平家物語(龍谷大学本)巻三

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【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。


P03363
(表紙)
P03367
(目録)
  三
一 免シ状
二 御産の巻 御産平安にある ヨリ
三 大塔建立 仁和寺御室は東寺修造  ヨリ
四 頼豪 白河院御在位の御時 ヨリ
五 少将都帰 明れば治承三年 ヨリ
六 有王嶋下 去程に、鬼界が島へ ヨリ
七 医師問答 同五月十二日午剋 ヨリ
八 無紋 天性このおとどは ヨリ
P03369
平家物語巻第三P209
赦文S0301
治承二年正月一日、院御所には拝礼をこ
なはれて、四日朝覲の行幸有ける。例に
かはりたる事はなけれ共、去年の夏新
大納言成親卿以下、近習の人々多くうし
なはれし事、法皇御憤いまだやまず、世の
政も物うくおぼしめされて、御心よからぬ
ことにてぞありける。太政入道も、多田蔵人行
P03370
綱が告しらせて後は、君をも御うしろめたき
事に思ひ奉て、うへには事なき様なれ
共、下には用心して、にがわらひてのみぞあり
ける。同正月七日、彗星東方にいづ。蚩尤
気とも申。又赤気共申。十八日光をます。去
程に、入道相国の御むすめ建礼門院、其比は未
中宮と聞えさせ給しが、御悩とて、雲のうへ
天が下の歎きにてぞありける。諸寺に御読経
P03371
始まり、諸社へ官P210幣を立らる。医家薬を
つくし、陰陽術をきはめ、大法秘法一として
残る処なう修せられけり。され共、御悩ただ
にも渡らせ給はず、御懐姙とぞ聞えし。主上
は今年十八、中宮は廿二にならせ給ふ。しかれ共、
いまだ皇子も姫宮も出きさせ給はず。もし
皇子にてわたらせ給はばいかに目出からんと
て、平家の人々はただ今皇子御誕生のある
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様に、いさみ悦びあはれけり。他家の人々も、「平
氏の繁昌おりをえたり。皇子御誕生疑なし」
とぞ申あはれける。御懐姙さだまらせ給しかば、
有験の高僧貴僧に仰せて、大法秘法を
修し、星宿仏菩薩につげて、皇子御誕生と
祈誓せらる。六月一日、中宮御着帯ありけり。
仁和寺の御室守覚法親王、御参内あて、
孔雀経の法をもて御加持あり。天台座主
P03373
覚快法親王、おなじうまいらせ給て、変成男子の
法を修せらる。かかりし程に、中宮は月のかさなるに
随て、御身をくるしうせさせ給ふ。一たびゑめば
百の媚ありけむ漢の李夫人の、承陽殿の
病のゆかもかくやとおぼえ、唐の楊貴姫、李花
一枝春の雨ををび、芙蓉の風にしほれ、女
郎花の露おもげなるよりも、猶いたはしき
御さまなり。かかる御悩の折節にあはせて、こはき
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御物気共、取いり奉る。よりまし明王の縛に
かけて、霊あらはれたり。殊には讃岐院の御霊、
宇治悪左府の憶念、新大納言成親卿の死
霊、西光法師が悪霊、P211鬼界の島の流人共が
生霊などぞ申ける。是によて、太政入道生霊
も死霊もなだめらるべしとして、其比やがて讃
岐院御追号あて、崇徳天皇と号す。宇治悪左
府、贈官贈位をこなはれて、太政大臣正一位を
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をくらる。勅使は少内記維基とて聞えし。件の
墓所は大和国そうのかんの郡、川上の村、般若野
の五三昧也。保元の秋ほりをこして捨られ
し後は、死骸路の辺の土となて、年々にただ
春の草のみ茂れり。今勅使尋来て宣命
を読けるに、亡魂いかにうれしとおぼしけむ。
怨霊は昔もおそろしきこと也。されば早良
廃太子をば崇道天皇と号し、井上の内
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親王をば皇后の職位にふくす。是みな怨
霊を寛められしはかりこと也。冷泉院の御物
ぐるはしうましまし、花山の法皇の十禅万
乗の帝位をすべらせ給しは、基方民部卿が
霊とかや。三条院の御目も御覧ぜざりしは、
観算供奉が霊也。門脇宰相か様の事共
伝へきいて、小松殿に申されけるは、「中宮御
産の御祈さまざまに候也。なにと申候共、非常の
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赦に過たる事あるべしともおぼえ候はず。
中にも、鬼界の島の流人共めしかへされた
らむほどの功徳善根、争か候べき」と申されけれ
ば、小松殿父の禅門の御まへにおはして、「あの
丹波少将が事を、宰相のあながちに歎申
候が不便候。中宮御悩の御こと、承P212及ごとくんば、
殊更成親卿が死霊など聞え候。大納言が死
霊など聞え候。大納言が死霊をなだめむと
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おぼしめさんにつけても、生て候少将をこそ
めしかへされ候はめ。人のおもひをやめさせ給
はば、おぼしめす事もかなひ、人の願ひをかな
へさせ給はば、御願もすなはち成就して、中
宮やがて皇子御誕生あて、家門の栄花
弥さかむに候べし」など申されければ、入道相国、
日比にもにず事の外にやはらひで、「さてさて、俊
寛と康頼法師が事はいかに」。「それもおなじう
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めしこそかへされ候はめ。若一人も留められんは、
中々罪業たるべう候」と申されければ、「康頼法
師が事はさる事なれ共、俊寛は随分入道が
口入をもて人となたる物ぞかし。それに所しも
こそ多けれ、わが山荘鹿の谷に城郭をかま
へて、事にふれて奇恠のふるまひ共が有けん
なれば、俊寛をば思ひもよらず」と〔ぞ〕の給ける。
小松殿かへて、叔父の宰相殿よび奉り、「少将は
P03380
すでに赦免候はんずるぞ。御心やすう思食され
候へ」との〔た〕まへば、宰相手をあはせてぞ悦れける。
「下りし時も、などか申うけざらむとおもひたり
げにて、教盛を見候度ごとには涙をながし候
しが不便候」と申されければ、小松殿「まことに
さこそおぼしめされ候らめ。子は誰とてもかなし
ければ、能々申候はん」とて入給ぬ。P213去程に、鬼界が
島の流人共めしかへさるべき事さだめられ
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て、入道相国ゆるしぶみ下されけり。御使すでに
都をたつ。宰相あまりのうれしさに、御使に私
の吏をそへてぞ下されける。よるを昼にして
いそぎ下たりしか共、心にまかせぬ海路なれば、
浪風をしのいで行程に、都をば七月下旬に
出たれ共、長月廿日比にぞ、鬼界の島には着に
ける。足摺S0302 御使は丹左衛門尉基康といふ者也。船より
あがて、「是に都よりながされ給し丹波少将殿、
P03382
法勝寺執行御房、平判官入道殿やおはする」
と、声々にぞ尋ける。二人の人々は、例の熊野
まうでしてなかりけり。俊寛僧都一人のこ
たりけるが、是をきき、「あまりに思へば夢やらん。
又天魔波旬の我心をたぶらかさむとていふ
やらむ。うつつ共覚えぬ物かな」とて、あはてふた
めき、はしるともなく、たをるる共なく、いそぎ
御使のまへに走りむかひ、「何事ぞ。是こそ京
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よりながされたる俊寛よ」と名乗り給へば、
雑色が頸にかけさせたる小袋より、入道相国の
ゆるしぶみ取出いて奉る。ひらいてみれば、「重科は
遠P214流にめんず。はやく帰洛の思ひをなすべし。
中宮御産の御祈によて、非常の赦をこなは
る。然間鬼界の島の流人、少将成経、康頼
法師赦免」とばかり書〔れ〕て、俊寛と云文字はなし。
らいしにぞあるらむとて、礼紙をみるにもみえず。
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奥よりはしへよみ、端より奥へ読けれ共、二人
とばかりかかれて、三人とはかかれず。さる程に、少
将や判官入道も出きたり。少将のとてよむ
にも、康頼入道が読にも、二人とばかり書れて
三人とはかかれざりけり。夢にこそかかる事は
あれ、夢かと思ひなさんとすればうつつ也。うつつ
かと思へば又夢の如し。其うへ二人の人々
のもとへは、都よりことづけぶみ共いくらもあり
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けれ共、俊寛僧都のもとへは、事とふ文一も
なし。「抑われら三人は罪もおなじ罪、配所も
一所也。いかなれば赦免の時、二人はめしかへされて、
一人ここに残るべき。平家の思ひわすれかや、
執筆のあやまりか。こはいかにしつる事共
ぞや」と、天にあふぎ地に臥て、泣かなしめ共かひ
ぞなき。少将の袂にすがて、「俊寛がかく成と
いふも、御へんの父、故大納言殿のよしなき
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謀反ゆへ也。さればされば、よその事とおぼすべからず。
ゆるされなければ、都までこそかなはずと云共、此
船にのせて、九国の地へつけ給へ。をのをのの
是におはしつる程P215こそ、春はつばくらめ、秋は
田のむの鴈の音づるる様に、をのづから古郷の
事をも伝へきいつれ。今より後、何としてかは
聞べき」とて、もだえこがれ給ひけり。少将「まこ
とにさこそはおぼしめされ候らめ。我等がめし
P03387
かへさるるうれしさは、さる事なれ共、御あり様
を見をき奉るに、行べき空も覚えず。うち
のせたてまても上りたう候が、都の御使もかなふ
まじき由申うへ、ゆるされもないに、三人ながら島
を出たりなど聞えば、中々あしう候なん。成経
まづ罷りのぼて、人々にも申あはせ、入道相国
の気色をもうかがふて、むかへに人を奉らむ。其
間は、此日比おはしつる様におもひなして待給へ。
P03388
