平家物語(龍谷大学本)巻第十二

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【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

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(表紙)
P12415 P2379
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十二(だいじふに)
大地震(だいぢしん)S1201平家(へいけ)みなほろびはてて、西国(さいこく)もしづまりぬ。
国(くに)は国司(こくし)にしたがひ【従ひ】、庄(しやう)は領家(りやうけ)のままなり。上下(じやうげ)
安堵(あんど)しておぼえし程(ほど)に、同(おなじき)七月(しちぐわつ)九日(ここのかのひ)の午刻(むまのこく)
ばかりに、大地(だいぢ)おびたたしく【夥しく】うごいて良(やや)久(ひさ)し。
赤県(せきけん)のうち、白河(しらかは)のほとり、六勝寺(ろくしようじ)(ろくせうじ)皆(みな)やぶれ
くづる。九重(くぢゆう)(くぢう)の塔(たふ)(とう)もうへ六重(ろくぢゆう)(ろくぢう)ふりおとす【落す】。得長
寿院(とくぢやうじゆゐん)も三十三間(さんじふさんげん)の御堂(みだう)を十七(じふしち)間(けん)までふり【震り】
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たうす(たふす)【倒す】。皇居(くわうきよ)(くはうきよ)をはじめて人々(ひとびと)の家々(いへいへ)、すべて
在々所々(ざいざいしよしよ)の神社(じんじや)仏閣(ぶつかく)、あやしの民屋(みんをく)、さながら
やぶれくづる。くづるる音(おと)(をと)はいかづちのごとく、
あがる塵(ちり)は煙(けぶり)のごとし。天(てん)暗(くら)うして日(ひ)の光(ひかり)も
見(み)えず。老少(らうせう)ともに魂(たましひ)(たましゐ)をけし、朝衆(てうしゆ)悉(ことごと)く心(こころ)を
つくす。又(また)遠国(をんごく)近国(きんごく)もかくのごとし。大地(だいぢ)さけ[* 「さけん」と有るのを高野本により訂正]【裂け】
て水(みづ)わきいで、磐石(ばんじやく)われて谷(たに)へまろぶ。山(やま)くづれ
て河(かは)をうづみ、海(うみ)ただよひて浜(はま)をひたす。汀(みぎは)
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こぐ船(ふね)はなみにゆられ、陸(くが)ゆく駒(こま)は足(あし)のたてど
をうしなへ【失へ】り。洪水(こうずい)みなぎり来(きた)らば、P2380岳(をか)に
のぼ(ッ)【上つ】てもなどかたすからざらむ、猛火(みやうくわ)もえ来(きた)
らば、河(かは)をへだててもしばしもさん【去ん】ぬべし。
ただかなしかり【悲しかり】けるは大地振【*大地震】(だいぢしん)なり。鳥(とり)にあら
ざれば空(そら)をもかけりがたく、竜(りよう)(れう)にあらざれば雲(くも)
にも又(また)のぼりがたし。白河(しらかは)・六波羅(ろくはら)、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)にうち
うづま【埋ま】れてしぬる【死ぬる】ものいくらといふかず【数】をしら【知ら】ず。
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四大衆【*四大種】(しだいしゆ)の中(なか)に水(すい)(すゐ)火(くわ)風(ふう)は常(つね)に害(がい)をなせども、
大地(だいぢ)にをいて(おいて)はことなる変(へん)をなさず。こはいかに
しつる事(こと)ぞやとて、上下(じやうげ)遣戸(やりど)障子(しやうじ)をたて、
天(てん)のなり地(ち)のうごくたびごとには、只今(ただいま)ぞし
ぬる【死ぬる】とて、こゑごゑ【声々】に念仏(ねんぶつ)申(まうし)おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】事(こと)
おびたたし【夥し】。七八十(しちはちじふ)・九十(くじふ)の者(もの)も世(よ)の滅(めつ)するな(ン)ど(など)
いふ事(こと)は、さすがけふあすとはおもは【思は】ずとて、大(おほき)に
驚(おどろき)(をどろき)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】ければ、おさなき(をさなき)【幼き】もの共(ども)も是(これ)をきい【聞い】て、
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泣(なき)かなしむ事(こと)限(かぎ)りなし。法皇(ほふわう)(ほうわう)はそのおり(をり)【折】しも
新熊野(いまぐまの)へ御幸(ごかう)な(ッ)て、人(ひと)多(おほ)くうちころさ【殺さ】れ、触
穢(しよくゑ)いできにければ、いそぎ六波羅殿(ろくはらどの)へ還御(くわんぎよ)なる。
道(みち)すがら君(きみ)も臣(しん)もいかばかり御心(みこころ)をくだかせ給(たま)
ひけん。主上(しゆしやう)は鳳輦(ほうれん)にめし【召し】て池(いけ)の汀(みぎは)へ行幸(ぎやうがう)なる。
法皇(ほふわう)(ほうわう)は南庭(なんてい)にあく屋(や)【幄屋】をたててぞましましける。
女院(にようゐん)・宮々(みやみや)は御所共(ごしよども)皆(みな)ふり【震り】たおし(たふし)【倒し】ければ、或(あるいは)(あるは)御輿(おんこし)に
めし【召し】、或(あるいは)(あるは)御車(おんくるま)にめし【召し】て出(いで)させ給(たま)ふ。天文博士(てんもんはかせ)ども
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馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「よさりの亥子(いね)の刻(こく)にはかならず大地(だいぢ)
うち返(かへ)すべし」と申(まう)せば、おそろし【恐ろし】な(ン)ど(など)もをろ
か(おろか)【愚】なり。昔(むかし)文徳天皇(もんどくてんわう)の御宇(ぎよう)、斉衡(さいかう)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)八
日(やうかのひ)の大地振【*大地震】(だいぢしん)には、東大寺(とうだいじ)の仏(ほとけ)の御(み)くしをP2381ふりおとし【落し】
たりけるとかや。又(また)天慶(てんぎやう)二年(にねん)四月(しぐわつ)(しんぐわつ)五日(いつかのひ)の大地振【*大地震】(だいぢしん)には、
主上(しゆしやう)御殿(ごてん)をさ(ッ)て常寧殿[* 「清寧殿」と有るのを他本により訂正](じやうねいでん)の前(まへ)に五丈(ごぢやう)のあく屋(や)【幄屋】を
