廿三日、宇治のかはせに水むせびて、あさぢが原に露きえぬ。こつがはいかなるながれぞや、頼政がたうるい、皆みじか夜の夢に同じ。くわうみやうざんはうらめしきところかな、はんりのきしゆ、長きやみにおもむかせ給ふ。しゆくしふのかぎりある事をおもひやるといへども、運命の程なき色をなげきかなしぶ。南都のだいしゆ、まつぢをもよほし、しやうゑんをかりて、そのせいつがふ三万余人にて、宮のおんむかへに参りけるが、すでにせんぢんはいづみのこつにつき、ごぢん
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はこうぶくじのなんだいもんにいまだありなどきこえければ、宮はたのもしくおぼしめされ、いかにもしてならの大衆におちくははらむとて、駒を早めてうたせましましけるに、いましごじつちやうをへだてましまして、つひにうたれさせたまひぬるこそ悲しけれ。南都の大衆ちさんして、むなしく道より帰りける事をやまほふしききて、興福寺の南大門の前に、ふだをたてたりけるとぞきこえし。
ならぼふしくりこ山とてしぶりきていか物のぐをむきとられけり K079これはやまほふし、宮にごけいやくをまうしてのち、へんがいし
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して、平家にかたらはれける事を、ならぼふし、じつごけうを作り、歌を読てわらひけるをやすからずおもひて、かやうにわらひかへしてけるとぞきえし。そもそももちひとのわうとまうすは、まさしきだいじやうほふわうのみこぞかし。くらゐにつきよをしろしめすとても、かたかるべきにあらず。それまでこそましまさざらめ、かかる御事あるべしやは。いかなりけるぜんぜのごしゆくごふのうたてさぞとおもひたてまつるも、かひなかりしことどもなり。みゐでらのあくそう、ならびによりまさにふだうのいへのこらうどう、いづみのこつのわたりにて皆うたれにけり。さだいふは馬よはくて、宮のおんともにも
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参りつかず。うしろにかたきはせかかりければ、ちからおよばずして、馬をすてて、にえののいけの南のはたの水の中に入て、草にておもてをかくして、わななきふせりければ、ぐんびやうどものけかぶとにて、われさきにとはせゆく。おそろしさ、なのめならず。「宮はさりとも、今はこつがはをばわたりて、ならざかへもかからせたまひぬらむ」とおもひける程に、じやうえきたるしにんのくびもなきを、かきて通りけるをみれば、宮の御むくろ也。おんふえおんこしにさされたり。はやうたれさせたまひにけりとみまゐらせけるに、はひいでて、いだきつきまいらせばやとは思へども、さすがに走りもいでら
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れず。命はよくをしきものかなとぞおぼえける。御笛はごひさうのさえだなり。「『このふえをば、わがしにたらむ時は、必ずひつぎにいれよ』とまでおほせられける」とぞ、佐大夫はのちに人に語りける。佐大夫は夜に入て、いけの中よりはひいでて、はふはふ京へ帰りのぼりにけり。せんかたもなかりけるが、しやうぢぐわんねんにかいみやうして、いがのかみになりて、くにすけとぞなのりける。宮よりはじめたてまつりて、よりまさふし三人、じやうげじふよにんが首をささげて、ぐんびやうら都へかへりいりにけり。ゆゆしくぞみえし。このみやには人のつねに参りつかまつる人もなかりければ、ふんみやうにみしり奉る人なかりけり。「たれか
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みしりたてまつるべき」とたづねられけるに、「てんやくのかみさだなりのあつそんこそ、去年ごなうの時、ごれうぢのためにめされてありしか」とまうすひとありければ、さてはとて、かのひとをめさるべきよし、ひやうぢやうあり。これをききて、てんやくのかみおほきにいたみまうしけるところに、よくよくみしりまゐらするにようばうを、たづねいでられにけり。女房おんくびをみたてまつりてより、ともかうもものはいはで、袖を顔にをしあててふしまろびなきをめきければ、いちじやうのおんくびとぞ人々しられける。このにようばうはとしごろなれちかづきたてまつりて、おんこなどましましければ、おろかならずおぼしめされける人也。女房も、いかにしていまひとめみたてまつらむと思
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はれける、こころざしの深さのあまりに、まゐりてみたてまつりたり。中々よしなかりけることかなとぞおぼえし。おんくびにきずのましまして、まがふべくもなかりけり。せんねんあくさうのいでさせたまひて、御命あやふく、すでにかぎりにおはしましけるを、さだなりのあつそんすぐれたるめいいにてありければ、ちゆうせつをいたし、めでたくつくろひ奉て、御命のつつがましまさざりき。なかなかそのときほうぎよあらば、よの常のならひにてこそあらむずるに、よしなく長らへさせましまして、今かかるわざはひにあはせたまふこと、しかるべきぜんぜのごしゆくごふとぞおぼえし。さてもかのてんやくのかみは、いきがたき御命を
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いけ奉る事、時に取てはぎばへんじやくがごとくに人思へり。
廿二 廿五日、せつしやうどのもとみちより、うくわんのべつたうただなりを南都へつかはしけり。だいしゆのほうきをせいせられけるに、衆徒さんざんにれうれきして、着物をはぎ取ておひくだす。くわんがくゐんのざつしき二人、もとどりをきらる。又うゑもんのごんのすけちかまさをおんひつかひにつかはすところに、こつがはのへんに大衆きむかひければ、色をうしなひてにげのぼられにけり。衆徒のらうぜきなのめならずとぞきこえし。いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけよりともむほんのために、しよじしよさんのそうとにいのりをつけられけるには、寺にはりつじやうばうをもつていのりのしとたのみけり。すなはち
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たのまれて、はちまんにせんにちこもりて、むごんのだいはんにやをよみたてまつりけるに、七百日にまんずる夜、「御ほうでんよりこがねのかぶとをたまはりて、ひやうゑのすけに奉れ」とじげんをかうぶりて、いづのくにへ使者をくだしてこのよしを申けるをりふし、寺にさうどうありときこえければ、寺にくだりてこのことにくみして、うちじにしけり。兵衛佐ききたまひて、いかにあはれとおもひたまひけむ。さればりつじやうばうの為にとて、いがのくににやまだのがうといふところを、をんじやうじへぞよせられける。だいじやうにふだうはただつなをめして、「うぢがはわたしたるけんじやうには、しやうゑん■[*手偏+攵]か、ゆげひのじようか、けんびゐし、じゆりやうか、こふによるべし」とおほせられけ
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れば、忠綱申けるは、「ゆげひのじよう、けんびゐし、じゆりやうにもなりたくもさうらはず。ちちあしかがのたらうとしつなが、かうづけのくにじふでうのこほりのおほすけと、につたのしやうをやしきどころにまうししが、かなひさうらはでやみさうらひにき。おなじくはそれをたまはるべし」とぞ申ける。「やすきことなり」とて、みげうしよかきてたまはりにけり。あしかがが一門のものども十六人、れんばんをもつて申けるは、「うぢがはを渡してさうらふけんじやうを、忠綱一人におこなはれ候事、なげきいり候。かのけんじやうをいちもんのものども十六人にはいぶんせられ候べし。しからずは、君のおんだいじさうらはむ時は、忠綱一人はまゐりさうらふとも、じよの者共はじこんいごまゐりさうらふまじ」と、
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一日に三度申たりければ、みのこくになしたるみげうしよを、さるのこくにめしかへされにけり。くわいじつ、てうぶくのほふおこなひ奉るそうども、けんじやうかうぶりて、くわんどもなられにけり。ごんのせうそうづりやうこうはだいそうづに転じ、ほふげんじつかいはせうそうづにあがる。あじやりしようへんはりつしに任ずとぞきこえし。
廿三 大将の子息、じじゆうきよむね、今年十二になりたまへるが、さんゐして、さんゐのちゆうじやうと申す。にかいのしやうにあづかり給ふあひだ、をぢくらんどのとうにゐ給へるしげひらのきやうよりはじめて、そこばくのひとびとこえられたまひにけり。「むねもりのきやうは、このひとの程にては、ひやうゑのすけにてこそおはせ
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しに、これはかんだちめにいたり給こそ、よをとり給へる人のおんこといひながら、いちはやくおそろしけれ。いちのひとのちやくしなどこそかやうのしようじんはし給へ」と、時の人かたぶきあへり。「ちちさきのうだいしやうのみなもとのもちみつたかくらのみや、ならびによりまさぼふしいげ、ついたうのしやう」とぞききがきには有ける。「わうじにはおはしまさず」といひなして、みなもとのもちみつとかうし奉る。まさしき法皇のみこぞかし。ぼんにんにさへなし奉るこそこころうけれ。頼政はゆゆしくまうししかども、をんごくまではいふにおよばず、きんごくの者もいそぎうちのぼるもなし。かたらひつる山門のだいしゆさへこころがはりしてしかば、いふかひなし。とうじようとまうすさうにんあり。「そちの
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ないだいじんはみちたかのおんここれちかこう、るざいのさうをはします。うぢどの、にでうどの、ふたところながら御命は八十、共に三代のくわんばく」とさうしたてまつりたりしは、たがはざりける者を。このせうなごんも、めでたきさうにんとこそきこえしに、「あしくさうしたてまつりたりける」とぞ人申ける。しやうとくたいしのすじゆんてんわうを、「わうしのさうをはします」と申させ給けるも、むまこのおとどにころされたまふ。あはたのくわんばくれいならずをはしけるに、をののみやうだいじんさねすけをはしたりければ、みすごしにげんざんしたまひて、ひさしくよををさめたまふべきよし、あはたどのおほせられけるに、風のみすをふきあげたりけるに、みたてまつりたまひければ、ただいまうせたまふべき人
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とみたまひけるに、程なくかくれたまひにけり。「みだうのうまのかみあきのぶを、さいゐんのみんぶきやうむこにとりたまへ」と人々申ければ、「只今出家をしてむずる人をばいかが」とまうされける程に、すなはち出家したまひにけり。ろくでうのうだいじん、しらかはゐんを、「おんいのちはかなく渡らせ給べし。とんしのさうをはします」と申されたりけり。又、「あさましきことかな。ちゆうぐうのむげに近くみえさせ給」と、北方になげきまうさせたまひけるも、たがはざりけり。さもしかるべき人は必ず、さうにんにあらざれども、皆かくこそをはすれ。廿四 このみやはおんこもはらばらにあまたをはしましけり。ちりぢりに隠れまどはせ
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たまひき。よをおそれさせ給て、ここかしこにて皆ほふしにならせたまふとぞきこえし。いよのかみあきまさのむすめの、はつでうのゐんにさんゐどのとまうしてさうらひたまひけるに、このみやしのびつつかよはせたまひける。そのおんはらにわかみや、ひめみやをはしましけり。三位殿をばにようゐんことにめしつかはせたまひつつ、へだてなきおんことにてありければ、さりがたくおぼしめしけり。このみやたちをも、にようゐんただみこのごとくにて、おんふすまの下よりおおしたてまつらせ給へり。いとほしく、かなしきおんことにぞおぼしめされける。たかくらの宮、むほんのきこえをはしまして、うせさせたまひぬときこしめしけるより、このみやたちまでもいかにとおぼしめしけるより、おんこころまどひて、ぐ
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ごもまいらず。只御涙のみせきあへず。御母のさんゐどのはきもこころもをはしまさず、あきれてをはしましける程に、いけのちゆうなごんよりもりは、にようゐんのごへんに、うとからぬ人にてをはしけるを、おんつかひにて、たかくらのみやのわかみやのをはしましさうらふなる、いだしたてまつらるべきよし、さきのだいしやう、にようゐんへまうしいれられたりければ、おぼしめしまうけたる御事なれども、いかがおほせらるべきともおぼしめしわかず。ひごろあさゆふつかへたてまつる中納言も、かくまうされて、まゐられたるあひだ、おそろしくおぼしめして、あらぬ人のやうにけうとくおぼしめされけるこそ、せめての御事とおぼえしか。いかなるだいじにおよぶとも、いだしたてまつるべしともおぼしめされ
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ねば、宮をばぎよしんじよの中にかくしおき奉て、いけのちゆうなごんにおほせられけるは、「かかるよのしうしやうのきこえしより、このごしよにはおはしまさず。おんちのひとなどが、こころをさなくみまゐらせて、うせにけるにこそ。いづくともゆくゑもしらず」とおほせられけれども、入道いきどほりふかきことなれば、だいしやうもなほさりならずまうされければ、中納言なさけかけたてまつりがたくて、ぐんびやうどももんもんにすへなどして、はしたなき事がらになりければ、ゐんぢゆうのじやうげ色をうしなひつつ、いとどさはぎあへり。よのよにてあらばこそ、ほふわうへも申させ給はんずれ。こぞの冬よりはうちこめられをはしまして、心うきおん
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ありさまなれば、いとどいかにすべしともおぼしめさず。事の有様かなふまじとや、をさなき御心にもおぼしめされけむ、「これほどのおんだいじにおよびさうらはむ上は、ただいでさせ給へ。まかり候はむ」と、宮申させたまひければ、御母のさんゐどのはことわりなり、にようゐんをはじめたてまつりて、にようばうたち、おいたるもわかきも、声をととのへて泣あひ給へり。にようくわんども、つぼねつぼねのめのわらはべにいたるまで、これを聞て袖をしぼらぬはなかりけり。ことしはやつにならせ給へるに、おとなしやかに申させ給けるこそ、ありがたくあはれなれ。中納言もいはきならねば、うちしめりてさうらはれけるに、だいしやうのおんもとよりつかひしきりにはせ参りて、「いかにいかに」
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とまうされければ、それにしたがひて、中納言もしきりにせめ奉る。「少しさもやときこしめしいづることあり。おんたづねあり」とて、としのほどおなじやうなるをさなきものをむかへよせつつ、たづねいだし奉りたりとて、宮をつゐに渡し奉らる。三位殿もにようゐんも、おくれ奉らら[* 「ら」一つ衍字]じとなげきかなしみ給事なのめならず。なくなくおんぐしかきなで、御顔かいつくろひ、おんなほし奉らせなど、いだし奉らせたまふも、只夢のやうにぞおぼしめされける。いかになりたまひなむずらむとおぼしめされけるぞ悲しき。いけのちゆうなごんみたてまつりては、かりぎぬのそでもしぼるばかりにて、おんくるまのしりに参て、ろくはらへわたしたてまつられにけり。みやいでさせたまひけるのちは、にようゐんも
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御母の三位殿も、おなじまくらにふししづみて、ゆみづをだにもおんのどへもいれられず。「よしなかりける人を、この七八年てならし奉て、かかるものをおもふこそ、かへすがへすもくやしけれ。ななつやつなどいへば、さすがにいまだ何事もおもひわくべき程にもわたらせ給はぬに、われゆゑだいじのいできたることもかたはらいたくおぼしめして、いでさせたまひぬるありがたさの悲しさ」とて、かへすがへすくどかせ給。だいしやうもみたてまつりたまひては、涙をおしのごひ給へば、宮もなにとおぼしめしけるやらむ、うちなみだぐませたまひけるぞ、らうたき。「にようゐんのおんふところよりやしなひたてまつりて、なげきおぼしめさるる心ぐるしさ」など、中納言かきくどきこまごと