何と〔しても〕命は大切の事なれば、今度こそもれさせ
給ふ共、つゐにはなどか赦免なうて候べき」となぐさめ
たまへ共、人目もしらず泣もだえけり。既に船
出すべしとてひしめきあへば、僧都のてはおりつ、
おりてはのつ、あらまし事をぞし給ひける。少将
の形見にはよるの衾、康頼入道が形見には
一部の法花経をぞとどめける。ともづなといて
おし出せば、僧都綱に取つき、腰になり、脇になり、
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たけの立まではひかれて出、たけも及ば
ず成ければ、船に取つき、「さていかにをのをの、俊
寛をば遂に捨はて給ふか。是程とこそおもは
ざりつれ。日比の情も今は何ならず。ただ
理をまげてのせ給へ。せめては九P216国の地まで」
とくどかれけれ共、都の御使「いかにもかなひ候ま
じ」とて、取つき給へる手を引のけて、船をば
つゐに漕出す。僧都せん方なさに、渚にあがり
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たふれふし、おさなき者のめのとや母などを
したふやうに、足ずりをして、「是のせてゆけ、
ぐしてゆけ」と、おめきさけべ共、漕行船の
習にて、跡はしら浪ばかり也。いまだ遠からぬ
ふねなれ共、涙に暮てみえざりければ、僧都
たかき所に走あがり、澳の方をぞまねきける。
彼松浦さよ姫がもろこし船をしたひつつ、ひれ
ふりけむも、是には過じとぞみえし。船も漕かくれ、
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日もくるれ共、あやしのどへも帰らず。浪に足
うちあらはせて、露にしほれて、其夜はそこ
にぞあかされける。さり共少将はなさけふかき
人なれば、よき様に申事もあらんずらむと
憑をかけ、その瀬に身をもなげざりける
心の程こそはかなけれ。昔壮里・息里が海
岳山へはなたれけむかなしみも、いまこそ思ひ
しられけれ。御産S0303去程に、此人々は鬼界の島を出て、
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平宰相の領、肥前国鹿瀬庄に着給ふ。宰P217
相、京より人を下して、「年の内は浪風はげ
しう、道の間もおぼつかなう候に、それにて能々
身いたはて、春にはて上りたまへ」とありければ、
少将鹿瀬庄にて、年を暮す。さる程に、同
年の十一月十二日寅剋より、中宮御産の
気ましますとて、京中六波羅ひしめき
あへり。御産所は六波羅池殿にてありけるに、
P03393
法皇も御幸なる。関白殿を始め奉て、太政
大臣以下の公卿殿上人、すべて世に人とかぞへられ、
官加階にのぞみをかけ、所帯・所職を帯する
程の人の、一人ももるるはなかりけり。先例、女御
后御産の時にのぞんで、大赦をこなはるる
事あり。大治二年九月十一日、待賢門院御
産の時、大赦ありき。其例とて、今度も重科
の輩おほくゆるされける中に、俊寛僧都
P03394
二 一人、赦免なかりけるこそうたてけれ。御産平
安にあるならば、八幡・平野・大原野などへ行
啓なるべしと、御立願ありけり。仙源法印是を
敬白す。神社は太神宮を始め奉て廿余ケ所、
仏寺は東大寺・興福寺以下十六ケ所に御誦
経あり。御誦経の御使は、宮の侍の中に
有官の輩是をつとむ。ひやうもんの狩衣に
帯剣したる者共が、色々の御誦経もつ、御剣
P03395
御衣を持つづいて、東の台より南庭をわたて、
西の中門にいづ。目出たかし見物也。P218小松の
おとどは、例の善悪にさはがぬ人にておはしければ、
其後遥に程へて、嫡子権亮少将以下公達
の車共みなやりつづけさせ、色々の絹四十
領、銀剣七、広ぶたにをかせ、御馬十二疋ひかせて
まいり給ふ。寛弘に上東門院御産の時、御堂
殿御馬をまいらせられし其例とぞ聞えし。この
P03396
おとどは、中宮の御せうとにておはしけるうへ、
父子の御契なれば、御馬まいらせ給ふもことはり也。
五条大納言国綱卿、御馬二疋進せらる。「心
ざしのいたりか、徳のあまりか」とぞ人申ける。
なを伊勢より始て、安芸の厳島にいたる
まで、七十余ケ所へ神馬を、立らる。大内にも、
竜の御馬に四手つけて、数十疋ひたてたり。
仁和寺の御室は孔雀経の法、天台座主覚快
P03397
法親王は七仏薬師の法、寺の長吏円慶法親
王は金剛童子の法、其外五大虚空蔵・六観音、
一字金輪・五壇法、六字加輪・八字文殊、普賢延
命にいたるまで、残る処なう修せられけり。護摩の
煙御所中にみち、鈴の音雲をひびかし、修法
の声身の毛よだて、いかなる御物の気なり共、
面をむかふべしともみえざりけり。猶仏所の
法印に仰て、御身等身の七仏薬師、並に
P03398
五大尊の像をつくり始めらる。かかりしか共、
中宮はひまなくしきらせ給ふばかりにて、御
産もとみに成やらず。入道相国・二位殿、胸に
手ををいて、「こはいかにせん、いかにせむ」とP219ぞあ
きれ給ふ。人の物申けれ共、ただ「ともかうも能様に、
よきやうに」とぞの給ける。「さり共いくさの陣
ならば、是程浄海は臆せじ物を」とぞ、後には
仰られける。御験者は、房覚・性運両僧正、春堯
P03399
法印、豪禅・実専両僧都、をのをの僧加の
句共あげ、本山の三実、年来所持の本
尊達、〔責〕ふせ〔責〕ふせもまれ
けり。誠にさこそはと覚て
たとかりける中に、法皇は折しも、新熊野へ
御幸なるべきにて、御精進の次でなりける
間、錦帳ちかく御座あて、千手経をうち
あげうちあげあそばされけるにこそ、今一きは事
かはて、さしも踊りくるふ御よりまし共が
P03400
縛も、しばらくうちしづめけれ。法皇仰なり
けるは、「いかなる物気なり共、この老法師がかくて
候はんには、争かちかづき奉るべき。就中にいま
あらはるる処の怨霊共は、みなわが朝恩に
よて人となし物共ぞかし。たとひ報謝の心を
こそ存ぜず共、豈障碍をなすべきや。速にまかり
退き候へ」とて「女人生産しがたからむ時にのぞんで、
邪魔遮生し、苦忍がたからむにも、心をいた
P03401
して大悲呪を称誦せば、鬼神退散して、
安楽に生ぜん」とあそばいて、皆水精の御
数珠おしもませ給へば、御産平安のみならず、
皇子にてこそましましけれ。頭中将重衡、其
時はいまだ中宮亮にておはしけるが、御簾の
内よりつとP220出て、「御産平安、皇子御誕生候ぞ」と、
たからかに申されければ、法皇を始まいらせて、
関白殿以下の大臣、公卿殿上人、をのをのの
P03402
助修、数輩の御験者、陰陽頭・典薬頭、すべて
堂上堂下一同にあと悦あへる声、門外まで
どよみて、しばしはしづまりやらざりけり。入道
相国あまりのうれしさに、声をあげてぞ
なかれける。悦なきとは是をいふべきにや。
小松殿、中宮の御方にまいらせ給ひて、金
銭九十九文、皇子の御枕にをき、「天をもて
父とし、地をもて母とさだめ給へ。御命は方
P03403
士東方朔が齢をたもち、御心には天照大神
入かはらせ給へ」とて、桑の弓・蓬の矢にて、天地
四方を射させらる。 公卿揃S0304 御乳には、前右大将宗
盛卿の北方と定られたりしが、去七月に
難産をしてうせ給しかば、御めのと平大納
言時忠卿の北方、御乳にまいらせ給ひけり。後には
帥の典侍とぞ申ける。法皇やがて還御、御
車を門前に立られたり。入道相国うれしさの
P03404
あまりに、砂金一千両、富士の綿二千両、
法皇へ進上ぜらる。しかるべからずとぞ人々内々
ささやきあはれける。P221今度の御産に勝事
あまたあり。まづ法皇の御験者。次に后御産の
時、御殿の棟より甑をまろばかす事あり。皇
子御誕生には南へおとし、皇女誕生には北へ
おとすを、是は北へおとしたりければ、「こはいかに」と
さはがれて、取あげ落しなをしたりけれ
P03405
共、あしき御事に人々申あへり。おかしかりしは
入道相国のあきれざま、目出たかりしは小松の
おとどのふるまひ。ほいなかりしは右大将宗盛
卿の最愛の北方にをくれ奉て、大納言大
将両職を辞して籠居せられたりし事。兄
弟共に出仕あらば、いかに出たからむ。次には、七
人の陰陽師のめされて、千度の御祓仕
るに、其中に掃部頭時晴といふ老者あり。
P03406
所従なども乏少なりけり。余に人まいりつどひて、
たかんなをこみ、稲麻竹葦のごとし。「役人ぞ。
あけられよ」とて、おし分てまいる程に、右の沓
をふみぬかれぬ。そこにてちと立やすらふが、冠を
さへつきおとされぬ。さばかりの砌に、束帯ただしき
老者が、もとどりはなへてねり出たりければ、
わかき公卿殿上人こらへずして、一同にはとわ
らひあへり。陰陽師などいふは、反陪とて足をも
P03407
あだにふまずとこそ承れ。それにかかる不
思議の有ける、其時はなにとも覚えざりしか共、
後にこそ思ひあはする事共も多かりけれ。
御産によて六波羅へまいらせ給ふ人々、関白
松殿、太政大臣妙音院、左大臣大炊御門、P222右大臣
月輪殿、内大臣小松殿、左大将実定、源大納言定
房、三条大納言実房、五条大納言国綱、藤大納言
実国、按察使資方、中御門中納言宗家、花山院
P03408
中納言兼雅、源中納言雅頼、権中納言実綱、藤中
納言資長、池中納言頼盛、左衛門督時忠、別当忠
親、左の宰相中将実家、右の宰相中将実宗。新宰
相中将通親、平宰相教盛、六角宰相家通、堀河宰相
頼定、左大弁宰相長方、右大弁三位俊経、左兵衛督
重教、右兵衛督光能、皇太后宮大夫朝方、左京大夫長教、
太宰相大弐親宣、新三位実清、已〔上〕三十三人、右大弁の
外は直衣也。不参の人々、花山院前太政大臣忠雅公、
P03409
大宮大納言隆季卿以下十余人、後日に布衣着
して、入道相国の西八条亭へむかはれけるとぞ聞え
し。 大塔建立S0305 御修法の結願に勧賞共をこなはる。仁和寺
御室は東寺修造せらるべし、並に後七日の御
修法、大眼の法の、潅頂興行せらるべき由仰下
さる。御弟子覚誓僧都、法印に挙せらる。座主
宮は、二品並に牛車の宣旨を申させ給ふ。仁和寺
御室ささへ申させ給ふによて、法眼円良、法印
P03410
になさる。其外の勧賞共毛挙にP223いとまあらずとぞ
きこえし。中宮は日数へにければ、六波羅
より内裏へまいらせ給ひけり。此御むすめ后に
たたせ給しかば、入道相国夫婦共に、「あはれ、い