たててましましけるとぞうけ給(たま)[B は]る【承る】。其(それ)は上代(じやうだい)の
事(こと)なれば申(まうす)にをよば(およば)【及ば】ず。今度(こんど)の事(こと)は是(これ)より後(のち)も
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たぐひあるべしともおぼえず。十善(じふぜん)(じうぜん)帝王(ていわう)
都(みやこ)を出(いで)させ給(たまひ)て、御身(おんみ)を海底(かいてい)にしづめ、大臣(だいじん)公卿(くぎやう)
大路(おほち)をわたしてその頸(くび)を獄門(ごくもん)にかけらる。昔(むかし)
より今(いま)に至(いた)るまで、怨霊(をんりやう)はおそろしき【恐ろしき】事(こと)なれば、
世(よ)もいかがあらんずらむとて、心(こころ)ある人(ひと)の歎(なげき)かなし
まぬはなかりけり。紺掻之沙汰(こんがきのさた)S1202 同(おなじき)八月(はちぐわつ)廿二日(にじふににち)、鎌倉(かまくら)の源二位(げんにゐ)
頼朝卿(よりとものきやう)の父(ちち)、故(こ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)のうるはしき
かうべとて、高雄(たかを)(たかお)の文覚上人(もんがくしやうにん)頸(くび)にかけ、鎌田兵衛(かまだびやうゑ)(かまだびやうへ)
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が頸(くび)をば弟子(でし)が頸(くび)にかけさせて、鎌倉(かまくら)へぞ下(くだ)られ
ける。去(さんぬる)治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)のころとり【取り】いだし【出し】てたてま(ッ)【奉つ】
たりけるは、まこと【誠】の左馬頭(さまのかみ)のかうべにはあらず、謀
反(むほん)をすすめ奉(たてまつ)らんためのはかり事(こと)に、そぞろなる
ふるい【古い】かうべをしろい【白い】布(ぬの)につつんでたてま(ッ)【奉つ】たりける
に、謀反(むほん)をおこし世(よ)をうちと(ッ)て、一向(いつかう)父(ちち)の頸(くび)と信(しん)ぜ
られけるところ【所】へ、又(また)尋出(たづねいだ)してくだりけり。是(これ)は年(とし)
ごろ義朝(よしとも)の不便(ふびん)にしてめし【召し】つかは【使は】れける紺(こん)かき
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の男(をのこ)(おのこ)、年来(ねんらい)獄門(ごくもん)にP2382かけられて、後世(ごせ)とぶらふ人(ひと)も
なかりし事(こと)をかなしんで、時(とき)の大理(だいり)にあひ奉(たてまつ)り、
申(まうし)給(たま)はりとりおろして、「兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)(ひやうへのすけどの)流人(るにん)でおはす
れども、すゑたのもしき【頼もしき】人(ひと)なり、もし世(よ)に出(いで)て
たづね【尋ね】らるる事(こと)もこそあれ」とて、東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)円覚寺(ゑんがくじ)と
いふところにふかう【深う】おさめ(をさめ)【納め】てをき(おき)【置き】たりけるを、文覚(もんがく)
聞出(ききいだ)して、かの紺(こん)かき男(をのこ)(おのこ)ともにあひ具(ぐ)して
下(くだ)りけるとかや。けふ既(すで)に鎌倉(かまくら)へつくと聞(きこ)えし
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かば、源二位(げんにゐ)片瀬河(かたせがは)まで迎(むかひ)におはしけり。それより
色(いろ)の姿(すがた)になりて、泣々(なくなく)鎌倉(かまくら)へ入(いり)給(たま)ふ。聖(ひじり)をば大床(おほゆか)に
たて、我(わが)身(み)は庭(には)に立(た)(ッ)て、父(ちち)のかうべをうけ【受け】とり【取り】給(たま)ふ
ぞ哀(あはれ)なる。是(これ)を見(み)る大名(だいみやう)小名(せうみやう)、みな涙(なみだ)をながさずと
いふ事(こと)なし。石巌(せきがん)のさがしきをきりはら(ッ)【払つ】て、新(あらた)
なる道場(だうぢやう)を造(つく)り、父(ちち)の御為(おんため)と供養(くやう)じて、勝長寿
院(しようぢやうじゆゐん)(せうぢやうじゆゐん)と号(かう)せらる。公家(くげ)にもかやうの事(こと)をあはれ【哀】と思
食(おぼしめし)て、故(こ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)の墓(はか)へ内大臣(ないだいじん)正二位(じやうにゐ)を贈(ぞうせ)
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らる。勅使(ちよくし)は左大弁(さだいべん)兼忠(かねただ)とぞきこえ【聞え】し。頼朝
卿(よりとものきやう)武勇(ぶゆう)の名誉(めいよ)長(ちやう)ぜるによ(ッ)て、身(み)をたて家(いへ)を
おこすのみならず、亡父(ばうぶ)聖霊(しやうりやう)贈官(ぞうくわん)贈位(ぞうゐ)に及(および)(をよび)けるこそ
目出(めでた)けれ。平大納言被流(へいだいなごんながされ)S1203同(おなじき)九月(くぐわつ)廿三日(にじふさんにち)、平家(へいけ)の余党(よたう)の都(みやこ)にある
を、国々(くにぐに)へつかはさ【遣さ】るべきよし、鎌倉殿(かまくらどの)P2383より公家(くげ)へ
申(まう)されたりければ、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)能登国(のとのくに)、子息(しそく)
讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)上総国(かづさのくに)、内蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)安芸国(あきのくに)、
兵部少輔(ひやうぶのせう)正明(まさあきら)隠岐国(おきのくに)(をきのくに)、二位(にゐの)僧都(そうづ)専信【*全真】(せんしん)阿波国(あはのくに)、
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法勝寺(ほつしようじの)(ほつせうじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)(のうえん)備後国(びんごのくに)、中納言(ちゆうなごんの)(ちうなごんの)律師(りつし)忠快(ちゆうくわい)(ちうくわい)
武蔵国(むさしのくに)とぞきこえ【聞え】し。或(あるいは)(あるは)西海(さいかい)の波(なみ)の上(うへ)、或(あるいは)(あるは)東
