延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 十二(第六末)
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たうくわんのうちうたじふはつしゆこれあり。
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一  だいぢしんおびたたしきこと
二  てんだいさんしつぽうのたふばのこと
三  けんれいもんゐんよしだのおはしますこと
   とうだいじくやうのこと
四  げんじろくにんにけんじやうおこなはるること
六  へいけのいけどりどもながさるること
七  へいだいなごんときただのこと
七  けんれいもんゐんをはらへうつりたまふこと
   あはのみんぶならびにちゆうなごんちゆうくわいのこと
八  はうぐわんとにゐどのとふくわいのこと
九  とさばうしやうしゆんはうぐわんのもとへよすること
十  みかはのかみのりよりうたれたまふこと
十一 はらだのたいふたかなほうたるること
十二 くらうはうぐわんみやこをおつること
十三 よしつねついたうすべきよしゐんぜんをくださるること
十四 しよこくにしゆごぢとうをおかるること
十五 よしだのだいなごんつねふさのきやうのこと
十六 へいけのしそんおほくうしなはるること
十七 ろくだいごぜんめしとらるること
十八 ろくだいごぜんくわんとうへくだりたまふこと
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十九 ろくだいごぜんゆるされたまふこと
廿  ろくだいごぜんだいかくじへをはすること
廿一 さいとうごはせでらへたづねゆくこと
廿二 じふらうくらんどゆきいへからめらるることつけたりひとびとげくわんせらるること
廿三 ろくだいごぜんかうやくまのへまうでたまふこと
廿四 けんれいもんゐんのこと
廿五 ほふわうをはらへごかうなること
廿六 けんれいもんゐんほつしやうじにてをはりたまふこと
廿七 よりともうだいしやうになりたまふこと
廿八 さつまのへいろくいへながうたるること
廿九 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎうたるること
三十 かづさのあくしつびやうゑかげきよひじにのこと
卅一 いがのたいふともただうたるること
卅二 こまつのじじゆうただふさうたれたまふこと
卅三 とさのかみむねざねしにたまふこと
卅四 あはのかみむねちかだうしんをおこすこと
卅五 ひごのかみさだよしくわんおんのりしようにあづかること
卅六 もんがくるざいせらるることつけたりもんがくしきよのことおきのゐんのこと
卅七 ろくだいごぜんうたれたまふこと
卅八 ほふわうほうぎよのこと
卅九 うだいしやうよりともくわほうめでたきこと
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平家物語第六末
一 ぶんぢぐわんねんしちぐわつにへいじのこりなくほろびてさいこくしづまりぬ。くにはこくしにしたがひ、しやうはりやうけのしんだいなり。じやうげあんどしておもひしほどに、ここのかのひのむまのときばかりにだいぢしんをびたたしくしてややひさし。おそろしなむどもなのめならず。せきけんのうち、しらかはのへん、ろくしようじ、くぢゆうのたふよりはじめて、あるいはかたぶきたふれあるいはやぶれくづる。ざいざいしよしよのじんじやぶつかく、くわうきよじんか、いちうもまつたきはなし。なるこゑはいかづちのごとし、あがるちりはけぶりにおなじ。てんくらくしてひのひかりもみえず。ちひびきてがんこくにつまづきいれり。らうせうともにたましひをけし、てうじうもことごとくこころをまどはす。「こはいかにしつることぞ」とおめきさけぶ。うちころさるるものもあり、おしそんぜらるるものもあり。きんごくをんごくもまたかくのごとし。やまくづれて
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かはをうづみ、うみただよひていそをひたす。こうずいみなぎりきたらば、をかにのぼりてもたすかりなん。みやうくわもえちかづかば、かはをへだててもさりぬべし。ただかなしかりけるはだいぢしんなりけり。とりにあらざればそらをもかけらず、りようにあらざれば、くもにもいらず。こころうしともおろかなり。しゆしやうはほうれんにたてまつりて、いけのみぎはにわたらせたまふ。ほふわうはそのほどいまぐまのにおんこもりありけるが、をりしもおんはなまひらせさせたまひけるに、やどもおほくふりたふし、ひとあまたうちころされて、しよくゑさへいできにければ、ろくでうどのへくわんぎよなりにけり。てんもんはかせどもはせまゐりさわぎまうす。せんもんかろからず。こよひはなんていにあくをたてて、しゆしやうわたらせたまふ。しよぐうしゐんのごしよどもみなたふれにけるうへ、なほひまなくふるひければ、あるいはおんくるまにめし、あるいはおんこしにたてまつりてぞわたらせたまひける。しゆじゆのごひやうぢやう、さまざまのおんいのりはじまる。「こよひの
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ねうしのときにはだいぢうちかへすべしとみうらあり」なんどいひて、じやうげいへのなかにゐたるはひとりもなし。やりどしやうじをたててただそとにのみぞありける。てんのひびき、ちのどうずるたびには、ただいまぞしぬとて、てをとりくみてたかねんぶつをとなへければ、ところどころのこゑごゑおびたたし。ももとせにひととせたらざるつくもがみどもも、「いまだかかることおぼえず」とぞまうしける。「よのめつするなんどいふことは、きやうろんしやうげうのせつさうをあんずるに、さすがけふあすとはおもはざりつるものを」とて、おとなどももなきければ、をさなきものどももこれをききて、おめきさけぶこゑごゑおびたたし。もんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつ、さきのしゆしやくのゐんのおんとき、てんぎやうぐわんねんしぐわつにかかるぢしんありけり。てんぎやうにはしゆしやうごてんをさりて、じやうねいでんのまへにごぢやうのあくをたててわたらせたまひけり。しぐわつじふごにちよりはちぐわつにいたるまで、ひまなくふるひ
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ければ、じやうげいへのなかにあんどせざりけりとぞうけたまはる。されどもそれはみぬことなれば、いかがありけん。こんどのことはこれよりのちもたぐひあるべしともおぼえず。へいけのをんりやうにてよのなかのうしべきよし、まうしあへり。じふぜんていわうはみやこをせめおとされて、おんみをかいちゆうにしづめ、だいじんくぎやうはおほちをわたされて、くびをごくもんにかけられぬ。いこくにはそのれいもやあるらむ、ほんてうにはいまだきかざることなり。これほどならぬことだにも、をんりやうはむかしもいまもおそろしきことなれば、よもいまだしづまらず。いかがあらむずらむとぞおそれあひける。
二 そもそもこんどのだいぢしんのあひだにてんだいさんにふしぎのことあり。そうぢゐんのしつぽうのたふばにぶつしやりをあんぢしたてまつりけるを、ゑんゆうのゐんのぎようぢやうげんにねんにいかづちおちて、このおんしやりをとりたてまつりて、くもをわけてあがりけるを、しゆげんのきこえ
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よにありければ、じやうあんりつしとまうししひと、これをごらんじて、「かのおんしやりをとりとどめたてまつれ」とて、じふにじんじやうのしゆをみてらる。うしのときのばんのかみ、せうとらだいしやうはしりいでて、らいでんじんをとりてふせて、ぶつしやりをうばひかへしたてまつりぬ。いかづちなほはらをたてて、たふばにたてられたるめなうのとびらをとりてのぼりけるを、しゆといちどうに、「おなじくはあのとびらをもとりとどめたまへ」とまうしければ、まつだいのよとなりて、このりようかならずきたりて、かのとびらにこのしやりをとりかへたてまつらむずるなり。それわがよのことにあらずとて、つひにとびらをばとどめたまはず。そののちにひやくよさいをへだてて、こんどのだいぢしんのあひだにこのりようおちて、すぎにしぢやうげんのころ、とりてのぼりにしめなうのとびらのもつてきたりて、しつぽうのたふばにたてて、しやりをばとりてのぼりぬ。しゆとおほきになげきていはく、「むかしのじやうあんりつしののたまひおけることすこしもたがはず。まつだいをかがみて
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しめしたまひけることこそたつとけれ。われらがよには、じやうあんのごとくとりとどめたてまつるべきひともなし。まつだいこそこころうけれ。すなはちしりぬ、ほふめつのごいたりにけりといふことを」。しゆとせんぎして、「このおんしやりをとりたてまつることは、あふみのみづうみのりゆうじんどものしわざにてぞあるらむ。もとのごとくかへしをさめたてまつらずは、りゆうじんてうぶくのほふをはじむべし」とせんぎしけるよのゆめに、みづうみのりゆうじんどもおほくあつまりてまうす。「このおんしやりをとりたてまつることは、まつたくわれらがわざにあらず。いせのうみにはべるりようの、しゆくしふあるによつてこれをとりたてまつれり。われらがあやまらざることをうれひまうす」と、しゆとのゆめにぞみえたりける。かのしゆくしふとまうすは、でんげうだいし、くわんむてんわうのぎよう、えんりやくにじふさんねんにとたうして、てんだいさんのかうまんだいしにあひたてまつりて、ひみつをつたへぶつしやりをさうじようして、わがてうへかへりたまひしに、かん
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かほんてうにさかひにて、りゆうじんきたりてこのおんしやりをとどめたてまつらむとす。しかりといへども、しゆくしふいまだうすきにより、そのうへでんげうのぎやうりきにおそれたてまつりて、つひにとどめたてまつることかなはず。わがてうへわたされてえいさんにあんぢしたてまつる。そののちいましひやくよさいのしゆんしうをおくれり。つひにかのしゆくしふのためにとられぬ。くちをしかりしことどもなり。
三 けんれいもんゐんはよしだにわたらせたまひけるが、ここのかのひのぢしんについぢもくづれ、あれたるやどもかたぶきて、ひとすませたまふべきおんありさまにもみへず。ちうちかへすべしなむどきこしめしければ、をしませたまふべきおんみにはなけれども、ただよのつねにてきえいりなばやとぞおぼしめされける。をりしりがほにいつしかむしのこゑごゑうらむるもあはれなり。  はちぐわつひとひのひとうだいじかいげんのこと、せんじをくださる。そのじやうにいはく。
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とうだいじぜうまうして、やうやくろくかねんをふ。るしやなだいぶつざう、ことにかうしやうにおほせ、ふるきをまもりてぼんうをようちうす。はつぱくのこう、いまだほんじにはじめずといへども、まんげつのさう、すでにならむとほつす。よつてきたるはちぐわつにじふはちにち、まづかいげんしたてまつるべし。よろしくけいきしちだうしよこくをして、にじふごにちよりくぐわつみつかにいたるまで、せつしやうをきんだんし、ゑにちにいたるまで、こくぶんにじにおいて、おのおのさいゑをひらくべし。そのくやうのれう、れいによつてこれをあつ。ださいふくわんおんじにおいてこれをしゆす。かねてくわいしふせしめて、だうぞくともにるしやなぶつのみなをしようさんすべし。そのおもむきひとつぢやうぐわんさんねんさんぐわつにじふいちにちのふにくはふ。着。げんりやくにねんはちぐわつひとひ さちゆうべんおなじくにじふしちにち、ほふわうなんとへごかうあり。くぎやうにはくわさんのゐんのだいなごんかねまさ、つつみちゆうなごんともかた、なかやまのちゆうなごんよりざね、きぬがさのちゆうなごんさだよし、よし
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だのちゆうなごんつねふさ、みんぶきやうしげのり、とうざいしやうちかのぶ、へいざいしやうちかむね、おほくらのきやうやすつね、てんじやうびとにはまさかたのあつそんいげ、みなじやうえをきてぐぶせられけり。いよのかみよしつね、おなじくじやうえをきて、おんうしろにこうず。ずいひやうろくじつきをあひぐす。おなじくにじふはちにち、だいぶつかいげんあり。ゐのこくにほふわうりんかうありけり。さだいじんつねむね、ごんのだいなごんむねいへのきやういげ、さんにふせられけり。かいげんのしそうじやうぢやうへん、しゆぐわんそうじやうしんゑん、だうしだいそうづかくけんなり。おなじきつごもり、べんけうごんのせうそうづにおほせられけり。かいげんのしぢやうへんそうじやうのしやうじやうとぞきこえし。いみじかりけることどもなり。
四 さるほどにはちぐわつじふよつかのぢもくに、げんじろくにんいちどにじゆりやうになさる。くんこうのしやうなり。しだのさぶらうせんじやうよしのりはいづのかみににんず。おほうちのくわんじやこれよしは
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さがみのかみににんず。かづさのたらうよしかぬはかづさのすけににんず。かがみのじらうとほみつはしなののかみににんず。ひやうのじようよしかたはゑちごのかみににんず。いよのかみよしつねはたいふのじようをかぬることぞきこえし。かまくらのげんにゐのたまひけるは、「よしつねはいよのくにいつかこくをたまはりて、ゐんのみむまやのべつたうになりて、きやうとのしゆごしてさうらふべし」とて、かまくらよりさぶらひじふにんをつけらる。よしつねおもひけるは、「いつてうのだいじとおもひつるおやのかたきをうちつれば、それにすぎたるよろこびなし。ただしどどのかつせんにいのちをすててすでにたいこうをなす。よのみだれをしづめぬれば、せきよりひがしはいふにおよばず、きやうよりにしをば、さりともあづからむずらむとこそおもひつるに、わづかにいよのくにともつくわんのところにじつかしよとあたりつきたるこそほいなけれ。さりとも京都にも鎌倉にもおぼしめしはからふむねもあらむずらむ」とおもひてすごしける程に、十人つきたるさぶらひどもも内々
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心をあはせてければ、とかく云つつ鎌倉へにげくだりにけり。むさしばうべんけい、かたをかのはちらうためはる、えだのげんざう、くまゐのたらう、ひたちばうくわいけんなむどぞ、いまだはうぐわんにはつきたてまつりたりける。はうぐわんこれらにのたまひけるは、「さりとも鎌倉にもあひはからはるるむねあらむずらむ。かつうはさいこくにおんをせむずるぞ。あなかしこ我に離るな」とのたまひける程に、鎌倉よりはうぐわんうたるべしといふきこえあり。
(五) 九月廿三日、へいけよたうのいけどりども、おのおのはいしよへつかはさる。へいだいなごんときただのきやうをばおつたてのくわんにんのぶもりうけたまはりて、のとのくにへつかわす。けふ都をいでたまひて、あふみのくにしがからさきをうちすぎて、かただといふうらにて、「ここはいづくぞ」とあみうどに問給へば、「これはかただと申所にて候」と云ければ、かくぞおもひつづけ給ける。
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返りこむ事はかただにひくあみの目にもたまらぬ涙なりけりしそくさぬきのちゆうじやうときざねをばきんともうけたまはりてすはうのくにへつかわす。くらのかみのぶもとをばあきさだうけたまはり奉てびんごのくにへつかはす。ひやうぶのせうまさあきらをば、あきさだ同く奉ていづものくにへつかはす。くまののべつたうぎやうみやうほふげんをばもとかげ奉てあきのくにへつかはす。ほふしようじのしゆぎやうのうゑんほふげんをばつねひろおなじく奉てびつちゆうのくにへ遣す。ちゆうなごんのそうづいんこうをばひさよ奉てあはのくにへ遣す。ちゆうなごんのりつしちゆうくわいをばむさしのくにへ遣すとぞきこへし。
六 ときただのきやう都をいださるとて、にようゐんへまうされたりけるは、「今はありがひなき身にて候へども、おなじくはひとつみやこの内にて、ごしよの御事をもまうしうけたまはらむとこそおもひさうらひつれども、せめて重くのがるべきかたなくして、けふすでに都をまかりいでさうらひぬ。
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いとどいかなるおんありさまにてか渡らせ給わむずらむとおもひやりまひらせ候こそ、ゆくそらもおぼえさうらふまじけれ」と、こまかにまうされたりければ、「さてはをんごくへおもむきたまふごさむなれ。今はこのひとばかりこそ昔のなごりにてありつるに」とおぼしめせば、いとどかきくらすおんここちしてぞおぼしめされける。かのときただのきやうとまうすはではのせんしゆとものぶが孫、ひやうぶのごんのたいふときのぶがこなり。こけんしゆんもんゐんのおんせうとにておわせしかば、たかくらのしやうくわうにはごくわいせきなり。昔やうきひがさいはひし時、やうこくちゆうがさかえしが如し。はつでうのにゐどのもせうとにておわせしかば、入道にはこじうとなり。よのおぼえ、時のきらめでたかりき。さればけんぐわんけんじよく心の如し、おもひの如し。ほどなくへあがりて、じやうにゐのだいなごんに至り給へり。まうしあはせられければ、ときのひとへいくわんばくとぞ申ける。けんびゐしのべつたうにも
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三度までなられたりき。いまだせんれいなきことなり。いましばらくも平家の世なりせば、だいじんうたがひあるまじ。ちやうむの時もさまざまのことどもちやうぎやうして、がくだう廿人が右手切られなむどしけり。昔あくべつたうつねしげと云ける人こそ、がうだうのくび切たりけれ。このときただのきやう、事にふれてこころたけき人にておわしけり。さいこくにおわせし時、院より、「ていわう都へ入れ奉れ。さんじゆのしんぎかへしいれたてまつれ」とおほせつかはす。ゐんぜんもちてくだりたりけるおつぼのめしつぎはなかたがつらに、「なみかた」と云くわいんをさして、「汝をするには非ず」とぞのたまひける。さればたれをまうされけるぞ。院をまうされけるか。こにようゐんのおんゆかりなれば、なだめらるべかりしかども、かやうのことどもおぼしめしわすれさせ給はねば、法皇のごきしよく心よからずして、ながされたまひけるもこのゆゑとぞきこへし。くらうはう
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ぐわんにしたしく成給にしかば、そのよしみもおろかならず。るざいをもまうしなだめむとせられけれども、法皇もごきしよくもあしく、鎌倉のゆるされもなかりけり。このひとかつせんのさきをこそかけねども、ちうさくをゐちやうのうちにめぐらすことは、この大納言のしわざなりければ、ことわりとぞおぼゆる。としたけよはひかたぶきて、さいしにも別れ、見送る人もなくして、はるかなるのとのくにまでげかうせられけむ心のうちこそかなしけれ。押はかられていとほし。ひごろはさいかいのなみのうへにただよひて、今は又ほつこくの雪の下にとぢられけむこそむざんなれ。北方そつのすけどのはなにごとも深くおもひいれたる人にて、いつもすまじき別れかはと思なぐさめ給つつ、心づよくぞもてなし給ける。そのはらにをはりのじじゆうときむねとて、十四になりたまふじやくくわんおわしけり。なのめならずいとほしみ
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給けるに、是をみおきて、いつ返るべしともしらぬをんごくへ趣く事の心うさ、なげきかなしみたまへどもかひなし。ときむねも今はかぎりのわかれををしみて涙にむせびたまひけり。
七 そのころにようゐんは都もなほしづかなるまじきよしきこしめして、いかなるべしともおぼしめしわかず、つきせぬおんものおもひに秋のあはれをうちそへて、夜もやうやくながくなりければ、いとど御ねざめがちにて、よろづおぼしめしのこすおんこともなく、「ここは都近くてふるまひにくし。あはれ、いづちもがな」と、あくがれおぼしめしけるに、つきまゐらせたりけるあまにようばうのたよりにて、「是よりきたやまの奥にをはらせれうのさと、じやくくわうゐんとて、しかるべきところをこそたづねいだして候へ。それへおんわたりあつて、おこなわせおわしませ」と申ければ、「わがしよぐわんじやうじゆしぬるにや」と、よろこばせおわしまして、いそぎ
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いでたたせましましけり。おんこしどもはれんぜいのだいなごんたかふさのきやうのきたのかたぞさたしまゐらせられける。是はにようゐんの御妹にてましましければなり。おほかたも常にはこまやかにとぶらひまうされければ、いとうしとおぼしめし、この人々のはぐくみにて、うき世にあるべしとこそおぼしめしよらざりしかとて、にようゐん御涙を流させ給けり。おんこしさしよせたりけれども、とみにもうつらせおわしまさず。これもさすがに夏のはじめより秋の末つかたまで、すませおわしましたる所なれば、おんなごりをしくて、御袖もしぼるばかりに見へさせ給ければ、庭になみゐたりけるつかひがものどもも、さすがいはきならねば、おのおの袖をぞぬらしける。さればとてとどまらせ給べきにあらねば、おんこしにめしつつ、なくなくいらせ給けり。いとひとかよひたりとも、ただすがはらぢにかからせ給て、きれづつみ、さがりまつ
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うちすぎ、はるばるとわけいらせ給けり。日もすでにくれかかるのでらの鐘のいりあひのこゑすごく、いつしか御心すごくきこしめす。やうやくをはらの里にちかづかせおわしまして、御覧ずれば、くさのだにの東西の山の麓、北の奥に、みだうほのかに見えたり。かたはらにあやしげなる坊もあり。としへにけりとおぼえて、いたくあれたり。こけむしたる石の色、いとさびたる所也。谷川より落たる水の音、わがききなしにや、御心すごくぞおぼしめす。りよくらの垣、もみぢの山、絵に書くとも筆もおよびがたし。木に刻むたくみもあらじかし。折しも空かき曇りうちしぐれ、木々のこのはも乱れつつ、つまよぶしかのおとづれて、虫の声々よはりにけり。さてもそのよはみだうにまゐらせ給て、「なむさいはうごくらくけうしゆあみだによらい、わがきみせんていのしやうりやうならびにひぼいうぎ、かねてはしんるいのれいとう、いちぶつじやう
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どへいんだうし給へ」とまうさせおはしまして、ふしをがませ給けるが、やがて仏のおんまへにせつじゆし給たりけり。あまにようばうたちかかへまゐらせて、「ひごろのおんなげきのつもりにこそ」とてあはれなり。ややひさしくありておんここちなほらせ給たりけるに、「いかなる御事にや」と申ければ、にようゐんこたへさせましましけるは、「ひごろもせんていの御事忘るるひまなけれども、ただいまことさらにおんおもかげの、ひしと身にそはせ給たるやうにおぼえつるによ」とぞおほせられける。其夜あけての日よりはごあんじつにすませましましけり。おんおくりのものどももあはれにみおきまゐらせて、涙にむせび返りけり。さすがに世をばのがれさせ給たりけれども、御命はすてがたきならひにて、はかなき露のおんみを草のいほりにやどして、あけぬくれぬとすごさせ給ければ、御耳に常にふれけるは、しづのおがをののをと、おんめにさえぎる物とては、嵐にみだれて散るこのは、こずゑまばらに
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成ままに、さびしさのみぞまさりける。のきば漏りくる月影は、じねんのともしびにもちいられ、松をはらふ風の音、琴のねにあやまたる。さんかじやくまくとして、おとづれきたる人もなかりければ、よろづおぼしめしつづけては、御涙せきあへさせ給はざりけるに、ちりしくこのはのそよぎけるをきこしめすも、「いにしへなれしみやこびとのとひきたるにや。たれならむ」と御覧じければ、ふるさとびとにはあらずして、つまこふしかぞとほりける。山深きおんすまひいまさらにおぼしめししられて、かくぞながめさせ給ける。
里とをみたがとひくらむならの葉のそよぐは鹿の渡るなりけり K227
法皇はにようゐんのいまだ都にわたらせ給ける時も、おんこころぐるしきことにおぼしめされけれども、「鎌倉の源にゐのききおもはん事もあしくさうらひなむ」と、人申されけるあひだ、さてのみぞすごさせ給ける。京都にも関東にもいけどりども、切るべきはきら