かにもして皇子御誕生あれかし。位につけ奉り、
外祖父、外祖母とあふがれん」とぞねがはれける。
わがあがめ奉る安芸の厳島に申さんとて、
月まうでを始て、祈り申されければ、中宮
P03411
やがて御懐姙あて、思ひのごとく皇子にてまし
ましけるこそ目出たけれ。抑平家の安芸
の厳島を信じ始られける事はいかにといふに、鳥
羽院の御宇に、清盛公いまだ安芸守たりし
時、安芸国をもて、高野の大塔を修理せよ
とて、渡辺の遠藤六郎頼方を雑掌に付られ、
六年に修理をはぬ。修理をはて後、清盛高野へ
のぼり、大塔をがみ、奥院へいられたりければ、いづく
P03412
より来る共なき老僧の、眉には霜をたれ、額に
浪をたたみ、かせ杖のふたまたなるにすがてい
でき給へり。良久しう御物語せさせ給ふ。「昔
よりいまにいたるまで、此山は密宗をひかへて
退転なし。天下に又も候はず。大塔すでに修理
をはり候たり。さては安芸の厳島、越前の気比の
宮は、両界の垂跡で候が、気比の宮はさかへたれ共、
厳島はなきが如て荒はてて候。此次に奏聞して
P03413
修理せさせ給へ。さだにも候はば、官加階は肩をなら
ぶる人もあるまじきぞ」とて立P224れけり。此老僧の
居給へる所に異香すなはち薫じたり。人を
付てみせ給へば、三町ばかりはみえ給て、其後はかき
けつやうに失給ぬ。ただ人にあらず、大師にてま
しましけりと、弥たとくおぼしめし、娑婆世界の
思出にとて、高野の金堂に曼陀羅をかかれける
が、西曼陀羅をば常明法印といふ絵師に書せ
P03414
らる。東曼陀羅をば清盛かかむとて、自筆に
書〔れ〕けるが、何とかおもはれけん、八葉の中尊を
宝冠をばわが首の血をいだいてかかれけるとぞ
聞えし。さて都へのぼり、院参して此由奏聞
せられければ、君もなのめならず御感あて、猶
任をのべられ、厳島を修理せらる。鳥居を立
かへ、社々を作りかへ、百八十間の廻廊をぞ造
られける。修理をはて、清盛厳島へまいり、通夜
P03415
せられたりける夢に、御宝殿の内より鬟ゆふ
たる天童の出て、「これは大明神の御使也。汝この
剣をもて一天四海をしづめ、朝家の御まぼりたる
べし」とて、銀のひるまきしたる小長刀を給はると
いふ夢をみて、覚て後見給へば、うつつに枕がみに
ぞたたりける。大明神御詫宣あて、「汝しれりや、
忘れりや、ある聖をもていはせし事は。但悪
行あらば、子孫まではかなふまじきぞ」とて、大明神
P03416
あがらせ給ぬ。目出たかりし御事也。P225頼豪S0306白河院御
在位の御時、京極大殿の御むすめ后にたたせ給
て、兼子の中宮とて、御最愛有けり。主上此御
腹に皇子御誕生あらまほしうおぼしめし、其比
有験の僧と聞えし三井寺の頼豪阿闍梨
をめして、「汝此后の腹に、皇子御誕生祈申せ。
御願成就せば、勧賞はこふによるべし」とぞ仰ける。
「やすう候」とて三井寺にかへり、百日肝胆を摧て
P03417
祈申ければ、中宮やがて百日のうちに御懐姙
あて、承保元年十二月十六日、御産平安、皇
子御誕生有けり。君なのめならず御感あて、
三井寺の頼豪阿闍梨をめして、「汝が所望の事は
いかに」と仰下されければ、三井寺に戒壇建立の事
を奏す。主上「これこそ存の外の所望なれ。一階
僧正などをも申べきかとこそおぼしめしつれ。凡は
皇子御誕生あて、祚をつがしめん事も、海内
P03418
無為を思ふため也。今汝が所望達せば、山門
いきどほて世上しづかなるべからず。両門合戦して、
天台の仏法ほろびなんず」とて、御ゆるされもな
かりけり。頼豪口おしい事也とて、三井寺に
かへて、ひ死にせんとす。主上大におどろかせ給て、
江帥匡房卿、其比は未美作守と聞えしを召て、
「汝は頼豪と師P226壇の契あんなり。ゆいてこしらへ
て見よ」と仰ければ、美作守綸言を蒙て頼豪が
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宿坊に行むかひ、勅定の趣を仰含めんとする、
以外にふすぼたる持仏堂にたてごもり、おそろ
しげなるこゑして、「天子には戯の詞なし、
綸言汗の如しとこそ承れ。是程の所望かな
はざらむにをいて〔は〕、わが祈りだしたる皇子なれば、
取奉て魔道へこそゆかんずらめ」とて、遂に
対面もせざりけり。美作守帰りまいて、此由を
奏聞す。頼豪はやがてひ死に死にけり。君いかが
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せんずると、叡慮をおどろからせおはします。皇子
やがて御悩つかせ給て、さまざまの御祈共有しか
共、かなうべしともみえさせ給はず。白髪なりける
老僧の、錫杖もて皇子の御枕にたたずみ、人々
の夢にもみえ、まぼろしにも立けり。おそろしな
どもおろかなり。去程に、承暦元年八月六日、
皇子御年四歳にて遂にかくれさせ給ぬ。敦文
の親王是なり。主上なのめならず御歎ありけり。山
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門に又西京の座主、良信大僧、其比は円融房
の僧都とて、有験の僧と聞えしを、内裏へめして、
「こはいかがせんずる」と仰ければ、「いつも我山の力にて
こそか様の御願は成就する事候へ。九条右丞
相、慈恵大僧正に契申させ給しによてこそ、冷
泉院の皇子御誕生は候しか。やすい程の御事
候」とて、比叡山にかへりのぼP227り、山王大師に百日肝
胆を摧て祈申ければ、中宮やがて百日の
P03422
内に御懐姙あて、承暦三年七月九日、御産平
安、皇子御誕生有けり。堀河天皇是也。怨霊は
昔もおそろしき事也。今度さしも目出たき
御産に、大赦はをこなはれたりといへ共、俊寛
僧都一人、赦免なかりけるこそうたてけれ。同十
二月八日、皇子東宮にたたせ給ふ。傅には、小松内
大臣、大夫には池の中納言頼盛卿とぞ聞えし。 少将都帰S0307 
明れば治承三年正月下旬に、丹羽少将成
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経、肥前国鹿瀬庄をたて、都へといそがれけれ
共、余寒猶はげしく、海上もいたく荒ければ、
浦づたひ島づたひして、きさらぎ十日比にぞ
備前児島に着給ふ。それより父大納言殿
のすみ給ける所を尋いりてみ給ふに、竹の
柱、ふりたる障子なんどにかきをかれたる筆のす
さみをみ給て、「人の形見には手跡に過たる
物ぞなき。書をき給はずは、いかでかこれをみる
P03424
べき」とて、康頼入道と二人、ようではなき、ない
てはよむ。「安元三年七月廿日出家、同廿
六日信俊下向」と書れたり。さてこそ源P228左衛
門尉信俊がまいりたりけるも知れけれ。そばなる
壁には、「三尊来迎有便。九品往生無疑」とも書
れたり。此形見を見給てこそ、さすが欣求浄土
ののぞみもおはしけりと、限りなき歎の中
にも、いささかたのもしげにはの給けれ。其墓
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を尋て見給へば、松の一むらある中に、かひ
がひしう壇をついたる事もなし。土のすこし
たかき所に少将袖かきあはせ、いきたる人に
物を申やうに、泣々申されけるは、「遠き御まもりと
ならせおはしまして候事をば、島にてかすかに
伝へ承りしか共、心にまかせぬうき身
なれば、いそぎまいる事も候はず。成経彼島へ
ながされて、露の命消やらずして、二とせを
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をくてめしかへさるるうれしさは、さる事にて
候へ共、この世にわたらせ給ふをも見まいらせ
て候ばこそ、命のながきかひもあらめ。是まで
はいそがれつれ共、いまより後はいそぐべし共
おぼえず」と、かきくどゐてぞなかれける。誠に存
生の時ならば、大納言入道殿こそ、いかに共の給ふ
べきに、生をへてたる習ひ程うらめしかり
ける物はなし。苔の下には誰かこたふべき。
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ただ嵐にさはぐ松の響ばかりなり。其夜は
夜もすがら、康頼入道と二人、墓のまはりを
行道して念仏申、明ぬればあたらしう壇
つき、くぎぬき〔せ〕させ、まへに仮屋つくり、七日七P229夜
念仏申経書て、結願には大なる卒兜婆
をたて、「過去聖霊、出離生死、証大菩提」とかいて、
年号月日の下には、「孝子成経」と書れたれば、
しづ山がつの心なきも、子に過たる宝なしとて、
P03428
泪をながし袖をしぼらぬはなかりけり。年去
年来れ共、忘がたきは撫育の昔の恩、夢の
如く幻のごとし。尽がたきは恋慕のいまの涙也。
三世十方の仏陀の聖衆もあはれみ給ひ、
亡魂尊霊もいかにうれしとおぼしけむ。「いま
しばらく念仏の功をもつむべう候へ共、都に
待人共も心もとなう候らん。又こそまいり候はめ」とて、
亡者にいとま申つつ、泣々そこをぞ立れける。
P03429
草の陰にても余波おしうやおもはれけむ。
三月十八日、少将鳥羽へあかうぞ付給ふ。故
大納言の山荘、すはま殿とて鳥羽にあり。住
あらして年へにければ、築地はあれどもおほい
もなく、門はあれ共扉もなし。庭に立入見
給へば、人跡たえて苔ふかし。池の辺を見ま
はせば、秋山の春風に白波しきりにおりかけて、
紫鴛白鴎逍遥す。興ぜし人の恋しさに、尽せぬ
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物は涙也。家はあれ共、らんもむ破て、蔀やり戸も
たえてなし。「爰には大納言のとこそおはせしか、
此妻戸をばかうこそ出入給しか。あの木をば、
みづからこそうへ給しか」などいひて、ことの葉に
つけて、ちちの事を恋しげにこその給ひけれ。
弥生なかの六日なれば、花はいまだ名残あり。
楊梅桃李P230の梢こそ、折しりがほに色々なれ。
昔のあるじはなけれ共、春を忘れぬ花なれや。
P03431
少将花のもとに立よて、桃李不言春幾暮
煙霞無跡昔誰栖 K017 ふる里の花の物いふ
世なりせばいかにむかしのことをとはまし W014 この
古き詩歌を口ずさみ給へば、康頼入道も
折節あはれに覚えて、墨染の袖をぞぬらし
