延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 九(第五本)
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 一 ゐんのはいれいならびにてんがのはいれいなきこと
 二 へいけやしまにてとしをふること
 三 よしなかへいけついたうのためにさいこくへくだらむとほつすること
 四 よしなかせいいしやうぐんたるべきせんげのこと
 五 ひぐちのじらうかはちのくににてゆきいへとかつせんのこと
 六 かぢはらとささきとむましよまうのこと
 七 ひやうゑのすけのぐんびやうらうぢせたにつくこと
 八 よしつねゐんのごしよへまゐること
 九 よしなかみやこおつることつけたりよしなかうたるること
 十 ひぐちのじらうかうにんになること
十一 もろいへせつしやうをとどめられたまふこと
十二 よしなからがくびわたすこと
十三 よしつねくらまへまゐること
十四 よしつねにへいけをせいばつすべきよしおほせらるること
十五 へいけいちのたににじやうくわくをかまふること
十六 のとのかみしこくのものどもうちたひらぐること
十七 へいけふくはらにてぶつじをおこなふことつけたりぢもくおこなふこと
十八 かぢはらつのくにかつをじやきはらふこと
十九 ほふわうへいけついたうのおんいのりのためにびしやもんをつくりはじめらるること
二十 げんじみくさのやまならびにいちのたにおひおとすことP3002
廿一 ゑつちゆうのせんじもりとしうたるること
廿二 さつまのかみただのりうたれたまふこと
廿三 ほんざんゐのちゆうじやういけどられたまふこと
廿四 しんぢゆうなごんおちたまふことつけたりむさしのかみうたれたまふこと
廿五 あつもりうたれたまふことつけたりあつもりがくびやしまおくること
廿六 びつちゆうのかみうみにしづみたまふこと
廿七 ゑちぜんのさんゐみちもりうたれたまふこと
廿八 たいふなりもりうたれたまふこと
廿九 へいけのひとびとのくびどもとりかくること
三十 みちもりきたのかたにあひそむること付同北方の身投給事
卅一 へいじのくびどもおほちをわたさるること
卅二 これもりの北方平家のくびみせにやること
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平家物語第五本
一 げんりやく元年きのえのたつ正月ひとひのひ、院は去年十二月十日、ごでうだいりよりだいぜんのだいぶなりただがろくでうにしのとうゐんの家へわたらせ給。せけんもいまだらくきよせざるうへ、ごしよのてい、れいぎおこなはるべき所にもあらねば、はいれいもなし。院のはいれいなかりければ、てんがの拝礼もおこなはれず。だいりにはしゆしやうわたらせ給へども、れいねんとらのいつてんにおこなはるる、しはうはいもなし。せいりやうでんのみすもあげられず。げぢんとてなんでんのみかうしさんげんばかりぞあげられたりける。
(二) 平家はさぬきのくにやしまのいそに春をむかへて、年のはじめなりけれども、ぐわんにちぐわんざんのぎしきこそ事よろしからね。せんていましませばしゆしやうとあふぎたてまつれども、しはうもなし。せちゑも行はれず。ひのためしも奉らず。はらかも奏せず。よみだれたりし
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かども、都にてはさすがにかくはなかりし物をと、恋しくぞおぼしめされし。せいやうの春もきたれども、うらふくかぜもやはらかに、ひかげものどかになりゆけども、平家の人々はかんくてうにことならず。いつとなくこほりにとぢこめられたるここちす。とうがんせいがんのやなぎ、ちそくおなじからず。なんしほくしのむめ、かいらくすでにことなり。花のあした、月の夜、詩を作り歌をよみ、まり、こゆみ、あふぎ、さまざまのきようありしことどももおもひいだして、かたりあひて、長き日をいとどくらしかね給へるぞあはれなる。
(三) 十日、いよのかみよしなか、平家追討の為に、さいこくへげかうすべきよしそうもんしけり。おほせられけるは、「わがてうにかみよより伝はりたるさんじゆのほうぶつあり。すなはち、しんし、ほうけん、ないしどころ、これなり。ことゆゑなく都へ返しいれたてまつれ」とおほせくだされければ、かしこまりてまかりいでぬ。すでにけふかどですときこえしほどに、とうごくよりさきのひやうゑのすけよりとも、義
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仲追討の為、しやていがまのくわんじやのりより、くらうくわんじやよしつねたいしやうとして、すまんぎのぐんびやうをさしのぼするよしきこえけり。そのゆゑは、義仲てうおんにほこりてしやうくわうを取奉り、ごでうだいりにおしこめまゐらせて、ぢもくを行ひ、せつろくをあらため奉り、人々をげくわんして、平家のあくぎやうに劣らず、てうゐをいるかせにし奉るよし、頼朝きかれて、「義仲をさしのぼせし事は、ぶつじんをもあがめ奉り、わうぼふをもまつたくし、てんがをもしづめ、君をも守奉るべしとてこそのぼせしに、いつしかさやうのらうぜききくわいなり。既に朝敵となりぬ」とて、いかりをなし、せいを差しのぼせらる。そのせいすでにせんぢんはみののくにふはのせきにつきぬ、ごぢんをはりのくになるみがたまでつづいたるよしきこえければ、義仲是を聞て、うぢ、せたふたつの道をうちふさがむが為に、しんるいらうじゆうらをわかちてつかはす。平家は又ふくはら
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までせめのぼるとののしる。
四 十一日、義仲さいさんまうしうくるによりて、なましゐにせいいのたいしやうぐんたるべきせんげせらる。
五 おなじき十七日に、びぜんのかみゆきいへかはちのくににぢゆうしてほんしんあるよしきこへければ、義仲かのゆきいへを追討の為に、ひぐちのかねみつをさしつかはす。そのせい五百余騎なり。おなじき十九日に、いしかはのじやうによせてかつせん。くらんどのはんぐわんいへみつ、かねみつがためにいとられにけり。行家いくさにまけて、にげおちて、かうやにぞこもりける。いけどり三十人、くびきりかけらるる者七十人とぞきこへし。
六 さんぬるとをかのひ、きそのくわんじやよしなかを追討の為にしやうらくすべきとうごくのぶし、わかみやごんげんのとりゐの前、ゆいの浜にてせいぞろへあり。そのなかにかぢはらげんだかげすゑ、かま
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くらどのに参て申けるは、「ごひさうのおんむまとはしりまいらせて候へども、いけずきをたまはつて京までひかせさうらはばやと存じ候。あれよりつよき馬は多く持て候へども、河をこきおよぎ候事、いけずきほどの事はよも候はじ。あひかまへてうぢがはにてせんぢんをわたして、かうみやうをこうたいに伝へさうらはばやとぞんじ候」と、高らかにぞごんじやうしたりける。かまくらどのごしんぢゆうに、「にくひけしたる者のこゑやうけしきかな」とぞおぼしめされける。さておほせの有けるは、「いちのみむまやにたてたる馬を人にのする事なし。ふちせをわたるきりやうの馬はうすずみもよもおとらじ。うすずみをたまはり候へ」とて、第二の御馬うすずみをぞ給はりたりける。あをさぎなりけるを、にゐどのごらんじて、「あをさぎはうすずみにこそにたりけれ」とおほせられたりけるによつて、うすずみとぞ申ける。かぢはらげんだ、「われにすぎたるおんけしきよしはなき
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物を」とおもひてまうしたりけるに、「こゑやうかほけしきにくひけしたる者かな」とごらんじたりけるこそ、あんたがひてはおぼゆれ。天にをせくぐまり地にぬきあしことは、このていの事なるべし。人さらに身をばたのむまじき事也。ほいなき事かぎりなけれども、うすずみをたまはりてまかりいでにけり。そののちつはものどもめんめんに参ていとままうしける中に、ひらやまのむしやどころすゑしげげんざんにいりてまかりいでけるところに、にしのごもんにてかづさのすけにゆきあひたり。みれば、としごろほしくおもひたりけるめかすげと云めいばを前にひかせたり。平山、「いましよまうせではいつをごすべきぞ。むしんをはばからずしよまうしてみむ」と思て、「としごろひごろあのめかすげをほしく思候ひつれども、『かつうはごひさうの御馬也。かつうはくわぶんのしよまうおそれあり』とぞんじさうらひて、いまだことばにもいださずさうらひつれども、『合戦の道にまかりいづるならひはふたたびかへるべきにあらず。只今こそ最後』とぞんじさうらへば、しんぢゆうのまうねんをさんげし候」とぞ申ける。かづさのすけおもひけるは、
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「命にかへて思ふ馬也。親にも子にもしゆくんにも、手をはなつべしとは思はねども、『合戦の道にまかりいづるならひはふたたびかへるべきにあらず。只今こそ最後と存じ候へば、しんぢゆうのまうねんをさんげし候』といひつるこころざしのおもしろさよ。かつうはかどでのしよまうなり。かつうはひらやまをば鎌倉殿さぶらひたいしやうぐんにおぼしめしたり。かたがたもつておもふに、りゆうめりゆうざうなりともをしむべきにあらず」と思て、「いかに平山殿、としごろひごろおぼしめしける事を今までおほせはさうらはざりけるぞ。しろかねこがねの馬なりとも、いかがごへんにはおしみ奉るべき」とて、あぶみふんばりたちあがりて、「平山殿のおんとのびとや、あのめかすげうけとりさうらへ」と云ければ、平山馬よりとびおつるままに、右の手をもつてめかすげがくつばみをとり、左の手をもつては馬のかしらをかきなでかきなでして、「ほんまうじやうじゆす。あなうれしあなうれし」と云て、しもべにうけとらせて、馬にのりてけり。上総介は馬に乗ながらうつたちて、「めんぼくきはまりなしめんぼくきはまりなし」とぞあひしら
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ひける。くろかすげなる馬の七寸にあまりたりけるが、折をしり、けはれをふるまひ、事人にはならまさりたりけり。めかすげとなづけたる事は、左の目の程にかかりて白き星の有ける故なり。のりじりの程をはからひ、ふしきをもこへ、えほりをもとびける馬也。さて平山申けるは、「つくづくせけんのさうをみるに、あたひかはりはなけれども、だいじの空をゆづるはふぼにしんにしくはなし。かづさのすけどののはうおんこそ父母二親にもすぐれ給ひたれ。じこんいごはわかたうども、かづさどのにぶれいばしつかまつるな」とぞよろこびける。今度のしやうらくのたいしやう二人の内、一人はがまのおんざうしのりより、一人はくらうおんざうしよしつねなり。がまのおんざうしはあしがらにかかり、くらうおんざうしははこねにぞかかり給ける。九郎御曹司は昔よりはこねごんげんにさんけいのこころざしおはしけるあひだ、もくよくけつさいしてしやだんにふだうし給へり。ひやうごぐさりのたちひとふり、べつたう
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してごほうぜんにささぐ。「なむきみやうちやうらいはこねごんげん、わくわうどうぢんの光にくもりなく、義経がしよぐわんをじやうじゆせしめ給へ。つやみかぐらをもしてまひらせたく候へども、のりよりさだめて早くうちすぎさうらふらむとぞんじさうらへば」とて、馬にむちをうちたまひければ、いづのふにてがまのおんざうしにゆきあひ給へり。ふよりはうちつれて、たせいにてぞのぼり給ける。ささきのしらうたかつな、かまくらどのにまゐりたり。「いかに今まで遅かりつるぞ」とのたまへば、「らうせうふぢやうのさかひにてさうらひし上、合戦の道に向き候事、ふたたび故郷に帰るべしとも存ぜず候あひだ、父にて候し者のむしよにいとまこひさうらひつるついでに、十三年のついぜんをひきこしてつかまつりさうらひつるあひだ、ちさんつかまつりて候。やがてあれよりこそうちいづべくさうらひつれども、親のけうやうを引こし候程に、むじやうをくわんじさうらひながら、いかでか今一度みもまひらせ、みへもまひらせさうらはではさうらふべきとぞんじさうらひて、参て候」とて、
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ふしめにぞなりたりける。かまくらどのも御覧じて、御目に涙をうけさせ給けり。さておほせに、「合戦の庭にてしんみやうをすつべきおもむきすでにあらはれて、しんべうにこそおぼゆれ。わどのもひごろほしげにおもひたりつるいけずきを、ひきでものにせばやとおもふが、かぢはらげんだがしよまうしつるに、おしく思て、うすずみをとらせたりつるあひだ、みちにてわどのを恨みむずらむとおぼゆるは、いかがすべき」とぞおほせられける。佐々木かしこまりまうしけるは、「梶原がせんまんのうらみはさもさうらはばさうらへ。いつぴきのいけずきをたまはりてこそ、しやうぜんのめいよをまつだいに伝へ、ごしやうのめんぼくをえんわうのちやうていにもほどこし候はむずれ。そのうへぶしとなり候て、梶原がうらみをなどかいちわうちんじ開かでは候べき。いつさいくるしかるまじく候」とごんじやうす。「さらばとらする」とて、いけずきをぞ給はりたりける。この馬を「いけずき」と申ける事は、二三才のころあどなかりける時、にくしと思ふ者をくひふせて、
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さすがにくゐはころさず、いけながら足手などをくゐかきけるあひだ、「いけずき」となづけたり。又はあうしうにのうのうみとて、めぐりしじふりの池あり。につぽんごくのわしのあつまる池なり。だいぢごくとて又大池あり。そのあひだにめいよある人のしぬれば、必ずこんばくしづまりてこの池にもつすといへり。かくのごときらの池はおほしといへども、うをのみあつて船はなし。これによつて、池のほとりのぎよふら、いちぢやうばかりなるさをに細をはりて、この馬に乗てちしやうの水にをよがせて、魚をすきけるによつて、「いけずき」となづけたりともいへり。かげなりけるが、たけはつすんの馬なりけり。いとをしき者、にくき者、みしりたりける馬也。かりばの時、鹿などにあひつきて、きしいそをくだりにはする時、のりぬしだにもおちぬれば、馬もそこにとどまりて、草もくはでしゆうをとぶらふ馬なりき。これほどのだいじの御馬なりけれども、「父が墓にいとまこひつつ、十三年の
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ついぜんをも引こし、最後のげんざんにも参て候」となくなく申たりつるなさけをも、しんべうなりとおぼしめされけるぎよかんのあまりに、さしもひさうしたまひたるいけずきをたまはりたりける、ささきのしらうが心の内こそゆゆしけれ。いかばかりかうれしとおもひけむ、
とへかしななさけは人のためならずうきわれとてもこころやはなき K186
といふこかのふぜいおもひあはせられてあはれなり。せんまんのぐんびやうの中に、父がむしよにていとまをこひ、十三年のついぜんを引こしてつかまつるなさけ、親の為とこそおもひけめども、てんじんちぎあはれみ給ふゆへに、鎌倉殿よりいけずきを給はりぬること、なさけはげに人の為にはあらざりけり。これも又、ささきげんざうひでよしがへいぢのかつせんのとき、ろくはらへよせたりけるが、かなはずしてひきけるに、さまの
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かみよしともをのばさむとて、五十余騎にてごでうがはらしでうばしのへんまでにかへしあはせかへしあはせたたかひけれどもかなはず。平家のぐんびやう多くせめきたりければ、兄弟五騎になりて、よしとものひきつるかたへとこころざしてきたやまへむかひけるが、「わがひくかたへぞかたきもおはむずらむ。なほ義朝をのばさむ」と思て、ひきかへしあはたぐちへむかひける程に、いとうのむしやかげつなにゆきあひて、一人ものこらずうたれにけり。そのとき鎌倉殿も十二才にて父のおんともにおはしければ、「これらのことどもをおぼしめすわすれ給はずして、今いけずきを給はりけるか」とぞ申ける。佐々木四郎くつきやうの馬には乗たりけり、いけずきをばひかせてむちあぶみをあわせて打ける程に、いちやはんにちが程にするがのくにうきしまがはらにておひつきたり。そののちかぢはら、前後のせいをみしらばやと思て、馬をいつ
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たんばかりうちのけて、うまずめの松と云まつのもとにあぶみふむばりたちあがりて、とほるせいどもをみる処に、「二三百疋もやすぎぬらむ。されどもうすずみ程の馬こそなかりけれ。ことわりや、鎌倉殿のごひさうの御馬なれば、いかでかこれにはならぶ馬あるべき」とおもふところに、たれとはしらず、あきよげなるむしやいつき、のりがへ四五騎、馬三疋ひかせて、むちをあげていできたり。たれなるらむと目をかけたる処に、ししやだいざうもかくや有らむ、きりん八疋のこまもこれにはすぎじとおぼへたる馬、まつ先にひかせていできたり。みれば佐々木の四郎たかつな也。ひかせたる馬三疋の内にいけずきあり。梶原と申はだいあくしんのはらわる也、ししやうふちのきりとほしにてはべりけるあひだ、いけずきといひつるよりして、身よりみやうくわをもやしける。「ゆみやとりのならひは、かならずしも親のかたき、しゆくせのかたきをのみかたきといふか。たうざの恥こそ親のかたきにもまさりたれ。これ程しゆうに
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にくまれ奉たるかげすゑが命いきてはなにかはすべき。くちをしきことし給つるかまくらどのかな。是みよかし」とおもひがほにて、「まつ先にひかせたる佐々木にすぎたる目のかたきはあるべからず。木曽のくわんじやをうたむよりは佐々木をうたむ」とおもひてぞ、「あの馬をばたかつなにはたまはりつらむ。ただひとやにいおとして、いけずきをばここにてこそたまはらめ」と思て、矢たばねときておしくつろげ、もとはずすへはずしめおほせて、らうどう八騎有けるによういせさせてまちかけたり。梶原はしよにんににくまれけるあひだ、ようじんする事ひまもなし。されば、人はきざりけれども、よろひをぞきたりける。ひをどしのよろひにくれなゐのほろをぞかけたりける。にじふしさしたる黒ほろの矢にしげどうのゆみつるうちして、さびつきげなる馬のたくましきに、しろぶくりんの鞍を置て乗たりけり。郎等八騎、馬の鼻を並べてひかへたりけるが、佐々木おひつきければ、同じさまに
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うちいでてたいめんしたりけり。「いかにささきどの、をくれをばし給ぞ。あれはいけずきとみ候はいかに」。「さむざうらふ」と答ふ。「かげすゑがしよまうまうしてさうらふにたびさうらはぬに、佐々木殿の給はらせたまふでう、なにていなるしさいにて候ぞや。ゐこんのしだいかな」といへり。佐々木おもひけるは、「にくひ梶原がことばかな。いかなる子細にてもあれ、それによるべからず。しそくきやうだいしよじゆうけんぞくばしに物をいふやうに、はういつなるもののいひやうかな。しやのどぶえいぬきて、ただひとやにいおとさばや」とぞ思ける。すでに矢ぬかむと思ける処に、しばしあつて、「あれはよろひきたり。わがみははらまきをだにもきず。さげばりのじやうずもさだめの矢つぼを射そむずる事。そのうへ鎌倉殿のおほせに、『梶原が恨みむ時はいかがせむずる』とおんこころぐるしげにごぢやうありしを、『ともかくもちんじひらきさうらふべし』と、物たのもしく申したりつるかひもなし。
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いつしかここにて人をもうしなひ我もうせむ事、ふかくの次第なるべし。いちわうちんじてみむ」とおもひて、「や、との、かぢはらどの、きき給へ。殿は今度こそしよまうまうさせたまひたりつらめ。たかつながこぞの春より、おんけしきにまかせてをりをりごとにまうしはべりしが、つひに給はらず。をととひ親のために最後のぶつじつかまつりしあひだ、きのふのゆひがはまのひやうぐぞろへにはづれさうらひて、ちさんしてさうらひき。さていそぎおひつきまひらせむとこころばかりはすすめども、ひんはしよだうのさまたげにて、かひがひしき馬は候はず。さりとてはと思て、おんむまやのこへいじに酒をのませて候へば、げこのしるしのあはれさは、やがてゑひてね入てさうらひし時、ぬすみとりて、あれにのりてよもすがらはせてこそ、これほどはやくは追付きまひらせては候へ。まつたく君よりたまはりたる事候はず。人にはみやうもんなればたまはりたるよしを申さむずる也。こころえたまへ。今度の合戦にもしぞんめいしてさうらふとも、ご
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かんだうをかうぶるべき身にて候へば、あぢきなくおぼえさうらふ。さやうにごかんだうさうらはむ時、たれかまうしゆるしてたまはるべしともおぼへず候」とて、歎く色をぞしたりける。梶原思けるは、「げにわれもぬすむべかりける事をや。つやつやおもひよらずして、佐々木にはやぬすまれにけり。あたら馬をつひにそらしぬる事こそねんなけれ。あなくちをしあなくちをし」とぞ思ける。さて申けるは、「ゆみやとりのらうじゆうの、しゆうの馬をぬすみてしゆうのかたきうちにおもむかむ事、なんでふの御勘当か候べき。むまぬすびとをばくびをきり、はつつけなどにする事也。ましてどうれうにはしたがらぬ事なれども、佐々木殿のぬすみはあえ物にもしたし、なんしうみたらむさんじよにはしやうじ入れまひらせて、ひきめをも射させまひらせ、げんぶくはかまぎの時はよこざにすへまひらすべき程のぬすみかな」とて、うちつれてぞわらひける。「そもそも、『御勘当かぶりたりとも申ゆるすべき
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人もなし』とおほせられつるは、かげすゑがききみみとおぼえさうらふ。はちまんもごちけんさうらへ。くんこうのしやうにも申かへ候はむずる也。ひごろはこれ程は思奉らざりつれども、馬をぬすみたまふにとりて、あはれどうれうやとおもひたてまつるゆゑに、まことのせには必ずかはらばやとぞんず。たのべよ」。「たのまれ奉らむ」とぞちぎりたりける。
(七)おなじきはつかのひのたつのこくに、とうごくのぐんびやう六万余騎ふたてにつくりて、うぢせたりやうばうより都へ入る。せたのてにはがまのくわんじやたいしやうぐんとして、おなじくあひしたがふともがらは、たけたのたらうのぶよし、かがみのたらうとほみつ、おなじくじらうながきよ、いちでうのじらうただより、いたがきのさぶらうかねのぶ、さぶらひたいしやうぐんには、いなげのさぶらうしげなり、はんがえのしらうしげとも、とひのじらうさねひら、をやまのしらうともまさ、おなじくちゆうぢごらうむねまさ、ゐのまたのこへいろくのりつな、をやま、うつのみや、やまな、さとみのものどもをはじめとして、三万五千余騎にはすぎざりけり。
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うぢの手にはくらうくわんじやをたいしやうぐんとして、あひしたがふ人々、やすだのさぶらうよしさだ、おほうちのたらうこれよし、さぶらひ大将軍には、はたけやまのしやうじじらうしげただ、しやていながののさぶらうしげきよ、みうらのじふらうよしつら、かぢはらへいざうかげとき、ちやくしげんだかげすゑ、くまがえのじらうなほざね、おなじくしそくこじらうなほいへ、ささきのしらうたかつな、しぶやのうまのじようしげすけ、かすやのとうだありすゑ、ささをの三郎よしたか、ひらやまのむしやどころすゑしげをはじめとして二万五千余騎、ふたてのせい六万余騎にはすぎざりけり。木曽がかたにはをりふし都にせいぞなかりける。めのとごひぐちのじらうかねみつ、五百余騎にてじふらうくらんどゆきいへをせめむとて、かはちのくにいしかはと云所へさしつかはす。いまゐのしらうかねひら、五百余騎のせいをあひぐして、せたをかためにさしつかはす。かたらのさぶらうせんじやうよしひろ、にしな、たかなし、をだのじらうら、
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三百余騎にてうぢをかためにむかひけり。京にはりきしや廿余人をしたくして、もしの事あらば、院をとりたてまつりて、さいこくへごかうなしたてまつらむとよういして、かうづけのくにのぢゆうにんなはのたらうひろずみをはじめとして、義仲がせい百騎にはすぎざりけり。いまゐのしらうかねひら、かたらのさぶらうせんじやうよしひろら、うぢせたりやうばうの橋をばひきて、むかひの岸にはらんぐひをうち、おほづなはへ、さかもぎをつなぎて、ながしかけてあひまつところに、くらうよしつねはうんかのせいをたなびきて、「きそのくわんじや、都にてはかなはじとて、びやうどうゐんにたてごもりたり」とまうすもの有けるあひだ、さらばとて、いがのくにへめぐりて、びやうどうゐんにおしよせたりけれども、そらごとなりけるあひだ、さてはとてじゆらくせむとする処に、うぢはしをみれば橋もなし。おりしも水かさまさりて底みへず。橋をひきたるのみならず、さかもぎひまもなく、おほづなこづなひきはへて、をしかもなむ
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どのみづとりもたやすくくぐりとほるべしとはみへざりけり。ゆゆしき大事とたてたりけるあひだ、二万五千騎のぐんびやうくつばみをならべてひかへたり。かはのはたぶんないせばくして、うちのぞみたる者四五千騎にはすぎず。二万余騎はよりつくべき所なきゆゑ、只いたづらにひかへたり。河のけいきをだにみざれば、渡すべきせんぎひやうぢやうもせず。橋のおちたる事をも未だしらざる者のみおほくあり。これによつて、すいれんの者共多くあるらめども、河のおもてをみざる故に、河へ入らむとする者もなかりけり。そのときに九郎おんざうし、ざつしき、かちはしりのものどもをめしよせて、「家々のしざいざふぐいちいちにとりいださせて、かはばたのざいけを皆やきはらふべし。ぶんないをひろくして、二万余騎を皆かはばたにのぞませよ」とぞげぢし給ける。かちはしりの者共、家々に走りまはりてこのよしをひろうする処に、人一人も