関(とうくわん)の雲(くも)のはて、先途(せんど)いづくを期(ご)せず、後会(こうくわい)其(その)期(ご)
をしら【知ら】ず。別(わかれ)の涙(なみだ)ををさへ(おさへ)【抑へ】て面々(めんめん)におもむか【赴か】れけん
心(こころ)のうち、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。そのなかに、平(へい)大納
言(だいなごん)は建礼門院(けんれいもんゐん)の吉田(よしだ)にわたらせ給(たま)ふところ【所】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】
て、「時忠(ときただ)こそせめ【責め】おもう【重う】して、けふ既(すで)に配所(はいしよ)へおもむ
き【赴き】候(さうら)へ。おなじみやこの内(うち)に候(さうらひ)て、御(おん)あたりの御事共(おんことども)
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うけ給(たま)はら【承ら】まほしう候(さうらひ)つるに、つゐに(つひに)【遂に】いかなる御(おん)
ありさまにてわたらせ給(たまひ)候(さうら)はんずらむと思(おもひ)をき(おき)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)にこそ、ゆく空(そら)もおぼゆ【覚ゆ】まじう候(さうら)へ」と、
なくなく【泣く泣く】申(まう)されければ、女院(にようゐん)、「げにもむかしの名残(なごり)
とては、そこばかりこそおはしつれ。今(いま)は哀(あはれ)をもかけ、
とぶらふ人(ひと)も誰(たれ)かはあるべき」とて、御涙(おんなみだ)せきあへ
させ給(たま)はず。此(この)大納言(だいなごん)と申(まうす)は、出羽(ではの)前司(せんじ)具信(とものぶ)が
孫(まご)、兵部(ひやうぶ)権(ごんの)大輔(たいふ)(たゆふ)贈(ぞう)左大臣(さだいじん)時信(ときのぶ)が子(こ)なり。故(こ)建
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春門院(けんしゆんもんゐん)の御(おん)せうど(せうと)【兄】にて、高倉(たかくら)の上皇(しやうくわう)(しやうくはう)の御外
戚(ごぐわいせき)なり。世(よ)のおぼえとき【時】のきら目出(めで)たかりき。入
道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の北方(きたのかた)八条(はつでう)の二位殿(にゐどの)も姉(あね)にておはせし
かば、兼官(けんぐわん)兼職(けんじよく)、おもひ【思ひ】のごとく心(こころ)のごとし。されば
程(ほど)なくあが(ッ)【上がつ】て正二位(じやうにゐ)の大納言(だいなごん)にいたれり。P2384検非
違使(けんびゐしの)(けんびいし)別当(べつたう)にも三ケ度(さんがど)までなり給(たま)ふ。此(この)人(ひと)の庁
務(ちやうむ)のときは、窃盜(せつたう)強盗(がうだう)をばめし【召し】と(ッ)【取つ】て、様(やう)もなく右(みぎ)
のかいな(かひな)【腕】をば、うでなかより打(うち)おとし【落し】打(うち)おとし【落し】おい(おひ)【追ひ】すて【捨て】
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らる。されば、悪別当(あくべつたう)とぞ申(まうし)ける。主上(しゆしよう)并(ならびに)三種(さんじゆの)
神器(しんぎ)みやこへ返(かへ)し入(いれ)奉(たてまつ)るべきよし、西国(さいこく)へ
院宣(ゐんぜん)をくだされたりけるに、院宣(ゐんぜん)の御使(おんつかひ)(おつかひ)花形(はながた)が
つらに、浪(なみ)がたといふやいじるし【焼印】をせられけるも、此(この)
大納言(だいなごん)のしわざなり。法皇(ほふわう)(ほうわう)も故(こ)女院(にようゐん)の御(おん)せうど(せうと)【兄】
なれば、御(おん)かたみに御覧(ごらん)ぜまほしうおぼしめし【思し召し】
けれども、か様(やう)【斯様】の悪行(あくぎやう)によ(ッ)て御憤(おんいきどほり)(おんいきどをり)あさから【浅から】ず。九
郎(くらう)判官(はうぐわん)もしたしう【親しう】なられたりしかば、いかにも
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して申(まうし)なだめ【宥め】ばやと思(おも)はれけれどもかなは【叶は】ず。
子息(しそく)侍従(じじゆう)(じじう)時家(ときいへ)とて、十六(じふろく)になられけるが、流罪(るざい)
にももれ【漏れ】て、伯父(をぢ)(おぢ)の時光卿(ときみつのきやう)のもとにおはし
けり。母(はは)うへ帥(そつ)のすけ【佐】どのとも【共】に大納言(だいなごん)の袂(たもと)に
すがり、袖(そで)をひかへて、今(いま)を限(かぎり)の名残(なごり)をぞおし
み(をしみ)【惜しみ】ける。大納言(だいなごん)、「つゐに(つひに)【遂に】すまじき別(わかれ)かは」とこころ
づようはの給(たま)へども、さこそは悲(かなし)うおもは【思は】れけめ。年(とし)
闌(たけ)齢(よはひ)傾(かたぶき)て後(のち)、さしもむつまじかりし妻子(さいし)にも
P12431
別(わかれ)はて、すみなれし都(みやこ)をも雲(くも)ゐのよそに
かへりみて、いにしへは名(な)にのみ聞(きき)し越路(こしぢ)の旅(たび)に
おもむき【赴き】、はるばると下(くだ)り給(たま)ふに、「かれは志賀(しが)唐崎(からさき)、
これは真野(まの)の入江(いりえ)、交田(かただ)の浦(うら)」と申(まうし)ければ、大納言(だいなごん)
泣々(なくなく)詠(えい)(ゑい)じ給(たま)ひけり。
かへりこむことはかた田(だ)にひくあみの
目(め)にもたまらぬわがなみだかな W092 P2385
昨日(きのふ)は西海(さいかい)の波(なみ)の上(うへ)にただよひて、怨憎懐苦(をんぞうゑく)
P12432
の恨(うらみ)を扁舟(へんしう)の内(うち)につみ、けふは北国(ほつこく)の雪(ゆき)のしたに
埋(うづも)れて、愛別離苦(あいべつりく)のかなしみを故郷(こきやう)の雲(くも)に
かさね【重ね】たり。土佐房(とさばう)被斬(きられ)S1204 さる程(ほど)に、九郎(くらう)判官(はうぐわん)には、鎌倉殿(かまくらどの)より
大名(だいみやう)十人(じふにん)つけられたりけれども、内々(ないない)御不審(ごふしん)を
蒙(かうぶ)り給(たま)ふよし聞(きこえ)しかば、心(こころ)をあはせて一人(いちにん)づつ
皆(みな)下(くだ)りはて【果て】にけり。兄弟(きやうだい)なるうへ、殊(こと)に父子(ふし)の
契(ちぎり)をして、去年(きよねん)の正月(しやうぐわつ)木曾(きそ)義仲(よしなか)を追討(ついたう)
せしよりこのかた、度々(どど)平家(へいけ)を攻(せめ)おとし【落し】、ことし
P12433