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れ、ながさるべきはながさる。あはのみんぶだいふしげよしをば鎌倉へめしくだされ、「きらるべきか、なだめらるべきか」とひやうぢやうせられけるに、「せんぞさうでんのしゆうをかへりちうして、ほろぼしたるふたうじんをばいかでかなだむべき」とくちぐちに申ければ、既にきるべきにさだまりたりけるあひだ、しげよしさまざまのあつこうをしければ、さらばにくしとて、かごにいれて中にひさげて、下に火をたきてあぶりころす。むざんなんどはいふはかりなし。かどわきのちゆうなごんのおんこに、ちゆうなごんのりつしちゆうくわいと申けるをば、鎌倉へめしくだしてむさしにあづけおかれたりけるを、是をば僧なればなだめらるべきよしおもひたまひけるが、よくよくおもふに、「そうじて平家の一門には、かどわきのちゆうなごんのこどもにすぎておそろしき者はなし。ゑちぜんのさんゐよりはじめて、のとのかみといひ、たいふなりもりといひ、いづれもいづれもおろかなるはなし。されば僧なりとも思ひゆるすべからず」とて、「とくとく切べし」とおほせられたりけるに、すでにあすきるべきやはんばかりに、「おんたけはつしやくばかりおはしましけるだいにちの、白きおんつゑのおんたけとひとしきが、末はふたまたなるをもつて、
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げんにゐのくびをちやうとつかへて、かたかたの御足にては胸をふまへさせたまひて、『いかに汝はちゆうくわいがくびをばきらむとはするぞ。忠快がくびをきるはすなはちわがくびをきるにこそ。忠快がくびを切程ならば、ただいま汝をばつきころさむずるぞ』とおほせありて、ちやうとつかへてわたらせ給ければ、手をあはせて、『たすけさせたまひさうらへ。忠快をばゆるし候はん』とまうされければ、さしはづしてのかせ給」と御覧じて、うちおどろきたまひたりければ、身より汗かかせ給。くるしき事かぎりなし。むちゆうにさまざまのたいじやうの有けるが、よそまでおびたたしくきこへければ、北方をはじめたてまつりて、おんまへのにようばうたち、「いかにいかに」とさわぎあへり。しばしおんきつきて、「あなあさまし。こはいかがせむずる。忠快をばあす切べきにてあれば、よあけはてばきらむずらん。夜のうちにもやきらむずらん。いかがはしてきらぬ先にはせつくべき。たうばんじゆにたれかさうらふ。我を我と思はむ者は、いそぎむさしへはせて、ちゆうなごんのりつしをたすくべし。ちゆうくわいをばとしまがもとにあづけおきたるぞ。さきにはせつきてちゆうくわいあひぐして
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まゐりたらん者にはゆゆしきけんじやうあるべしとおほせ」ければ、たうばんじゆ我も我もとむちを打て、武蔵のとしまへはせたりけり。げにもあづかりの者、忠快をばよあけなばきりたてまつらむとて、あかつきに成ければ、いでたたせ奉り、物まゐらせなんどして、夜明けければ、おんこしさしよせて乗せたてまつらむとしける処に、おんつかひ三人はせつきて、「ちゆうなごんのりつしごばうあひぐしまゐらせて鎌倉へまゐらるべし」とぞ申ける。これにつけても忠快は、「いとどいかなる目にあはむずるやらん」と、かなしくぞおぼしける。先にはせつきたりける者は三人有けるが、ひやくちやうづつのごおんをぞかうぶりける。あひぐしたてまつりて鎌倉へまゐりたりければ、ぢぶつだうへ入れ奉て、源二位いかけし給て、いそぎたいめん有て、「そもそもごばうは何のほふをかがくせさせ給て候。ほんぞんをば何をあがめまひらせられ候やらん」とおほせられければ、「かひがひしく何のしゆうをがくしたる事も候わず。必ず何のほんぞんをあがめまひらする事も候わず」とまうされければ、「へんばなおほせられさうらひそ。いかさまにもごばうは
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ぶつぽふにつうじ給へる人にてわたらせ給とおぼへ候。只ありのままにおほせさうらへ」とおほせられければ、「みつしゆうをこそ心のおよぶところはがくして候へ。それに取てはだいにちをほんぞんとあがめ奉るざうらふ」とおほせられければ、「ささうらへばこそすこしもぎしんさうらわず」とて、むさうのさまこまごまと語り給て、「ごばうにすぎたまひたる仏わたらせ給候はず。ごばうに過たるいのりのしわたらせたまふまじ。頼朝にもごいしゆおぼしめすべからず。こんじやうごしやうたのみまひらせ候はん。これにすませ給はんとも、京へのぼらせ給はんとも、御心にまかせまひらせ候」とおほせられければ、「そのぎにてさうらはば、もとすみなれたる処にて候へば、京へ上らむとこそ思候へ」とおほせられければ、「とくとくのぼらせ給へ」とて、くつきやうのしよりやうしちはつかしよ奉て、京へ送りたてまつられけり。小河のほふげんとて平家のかたみにてぞおはしける。
八 十月十三日、くらうはうぐわんよしつね、くわんとうのにゐどのをそむくべきよしきこえければ、
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かしこここにささやきあへり。おなじくきやうだいといひながら、ことに親子のちぎり浅からず。平家、てうかをかろんじて、ていわうのおんかたきとなりしいきほひ、たとひじふろくのだいこくのいくさをもよほしてせむともかたぶけがたく、ごひやくのちゆうごくのつはものをあつめてやぶるとも、あやふくは見へざりしを、こぞの正月にかのだいくわんとして都へうちのぼりて、まづきそよしなかを追討せしより、どどへいじを責めおとすとて、必死のけんをのがれて、ことしの春のこりすくなくほろぼして、しかいをすましいつてんをしづめて、くんこうひるいなきところに、いかなるしさいかあらむ、いつしかしかるきこへあらむと人思へり。この事はいんじ春、わたなべ、かんざきりやうしよにてふなぞろへの時、ふねどもにさかろをたてむ、たてじと、かぢはらとはうぐわんとこうろんせし時、梶原が判官にいはれたりし事を、梶原やすからぬことに思て、事のついでごとには、「はうぐわんどのはおそろしきひとなり。君のおんかたきに
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いちぢやうなりたまふべし。うちとけさせたまふべからず」と申ければ、頼朝も「さ思へり」とのたまひて、つねにはひまもあらば、判官をうたるべきはかりことをぞ心にかけ給ける。はうぐわんも「しじゆうよかるまじ」と思給ければ、頼朝をついたうすべきよしのせんじをくださるべきむね、おほくらのきやうやすつねをもつて、ごしらかはのゐんに判官まうされたりければ、十六日、うだいべんみつまさのあつそんゐんぜんをうけたまはりて、じゆにゐみなもとのあつそんよりとものきやうをついたうすべきよしのゐんぜんを下さる。しやうけいはさだいじんつねむねとぞきこへし。京都のかためにて、まうすところもだしがたき上、義経こころざまなさけあり、ひとのためみやこのためよかりければ、かみいちにんよりはじめたてまつり、しもばんにんにいたるまで、くみしたりけり。さればにや、事とどこをらずほうがんのぜうを下さる。かかりければ、おちて関東へ行く者もあり、又とどまりて判官につくものもありけり。このあひだいかなる事かあらむずらむとて、きやうぢゆうのきせん
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じやうげ、なにとなくあわてまどへり。九 にゐどのかぢはらをめして、「くらうをかねあらひざはにとどめおきて、鎌倉へいれずして、京の守護に候へとておひのぼせしをば、ゐこんとぞ思らむ。されば、ひまもあらば、頼朝をうたばやと心にかけたるらむ。だいみやうをものぼせ、しかるべきものをものぼする物ならば、九郎さるものにて、ようじんをもし、にげかくるる事もこそあれ。たれをかのぼすべき」。「しやうしゆんを上すべし」とて、とさばうをめして、「わそうのぼりて九郎をようちにせよ」とて、げんりやく二年九月廿九日、土佐房鎌倉を立てしやうらくして、さめうじちやうにしゆくしよを取てしゆくす。次の日もはうぐわんのもとへまゐらざりければ、十月十一日つかひをたてて土佐房を召すに、「やがてまゐるべし」とて、そうじてみへず。又このたびはむさしばうをつかひにてつかはす。只今事にあふべきていにいでたちてまかりけり。かちんの
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ひたたれにくろいとをどしのおほはらまきに、すつちやうづきんして、一尺三寸のたちさしほこらかして、三尺ばかりなるおほなぎなたもたせてまかりけり。ふるやまぼふしにてあらごはものなりければ、べちのしさいもなく、やがてゐたりける所はおしいる。をりふし、しやうしゆんいへのこらうどうどもあまた前に置てさかもりしけり。さうなくおこなひたりけれども、所もなくらうどうどもありければ、「いづくにかゐるべき。郎等共のざにはゐるべからず」と思て、「しやうしゆんはかまくらどののさぶらひ也。我ははうぐわんどのの侍也。」昌俊がかみにゐかかりて申けるは、「いいか、わそうはめされずともまゐるべきに、めしのあるをそむきて参らぬは、ぞんずるむねのあればこそまゐらざるらめ。そのさうききにきたれり」と、にらみつめて申ければ、酒盛もうちさまして、いへのこらうどうもあをざめたり。しやうしゆんもさる者なりけれども、まさるかうのものにあひぬれば、をめをめとなりて、「『只今参
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らむとしつるなり。すなはちやがてまゐるべし。なにごとのぞんずるむねか候べき』と申給へ」と云ければ、べんけいは、「わそうをぐして参べし。かへらず」。しやうしゆんおもひけるは、「はかる事きこへにけり。ゆきむかひたらんに命いけられむ事有まじ。ここにて弁慶と勝負をせばや」と思けるが、「まてまてしばし。おなじくいのちをうしなふならば、はうぐわんどのにあひてこそ命をもすてめ。ふてがたひにしあひてはえきあらじ」とおもひなりて、「さらばやがて参るべし」とて、弁慶とうちつれて判官のもとへゆきぬ。はうぐわん、昌俊をみ給て宣けるは、「いかに、二位殿よりはおんふみはなきか」。「さしたる事も候はねば御文は候はず。おんことばにて申せと候しは、『当時まで都にべちのしさいさうらはぬ事は、さておはしますゆゑとぞんじさうらふ。なほもよくよく守護せられ候べしと申せ』とこそおほせごとさうらひしか」。判官、「よもさあらじ。わそうはよしつねうちにのぼりたるおんつかひなり。『しかるべき大名をも
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さしのぼせば、義経ようじんをもし、にげかくれもぞせむずる。ひそかにわそうのぼりてようちにせよ』とてぞ、のぼせられたるらむな。につぽんごくをうちしづむる事はきそと義経とがはかりことなり。それにかげときめがざんそにつきたまひて、鎌倉へもいれられず、対面をだにもし給はで、おひかへされし事はいかに」。昌俊おほきに驚て、「なにゆゑにかさるおんことさうらふべき。いささかしゆくぐわんさうらひてしちだいじまうでの為にまかりのぼりて候。ゆめゆめそのぎさうらはず。ぜんあくごめんをかうぶりて、きしやうもんをつかまつるに、まゐらせさうらふべし」と申ければ、「必ずかけとは思はねども、かかむともかかじともわそうが心ごさむなれ」と判官のたまへば、昌俊いつたんの害をのがれむがため、ゐながらくまのごわうたづねよせて、きしやうもん七枚書て、一枚をばたうざに焼てのみて、今六枚をばやしろやしろにこれををす。土佐房きしやうは書てのみたれども、こよひ打たではかなわじと思て、やがてそのよおほばんじゆに
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つれて、ようちのしたくをぞしける。はうぐわんはそのころいそのぜんじが娘、しづかと云しらびやうしをおもはれけり。判官しづかに宣けるは、「いかなる事のあらむずるやらむ。こころさわぎのするぞとよ。しやうしゆんめがようちによすとおぼゆるぞ」。しづか、「おほちにちりはひにけたてられてむしやにてさぶらふなり。是よりおほせつけられざらむには、おほばんのものどもこれほどさわぎあふべしともおぼえず。いちぢやう昼のきしやうぼふしめがしわざにてぞさぶらふらむ」なむどぞ云ける。平家だいじやうにふだうのかぶろとなづけて、かみを肩のまわりにそぎて、十四五六七ばかりなるわらはべを二三百人めしつかひたまひけるを、判官わらは二人取てつかひたまひけり。かのわらはをつかひにて、「とさばうがしゆくしよ見て参れ」とて遣わさる。待てども待てどもみえざりければ、はうぐわんつかわれけるちゆうげんをんなをめして、「としごろのまをとこをたづぬるやうにて、土佐房がしゆくしよ見て参れ」とてつかはす。この女やがてたちかへりて、「土佐房の宿所のこもんの前に、ひと
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ふたりきりころされてさぶらふは、いちぢやうこれのおんつかひとおぼえさぶらふ。そのうへ土佐房は、あかつき、だいぶつへまゐりさぶらふべしとて、おほにはにまくひきてさぶらふ。その内にくらおきむまども四五十疋ひきたてて、よろひもののぐしたるものどもたづなにぎり、鞍にてうちかけて、只今既に乗らむとしさぶらふ」と申もはてねば、うしろより時をつくりて、はうぐわんの宿所、ろくでうほりかはへおしよせたり。判官是を聞給て、「さればこそ、土佐房めが寄するは。何事のあらむぞ」とて、すこしもさわがず。しづか、「物をばあなづらぬ事にてさぶらふぞ」とて、よろひを取てはうぐわんになげかけたり。そのころ判官はきうぢをし、みだしたりけれども、鎧取て打きて、たちひつさげていでられたり。いつの程にか置たりけむ、とねりをとこ馬に鞍置てえんのきはにひきたてたり。はうぐわんこの馬にひたと乗て、「門あけよや」と云てうちいだしたり。「につぽんごくに義経をようちにもし、ひるうちにもすべき者はおぼえ
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ぬ物を」と云て、只一人かけいでらるれば、かたきの中をさつとあけて通す。判官とりてかへして、たてさま横さま、さんざんにかけたりければ、このはの風にちるが如くにしはうへかけ散らされて、あるいはくらまの奥、きぶねの奥、そうじやうがたになむどへぞにげこもりける。くまゐのたらうはうちかぶとを射させてそのよ死にけり。げんぱつひやうゑひろつなは膝のふしを射させたりけれども、いまだしなざりけり。土佐房はりゆうげごえにきたやまをさしておちけるが、ふたてみてにておひかかりければ、先を切られてのびやらず。をはらへかへりてやくわうざかをこえて、鞍馬の奥、そうじやうがたににぞこもりにける。はうぐわんもとより鞍馬にてそだたれたりければ、鞍馬のだいしゆ昔のよしみをおもひしりて、土佐房をからめて判官にたてまつる。判官の前にひきたてたり。かちんのひたたれ、こばかまをぞ着たりける。はうぐわん、「いかにわそうは義経うつまじと云きしやうを書て、
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焼てのみたる者が、舌もひきいれず義経をうたむとする時に、しんばつたちどころにかうぶりたりな」とのたまへば、「今はかう」と思ければ、「ことばもたばわずあることに書て候へばこそ、うてて候らめ」と、さんざんにあつこうしけり。判官腹をたてて、「土佐房めがしやつらうて」とて、うたせらる。土佐房、「いかにもうたせ給へ。少もいたまず候。そのゆゑはしやうしゆんがうたるるにては候わず。これひとへにかまくらどののうたれさせたまふにて候へば、このかはりには殿のおんくびを鎌倉殿のうちかへしまひらせさせ給わむずれば、ただおなじことざうらふ」と申ければ、判官うちわらひて、「汝がこころざしの程こそゆゆしけれ。さこそは有べけれ。命やをしき。二位殿へ参れかし」と宣ければ、昌俊申けるは、「とりかへなき命を鎌倉殿にまゐらせて鎌倉をたちしより、いきてかへるべしとも存じ候わず。よべ君を打奉らむとて参てさうらひつれども、うんつきぬるによつて、
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えうちまゐらせずして、かくからめめされさうらひぬ。いまさらに命をまうしかふべきに候わず。ごはうおんにはとくくびをめせ」とぞ申ける。人是を感じけり。「さらば切れ」とて、ろくでうがはらへひきいだして切らむとするに、きらむと云者一人もなかりけり。きやうのもののうちになかづかさのじようともくにと云者ありけるが、まうしうけてきりてけり。はうぐわんには二位殿より、あだちのしんざぶらうきよつねと云ざつしきを一人つけられたりけり。「げらふなれどもよきものぞ。もしの事あらばはたさしにたのめ」とてつけられたり。誠には「判官ひがことをもし、むほんをもおこしげならば、つげよ」とて、けんみにつけられたりけるが、土佐房がうたるるを見て、そのあかつき鎌倉へはせくだりて、二位殿にこのよしまうしければ、「九郎は頼朝がかたきにはよくなりををせたりな。このこと今はいかにつつむともかなふまじ」とて、うつてをぞのぼせられける。
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十 鎌倉殿のおとと、みかはのかみのりよりをたいしやうぐんにて、六万余騎にてのぼせらる。三川守こぐそくばかりにて、くまわうまると云わらはにかぶともたせて、二位殿に対面し給。二位殿のたまひけるは、「わどのもくらうがやうににのまひしたまふな」と宣ければ、三川守こぐそくぬぎおきて、「いかでかそのぎ候べき。きしやうつかまつるべし」とて、とうりうし給て、一日二十枚づつ千枚のきしやうを百日のあひだに書て、二位殿にたてまつりたまひたりけれども、もちゐたまはず。つひに三川守もうたれたまひにけり。大将軍にてのぼり給べき三川守はうたれたまひぬ。そののちほうでうのしらうときまさ三万余騎にて都へ上る。
十一 十一月ひとひのひ、ひごのくにのぢゆうにんはらだのたいふたかなほ、このさんがねんのあひだ平家につきていくさのこうありしかども、もしいのちばかりやいけらるると参りたりしかども、つひにけふ切られにけり。
十二 おなじきふつかのひ、判官ゐんのごしよに参て、おほくらのきやうやすつねのあつそんをもつて申けるは、「義経ひやうゑの
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すけがだいくわんとして、君のおんかたき、平家をついたうつかまつりさうらひぬ。ちちよしともがくわいけいの恥をきよめ、しかいをすまし、につぽんごくを手ににぎりて候は、きたいのほうこうに候わずや。しかるに義経さしたるとがも候はねども、らうどうどもがざんにつきて、義経をうたむが為に、ほうでうのしらうときまさとまうしさうらふけにん、三万余騎にてまかりのぼるよしきこえさうらふ。しかればとうごくへまかりむかひさうらひて、ひごろのくんこうをも、又あやまちなきことの子細をも頼朝にまうすべくさうらへども、させるてうてきにも候はねば、まかりくだりさうらわず。京都にさうらひてときまさをまちつけさうらひて、いかにもなるべくさうらへども、きみのおんためひとのため、そのわづらひあるべく候へば、さいこくへまかりくだりさうらわばやとぞんじさうらふ。ちやうのみくだしぶみたまはりさうらひなむや。ぶんごのくにのぢゆうにんこれずみ、これよしらにしじゆうみはなたず心をひとつにして、力をあはすべきよし、おほせくださるべく候。かつうはどどのくんこういかでかおぼしめしすてられ候べき。最後のしよまうこの事に候」と申ければ、法皇おぼしめしわづらはせ給て、おほくらのきやうやすつねのあつそんをもつて
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こんゑのてんがへおほせあはせらる。てんがよりくらんどうゑもんのすけさだながをおんつかひにて、大政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、ほりかはのだいなごんらにおほせあはす。おのおのいちどうにまうされけるは、「義経らくちゆうにてかつせんせば、てうかのおんだいじたるべし。げきしん京都をまかりいづるはをだしき事にてこそ候はめ。そのうへ義経が心ざま、よのためひとのため、よろづなさけふかくさうらひつ。只たび下され候へ」とまうされければ、義経がまうしうけがごとくになしくださる。をかた、うすき、へつぎ、まつらたういげ、ちんぜいのともがら、義経をもつてたいしやうとすべきよし、ちやうのみくだしぶみなしくだされにけり。義経かしこまりてたまはりて、みつかのひ、事のよしをまうしいれて、きやうぢゆうにすこしもわづらひをいたさず、うのときばかりにらくちゆうをいでにけり。びぜんのかみゆきいへ、これずみ、これよしがいちぞくあひともなふ。かれこれおよそのせい、わづかに五百余騎ぞ有ける。関東にこころざしあるざいきやうの武士、きんごくのげんじらおひかけて射けれども、事ともせず。さんざんにかけ
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ちらして、かはじりまではつきにけり。だいもつのうらにて船に乗て、きかい、かうらい、しんら、はくさいまでもおちゆきなむと思けれども、平家のをんりやうやこはかりけむ、折しも西風はげしくて、だいもつのはま、すみよしのはまなむどにうちあげられて、船をいだすにおよばざりければ、つのくにげんじ、てしまのくわんじやをはじめとして、おほた、いしかはのわかものども、うんかにておひかけて、たうごくこみぞと云所にてたたかひければ、ともなひたるこれよしゆきいへをはじめとして、うすきへつぎこころがはりしてひきわかれにければ、よりきのともがら皆ちりぢりに成にけり。京より具したりけるにようばうどももみなすておきたりければ、いさごの上、松のしたに袖をかたしき、袴ふみしだきてなきふしたりけるを、そのあたりのものどもあはれみて、都へぞ送りける。そのなかにいかがしたりけむ、いそのぜんじが娘に、しづかと云しらびやうしばかりぞ、はうぐわんにつきてみえざりける。義経はわづかに三十
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余騎のせいにてよしののやまにこもりにけり。かのやまおほゆきの中なれば、おぼろけには人かよふべくもなし。京よりあひぐしたりし女房共も、皆だいもつの浜にてすておきつ。いそのぜんじが娘にしづかといひしばかりぞぐしたりける。かの大雪の中へ行べきやうなかりければ、判官しづかに宣けるは、「いづくへもぐし奉りたけれども、かかる雪の中なれば、女房の身にてはかなふまじ。わがみもとほるべしともおぼへねば、自害をせむずるなり。これよりとくとく都へ行べし」とのたまひければ、しづかなくなく申けるは、「いかになりたまはむ所までも、わがいのちのあらむかぎりはぐし給へ。すてられ奉てたへしのぶべしともおぼへず」とて泣ければ、「たれもさこそは思へども、かかる大雪なり。ちからおよばず。命あらばたづねたまへ。我もたづねむ」とて、きんぎんのたぐひとらせて、らうどうにぐせさせておくりにけり。郎等このたからをとらむとて、うちすてて
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うせにければ、よしののざわうだうへたどり参たりけるを、よしのぼふしあはれみて京へ送けり。さて判官をば吉野法師押寄て打むとしけるを、さとうしらうびやうゑただのぶとまうすもの戦ひて、判官をば、
十三 十二月六日、みのあふみりやうごくのげんじら、よしつねゆきいへをついばつの為にさいこくへくだる。せんやうなんかいさいかいさんだうのくにぐにのともがら、彼のりやうにんをめしとりてたてまつるべきよし、ゐんぜんをくださる。そのじやうにいはく。さきのびぜんのかみみなもとのゆきいへ、さきのいよのかみおなじくよしつねら、やしんをさしはさみ、つひにさいかいにおもむきて、つのくににおいてともづなをとくあひだ、たちまちにげきふうのなんにあふ。まことにこれいつてんのこはきなり。へうもつのきこえ、そのせつありといへども、値令之実、なほうたがひなきにあらず。はやくじゆにゐみなもとのあつそんにおほせて、ふじつにざいしよをたづねさぐり、そのみを
さげからめしめよてへり。
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文治元年十二月六日 うちゆうべん十月十六日には義経がまうしうけによつて、頼朝をついばつすべきよしのゐんぜんをくださる。今月むゆかは頼朝がまうすによつて、義経をついばつすべきよしのゐんぜんをくだされけんせけんのふぢやうこそあはれなれ。あしたになしてゆふべにかはるとはかくのごときの事をいふべきにや。