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なかりけり。さらばとて、てんでにたいまつをささげて家々を焼払ふ事、三百よか也。馬牛なむどをばとりいだすに及ばず、やどやどにおきたりければ、皆死にけり。そのほかも、おいたる親のぎやうぶにもかなはぬ、たたみの下にかくし、板の下、つぼかめの底に有けるも、皆やけしにけり。あるいはにげかくるべきちからもなかりけるやさしきにようばうひめぎみなむどや、あるいはびやうしやうにふしたるあさましげなる者、こものどもにいたるまで、せつなの間にくわいじんとぞなりにける。「かぜふかば木やすからず」とは、これていの事なるべし。ひろびろとやきはらひたりければ、二万五千余騎のこる者もなくかはばたに打のぞみたり。九郎おんざうし、河のほとりちかくたかやぐらを作らせて、のぼり給て、しはうをげぢし給けり。やたてすずりをとりよせて、「うぢがはのせんぢんとかうのものとしだいをあきらかにしるして、鎌倉殿のげんざんにいるべし」と、
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ぬかむとぞ色めきあひたりける。御曹司やぐらの上よりさまざまの事をげぢし給けれども、かしかましくて人さらにきかず。其時びやうどうゐんよりたいこをとりよせてうたせられければ、二万五千余騎皆しづまりて、おんざうしに目をかけざる者は一人もなかりけり。そのとき九郎御曹司だいおんじやうをあげて、「今この二万五千余騎の中に、すいれん、かはだち、かづきのじやうずどもはそのかずおほかるらむ。かかる処にてこそぐんにぬけたるかうみやうもすれ。とくとく我と思わむともがらは、もののぐをぬぎおきて、せぶみをして、河の案内を心み給ふべし。又かの岸をみるに、矢はずを取たる者四五百騎ばかりあり。せぶみせむ者をさんざんに射むずらむとおぼゆるぞ。かふのざにつかむと思わむ人々は、馬をばすてて、はしげたを渡して、かたきのぐんびやうをおひちらして、すいれんのともがらをおもふさまにふるまはせよ」とぞげぢし給ける。これをきき、ひら
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やまのむしやどころ、馬より飛ておつるままに、はしげたの上にとびあがる。ゆんづゑをつき、扇をはらはらとつかひて申けるは、「二万五千騎のぐんびやうの中にはしげたわたるせんぢんは、ひらやまのむしやどころすゑしげとまうすこくわんじやなり。そもそもたうがのていたらく、しんえんたんたんとして、だいかいにうかべるがごとし。かりうばんばんとしてきふきふなる事、たきのみづに似たり。はしげたいういうとしてほそく高き事、へきてんにたなびくにじかともうたがひつべし。げんじやうさんざうのわたりたまひけむそうれいのいしばしも、これにはいかでかすぎさうらふべき。おちいらむことけつぢやうなり。もつしてしかもうせむ事うたがひあるべからず。もしはゑんこう、もしは鼠猫なむど、さらではたひらかに渡るべしとはぞんじさうらはねども、たいしやうぐんのおほせをそむかばしんみやうををしむに似たり。しかれば、命をばただいまくらうおんざうしにまひらせ候。かばねをばすみやかにうぢがはのふちせのなみにそそきはべるべし」とて、只一人渡る処に、佐々木太郎さだつな、しぶやのうまのじようしげすけ、くまがえの
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じらうなほざね、おなじくしそくこじらうなほむねら、いじやう五人ぞつづきて渡りける。やごろちかくなりければ、彼の岸のぐんびやうら、弓をあくまでひかむが為にかぶとをばきず。すひやくきのものどもひきとりひきとりはなちける矢かず、天よりとびきたる事なれば、いりえのあしかりがあしをたばねてつくがごとし。身にきたりてあたる事、けんとうそせつのゆふべのしぐれ、玉ちるあられのふるにぞ似たりける。されどもくつきやうのかつちうどもなれば、うらかく矢もなかりけり。くまがえはしげたをわたさむとする時、しそく小次郎、父のおんとも申べしとてつづきけるを、父熊谷、「なんぢは今年十六才也。心はいかにたけくおもふとも、さねはいまだかたまらじ。なほざねだにもたひらかに渡りつかむ事ありがたし。いはむやなんぢはかなふまじきぞ。おほぜいのわたさむ時渡るべし」と云ければ、小次郎、「せんじもんに申たるすもも、からもも、梅なむどにこそ、さねのかたまるかたまらぬとまうすことは候へ。十才いごの人の
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身にさねのかたまらぬ事やは候べき。もしかたまらざらむにつけても、父をはなしまひらせむとはぞんじさうらはず。父こそ常にはふうきとて、『目のまうぞ、膝のふるうぞ』とはおほせさうらへ。これほどのだいが、たかはしのほそげたを渡り給はむ事あやうくおぼえさうらふ。なほいへがまつ先にわたらせ給へ。もし御目まはせ給はむ時はとらへまひらせむ」とぞ申ける。父これをきき、「げにやわれ小次郎、いかなる時やらむ目もまひ膝もふるう事のある。わがみなればさもあるべし」とて、おへる子にをしへられて、くまがえは十六才の小次郎がさきにぞ渡りける。まことのせには子にすぎたるたからこそなかりけれ。しでのやま、さんづのかはをわたるときも、子よりほかにはたれかごせをばたすくべき。親子のなさけたのもしくぞおぼゆる。はしげたすでになからばかり渡りたりける時よりは、五人ながら皆めまひ膝ふるゐて、水はさかさまに流るるやうにぞおぼえける。かなはじとやおもひけむ、おのおの弓をば手にかけてはらばひ、
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かれ「さんざうらふさんざうらふ」と問へば、こたへこたへして、きもをつぶしはててぞ皆渡りたりける。くまがえがしよほつしんのだうしんは、このはしげたよりぞおこり始めたりける。われもしおちば、小次郎さだめてとりとどめむとして、共におちむ事の心うく思ける時、たりきわうじやうらいかういんぜふのあみだによらいをねんじはじめ奉りたりけり。せつしゆふしやのほんぐわん、只今こそげにたのもしくはおぼえはべれ。いふにかひなき小次郎だにこそ、おちむ所をばとりたすけむとて、うしろにはつづきたれ。ましてさんぞんらいかうして、しやうじのくかいに沈まむ所をらいかういんぜふし給はふ事、たのみてもなをたのむべかりけり。ひらやま、ささき、しぶや、くまがえおやこ、「なむあみだぶなむあみだぶ」と申てぞ、西の岸にはわたりつきたりける。かつせんいご、世しづまりてのち、くまがえのじらうはほふねんしやうにんに参て、ねんぶつのほふもんよくちやうもんし、さんじんぐそくのぎやうじやとなりすまして、
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もくれんじのずずをくびにかけて、まいにちせんべんまうしければ、つひにいんぜふしたまひて、くほんれんだいにぞわうじやうのそくわいをとげたりける。さればぼだいしんのおこる事もえんよりおこる事にてぞはべりける。さて五人のものども渡りはつれば、かたてやはげてかたきにむかふ。熊谷次郎扇はらはらとつかひて申けるは、「なんぢらはそもそもきそどののらうじゆうにてはよもあらじ。いつたんのかりむしやどもにてぞ有らむ。しやうある者は皆命ををしむならひなり。せんなきかつせんして、だいじのいのちをうしなはむとするこそふびんなれ。おちばはやおちよかし」とて、ひやうど射たりければ、きそがらうどうにとうだざゑもんかねすけと云者、まつさかさまに射をとされにけり。これをはじめとしておほくのらうどうどもうたれにけり。しかるあひだ、河のおもておもてに目をかけて、すいれんの者をいころさむとする者一人もなし。そのひまにささきが郎等にかしまのよいちと云者、てんがいちのかづきのじやうずなりけるあひだ、よろひぬぎを
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きたふさぎかくままに、腰には鎌をさし、手にはくまでをもつて、河のそこへいりにけり。ややひさしく水のそこにて、らむぐひ、さかもぎひきをとし、おほづなこづなきりおとす。あはれきりやうやとぞみへたりける。九郎おんざうしこれをごらんじて、「やや佐々木殿、わ殿のらうじゆうかしまのよいちはかふのざのいちばんにつくべし。べちのこうあらむずるぞ。そのよしをひろうし給へ。けふよりかいみやうして、よいちとはいふべからず。につぽんいちとよぶべし」とぞのたまひける。かかりけれども、すすみいでて渡さむとする者一人もなし。「いかがすべき。水のおちあしをやまつべき」なむどまうすところに、はたけやまのしやうじじらうしげただ、しやうねんにじふいちになりけるが、くれなゐのひたたれにあかをどしのよろひに、おほなかぐろの矢にぬりごめどうのゆみとりなをして、黒き馬にきぶくりんのくらおきてぞ乗たりける。河のはたにうちのぞみて、はるかの岸をにらまへ申けるは、「鎌倉殿もさだめてうぢせたの橋はひかむずらむと、ごさ
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たありし所ぞかし。しろしめさぬうみかはがにはかにいできたらばこそ、ひかへてひやうぢやうもさうらはめ。みなかみはあふみのみづうみなれば、ひらのたかねの雪げの水、まつともまつともよもつきじ。かうづけのくににだいがふたつあり。きたのやまよりながれたるはとねがはとなづけ、にしのやまより流れたるはあがつまがはとなづけたり。しぶかはと云所よりふたつの河ひとつになりて、しもつけのくにへ流れたり。昔ざいちゆうじやうのむれゐて、『いざこととはむみやこどり』となむよみたりけるすみだがはとまうすは、このかはの事なり。ばんどうたらうとてくわんとうだいいちのだいがなり。されどもさんぬるぢしよう元年三月の比、はるさめいういうとして、山のゆきみづべうべうとありけるに、うぢがはをあしかがのまたたらうとしつなはしやうねん十七才にてせんぢんをわたしたりき。十七才のこくわんだにも渡したりけるぞかし。又太郎とてもおにがみにてはよもあらじ。ぼんぶにてこそ有らめと思て、しげただもだいこうずいの時、たびたびかのすみだがはをわたしたること
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はべりき。いはむやこの河をみるに、かのすみだがはほどはよもあらじ。水の心見わたすに、馬の足たたぬ所ごたんばかりにはよもすぎじ。らむぐゐ、さかもぎはきりおとしぬ。すいしやうすいしやうさはり有べし。くまがえ、ひらやまふせき矢射るめり。今何のおそれか有べき。おくしんさらに有べからず。渡せやとのばら」とて、河のはたへぞうちのぞみたりける。はんざはのろくらうなりきよ、ほんだのじらうちかつねいげのらうどう五百余騎、くつばみをならべてすすみけり。その時二万五千余騎のぐんびやう我もわれもとすすみける中に、かぢはらげんだかげすゑとささきのしらうたかつなとあひたがひにきみあへるものどもにて、我さきに渡さむとうちのぞみける処に、佐々木、「まことや、いけずきをばここにのらむとてこそひかせたりつるに、わすれてむげる事のくちをしさよ」と思て、のりうつりけるまに、げんださんだんばかりすすみてけり。「あなゆゆしの事や。いけずきをたまはりながら、ごぢんはたしたらむ事のめん
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ぼくなさよ。いかがすべき」と思て、「や、梶原殿、うぢがはは上はのろくてそこはやし。底に縄なむども有らむと、馬のはるびのもつてのほかにのびてみへ候ぞ。もしそこつなにもかかり、石にもけつまづかむ時、鞍ふみかへして、かはなかにてふかくし給ふて、人にわらはれたまふな。ひきてみ給へ」とぞ云たりける。梶原誠にさも有らむと思て、さうのあぶみをふみすかして引てみれば、はるかにのびたりけり。梶原よろこびて思ければ、「京都はしらず、関東の武士は人にふかくをせさせ、我はかうわざをせむとこそするに、今の佐々木殿がはうおんこそしやしがたくはおぼゆれ」とて、はるびをとゐてぞしめりける。たづなをゆがみにすてられて、馬はつきあしにこそなりにけれ。佐々木は、こここそよきひまよとはせぬけて、つとさきだちたり。あふみのくにのぢゆうにんにて河の案内はよくしりたり。関東第一のめいば、いけずきには乗たりけり。はたけやまにもかぢはらにもすすむで、まつ先にぞ
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渡したりける。梶原これをみて、「きたなし。わぎみにはだしぬかるまじきものを」とて、さと河へぞうちいれける。これをはじめとして二万五千余騎、我も我もとうちいれたり。うまいかだぞつくりて渡しければ、河の水ながれもやらず、うはてはさらにだいかいとぞへんじける。佐々木四郎せんぢんかけて申けるは、「人をばしらず、たかつながらうじゆうらよくよく心に用意せよ。事もなのめに思てふかくすな。つよき馬をばをもてにたてよ。よはき馬をばしたになせ。かたきはいるとも、かはなかにてたふの矢いむとてふかくすな。いむけの袖を顔にあてて、しころをちとかたむけよ。いたく傾けててつぺんいさすな。わかものども、くらのうしろにのりさがつて、馬のくびをかろくせよ。いちもつなればとて、馬に心ゆるして、常にはむちのかけをして、馬をきびしく驚かせ。遠くは弓をさしちがへ、ちかくはたがへに手を取て、馬にちからを加ふべし。人の馬しづみげならば、そのをを取てひきあげよ。
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大石あらばしたてをめぐれ。うはてにかかつて馬たをすな。底つなあらば馬のくびをくだりにむけよ。らむぐゐあらばさかもぎありとおもふべし。波にはのらむとたづなをすくへ。いたくすくひて引かづくな。渡せや渡せや。つよくのれ。あぶみふむばれ。立あがれ」とて、まじふもんじにさつと打わたしたり。渡しはてければ、えびらのほうだて打たたき、くれなゐの扇ひらきつかひて、「おとにもきくらむ、目にもみよ。佐々木の四郎たかつな、うぢがはのせんぢん渡したりや」とぞなのりける。いけずきは河の深くなるままに、すすみいづる事いちはやし。水はあぶみもいまだぬらさざるに、このしらなみはまりあがりて、むながひしほでてかかりけり。いはむやみどこになりてをよぎけるときは、があふゑんあうにことならず。くらづめまでもしづまざりければ、ふねにさをさすここちして、はかまのくくりもぬらさざりけり。ろくたんばかりさきだちて、むかひの岸に
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さとのぼる。つづくらうじゆう一人もながれざりけり。佐々木はひとりごとに、「あないかめしや」とぞ云たりける。いはぎしの上、高き処に打あがつて、二万五千余騎我も我もとをよがせけるを、「ああおもしろ」とて、扇はらはらとつかひ、はるばるとみくだしてゐたりける。畠山は、先陣やかくると思て、まづいちばんにうちいでたりけるが、二万余騎のぐんびやうにちからを加へ、いしゆをおこさしめむため、「これよりはるかにおほきなるばんどうたらうすみだがはをだにも渡したりしぞかし。いはむやこれほどのをがはをたれのともがらか渡さざるべき」など、人に心をつけむとしける程に、佐々木四郎にぞわたされにける。畠山おなじく渡しけり。二万五千騎のつはものどもにせかれて、したてをわたしけるざふにんは、ももひざにぞ水はたちける。おのづからはづるる水には、なにもたまらずをし流されけり。木曽が手にやまだのじらうがらうどう、くろかはをどしのはらまききて、さんまいかぶとにさうのこ
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てにおほだちはきて、なかぐろのそやおひたるが、おもてにたちてよくひきてはなつや、かはなかにて畠山が馬のひたひにたちにけり。射られて馬よはりてみへければ、あぶみをこしておりたちたり。水はかぶとの星をあらひて通りける。水も早くよろひも重けれど、畠山すこしもたゆまずわたして行く。ここにむさしのくにのぢゆうにん、おほくしのひこじらうすゑつぎといふつはものあり。畠山よりごたんばかりかみてを渡しけるが、馬よはりて、かはなかより馬にはなれて流れけるが、ゆんだけばかりよりしもに、かぶとのはちよりみえたりければ、おほくし、畠山にはかねてより目をかけたりけるが、すいちゆうになりてみうしなひてありけるが、只今みつけていそぎながれよりて、かぶとのはちにぞとりつきたりける。畠山是をもしらずしてわたしけるが、「などやらむ、かぶとのおもきは。水かさのまさるか、わがみのよはるか」と、振りあふぎて見たりければ、かちんのひたたれにあらひがはのよろひきて、黒つばの矢おひたるつはものなり。その時畠山、「かぶとにとりつきたるはいかなる
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者ぞ」。「取あへずおほくしのじらうすゑつぎにて候」。畠山、「いしくもとりつきたり」とのたまひければ、すゑつぎ、「すでにかはじりをこそ見てさうらひつれ」。畠山むかひのはた近く成て、らんぐひにあがりてまうしけるは、「やうれおほくし、今はみつゆんだけばかりぞ有らむ。水のしたにぢやうばかりにはよもすぎじ。これよりむかひへはなげこさむはいかに」。大櫛、「ともかくもおんぱからひにてこそさうらはめ」と申ければ、畠山、大櫛をゆんでのかひなにのせてなげこしたり。大櫛足をかがめて、ゆんづゑをつきてぞ立たりける。大櫛かぶとのををしめ弓とりなをして、きくわいのことばをぞつかひける。「河へうちいるる事は畠山一番也。むかひの岸へつくことは、むさしのくにの住人おほくしのひこじらうすゑつぎまつ先也」とぞなのりける。これを聞てかたきもみかたもいちどうにはとぞわらひける。「ゆみやとるものの心づかひはかふこそ有べけれ」とぞおのおの申しける。むかひの方より三百余騎、矢さきをととのへてひきとりひきとり射させけれども、二万五
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千余騎のおほぜいせめかかりければ、宇治の手破れて都のかたへぞおちゆきける。くらうよしつねはかたきのあとを目につけて、都のかたへぞせめいりける。せたをばいなげのさぶらう、はんがえのしらうがはからひにて、たなかみのぐごをわたしておひおとす。さていまゐのしらうかねひら、さぶらうせんじやうらふせきたたかひけれども、ぶせいなりければ、さんざんにかけちらされて、おなじく京へかへりゆく。さてうぢせたわたしたるにつき、鎌倉へまゐらせたりければ、「宇治河のせんぢんはあふみのくにのぢゆうにんささきのしらうたかつな」とぞつけられたりける。義経はむましだいに京へ入る。木曽はしゆくしよに帰りて、まつどのの姫君を取て置たりける、わかれををしみて、ふりすてがたさにうちいでざりければ、木曽がつかひけるいままゐり、ゑちごのちゆうだいへみつが申けるは、「うんかのごとくおほぜいすでにちかづきたり。いかにかくておはしますぞ」といへどもうつたたず。義仲をともせざりければ、家光、「よのなか今はかうとて、つひにのがるべき
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にあらず」とて、腹かき切てふしにけり。木曽是をみて、「義仲すすめむとて、家光いしうもじがいしたるものかな」とて、やがてうちいでにけり。義仲まづ使者をゐんのごしよへたてまつりて申けるは、「とうごくのきようどすでにせめきたる。いそぎだいごのへんへごかうあるべし」と申たりければ、「さらにこのごしよをばぎよしゆつあるべからず」とおほせつかはされけり。ここに義仲、あかぢのにしきのひたたれにくれなゐのきぬを重ねて、いしうちのやなぐいにむらさきをどしのよろひを着て、ずいひやう六十余騎をそつして、院の御所へはせまゐる。けんをぬきかけ目をいからかして、みぎりのしたにたてり。おんこしを寄す。りんかうあるべきよしを申す。じやうげ色をうしなひ、きせんたましひをけす。くぎやうには、くわさんのゐんのだいなごんかねまさ、みんぶきやうしげのり、しゆりのだいぶちかのぶ、さいしやうのちゆうじやうさだよし、てんじやうびとには、さねのり、なりつね、いへとし、いへなが、しこうしたりけるが、おのおのみなわらうづをちやくして、おんともにさんぜむとて、ていしやうにおりたたれたり。
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人々涙にむせびて、とうざいをうしなひ給へり。えいりよ只をしはかり奉るべし。義仲がらうどう一人はせきたりて申けるは、「かたきすでにさいしようくわうゐん、やなぎはらまでちかづく」と申ければ、さしてまうすむねも無きりんかうの事をなげうてて、もんかにしてきばす。東をさしてはせゆきて、かはらにいづ。ろくでうがはらにして、ねのゐのゆきちか、たてのろくらうちかただ二百余騎にて義仲にゆきあひぬ。ゐんぢゆうのじやうげ手をにぎり、立てぬぐわんもなかりけるしるしにや、そののちいそぎもんもんをさされけり。河原をみれば、とうごくの武士ひまをあらそひてみちみちたり。義仲申けるは、「かつせんけふをかぎりとす。身をもかへりみ命ををしまむ人々は、ここにておつべし。せんぢやうにのぞみてにげはしりて、とうごくのともがらにあざむかれむ事、しやうぜんのはぢなり」と申せば、ゆきちか、ちかただらをはじめとして申けるは、「人うまれてたれかは死をのがれむ。おいて死ぬるはつはものはうらみなり。なかんづく、そのおんをはみてその死をさらざるは、又つはもののほふなり」と云て、しりぞく
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者なし。はたけやまのじらうしげただ五百余騎にてひかへたり。義仲馬のかしらをはちもんじに立てよせて、声をあげてむちを打てかけいれば、重忠がずいひやう中をあけて、いれくみいれちがへ、ゆんでにあひ、めてにあひ戦ふ。義仲うらへとをれば、ふたつがはのさゑもんのじようよりゆきをはじめとして、三十六騎うちとられぬ。かはごえのこたらうしげふさ三百余騎にてひかへたり。義仲馬のかしらをがんかうみださずたてくだしかけいれば、しげふさが兵の外をかこみ、内をつつむで、をりふさげて戦ふ。義仲うらへかけとほれば、たてのろくらうちかただをはじめとして、十六騎はうたれぬ。佐々木四郎高綱二百余騎にてひかへたり。義仲むまの足をいちめんにたてならべて、かたきをゆんでにかけそむけて、まへわにかかり、かぶとをひらめ、馬をはせならべてうらへぬくれば、たかなしのひやうゑただなほをはじめとして、十八騎うちとられぬ。かぢはらへい
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ざうかげとき三百余騎にてひかへたり。義仲馬の足をひとところにたてかさねて、かたきをさきにかけあましてうらへかけとをれば、あはぢのくわんじやむねひろをはじめとして、十五騎うちとられぬ。しぶやのしやうじしげくに二百余騎にてひかへたり。義仲むまの足をたてみだしておもひおもひにかけいる。しげくにがずいひやうをしかこみて、ひまをあらそひつめよせて、をりかけをりかけ戦ふ。義仲うらへとをれば、ねのゐのゆきちかをはじめとして、廿三騎はうちとられぬ。ここにげんくらうよしつねこれを見て、三百余騎馬の足をつめならべかさなり入れば、かたきりやうばうへあひわれけるを、しはうにかけみだりかけたてて、やさきをととのへていとりければ、義仲がいくさたちまちにやぶれて、六条より西をさしてはせゆく。よしなかたちまちにさんくんのしをおどし、ばんゐのぢんをやぶるといへども、よしつねまたひつしようのじゆつをめぐらして、きやうだいのつはものをしりぞく。義仲さうの眉の上を共にはちつけの板にいつけられて、やふたすぢあひ
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かけて、ゐんのごしよへきさんせむとしけるを、せうしやうなりつねかどをとぢてじやうをさしたりければ、ふたたびみたびかどをおしけるを、げんくらうよしつね、かぢはらへいざうかげとき、しぶやのしやうじしげくにいげ十一騎、むちを打てくつばみをならべ、やさきをそろへて射ければ、義仲こらへずしておちにけり。義経は木曽と見てければ、「義仲もらすな、わかたう。木曽にがすな、ものども」とげぢして、院の御所へはせまゐる。義経がらうどうはせつづきて義仲をおひけり。
八 だいぜんのだいぶなりただが、ごしよの東のついがきにのぼりてしはうを見まはしてゐたるに、ろくでうにしのとうゐんより、武士ごしよをさしてはせまゐるよしまうしければ、法皇おほきにさわがせおはします。「義仲が又かへりまゐるにこそ。今度ぞ君も世のうするはてよ」とてきもこころもうせ、「こはいかがせむ」とおそれあへる処に、なりただよくよく
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みたまひて、「義仲がよたうにてはさうらはざりけり。かさじるしかはりて見へ候。只今はせまゐりてさうらふなるは、とうごくのつはものとおぼえさうらふ」と申程に、義経かどのきはちかくうちよりて、馬よりとびおりて、なりただにむかひて申けるは、「かまくらのうひやうゑよりともがしやてい、九郎義経と申者こそ参て候へ。げんざんにいれさせ給へ」と申ければ、なりただあまりのうれしさに、ついがきよりいそぎおりけるが、腰をぞつき損じたりける。いたさはうれしさにまぎれて、はふはふ参てそうもんしければ、ごあんどしてぞおぼしめされける。じやうげおほきによろこびて、いそぎかどをぞひらかれける。九郎義経は、あかぢのにしきのひたたれに、くれなゐすそごのよろひに、くはがたうちたるかぶとをばもたせてきず、いしうちのそやをひ、こがねづくりのたちをぞはいたりける。紙をひろさ一寸ばかりにきりて、弓のとりうちのところに、「なむそう
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べうはちまんだいぼさつ」と書て、ひだりまきにぞまひたりける。これぞ今度のたいしやうぐんのしるしにて有ける。義経をはじめとして六人ぞ有ける。のこる五人のうち、一人は武蔵国住人、ちちぶのばつえふ、はたけやまのしやうじじらうしげただ。しろきからあやのよろひひたたれに、いむけの袖にはこんぢのにしきをいろへたるに、むらさきすそごのよろひに、おほなかぐろのそやのやきゑしたるをおひたりけり。一人はどうこくのぢゆうにんかはごえのたらうしげより。しげめゆひのよろひひたたれに、いむけの袖にあかぢのにしきをいろへたるに、くろいとをどしの鎧に、おほぎりうのそやの、うはやにあまのおもてはぎたるをおひたりけり。一人はさがみのくにのぢゆうにんしぶやのしやうじしげくに。かちんのよろひひたたれの菊とぢしたるに、おほあらめのあらひがはの鎧に、かすりをのそやおひたり。一人は相模国住人かぢはらげんだかげすゑ。てふ