の春(はる)ほろぼしはて【果て】て、一天(いつてん)をしづめ、四海(しかい)をす
ます【澄ます】。勧賞(けんじやう)おこなはるべき処(ところ)に、いかなる子細(しさい)
あ(ッ)てかかかる聞(きこ)えあるらむと、かみ一人(いちじん)をはじめ
奉(たてまつ)り、しも万民(ばんみん)に至(いた)るまで、不審(ふしん)をなす。此(この)事(こと)
は、去(さんぬる)春(はる)、摂津国(つのくに)渡辺(わたなべ)よりふなぞろへして八島(やしま)へ
わたり給(たま)ひしとき、逆櫓(さかろ)たて【立て】うたて【立て】じの
論(ろん)をして、大(おほ)きにあざむかれたりしを、梶原(かぢはら)遺
恨(ゐこん)(いこん)におもひ【思ひ】て常(つね)は讒言(ざんげん)しけるによ(ッ)てなり。定(さだめて)謀
P12434
反(むほん)の心(こころ)もあるらん、大名共(だいみやうども)さしのぼせ【上せ】ば、宇
治(うぢ)・勢田(せた)の橋(はし)をもひき、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】とな(ッ)て、
中々(なかなか)あしかり【悪しかり】なんとて、土佐房(とさばう)正俊【*昌俊】(しやうしゆん)をめして、
「和僧(わそう)のぼ(ッ)【上つ】て物詣(ぶつけい)するやうにて、たばか(ッ)てうて」と
の給(たま)ひければ、正俊【*昌俊】(しやうしゆん)P2386畏(かしこま)(ッ)てうけ給(たまは)り【承り】、宿所(しゆくしよ)へも帰(かへ)
らず、御前(ごぜん)をた(ッ)てやがて京(きやう)へぞ上(のぼ)りける。同(おなじき)九
月(くぐわつ)廿九日(にじふくにち)、土佐房(とさばう)都(みやこ)へついたりけれども、次(つぎの)日(ひ)まで
判官殿(はうぐわんどの)へもまいら(まゐら)【参ら】ず。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)がのぼりたるよし
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聞(きき)給(たま)ひ、武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)をも(ッ)てめされければ、
やがてつれ【連れ】てまいり(まゐり)【参り】たり。判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、
「いかに鎌倉殿(かまくらどの)より御文(おんふみ)はなきか」。「さしたる御事(おんこと)
候(さうら)はぬ間(あひだ)(あいだ)、御文(おんふみ)はまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られず候(さうらふ)。御詞(おんことば)にて申(まう)せ
と候(さうらひ)しは、『「当時(たうじ)まで都(みやこ)に別(べち)の子細(しさい)なく候(さうらふ)事(こと)、
さて御渡(おんわたり)候(さうらふ)ゆへ(ゆゑ)【故】とおぼえ候(さうらふ)。相構(あひかまへ)(あいかまへ)てよく守護(しゆご)せ
させ給(たま)へ」と申(まう)せ』とこそ仰(おほ)せられ候(さうらひ)つれ」。判官(はうぐわん)
「よもさはあらじ。義経(よしつね)討(うち)にのぼる御使(おんつかひ)なり。
P12436
「大名(だいみやう)どもさし上(のぼ)せば、宇治(うぢ)・勢田(せた)の橋(はし)をも
ひき、都鄙(とひ)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】ともな(ッ)て、中々(なかなか)あしかり【悪しかり】
なん。和僧(わそう)のぼせ【上せ】て物詣(ものまうで)する様(やう)にてたばか(ッ)て
うて」とぞ仰付(おほせつけ)られたるらんな」との給(たま)へば、正俊【*昌俊】(しやうしゆん)
大(おほき)に驚(おどろき)(をどろき)て、「何(なに)によ(ッ)てか只今(ただいま)さる事(こと)の候(さうらふ)べき。いささか
宿願(しゆくぐわん)によ(ッ)て、熊野参詣(くまのさんけい)のために罷上(まかりのぼり)て候(さうらふ)」。そ
のとき判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「景時(かげとき)が讒言(ざんげん)によ(ッ)て、
義経(よしつね)鎌倉(かまくら)へも入(いれ)られず。見参(げんざん)をだにし給(たま)はで、
P12437
おひ【追ひ】のぼせ【上せ】らるる事(こと)はいかに」。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)「其(その)事(こと)はい
かが候(さうらふ)らん、身(み)にをいて(おいて)はま(ッ)たく御腹(おんぱら)ぐろ候(さうら)はず。起
請文[M 「記請文」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやうもん)をかき進(しんず)べき」よし申(まう)せば、判官(はうぐわん)「とても
かうても鎌倉殿(かまくらどの)によしとおもは【思は】れたてま(ッ)【奉つ】たら
ばこそ」とて、以外(もつてのほか)(もてのほか)気(け)しき【気色】あしげになり給(たま)ふ。
正俊【*昌俊】(しやうしゆん)一旦(いつたん)の害(がい)をのがれ【逃れ】んがために、P2387居(ゐ)ながら七枚(しちまい)
の起請文[M 「記請文」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやうもん)をかいて、或(あるいは)(あるは)やいてのみ、或(あるいは)(あるは)社(やしろ)に納(をさめ)(おさめ)な(ン)ど(など)
して、ゆり【許り】てかへり、大番衆(おほばんじゆ)にふれめぐらして
P12438
其(その)夜(よ)やがてよせ【寄せ】んとす。判官(はうぐわん)は磯禅師(いそのぜんじ)といふ
白拍子(しらびやうし)のむすめ、しづか【静】といふ女(をんな)(をうな)を最愛(さいあい)せられ
けり。しづかもかたはらを立(たち)さる事(こと)なし。しづか申(まうし)
けるは、「大路(おほち)はみな武者(むしや)でさぶらふなる。是(これ)より
催(もよほ)しのなからむに、大番衆(おほばんじゆ)の者(もの)どもこれほど
さはぐ(さわぐ)【騒ぐ】べき様(やう)やさぶらふ。あはれ是(これ)はひる【昼】の起請[M 「記請」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやう)
法師(ぼふし)(ぼうし)のしわざとおぼえ候(さうらふ)。人(ひと)をつかはし【遣し】てみせ【見せ】
さぶらはばや」とて、六波羅(ろくはら)の故(こ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のめし【召し】
P12439
つかは【使は】れけるかぶろを三四人(さんしにん)つかは【使は】れけるを、二人(ににん)