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まうされければ、だいしやうも入道になのめならずまうされけるあひだ、ごしらかはのゐんのみこ、にんわじのしゆかくほふしんわうへ渡し奉て、御出家あり。みなをばだうそんと申す。のちはとうだいじのちやうじやにならせたまひけるとかや。院のみこたち皆御出家ありしに、このみやの心とく御出家だにもありせば、よかりなまし。よしなきごげんぶくのありけるこそ、かへすがへすも心うけれ。なほみこはをはしますときこゆ。一人は、たかくらのみやのおんめのとのをつと、さぬきのせんじしげすゑぐしたてまつりて、ほつこくへおちくだりたまへりしをば、きそもてなし奉て、ゑつちゆうのくにみやざきといふ所にごしよをたててすゑ奉りつつ、ごげんぶくありければ、きその
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宮とぞ申ける。又はげんぞくの宮ともまうしけり。G16
廿五 むかしえんぎのみかどの第十六のみこ、げんめいしんわう、むらかみのみかどのだいはちのみこ、ぐへいしんわうとて、二人をはせしをば、さきのちゆうしよわう、ごちゆうしよわうとて、けんわうせいしゆのみこにて、さいちさいげいめでたくわたらせ給しかども、わうゐにつかせたまふことはべちのおんことなれば、さてこそやみたまひしか。されどもむほんをやおこしたまひし。中にもさきのちゆうしよわうと申は、かんさいたへにおはしまししかば、せいむの道にもあきらかにおはしましければ、げんせいをたまはりて、じゆにゐのうだいじんになし奉て、ばんきのまつりごとをたすけ奉りたまひし程に、れんぜいのゐんの
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ぎよう、このきみのいみじくおはします事をねたましくやおもひたまひけむ、時のくわんばくにざんげんせられたまひて、くわんゐとりかへされたまひて、ただもとのみやばらにておはしましけれども、さらにうらみともおもひたまはず。只岩のかけみちとのみいそがれて、じんしんしづかならむ事をのみもとめたまふ。つひにかめやまのほとりにきよをしめていんきよし給ひ、ときうふをつくりて朝夕えいじ給けり。さしもしふしおぼしめし、なをえたる所のけいきなれば、おんかはをたづぬるながれしろくしてばうばうたり。しかいをくみて心をなぐさめ、ばんぜいをよばふやまあをくしてそくそくたり。せんきゆうに入ておいを休む。いはねを通る滝の音、
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みねにはげしき嵐のみぞ、こととふすみかとなりにける。へきじゆにうぐひすのなく春のあしたには、らまくをはらひてぎんじ、こうさんに猿さけぶ秋の夜は、ぎよくしんをそばたてて、しづかにえいず。としさりとしきたれども、ひの光つきのひかりすぎやすきことをうれへ、きのふもくれけふもくれて、心のやみはれがたきことをぞかなしみたまひける。あるゆふぐれにやまかぜあらあらとふきおろして、雲のけしき常よりもまなことどまる空のけいきなり。よのうきときのかくやはものがなしき事も、痛くおぼえたまはず。御心のすむままに、ことをかきならし給ければ、をりふし山おろしにたぐふ物のね、れいよりも
すみのぼりて、
P1802
われから哀れもおさへがたきおんそでの上也。てうし、だいじきてうなりければ、じんわうはぢんらくといふがくをひきたまひける程に、いとおそろしくあさましげなる鬼ひとり、おんまへにひざまづきてききゐたり。こはいかにとおどろきおもひたまひけれども、さらぬやうに御心をおさへて、おんことをひきたまふ。ややひさしくありて、なほさりげなるおんこゑにて、「あれは何者ぞ」ととひたまひければ、おにこたへてまうすやう、「われこれたいたうのぶんし、げんしんとまうしし者にてはべり。ことばの花にふけり、おもひ露にぬれて、春を迎へ秋を送りてはべりし程に、此のよはかなくなりはべりにしかば、きやうげんきぎよの心をとどめたりし
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罪のむくいにや、今かかるあさましきかたちをえたり。わがつくりおきはべりししふども、たうこくにもにつぽんにも、多くくちずさみあひてはべり。そのなかに菊の詩に、
これはなのなかにひとへにきくをあいするにはあらず、このはなひらけつくしてさらにはなのなければなり。 K080
とつくりてはべりしを、人皆『このはなひらけてのち』とえいじはべり。このよをさりぬるみなれども、おもひそみにし事なれば、なほほいなくはべるなり。そのみちをえむ人にしめしたくは思へども、さすがにかくとつぐるまでの人、よにすくなくはべれば、おもひわびてすごしはべりつるに、ただいまかけりはべるが、おんことのねにおどろきて、しばらくさすらひ侍り。君は
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いみじくめでたきさいじんにておはしませば、あひかまへてあひかまへてこのほんいとげさせ給へ。くわんけこのしをじよとして侍るには、『ひらけつくして』と侍り。さればそれはうれしく侍也」と申せば、しんわうきこしめして、「いとやすきことにこそはべるめれ」とて、ひごろなにとなくごふしんにおぼしめされけることども、とはせたまひければ、こまごまにこたへまうして、誠にうれしげにて、涙を流してをあはせて、かきけつやうにうせにけり。さてこそ、げんしんがぶんしやうにそめる色も、親王のしふにひいでたまへる程も、共にあらはれて、せじんききつたへて、かんるいをぞながしける。昔も今もためしあるべしともおぼえぬことども、あまたありけり。そのなかに
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ことに不思議なりける事は、かめやまにすませ給へども、水のなかりけるをほいなきことにおぼしめして、このしんわうまつりいださせ給へり。そのさいもんは『もんずい』にみゆ。これによつて神のかんおうありければ、すなはちひせんわきいでたり。今のおほゐがはとまうすはかの水のながれなるべし。さがのいんくんとまうすはこのみやのおんことなり。御年卅七にして、よをそむきたまふべき事を夢に御覧じて、そのとしになりしかば、みづからいちじようゑんどんのしんもんを書写し、しづかにしやうじむじやうのあいしやうをくわんじたまひて、ただほとけをのみぞ念じ奉り給ける。「きたりてとどまらず、がいろうあしたをはらふつゆあり。さりてかへらず、きんりに
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なしゆふべになぐるはな」とぐわんもんをあそばして、つひにかくれさせ給ぬ。ぜんだいにもいときかず、みらいにも又ありがたく、あはれなりし御事なり。廿六 ごさんでうのゐんのだいさんのわうじ、すけひとのしんわうとておはしましき。めでたきけんじんにてましましければ、「とうぐうおんくらゐののちには、かならずおんおとと、すけひとのしんわうをたいしにたてまいらせたまふべし」と、ごさんでうのゐん、しらかはのほふわうに申させたまひければ、たしかにおんことうけありけり。宮もたうとうぐうごそくゐの後は、わがおんみおんゆづりをうけさせおはしますべきよし、おぼしめされける程に、とうぐうさねひと、えいほうぐわんねん八月十五日、おんとし十一と
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まうししに、をののみやのていよりせうやうしやに移らせたまひて、ごげんぶくありし程に、おうほう二年二月八日、おんとし十五にして、あへなくうせたまひにしかば、ごさんでうのゐんまうしおかせたまひしが如く、さんのみや、たいしにたちたまふべかりしを、そのさたなかりけり。しようほうぐわんねん十一月十二日、しらかはのゐんのいちのみや、あつふんのしんわうごたんじやう。こんじやうきさいばらのだいいちのわうじにておはしまししかば、さうなくたいしにたちたまへりしあひだ、そのさたなくてわたらせたまひしかども、あつふんのしんわう、しようりやくぐわんねん八月六日、おんとししさいにしてうせ給へり。おなじき三年七月九日、ろくでうのうだいじんあきふさこうのおんむすめのおんはらにほりかはのゐんごたんじやう。
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同年十一月三日、しんわうのせんじをくだされたりけれども、たいしにはたち給はず。「これらはさんのみやのおんこと、ごさんでうのゐんのごゆいごんををそれさせ給ゆゑ」とぞ、古き人はまうしはべりし。しかりといへどもおうとく三年十一月廿八日、おんとし八歳にしてゆづりをえさせ給。やがて同日、とうぐうとす。よしひとのわうこれなり。太子にもたち給はず、親王にてぞおんくらゐにつかせ給ける。くわんぢぐわんねん六月二日、やうめいもんゐんにてごげんぶくはありしかども、太子のさたにもおよばず。かうわ五年正月十六日に、とばのゐんごたんじやうありしかば、いつしかそのとしの八月十七日に、太子にたたせたまひにしか
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ば、さんのみやはおぼしめしきりて、にんわじのはなぞのといふところに、ろうきよせさせたまひたりけるに、法皇より、「いかに、いつとなくさやうにてはましますにか。ときどきは京などへもいでさせ給へかし」など、こまごまとおほせられて、くに、しやうゑんなどあまた奉らせたまひたりけるおんぺんじには、「はなありけだものありさんちゆうのとも、うれひなしよろこびなしせじやうのこころ」と、申させたまひたりけり。そうじてしいかくわんげんの道にすぐれてましましければ、人申けるは、中々よにもなく、官もをはせぬ人は、ゐんうちのおんことよりもめづらしくおもひたてまつりて、人参りかよふともがら多かりければ、時の人は、さんのみやのひやくだいふとぞまうしける。かかり
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けれども、ごそくゐさうゐしてければ、さんのみやいかばかりほいなくおぼしめされけめども、よのみだれやはいできたりし。このみやの御子はなぞののさだいじんを、しらかはのゐんのおんまへにてごげんぶくせさせまゐらせて、げんじのしやうをたまはらせたまひて、むゐよりいちどにさんゐしつつ、やがてちゆうじやうになしたてまつられたりけるは、すけひとのしんわうのおんうれひを休め、かつうはごさんでうのゐんのごゆいごんをおそれさせたまひける故とかや。いつせいのげんじ、むゐより三位したまひし事は、さがのてんわうのみこ、やうゐんのだいなごんさだむのきやうのほかは、うけたまはりおよばず。れんぜいのゐんおんくらゐの時、うつつおんこころもなく、ものぐるはしくのみおはしましければ、
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「ながらへててんがをしろしめすこといかが」と思へりけるに、おんおととのそめどののしきぶきやうのみや、にしのみやのさだいじんのおんむこにておはしましけり。よき人にて渡らせ給と人思へり。なかづかさのせうたちばなのとしのぶ、そうれんも、ちはるなどが、「しきぶきやうのみやをとりたてまつりて、とうごくへおもむきて、ぐんびやうをかたらひつつ、位につけたてまつらむ」と、うこんのばばにてよなよなぎしけるを、ただのまんぢゆうこのよしをそうもんしたりければ、にしのみやどのはながされたまひにけり。にしのみやどのはしりたまはざりけるを、としのぶは「はりまのくにたまはらむ」、れんもは「一度にそうじやうにならん」などおもひて、かかる事を思ひたちにけり。まんぢゆうもかたらはれたりけるが、
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つくづくあんずるに、よしなしと思ける上に、西宮にてとしのぶと満仲とすまふをとりたりけるに、としのぶすぐれたりけるだいちからにて有ければ、満仲かうしになげつけられたりけるに、かうしやぶれて、満仲がかほやぶれにけり。満仲いかりて、こしがたなをぬきて、敏延をつかむとす。敏延、かうらんのほこぎをひきはなちて、踊りのきて、「なんぢ、我にちかづかば、汝がかしらはさきにうちやぶりてむ」と云ければ、満仲ちかづかずしてやみにけり。このいしゆありて、敏延をうしなはむが為にまうしたりともいへり。このことをば、こいちでうのさだいじんもろまさのことにまうしさたして、にしのみやのさだいじん
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流して、そのかはりに大臣にはこいちでうのなりたまひたりけるが、いくほどもあらで、程なく声のうするやまひをして、ひとつきあまりありてうせたまひにけり。れんもをば、けんびゐし、がうきによせてせめとひければ、れんも涙を流しつつ、「りやうがいのしよそん、たすけ給へ」と申ければ、がうきもむちつゑもいちじにくだけ破れにけり。しらかはのゐんのみこのぜんしのないしんわうをば、にでうのおほみやとぞまうしける。とばのゐんのくらゐにつかせたまひけるに、おんははしろにてくわうごうぐうとてだいりにわたらせたまひけるおんかたに、えいきうぐわんねん十月のころらくしよありけり。「だいごのしようがくそうづのわらはにせんじゆまるとまうす
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が、人のかたらひによりて、君を犯しまいらせむとて、常に内裏にたたずみありく」と申けり。くわうごうぐうのおんかたより、このらくしよをしらかはのゐんへまゐらせさせたまひたりければ、法皇おほきにおどろかせ給ひつつ、けんびゐしもりしげにおほせて、このせんじゆまるをからめてとはれければ、「だいごのにんくわんあじやりがかたらひ也」と申。彼のにんくわんは、このさんのみやのごぢそうなりけり。あるいはうへわらはのすがたにもてなし、あるいはないしのすけをふるまひて、年々よなよなびんぎをうかがひけれども、かけばくもかたじけなし。なじかはほんいもとぐべき。いまいましともいふはかりなし。もりしげをもつてにんくわんをたづねらる。仁寛しようふくし
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まうしける上は、ほつけにおほせつけてざいめいをかんがふる。ほつけのかんじやうをもつて、くぎやうせんぎあり。つみせつけいにあたれりけれども、しざいいつとうをげんじて、をんるにさだめらる。仁寛をばいづのくにへつかはす。せんじゆまるをばさどのくにへつかはしてけり。さしものぢゆうくわの者をなだめられける事こそ、わうくわとおぼえて、やさしかりける御事なれ。おほくらのきやうためふささんぎして、せんぎのざにさうらはれけるが、「ふぼきやうだいはしざいにおよぶべからず」とまうされければ、しよきやう、もつともしかるべきよしいちどうにまうされて、えんざにおよばざりけり。かのためふさのきやうは、君の為にちゆうあり、人の為にじんをはしけり。されば今、子
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孫のはんじやうしたまふもことわりなり。これをばひしよくのともがら、おほけなき事をおもひくはたてたりけり。今のさんゐにふだうのおもひたたれけむは、これにはにるべき事ならねども、つひにせんどをたつせずして、宮をうしなひ奉り、わがみもほろびぬる事こそ、かへすがへすもあさましけれ。廿七 ろくでうどのとまうすにようばうのおんはらに、法皇のみこのおはしましけるをば、ひやうぶのたいふときゆきのおんむすめ、こけんしゆんもんゐんのおんこにやしなひまいらせて、七才にて、いんじあんげんぐわんねん七月五日、ざすのみやのごばうへいれたてまつりて、しやくしにさだまらせたまひたれども、