十四 おなじきなぬかのひ、くわんとうのげんにゐのだいくわん、、ほうでうのしらうときまさしやうらくして、しよこくにしゆごをおき、しやうゑんにぢとうをなすべきよしまうす。そのうへしやうりやうこくりやうをいはず、たんべつにひやうらうまいをあておこなふ。「ていわうのをんできをうちつる者ははんごくをたまはる」と云事は、むりやうぎきやうに見へたり。このきやうのじふくどくほんに、「ひによけんにん、ゐわうぢよをん、をんきめつい、わうだいくわんぎ、しやうしはんごく」といふもんあり。このもんのごとくならば、まうすところそのいはれなきにあらざれども、わがくににはいまだそのれいなし。是はくわぶんのまうしじやうなり。
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ごきよようありがたしとはおぼしめせども、源二位のまうさるるところ、さりがたくおぼしめされければ、おんゆるされありけるにや、諸国にしゆごぢとうしきををかれけり。
十五 よしだのだいなごんつねふさのきやうと申す人おはしき。そのころはかでのこうぢのとうぢゆうなごんとぞ申ける。うるはしき人と聞給て、げんにゐそうもんせられけるは、じこんいごはとうぢゆうなごんをもつて、てんがのだいせうじをまうしいるべきよしまうされたりけるとかや。平家の時もだいじをばこの人にまうしあはせられき。法皇をとばどのにおしこめまゐらせてのち、ゐんのべつたうをおかるるときは、はつでうのちゆうなごんながかたのきやうとこのつねふさのきやうと二人をぞべつたうにはなされたりける。今げんじのよになりても、かくたのまれたまひにけるこそありがたけれ。さんたいいげ、さんぎ、ぜんぐわん、たうしよく四十三人の中にえらばれたまひけるこそゆゆしけれ。平家にむすぼおれたりし人々も、源氏のつよりしのちは、あるいはおんふみをつかはし、あるいはおん
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つかひを下して、さまざまにこそむつびたまひしかども、このきやうはさやうにへつらひ給へる事おわせられざりけるとぞきこへし。是のみならず、ごしらかはのゐん、けんきう二年の冬のころより、ごふよのおんことありときこへし程に、おなじき三年正月の末、二月になりしかば、今はたのみすくなき御事におぼしめして、さまざまのことどもおほせおかれし中に、おんのちのぶぎやうすべきよしは、かのだいなごんうけたまはられき。しつしにてくわさんのゐんのだいふおわしき。きんしんにてさだいべんのさいしやうさだながさうらわる。「この人々のまうしさたせられむに、なじかはおろかなるべき。おぼしめしいりておほせおかるることのかたじけなさ」とて、涙を流し給けるとぞきこへし。時に取てはゆゆしきめんぼくにてぞおわしける。十二歳と申ける時、ちちごんのうちゆうべんみつふさのあつそんにおくれ給て、みなしごにてあはれむ人もなくておわしけれども、わかきよりけんしやのきこへおわしければ、しだいのしようじんとどこほらず、さんしのけんえうをけんたいし、
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せきらうのくわんじゆをへて、さんぎ、さだいべん、ちゆうなごん、ださいのそつ、つひにじやうにゐのだいなごんにいたりたまへり。人をこゆれども人にはこえられ給わず。まぢかきよまで君も重くおぼしめし、人も恐れはばかりたてまつりき。人の善悪はきりを袋にいれたるが如しといへり。まことにかくれなきものをや。
十六 「さても平家の一族と云者をば一人ももらさずみなうしなふべし。平家は一門広かりしかば、さだめてしさい多かるらむ。よくよくたづねあなぐりて、はらのうちをももとむべし。ぶさたにて末の世のわがこどものかたきとなすな」と、源二位ほうでうにかへすがへすおほせふくめられてければ、けにんらうじゆうらにおほせて、手をわけて是をたづねける上、「平家のきんだちたづねいだしたらむ人には、こくしやうにても、もしはそしようにてもしよまうにても、けんじやうにをきてはこふによるべし」と、ふだに書てつじつじにたてたりければ、きやうぢゆうのものども、もとより案内はしりたりけり、
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けんじやうかうぶらむとて、我も我もとたづねもとめけるぞうたてき。かかりければ多くたづねいだして七十人に及べり。平家の子孫ならぬ者をもあまためしとりけるとかや。すこしもをとなしきをば首をきり、さしころす。むげにをさなきをばおしころし、水に沈め、穴を堀てうづみなむどぞしける。めのとのなげき、母のかなしみいかばかりなりけむ。おしはかられてむざんなり。北条もしそん多く持たりけれども、世にしたがへばちからおよばず。
十七 そのなかにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりのきやうのしそくに、ろくだいごぜんと云わかぎみあむなり。平家のちやくちやくにておわする上、年もをとなしかむなる者を、いかでか是をたづねいださむと、北条おもひゐたりける程に、人のしよじゆうのうたてさは、しゆうの世にあるほどはしたがへども、しゆうまよひものになりぬればかへりてかたきになるらんふぜいして、これもりの北方のしのびておわしける所につかへける女、しのびて北条がしゆくしよろくはらにゆきむかひて申けるは、「へん
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ぜうじの奥、をぐらやまの麓、しやうぶさはの北、だいかくじと云やまでらのそうばうにこそ、ごんのすけさんゐのちゆうじやうどののわかぎみひめぎみは、この二三年しのびてすみたまへ」と云ければ、北条ひごろききたかりつるに、うれしとおもひて、この女をばとらへていましめおきて、心得たるらうどうを一人女のていになして、かのところをうかがひみせければ、だいかくじの北のはてにおくぶかなるそうばうあり。にようばうどもをさなき人々あまた、ゆゆしくしのびたるていにてすみたるけしきなり。まがきのひまより見ければ、えのこのそとへはしりいでたるを取らむとて、十一、二ばかりなるわかぎみのなのめならずうつくしきが、ねりぬきのこそできてはしりいでたりければ、内よりをとなしき女房いでて、「あなあさまし。かかる草深きおんすまひもたれゆへとかおぼしめす。今四五日またせ給へと申せば、聞かせ給はで、人もこそ見れ。入らせ給へ」とて、いそぎよびいれにけり。「まことに
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是ぞそなるらむ」と思て、いそぎ帰て、「かく」と云ければ、つぎのひ北条三百余騎にてかの所へゆきむかひて、しはうを打かこみて、つまどのまへこしをさしよせて、人をいれて、「これにごんのすけさんゐのちゆうじやうどののわかぎみわたらせたまふよしをうけたまはりて、かまくらどののおんだいくわんほうでうのしらうときまさと申者、おんむかへにまゐりたり。いそぎ渡したてまつらせ給へ」といわせければ、ははうへをはじめたてまつりてつやつやうつつともおぼえたまはず。かちゆうのじやうげ声をあげてをめき叫ぶ。さるほどにさいとうごきやうだい二人色をうしなひて申けるは、「われらすでにななへやへにおしまきて、まぎれいでさせ給べきひまさうらわず」とて涙を流すめり。女房どもはあまりのあさましさに物をだにも云はず、目をみあはせてなきあひたり。母上は若君をいだきたてまつり給て、「ただわれをさきにうしなへかし」ともだへこがれ給ふ。おんめのとの女房も前にたふれふして、共にをめき叫ぶ。ひごろは
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物をだにも高くいわで、しのびてゐたまひたりけれども、ありとありける者は声をととのへてなきかなしむもことわりなり。北条又申けるは、「らうどうどもをもまゐらすべくさうらひつれども、ゐなかのものどもはぶこつのこともぞさうらふとて、ときまさが参て候也。ゆめゆめべちのおんことさうらふまじ。世もいまだしづかならずさうらへば、しどけなきおんこともや候わむずらむとぞんじさうらひて、渡しまゐらせさうらふばかりなり。おんこしよせて候。とくとく奉り候へ」と申ければ、さいとうご、「是はひごろおもひまうけつるおんことなり。おどろきおぼしめさるべきにあらず。今までさなかりつるこそ不思議にてさうらへ。とくとく渡しまゐらせさせ給へ。かなわぬものゆゑ、あわてさわぎたまふもみぐるしくさうらふ」と申けれども、ははうへかかへ奉てはなちおはしまさねば、わかぎみのたまひけるは、「父のおんゆゑに命を失わむ事、なげかせたまひそ」と、母上をなぐさめ給へば、是を聞給て、母上もめのともいとど声も
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をしまずなかれけり。たけきつはものどもも子孫は多く持たれば、あはれと思わぬはなかりけり。北条もいはきならねば、こころぐるしくや思けむ、涙を流してしをたれたり。なさけなくおしいりてとるにもおよばず、つくづくとまちゐける程に、日も既にくれかかりければ、「さてものがるべき道にも非ず。武士どものいつとなくまちゐたるもこころなし」とて、若君のおんぐし高くゆい、おんかほかひつくろひ、ひたたれたてまつらせなむどしていだし奉りければ、さらにうつつともおぼえず、夢かとぞ人々思われける。母上は引かづきてふしぬ。きえいりたまふにやと見へしに、若君既にいでたまへば、只今は限りぞかしとおぼしめさるる御心の内、いかにすべしともおぼえたまわず。せめての事に、てばこより黒きねんじゆのちひさきをとりいだして、「いかにもならむまでは是にてねんぶつまうして、ごくらくへまゐれよ」とて、若君にたてまつり
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給へば、母には、「ただいまはなれまひらせなむず。いづくにも父のおわしまさむ所へぞ参りたき」と宣けるにぞ、いとどあはれにおぼしける。ことしは十二にこそなり給へども、十四五ばかりにみへて、なのめならずうつくしくて、こさんゐのちゆうじやうにすこしもたがひたまはねば、「あなかなしや。あれをうしなひてむずる事のかなしさよ」とおぼすに、目もくれ心もきえて、夢のここちぞせられける。既にこしに乗り給ければ、妹のやしやごぜんなごりををしみ給ひて、「あにごぜんはいづちへぞや。ははごぜんともつれ給わでただひとりはいかに。我も行む。母ものりたまへ」とて、はしりいでたまひけるを、女房なくなくとりとどめてけり。若君既にいで給へば、母上、めのと、天に仰ぎ地にふして、もだへこがるる事なのめならず。さいとうきやうだいは涙にくれてゆくさきもみへねども、なくなくこしのさうにつきてぞ走りける。らうどうども乗たりける馬を
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おろして、「是に乗れ」と北条申けれども、「しゆうの世におわしましていわればこそうれしからめ」と思て、たびたび云けれども、つひにのらざりけり。若君は妹の姫君のしたひて泣給つる事、母上北方なむどのもだへこがれつるこころぐるしさなむどおぼしつづけて、御袖もしぼるばかり也。これほどのをさなきひとひとりとりに来たるつはもののおほきもけしからず。ひごろ平家のしそんどもたづねあつめては、あるいは首を切りさしころし、あるいは水に沈めつちにうづむなむど、母上ききおきたまひければ、「あはれ、わがこをばいかにしてかはうしなわむずらむ。是はをとなしければくびをぞきらむずらむ。いたしとや思わむずらむ。おそろしとやおもはむずらむ。いかなりけるちぎり、いかなりけるつみのむくひにて、かかるうきめをみるらむ。くわんおんこそさりともたすけたまわむずらむと、深くたのみたてまつり
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つるに、つひに取られたる事の悲しさよ。世にはめのとなむどのもとに預けてをき、時々見る人のこどももあるぞかし。それだにも恩愛の道は悲しきに、是はうみをとしてのちは今に至るまで、いちにちへんし身をはなちたる事もなし。あさゆふ二人の中にををしたてて、あけてもくれてもみるにあきだらず。もつまじき物を持たるやうにおぼえて、いとほしかなしとおもふはおろかなり。このみとせは、今や今やと、よるひるきもこころをけして、あかしくらしつれども、只今にはかにいできたる不思議なむどのやうにさへおぼゆるぞや、こよひにもやうしなひてむずらむ」と、しんぢゆうにはなのめならず思ながら、のがれがたき事と思て、「我をなぐさめむとて、いたくなげかぬさまにもてなして、いづるおもかげ、しやうじやうせせにもわするべしともおぼえず。つひには世にあるまじき者なれども、せめては
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今一度いかがしてみるべき」と、こゑもをしまず泣もだへたまふも、げにことわりとおぼへて、よそのたもともしほれけり。日のくるるままには、いとどかきくらすここちして、しのびがたくおぼさる。日くるれば若君姫君さうにふせておもひなぐさみつるに、〔一〕人(ひとり)はあれども一人(ひとり)はなし。ふすまもとこもすずろに広くおぼされて、長きよなよなつゆまどろみ給わねば、夢にだにも見給はず。されどもかぎりあるよもやうやくあけにけり。さてもいかがなりぬらむと、しづこころなくおぼつかなくおぼしける程に、さいとうろく、六波羅よりかへりまゐれり。ここちをまどわし、いそぎ「いかに」ととひたまへり。「只今まではべちのおんこと候わず。おんふみさうらふ」とて、ふところよりとりいだしたり。見給へば、「よのほどもいかにこころぐるしくおぼしめすらむ。今まではなにごとも候わぬぞ。いつしかたれたれも恋しく
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こそ候へ」と、おとなしく書給へり。母上このふみをおんかほにおしあてて、引かづきてふしたまひぬ。まことにいかばかりかはおぼしめすらむ。さいとうろく申けるは、「『いかにあれにおぼつかなくおぼしめすらむ。それのみぞこころぐるしき』とおほせられさうらひて、よべも物もまひらず。よもすがらおほとのごもりも入らず。けさも物まひりたりつれども、御手をもかけさせ給わず。おんことばには、『わびであると申せ』とおほせさうらひつる」と申ければ、「さやうによもすがらねも入らず、よべもけさも物もくわぬ程に思たるに、心安く思わせむとて、かくいひをこしたる事のをとなしさよ。あはれ、たかきもいやしきもをのこごばかり心づよき者こそなかりけれ」とて、せめての事には文をふところにひきいれて又たふれふしたまひぬ。「程ふれば時の程もおぼつかなくおもひまゐらせさうらふに、いそぎ
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かへりまゐりてむ」と申ければ、母上おき上り給て、きのふより流るる
涙におんめもくれて、筆のたてどもそこはかとなけれども、只思ふ心ばかりをこまごまと書給て、さいとうろくにたび給へば、やがてはしりかへりにけり。若君はへんじこまかに見給て、涙にぞむせびたまひける。おんめのとの女房はせめてのおもひの余りに、夜をまちあかして、ろくはらの方へたづねありきける程に、道によそぢばかりなる尼の、近くさまかへたりとおぼへて、いまだかねなむどもおとさざりけるが、ふかくものおもひたるけしきにて涙をながしてあひたりけるに、「ものおもふひとは世にも又有ける物を」と思て、「血の中よりおほしたてまつりたりつる若君を、きのふ武士にとられて、かなしきあまりにまどひありくなり。それには何事をなげきたまふぞ」と問ければ、「われもここのつになり給つるやうくんを、このしごにち北条とかや
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申、源氏のらうどうにとられて、足にまかせてまどひありくなり。身につみていとほしくこそ思ひ奉れ。誠や、このおくにたかをと云やまでらにこそ、もんがくばうとかや申てひじりのおわするが、『じやうらふのきんだちのかほよからむたづねてでしにせむ』とのたまふなれ。鎌倉にもゆゆしきだいじの人にし給なるぞ。もしやと、それへたづねおわして申てみむ」とて、かのあまを具してたかをの山にたづねいりて、ひじりのばうのへんにたたずみければ、ひじりみあひて、「あれはいかなる人々ぞ。によにんをいれざるところへ」と云ければ、二人のものども近くあゆみよりて、「血の中よりおほしたてて、ことしは十二になりたまひつる若君を、きのふ武士にとられてさぶらふぞや。いかにもしてこひうけさせ給て、おんでしにせさせ給へや」といひもあへず、ひじりの前にふしまろびて、手をすり声をあげてをめき叫ぶ有様、まことにあさからぬなげきとおぼえたり。ひじりさる
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人にてむざんにおぼえければ、事のしだいをくはしくたづねけり。女房をきなほりてなくなくまうしけるは、「平家のこまつのさんゐのちゆうじやうどのの北方の、したしくおわします人のおんこをとりて、をさなきよりやしなひ奉りつるを、さんゐのちゆうじやうどののまことのおんことや、しさいしらぬ人の申たりけむ、きのふぶしどもきたりて取て、ろくはらへとてまかりにき。いかがなりたまわむずらむ」といひもあへず、さめざめと泣く。ひじり、「をさなき人をとりけむ武士をばたれとかいひし」と問ければ、「ほうでうのしらうとこそまうしさぶらひつれ」といひければ、「さては北条ならば安き事ごさむなれ。やがてゆきむかひてたづねみむ」とて、ひらあしだはきながらいでにけり。このことをたのむべきにはあらねども、おもひやる方なかりつるに、ひじりのことばにいささかなぐさむここちして、それよりいそぎだいかくじへ帰り、母上に「かく」と申ければ、「あかつきよりみえざりつれば、身ばしなげに
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いでにけるやらむとさへおぼえて、わがみともたへてながらうべしとも思はねば、水の底にもいりなばやとおもひたちてあるが、なほも心のあるやらむ、この姫君の事をおもふに、今までやすらひつるぞ」とて、又声をたてて泣給ふ。「ひじりのまうしつるやうしかしかさぶらふ」なむどこまかにかたりければ、ははうへ手をすりて、「あはれ仏のおんたすけにてこひうけて、せめては今一度みせよかし」とて、つきせぬ御涙せきあへず。さある程に、もんがく北条がもとへはしりつきて、事の次第をたづねければ、北条申けるは、「にゐどののおほせられさうらひしは、『平家のしそんおほくきやうぢゆうにかくれてありときこゆ。なんしにおきてはよくよくたづねもとめてことごとくうしなふべし。中にもごんのすけさんゐのちゆうじやうのなんし、なかのみかどのだいなごんの娘の腹にありときこゆ。へいけちやくちやくのしやうとうなり。かならずもとめいだしてうしなふべし』とさうらひしを、すゑずゑのをさなき人々はあまたたづねいだしたりつれども、この
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若君はいかにもざいしよをしらざりつれば、たづねかねて、ちからおよばずまかりくだらむとしつる程に、思わぬほかをととひききいだして、むかへとりたてまつりたるが、なのめならずかほかたちもうつくしく、心ざまわりなくいとほしくて、いまだともかくもせでおきたてまつりたり」と申ければ、もんがく、「さてはそのきみはいづくにぞ。いで見奉らむ」と云。北条、「すはみたてまつりたまへ」とて、そばのしやうじをひきあけたりければ、若君はふたへおりもののひたたれきたまひて、黒きちひさきねんじゆをいそぎふところへひきいれたまひけるぞいとほしき。「世の末にいかなるかたきになるとも、いかが是をばうしなふべき」とぞ思ける。かぶしもとゆいぎわよりはじめて、そでのかかりはかまのすそまで、たをやかにうつくしくて、このよの人ともみえ給わず、こよひうちとけね給はざりけりとおぼしくて、少しおもやせて立給へるにつけても、いとこころぐるしく
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いたわしくぞみへ給ける。ひじりを打見て、なにとかおぼしけむ、顔打赤めて涙ぐみたまふもいとほし。おそろしげなるきひじりなれども、涙を流しけり。さいとうきやうだいもおんまへにゐて、若君の顔を打見て、さめざめとなきゐたり。北条もいはきをつらねぬ身なれば、共に涙を流しけり。ややしばらく有て、もんがく北条に申けるは、「この若君を見奉るが、さきの世にいかなるちぎりの有けるやらむ、あまりにいとほしくおぼゆれば、あかつき鎌倉へくだりてまうしうけばやと存ずる也。いまはつかいとまをゆるしてまちたまへ。ひじりがかまくらどのにちゆうをつくし、こうをいれたてまつりたりし事は、皆みききたまひし事なれば、いまさらにまうすにおよばざることなれども、こしもつけどののかうべをくびにかけてたてまつりしより、千五百里の道をとほしともおもはず。かてらうれうのしたくにも及ばず。あしがらはこねをまたにはさみて
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なぬかやうかにをりのぼり、ひじりがるにんの身として、つのくにきやうしま、ろうのごしよに参て、うひやうゑのかみみつよしのあつそんをもつてまうしいれて、ゐんのごきしよくをうかがひて、ゐんぜんをまうしたまはりて、あるときはふじがはおほゐがはにてうゑにのぞみて命をうしなはむとする事もあり。あるときはうつのやまたかしのやまにてさんぞくにあひてたましひをけす事もたびたびなり。ちぎりをふかくして命を浅くす。かやうにせし時は、『われよにあらば、いかなる事なりとも、いちごの程はひじりがいふことをばたがふまじ』とこそのたまひしか。鎌倉殿じゆりやうしんたくしたまはず、昔のちぎりを忘れ給わずは、などかこのちご一人をばあづけたまはざるべき。はつかが程を待給へ。夜を昼になして、やがてくだりてまうしうくべし」とて、ひじりいでにければ、ふたりのさぶらひども是をさらにうつつともおぼへず。「あまりに思事なれば、仏のきたりてのたまふやらむ」とさへおもひて、三度ふしをがみて、
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よろこびの涙をぞ流しける。このたびはさいとうごいそぎだいかくじへ行て、ひじりの申つるやうをありのままに申ければ、母上をはじめたてまつりて、よろこぶことなのめならず。ひじりとをりさまに若君のめのとの女房にたづねあひて申けるは、「ぜんぜに聖が命をいけられ奉りたりけるやらむ、若君をみたてまつるがあまりにいとほしくおぼゆれば、あかつき鎌倉へくだりてまうしうけたてまつらむずるぞ。もしおんゆるされあらば、ひじりがばうに置奉り給へ」と申ければ、めのと手をあはせ、よろこぶ事かぎりなし。「命をいけたてまつりたまひなむ上は事もをろかや。只ともかくもひじりのおんぱからひにこそ」とて、うれしきにつけても又涙にぞむせびける。鎌倉のゆるされはしらねども、ひじりのことばもたのもしき上、まづはつかが命はのびぬるにこそと、ははうへもめのとも心ざしおちゐにけり。これただことにあらず、ひとへにはせでらのくわんおんのおんたすけに
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てあれば、しじゆうもたのもしくおぼえて、けふより日をかぞへて、ひじりのかへりのぼるをぞ待たれける。夜のあけ、日のくるるも心もとなく思けり。あけぬくれぬとするほどに、はつかもすぎぬ。ひかずのつもるにつけては、いかにしてける事ぞやと、いまさらにもだへこがる。北条おもひけるは、「聖ははつかとこそいひしに、いかにしてけふまでみへぬやらむ。おんゆるされのなきにこそ。誠にだうりなり。このわかぎみすゑずゑの人にてもなし。へいけちやくちやくのしやういんにて、年も既にじふよさいの人なれば、いかでかゆるさるべき。いかさまにも京にて年をくらすべきにあらず。くだりなむ」とて、既にひしめきければ、二人の者共あさましくこころうくおぼえて、手をささげ心をくだけども、ひじりものぼらず、つかひをだにものぼせねば、おもひやるかたもなく、若君をうちみたてまつりては
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只泣よりほかの事もなし。若君もさすが心細げにおぼしたり。既にあかつきになりにければ、二人ながらだいかくじへ行て、「ひじりも今までおともせず。さればとて京都にて年をくらすべきにあらねばとて、北条既にあかつきたつべきにて候。鎌倉へもくだりつかず、道にてうしなひたてまつらむずるこそ。北条よりはじめていへのこらうどうどもも、若君を見奉て、そぞろに涙を流しさうらふめり。つひにいかにみなしまひらせてむずらむ」とて、二人のものども袖をかほにおしあてておめきさけぶ。是を聞給に、母上もめのとも、いかにすべしともおぼえたまわず。母上、「二人の者共、さておのれらはいかがおもふ」と問給へば、「いかにならむ所までもつきまひらせて、切られさせ給たらば、おんむくろをもとりをさめたてまつりてのちは、やがてかしらをおろし、さんりんにもまじはりて、ごしやうをとぶらひま