つかはし【遣し】たりけるが、程(ほど)ふるまで帰(かへ)らず。「中々(なかなか)女(をんな)(をうな)はくる
しからじ」とて、はしたものを一人(いちにん)見(み)せにつかはす【遣す】。
程(ほど)なくはしり【走り】帰(かへり)て申(まうし)けるは、「かぶろとおぼしきものは
ふたりながら、土佐房(とさばう)の門(もん)にきりふせ【伏せ】られてさぶらふ。
宿所(しゆくしよ)には鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)【鞍置き馬】どもひしとひ(ッ)【引つ】たて【立て】て、大幕(おほまく)の
うちには、矢(や)おひ【負ひ】弓(ゆみ)はり【張り】、者(もの)ども皆(みな)具足(ぐそく)して、
只今(ただいま)よせんといで立(たち)さぶらふ【候ふ】。すこし【少し】も物(もの)まうで
P12440
のけしきとは見(み)えさぶらはず」と申(まうし)ければ、判官(はうぐわん)
是(これ)をきい【聞い】て、やがてう(ッ)【打つ】たち【立ち】給(たま)ふ。しづかきせなが【着背長】と(ッ)て
なげかけ奉(たてまつ)る。たかひも【高紐】ばかりして、太刀(たち)と(ッ)て出(いで)給(たま)へば、
中門(ちゆうもん)(ちうもん)の前(まへ)に馬(むま)に鞍(くら)をい(おい)てひ(ッ)【引つ】たてたり。是(これ)に打
乗(うちのつ)て、「門(もん)をあけよ」とて門(もん)あけさせ、今(いま)や今(いま)やと待(まち)
給(たま)ふ処(ところ)に、しばしあ(ッ)てひた甲(かぶと)四五十騎(しごじつき)門(もん)の前(まへ)に
おしP2388よせて、時(とき)をど(ッ)とぞつくりける。判官(はうぐわん)鐙(あぶみ)ふ(ン)ば
り立(たち)あがり【上がり】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「夜討(ようち)にも昼戦(ひるだたかひ)
P12441
にも、義経(よしつね)たやすう討(うつ)べきものは、日本国(につぽんごく)に
おぼえぬものを」とて、只(ただ)一騎(いつき)おめい(をめい)【喚い】てかけ給(たま)へば、
五十騎(ごじつき)ばかりのもの共(ども)、中(なか)をあけてぞ通(とほ)(とを)しける。
さる程(ほど)に、江田(えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)太郎(たらう)・武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)
な(ン)ど(など)いふ一人当千(いちにんたうぜん)の兵共(つはものども)、やがてつづゐ(つづい)【続い】て攻戦(せめたたかふ)。
其(その)後(のち)侍共(さぶらひども)「御内(みうち)に夜討(ようち)い(ッ)たり」とて、あそこのや
かたここの宿所(しゆくしよ)より馳来(はせきた)る。程(ほど)なく六七十騎(ろくしちじつき)
集(あつまり)ければ、土佐房(とさばう)たけくよせたりけれ共(ども)たた
P12442
かふ【戦ふ】にをよば(およば)【及ば】ず。散々(さんざん)にかけちらさ【散らさ】れて、たすかる
ものはすくなう、うたるるものぞおほかり【多かり】ける。
正俊【*昌俊】(しやうしゆん)希有(けう)にしてそこをばのがれ【逃れ】て、鞍馬(くらま)の奥(おく)に
にげ籠(こも)りたりけるが、鞍馬(くらま)は判官(はうぐわん)の故山(こさん)なり
ければ、彼(かの)法師(ほふし)(ほうし)土佐房(とさばう)をからめて、次(つぎの)日(ひ)判官(はうぐわん)の許(もと)へ
送(おく)(をく)りけり。僧正(そうじやう)が谷(たに)といふ所(ところ)にかくれ【隠れ】ゐたりけると
かや。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)を大庭(おほには)にひ(ッ)【引つ】すへ(すゑ)【据ゑ】たり。かちの直垂(ひたたれ)にす(ッ)
ちやう頭巾(づきん)【首丁頭巾】をぞしたりける。判官(はうぐわん)わら(ッ)【笑つ】ての給(たま)ひ
P12443
けるは、「いかに和僧(わそう)、起請(きしやう)にはうてたるぞ」。土佐房(とさばう)す
こしもさはが(さわが)【騒が】ず、居(ゐ)なをり(なほり)【直り】、あざわら(ッ)【笑つ】て申(まうし)けるは、
「ある事(こと)にかいて候(さうら)へば、うてて候(さうらふ)ぞかし」と申(まうす)。「主
君(しゆくん)の命(めい)をおもんじて、私(わたくし)の命(いのち)をかろんず。こころ
ざしの程(ほど)、尤(もつとも)神妙(しんべう)なり。和僧(わそう)いのちおしく(をしく)【惜しく】は鎌倉(かまくら)
へ返(かへ)しつかはさ【遣さ】んはいかに」。P2389土佐房(とさばう)、「まさなうも御諚[* 「御定」と有るのを高野本により訂正](ごぢやう)候(さうらふ)
ものかな。おし(をし)【惜し】と申(まう)さば殿(との)はたすけ【助け】給(たま)はんずるか。鎌
倉殿(かまくらどの)の「法師(ほふし)(ほうし)なれども、をのれ(おのれ)【己】ぞねらはんずる者(もの)」
P12444
とて仰(おほ)せかうぶ(ッ)しより、命(いのち)をば鎌倉殿(かまくらどの)に奉(たてまつ)りぬ。
なじかはとり返(かへ)し奉(たてまつ)るべき。ただ御恩(ごおん)(ごをん)にはとくとく
頸(くび)をめされ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、「さらばきれ」とて、六条川原(ろくでうかはら)に
ひき【引き】いだい【出い】てき(ッ)【斬つ】て(ン)げり。ほめぬ人(ひと)こそなかりけれ。判官都落(はうぐわんのみやこおち)S1205ここに
足立(あだち)新三郎(しんざぶらう)といふ雑色(ざふしき)(ざうしき)は、「きやつは下臈(げらふ)(げらう)なれども以
外(もつてのほか)(もてのほか)さかざかしいやつで候(さうらふ)。めし【召し】つかい(つかひ)【使ひ】給(たま)へ」とて、判官(はうぐわん)にまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】られたりけるが、内々(ないない)「九郎(くらう)がふるまひみてわれにしら
せよ」とぞの給(たま)ひける。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)がきらるるをみて、新
P12445
三郎(しんざぶらう)夜(よ)を日(ひ)についで馳下(はせくだ)り、鎌倉殿(かまくらどの)に此(この)由(よし)申(まうし)
ければ、舎弟(しやてい)参河【*三河】守(みかはのかみ)範頼(のりより)を討手(うつて)にのぼせ【上せ】給(たま)ふべ
きよし仰(おほせ)られけり。頻(しきり)に辞(じし)申(まう)されけれ共(ども)、重(かさね)てお
ほせられける間(あひだ)(あいだ)、力(ちから)をよば(およば)【及ば】で、物具(もののぐ)していとま申(まうし)に