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めゆひのよろひひたたれに、うすくれなゐの鎧きて、つまじろのそやおひたり。一人は近江国住人佐々木四郎高綱。もえぎにほひの鎧直垂に、あかをどしの鎧にこがねづくりのたち、こなかぐろのそやおひたり。しげただよりはじめて次第になのりまうしけり。ろくにんのつはものみなかぶとをばらうどうにもたせて、ひたたれもおもひおもひいろいろにかはりたりけれども、弓は皆ぬりごめどうにてぞ有ける。五人はちゆうもんのと、おんくるまやどりの前にたちならびたり。義経はちゆうもんのおほゆかへうちよせて立たり。くぎやうてんじやうびと、おほゆかにたちいでて目をすまさる。法皇ぎよかんのあまりに、ちゆうもんのれんじよりえいらんありて、「ゆゆしげなるやつばらかな」とぞおほせありける。だいぜんのだいぶなりただおほせをうけたまはりて、いくさの次第をめしとはる。義経申けるは、「義仲むほんのよし、よりともうけたまはりさうらひて、おほきに驚て、しやていがまのくわんじやのりより、ならびによしつねを、
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はじめとして、むねとのさぶらひ三十人をさしのぼせ候。そのせい六万余騎、ふたてにわけてうぢせたりやうばうよりまかりいりさうらふ。のりよりはせたよりまゐりさうらふが、いまだみえずさうらふ。義経はうぢの手をおひおとしていそぎはせまゐりて候。義仲はかはらをのぼりにおちさうらひつるを、らうどうどもあまたおはせさうらひつれば、今はさだめてうちさうらひぬらむ」と、事もなげにぞ申ける。おほせくだされけるは、「義仲がよたうなむどまゐりてらうぜきつかまつる事もこそあれ。義経はかくてごしよのしゆごよくよくつかまつれ」とおほせくだされければ、「かしこまりてうけたまはりさうらふ」とて、もんもんをかためけり。つはものどもはせまゐりて一万騎ばかりになりにけり。ろくでうどののしはうにうちかこみて候けるあひだ、法皇たのもしくぞおぼしめされける。人々もあんどしてけり。そののち三十騎ばかりはせきたりて、ろくでうがはらの東のかはばたにひかへ
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たり。そのなかにむしや二騎すすみけり。一人はしほのやのごらうこれひろ、てしがはらのごんざぶらうありのりなり。しほのや申けるは、「ごぢんのせいをやまつべき」。てしがはら申けるは、「いちぢんやぶれぬれば、ざんたうまつたからず。ただかけよ」とぞ申ける。さるほどに、をつつきおつつきのせい、三万騎のおほぜい、都へ乱れ入りぬ。
九 木曽は、「もしの事あらば、ゐんとりまゐらせてさいこくへごかうなしまゐらせむ」と、りきしや廿余人そろへて置たりけれども、院の御所には九郎義経まゐりこもりて守護しまゐらせければ、とりたてまつるべきやうもなかりけり。義仲、今はかうとおもひきりて、すまんぎのせいの中へをめいてかけいりて戦ひけり。うたれなむとする事どどにおよべりといへども、かけやぶりかけやぶりとほりけり。「かかるべしとだに知たりせば、今井をせたへやらざらまし物を。えうせうちくばの昔より、『もしの事あらば、手をとりくみて
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ひとところにてしなむ』とこそちぎりし物を。ところどころにふさむ事こそくちをしかるべけれ。今井がゆくへを見ばや」とて、河原をのぼりにかくるほどに、おほぜい追てかかれば、ろくでうがはらとさんでうがはらとのあひだにて、とりかへしとりかへし五六度までかけなびかして、つひに三条川原をかけやぶりて、とうごくのかたへぞおちにける。こぞの秋、ほつこくのたいしやうぐんとしてのぼりしには、五万余騎なりしかども、今あはたぐちにうちでのせきやまへかかりしかば、そのせいわづかにしゆうじゆう七騎になりにけり。ましてちゆううの旅の空おもひやられてあはれなり。七騎がうちの一騎はともゑといへるびぢよなり。むらさきがはのけちやうのひたたれに、もえぎのはらまきに、しげどうの弓にうすべうの矢をおひ、しらあしげなる馬の太くたくましきに、ちひさきともゑすりたるかひぐらおきてぞ乗りたりける。木曽はえうせうよりおなじやうにそだちて、うでをしくびひき
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なむど云ちからわざかけくみてしけるに、すこしも劣らざりける。かかりしかば、木曽みぢかくつかはれけり。ここにたれとはしらず、むしや二人おひかかる。ともゑ馬ひかへてまつところに、さうよりつとよる。そのときさうの手をさしいだして、二人がよろひのわたがみを取て、さうの脇にかひはさみてひとしめしめて捨てたりければ、二人ながらかしらをもじけて死にけり。女なれども、くつきやうのかうのもの、つよゆみせいびやう、矢つぎばやの手ききなり。いくさごとに身をはなたずぐせられけり。よはひみそぢばかりなり。わらはべをつかふやうにあさゆふつかへけり。木曽はりゆうげをこえてほつこくへおもむくともきこえけり。又、ながさかにかかりてたんばのくにへ落つるとも云けるが、さはなくて、めのとごの今井がゆくへをたづねむとて、せたのかたへゆきけるが、うちでの浜にてゆきあひぬ。今井は五百余騎のせいにて有けるが、
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せたにて皆かけちらされて、はたをまかせて三十騎にて京へいりけるが、木曽、今井の四郎と見てければ、たがひにいつちやうばかりより、それと目をかけて、こまを早めてよりあひぬ。くつばみをならべて、木曽と今井と手をとりくみてよろこびけり。木曽のたまひけるは、「こぞくりからがたにをおとしてよりこのかた、かたきにうしろをみせず。ひやうゑのすけの思わむ事もあり、都にて九郎とうちじにせむとおもひつるが、汝とひとところにてともかうもなりなむとおもひて、これまできつる也」といへば、今井は涙を流して申けるは、「おほせのごとくかたきにうしろをみすべきには候わず。せたにていかにもなるべきにてさうらひつるが、おんゆくへのおぼつかなさに是まで参てさうらふなり。しゆうじゆうのちぎりくちせずさうらふなり」とて、涙を流してよろこびけり。木曽がはたさしは射殺されてなかりけり。木曽のたまひけるは、「なんぢが旗さしあげてみよ。もし
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せいやつく」と宣ひければ、いまゐたかきところにうちあがりて、今井がはたをさしあげたりければ、せたより落つる者と、京よりおつるものともなく、五百余騎ぞはせまゐる。木曽是をみてよろこびて、「此のせいにてなどかま一度ひいづるほどのいくさせざるべき。あはれ、死ぬともよからむかたきにうちむかひてしなばや」とぞ宣ひける。さるほどに、「ここにいできたるはたがせいやらむ」と宣へば、「あれはかひのいちでうどのの手とこそうけたまわれ」。「せいいかほどあるらむ」ととひたまへば、「六千余騎とこそ承われ」と申ければ、「かたきもよし、せいも多し。いざやかけむ」とて、木曽はあかぢのにしきのひたたれに、うすがねと云からあやをどしの鎧に、しらほしのかぶときて、にじふしさしたるきりふの矢に、ぬりごめどうの弓に、こがねづくりのたちはいて、しらあしげのむまにきぶくりんのくら置て、あつぶさのしりがいかけてぞ乗りたりける。まつ先にあゆませむかひてなのりけるは、「せいわてんわう
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じふだいのばつえふ、ろくでうはんぐわんためよしがまご、たちはきせんじやうよしかたがじなん、きそのくわんじや、今はさまのかみけんいよのかみ、あさひのしやうぐん源の義仲。あれはかひのいちでうのじらうどのとこそきけ。義仲うちとりてよりともに見せてよろこばせよや」とて、をめいて中へかけいりて、十文字にぞたたかひける。一条次郎是を聞て、「なのるかたきをうてや者ども、くめやわかたう」とて、六千余騎が中にとりこめていつときばかりぞたたかひける。木曽さんざんにかけちらして、かたきあまたうちとりていでたれば、そのせい三百余騎にぞなりにける。ともゑが見へざりければ、「うたれにけるにこそ。あなむざんやな」とさたする処に、ともゑいできたり。ちかづくを見れば、やふたつみついのこして、たちうちゆがみ、血うちつきて、うちかづきていできたり。「いかに」と人々とひければ、「かたきあまた打たり。うちじにせむと
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おもひつるが、君のこれにわたらせおはしますよしうけたまはりて、うちやぶりていそぎはせまゐりて候」とぞ申ける。木曽是を聞て、「いしくもしつるものかな」とて、かへすがへすほめられけり。さてせたのかたへゆくほどに、「相模国住人ほんまの五郎」となのりて、おひてかかる。取てかへしてよくひいてひやうど射たり。ほんまが馬のむながひづくしにはぶさまでぞ射こみたる。馬さかさまにまろびけり。ほんまはおちたちてたちを抜く。木曽、「馬がつまづいていそんじぬる。やすからず」とぞのたまひける。せたのかたへ行ほどに、とひのじらうさねひら三百余騎にてゆきあひたり。中にとりこめられてはんときばかりたたかひて、さつとやぶりていでたれば、百余騎にぞ成にける。なをせたのかたへ行ほどに、さはらのじふらうよしつら五百余騎にてゆきあひたり。かけいりてさんざんにたたかひて、さと破ていでたれば、五十余騎に成にけり。そののち、十騎、二十騎、五十
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騎、百騎、ところどころにてゆきあひゆきあひたたかふほどに、あはづのへんになりにければ、しゆうじゆう五騎にぞなりにける。てづかのべつたう、おなじくをひてづかのたらう、いまゐのしらうかねひら、たごのじらういへかぬなり。ともゑはおちやしぬらむ、うたれしぬらむ、ゆくへをしらずなりにけり。なほせたへゆくほどに、手塚の太郎はおちにけり。手塚のべつたうはうたれぬ。たごの次郎いへかぬはかけいでて、「かうづけのくにのぢゆうにんたごのじらういへかぬと云者ぞ。よきかたきぞや。いへかぬうちてくんこうのしやうにあづかれ」と申て、さんざんにかけければ、「かまくらどののおほせらるるいへかぬごさむなれ。『きそよしなかが手に、かうづけのくにのぢゆうにん、たごのじらういへかぬと云者つきたり。あひかまへていけどりにせよ』とおほせられたるぞ。まことにたごのじらういへかぬならば、いくさをとどめ給へ。たすけたてまつらむ」と申けるを、「なんでふさる事のあるべきぞ」と申て、今はかうとたたかひけれども、つひにはいけどられにけり。今
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井としゆうじゆう二騎にぞなりにける。木曽、今井におしならべて、「こぞほつこくのいくさにむかひてくりからがじやうをいでしをりには五万余騎にてありし物を、今は只二騎になれる事のあはれさよ。ましてちゆううの旅の空おもひやられてあはれなり。なむあみだぶつなむあみだぶつ」と申て、勢多のかたへぞあゆませける。「さていかに、例ならず義仲が鎧の重くなるは。いかがせむ」。今井涙を流して、「おほせのごとく誠にあはれにおぼゆる。いまだおんみもつかれてもみえさせ給わず。御馬もいまだよわりさうらはず。なにゆゑにかいまはじめていちりやうのおんきせながをばおもくはおぼしめされさうらふべき。只みかたにせいの候わぬ時に、おくしてばしぞおぼしめされさうらふらむ。かねひら一人をばよのむしやせんぎとおぼしめせ。あのまつばら、ごちやうばかりにはよもすぎさうらはじ。松原へいらせおわしませ。やななつやついのこしてさうらへば、しばらくふせきやつかまつりて、ごじがいなりともこころしづかにせさせまゐらせて、おんともつかまつらむ」とて、
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おほつの東のかはら、あはづの松をさしてぞはせける。おほぜいいまだおひつかず。せたのかたよりあらてのものども卅騎ばかりにていできたり。今井申けるは、「君は松の中へいらせ給へ。かねひらはこのかたきにうちむかひて、しなばしに、しなずは返り参らむ。兼平がゆくへを御覧じはててに、ごじがいせさせ給へ」とぞ申ける。木曽のたまひけるは、「都にてうちじにすべかりつるに、ここまできつるは、汝とひとところにてしなむとおもひてなり。わづかに二騎になりて、ところどころにふさむ事こそくちをしかるべけれ」とて、馬の鼻をならべておなじくかからむとしたまひければ、木曽が馬のくつばみにとりつきて申けるは、「としごろひごろいかなるかうみやうをしつれども、さいごのときにふかくしつれば、長きよのきずにてさうらふぞ。人ののりがへ、いふかひなきやつばらにうちおとされて、『きそどのはそれがしがげにんにうたれたまふ』など、いわれさせ給わむ事こそくちをしけれ。只松の中へとくとくいりたまへ」と
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申ければ、ことわりとやおもひたまひけむ。かのまつの下と申けるは、道より南へさんぢやうばかりいりたる所也。それを守てうしろあはせにはせゆく。ここにさがみのくにのぢゆうにん、いしだのこたらうためひさと云者おひかけたてまつりて、「たいしやうぐんとこそみたてまつりさうらへ。まさなしや。げんじの名をりに返し給へ」と云ければ、木曽いのこしたる矢のひとつあるを取てつがひて、をしもちりて、馬の三つしの上よりひやうどいる。石田が馬のふとばらをのずくなにいたてたりければ、石田まつさかさまにおちにけり。木曽はかうと思てはせゆく。ころは正月廿一日の事なれば、あはづの下のよこなわての、馬のかしらもうづもるるほどのふかたにうすごほりのはりたりけるをはせわたりければ、なじかわたまるべき、馬のむながひづくし、ふとばらまではせいれたり。馬もよはりてはたらかず、ぬしもつかれて身もひかず。さりとも今井はつづくらむと思て、うしろをみかへりたりけるを、相模国住人
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石田小太郎ためひさ、よくひいてひやうどいたりければ、木曽がうちかぶとを矢さきみへてぞいいだしたりける。しばしもたまらず、まかうを馬のかしらにあててうつぶしにふしたりけるを、いしだがらうどう二人馬よりとびおり、たうさぎをかき、ふかたにおりて、木曽がくびをばかきてけり。今井はあゆませいでて、かたきにうちむかひて、「ききけむ物を今はみよ。きそどのにはめのとご、しなののくにのぢゆうにんきそのちゆうざうごんのかみかねとほがしなん、今井四郎なかはらのかねひら、年は三十二。さる者ありとはかまくらどのもしろしめしたるらむぞ。うちとりてげんざんに入れや、ひとども」とて、をめいて中へぞかけいりける。きこゆるだいぢからのかうの物、つよゆみせいびやうなりければ、かたきおくしてさと引てぞのきにける。さるほどにせたのかたよりむしや三十騎ばかりはせきたる。かねひら待うけて、えびらに残るやすぢの矢にて八騎い
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おとして、そののちたちを抜てをめいてかくるに、おもてをあはするかたきぞなかりける。「おしならべてくめや、とのばら。をしひらいていとれや、人々」とかけまはりけれども、只ひそらひて、とほやには雨のふる様に射けれども、よろひよければうらかかず、あきまをいさせねば手もをわず。「木曽うたれぬ」とききて、はせきたり、「わがきみをうちたてまつる人はたれびとぞや。そのなをきかばや」とののしりけれども、名乗る者なかりけり。「いくさしても今はなににかせむ」とて、「につぽんだいいちのかうのものの、しゆうのおんともに自害する。八ケ国のとのばら、みならひたまへ」とて、高き所にうちあがり、たちを抜て、きつさきをくちにくわへて、馬よりさかさまにおちて、つらぬかれてぞ死にける。大刀のきつさき二尺ばかりうしろへぞいでにける。今井自害してのちぞあはづのいくさはとどまりける。
十 ひぐちのじらうかねみつは、じふらうくらんどゆきいへうつべしとて、五百余騎のせいにて
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かはちのくにへくだりたりけるが、じふらうくらんどをば打にがして、かねみつ、をんなどもいけどりにして京へのぼりけるが、よどのおほわたりのへんにて、木曽殿うたれぬときこえければ、いけどりどもみなゆるして、「いのちをしと思わむ人々は、是よりとくとくおちたまへ」といひければ、五百余騎のものどもおもひおもひに落にけり。のこるものわづかに五十騎ばかりぞ有ける。とばのあきやまの程にては二十騎ばかりになりにけり。ここにこだまたうに、しやうのさぶらう、しやうのしらうとて兄弟ありけり。三郎はくらうおんざうしにつき奉りたりけり。四郎はきそどのにありけるが、ひぐちが手につきてのぼるときこえければ、兄の三郎ししやをたてて四郎にいひけるは、「たれをたれとかおもひたてまつるべき。木曽殿うたれたまひぬ。九郎おんざうしへ参り給へかし。さるべくはそのやうをまうしあげさうらわむ」と云つかはしたりければ、四郎申けるは、「兄弟のならひ、今にはじめぬ事にて候へば、よろこびいりてうけたまはりさうらひぬ。ぜん
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あくまゐりさうらふべし」とぞへんたふしたりける。兄三郎、さればこそとあひまちけれども、みへざりけり。かさねてつかひをつかわしたりければ、四郎申けるは、「誠にりやうどのおんつかひしかるべくさうらふ。もつともまゐるべきにてこそ候へども、かつうはごへんのおんためにもめんぼくなき御事なり。ゆみやをとるならひ、ふたごころあるをしてこんじやうの恥とす。きのふまでは木曽殿のごおんをかうぶりて、になき命を奉らむと思て、今またうたれたまひてのち、いくほどなき命をたばわむとて、ほんしゆのおんかたき、くらうおんざうしへ参らむ事、くちをしく候へば、ごぢやうしかるべくさうらへども、えこそまゐりさうらふまじけれ。このおんよろこびにはまつ先かけてうちじにして、名をこうたいにあげ、三郎殿のめんぼくをほどこし奉るべし」と申たりければ、三郎ちからおよばず。「さては四郎さる者なれば、ことばたがへじとて、まつ先にいできなむず。ひとでにはかくまじ。ぜんあくうちとりておんざうしのげんざんに入るべし。ゆみやとるもののしるしこれ」と
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思てまちかけたり。あんのごとくしやうのしらううちわのはたさして、まつ先にすすみていできたり。これをみてしやうのさぶらう、「あわや四郎はいできたるは」とて、とかうのしさいにおよばず、おしならべてくむでおちたり。しばしはからひけるが、兄弟おなじほどのちからにて有けるあひだ、たがひにひつくみてふしたりけるを、三郎はたせいにて有ければ、らうどうあまたおちあひて、四郎をてどりに取てけり。はうぐわんどのにまゐらせたりければ、「しやうのさぶらうしんべうにつかまつりたり。このけんじやうには四郎が命をたすくる也」とのたまひければ、四郎申けるは、「命をたまはりさうらふちゆうには、じこんいごいくさのさうらわむには、まつ先かけて君に命をまゐらすべし」とぞ申たりける。皆人是を感じけり。さるほどにひぐちのじらうかねみつ、つくりみちをのぼりによつづかへむけてあゆませけり。かねみつきやうへ入るときこえければ、くらうよしつねのらうどうども、我も我もとしつでう、しゆしやく、よつづかへはせ
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むかひて合戦す。樋口がをひ、しなのむしやにちのの太郎みつひろ三十騎ばかりにてせんぢんにすすむ。むしやにゆきむかひて、すすみいでて申けるは、「いづれかかひのいちでうどののおんてにてわたらせたまひさうらふらむ。かく申はしなののくにのぢゆうにん、すわのかみのみやのちののたいふみついへがちやくし、ちのの太郎みつひろと申者」と云けるを、ちくぜんのくにのぢゆうにん、はらの十郎たかつなすすみいでて申けるは、「や、殿、必ず一条殿のおんてのかぎりにいくさはするか。たれにてもあれ、むかふかたきとこそいくさはすれ。ちかくよりあひたまへ。たがひの手なみ見たり見へたりせむ」とぞ申ける。千野太郎「さうにおよばず」とて、ゆんでにすらひてにたんばかりよりあひて、じふにそくよくひいてひやうど射る。「たかつな」といふくちをいとほして、はちつけの板にいつけたり。馬にもたまらずおちむとする所を、千野太郎おしならべて、ゆんでのわきにかひはさみて、こしがたなにてくびをかききり
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て、たちのさきにさしつらぬき、「かたきもみかたもこれを見給へ。むかふ者をかふこそならはせ。かたきをきらふにあらねども、いちでうどののおんてをたづぬることは、みつひろがおとと、ちののしちらうが一条殿の御手にあるあひだ、かれが見む前にてうちじにせむとおもふ。そのゆゑは、しなのになんし二人もちたるが、をさなき者にて候也。せいじんして、『わがちちはいくさにこそしにたんなれ。みつひろさいごのとき、よくてやしにつらむ、あしくてやしにけむ』と、おぼつかなく思わむもふびんなれば、こどもにたしかにかたらせむれうに、一条殿の御手をばたづねらるる也」と申て、たちのさきにつらぬきたるくびをばなげすてて、大刀をひたひにあてておほぜいの中にはせいり、さんざんにたたかひて、くつきやうのかたき十三騎きりふせて、つひにじがいしてこそ死にけれ。そのおととのちののしちらうもかけいでて、ひぐちがせいにうちむかひて、かたき二人にておはせてうちじにしてむげり。さるほどに、千野太郎うたれぬと
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ききて、樋口次郎あゆませいだして申けるは、「おとにも聞け、今は目にも見給へ、とのばら。信乃国住人きそのちゆうざうごんのかみかねとほがじなん、木曽のさまのかみどののおんめのと、ひぐちのじらうかねみつ。うちとりてかまくらどののげんざんに入れ」とて、をめいてかくる処に、こだまたううちわの旗ささせて、卅騎ばかりにていできて申けるは、ひぐちはこだまたうの声にて有ければ、「や、との、樋口殿。人のいつかひろき中へいると云は、かかる時のためなり。いくさをとどめ給へ。わどのをばおんざうしに申てたすけうずるぞ」と云て、樋口を中にとりこめて、おほみやをのぼりに具して、はうぐわんのしゆくしよへいる。くらうよしつねに申ければ、「義経がはからひにかなふまじ。ゐんのごしよへ申せ」とて、樋口をあひぐしてそうもんす。「そのごすぎたれば、たいしやうぐんにてもなし、末のやつばらをきるにおよばず。くらうくわんじやにあづけよ」とて、義経にあづけおかる。
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十一 廿二日、しんせつしやうもろいへをとどめたてまつりて、もとのせつしやうもとみちなりかへらせ給へり。わづかに六十日と云にとどめられ給へり。ほどのなさ、見はてぬ夢とぞおぼへたる。あはたのくわんばくみちかねと申は、ないだいじんみちたかのおんこ、しやうりやく元年四月廿七日くわんばくになりたまひて、ごはいがののち只七かにちこそおわしまししか。かかるためしもあるぞかし。これは六十日があひだにぢもくもにかどおこなひたまひしかば、思ひでおわしまさぬにはあらず。一日もせつろくをけがし、ばんきのまつりごとをとりおこなひたまひけむこそやさしけれ。
十二 廿六日、いよのかみよしなかが首をわたさる。法皇御車をろくでうひがしのとうゐんにたててごらんぜらる。九郎義経、六条川原にてけんびゐしの手へ渡す。これをうけとりて、ひがしのとうゐんのおほちをわたして、さのごくもんのあふちの木にかく。くびよつあり。伊予守義仲、郎等には、信乃国住人たかなしのろくらうただなほ、ねのゐしげののゆき
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ちか、いまゐのしらうなかはらのかねひらなり。ひぐちのかねみつはかうにんなりしを、渡してきんごくせらる。これはさせるそのものにても無し、しざいにおこなはるべきにてはなけれども、ほふぢゆうじどのへよせてかつせんしける時、ごしよのしかるべきにようばうをとりたてまつりて、いしやうをはぎ取り、かねみつがしゆくしよに五六日までこめおきたてまつりたりけるゆゑに、かの女房かたえの女房たちをかたらひて、「兼光きらせ給はずは、身をかつらがはよどがはになげ、みやまへいり、ごしよをまかりいでなむ」とくちぐちに申ければ、ちからおよばずとて、おなじき廿七日にごでうにししゆしやくにてひきいだして、ひぐちのじらうかねみつが首をはねられぬ。かのかねみつはかうにんなるによつて、きのふおほちを渡してきんごくせらる。されども義仲がしてんわうのそのいちなり、しざいをなだめられば、虎をやしなふうれひあるべしとて、ことにさたありてきられにけり。つたへきく、こらうのくにおとろへて、しよしやうはちのごとくきほひおこりしに、はいこうまづかんやうきゆうに
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いるといへども、かううがうしろにきたらむことをおそれて、きんぎんしゆぎよくをもかすめず、はきもの、馬、びじんをもをかすことなかりき。ただいたづらにかんこくのせきを守て、項羽がめいにしたがひき。しかうしてのち、はかりことをすいちやうのうちにめぐらして、かつことをせんりのほかにけつす。ぜんぜんにかたきのいくさをほろぼして、つひにてんがをたもつ事を得たり。義仲もまづ都へ入るといへども、それを慎しみて、頼朝がげぢをまたましかば、はいこうがはかりことにはおとらざらまし物をとあはれなり。義仲あくじをこのみててんめいに従わず。あまつさへ法皇をさみし奉りてほんぎやくに及ぶ。せきあくのよあう身につもりて、首を京都に伝ふ。ぜんごふのつたなき事をはかられてむざんなり。いかなる者かしたりけむ、札に書てたてたりけり。
うぢがはを水つけにしてかきわたる木曽のごれうはくらうはうぐわん K187
でんばくのつくりものみなかりくひて木曽のごれうはたへはてにけり K188
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名にたかき木曽のごれうはこぼれにきよしなかなかに犬にくれなむ K189
木曽が世にありし時は、「きそのごれう」といひてしかば、草木もなびきてこそ有しに、いつしかてんがのくちずさみに及べり。はかなき世のならひと云ながら、とがむべき人もなし。ひごろふるまひしふぜんふたう、じごふじとくくわのことわりなれば、とかくまうすにおよばず。