ける。暮る程とは待れけれ共、あまりに名残
おしくて、夜ふくるまでこそおはしけれ。深行
ままには、荒たる宿のならひとて、ふるき軒
P03432
の板間より、もる月影ぞくまもなき。鶏籠
の山明なんとすれ共、家路はさらにいそがれず。
さてもあるべきならねば、むかへに乗物共つかはし
て待らんも心なしとて、泣々すはま殿を出つつ、
都へかへり入けむ心の内共、さこそはあはれにも
うれしうも有けめ。康頼入道がむかへにも乗
物ありけれ共、それにはのらで、「いまさら名残の惜き
に」とて、少将の車の尻にのて、七条河原
P03433
まではゆく。其より行別けるに、猶行もやらざり
けり。花の下の半日の客、月前の一夜の友、
旅人が一村雨の過行に、一樹の陰に立よて、
わかるる余波もおしきぞかし。况や是はうかりし
島のすまひ、船のうち、浪のうへ、一業所感の身
なれば、先世の芳縁も浅からずや思ひしられけん。P231
少将は舅平宰相の宿所へ立入給ふ。少将の
母うへは霊山におはしけるが、昨日より宰相の
P03434
宿所におはして待れけり。少将の立入給ふ
姿を一目みて、「命あれば」とばかりぞの給ける。引
かづいてぞ臥給ふ。宰相の内の〔女〕房、侍共さし
つどいて、みな悦なき共しけり。まして少将の
北方、めのとの六条が心のうち、さこそはうれしかりけめ。
六条は尽せぬ物おもひに、黒かりし髪もみなし
ろくなり、北方さしも花やかにうつくしうおは
せしか共、いつしかやせおとろへて、其人共みえ給はず。
P03435
ながされ給し時、三歳にて別しおさなき人、おと
なしうなて、髪ゆふ程也。又其御そばに、三ばかり
なるおさなき人のおはしけるを、少将「あれはいか
に」との給へば、六条「是こそ」とばかり申て、袖をか
ほにおしあてて涙をながしけるにこそ、さては
下りし時、心苦しげなる有さまを見をき
しが、事ゆへなくそ立けるよと、思ひ出ても
かなしかりけり。少将はもとのごとく院にめしつか
P03436
はれて、宰相中将にあがり給ふ。康瀬入道は、
東山双林寺にわが山荘のありければ、それに落
つゐて、先おもひつづけけり。
ふる里の軒のいたまに苔むして
おもひしほどはもらぬ月かな W015
やがてそこに籠居して、うかりし昔を思ひ
つづけ、宝物集といふ物語を書けるP232とぞ聞
えし。有王S0308去程に、鬼界が島へ三人ながされたりし
P03437
流人、二人はめしかへされて都へのぼりぬ。俊寛
僧都一人、うかりし島の島守に成にけるこそ
うたてけれ。僧都のおさなうより不便にして、
めしつかはれける童あり。名をば有王とぞ申ける。
鬼界が島の流人、今日すでに都へ入と聞えし
かば、鳥羽まで行むかふて見けれ共、わがしうは
みえ給はず。いかにと問ば、「それはなをつみふかしとて、
島にのこされ給ぬ」ときいて、心うしなどもおろ
P03438
か也。常は六波羅辺にたたずみありいて聞けれ
共、赦免あるべし共聞いださず。僧都の御むす
めのしのびておはしける所へまいて、「このせにも
もれさせ給て、御のぼりも候はず。いかにもして
彼島へわたて、御行えを尋まいらせむと
こそ思ひなて候へ。御ふみ給はらん」と申ければ、
泣々かいてたうだりけり。いとまをこふ共、よも
ゆるさじとて、父にも母にもしらせず、もろこし
P03439
船のともづなは、卯月さ月にとくなれば、夏衣
たつを遅くや思けむ、やよひの末に都を
出て、多くP233の浪路を凌ぎ過ぎ、薩摩潟
へぞ下りける。薩摩より彼島へわたる船津
にて、人あやしみ、きたる物をはぎとりなどし
けれ共、すこしも後悔せず。姫御前の御文
ばかりぞ人に見せじとて、もとゆひの中に隠
したりける。さて商人船にのて、件の島へ
P03440
わたてみるに、都にてかすかにつたへ聞しは
事のかずにもあらず。田もなし、畠もなし。村も
なし、里もなし。をのづから人はあれ共、いふ
詞も聞しらず。もしか様の者共の中に、わが
しうの行えやしりたるものやあらんと、「物まう
さう」どいへば、「何事」とこたふ。「是に都よりながされ
給し、法勝寺執行御房と申人の御行えや
しりたる」と問に、法勝寺共、執行共したらばこそ
P03441
返事もせめ。頸をふて知ずといふ。其中に
ある者が心得て、「いさとよ、さ様の人は三人是に
有しが、二人はめしかへされて都へのぼりぬ。いま
一人はのこされて、あそこ爰にまどひありけ
共、行えもしらず」とぞいひける。山のかたのおぼ
つかなさに、はるかに分入、峯によぢ、谷に下れ共、
白雲跡を埋で、ゆき来の道もさだかならず。
青嵐夢を破て、その面影もみえざりけり。
P03442
山にては遂に尋もあはず。海の辺について
尋るに、沙頭に印を刻む鴎、澳のしら州に
すだく浜千鳥の外は、跡とふ物もなかりけり。
ある朝、いその方よりかげろふなどのやうに
やせおとろへたる者よろぼひP234出きたり。もとは
法師にて有けると覚えて、髪は空さまへ
おひあがり、よろづの藻くづとりつゐて、をどろ
をいただいたるが如し。つぎ目あらはれて皮
P03443
ゆたひ、身にきたる物は絹布のわきも見え
ず。片手にはあらめをひろいもち、片手には
網うどに魚をもらふてもち、歩むやうにはし
けれ共、はかもゆかず、よろよろとして出きたり。
「都にて多くの乞丐人みしか共、かかる者をば
いまだみず。「諸阿修羅等居在大海辺」とて、修
羅の三悪四趣は深山大海のほとりにありと、
仏の解をき給ひたれば、しらず、われ餓鬼道に
P03444
尋来るか」と思ふ程に、かれも是も次第にあゆみ
ちかづく。もしか様のものも、しうの御ゆくえ
知たる事やあらんと、「物まうさう」どいへば、「何ごと」
とこたふ。是は都よりながされ給し、法勝寺
執行御房と申人の、御行えや知たる」と問に、
童は見忘たれ共、僧都は何とてか忘べきなれば、
「是こそそよ」といひもあへず、手にもてる物を
なげ捨て、すなごの上にたふれふす。さてこそ
P03445
わがしうの行えもしりてげれ。やがてきえ入
給ふを、ひざの上にかきふせ奉り、「有王がまい
て候。多くの浪ぢをしのいで、是まで尋ま
いりたるかひもなく、いかにやがてうき目をば
見せさせ給ふぞ」と泣々申ければ、ややあて、す
こし人心地出き、たすけおこされて、「誠に汝が
是まで尋来たる心ざしの程こそ神妙
なれ。P235明ても暮ても、都の事のみ思ひ居
P03446
たれば、恋しき者共が面かげは、夢にみるおり
もあり、まぼろしにたつ時もあり。身もいたく
つかれよはて後は、夢もうつつもおもひわかず。
されば汝が来たれるも、ただ夢とのみこそおぼ
ゆれ。もし此事の夢ならば、さめての後は
いかがせん」。有王「うつつにて候也。此御ありさまにて、
今まで御命ののびさせ給ひて候こそ、不思
議に覚え候へ」と申せば、「さればこそ。去年少
P03447
将や判官入道に捨られて後のたよりなさ、
心の内をばただおしはかるべし。そのせに身
をもなげむとせしを、よしなき少将の「今一度
都の音づれをもまてかし」など、なぐさめをきし
を、をろかにもしやとたのみつつ、ながらへんとはせし
か共、此島には人のくい物たえてなき所なれば、
身に力のありし程は、山にのぼて湯黄と云物
をほり、九国よりかよふ商人にあひ、くい物に
P03448
かへなどせしか共、日にそへてよはりゆけば、いまは
その態もせず。かやうに日ののどかなる時は、磯に
出て網人に釣人に、手をすりひざをかがめて、
魚をもらい、塩干のときは貝をひろひ、あらめを
とり、磯の苔に露の命をかけてこそ、けふま
でもながらへたれ。さらでは浮世を渡るよすが
をば、いかにしつらんとか思ふらむ。爰にて何
事もいはばやとはおもへ共、いざわが家へ」とのたまへば、
P03449
この御ありさまにても家をもち給へるふしぎ
さP236よと思て行程に、松の一むらある中に
より竹を柱にして、葦をゆひ、けたはりに
わたし、上にもしたにも、松の葉をひしと
取かけたり。雨風たまるべうもなし。昔は、
法勝寺の寺務職にて、八十余ケ所の庄
務をつかさどられしかば、棟門平門の内に、四五
百人の所従眷属に囲饒せられてこそおは
P03450
せしか。まのあたりかかるうきめを見給ひける
こそふしぎなれ。業にさまざまあり。順現・順生・
順後業といへり。僧都一期の間、身にもちゐる
処、大伽藍の寺物仏物にあらずと云事なし。
さればかの信施無慙の罪によて、今生に感ぜら
れけりとぞみえたりける。僧都死去S0309僧都うつつにてありとお
もひ定て、「抑去年少将や判官入道がむかへ
にも、是等がふみといふ事もなし。いま汝がたよりに
P03451
も音づれのなきは、かう共いはざりけるか」。有王
なみだにむせびうつぶして、しばしはものも申さず。
ややありておきあがり、泪をおさへて申けるは、「君
の西八条へ出させ給しかば、やがて追捕の官人
まいて、御内の人々搦取り、御謀反の次第を尋
て、うしなひP237はて候ぬ。北方はおさなき人を隠し
かねまいらさせ給て、鞍馬の奥にしのばせ給て候
しに、此童ばかりこそ時々まいて宮仕つかまつり
P03452
候しか。いづれも御歎のをろかなる事は候はざし
か共、おさなき人はあまりに恋まいらさせ給て、
まいり候たび毎に、「有王よ、鬼界の島とかやへ
われぐしてまいれ」とむつからせ給候しが、過候し
二月に、もがさと申事に失させ給候ぬ。北方は
其御歎と申、是の御事と申、一かたならぬ御
思にしづませ給ひ、日にそへてよはらせ給候しが、
同三月二日、つゐにはかなくならせ給ぬ。いま姫御
P03453
前ばかり、奈良の姑御前の御もとに御わたり候。
是に御ふみ給てまいて候」とて、取いだいて奉る。
あけて見給へば、有王が申にたがはず書れたり。
奥には、「などや、三人ながされたる人の、二人はめし
かへされてさぶらふに、いままで御のぼりさぶらはぬ
ぞ。あはれ、高もいやしきも、女の身ばかり心う
かりける物はなし。おのこごの身にてさぶらはば、わたらせ
給ふ島へも、などかまいらでさぶらふべき。このあり
P03454
王御供にて、いそぎのぼらせ給へ」とぞ書れたる。
「是みよ有王、この子が文の書やうのはかなさよ。
をのれを供にて、いそぎのぼれと書たる事こそ
うらめしけれ。心にまかせたる俊寛が身ならば、
何とてか三とせの春秋をば送るべき。今年は
十二になるとこそ思ふに、是P238程はかなくては、人