まいら(まゐら)【参ら】れたり。「わとのも九郎(くらう)がまねし給(たま)ふなよ」と仰(おほせ)
られければ、此(この)御詞(おんことば)におそれ【恐れ】て、物具(もののぐ)ぬぎをき(おき)て京
上(きやうのぼり)はとどまり給(たまひ)ぬ。全(まつたく)不忠(ふちゆう)(ふちう)なきよし、一日(いちにち)に
十枚(じふまい)づつの起請(きしやう)を、昼(ひる)はかき、夜(よる)は御坪(おつぼ)の内(うち)P2390にて
P12446
読(よみ)あげ読(よみ)あげ、百日(ひやくにち)に千枚(せんまい)の起請(きしやう)を書(かき)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られ
たりけれども、かなは【叶は】ずして終(つひ)(つゐ)にうた【討た】れ給(たま)ひ
けり。其(その)後(のち)北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)を大将(たいしやう)として、討手(うつて)
のぼると聞(きこ)えしかば、判官殿(はうぐわんどの)鎮西(ちんぜい)のかたへ落(おち)ばやと
おもひ【思ひ】たち給(たま)ふ処(ところ)に、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維義(これよし)は、平家(へいけ)を九
国(くこく)の内(うち)へも入(いれ)奉(たてまつ)らず、追出(おひいだ)(をひいだ)すほどの威勢(ゐせい)のものなりければ、
判官(はうぐわん)「我(われ)にたのま【頼ま】れよ」とぞの給(たま)ひける。「さ候(さうらは)ば、御内(みうちに)候(さうらふ)菊
地【*菊池】(きくちの)二郎(じらう)高直(たかなほ)(たかなを)は、年(とし)ごろの敵(かたき)で候(さうらふ)。給(たま)[B は](ッ)て頸(くび)を
P12447
き(ッ)てたのま【頼ま】れまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と申(まうす)。左右(さう)なうたう
だりければ、六条川原(ろくでうかはら)に引(ひき)いだし【出し】てき(ッ)て(ン)げり。
其(その)後(のち)維義(これよし)かひがひしう領状(りやうじやう)(りやうでう)す。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)二日(ふつかのひ)、
九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)院(ゐんの)御所(ごしよ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、大蔵卿(おほくらのきやう)泰経(やすつね)朝臣(あそん)(あつそん)
をも(ッ)て奏聞(そうもん)しけるは、「義経(よしつね)君(きみ)の御為(おんため)に奉公(ほうこう)
の忠(ちゆう)(ちう)を致(いたす)事(こと)、ことあたらしう初(はじめ)て申上(まうしあぐる)にをよ
び(および)【及び】候(さうら)はず。しかる【然る】を頼朝(よりとも)、郎等共(らうどうども)が讒言(ざんげん)によ(ッ)て、義
経(よしつね)をうたんと仕(つかまつり)候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、しばらく鎮西(ちんぜい)の方(かた)へ罷
P12448
下(まかりくだ)らばやと存(ぞんじ)候(さうらふ)。院庁(ゐんのちやう)の御下文(みくだしぶみ)を一通(いつつう)下(くだし)預(あづかり)候(さうらは)
ばや」と申(まうし)ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)「此(この)条(でう)頼朝(よりとも)がかへりきかん事(こと)
いかがあるべからむ」とて、諸卿(しよきやう)に仰合(おほせあはせ)られければ、「義経(よしつね)
都(みやこ)に候(さうらひ)て、関東(くわんとう)の大勢(おほぜい)みだれ入(いり)候(さうらは)ば、京都(きやうと)〔の〕狼籍【*狼藉】(らうぜき)
たえ【絶え】候(さうらふ)べからず。遠国(をんごく)へ下(くだり)候(さうらひ)なば、暫(しばらく)其(その)恐(おそれ)あらじ」と、
をのをの(おのおの)【各々】一同(いちどう)に申(まう)されければ、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)をめし【召し】て、
臼杵(うすき)・戸次(へつき)・松浦党(まつらたう)、P2391惣(そう)じて鎮西(ちんぜい)のもの、義経(よしつね)を
大将(たいしやう)として其(その)下知(げぢ)にしたがふべきよし、庁(ちやう)の御
P12449
下文(みくだしぶみ)を給(たま)は(ッ)て(ン)げれば、其(その)勢(せい)五百(ごひやく)余騎(よき)、あくる三日(みつかのひ)
卯刻(うのこく)に京都(きやうと)にいささかのわづらひ【煩ひ】もなさず、浪風(なみかぜ)
もたてずして下(くだ)りにけり。摂津国(つのくに)源氏(げんじ)、太田(おほだの)太
郎(たらう)頼基(よりもと)「わが門(もん)の前(まへ)をとをし(とほし)ながら、矢(や)一(ひとつ)射(い)(ゐ)かけ
であるべきか」とて、川原津(かはらづ)といふ所(ところ)にお(ッ)【追つ】ついてせめ【攻め】
たたかふ【戦ふ】。判官(はうぐわん)は五百(ごひやく)余騎(よき)、太田(おほだの)太郎(たらう)は六十(ろくじふ)余騎(よき)にて
あり【有り】ければ、なかにとりこめ、「あますなもらす【漏らす】な」とて、
散々(さんざん)に攻(せめ)給(たま)へば、太田(おほだの)太郎(たらう)我(わが)身(み)手(て)おひ、家子(いへのこ)郎等(らうどう)
P12450
おほく【多く】うたせ、馬(むま)の腹(はら)い【射】させて引退(ひきしりぞ)く。判官(はうぐわん)
頸(くび)どもきりかけて、戦神(いくさがみ)にまつり、「門出(かどいで)(かどで)よし」と悦(よろこん)
で、だいもつ【大物】の浦(うら)より船(ふね)にの(ッ)【乗つ】て下(くだ)られけるが、折
節(をりふし)(おりふし)西(にし)のかぜはげしくふき、住吉(すみよし)の浦(うら)にうちあげ
られて、吉野(よしの)のおくにぞこもりける。吉野(よしの)法師(ぼふし)(ぼうし)に
せめ【攻め】られて、奈良(なら)へおつ。奈良(なら)法師(ぼふし)(ぼうし)に攻(せめ)られて、又(また)
都(みやこ)へ帰(かへ)り入(いり)、北国(ほつこく)にかか(ッ)て、終(つひ)(つゐ)に奥(おく)へぞ下(くだ)られける。
都(みやこ)よりあひ具(ぐ)したりける女房達(にようばうたち)十余人(じふよにん)、住吉(すみよし)
P12451
の浦(うら)に捨(すて)をき(おき)たりければ、松(まつ)の下(した)、まさごのうへに
袴(はかま)ふみしだき、袖(そで)をかたしい【片敷い】て泣(なき)ふしたりけるを、
