平家物語 長門本(国書刊行会蔵本)巻第三

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平家物語巻第三

偖大納言供したりける者共走帰て、大納言殿は西八
条に召こめられ給ひぬ、夕さり失ひ奉るべしとてく
るるを待とこそうけ給つと、ありつる有様をなくな
く申ければ、北方よりはじめて、男女声を上てをめ
きさけぶ、さこそかなしかりけめと推量せられてあ
はれなり、夢かや夢かやと思へども、うつつにてぞ有
ける、叫喚地獄の衆生とぞみえし、あたりの人の申
けるは、いかにかくては渡らせ給ふやらん、叶はざ
らんまでも、立忍ばせ給へ、少将殿を始奉て、きん
達皆召させ給べしとこそ承つれ、涙もかきあへず申
あひければ、是ほどの事に成て残りとどまる身とも
あんをんにて何のかひかは有べき、我も一野の露と
消なん事こそ本意なれ、けさを限りと思はざりつる
ことのかなしさよとて、伏まろびてなきかなしみ給

ふもことわり也、すでにつはもの来り向ふと申けれ
ば、かくて恥がましく有ん事もさすがなるべければ、
ひとまどなりともたち忍んとて出給ふ、跡先ともな
きおさなき人どもとりのせて、いづくをさして行と
もなくやりいだす、牛飼これはいづくへ仕べきにて
候やらんと申ければ、北山の方へと車の内よりのた
まへば、大宮を上りに、北山の雲林院の辺までまし
ましにけり、その辺なりつるそう坊におろしすへた
てまつりて、送りの者ども、身々のすてがたければ、
各いとま申てなくなく帰りにけり、今はいひがひな
き小歳人々ばかりとどまりゐて、又事とふ人もなく
てましましけむ、北方の心中推量せられていとをし、
日のくれ行影を見給ふにつけても、大納言の露の命
今夜を限りなりと思ひやられて、消入心地ぞせられ
ける、女房侍ども、かちはだしにて恥をもしらずま
よひいでにけり、家中の見ぐるしきものども、取し
たたむるにも及ばず、門をだにもおしたつる人もな
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し、馬どもは馬屋に立並びたれども、草かふ者もな
し、夜あくれば馬車門に立て、賓客座につらなり、
遊びたはぶれ舞をどり、世は世とも思はず、近きあ
たりの人は物をだに高くいはず、門前を過るものも
おぢ恐れてこそ昨日までも有つるに、夜の間にかは
り行こそかなしけれ、盛者必衰のことわり、目の前
にこそあらはれけれ、此北方と申は、山城守敦方が
娘にてましましけるを、けんしゆん門院の御乳母諸
人とて、御身近き人に召仕はれけるものなりけるが、
我身あやしの下臈なるを、御身ちかく召仕はるる事
おそれありとて、養子にして参らせけるを、法皇浅
からず思召して、十四の年より十六まで御いとをし
み深かりけるを、二条院の御位の時是を御覧じて、
忍忍に御書を遣されけり、しばしはとかくれ申
けれども、ただ法皇をばすて参らせて参るべき由、
仰しきりなりければ、内々諸人にいひ合せられける
に、女院の思召す所も恐れ覚ゆれども、力及ばずし

てこそ過しつれ、左程に仰のあらん上は、内へ参ら
せ給たらば、かたがた然るべしと許しければ、法皇
の御所を遁出て、内裏へ参り給にけり、兼て思ひあ
らまし給けるにもたちまさりて、御心ざしたぐひな
く深かりけり、最後の御惱の重らせ給ひける御事も、
此人のとがなりとて、大夫三位殿とて重き人のさぶ
らひけるにもただ御里へ出給へ、かくてはいよいよ
あしかりなんとて、いさめ申されける間、闇路に迷
ふ心地して、思ばかりはなけれども、泣々まかり出
給ひぬ、事なをざりなる御惱ならば、更に許し奉ま
じけれども、日に添へておもくならせ給へば、力及
ばで出給ぬ、又十六歳より内へ参り給て、中二年に
て十九と申けることし、御門かくれさせ給ひにけり、
日頃月頃給らせ給ひける御書どもあさまにならんう
しろめたさに、返し奉べき仰ありければ、くちせぬ
千代の御かたみともしのばれ、濱千鳥跡ばかりだに
もと、ためらひ申されけれども、御心うちをもらせ
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給ひたるにうちそへて、是まで御心ぐるしく、仰の
ありければ、唐ねこほりはめたる御手箱二合にをさ
めて、なくなく参らせたりければ、新大納言経之卿
承りて、御前にて煙もよそにたきあげられにけり、
いかばかりかは女房もをしくかなしかりけん、御前
に候人々も袖をしぼらぬはなかりけり、崩御成にし
後は、諸人が宿所に大炊御門たか倉なるもろおり戸
の内にとぢこもりて、君の御菩提をのみとぶらひ奉
給て、年月ましましけるを、此大納言成親卿中御門
烏丸の花亭を磨て徒移の夜は、法皇の御幸なり奉る
べき由申されけり、其ころ御所に大納言の局、三条の
局とてさぶらひ給ひける女房どもも、大納言は心ざ
し有ければ、此人々思はれけるは、法皇入れ参らせ
んあるじには、我々にてぞ有んずらんとおのおの思
はれけるに、大納言御所へ参りて申されけるは、忝
く御幸をなし参らせ候はんずるに、家童子がねこそ
覚候はね、三条も大納言もあるじには不能覚候と

ぞ内々申されける、是まで打とけもらし申されけり、
法皇暫く御あんあて仰のありけるは、御幸あらんに
つけても、なみなみならんものは、誠に然るべから
ず、抑諸人が参らせたりし今参りとて、有しものこ
そ二条院も心ざし浅からぬと聞えしか、崩御の後は
諸人がもとに、かきこもりたる由聞召す、いかなる
玉をつらねたらん花亭のあるじといふとも、かたは
らいたからんものを、諸人はみなれたりしかば、こ
しらへよりて聞けかしと、ゑみをふくませ給ひて仰
の有ければ、新大納言うけ給もはてず罷出て、諸人
をぞ尋ける、則ち参りたりければ、故女院の御時は
つねにみなれ申しに、などかおのづからも是へ入給
はぬとのたまへば、誠に女院御かくれの後は、月日
の光り失へるごとくにて、あけくれはなきふしての
み、とぢこもりて侍れば、いづれの御方にも対面申
さずと申けるに、やがて酒すすめて美絹百疋ひきで
物にとり出されければ、諸人いかにも思ひまうけぬ
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心地して覚給けるに、大納言宣ひけるは、さても此
ほど宿所のわたましに法皇入せ給ふべき由仰あて、
今更面目も色そふ心地にて覚ゆるに、あるじかねを
もち給へるよしを聞、あひかまへてあひかまへてよきやうに
計ひ給へと、おどしつこしらへつうちくどかれけれ
ば、諸人申けるはいかに申ともわかき人の御心には、
雲井の月のむかしがたりわすれかねて、たへぬなが
めの夜な夜なは、袖香る光をも物すさまじくうらみ
給へば、こしらふともかなひがたくこそと、うちと
けがたく答けれども、大納言思ひかね、ほどへだた
らばさはりもぞ出でくるとて、やがて諸人がかへり
つかぬ先に、さしちがへて女房どもを取のせて、車
をかの宿所にやり入て、事の由をばこまかにいひ聞
せ奉らず、心ならずたすけのせ奉りて帰りにけり、
其後しばしは引かつぎてふし給へたりけれども、さ
すが男女の習ひなれば、近附給てより後、志たがひ
に浅からず、御子もあまた出来にければ、目出度御中

らひとこそ人々羨みけるも、今はかかる物思ひにな
られけるも、しかるべき先世のむくいと覚て、よそ
の袂もしほれけり、彼大納言日ごろ浅からず思はれ
ける遊君のありさまを伝聞て、宿所をみれば、い
つしかかはりて主なきやどと荒にければ、あまりの
かなしさにとびらにかくぞ書つけける、
おほかたは誰あさがほをよそに見む
日かげを待ぬ世とはしらずや W028 K259
夜もやうやう明ければ、大納言は今夜失はるべきと
聞給ければ、命のあらん限り、ただ今ばかり誰かあ
らん、此世に思ひ置事どもいひ置ん、北の方幼きも
のども、いかが成ぬらん、あはれあはれ言伝を今一た
びせばやとかなしみ給、しなん事は力及ばぬ事なれ
ども、是が心に懸るこそよみぢのさはりなれと、覚
しつづけてさめざめとなき給ふもことわりなり、今
夜ばかりの命なれば、今や今やと待給ふほどに、夜
も明がたに成にけり、大納言殿は今夜とこそ聞つる
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に、いかに今まではさたなきやらん、もし御命のた
すかり給はんずるにやとて武士ども悦あへり、
坂東大夫親信事
此大納言は大かたおほけなく思慮なき心したる人に
て、人の聞とがめぬべき事をもかへりみ給はず、常
にたはぶれにくき人にて、はかなき事にも物のたま
ひすぐすこともありけり、後白河院の近習者にて坊
門中納言親信といふ人ましましき、父左京大夫信輔
朝臣、武蔵守たりし時、彼国へ下されしにまうけら
れける子也、叙爵し給ひたりければ、異名に坂東大
夫とぞ申ける、院にさぶらひ給ければ、兵衛佐にな
られにけり、又坂東兵衛佐などと申けるを、ゆゆし
くほいなき事に思入られたりける程に、新大納言法
皇の御前に候はれけるが、げにや親信坂東に何事か
あると申されたりければ、とりあへず別の事候はず、
縄目の色革こそ多く候へと、返答せられたりければ、
成親卿かほけしきすこしたがひてせき面して、又物
ものたまはざりけり、人々あまた候はれけり、按察