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ひらせ候べし」と申ければ、母上手をあはせてよろこびたまふなかにも、「われらこそ若君にはとぶらわれむずる身とおもひしに、つゆのいのちきへやらで、あのためとて仏にまうさむ事こそさかさまなれ」とて、涙にむせびたまふ。げにとおぼえてあはれなり。ひじりのたのもしげに申てくだりにしのちは、少したのもしかりつるに、既にあかつきに成ぬれば、もしやとおぼしつるたのみもよはりはてて、かしらをさしつどへてなくよりほかの事もなし。日もくれ夜もふけぬれば、いとどきえいるここちし給て、しばしまどろみ給たりけるが、程なく驚て、母上、乳母の女房になくなく語り給けるは、「只今ちとねいりたりつる夢に、このちご白き馬に乗てきたりつるが、『あまりにこひしくおぼえつれば、時の程いとまをもこひて、参りたるぞ』とて、かたはらにゐてさめざめとなくとみえつるぞや。ほどなくさめぬる事よ」と、のたまひもあへず泣給ふ。乳母の
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女房も是を聞て、共に涙を流す。是をきき、よそのたもとまでもぬれぬはなかりけり。
十八 十二月十六日、北条若君をぐしたてまつり、まだ夜のうちにろくはらをたちにけり。斎藤五、斎藤六、若君の最後の所までと思つつ、なくなくともにぞくだりける。すみなれし都をばくもゐのよそになしはてて、かたときもたちはなれじとおぼしける、母上めのとをもふりすてて、さりがたき人々にも別れて、見なれぬつはものに具せられて、今はかぎりのあづまぢへおもむき給心の内、さこそはおぼしけめとおしはからる。道すがら駒を早むる人あれば、「わがくびをうたむずるやらむ」と心を尽し、かたはらにささやく者あれば、「只今か」と肝をけす。「あふさかかしのみやがはらか」と思へども、おほつのはまにも成にけり。「あはづかのぢか」とうたがへども、今日の日もはやくれにけり。
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「きのふいちぢやう」とおもひしに、そのひもむなしくくれすぎて、かがみのしゆくにつきぬれば、「あすはすぎじ」と思へども、そのひも又くれにけり。いかにいぶきのみねにおふる、さしもおもひのしげるらむ、あふさかのはかなき旅と思へども、みののくにふはのせきやもうちすぎて、をはりのくににも成ぬれば、いかになるみのしほひがた、涙も浪ももろともに、袖にかかりてぞ通られける。みかはのやつはし打渡り、とほたふみのくにはまなのはしをもすぎぬれば、するがのくにせんぼんのまつばらと云所にもなりにけり。北条ここにおりゐて、きりてにはかののくどうざうちかとしと云者をさだめて、しきがはしきて、若君をすゑたてまつりて、北条二人のものどもをよびはなちて申けるは、「今は鎌倉も既にちかくなりたり。おのおの是よりかへりのぼり給へ。是より奥はなにかおぼつかなく思はるべき」といへば、二人の者共思けるは、「若君をばここにてうしなひたてまつらむずるよ」と、
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胸せき、物もおぼえず。「このさんがねんのあひだ、よるひるつきたてまつりて、いちにちへんしはなれ奉らず。いかにもなりはて給わむを見はて奉らむとてこそ、是までも参りたれ」と申て、涙もせきあへず泣く。北条もいはきならねば、涙ををしのごいて若君に申けるは、「是までもくだりてさうらひつれども、けふまではひじりもみへ候わず、つかひをだにものぼせ候はねば、ちからおよびさうらわず。鎌倉と申は、今ひとひぢふつかぢにすぎずさうらふ。あしがらやまをもこゆべくさうらへども、ひじりはこねごえにてもやと、なほおぼつかなくてこそ、ここにはとうりうして候へ。さのみひかずをへてぐしたてまつり、山をこえ候わむ事、鎌倉殿の聞給わむ事そのおそれさうらへば、あふみのうちにてうしなひまひらせて候よしを申候べし。ひごろあさからずおもひたてまつりさうらふこころざしの程は見へまひらせさうらひぬ。今はぜんぜの御事とおぼしめされさうらひて、
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世をも人をも神をも仏をもうらみたてまつるおんこころなくして、しづかにおんねんぶつさうらふべし。いちごふしよかんのしゆじやうにてましましければ、いかでかのがれさせたまふべき」と申ければ、若君このおんぺんじとおぼしくて、にど打うなづき給ける心の内こそかなしけれ。さて若君西にむかひて、今をかぎりの念仏のおんこゑもみだれてぞきこへける。北条又申けるは、「『平家のきんだちたづねとりたらば、しばらくもおくべからず。いそぎうしなひたてまつれ』と、たびたびおほせをうけたまはりてさうらひしかども、この若君の御事は、ひじりさりがたくまうされさうらひしかば、今まではあひまてども、約束のひかずもすぎてひさしくなりぬ。さればおんゆるされのなきにこそ。ひごろなじみ奉りて、いかにしたてまつりさうらふべしともおぼえず」とて、北条涙を流しけり。いへのこらうどうも皆袖をぞぬらしける。若君、二人の
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者にのたまひけるは、「母のおんもとへおんふみまひらせたけれども、筆のたてどもおぼへねば、ことばにて、『道の程べちのことなく鎌倉におくりおきつ』と申べし」とて、涙をながしたまへば、二人の者共申けるは、「君におくれまひらせて、あんをんに都までのぼりつくべしともおぼへ候わず。道にてこそいかにもなりさうらわむずらめ」とて、前にふしまろびて、おめきさけびければ、若君又のたまひけるは、「かまへてまゐりつけ。みやづかへよくよくすべし。我なければとて、母の御事、すこしもひごろにかはりて、おろかにおもひたてまつるな」なむど、おとなしくのたまひけるぞいとほしき。日もくれにければ、「さりとてはとくとく」とすすめけれども、ちかとしいげのいへのこらうどうも涙のみながして、ことばもはりて、「力及ばず」とのみ申ければ、「さては、さはいかなるべきぞ」と、北条おもひわづらひけり。
十九 さいとうごはあまりの事にて、きも心も身にそわず思けれども、若君を
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まぼらへたり。さいとうろくは、もしひじりやのぼるとて、はるかにみわたしてゐたりける程に、すみぞめのころもばかまきたる僧のあしげなる馬に乗て、ふぶくろくびにかけたるが、むちをあげてはせのぼるを、いかなる者なるらむとみるほどに、たかをのひじりの弟子なりけり。いそぎはせよりて、馬よりとびおりて、「若君ゆりさせ給たり。あしこにあひたりつるものども、物語にするをきけば、『せんぼんのまつばらにこそ、武士の二三百騎がほどおりゐて、よにうつくしかりつる若君を引すへて、くびきらむずるけしきにてありつるや。いかなる人のおんこなるらむ。いとほしや。今はきりもやしつらむ』と云つる時に、『あはれ、このおんことごさむなれ』とおもひて、『武士をばたれとか聞つる』と問へば、『ほうでうどのとかや申つる』とこたへつる時に、もしあやまちもやせさせ
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たまふとて、『いまひとあしもまづはせよ』と、ひじりのおほせられつる時に、さきにはせて候」と云ける程に、ひじりもはせつきにけり。「いでいで二位殿のおんふみ」とて、ふぶくろよりとりいだしたり。北条いそぎ取てみれば、おんじひつなり。「こまつのさんゐのちゆうじやうこれもりの子息、十二歳になるをたづねいだされたむなる、いまだをかれたらば、たかをのひじりにあづけおかるべし。さりがたくまうしうけらるるによつて、ひじりにゆるしまうすところなり」とぞかかれたりける。たかくはよまねども、「しんべうしんべう」とてうちおきければ、「げにゆりたまひにけり。あまりにいとほしくみたてまつりつるに」とて、いへのこらうどうめんめんによろこびあへり。是をみきくふたりのものどもが心のうちいかばかりなりけむ。ひじりかうしやうに申けるは、「このわかぎみはへいけちやくちやくのしやうとうなる上、父のさんゐのちゆうじやうはしよどのうつてのたいしやうなり。さればかたがたなだめられがたきよしさいさんのたまひつれども、『ひじりが
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心をやぶりては、二位殿いかでかみやうがもおわすべき。もしこのことききたまわずは、やがてだいまえんと成てうらみまうさむずる』なむど、からかひ奉りつる程に、けふまで有つれば、こころもとなくこそ思給つらめ」なむど、たからかにうちわらひけるけしき、ばうじやくぶじんにこそみへけれ。北条申けるは、「『はつかが程まつべし』とこそのたまひしに、そのひかずもすぎしかば、おんゆるされのなきよとこころえてくだりつるに、かしこくあやまちつかまつるらむに」とて、鞍置たる馬にひきひきいだして、二人の者共にとらす。ひごろのなさけ、ありがたかりつる事共なむど思つづけて涙ぐみければ、若君も物こそ宣わねども、なごりををしげにおぼしめして泣給へば、北条も涙をぞ流しける。「ひとひも送りまゐらすべけれども、いそぎまうすべきだいじどもあ
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り」とて、北条は下りにけり。若君は是よりひじりにあひぐしてかへりのぼらる。いまかたときだにもをそかりせばうしなひたてまつるべきにて有つるに、よみがへりたまひにけるこそありがたけれ。二人の者共もうつつともおぼえず。ひじりは若君を前にたてて、よるひるいそぎのぼる。日数も積れば、ぶんぢ元年の年のくれにて有ければ、をはりのくにあつたのやしろにてぞ年はこへにける。あくる正月五日はもんがくがさとばう、にでうゐのくまのしゆくしよへぞのぼりつきにける。
二十 もんがく京へのぼりつきたれば、若君やがてだいかくじへおわすべきにて有けれども、旅のつかれをもやすめむとて、夜に入て大覚寺へおわしける。若君み給へば、たてをさめて人もなし。ちかきほどの人にとはばやと思へども、人もしづまりてさよもふけて、とがむる犬のこゑすむほどになりにけり。むかし手なれしかひしえのこ、
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まがきのひまよりはしりいで、尾を振てなつかしげにてむかひたりければ、「我を見わすれぬ物はおのればかりこそ残たりけれ。ははごぜん、めのとの女房、妹の姫君いづくにぞ。わがくだりし時、おもひにたへずして、身なむどをなげたまひにけるやらむ。又平家のゆかりとて、武士の取てんげるか」なむど心うくて、問はましき程に思われけれども、なじかはこたふべきなれば、思ながらさてやみぬ。いづくへおわすべきならねば、こよはここにとどまりて、あるじなきやどにひとりゐて、つくづくとありし道すがらの事共おもひつづけ給ふ。「かいなき命のをしかつつるも、帰りのぼりたるうれしさも、この人々を今一度みたてまつり、見へたてまつらむが為にこそ有つるに、こはいづくへぞや。只有し松原にていかにもならで、ふたたび物を思こそかなしけれ」とおぼすぞいとほしき。よもやうやくあけにければ、なほそのあたりを
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こまかにたづねければ、あるひと、「いさとよ、すぎにし比、奈良の大仏へまうでたまひて、やがてはせでらへまうでたまひにけるなむどぞ、ほのうけたまはりし」と、つまびらかならず云ければ、さもあるらむとて、斎藤五いそぎはせでらへまうでぬ。若君はひじりにぐして、なくなくたかをへおわしにけり。
廿一 さいとうごはせでらにまうでつきて、じちゆうをたづねけれどもたづねあはざりければ、あさましと思て、みだうにつやしてよもすがら人の声々をきくに、らいだうにびやうぶたてたる内に、女房の声にてくわんおんぎやうを読て、「わかれにし人にこのよにて今一度あはせ給へ」と、なくなくまうすをきけば、めのとの女房のこゑ也。斎藤五うれしと思て、屏風のきはへたちよりて、「若君はかへりのぼらせたまひて候ぞ」と、忍びやかに申たりければ、母上、御乳母、「いかにやいかにや」とのたまひやりたる方もなし。うれしきにつけ
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ても、二人の人々又涙をぞ流されける。若君都をいでたまひにける日よりこの寺にこもりたまひて、よるひるみだうにふししづみて、血の涙をながしていのりまうしたまひけるしるしにや、たいじだいひのおんちかひ、罪あるも罪なきもたすけたまふことなれば、昔も今もかかるためし多かりけり。ほつけのふもんぼんにいはく、「せつぶうにん、にやくうざい、にやくむざい、ちうかいかさ、けんげごしん、しようくわんぜおん、ぼさつみやうじや、かいしつだんゑ、そくとくげだつ」と云へり。まつだいと云ながら、不思議のりしやうとおぼへたり。くわんおんにいとままうしてなくなくいそぎいでたまひたれば、若君やがておはしたり。みたてまつりたまふにつけてもなほうつつともおぼえたまわず。ひごろつきごろおぼししことども、こまごまと語り給にも、つきせぬ物はただおんなみだばかりなり。しばらくかくてそひたてまつりたくおぼしけれども、「世の
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きこへしもつつまし。又ひじりの思わむ事もあれば」とて、いそぎ立帰り、たかをへのぼりたまひにけり。ひじりなのめならずかしづき奉て、二人のさぶらひをもあはれみ、母上の大覚じのすまひのはるかなるをもとぶらひ奉りけるこそやさしけれ。十二月十七日、げんにゐのまうしじやうにまかせて、おほくらのきやうやすつね、うまのごんのかみつねなか、ゑちごのかみたかつね、じじゆうよしなり、せうないきのぶやす、げくわんせられけり。しやうけいはさだいじんつねむね、しきじはとうのべんみつまさのあつそんなりけり。おほくらのきやうふしさんにんげくわんせられける事は、よしつねかのきやうをもつてまいじそうもんしけるゆゑとぞきこへし。よしもりは義経がどうぼてい、のぶやすは義経がしゆひつなり。又さまのごんのかみなりただ、ひやうごのかみのりつな、たいふのじようともやす、おなじきじようのぶもり、さゑもんのじようときさだ、おなじきじようのぶさだら、そのけいをくはへむがために、くわんとうよりめしくだすとぞきこへし。おなじきつごもり、
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げくわんならびにるにんのせんじをくだされけり。さんぎちかむね、うだいべんみつまさ、ぎやうぶきやうよりつね、さまのごんのかみなりただ、たいふたかもと、ひやうごのかみのりつな、さゑもんのじようともやす、おなじくじようのぶもり、おなじくじようのぶさだ、おなじくときもり、げくわんせられけり。みつまさのあつそんとたかもととはくわんぷをくだされけるゆゑとぞきこへし。やすつねのきやうはいづ、よりつねのあつそんはあはへはいるのよし、せんげせられけり。きみをおどししんをひそむること、へいしやうにことならず。ときまさすでにてんがのけんをとりて、ひろくしゆうじんのこころをすぶれば、しよくぎやう、おほきにしじゆをざいうにつらね、すいたふをもんかにならべけり。さんぬる廿七日、ぎそうにあづかるべき人々のけうみやうを、げんにゐ、くわんとうよりちゆうしんす。うだいじんかねざね、ないだいじんさねさだ、さんでうのだいなごんさねふさ、なかのみかどのだいなごんむねいへ、ほりかはのだいなごんただちか、ごんぢゆうなごんさねいへ、げんぢゆうなごんみちちか、とうぢゆうなごん
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つねふさ、とうざいしやうまさなが、さだいべんのさいしやうかねみつなり。こんどげんにゐのちゆうしんじやうに入れる人は、そのゐを振ひ、いらざる人は、そのいきほひを失ふ。世のおもんじ人のきすること、へいしやうにまんばいせり。これ人のなすにあらず、天のあたふるところなり。うだいじんにないらんのせんじをくださるべきよし、おなじくまうされたりければ、法皇より、「せいむもとよりそのうつはものにたらざれば、にんげんにゆづるべくもなし。じねんにこうじゆす。これふいのことなり。あたふるに今頼朝卿有り」〔と〕申ける。
廿二 さても鎌倉よりつかひ、かがみのしゆくにはせむかひて、北条に申けるは、「じふらうくらんどゆきいへ、しだのさぶらうせんじやうよしのり、かはちのくににかくれこもりたるよし、そのきこへあり。道よりはせかへりて、いそぎうちてたてまつるべし」とありけれども、「わがみはだいじのめしうとぐして、これまでくだりたるに、かへりのぼるべきにあらず」
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とて、北条がをひにほうでうのへいろくときさだとて、都の守護に置たりけるが、かどおくりにしゆくまでうちおくりたりけるに、かのひとをうちて奉るべきよしまうしつけければ、平六京へはせかへりて、らうどうおほげんじむねやすと云者の有けるをめして、「いかがはすべき。かの人々のざいしよを知たらばこそからめもせめ」と云ければ、むねやすたづねうかがひける程に、「じふらうくらんどのざいしよ知たり」と云てらぼふしをたづねいだしたり。すなはちかのそうをめしてたづねけるに、「我はしらず。かのひとしりたり」と云ければ、「さらばかのそうの有らむ所へいんだうせよ」とて、くだんの僧を先にたてて、よせてからめんとするに、かのそうまうしけるは、「なにゆゑにからめらるべきぞ。十郎蔵人がざいしよしりたむ也。さらば、をしへよとこそいはめ、からめらるべきやうやある」と云ければ、「しるほどなれば、どういしたるらむとてからむるなり。いづくへゆくべきぞ」。「てんわうじなる処にこそあらめ。人を
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さしそへよ。くだりてをしへん」と云ければ、つはものどもをさしそへてくだしけり。しなののくにの住人かさはらのじふらうくにひさ、どうこくの住人くはばらの二郎、井上の九郎、ひたちのくにの住人いはしたのたらう、おなじく次郎、しもづまのろくらう、いがの国の住人はつとりのへいろくらをはじめとして、つがふ卅余騎にてくだしけり。十郎蔵人は、くぼつのがくとうかねはるといふれいじんがもとと、しんろくしんしちこれらりやうさんにんがもとにゆきかよひて有けるを、ふたてにわけておしよせたり。この事をやもれききたりけん、かしこをばおちにけり。かねはるが娘二人あり。二人ながらゆきいへがおもひものにてかよひけり。これらをとらへてとひけれど、「われもしらず」「われもしらず」とぞ云ける。「げにも世をおそれておつる程の者が、ざいしよを女にしらする事はあらじ」と、二人の女を召取て京へのぼる。又あるもの京へのぼる。北条の平六にあひて、「それがしがもとにこそこの四五日あやしばみたる人はしのびてたちやどりて候へ。いちぢやう十郎蔵人殿にてわたらせたまふとおぼえさうらふ」と
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申ければ、平六よろこびて、「いかなる人ぞ」と問ければ、「いづみのくにやぎのがうのぢゆうにん、やぎのがうしと申者也」と云ければ、「をりふし人はなし。いかがせんずる」と思て、又おほげんじむねやすをよびて、「いかにや、おのれがみやだてたりしさんぞうはあるか。めして参れ」とて、宗安をつかはす。是はさいたふのほふしにひたちばうしやうめいと云者也。しやうめいやがてきたりければ、平六いであひて、「じふらうくらんどのおはする所をけさ人のつげたるぞ。ごばうくだりてうちたまひて、鎌倉殿のげんざんにいれたまへ」とて、いへのこらうどうをさしそへててんわうじへくだして、人もなかりければ、やがておほげんじをはじめとして、ちゆうげんざつしきともなく廿余人つきたりければ、ぐしてくだる。てんわうじよりかへりのぼるせいはかはちぢをのぼる。しやうめいはえぐちのかたを下りければ、道にはゆきあはざりけり。行家は天王寺をにげいでて、くまののかたへ
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おちけるが、かちにては有けり、一人具したるさぶらひは足をやみてのびやらざりければ、かのやぎのがうしがもとにたちいりたりけるを、いへぬしの男つげたりけるなり。昌命鞭をあげてかのところへはせよりて、人を入れてみするに、かの家にもなかりければ、こめろうをうちやぶり、いたじきをはなちて天井をこぼちてさがしけれども、みえざりければ、昌命ちからおよばず、おほちへたちいでてみれば、ひやくしやうのめとおぼしきげすをんなのとほりけるをとらへて、「これにこのほどあやしばみたる旅人のあむなるは、いづくの家にあるぞ。申さずはしやくびをうちきりてすてむずるぞ」とて、たちのつかに手をかけければ、女おそろしさのあまりに、さがし給つる家のとなりにおほきなる家の有けるをさして、「あれにこそしゆうじゆうのもの、いかなる人やらん、しのびてさぶらふとはききさぶらへ」と云ければ、昌命やがて
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おしよせてうちいりて見れば、しじふばかりなるぞくの、かちんのひたたれこばかまきて、こうばいのだんじにてくちつつみたるからへいじとりまかなひ、てうしひさげとりをきて、さかなくだものなむど取ちらして、既におこなわむとする所に、しやうめいがうちいるをみるままに、かのをとこうしろのかたへ北をさして逃ければ、昌命「あますまじきぞ」とて、たちを抜ておひてかかる。十郎蔵人は内にゐたりけるが、是を見て、「あの僧、やれ、それはあらぬ者ぞ。行家をたづぬるか。行家はここにあるぞ。返れ返れ」といわれければ、昌命声につきてはせかへる。昌命はたちうちつけたるくろかはをどしのはらまきに、さうのこてさして、さんまいかぶときて、三尺五寸あるたちをぞはきたりける。行家はしろきひたたれこばかまに、うちえぼしにえぼしあげして、右の手に大刀を抜き、左手にこがねづくりの
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大刀のつばもなきを抜て、ひたひにあてて、ぬりごめの前にてまちかけたり。かのたちのつばはくまのごんげんへじゆぎやうにけんぜられたりけるとかや。昌命馬よりとびおりて、「あのたちなげられ候へや」と云ければ、行家おほきにあざわらう声、家の内ひびきわたる。わらはべのかめの中にかしらをさしいれてわらふに似たり。昌命すこしもはばからずよせあはせたり。昌明三尺五寸のたちにて、もろてうちに打ければ、行家は三尺一寸の大刀をもつて、右の手にてちやうとあはせて、左の手にてはこがねづくりの大刀をとりのべて、もののぐのあきまをささむとすれば、昌明さされじとをどりのく。昌命又つとよせておほだちにてきれば、行家ははたとあはせて、又左手にてささむとすれば、をどりのく。昌明しばしささへ
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けれども、しらまずうちあはすれば、行家こらへず、ぬりごめの内へしりへさまににげいりければ、昌命もつづきて入る所を、こだちにて左のももをぬいさまにぞつきたりける。昌命さされて、「きたなくもひかせたまふものかな。いでさせ給へ。しようぶつかまつらむ」と申せば、「さらばわ僧そこをいでよ」と云ければ、昌命「承りぬ」とて、大刀をひたひにあててうしろさまへつとをどりのけば、行家つづきていでてちやうと切れば、昌命又むずとあはせける程に、いかがしたりけむ、たちとたちときりくみたり。昌命大刀をすてて、「えたり、をう」と組たりければ、いづれもおとらぬしたたか人にて、上になり、下になり、つかみあへども、勝負なかりけるに、北条の平六がつけたりけるおほげんじむねやす、おほきなる石を取て、
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十郎蔵人のひたひをつよく打て、うちわりてければ、くらんどあけになりて、「おのれはげらふなれ。あらさつなのふるまひかな。ゆみやとるものはたち、刀にてこそ勝負はすれ。どこなる者のつぶてを以てかたきをうつやうやはある」と云ければ、しやうめい、「ふかくなるものどもかな。足をゆへかし」と云ければ、むねやすよりて昌命が足をこして、行家の足をゆいたりければ、くらんど少もはたらかず。さてひきおこしたりければ、くらんど息をしづめて、「そもそもわ僧はさんぞうか、てらぼふしか。又鎌倉よりのつかひか、平六が使か」。「鎌倉殿の御使、さいたふのきただにぼふし、ひたちばうしやうめいと申者也」と云ければ、「さてわ僧は行家に使はれむといひし者か」。「さんざうらふ」。「手なみはいかがおもふ」といわれけれ、昌明、「さんじやうにておほくのあくそうどもとうちあひて候つれども、走り