十三 九郎義経しやうらくして、「いそぎくらまへ参て、しのとうくわうばうにげんざんして、きせいをもまうしつけむ」とおもはれけるに、たうじこのみだれうちつづきてひまなし。おもひながらさてすぎられにけり。木曽もうたれぬ、きやうぢゆうにもしづまりてのち、いせのさぶらうよしもり、しぶやのうまのじようしげすけ、左藤三郎、おなじく四郎いげ、らうどう十余騎にてくらまへ参りて、夜に入ればみだうににふだうして、よもすがらむかしまうししほんいとげたるよしをまうされて、ちとまどろみ給たるに、ごほうでんの内よりはちじふいうよのらうそういでたまひて、
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「汝に是をとらせむとて置たるぞ」とて、しろさやまきを給わると見て、打驚てかたはらを見給へば、夢に示し給たるさやまきなり。いよいよたのもしく思てかんるいをながしつつ、しのばうにかへりて、「かくなむ」とまうされけり。とうくわうばうこれを見て、「まことにびしやもんのはなちおぼしめさざりけるにや」とぞまうされける。義経しばらくさうらひて、「心しづかにまうすべきこと候へども、京都もおぼつかなし。又こそ候はめ」とてげかうせられけり。それよりきぶねへまゐられたりけり。しやでん昔にかわりたる事はなけれども、いにしへみし草木どもはるかにおひしげりて、かむさびたるありさま、あはれにおぼえて、しばらくねんじゆせられけるほどに、かんぬしいかがおもひけむ、しらはのかぶらやひとつとりいだして、「いささかむさうのつげさうらふ」とてたてまつれば、義経かしこまりてたまわりていでられにけり。さてこそやしまへわたりたまひし時、おほかぜにふねどもあやうくみへしかば、このやをしらはたのさを
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にぞゆいつけられける。
十四 廿九日、九郎義経いつしかへいけせいばつの為にさいこくへげかう。義経ゐんのごしよろくでうどのへめして、おほせの有けるは、「わがてうにかみよよりつたはりたるみつのおんたからあり。すなはち、しんし、ほうけん、ないしどころ、これなり。あひかまへてあひかまへてことゆゑなく都へかへしいれたてまつれ」とぞおほせられける。義経かしこまりてまかりいでぬ。
(十五)平家ははりまのくににむろやま、びつちゆうのくににみづしま、りやうどのかつせんに打勝て、せんやうだう七かこく、南海だう六かこく、つがふ十三かこくのぢゆうにんらことごとくしたがへ、ぐんびやう十万余騎に及べり。木曽うたれぬときこえければ、平家さぬきやしまをこぎいでつつ、つのくにとはりまとのさかひなる、なにはいちのたにといふところにぞこもりける。さんぬるしやうぐわつより、ここはくつきやうのじやうなりとて、じやうくわくをかまへて、せんぢんはいくたのもり、みなとがは、
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ふくはらの都にぢんをとり、ごぢんはむろ、たかさご、あかしまでつづき、かいしやうにはすせんぞうの舟をうかべて、うらうらしまじまにじゆうまんしたり。いちのたにはくちはせばくておくひろし。南は海、北は山、きしたかくしてびやうぶをたてたるがごとし。馬も人もすこしもかよふべきやうなかりけり。誠にゆゆしきじやうなり。赤旗そのかずしらずたておきたりければ、春風にふかれててんにひるがへり、くわえんのたちあがるがごとし。誠にをびたたし。かたきもおくしぬべくぞ見へける。へいけにとしごろしこうのいが、いせ、きんごくのしにのこりたるともがら、ほつこく、なんかいよりぬけぬけにつきけるともがら、はりまのくににはつだのしらうたかもと、みまさかのくににはえみのにふだう、とよだのごんのかみ、びぜんのくににはなんばのじらうつねとほ、おなじくさぶらうつねふさ、びつちゆうのくににはいしがのにふだう、たけべのたらう、にひみのがうし、びんごのくににはぬかのにふだう、はうきのくににはこがものすけもとやす、むらをのかい
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ろくなりもり、ひののぐんじよしゆき、いづものくににはえんやのたいふ、たくのしちらう、あさやま、きすき、みじろがいつたう、とんだのあふりやうし、よこたびやうゑこれずみ、あきのくににはげんごびやうゑよりふさ、すはうのくににはいはくにのげんだこれみち、のすけのたらうありとも、とんだのすけたかつな、いはみのくににはあんじゆだいふ、よこかはのぐんじ、ながとのくににはぐんとうぐんじすゑひら、ぐんさいたいふよしちか、げんそうにふだうたけみち、ちんぜいのともがらにはきくちのじらうたかなほ、はらだのたいふたねなほ、まつらのたらうしげとし、ぐんじのごんのかみなほひら、さへきのさぶらうこれやす、さかのさぶらうこれよし、さはらのたらうたねます、やまがのひやうどうじひでとほ、いたやびやうゑたねとほ、あはのみんぶしげよしがはからひにて、いよかはののしらうみちのぶがよたうのほかは、たいりやうくみなまゐりにけり。むかしかうううがこうもんにむかふがごとし。なにかはこれをせめおとさむと見へける。
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十六 さるほどにさぬきのくにのざいちやういげのけにんら、平家つのくにへわたりたまひてのち、心を源氏にかよはして、「ついであらば源氏のかたへ参らむ」と思けるが、「けふまで平家にほうこうして只参らむは、源氏にうたれなむず」とて、「平家にやひとついかけたてまつりてそれをおもてにせむ」と思て、十三艘の船に二千余人乗て、びぜんのくにへおしわたりけるが、かどわきのちゆうなごんのりもりふしさんにん、五百余騎にてびぜんのしもつゐのこほりにおわしますと聞て、かしこへおしよせて、うつべきよしをしたくすときこへければ、ゑちぜんのさんゐみちもり、のとのかみのりつねこのことを聞て、「にくきやつばらかな。きのふまでわれらが馬の草かりたるやつばらのふたごころつかまつらむこそきくわいなれ。そのぎならば一人もあますな」とて、かれらがたてごもりたる所へおしよせてたたかふ。かれらはひとめばかりにやひとついむとこそおもひけるに、のとの
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かみおほきにいかりてせめければ、ざいちやうらこらへずして都の方へをもむきけるが、しばらくいきつがむとて、あはぢのくにふくらと云所につきにけり。かのくににかもんのくわんじや、あはぢのくわんじやとて源氏二人あり。これらはろくでうのはんぐわんためよしがまごどもなり。かもんのくわんじやはかもんのよりなかがしそく、あはぢのくわんじやはおなじくしらうざゑもんのじようよりかたが子也。あはぢのくにのぢゆうにんらみなこのりやうにんにつきにけり。さぬきのくにのざいちやうもこの二人をたいしやうとたのみてけり。是を聞てみちもりのりつねあはぢへ渡りて、いちにちいちやたたかひけるほどに、かもんのくわんじやもあはぢのくわんじやもうたれにけり。のとのかみはざいちやういげ百三十二人がくびきりて、けうみやうかきそへて福原へたてまつる。中納言は福原へかへりたまひにけり。みちもりのりつね二人はいよかはののしらうみちのぶせめむとて、ふたてにわかちておしわたる。三位はあはのせうぐんはなぞのといふところにつきたまふ。
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のとのかみはさぬきのやしまのごしよにつきたまひけり。みちのぶこのことを聞て、あきのぬたのたらうも源氏に心ざしあるよし聞てければ、ぬたのたらうとひとつになりてぬたじりへ渡りて、けふびんごのみのしまと云所にとどまる。つぎのひみのしまをいでてぬたのじやうへつきにけり。平家やがておひかかりていちにちいちやたたかひけるほどに、やだねいつくしたりければ、奴田太郎かぶとをぬぎ弓をはづしてかうにんにまゐりにけり。かはののしらうみちのぶは郎等皆うちとられて、わづかにしゆうじゆう七騎にてほそなはてを浜へむけておちけるを、のとのかみのさぶらひにへいはちためかずと云者、とりてはげてよくひきて射たりければ、六騎はいおとしてけり。六騎が内三騎は目の前にて死にけり。のこる三人が内一人はさぬきのくにしちらうためかぬと云者也。命にかへておもふらうどうなりければ、かはの
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肩にひきかけて、小船に乗て伊与国へおちにけり。教経、河野をばうちにがしたりけれども、たいしやうぐんぬたのたらういけどりにして、福原もおぼつかなしとて、福原へかへりたまひにけり。あはぢのくにのぢゆうにんあまのろくらうむねます、これも源氏にこころざしありて都へのぼりけり。のりつね是を聞て、小船十三艘に百五十余人のせて追てかかる。にしのみやのをきにておひつきたり。あまのろくらうかはじりへは入られず、やひとつもいずして、きいのぢをさしておちにけり。きいのくにのぢゆうにんそのべのひやうゑしげもちと云者あり。是も源氏にこころざしありけるが、あはぢのあまのろくらうこそ源氏にこころざしありて京へのぼるなるが、いづみのくにふけい、たがはと云所につきたむなれと聞て、ひとつに成てありけるを、教経きいのぢへおしわたりてさんざんにうちちらして、すゑもの三十六人がくび切てふくはらへたてまつる。又びぜんの
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くにのいまぎのじやうに、かはののしらうみちのぶ、ぶんごのくにのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよし、かいだびやうゑむねちか、うすきのじらうこれたから、ひとつに成てこもりたるよしきこえければ、のとのかみ二千余騎のせいにていまぎのじやうへおしよせて、いちにちいちや戦て、じやうないこらへずしてじやうまけにければ、ちんぜいのものども、これよしをはじめとしてぶんごのぢへおちにけり。かはのはれいのことなれば、四国のかたへおちにけり。のとのかみいまぎのじやうせめおとして、福原もおぼつかなしとてかへりたまひにければ、能登守のところどころのかうみやう、おほいとのいげのひとびと感じあひ給へり。能登守まうされけるは、「やがてしこくくこくへもおしわたりて、かれらをせめおとしてまゐらすべくさうらひつれども、京より源氏のせいむかふとうけたまはりて、おぼつかなさに参て候」とまうされけり。あはれたいしやうぐんやとぞみへし。
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(十七) 二月よつかのひ、平家はふくはらにてこだいじやうにふだうのきにちとて、かたのごとくぶつじおこなはれけり。すぎゆくつきひはしらねども、手ををり是をかぞふれば、こぞのことしにめぐりきて、うかりし春にもなりにけり。世の世にてあらましかば、きりふたふば、くぶつせそうのいとなみも、さすがじぼくをおどろかす事にてこそあるべきに、かたのごとくのいとなみあはれなり。ただをとこきんだちさしつどひて悲しみたまひけるこそかなしけれ。すでに都へ帰りいるべきよしきこえければ、のこりとどまるもんかくおちくだりて、せいいとどつきにけり。さんじゆのしんぎをたいして、君かくてわたらせ給へば、これこそ都なれとて、じよゐぢもく、そうもぞくもくわんなされけり。かどわきのちゆうなごんのりもりのきやうをばじやうにゐだいなごんにめしおほせられければ、のりもりはかくぞまうされける。
けふまでもあればあるとやおもふらむゆめのうちにもゆめをみるかな K190
だいげきなかはらのもろ
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なほが子、すはうのすけもろずみはだいげきになりにけり。ひやうぶのせうまさあきらはごゐのくらんどになされて、くらんどのせうとぞ申ける。むかしまさかどがとうはつかこくをうちなびかして、しもつふさのくにさうまのこほりに都をたて、わがみをへいしんわうとしようして、ひやくくわんをなしたりけるが、れきはかせばかりこそなかりけれ。これはそれにはにるべきにあらず。こきやうをこそいでさせ給たれども、ばんじようのくらゐにそなはり給へり。ないしどころましませば、じよゐぢもくおこなはれけるもひがことならず。ごんのすけさんゐのちゆうじやうは、としへだたりひかさなるにしたがひて、こきやうにとどめおきし人々の事のみおぼつかなくこひしくぞおもはれける。あきびとのたよりなどにおのづからふみなむどのかよふにも、きたのかたは、「あひかまへてむかへとりたまへ。をさなきものどももなのめならず恋しがり奉る。つきせぬなげきにながらうべくもなし」なむど、こまごまとかきつづけ給へるを
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みたまふにつけても、「あわれ、むかへとりたてまつりてひとところにてともかくもならば、おもふことあらじ」と、おもひたちたまふことひまなけれども、人の為いとをしければ、おもひしのびて日を送る。さるままにはよざうびやうゑ、いしどうまるなむどを常にあと枕に置き給て、あけてもくれても只このことをのみのたまひて、ふししづみ給へば、さんゐのちゆうじやうのありさまを人々みたまひて、いけのだいなごんのやうに、頼朝に心をかよはしてふたごころありとて、おほいとのもうちとけ給はねば、ゆめゆめさはなきものをとて、いとどあぢきなくぞおぼしめされける。「あいしふぞうぢやういつさいぼんなうのもんをおもふには、ゑどをいとふにいさみなし。えんぶあいしふのきづなこはければ、じやうどをねがふにものうし。しゆくしふかいほつの身なれば、こんじやうにはさいしをおもふ心、かつせんにむかふおもひに身をくるしめて、らいしやうにはしゆらだうにおちむ事うたがひなし。只いちもんにしられずして都へしのびてのぼりて、妻子をも見、まうねんをもはらひて、
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しづかにりんじゆうせむよりほかの事あるべからず」とおもひなられにければ、なにごともおもひいれ給はず、ふししづみたまふぞあはれなる。にゐのそうづぜんしんは、かぢゐのみやのとしごろのごどうじゆくなりければ、かぜのたよりのおんふみつかはされけるに、「旅の空のありさまおもひやるこそ心苦けれ。都もいまだしづまらず」なむど、こまごまとあそばして。
人しれずそなたを忍ぶこころをばかたぶく月にたぐへてぞやる K191
十八 げんりやく元年二月よつかのひ、かぢはらいちのたにへむかひけるに、たみどもかつをじに物を隠すよしをほのききて、つはものおそひせめしかば、おいたるもわかきもにげかくれき。さんえいつぱつをうばうのみにあらず、たちまちに火をはなちにければ、だうじやぶつかくことごとく春のかすみとなり、ぶつざうきやうくわんしかしながら夜の雲とのぼりぬ。かんやうきゆうの煙のへんぺんたりしも、ぶつかくあらねばそのとがなをかろく、ぎをんじのほの
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をのえんえんたりしも、人のくはたてならねばそのつみをもからじ。しかるを今ほろぼす所はぶつかくそうばう六十八宇、きやうろんしやうしよ九千余巻、ぶつざうだうぐしざいざふもつ、すべてさんじゆの及ぶ処にあらず。罪すでにごぎやくざいよりもおもし。たうぐわあに地獄のくるしみをまぬかれむや。やくしさんぞんはをのづからほのををのがれ、せんじゆくわんおんはむなしくけぶりとなり給へり。目もくれ心もきへて、なきかなしむ者多し。されども、ちやうじやうぶつのこんどうのあみだのごしんにをさめたりしこんどうのくわんおんと、灰の中よりもとめ奉る、はくさいこくより送れる三尺五寸のつきがねも、水の如くにとくるに、さんぞんのこり給へるをみて、じそうどもくわんぎの涙をぞながしける。
(十九) おなじきなぬかのひ、法皇ははちでうからすまるのごしよにして、へいじついたうのおんいのりに、ごぢやうのびしや
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もんてんのざうをつくりはじめらる。まづみそぎをあんぢす。にぢやうごしやくなり。みなみをもつてかみとなす。ほふいんゐんそんのだいぶつしたり。ごんのそうじやうぢやうへんかぢす。みそぎにしにむかへり。ほふわうにぶいろのつけごろもをめされて、ぜいかのござにちやくぎよあり。かうらいべりのたたみいちでふをちのうへにしきてござとす。おんほとけつくりはじめてのち、きたにむかひてたてたてまつりて、ほふわうさんどごはいありけり。
(二十) さるほどに源氏ふたてにかまへて福原へよせむとしけるが、「よつかのひはぶつじをさまたげむ事つみふかかるべし。いつかのひ西ふたがる。むゆかのひあくにちなり」とて、「なぬかのひのうのときにとうざいのきどぐちのやあはせ」とさだむ。おほてのたいしやうぐんがまのくわんじやのりよりは、よつかのひ京をたちて、つのくにはりまぢよりいちのたにへむかふ。あひしたがふともがらは、たけたのたらうのぶよし、かがみのたらうとほみつ、おなじくじらうながきよ、いちでうのじらうただより、
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いたがきのさぶらうかねのぶ、たけたびやうゑありよし、いざはのごらうのぶみつ、さぶらひたいしやうぐんには、かぢはらへいざうかげとき、ちやくしげんだかげすゑ、おなじくへいじかげたか、ちばのすけつねたね、おなじくたらうたねとき、おなじくこたらうなりたね、さうまのこじらうもろつね、おなじくごらうたねみち、おなじくろくらうたねより。たけいしのさぶらうたねもり、おほすがのしらうたねのぶ、やまだのたらうしげずみ、やまなのこじらうよしゆき、しぶやのさぶらうしげくに、おなじくうまのじようしげすけ、さぬきのしらうたいふひろつな、むらかみのじらうはんぐわんもとくに、をのでらのたらうみちつな、しやうのたらういへなが、しやうのしらうただいへ、おなじくごらうひろかた、しほやのごらうこれひろ、てしがはらのごんざぶらうありのり、なかむらのこさぶらうときつね、かはらのたらうたかなほ、おなじくじらうもりなほ、ちちぶのむしやしらうゆきつな、くげのじらうしげみつ、こしろのはちらうゆきひら、えびなのたらう、おなじくさぶらう、おなじくしらう、おなじくごらう、ちゆうでうとうじいへなが、あぼのじらうさねみつ、しながはのじらうきよつね、
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そがのたらうすけのぶ、なかむらのたらうらをはじめとしてごまんろくせんよき、むゆかのひとりのこくにつのくにいくたのもりにつきにけり。からめでのたいしやうぐんくらうよしつねは、おなじきひきやうをいでて、みくさのやまをこえて、たんばぢよりむかふ。あひしたがふともがらは、やすだのさぶらうよしさだ、たしろのくわんじやのぶつな、おほうちのたらうこれよし、さいゐんのしくわんちかよし、さはらのじふらうよしつら、さぶらひたいしやうぐんには、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おととながののさぶらうしげきよ、いとこいなげのさぶらうしげなり、とひのじらうさねひら、ちやくしやたらうとほひら、やまなのさぶらうよしのり、おなじくしらうしげとも、おなじくごらうゆきしげ、はんざうのろくらうなりきよ、わだのこたらうよしもり、あまののじらうなほつね、かすやのとうだありすゑ、かはごえのたらうしげより、おなじくこたらうしげふさ、ひらやまのむしやどころすゑしげ、ひらさこのたらうためしげ、くまがえのじらうなほざね、しそくこじらうなほいへ、ささきの
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しらうたかつな、をがはのこじらうすけよし、おほかはどのたらうひろゆき、もろをかのひやうゑしげつね、はらのさぶらうきよます、かねこのじふらういへただ、おなじくよいちいへかず、ゐのまたのこへいろくのりつな、わたりやなぎのやごんだきよただ、べつぷのじらうよしゆき、ながゐのたらうよしかぬ、げんぱちひろつな、しひなのこじらうありたね、あうしうのさとうさぶらうつぎのぶ、おなじくしらうただのぶ、いせのさぶらうよしもり、たたらのごらうよしはる、おなじくろくらうみつよし、かたをかのたらうつねはる、つつゐのじらうよしゆき、あしなのたらうきよたか、はすまのたらうただとし、おなじくごらうくになが、をかべのたらうただずみ、おなじくさぶらうただやす、えだのげんざう、くまゐのたらう、むさしばうべんけいなむどをはじめとして一万余騎、たんばぢにかかりて、みくさのやまのやまぐちに、そのひのいぬのときばかりにはせつきたり。九郎義経は、あかぢのにしきのひたたれに、きにかへしたるよろひきて、さびつきげなる馬の、ふとく尾がみあくまでたくましきが、名をばあま
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ぐもといふにぞのりたりける。とうごくだいいちのめいばなり。ふつかぢをひとひにぞうちたりける。みくさのやまはやまなかさんりなり。へいけこれを聞て、みくさやまのにしのやまぐちを、たいしやうぐんはしんざんゐのちゆうじやうすけもり、おなじくせうしやうありもり、びつちゆうのかみもろもり、さぶらひにはへいないびやうゑきよいへ、えみのたらうきよひらをさきとして、しちせんよきにてみくさやまへぞむかひける。ひがしのやまぐちには九郎義経、とひのじらうさねひらを大将軍として、いちまんよきにてひかへたり。九郎義経、とひのじらうにいひけるは、「けふのいくさ、ようちにやすべき、あけてやすべき」といひけるに、とひにはいわせで、いづのくにのぢゆうにんたしろのくわんじやのぶつなすすみいでて申けるは、「これほどの山をおとさむには、ただはかりことをさきとす。ゆきはのはらをうづめども、おいたる馬ぞ道をしる。いちぢんやぶれぬればざんたうまつたからずといへり。へいけはよもこよひはようじんさうらはじ。ようちよくさうらひぬと
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おぼえさうらふ。へいけのせいしちせんよきとうけたまはる。みかたはいちまんよきなり。はるかのりにてさうらふべし。のぶつなまつさきつかまつらむ」と申ければ、とひ、「たしろどのいしうまうさせたまひて候。さねひらもかうこそぞんじさうらへ」とぞ申ける。たしろのくわんじやとまうすは、いづのこくしためつなとまうしけるが、ざいこくのとき、くどうのすけもちみつがむすめをおもひてうみたりける子なり。ためつなはにんはててのぼりけれども、のぶつなはははかたのそぶくどうのすけもちみつにあづけて、いづのくににてそだてられたりけるが、しやうねん十一歳の年、るにんひやうゑのすけのげんざんにいりてみやづかへけり。弓矢取てすぐれたりける上、ゆゆしきかうの者にてぞありける。いしばしのかつせんのとき、いとうのにふだうすけちかほふしをいちらして、みかたをのばしたりしつはものなり。かかりければ兵衛佐、「九郎がふくしやうぐんになりたまへ」とてさしそへられたるむしや也。ぞくしやうをたづぬれば、ごさんでうのゐんのだいさんのわうじすけひとの
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しんわうのごだいのまごなりとぞきこへし。さらばようちにすべしとて、そのよのうしのこくばかりに一万余騎にて、みくさのやまの西のやまぐちかためたる平家の陣へおしよせたり。平家のせんぢんはをのづからせうせうようじんしけれども、ごぢんは「けふいくさあり、あすのいくさにてぞあらむずらむ」とて、「いくさにもねぶたきはだいじの物ぞ。こよひよく寝ていくさせむ」とて、あるいはかぶとをぬいで枕にし、あるいはえびらをとき、鎧の袖をたたみて枕としてふしたりける所へおしよせて、時を作りて、しばしもためず、やがてけちらして通りければ、弓をとるものは矢をとらず、矢をとるものは弓をとらず。あるいはつなげる馬にのり、あるいはさかさまに乗てむちをうつ人もあり。いくさせむとする者は一人もなくて、われさきにとにげまどひければ、一騎もうたれで皆通りぬ。しんざんゐのちゆうじやうは、おひちらされたる事をめんぼくなくおもはれければにや、ふくはらへも返り給はで、
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こまの林よりこぶねにのり、ふくらのわたしをして、あはぢのゆらへつきたまふ。しやていびつちゆうのかみもろもりへいないびやうゑきよむね、あくるいつかのひ、おほいとのに参て、「みくさやまは、さんぬる夜のよなかばかりに、源氏のぐんびやうに、さんざんにおひちらされさうらひぬ。なほ山へ手をむけらるべくやさうらふらむ」とまうされたりければ、おほいとのおほきにおどろきたまひて、とうざいのきどぐちへかさねてせいをつかわさる。さてあきのうまのすけよしやすをおんつかひにて、のとのかみのもとへいひつかはされけるは、「三草山の手、すでにおとされて候なり。いちのくちへはさだよし、いへながをさしつかはされさうらひぬれば、さりともおぼえさうらふ。いくたへはしんぢゆうなごんむかはれさうらひぬれば、それ又心安く候。山の手にはもりとしむかへとて候へば、山はいちだいじの所にてあるよしうけたまはりさうらへば、かさねてせいをさしそへばやとぞんじさうらふが、いづれのとのばらも、『山へはむかはじ』とまうされさうらふ。いかがしさうらふべき。さりとてはごへんむかわせ給へとぞんじさうらふ」とのたまひたりければ、
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のとのかみまうされけるは、「いくさとまうすは、めんめんに、われひとりが大事と思て、どうしんに候こそよくさうらへ。『そのてへはかなわじ。そのひとむかへ。あの手へ向はじ』なむどさうらわむには、いくさにかつことさうらふまじ。ゆくすゑもはかばかしかるべしともおぼえさうらわず。されば人の上のだいじと、おのおのおぼしめさるべきかや。ただしいくたびもこはからむかたへはのりつねをさしつかわされ候へ。命のかよわむかぎりは身をばたばい候まじ」とて、やがてよしやすがみるところにてうつたちて、もののぐひしひしとしてむかはれけり。かひがひしくぞみへられける。ほどなくみくさのやまへはせつきて、ゑつちゆうのせんじもりとしが陣の前にかりやを打てまちかけたり。さるほどにいつかのひもくれにけり。源氏のせい、こやのに陣を取てとほびをたきたり。平家いくたよりみわたせば、ふけゆくままに、はれたる空の星をみるがごとくなり。平家のかたにも「むかひびたけ」とて、いくたのもりにかたのごとくたい