大納言入道資賢も候はれけるが、後にのたまひける
は、兵衛佐はゆゆしく返答はしたりつるものかな、こ
との外にこそにがりたりつれと申されけるとかや、
これと申は新大納言いまだ官も浅く、殿上人にて越
後中将と申し時、しのぶずりのひたたれをきせ、を
り烏帽子の引たてたるをきせさせて、六波羅のむま
やの前にひかへられたりし事を思ひ出で、なはめの
いろがはとは返答せられけり、
丹波少将被召取事
新大納言嫡子丹波少将成経、歳二十一、院御所に上
臥して、未だ罷出られぬほどなるに、大納言の御と
もなりつる侍一人、殿の御所へ馳参て、大納言殿は
西八条に召籠られ給ぬ、夕さり失奉るべきよし聞え
候、公達皆めされさせ給べしとこそ承りつれと申け
れば、こはいかにとあきれ給ひて、物も覚え給はざ
りけり、さりとも宰相のもとよりいかにつげ給はぬ
やらんと、しうとの門脇の宰相をぞ怨給ひける、去
程にやがて宰相のもとより使あり、具し奉て来れと
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八条より申されたり、いそぎいそぎわたり給へ、こはい
かなる事にか、浅ましともおろかなりと申されたり、
その時少将は誠と聞定め給ひて、院御所に候ける兵
衛佐と云女房を尋出して、かかる勝事こそ候なれ、
よべより世間物さわがしと承候つれば、例の山の大
衆のくだるやらんと、よそに思て候へば、身の上に
て候也、御所へも奉り候て君をも拝み参らせ候べき
に、今はかかる身にて候へば、はばかり候とて罷出
ぬと、披露せさせ給へとのたまひもあへずなき給、
日頃なれ奉る女房達出て、浅ましがりて泣給へり、
少将重ねて申されけるは、成経は八歳にて見参に罷
入て、十二歳よりは夜ひる御前に候て所労などの候
はぬ外は、一日も御前へ参らぬ事も候はざりつるも
のを、君の御いとをしみ忝して、朝夕龍顔に咫尺し
て、朝恩にのみあきみちてこそ明しくらし候つるに、
今はいかなるめを見べきにて候やらん、大納言も今
夜死罪に行はるべきと承り候、もし左様に罷成候な

ん上は、成経が身も同罪にこそ行はれ候はんずらめ
と、いひつづけて、かり衣の袖もしぼるばかり也、
よその袂もしぼりあへず、女房御前へ参りて、此由
申されければ、法皇も大に驚かせ給ひて、是等が内
々はかりし事のもれにけるよとおぼしめすもあさま
し、今日相国が使のありつるに、事いできぬとはお
ぼしめしつ、さるにても是へと御気色ありければ、
世はおそろしけれども、今一度君をも拝し参らせん
と思はれければ、御前へ参られたりけれども、君も
仰やりたるかたもなし、龍顔より御泪のみせきあへ
ぬ御様なり、少将も又申やりたる方もなし、袖をか
ほにおしあてて罷出ぬ、日頃なれ睦給へる女房達、
門まではるかに見送りて、誰か限りの名残を惜まざ
らん、しぼらぬ袂もなかりけり、法皇も遥に御覧じ
やりて御涙をおしのごはせ給ひて、又御覧ぜぬ事も
やとおぼしめすぞあはれなる、末代こそこころうけ
れ、かくしもやあるべき、王法のつきぬる事こそ口
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惜けれとぞ申られける、近く召仕はるる人々も人の
上と思ふべきにあらず、いかなる事かあらんずらん
と、やすき心なし、此事聞給へるより、少将の北方
はあきれまどひて、物も覚えぬ体にてぞましましけ
る、ちかく座し給ふべき人にて、何となく月ごろも
なやみ給つるに、かかる浅ましき事を聞給へば、い
とどふししづみ給、少将はけさより流るる涙つきせ
ぬに、北方の気色を見給ふに、いとどせん方なくぞ
おぼさるる、あはれ此人の身を身とならんを見置て、
いかにもならばやと思はれけるも、せめての事と覚
えていとをしけれ、六条とて年頃つき奉たる乳母の
女房ありけり、此事を聞より、伏まろびて、もだえ
こがるる事斜ならず、ちの中にましまししを取上参
らせて、洗ひあげ奉りて、いとをしかなしと思そめ
奉りしより、冬の寒き朝には、しとねをあたためて
ねせ奉り、夏のあつき夜は、すずしき所にすへ奉て、
明てもくれても、此御事より外、又いとなむことな

し、我身の年のつもるは知らず、いそぎ人に成給は
んことをのみ思ひて、夜のあくるもおそく、日のく
るるも心もとなくて、廿一までおふし奉りて、院内
へ参給て、おそく出給へば、覚つかなくて、恋しく
のみ思奉りつるに、こはいづくへとて出させましま
すべきぞや、すてられ奉りて、一日片時もあるべし
とこそおぼえねと、くどきてなけば、げにもさこそお
もふらめとおぼせば、少将涙をおさへて、いたくな
思ひそ、我身あやまたねば、さりともとこそ思へ、
宰相さてましませば、命ばかりはなどか申うけられ
ざるべきと、なぐさめ給へども、人目もしらずなき
もだえけるぞむざんなる、又八条よりとて使あり、
おそしとあれば、何さまにも罷むかひてこそ、とも
かくも申さめとて、宰相出給へば、車に乗具して少
将も出給ぬ、なき人をとり出すやうに見送りて、泣
あひけり、保元、平治より此かた、平家の人々たの
しみ栄えはあれども、悲歎はなかりつるに、門脇宰
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相ばかりこそ、よしなかりけるむこ故にかくは歎を
せられけれ、八条近くやりよせられたれば、その四
五町には、武士充満していく千万と云数を知ず、い
と恐ろしなどはいふばかりなし、少将は是を見給ふ
につけても、大納言殿の御事をおぼすぞ悲しき、宰
相車を門外にとどめて、案内を申給へば、内へは入
れ給まじとありければ、少将をばその辺近き侍の家
におろし置きて、宰相ばかり内へ入給ひぬ、見もし
らぬ兵あまた来て、居廻てまほり申、少将は、憑たり
つる宰相は入給ひぬ、いとど心細くかなし、宰相入て
見給へば、おほかた内のありさま、武士どものいそ
めきあへるけしき、誠におびただし、教盛こそ参り
て候へ、見参に入候はんと宣ひけれども、入道出あ
ひ給はざりければ、季貞をよび出して、宰相申され
けるは、よしなき者に親しくなり候こと、今更思ひ
合せられて、くやしく候へども、かひ候はず、成経
に相ぐせさせて候ものいたくもだえこがれ候ほど

に、おんあいの道、力及ばざることにて、むざんに覚
え候、近く産すべきものにて候が、いかに候やらん、
月頃なやみ候へつるに、此歎うちそへ候なば、身を
身とならぬさきに、命もたえ候なんず、たすけばや
と思ひて、おほそれながら申候、成経をば申あつか
り候はばや、教盛かくて候へば、いかでひが事せさ
せ候べき、覚束なく思召すべからずと、なくなく申
給ふ、季貞此由を入道殿に申ければ、世に心得ずげ
にて、とみに返事ものたまはず、宰相中門にていか
にいかにと待給ふ、良久ありて、入道のたまひけるは、
成親卿此一門をほろぼして、天下を乱さんとする企
ありけり、しかるを一家の運盡ざるによて、此事顕
れたり、少将はすでにかの大納言の嫡子也、したし
くましますとても、えこそなだめ申まじけれ、かの
企遂まじかば、それ御辺とてもおたしくてやましま
すべき、いかに御身の上をばかくはのたまふぞ、聟
も子も身にまさるべきかと、少しもゆるきけもなく
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のたまへば、すゑさだかへり出て、此よしを申けれ
ば、宰相大にほいなげに思ひ給ひて、おし返しのた
まひけるは、加様の仰に及ぶ上を、かさねて申はその
恐れふかけれども、心中に思はんほどのことを、残
さんも口惜ければ申ぞ、季貞今一度よく申せよ、保
元、平治両度の合戦にも、身を捨て御命にかはり奉
らんとこそ思ひしか、是より後も、荒き風をばまづ
防がんとこそ思候へ、のり盛こそ今は年の寄て候と
も、若き者どもあまた候へば、御大事もあらん時は、
などか一方の御かためとなして候べき、のりもりが
たのみ奉候ほどは、つやつや思召され候はざりける、
成経をしばらくまかり預らんと申を、覚つかなく思
召て、御ゆるされのなからんは、すでに二心有もの
と覚し候にこそ、是ほどうしろめたなきものにおも
はれ奉て、世にあても何かはすべき、世にあらば又
いかばかりの事かはあるべき、ただ今身のいとまを
給て、出家入道もして、片山寺に籠りゐて、後生菩