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いまだ御出家なかりしが、たかくらのみやかくならせたまひて、おんきんだちまであなぐりもとめられければ、あなおそろしとて、ひなみの善悪にもおよばず、あはてておんぐしそりおろしたてまつりにけり。今年は十二才にぞならせ給ふ。かかるよのみだれなれば、ごじゆかいのさたにもおよばず、しやみにてぞわたらせ給ひける。かぜふけばきやすからぬここちして、よそまでもくるしかりけり。みのためひとのため、よしなきことひきいだしたりけるよりまさかな。廿八 そもそもげんざんゐよりまさとまうすは、つのかみらいくわうに五代、みかはのかみよりつなのまご、ひやうごのかみなかまさがこなり。ほうげんのかつ
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せんにみかたにてさきをかけたりしかども、させるしやうにもあづからず。またへいぢのげきらんにも、しんるいをすててさんじたりしかども、おんしやうこれおろそかなり。おほうちのしゆごにてとしひさしくありしかども、しようでんをも許されず。としたけよはひかたぶきてのち、じゆつくわいの和歌一首読てこそ、昇殿をば許されけれ。
人しれずおほうちやまのやまもりはこがくれてのみ月をみるかな K081
この歌によつて昇殿し、じやうげのしゐにてしばらくありしが、三位を心にかけつつ、
のぼるべきたよりなければこのもとにしゐをひろひてよをわたるかな K082
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さてこそ三位をばしたりけれ。やがて出家して、げんざんゐにふだうよりまさとて、こんねんは七十五にぞなられける。このひとのいちごのかうみやうとおぼしき事には、にんぺいのころをひ、こんゑのゐんございゐの時、しゆしやうよなよなをびへたまぎらせ給ふ事ありけり。しかるべきうげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆせられけれども、そのしるしなし。ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたよりくろくもひとむらたちきたりて、ごてんのうへにおほへば、しゆしやうかならずをびへさせたまひけり。これによつてくぎやうせんぎあり。「さんぬるくわんぢのころをひ、ほりかはのてん
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わうございゐの時、しかのごとく主上をびへさせ給ふ事あり。そのときのしやうぐん、ぎかのあつそん、なんでんのおほゆかにさうらはれけるが、めいげんする事さんどののち、かうしやうに『さきのむつのかみ、みなもとのよしいへ』と、高らかになのられたりければ、ごなうおこたらせたまひけり。しかれば、せんれいにまかせて、ぶしにおほせてけいごあるべし」とて、げんぺいりやうかの中をえらばせられけるに、このよりまさぞえらびいだされたる。そのときはひやうごのかみとぞまうしける。頼政申されけるは、「昔よりてうかに武士をおかるる事、ぎやくほんのものをしりぞけ、ゐちよくのものをほろぼさんが為也。『めにもみえぬ
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へんげのものつかまつれ』とおほせくださるる事、いまだうけたまはりおよばず」とは申されながら、ちよくせんなれば、めしにおうじてさんだいす。たのみきりたるらうどう、とほたふみの国のぢゆうにんゐのはやたに、ほろのかざきりはいだるやおはせて、只一人ぞぐしたりける。わがみはふたへのかりぎぬに、やまどりのををもつてはいだりけるとがりやふたつ、しげどうの弓にとりぐして、なんでんのおほゆかにしこうす。頼政やをふたすぢたばさみける事は、がらいのきやう、その時はいまださせうべんにてぞをはしけるが、「へんげの者つかまつらんずるじんは頼政ぞさうらふらむ」と申されたるあひだ、「いちのやにへんげの者をいそんじつるもの
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ならば、にのやにはがらいのべんのしやくびの骨をいん」となり。ひごろひとのまうすにたがはず、ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたより、くろ雲ひとむらたちきたりて、ごてんのうへにたなびきたり。頼政きつとみあげたれば、雲のなかにあやしき物のすがたあり。是をいそんずるものならば、よにあるべしとは思はざりけり。さりながらやとりてつがひ、「なむはちまんだいぼさつ」としんぢゆうにきねんして、よくひきてひやうどはなつ。てごたへして、はたとあたる。「えたり、をう」と、やさけびをこそしたりけれ。おつる
所をゐのはやたつと
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より、とりておさへて、つづけさまにここのかたなぞさしたりける。そののちじやうげてんでにひをともしてみ給へば、かしらは猿、むくろはたぬき、をはくちなは、手足はとら、なく声ぬへにぞにたりける。おそろしなどはおろかなり。しゆしやうぎよかんのあまりに、ししわうといふぎよけんをくださせ給ふ。宇治のさだいじんどの、是をたまはりつぎて、頼政にたばんとて、おんまへのきざはしを、なからばかりおりさせ給ふところに、ころはうづきとをかあまりの事なれば、くも
ゐにほととぎすふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、左大臣どの、
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ほととぎすなをもくもゐにあぐるかな
とおほせられかけたりければ、頼政右のひざをつき、左の袖をひろげて、月をすこしそばめにかけつつ、
ゆみはりづきのいるにまかせて K083
とつかまつり、ぎよけんをたまはりてまかりいづ。「およそこのよりまさは、ぶげいにもかぎらず、かだうにもすぐれたり」とぞ、人々かんぜられける。さてそのへんげのものをば、うつほぶねにいれて流されけるとぞきこえし。又おうほうのころをひ、にでうのゐんのございゐの時、ぬえといふけてう、きんちゆうになきて、しばしばしんきんをなや

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したてまつる。しかればせんれいにまかせて、頼政をぞめされける。ころはさつきのはつかあまり、まだよひの事なるに、ぬへただひとこゑおとづれて、ふたこゑともなかざりけり。めざすともしらぬやみにてはあり、すがたかたちもみえわかねば、やつぼをいづくともさだめがたし。頼政はかりことに、まづおほかぶらを取てつがひ、ぬえの声しつるだいりのうへへぞいあげたる。ぬえ、かぶらの声におどろきて、こくうにしばしぞひひめいたる。にのやにこかぶらとりてつがひ、ひふつといきりて、ぬえとかぶらとならべて前にぞおとしたる。きんちゆうざざめきあへり。今度はぎよいをくださ
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せ給ふ。おほひのみかどのうだいじんどのきんよしこう、これをたまはりつぎて、よりまさにかづけさせ給ふとて、「昔のやういうはくものほかのかりをいき。今の頼政はあめのうちのぬえをいたり」とぞ感ぜられける。
さつきやみなをあらはせるこよひかな
とおほせられかけたりければ、
たそかれ時もすぎぬとおもふに K084
とつかまつり、ぎよいをかたにかけてたいしゆつせらる。そのときいづのくにたまはつて、しそくなかつなじゆりやうになし、わがみさんゐし、たんばのごかのしやう、わかさのとうみやがはちぎやうして、さてをはすべ
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かりし人の、よしなきむほんおこして、宮をもうしなひ奉り、わがみもほろび、しそくしよじゆうにいたるまでほろびぬるこそうたてけれ。さてもくだんのばけもの、あまたけだもののかたちありけん、かへすがへす不思議なり。昔かんてうにこくわうましましき。このわうあまりにたのしみほこりて、「わざはひといふもの、いかなる物ならむ。あはれ、みばや」とのたまひけり。だいじん、くぎやう、ちよくせんをうけたまはりて、わざはひといふものをたづねけるに、おほかたなし。あるとき天よりどうじきたりて、そのときの大臣にのたまはく、「是ぞわざはひといふ物なる。そだててみ給へ」とて帰りぬ。取てみれば、ちひさき虫にてぞ有ける。このよしをてい
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わうに奏するに、おほきによろこびたまひて、是をじあいせらる。「何をかくひものとする」とて、いつさいの物をあたふるに、おほかたくはず。あるときあまりにあやしとて、さまざまのいしこがねなどの類をあたへける。そのなかにくろがねをしよくしけり。ひに随ておほきになる事をびたたし。次第に大きになりていぬほどになり、のちにはししなどのやうに成ても、くろがねよりほかにくふ物なかりけり。くろがねもくひつくしてのちには、だいりをはじめとして、人の家のくぎどもをすひぬきてくひけるのちに、くわうきよ、じんをく、ひとつとしてまつたきはなかりけり。誠にてんがのわざはひとぞみえける。このものひにしたがひておほきになること、そのごありげも
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なし。たうじだにもあり、のちはいかがせむとて、くにぐにのえびすどもをめして、これをいさせらるる。およそそのみくろがねなりければ、やたつ事なし。つるぎをもつてきりけれども、きれず。おのれが好む物なれば、剣をも食けるあひだ、はてにはたきぎの中につみこめて、ひをさしつつやくに、七日七夜もえたり。今はうせぬとおもひけるに、ひのなかのより、くろがねをやきたるがいでたりけるほどに、是がよる所は皆やけうせにけり。さんやにまじはるところけぶりになりて、ところどころのひもえ、をびたたしなどはいふはかりなし。しかるあひだ、このくにに人すみがたかりければ、何ともすべきはかりことつきはてて
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ければ、うげんの僧をめしあつめて、さんしちにち、てんどうのほふをおこなはせられけるに、いちしちかにちに当りける日、国のさかひをいでて、すべてそののちはみえず。こくわう、にんみん、よろこびあへる事なのめならず。てんどうかのけだものをがうぶくし給けるにや、たこくにいでてさんちゆうにて死にけり。死てのち、じしやくといふいしになりにけり。いきてこのみける物なれば、死て石となりたれども、なほくろがねをとるものとなりたりけるこそ、おそろしけれ。今のじしやくせん、これなり。しかるにかのけだものこそ、ちくるいななつの姿を持たりけるとうけたまはれ。鼻は象、ひたひと腹とはりよう、くびはしし、せなかはさちほこ、皮は
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へう、をは牛、足は猫にてありけるとかや。いまのよまでもばくとまうして、ゑにかきて人の守りにするは、すなはちこのけだものなり。いまよりまさのきやういるところのばけものも、かのばくほどこそなけれども、不思議なりしいきんなり。廿九 そもそもこんどのむほんをたづねれば、むまゆゑとぞきこえし。さんゐにふだうのちやくしいづのかみなかつな、としごろひさうしたるめいばあり。かげなる馬の、をがみあくまでたくましきが、なをばこのしたとぞまうしける。さきのうだいしやうむねもり、しきりにしよまうせらる。いづのかみ、命にかへてこれををしく思はれければ、「余りにそんじてさうらふときに、
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いたはらむが為に、このほどゐなかへつかはして候。とりよせてまゐらすべくさうらふ」とて、一首の歌をぞおくりける。
ゆかしくはきてもみよかしこのしたのかげをばいかがひきはなつべき K085
よにはついしようしたがる者有て、「その馬はきのふもかはらにて水けさせてさうらひつる物を。けふもにはのりしつるものを」など申ければ、むねもりなほ、「その馬をたまはりてとどめんとにはさうらはず。ただひとめみて、やがてかへしたてまつるべし」とのたまふ。いづのかみ、父の入道にこのよしを申す。入道、「いかにたてまつらぬ。こがねをまろめたる馬なりとも、人のしよまうせられむにをしむべきか。とくとく」とのたまへば、ちからおよばず、かの
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馬をむねもりのもとへつかはす。この馬のなをばこのしたと申ければ、ふみにも「このしたまゐらせさうらふ」とこそかかれけれ。しかりといへども、はじめのたびをしみたるをにくしとや思はれけむ、人のきたればぬしのなをよびつけて、「なかつなめ、とりてつなげ。仲満めにくつばみはげよ。さんざんにのれ。うて」などのたまふ。伊豆守このことをききて、やすからぬ事におもひて、父の入道に申けるは、「心うき事にこそ候へ。さしもをしくおもひさうらひし馬を、宗盛がもとへつかはして候へば、いちもんたもんしゆえんし候けるざしきにて、『そのなかつなまるにくつばみはげてひきいだして、うて、はれ』なむどまうして、さんざんにあつこうつかまつりさうらふなる。人にかく
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いはれても、よにながらへ、人にむかひておもてをならぶべきか。自害をせばや」と申す。誠にこころざしつくしがたし。入道たのみ切たるちやくしをうしなひて、ながらへてなににかはせむなれば、このいしゆを思て、宮をも勧め奉り、むほんをもおこしたりけり。誠にいきどほりをふくむもことわりなり。さればきほふのたきぐちに、宗盛のひかれたりしとほやまをば、をんじやうじにてをがみを切て、「むねもり」といふふだをつけ、京のかたへおひはなつ。きはめていさめる馬なれば、きやうぢゆうをはせありく。人これをみて、「あなあさましし。さんぬるころおほいとののもとに、なかつなといふ馬のありしをこそあさましとおもひ
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しに、今は又むねもりといふ馬のまよひありくこそ不思議なれ。よの末にはかくみにくき事も有ける」とぞ申ける。人は世にあればとて、いふまじき事をばつつしむべきにや。これにつけてもこまつどののおんことをしのび申さぬ人はなかりけり。あるときこまつのだいふ、だいりへまゐりたまひたりけり。やいんにめんだうにて、としごろしりたまひたりける女をひかへて、ものがたりしたまひけるに、いづくよりきたるともおぼえぬに、おほきなるくちなは、だいふの肩にはひかかりたりけるに、少しもおどろきたまはず。にようばうおそれなむずとおもひたまひて、おんみはたらかし[* 「はたかかし」とあり「か」を「ら」と訂正]給はでをはしけるほどに、くちなはさしぬきのももだちへ
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はひいりにけり。そののち「人やさうらふ」とのたまひけれど、人まゐらず。時のおとどにてをはするあひだ、「ろくゐやさうらふ」とめされければ、いづのかみなかつな、六位にて候けるが、まゐりたりけるに、だいふももだちをひきあけて、「これはみえらるるか」とてみせられけるに、「みえさうらふ」と申されければ、「さらばとられよ」とおほせられければ、伊豆守くちなはのかしらを取て、かりぎぬのしたにひきいれて、女にみせずしていでたまひて、「人や候」とのたまひければ、おつぼのめしつぎの参たりけるに、「これとりてすてよ」とて、さしいだし給たりければ、めしつぎ色をうしなひてにげいでにけり。そののち伊豆守のらうどう、わたなべたうにはぶくのじらうと