にもみえ、宮仕をもして、身をもたすくべきか」
とて泣れけるにぞ、人の親の心は闇にあらね共、
P03455
子をおもふ道にまよふ程もしられける。「此島へ
ながされて後は、暦もなければ、月日のかはり行
をもしらず。ただをのづから花のちり葉の落
るを見て春秋をわきまへ、蝉の馨麦秋
を送れば夏とおもひ、雪のつもるを冬としる。
白月黒月のかはり行をみて、卅日をわきまへ、
指をおてかぞふれば、今年は六になるとおもひ
つるおさなき者も、はや先立けるごさんなれは。
P03456
西八条へ出し時、この子が、「我もゆかう」どしたひ
しを、やがて帰らふずるぞとこしらへをきしが、
いまの様におぼゆるぞや。其を限りと思は
ましかば、いましばしもなどか見ざらん。親となり、
子となり、夫婦の縁をむすぶも、みな此世ひと
つにかぎらぬ契ぞかし。などさらば、それらがさ様に
先立けるを、いままで夢まぼろしにもしらざり
けるぞ。人目も恥ず、いかにもして命いかうど思
P03457
しも、これらをいま一度見ばやと思ふためなり。
姫が事こそ心苦しけれ共、それもいき身なれば、
歎きながらもすごさむずらん。さのみながらへて、
をのれにうきめを見せんも、我身ながらつれな
かるべし」とて、をのづからの食事をもとどめ、偏に
弥陀の名号をとなへて、臨終正念をぞ祈られ
ける。有王わたて廿三日と云に、其庵りのうち
にて遂にをはり給P239ぬ。年卅七とぞ聞えし。有王
P03458
むなしき姿に取つき、天に仰地に伏て、
泣かなしめ共かひぞなき。心の行程泣あきて、
「やがて後世の御供仕べう候へ共、此世には姫
御前ばかりこそ御渡候へ、後世訪ひまいらす
べき人も候はず。しばしながらへて後世と
ぶらひまいらせ候はん」とて、ふしどをあらためず、
庵をきりかけ、松のかれ枝、蘆のかれはを
取おほひ、藻しほのけぶりとなし奉り、
P03459
荼■事をへにければ、白骨をひろひ、
頸にかけ、又商人船のたよりに九国の地へぞ
着にける。僧都の御むすめのおはしける所に
まいて、有し様、始よりこまごまと申。「中々
御文を御覧じてこそ、いとど御思ひはまさら
せ給て候しか。硯も紙も候はねば、御返事
にも及ばず。おぼしめされ候し御心の内、
さながらむなしうてやみ候にき。今は生々世々
P03460
を送り、他生曠劫をへだつ共、いかでか
御声をもきき、御姿をも見まいらさせ給
ふべき」と申ければ、ふしまろび、こゑも惜ず
なかれけり。やがて十二の年尼になり、奈良
の法華寺に勤すまして、父母の後世を
訪ひ給ふぞ哀なる。有王は俊寛僧都の
遺骨を頸にかけ、高野へのぼり、奥院に
納めつつ、蓮花谷にて法師になり、諸国七
P03461
道修行して、しうの後世をぞとぶらひける。か様に
人の思歎きのつもりぬる平家の末こそ
おそろしけP240れ。飆S0310同五月十二日午剋ばかり、京中
には辻風おびたたしう吹て、人屋おほく
顛到す。風は中御門京極よりをこて、末
申の方へ吹て行に、棟門平門を吹ぬきて、
四五町十町吹もてゆき、けた・なげし・柱などは
虚空に散在す。桧皮ふき板の〔た〕ぐひ、冬の
P03462
木葉の風にみだるるが如し。おびたた
しうなりどよむ事、彼地獄〔の〕業風なり共、
これには過じとぞみえし。ただ舎屋の破損ずる
のみならず、命を失なふ人も多し。牛馬の
たぐひ数を尽して打ころさる。是ただ事に
あらず、御占あるべしとて、神祇官にして御占あり。
「いま百日のうちに、禄ををもんずる大臣の慎み、
別しては天下の大事、並に仏法王法共に
P03463
傾て、兵革相続すべし」とぞ、神祇官陰陽
寮共にうらなひ申ける。P241医師問答S0311小松のおとど、か様の
事共を聞給て、よろづ御心ぼそうやおもは
れけむ、其比熊野参詣の事有けり。本
官証誠殿の御まへにて、夜もすがら敬白せら
れけるは、「親父入道相国の体をみるに、悪逆
無道にして、ややもすれば君をなやまし奉る。
重盛長子として、頻に諫をいたすといへども、
P03464
身不肖の間、かれもて服膺せず。そのふるま
ひをみるに、一期の栄花猶あやうし。枝葉
連続して、親を顕し名を揚げむ事かたし。
此時に当て、重盛いやしうも思へり。なまじいに
列して世に浮沈せむ事、敢て良臣孝子の
法にあらず。しかじ、名を逃れ身を退て、今生の
名望を抛て、来世の菩提を求めむには。但凡
夫薄地、是非にまどへるが故に、猶心ざしを
P03465
恣にせず。南無権現金剛童子、願くは子孫繁
栄たえずして、仕て朝廷にまじはるべくは、入道
の悪心を和げて、天下の安全を得しめ給へ。栄
耀又一期を限て、後混の恥におよぶべくば、重盛が
運命をつづめて、来世の苦輪を助け給へ。両
ケの求願、ひとへに冥助を仰ぐ」と肝胆を
摧て祈念せられけるに、燈籠の火のやうなる
物の、おとどの御身より出て、ばと消るが如くして失に
P03466
けり。人あまたみ奉りけれ共、恐れて是を申さず。P242又
下向の時、岩田川を渡られけるに、嫡子権亮少将
維盛以下の公達、浄衣のしたに薄色のきぬを着
て、夏の事なれば、なにとなう河の水に戯給ふ
程に、浄衣のぬれ、きぬにうつたるが、偏に色の
ごとくにみえければ、筑後守貞能これを見とがめて、
「何と候やらむ、あの御浄衣のよにいまはしきやうに
見えさせおはしまし候。めしかへらるべうや候らん」と
P03467
申ければ、おとど、「わが所願既に成就しにけり。
其浄衣敢てあらたむべからず」とて、別して
岩田川より、熊野へ悦の奉幣をぞ立
られける。人あやしと思ひけれ共、其心をえず。
しかるに此公達、程なくまことの色をき給ける
こそふしぎなれ。下向の、いくばくの日数を
経ずして、病付給ふ。権現すでに御納受
あるにこそとて、療治もし給はず、祈祷をも
P03468
いたされず。其比宋朝よりすぐれたる名
医わたて、本朝にやすらふことあり。境節入
道相国、福原の別業におはしけるが、越中守盛
俊を使者で、小松殿へ仰られけるは、「所労弥
大事なる由其聞えあり。兼又宋朝より勝たる
名医わたれり。折節悦とす。是をめし請
じて医療をくわへしめ給へ」と、の給ひつかは
されたりければ、小松殿たすけおこされ、盛俊を
P03469
御前へめして、「まづ「医療の事、畏て承候ぬ」
と申べし。但汝も承れ。延喜御門はさばか
の賢王にてましましけれ共、異国の相人P243を
都のうちへ入させ給たりけるをば、末代ま
でも賢王の御誤、本朝の恥とこそみえけれ。
况や重盛ほどの凡人が、異国の医師を
王城へいれむ事、国の辱にあらずや。漢高
祖は三尺の剣を提て天下を治しかども、
P03470
淮南の黥布を討し時、流矢にあたて疵
を蒙る。后呂太后、良医をむかへて見せし
むるに、医のいはく、「此疵治しつべし。但五
十斤の金をあたへば治せん」といふ。高祖の
給はく、「われまもりのつよかし程は、多くの
たたかひにあひて疵を蒙りしか共、そのいた
みなし。運すでに尽ぬ。命はすなはち天に
あり。縦偏鵲といふ共、なんのゑきかあらむ。しからば
P03471
又かねを惜むににたり」とて、五十こむの金
を医師にあたへながら、つゐに治せざりき。
先言耳にあり、いまもて甘心す。重盛い
やしくも九卿に列して三台にのぼる。其運命
をはかるに、もて天心にあり。なんぞ天心を察
ずして、をろかに医療をいたはしうせむや。
所労もし定業たらば、れう治をくわうもゑき
なからむか。又非業たらば、療治をくわへずとも
P03472
たすかる事をうべし。彼耆婆が医術及
ばずして、大覚世尊、滅度を抜提河の
辺に唱ふ。是則、定業の病いやさざる事を
しめさむが為也。定業猶医療にかかはるべう
候ば、豈尺尊入滅あらむや。定業又治するに
堪ざる旨あきらけし。治するは仏体也、療ずるは
耆婆也。しかれば重盛が身仏体にあらず、名P244医
又耆婆に及べからず。たとひ四部の書をかが
P03473
みて、百療に長ずといふ共、いかでか有待
の穢身を救療せん。たとひ五経の説
を詳にして、衆病をいやすと云共、豈先
世の業病を治せむや。もしかの医術に
よて存命せば、本朝の医道なきに似たり。
医術効験なくむば、面謁所詮なし。就中
本朝鼎臣の外相をもて、異朝富有の来
客にまみえむ事、且は国の恥、且は道の陵遅
P03474
なり。たとひ重盛命は亡ずといふ共、いかでか
国の恥をおもふ心の存ぜざらむ。此由を申
せ」とこその給ひけれ。盛俊福原に帰りま
いて、此由を泣々申ければ、入道相国「是程
国の恥をおもふ大臣、上古にもいまだきか
ず。〔ま〕して末代にあるべし共覚えず。日本に
相応せぬ大臣なれば、いかさまにも今度うせ
なんず」とて、なくなく急ぎ都へ上られけり。
P03475
同七月廿八日、小松殿出家し給ぬ。法名は
浄蓮とこそつき給へ。やがて八月一日、臨終
正念に住して遂に失給ぬ。御年四十
三、世はさかりとみえつるに、哀なりし事共
也。「入道相国のさしもよこ紙をやられつるも、
この人のなをしなだめられつればこそ、世も
おだしかりつれ。此後天下にいかなる事か
出こむずらむ」とて、京中の上下歎きあへり。
P03476
前右大将宗盛卿のかた様の人P245は、「世は只今
大将殿へまいりなんず」とぞ悦ける。人の親の
子をおもふならひはをろかなるが、先立だにも
かなしきぞかし。いはむや是は当家の棟
梁、当世の賢人にておはしければ、恩愛の別、
家の衰微、悲ても猶余あり。されば世には
良臣をうしなへる事を歎き、家には武略
のすたれぬることをかなしむ。凡はこのおとど文章
P03477
うるはしうして、心に忠を存じ、才芸
すぐれて、詞に徳を兼給へり。無文S0312天性この
おとどは不思議の人にて、未来の事をも
かねてさとり給けるにや。去四月七日の
夢に、み給けるこそふしぎなれ。たとへば、いづ
く共しらぬ浜路を遥々とあゆみ行給ふ
程に、道の傍に大なる鳥居のありけるを、
「あれはいかなる鳥居やらむ」と、問給へば、「春日
P03478
大明神の御鳥ゐ也」と申。人多く群集
したり。其中に法師の頸を一さしあげ
たり。「さてあのくびはいかに」と問給へば、「是は
平家太政入道殿の御頸を、悪行超過
し給へるによて、当社大明神のめし
とらせ給て候」と申と覚えて、夢うちさめ、
当家は保元平治よP246りこのかた、度々の朝敵
をたひらげて、勧賞身にあまり、かたじけ