提のつとめを仕るべし、よしなきうき世のまじはり、
世にあればこそ望もあれ、望かなはねばこそ恨みも
あれ、しかしただ世をのがれて、誠の道に入なんに
はとのたまへば、季貞にがにがしき事かなと思ひて、
此よしをくはしく入道殿に申ければ、物に心得ぬ人
かなとて、また返しものたまはず、季貞申けるは、
宰相殿はおぼしめしきりたる御気色に渡らせ給め
り、よくよく御計やあるべく候らんと申ければ、其
時入道のたまひけるは、先御出家あるべきよし仰ら
れ候なるこそ驚存候へ、大方是ほどに、恨みられ参
らすべしとこそ存ぜねども、かほどの仰に及ばん上
は、少将をばしばらく御宿所におかれ候べしと、し
ぶしぶにありければ、宰相悦で出給ひにけり、少将
は何となくたのもしげに思ひて、いかにと問給ふぞ
哀なる、宰相仰せられけるは、あなむざんのありさ
まや、我身にかへて申さざらんには叶ふまじかりつ
る命ぞかし、人の娘子を持事はむやくのことかな、
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我子の縁に結ぼれざらんには、人の上とこそ見べき
ものを、身の上になして肝心をけすこそよしなけれ
とぞ仰せられける、いざとよ、入道殿の憤りなのめ
ならず、ふかげにて、のりもりには対面もしたまは
ず、叶うまじきよしたびたびのたまひつれども、季
貞をもて出家入道をもせんとまで申たりつれば、し
ばらく宿所に置給へとばかりのたまひつれども、し
じうよかるべしとも覚えずのたまひければ、少将申
されけるは、成経御恩にて一日の命ものび候にける
こそ一日とてもおろかの儀にて候はず、たすかり候
はんことこそ然るべきにて候へ、是につけても大納
言の行衛いかがきこしめされ候つるとのたまへば、
宰相はいざとよ御事をこそとかく申つれ、大納言殿
の御事までは、心も及候はずとのたまひければ、げ
にも理りかなと思へども、大納言今夜失はれ候はば
御恩にて、成経けふばかり命生ても、なにかはし候
べき、しでの山をも諸ともに越え、片時もおくれじ

とこそ存候へ、おなじ御恩にて候はば大納言のいか
にも成候はん所にて、ともかくも罷成候はばや、同
くはさやうに申行はせましますべうや候らんとてさ
めざめとなかれければ、宰相又心にくげにて、まこ
とや大納言殿は内大臣のとり申されければ、それも
今夜はのび給ぬるやらんとこそ聞候つれ、心やすく
思ひ給ふべしとのたまひければ、少将その時手を合
て悦給ひけり、今夜ばかりなりとものび給へかしと
て悦ばれけるを見給ふにこそ、宰相又むざんやな、
子ならざらんものは、ただ今誰かは是ほどに我身の
上をさし置て、覚束なくも思ひのびたるを聞て、身
にしみてうれしく思ふべき、誠の思は父子の志にこ
そとどめてけれ、子をば人のもつべかりけるものを
と、頓てぞ思ひ返されける、宰相は少将を具して帰
り給にけり、宰相の宿所には、少将殿出給つるより、
北方を始として、母上乳母の六条、ふし沈みて、い
かなる事をか聞んずらんと、気も心もまどひておぼ
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しける程に、宰相帰り給ふといひければ、いとどむ
ねせきあげて、打捨ててましますにこそ、いまだ命
もましまさば、いかにいよいよ心細く思すらんと、
悲しく思はれけるに、少将殿もかへらせ給ふと、先
に人はしり向ひて告申たりければ、車よせに出むか
ひて、誠かやとて、又声々に泣給へり、のちは知ら
ずかへりましましたれば、死したる人の生がへりた
るやうに覚えて、悦泣どもし合れけり、此平宰相と
申は、太政入道のさいあいの弟にて、片時も身を放
ち給はず、されば六波羅の惣門の内小屋を立すへら
れたりければ、人異名に門脇宰相と申けり、当時は入
道八条にましませども、世もなほつつましとて、門
さし蔀のかみばかりあけてぞおはしける、
入道相国可押寄院御所事
入道はか様に人々あまたいましめをかれたりけれど
も、猶心ゆかず思はれければ、善悪法皇をむかへ奉
て鳥羽殿におしこめ奉て、いづちへも御幸なし奉ら
んと思こころつきにけり、赤地の錦のひたたれに、

白かな物打たる黒糸をどしの腹巻のむな板せめて、
其かみ安芸守と申し時、いつくしまの社より、神拝
の次に、霊夢を蒙りてまうけられたる白がねのひる
巻したる秘蔵の長刀手ほこの常の枕を放たれざりけるを
左の脇にはさみて、中門の廊につと出て立れたり、
其気色ゆゆしくぞ見えける、貞能をめす、筑後守貞
能は木蘭地の直垂にひをどしの鎧着て、御前にひざ
まづいて候、入道のたまひけるは、貞能此事いかが
思ふ、浄海が存ずるはひが事か、一年保元の逆乱の
時平右馬助忠正を始として、したしきものども中
半過て院の御方に参りにき、一の宮の御事は故刑部
殿の養君にて渡らせ給しかば、かたがた思ひ放ち奉
りがたかりしかども、故院の御遺誡に任せて、御方
にて先をかけたりき、是一の奉公なりき、次に平治
の逆乱の時、信頼、義朝が振まひ、入道命を惜みて
はかなふまじかりしかば、命を捨て凶徒を追落して、
天下をしづむ、その後つね宗、これかたを誡にいたる
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まで、君の御ために命をすてんとする事度々也、た
とへ人はいかに申とも、浄海が子孫をいかで捨させ
給ふべき、されば浄海がことをいるかせに申さんも
のをば、御いましめあるべきに、いましめらるるま
でこそなからめ、大納言が讒訴につかせ給ひて、な
さけなく此一門を追討せらるべきよし、院中の御結
構こそ遺恨なれ、此事行綱告知らせずばあらはるべ
しや、あらはれずば入道あんをんにあるべしや、猶
北面の下臈どもが諌め申事あらば、当家追討の院宣
下されぬと覚ぬるぞ、朝敵ならん後は、悔に益ある
まじ、世をしづめんほど、仙洞を鳥羽の北殿へうつ
し奉るか、然らずば御幸を是へなし奉らんと思ふな
り、其儀ならば北面の者どもの中に、矢をも一筋い
んずる者もありぬと覚ゆるぞ、侍どもに用意せよと
ふれべし、大かたは浄海、院方の宮仕思ひ切たり、
きせながども取出せ馬に鞍置せよとぞ、下知せられ
ける、鳥羽殿への御幸とは聞えけれども、内々は法

皇を西国の方へながし参らすべき由をぞ議せられけ
る、
小松殿被諌父事
主馬判官盛国此景色を見奉て、小松殿へ馳参て、大臣
殿に申けるは、今かうと見え候、入道殿すでに御き
せながめされ候、侍ども皆打立候、法住寺殿へよせ
られ候か、鳥羽殿への御幸とは聞え候へども内々は
西国の方へ御幸なしまいらすべきにて候やらんとこ
そ承り候へ、いかに此御所へは今まで御使は候はぬ
やらんと、いきもつぎあへず申ければ、内大臣大に
さわがれけり、いかでさしもの事あるべきと思へど
も、けさの入道の気色さる物ぐるはしきことも有ら
んとおぼされければ、内府急ぎ馳来、その時もおな
じく甲冑をよろふに及ばず、八葉の古車のけしかる
に、子息のこれ盛車の尻に乗て、衛府四五人、隨身
二三人召具して、今朝のていにて烏帽子、直衣にて
ぞおはしたりける、西八条へさし入て見られければ、
一門の卿相雲客数十人、思ひ思ひの直垂に、色々の
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鎧着て、中門の廊に二行に着かれたり、衛府、諸司、
諸国の受領などは、梃に居こぼれて、つぼにもひし
と並居たり、はたざほ引そばめて、馬のはるびをし
めて、甲をばひざの上に置て、ただいまかけ出んず
る体と見えたりけるに、内大臣、烏帽子、直衣にて、
さしぬきのそばを取て、さやめき入られけり、事の外
にぞみえられける、入道は是を遠くより見給て、少
ふしめに成て、例の此内府が世をへうする様にふる
まふはとて、心得ずげに思はれたり、此内大臣は内
には五戒を持、外には五常をみださず、仁義禮智信
にただしく、無双の賢人にてましましければ、子な
がらもさすが此すがたに腹巻を着て、あひむかはん
こと、面はゆくや思はれけむ、障子をすこし引たて
て、腹巻のうへに素絹の衣を引かけて、胸板の金物
のはづれて、きらきらとして見えけるを隠さんと、
しきりにむねを引ちがへ引ちがへぞせられける、内大臣
は弟の右大将宗盛卿より上に座たかく着座せられた