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いふものまゐりたりけるが、取てすてけり。よくじつにこまつどののおんもとより、じひつにおんふみあそばして、伊豆守のもとへつかはされけるに、「そもそもきのふのおんふるまひ、ひとへにげんじやうらくとこそみえたてまつりさうらひしか。これへ申てこそまゐらすべくさうらへども」とて、黒き馬のふとくたくましきに、しろぶくりんのくらおきて、あつぶさのしりがいかけて、ながぶくりんのたちを錦の袋にいれて、おくられけり。伊豆守のおんぺんじには、「かしこまりて御馬たまはりさうらひぬ。誠に参てたまはるべきところ、おくりたまひさうらふこと、ことにもつておそれいり候。おほせをかうぶりさうらひし時、おほせのごとくげんじやうらくのここちつかまつりてこそぞんじさうらひしか」とぞ、まうされたりける。誠に
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ありがたかりける、こまつどのの御心ばへかな。「あはれ、おんいのちのながらへて、よのまつりごとをたすけましまさんには、いかにせけんもおだやかに、こくどもしづかならまし」と、ばんにんをしみ奉るといへども、かひなし。ひごろはさんもんのしゆとこそ騒ぎおどろおどろしくきこえしに、今度は山にはべつじなくして、なんとの大衆もつてのほかにさうどうしければ、にふだうしやうこくあまりにやすからぬことにおもはれければ、みゐでら、なんとのしゆとのちやうぼんをめしきんぜらるべきよし、そのさたありけり。南都には深くいきどほりて、てんがのおんつかひさんざんにりようりやくして、いよいよあくぎやうをぞいたしける。
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卅 廿九日には、「みやこうつりあるべし」と、ひごろささやきあへりけれども、さしもやはとおもひける程に、「来月みつかのひ、まづふくはらへぎやうがうあるべし」とおほせくだされたりければ、じやうげあきれさはぎあへり。こはいかなる事ぞとて、ぜひにまよへり。さらにうつつともおぼえず。六月ふつかのひ、にはかにだいじやうにふだうのとしごろかよひたまひつるふくはらへ行幸あり。みやこうつりとぞきこえし。ちゆうぐう、いちゐん、しんゐん、せつしやうてんが、くぎやう、てんじやうびと、皆参り給へり。みつかのひとかねてはきこえしが、にはかにひきあげらるるあひだ、ぐぶのじやうげいとどあわてさわぎて、とるものもとりあへず。ていわうのをさなくをはしますには、きさきこそおなじこしには奉るに、これはおんめのとの
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へいだいなごんのきたのかた、そつのすけどのぞ参りたまひける。「これはいまだせんれいなきことなり」とぞ、人々あさみたまひける。みつかのひ、いけのだいなごんよりもりのいへをくわうきよとさだめたてまつりて、しゆしやうをわたしたてまつる。よつかのひ、頼盛は家のしやうをかうぶりて、じやうにゐしたまひて、うのだいじんのおんこ、うだいしやうよしみちこえられ給へり。いちゐんは、しめんははたいたしまはしたる所の、くちひとつあけたるにおはしまして、しゆごの武士きびしくて、たやすく人もまゐらざりけり。とばどのをいでさせましましかば、少しくつろぐやらむとおぼしめししかども、たかくらのみやのおんこといできたりて、又いかにしたるやらむ、かくのみあれば、こころうしとぞおもはれける。「今はただよの
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事もおぼしめしすてて、やまやまてらでらをもしゆぎやうして、かのくわさんのゐんのせさせおはしましけむやうに、おんこころにまかせておはしまさばや」とぞおぼしめされける。そもそもよよのみかどせんとの事、せんじようをたづぬるに、じんむてんわうとまうしたてまつるは、ぢじんごだいのみかど、ひこなぎさたけうがやふきあへずのみことのだいしのわうじ、御母、たまよりひめ、かいじんのえむすめなり。じんだいじふにだいののち、かのとのとりのとし、ひうがのくにみやざきのこほりにて、にんわうはくわうのほうそをつぎたまひて、五十九年つちのとのひつじ十月にとうせいして、とよあしはらのなかつくににうつりつつ、うねびのやまをてんじてていとをたて、
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すきはらのちきりはらひて、きゆうしつをつくり給へり。すなはちこれをかしはらのみやとまうす。このおんときさいしゆを定め、よろづのかみをまつりたてまつる。このくにをあきつしまとなづけしよりこのかた、よよのていわうのおんとき、都をたしよへうつさるること、三十度に余り、四十度に及べり。すいせいてんわうはやまとのくにかづらきのたかをかの宮にまします。あんねいてんわうはかたしほうけなの宮にまします。いとくてんわうはかるのまがりかをの宮にまします。かうせうてんわう、かづらきのかみのこほり、わきのかんいけこころの宮にまします。かんあん天王はむろのあきつしまの宮にまします。かうれいてんわうはくろだのいほどの宮にまします。かうげんてんわうは
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かるのさかひはらの宮にまします。かいくわてんわうはそふのこほりかすがのいざかはの宮にまします。すじんてんわうはしきのみづかきの宮にまします。このおんとき、君のみつぎ物をそなへたてまつり、しよこくに池をほり、船を作りはじめけり。すいにんてんわうは、まきむくたまきの宮にまします。このおんとき、はじめてくわしのたぐひをうゑらるる。たちばなとうこれなり。けいかうてんわうはまきむくひしろの宮にまします。このおんとき、はじめてたけうちのすくねをおとどになしたてまつる。又国々の民のかばねをさだめらる。いじやうじふいちだい七百余年は、みなこれやまとのくにをしめて、たこくへみやこをうつされず。せいむてんわうぐわんねんに、大和国より
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あふみのくににうつりて、しがのこほりに都をたてて、六十余年はたかあなほの宮にまします。ちゆうあいてんわう二年九月に、近江国よりながとのくににうつりて、九年はあなととよらの宮にまします。てんわうかのみやにしてほうぎよなりしかば、きさきじんぐうくわうごう、よをつがせたまひて、いこくのいくさをしづめたまひてのち、ちくぜんのくにみかさのこほりにてわうじごたんじやうあり。かけまくもかしこくはちまんだいぼさつとまうす、このおんことなり。おうじんてんわうと申奉る。神功皇后はなほ大和国にかへりて、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮に六十九年まします。おうじんてんわうは、おなじきくにたけちのこほりかる
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しまのとよあかりの宮に四十三年まします。このおんとき、はくさいこくより、絹ぬふ女、色々の物のし、はかせなどを渡す。またきやうでん、よきむまなどを奉る。よしののくずもこのときまゐりはじまれり。にんとくてんわうぐわんねんにつのくになにはにうつつて、たかつのみやにまします。今のてんわうじ、これなり。このおんとき、ひむろはじまれり。又たかをつかひ、かりなどもはじまれり。八十七年。りちゆうてんわう二年に、又やまとのくにに帰て、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮にましまして、六年、はんぜいてんわうぐわんねんに、やまとのくによりかはちにうつりて、たぢひのこほりしばかきのみやにまします。六年。きんくゐやうてんわう卅二年に、かはちのくによりやま
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とのくにに帰て、とをあすかのみやにまします。これをなむなづけて、とぶとりのあすかの里とぞまうしける。三年。あんかうてんわうさんねんに、やまとの国より又あふみのくにに帰てのち、あなほの宮にまします。ゆうりやくてんわう廿一年、近江国より大和国へ帰て、はつせのあさくらの宮にまします。せいねい、けんそう、にんけん、ぶれつ、しだいのみかど、おなじきくにいはれのみかくり、ちかつあすかやつりのみや、いそのかみのひろたか、はつせのなみきのよつのみやにましましき。けいたいてんわう五年、やましろつづきのこほりにうつりて、十二年、そののちおとくにのこほりにすみ給て、いはれのたまほの宮にまします。
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あんかんてんわうはおなじきくにまがりのかなはしの宮にまします。せんくわてんわうぐわんねんになほやまとのくににかへりて、ひのくまのいほりののみやにまします。きんめい、びだつ、ようめい、すじゆん、すいこ、じよめい、くわうぎよく、いじやうしちだいのみかどは、しきしま、いはれのをさた、いけのへのなみつき、くらはし、ぬかたべ、をはりだの宮、たむら、たけちのおりもののみや、あすかのかはらのみやにましまして、いじやう八代、せんくわ天皇よりこのかたは、たうごくにましまして、都をたしよへうつされずして百十年、かうとく天皇、たいくわぐわんねんにつのくにながらのきやうにうつりて、とよさきのみやにまします。このおんとき、はじめてねんがう
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あり。たいくわ、はくちとうなり。はつしやうひやくくわんを定め、国々のさかひをあらたむ。もろこしよりもんじよ、ほうぶつ、おほくわたせり。このみかどぶつきやうをうやまひたてまつり、れいしんをかろくし給ふ。ぢやうろくのだゐぶつをくやうじ、二千余人のそうにをもつて、いつさいきやうをてんどくす。そのよ二千余のともしびをきゆうちゆうにともす。そのぎように、ねずみ多くむれつつ、なにはよりやまとのくにへ渡る事あり。「これみやこうつりのせんべうなり」とまうしし程に、そのしるしにやありけむ、はつかねんののち、さいめい天皇二年に、大和国へかへりて、をかもとの宮にまします。九年。てん
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ちてんわうろくねんに、又あふみのくにに帰て、しがのこほりに都をたてて、おほつのみやにまします。このおんとき、しよこくのひやくしやうを定め、たみのけぶりをしるしおく。とうぐうにておはしましし時、ろうこくをつくりたまへり。ないだいじんかまたり、はじめてふぢはらのしやうをたまはる。今のとうじ、このおんすゑなり。五年。てんむてんわうぐわんねんに、又大和国へかへりて、あすかのをかもとのみなみのみやにまします。これをきよみばらの宮とかうす。ゆゑにこのてんわうをきよみばらのみかどとまうしけり。十五年。ぢとう、もんむ、にだいのせいてうは、おなじきくにふぢはらの宮にまします。げんめいてんわうは、わどう二
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年におなじきくにへいぜいの宮にうつり、げんしやうてんわうは、やうらうぐわんねんにひだかへいぜいの宮にうつり、しやうむ、かうけん、あはぢのはいたい、しようどく、くわうにん、ごだいのみかどは、おなじきくにならのきやう、へいぜいのみやにすみたまふ。しかるをくわんむてんわうのぎよう、えんりやくさんねんきのえのね、ならのきやうかすがの里より、やましろのくにつつきのながをかのきやうにうつりて、十年まします。おなじきえんりやく十二年みづのとのとり正月に、だいなごんをぐろまろ、さんぎさだいべんこさみ、だいそうづげんけいらをつかはす。たうごくかどののこほりうだのむらをみせらるるに、三人共に申ていはく、「このちのていたらく、さしやうりゆう、う
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びやくこ、ぜんしゆしやく、ごげんむ、しじんさうおうのちなり。もつともていとをさだめたまはんにかたがたたよりあり」と奏しけるに、おたぎのこほりにおはしますかものだいみやうじんにつげまうされて、同十三年きのえのいぬ十月廿一日かのとのとり、ながをかのきやうよりこのへいあんじやうへうつりたまひしよりこのかた、都をたしよへうつされずして、ていわう三十二代、せいざう三百八十八年のしゆんしうをへたり。昔よりくにぐにところどころに都をたてしかども、かくのごときのしようちはなし。ひがしのかたはよしだのみや、ぎをんてんわう、たつみのかた、いなりのみやうじん、みなみのかた、はちまんだいぼさつ、ひつじさるのかた、まつのをのみやうじん、にしの
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かた、をはらの、いぬゐのかた、きたののてんじん、ひらののみやうじん、きたのかた、かものみやうじん、うしとらのかた、ただすのみや、ひよしのさんわうおはします。このかたをばきさもんのかたとなづけて、これをつつしむ。さればてんぢくわうしやじやうのうしとらのかたにはりやうじゆせんあり。しんだんにはてんだいさんあり。につぽんわうじやうのうしとらにはひえいさんあり。おのおのぶつぽふそうのすみかとして、ちんごこくかのちぎりにて、ぶつぽふはわうぼふを守り、王法は仏法をあがめたてまつる。てんわうことにしふしおぼしめされて、「いかにしてかまつだいまでこのきやうをたしよへうつされざることあるべき」とて、だいじん、くぎやう、しよだうのはかせ、さいじんをめしあつめて、せんぎありけるに、ていとちやう
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きうなるべきやうとて、つちにてはつしやくのにんぎやうをつくりて、くろがねのかつちうをきせ、おなじくきゆうせんをもちて、みかどみづからごやくそくありけるは、「まつだいにこのきやうをたしよへうつし、又よをみだらん者あらば、必ずばつを加へ、たたりをなして、長くこのきやうのしゆごじんとなるべし」とて、ひがしやまのみねににしむきにたててうづまれけり。しやうぐんがつかとて今にあり。おんちかひかぎりあれば、てんがにこといでき、ひやうがくおこらんとては、必ずつげ示して、このつかめいどうすといへり。くわんむてんわうとまうすは、すなはち平家のなうそにておはします。既に先祖のせいしゆのもとゐをひらき、よよのみかど、このちをいでさせおはします事なし。
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しかるをそのおんすゑにて、さしたるいはれなく、都をたしよへうつさるること、ぼんりよにはかりがたし。ひとへにしんりよおぼつかなし。なかんづくこのきやうをばたひらかにやすきじやうとなづけて、「たひらやすし」と書きけり。しかるをさうなくへいきやうをすてらるること、ただことにあらず。又しゆしやうもしやうくわうも、みなかのぐわいそんにておはします。君もいかでかすてさせたまふべき。これひとへに平家のうんつきはてていてきせめのぼりて、平家都にあとをとどめず。さんやにまじはるべきずいさうなり。只今よはうせなむずとなげきあへり。ていわうをおしおろしたてまつりて、わがまごを位につけ奉り、わうじをうちたてまつりてくびをきり、くわんばくを流してわがむこをなし奉り、大臣、公卿、うんかく、じ
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しん、ほくめんのげらふにいたるまで、あるいは流しあるいは殺し、あくぎやうかずをつくして、のこるところは、ただみやこうつりばかりなり。さればかやうにくるふにこそとささやきあへり。さがてんわうのおんとき、だいどう五年、都をたしよへうつさむとせさせたまひしかども、大臣、公卿さわぎそむき申されしかば、うつされずしてやみにき。いつてんのきみ、ばんじようのあるじだにも移しえたまはぬ都を、入道、ぼんにんのみとしておもひくはたてられけるこそおそろしけれ。「たみらうすれば、すなはちうらみおこる。しもなやますれば、すなはちせいそつ」文。これすなはちいぞくおこりて、てうかのだいじいできて、しよにんしづかならざるべきやらむとぞなげきける。しんとぐぶの人の中に、こきやうの家の柱にかきつけける。