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むかひには、殿のおんたちうつほどにはしたなきかたきにあひさうらわず。なかんづく左の御手にてささせたまひつるが、あまりにいぶせく、こらへがたくこそ候つれ。さて昌命がてあてをばいかがおぼしめしつる」と申ければ、「それはつつむかへに取られなむ上は、とかくいふに及ばず」とぞいわれける。「たちみむ」とて、二人の大刀を取よせて見ければ、しじふにかしよきれたり。昌命、「さていちぢやう殿は鎌倉殿をばうちたてまつらむとおぼしめされて候しか」と云ければ、「是程になりなん上は、おもひたりしとも、おもはざりしとも、しかしながらもせんなし。とく首を切てひやうゑのすけに見せよ」とのたまひければ、昌命さすがあはれにおぼえて、ほしいひをあらわせてすすめければ、水をのみたまわむとて、引よせられたりけるに、ひたひのきずより血のさつとこぼれかかりたりければ、すてられにけり。
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昌命是を取てくひて、こよひはえぐちの長者がもとにとどまりぬ。よもすがら京へ使をはしらかしたりければ、あくる日のむまのときばかりに、ほうでうのへいろく五十騎ばかりにて、はたささせてあかゐがはらにゆきあひぬ。「都の内へはいるべからず」と云ゐんぜんにて有ければ、ここにて首をはねてけり。首をそんぜじとて、なづきをいだして、かしらの中に塩をこみてぞもたせける。この人の兄しだのさぶらうせんじやうよしのりは、だいごのやまに籠りたるよしきこへければ、はつとりのへいろく案内者にて山をふませけるに、やまづたひにいがの国へぞ移りける。既にかたきちかづきければ、次第にもののぐぬきすててたちをもすてて、ある谷の奥に行て、あはせのこそでにおほくちばかりにて、腹かひ切てふしにけり。すなはち平六首をとりてけり。昌命、十郎
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くらんどの首をもたせて鎌倉へ下りたりければ、「しんべうなり」と感じ給ければ、「いかなるけんじやうにかあづからむずらむ」と人々申けるに、けんじやうにはあづからずして、しもつふさのくにかさいと云所へながされにけり。しよにん「こはいかなる事ぞや」とおどろきまうしけれども、その心をしらず。にねんと申に、「行家うちたりし僧はしもつふさのくにへ流しつかはされにき。いまだあるか。召せ」とて、めしかへして、鎌倉殿の宣けるは、「いかにわ僧、わびしとおもひつらむな。げらふの身にてたいしやうたる者をうちつるは、みやうがのなき時に、わそうのみやうがの為にながしつかはしたりつる也」とて、けんじやうにはつのくにはむろのしやう、たぢまのくににおほたのしやう、二か所をぞたまはりたりける。これ昌命がめんぼくにあらずや。
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二月七日、うだいじんどのつきのわどのせつろくせさせ給べきよし、源二位とりまうさるときこえし程に、ないらんのせんじのくだりたりしを、「しやうたいのころをひ、きたののてんじん、ほんゐんの大臣あひならびてないらんの事ありしほか、えうしゆの御時ならびて内覧の例なし」と、右のおどどおほせられければ、つぎのとしの三月十三日、せつろくのぜうしよくだりき。さきの日、院よりうせうべんさだながをおんつかひにて、うだいじんどのせつろくの事、よりとものきやうなほとりまうすよし、こんゑのゐんふげんじどのへ申させ給たりければ、たちまちにかどさしにけり。ごぶんのたんばのくにじしまうさせたまひつつこもらせおはしましてけり。右大臣殿えらばれましましき。こんゑどのはしばしなれども、平家の為にむすぼをれておはしまししかば、りじおもかりければ、「ちからおよばず」とおほせられけるとぞ。右のおとどはかうさびてくでうにおはしまし
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けるが、ほうげんへいぢよりこのかた、世のみだれ打つづきて、人のそんずる事ひまなきを、あさゆふなげきおぼしめしけるいんしんむなしからず、やうほうたちまちにあらはれにけるやらむ、かかるおんよろこびありけり。かひがひしくみだれたる世ををさめ、すたれたる事ををこし給けり。二月十日、さふつねむねの使者、ちくごのすけかねよし、関東よりきらくす。これは義経がまうしたまはるくわんぷの事に、しんかくをのがるといへども、なほふゐせられて、しやしつかはされたりければ、むほんのともがらにおほせて、よりともをちゆうせらるべきよしふうぶんのあひだ、きようきようしたまふところに、いまふしんをさんずるよしへんたふせられけるあひだ、さふあんどのおもひをなされけり。
廿三 ごんのすけさんゐのちゆうじやうの子息ろくだいごぜんは、年のつもるにしたがひて、かほかたちこころざま、たちゐのふるまひまですぐれておはしければ、もんがくしやうにんはそらおそろしくぞ
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おぼえける。鎌倉殿も常にはおぼつかなげにのたまひて、「これもりが子は頼朝がやうに、てうてきをも打て、親の恥をもきよめつべき者か。頼朝を昔さうしたまひしやうにいかが見給」と宣ければ、もんがくまうしけるは、「是はそこはかとなきふかくのものなり。ひじりがさうらはむ程はゆめゆめおぼつかなくおもひたまふべからず」と申ければ、「いかさまにもみとどむるところひとつあつてこそ、世をもうちとりたらば、かたうどにもせむとてこそ、しきりにこひとりたまひつらん。ただし頼朝がいちご、いかなる者なりともいかでかかたぶくべき。子孫のすゑはしらず」とのたまひけるこそおそろしけれ。若君の母は、「とくとく出家して、たかをぼふしにおはすべし」と、若君をすすめられけれども、もんがくをしみたてまつりて、すみやかにも剃り奉らず。かくて十六と申しぶんぢ五年のやよひの末に、若君ひじりにいとまこひたまひて、やまぶしのすがたになりて、さいとうご、さいとうろくにおひかけさせて、かうやさんへまうでたまふ。父のぜんぢしきしたりしたきぐちにふだうにたづねあひて、父のおんゆくすゑ、ゆいごんなんどくはしくききたまひて、
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かつうはかのあともゆかしとて、熊野へぞまゐられける。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにて、おほぢこまつのないだいじん、ちちこれもりの御事、いまさらにおもひいだされつつ、すぞろに涙をもよをし給けり。やがてしんぐうへまうでたまひて、是よりなちのやまへつたはりつつ、たちかへりはまのみやのわうじのおんまへにて、あともなくしるしもなきかいしやうをぞはるばるながめたまひける。「父これもり、いづくのほどに、いかに沈み給けむ」と、なぎさによする小波にも問わまほしくぞおもはれける。ひねもすになきくらして、さても有べき事ならねば、石をかさねてたふをくみ、いさごに仏のおんかたちを書給て、僧をしやうじてかいげんし、ねんぶつぎやうだうして、「くわこせんかういうれい、しゆつりとくだつぞうしんぶつだう」とゑかうして宣けるは、「みだはむじやうねんわうとまうししとき、ほうかいぼんじのすすめによつてくうわうぶつをはいし、しゆつけのかたちをげんじてほふざうびくとまうしき。そのこふのあひだしゆして、ごくらくじやうど
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をまうけて、いつさいしゆじやうをむかへずといはば、しやうがくをとらじとちかゐ給へり。六方のしよぶつも、おなじくくわうちやうの舌をいだして、しようじやうし給へり。しかるをあみだぶつとなりたまひて、ごくぢゆうあくにんむたはうべんのせいぐわんたがへず、くわこしやうりやうくほんのうてなへむかへたまふ。いかにいはむやしゆつけぼだいしんのくどくおはせざらむや。出家のくどく、きやうには、『むりやうざいあり。しゆつけむりやうのくどくをう』といへり。このゆゑにぜんざいどうじのぼだいしんををこししをば、みろくだいし、ししのざよりおりて、くわうみやうをはなちてをがみたまひけり。『これすなはちどうじのたつときにはあらず、菩提心のたつときがゆゑなり』と宣けり。ほうどうきやうには、『菩提心のくどく、もし色あらば、こくうにみちてぞあらまし』といひ、かれををもひこれを思ひあわするにつけては、さりともあくせにはりんゑし給わじものを。わがみまたこれほどとぶらひ奉る。いかでか仏も
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あはれとおぼしめさざるべき。草の影にもうれしくこそおもひたまふらめ」など、涙にむせびてのたまへば、「あみだ仏もたちまちにやうがうし給らむ」と、身の毛いよだちてあはれなり。さてもあるべきならねば、いそうつなみにいとまをこひ、なくなくかへり給つつ、「よきついでにおなじくはしよこくいつけんせむ」と思われければ、山々寺々しゆぎやうし給て京へのぼり、そののちたかをにて出家し給て、さんゐのぜんじとぞ申ける。母上は是を見給て、「世の世であらましかば、今はふるきかんだちめ、こんゑづかさ、すきびたいのかぶりにてぞあらまし」とのたまひけるこそ、あまりのこととはおぼえしか。
廿四 にんげんうゐのたのしみは、かぜいたはしき春の花、いちごふぢやうのさかえは、波に宿れる秋の月、しげりて見ゆるなつこだち、こずゑさびしき冬の空、すいりう常に満たず、月
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みちぬればかくとかや。そもそもけんれいもんゐんとまうすは、ごしらかはのほふわうのたいしたかくらのゐんのきさき、にふだうさきのだいじやうだいじんきよもりのおんむすめ、あんとくてんわうのおんははなり。十五才にしてこうひのくらゐにそなはり、十六才にしてにようごのせんじをくだし、廿二にしてわうじごたんじやうありしかば、いつしかとうぐうのくらゐにたちたまふべきてんしなりしかども、くらゐさだまらせ給しかば、いつてんしかいをたなごころににぎり、ばんにんけいしやうあまねくこくぼとあふぎたてまつるのみに非ず、ここのへのうち、せいりやうししんのとこを並べ、こうひさいぢよにかしづかれたまひき。しかりといへどもいちぞくのけいしやうやうやくほろびて、おんとし廿九にて、あへなくおんかざりをおろさせ給て、おほはらのおく、せれうのさと、じやくくわうゐんと云所に、すみぞめにおんみをやつし、今はひとすぢにむじやうあくごふのうきぐもをいとひて、ごくらくわうじやうのとんしようをねがひ、むなしくすぎゆくつきひを送りむかへてぞおわしける。
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廿五 さある程にぶんぢ二年にもなりぬ。しやうぐわつよかんなほはげしくて、のこんのゆきもいまだきえざるに、二月もすぎ、三月もやうやくくれにけり。ひかげのどかになりゆけば、のべのちぐさもみどり深く、夏にも既になりぬれば、きたまつりもうちすぎて、うづきのなかばにも成ぬれば、法皇は「『けぶりたつおもひならねど人しれずわびてはふじのねをのみぞなく』と、朝夕えいじける、きよはらのふかやぶがたてたりし、ふだらくじをがませたまふべし」とひろうして、よをこめてじやくくわうゐんへしのびのごかうあり。おんともにはたうくわんばくどの、かんゐんのだいじやうだいじん、とくだいじのさだいじん、ごとくだいじのさだいしやうさねさだ、うだいしやうさねよし、くわさんのゐんのだいなごんかねまさ、あぜちのだいなごんやすみち、やまのゐのだいなごんさねまさ、れんぜいのだいなごんたかふさ、じじゆうのだいなごんなりみち、かつらのだいなごんまさより、ほりかはのだいなごんみちすけ、
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はなぞののちゆうなごんきんうぢ、つちみかどのさいしやうみちちか、むめづのさんゐのちゆうじやうもりかた、からはしのさんゐ、をかのやのげんざんゐすけちか、てんじやうびとにはやなぎはらのさまのかみしげまさ、よしだのうだいべんちかすゑ、ふしみのさだいべんしげひろ、うひやうゑのすけときかげ、ほくめんにはかはちのかみながざね、いしかはのはんぐわんだい、たかくらのさゑもんのじようとぞきこへし。あじろごしにうらすだれかけたり。かのてらにまうでてをがませ給ふに、みだうのいらか、くわいらうのつづき、もんないもんぐわいの有様、誠にあらまほしきふぜいなり。ほんぞんををがみたてまつりたまふに、あみだのさんぞんよりはじめて、しよぶつぼさつのざう光をかかやかし、ぶつだんぶつぜんのかざりさしいらせたまふより、なにとなくおんこころをすまさせおわします。ごくらくじやうどのしやうごんもかくやとおぼえたり。うしろのだいくわうにはくほんまんだらをかきたてまつる。いつけんいつぱいのともがらざいごふじんぢゆうなりとも、みだのひぐわんにこたへて、むしのざい
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しやうもたちまちにせうめつして、たれかわうじやうをとげざるべきと、たのもしくぞ御覧ぜられける。又じやうるりの有様を書たるとおぼしくに、じふにじんじやう、しちせんやしやしん、そのほかてんにんしやうじゆとうのやうがうしたるけいきを書たり。しゆびやうしつぢよ、しんじんあんらくのちかひもたのもしくおぼしめされける。さうのつぼねのちやうもんどころとおぼしきしやうじには、あるいは四季にしたがひ、をりにふれたるむじやうくわんねんのさまを、筆をつくして書たり。誠に情けも深く、うきよをいとふべきありさま、おぼしめししられけり。あるひはろくだうししやうさんづはちなんのくげんのさまを書たり、えんぎのせいしゆの地獄におちさせ給て、きんぶせんのにちざうしやうにんにむかはせ給て、
いふならくならくの底にをちぬればせつりもしゆだもかわらざりけり K228
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と、炎の中にしてかなしませたまひけむもかくやと、あはれにぞおぼしめされける。これにつけても、ゑどをいとひ、じやうどを願わせ給べき御心のみぞ深かりける。みだうをいでさせ給てよもを御覧ずるに、うしろのやまはまつすぎみどりにおひしげり、くもゐに遊ぶぐんかくも、ちとせのちぎりをむすびて、すみかをとらむとおぼえたり。にはごとにはしゆんかににほひをほどこすやうばい、数をつくしてうゑならぶ。ふるすをいづる谷の鶯も、ひやくてんしてこづたふらむとおぼえたり。山のそへ水のながれ、かんきよのちをしめたりとみえたり。何事につけても御心をとどめられずと云事なし。それよりをしをの山をこえて、をはらのおくへごかうなる。わけいる山の道すがら、秋のころにもあらねども、くさばの露に袖ぬれて、しぼらぬたもとぞなかりける。峯の嵐吹すさび、谷の水のいはまをくぐる音、いづれも御心すごからずと云事なし。にようゐんのごあん
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じつちかくなるよしきこしめせども、りよくいのけんしきゆうもんを守るもなければ、心のままにあれたるまがきは、しげきのべよりも露深し。庭の若草しげりつつ、岸のあをやぎ色深く、松にかかれるふぢなみ、こずゑにひとふさ残れる花、君のごかうをまちまゐらせけるかとおぼえてあはれなり。法皇かくぞおぼしめされける。
池水に岸のあをやぎちりしきて波の花こそさかりなりけれ K229
やまほととぎすのはつねをば、このさとびとのみやなれてきくらむと、おぼしめししられけり。かのてらの有様を御覧ずるに、西のやまぎはにひとつのさうだうあり。すなはちじやくくわうゐんこれなり。北のやまぎはにひとつのあんじつあり。にようゐんのおんすみかにやとごらんぜらる。かうえんほそくのぼりて、へんぺんとしてきえやすく、しんさうはるかにとぢて、せうぜんとして人もなし。ころはうづきなかばの事なれば、夏草のしげみが末をわかれすぎ、きうたい
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はらふべきひともなし。じんせきたえたる程も、おもひしられてあはれなり。ちりのこる山桜、嶺につらなるいはつつじ、いけのみぎはのふぢなみ、こずゑにかかるほととぎす、こけふかくむす岩の色、おちたぎりたる水の音、さすがゆえびよしありてぞ御覧ぜられける。りよくらのかき、すいたいの山、絵にかくとも筆も及ぶべくもみえざりけり。四方にちやうざんつらなりて、わづかにこととふものとては、はかふの猿のひとさけび、つまぎこるをののおとばかりなり。せうかぼくてきのこゑ、ちくえんしようぶのいろ、かかるかんきよのすみかをしのびてすごさせ給も、法皇あはれと御覧ぜらる。庭にはしのぶまじりのわすれぐさおひしげりて、鳥のふすとぞ見へける。へうたんしばしばむなし、くさがんえんがちまたにしげしといひつべし。しばのあみど、竹のすいがいもあれはてて、れいでうふかくとざせり、あめげんけんがとぼそをうるほすともいひつべし。法皇にようゐんを待まゐらせさせたまふほどに、あなた
P3602
こなたへたたずみ御覧ぜられければ、いささむらたけ風そよぎ、いささ小川になみ立て、妻をかたらふやまがらす、ねぐらさだむるにはとり、すべて耳にふれ目にまがへるもの、こゑごゑにあはれをもよほし、心をいたましめずと云事なし。あふさかのせみまるの、
世の中はとてもかくても有ぬべし宮もわら屋もはてしなければ K230
とえいじけるも、ことわりとおぼしめししられけり。昔、さねゆき、よしたかとて二人のだいしやうありけるが、さねゆきが、
あしたにこうがんあつてせろにほこれども、ゆふべにはくこつとなつてかうげんにくちぬ。 K231
ねんねんせいせいはなあひにたり、せいせいねんねんひとおなじからず。 K232
とえいじけむも、誠にさることやらむとおぼへて、このいほりを御覧ぜらるるに、
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わづかにまがきさんげんの柴のとぼそなり。松の柱、竹のあみど、すぎの葉、ふきもいとまばらにて、のきにはしのぶばかりぞしげりける。しぐれも露もおくしももつきのひかりもあらそひて、たまるべしともみえざりけり。さて内の有様を御覧ずれば、ひとまをばぶつしよにしつらひて、三尺のりふざうのごしんはでいぶつらいかうのさんぞん、ひがしむきにあんぢしたてまつり、くわかうをそなへたてまつる。ぶつぜんにはじやうどのさんぶきやうをおかせ給へり。くわんむりやうじゆきやうをばはんぐわんばかりはあそばしのこしたりと見ゆ。仏のひだりのかたにはふげんのゑざうをかけたてまつりて、おんまへなるしたんの机にははちぢくのめうもん、ならびににじふはちほんのそうしやくをおかせ給へり。右の方にはぜんだうのみえいをかけて、くでふのごしよ、ならびにわうじやうえうしふいげのしよきやうのえうもんをおかれたり。昔のらんじやのにほひをひきかへて、今はふだんかうのけぶりをくんじける。東の壁には、ふりたる
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ことびはたてられたり。くわんげんかぶのぼさつのらいかうをおぼしめしいでつつ、みこころのすませ給ふをりをり、おんてかけぐさにやとおぼえたり。又おんつとめのひまの御心なぐさめとおぼしくて、こきんまんえふ、そのほかきやうげんきぎよのたぐひ、とりちらされたり。折々の御手すさみとおぼえて、しやうじにはしよきやうのえうもん、さまざまのしいかなむどかきちらされたり。「しよぎやうむじやう、ぜしやうめつぽふ、しやうめつめつい、じやくめつゐらく」の四句のもん、いつさいのぎやうはこれみなむじやうなり。むじやうのとらのこゑは耳にちかくとも、せいろのはしりにきこえず。せつせんの鳥はよよなけども、すみかをいでぬればわすれぬ。羊のあゆみちかづきて、親にさきだつこ、こにさきだつ親、妻に別るる男、をつとにおくるる妻、命は水の沫、らうせうふぢやうの世也。あしたの花はゆふべの風にさそわれ、よひのらうげつはあかつきの雲に隠れぬ。やまかげのしばのいほり、おんすまひ
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おぼしめししられて、人しれず御涙せきあへさせ給わず。ごくぢゆうあくにん むたはうべん ゆいしようみだ とくしやうごくらくばうぽふせんだい ゑしんかいわう じふあくごぎやく ざいめつとくしやうくわんぎやうしんいつさいごつしやうかい かいじゆうまうざうしやう にやくよくさんげしや たんざしじつさうにやくうぢゆうごつしやう むしやうじやうどいん じようみだぐわんりき ひつしやうあんらくこくほつしんたいへんしよしゆじやう きやくぢんぼんなうゐふくざう ふちがしんうによらい るてんしやうじむしゆつご又みかはのかみさだもとぼふしが、しやうりやうせんにぢゆうしける時えいじける。せいがはるかにきこゆこうんのうへ、しやうじゆらいかうすらくじつのまへ。さうあんひとなくしてやまひをたすけてふす、かうろひありてにしにむかひてねぶる。かやうのもろもろのえうもんどもをしきのかみがたに書ておされたり。又浄土のほふもんと
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おぼしくて、おんさうしあまたとりちらされたり。やまとゑかかれたるかみびやうぶに、にようゐんのみてとおぼしくて、古きうたどもをかかれたり。雲の上にほのかにがくのこゑすなり人にとはばやそらみみかそもかわくまもなきすみぞめのすがたかなこはたらちめのそでのしづくかきえがたのかうのけぶりのいつまでとたちめぐるべきこのよならねばおもひきやみやまの奥にすまひしてくもゐの月をよそにみむとは北のやまぎはにあかだなつられたり。しきみいれたる花のかたみ、あられたまちるあかのをしきにかけそへられたり。さて仏のおんかたはらのしやうじを引あけて御覧ぜられければ、にようゐんのぎよしんじよとおぼしくて、おんさをにかけられたりける物とては、しろこそでのあやしげなるに、あさのおんころもに、紙の帯ばかり也。しきならされ
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たるたたみの上に、しきがはひきかへしておかれたり。「いにしへはかんきゆうりだいのきさきのぎよかなどのきやうせつにつけつつ、ほんてうかんどのたへなるほうぶつ、そのほか色々のぎよいどもにほひをととのへて、ちんじやをくんじたまひし御有様ぞかし」と、おのおのみたまふにもあはれなり。昔は四季にしたがひ折にふれて、春はなんでんの桜を御心にかけさせ給て。いにしへのならの都のやへざくらけふここのへにうつりつるかな夏はせいりやうのうてなにのぼりて、夜のあぢきなき事を残し、すさまじきぎよいうありつつ。打しめりあやめぞかをるほととぎすなくやさつきの雨のゆふぐれ秋はここのへの月をよもすがら御覧じて。ひさかたの月のかつらも秋はなをもみぢすればやてりまされらん
P3608
冬はうこんのばばふしらゆきにうそぶきて、まづさく花かとよろこばせたまひて。まつひとも今はきたらばいかがせむふままくをしき庭のしらゆきおんかたみにはげんじやうむみやうと云琵琶、あをばくぎうちと云笛、うんわほつけじと云しやう、こくとうしんめいと云さんご、しうふうらでんと云しつ、からくさらくくわけいと云をひ、つゆいけと云硯、つぼきりと云けんなどおかれ、そのほかこうしりやうしよくの色々のぎよいどもを、数をつくしてかけらる。ないし、みやうぶならむど云つかさどももたやすくまゐらざりき。こはあさましきおんすまひかなとおぼしめされて、よしなくもこのおんありさまをみたてまつりつるものかなと、しのびかねさせ給へるおんけしきなり。人すむべしともみえざりけれども、「人やある」とおんたづねありければ、奥の方よりかすかに、「おいたる尼のひとりさぶらふ」とこたへてまゐり
P3609
たりければ、「にようゐんはいづくへわたらせ給たる」とおほせられければ、「このうしろの山へおんはなつみにいらせたまひぬ」と申す。法皇あきれさせ給へるおんけしきにて、あはれにおぼしめされつつ、「昔より世をすつるためし多けれども、御花なりとも、いかでかみづからはつませ給べき。されば花つみてたてまつるべき人だにもつきたてまつらぬか」とおほせられて、御涙ぐませ給ければ、あま申けるは、「まことにおほせはさる事にてさぶらへども、しんぢくわんぎやうには、『よくちくわこいん、けんごげんざいくわ。よくちみらいくわ、けんごげんざいいん』とて、『くわこのいんをしらむとおもはば、げんざいのくわを見よ。みらいのくわをしらむと思はば、現在の因を見よ』ととかれてさぶらふなれば、たうりてんじやうのおくせんざいのたのしみ、だいぼんわうぐうのじんぜんぢやうのさかえをねがわせたまふとも、おんおこなひなくしきはいかでかさぶらふべき。しやうじむじやうのならひ、いちぶつじやうどにわう