り、檜扇中半に開きてつかはれけり、内大臣もしば
しは物ものたまはず、入道殿も又音もし給はず、良久
あて、入道のたまひけるは、抑此間の事、西光法師
にくはしく相尋候へば、成親父子がむほんの企は事
の始にて候けるぞ、大かた近来よりいとしもなき近
習者どもが、折にふれ時に隨て、さまざまのことを
すすめ申なる間、御かろがろ敷君にて渡らせ給、一
定天下の煩、当家の大事引出させ給ぬと覚ゆる間、
法皇を是へむかへ参らせて、片辺に押籠参らせんと
存ずる間、此事申合奉らんとて、待奉つるに、いか
なるちちにか候、大方は浄海が思と思ふ事、御辺の御
心に一々に違ひ候らん事こそ、遺恨に覚え候らへと
宣へば、内府畏承候ぬと計にて、御眼よりはらはらと
涙を落し給ふ、入道浅ましと覚して、こはいかにと
のたまへば、内府直衣の御袖にて、涙をおしのごひ
て、申されけるは、此仰をかうふり候に、御運のす
でに末になり候と覚えて、不覚の涙のこぼれて、先
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なにかの仔細は知候はねども、此御すがたを見参ら
せ候こそ少もうつつとも覚候はね、さすが我朝は辺
鄙粟散の境と申ながら、天照太神の御子孫、国のあ
るじとして、天津兒屋根の尊の御末、朝政を典給し
より以来、太政大臣にのぼれる人、甲冑をよろふ事
輙かるべしとも覚えず、就中出家の御身となり、か
たがた御はばかりあるべかりけるものを、夫三世諸
仏の解脱幢相の法衣をぬぎすて、忽に甲冑を帯しま
しまさんこと、内には既に破戒無慚の罪を招き給ふ
のみに非ず、外にはまた仁義禮智信の法にも背き候
ぬらんとこそ覚え候へ、先重盛一々に御意に違ひ、
ふしぎ成仰を蒙候上は、すでに不孝の仁に罷成候に
こそ候なれ、さやうに候はんに於ては思ふことを心
中に残し候はんは、口惜かるべう候へば、一々に申
開くべし、おほそれながら暫く御心をしづめさせお
はしまして、重盛が申状を具に聞召さるべうや候ら
ん、かつうは又最後の申状にて候、ただ今御院参の

条何事に哉、たとへ御院参有べう候とも、重盛に仰
合され、申所の一儀をも聞召され候べかりける物を、
以の外に物さわがしく覚え候物かな、むほんの輩召
置れ候ぬる上は、何とか君をば恨み参らせ給ふべき、
まさしく君の叡慮より思召し立つ御事よも候はじ、
近習の人々の申すすめ参らせ候によてこそ、御許容
なども候らめ、たとひ又君の御結搆にて、正しく院
宣をもてむほんの事仰せ下さるといふとも、しゐて
御ひが事ども覚候はず、その故は上古を思ひやり候
に、平将軍貞盛、将門を討たりしも、勸賞に預りし
事受領には過ざりき、伊予守頼義が十二年まで戦ひ
て、貞任、宗任を亡したりしも、いつか丞相位に昇
て父子ともに朝恩にあづかりし、しかるを此一門は
代々に朝敵をうち平げ、四海の逆浪をしづめば、隨
分忠なりといへども、其賞に預る事は、已に身に余
れり、先例傍れいなし、君事の序をもて、余りの事
なりと御気色あらん事、全以御ひが事とも覚え候は
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ず、むほん張本と仰られて、新大納言召置るる事、
是又ふつうの儀に非ず、我君の御寵臣あるひは禁中
伺候の人を、我が為にあだをなせばとて、心のまま
に召おかれ、罪科に行はれん事然るべからず哉、い
く度も君に仔細を奏して、御気色にこそ任せらるべ
きに、押て召捕られぬるは、すでに君をなめなめに
しまいらするにあらずや、此上は今は御身を慎で君
の御ためには、いよいよ奉公の忠節を存じ、民のた
めには倍々憮育の御あいれんをいたしましまし、先
非を悔いさせ給ひて、政務に私あらじと思召さば、
諸天善神の擁護浅からず、神明仏陀の御加護しきり
にして、君の御政引かへて、逆臣忽に滅亡し、凶徒
則退散し、四海の狂乱しづかに、満点の嵐やまんこ
と、掌を返さんよりも猶早々なるべし、大方は諸経
の説相不同にして、内外存知各別なりといへども、
しばらく心地觀経第二巻によらば、世に四恩あり、
一には天地恩、二には国王恩、三には師長父母恩、

四には衆生恩是也、是を知るを以て人倫とし、知ざ
るを以て鬼畜とす、その中に殊に重きは朝恩也、あ
まねく天下王土に非ずと云事なし、率土の濱王臣に
非ずと云ことなし、就中国王の恩此一もん極れり、
日本はわづかに六十六ヶ国、しかるを三十余ヶ国は、
一門の分国にて政を執行す、その上庄薗、田畠、
家門の所領也、此一門の朝恩にほこる事は、依法将
軍とも云つべし、昔も今もためしすくなし、彼頴川
の水に耳を洗ひ、首陽山に蕨を取ける賢人も、勅命
の遁れがたき禮儀をば存ずとこそ承はれ、忝くも御
先祖桓武天皇の御苗裔、葛原親王の御後胤と申しな
がら、中古より無下に官途も打くだり、わづかに下
国の受領をだにもゆるされずして候けるに、故刑部
卿殿備前の国務の時、鳥羽院の御朝、得長寿院造進の
勧賞によて、久絶たりし内昇殿をゆるされ給し時も、
万民口びるを返しけるとこそ承れ、いかにいはんや、
御身はすでに拝任の例を聞ざりし、太政大臣の位き
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はめさせ給ひ、御末又大臣大将にいたれり、所謂重
盛などが短才愚暗の身をもて、蓮府塊門の位に至る、
是希代の重恩にあらずや、今是等の朝恩を忘れて、
君をかたぶけ参らせ給はんこと、天照太神、正八幡
宮、日月星宿、堅牢地神に至るまで、御許や候べき、
唯今天の責を蒙て朝敵となり給ふべし、朝敵となる
ならば、近くは百日、遠くは三年を出ずとこそ申伝
へたれ、君事の次をもて、奇怪なりと思召さんこと
は尤ことわりにてこそ候へ、しかるを御運いまだ盡
ざるによて、此事すでに顕はれて、仰合らるる人々
か様に召置れぬ、たとひ又君いかなる事を思召し立
といふとも、暫何の恐れかましますべき、大納言已
下の輩に所当の罪科を行はれ候はん上は、しりぞい
て事の仔細をちんじ申させ給ふべきにてこそ候へ、
みだれがはしく法皇をかたぶけ参らせられん事、然
るべしとも覚え候はず、以父命不辞王命、以王
命辞父命、以家事不辞王事、以王事辞家事

ともいへり、又君と臣とを准ずるに、親疎をわけて
君に附奉るは忠臣の法也、道理と僻事とを並べんに
いかでか道理につかざらんや、是は君の御道理にて
こそ候へ、重盛に於ては、御院参の御供仕べしとも
存じ候はず、叶はざらんまでも、院中を守護し参ら
せんとこそ存候へ、その故は重盛始て六位に叙せし
より、今三公のすゑにつらなるまで、朝恩を蒙る事、
身に於てはすこぶる過分也、その重きを思へば、千
顆万顆の玉にも越え、其深きことを諭ずれば、一入
再入の紅にも過たるらん、然れば重盛君の御方へ参
候はば、侍二三万騎はなどか候はざらん、その中に
命にかはり身にも代らんと思ふ侍、二三百人はなど
か候はざらんや、是等を引具して院の御方へ参りて、
禦戦候はば以の外の御大事にてこそ候はんずらめ、
是を以て昔を案ずるに、保元逆乱の時、六条判官為
義は新院の御方に候、子息下野守義朝は、内裏に候
て、合戦事終て、大炊殿戦場の煙りの底に成し後は、
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一院讃岐の国へ御下向、左府はながれ矢に当りうせ
給ひて後、大将軍法師に成りて、子息義朝がもとへ
降人になり、手を合て向ひたりけれども、今度朝敵
の大将軍なりとて、断罪に定りにければ、義朝力及
ばず、人手に懸らんよりとて、朱雀大路に引出して、
父がかうべを刎候しこと、同じ勅定と申しながら、
悪逆無道の至り口惜き事かなとこそ存候しか、今度
君討かたせましまし候はば、彼保元の例に任て、重盛
五逆のその一にやなり候はんずらんと存候こそ、予
て心うく候へ、かなしきかなや、君の御為に忠を致
さんとすれば、迷盧八万の頂なほくだれる父の恩、
忽にわすれて不孝の罪かろからず、いたましきかな
や、不孝の罪をのがれんとすれば、また君の御為に
不忠の逆臣となりぬべし、君々たらずといふとも、
臣以臣たらずば有るべからず、父々たらずとも、子以
子たらずばあるべからず、是といひ、かれといひ、
むやくのことにて候、末代に生をうけてかかるうき