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ももとせをよかへりまでにすぎきにしをたぎの里のあれやはてなむ K086
いかなる者かしたりけむ。平家の一門の事をふだに書て、入道の門にたてける。
もりがたうたひらのきやうをにげいでぬうぢたえはつるこれは初めか K087
さきいづる花の都をふりすててかぜふくはらの末ぞあやうき K088
誠にめでたき都ぞかし。わうじやうちんごのやしろ、しはうに光をやはらげ、れいげんしゆしようの寺、じやうげにきよをしめ給へり。ひやくしやうばんみんわづらひなく、ごきしちだうもたよりあり。しかるを是をすてらるる事、しゆごのぶつじん、ひれいをうけたまはじ、しかいのれいみん、いきどほりをなすべし。おそろしおそろしとぞ
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まうしあひける。論語といふふみにいはく、「ひとををかすものはらんばうのうれひあり、かみををかすものはしつえうのわざはひあり」とうんうん。なかんづく、もとのきやうよりこのきやうはせいはうのぶんなり。たいしやうぐんとりにあり、はうがくすでにふさがりぬ。さればかんじやうどもをめされける中に、おんやうはかせあべのすえひろ、かんじやうにいはく、「ほんでうのさすところ、たいしやうぐんのわうさう、をんごんをきらはず、おなじくきひすべし。えんりやく十三年十月廿一日に、ながをかのきやうより、かづののきやうにせんとす。ことしきたのぶんとして、わうさうのかたにあたる。これをさけられず。これふるきによるによつて、はうきをろんぜず。つぎにたいしやうぐんのきんき、なほわうさうにおよばず。えんりやくのかれいにつきて、かのせんと、たいしやうぐんのかたたりといへども、なにかそのはばかりあるべけむや」といへり。これをききて、ある
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人申けるは、「延暦のせんとにはおんかたたがへありといへり。ながくきうとをすてられむにおいては、はうがくのきんきあるべし。いかさまにもおんかたたがへはあるべかりける物を。すゑひろがけいうんじゆせいとのみ奏する心えられず」と、人くちびるをかへしけり。G17九日はしんとことはじめして、しやうかうはさだいしやうさねさだ、さいしやうのうちゆうべんみちちか、ぶぎやうはとうのさちゆうべんつねふさのあつそん、くらんどのさせうべんゆきたかとぞきこえし。十五日にしんとちてんの事、わだのまつばらの西ののにくじやうのちをさだめられけるに、「かのところはたかしほきたらん時、事のわづらひあるべし。そのうへごでうよりしもなかるべし」と申けるは、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちかのきやうまうされ
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けるは、「三朝のくわうろをひらきて、十二のむねかどをたつ。いはむやわがてうにはごでうまで有らむ、何のふそくか有らむ」とまうされけれども、ぎやうじのつかさどもちからおよばでかへりにけり。「さらばこやのにてあるべきか、はりまのゐなのにてあるべきか」と、くぎやうせんぎありて、同十六日、たいふのさくわんたかもと、じつけんの為にししやうをつかはす。むまのこくばかりににはかにまたとどめられにけり。これはあきのいちのみや、ある女につきてたくせんしたまひける故とぞきこえし。ちてんの事、ひびにかいてい、ただことにあらず。みやうじんなふじゆし給はずといふこといちしるし。さんぬる十一日の夜、そちのだいなごんたかすゑのきやう、福原にして夢をみられけるは、おほきなるやのとをりたるあり。そのうちにたかすゑざせり。
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ひさしのばうに女房あり。ついがきのそとにはらはらとなく声しきりなり。われこれをとふ、女房こたへていはく、「これこそはみやこうつりよ。だいじんぐうのうけたまはざることにてさぶらふぞ」といへり。すなはちおどろきて、又ねぶり、おなじやうに又みられけり。くぶしてぜんもんにまうされたりけれども、これをしんぜられざりけり。おなじき廿二日、ほつしようじの池のはちす、ひとつくきにふたつの花さきたり。たつのこくにみつけて、かのてらよりそうもんす。ほんてうにはじよめいいごこのことなし。そのしるしむなしからず。まづさとだいりをつくらるべきよし、ぎぢやうありて、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、ざうしんせらるべきよし、入道はからひまうされければ、六月廿三日きのえのたつはじめて、八月十日むねあげとぞさだめられける。ろんごにいはく、「そしやうくわのたいにおこりてれいみん
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さんず。しんあはうのてんにおこしててんがみだる」とも文。またていはんにいはく、「ばうしきらず、さいてんけづらず、しうしやかざらず。いふくにあやなかり」けむよもありけむ物を。たうのたいそうはりさんきゆうをつくりて、民のつひえをいたはりて、つひにりんかうなくして、かきにこけむし、かはらにまつおひてやみけむはさうゐかなとぞみえし。さてもこきやうにはつじごとに堀ほり、さかもぎなどひき、車もたやすくとほるべくもなければ、まれにこぐるまなどのとほるも、道をへちてぞゆきける。ほどなくゐなかになりにけるこそ、夢のここちしてあさましけれ。人々の家々は、かもがは、かつらがはよりいかだにくみて福原へ下しつつ、むなしき跡にはあさぢが原、よもぎがそま、鳥のふしどとなりて、虫のねのみぞうらみける。
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たまたま残る家々は、もんぜんくさふかくして、けいきよくみちをうづめ、ていしやうにつゆながれて、ほうかうはやしをなす、ちときんじうのすみか、くわうきくしらんののべとぞなりにける。わづかにのこりとどまりたまへる人とては、くわうだいこうくうのおほみやばかりぞおはしましける。八月十日あまりにもなりにければ、しんとへぐぶの人々は、きこゆるめいしよの月みむとて、おもひおもひにいでられにけり。あるいはひかるげんじの跡をおひ、すまよりあかしへうらづたひ、あるいはあはぢのはいたいのすみたまひしゑしまをたづぬる人もあり。あるいはしらら、ふきあげ、わかのうら、たまつしまへゆくものもあり。あるいはすみのえ、なにはがた、おもひおもひにおもむかれけり。さまのかみゆきもりは、なにはの月をながめて、か
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くぞえいじたまひける。
なにはがたあしふく風に月すめば心をくだくおきつしらなみ K089
卅一 ごとくだいじのさだいしやうしつていのきやうは、こきやうの月をながめんとて、きうとへのぼりたまひけり。おんいもうとのくわうだいこうくうのはつでうのごしよへまゐりたまひて、月さえ、ひとしづまりて、かどを開ていりたまひたれば、きうたいみちなめらかにしうさうかどをとぢ、かはらにまつおひ、かきにつたしげり、わけいるそでも露けく、あるかなきかのこけのみち、さしいるつきかげばかりぞおもがはりもせざりける。八月十五夜のくまなきに、おほみやおんびはをひかせたまひけり。「かのげんじの宇治の巻に、うばそくの宮の御娘、秋のなごりを
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をしみて、びはをだんじたまひしに、ありあけの月の山のはをいでけるを、なほたへずやおぼしけむ、ばちにてまねき給けむも、かくやありけむ」と、そのよをおもひしられけり。
つらきをもうらみぬ我にならふなようきみをしらぬ人もこそあれ K090
とよみたりし、まつよひのこじじゆうをたづねいだして、むかしいまの物語をし給ふ。かの侍従をば、もとはあはのつぼねとぞ申ける。たかくらのゐんのおんくらゐの時、ごなうありて、ぐごもつやつやまいらざりけるに、「歌だにもよみたらば、ぐごはまいりなむ」と、おんあやにくありければ、とりあへず、
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君がよはにまのさとびとかずそひて今もそなふるみつぎものかな K091
と読て、そのときのけんじやうにじじゆうにはなされたりけるとかや。さてもさよふけ月もにしやまにかたぶけば、嵐の音ものすごうして、くさばの露も所せき。露もなみだもあらそひて、すずろにあはれにおもひたまひければ、しつていのきやうおんこころをすまして、腰より「あまの上丸」といふよこぶえをとりいだし、ひやうでうにねとり、こきやうのありさまをいまやうに作り、歌ひ給けり。
古き都をきてみればあさぢがはらとぞなりにける
月の光もさびしくて秋風のみぞみにはしむ K092
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と、にさんべんうたひたまひたりければ、おほみやをはじめたてまつり、にようばうたち、心あるも心なきも、おのおの袖をぞぬらしける。そのよはよもすがら侍従にものがたりをして、「ちよをひとよに」とくちずさみたまふに、いまだべつしよいいのうらみをのべざるに、ごかうのてんになりぬれば、りやうふうさふさふの声に驚て、をきわかれたまひぬ。侍従なごりををしむとおぼしくて、みすのきはにたちやすらひ、おんくるまのうしろをみおくりたてまつりければ、だいしやうおんくるまのしりにのられたりける。くらんどをくだして、「侍従がなごりをしげにてありつる。なにともいひすててかへれ」と有ければ、くらんどとりあへぬ事なれば、いかなるべ〔し〕ともおぼえぬに、をりふし寺々のかねの声、やごゑのとりのねをきく。
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「まことや、このをんなはしらかはのゐんのぎよう、『まつよひとかへるあした』といふだいをたまはりて、
まつよひのふけゆくかねのこゑきけばあかぬわかれの鳥はものかは K093
と読て、『まつよひ』のにじをたまはりて、まつよひのこじじゆうとはよばれしぞかし」と、きとおもひいだされて、
物かはときみがいひけむ鳥のねのけさしもいかにかなしかるらむ K094
じじゆうがへんじに、
またばこそふけゆくかねもつらからめあかぬわかれの鳥のねぞうき K095
といひかはしてかへりまゐる。「いかに」とだいしやうとひたまひければ、「かくつかまつりてさうらふ」とまうしければ、「いしうもつかまつりたり。さればこそなんぢをばつかはしつれ」とて、
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けんじやうにしよりやうをたびてけり。このこと、そのころはやさしき事にぞ申ける。三十二 だいじやうにふだうじやうかいは、福原のをかのごしよにて、ちゆうもんの月をえいじておはしければ、そのころのすてものとうれんほふし、をりふしうらなしをはきて、ちゆうもんの前の月をえいじてとほりければ、入道、
月のあしをもふみみつるかな
といひかけたまひたりければ、とりもあへずとうれんかしこまりて、
おほぞらはてかくばかりはなけれども K096
とぞ申たりける。そもそもこのとうれんをふびんにして、入道のみうちに
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をかれけるゆらいを尋れば、れんがゆゑとぞきこえし。せんねんにふだうくまのさんけいの有けるに、ころはきさらぎはつかあまりの事なれば、とほやまにかすみたなびきて、こしぢに帰るかりがね、くもゐはるかにおとづれ、ほそたにがはの水の色、あゐよりもなほみどりにして、まばらなるいたやにこけむして、かうさびたる里あり。なにとなく心すみければ、入道、さだよしをめして、「このところはいづくぞ」とたづねたまひければ、「あきつの里」と申す。入道とりもあへず、
あきつの里に春ぞきにける
とえいじたまひければ、ちやくししげもり、じなんむねもり、さぶらひにはゑつちゆうのせんじもりとし、
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かづさのかみなどならびゐて、つけんとしけれども、じこくはるかにおしうつりて、入道「いかに、をそしをそし」とのたまひけれども、つけまうすひとなかりけり。ここにくまのがたより三十余とみえけるしゆぎやうしやのげかうしけるが、「このみちのならひ、じやうげ、こつじき、ひにんをきらはずさうらふ」とまうして、
みわたせばきりめの山に霞して K097
とつけたりければ、入道感じたまひて、「いづくの者ぞ」とたづねたまへば、「もとはつくしのあんらくじの者にて候しが、きんねんはあふみのあみだじにすみはべり。とうれんと申」といひければ、入道それよりふちして、しよりやうあまたとらせて、ふびんにし給けり。とりわきだいじの者におもはれけ
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る事は、さんぬるほうげんぐわんねん七月、うぢのさだいじんよりながこうよをみだりたまひし時、あきのかみとてみかたにくんこうありしかば、はりまのかみにうつされて、かのくにへげかうせらる。すなはちたうごくのちんじゆあにのみや、ごじんばいありけるに、ざいちやうにんらぐぶす。ここにかんぬし申けるは、「そもそもたうしやみやうじんのかんおうあらたにして、そうしのつゆにうるをほこと、みづのほうゑんのうつはものにしたがふがごとし。しようぜんのかぜにこふこと、つきのこかいのながれにうかぶににたり。わくわうどうぢんのりもつは、しこんのせいさにあるがごとし。げすけちえんのさいしやうは、ばんさうのしぐれをあふぐににたり。あしたにむなしくまゐりて、ゆふべにみのつててかへる。そうじてこくしをはじめたてまつり、きせんじやうげのしよにん、さんけいにちやにおこたることなし。ここに
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不思議の事あり。しやうこよりいまだつけえざるれんがのしもくあり。こくしじんばいのはじめにまづごはいけんあるは、せんぎなり」と申せば、入道をりふし登蓮をばぐしたまはず。わがみすでにふかくしなむずと思はれければ、にはかにだいじのようをいだして、「こくむにおよばず、きやうとのちようじあるよしききて、はやむまたうらいの事あり。こんどははいにおよばず、やがてげかうしはべりぬれば、そのとき」とて、こくふへ帰り、「さるにてもいかなる連歌にか」とたづねたまひければ、あるしやじの申けるは、
この神のなかあにの宮とは
と申たりければ、いそぎ是を大事と思はれけるにや、
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しやうらくせられけり。やさしかりし事也。ろくはらにつきて、いそぎ登蓮をめしておほせられけるは、「今度ぐそくしたてまつらずして、不覚におよべり」とて、くだんの連歌を語られければ、登蓮うちなげきて、
つくしなるうみのやしろにとはばやな K098
とまうしたり。かさねていそぎげかうし給へり。しやさんしてかのしやだんをひらき拝見して、入道くだんのくをつけたまへり。じんぐわん、国の人々にいたるまで、感ぜずといふことなし。そのことばいまだをはらざるに、ごてんさんどしんどうして、すなはちぶぢよにつきてたくしたま
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へり。「しんべうにつかまつりたり。これあやしの者のくにあらず。わがくにのふうぞくを思ふに、つれづれの余り、しやさんのしよにんの心をなぐさめ、わがうさをも忘れやするとて、みづからいひいだしたりし。しやうこよりいまだつけたる人なし。このよろこびには官位はおもひのままなるべしよ」とて、あがりたまひぬ。さればにや、同三年にださいのだいにになり、へいぢぐわんねん十二月廿七日、うゑもんのかみのぶよりのきやうむほんのとき、又みかたにてぞくとをうちたひらげ、同二年、じやうざんゐして、うちつづきさいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになる上、しようじやうの位にいたり、ないだいじんよりさうをへずして、だいじやうだいじんのごくゐに