P03479
なく一天の君の御外戚として、一族の昇
進六十余人。廿余年のこのかたは、たのしみ
さかへ、申はかりもなかりつるに、入道の悪行超
過せるによて、一門の運命すでにつきんずるに
こそと、こし方行すゑの事共、おぼしめしつづけて、
御涙にむせばせ給ふ。折節妻戸をほとほとと
打たたく。「たそ。あれきけ」との給へば、「灘尾太郎兼
康がまいて候」と申。「いかに、何事ぞ」との給へば、「只
P03480
いま不思議の事候て、夜の明候はんがを
そう覚候間、申さむが為にまいて候。御まへの
人をのけられ候へ」と申ければ、おとど人を遥にのけて
御対面あり。さて兼康見たりける夢のやうを、
始より終までくはしう語り申けるが、おとどの
御覧じたりける御夢にすこしもたがはず。
さてこそ、瀬尾太郎兼康をば、「神にも通じ
たる物にてありけり」と、おとども感じ給ひけれ。
P03481
其朝嫡子権亮少将維盛、院御所へまいらむ
とて出させ給たりけるを、おとどよび奉て、「人の
親の身としてか様の事を申せば、きはめて
おこがましけれ共、御辺は人の子共の中には
勝てみえ給ふ也。但此世の中の有様、いかがあらむ
ずらむと、心ぼそうこそ覚れ。貞能はないか。少
将に酒すすめよ」とのP247給へば、貞能御酌にまいり
たり。「この盃をば、先少将にこそとらせたけれども、
P03482
親より先にはよものみ給はじなれば、重盛まづ
取あげて、少将にささむ」とて、三度うけて、少
将にぞさされける。少将又三度うけ給ふ時、「いか
に貞能、引出物せよ」との給へば、畏て承り、錦の
袋にいれたる御太刀を取出す。「あはれ、是は家に
伝はれる小烏といふ太刀やらむ」など、よにうれし
げに思ひて見給ふ処に、さはなくして、大臣
葬の時もちゐる無文の太刀にてぞ有ける。
P03483
其時少将けしきはとかはて、よにいまはしげに
見給ければ、おとど涙をはらはらとながいて、「いかに
少将、それは貞能がとがにもあらず。其故は如何にと
いふに、此太刀は大臣葬のときもちゐる無文の
太刀也。入道いかにもおはせむ時、重盛がはいて
供せむとて持たりつれ共、いまは重盛、入道殿に
先立奉らむずれば、御辺に奉るなり」とぞの給
ひける。少将是を聞給て、とかうの返事にも
P03484
及ばず。涙にむせびうつぶして、其日は出仕も
し給はず、引かづきてぞふし給ふ。其後おとど熊野へ
まいり、下向して病つき、幾程もなく遂に失給
ひけるにこそ、げにもと思ひしられけれ。P248燈炉之沙汰S0313すべて
此大臣は、滅罪生善の御心ざしふかうおはし
ければ、当来の浮沈をなげいて、東山の麓
に、六八弘誓の願になぞらへて、四十八間の精舎を
たて、一間にひとつづつ、四十八間に四十八の燈籠を
P03485
かけられたりければ、九品の台、目の前にかかやき、
光耀鸞鏡をみがいて、浄土の砌にのぞめるが
ごとし。毎月十四五を点じて、当家他家の
人々の御方より、みめようわかうさかむなる女房
達を多く請じ集め、一間に六人づつ、四十八間に
二百八十八人、時衆にさだめ、彼両日が間は一心
称名声絶ず。誠に来迎引摂の願もこの所
に影向をたれ、摂取不捨の光も此大臣を照し
P03486
給ふらむとぞみえし。十五日の日中を結願として
大念仏ありしに、大臣みづから彼行道の中に
まじはて、西方にむかひ、「南無安養教主弥陀善逝、
三界六道の衆生を普く済度し給へ」と、廻向
発願せられければ、みる人慈悲をおこし、きく物
感涙をもよほしけり。かかりしかば、此大臣をば燈
籠大臣とぞ人申ける。P249金渡S0314又おとど、「我朝にはいかなる
大善根をしをいたり共、子孫あひついでとぶらはう
P03487
事ありがたし。他国にいかなる善根をもして、
後世を訪はればや」とて、安元の此ほひ、鎮西より
妙典といふ船頭をめしのぼせ、人を遥にのけて
御対面あり。金を三千五百両めしよせて、「汝は
大正直の者であんなれば、五百両をば汝にたぶ。三千
両を宋朝へ渡し、育王山へまいらせて、千両を
僧にひき、二千両をば御門へまいらせ、田代を育
王山へ申よせて、我後世とぶらはせよ」とぞの給ける。
P03488
妙典是を給はて、万里の煙浪を凌ぎつつ、大
宋国へぞ渡りける。育王山の方丈仏照禅師
徳光にあひ奉り、此由申たりければ、随喜感嘆
して、千両を僧にひき、二千両をば御門へま
いらせ、おとどの申されける旨を具に奏聞せられ
たりければ、御門大に感じおぼしめして、五百町
の田代を育王山へぞよせられける。されば日本
の大臣平朝臣重盛公の後生善処と祈る
P03489
事、いまに絶ずとぞ承る。P250法印問答S0315入道相国、小松殿に
をくれ給て、よろづ心ぼそうや思はれけむ、福
原へ馳下り、閉門してこそおはしけれ。同十一
月七日の夜戌剋ばかり、大地おびたたしう動て
やや久し。陰陽頭安倍泰親、いそぎ内裏へ
馳まいて、「今度の地震、占文のさす所、其慎み
かろからず。当道三経の中に、根器経の説を
見候に、「年をえては年を出ず、月をえては月を
P03490
出ず、日をえては日を出ず」とみえて候。以外に火
急候」とて、はらはらとぞ泣ける。伝奏の人も色
をうしなひ、君も叡慮をおどろかさせおはします。
わかき公卿殿上人は、「けしからぬ泰親が今の
泣やうや。何事のあるべき」とて、わらひあはれけり。
され共、此泰親は晴明五代の苗裔をうけて、
天文は淵源をきはめ、推条掌をさすが如し。
一事もたがはざりければ、さすの神子とぞ申ける。
P03491
いかづちの落かかりたりしか共、雷火の為に
狩衣の袖は焼ながら、其身はつつがもなかりけり。
上代にも末代にも、有がたかりし泰親也。
同十四日、相国禅門、此日ごろ福原におはしける
が、何とかおもひなられたりけむ、数千騎の軍兵
をたなびいて、都へ入給ふ由聞えしかば、京中
何と聞P251わきたる事はなけれ共、上下恐れおのの
く。何ものの申出したりけるやらん、「入道相国、
P03492
朝家を恨み奉るべし」と披露をなす。関白
殿内々きこしめさるる旨や有けむ、急ぎ御参
内あて、「今度相国禅門入洛の事は、ひとへに基
房亡すべき結構にて候也。いかなる目に逢べきにて
候やらむ」と奏せさせ給へば、主上大におどろかせ給て、
「そこにいかなる目にもあはむは、ひとへにただわがあふ
にてこそあらむずらめ」とて、御涙をながさせ給ふぞ
忝き。誠に天下の御政は、主上摂録の御ぱからひ
P03493
にてこそあるに、こはいかにしつる事共ぞや。天照大
神・春日大明神の神慮の程も計がたし。
同十五日、入道相国朝家を恨み奉るべき事
必定と聞えしかば、法皇大におどろかせ給て、故少
納言入道信西の子息、静憲法印を御使にて、
入道相国のもとへつかはす。「近年、朝廷しづかなら
ずして、人の心もととのほらず。世間も落居せぬ
さまに成行事、惣別につけて歎きおぼし
P03494
めせ共、さてそこにあれば、万事はたのみおぼし
めしてこそあるに、天下をしづむるまでこそなか
らめ、嗷々なる体にて、あまさへ朝家を恨むべし
などきこしめすは、何事ぞ」と仰つかはさる。静憲
法印、御使に西八条の亭へむかふ。朝より夕に及ぶ
まで待れけれ共、無音也ければ、さればこそと無益
に覚えて、源大夫判官季貞をもP252て、勅定の
趣きいひ入させ、「いとま申て」とて出られければ、其
P03495
時入道「法印よべ」とて出られたり。喚かへいて、「やや法印
御房、浄海が申処は僻事か。まづ内府が身ま
かり候ぬる事、当家の運命をはかるにも、入道
随分悲涙をおさへてこそ罷過候へ。御辺の心にも
推察し給へ。保元以後は、乱逆打つづいて、君や
すい御心もわたらせ給はざりしに、入道はただ
大方を取をこなふばかりでこそ候へ、内府こそ
手をおろし、身を摧て、度々の逆鱗をばやすめ
P03496
まいらせて候へ。其外臨時の御大事、朝夕の政
務、内府程の功臣有がたうこそ候らめ。爰をもて
古をおもふに、唐の太宗は魏徴にをくれて、かなしみ
のあまりに、「昔の殷宗は夢のうちに良弼をえ、
今の朕はさめ〔て〕の後賢臣を失ふ」といふ碑の文を
みづから書て、廟に立てだにこそかなしみ給ひ
けるなれ。我朝にも、ま近く見候し事ぞかし。
顕頼民部卿が逝去したりしをば、故院殊に
P03497
御歎あて、八幡行幸延引し、御遊なかりき。
惣て臣下の卒するをば、代々〔の〕御門みな御歎
ある事〔で〕こそ候へ。さればこそ、親よりもなつかしう、子
よりもむつまじきは、君と臣との中とは申事にて
候らめ。され共、内府が中陰に八幡の御幸あて御
遊ありき。御歎の色、一事も是をみず。たとひ
入道がかなしみを御あはれみなく共、などか内府が
忠をおぼしめし忘れさせ給ふべき。P253たとひ内府が
P03498
忠をおぼしめし忘れさせ給ふ共、入道が歎を御
あはれみなからむ。父子共叡慮に背候ぬる事、
今にをいて面目を失ふ、是一。次に、越前国をば
子々孫々まで御変改あるまじき由、御約束あて
給はて候しを、内府にをくれて後、やがてめされ
候事は、なむの過怠にて候やらむ、是一。次に、中
納言闕の候し時、二位中将の所望候しを、入
道随分執り申しか共、遂に御承引なくして、
P03499
関白の息をなさるる事はいかに。たとひ入道非拠
を申をこなふ共、一度はなどかきこしめし入ざる
べき。申候は〔ん〕や、家嫡といひ、位階といひ、理運
左右に及ばぬ事を引ちがへさせ給ふは、ほいなき
御ぱからひとこそ存候へ、是一。次に、新大納言成
親卿以下、鹿谷によりあひて、謀反の企候
し事、またく私の計略にあらず。併君御許
容あるによて也。いまめかしき申事にて候へ共、
P03500
七代までは此一門をば、いかでか捨させ給ふべき。
それに入道七旬に及て、余命いくばくならぬ一
期の内にだにも、ややもすれば、亡すべき由御ぱからひ
あり。申候はんや、子孫あひついで朝家にめし
つかはれん事有がたし。凡老て子を失は、枯
木の枝なきにことならず。今は程なき浮世に、心を
費しても何かはせんなれば、いかでも有なんとこそ
思ひなて候へ」とて、且は腹立し、且は落涙し給へば、
P03501
法印おそろしうも又哀にもP254覚えて、汗水に
なり給ぬ。此時はいかなる人も、一言の返事に
及がたき事ぞかし。其上我身も近習の仁
也、鹿谷によりあひたりし事は、まさしう見き