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たりけり。そのよはゑちぜんのさんゐみちもりは、のとのかみのかりやにもののぐぬきおきて、女をむかへてふしたまへり。のとのかみこれを見てまうされけるは、「いかにかやうにうちとけてはわたらせ給ふぞ。このてはかたきこはくて、『のりつねむかへ』とさうらひつれば、むかひて候。誠にこはかるべき所と見へて候。いくさのならひ、弓をもちたれども矢をはげずは遅かるべし。かたきただいまおしよせて候わむ時は、鎧をきば甲をきず、弓を取て矢をとらずこそ候わむずらめ。ましてもののぐぬぎおかれさうらひては、何の用にかあはせ給べき」と、さいさんまうされければ、心ならずわくらばのいもせのならひなれば、まだむつごともつきざるに、よひのまぎれにひきはなれて、女をかへし給ふ。のちにおぼしめしあはせられけるは、それこそ最後のみはてなれ。あはれなりしわかれのほどこそおもひやられてかなしけれ。「いくさはなぬかのひうのときにやあはせあるべし」とさだめらる。「義経がせいの中に、あうしうのさとうさぶらうびやう
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ゑつぎのぶ、おなじくしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐのたらう、げんぱちひろつな、いせのさぶらうよしもり、むさしばうべんけい、くまがえのじらうなほざね、しそくこじらうなほいへ、ひらやまのむしやどころすゑしげ、かたをかのはちらうためはる、そのせい七千余騎は義経に付け。のこり三千余騎はとひのじらう、たしろのくわんじやりやうにんたいしやうぐんとして、山の手をやぶりたまへ。わがみはみくさのやまをうちめぐりてひよどりごえへむかふべし」とてあゆませけり。義経まうされけるは、「そもそもこのやまはあくしよにてあむなる者を。馬をとしてあやまちすな。たれかこの山の案内知たる」とおほせられければ、むさしのくにのぢゆうにんかはごえのこたらうしげふさすすみいでて、ゆみとりなをしてまうしけるは、「しげふさこそこの山のあんないは知りて候へ。ごめんをかうぶりせんぢんつかまつるべし」と申ければ、ちちしげより、とりもあへずうちわらひて、「幼少よりしてむさしさがみにきよぢゆうして、あしがらより西はみず。いまはじめて
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さいこくのういくだりにこの山に入て、『あんないしやせむ』とまうさるるこそ、誠ともおぼえね。山にまよはじと思わむ人は、もちゐばこそあらめ」と云ければ、しげふさかさねてまうしけるは、「『しぢんのわかき、わらびはひとてをにぎる。へきぎよくのさむき、あしはきりふくろをだつす』といへり。心すきたるかじんのよしの、たつたにわけいりて、花やもみぢを尋ぬるに、花は峯のこずへおもしろく、もみぢはたにがはの岸のいはねいろふかし。かたきのこもれるうしろとおもひなして、じやうをかまへたる山なれば、さこそ有らめとおもひなして、かうのものこそ案内者よ。さてこそ重房さきをかけむとまうしつれ」と云ければ、人々是を聞て、「ことわりかな、面白し」とこゑごゑに感じてぞあゆませける。かくはいさみにののしりけれども、誠に山の案内知たるつはもの一人もなし。いづれの谷へおちて、いづれの峯へこゆべしともしらざりければ、みくさのやまのようちのとき、いけどりあまたせられたりけるを、きるべき者をばたちまちにきられぬ、くにぐにのかりむしやのけしか
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るやつばらをば、このもとにゆいつけなむどして通りけるに、いけどりの中にたづねききたき事もこそあれとて、一人めしぐせられたりけるを、めしいだしてたづねられければ、申けるは、「この山はひよどりごえとまうして、さがしき山にて候。所々におとし穴をほり、馬をも人をもかよふべくも候はず。すこしもふみはづしたらばおとさむとて、底にひしをうゑて候とぞうけたまはりさうらふ」と申たりければ、「そもそもわぎみは平家のしこうにんが、又国々のかりむしやか」と問われければ、「平家のけにんにても候わず。かりむしやにても候はず。はりまのくにやすだのしやうのげし、たがのくわんろくひさよりと申者にてさうらふが、さんぬるころせんぞさうでんのしよりやうを、ゆゑなく平家のさぶらひゑつちゆうのせんじもりとしと申者にあふりやうせられさうらひて、この二三年の間うつたへまうしさうらへども、そしようたつせずしてまかりすぎさうらふ。所領はとられさうらひぬ。きずなき死し候わむよりは、おなじくは弓矢を取て、いくさにこそしにさうらはめと
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ぞんじさうらひて、このてにつきて候」と申ければ、「さては平家のしこうにんにてはあらざりけり。誠にこの山のあんないしやひさよりにすぎじ」とて、「今はゆるすべし」とて、いましめをゆるされて、先にたててぞおわしける。ころはきさらぎのむゆかの事なれば、よひながらかたぶく月をうちまもり、よもをただして行ほどに、せいざんはこけふかくして、のこんの雪ははじめはなかとあやまたれ、岩まの氷とけざれば、ほそたにがはのせをとたえ、はくうん高くそびへて、おりむとすれば谷深し。しんざんみちたえて、杉の雪まできえやらず、岸のほそみちはるかなり。きぎのこずゑもしげければ、友まよわせる所もあり。只こととふものとては、ゑんざんにさけぶ猿のこゑ、たにのうぐひすこえなければ、まだ冬かと疑わる。まつのねによつて腰をすらねども、ちとせのみどり手にみてり。ばいくわを折てかしらにささねども、きさらぎのゆきのころもにらくげつもたかねにかくれぬ
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れば、山ふかくして道みへず。こころばかりははやれども、夢にみちゆくここちして、馬にまかせてうつほどに、かたきのじやうのうしろなるひよどりごへをのぼりにける。くわんろくひがしをさして申けるは、「あれにみえさうらふところはだいもつのはま、なにはのうら、こやの、うちで、あしやのさとと申は、あのあたりにてさうらふなり。南はあはぢしま、西はあかしのうらのみぎはにつづきて候。火のみえさうらふも、はりまつのくににかこくのさかひ、りやうごくの内には第一の谷にてさうらふあひだ、いちのたにとまうしさうらふなり。さがしくはみえ候へども、こいしまじりのしらすなにて、御馬はよもそんじさうらわじ。いちのだんこそだいじの所にては候へ。いはほたかくそびへふして、馬のあしたつべしともみへ候わず。すこしもふみはづして、まろび入りさうらひなむ馬は、骨をくだかずといふことさうらふまじ。とうざいのきどのうへ、東の岡をばだんのうらとて、かいろはるかに見渡して、てうばうおもしろく候。ばうかいろうをうかべつべし。西の岡をばたかまつのはらとて、
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春のしほかぜ、秋の嵐の音、ことにすさまじき所にて候也。大将軍むねとのさぶらひちかくめして、おのおのやかたをならべつくり、そのほかのつはものはとうざいのきどぐちにふたへにやかたをならべて候也。ゆみやとるみのならひ、はぢがましくさうらふあひだ、むろやまみづしまのいくさにどど命をすてて、かつせんつかまつりて候へども、おもひしりたまわぬがくちをしくさうらへば、けふはじめてはがねあらはし候わむずる」とぞ申ける。九郎義経は、空もみへぬみやまの道をいづくともしらずあゆませつつ、ががたる山をうちいで、まんまんたるかいしやうを見渡して、なぎさなぎさのかがりび、あまのとまやのもしほびかと、おもしろくぞおもはれける。かんにたへたまわず、「ひやうぢやうのぐそくをばわざととらせぬぞよ。是にてかたきまねきてうちものうばひとりてかうみやうせよ。くんこうはとりまうすべし」とて、みなぐれなゐのひいだしたる扇をぞたがのくわんろくにはたびてける。いまだよふかかりければ、しばらくここにてじんばの息をぞやすめける。かかりける所に、年
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五十ばかりなる男、かきのはかまにくくりゆいて、赤かりけるいぬにひきさきにたてて、九郎義経のぢんの前をぞ通りける。えだのげんざうをもつて是を召す。おきなおんまへに参てかしこまる。「なんぢはいかなる者、なにがしといふものなれば、このよなかにか程のみやまを通るぞ」とおんたづねあり。「本はこの山のすそに、あひかはと云里の者にてさうらひしが、この十四年この山にこもり、狩をつかまつる。をののえのわらはと申者にて候」。「さてはなんぢの案内は知て有らむ。平家のひかへておわしますじやうのうへへおとす道あらば、ありのままに申せ」。このをきな申やう、「えうせうのそのかみよりらうたいの今に至るまで、とせいをたすからむが為に、このさんりんにまじはりてかりをつかまつる。至らぬこのもとも無く、くだらぬ谷はなけれども、平家のおわしますじやうの上へおとすみちはなくさうらふ」と申。「さて鹿などのかよふことはなきか」とおんたづねあり。「池の氷うちとけて、せきやう東にま
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わり、のどけき春になりさうらひぬれば、たんばのみやまのしかがはりまの野山へ渡り、もみぢ谷にちりしきて、こずへあらはになりさうらへば、こぐらきこのもとをたづね、はりまの鹿がたんばへかよふときは、この山をこえさうらふ」と申。「さては鹿はかよふごさむなれ。鹿のかよふほどの道、馬のかよわぬ事あるべからず。よきばばにて有けり。さてこの山をひよどりごえといふはいかに」とおんたづねあり。おきな申ていはく、「つたへうけたまはりさうらふは、てんちてんわうつのくにながへの西の宮にすませおわしましし時、あまた小鳥をめされけるに、むこやままんぐわんじの峯にてひよどりをとりたまふ。おんつかひはおほとものきみいへと云ける人也。ひよどりをさげこの坂を越たりけるによつて、ひよどりごえとはなづく。又たうじ見候へば、春のかすみのふかくして、みやまのこぐらき時は、みなみのやまにすまうひよどりの、北の山へ渡りてすをかけ子をうみ、秋の霧はれてこずへあらはに成候へば、をくも
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雪におそれて、北なるひよどりが南へわたる時は、この山をこう。さてひよどりごえとはまうしさうらふ。平家のおわするじやうの上から、じふしごちやうぞさうらふらむ。ごぢやうばかりはおとすといへども、それよりしたへは馬も人も、よもかよひ候わじ。おぼしめしとどまりたまひさうらへ」と申て、かきけつやうにうせにけり。いとどこころぼそくぞおぼされける。大手のせいは宵の程はこやのに陣をとり、しころをならべてゐたりけるが、みくさの手にむかひたるゑちぜんのさんゐ、のとのかみのぢんの火、みなとがはよりうちあがりて、きたのをかに火をたてけるを、大手のつはもの是を見て、「くらうおんざうしすでにちかづきたまへり。うてやうてや」とて、われさきにかけむと、五万余騎てんでにたいまつをささげていそぎける所に火をはなちければ、みぎはにつづきてまんどうゑの如し。いくたのもりまでつづきたり。かいしやう光り渡りて、身の毛いよだちてをびたたし。げんじへいじの陣の火のたたぬ所ぞなかりける。くまがえの
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じらうは、子息小次郎なほいへに申けるは、「このおほぜいに具して山をおとさむにはかうみやうふかくもあるまじ。そのうへあすのいくさはうちこみにてたがさきと云事あるまじ。今度の合戦にいつぱうのさきをかけたりと、ひやうゑのすけどのにきかれたてまつらむとおもふぞ。そのゆゑは、兵衛佐殿しかるべきものをばひとまなる所によびいれて、『今度のいくさにはなんぢひとりをたのむぞ。親にも子にもいふべからず。いくさにをいてはちゆうをつくして頼朝をうらみよ』とぞのたまひける。なほざねにもかくおほせられし事を承て、いつぱうのさきをば心にかく。いざうれ小次郎、にしのかたよりはりまぢへをりて、いちのたにのさきせむ。うのときのやあはせなれば、只今はとらのはじめにてぞ有らむ」とて、うちいでむとしけるが、「あわれひらやまは先を心にかけたるとみるものを。平山は先にやこの山をいでぬらむ」と思て、人をつかはして平山がざいしよを見せける
に、つかひかへりて申けるは、「ひらやまどののおんかたには、只今馬のはみ物して、たひげに候ふも、おんぬしはまいりて
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さうらひげにて、おんもののぐめしさうらふかとおぼえて、おんよろひのくさずりのおとのかすかにきこへ候。おんのりむまとおぼしくて、鞍置てくつばみばかりはづして、とねりひかへて候。もののぐめし候が、平山殿のおんこゑとおぼしくて、『はちまんだいぼさつも御覧ぜよ。けふのいくさのまつ先せむずる物を』とのたまふ」と申ければ、くまがえさればこそとおもひて、小二郎直家、はたさしともに三騎あひぐして、はりまぢのなぎさに心をかけてうちいでむとする所に、むしやこそ五六騎いできたれ。「只今ここにいできたるはなむ者ぞ。名乗り候へ」と云けるこへを聞て、くらうおんざうしのおんこゑと聞て、直実申けるは、「是は直実にて候。君のぎよしゆつとうけたまはりさうらひて、おんともに参り候わむとて候」とぞ申ける。のちに申けるは、「御曹司のおんこゑをそのときききたりしは、百千のほこさきを身にあてられたらむも、是にはすぎじと、おそろしかりし」とぞ申ける。義経は「それがしより先にかくる者や
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ある。又かたきやおそひきたるらむ」と思て、よまはりしけるなり。「いしう参たり」とのたまひて、ひきかへすところに、ともするやうにて、ぬきあしにこそあゆませたれ。「そもなぎさへいづる道の案内をしらぬをばいかがすべき。なましゐにいでば、いでぬ山にまよひてわらはれて、恥がましかるべし」と申ければ、小二郎申けるは、「むさしにて人のまうしさうらひしは、『山に迷はぬ事は安き事にて候なり。やまさはを下にだにまかり候へば、いかさまにも人里へまかる』とこそまうしさうらひしか。そのぢやうに山沢をたづねてくだらせ給へ」と申ければ、「さもありなむ」とて、山沢の有けるをしるべにてくだりけるほどに、おもひのごとくにはりまぢのなぎさにうちいでて、七日のうのこくばかりに、いちのたにの西のきどぐちへよせてみれば、じやうくわくのかまへやう、誠におびたたし。くがには山のふもとまでたいぼくをきりふせて、そのかげにすまんぎのせいなみゐたり。なぎさには山の麓より海のとほあさまでたいせきをたたみて、らんぐひをうつ。たいせん数をしらずたておきたり。そのかげに
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すまんびきの馬共とへはたへにひきたてたり。そのうしろには赤旗数をしらずたちならびて、やぐらの下にもうんかのつはものなみゐたり。海にはすせんぞうのまうけぶねうちたりければ、たやすくやぶるべしともみえざりけり。くまがえのじらうなほざね、かちんのよろひひたたれにこんむらごのよろひにくれなゐのほろかけて、ごんだくりげと云馬にくろぐらおきてぞ乗たりける。おほなかぐろの矢のにじふしさしたるかしらだかにおひなし、ふたところどうの弓のきはめてにぎりぶとにて、つよげなるをぞ持たりける。子息小二郎直実は、をもだかをところどころにすりたるひたたれに、ふしなはめの鎧に、それもくれなゐのほろかけて、つまぐろのやかしらだかにおひなして、しげどうの弓をもつて、かげなる馬にくろぐら置てぞ乗りたりける。はたさしは、あきののすりたるひたたれにあらひがはの鎧にさんまいかぶとをきて、くろつきげなる馬の、名をばしらなみと云いちもつにぞ乗りたりける。この馬は、むつの
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くりはらあねはと云所にしらなみと云まきあり、これよりいできたりける上、尾がみの白かりければ、しらなみとぞつけたりける。くまがえふしにききどぐち近くせめよりて、「むさしのくにのぢゆうにんくまがえのじらうなほざね、ちやくしなほいへしやうねん十六歳。つたへてもきくらむ者を。われと思はむ人々、たてのおもてへかけいでよ」と申て、父子くつばみをならべてはせまはりけれども、いであふものなかりけり。只とほやにさんざんにぞ射ける。熊谷が馬のふとばらを射させてはねおとされて、しころをかたぶけ、ゆんづゑをつき、じやうないをにらまへて、「こぞの冬さがみのくにをたちしより、命をばひやうゑのすけどのに奉り、名をばこうたいにとどむべし。平家のさぶらひどもおちあへやおちあへや」と、だいおんじやうをはなちて勇みけれども、おちあふものなかりけり。「むろやまみづしま二ケ度の合戦にかうみやうしたりと云なる、じらうびやうゑ、あくしつびやうゑ、かづさのごらうびやうゑはなきか。かうみやうもかたきによつてこそすらめ。のとの
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かみどのはおわせぬか。あなむざんのとのばらや。かけいでてくめやくめや」と云けれども、かけいづる者なかりけり。ややひさしくまてどもかたきおちあはず。きどの上のたかやぐらより雨の如くに射ける矢は、かぶとのしころをかたぶけて、鎧の袖をふりあはせふりあはせぞいさせける。くまがえ、子息直家に云けるは、「かたきよすればとてさわぐな。鎧のいむけの袖をかぶとのまかうにあてよ。あきまををしめ。ゆりあはせゆりあはせして常によろひづきせよ。はたらかで立て鎧に裏かかすな」とぞ云ける。さるほどに夜もほのぼのとあけければ、熊谷又申けるは、「平山はくらうおんざうしのおんともにて山をばよもおとさじ。浜の手にこそ心をばかけつれ。あわれ、今はつづくらむ物を」と、ふしいひあひて立たりける処に、いひもはてねば、はまのかたより平山のむしやどころ、はたさしあひぐして二騎いできたり。平山はみつしげめゆひのひたたれに、あかがはをどしのよろひに、さんまいかぶとにうすくれなゐのほろか
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けて、めかすげと云馬にぞ乗りたりける。はたさしはくろいとをどしの鎧にさんまいかぶとをぞきたりける。熊谷平山をみて、「あれは平山殿のおわするか」ととひければ、すゑしげのなのりてきどぐちへせめよりければ、「さればこそ」とぞ申ける。平山申けるは、「すゑしげも今はとうによすべかりつるを、なりだごらうにすかされて、今までわどのにさがりたるぞ。なりだがいひつるは、『さきをかくるといふは、おほぜいをうしろにあててこそかくる事なれ。只一騎かけいりたらば、ひやくにひとついのちいきたりとも、たれをかしようにんにたつべき。ごぢんのせいをまて』と云時に、げにもと思て、しばらくひかへてまつところに、やがて成田さきをのぶるあひだ、『この君はすゑしげをおきだすや。そのぎならば馬の尻にはつくまじき物を。わぎみが馬はよわき物』と云て、ゆんでにすらせてひとむちあててあゆませつれば、にさんたんばかりさがりつるとぞみつる。いまじふしごちやうばかりはさがりつらむ。心は
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たけくおもへども、馬よわくてさきをかくることはかなふまじき物を。くまがえどののむまとすゑしげが馬とはあわれいちもつや」とぞほめたりける。かく云ほどにじやうにはやぐらをふたへにかまへて、上には平家のさぶらひ、下にはらうどう、国々のつはものなみゐ、高き岸にそへてやかたを打てぞ、大将軍はゐられたりける。くちひとつをあけたれば、いづくよりかけいるべしともみへざりけり。そののちじやうの内より、いざよもすがらあつこうしつる熊谷いけどりにせむとて、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、おなじくあくしつびやうゑかげきよ、ひだのさぶらうざゑもんかげつね、ごとうないびやうゑさだつないげ、くつきやうのはやりをのこのわかものども廿三騎、きどぐちのさかもぎをあけて、くつばみをならべてをめいてかけいでたり。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、まつさきかけていできたり。このむしやうぞくなれば、こんむらごのひたたれにくろいとをどしのよろひにしらほしの
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かぶとにしらあしげの馬にぞのりたりける。熊谷におしならべてくまむずるやうにはしけれども、熊谷すこしもしりぞかず、父子あひもすかさず立たり
けり。越中次郎兵衛いつたんばかりへだてて、「わぎみにあひて命をばすつまじきぞ。大将軍にこそくまむずれ」と云ければ、「きたなしやきたなしや、くめやくめや」とぞ申ける。越中次郎兵衛がひかへたる、をそしとやおもひけむ、あくしつびやうゑかげきよ、じらうびやうゑをめてになしてかけけるを、「や殿、しちらうびやうゑどの。君のおんだいじ、是に限るまじ。あれほどのふてきがたいにあうて、いのちうしなひてせんなしや、殿」と云ければ、せいせられて悪七兵衛もかけざりけり。廿三騎のものどももくまがえふしもかけざりけり。互にことばだたかひばかりなり。平山をばそのときまではたれともしらず、熊谷が郎等、のりがへかと平家のかたにはおもひて、めかくる者もなかりけり。きどぐちをあけたりけるをよろこびて、「遠き人はおとにもきくらむ、ちかくは目にも
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みよ。武蔵国住人にしたうの中にひらやまのむしやどころすゑしげ、けふのいくさのまつ先也」となのりて、じやうのうちへかけいりぬ。是を見てじやうないのうんかのせいさわぎあへり。たかやぐらより、「その男にくめやくめや。ひきおとせや」とくちぐちにののしりけれども、平山が乗たる馬はくつきやうの馬也、じやうちゆうのものどもの乗たる、船にたていそにたてたる馬なれば、やせつかれて、ひとあてあてたらばたうれぬべければ、ちかづかざりけり。二十三騎のものどもはくまがえをうちすてて、平山がうしろへぞせめてかかりける。平山はたさしをいとられて、そのかたきをば平山うちてけり。そのくび取てとつつけにつく。くまがえふしは廿三騎がうしろにつづいてかけいりぬ。廿三きの者共は平山をもとりこめず、熊谷がうしろにあるをいぶせさに、じやうちゆうへかけいりて、熊谷、平山をとざまになしてぞたたかひける。くまがえがしそく小次郎直家しやうねんP3117十六歳、いくさはけふぞはじめなるとて、たてのきはにせめよせて戦けるが、小ひぢをいさせてひきしりぞく。平山ははたさしいころされたりけれども、きどぐちをひらきたれば、平山は先にかけいりぬ。さてこそ平山いちぢん、熊谷にぢんになされにけれ。熊谷平山一陣二陣のあらそひとはここなりけり。さるほどに西のなぎさよりなりだごらうさんじつきばかりにてはせきたる。それにうちつづき又五六十騎いできたる。熊谷これをみて、「たれびとにておわするぞ」ととひければ、「信乃国むらかみのじらうはんぐわんだいもとくに」となのりて、をめいてかく。是をはじめとして、ちちぶ、あしかが、たけた、よしだ、みうら、かまくら、をざは、よこやま、こだま、ゐのまた、のいよ、やまぐちのたうのものども、われをとらじとかけいりて、げんぺいりやうか、白はた赤はたあひまじりたるこそおもしろけれ。たつたのやまのあきのくれ、たなびく雲にことならず。たがひにみだれあひてをめき叫ぶこゑ、山をひびかし、馬のはせちがふ
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をといかづちのごとし。くみておつるものもあり、おちかさなる者もあり。げんじもへいじもいづれこそひまありともみへざりけれ。熊谷、平山、「馬の足をもやすめ、わがみの息をもつがむ」とてひきしりぞくをりは、ほろをかなぐりをとし、わがみの息をついでければ、又ほろをかけてをめいてかけいる。ここにて平家のぐんびやうのこりすくなくうたれにけり。いちのたにの北のささはらの緑の葉もなく、あけにぞなりにける。くさきも又じんばの肉とぞみへし。源氏のからめで一万余騎なりけるが、七千余騎は九郎義経につきてみくさのやまにむかひぬ、三千余騎ははりまぢのなぎさにそうていちのたにへぞよせたりける。平家はつのくにいくたのもりをいちのきどぐちとして、堀をほり、さかもぎをひき、東には堀に橋をひきわたして、くちひとつあけたり。北の山よりきはまではかいだてをかいて、やまをあけてまちかけたり。はまのてよりは、がまのくわんじや
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のりよりたいしやうぐんとして三千余騎にておしよせたり。おんざうしまうされけるは、「おほぜいをまちつけていくさはせよ。こぜいにて先にすすむでふかくすな」とのたまへば、かぢはらうけたまはりて、「わかたうどもいたくすすむな。『おほぜいまちつけていくさはせよ』とごぢやうなり」と申ければ、かぢはらがしそくへいじかげたか、たづなをひかへてちちかげときに申けるは、
「むかしよりとりつたへたるあづさゆみひかでは人のかへるものかは K192
と申させ給へ」と云て、まつ先にすすみけり。しらはたそのかずをしらずさしあげたり。しらさぎのはをならべたるが如し。我も我もとせんぢんを心ざすつはもの多く有ける中に、武蔵国住人きさいにかはらのたらうたかなほ、おなじくじらうもりなほ兄弟二騎はせきたりて、馬よりとびおりて、いくたのもりのきどぐちへせめよせて、つらぬきをはきて、さかもぎをのぼりこへてじやうちゆうへいりけるを、城中よりびつちゆうのくにの住人、まなべのしらうごらうとて
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おとといありけるが、四郎はいちのたににおかれたり、五郎すけみつはくつきやうの弓のじやうず、せいびやうのてききなりけるを、きどぐちにえらびおかれたりけるが、かはらの太郎がさかもぎのぼりこえけるを見て、さしあらわれてよく引て射たりければ、ゆんでのくさずりのはづれを射させて、ひざすくみて、ゆんづゑにかかりて立たりけるを、おととの河原次郎見て、つとよりて兄を肩にひきかけて返る所を、すけみつ又よくひいてにの矢を射たりけるに、次郎がめてのひざふしをいさせて、兄とひとつまくらたふれにけり。まなべがげにんおちあひて、取ておさへてかはらきやうだい二人がくびを取ていりにけり。かぢはらへいざう是をみて、「くちをしきとのばらかな。つづいていらねばこそかはらきやうだいをばうたせつれ。あたら者を」と云て、五百余騎にておしよせてをめいてかけいりければ、しんぢゆうなごんふし、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、二千余騎にて