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昇る。これすなはちとうれんほふしが故とぞおぼえし。三十三 そもそも入道殿かうたけひとしづまりて、月の光もすみのぼり、なをえたるやはんの事なれば、心の内もいさぎよく、「かのかんのかうその三尺のけん、ゐながらてんがをしづめ、ちやうりやうが一巻のしよ、たちどころにしふにのぼること、わがみのえいぐわにかぎりあらば、まさらじ」とおぼえて、月の光くまなければ、よもすがらながめてゐたまへるに、つぼの内に、めひとつつきたる物の、たけいちぢやうにしやくばかりなるもの、あらはれたり。又かたはらに、めはなもなきものの、これに二尺ばかりまさりたる物あり。又めみつあるものの、さんじやくばかりまさりたるあり。かかるものども五六十人並びたてり。
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入道是をみたまひて、「不思議の事かな。なにものなるらむ」と思ひ給へども、すこしもさはがぬていにて、「おのれらはなに物ぞ。あたごひらののてんぐめらごさんめれ。なにとじやうかいをたぶらかすぞ。まかりしりぞきさうらへ」とありければ、かのものどもこゑごゑにまうしけるは、「おそろしおそろし。いつてんの君、ばんじようのあるじだにもはたらかし給はぬ都を、ふくはらへうつすとて、としごろすみなれししゆくしよをみなやぶられて、あさゆふなげきかなしむ事、ごふをふともわするべからず。このほいなさのうらみをば、いかでかみせざるべき」とて、東をさしてとびゆきぬ。これとまうすは、こんどふくはらげかうのこと、いちぢやうたりしかば、しかるべきみだうあまたこぼち
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集め、新都へうつすべきたくみありけれども、だいりごしよなどだにもはかばかしくざうえいなき上は、皆えほりにくちうせぬ。これによつて、たまたま残るだうたふも、しへきは皆こぼたれぬ。あらがみたちのしよぎやうにや、あさましかりしことどもなり。入道なほ月をながめてをはすれば、ちゆうもんのゐ給へる上に、もつてのほかにおほきなる物の踊る音しけり。しばらくありて、つぼのうちへとびおりたり。み給へば、ただいまきりたるかうべのちつきたるが、ふつうのかうべとをばかりあはせたる程なるが、これのみならず、されたるかうべどもあなたこなたよりあつまりて、四五十が程ならびゐたり。めんめんにののしりけるは、「それしよぎやうむじやうは
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によらいのきんげんといひながら、ろくだうししやうにちんりんして、にちやてうぼのあくねんをおこすこと、しかしながらあの入道が故也。なりちかのきやうがびつちゆうのなかやまのこけにくち、しゆんくわんがいわうが嶋の波にながされし事、ぜんごふのしよかんとはしりながら、こころうかりしことどもなり」とめんめんにいひければ、なまかうべ申けるは、「それはされども人を恨み給べきにあらず。少したくみ給たる事共のありけるごさんめれ。ゆきただはてうてきにもあらず、きうとをしふして、しんとへ遅くくだりたりと云とがによつて、たうごくふかやのまつにしのと云所へせめくだされ、ゆゑなくくびをはねらるること、あはれとおぼしめされずや。
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あはれ、げにいつまで、あの入道をうらめしと、くさのかげにてみんずらむ」と云ければ、入道のろのろしく、おどろおどろしくおもひながら、こたへ給けるは、「なんぢら、官位といひ、ほうろくといひ、ずいぶん入道がこうじゆにて人となりしものどもにあらずや。ゆゑなく君をすすめたてまつり、入道が一門をうしなはむとするとが、しよてんぜんじんのおうごをそむくにあらずや。じくわをかへりみず、入道をうらみん事、すべて道理にあらず。すみやかにまかりいでよ」とて、はたとにらまへてをはしければ、さうせつなどのやうにきえうせにけり。月もせいざんにちかづき、鳥もとうりんになきければ、入道ちゆうもんのひとまなる所をこしらへ給へる所にたちいりて、休み
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給はむとし給へば、ひとまにはばかる程のかうべ、めむつありけるが、入道をにらまへてゐたりけり。入道腹をたて、「いかにおのれらは、一度ならず二度ならず、じやうかいをばためみるぞ。一度もなんぢらにはなぶらるまじき物を」とて、さげ給へりけるたちをなからばかりぬきかけ給へば、次第にきえてうせにけり。おそろしかりしことどもなり。いこくにかかるせんじうあり。しんのしくわうのみよにかんやうきゆうをたてて、ぎよう卅九年九月十三夜の月のくまなかりけるに、しゆしやうをはじめたてまつりて、くわいもん、しようじやう、あしやう、くわうもんより、きゆうちゆうの月をもてあそび給しに、あはうでんの上に、はばかる程のおほかうべの、めは十六ぞ有ける。くわん
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ぐんをもつていさせければ、なんていにおりて、鳥のかひごのやうにてきえうせぬ。是はえんたん、しんぶやう、けいか大臣とうのくびといへり。こののちいくほどなくて、六十一日とまうすに、しくわううせたまひぬ。「このれいをおもふには、入道殿の運命、いまいくほどあらじ」とぞささやきける。だいじやうにふだうはふくはらにをはしけるが、つきひはすぎゆけども、せけんはいまだしづまらず。胸にておけるここちして、常に心さはぎうちしてぞ有ける。にゐどのをはじめたてまつり、さまざまのゆめみあしく、けいありければ、じんじやぶつじにいのりぞしきりなる。まことに「かみあれしもこん、いきほひひさしからず。そうしやのあやふき、とんりうのごとし」ともいへり。「このよのありさま、なにとなりはてむずらむ」とぞなげきける。
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卅四 げんぢゆうなごんがらいのきやうの家なりけるさぶらひ、夢にみけるは、「いづくともそのところはたしかにはおぼえず。だいだいりの内、じんぎくわんなどにてありけるやらむ。いくわんただしくしたる人々なみゐたまひたりけるが、ばつざにおはしましける人をよびたてまつりて、いちざにおはしましける人の、ゆゆしくけだかげなるが、のたまひけるは、『ひごろ清盛入道のあづかりたりつるぎよけんをば、めしかへされむずるにや、すみやかにめしかへさるべし。かのぎよけんはかまくらのうひやうゑのすけみなもとのよりともにあづけらるべきなり』とおほせらる。『これははちまんだいぼさつ也』と申。又ざの中の程にて、それももつてのほかにけだかく、しゆくらうなりける人ののたまひけるは、『そののちはわがまごのその御剣をば給はらん
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ずる也』とのたまひけるを、『是をばたそ』ととひければ、『かすがのだいみやうじんにておはします』と申。先にばつざにおはしましける人を、『是はたれびとぞ』とたづぬれば、『だいじやうにふだうのかたうど、あきのいつくしまのみやうじんなり』とぞまうしける。おもふはかりもなく、かかるおそろしき夢こそみたれ」といひたりければ、次第に人々ききつたへて、ひろうしけり。大政入道このことをききたまひて、いきどほりふかくして、くらんどのさせうべんゆきたかにおほせてたづねられければ、がらいのきやうは、「さる事うけたまはらず」とぞまうされける。かの夢みたる者はうせにけり。てうてきをうちにつかはすたいしやうぐんには、せつたうと云ぎよけんをたまはる也。大政入道、ひごろはたいしやうぐんとして朝敵をしりぞけ
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しかども、今はちよくぢやうをそむくによつて、せつたうをもめしかへされけるにや。このゆめをかうやのさいしやうにふだうなりよりつたへききてのたまひけるは、「いつくしまのみやうじんはによたいとこそきけ、ひがことにや。又かすがのだいみやうじん、わがまごたちをばあづからむとおほせられけるも、こころえず。ただしよの末にげんぺいともにしそんつきて、ふぢはらうぢのたいしやうぐんにいづべきにや。いちのひとのおんこなどの、たいしやうぐんとして天下をしづめたまふべきか」とぞのたまひける。深き山にこもりにしのちには、わうじやうごくらくのいとなみのほかは、たねんをはすまじかりしかども、よきまつりごとをききてはよろこび、あしきことをききては歎きたまひけり。よのなりゆかむありさまをかねてのたまひけるは、すこしもたがはざりけり。
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三十五 九月ふつかのひ、とうごくよりはやむまつきてまうしけるは、「いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけみなもとのよりとも、いちゐんのゐんぜん、ならびにたかくらのみやのりやうじありとて、たちまちにむほんをくはたてて、さんぬる八月十七日夜、おなじきくにのぢゆうにん、いづみはんぐわんかねたかがやまきのたちへおしよせて、かねたかをうち、たちにひをかけてやきはらふ。いづのくにのぢゆうにんほうでうのしらうときまさ、とひのじらうさねひらをさきとし、いちるい、いづさがみりやうごくのぢゆうにんら、どうしんよりきして、三百余騎のつはものをそつして、いしばしといふところにたてごもる。これによつて、さがみのくにのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、おほやまだのさぶらうしげなり、なかをのごんのかみもりひさ、しぶやのしやうじしげくに、あしかがのたらうかげゆき、やまうちのさぶらう
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つねとし、えびなのげんぱちすゑむねら、そうじて平家にこころざしある者三千余人、おなじき廿三日、いしばしといふところにてすこくかつせんして、頼朝さんざんにうちおとされて、わづかに六七騎になりて、ひやうゑのすけはおほわらはになりて、すぎやまへいりぬ。みうらのすけよしずみ、わだのこたらうよしもりら、三百余騎にて頼朝のかたへ参りけるが、兵衛佐おちぬとききて、まるこがはといふところよりひきしりぞきけるを、はたけやまのじらうしげただ、五百余騎にておひかくる程に、おなじき廿四日、さがみのくにかまくら、ゆゐのこつぼといふところにてかつせんして、しげたださんざんにうちおとされぬ」とまうしけり。ごにちにきこえけるは、「おなじき廿六日、かはごえのたらうしげより、なか
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やまのじらうしげざね、えどのたらうしげながら、すせんぎをそつして、みうらへよせたりけり。かづさのごんのかみひろつねはひやうゑのすけにくみして、且しやていかねだのこだいふよりつねをさきだてたりけるが、とかいにちちして、いしばしにはゆきあはず、よしずみらこもりたるみうらきぬがさのさくにくははりけり。しげよりらおしよせ、やあはせばかりはしたりけれども、よしずみらつよく、かつせんをせずしておちにけり」とまうしければ、平家の人々はこれをききたまひて、若き人はきようにいりて、「頼朝か、いでこよかし。あはれ、うつてにむかはばや」などいへども、すこしも物の心をわきまへたる人々は、「あは、だいじいできぬ」とて、さはぎあへり。はたけやまのしやうじしげよし、おほやまだのべつ
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たうありしげ、をりふしざいきやうしたりけるが、まうしけるは、「なにごとかはさうらふべき。あひしたしく候へば、ほうでうのしらうがいちるいばかりこそさうらふらめ。そのほかはたれかつきて、たやすくてうてきとなりさうらふべき」とまうしければ、「げにも」といふ人もあり、「いさとよ、いかがあらむずらむ。だいじにおよびぬ」と云人もあり。よりあひよりあひささやきけり。大政入道のたまひけるは、「昔よしともはのぶよりにかたらはれててうてきとなりしかば、そのこどもひとりもいけらるまじかりしを、よりともが事は、こいけのあまごぜんのさりがたくなげかれまうししにつきて、しざいをまうしなだめて、をんるになしにき。( )ぢゆうおんを忘れてこくかをみだり、わがしそんにむかひて弓をひかんずるは、
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ぶつじんもおんゆるされやあるべき。ただいまてんのせめをかうぶらむずるよりともなり。あやしのてうじうも、おんをほうじとくをむくうとこそきけ。昔のやうほうはすずめをかひてたまきをえ、もうほうは亀をはなちて命をたすかるといへり。わがしそんにむかひては、頼朝いかでかしちだいまで弓をひくべき」とぞのたまひける。それわがてうのてうてきのはじめは、やまといはれびこのぎよう五十九年つちのとのひつじのとし十月、きのくになぐさのこほりきしのしやうたかをのむらに、ひとつのいきんあり。よのつちぐもといふものあり。みみじかく、てあしながくして、ちからじんりんにこえたり。にんみんをそんじ、わうくわにしたがはざりしかば、くわんぐんおほせをうけたまはりて、かしこにゆきむかひて、かづらのあみをむすびて、
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つひにふくさつす。それよりこのかた、やしんをさしはさみててうかをそむくものおほし。いはゆる、おほやまのわうじ、大山、おほとものまとり、もりやのおとど、そがのいるか、やまだのいしかは、うだいじんとよなり、さだいじんながもり、ださいのせうにひろつぐ、ゑみのだいじんおしかつ、ゐがみのくわうごう、ひかみのかはつぎ、さはらのたいし、いよしんわう、ふぢはらのなかなり、たちばなのはやなり、ふんやのみやだ、むさしのごんのかみたひらのまさかど、いよのじようふぢはらのすみとも、あべのよりよし、おなじくしそくてうかいのさぶらうさだたふ、おなじくしやていむねたふ、つしまのかみよしちか、あくさふ、あくうゑもんのかみに
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いたるまで、つがふ三十余人也。されども一人としてそくわいをとげたる者なし。みなかうべをごくもんにかけられ、かばねをさんやにさらす。とうい、なんばん、せいじう、ほくてき、しんら、かうらい、はくさい、けいたんにいたるまで、わがてうをそむく者なし。たうじこそわうゐもむげにかろくましませ、せんじといひければ、かれたる草木もさかへさき、てんをかける鳥、ちを走るけだものも、皆したがひ奉りき。かのしんだんのそくてんくわうごうはぶめい、かうそうのきさきなり。しやうりんえんのはなみの御幸なるべきにてありしに、りんゑんのはなさかずして、そのごをみるにはるかなりければ、くわうごうしんかをつかはして、「はなすべからくれんやにおこすべし、だん
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ぷうのふくをまつことなかれ」と宣旨をくだし給しかば、はないちやのうちにさきて、御幸をとげぬとみえたり。わがてうにもちかごろの事ぞかし。えんぎのみかどのおんとき、いけのみぎはにさぎのゐたりけるを、みかど御覧じて、くらんどをめして、「あのさぎとりて参れ」とおほせありければ、蔵人さぎのゐたる所へあゆみよりければ、さぎはづくろひして、既にたたんとしけるを、「せんじぞ。さぎまかりたつな」といひたりければ、さぎたたずしてとられにけり。やがておんまへへいだきてまゐりたりければ、いそぎはなたれにけり。まつたくさぎのごようにはあらず、わうゐの程をしろ
しめさんがためなり。