かれしかば、其人数とて、只今もめしや籠られん
ずらんと思ふに、竜の鬚をなで、虎の尾を
ふむ心地はせられけれ共、法印もさるおそろしい
人で、ちともさはがず。申されけるは、「誠に度々の御
P03502
奉公浅からず。一旦恨み申させまします旨、其謂
候。但、官位といひ俸禄といひ、御身にとては悉く
満足す。しかれば功の莫大なるを、君御感あるでこそ
候へ。しかるを近臣事をみだり、君御許容あ
りといふ事は、謀臣の凶害にてぞ候らん。耳を
信じて目を疑ふは、俗の常のへい也。少人の
浮言を重うして、朝恩の他にことなるに、君を
背きまいらさせ給はん事、冥顕につけて其恐
P03503
すくなからず候。凡は天心は蒼々としてはかりがたし。
叡慮さだめて其儀でぞ候らん。下として上にさかふる
事、豈人臣の礼たらんや。能々御思惟候べし。
詮ずるところ、此趣をこそ披露仕候はめ」とて出
られければ、いくらもなみ居たる人々、「あなおそろし。入
道のあれ程いかり給へるに、ちとも恐れず、返
事うちしてたたるる事よ」とて、法印をほ
めぬ人こそなかりけれ。P255大臣流罪S0316法印御所へまいて、此由奏
P03504
聞しければ、法皇も道理至極して、仰下
さるる方もなし。同十六日、入道相国此日比
思立給へる事なれば、関白殿を始め奉て、
太政大臣已下の公卿殿上人、四十三人が官職
をとどめて、追籠らる。関白殿をば大宰帥にうつして、
鎮西へながし奉る。「かからむ世には、とてもかくても
ありなん」とて、鳥羽の辺ふる川といふ所にて御出家
あり。御年卅五。「礼儀よくしろしめし、くもり
P03505
なき鏡にてわたらせ給つる物を」とて、世の惜み
奉る事なのめならず。遠流の人の道にて出家し
つるをば、約束の国へはつかはさぬ事である間、始は
日向国へと定られたりしか共、御出家の間、備前
国府の辺、井ばさまといふ所に留め奉る。大臣流
罪の例は、左大臣曾我のあかえ、右大臣豊成、左〔大〕臣
魚名、右大臣菅原、左大臣高明公、内大臣藤原伊
周公に至るまで、既に六人。され共摂政関白流罪の
P03506
例は是始めとぞ承る。故中殿御子二位中将基
通は、入道の聟にておはしければ、大臣関白になし
奉る。去円融院の御宇、天禄三年十一月P256一日、一条
摂政謙徳公うせ給しかば、御弟堀川関白仲義公、
其時は未従二位中納言にてましましけり。其御弟
ほご院の大入道殿、其比は大納言の右大将にてお
はしける間、仲義公は御弟に越られ給ひしか共、今又
越かへし奉り、内大臣正〔二〕位にあがて、内覧〔の〕宣旨蒙せ
P03507
給ひたりしをこそ、人耳目をおどろかしたる
御昇進とは申しに、是はそれには猶超過せり。非
参儀二位中将より大中納言を経ずして、
大臣関白になり給ふ事、いまだ承り及ばず。普
賢寺殿の御事也。上卿の宰相・大外記・大夫史
にいたるまで、みなあきれたるさまにぞみえたりける。
太政大臣師長は、つかさをとどめて、あづまの方へなが
され給ふ。去保元に父悪左おほい殿の縁座によて、
P03508
兄弟四人流罪せられ給しが、御兄右大将兼長、
御弟左の中将隆長、範長禅師三人は帰路を
待ず、配所にてうせ給ぬ。是は土佐の畑にて九かへり
の春秋を送りむかへ、長寛二年八月にめし
かへされて、本位に復し、次の年正二位して、仁安
元年十月に前中納言より権大納言にあがり給ふ。
折節大納言あかざりければ、員の外にてくわわられける。
大納言六人になること是始也。又前中納言より
P03509
〔権〕大納言になる事も、後山階大臣躬守公、宇治大納
言隆国卿の外は未承り及ばず。管絃の道に達し、P257
才芸勝れてましましければ、次第の昇進とど
こほらず、太政大臣まできはめさせ給て、又いかなる罪
の報にや、かさねてながされ給ふらん。保元の昔は
南海土佐へうつされ、治承の今は東関尾張国と
かや。もとよりつみなくして配所の月をみむと
いふ事は、心あるきはの人の願ふ事なれば、おとど
P03510
あへて事共し給はず。彼唐太子賓客白楽
天、潯陽江の辺にやすらひ給けむ其古を思遣り、
鳴海潟、塩路遥に遠見して、常は朗月を望
み、浦風に嘯き、琵琶を弾じ、和歌を詠じて、な
をさりがてらに月日を送せ給ひけり。ある時、当
国第三の宮熱田明神に参詣あり。その夜
神明法楽のために、琵琶引、朗詠し給ふに、
所もとより無智の境なれば、情をしれるものなし。
P03511
邑老・村女・漁人・野叟、首をうなだれ、耳を峙と
いへ共、更に清濁をわかち、呂律をしる事なし。され
共、胡巴琴を弾ぜしかば、魚鱗躍りほどばしる。虞
公歌を発せしかば、梁麈うごきうごく。物の
妙を究る時には、自然に感を催す物なれば、
諸人身の毛よだて、満座奇異の思をなす。やうやう
深更に及で、ふがうでうの内には、花芬馥の気を
含み、流泉の曲の間には、月清明の光をあらそふ。
P03512
「願くは今生世俗文字の業、狂言綺語誤をもて」
といふ朗詠をして、秘曲を引給へば、神明感応に
堪へずして、宝殿大に震動す。「平家の悪行
なかりせば、今此瑞相をいかでか拝むべき」P258とて、おとど
感涙をぞながされける。按察大納言資方卿、子
息右近衛少将兼讃岐守源資時、両の官を
留めらる。参議皇太后宮大夫兼右兵衛督藤
原光能、大蔵卿右京大夫兼伊予守高階康経、
P03513
蔵人左少弁兼中宮権大進藤原基親、三官共に〔留らる〕。「按
察大納言資方卿、子息右近衛少将、雅方、是三人をば
やがて都の内を追出さるべし」とて、上卿藤大納言実
国、博士判官中原範貞に仰て、やがて其日都の
うちを追出さる。大納言の給けるは、「三界広しといへ共、
五尺の身をき所なし。一生程なしといへ共、一日暮
しがたし」とて、夜中に九重の内をまぎれ出て、
八重たつ雲の外へぞおもむかれける。彼大江山や、
P03514
いく野の道にかかりつつ、丹波国村雲と云所
にぞ、しばしはやすらひ給ける。其より遂には尋
出されて、信濃国とぞ聞えし。行隆之沙汰S0317前関白松殿の
侍に江大夫判官遠成といふものあり。是も平
家心よからざりければ、既に六波羅より押寄て
搦取らるべしと聞えし間、子息江左衛門尉家P259
成打具して、いづち共なく落行けるが、稲荷山に
うちあがり、馬より下て、親子いひ合せけるは、「東
P03515
国の方へ落くだり、伊豆国の流罪人、前兵衛佐頼
朝をたのまばやとは思へ共、それも当時は勅勘の人で、
身ひとつだにもかなひがたうおはす也。日本国に、平
家の庄園ならぬ所やある。とてものがれざらむ物ゆへ
に、年来住なれたる所を人にみせむも恥がまし
かるべし。ただ是よりかへて、六波羅よりめし使あらば、
腹かき切て死なんにはしかじ」とて、川原坂の宿所へ
とて取て返す。あんのごとく、六波羅より源大夫判官季定、
P03516
摂津判官盛澄、ひた甲三百余騎、河原坂の宿所
へ押寄て、時をどとぞつくりける。江大夫判官えんに
立出て、「是御覧ぜよ、をのをの。六波羅ではこの
様申させ給へ」とて、館に火かけ、父子共に腹かききり、
ほのほの中にて焼死ぬ。抑か様に上下多く
亡損ずる事をいかにといふに、当時関白にならせ
給へる二位中将殿と、前の殿の御子三位中将
殿と、中納言御相論の故と申す。さらば関白殿
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御一所こそ、いかなる御目にもあはせ給はめ、四十
余人まで、人々の事にあふべしやは。去年讃
岐院の御追号、宇治の悪左府の贈官有しか共、
世間はなをしづかならず。凡是にも限るまじかむなり。
「入道相国の心に天魔入かはて、腹をすへかね給へり」
と聞えしかば、「又天下いかなる事か出こむずP260らむ」と
て、京中上下おそれおののく。其比前左少弁
行高と聞えしは、故中山中納言顕時卿の長
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男也。二条院の御世には、弁官にくははてゆゆし
かりしか共、此十余年は官を留められて、夏
冬の衣がへにも及ばず、朝暮の■も心にま
かせず。有かなきかの体にておはしけるを、太政入
道「申べき事あり。きと立より給へ」との給つかはし
たりければ、行高「此十余年は何事にもまじはら
ざりつる物を。人の讒言したる旨あるにこそ」とて、
大におそれさはがれけり。北方公達も「いかなる目にか
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あはんずらむ」と泣かなしみ給ふに、西八条より
使しきなみに有ければ、力及ばで、人に車かて
西八条へ出られたり。思ふにはにず、入道やがて
出むかふて対面あり。「御辺の父の卿は、大小事
申あはせし人なれば、をろかに思ひ奉らず。年来
籠居の事も、いとをしうおもひたてましか共、
法皇御政務のうへは力及ばず。今は出仕し給へ。
官途の事も申沙汰仕るべし。さらばとう帰られ
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よ」とて、入給ぬ。帰られたれば、宿所には女房達、
しんだる人の生かへりたる心地して、さしつどひて
みな悦泣共せられけり。太政入道、源大夫判官季
貞をもて、知行し給べき庄園状共あまた遣はす。
まづさこそあるらめとて、百疋百両に米をつむ
でぞ送れける。出仕の料にP261とて、雑色・牛飼・牛・車
まで沙汰しつかはさる。行高手の舞足の踏と
ころも覚えず。「是はされば夢かや、夢か」とぞ驚かれ
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ける。同十七日、五位の侍中に補せられて、左少弁
になり帰り給ふ。今年五十一、今更わかやぎ給ひ
けり。ただ片時の栄花とぞみえし。 法皇被流S0318同廿日、院
御所法住寺殿には、軍兵四面を打かこむ。「平治に
信頼が三条殿をしたりし様に、火をかけて人をば
みな焼殺さるべし」と聞えし間、上下の女房
めのわらは、物をだにうちかすかず、あはて騒で走り
いづ。法皇も大におどろかせおはします。前〔右〕大将
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宗盛卿御車をよせて、「とうとうめさるべう候」と奏