めを見る、重盛が果報のほどこそ口惜く候へ、され
ば申うくるところ、猶御承引なくして、御院参有べ
う候はば、先重盛がかうべを召さるべう候、所詮院
中をも守護すべからず、 又御供をも仕べからず、申
うくるごとく、只首を召さるべき也、いざ思しめし
合せましまし候へ、御運一定すゑになりて候と、お
ぼえ候也、人の運のすゑにのぞむ時こそ、かかる僻
事を思ひ企つる事にて候なれ、老子の言葉こそ思ひ
合られ候へ、功成名遂、退身避位、即不遇害と
も申、彼漢蕭何は大功を立つる事傍輩に越えたるに
よて、官太相国に至り、劒を帯し沓をはきながら、殿
上にのぼることをゆるされたりき、しかれども、叡
慮に背くことありしかば、高祖来て重くいましめて、
廷尉にくだして深くつみせられき、論語と申文には
邦無道則富且貴恥也と云文あり、かやうの先蹤を
思ひ合せ候にも、御富貴といひ、朝恩といひ、重職
といひ、一かたならずきはめて、年久しくなりまし
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ませば御運の盡ん事も非可堅、富貴の家、禄位重
疊せるは、猶再び実る木其根如傷ともいへり、心
細くこそ覚候へ、いつ迄命いきて乱れる世を見候べ
き、只急ぎ急ぎかうべを刎られ候べし、侍一人に仰
付て、ただ今御つぼに引出されて、かうべをはねら
れん事は、よにやすき事にてこそ候はんずれ、是は
殿原いかが聞給やとて、直衣のふところの中より、
たたう紙を取出して、はなうちかみうちかみ、さめざめ
と泣諌め申されければ、一門の人々よりはじめ、侍
どもに至るまで、鎧の袖をぞぬらされける、入道も
岩木ならねば、道理につまりて、返事もし給はず、
すがたのはづかしさに、障子のおくへすべり入て、
かたづをのんでましましけるが、のたまひけるは、
是程まではあるべくも候はず、唯ものも覚えぬ悪党
等が申さん事に付き給ひて、御僻事やいでこんずら
んと思ふばかりぞとくどきのたまひければ、内府申
されけるは、たとひいか成御僻事出で来とも、いか

がせさせ給ふべき、掛巻もかしこく少しも思召寄ほ
どのことをこそ御言葉にも出され候はめ、あなまが
まがしとて、がはと立ち給ふ、車のうちに用意せら
れたりける物の具召し寄せて、紫地の鎧直垂に、は
じのにほひの鎧を着て、白星のかぶと、春近といふ
雑色のくびにかけさせて、おとどの右大将宗盛の黒
くり毛の馬に黄ぶくりんの鞍置て、とねりが扣へた
るを引かなぐりて、乗給ひ馬をひかへて打立給ふ、
さも然るべき侍兵にあひて、のたまひけるは、重盛
が申つる事は各々承はらずや、されば院参の御供に於
ては、重盛がかうべをはねられんを見て後仕べきと
覚ゆるはいかに、けさより是にてかなはざらんまで
も、諌め申さばやと存ずれども、是体のありさま、
ひたあわてに見えつる間、存ずる旨あて、かへりつ
る也、今ははばかる所あるべからず、頸を召さるべ
きよし申つれば、その旨をこそ存ぜめ、但今までさ
も仰出されぬはいかなるべきぞや、今日より後は中
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違奉る、重盛を重盛と思はん人どもは、よろうて小松
へ参れ、是を以て志のありなしをば見んするぞと、
のたまひ捨て御馬を飛せつつ、急ぎ小松殿へかへり
給ひぬ、是を聞て西八条にありける侍ども、入道殿
にかくとも申さで、我先にとぞ馳参る、おぼろげに
てはさわぎたまはぬ人の、かかる仰の下るは、別の
仔細あると覚ゆとて、夜明にければ、洛中の外、白
河、西京、木はた、伏見、宇治、岡のや、淀、羽束
瀬、醍醐、小栗栖、日野、勸修寺、大原、志津原に
至まで、我劣らじと馳集りければ、西八条には青女
房古尼公より筆執などぞ少々残りける、弓箭携へた
る者は一人もなかりけり、入道殿人やあると喚れけ
れば、貞能候とて、肥後守つと参る、侍に誰々かあ
る、貞能ならでは、一人も候はず、去にても、誰か
ある、小松殿へ皆参りて貞能が外は一人も候はぬも
のをと申ければ、入道殿去にてもとて、走り出て見
給へば、げにも侍には人一人もなし、ここにやある、

かしこにやあると、ここのかくれ、かしこのえんと
うのぞきありき給ひけれども、人一人も見えざりけ
り、こはいかに、内府に中違ては、片時も世に立ま
ひてあらん事は、かなふまじかりけるものをとてこ
そ、うそぶきてよに心えず、興さめげにて、腹巻脱
ぎ置て、縁行道してそけんの衣に袈裟打かけて、い
と心も起らぬ念珠くりてぞおはしける、貞能にのた
まひけるは、いかに世間の様何とあらんずるぞとの
たまひければ、貞能申けるは、御子も御子にこそよ
らせ給候へ、何か苦しく候べき、御退望候て、御中を
直らせましまし候へかしとこそ存候へと申ければ、
入道さこそとよ、能いひたり、入道もかくこそ存ずれ
とのたまふ所に、入道の舎弟さつまの守忠度小具足
ばかりとりつけて、ただ一騎はせ来られけり、入道
此人を見つけて、少し力づきたる心地して、あれは
薩摩殿か、さん候、内府が元へましましたりつるか、
さん候参りて候つ、いかによろふと聞は誠候か、さ
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ん候御よろひ候、それは何事ぞ、入道殿御悪行、法に
過させましまし候へば、いか様にも父の悪行子孫に
報いて、日本国に末代には子孫一人もあるべからず、
されば恩重しといへども、朝恩にくらぶれば、みぢ
んのごとし、君の御方に参りて、君を守護し参らせ
んとて、小具足召れ候て、只今院参有んと候と申さ
れければ、入道興さめて、や殿薩摩殿、わどのと内
府とは以の外に心通て、中よき人にてましませば申
也、まづまづ問ひてなだめて見給へかし、何となだ
め参らせ候はんずるやらん、なだめ給はんずる様は、
此ほど世の中しづかならねば、法皇をしばらく鳥羽
殿に置参らせて、世を静めんとすれば、嫡子に捨ら
るるこそかなしけれ、老て子に捨らるるは、朽木の
枝なきがごとくなり、院参に於ては思ひとどまり候
ぬ、自今以後は内府の計ひ申されん事をば、一切背
き申まじきぞ、きと立寄給へ、なに事も申承べしとの
たまふべしとぞ申されける、さつ摩の守小松殿へ馳

向て、此由を申されければ、小松殿袖を顔におし当
てて、はらはらと泣給ふ、いと久しくあての給ひけ
るは、おろかなる親にも隨ふは能子也、入道殿いか
に愚に渡らせ給ふとも、その子なれば隨ひ奉るべき
にてこそあれども、君をなやまし奉る事のかなしさ
に、君を守護し奉らんとすれば、いかにも隨ひ奉る
べき重盛に、父の御身として却て順ひ給ふことこそ
哀なれ、仏神のいかに思召すらん、抑御院参あるべき
由仰られ候つればこそ、御中違奉り、院を守護し参
らせんとは申つれ、御院参思召とどまり候はんにお
いては、いかが中をば違参らすべき、やがて仰に隨
て参るべく候、総じて事の心をあんずるに、父の命
に隨ひて、君を捨奉候はん事は、恩をしらぬ畜生に
似たり、父を捨て君の御方へ参候はば、又不孝の重
盛罪深し、所詮君の御方へも参るべからず、父の命
にも順ふまじ、しかじただもとどりをきり、山野に
まじはり、後生菩提の勤より外他事候まじとこそ御
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返事は申されけれ、さつ摩守馳帰て此由を申された
れば、入道殿是を聞て、はづかしきにつけても、よ
きにつけても、さしも邪見にましましけるが、墨染
の袖をぞしぼられける、それにつけても、おくちな
くぞ見えられける、さて小松殿は西八条殿へ入せ給
ひてこそ、御中は和平し給ひけれ、
幽王被討事
小松殿は参り集たる侍共にあひて仰られけるは、ひ
ごろの契約たがへず、かやうに参りたるこそ神妙な
れ、重盛別して不思議を聞出したりつるほどに、か
くは催したりけれども、その事聞直しつ、ひが事に
ありけるぞ、いそぎいそぎ帰れ、異国にか様のためし
あり、昔唐国に周幽王褒氏国を責給ふ時、国亡て防
ぎ戦ふに力すでに盡ぬ、褒氏国の人はかりごとをめ
ぐらして、千年経たる狐の子を取て、有験の僧に加
持せさせて、目出度美女に加持し出す、褒氏国の大臣
公卿集てのたまはく、君は昔は千里の野を栖とする
獣なり、今は人に加持しなす、いかでか奉公を知らざ