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三十六 わがてうにもかぎらず、おんをしらざるもののほろびたるれいをたづぬるに、昔もろこしにそのけいばうがこに、えんのたいしたんといふものあり。しんのしくわうとたたかひけるに、たいしいくさにまけて、しくわうにとらはれぬ。既にろくかねんにもなりにけり。えんたん、八十に余るらうぼをみむとおもふこころざしふかかりければ、始皇にいとまをこふ。始皇、あざけりてのたまはく、「からすのかしらしろくなり、馬につのおひたらん時、なんぢかへらむときとしれ」とのたまひければ、このことばをききて、さてはこころうき事ごさむなれ、わがこひしと思ふ母をみずして、ここにていたづらにしせむ事、いまさらにかなしくおぼえければ、夜はよもすがら昼はひねもすに、天にあふぎちにふして、念じけるしるしに、
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かしらしろきからすとびきたれり。たいしこれをみて、「今はさだめてゆるされんずら
む」とおもひけるに、「馬につのおひたらむ時にゆるすべしとこそいひしか」とて、なほゆるさざりけり。燕丹いかにすべしともおぼえず、かなしみけることばにいはく、「めうおんだいしはぐわつしりやうぜんにまうでて、ふけうのともがらをいましめ、こうし、らうしはたいたうしんだんにあらはれて、ちゆうかうの道をたつ。うへはぼんでんたいしやく、したはけんらうぢじんまでも、けうやうの者をばあはれみたまふなる者を。みやうけんのさんぼうあはれみをたれて、馬につのおひたるいずいを始皇にみせ給へ」と、あけくれおこたらず、ちの涙を流してきせいしけるしるしにや、つのおひたる馬、始皇のなんていにしゆつ
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げんせり。りんげんあせのごとくなれば、うとうばかくのへんにおどろきて、「えんたんはてんたうのかごある者なり」とて、すなはちほんごくへかへしつかはす。しくわうなほやすからずおもひて、たいしほんごくへ帰る道にまづくわんしをつかはして、そけうといふはしにて、えんたんを河におとしいるるやうにかまへてけり。燕丹はかかるしたくありともしらずして、こきやうに帰るうれしさに、なにごころもなくわたりけるに、すなはち河におちいりぬ。されどもてんたうかごしたまひけるにや、へいぢをあゆむがごとくにてあがりにけり。不思議のことかなとおもひて、水をかへりみれば、かめどもおほくあつまりて、こふを並べて燕丹をぞとほしける。さてほんごくへかへり
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たりければ、ふぼしんるいみなきたりあつまりて、よろこびあへり。燕丹、始皇にとらはれて、かなしかりつる事をかたりて、たがひになみだをながしけり。「始皇いきどほりふかくして、いかにもゆるされがたかりしを、しかしかのことどもありて、ゆるされたり」とかたりければ、ははよろこびて、「さては不思議なる事ごさむなれ。いかにしてかかしらしろき烏をあはれむべき」とおもひければ、せめての事にや、くろきからすどもに物をほうずるに、のちには頭白き烏たびたびきたりけるとかや。是は父母のこを思ふこころざしの深くせちなるがゆゑなり。えんたん、すかねんのあひだ、しくわうにいましめおかれたりし事をやすからずおもひて、いかにもしてしくわうていをほろぼさん
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とぞはかりける。このこといかがしてきこえけむ、始皇いかりて、又燕丹をほろぼさむとす。すなはちえんこくへつはものをむかはすべきよしきこえければ、えんこくの人おそれをののきて、かなしみなげくことかぎりなし。たいしこのことをなげきて、よるひるはかりことをめぐらす。そのころはんえきと云ける者は、しんわうの為につみせられて、燕国ににげこもりてゐたりけるを、太子あはれみて、みやちかくおきたり。きくぶと云ける者これをききて、たいしをいさめていはく、「わがくにはもとよりしんこくとかたきとなるくになり。いはむやはんえきをえびすのくにへつかはして、西はしんこくとひとつになり、南はせいそのくににもあひしたしみて、せいをまうけて後、おもひたちたまへ」と申ければ、
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太子こたへていはく、「はんえき、しんわうのなんにあひて、みをわれにまかせたり。たのもしげなくおひすてむこと、なさけなし。さらぬ事をはからへ」といひければ、きくぶまたまうしていはく、「そこくにてんくわうせんじやうといひて、はかりことかしこく、たけくいさめるつはものあり。おほせあはせてきき給へ」と云ければ、太子、てんくわうをまねく。せんじやう、太子のもとへ行きけるに、太子にはにおりむかひ、てんくわうをうちにいれて、ひそかにしくわうをほろぼすべきよしをぎするに、田光まうしていはく、「きりんといふ馬は、若くさかりなる時は一日にせんりをかけれども、としおいおとろへぬれば、どばもこれより先にたつ。君はわがさかりなりし時をききたまひて、かくはのたまふなり。けいかと
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いみじくかしこきつはものなれ。かれをめしてのたまひあはせよ」と云ければ、たいし、「さらばかのけいかをかたらひてえさせよ」とありければ、すなはちりやうじやうして、てんくわうざをたちけるに、太子かどまで送て、「このこと国のだいじなり。ゆめゆめもらす事なかれ」といふ。田光是を聞て、すなはちけいかがもとにゆき、太子のことばをいひつたへければ、けいかいかにも太子のめいにしたがふべきよしを答ふ。そのとき田光がいはく、「われきく、けんじんのよにつかふるならひ、人に疑はるるにすぎたる恥はなし。しかるに太子我をうたがひて、もらすことなかれとのたまひつ。このことよにひろうする物ならば、われ疑はれなむず」とて、かどなるすもものきにかしらをつき
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くだきて、うせにけり。さてけいか、たいしのもとへゆきむかふ。太子せきをさりて、ひざまづきてけいかにかたりていはく、「いまなんぢがきたること、てんわれをあはれむなり。しんわうとんよくの心ふかくして、てんがのちを皆わがちにせむとし、かいだいのしよこうわうをことごとくしたがへむと思へり。りんごく、さならぬ国をも皆うちしたがへぬ。またこのくにをせめむ事、ただいまなり。秦国のたいしやうぐん、たうじぐわいこくへむかへるをりふし也。かかるひまをはかりて、しくわうをねらはむ事かたからじ。ねがはくははからふべし」といひければ、けいか、太子のうやまふ姿にたうて云けるは、「こんど太子のゆるされ給へる事、全く始皇のおんめんにあらず。これしかしながらしんめいのおんたすけなり。さればしんこくをやぶりて、し
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くわうをほろぼさむ事、あへて安し」と答ふ。たいしいよいよけいかをたつとびて、えんこくの大臣になして、ひびにもてなしかしづく。しやば、ざいほう、びぢよにいたるまで、けいかが心にまかせたり。さるほどに秦国の将軍、もろもろの国をやぶりて、燕国のさかひまでちかづきにければ、太子おそれをののきて、けいかをすすめていはく、「しんの兵いすいをわたりなば、汝をたのみてもせんあるまじ。いかがすべき」とありければ、けいかこたへていはく、「われきく、はんえきがかうべをえさせたらむ者には、いちまんかのさと、せんきんのこがねをあたふべしと、しんくわう、しかいに宣旨をくだし給へり。はんえきがかうべと、燕国のさしづとをだにも、しくわうにたてまつる物ならば、始皇よろこびて、必ずわれに
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うちとけなむず。そのときはかりなん」といひければ、またたいしいはく、「はんえきしんこくをにげて、みをわれにまかせたり。うたむ事なさけなし。さならぬはかりことをめぐらせ」とありければ、けいか、太子のかはゆく思へるけしきをみて、すなはちひそかにはんえきにあひていはく、「しんわうなんぢをつみし給へる事、いづれのよにかわするべき。ふぼしんるい、みなしんわうのためにころされたり。汝がかうべを、いちまんかのさと、せんきんのこがねにつのり給へり。いかがすべき」と云ければ、はんえき天に仰ぎ、おほいきをつき、なみだを流して、「われつねにこのことをおもふに、こつずいにとをつてたへがたけれども、いひあはすべきかたなし」と答へければ、けいかまたいはく、「ただひとことにて、燕国のうれひをもやすめ、汝がなげきをも
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むくいん事、いかに」とためらひければ、はんえきおほきによろこぶことかぎりなし。そのときけいかまたいはく、「ねがはくは汝がかうべをかせ。秦王にたてまつらん時、くわうていさだめてよろこびて、われにうちとけたまはむ時、左手にては袖をひかへ、右手にて秦王の胸をささむ事、もつともやすし。しからば君があたをもむくひ、又えんこくのうれひをもとどむべし」といひければ、はんえきをひぢをかがめて、「是こそひごろのぐわんのみちたるなれ。誠に秦王だにもうちたてまつるべきならば、雪のかしらを奉らむ事、みぢんよりなほかろかるべし。かくのたまふこころざしの程こそ、しやうじやうせせにもほうじつくしがたけれ」とて、やがてみづからつるぎをぬきて、くびを切てけいかにあたふ。太子これをききて、はせきたりて
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なきかなしみけれども、ちからおよばず。このうへはそくじにおもひたつべしとて、しくわうをうつべきはかりことをめぐらす。はんえきがかうべを箱にいれて、ふうじこめたり。太子をゆるしたるよろこびに、燕国のさしづ、国々のけんけいをあひぐして、しくわうていに奉る。げぶみ、そのうへ、そうれいのかたちをこがねにていて、さしづの箱にいれぐして、はこの底には、ひつしゆのつるぎとて、一尺八寸なるつるぎの、せんりやうのこがねにてつくりたるをかくしいれて、けいかをいだしたつ。又燕国にしんぶやうといふたけきつはものあり。これももとは秦国のつはものにて有しが、十三にておほくの人を殺して、燕国にこもりたりけり。いかれる時は七尺の
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男もせつしし、わらひてむかへば三歳のえいじもいだかれけり。是をけいかにあひそへてつかはされけり。けいかすでにしんこくにおもむくに、たいしならびにひんかくの心をしる者、いくわんただしくしておくりけり。いすいといふところにて、なごりををしみ、酒を飲けるに、かうぜんりと云者、ほときをうつ。けいかうたをつくりていはく、「かぜせうせうとしていすいさむし[カン]、さうしひとたびさりてまたかへらず」と歌ふ。これふきつのことばなり。きゆうしやうかくちうのごいんのうちには、ちのねをぞしらべたりける。そのとき、ひとみななみだをながしてこくしあへり。又うのねにうつる時、人皆めをいからかし、かしらの髪そらさまへあがりにけり。
P1906
さてけいかくるまにのりて、なごりををしみてわかれさりぬ。つひにうしろをかへりみず。されどもさうてんゆるし給はねば、なじかはほんいをたつすべき。このときはくこうてんにたちわたりて、にちりんの中をつらぬきはてざりけり。太子是をみて、わがほんいとげがたしとぞおもはれける。けいかこれをかんがふるに、「始皇はひのせい、太子はこがねのせい也。なつは、こがねはさうして、ひにわうせり。にちりんはひ也。はくこうはこがねなれば、ひこがねにかつとさうこくせるかたちなり。始皇はいつてんのあるじなれば、にちりんなるべし。太子はせうこくの王なれば、はくこうなるべし。したがひて又日輪の中をつらぬきはてぬこそあやしけれ。いかがあるべかるらむ」と
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おもひけれども、さればとてむなしくかへる
べき道ならねば、けいかしんこくにいたりぬ。せんりやうのこがね、色々のたからをもつて、しんくわうのちようしん、むかといふものにまいないて、しんくわうにまうしていはく、「えんこく誠にだいわうのゐにおそれて、あへて君をそむき奉る事なし。ねがはくはしよこうわうのれつにいりて、みつぎ物をそなへ、わうめいをそむくべからずとて、はんえきが首を切て、燕国のけんけいをたてまつり給へり。ねがはくは大王えいらんをへたまへ」とまうしたりければ、しんくわうおほきによろこびて、せちゑのぎしきをしくわうのだいりかんやうきゆうにととのへて、えんのつかひにまみえたまふ。秦国のくわんぐんら、しはうのぢんをかためたり。くわうきよのあり
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さま、心もことばもおよばれず。みやこのまはりいちまんはつせんさんびやくはちじふりにつもれり。内裏をば、ちよりさんりたかくつきあげて、そのうへにたてたり。ちやうせいでん、ふらうもんあり。こがねをもつてひを作り、しろかねをもつて月を造れり。しんじゆのいさご、るりのいさご、こがねのいさごをしきみてり。しはうには高さ四十里にくろがねのついぢをつき、てんのうへにもおなじく鉄のあみをぞはりたりける。これはめいどのつかひをいれじとなり。秋はたのむのかりの春はこしぢに帰るも、ひぎやうじざいのさはりありとて、ついぢにはがんもんとて、くろがねのもんをあけてぞ通しける。そのなか
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にあはうでんとて、しくわうの、つねはぎやうがうなりて、せいたうおこなはせ給ふてんあり。高さはさんじふろくぢやう、とうざいはくちやう、なんぼくへくちやう、おほゆかのしたはごぢやうのはたほこをたてたるが、なほおよばぬ程なり。うへはるりのかはらをもつてふき、したはきんぎんをみがけり。けいかはえんのさしづをもち、しんぶやうははんえきが首をもちて、玉のきざはしをのぼりけるに、余りに内裏のをびたたしきをみて、秦武陽わなわなとふるひければ、しんかこれをあやしみて、「ぶやうむほんの心あり。けいじんをばきみのかたはらにおかず、くんしはけいじんにちかづかず。
P1910
けいじんにちかづくは、すなはちしをかろんずるみちなり」といへり。けいかかへりて、「ぶやうまつたくむほんのこころなし。そのせきれきをもてあそびてぎよくえんをうかがはざるものは、なんぞりれうのわだかまれるところをしらん。そのへいゆうにならひて、しやうはうをみざるものは、「いまだ英雄の宿る所をしらず」といひければ、くわんぐんみなしづまりにけり。さてたうしやうにいたりて、はんえきがかうべをたてまつらむとするに、くわんしいでむかひて、うけとりて、えいらんあるべきよしおほせければ、けいかまうしけるは、「ひごろしんきんやすからずおぼしめさるるほどの、てうてきのくびを切て参りたらむに、いかでかひとづてにたてまつるべし。えんこくせうこくなりといへども、けいか、武陽共に、かのくに第一のしんかなり。ぢきにたてまつらむ事、何のおそれかあるべきと」そうしたりければ、「まことにひごろの
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しゆくいふかかりつるてうてきなり。けいかがまうすところそのいはれあり」とおぼしめして、しくわうみづからうけとりたまふべきれいぎにて、けいかにちかづき給ふ。かねてはんえきしして、くわいけいの恥をきよめむとはかりしことばは少しもたがはず。さてけいか、かうべをちにつけて、はんえきが首を奉る。始皇是をみたまひて、深く感じ給けり。そののちまたさしづ、けんけいいれたるはこをひらくに、秋の霜、冬のこほりのごとくなるつるぎの光り、はこの底にかかやきてみえければ、始皇おほきにおどろきて、早くとびさらんとし給ふ処に、左手にて、ぎよいの袖をひかへ、右手にてかのつるぎを取て、始皇のおんくびにさしあてて、「まことにはえんのたいし、このごろくねんのあひだいましめおかれ