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じやうののぞみをかけさせたまふにも、なにのつとめの力をかたのませ給べき。しやかによらいはちゆうてんぢくのあるじ、じやうぼんだいわうのおんこなり。がやじやうをいとひてだんどくせんにこもり、かうれいにたきぎをこりしんこくに水をむすび、なんぎやうくぎやうの力によりて、つひにじやうとうしやうがくをなしたまひき。およそしやうあるものはかならずめつし、はじめあるものはをはりあり。たのしみつきてはかなしみきたるためしあり。ぜんぜにかいぜんかいぎやう薄くおわしけるにや、今かかるおんみにならせ給へり。さればらいしやうのしゆくごふをかねて悟り給て、しやしんのぎやうをしゆしておはしますにこそ。さればなにかおんいたみさぶらふべき」と申す。この尼の有様をこまかに御覧ぜらるるに、下にはあかつきよごれたるこそでに、上にはかみぎぬと云物をぞ着たりける。「けしき事がらにも似ず、よしあるもののことばかな」と
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おぼしめされて、「おのれはいかなる者ぞ」とおほせありければ、尼さめざめとうちなきて、とふにつらさの涙せきあへざりければ、しばらくものも申さず。「いかにいかに」と、おほせさいさんにおよびければ、涙をおさへて、「かやうにまうすにつけてはばかりさぶらへども、ひととせへいぢのげきらんのとき、あくうゑもんのかみのぶよりにうしなわれにしせうなごんのにふだうがこに、べんのにふだうていけんとまうししものさぶらひしむすめに、あはのべんのないしとまうしさぶらひしは、尼が事にてさぶらふ」と申ければ、法皇おどろきおぼしめして、「さてはこのあまはきいのにゐが孫ごさむなれ」。かの二位と申はほふわうのおんめのとなり。さればことにおんみちかくめしつかはれたてまつりしかば、いくとせをふともいかでか御覧じわするべきなれども、ありしにもあらずかはりはてたりければ、ごらんじわすれけるもことわりなり。年もわづかに廿八九の者也。法皇よりはじめたてまつりて、おのおの御目を
P3612
御覧じあはせて、涙を流させ給ける程に、ややひさしくありて、うしろのかたやまのけはしきより、こきすみぞめのころもきたる尼二人おりくだる。いかなる者なるらむと御覧ぜられけるに、一人はしきみにつつじ藤の花つみいれたるはながたみひぢにかけたり。これぞにようゐんにわたらせたまひける。ひとりはつまぎにわらびをりぐしてもちたり。是はおほみやのだいじやうだいじんこれみちのきやうのごしそく、とりかひのちゆうなごんこれざねのむすめ、せんていのおんめのと、だいなごんのすけといふひとなり。にようゐんはかくともいかでかおぼしめしよらせ給べきなれば、なにごころもなく法皇に御目を御覧じあはせて、こはいかにとおぼしめして、あきれたるおんさまなり。「じふねんのしばのとぼそには、せつしゆのくわうみやうをごし、いちねんの窓の前には、しやうじゆのらいかうをこそ待つるに、おもひのほかに法皇のごかうなりにける
P3613
よ」とおぼしめさるるより、「あはれ、ただ人にしられず、いづかたへもきえうせぬべかりし身の、ひとなみなみにうきよにながらへて、かかるありさまをまのあたりみたてまつりぬるこそあさましけれ」と、おぼしめされけれども、さすがしもゆきならぬおんみなれば、時のまにもきえうせさせ給わず。こはいかがなりける事ぞやと、只夢のここちして、あきれたたせ給たり。をりふしやまほととぎすのひとこゑ、松のこずゑにおとづれければ、にようゐんかくぞおぼしめしつづけける。いざさらば涙くらべむほととぎすわれもつきせぬうきねをぞなく又おぼしめしかへしけるは、「こは何事ぞ。今はかくおもふべき身にあらず。猶もこのよにしふしんのあればこそかくはおぼゆらめ。さては仏の道をねがひてむや」とおぼしめして、おんころもの袖も裾も、草葉の露にしほれかへりたるおんさまにて入らせ給に
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けり。法皇かくと申給たりければ、ありつるおんころもの上に紙のおんふすまをひきかけて、べちのまなるおんわらふだしかせ給て、誠におもはゆげなるおんけしきにて、おんかほうちあかめてわたらせ給ける御有様をごらんずるに、昔の花のかほばせもやつれはてて、麻のころもにまつわされおわします御有様、ありしにもあらぬおんすがたなれども、さすが又なべての人にはまがうべくもみへさせ給わず。法皇も女院も御涙にむせばせ給て、たがひにひとことばもおほせいだされず。ややひさしくありて、法皇なくなくおほせの有けるは、「さてもこはあさましきおんすまひかな。昔よりうきよをすつるためし多く待れども、かやうの御有様はいまだうけたまはりおよばず。じやうしやひつすいのことわりにててんにんごすいの日にあへるらむも、このよにてみるべきにあらず。かかるためしをまのあたり見奉りつるこそ中々くやしけれ」とて、
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おんころもの袖もしぼるばかりなりければ、おんとものくぎやうてんじやうびともかぶりをちにつけ、おのおの涙もせきあへず。あまりにたへざるひとびとはかんじよにしのばれけるとかや。にようゐんはつきせぬ御涙せきあへさせ給わず。御袂をしぼらせ給ければ、ともかくも物も申させ給わず。御衣の袖よりもれいづる御涙、よその袖までも所せく程也。法皇申させ給けるは、「人間のはちく、げかいさうろのためしは、あるにつけてもなげきふかく、なきにつけてもうれひせちなり。なにごとにつけても昔をおぼしめしいで、いかばかりの事をかおぼしめすらむ。かくともつやつやしりたてまつらずして、今まで見まひらせざりける事、いかばかりのおんうらみをか残させたまひつらむと、あさましくこそ。さてもたれこととひまひらする人にて候ぞ」とおほせられければ、「世にたちまじはりひとなみなる有様をこそ、昔も今もまうしむつぶるならひもさぶらへ。かかるうきみに
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なりぬる上は、風のつて、よそながらだにもとひきたる人もさぶらわず。さても世が世にてありし程は、『いかにもしてしらればや、とはればや』と思へりし人々も、くもゐのよそにおもひたてへだてられてさぶらへば、かずかずならぬ身のうさをのみ思ひ知て、うらみをなす事もさぶらわず。そのなかにのぶたかのきたのかたばかりぞをりをりにしたがひて、おもひわするる事もなく、つねづねはをとづれきたりさぶらふ。さても有しには、かれがはぐくみをうくべしとは、かけてもおもひよらざりし物を」とて、又はじめのごとくさめざめと涙を流させ給ふ。「今はなにとかおぼしめさるべきにさぶらわねども、かのきたのかたのことをば御覧じはなたるまじきにさぶらふ。そのほかはこととふひともさぶらわず」と申させ給へば、「ろくでうのせつしやうのかたよりはまうすむねはさうらはぬにや」と申させ給へば、「それも今はたえまがちにこそ」とおほせられて、法皇も
P3617
にようゐんもぐぶの人々も、たもとをしぼりてぞ渡らせ給ける。にようゐん御涙をおさへて申させ給けるは、「かかる身にまかりなること、いつたんのなげきはまうすにおよばねども、ひとつにはらいしやうふたいのよろこびあり。そのゆゑはわれごしやうさんじゆうの身をうけながら、すでにしやかのゆいていにつらなり、ひぐわんのしようみやうをたのみてさんじにろくこんをさんげし、ひとすぢにこんじやうのみやうりをおもひすてて、くほんのうてなを願ひ、いちもんのぼだいを祈る。さればいちねんのまどをひらきてさんぞんのらいかうをごし、さんづのとぼそをとぢてしゆつりのめうくわを願ふ。これただいちもんべつりのごにあらずや。さればしかるべきぜんえんぜんぢしきとこそ思侍れ。むかしりようがんにちかづきたてまつりししききやうせつにつけてたのしみさかえしままには、ちやうせいふしのよはひを願ひ、ほうらいふしの薬をもとめても、ひさしからむ事を
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思ひ、かかるつたなきことをのみ心にかけはべりて、のちのくるしみをしらず。今は心にかなひ侍らばやとおもひしりようがんにもおくれ奉り、いとほしかなしと思奉りし天子にも別れ、父もなく母もなき、つたなき身になりぬる上は、なじかは人をもうらみ、世をもなげかしくおもひはべるべき。そのなかにもこのたびしやうじをはなるべきこと、おもひさだめてこそさぶらへ。そのゆゑは、このみはげかいにすみながら、ろくだうをきやうりやくしたる身に侍れば、なげくべきにも非ず。それにつけてもいよいよゑどを願ふこころざしのみ日にしたがひてすすみさぶらふにや」と申させ給へば、法皇、「是こそ不審におぼえさうらへ。たいたうのげんじやうさんざうはうつつの内に仏法をみ、わがてうのにちざうしやうにんはざわうごんげんのおんをしへにてろくだうを見たりと云事をば、つたへてこそうけたまはりしか。又天にのぼり海にいりししぼんじ、年をのべ月を
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かへしけるろれんも、このみながらろくだうをみずとこそ申侍れ。ましてゑあくごしやうのによにんのおんみとして六道を御覧ぜられけるこそ、まめやかにこころへずおぼえさうらへ」とおほせられければ、にようゐんうちわらはせ給て、「まことにさる事にてさぶらへども、しばらく身にあたれるくらくのさまざまなるにつけて、ろくだうのさまをまうしはべるべし。『ぢごくひぢごく、がしんうぢごく。ごくらくひごくらく、がしんうごくらく』と申す。只地獄も極楽も、わがこころの内にそなはる事とこそうけたまはりさぶらへ」と申させ給へば、法皇、「じつかいをじふぜんと申けるはこのことわりを申けるにや」とおほせられて、いよいよあはれうちそひてぞおぼしめされける。にようゐん、「ろくだうとまうしさぶらふことは、昔しやぐうにかしづかれ、ばんきのまつりごとを心のままにおこなひて、たのしみさかえは有しかどもうれひなげきはなかりき。りうせんたくぼくのしらべはてんめうほふりんのひびきも是
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にはなじかはすぐべきとおぼえさぶらひき。されば、けんとうの寒きあしたにはころもをあたたかくして嵐をふせき、せいかのあつきゆふべにはいづみにむかひて心をひやさしめ、ちんぜんのこき味、あさなゆふなに備へずと云事なし。もみぢのたへなる色、夜昼の飾りとす。一門のはんじやうはたうしやうはなの如し。ばんみんのぐんさんはもんぜんに市をなす。ごくらくじやうどのしやうごんもかくやとおぼえき。とぼしき事のなきままに、くなる所を忘れて願ふ事なし。只あけてもくれてもたのしみさかえたぐひなかりし事は、ぜんげんじやうのしようめうらく、ちゆうげんぜんのかうたいのかく、ろくよくてんじやうのごめうのけらくも、いかでかこれにはすぎむとおぼえき。これをばしばらくてんじやうのたのしみとおもひなぞらへはべりき。次に夏きたれどもしやうぞくをかふる事なければ、せうねつだいせうねつのくるしみのごとし。又冬きたれどもふすまをかさぬる事
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なければ、ぐれんだいぐれんの氷にとぢられたるが如し。さるほどにじゆえいのあきのはじめ、七月の末つかたに、きそのくわんじやよしなかと云者に都をおひおとされて、たかくらのしやうくわうにも別れ奉り、はつでうたいしやうこく、こしかたをかへりみれば、むなしきけぶりのみたちのぼり、ゆくすゑをおもひやれば、かなしみの涙のみくれて、はうがくもおぼへず。いづれか南北、いづれか海山ともみえず。よもすがらおちゆきはべりし程に、よつづかとかや申す所にて、我も我もとこころざしあるよしにてぎやうがうにぐぶせられしげつけいうんかくも、淀の津とかやにて船にのりはべりし時、ただこゑばかりにておのおのたちはなれしを、船底にてつてにききはべりしかば、けらくむぐうの天人のごすい、さうげんのかなしみとはこれにやとおぼへて、されば、『てんじやうよくたいじ、しんしやうだいくなう、ぢごくしゆくげん、じふろくふぎふいち』ととかれたるもこのことわりにや。
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にんげんの事はこのたびにんがいにしやうをうけたれば、あいべつりくをんぞうゑく、ただわがみひとつにおもひしられたりしかば、しくはつくひとつとしてのがるる所あるべからず。その秋の末、九月にもなりしかば、いにしへはうんしやうにてねんごろに見し月を、今はさいかいの浪の上にてひとりながめしろうたいをいでて、四国のかたにただよふ。さればきゆうちゆうのいにしへは、はいぐんをなびかしし、しんかたりし人々の、今ははいしよのげきしんたりし事、あはれにおぼえはべりて、十月の比、びつちゆうのくにみづしま、はりまのくにむろやまなむどのいくさにかちしかば、人の色少しなをりてみえし程に、つのくにいちのたにとかや云所にて一門多くほろびしのちは、げつけいうんかくおのおのかぶりなほしをばかつちうにきかへ、しやくせんをばきゆうせんにもちかへ、そくたいの形をたちまちにくろがねをのべて身をつつみ、時のけだものの皮を以て手足にまとひ、いつならひしともなき
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かぶとのはちを枕とし、鎧の袖をしとねとす。只あけてもくれてもいくさよばいのこゑのみたえず。くわらくにすみし時には、しいかくわんげんなむどをこそよるひるもてあそびし人々の、今はねてもさめてもかたきをしへたげ、命をたすからむはかりことのほか、心にかけ、いとなむわざなし。いちのたにをおとされしのちは、妻は夫に別れ夫は妻にはなる。親は子をうしなひをめき叫び、子は親をうしなひて泣悲むこゑ、せんちゆうにじゆうまんせり。おのづからたすけありしかば、もしやたすかると、おのおのこみのりてかいしやうに浮べば、なみかぜはげしくして、やすらふべき方なし。ぶつじんのみやうじよ、りゆうじんのかごにあらずは、いちにちへんしも命をのべ、身をたすくべきやうなし。さればあはぢのせとおしわたりて、なるとにかくれゆく船もあり。あかしのおきにかかりて、四国へおもむく船もあり。又いづくをさすともなく
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波にただよふ船もあり。ひとしななみずおもひおもひこころごころに有しかば、おきにつりする船を見ては、かたきのよするかとおぢおそれ、いそにむれゐるしらさぎを見ては、かたきのむかふはたかと驚き騒ぐ。いさりの火のほのめく影を見ても、源氏のちかづくにやと、きもをうしなひたましひをけす。つのくになにはの事もおぼへず、世をうらみのしまづたひして、さぬきのやしまとかやにつきて、このしまをよきじやうとてしばらくこのうらにやすらひしかども、さすがああやしのたみの家をくわうきよとさだむるに及ばずとて、しばらくの程はみふねをごしよとせしかば、ないだいじんよりはじめてげつけいもうんかくも、しづがふせやに夜をかさね、あまのとまやに日を送り、かぢまくら波にうたれ、つゆにしほれてあかしくらしし程に、なにとかしたりけむ、人の心
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たちまちにかはりつつ、心にかなはぬ者をばうたむころさむとせし有様、しゆらのとうじやう、いちにちさんじのうれひあり。てんくじねんみやうの声のみたえずして、あけてもくれても腹のみたつ。これひとへにしゆらだうもかくやとおぼへはべりき。つぎにしげよしがさたにてかたのごとくいたやつくりて、しゆしやうをわたしたてまつり、人々もあしのまろやどもいとなみてすみたまひし程に、九月もなかばに成て、ふけ行秋のあはれいづくもと申しながら、旅の空いとどしのぶるかたもなく、よわりゆく虫のこへ、吹しおる風の音、時に触れ折にしたがひて、かなしからずと云事なし。物を思わざる人そらあはれをのこすべし。いはむやゆくへもしらぬなみぢにまよふならひ、なげきかなしまずと云事なし。むじやうの虎のこゑ、かたときも身を離るる事なく、だんめいの
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かたきの声、日を送てたゆる事なし。又十月に成しかば、うらふくかぜもはげしく、いそこす波も高ければ、さすがつはもののせめきたるもなく、ゆきかう船もまれなり。そらかきくもりゆきうちふりつつひかずふれば、いとどきえいるここちして、常は涙にむせびて、ばうぜんとしてぜんごをしらず。これはにんげんのはつくにやとおもひはべりき。次に東国のつはものすでにせめきたるよし申しかば、又にはかにあはてさはぎ、とるものもとりあへず、船にかこみ乗て、屋嶋をいでて、いづくをさすともなく、しほにひかれ風にしたいて、昔有けむはくきよいのやうに、かいしやうにうかびてゆられ行しかば、朝夕の物も心にかなはず、あはれ、いとほしといひし人もなし。このしまにゆかむとすれば、つはものどもあつまりきたりてころしうしなはむ事をはかる。かの
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きしにつかむとすれば、かたきならびゐてとらへからむることをよろこぶ。こくぐんおほしといへども、あとをとどむべき所なく、さんやひろしといへども、休まむとするにたよりなし。ぶぜんすいれうにあらざれば、ぐごをそなふる人もなし。みつぎものなかりしかば、そのころ宮もまれなり。むりやうのくありといへども、ききんのうれひを先とす。とくしやしらじやうのがきの、だいかいの七度変じて山となるまで、おんじきのみやうじをきかず。又ししこくのがきの、ごひやくしやうがあひだしよくをえがたくして、子をうやし、あるいはみづからがなづきをくだきてなやみ、あるいは子をうみてしよくとす。されば、『がやしやうごし、ずいしやうかいじじき、ちうしやうごやくねん、すいじんにむはう』とたつるもんもことわりなり。おのづからぐごをそなへむとする時は水なし。だいかいひろしといへども、うしほなればたてまつらず。
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『しゆるうみにいれども、のまむとすればみやうくわなり』とたつるもんもことわりなり。とてもかくても、露の命なににすがるべきたよりなし。是を
思ふに、がきだうもかくやとおぼへはべりき。またとかくゆられあるきし程に、ちくぜんのくにださいふとかやにて、きくち、はらだ、まつらたうなむどいふものどもなびきたてまつりて、だいりつくるべしなむどいひしかば、心少しらくきよして、人々も身をいこのへ心をのべて侍る程に、せんじとかやとて、ぎやうぶきやうざんゐよりすけにおほせて、ぶんごのくにのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよしとかやまうすものがうけたまはりとて、三千余騎のせいにてむかふべきよしきこへしかば、にはかに又しゆしやうの玉のみこしをすておき、くぎやうてんじやうびとよりにようばうたちにいたるまで、袴のそばをはさみて、かつちうをよろひ
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きゆうせんをたいして、こはいかにしつる事ぞやと、きもこころも身にそわず。さんこうきうけいにはぐんかくはくしの数々にしたがひたてまつることもなく、つらをみだりし山わらうづにじんでいをふみてぞあゆまれける。へいだいなごんときただのきやうとかどわきのさいしやうのりもりと二人ばかりぞ、なほしにやおひてぐぶせられたりし。くがより夜中にはこざきのつとかやにゆきし程に、をりふしふるあめいとはげしく、ふくかぜもいさごをあぐるばかりなり。はくろのゑんじゆにむれゐるを見ては、えびすの旗をなびかすかとあやしみ、やがんのれうかいになくをききては、つはものの船をこぐかとおどろく。せいらんはだへをやぶり、はくはたましひを消す。すいたいこうがんのよそほひやうやく衰へ、さうはにうらみうけて、くわいどばうきやうの涙わきまへがたし。じゆえい二年三月廿四日、ながとのくにだんのうら、もじ
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あかまのせきとかや申す所にて、すまんのいくさおそひきたりしに、にはかにあくふうふききたりて、ふうんあつくたなびきしかば、つはものどもゆみやのもとすゑをうしなへりき。めいうんつきにしかば、人の力およびがたかりき。さればつかむと思ふかたへもつかず。とういなんばんのつはもののごとし。あうくつまらと云しげだうの仏をうちたてまつらむとしけるも、又けやうこくわうの人を殺しけむも、みぬ事なれば、これほどにはあらじとおぼえき。すでにつはものどもみふねにみだれのりて、いくさはいまはかぎりとなりしかば、いちもんのげつけいうんかくいげ、しかるべき人々、きせんじやうげを嫌わず、手をとりくみ、目をみあはせて、おのおのそこのみくづとなりしかば、おのづからのこりとどまりし人々もめの前にいのちたたれとらへしばらる。是を見てはたかきもいやしきもをめき叫びしこゑ、上はひさう
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てんもひびき、下はりゆうぐうじやうもおどろくらむとおびたたし。このありさまをみきくに、肝を消したましひをまどわせずと云事なし。されば男も女も船底にたふれふし、もんぜつびやくちして、ひとりとしてひとごこちしたる者なし。しんきやうもおんきやうばこも打かけられて、うちやぶられし有様をみるに、ぢごくのしゆじやうの、ごくそつにむかひて手をすりかうをこひ、『しばらくがいとまを得させよ』とかなしむなれば、『ひいにんさあく、いにんじゆくほう、じとくくわ、しゆじやうかいによぜ』とこたへて、いよいよなさけなくかしやくすらむも、かくやとおぼえき。又ごづめづがきぢやうをとるよりもおそろしかりき。かかりしかば、神にいのるもしるしなく、国をかたらふもかなはざりき。かいげんろんじはぼんぶなりといへども、げんじやうさんざうのしなり。あじやぜわうはただひとにあらず、りやうぜんのちやう
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じゆなり。しかれどもかやうのくるしみをばのがれ給はざりけるにや。昔のふみやうわうははんぞくわうにとられて、くひやくくじふくわうをうたるべき数にいりたまひたりけるに、『われわれしやもんくやうのぐわんあり。まげてしばしのいとまをえさせよ』と申て、はちげのもんをじゆしければ、すなはちゆるしてかへしけるとかや。さしもの悪王そらなさけありとまうしつたへたり。これはすこしもなさけをのこさず、あはれむことなかりき。されば地獄のくるしみもかくやとおぼえはべりき。これらをおもひつらねさぶらへば、ごしやうのみならず、こんじやうにもろくだうのくげんはありけるにや。今ひとつの道、それまではまうしおよばず」と申させ給ければ、御涙を流させ給て、「誠にかやうにくはしくおほせらるるときこそ、ろくだうのありさまげにとおもひしられ侍れ。今ひとつの道はなにごとにか。これほどうけたまはるほどにてははばかりおぼし
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めすべきにあらず。おなじくはうけたまはらばや」と申させ給ければ、「家をいで、かかるうきみとなりぬる上は、なにごとにかつつしみはべるべき。今こそ申さずとも、ごしやうにてじやうはりの鏡にうつされ、くしやうじんのふだをたださむ時は、何のかくれかはべるべき。てんぢくのしゆばきやはきさいのみやにちぎりをなして、はかなきゆめぢをうらむ。あいくだいわうの子くならたいしは、けいぼれんげぶにんにおもひをかけられうきなを流し、しんだんのそくてんくわうごうは、ちやうぶんせいにあひていうせんくつを得給へり。わがてうのならのみかどのおんむすめかうけんぢよてい、ゑみのおとどにをかされ、もんどくてんわうのそめどののきさきは、こんじやうきにをかされ、ていじのゐんのにようごきやうごくみやすんどころは、しへいのおとどのむすめなり、ひよしにまうでたまひけるに、しがでらのしやうにん心をかけたてまつりて、こんじやうのぎやうごふをゆづりたてまつりしかば、あはれをかけたまひて御手を