らんや、此国すでに幽王にせめられ、父母兄弟に放
れ畢ぬ、ねがはくは、君幽王のもとへましまして、
皇の心をたばかりて、此国をたすけ給へ君と、くど
き立て幽王の許へ申送りけるは、此世にありがたき
美女を奉らん、亡し給ふことやめ給ひてんやと申け
れば、幽王答て曰、誠に有がたき美女ならば朕請取
て、国をかたむくる事をば則とどむべしと返答あり、
よて件の美女を幽王のもとへつかはす、天下無双の
美女楊貴妃、李夫人のごとし、然れば則褒氏妃と名
づけ、幽王の第一の后と定む、幽王の后たちは褒氏后
に光をとられて、籠居し給へり、大王褒氏后をおぼ
しめすことわりなく類ひすくなかりけり、されども
此后あへて物いふことをし給はず、いはんやまたゑ
みをふくむこともなし、此后に物をいはせて聞き、
ゑみをふくませて、見んずると思召されけり、彼国
には官兵を召集んとての籌には、飛火をあぐるなら
ひあり、烽火とは我朝にも飛火の野もりといひて、
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たかき峯に火をとぼす事ありき、ある時幽王朝敵を
亡さんとて烽火大皷と云物あり、烽火大皷とは大鼓
の中に火を入て天を翔飛する術あり、是則遠国のつ
はものを集るはかりごと也、今此飛火をあげたる時、
褒氏后のいはく、ふしぎや大鼓翅はなけれども、天
を翔る術ありけりとて、始て物をのたまひて大に笑
ひ給ひき、其時幽王悦で、すはこの后は物のたまひた
るぞ、ゑみをふくみ給ひけるはとて、后を笑はせ奉
らんずるはかりごとには、飛火をあぐ、是を見て諸
国の官兵驚きて、王宮にこと出来とて馳参る、かか
る謀なりければ、事なき故に各本国へかへりけり、
東海へ帰る者は山ざとの山川を分、西海へ赴く者は、
八重のしほぢを凌ぎけり、かくする事すでに度々な
り、その後は兵心得て、馳せ参ずる事もせず、かく
国をたばかりおほせて、秦公と云大将軍をもて、褒
氏国より幽王の内裏へおし寄たり、大王人々驚きて、
頻りに飛火を揚るといへども、兵是を見て、例の后

の物のたまひ笑み給ふと思ひければ、馳参る事もせ
ざりけり、兵王宮へ乱入て、幽王をうちとり国を亡
してけり、かくして後は褒氏后は白狐の尾三つ有に
現して失にけり、異国にもかかるためしあるぞとよ、
重盛別して大事を聞出しつる間、相催したるに時を
かへず、各々馳参ずる条、返々神妙なり、たのもしく
覚ゆるものかな、今此事を聞直しつ、ただ今事なけ
ればとて、努々幽王の類ひに隨ふことなかれ、自今
以後も重て相催す事あらば、更に遅々あるべからず、
急ぎ急ぎ帰て物の具ぬぎて、やすまれよとて、兵と
もをば返されけり、着到披露ありければ、二万七千
三百余騎とぞしるしたる、抑美女をけいせいとは、
幽王の時より名付たり、都をかたむくるといふ談あ
り、此よみをばそのかみは、いましめられけれども、
当世都には傾城とぞよばるなる、狐の女にばけて人
の心をたぶらかすと云本説あるにや、内大臣まこと
はさしたる事をも聞出されざりけれども、父入道を
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諌め奉つる言葉に隨ひて、我身に勢のつくか、付ぬ
かのほどをも知り、かつうは又父と軍をせんにはあ
らず、父のむほんの心をもや思宥め給んとのはかり
ごとなるべし、内大臣の存知のむね、文宣公のたまひ
けるに違はず、君の為に忠あり、父の為に孝あり、
あはれゆゆしかりける人かな、法皇此次第を聞召さ
れて今に始ぬことなれども、重盛が心中こそはづか
しけれ、あだをば恩をもて報ぜよといふ文あり、九
はやあだを恩にて報ぜられけりと、仰ありけるとぞ
聞えし、その後さゑもん入道西光をば、朱雀の大路に
引出して首をはねらる、郎等三人同はねられにけ
り、
成親流罪事
二日、成親卿をば、夜のやうやう明方に公卿座に出
奉て、物参らせたりけれども、むねせきのども塞り
て、いささかも召さず、やがて追立の官人参りて、
車をさし寄て、急ぎ急ぎと申ければ、心ならずのり
給ひぬ、御車のすだれをさかさまにかけて、うしろ

様にのせ奉て、先火丁一人つと寄て引落し奉りき、
誡の〓を三度あて奉る、次に看督長一人寄て、殺害
の刀とて、二刀つくまねをし奉る、次に山城判官秀
助宣命をふくめ奉る、かかる事は人の上にても御覧
じ給はじ、まして御身の上にはいつかならひ給ふべ
きと、御心中推量せられてあはれ也門外よりは軍兵
数百騎、車の前後に打圍みて、守護すれども、我方様
の者は一人もなし、いかなる所へ行やらんもしらす
る人もなし、内大臣に今一度あひ奉らんとおぼしけ
れども、それもかなはず、ただ身にそふものとては
盡せぬ御涙ばかり也、朱雀を南へ下りに行ければ、
大内山をはるかにかへり見て、思ひ出す事多かりけ
り、昔唐の呂房といひし人、故宮の月に膓を断、是
も旅行に月を見てこそありしか、彼大納言は日月の
光りをだにも見せ奉らず、車の前後に障子をぞ立た
りける、大納言の御歎きの深さに、くるるを待つべ
しとも覚えずなん、難波の次郎経遠をもて、内府へ申
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されたりければ、その後月日の光をゆるされ給ひに
けり、かかる歎きの中にもかくぞ思ひつづけられけ
る、
極楽とおもふ都をふり捨てて
ならくの底に入らんかなしさ W029 K015
鳥羽院につき給へば、年ごろ見なれ奉つる舎人、牛
飼ども、並み居つつ涙をながす、あやしの賤の男、
しづの女に至るまで、よそのものだにもあはれをか
く、まして都に残りとどまる跡の有さま、いかばか
りかなしかりけん、我世にありし時は、したがひ付
たりしもの一二千人もありけんに、一人も身にそふ
者なく、けふを限りにて都を出るこそかなしけれ、
重き罪を蒙て遠国へ行者も、我方ざまの人一人具せ
ぬ事やはあると、さまざまひとり言をのたまひて、
車の内にて声もをしまず泣給へば、車の前後に近き
兵は、鎧の袖をぞぬらしける、鳥羽殿を過給へば、
此御所へ御幸のなりしには、一度も外れざりしもの

をなどと思ひ給ひて、我とのゐ所の前を通り給へば、
今はよそに見入て過給ふも哀也、南門を出ぬれば、
河原まで御舟のしやうぞく急ぎ急ぎといそがす、こ
はいづくへやらん、失はるべくはただ此ほどにても
あれかしとぞおぼす、せめてのかなしさのあまりに
や、近く付たりける武士を是はたぞと問ひ給へば、
経遠と名乗けり、難波次郎と云者也、此程に我ゆか
りの者やあると尋てんや、舟に乗らぬ前にいひ置く
べきことありとのたまひければ、その辺近きあたり
を打めぐりて尋けれども、あへて答ふるものもなし、
帰参りてこのよしを申ければ、世におそれをなした
るにこそ、などかはゆかりの者のなかるべき、命に
もかはらんといひ契りし者一二百人もありけんもの
を、よそにも我有さま見んと思ふ者のなきこそ口惜
けれとて、涙をながし給へば、武きもののふなれど
も、哀とぞ思ひける、大納言御舟に乗給ひて、鳥羽
殿を見渡して、守護の武士に語給ひけるは、去永万
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の頃、法皇鳥羽殿に御幸あて、ひねもすに御遊あり
き、四条太政大臣師長、御びはの役にきんぜらる、
花山院中納言忠雅、御笛の役に参らせらる、葉室の
中納言俊賢、ひちりきの役に参りたまふ、楊梅三位
あきちか笙の笛を仕り、もり定、行ざね打ものの役
をつとむ、かかりしかば宮中すみ渡り、群集の諸人
かんるゐを流しき、時に調子ばんしき調、万秋楽の
ひきよくを奏せられしに、五六の調になりしかば、
天井の上にびはの音ほのかに聞ゆ、着座の公卿各々色
を失ふ、君少もさわがせ給はず、その日四位少将に
て末座にしこうしたりしを召されて、いかなる人に
て渡らせ給ふぞ、尋申べきよし仰下されしかば、成
親畏て天井に向て君はいかなる人にて渡らせ給ふぞ
と、院宣の趣を申たりしかば、我は住よしの辺に候
小掾なりと答て、やがてびはの音もせず、答ふる人
も失にけり、住吉大明神の御影向ありけるにや、か
かりし御遊の時も人こそ多くありしかども、成親こ

そ召ぬかれて、御使をもしたりしが、いま朝敵にも
非ずして、配所へ赴くこそかなしけれとて、声もを
しまず泣き給へば、経遠をはじめとして、多くの武
士共鎧の袖をぞぬらしける、熊野、天王寺まうでなど
には、二瓦三棟につくりたる船にて、次の船二三十
艘漕續けてありしに、是はけしかるかきすへやかた
の舟に、大幕引廻して我方ざまの者一人もなくて、
見もしらぬ兵どもに乗具していづちといふことも知
らずおはしけん、さこそかなしかりけめ、よどの渡
り、草津、くずはの渡、きんや、かた野山、心細くぞ
ましましける、さるほどにはしら松といふ所に着き
給ふ、
柱松因縁事
此名は大和言葉にはあらずして、仏説ともいひつべ
し、その故は天ぢくに唯円上人と申人ましましき、
五天竺無の僧也、生は死の始とて年闌行法功積で、
期近づき給しかば唯円入滅し給き御弟子唯智と申僧
ありき、長老入滅し給しことを歎わび、別れし事を
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悲しみ、我後れ奉て、輪廻する事の悲しさよと窃に
覚されて、日数は積れども、昨日けふの様に覚えて
其思ひ浅からず、斯りし程に、来年の初秋の中の五
日の暮程に、いつよりも故上人の御事恋しかりけれ
ば、御墓所に詣でて、やうやうに御菩提を弔ひ奉てま
しますが、御面影身にそふ心地して、旧跡哀に覚え
ければ、唯智思はれけるは、盂蘭盆経には七月十四、
十五日には、亡者必ずしやばに来て、弟子、子息恩
愛の供養をうくるといふ事あり、誠に来り給ふもの
ならば、則現し給へとちかひつつ、御墓の御前に神
応草一もとありけり、我朝には芭蕉といふ是なり、
彼神応草の枝に、不死教草といふ草のかれ葉をとり
かけて、火をつけて、此光りにげんざいにさり給し
影をあらはし給へ、現身照光明と唱へ給へば、故上
人古のかたちをすこしもたがへず、現ぜられたり、唯
智しんかんにめいじ、哀に覚えて泣涙ひきうして、
是ほどに有がたきをおんみつせん事むねんなりと