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たりつるうらみ深し。そのしゆくいをあらはさんが為に、かくははかりつる也」とて、既につるぎをふらんとしければ、始皇涙を流してのたまはく、「われいつてんのあるじとして、ぶわうのなかのだいぶわうなり。昔も今もちんに肩をならぶるていわうなし。されども運命限りあれば、ちからおよばず。ただしりんじゆうのさはりになるまうねんあり。われきうちようの中に、千人のふじんをもてり。そのなかに琴をいみじくひく夫人あり。くわやうふじんとなづく。いまいちどそのきよくてうをききてしせむと思ふ。そのあひだゆるしてむや」とのたまひければ、けいかおもひけるは、「われせうこくの臣下として、だいわうのせんみやうをぢきにかうぶる事、ありがたし。かくとらへ奉り
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ぬるうへはなにごとかはあるべき」とおもひて、少しさしゆるし奉つる。しくわうよろこびたまひて、なんでんにしつせきのへいふうをたて、そのうちに夫人りんかうありて、琴をしらべ給ふ。おほかたこのきさきのひき給へる琴のねには、そらとぶとりもちにおち、武きもののふもいかれる心たひらぎけり。いはむや今を限りのえいぶんに備へ給ふ事なれば、なくなくさまざまのひきよくをそうしたまひけむ。さこそはおもしろかりけめ。けいかみみをそばたて、かうべをたれて、ほとんどひごろのがいしんもたゆみつつ、くわんくわんとしてききゐたりければ、きさきこのけしきをひそかにみたまひてければ、きよくてうをかへて、「しつせきのへいふうはをどらばこえつべし、らこくの
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袖はひかばたへぬべし」といふきよくを、たびたびひきたまひけり。けいか、ぶやうもろともにくわんげんの道うとかりければ、つゆこのきよくをききしらず。しんくわうはごいんにつうじ給へりければ、これをききしりたまひて、「はづかしはづかし。夫人のみなれども武き心あり。われだいわうのみにして、かたきにひかへられて、のがれぬ事こそ心うけれ」とおもひたまひて、がうじやうの心たちまちにおこりて、しつせきのへいふうをうしろさまにとびこえ給ふ。けいかは始皇の逃給ふにおどろきて、つるぎをなげかけたりければ、皇帝、あかがねのはしらの三人していだく程なる、その影へ逃給ふ。みかどにはあたらずして、銅の柱なからばかりきれにけ
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り。しんこくのならひ、ひやうぐたいしたる者のてんじやうに昇らぬほふなれば、すまんのくわんぐんていしやうにありけれども、救はむとするにかひなし。只君のぎやくしんにをかされ給はむ事をぞかなしみける。そのときかぶしといふいしの、じいといふくわんにて、をりふしごぜんに有けるが、くすりのふくろをぎよくたいになげかけたり。くわうていたちかへりて、わがぎよくくわんにさし給へるほうけんをぬきて、けいか、武陽、二人がくちをやつざきにさきて、ていしやうにひきおろしてちゆうせられけり。やがてえんこくへくわんぐんをさしつかはして、えんたんをうち、国をほろぼしてけり。又かうぜんりはけいかと昔しんいうたりし事
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をはばかりて、姿をやつし、せいめいをかへてありけれども、しならひたる事のすてがたくて、ほときをうちけり。ほときと琴のやうなるがくき也。ばちにてそのうへをうつなり。始皇、「ほときをよくうつ者あり」とききたまひて、めされて、つねに筑をうたせてきき給ふに、かうぜんりをみしりたる人有て、「かうぜんり也」と申たりければ、のうのいみじさに、殺すにおよばず。めをつぶして、なほ筑をうたせて近づけ給ければ、ぜんりやすからずおもひて、つるぎをもつて、始皇のをはする所をはからひて、うちたりけり。始
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皇なじかはうたれたまふべき。かえつてぜんりを殺されにき。このことしきにみえたり。論語とまうすふみに、「始皇のひざをうちたり。そのところかさに成て、始皇しし給へり」といへり。昔の恩を忘れて、てうゐをかろんずる者の、たちまちにてんのせめをかうぶりぬ。さればよりともきうおんを忘れて、しゆくまうをたつせむ事、しんめいゆるし給はじと、きうれいをかんがへて、あへて驚く事なかりけり。卅七 よつかのひいぬのときばかり、だいじやうにふだうこしに乗て、ゐんのごしよへ参てまうされけるは、「みなもとのためよし、よしともは、ほふわうのおんかたきにて
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さうらひしを、入道がはかりことにて、かれら二人よりはじめて、おほくのばんるいを皆入道がてにかけて、かうべをはねさうらひき。頼朝とまうしさうらふやつは、がうしうよりたづねいだしてさうらひしを、入道がけいぼ、いけのあまとまうしさうらひし者、かの頼朝をみさうらひて、余りにむざんがりさうらひて、『このくわんじやわれに預けよ。かたきをいけてみよとこそ申せ』と、たりふし申候しかば、『まことに源氏のたねをさのみたつべきにもあらず。そのうへにふだうがわたくしのかたきにもあらず。只君のおほせを重くする故にこそあれ』とぞんじさうらひて、るざいにまうしなだめて、いづのくにへながしつかはしさうらひぬ。そのとき十三と
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うけたはまりさうらひき。かねつけたるこくわんじやの、すずしのひたたれ、こばかまきて候しに、入道事のしさいたづねさうらひしかば、『いかがさうらひけむ。そのことのおこりつやつやしらず』とまうしさうらひしあひだ、まことにもつたなき者にて候へば、よも知候はじと、あをだうしんをなしさうらひて、今は、『あはれは胸をやく』と申たとへのやうに、さだめてきこしめされてもさうらふらむ。かのよりともが、伊豆国にてはかりなきあくじどもを、この八月につかまつりてさうらひしよし、うけたまはり。ついたうのゐんぜんをくださるべき」よしをまうされければ、「なにごとかはあるべき。ほふわうにこそ申さめ」とおほせありければ、入道又まうされけるは、「しゆしやうはいまだをさなくわたらせおはす。
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まさしき御親にわたらせたまふにさしこえたてまつりて、法皇にはなにと申事候べき。そうじて源氏をひきおぼしめされて、入道をにくませたまふとおぼえ候」と、くねり申されければ、しんゐん少しわらはせおはしまして、「ことあたらしくたれをたのみてあるにか。せんげのでうやすし。すみやかにたいしやうぐんをしるしまうせ。たれにおほせつくべきぞ」とごぢやうありければ、「これもり、ただのり、とももりらにおほせつけらるべし」とぞまうしける。G18
卅八 さきのひやうゑのすけよりともは、さんぬるえいりやくぐわんねん、よしともがえんざによつて、いづのくにへるざいせられたりけるが、むさし、さがみ、い
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づ、するがのぶしども、おほくは頼朝がふそぢゆうおんのともがらなり。そのよしみたちまちにわするべきならねば、たうじ平家のおんこの者のほか、頼朝に心をかよはして、いくさをおこさばいのちをすつべきよししめす者、そのかずありければ、頼朝も又心に深くおもひきざす事有て、よのありさまをうかがひてぞ、としつきをおくりける。いづのくにのぢゆうにん、いとうのにふだうすけちかほふしは、ぢゆうだいのけにんなりけれども、平家ぢゆうおんの者にて、たうごくにはそのいきほひ人にすぐれたり。むすめ四人あり。一人はさがみのくにの住人みうらのすけよしあきがなん、よしつらにあひぐしたり。一人はどうこくのぢゆうにんとひのじらうさねひらがなん、
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とほひらにあひぐせり。第三のむすめ、いまだをとこもなかりければ、ひやうゑのすけしのびつつかよひける程に、なんし一人いできにけり。ひやうゑのすけことによろこびてさいあいす。なをばちづるとぞ申ける。三歳と申ける年の春、をさなきものどもあまたひきぐして、めのとにいだかれて、せんざいの花を折てあそびけるを、すけちかほふし、おほばんはてて国にくだりけるをりふし、これをみつけて、「このをさなき者はたれびとぞ」とたづねけれども、めのとこたふる事なくして、にげさりにけり。やがて内へ入て、さいぢよにとひければ、こたへけるは、「きやうのぼりしたまひたるひまに、いつきむすめの、やむごとなきとのして、まうけたまひたるをさなき人なり」
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といひければ、助親法師いかりて、「たれびとぞ」とせめとひければ、かくしはつべき事にもあらざりければ、「ひやうゑのすけなり」とぞまうしける。助親まうしけるは、「あきびと、しゆぎやうしやなどををとこにしたらむは、中々いかがはすべき。げんじのるにんむこにとりたりときこえて、へいけのおんとがめあらむ時は、いかがはすべき」とて、ざつしき三人、らうどう二人におほせつけて、「かのをさなきこをよびいだして、伊豆のまつかはの奥、しらたきの底にふしづけにせよ」と云ければ、をさなき心にも事がらけうとくやおぼえけむ、なきもだへてにげさらんとしけるをとりとどめて、らうどうにあたへけるこそうたてけれ。みめ、事がら
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清らかにて、さすがなめてのものにまがふべくもみえざりければ、ざつしき、らうどうどもいかにとして殺すべしともおぼえず。かなしかりけれども、つよくいなまば、思ふ所あるかとて、中々あしかりなむずれば、なくなくいだきとりて、かのところにてふしづけにしけるこそ悲しけれ。むすめをばよびとりて、たうごくの住人えまのこじらうをぞむこにとりける。ひやうゑのすけこのことどもをききつつ、いかれる心もたけく、歎く心もふかくして、助親法師をうたむと思ふ心、ちたびももたびありけれども、だいじを心にかけながら、その事をとげずして、「いまわたくしのうらみをむくはむとて、みをほろぼし、命
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を失はむ事おろか也。おほきなるうらみあらば、ちひさきうらみをわすれよ」と、おもひなだめてすごしけるに、いとうのくらうすけかぬひそかにひやうゑのすけにまうしけるは、「父の入道、らうきやうの余り、びろうの事をのみふるまひ侍るうへ、あくぎやうをくはたてむとつかまつる。心のおよぶところ、せいしつかまつれども、おもひのほかの事もこそいできはべれ。たちしのばせ給へ」と申ければ、平衛佐は、「うれしくもまうしたり。これとしごろのはうしなり。入道に思ひかけられては、いづくへかはのがるべき。みにあやまつ事なければ、又自害をすべきにもあらず。只めいにまかせてこそはあらめ」とぞこたへられける。やざうぎやうぶなりつな、あだちとうくらうもりながなど
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におほせあはせけるは、「頼朝一人のがれいでむとおもふなり。ここにて助親法師にゆゑなく命をうしなはむ事、いふかひなかるべし。なんぢらかくてあらば、頼朝なしと人しるべからず」とて、おほかげと云馬にのり、おにたけと云とねりばかりをぐして、やはんばかりにぞいでられける。道すがらも、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、ぎかのあつそんがいうしよをすてられずは、せいいのしやうぐんにいたりて、てうかをまもりじんぎをあがめたてまつるべし。そのうんいたらずは、ばんどうはちかこくのあふりやうしとなるべし。それなほかなふべからずは、いづいつこくがあるじとして、すけちかほふしをめしとりて、そのあたをむくひ侍らむ。いづれも
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しゆくうんつたなくして、しんおんにあづかるべからずは、ほんぢみだにてまします、すみやかにいのちをめして、ごせをたすけ給へ」とぞきせいしまうされける。もりつな、もりながは、兵衛佐のがれいでたまひてのちは、ひとすぢにかたきのうちいらむずるをあひまちて、なをとどむる程のたたかひ、このときにありとおもひける程に、夜もやうやうあけにければ、おのおのもいでさりにけり。そののちほうでうのしらうときまさをあひたのみてすごしたまひけるに、又かれが娘の有けるに、ひそかにかよはれけり。時政京よりくだりけるが、道にてこのことを聞て、おほきに驚て、どうだうしたりける、けんびゐしかねたかをぞむこにとるべきよし、けいやくしてける。国にくだりつきければ、
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しらぬていにもてなして、かのむすめをとりて、兼隆がもとへぞつかはしける。くだんのむすめ、ひやうゑのすけにことにこころざし深かりければ、兼隆が許に行たりけるが、あからさまにたちいづるやうにて、足にまかせて、いづくをさすともなくにげいでて、よもすがら伊豆の山へたづねありきて、兵衛佐のもとへ「かく」とつげたりければ、やがて兵衛佐、伊豆の山へぞこもりにける。このことをときまさかねたかききにければ、おのおのいきどほりけれども、かのやまはだいしゆおほきところにて、ぶゐにも恐れざりければ、さうなくうちいりて、うばひとるにもおよばずしてぞすぎゆきける。さがみのくにのぢゆうにん、ふところじまのへいごんのかみかげよし、このことをききて、
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ひやうゑのすけのもとにはせゆきて、きふじしけり。あるよの夢に、とうくらうもりながみけるは、「兵衛佐、あしがらのやぐらのたちにしりをかけて、左の足にてはそとの浜をふみ、右足にてきかいがしまをふみ、さうの脇より日月いでて、光をならぶ。いほふほふし、こがねのへいじをいだきてすすみいづ。盛綱、しろかねのをしきにこがねのさかづきをすゑて進みよる。盛長てうしを取て、酒をうけて勧めれば、兵衛佐さんどのむ」とみて、夢さめにけり。盛長このゆめの次第を兵衛佐にかたりけるに、かげよし申けるは、「さいじやうのよきゆめなり。せいいしやうぐんとして、てんがををさめ給べし。ひはしゆしやう、月は
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しやうくわうとこそつたへうけたまはれ。今さうのおんわきより光を並べたまふは、これこくしゆなほしやうぐんのいきほひにつつまれ給べし。東はそとの浜、西はきかいがしままできぶくしたてまつるべし。酒はこれいつたんのゑひを勧めて、つひにさめて本心になる。ちかくは三月、とほくは三年の間にゑひの御心さめて、このゆめのつげひとつとしてあひたがふ事あるべからず」とぞ申ける。ほうでうのしらうときまさは、うへにはせけんにおそれて、かねたかをむこにとりたりけれども、ひやうゑのすけの心のいきほひをみてければ、心のうちには深くたのみてけり。兵衛佐も又時政を、賢き者にて、はかりことある者とみてければ、だいじを
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なさんずる事、時政ならではそのひとなしとおもひければ、うへにはうらむる
やうにもてなしけれども、まことにあひそむく心はなかりけり。

平家物語第二中
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おうえい廿七年かのえのね五月十三日 たもんまる

しやほんことのほかわうふくのげんもんじのあやまりこれおほし。
しかりといへどもてんさくにおよばずたいがいこれをうつしをはんぬ。
(花押)
七十三丁