住吉(すみよしの)神官共(じんぐわんども)憐(あはれ)んで、みな京(きやう)へぞ送(おく)(をく)りける。凡(およそ)(をよそ)判
官(はうぐわん)のたのま【頼ま】れたりける伯父(をぢ)(おぢ)信太(しだの)三郎(さぶらう)先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)・
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)・緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維義(これよし)が船共(ふねども)、浦々(うらうら)島々(しまじま)
に打(うち)よせられて、互(たがひ)(たがい)にその行(ゆく)ゑ(ゆくへ)【行方】をしら【知ら】ず。忽(たちまち)に西(にし)の
かぜふきける事(こと)も、平家(へいけ)の怨霊(をんりやう)P2392のゆへ(ゆゑ)【故】とぞお
ぼえける。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)七日(なぬかのひ)、鎌倉(かまくら)の源二位(げんにゐ)頼朝卿(よりとものきやう)の
P12452
代官(だいくわん)として、北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)、六万(ろくまん)余騎(よき)を相具(あひぐ)して
都(みやこ)へ入(いり)、伊与【*伊予】守(いよのかみ)源(みなもとの)義経(よしつね)・備前守(びぜんのかみ)同(おなじく)行家(ゆきいへ)・信太(しだの)
三郎(さぶらう)先生(せんじやう)同(おなじく)義教【*義憲】(よしのり)追討(ついたう)すべきよし奏聞(そうもん)し
ければ、やがて院宣(ゐんぜん)をくだされけり。去(さんぬる)二日(ふつかのひ)は義経(よしつね)が申(まうし)
うくる旨(むね)にまかせて、頼朝(よりとも)をそむくべきよし
庁(ちやう)の御下文(みくだしぶみ)をなされ、同(おなじき)八日(やうかのひ)は頼朝卿(よりとものきやう)申状(まうしじやう)(まうしでう)によ(ッ)て、
義経(よしつね)追討(ついたう)の院宣(ゐんぜん)を下(くだ)さる。朝(あした)にかはり夕(ゆふべ)に変(へん)
ずる世間(よのなか)の不定(ふぢよう)こそ哀(あはれ)なれ。吉田(よしだの)大納言(だいなごん)の沙汰(さた)S1206さる程(ほど)に、鎌倉殿(かまくらどの)
P12453
日本国(につぽんごく)の惣追補使【*惣追捕使】(そうづいぶし)を給(たま)は(ッ)て、反別(たんべつ)に兵粮米(ひやうらうまい)を
宛行(あておこなふ)べきよし申(まう)されけり。朝(てう)の怨敵(をんでき)をほろ
ぼしたるものは、半国(はんごく)を給(たま)はるといふ事(こと)、無量義
経(むりやうぎきやう)に見(み)えたり。され共(ども)我(わが)朝(てう)にはいまだ其(その)例(れい)なし。
「是(これ)は過分(くわぶん)の申状(まうしじやう)(まうしでう)なり」と、法皇(ほふわう)(ほうわう)仰(おほせ)なりけれ共(ども)、公卿(くぎやう)
僉議(せんぎ)あ(ッ)て、「頼朝卿(よりとものきやう)の申(まう)さるる所(ところ)、道理(だうり)なかばなり」
とて、御(おん)ゆるされ【許され】あり【有り】けるとかや。諸国(しよこく)に守護(しゆご)を
をき(おき)、庄園(しやうゑん)(しやうえん)に地頭(ぢとう)を補(ふ)せらる。一毛(いちもう)ばかりもかくる【隠る】
P12454
べき様(やう)なかりけり。鎌倉殿(かまくらどの)かやうの事(こと)人(ひと)おほし【多し】と
いへ共(ども)、吉田(よしだの)大納言(だいなごん)経房卿(つねふさのきやう)をも(ッ)て奏聞(そうもん)せらP2393れ
けり。この大納言(だいなごん)はうるはしい人(ひと)と聞(きこ)え給(たま)へり。
平家(へいけ)にむすぼほれたりし人々(ひとびと)も、源氏(げんじ)の世(よ)の
つより【強り】し後(のち)は、或(あるいは)(あるは)ふみ【文】をくだし、或(あるいは)(あるは)使者(ししや)をつかはし【遣し】、
さまざまにへつらひ給(たま)ひしか共(ども)、この人(ひと)はさもし給(たま)
はず。されば平家(へいけ)の時(とき)も、法皇(ほふわう)(ほうわう)を鳥羽殿(とばどの)におし
こめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、後院(ごゐん)の別当(べつたう)ををか(おか)【置か】れしには、勘
P12455
解由小路[* 「勘解由少路」と有るのを高野本により訂正](かでのこうぢの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)此(この)経房卿(つねふさのきやう)二人(ににん)をぞ後院(ごゐん)の
別当(べつたう)にはなされたりける。権(ごんの)右中弁(うちゆうべん)(うちうべん)光房(みつふさの)朝臣(あそん)(あつそん)
の子(こ)也(なり)。十二(じふに)の年(とし)父(ちち)の朝臣(あそん)(あつそん)うせ給(たま)ひしかば、みなし
子(ご)にておはせしか共(ども)、次第(しだい)の昇進(しようじん)(せうじん)とどこほらず、
三事(さんし)の顕要(けんえう)(けんよう)を兼帯(けんたい)して、夕郎(せきらう)の貫首(くわんじゆ)をへ【経】、
参議(さんぎ)・大弁(だいべん)・中納言(ちゆうなごん)・太宰帥(ださいのそつ)、遂(つひ)(つい)に正二位(じやうにゐ)大納言(だいなごん)に
至(いた)れり。人(ひと)をばこえ【越え】給(たま)へども、人(ひと)にはこえられ給(たま)はず。
されば人(ひと)の善悪(ぜんあく)は錐(きり)袋(ふくろ)をとおす(とほす)【通す】とてかくれ【隠れ】なし。
P12456
ありがたかりし人(ひと)なり。六代(ろくだい)S1207北条(ほうでうの)四郎(しらう)策(はかりこと)(はかりコト)に「平家(へいけ)の
子孫(しそん)といはん人(ひと)尋出(たづねいだ)したらん輩(ともがら)にをいて(おいて)は、
所望(しよまう)こふ【乞ふ】によるべし」と披露(ひろう)せらる。京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の
ものども、案内(あんない)はし(ッ)たり、勧賞(けんじやう)蒙(かうぶ)らんとて、尋(たづね)
もとむるぞうたてき。かかりければ、いくらも尋(たづね)
いだしたりけり。P2394下臈(げらふ)(げらう)の子(こ)なれども、いろ【色】しろう【白う】
見(み)めよきをばめし【召し】いだい【出い】て、「是(これ)はなんの中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の
若君(わかぎみ)、彼(かの)少将殿(せうしやうどの)の君達(きんだち)」と申(まう)せば、父母(ぶも)なき【泣き】
P12457
かなしめども、「あれは介惜(かいしやく)【介錯】が申(まうし)候(さうらふ)」。「あれはめのとが