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かぢはらを中にとりこめてたたかひけれども、いつときばかり戦けるに、ちともしらけざりけるが、さすがぶせいなりければ、梶原かけたてられてひきしりぞきけるが、らうどうどもに「げんだがみへぬはいかに」と問へば、「げんだどのはおほぜいの中に取こめられてたたかひたまひつれば、うたれてもやおわしますらむ」と申ければ、梶原ききもあへず、「あなこころうや。げんだうたせてかげときひとりもしいきのこりたらば、なにごとかあるべき」と云て、取て返して、「さがみのくにのぢゆうにん、かまくらのごんごらうかけまさがばつえふ、かぢはらへいざうかげとき、いちにんたうぜんの者ぞや。たれかおもてをむくべき」と云て、をめいてかけいりたりければ、なのりにをそれて、城中のものどもさつと引てのきにけり。源太いまだうたれずして、かたき三騎が中にとりこめられて、おほわらはになりて、いわかげにうしろをあててまくらに、今をかぎりに戦う。梶原かけいりて、「かげときここにあり」と云て、げんだをうしろにして、わがみはやおもてにふさがりて、さんざんに射はらひて、
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源太に息つがせて、「いざうれ源太」とて、かけやぶりていでにけり。源太景時がいちのたにのにどのかけとはこれなり。かぢはらげんだかげすゑ、かくる時ははたをささげほろをかけ、ひくときは、いつのほどにまくらむ、はたをまきほろをぬいて、たびたびいれかへいれかへたたかひけり。ぶげいの道にもゆゆしき者なりける中に、やさしき事は、かたをかの桜のいまだあをばなるをひとえだをりて、えびらにさしぐして、かたきの中にてしばし戦て引ければ、桜が風にふかれてさとちりにけり。かたきもみかたも是を感じける所に、城中よりよはひ三十ばかりなる男の、かちんのひたたれにあらひがはの鎧きて、馬にはのらで、弓脇にはさみてすすみいでて申けるは、「ほんざんゐのちゆうじやうどののおんつかひにて候。桜かざさせ給てさうらふに、申せとて候。
こちなくもみゆるものかはさくらがり」
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とまうしはてねば、げんだ馬よりとびおりて、「しばらくおんぺんじまうしさうらわむ」とて、
いけどりとらむためとをもへば K193
とぞ申たりける。くらうよしつねは、いちのたにの上、はちふせ、ありのとと云所へうちあがりて見ければ、いくさはさかりとみえたり。下をみおろせば、あるいはじふぢやうばかりの谷もあり、或は二十ばかりのいはほもあり、人も馬もすこしもかよふべきやうなし。ここにべつぷのこたらうすすみいでて申けるは、「せんどたしろどのごいつけんのごとくに、らうばが道をしるべきにて候。そのゆゑいかにと申候に、いよどの、はちまんどの、おくの十三年の合戦の時、ではのかねざはのじやうにて七騎にうちなされ、すでにごじがいさうらふべかりけるに、するがのくにの住人大相大夫みつたふ、おいたりける馬をはちぶせのたうげからくだす。この馬二十よぢやうの滝をおとして、むかひの尾へつく。その時七騎つづいてかけをくだり、そののちに五万余騎になりて、さだたふらをごついばつのさうらひける
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とこそうけたまはりさうらへ。かかるおんぱからひやあるべく候らむ」と申たりければ、「もつともしかるべし」とてらうばをおんたづねありけるに、むさしばうべんけいあひかまへたることなれば、二疋の馬を奉る。一疋はあしげ、一疋はかげなり。かげはおくのくにの住人をかのはちらうがまゐらせたれば、岡の嶋と申。是は三十一歳になりにける馬なり。いかけぢのくらに、きにかへしたるくつばみをはげたり。〈 これは平家のかさじるしなり。 〉あしげはいしばしのかつせんにうたれし、をかざきのあくしらうよしざねが子に、さなだの与一よしさだが乗たる馬也。よに入ていさめば、ゆふがほとなづく。是は二十八歳也。しろくら置てかがみぐつわをはげたり。〈 これは源氏のかさじるしなり。 〉二疋をげんぺいりやうかのかさじるしとてひよどりごえよりおとす。この馬岩をつたひておとしけるに、坂の中にをしかのみつふしたりけるが、馬に驚てさきに落してゆく。馬も鹿も共に落して行。やはんに上の山より岩をくづして
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て[* 「て」衍字]落しけり。平家、「すわやかたきよするは」とて、おのおの馬にのり、かぶとのををしめて、矢はずを取てあひまつところに、かたきにはあらで、おほじかみつ、へいだいなごんのやかたの前へおちたり。平家の人々申けるは、「里に有らむ鹿も人にをはれてやまふかくこそいるべきに、この鹿のこれへおちたるこそあやしけれ。かたきのいくさのにふす時は、とぶとりつらをみだすと云事のあるものを。あわれうへの山よりかたきよするにこそ」とて、あわてさわぎける処に、いよのくにのぢゆうにんたけちのむしやどころきよあきらと云者、ふたつをば射て取てけり。今ひとつをば逃してけり。この鹿海をさしておとしけるを、にようばうたちのめしたるふなばたをたたいてければ、もとの山へかへる。まれいの三郎とどめてけり。「心ならぬかりしたり」とてわらふ所に、つづきて馬二疋ぞおちにける。かげはなにとかしたりけむ、死て落たり。あしげはしりあしをしき、前足をのべて、岩につたひておとしけるほどに、ことゆゑなくじやうのうちへおちたちて、みかたにむかひて、たから
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かにふたこゑみこゑぞいななきける。源氏のつはものそのとき色なをりて、人々われさきにおとさむとする処に、みうらのいちもんにさはらのじふらうよしつらすすみいでて申けるは、「人ものらぬ馬だにもおとし候。よしつらおとしてげんざんに入らむ」とて、をどしまぜの鎧に、くりげの馬に乗て、はたひとながれさしあげて、まつさかさまにおとす。ごぢやうばかりぞおとしたりける。底をみたればなほごぢやうばかりぞ有ける。みかたへむかひて申けるは、「是より下へはいかにおもふともかなふまじ。おもひとどまりたまへ」と申す。「みくさより是まではるばるとくだりたれば、うちあがらむとすともかなうまじ。下へおとしてもしなむず。とてもしなばかたきのぢんの前にてこそしなめ」とて、たづなをくれ、まつさかさまにおとされけり。はたけやままうされけるは、「われがちちぶにて、鳥をもいちは、きつねをもひとつたてたる時は、かほどのがんぜきをばばばとこそおもひさうらへ。必ず馬にまかすべきにあらず」とて、馬のさうの前足をみしと取てひきたてて、鎧の上にかきおひて、かちにてまつさきにことゆゑなくこそ落されけり。是につづきてさはらの
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じふらうよしつら、「まことに三浦にてあさゆふかりするに、是よりけはしき所をもおとせばこそおとすらめ。いざやわかたう」とて、いちもんひきぐして、わだの小太郎よしもり、おなじく次郎よしもち、おなじく三郎むねざね、おなじく四郎よしたね、あしなのたらうきよたか、たたらのごらうよしはる、らうどうにはもののべのきつろく、あま太郎、みうらのとうへい、さののへいだ、これらをはじめとして、よしつねのぜんごさうにたちならびて、たづなかひくりあぶみふみはり目をふさぎて、馬にまかせておとしければ、義経、「よかめるは。落せや、わかたう」とて、先に落しければ、おちとどこほりたる七千余騎も我をとらじと皆をとす。畠山はあかをどしの鎧にうすべをの矢をいて、くろむまのみかづきとつけたりけり。一騎もそんぜずじやうのかりやのまへにぞおちつきたる。おとしはつればしらはたみそながれさとささせて、平家のすまんぎの中へみだれいりて、時をどつとつくりたりければ、わがかたもみなかたきにみへければ、きもこころも身にそはず、あわてまどふことなのめならず。馬よりひきおとし射落さねどもおちふためき、上になり
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下になりしけるほどに、じやうのうしろのかりやに火をかけたりければ、西の風はげしく吹て、みやうくわじやうの上へふきおほひける上は、煙にむせびて目もみへず。とるものも取あへず、只海へのみぞはせいりける。助け船あまた有けれども、船につくはすくなく、海に沈むはおほかりけり。ところどころにてかうみやうせられたりしのとのかみ、いかが思われけむ、へいざうむしやがうすぐもと云馬に乗てすまの関へおちたまひて、それより船にてあはぢのいはやへぞ落給にける。
廿一 ゑつちゆうのせんじもりとしは、とてものがるべき道ならねばとて、ひとひきも引かで残りとどまりてたたかひけり。もりとし、ゐのまたのこんぺいろくのりつなとよりあひてくみて、馬よりおちにけり。もりとしはきこえたるだいぢからのかうのものなりけり。人には三十人が力持たりとはきこへたりけれども、ないないは七十人してをろしける、おほぶねを、一人してやすやすとあげつをろしつしけり。こんぺいろくも鹿のつののひとつのくさかりをもぎなむどする者にてありければ、ふつうにはつよかりけれども、したにおしつめら
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れて、もりとしが片わきにはさみてすこしもはたらかさず。よろひむしやのおほをとこの、しかもだいぢからなるが、取てをさへたりければ、刀をぬくにもおよばず、すでにくびをかかむとしけるに、かうのもののしるしにはへいろくが申けるは、「や殿、わどのはたそ。かたきをうつほふには、けうみやうたしかになのらせてうちたればこそくんこうにもあづかれ。名乗らぬくびをばいくら取たりとも、物の用にたつまじき物を。わがなのりつるをばききたまひつるか」ととひければ、「よくもしらず」とこたふ。「さらば名乗てきかせ奉らむ」と云。「我は武蔵国住人ゐのまたのこんぺいろくのりつなとて、めいよの者にて、ひやうゑのすけどのまでも知り給たるぞ。わどののいくさはおちいくさになれば、平家のうちかちたまわむ事ありがたし。さればのりつなを打ていかがはし給べき。しゆうの世におわせばこそけんじやうのくんこうにもあづからめ。とのばらはおちうとぞ。のりつなを命をいけたまひたらば、兵衛佐殿にまうし、わどののしたしきひとどものあらむかぎりは、何十人もあれ、助け申さむずるはいかに。わどのは
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たれと云人ぞ」。「これは平家のさぶらひ、ゑつちゆうのせんじもりとしとて、昔は平家のいちもんにてありしが、ちかごろよりさぶらひになりたる也」。「さてはわどのはきこゆる人ごさむなれ」と云ければ、「さぞかし。盛俊はこどもあまたあり。によしなんしの間ににじふよにんさうらふ。さらばたすけたまへよ。いちじやうか」といへば、「子細に及ばず。いかでか我をたすけたらむ人をばたすけまうさざるべき。八幡大菩薩のばつ当り候わむ。いかでかそらごとまうすべき」と云ければ、うれしさのあまりに、「さらばたすけむ」とて、くびをかくにおよばず、抜たる刀をさして、をきなをりて、前はふかた、うしろは水たまりたりける中に塚の有けるに、盛俊は鎧のたかひぼときて、二人のものどもしりうちかけて、いきつぎゐたり。さるほどにゐのまたたうにひとみのしらうといふもの、くろいとをどしの鎧にかはらげなる馬に乗て、浜のかたよりいできたる。盛俊、近平六には目もかけで、ひとみの四郎に目かけて、「ここにきたるむしやはなにものぞ」と云て、あやしげにおもひたり。近平六すこしもさわがず、
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「あれはのりつながははかたのいとこ、ひとみの四郎と云者也。おぼつかなくおもひたまふべからず」と云けれども、なほひとみの四郎に目をかけて、ゐのまたにはうちとけてうしろをさしまかせてゐたり。のりつな、「人見四郎をまちつけてうちたらば、『二人してこそうちたれ』といわむず」とおもひて、人見四郎がちかづかぬさきに、のりつなが足をつよくふみて、もろてをもつて盛俊をうしろより前へつよくつきたりければ、盛俊まつさかさまにふかたの水の底に肩までつきひてたり。足は上にあり、をきむをきむとしけるを、のりつなひたのりにのりかかりて、取ておさへてをこしもたてで、こしがたなをぬきて、つかもこぶしも通れとつよくさして、やがてくびをかひ切て、たちのさきにさしつらぬきて高くさして、「きこゆる平家のさぶらひ、ゑつちゆうのせんじもりとしがくびぞや。まさしくのりつなうちたり。のちのしようにんにたちたまへや、とのばら」とぞ申ける。かのかたなは、さつまのくに世代の住人、なみのへいごが打たりける、ふたしとろと云刀に、つかには桑に竹をあはせたりける
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刀とぞきこへし。かかる処に人見の四郎はせきたりて、このくびをばいとりて、けんじやうに行わればやと思ければ、このくびをばいけり。のりつなは一人なり、人見はたせいなり。ちからなくばわれければ、片耳をかききりて取てけり。くびのじつけんの所にて、人見四郎、「もりとしがくび」とてさしいだしたりければ、のりつなすすみいでて、「あの頸は則綱が取て候」と申。「人見はがんぜんに頸を持たり。のりつな取たりとまうすことふしんなり。しさいいかに」とおんたづねあり。則綱申けるは、「あの頸には左の耳よも候わじ。そのゆゑは、則綱が取てさうらひしを、人見たせいにてばいとりさうらひしあひだ、則綱は一人にて候、ちからなくとられさうらひし間、左の耳を取てもちて候」と申て、耳をさしいだしてけり。まことに頸には左耳なかりけり。則綱がさしあはせてみれば、おなじみみにて有けり。「さて則綱取てけり」とて、則綱が頸にぞさだまりける。またゐのまたたうにふぢたのこさぶらうたいふふかいりしてたたかひけるが、
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姉が子にて武蔵国住人、えどのしらうと云十七になるわかもの、藤田をかたきと思て、よくひきてとほやに射たりければ、ははかたのをぢがふりあふげて物見むとするくびの骨をぞ射たりける。射られて馬よりかたぶきける所を、あはのみんぶだいふしげよしがをひに、さくらばのげきのたいふよしとほがらうどう、おちあひてうちてけり。かやうにおもひおもひに戦けるほどに、源氏にむらかみのはんぐわんだいもとくに、平家のかりやに火をかけたりければ、西風はげしくて、くろけぶり東へふきおほひて、東のおほて、いくたのもりかためたるぐんびやう、是を見て、今はいかにもかなふまじきとて、船にのらむとてみぎはにむけておちけれども、あまりに多くこみ乗たりければ、目の前におほぶねにそうにへいりたり。「さてしかるべき人々をばのせ申べし。つぎつぎの人をばのすべからず」とて、船によりつく者をばたちなぎなたにてなぎければ、てうちきらるる者もあり、ひざうちながるる者もあり。かくはせられけれども、かたきにあひてしなむとはせざりけり。
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いかにもして船にのらむとぞしける。みかたうちにぞおほふうたれにける。せんていをはじめまゐらせて、にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたち、おほいとの、おんこうゑもんかみ、しかるべき人々はかねておんふねにめして、海にうかび給にけり。
廿二 いちのたにのみぎわに西へさしてむしやいつきおちゆきけり。よはひしじふばかりなる人のひげくろなり。くろかはをどしのよろひきて、いのこしたりとおぼしくて、えびらにおほなかぐろの矢よついつつのこりたり。しらあしげなる馬にゑんがんしげく打たるくらおきて、小ぶさのしりがいかけてぞ乗たりける。あしやをさしてしもにおちけるを、武蔵国住人、をかべのろくやたただずみと云者はせつづきて、「ここに只一騎おちゆくはたれびとぞ。かたきか、みかたか。なのりたまへ」と云かけければ、「みかたぞ」とこたへたり。ただずみはせならべて、さしうつぶひてうちかぶとをみければ、うすがねつけたり。「源氏のたいしやうぐんにはかねつけたる人はおわせぬ者を。きた
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なくもかたきにうしろをばみせたまふものかな」と云ければ、そのときただのり、「みかたと云はばいはせよかし」とて、ろくやたにおしならべてくみて、馬二疋があひだに落にけり。忠度おちさまにみかたなまでさしたりけり。いちの刀には手がゐをつき、にの刀にはくけゐをつき、三の刀にはかぶとの内へつきいれたりければ、ほうをつきつらぬゐて、六矢田がうしろへかたなさんずんばかりぞいでたりける。六矢田がらうどうおちあひて、うちがたなをもつてただのりのゆんでの小がひなをかけずきりをとす。されども忠度すこしもひるまず、めてのかひなにて六矢田をのせて、みいろばかりなげられたり。ただずみをきあがりて、忠度にくむ。うへにのりゐて取ておさへて、「たれびとぞ。なのりたまふべし」と、「おのれにあひていちども名乗るまじきぞ。おのれが見知らぬこそ人ならね。さりながらもよきかたきぞ。さだめてけんじやうにあづからむずらむぞ」と云ければ、六矢田が郎等おちかさなりて、忠度の鎧のくさずりをひきあげて是をさす。忠澄刀をぬきてさすかとみへければ、
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くびはまへにぞおちにける。忠澄くびをたちのさきにさしつらぬきて、「『名乗れ』といへども名乗らず。これはたがくびぞ」といひて、人にみすれば、「あれこそだいじやうにふだうのばつてい、さつまのかみただのりといひしかじんのおんくびよ」と云けるにこそ、はじめてさともしりたりけれ。忠澄、兵衛佐殿にげんざんにいりて、くんこうに薩摩守のとしごろちぎやうのところ五ケ所ありけるを、忠澄にたまはりてけり。きつうまのじようきんなががおとときつご、びぜんのしらう、せのをのよざう三騎つれて、赤じるしかなぐりすてて、西をさしておちゆく。さぬきのさぶらう、おほたのしらう、なわの太郎おひかかりて、われおとらじとめんめんにひきくみて、馬よりどうどおちて、上になり下になる。おほたのしらうがらうどう、左前と云者おひつきて、せのをのよざうをばうちてけり、左前三郎が郎等十七騎つれてびぜんのしらうをばうちけり。なわの太郎はきつごに組て有けるを、大田四郎ひきかへして、なわをうへになして、きつごをば
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ささせてのちにくびをきるに、水もさわらず切れにけり。このあひだにやまがのひやうどうざうがおちけるを、とひのじらうが郎等つづいておひてかかる。ひやうどうざうとりてかへして、かたき二騎うちとりて、五騎にておはせてうちじにする。かの郎等五騎をばおほかはのこたらうひろゆき、たねの太郎ふたりしていおとして、くびをとる。むさしばうべんけいもかたき七騎打取て、名をこうたいにとどめけり。
廿三 ほんざんゐのちゆうじやうしげひらはいくたのもりのたいしやうぐんにておわしけるが、くにぐにのかりむしやなりけれども、そのせい三千余騎ばかりもや有けむ、じやうちゆうおちにければ、みなかけへだてられてしはうへおちうせぬ。少し恥をもしり、名をもをしむほどの者は皆うたれにけり。はしりつきのやつばらはあるいは海へいり、あるいは山にこもる。それもいきたるはすくなし、しぬるはおほくぞありける。中将そのひはかちんのひたたれに、しらいとにてむらちどりをぬいたるに、紫すそごの鎧に、どうじかげとて、兄のおほいとのより得たりける馬にのられたり。花やかにいうにぞみえられける。中将
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もしの事あらばのりがへにせむとて、としごろひさうしてもたれたりける、よめなしつきげと云馬に、ひとところにてしなむとちぎりふかかりける、ごとうびやうゑのじようもりながと云さぶらひを乗せて、身を放たず近くうたせたり。みかたにはをしへだてられぬ、たすけぶねもこぎいでにければ、西をさしてぞあゆませける。きやうのしまをうちすぎてみなとがはをうちわたり、かるもがは、こまのはやしをゆんでに見なし、蓮の池をばめてになして、いたやど、すまのせきをうちすぎて、あかしのうらをなぎさにつきておちられたり。げんじのぐんびやうのりがへ二騎あひぐして、中将に目をかけておひかけたり。中将の乗給へるどうじかげははやばしりのいちもつなりければ、但はせのびられけるあひだ、かげとき今はかなはじとやおもひけむ、もしやおひさまにとほやにいかけたりければ、どうじかげがさうづの上にたちにけり。馬にはやたちてのちは、むちあぶみをあはせたまへどもはたらかず。もりながこれを見ておもひけるは、「わがみおもくて鎧はきたり。うしろにかたき
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せめきたる。このむまめされなばかなふまじ。かひなき命こそたいせつなれ」とおもひて、鎧のいむけの袖なる赤じるしかなぐりすてて、むちをあげてひらむで逃ぐ。中将是を見給て、「あな心うや。いかにもりながよ、としごろはさやはちぎりし。我をばすてていづくへおつるぞや。其馬まゐらせよや其馬まゐらせよや」とこゑをあげてのたまへども、ひとめも見返らず。「よしなしよしなし」と云て、いよいよむちをあげておちにけり。中将力およばずして、海へうちいられたりけれども、馬弱りてはたらかねば、馬よりとびおりてみづぎはにをり立て、刀を抜き鎧のひきあはせをしきり、たかひぼはづし、こぐそくちぎりすてて、鎧をぬぎすてられけるは、自害をせむとにや、海へ入らむずるにやと、おもひわづらわれたるていにてたたれたり。かたきうしろにせめかかりければ自害すべきひまもなし。そこしもとほあさなりければ海へもとびいりたまわず。さるほどにかげときはせつづきて馬よりとびおりて、のりがへにもたせたるこなぎなたを取て、じふもんじに持てかしこまりて
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申けるは、「かげときこそ、君のわたらせ給とみまゐらせて、おんむかへに参て候へ。おんのりがへのにげさうらひつるこそむげにみぐるしくおぼえさうらへ。いかにあれていにさうらふさぶらひをばめしつかはせたまひけるやらむ」とまうしもはてず、「とくとく御馬にめされさうらへ」とて、わがのりたる馬にとりておしのせたてまつりて、縄にてくらのまへわにしめつけて、わがみはのりがへにのりて、先にたちてぞまかりける。さばかりのたいしやうぐんのいけどられにけるこそくちをしかりける。しげひら、のちにのたまひけるは、「そのときかげときにことばをかけられたりしは、たとへば三百のほこをもつていちじに胸をさされけむも、是にはまさらじとおぼえたりし」とぞのたまひける。もりながはいきながきいちもつに乗たりければ、はせのびていのちばかりはいきにけり。のちにはくまのぼふしにをなかのほつけうと申ける僧の、ごけのあまがうしろみしてぞ有ける。かのあまそしよう有て、ごしらかはのほふわうのてんそうし給ける人のもとへ参りたりけるに、もりながともしたりけり。人是を見て申けるは、「さんゐのちゆうじやうのさばかりいとほしくしたまひ
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しに、ひとところにていかにもならで、さしものめいじんにてありし者の、おもひかけぬにこうのしりさきに立て、はれふるまひするこそむざんなれ」と申て、つまはじきをして目をつけて見ければ、もりながさすが物はゆげにおもひてかくれけるぞ、あまりににくかりける。
廿四 しんぢゆうなごんとももりのきやうはむさしのくにのこくしにておわしければ、こだまたうみしりたりけるにや、むしや一騎はせきたり、「たいしやうぐんにまうしさうらふ。おんうしろをごらんさうらへ。今はなにをおんたたかひさうらふやらむ」と申たりければ、中納言うしろをかへりみたまへば、くろけぶりふきおほひたり。「おほてはすでにやぶれにけり」とのたまひもあへず、我先にと浜へむけてはせたまふ。ふねどもは皆をきへむけてこぎいでにけり。あきれてぞおわしける。うちわの旗ささせたりけるはこだまたうにや有けむ、三騎をめいてかかるを、しんぢゆうなごんのさぶらひにけんもつたらうよりかたとて、くつきやうの弓のじやうずにて有けるが、よくひいて射たり。あやまたずはたさしまつさかさまにいおとしてけり。のこる二騎すこ
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しもしらまず、をめいてかかりけるを、中納言のおんこむさしのかみともあきら、中にへだたりてくみておちにけり。とりてをさへて首をかき給けるを、かたきがわらはおちあひてむさしのかみをばさしてけり。けんもつたらうおちかさなりて、わらはがくびをば取てけり。よりかたもひざのふしをいさせて、腹かききりてうせにけり。このあひだに中納言はのびたまひぬ。ゐのうへとてくつきやうの馬にのりたまひたりければ、かいしやう二十余町ををよぎて船につきたまひにけり。船もところなくてむまたつべくもなかりければ、中納言せがひにのりうつりて、馬のくびをいそへひきむけてひとむちあて給たりければ、馬をよぎかへるを見て、「かたきの物になしなむず。射殺し給へ」とあはのみんぶしげよし申ければ、「かたきの物になるともわがいのちをいけられたる馬をばいかでかいころすべき」とぞのたまひける。馬なぎさにをよぎあがりて、しをしをとして、ちくしやうなれどもとしごろのよしみ忘れがたくや思けむ、船の方を見送て三度までいななき、足をかきけるこそ
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むざむなれ。くらうよしつねこのむまを取てゐんへまゐらせられたりければ、名高き馬なりとて、いちのみむまやにたてられたりけり。黒馬の太くたくましきにてぞありける。中納言むさしのこくむのとき、かはごえと云所よりしなののゐのうえへのこじらうと云者がたてまつりたりければ、名をばかはごえのくろともつけられたり。又ゐのうへとも申けり。中納言この馬をあまりにひさうし給て、馬のいのりにこはかせとおんやうじとに、月に一度たいさんぶくんをまつらせられけり。「そのゆゑにや、今度のいくさにこの馬にたすけられて御命ものびたまひ、馬の命もいきたりける」とぞ人申ける。