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たび、『まことの道のしるべせよ』とすさませたまひき。ありはらのなりひらはごでうわたりのあばらやに、『月やあらぬ』と打ながめ、げんじのによさんのみやは又かしはぎのうゑもんのかみにまよひて、かをるだいしやうをうみたまへり。『いかがいはねの松はこたへむ』と源氏の云けむもはづかしや。さごろものだいしやうは、『ききつつも涙にくもる』と打ながめ、てんぢくしんだんわがてう、たかきもいやしきも女のありさまほどこころうきことさぶらわず。『ともしびにいる夏の虫、はかなきちぎりに命をうしなひ、妻をこふる秋の鹿、さんやのけだもの、がうがのいろくづ、くさむらにすだく虫までも、はかなきちぎりに命をうしなふ』とうけたまはる。さればねはんぎやうには、『しようさんぜんがい、なんししよぼんなう、がふしふゐいちにん、によにんゐごつしやう』とときたまへり。だいろんには『ふけんきせん、たんよくぜだ』ととかれたり。都を
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いでてのちは、いつとなくむねもりとももりとひとつふねをすみかとして、ひをかさね月をおくりしかば、人のくちのさがなさは、なにとやらんききにくき名をたてしかば、ちくしやうだうをもふるやうにはべりき。おほかたはいつたんけらくのえいぐわにほこりて、やうごふむぐうのくほうをもおぼえず、しゆつりしやうじのはかりことをもしらず。只あけてもくれてもはかなきおもひにのみほだされてすごしはべりき。これあにぐちあんどんのちくしやうだうにまよへるにあらずや」なむど、おんなみだをながして申させ給ければ、ほふわういよいよおんなみだにむせばせ給て、昔をおもひいださせ給にも、おんなげきの色のふかさの程もおぼしめししられけり。「おなじおんなげきとまうしながら、ひとかたならず、いかばかりのおんことをのみおぼしめすらむと、ごしんぢゆうおもひやりまひらする
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こそ心苦く侍れ」と申させ給ければ、女院は、「なにごともぜんぜのしゆくごふにてさぶらへば、あながちになげくべからずさぶらふ。うせぬべかりしだんのうらとかやにて、母にもおくれてんしにもわかれたてまつりき。親を思ひ子をあはれむこと、あやしのさんやのけだもの、がうがのいろくづにいたるまで、あさからざることにこそ。さればいやしきしづのおなれども、おいたる母をおもふゆゑに、土をほりて子をうづむたぐひも有けるにや。又心なきのべのきじそら子をおもふゆゑに、のびの為に身をほろぼすとかや。ましてにんげんかいのなげき、親におくれ子にわかるる程のひたんやは侍るべき。されどもおもひなげきには露の命もきえざりけるにや。けふまでながらへ侍るにつけても、身ながらもつれなかりけるありさまかなと、
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くちをしくもはづかしくもはべり。さればしやくそんにふめつのとき、かせふそんじやいちはつをすてて叫びたまひし声、さんぜんせかいにひびき、けうぼんはだいはおもひにたへずして、水となりてきえにき。ちゑゆみやうなるらかんそら、ひめつげんめつのりをしりながら、たうざにわかれしにたへざりき。いはむやこれはぼんぶなり、ぐちなり、むちなり。わかれも世のつねなるわかれに似ず。なげきもひとしななるなげきにあらず。つはものどもみふねにのりうつり、えびすどもみだれかかり、今はかぎりとなりしかば、にゐどの、『昔よりけんじんは骨をばうづむとも名をばながせといへり。このてんしをばわれいだきたてまつりて海にいらむ』とて、せんていを帯にてわがみにゆいあはせまゐらせて、にぶいろのふたつぎぬひきまとひ、しんしをわきにはさみ、ほうけんをば腰にさして、既にふなばたにのぞまれしに、せんていなにごころもなく、ほれぼれと
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あきれ給へるけしきにて、おんぐしの肩の渡りにゆらゆらふさふさとかかりて、ゆくすゑはるかの緑のおんすがた、花のかほばせたとえむ方なく、もちづきのやまのはよりいづるここちして、うつくしかりし御有様をむなしくみなしたてまつりて、いちにちへんしも世にながらふべしともおぼえずはべりしかば、『共に底のみくづとならむ』ととりつきたてまつりしを、二位殿、『人の罪をば、親のとどまり子の残りてとぶらわぬかぎりは、くげんのがれざんなる物を。さればわがみこそ今はむなしくなるとも、のこりとどまりて、などかせんていのごぼだいをも、われらがくげんをもとぶらひたまはざるべき』とて、ひきはなちていでたまひしかば、『いづくへゆくべきぞ』と先帝おほせられしかば、『じやうどへぐしまゐらすべし』とて、まづいせだいじんぐうのかたをふしをがみたてまつり給て、にしにむかひて、
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『るてんさんがいちゆう、おんあいふのうだん、きおんにふむゐ、しんじつほうおんしや、なむさいはうごくらくけうしゆあみだぶつ』と、じふねんかうしやうにとなへたまひて、『せつがとくぶつ、じつぱうしゆじやう、ししんしんげう、よくしやうがこく、ないしじふねん、にやくふしやうしや、ふしゆしやうがく、くわうみやうへんぜうじつぱうせかい、ねんぶつしゆじやうせつしゆふしやのおんちかひたがへ給わず、必ずいんぜふをたれたまへ』ととなへもあへ給はず、海に飛入り給しおとばかりぞ、かくかにふなぞこにきこへしかども、きえはてたえいりにし心の内なれば、夢に夢みるここちして、さだかにもおぼへはべらざりき。せせしやうじやうにもそのおもかげいかでか忘れはべるべき。誠にしんだんかうらいにはけんをえらびちをたつとびて、そのうぢならねども天子の位をふむとかや。わがてうにはみもすそがはのおんながれのほかは、このくにををさめ給わず。しかるにせんていはじんむ
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はちじふだいのしやうりうをうけて、じふぜんばんきの位をふみたまひながら、よはひいまだえうせうにましまししかば、てんがをみづからをさむる事もなし。なにのつみによつてか、たちまちにはくわうちんごのおんちかひに漏れ給ぬるにや。これすなはちわれらが一門、ただくわんゐほうろく身に余り、国家をわづらはすのみにあらず、天子をないがしろにし奉り、しんめいぶつだをほろぼし、あくごふしよかんのゆゑなり。しかのみならず、こじをとぶらひさぶらふに、あんかう天皇はいんぎよう天皇のみこなり、まゆのわのおほきみにおんみをほろぼされ、すじゆん天皇はきんめいのたいしなり、むまこのおとどの為にちゆうせられたまひき。されどもごこつをば皆このどにこそとどめたまひしか。そのうへ御年もたけてこそおわしけめ。これはおんとしもいまだをさなく、わづかに八歳也。このくににあとをもこつをもとどめたまわず。かなしきかな。ただかひなき
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女の身にごせのくるしみをおもひやりたてまつり、ろくだうししやう、さんづはちなんのごふをだにはらひ奉らむと、よるひるおこたるときなくとぶらひさぶらへども、むみやうあくごふのくもあつくして、しゆつりしやうじのやみいまだはるるかたをしらず。とてもかくてもたえず身にそう物とては、ただかなしみのなみだばかり、さめてもねてもきねんする事とては、『いちねんみだぶつ、そくめつむりやうざい、げんじゆむひらく、ごしやうしやうじやうど、さいはうみだ、しんじんやうざう、いちねんじふねん、たうとくわうじやう』、これらのおんちかひのほかは心にかけたのめるかた侍らず。ひんぢよがいつとうをささげて仏をくやうじたてまつりけむも、今こそおもひしられ侍れ。さりともさんぜしよぶつもなどかなふじゆし給はざるべきとこそ、たのもしくおぼへ侍れ。そのなかにもだうしんさめがたく侍るは、こくぼの
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衰へたるにまされるはさぶらはざりけるにや。さるにてもすぎにしころ、ふしぎの夢を見たる事さぶらひき。むねもりとももりをはじめとして、じゆりやうけんびゐしどもがなみゐてさぶらひける所を、もんこをかたくとぢて、『これはりゆうぐうじやうと申て、この所にいりぬる者はふたたびかへることなし』とまうししを、『くげんはなきか』ととひはべりしに、しんぢゆうなごんたちいでて、『いちにちさんじのわづらひあり。たすけてたべ』と申とおぼえて、さめて打おどろかれはべりき。されば、海にいりぬる者は必ずりゆうわうのけんぞくとなると、こころえてさぶらふ。訪れむとてこそ夢にもみへ侍らめと思へば、ほつけきやうをよみ、みだのほうがうをとなへてとぶらひさぶらへば、さりともいちごふはなどかまぬかれざらむと、たのもしくこそ侍れ。されば、是にまされるぼだいのつとめあらじとこそおぼへ侍れ。昔
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右大臣の都をいでさせ給て、さいかいにおもむきたまふとて、都のあとをおもひいでて、こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそいにしとしのこよひはせいりやうにはべりき、あきのおもひのしへんひとりはらわたをたつ。とえいぜらる。わうせうくんがわうぐうをいでて、ここくにおもむきて十九年までなげきけむも、わがみにてこそおもひしられ侍れ。すてがたかりし都へふたたびたちかへりたれども昔のやうにおぼえず。しちせいのさとに帰りけむ人もかくやたよりなくはべりけむ。ゆげのいげんがいよのくにより帰りて、都のいたく荒れにけるを見て、せいさんのむかしみるになほはなうるはし、はくしゆのいまかへるになんぞしよりとならむ。と書たりけむもことわりとおぼえて、すでにうらしまが子の箱のやうに、あけくれはくやしくおぼえはべりて、せんていのおもかげかたときもたちはなるる事のなきにつけても、たうていの
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やうきひをたづね、かんわうのりふじんの形をかんせんでんに写しおきけむも、ことわりとおぼえてはべりき」なむど、こしかたゆくすゑのことどもさまざまにかきくどかせたまひ、なくなく申させ給ければ、法皇をはじめたてまつり、ぐぶの人々是を聞給て涙をながしつつ、「昔しやかによらいのりやうぜんじやうどにて法をとき、でんげうちしようのしめい、をんじやうにしてきやうしやくせられけむも、これほどにやはあはれにたつとかりけむ」と、おのおのおもひあわれけり。にようゐんは、「けふはなにとなきことどもまうしなぐさみ侍りぬ。是までまうしつづけ候へば、さまをかへ世をのがれたらむからに、いつしかけしからぬくちのききさまよとはおぼしめされさぶらふらめども、物をはぢつつむもやうにこそよりさぶらへ。かかるうだいの身のあやふさは、ぼだいのさまたげになるとうけたまはれば、はぢをわすれてまうしさぶらふなり。それにつけても、
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けふのごかうこそしかるべきぜんぢしきと、うれしくさぶらへ。ひをおくりよをかさぬともまうしつくすべからず。既に日くれ侍りぬ。とくとくくわんぎよなるべき」よし申させ給。おんものがたりもやうやくすぎしかば、じやくくわうゐんのいりあひのかね、けふもくれぬと打しられ、せきやう西にかたぶきて、夜もふけぬべかりしかば、法皇おんなごりはつきせずおぼしめされけれども、御涙をおさへてくわんぎよなりにけり。露をかねども袂をぬらし、しぐれせねどもうちしほれ、なくなくくわんぎよなりけり。らいかうゐんのさびしさ、せれうのさとのほそみちわすれがたく、あはれにこころぼそくぞおぼしめされける。にようゐんはていしやうまでいでさせましまして、はるかにみおくりたてまつらる。昔をおぼしめしいでける御涙の色ふかくぞ見へさせ給ける。らうそうじやうの、末の露もとのしづくやよのなかのおくれさきだつためしなるらむ
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とながめけむも、誠にことわりとおぼしめししられけり。法皇も道すがら御涙にむせばせ給て、あはれつきせずおぼしめされければ、おんかへりみがちにぞおぼしめされける。くわんぎよもやうやくのびさせ給しかば、にようゐんはぢぶつだうにいらせ給て、ねんぶつかうしやうに申させ給て、「しやうりやうけつぢやうしやうごくらく、じやうほんれんだいじやうしやうがく、ぼだいぎやうぐわんふたいてん、いんだうさんうぎふほつかい、てんししやうりやう、じやうとうしやうがく、いちもんそんりやう、しゆつりしやうじひぐわん。必ずあやまち給わず、ひごろのねんぶつどきやうのくりきによつて、いちいちにじやうぶつとくだうのえんとみちびき給へ」と、なくなくきねんせさせ給て、御涙にむせばせ給けるこそあはれなれ。法皇のごかうをごらんぜらるるにつけても、昔をおもひいだしつつ悲ませ給へる御有様、さこそおぼしめすらめと、よそのたもとまでも
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くちぬべくぞおぼへし。そのこうてうにたちいでましまして御覧じければ、ごあんじつの柱に。いにしへはくまなき月とおもひしに光りをとろふみやまべのさとわがみのおんことよとおぼしめしいりて、たれびとのしわざにやと、ことわりとぞおぼしめされける。御袖かわくまぞなかりける。とくだいじのさだいしやうしつていのきやうのかかれたりけるとかや。昔世ををさめたまひし時には、東にむかわせたまひて、「なむいせだいじんぐう、しやうはちまんぐう、おんまなじりをならべて、てんしほうさん、せんしうばんぜい」と祈り、こんぜをのがれさせ給へるつとめには、西にむかわせ給て、「なむさいはうごくらくけうしゆあみだぶつくわんおんせいし、ねがはくはきやうげんきぎよのあやまりをひるがへして、ろくだうししやうさんづはちなんのくげんをはらひて、くほんのうてなに
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迎へ給へ」と申させ給ふごきねんのほどこそ、かへすがへすもあはれなれ。寿永二年はいかなる年ぞや、てんしすいていことごとくさいかいのなみのしたにながれけむ。三月下旬はいかなる月ぞや、げつけいうんかくしかしながらせきぢのこていにくちにけむ。昔を思ひ今をかへりみるに、かなしみをそへあはれをもよほさずと云事なし。
廿六 にようゐんはほふわうくわんぎよののち、さすが都のみこひしくおぼしめされて、ひごろおぼしめしいれさせ給たりつるじやくくわうゐんのおんすまひも、かれがれにおぼしめしなりて、いかなりけるおんたよりにかありけむ、ほつしやうじなる所にかすかなる御有様にて住ませ給ける程に、じようきう三年ごとばのゐんのごかつせんに、都もしづかならず、院をはじめたてまつりて、みこのゐんゐんみやみやも、とういの手にかかりて国々へ流されさせたまふをきこしめすにつけても、せんていをはじめたてまつりて、一門一々
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都をおちて、さいかいのなみのうへにただよひて、つひに海底にしづみたまひしことども、只今の様におぼしめしいだされて、いよいよおんなげきつきせず、「いかなる罪のむくいにて、かかるうきよにうまれあひて、うき事をのみみきくらむ。じやくくわうゐんにあらましかばよそきかましか。さすがこれほどまのあたりはみきかざらまし」とさへおぼしめすぞ、せめての事とおぼえて哀れなる。これにつけてもあさゆふのおんぎやうぼふおこたらず。御年六十八とまうししぢやうおう二年のはるのくれに、しうんそらにたなびき、おんがくくもにきこへて、りんじゆうしやうねんにして、わうじやうのそくわいをとげさせ給にけり。おんこつをばひがしやまわしをと云所にをさめたてまつりけるとぞ聞へし。こんじやうのおんうらみはいつたんの事也。ぜんぢしきはこればくたいのいんえんとおぼえて、めでたくぞきこへし。昔のごとく、こうひの位にてわたらせ給はましかば、によしやうのおんみと
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して、いかでかはかのほつしやうのじやうらくをしようぜさせ給べきとあはれなり。「源平のさうろんいできたりて、わざはひにあはせましましけるは、ひとへにわうじやうごくらくのれいずいにて有ける物を」とぞ、ひとまうしあひける。さればひごろはじりりたのぎやうごふ、ゑかうのくりき、めいどにいたりて、ごいちるいもともにくるしみをはなれたのしみをうる、うたがひあらじものかな。
廿七 げんにゐは、けんきうぐわんねん十一月なぬかのひしやうらくせられて、おなじきここのかのひ、じやうにゐだいなごんに任ぜらる。おなじき十二月よつかのひ、だいなごんのうだいしやうにはいにん。すなはちりやうしよくを辞して、おなじき十六日、関東へげかうせられぬ。同三年三月十三日、法皇かくれさせたまひぬ。
廿八 おなじき六年三月十三日、とうだいじだいぶつくやうありけるに、ずいひやうの
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為に二位殿しやうらくせられ、三月十二日、南都へつきたまひて、つぎのあした十三日たつのこくに、東大寺へさんけいせられける。「なんだいもんの東の脇にだいしゆしゆゑしたる中に、あやしき者のみえつる、めして参れ」とのたまひければ、すなはちかぢはらはしりむかひて、ひつぱりてまゐりたり。ひげをそつて、かみをそらぬものなりけり。子細をたづねられければ、「かほどになりぬる上はろんじまうすにおよばずさうらふ。うんつきたまひぬる平家のかたうどつかまつるによりて、かくまかりなりさうらひぬ。これは平家にしこうしてさうらひし、さつまのへいろくいへながとまうすものにて候。もしびんぎさうらはばとぞんじて、うかがひまひらせ候つるなり」とはくじやうしければ、「こころざしのほどしんべうなり」と感じ給けり。供養ののち、都へかへりたまひて、ひそかにきられにけり。
廿九 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎは、都にもあんどせずして、たぢまのくににおちゆきて、
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けひのごんのかみみちひろがもとにかくれゐたりけり。人是をしらず。みちひろが娘の有けるに、もりつぎしのびてかよひけり。されどもはりふくろをとをすふぜいにて、かくれなかりけり。盛次しのびて京へのぼりて、としごろしりたりける女のもとへぞかよひける。あるよかのをんな、「さてもいづくにおわするぞ。かやうになさけをかけ給へば、露おろかの儀なし」と、ねむごろに云ければ、「われはたぢまのくにけひのごんのかみみちひろと云者がもとにあるなり。あなかしこ人にひろうすな」とぞ語りける。さる程に鎌倉殿より、「ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、からめてもうちてもまゐらせたらむ者にはけんじやうあるべし」とひろうありけり。かのをんなには又としごろのまをとこありけり。このをとこあるよのねざめに、「盛次をからめてもうちてもまゐらせたらむ者には
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けんじやう行わるべきよし、鎌倉殿よりひろうあり。あはれ、いづくにか有らむ。からめてけんじやうをかうぶらばや」と云ければ、人の心のうたてさは、ま男にや移りけむ、このをんな、「わらわこそ知たれ」と申ければ、男よろこびて、さまざまのひきでものをして、すかしとひければ、女ありのままに語りたりけり。すなはち鎌倉殿にこのよしを申たりければ、やがてみちひろにおほせて、からめてたてまつるべきよしおほせらる。をりふしけんきうはちねんのころ、みちひろおほばんの為にざいきやうして有けるが、わがみはくだらずして、みちひろがいもうとむこ、あさくらのたいふもちてさうらひしが、「今は運つきて、かやうにからめめされさうらふうへは、ちからおよびさうらはず。とくとく首をめせ」とぞまうしける。二位殿打うなづき、「あはれ、これらをたすけおきてめしつかはばや」と思給けれども、「平家のさぶらひの中には一二の
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者也。虎を養ふうれひあり」とて、つひにもりつぎはきられにけり。
三十 かづさのあくしつびやうゑかげきよはかうにんに参りたりけるを、わだのさゑもんのじようよしもりにあづけらる。昔平家の時にふるまひしやうに、ややもすれば義盛をおもひあなづりて、さかづきも前に取り、えんより馬におりのりなむどしければ、義盛もてあつかひて、「かげきよがよしもりをばあまりにあなづりさうらふに、他人にあづけたび候へ」と申たりければ、はつたのしらうともいへにあづけられにけり。のちには法師になりてひたちのくにに有けるが、とうだいじのくやう三月十三日ときこゆ。さきだちてなぬかいぜんよりおんじきをたちて、ゆみづをものどへも入れず。供養の日、つひに死にけり。
卅一 ろくだいごぜんゆるされたまひてのち十二年とまうしし、けんきう七年七月十
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日さるのこくに、ほつしやうじのいちのはしへんにむほんのものたてごもりたりとて、二位殿のいもうとむこ、いちでうのにゐのにふだうのさぶらひ、ごとうざゑもんもときよがしそく、しんびやうゑもとつな、五十余騎ばかりにてはせむかひて、からめとらむとしければ、かのところうしろには大竹しげりて、前には高岸にて橋をひきたり。外よりかりばしをわたしてうちいりてみれば、かくれこもりたりけるものどもまちうけてさんざんに戦けるが、おほぜいなほはせかさなりければ、こらへずして、うちじにする者もあり、自害する者もあり、自害なかばにしかけたる者もあり、又うしろより堀をこえておつる者もあり。大将軍はこしんぢゆうなごんのおんこ、三歳にてじよしやくして、いがのたいふともただとて、きいのじらうびやうゑためのりにふだうがやうくんにしたりける、としはたちばかりなる人なりけり。
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としごろはいがのくにのやまでらにおはしけるが、年もをとなしく成て、ぢとうしゆごもあやしみぬべかりければ、けんきう七年の秋のころをひより、ほつしやうじのいちのはしのへんにしのびておはしけるに、平家のさぶらひどもわづかにかひなきいのちばかりいきて有けるが、このともただをたいしやうにてせうせうたてごもりたりけり。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしつびやうゑかげきよ、ひだのしらうびやうゑかげとしらなり。手のきはいくさして、じやうのうちみだれにければ、うしろのたけはらよりにげにけり。これらはさいこくにていくさやぶれければ、平家の人々海へいりたまひし時、共に入たりけれども、くつきやうのすいれんにてありければ、海の底をづぶにはいて、地へつきてまどひありきけるほどに、いがのたいふの
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もとへたづねゆきて有けるに、つよくせめければ、かなはずして逃にけり。かうのものはよくにぐるとは、かやうの事を申べきなり。平家のけにんの中にはむねとのさぶらひ、いちにんたうぜんのものどもにて、もじがせきにてもこれらにこそ人は多くうたれしか。ためのりはやうくんの自害したるを膝の上にひきかけて、腹かひ切て、うつぶしにふしたりけり。そのこどもさんにん、ひやうゑのじらう、おなじくさぶらう、おなじくしらうとて有けるも、おなじく自害してさうにふしたり。あはれなりし事也。そのころ、くわんげんするとてよりあひよりあひ、夜はあそびてあかつきはかへりかへりしけるを、ざいちのものどもあやしみて、にゐのにふだうにつげまうしてうたせたりけるとかや。かのところはへいけのしやうこくぜんもん、よきじやうくわくなりとて、じやうにかまへむとて、しめをかれたりし
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所也。ごとうざゑもん、くびどもとりあつめて、にゐのにふだうに見せ奉たりければ、わかうどの首にては有けり、いちぢやうともただの首とも知給はず。この人の母はぢぶきやうどのとて、七条のにようゐんにしこうの女房なりけるを、むかへよせられて、「いちぢやうともただのくびか」とみせられければ、女房のたまひけるは、「七歳とまうししにためのりにあづけおきて、わがみはこちゆうなごんに具せられてさいこくへまかりしのちは、いきたりともしにたりともそのゆくへをしらず。まして相見るまではおもひもよらず。たしかにそとはおぼえねども、故中納言のかほざしのおもひいださるる。さにこそ」とのたまひて泣給。「さてこそいちぢやう」とはしられにけれ。いまさらのことどもおもひいだしたまひけむ心のうちこそあはれなれ。