て、国中に流布せらる、是を聞人々名残をしき父母
親類におくれたる人、七月半の盂蘭盆に葬所に光明
揚とて、夕に火をとぼす事は、其光りにて恋しき故
人を見む心ざしなり、
花秋大納言事
此事少しもたがはず、かかる風情我朝にあり、崇神
天皇の御宇に、花秋大納言と申ける人他界せられた
りき、御子の少将と聞えし人、おくれ奉て後は、か
なしみの心いつもその日の心地して、紅の涙を流し
つつ、昔の唯智が跡を聞伝へて、来年の七月中の五
日の暮ほどに、父の御墓にまうでつつ、やうやう後
世を弔ひ奉て、彼唯智がしわざを違へずして、御墓
所の前にかれたる木の一本ありけるに、草のかれ葉
をむすびかけ、火をとぼして、
玉すがたしのばば我に見せ給へ
むかしがたりの心ならひに W030 K260
と書つけて、火をかけられたり、誠に昔の風情に違
はず、故大納言現じて、御子の少将に見え給ふ、少
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将手を合せて隨喜の涙ひまもなし、昔の権化はした
がふ弟子にほどこし、今の賢人は恋る子にまみえ給
ふ、抑是をば諸名をさし伝へんとて、昔漢国に六宮
明寿と云皇ましましき、大願をおこして我国中の衆
生等がたぐひ少からんものの、父母妻子死して、先
だたんをれんぼせん者の、心をやすむるじゆつをえ
させんとちかひ給ふ、彼ちかひに応じて、天に声あ
て告、なんぢが皇居より北に命還山といふ山あり、
此山の頂に高部といふ松あり、その松を取て丸き柱
と磨て立よといふ声あり、此教によりて、彼高部の
松を取て、まはり一丈二尺、高さ五丈八寸に磨て、
かれをば真言秘蔵威勢移柱と名付たり、西の角に立
られたり、入さの月の影うつる時、彼松の根にして、
わかれし故人を念ずれば、入日の影に映じて必ず現
ずといへり、さればてんぢくの神応草も、彼柱に似
たり、我朝の少将の古松も是がごとし、然れば是は
六宮の移柱にことよせて、是れを柱松と名付べしと

て、初秋の十四五日の暮、もしはひがんを待て、高
きも賤しきも草を結び、火をとぼし、霊にたむくる
ともし火を柱松とぞ申ける、我朝に此火をともし初
ることは、此因縁ありしをもて、柱松といふ名をあ
らはす事、今にたえず、成親住吉天王寺まうでども
のありし時、かやうの所々を過しにも何とも思ひ寄
ざりしが、我身に歎のある時ぞむかしの思もしられ
ける、
土仏因縁事
所々を過行ば 、つち仏といふ所に着き給ふ、是は孝
徳天皇の御宇、吉野尾少将と申し人、月花門の女御
に近付奉るといふあだ名をたちて、備後国篠尾とい
ふ所に配流せらる、少将無実を蒙るだにもかなしき
に、か様の遠流の重科を蒙る事かなしみの中の悲な
れば、いかにもして無実をはればやと思はれければ、
其所にありける仏工に仰て、土をもて千仏の薬師を
つくり、義見僧をもて、供養せらる、かかりしくり
きにや、程なく無実はれてめし返さる、それよりし
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て是をば、現仏の浦とも申、土仏の湊とも申けるを、
此所の者のいひやすきままに、土仏と名けてほど久
しくなりぬ、是は大唐の一行あじやり、楊貴妃に近
づくと名をたちて火羅国にうつされたりけるが、さ
る権化の僧にてかやうに配所にさせんせらるるこ
と、後代にもこころ憂思はれければ、こがねを以て、
千仏を作りて、此無実をはれんと誓はれけり、ほど
なく願望をとげて、御しやめん蒙りて、八祖の内に
入給ふ、徳をほどこしたりし事を思ひ寄せて、千仏を
土像に作らる、是といひかれといひ、思ひ寄せて、
我方に悲しみのある時は、昔の歎きも知られけり、
かやうに思ひつづけて、入江入江すざきすざきを行ほ
どに、大納言爰はいづくといふぞと問はれければ、
津の国長柄と申ければ、
津の国やその名ながらのくちもせで
むかしのはしを聞わたるかな W031 K261
と打詠てさしていそがずすぐれとも、いとど都の遠

ざかる、爰に人のものを荒くいふも失はんとするや
らんと、きもをけし、かしこにささやき舟をおさふ
るも、我をしづめんとするやらんと、心をまよはす、
耳にふれさせ給ふこととては、すざきにさわぐ千鳥、
みぎはにそよぐあしたづ、きし打浪の音ばかり也、
暮にければ西河尻の内大もつにぞ着給ふ、
二日新大納言死罪をゆるされて、流罪に定りにけり
と聞えければ、さも然るべき人々は悦びあはれけり、
内府の入道に強にのたまひけるゆゑなり、国に諌臣
あれば、その国必安し、家にかん子あれば、その家
必直しといへり、まことや此大納言の宰相中将の時、
異国より来る相人に逢給ひたりければ、位正二位官
大納言に昇給ふべし、但獄に入べき相のましますぞ、
然らずば流罪せられ給ふべき人なりと相したりける
とかや、今思ひ合せられてふしぎ也、又中納言にて
ましましける時、尾張の国知行し給ひけるに、去嘉
応元年の冬のころ、目代右衛門尉政朝当国へ下ると
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て 、杭瀬川に泊りたりけるに、山門領美濃の国平野
庄神人事をいたす事ありけり、平野庄神人葛をうり
けるに、彼まさともが宿にてあたひの高下をろんじ
けるが、後には葛に墨を付たりけるをとがめけるほ
どに、互にいひあがりて、神人をにんじやうしたりけ
り、是によて、平野庄の神人山門へ訴へければ、同
年十二月廿四日に、例の大衆起て、日吉七社の神輿
を捧げ奉りて陣頭へ参す、武士をさし遣はして、防
がれけれどもかなはず、近衛御門より入て、建禮門
の前に並べすへ奉て、成親卿を流罪せられ、目代政
朝を禁ごくせらるべきよし訴へ申ければ、成親卿備
前国へ流され、目代政朝を獄舎に入らるべきよし宣
下せらる、大納言はすでに、西朱雀なる所まで出ら
れたるほどに、大衆たちどころに裁訴を蒙ることを
悦て、成親卿の罪科をば、ゆるさるべきよし申間、
同廿八日に召返されて、同廿九日に本位に復して、
中納言に成り帰給ふ、同正月五日右衛門督を兼して

検非違使別当にならる、其後も目出度時めき栄え給
ふ、去承安二年七月廿一日従二位し給ふ時も、すけ
かた、兼まさをこえ給ひき、すけかたは古人おとなに
てましましき、兼雅は清花の人なりしに、こえられ
給ひし、不便なりし事なり、是は三条殿を造進の賞
なり、御移徒の日也、同三年四月十三日に又正二位
し給ふ、今度は中御門中納言宗家卿こえられ給ふ、
去々年承安元年十一月廿日、第二中納言をこえて権
大納言にあがりて、かやうに繁昌せられければ、人
嘲て山門の大衆には、のろはるべかりけるものをと
ぞ申ける、されどもその後にや、今かかるめを 見給
ふぞおそろしき、神明のばちも人のじゆそも、とき
もあり、おそきもあり、不同事也、
三日いまだあかつきに京より御使ありとてひしめき
けり、すでに失へとにや聞給へば、備前の国へとい
ひて、舟を出すべきよしののしる、内大臣のもとよ
り御文あり、都近き山里などに置奉んと、再三申つ
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れども、叶はぬことこそ世にあるかひ候はね、是に
つけても、世の中あぢきなく候へば、親にも先だち
て、後生を助け給へと、天道にも祈り申候へ、心に
かなふ命ならば、かはらまほしく思へども、叶候は
ず、御命ばかりは申うけて候ぞ、御心ながくおぼし
めせ、程へなば、入道聞直す事もやとこそ存候へと
て、様々の御よういこまごまと調へて奉り給へり、
なんばの次郎の許へも御文あり、あなかしこ、おろ
かにあたり奉るな、宮仕よくよくすべし、おろかに
あたり申て、我恨むなとぞ仰られたりける、大納言
はさばかり不便に思召したる君にもはなれ奉り、い
とけなきものどもをもふり捨てて、いづちと行らん、
二たび都へ帰て、妻子を見ん事もありがたし、一年
山の大衆によて、日吉七社の御輿ふり奉て、朝家の
御大事に成て、夥しかりしだにも、西七条に五ヶ日
こそありしか、それも御ゆるされありき、是は君の
御いましめにもあらず、大衆の訴にもなし、こはい