廿五 あかぢのにしきのよろひひたたれに、あかをどしの鎧にしらほしのかぶときて、しげどうの弓にきりふのやおひて、こがねづくりのたちはいて、さびつきげの馬にきぶくりんの鞍置て、あつぶさのしりがいかけて乗たりけるむしや一人、中納言につづいてうちいれてをよがせたり。いつちやうばかりをよがせて、うきぬしづみぬただよいたり。くまがえのじらうなほざね、なぎさにうつたちてこれをみて、「あれはたいしやうぐんとこそ
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みまゐらせさうらへ。まさなうもさうらふおんうしろすがたかな。かへしあはせたまへや」とよばいければ、いかがおもひたまひけむ、みぎはへむけてぞをよがせける。馬のあしたつほどになりければ、弓矢をなげすてて、たちを抜てひたひにあてて、をめいてはせあがりたり。熊谷まちうけたる事なれば、あげもたてず、馬の上にてひきくみて、なみうちぎはへおちにけり。上になり下になり、みはなれよはなれくみたりけれども、ついに熊谷うへになりぬ。さうの膝をもつてよろひのさうの袖をむずとをさへたりければ、すこしもはたらかず。熊谷こしがたなをぬいて、うちかぶとをかかむとてみたれば、十五六ばかりなるわかうどのいろしろくみめうつくしくして、うすげしやうして、かねぐろなり。せんけんたるりやうはつは秋のせみのはねをならべ、ゑんてんたるさうがはゑんざんの色にまがへりなむど云も、かくやとおぼえてあはれなり。あないとほしやと心弱くおぼえて、「そもそも君はたれびとのおんこにてわたらせたまふぞ」ととふに、只「とくきれ」とこたへたり。直実又申けるは、「君をざふにんの中におきまゐらせさうらわむ事の
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いたわしさに、みなをつぶさにうけたまはりて、必ずごけうやうまうすべし。そのゆゑはひやうゑのすけどののおほせに、『よきかたき打てまゐらせたらむ者には、せんちやうのごおんあるべし』とさうらひき。かのしよりやうすなはちきみよりたまはりたりと存じさうらふべし。これはむさしのくにのぢゆうにん、くまがえのじらうなほざねとまうすものにて候」と申ければ、「いつのなじみ、いつのたいめんともなきに、これほどにおもふらむこそありがたけれ。又名乗てもうたれなむず、なのらでもうたれむず。とてもうたるべき身なれば、又かやうにいふもおろそかならず」と思われければ、「我はだいじやうにふだうのおとと、しゆりのだいぶつねもりのばつし、たいふあつもりとてしやうねん十六歳になるぞ。早切れ」とぞ宣ける。熊谷いよいよあはれにおぼえて、「直実が子息小二郎なほいへも十六ぞかし。さてはわがことどうねんにておわしけり。かく命をすていくさをするも、なほいへがすゑのよの事をおもふがゆゑなり。わがこを思やうにこそ人の親もおもひたまふらめ。このとの一人うたずとも、兵衛佐殿かちたまふべきいくさによもまけたまわじ。うちたりとてもまけ給べくは、それにもよるべからず」
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なむどおもひわづらひけるほどに、まへにもうしろにも組ておつる者もあり。くびをとるものもあり。さるほどにとひのじらうさねひら三十騎ばかりにていできたり。「とひが見るに、このとのをたすけたらば、くまがえてどりにしたるかたきをゆるしてけりと、兵衛佐殿にもれきかれ奉らむ事、くちをしかるべし」と思ければ、「君をただいまたすけまゐらせてさうらふとも、つひにのがれ給べからず。ごけうやうはなほざねよくつかまつりさうらふべし」とて、目をふさぎてくびをかきてけり。熊谷なくなくこの殿を見れば、かんちくのひちりきの色なつかしきを、したんのいへにいれて、にしきの袋にいれながら、よろひのひきあはせにさされたり。このひちりきをばつきかげとぞつけられたりける。又ちひさきまきものをさしぐしたり。是を見れば、「やうばいたうりの春のあしたにも成ぬれば、つまにさへづる鶯ののべになまめくしのびねや。やけいのかすみあらわられて、そともの桜いかばかりかさねさくらむやへ桜、きうかさんぶくの夏のそらに成ぬれば、ふぢなみいとふほととぎす、よよのかたらひをりをへて、しのぶる恋のここちこそすれ。くわうきくしらんの秋のくれ
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にも成ぬれば、かきにすだくきりぎりす、をのへの鹿、たつたのもみぢあはれなり。けんとうそせつの冬のくれにもなりぬれば、谷の小川のかよひぢも、みなしろたへにみわたさる。なごりをしかりしふるさとの、きぎのみすてていでしやどなれば、いちのたにのこけとしたにうづもれむ」とぞかかれたる。「しゆりのだいぶつねもりのばつし、たいふあつもり」とぞかかれたる。なほざねあまりにはれにおぼえて、あつもりのくびをかのひたたれにつつみて、ひちりきと巻物とをとりぐして、「ごけうやう候べし」とてじやうをかきそへて、やしまへおくりたてまつる。つりぶねの有けるに、ざつしきひとり、かこふたりして奉る。平家やしまへつき給ける十三日のとりのこくばかりにおひつき、「おんふねにまうすべきことさうらふ」と申たりければ、平家の舟より「何事ぞ」ととふ。「源氏のおんかたに候給、くまがえが殿御使」と申す。是を聞てふねのうちさわぎあへり。熊谷がつかひの舟も平家の船にちかづかず、しごたんばかりにゆらへたり。しんぢゆうなごん、いへながをめして、「あれほどのこぶねにいかなるはんくわいちやうりやうが乗たり
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ともなにごとかあるべき。いへなが見て参れ」とのたまへば、家長、郎等二人にはらまききせて、わがみはもくらんぢに色々の糸にて、ししにぼうたむぬいたるひたたれに、わきにこぐそくばかりにて、はしぶねに乗てこぎむかひたり。しさいをとふ。「くまがえがかたよりしゆりのだいぶどののおんかたへおんふみさうらふ」と申て、たてぶみを持たり。しんぢゆうなごんこのふみを取て、「熊谷がわたくしぶみのさうらふなる」とて、しゆりのだいぶどのへたてまつる。だいぶどのこのふみをみたまふに、おんこのあつもりのおんくびなり。ははきたのかた是を見給て、ふねのうちにありとあるじやうげなきかなしむ事、まことにとおぼえてあはれなり。「熊谷はひたすらのあらえびすにこそ有らめとおもふほど、なさけありて、敦盛が首を送たる心のうちこそあはれなれ」とて、熊谷がじやうを見給ふに、「つつしみてまうす、ふりよにこのきみにさんくわいしたてまつるあひだ、ごわうのこうせんをえ、しんわうのえんたんにあふいかりをさしはさみて、ただちにしようぶをけつせんとほつするきざみ、にはかにをんできのおもひをばうじて、かへりてぶゐのいさみをなぐ。
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あまつさへしゆごをくはへたてまつるところに、おほぜいおそひきたる。ときにはじめてげんじをいるといへども、かれはたせいこれはぶせいなり。はんくわいかへりてやういうがげいをつつしむ。ここになほざねたまたましやうをきゆうばのいへにうけて、さいはひにぶようをじちゐきにかかやかし、はかりことをらくせいにめぐらし、はたをなびかしかたきをしへたぐる、てんがぶさうのなをえたりといへども、ぶんじやむらがつていかづちをなし、たうらうあつまりてくるまをくつがへすことあるがごとし。なましいにゆみをひきやをはなちて、むなしくいのちをとうばうのいくさにうばはれ、いたづらになをさいかいのなみにしづめむこと、じたくわけのめんぼくにあらず。しかるあひだこのきみのごそいをあふぎたてまつるところに、おんいのちをなほざねにたまはりて、ごぼだいをとぶらひたてまつるべきよし、おほせくださるるによつて、らくるいをおさへながら、はからざるにおんくびをたまはりをはんぬ。うらめしきかな、つたなきかな、このきみとなほざねと、あくえんをむすびたてまつること。なげかしきかな、かなしきかな、しゆくうんふかくあつくして、をんできのがいをなす。しかりといへどもひるがへしてこのぎやくえんにあらずは、いかでかたがひにしやうじのきづなをきりて、ひとつはちすのみとならむ。しかればすなはちひとへにかんきよのぢぎやうをしめて、しかしながらごぼだいをいのりたてまつるべし。なほ
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ざねがまうすところのしんぎ、こうぶんにそのかくれなくさうらはむか。このおもむきをもつてもらしごひろうあるべくさうらふ。きようくわうきんげん。二月八日 直実しんじやう へいないざゑもんのじようどのへ」とぞ書たりける。しゆりのだいぶどののへんじやうにいはく、あつもりならびにゆいもつとうたまはりをはんぬ。このこと、くわらくのこきやうをいでて、さいかいのなみのうへにただよひしよりこのかた、いまさらにおどろくべきにあらず。せんぢやうにのぞみしうへは、なんぞふたたびへんじをおもはんや。じやうしやひつすいはむじやうのことわり、ゑしやぢやうりは、ゑどのならひ、しかれどもおやとなりことなりし、ぜんぜのちぎりあさからず。しやくそんらうん、らくてんのうちをうく、いつしのわかれにあらず。おうじんごんげ、なほもつてかくのごとし。いかにいはむやぼんぶをや。なげかしきかな、こひしきかな。いんじなぬかのひ、うつたちしあしたより、いまにいたるまで、そのおもかげいまだみをはなれず。つばめきたりてかたらへども、そのこゑをきかず。きがんのつばさをならべてそらにおとづるれども、そのおも
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かげをみず。しやうじはるかにしてゆくかたにまよふ。いまいちどそのいうしよのきかまほしきによつて、てんをあふぎてちにふして、しんかんをくだきてこれをきせいしたてまつる。ひとへにしんめいのなふじゆをあふぎて、ぶつだのかんおうをまつところに、なぬかの内にこれをみる。なほぶつてんのあたふるところにあらずや。しかればすなはちうちにはしんりきこころをもよほし、ほかにはかんるいそでをひたす。よつてうまれきたれるにおとらず、そかつにこれ同じ。そもそもきへんのはうおんにあらずは、いかがこれをあひみることをえむ。いちもんのふうぢんみなもつてこれをすつ。いはむやをんできにおいてをや。わかんのりやうごくをとぶらひ、ここんだいだいをかへりみるに、いまだそのれいをきかず。おんしんかうにしてしゆみすこぶるひきし、さうかいかへりてあさし。すすみてむくいんとほつすれば、くわこをんをんたり、しりぞきてほうぜむとほつすれば、みらいやうやうたるものか。ばんたんおほしといへども、ひつしにつくしがたし。きんげん。二月十四日 さゑもんのじようたひらうけたまはり いへながくまがえのじらうどののおんぺんじ」とぞかかれたりける。是よりしてぞ熊谷はほつしんの心をば
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おこしける。ほふねんしやうにんにあひたてまつりて出家して、ほふみやうれんせいとぞ申ける。かうやのれんげだににぢゆうして、敦盛のごせをぞとぶらひける。ありがたかりけるぜんぢしきかなとぞ人申ける。
廿六 こまつどののすゑのおんこ、びつちゆうのかみもろもりは、小船に乗てなぎさにそいて、たすけぶねとこころざしておちたまひけるに、さつまのかみのらうどうにてしまのくらうさねはるとて、くつきやうのかうのもの、だいぢからにて有けるが、岸の上に立て、「あれはびつちゆうのかみどののわたらせたまひさうらふとみまゐらせさうらふは、ひがことにて候か。これはさつまのかみどののみうちにてしまのくらうとまうすものにて候。かうのとのにはおくれまゐらせさうらひぬ。たすけさせたまひさうらへ」と申たりければ、「としごろをしと思われけるさねはるなり。このふねよせてあれのせよ」とのたまへば、「おんふねはちひさくさうらふ。いかにしてか乗せ候べき」とさぶらひども申けるを、「只乗せよや乗せよや」とのたまひければ、力及ばでよせてけり。真治だいの男のよろひきて、たかぎしよりいそぎ飛乗りければ、ふなばたにとびかかりてふみかたぶけて、のりなほさむのりなほさむ
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としけるほどに、ふみかへして、一人も残らず皆海へいりにけり。是をみてかはごえのこたらうしげよりが郎等、じふらうだいふ八騎はせきたりて、くまでにかけてこれらをとりあげてくびを切る。なぎなたもちたる男の、もろもりのくびを切らむとて、よつて申けるは、「かねつけさせたまひてさうらふは、平家の一門にておわしまし候ごさむめれ。なのらせ給へ」。師盛のたまひけるは、「おのれにあひて名乗るまじきぞ。のちに人に問へ」とてなのりたまわず。なぎなたにてくびをきるに、あしく打てをとがひをどうにつけたり。くびを取て人にみするに、「こまつどののすゑのおんこ、びつちゆうのかみもろもり」とまうしければ、「よきひとにこそ」とて、またたちかへりてをとがひを取て、くびにつけてぞ渡しける。くんこうにもろもりのちぎやうのあと、びつちゆうのくにをぞたまはりてける。
廿七 かどわきのちゆうなごんのりもりのちやくし、ゑちぜんのさんゐみちもりは、いちのたにやぶられにければ、いそへうちいでたまひたりけれども、船なかりければ、只一騎なぎさにそいて、東へむけてあゆませ給ふ。みなとがはのしもにて
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あふみのくにのぢゆうにんささきのげんざうもりつな七騎追てかかる。三位取て返して、しゆじんとおぼしき者に目かけてはせむかひけるを、佐々木がらうどう、三位のかぶとにくまでをなげかけて、「えい」と云てひかへたり。三位のかぶときれにけり。おしならべてひきくみてどうど落つ。上になり下になりいつときばかりとりころびけるを、佐々木が郎等おちかさなりたりけれども、およそりんぼうなむどのごとくにて、しやうぎだふしをするやうにまろびければ、あたり近く人よらず。もりつな下になる。三位刀を抜て佐々木がくびをさされけれども切れず。佐々木が郎等、三位の鎧のひきあはせよりたちをさうへさしちがへて、うつをにくりなしてければ、三位よはり給たりけるを首を取る。佐々木が頸はなからばかりぞきれたりける。佐々木をきあがりて、三位の頸右の手にさげて、ゆんづゑつきて、ふところよりたたうがみをとりいだして、頸の血をのごふ。あけに成てぞみへける。三位のぐんびやうあまたそのかずありけれども、
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いちのたににてかけへだてられて、ちりぢりになりにければ、みやたのたきぐちときかずと云さぶらひ、三位のあとをたづねて追て参りけれどもおひつかず。三位うたれたまひてのち、おひつきたりけれども、頸はなし。むくろをみるに、もへぎにをひの鎧のひきあはせに、ひさうして持給たりける笛をさされたり。この笛を取て、三位の御馬のはなれて有ける取て乗り、なくなくはせかへりけり。
廿八 ここにひたちのくにのぢゆうにん、ひきのしらうごらうと云つはものあり。四郎、おととの五郎に申けるは、「けふいちぢやうよきかたきにくみつとおぼえさうらふ。すぎぬる夜ゆめみのよかりつるぞ」とまうしもはてねば、つはもの二人いできたり。一人はおほわらはなりけるを、ひきの四郎はせならべて、かみを取てくらのまへわにおしつけて、くびをかいきりてさしあげたり。一人はもえぎにほひの鎧きて、かげなる馬に乗ておちけるを、比気五郎よきかたきと目をかけて、おしならべてくみておちぬ。なぎさぎわに古きゐの有ける中に、二人組てふしたり。五郎は下に敵は上に有けれども、井の中はせばし、落はさまつて、互に
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なにともせざりけり。兄四郎はせまはりてみれども、おととのごらうもみえざりけり。ゐの有けるをはしり寄てみれば、中につはもの二人あり。「比気の五郎はここにあるか」。かすかなるこゑにて「やすしげ」となのりければ、馬よりとびおりてかたきがくびをかく。十六七ばかりなるわかうどのうすがねをぞつけたりける。是はかどわきのちゆうなごんのしそく、くらんどのたいふなりもりにてぞおわしける。あはれともいふはかりなし。しんぢゆうなごん、おほいとのにまうされけるは、「むさしのかみにもをくれさうらひぬ。よりかたもうたれさうらひぬ。いまはこころぼそくこそおぼえさうらへ。いへながもよもいきさうらわじ。只一人持たりつる子の、父をたすけむとてかたきにくむを見ながら、親の身にてひきも返さざりこそ、『命はよくをしき物にてさうらひけり』と、身ながらもうたてくおぼえさうらへ。人のいかにおもふらむ」とて泣給ければ、おほいとのものたまひけるは、「むさしのかみは手もきき心もかうにて、よきたいしやうぐんにておわしつる者を。あらをしや。あたら者かな」とて、おんこの
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うゑもんのかみのおわするを見給て、「ことしはどうねんにて十七ぞかし」とて、涙ぐみ給へるぞいとほしき。是を見奉る人々も、皆鎧の袖をぞぬらしける。いへながはいがのへいないざゑもん、これはしんぢゆうなごんのいちにの者なりければ、「命にもかわり、ひとところにていかにもならむ」と、ちぎりふかかりけるものどもなり。
廿九 しかるべき人々の首、たけゆひわたしてとりかけたり。「千二百余人」とぞしるしける。たいしやうぐんにはゑちぜんのさんゐみちもり、さつまのかみただのり、たぢまのかみつねまさ、わかさのかみつねとし、むさしのかみともあきら、びつちゆうのかみもろもり、くらんどのたいふなりもり、たいふあつもり、いじやうはちにん、さぶらひにはゑつちゆうのせんじもりとし、ちくぜんのかみいへさだ、うたれにけり。そうじて大将軍とおぼしき人、十人とぞきこへし。ただしあつもりのくびはなかりけり。あるいはりけんをふくみて地にたふれぬ、あるいはながれやにあたりて命をうしなふたぐひ、あさをちらせるが
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ごとし。水におぼれ山に隠るるともがらいくばくぞ、その数をしらず。しゆしやう、にようゐん、ないだいじん、へいだいなごんいげのひとびと、きたのかた、おんふねにめしてまのあたり御覧ぜられけり。いかばかりの事をかおぼしめしけむ、ごしんぢゆうをしはかられてあはれなり。すいちやうこうけいのばんじのれいほふことなるのみにあらず。船の中、浪の上、いつしやうのかなしみ、たとへむ方もあらじ物をとおもひやられてあはれなり。父は船にありて子はいそにうたれ、よめは船にあればをつとはなぎさにふす。友をすてしゆうをすててもかたときの命ををしむ。兄をすておととをわすれてもしばしの身をたばう。うしほの中の魚のあわにいきつぐが如し。りようどうのひつじのしやうがくをおそるるに似たり。しゆしやうをはじめたてまつり、むねとの人々はおんふねにめして、おもひおもひこころごころにいでたまふ。ふなぢのならひのあはれさは、塩にひかれてゆくほどに、あしやの里をはせすぎて、きいのぢへおもむく船もあり。たよりの風をまちえず
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して、浪にただよふ船もあり。ひかる源氏にあらねども、すまよりあかしをたづねつつ、うらづたひゆくふねもあり。すぐに四国へ渡る舟もあり。なるとのをきをこぎわたり、いまだいちのたにのをきにただよふ舟もあり。かかりしかば、嶋々浦々は多けれども、たがひにししやうをしりがたし。国をなびかす事も十三かこく、せいのつきしたがふことも十万余騎に及べり。都へもひとひぢなり。さりともとおもひしいちのたにもおとされにければ、おのおのこころぼそくぞおもはれける。さても今度うたれぬる人々のきたのかた、さまをかへてこきすみぞめになり
つつ、ねんぶつまうしてごしやうとぶらひたまふぞいとほしき。ほんざんゐのちゆうじやうしげひらの北方、だいなごんのすけどのばかりこそ、うちのおんめのとなればとて、おほいとのせいしまうされければ、さまをもやつし給はざりけれ。
三十 越前三位みちもりの北方はやしまのおほいとののおんむすめなり。御年十二にぞなりP3160たまひける。はつでうのにようゐんやしなひまゐらせて、みちもりむこにとらせたまひたりけれども、いまだをさなくおわしければ、ちかづきたまふこともなかりけり。とうのぎやうぶきやうのりかたの御娘、しやうさいもんゐんのごしよにこざいしやうどののつぼねとておわしけり。かほかたち人にすぐれて心になさけふかく、てんが第一のびじんときこえおわしければ、みるひときくひと、あはれと思わぬはなかりけり。ゑちぜんのさんゐそのときはちゆうぐうのすけといわれき。このこざいしやうのつぼねのをさなくおわせし時より、ひとつごしよにすみながら、あはれみまほしくおもひたまひけれども、さもなくてすごしたまひけるほどに、ひととせしやうさいもんゐん、ところどころのめいしよの花御覧ぜられけるに、こざいしやうどのもまゐりたまひ、ちゆうぐうのすけもぐぶせられけり。大宮をのぼりに二条を西へぎやうけいなる。よものやまべもかすみこめ、ひやくてんのうぐひすもをりもよをせるものなれや。かめやまのすそよりいづるおほゐがは、みなかみきよき早き瀬、ゐせきのほども
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をとたへず。むめづの里ににほふ風、そもむつまじきゆかりかな。月もかつらの里にすむ。げにをもかげは身にぞそう。くもゐのよそに打すさみ、おほうちやまもすぎぬれば、ひがしへふくかぜにたよりして、あるじを尋ぬる梅のにほひ、ひとよにしげる松のえだ、ありし昔を忍びかね、袖よりあける涙をば、おもひわづらふくさまくらの、露よりしげきここちして、てんまんてんじんのおわします、うこんのばばのぎやうけいなり。このときにこざいしやうは十四の年よりにようゐんの御車にぞまゐられける。しよゑのにようばうたちは、車よりおりてあそびたまひけるに、このこざいしやうどのはみへ給はざりければ、にようゐん、「小宰相殿は」とおんたづねあり。車よりいでたまうが、人やみるとおぼしくて、おりわづらひたまひけるけいきは、秋の夜の月おばすて山を住うかれ、春の花吉野の峯にほころぶかと、あたりもかかやくばかりなり。花をひとふさ折つつ、扇に取そへてたたれ
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たり。をりしも嵐こずゑにさへければ、ちりかくるはなにまかせていうにぞみへける。みちもりこれをひとめみ給しより、人しれずやまひとなりにけり。色にいでてたふす人に問ければ、としごろいうにききたまひし小宰相殿これなり。いまひとしほぞまさりけり。ひびにそへては重くなりたまひて、ふししづみておわしけり。「神もゆるす御事ならば、みたらし河にふしも沈まばや」とのみ思われけれども、それも叶わぬおんことなれば、ただあけくれはこの人の事よりほかはたじなくぞ思われける。ろくでうのつぼねといふめのとの有けるが、「このおんいたはりくるしからじとはおほせさぶらへども、日にしたがひて御有様よはげに見へさせ給。おんこころぐるし」と申ければ、「さしてだいじもなき物を」とて、打とけ給わず。六条あやしとおもへども、そのこころをしらず。あるときまたろくでう、「わらわにかくさせたまふ、なにごとにてさぶらふぞ。今こそおもひしられてさぶらへ。御心をおかせたまひさぶらはば、みうちも住うくなむ」と、やうやう
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にうらみて、「さてもゆゆしきいしのさぶらふなる、めされさぶらへかし」と申ければ、三位ひごろはおもひなぐさむ方もなくて忍びつれども、今は限りとおもひければ、「心に思ふ事いはねば罪深し」と云時に、「うこんのばばの花みのぎやうけいのありしに、こざいしやうのつぼねをひとめ見てしよりやまひとなりたりしなり。ぎばへんじやくが薬も、是をれうするじゆつもなし。せいめい、だうまんがじゆつだうもかなうまじ。もしかのゆかりに知たる人やある。このことをしらせばやと思ふぞとよ」。六条さればこそと思て、「宰相殿のおんめのとの子に、をののじじゆうと申す女房をこそしりてさぶらへ」。三位よろこびて、「さらばしらせよ」とのたまへば、じじゆうに「かく」と申たりければ、「よろづ身にたえさぶらわむ事をば、承りさぶらはばやと思てこそさぶらへども、これはかなふまじくさぶらふ。この君の七歳の御年より、女院のおんふところを離れまゐらせたまわず。ぎよしんじよよりそだてまゐらせましまして、ことしは十四にならせ給。この事
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人にしらせたまふなよ」と云ければ、六条かへりてこのよしを申ければ、「さてはかなふまじきにこそ」とてふししづむ。ばんしいつしやうとみへ給ふ。六条申けるは、「男は心強きこそたのもしくさぶらへ。おんいのちだにわたらせ給はば、などかさてしもさぶらふべき。おんふみをあそばしてたまひさぶらへ。じじゆうにとらせさぶらわむ」と云ければ、さらばとて文をかきて六条にたびてけり。六条このふみを侍従にとらせたりければ、ゆゆしく心得ずげに思て、しばらくものもいわざりけるが、この文をかへしたてまつるもなさけなしとや思けむ、「申てこそ見さぶらはめ」とて、宰相殿に奉る。宰相殿かほうちあかめて、「こはなにごとぞや。人やみつらむ。あさましや」とて、みすの内へいれ給ふ。かくと知らせはじめたまひてのちは、みとせまで、たまづさ数のみつもりけれどもとりもいれたまはず。されども三位これになぐさみて、つゆのいのちきえやり給はず。みとせもすぎぬれば、「ちつかをたてしにしきぎ、たてながらやくちぬらむ、つれなき人こそぜんぢしきなれ」とて、「あすは