せられければ、法皇「こはされば何事ぞや。御かとある
べし共おぼしめさず。成親・俊寛が様に、遠き
国遥かの島へもうつしやら〔ん〕ずるにこそ。主上さて
渡せ給へば、政務に口入する計也。それもさるべから
ずは、自今以後さらでこそあらめ」と仰ければ、宗盛
卿「其儀では候はず。世をしづめん程、鳥羽殿へ
御幸なしまいらせんと、父の入道申候」。「さらば
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宗盛やがP262て御供にまいれ」と仰けれ共、父の禅
門の気色に恐れをなしてまいられず。「あはれ、
是につけても兄の内府には事の外におと
りたりける物哉。一年もかかる御めにあふべ
かりしを、内府が身にかへて制しとどめて
こそ、今日までも心安かりつれ。いさむる者もなし
とて、かやうにするにこそ。行末とてもたのもからず」
とて、御涙をながさせ給ふぞ忝なき。さて御車に
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めされけり。公卿殿上人、一人も供奉せられず。
ただ北面の下臈、さては金行といふ御力者ば
かりぞまいりける。御車の尻には、あまぜ一人ま
いられたり。この尼ぜと申せば、やがて法皇の御乳
の人、紀伊二位の事也。七条を西へ、朱雀を
南へ御幸なる。あやしのしづのを賎女にいたるまで、
「あはや法皇のながされさせましますぞや」とて、
泪をながし、袖をしぼらぬはなかりけり。「去七日の
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夜の大地震も、かかるべかりける先表にて、十六
洛叉の底までもこたへ、乾牢地神の驚きさは
ぎ給ひけんも理かな」とぞ、人申ける。さて鳥
羽殿へ入させ給たるに、大膳大夫信成が、何として
まぎれまいりたりけるやらむ、御前ちかう候けるを
めして、「いかさまにも今夜うしなはれなんずとおぼし
めすぞ。御行水をめさばやとおぼしめすはいかが
せんずる」と仰ければ、さらぬだに信成、けさより肝
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たましいも身にそはず、あきれたるP263さまにて
有けるが、此仰承る忝なさに、狩衣に玉だすき
あげ、小柴墻壊、大床のつか柱わりなどして、
水くみ入、かたのごとく御湯しだいてまいらせたり。
又静憲法印、入道相国の西八条の亭に
ゆいて、「法皇の鳥羽殿へ御幸なて候なるに、御前に
人一人も候はぬ由承るが、余にあさましう覚え
候。何かは苦しう候べき。静憲ばかりは御ゆる
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され候へかし。まいり候はん」と申されければ、「とうとう。
御房は事あやまつまじき人なれば」とてゆるされ
けり。法印鳥羽殿へまいて、門前にて車より
おり、門の内へさし入給へば、折しも法皇、御
経をうちあげうちあげあそばされける。御声もことに
すごう〔ぞ〕聞えさせ給ける。法印のつとまいられた
れば、あそばされける御経に御涙のはらはらとかからせ
給ふを見まいらせて、法印あまりのかなしさに、
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旧苔の袖をかほにおしあてて、泣々御前へ
ぞまいられける。御前にはあまぜばかり候はれけり。
「いかにや法印御房、君は昨日のあした、法住
寺にて供御きこしめされて後は、よべも今朝も
きこしめしも入ず。長夜すがら御寝もならず。
御命も既にあやうくこそ見えさせおはしませ」と
の給へば、法印涙をおさへて申されけるは、「何
事も限りある事で候へば、平家たのしみ
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さかへて廿余年、され共悪行法P264に過て、既に
亡び候なんず。天照大神・正八幡宮いかでか捨
まいらさせ給べき。中にも君の御憑みある
日吉山王七社、一乗守護の御ちかひあらたま
らずは、彼法華八軸に立かけてこそ、君をばま
もりまいらさせ給ふらめ。しかれば政務は君の御
代となり、凶徒は水の泡ときえうせ候べし」など申
されければ、此詞にすこしなぐさませおはします。
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主上は関白のながされ給ひ、臣下の多く
亡ぬる事をこそ御歎ありけるに、剰法皇
鳥羽殿におし籠られさせ給ふときこし
めされて後は、つやつや供御もきこしめされず。
御悩とて常はよるのおとどにのみぞいらせ給
ける。法皇鳥羽殿に押籠られさせ給て後は、
内裏には臨時の御神事とて、主上夜ごとに
清凉殿の石灰壇にて、伊勢大神宮をぞ
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御拝ありける。是はただ一向法皇の御祈也。二条
院は賢王にて渡せ給しか共、天子に父母なし
とて、常は法皇の仰をも申かへさせましまし
ける故にや、継体の君にてもましまさず。されば
御譲をうけさせ給ひたりし六条院も、安
元二年七月十四日、御年十三にて崩御なりぬ。
あさましかりし御事也。P265城南之離宮S0319「百行の中には孝行を
もて先とす。明王は孝をもて天下を治」といへり。
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されば唐堯は老衰へたる父をたとび、虞舜
はかたくななる母をうやまふとみえたり。彼賢
王聖主の先規を追はせましましけむ叡慮
の程こそ日出けれ。其比、内裏よりひそかに
鳥羽殿へ御書あり。「かからむ世には、雲井に
跡をとどめても何かはし候べき。寛平の昔をも
とぶらひ、花山の古をも尋て、家を出、世をの
がれ、山林流浪の行者共なりぬべうこそ候へ」と
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あそばされたりければ、法皇の御返事には、「さな
おぼしめされ候そ。さて渡らせ給ふこそ、ひとつの
たのみにても候へ。跡なくおぼしめしならせ
給ひなん後は、なんのたのみか候べき。ただ愚老
が共かうもならむやうをきこしめしはてさせ
給ふべし」とあそばされたりければ、主上此御返
事を竜顔におしあてて、いとど御涙にしづませ
給ふ。君は舟、臣は水、水よく船をうかべ、水又
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船をくつがへす。臣よく君をたもち、臣又君
を覆す。保元平治の比は、入道相国君を
たもち奉るといへ共、安元治承のいまは又
君をなみしたてまつる。史書の文にたがはP266ず。
大宮大相国、三条内大臣、葉室大納言、中山
中納言も失られぬ。今はふるき人とては成頼・
親範ばかり也。この人々も、「かからむ世には、朝につ
かへ身をたて、大中納言を経ても何かはせん」とて、
P03535
いまださかむなし人々の、家を出、よをのがれ、
民部卿入道親範は大原の霜にともなひ、
宰相入道成頼は高野の霧にまじはり、一向
後世菩提のいとなみの外は他事なしとぞ
聞えし。昔も商山の雲にかくれ、潁川の月に
心をすます人もありければ、これ豈博覧清
潔にして世を遁たるにあらずや。中にも
高野におはしける宰相入道成頼、か様の事
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共を伝へきいて、「あはれ、心どうも世をばのがれ
たる物かな。かくて聞も同事なれ共、まのあたり
立まじはて見ましかば、いかにも心うからむ。保
元平治のみだれをこそ浅ましと思しに、世
すゑになればかかる事もありけり。此後猶
いか斗の事か出こんずらむ。雲をわけても
のぼり、山を隔ても入なばや」とぞの給ける。げに
心あらむ程の人の、跡をとどむべき世共みえず。
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同廿三日、天台座主覚快法親王、頻に御辞退
あるによて、前座主明雲大僧正還着せらる。
入道相国はかくさむざむにし散されたれ共、
御女中宮P267にてまします、関白殿と申も
聟也。よろづ心やすうや思はれけむ、「政務は
ただ一向主上の御ぱからひたるべし」とて、福
原へ下られけり。前右大将宗盛卿、いそぎ参内
して此由奏聞せられければ、主上は「法皇のゆ
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づりましましたる世ならばこそ。ただとうとう執柄に
いひあはせて、宗盛ともかうもはからへ」とて、
きこしめしも入ざりけり。法皇は城南の離
宮にして、冬もなかばすごさせ給へば、野山の
嵐の音のみはげしくて、寒庭の月のひかりぞ
さやけき。庭には雪のみ降つもれ共、跡ふみつ
くる人もなく、池にはつららとぢかさねて、むれ
ゐし鳥もみえざりけり。おほ寺のかねの声、遺
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愛寺のききを驚かし、西山の雪の色、香
炉峯の望をもよをす。よる霜に寒き砧の
ひびき、かすかに御枕につたひ、暁氷をきしる
車のあと、遥に門前によこだはれり。巷を
過る行人征馬のいそがはしげなる気色、浮
世を渡る有様もおぼしめししられて哀也。
「宮門をまもる蛮夷のよるひる警衛をつと
むるも、先の世のいかなる契にて今縁をむすぶ
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らむ」と仰の有けるぞ忝なき。凡物にふれ事に
したがて、御心をいたましめずといふ事なし。
さるままにはかの折々の御遊覧、ところどころの御
参詣、御賀のめでたかりし事共、おぼしP268め
しつづけて、懐旧の御泪をさへがたし。年
さり年来て、治承も四年に也にけり。

平家物語巻第三P269
P03541



入力者:荒山慶一

校正者:菊池真一



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