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卅二 こまつどののしそく六人おはせしも、ここかしこにてうしなはれける中に、たんごのじじゆうただふさはやしまのいくさよりおちて、ゆくへをしらざりつるが、きいのくにのぢゆうにんゆあさのごんのかみむねしげがもとにかくれゐられたりけり。是を聞て、いづみ、きいのくに、つのくに、かはち、やまと、やましろ、いが、いせ、きんごくの平家のけにんども、一人二人きくははりける程に、五百余人こもりたり。二位殿このよしをききたまひて、くまののべつたうたんぞうほふげんにおほせて、さんかげつがあひだにせめたたかふことはちかどなり。ゆあさにはくつきやうのじやうあり。をかむらのじやう、いはのがはのじやう、いはむらのじやうとてさんかしよあり。かのじやうにくつきやうのものどもたてごもりたり。このほかまたゆあさがいへのこらうどう、数をしらず。中にも湯浅がをひ、かんざきびとうだ、しやていびとうじ、むこにふぢなみのじふらう、そのやうじに
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いづみげんざうきやうだい、いはどののじらうむねかたなど云、いちにんたうぜんのつはものどもたてごもりたるあひだ、たやすくせめおとしがたし。たんぞうたのみ切たるさぶらひ、すずきのごらうざゑもんと云者、人にもすぐれてすすみいでてたたかひけるを、ゆあさがをひびとうだ、おほかぶらやのじふごそくあるをあくまではなつ矢に、ごらうざゑもんのじようが鎧のおしつけの板を、ぬしをこめていとほしたり。是をみてうつてのつはものどもすすみたたかはず。そうじてみつきのあひだにかつせんすどに及ぶ。かかりければくまのぼふし多くておひて、郎等あまたうたれにけり。たんぞう、「せめたたかふに今はくわんびやうちからつきて候。国をもしごかこくよせらるべし」と申たりければ、二位殿おほせられけるは、「くわんびやうのいふかひなきにこそあむなれ。
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いかさまにもしじゆうはいかでかこらふべきなれば、せいをものぼすべきにてはあれども、はかりことをめぐらしてよすべきなり。さんかいをよくしゆごしてぬすびとをしづめよ。固く守護せばひやうらうまいつきて、一人二人おちむ程に、一人も有まじきぞ」とおほせらる。これによつて守護きびしかりければ、あんのごとくひやうらうまいつきて、おもひおもひにみなおちうせにけり。二位殿おほせられけるは、「こまつどののきんだちかうにんにならむをばなだめまうすべし。たてあわむ人々をばちゆうすべし。へいぢのらんのとき、頼朝がしざいにさだまりし事をば、いけのあまごぜんのつかひとして、こまつどの、だいじやうにふだうによきやうにまうされしによりてこそ、るざいにもさだまりたりしか。されば小松殿のきんだちの事、おろかともおもはず」とぞのたまひける。ただふさ、ゆあさのむねしげがせめおとされて、かうにんに成て鎌倉へ
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くだりたまひたりければ、二位殿たいめんしたまひて、「みやこちかきかたほとりにかたのごときことなりとも、おもひしりたてまつらむずるぞと、しやうらくあるべし」とのたまひけるにつきて、のぼられける程に、あふみのくにせたと云所にて、たばかりて切てけり。かしこかりけるはかりことなり。
卅三 又小松殿のばつしにとさのかみむねざねと云人おわしけり。三歳よりして、おほひのみかどのさだいじんつねむねとりたてまつりて、やしなひたてまつりて、いしやうたにんになして、弓矢の道をもたしなまず、只ぶんぴつをのみをしへたまひて、てうかにつかへ給て、今年は十八になりたまひけるを、鎌倉よりはたづねはなかりけれども、なほせけんにおそれて、昔のよしみを忘れておひいだされければ、ゆくかたなくして、だいぶつのひじり、しゆんじようしやうにんのもとにおわして、もとどりを切て、「これ
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そりおろしてたびさうらへ」とのたまひければ、上人、「たれにておわするぞ」ととはれければ、「これはここまつのだいふがばつしにて候けるを、三歳よりおほひのみかどさふのいうしにして今まで候つるを、せけんにおそれておひいだして候時に、かみをそりておんでしになりて、ごせをも助かりさうらはばやとて、ひらに参て候也。あしかるべしとおぼしめされさうらはば、鎌倉へこのよしを申させ給て、さのさうにしたがはせ給へかし」とのたまひければ、しやうにんあはれみたまひて、とうだいじのゆくらと云所にすへ奉りて、いそぎ鎌倉へつかひをたてて、二位殿にまうされたりければ、「あながちに罪深かるべき人にあらず。そのうへしゆつけにふだうしてければ、さやうにてそれにおきたまへ」とまうされたりければ、しやうにんなのめならずよろこびておきたてまつりたり。のちにはかうやさんれんげだにと云所にぢゆうして、
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しやうれんばうとてちかくまでおわしけるを、このいがのたいふの事いでて、猶あしかりなむとて、とさのにふだうしやうれんばうをば鎌倉へよびくだされけされければ、入道、いでたまひける日よりおんじきをたちて、十三日と申すに、あしがらやまをこえてせきもとといふところにて、つひにうせたまひぬ。あはれなりしことども
なり。
卅四 あはのかみむねちかとてやしまのおほいとののばつしおわしけり。誠にはやうじにておわしけり。はなぞののさだいじんどののおんすゑとかや。これも平家ほろびてのち出家し給ひて、しんかいばうとて、ぶつしやうばうとまうすひじりあひともにかうやにこもりゐて、ねんねんひさしくおこなひたまひけり。そののちだいぶつのひじりのもろこしへ渡りけるたよりにつきて渡る。かのくににとしごろありておこなひたまひける有様、世の常の事にはあらず。ひとへにしんみやうををしまず。あるときはしゆつけざぜんとて、どうぎやう
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三人ぐして深き山に入て、くさひきむすぶほどのかんさうだになくて、ひとへにうろに身をまかせつつ、四五十日とおこなひたまひければ、今二人はたへずして、すててかへりにけり。其後に又この国へかへりて、都のほとりは事にふれてすみうしとて、おほいとのの「あくろ、つがろなりとも、ゆりだにしては」とのたまひけむかた、そのなさへむつまじくて、常にはえびすがすむ、あくろ、つがろ、つぼのいしぶみなど云かたのみにすまれ給けるとかや。妹あまたおはしける中に、てんわうじにりゑんばうとてすみ給は、けんれいもんゐんに六条殿とてさうらひたまひし女房也。彼のひじりの有様、さんりんにまどひありきてあともとどめずなどばかりは、ほのかにきこゆれども、ちかごろは対面などせらるるたよりもなければ、いきてやおはすらん、しらず。ひたすら
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むかしがたりにてすごしたまひけるに、この三四年かんざきとまうすところに、おもひよらぬ程に、よにすずしげなる人あり。わらはべあまた尻にたちて、ものぐるひとてわらひののしる。そのさまをみれば、人にもあらず、やせくろみたる法師のかみぎぬのきたなきが、わらわらとやれたるがうへに、あさのころものここかしこ結び集めたるを、わづかにかけつつ、かたかたやぶれうせたるひがさをきたり。「あないとほし、こはなに物のさまぞ」とおもふほどに、としごろおぼつかなく心にかかれるしんかいばうなり。是をみ給に目もくれて、あはれにかなしき事かぎりなし。まぢかくみむ事もかはゆきさまなれば、ふるき物共ぬぎすて、湯なむどあぶせ奉りて後、しづかにとしごろのいぶせさも語られけり。「今は年も高くなり給たり。おこなふべき程につとめてすごしたまひにき。いづくにものどかにしづまりて、
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念仏など申てゐたまへ」と、ねむごろにいさめて、山里にいほりひとつむすびて、こぼふしひとりさたしつけて、そのよういなどかの妹のさたしおくられければ、しぶしぶながら月日をすごし給けるほどに、あるときかはちのひろかはと云所にすむひじりとかやたづねきたりけり。これに対面して、よもすがら物語せられけるを、このこぼふし物をへだててききければ、「かくてもなをごせ必ずしうべしともおぼえず。事にふれてさはりあり。ただもとありしやうに、いづくともなくまどひありきて、いささかも心をけがさじと思て」など有ければ、あやしと思けれども、たちまちに有べき事とも思はですぐる程に、そののち四五日ありて、いづくともなくうせられにけり。小法師こころありける者にや、悲しくおぼえて、なくなくたづねありきけれども、いづくをはかりともなし。
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「ありし夜の物語の中に、たんばの方へとかや、ことばのさきばかりほどにきこへし物を」と思て、こころざしのあまりにいづくともなくたづねありきければ、あなうと云所にて、けうにしてたづねあひたてまつりにけり。ひじりおぼへずあきれたるけしきにて、「いかにして来たるぞ」といわれければ、「ひごろもさるべきにてこそつかまつりつらめ。いかなる有様にても、御共に候はむとおもひはべるこころざしふかくて」など、なくなくきこゆ。「こころざしはいとありがたくあはれなり。しかはあれども、いかにもいかにもかなふまじき」よしのたまへば、猶もしゐてもきこへば心にもたがひぬべきやうなれば、なくなくかへりにけるのちは、きよしよも定めず、くもかぜにあとをまかせて、さらにゆくへもしらず。いとたつとく、まつせにはありがたき程の、むごくのだうしんじやなり。このひとばかりぞまどひありきて、平家のごせどもとぶらはれける。
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卅五 さいこくのかつせんのとき、へいけぢゆうだいさうでんのしよじゆう、たいりやくほろびうせぬとおもひしに、いかにしてもれにけるやらむ、ひごのかみさだよしもうちもらされて、きいのくになる所にかくれゐたりけるが、としごろきよみづのくわんおんを信じたてまつりて、こうをいれまひらせけるが、今は程も遠し、せけんもおそろしくおぼえて、参る事もかなはざりければ、とうじんのせんじゆをつくりたてまつりて、朝夕にくぎやうらいはいし奉る。さるほどに、このさだよしかくれゐてありといふきこへいできたりて、鎌倉へめしくだされけるに、「このほんぞんをかくておきたてまつらむよりは、おなじくはきよみづへおくりおきまひらせむとおもふなり」とて、おくりおきまひらせてけり。さてさだよしは鎌倉へくだりたりければ、ゆゐのはまへいだしてくびをきらるるに、都の方へむかひて、「なむせんじゆせんげんだいじだいひくわんじざいだいしやう、ごせたすけ給へ」と三度ふしをがみて、
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さらばとくしてくびをのべければ、きらむとするに、たちにはかにおれてけり。されどもなにと思ひわく事なくて、又べちのたちをもつてきるに、またさきのごとくおれにけり。さだよしも不思議におぼえけり。そのとききりてもぶぎやうもあやしみて、ゆゑをとふに、「なにごとも侍らず。われとしごろきよみづのくわんおんをたのみたてまつりて年久し。すなはち只今も、『ごしやうたすけたまへ』とまうすばかりなり。そのほかは何事もなし」と申せば、「さてはうたがひなき観音のおんぱからひにてこそ」とて、「このしだいを鎌倉殿へ申さではいかが」とて、つかひをいそぎまひらせけり。鎌倉のうだいしやうはそのをりしもすこしよりふして、ねぶり給たりけるに、夢のうちにらうそうきたりていはく、「さだよしをば今はゆるし給へ。われかわらむ」といふを、「汝はなにびとぞ」とたづねられければ、「是は都の方、きよみづよりきたりてはべるなり。かのさだよしはをさなくよりわれにこころざしふかくて、
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ふびんにぞんじさうらふ。われすでにかはりぬるなり」とのたまふとおもひて、うちおどろきたまひぬ。「うたがひなき観音のおんぱからひ」と思給に、みのけいよだちて、いそぎこれをとどめにゆゐのはまへ人をつかはし給ける程に、浜よりつかひはしりつきて、事の次第をこまかくまうすに、「かへすがへす不思議の事也」とて、さだよししざいをゆるされければ、うつのみやがあづかりて、もてなしだいじにしけり。かのうつのみや、平家にめしこめられたりしを、さだよしまうしうけてゆるしたりけり。そのおんをわすれずして、今かく大事にしけり。恩をわすれぬうつのみやをききおよぶひと、感ぜずと云事なし。人にはよくあたりをくべき事也。くだんの貞能がほんぞんのきよみづへ送りまひらせたりけるが、あたらしき御仏なれば、おちたまふべくもなきに、にはかにみぐしのおちたりけるを、ふしぎやとて、よくよくなをしまひらす
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るに、又やがてにどまで落させ給たりけれども、じそうもなにとも思ひわかず。そのよかのそうの夢にあるそうきたりて、「わがくびのおつるをばなにとか思ふ。さだよしがくびを切らるるにかはりてきられつる」といふとみてゆめさめて、人々に語りけり。まことにくわんおんぎやうに、「りきじんだんだんゑ」といへるもん、このことにやとおもひあはせられけり。のちにきこへけるは、やがてこのさだよしがきられけるどうにちどうじに、みぐしもおちさせおはしましけり。おんくびにかたなめふたところおはしけり。今にそのあとはおはすとぞ承る。かへすがへす不思議の事也。これのみならず、げんぶつにておはしましければ、りしやうかぶる人も多し。きよみづにはげんぶつあまたおはしますとまうすは、すなはちこのおんほとけそのうち也。鎌倉のだいしやうこのことをききたまひて、観音を深く信じ給けり。さだよしも仏の
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おんあはれみの者なればとて、事にふれてとぶらひたまひけり。さだよしもめしくだされし時はさるべきにはあらねども、ほんぞんもうらめしく思ひまひらする心も有しに、今はいよいよしんじんをいたす。かくれゐたりし時は、波のたち、風のふくもおそろしくおぼえて、安き心なかりしに、今はなかなかしんぢゆうもひろびろとおぼえければ、「とても観音のごはうべん、はかりことましまして、ごしやうにをきてはうたがひあらじ」と、たのもしくぞおぼえける。人々申けるは、「平家のすゑずゑのきんだちだにも、むほんをおこしたまひておんだいじに及ぶ。ましてたかをのもんがくしやうにんのまうしあづかりたまひしろくだいごぜんは平家のちやくちやくなり。おほぢこまつのないだいじんどのはよのなかのかたぶかむずる事をかねてしりたまひて、くまのごんげんに申給て世をはやくし、ちちさんゐのちゆうじやうどのはいくさのさいちゆうにしづかにものまうでし給て、身をかいていに
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なげたまふ。かかる人々の子孫なれば、かしらはそるとも心のたけき事はよもうしなひたまはじ。哀れとくうしなはれで」と申けれども、二位殿ゆるし給はねば、ちからおよばずすぎけるほどに、「二位殿もかくいふなり」とききたまひては、「もんがくがいきてあらむ程はさてありなむ」とぞおもひたまひける。
卅六 もんがくしやうにんは元よりおそろしき心したる者にて、「たうぎんはぎよいうにのみ御心をいれさせ給て、世のおんまつりごとをもしらせ給はず。くでうどのごろうきよののちはきやうのつぼねのままにてあれば、人のしうたんもとほらず。ごたかくらのゐんをばそのころはにのみやと申けり。にのみやこそごがくもんもおこたらせ給はず、せいりをさきとしておはしませ」とて、くらゐにつけまひらせて、世のまつりごとおこなはせまひらせむとはからひけれども、鎌倉のだいしやうおはせしかぎりはかなはざり
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けり。このきみげいのうふたつをならぶるに、ぶんしやうにおろそかにして、きゆうばにちやうじ給へり。国のらうぶひそかに、ぶんを左にしぶを右にする、ていとくのかけたるをうれふる事は、かのごわうけんかくをこのみしかば、てんがきずをかうぶるものおほし。そわうさいえうをこのみしかば、きゆうちゆうにうゑて死する人おほかりき。きずとうゑとは世のいとふ所なれども、かみのこのみにしもの随ふ故に、国々のあやふからむ事をかなしむなりけり。源二位しようじんかかはらず、だいなごんのうだいしやうまでなりたまひにけり。うだいしやうおはせし程は、はからひおこなはせまひらせむと思けれども、かなはざりける。しやうぢ元年正月十三日、うだいしやうよりとも隠れたまひてのち、この事をなほはかりけるが、世にきこへて、もんがくたちまちにゐんかんをかうぶりて、二月六日、にでうゐのくまのしゆくしよにけんびゐしあまたつきて、めしとりてさどのくにへぞながされける。鎌
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倉よりさゑもんのかみどのしきりにとりまうさせ給ければ、すなはちめしかへされにけり。たかをにあんどせさせられけるに、たかをのしやうにかしよめされたりけるを、「かへしつけられてあんどせむ」と申ければ、「ことしばかりはあてたまふ人にしらせて、みやうねんよりつけむずるぞ」とおほせければ、「こはいかに、頼朝の世につけられたるしやうを、もんがくをめしかへさるるほどにては、いつしよも返さるまじきやうやはある。かのしやうかへしつけられぬ程ならば、もんがくはあんどすまじき物を」といふ。たうぎんはおんぎつちやうをこのませ給ひければ、もんがく「ぎつちやうくわんじや」とぞ申ける。くげより鎌倉へこのよしおほせければ、「さやうにくげのおんためにあしくさうらはむずる者をばちからおよびさうらはず。ともかくもおんぱからひ」とはなたれければ、このたびはおきのくにへぞつかはしける。「安からぬ事かな。このぎつちやうくわんじやにかくせらるる事よ。目あらむ者はたしかにみよ、耳あらむ者は
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たしかにきけ。我にかやうにからき目みすれば、ただいまにわがまへへむかへとらむずるぞ」と、はがみをしてぞ申ける。かくていくほどもなくてしにける時、弟子の二人有けるに、「わがくびをば都へもてのぼりてたかをにをけよ。都見えむ高からん所にをけ。都をまもりてかたぶけむ」とぞゆいごんしける。さればひそかにもてのぼりて、たかをに墓をばしてけり。そののち十一年と申けるに、とがのをのみやうゑしやうにんのもとにもんがくばういできたる。につちゆうのぎやうしておはしけるおんうしろばかりにきたりて、「ごばうはわたらせたまひさうらふか」。「たそ」とのたまへば、「もんがくなり」と答ふ。「ごばうはしにたまひたるときくに」とのたまひければ、「しにはしにて候へども、申べき事さうらひて、参てさうらふ。このぎつちやうくわんじやにつらうあたられて候あひだ、あたりかへさむとぞんじさうらふが、この十一年之間、ぶつじんのおんゆるしの候はねば、力及ばでさうらひつるが、あまりに申
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候へば、やうやうおんゆるしのさうらふあひだ、むほんをおこさむとしつるに、めぐらしぶみをいださむとし候が、紙の候はぬ。かみやさうらふ。たばせたまへ」。かみもなきものをや」とのたまひければ、「ああかみはさうらふぞ。ただたびさうらへ」とまうしてうせにけり。おんでしたちをめして、「かかることこそありつれ。ごばうたちがもとにかみやある」。「ひとひのおんふせのかみのひやくでふさうらひし。ごじふでふはめされさうらひぬ。いまごじふでふざうらふ」とまうしければ、「さてはそれをみてぞいふらん」とて、かれがはかにてぞやきあげける。そののちしごにちあつて、またにつちゆうのぎやうしておはしけるうしろばかりにきたりて、「ごばうはわたらせたまひさうらふか」。「たそ」とのたまへば、もんがくざうらふ」とて、「ひとひかみたまはりさうらひて、めぐらしぶみいだして、むほんをおこしてほろぼさむとしさうらふに、くげよりさだめて、『くげあんをん、くわんとうそんばうのぎやうせよ』と、おほせさうらはむずらむ。あひかまへてさやうのぎやうばしせさせたまひさうらふな。『くわんとうあんをん、くげそんばう』と、いのらせたまひさうらへ。ささうらはずはごばうのしやうげのかみ」と
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まうしてうせにけり。おきのゐんのごむほんはもんがくがれいとぞきこえし。
卅七 そののちろくだいごぜんはうちたへたかをにもおわせず、やまやまてらでらしゆぎやうして、ちちのごしやうぼだいをとぶらひたまひけるが、もんがくるざいせられたるよしつたへききたまひて、たかをへかへりたまひたりけるを、あんどううゑもんのたいふすけかぬにおほせて、おなじきとしにぐわついつか、にでうゐのくまのもんがくしやうにんのしゆくしよにおしよせて、ろくだいごぜんをめしとりてくわんとうへくだしたてまつる。するがのくにのぢゆうにんをかべのさぶらうだいふよしやすうけたまはりて、せんぼんのまつばらにてきられけり。じふにさいにてほうでうのしらうときまさのてにかかりて、するがのくにせんぼんのまつばらにてきられたまふべかりしひとの、ことしにじふろくまでいのちいきたまひて、つひにせんぼんのまつばらにてきられたまひぬるも、ぜんぜのしゆくほうとおぼえてあはれなり。これよりへいけのしそんはたえはてたまひにけり。
卅八 けんきうさんねんさんぐわつじふさんにち、ほふわうつひにほうぎよ。おんとしろくじふろく。こうねんかううんの
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きみなり。おんが、おんぎやくしゆ、かうやまうで、ごとうざん、しようちめいしよのえいらんをきはめ、げんぶつれいしやのりんかうをつくし、しめいにはだいじようかいをうけ、みゐにはみつけうをならひ、とうだいじにはしやうむさうさうのあとをとめて、こんどうのれいざうおんてをくだしにかいげんしたまふ。えいしんにそむきしあおばはかぜのまへにちりはて、てうしやうをみだりししらなみはうたかたときえしかど、ぶんだんのあきのきり、ぎよくたいををかして、むじやうのはるのかぜ、はなのすがたをさそひき。わうじやうごくらくはあさゆふのおんのぞみなりければ、りんじゆうしやうねんみだれず、ゆがしんれいのひびきはそのよをかぎり、いちじようあんじゆのおんこゑはそのあかつきにをはりき。ふてんかきくらし、そつとつゆしげし。さうもくうれひたるいろあり。いはむやはりようのまつにをいてをや。てうじやくかなしべるこゑあり。いはむやどうていのつるにをひてをや。おほみやびとはさくらいろにそめしたもとををしなべて、うのはなをまつにさきかかるふじのころもにたちかへて、じひのめぐみいつてんのしたをはぐ
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くみ、びやうどうのじん、しかいのほかにながしき。
卅九 そもそもせいいしやうぐんさきのうだいしやう、そうじてめでたかりけるひとなり。さいかいのはくはをたひらげ、あうしうのりよくりんをなびかしてのち、にしきのはかまをきてじゆらくし、うりんたいしやうぐんににんじ、はいがのぎしき、きたいのさうくわんなりき。ぶつぽふをおこしわうぼふをつぎ、いちぞくのおごれるをしづめ、ばんみんのうれひをなだめ、ふちゆうのものをしりぞけ、ほうこうのものをしやうし、あへてしんそをわかず、まつたくゑんきんをへだてず。ゆゆしかりしことどもなり。このだいしやうじふににてははにをくれ、じふさんにてちちにはなれて、いづのくにひるがしまへながされたまひしときは、かくいみじくくわほうめでたかるべきひととはたれかはおもひし。わがみにもおもひしりたまふべからず。ひとのほうはかねてぜんあくをさだむべきことあるまじきことにや。なにごとのおはせむぞとおもひたまひてこそ、きよもりこうもゆるしおきたてまつり、いけのあまごぜんもいかにいとほしく
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おもひたてまつりたまふとも、わがしそんにはよもおもひかへたまはじ。「ひとをばおもひあなづるまじきものなり」とぞ、ときのひとまうしさたしける。
平家物語第六末
(花押)