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かいのししやうじて出家し、かうやこかはにも入こもり給わむ」とぞいでたちたまひける。六条あまりにかなしくおもひて、じじゆうに「かく」となくなく申たりければ、侍従をどろきて、「としごろはなにとなくなほさりの御事にやと思てさぶらへば、さやうにおんみをいたづらになしたまふおんことならば、こまやかに申てみさぶらわむ」とて、侍従、宰相殿に申けるは、「ちゆうぐうのすけどのこそ、おんみゆへにあすは出家して、かうやこかはにもとぢこもらむとしたまふなれ。人をたすくるはみなよのつねのならひにてこそさぶらへ」と申けれども、「いつはりにてぞ有らむ」とて、露なびきげもおわせず。侍従帰て、「なをも心づよげにおわするぞ。みうちへまひらせ給わむ時、こまかにおんふみをあそばして、車の内へなげいれたまへ」と云ければ、ちゆうぐうのすけよろこびて、「みとせのおもひにたへずして、今はおもひきり、世をのがれて、高野粉河にもこもるべき」なむど、こまかにふみをかきたまひて、びんぎをうかがわれけるほどに、あるときこざい
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しやうどのごしよへまゐりたまひけるに、ひそかに人にいひあはせて、せいしをもつて御文を車の内へなげいれさせて、つかひはかへりにけり。こざいしやうどの、「これはいかなる人のつてぞや」とて、車の内にてしのびさわぎ給へども、おんとものものどもも「しらず」と申ければ、おほちにすてむもさすがなり、車にをかむもつつましくておもひわづらひけるほどに、ごしよもちかくなりにければ、いかにすべきやうもなくて、はかまの腰にはさみておんくるまよりおりたまひにけり。をりしもぎよいうのほどなりければ、やがておんまへへ参り給て、なにとなくあそばれけるほどに、このふみをおとし給てけり。にようゐんの御目にしも御覧じいだして、おんふところにひきいれさせましまして、女房達をめしあつめさせ給て、「やさしき物をこそもとめたれ。人々これごらむぜよ」とてとりいださせ給たりければ、このおんふみなりけり。女房達、「我もしらず我もしらず」とのみ、しんぶつにかけてまうされければ、小宰相殿かほけしきかわりて、
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涙のうくほどにぞみへられける。「小宰相殿のおとしたまひてけり」とまけたまひにけり。にようゐん文をひらきてごらむぜらるるに、ぎろのけぶりなつかしく、らんじやのにほひふかくして、筆のたてどもなべてならず、いうによしありてぞかかれたりける。
「わがこひはほそたにがはのまろきばしふみかへされてぬるる袖かな K194
ふみかえす谷のうきはしうきよぞとおもひしりてもぬるる袖かな K195
つれなき御心もなかなか今はうれしくて」なむどかきたり。女院おほせの有けるは、「是はあはぬをうらみたる文にこそ。いかにおもひなるべき人やらむ。ちゆうぐうのすけのまうすとはほのかにきこえしかども、こまかにはしらず。あまりに人の心づよきも身のとがとなるなるものを。このよにはまのあたりあをき鬼となりて、身をいたづらになし、ひとりゆくみちにゆきあひてなさけなき事をかたり、のちの世までのさわりとなりて、よよに身をはな
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れぬとこそきけ。人をも鬼になしてもなにかはせむ。けねんむりやうこふとかやも罪深し。昔をののこまちと云ける者は、いろかたち人にすぐれてなさけも深かりければ、見るひときくひと、肝をはたらかし心をいたましめぬはなかりき。されどもその道には心づよきなとりたりけるにや、人のおもひのやうやうつもりては風を防くたよりもなく、雨をもらさぬわざもなし。やどにくもらぬつきほしを涙にやどし、人のをしむ物を乞ひ、のべの若菜をつみて命をつみけるには、あをきおにのみこそとこをばならべけれ。とくとくなびき給べし。つひに人にみへ給はむには、あの人共のいわむ事をばいかでか聞すて給べき。この人といふにだいじやうにふだうのをひなり。品もいやしからず。へいけはんじやうのをりふしなり。たうじはたれかこの一門をさくべき。このふみのへんじは我せむ」とて、おんすずりめしよせて、
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只たのめほそたにがはのまろきばしふみかへしてはおちざらむやは K196
谷水の下にながれてまろきばしふみみてのちぞくやしかりける K197
かくあそばして返されぬ。ごひさうの御車、御牛かけて、こざいしやうどのを三位のもとへおくられにけり。せんきゆうのぎよくひ、てんちをかねてちぎりや深かりけむ、心やゆかしくいさぎよからましの心にて、せつなる事のみぞおほかりける。世の常の夫の思わぬをうち歎てくやしきことなむどこそあれ、是は常にものおもひがほにて、うんしやうきゆうちゆうのぎよいうもものうくおもひたまひけるにや。やさしかりしなからひなり。かくてなれそめ給てとしごろにもなりにければ、たがひにおんこころざし浅からずおもはれたりければ、ちちははしたしき人々にも離れて、是までおわしたりけるにや。かんのぶていしやうりんゑんにごかうあり。しんふじんといへるにようご、かたはらにをわす。ゑんあうよつてふじんの座をしりぞけけり。
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きみのごきしよくかわり、ふじんいかれる色あり。ゑんあうがいはく、「きみはきさきをはします。ふじんはをんなめなり。をんなめは君ととこをひとつにする事なし。昔のじむていがためしをおもひしりたまへ」と云ければ、夫人この事をさとりえたまひてかへりてよろこぶ。ゑんあうがかしこき心をよろこびたまひて、こがね三十きんをたまはりけるとかや。ゑちぜんのさんゐこの事をおもひしりたまひたるにや、小宰相殿はをんなめにておわしければひとつふねにはすみたまわず。べちのおんふねにをき奉てときどきかよひたまひて、みとせがあひだ波の上にうかび給けるこそあはれなれ。越前三位つかひたまひけるみやたのたきぐちときかずと云さぶらひ、はせきたりてきたのかたに申けるは、「さんゐどのはみなとがはのしりにてささきげんざうもりつなと組てうたれたまひぬ。やがてうちじにをもし自害をもつかまつりて、ごせのおんともすべきにてさうらひつれども、『わがいかにもなりなむのちは命をすてずして、あひかまへて御ゆくへをみつぎたてまつれ』と、かねてよくよく
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おほせをかれて候也。おんことばをたがへじとぞんじさうらひて、つれなく参て候」となくなく申ければ、北方これをききたまひて、しばしは物ものたまわず、ひきかづきふしたまひぬ。「いちぢやううたれたまひぬ」とはききたまへども、「もしひがこともやあるらむ。いきて帰らるる事もや」と、只にさんにちの旅にいでたる人をまつここちして、したまたれけるこそはかなけれ。さるほどにひかずもかさなりてしごにちにもなりにければ、もしやのたのみも弱りはてて、いよいよおもひぞまさりける。めのとごなりける女房の只一人つきたりけるに、十三日、よふけひとしづまりて、北方なくなくのたまひけるは、「あわれこの人の、あすうちいでむとては、よのなかの心細きことどもをよもすがら云つづけて、涙をながししかば、いかにかくは云やらむと、心さわぎしておぼえしかども、必ずかかるべしとは思はざりしに、かぎりにて有ける事のかなしさよ。『われいかになりなむのち、いかなるありさまにてあらむずらむとおもふ
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も心苦し。世のならひなればさてしもあらじ。いかなる人に見えむずらむと、それも心うし』なむどいひし時に、ただならずなりたる事を、そのよはじめてしらせたりしかば、なのめならずよろこび、『みちもりすでにみそぢになりなむずるに、いまだ子といふもののなかりつるに、はじめて子と云者有らむずらむ事のうれしさよ。あわれおなじくはなんしにてあれかし。さるにつけても、かくいつとなき船のうち、なみのうへのすまひなれば、みみとならむ時、みちもりいかがせむずらむ』と、只今あらむずるやうになげきたまひし物を。はかなかりけるかね事かな。いくさはいつもの事なれば、それをかぎり最後とは思わず。ありしむゆかのひのあかつきをかぎりとしりせば、のちの世にともちぎりてまし。誠やらむ、女はみみとなる時、とをにここのつはしぬるなれば、かくて恥がましき目を見て、ともかくならむ事も口惜し。もしこのよをしのびすごしてながらへても、あるは心にまかせぬ世のならひなれば、不思議に
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て思わぬほかの事もあるぞかし。心ならずさる事もあらば、草の影にて見む事もはづかしければ、この世にながらへてもなにかはせむ。まどろめば夢にみへ、さむればおもかげにたつぞとよ。さればこのついでに底のみくづともおもひいりて、しでのやま、さんづのかはとかやをもおなじみちにとのみおもふが、それにひとりのこりとどまりてなげかむこともいたはしく、ふるさとにきこえたまひて、かなしみ給わむ事こそ罪深けれども、思はざるほかの事もあるぞかし。もしさもあらむ時は、わらわがしやうぞくをばいかならむ僧にもとらせて、ころもにせさせて、ごしやうをも問ひ、なきひとのぼだいをもたすけたまへ。かきおきたるふみどもをば都へとづけ給へよ」など、こしかたゆくすゑのことどもまでかきくどきのたまひければ、「ひごろはなくよりほかの事なくて、物をだにものたまはざりつるに、かやうにこまごまとくどき給こそあやしけれ。げにちひろの
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底までもおもひいれたまわむずるやらむ」とむねうちさわぎて、きたのかたに申けるは、「今はいかにおぼしめすともかひあるまじ。はじめておどろきおぼしめすべきにもあらず。そのうへおんみ一人の事にてもなし。さつまのかみどの、たぢまのかみどの、わかさのかみどの、びつちゆうのかみどののきたのかたたちも、おんなげきいづれもをろかならず。されどもかたがたおんさまをかへて、ごしやうをこそとぶらひまゐらせさせ給へども、おんみをなぐる人もなし。必ずおなじみちにとおぼしめせども、うまれかはらせ給なむのちは、ろくだうししやうのあひだに、いかなるくるしみの道へかおもむかせたまひぬらむ。ゆきあひまひらせさせ給わむ事もありがたし。いかにもしてたひらかにみみとならせ給て、をさなきひとをもそだてたてまつりて、なき人のおんかたみとも見まひらせさせ給へかし。なをあきだらずおぼしめさば、おんさまをもかへさせ給て、いかならむやまでらにもとぢこもらせ給て、しづかに仏のみなをもとなへて、こどのの
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ごぼだいをもとぶらひまいらせ、わがおんみのごしやうをもたすからせ給わむにすぎたるぜんぢしきはいかでかさぶらふべき。そのうへ都にわたらせたまふひとびとの御事などをば、たれにゆづり、いかにならせ給へとて、かくはおぼしめしたつにか。わらわもおいたる親にもたちはなれ、をさなき子ももふりすてて、只一人つきまひらせたるかひもさぶらわず。うき目をみせむとおぼしめすらむこそくちをしけれ」などかきくどき、さまざまになぐさめ申ければ、「くわいにんの身となりては、死をさる事遠からずなど云なれば、かやうに浪の上にてあかしくらせば、おもひかけぬなみかぜにあひて、心ならず身をいたづらになすためしもあるぞかし。たとひこんどをおもひのべたりとも、このものをそだてて打みむをりをりは、昔の人のみこひしくて、おもひの数はまさるとも、わするる時はよもあらじ。今はなかなかに見そめみへそめし雲の上のよはのちぎりさへくやしくて、
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かの源氏のだいしやうのおぼろづきよのないしのかみ、こうきでんのほそ殿も、わがみの上とおぼゆるぞ」とひそかにのたまひければ、このしごにちは、はかばかしくゆみづをだにもみいれたまわぬ人の、かやうにこまごまとのたまへば、「げにおもひたちたまふこともや」とて、「おほかたはげにもさこそはおぼしめすらめなれば、いかならむうみはかの底へいらせたまふとも、をくれまひらすまじきぞ。かまへてうき目みせさせ給なよ」と、涙もかきあへず申ければ、「この事さとられてさまたげられなむず」とやおぼしけむ、「是はそれの身の上におもひなしてもをしはかり給へ。わかれの道のかなしさ、おほかた世のうらめしさに身をもなげばやと云事は、世の常の事ぞかし。さればとてげにはいかでかおもひもたつべき。又たまたまにんがいのしやうをうけたる者に、つきひの光をだにも見せずしてうしなわむ事も、かわゆくもあるぞかし。たとひいかなる事をおもひたつとも、
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いかでかはそこにしられでは有べき。心安く思給へ」とのたまひて、三位の筆にて書給たりけるさごろもの有けるをとりいだして、あわれなる所をよみて、しのびしのびに念仏を申給ければ、「げにもおもひのべ給にこそ」と心安くおぼえて、おんそばに有ながら、ちとまどろみたりけるひまに、やわら舟のはたにたちたまひたれば、まんまんたるかいしやうなれば、月おぼろにかすみわたりて、いづくを西とはわかねども、月のいるさを山のはにむかひて、たなごころをあはせて念仏を申給ける心のうちにも、「さすがに只今をかぎりとは都にはよもしらじ。風のたよりもがな。かくとしらせむ」と、おもひみだれたまふにつけても、をきのしらすに鳴くちどり、とわたる海のかぢまくら、かすかにきこゆるえいやごゑ、いづれもあわれにきこへけり。さて念仏ひやつぺんばかりとなへて、「なむさいはうごくらくせかい、だいじだいひあみだによらい、ほんぐわんあやま
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たせ給わず、じやうどにみちびきたまひて、あかで別れしいもせの中、ひとつはちすの身となし給へ」とて、ちひろの底へいりたまひぬ。いちのたによりやしまへこぎもどるやはんばかりの事なれば、人皆ねいりにけり。かぢとり一人みつけ奉て、「こはいかに、女房の海へいりたまひぬ」とののしりければ、めのとごの女房うちおどろきて、「あはこの女房のしたまひぬるよな」と心うくて、かたはらもとむれども人もなかりければ、「あれやあれや」とさわぎあわてけれども、あはのなるとの塩ざかひ、みちしほひきしほはやくして、うけば沈みしづめば流るるうしほにて、たつなみひくなみうちかけて、かものうはげもうづもれぬ。心に舟をもまかせねば、をりしも月はをぼろなり、きぬも白し、波も白かりければ、しらみあゐて、しばしはうきあがり給へども、みわくる方もなかりければ、とみにもとりあげたてまつらず。はるかにほどへて、とかくしてかつぎあげたてまつりたりけれども、この
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よにもなき人になりたまひにけり。しろきはかまにねりぬきのふたつぎぬひきまとひて、髪よりはじめてしをしをとして、わづかに息ばかりちとかよひたまひけれども、目も見あけ給わず。なでしこの露にそぼぬれたるやうにて、しにたる人なれども、ね入りたる人のやうにて、らうたくぞ見へ給ける。めのとごの女房、手に手を取くみ、かほにかほをあてて、なくなくまうしけるは、「子をも親をもふりすてて、是までつきたてまつりたるこころざしをも知給はず、いかに心うき目をば見せ給ぞ。げにおぼしめしたたば、波の底へもひきぐしてこそいりたまはめ。かたときたちはなれたてまつらむとも思はざりつる者をや。いまいちどものひとことのたまひてきかせ給へ」と、もだへこがれけれども、なじかはひとことのへんじにもおよぶべき。わづかにかよひたまひつる息もとまりてこときれはててければ、見る人袖をぞ絞りける。さるほどにおぼろにすめる月影もくもゐにかたぶき、
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かすめる空もあけゆけば、「さてしもあるべき事ならず」とて、こさんゐのよろひのいちりやう残りたりけるを、うきもぞあがるとてをしまきて、又海へ返しいれてけり。めのとごの女房つづきて飛入らむとしけるを、ひとあつまりてとりとどめければ、船底にふしまろびて、をめきさけぶことなのめならず。かなしみの余りにみづからかみをきりをとしてければ、かどわきのちゆうなごんの子息にちゆうなごんのりつしちゆうくわいとておわしけるが、そりてかいたもたせられてけり。三位この女房の十四のとしより見そめ給て、ことしは十九にぞなられける。かたときもはなれ給わじとはおもひたまひけれども、おほいとののおんむこにておわしければ、そのかたさまの人々には知らせじとて、ぐんびやうの乗りたる船にやどしをきたまひて、時々げんざんせられけり。みくさのやまのかりやにてげんざんせられたりけるも、この女房の事なりけり。中納言もたのみ
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きりたまへるちやくしゑちぜんのさんゐ、又おとごのなのめならず悲しがりたまひつる、たいふなりもりもうたれたまひにければ、かたがたなげきいられたりけるに、このきたのかたさへかくなりたまひぬるあはれさいとをしさに、常はなきふしてぞおわしける。御心の内さこそは悲しかりけめと、をしはかられていとをし。さつまのかみ、たぢまのかみのきたのかたもおわしけれども、歎きにしづみながら、さてこそをわしけれ。昔も今もおつとにをくるる人おほけれども、さまなどかうるは世の常の事也。たちまちに身をなぐるまでの事はためしすくなくぞおぼゆる。見る人もきくひとも涙を流さずと云事なし。されば、「ちゆうしんはじくんにつかへず、ていぢよはりやうふにかせず」といへり。誠なるかな。ごんのすけさんゐのちゆうじやうこのありさまをみたまひて、「かやうにひとりあかしくらすはなぐさむ方もなけれども、かしこくぞこの人をとどめおきてける。我もひきぐしたりせば、つひにはかかる事に
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こそあらまし」など、せめての事にはおもひつづけられ給けり。なぬかのひ、くらうよしつねいちのたににおしよせて、うのこくにやあはせして、みのこくに平家をせめおとして、むねとの人々のくび、おなじくとをかのひきやうへいる。平氏のくびどもあまた京へいるとののしりあひたりければ、平家のゆかりの人々、京に残りとどまりたる、きもこころをまどはして、たれなるらむとおもひあわれけるぞいとほしき。そのなかにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりの北方、へんぜうじの奥、をぐらやまのふもと、だいかくじと云所にしのびてすみ給けるも、かぜふくひは、けふもやこの人の船に乗たるらむと肝をけし、けふいくさときこゆれば、この人はうたれもやしつらむとおもひつるに、さてはこのくびどもの中にはよもはづれじとおぼすにも、ただなくよりほかの事ぞなかりける。さんゐのちゆうじやうと云人いけどりにせられてのぼると聞給ければ、「をさなきものどもの恋しさにしのびがたし。いかがしてこの
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よにてあひみむずらむ」とかへすがへす云たりしかば、「おなじみやこの内にいりたらばなど思て、わざととられてのぼるやらむ」とさへ、ひとかたならずおもひみだれて、ふししづみ給へば、若君、姫君もおなじまくらになきふしたまへり。「くびどもの中にもおわせず。さんゐのちゆうじやうとまうすはほんざんゐのちゆうじやうの御事なり」と人なぐさめけれども、なほまこととも思給わで、をきもあがり給わず。若君は、「父の御事にてはあらぬと申ぞ。御湯づけなれ。我もくはむ」とをとなしくのたまへば、それにつけてもあはれにて、「こんどはづれたりとも、つひにいかがききなさむずらむと思へば、なぐさむここちもせぬぞ」と宣へば、若君心のうちにも、げにもとやおぼされけむ、又はらはらとなき給へば、おんまへなるにようばうども、涙をぞ流しける。
卅一 十三日、たいふのはんぐわんなかよりいげのけんびゐし、ろくでうがはらにいであひて、へい
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じのくびを武士の手よりうけとりて、ひがしのとうゐんのおほちを北へ渡して、左のごくもんの木にかく。ゑちぜんのさんゐみちもり、さきのさつまのかみただのり、さきのたぢまのかみつねまさ、さきのむさしのかみともあきら、さきのびつちゆうのかみもろもり、たいふなりもり、たいふあつもり、この人々二人はいまだむくわんにておわしければ、大夫とぞ申ける。ただし敦盛の首はなかりけり。ゑつちゆうのせんじもりとしが首もわたされけり。ほうけつにあなうらをふみし昔は、おぢおそるるともがら多かりき。えくに首をわたさるる今は、かなしみあはれまぬ者すくなし。あいげうたちまちにへんず。是を見む人、まことに深き心を得べき者かな。首共おのおのおほちを渡してごくもんのきにかけらるべきよし、のりより、よしつねともに申ければ、法皇おぼしめしわづらはせ給て、くらんどうゑもんのごんのすけさだながをおんつかひとして、だいじやうだいじん、うだいじん、ないだいじん、ほりかはのだいなごんらにめしとはる。ごにんのくぎやうおのおのまうしたまひけるは、「せんてうのおんとき、このともがら
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しやくりの臣としてひさしくてうかにつかへき。なかんづくけいしやうの首おほちを渡してごくもんにかけらるること、いまだそのれいなし。そのうへは範頼義経らがまうしじやう、あながちにきよようあるべからず」とまうされければ、渡さるまじきにて有けるを、「ちちよしともが首おほちを渡して獄門にかけられにけり。ちちがはぢをきよめむがため、君のおほせを重くするによつて、命ををしまずかつせんつかまつるに、まうしうくるところおんゆるされなくは、じこんいご何のいさみに有てかてうてきをついたうすべき」と、義経ことにささへまうしければ、わたされてかけられにけり。見る人涙を流さぬはなかりけり。
卅二 ごんのすけさんゐのちゆうじやうの北方は、「こんどいちのたににて平家残りすくなくうたれたまひぬ」ときき給ひければ、「いかにもこの人はのがれじ物を」とおもひたまひける余りに、さいとうごむねさだ、さいとうろくむねみつとておとといありけるさぶらひをめして、「おのれらはむくわんのものと
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て、はれのともをばせざりしかば、いたく人にはしられじとおぼゆるぞ。くびどもの渡さるなる中に、この人の首もあるかと見て参れ」。「うけたまはりさうらひぬ」とて、さまをやつしゆきて見れば、わがしゆうの首はなけれども、ありさま目もあてられず。つつめども涙もれいでければ、人のあやしげに見るもをそろしくて、ほどなくかへりまゐりて申けるは、「こまつどののきんだちにはびつちゆうのかみどのばかりぞわたらせたまひさうらひつる。そのほかはたれたれ」と申ければ、きたのかたききたまひて、「さればとてすこしも人の上とはおぼえぬぞや」とてなきたまひければ、さいとうご申けるは、「ざつしきとおぼしき男の四五人ものみさうらひつるかげにてみさうらひつれば、それらが申候つるは、『小松殿のきんだちは今度はみくさのやまをかためておわしけるが、いちのたにおちにければ、しんざんゐのちゆうじやうどの、さちゆうじやうどのふたところは、船に乗てさぬきのぢへつきたまひにけり。このびつちゆうのかみどのは、いかにして兄弟の御中を
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離れて、うたれたまひにけるやらむ』と申候つれば、『さてごんのすけさんゐのちゆうじやうどのはいかに』とたづねさうらひつれば、『そのとのはいくさいぜんにごしよらうとておんふねにてあはぢのぢへつきたまひにけりとこそ承れ』とまうしさうらひつる」と申ければ、北方のたまひけるは、「あなごころづよの人の心や。所労あらば、『かうこそあれ』と、などかつげざるべき。いくさにあわぬほどの所労なれば、だいじにこそ有らめ。おもふなげきのつもりにや、やまひのつきにけるこそ。都をいでてより、わがみのわびしきと云事をば一度もいわず。『ただをさなきものどもこそこころぐるしけれ。つひにはひとところにこそすませうずれ』とのみなぐさめしかば、さこそたのみたるに、さては身のわづらひけるにこそ。みなひとも具すればこそ具したるらめ。野の末、山の末までも、ひとところにあらば、たがひにこころぐるしさをもなぐさむべきに、かやうにのみなく悲しさよ」とて泣給へば、「何のおんやまひぞとこそきかましか」と、若君のたまひける
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ぞいとをしき。「いかがして人をもつかはして、たしかにきかまし」とおぼしけれども、「うちとけ、たれにのたまひあはすべし」ともおぼえたまはねば、かきくらすここちして、又涙もかきあへず泣給へり。ちゆうじやうもかよふ御心なりければ、「都にいかにおぼつかなくおもふらむ。首共の中にもなければ、みづのそこにいりにけるとこそおもふらめ。風のたよりはあれども、しのびてすむ所を人に見せむもさすがなれば、うとからぬ者にてこそひとくだりのふみをもやらめ」とおぼして、へだてなく思われけるさぶらひを一人、ひそかにいでたたせてぞのぼせ給ける。「けふまではつゆのいのちもきえやらず。をさなき人々なにごとかあるらむ」などこまごまと書給て、をくに、
いづくともしらぬなぎさのもしをぐさかきをくあとをかたみとはみよ K198
と書給へり。しんぢゆうにはおもひたちたまふ事もあれば、こればかりにてぞ有らむずらむと
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おぼしけるに、涙にくれてえつづけあへ給わねども、「世になき者となりなばかたみともせよかし」とて、若君姫君のおんもとへもおんふみたてまつり給ふ。「こぞよりみねば恋しさもいふはかりなし。いかにをとなしく見忘るるほどになりぬらむ。いそぎむかへとりてあそばせむずるぞ。心細くなおもひそ」など、たのもしげにこまごまとかきたまふにつけても、「つひにいかにききなして、いかなる事を思われむずらむ」とおぼすぞ悲しき。平家物語第五本 十二巻之内
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ときにえんきやう二年つちのとのとりうづき十日、ねごろでらのうちぜんぢやうゐんのぢゆうばうにおいてこれをしよしやす。きやうげんきぎよのあやまりたりといへども、くわんしゆいんかんくわのだうりとせむ。あなかしこあなかしこぐわいけんのものあるべからざるのみ。
(花押)