かにしつる事ぞやと、天にあふぎ地にふしておめき
さけび給へどもかひなし、夜も漸明ければ、舟をお
し出しつつ、難波の浦、蘆屋のさと、いく田の前を
こぎ過て、すまの関やの浦づたひも、しほたれてや
ながめたまひけん、住吉の方を遠見すれば、遠き松
のみどりも、今ばかりや見んずらんと思ふも、夢の
心地す、我九歳より住吉大明神を敬し奉て、すでに
四十にあまり五十に及まで、こころざしをはこぶ事
今におこたらず、いのり奉ん事も今ばかり也、しば
らく船をとどめて、すずりをめしよせて、自筆にて
大明神に願書を参らせらる、其状に云、
敬白住吉大明神御寳前立願事、
一可奉唱毎日千返本地寳號事、
一可奉唱毎日千返垂跡御名事、
一可奉納重代御劒事、
右甄録如斯、夫以郷向鴻雁之北屬秋而重〓、
還桜花之根、迎春而忽開、再会〓期者永別也、
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男女子息尚在花洛九重内、成経所生之中為嫡子、
鐘愛不残、撫育此深、然則歎炎焼而難消、如胸
火増薪、悲涙落而不留、似眼下灑雨、仰願大
明神憐無二丹誠、令納受心中立願、成経以下男
女令守平安給也、仍立願如(レ)件、
治承二年六月三日 成親 敬白
と書給ひて、難波次郎に仰せられけるは、竹現と申
太刀、門脇宰相のもとにあり、それを取て此願書と
ともに、必参らせよと経遠に仰付らる、仰のごとく
是をまいらす、竹現は神劒と成て寳蔵第一の重寳と
ぞ聞えし、今の世までにあり、まことに祈は叶ふこ
とにやと覚ゆる事は、げにも此大納言は業因つたな
かりけるにや、配所の土となり、いわうが島まで流
罪せられ給へる少将は召返されて、二たび殿上に昇
られし事ありがたかりし事ども也、爭、成親の祈叶は
ざらん、
諸仏念衆生、 衆生不念仏、 父母常念子、

子不念父母、 K262
とて思はぬ子をだにもこそ、親のじひは思ふ習なれ、
是は父子の禮儀といひながら、心ざし深かりしかば、
神明も憐をたれ給ふらんとぞ覚えし、今は舟をとく
とくいださせとて、浪路はるかにこぎうかぶ、思を
思はぬ人だにも、わだのみはらの旅の空、心をなや
ますすさみぞかし、まして一かたならぬ歎き取集め
たる心ぐるしさ、さこそかなしくましましけめ、尾
上吹こす松風、すずしく袖にぞわたりける、高砂の松
よそになるに附ても、いとど都遠ざかりぬるこそか
なしけれ、故郷は雲井はるかに立帰り、むしの音し
げき遠国は、日にしたがひて近くなりまさる、爰の
しま、かしこの浦、入江々々、名所々々過ぎ行程に、日
数も積りにければ、備前国小島の内下津井と云所を
ば通庄と云、是につけて、田井の浦にましまして、
それよりして民の家のあやしげなる、柴のあみ戸の
内へぞ入給ひにける、三方は土にて壁をぬりまはし
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て、口一をあけたれば、はにふの小屋とも云つべし、
大納言は殊更家居を結構し、山庄をすごく面白くこ
そ好まれしに、身は習はしのものといひながら、か
かる所にも住めば住るるやと、身のおき所なくぞ思
はれける、されども思に消えぬ命なれば、明しくら
し給ひけり、後は山、前は磯なれば、松にこたふ嵐
の声、岩にくだくる浪の音、浦に友よぶはま千鳥、
しほぢにさわたるかもめ、たまたまさし入ものとて
は、都にて詠めし月の光ぞ面かはりせず、すみまさ
りける、大納言はただねてもさめても故郷のみ恋し
くて、朝夕は故郷に帰らんことをのみぞ祈り給ひけ
る、せめて心ぐるしさには、濱のほとりに出て遊び
給ひけるが、澳の方を見給へば、海士のいさり火い
くらともなく見えければ、大納言おもひつづけて、
大海にうつらば影のきゆべきに、
底さへもゆるあまのいさり火、 W032 K263
と打ながめて、さめざめとなき給ふ御心の中さこそ

はと覚えて哀也、大納言父子にもかぎらず、いまし
めらるる人多くありき、近江入道蓮浄をば、土肥次
郎預りて、常陸の国へ遣はす、新平判官資行をば、
源大夫判官預りて、佐渡の国へ遣はす、山城守もと
かねをば、進次郎むね正預りて、淀の宿所にいましめ
置く、平判官康頼、法勝寺の執行俊寛僧都をば、備中
国の住人瀬尾太郎兼やす預りて、福原に召しおかる、
丹波少将をば、しうとの平宰相に預けらる、
加賀守師高被討事
西光の嫡子前の加賀守師高、舎弟右衛門尉師近、右
衛門尉師平等追討すべきよし、太政入道下知し給ひ
ければ、武士尾張の国の配所井土田へ下りて、河狩を
はじめて、遊君をめし集めて酒もりして、師高をお
びき出して、頭を刎ねべきよしを支度したりけるほ
どに、五日師高が母の許より使を急ぎ下して申ける
は、入道殿は西八条より召捕られ給ひぬ、さりとも
院御所よりたづね御さたあらんずらんと思しほど
に、やがて其夕にきられ給ぬ、尾張の子息たちも追
P123
討せらるべきよし承及、急ぎ下りて夢みせよといひ
ければ、則、使此よしを申ければ、師高井土田を迯去
て、当国に蚊野と云所に忍びてゐたりけるを、小熊
郡司惟長と云者聞つけて、よせてからめんとしける
に、師高なかりければ、兵ども帰らんとしけるとこ
ろに、檀紙にて髪のあかをのごひて、捨たるがあり
けり、是を見つけて、猶よくよくあなくりもとめける
ほどに、民の家にはつしと云所あり、それに師高か
くれて居たりけるを、求め出してからめんとしけれ
ば、自害してけり、郎等に近平四郎何某と申ける者
一人附たりけるも、同く自害してけり、師高が首を
ば、小熊郡司取て六波羅へ奉る、骨をば師高が思ひけ
る鳴海の宿の遊君手づからとり納めけるぞむざんな
る、西光父子きりものにて、世を世と思はず、人を
も人と思はざりけるあまりにや、さしもやんごとな
くましましける人の、あやまり給はぬをさへやうや
うに讒言を奉たりければ、山王大師の神罰冥罰を立

所に蒙て、時こくをめぐらさず、かかるめにあへり、
さ見つることよさ見つることよとぞ人申あへりし、大かたは下
臈はさがさがしきやうなれども、思慮なきもの也、
西光も下臈のはてなりしが、さばかり君に召仕はれ
参らせて、果報やつきにけむ、天下の大事引出して、
我身もかくなりし、浅ましかりし事ども也、廿日福
原より太政入道、平宰相のもとへ、丹波少将是へわた
し給へ、相はからひていづちへもつかはすべし、都
の内にてはあしかるべしとのたまひければ、宰相あ
きれて、こはいかなる事にか、人をば一度こそころ
せ、二たびころす事やある、日数も隔らばさりとも
とこそ思ひつれ、中々有し時ともかくもなしたらば、
二度物は思はざらまし、おしむとも叶うまじと思は
れければ、とくとくとのたまひて、少将諸共に出立給
ふ、今までもかく有つるこそ不思議なれと、少将の
たまひければ、北方乳母も六条も思ひ儲たることな
れども、今更もだえこがる、猶も宰相の申給へかし
P124
とぞ思ひあへる、存ずる所はくはしく申つ、その上
はかやうにの給はんは、力及ばず、今は世を捨るよ
り外はなにとかは申べきと宰相のたまひける、さり
とも御命のうする程の事はよもとこそ覚ゆれ、いづ
くの浦にましますとも、訪ひ奉らんずる事なれば、
たのもしく思ひ給へとのたまふも哀なり、少将はこ
とし四歳に成給へる若君をもち給へり、若き人にて、
日頃は公達の行末など細々にのたまふ事もなかりけ
れども、其恩愛の道のかなしさ、今の都に成ぬれば、
さすが心に懸けられけん、小歳者今一度見んとて、
呼寄られたり、若君少将を見給ひて、いとうれしげ
にて、取附給ひたれば、少将髪をかき撫でて、七歳
にならば男になして、御所に参らせんとこそ思ひし
かども、今は其こといひがひなし、かしらかたく生
ひたちたらば、法師になりて我後世をとぶらへよと、
おとなに物いふやうに涙もかきあへずのたまへば、
若君何と聞分給はざりしかども、父の御顔を見あげ

てうなづき給ふはいとをしき、是を見て北方も六条
もふしまろびて、声もをしまずおめきさけび給ひけ
れば、若君もあさましげに覚しける、今夜は鳥羽ま
でとて急ぎ給へば、宰相は出だち給ひたりけれども、
世のうらめしければとて、此度は伴ひ給はぬにつけ
ても、いよいよ心細くぞ思はれける、

平家物語巻第三終