申(まうす)」なんど(など)いふ間(あひだ)(あいだ)、無下(むげ)におさなき(をさなき)【幼き】をば水(みづ)に入(いれ)、土(つち)
に埋(うづ)み、少(ちと)おとなしきをばおしころし【殺し】、さしころ
す。母(はは)がかなしみ、めのとがなげき、たとへんかたぞ
なかりける。北条(ほうでう)も子孫(しそん)さすが多(おほ)ければ、是(これ)をいみじ
とは思(おも)はねど、世(よ)にしたがふならひ【習ひ】なれば、力(ちから)をよば(およば)【及ば】ず。中(なか)
にも小松(こまつの)三位(さんみの)(さんゐの)中将殿(ちゆうじやうどのの)(ちうじやうどのの)若君(わかぎみ)、六代(ろくだい)御前(ごぜん)とておはす
なり。平家(へいけ)の嫡々(ちやくちやく)なるうへ、とし【年】もおとなしう
P12458
ましますなり。いかにもしてとり奉(たてまつ)らむとて、
手(て)をわけ【分け】てもとめ【求め】られけれども、尋(たづね)かねて、既(すで)に
下(くだ)らんとせられける処(ところ)に、ある女房(にようばう)の六波羅(ろくはら)に出(いで)
て申(まうし)けるは、「是(これ)より西(にし)、遍照寺(へんぜうじ)のおく、大覚寺(だいかくじ)と
申(まうす)山寺(やまでら)の北(きた)のかた、菖蒲谷(しやうぶだに)と申(まうす)所(ところ)にこそ、
小松(こまつの)三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の北方(きたのかた)・若君(わかぎみ)・姫公(ひめぎみ)おはしませ」と
申(まう)せば、時政(ときまさ)頓(やが)て人(ひと)をつけて、そのあたりをう
かがは【伺は】せける程(ほど)に、或(ある)坊(ばう)に、女房達(にようばうたち)おさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)
P12459
あまた、ゆゆしくしのび【忍び】たるてい【体】にてすまゐ(すまひ)【住ひ】けり。
籬(まがき)のひまよりのぞきければ、白(しろ)いゑのこ【犬子】の走出(はしりいで)たる
をとらんとて、うつくしげなる若公(わかぎみ)【若君】の出(いで)給(たま)へば、めの
との女房(にようばう)とおぼしくて、「あなあさまし。人(ひと)もこそ
見(み)まいらすれ(まゐらすれ)【参らすれ】」とて、いそぎひき【引き】入(いれ)奉(たてまつ)る。是(これ)ぞ一定(いちぢやう)
そにておはしますらむとおもひ【思ひ】、P2395いそぎ走帰(はしりかへ)(ッ)て
かくと申(まう)せば、次(つぎ)の日(ひ)北条(ほうでう)かしこに打(うち)むかひ【向ひ】、四
方(しはう)を打(うち)かこみ、人(ひと)をいれ【入れ】ていはせけるは、「平家(へいけ)小松(こまつの)
P12460
三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の若君(わかぎみ)六代(ろくだい)御前(ごぜん)、是(これ)におはしますと
承(うけたま)は(ッ)て、鎌倉殿(かまくらどの)の御代官(ごだいくわん)に北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)と申(まうす)
ものが御(おん)むかへ【向へ】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。はやはや出(いだ)しまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ
給(たま)へ」と申(まうし)ければ、母(はは)うへ是(これ)を聞(きき)給(たま)ふに、つやつや
物(もの)もおぼえ給(たま)はず。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)はしり【走り】ま
は(ッ)て見(み)けれども、武士(ぶし)ども四方(しはう)を打(うち)かこみ、いづかたより
出(いだ)し奉(たてまつ)るべしともおぼえず。めのとの女房(にようばう)も
御(おん)まへにたふれ【倒れ】ふし、こゑ【声】もおしま(をしま)【惜しま】ずおめき(をめき)【喚き】さけ
P12461
ぶ【叫ぶ】。日(ひ)ごろはものをだにもたかく【高く】いはず、しのび【忍び】つつ
かくれ【隠れ】ゐたりつれども、今(いま)は家(いへ)の中(うち)にありと
あるもの、こゑ【声】を調(そろ)へて泣(なき)かなしむ。北条(ほうでう)も是(これ)
をきい【聞い】て、よに心(こころ)くるしげ【苦し気】におもひ【思ひ】、なみだ【涙】おし
のごい(のごひ)、つくづくとぞま(ッ)【待つ】たりける。ややあ(ッ)てかさね【重ね】
て申(まう)されけるは、「世(よ)もいまだしづまり候(さうら)はねば、しど
けなき事(こと)もぞ候(さうらふ)とて、御(おん)むかへ【向へ】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。別(べち)
の御事(おんこと)は候(さうらふ)まじ。はやはや出(いだ)しまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)
P12462
へ」と申(まうし)ければ、若君(わかぎみ)母(はは)うへに申(まう)されけるは、「つゐ
に(つひに)【遂に】のがる【逃る】まじう候(さうら)へば、とくとくいださせおはしませ。
武士共(ぶしども)うち入(いり)てさがすものならば、うたてげ
なる御(おん)ありさまどもを見(み)えさせ給(たま)ひなんず。
たとひまかり【罷り】出(いで)候(さうらふ)とも、しばしも候(さうら)はば、いとまこう【乞う】
てかへりまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん。いたくな歎(なげ)かせ給(たま)ひ候(さうらひ)そ」
と、なぐさめ給(たま)ふこそいP2396とおしけれ(いとほしけれ)。さてもあるべ
きならねば、母(はは)うへなくなく【泣く泣く】御(おん)ぐしかきなで、
P12463
ものき【着】せ奉(たてまつ)り、既(すで)に出(いだ)し奉(たてまつ)らむとしたまひ
けるが、黒木(くろき)のずず【数珠】のちいさう(ちひさう)【小さう】うつくしいを
とりいだして、「是(これ)にていかにもならんまで、念仏(ねんぶつ)
申(まうし)て極楽(ごくらく)へまいれ(まゐれ)【参れ】よ」とて奉(たてまつ)り給(たま)へば、若君(わかぎみ)是(これ)
をと(ッ)て、「母御前(ははごぜん)にけふ既(すで)にはなれ【離れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】なんず。
今(いま)はいかにもして、父(ちち)のおはしまさん所(ところ)へぞま
いり(まゐり)【参り】たき」との給(たま)ひけるこそ哀(あは)れなれ。是(これ)を
きい【聞い】て、御妹(おんいもうと)の姫君(ひめぎみ)の十(とを)になり給(たま)ふが、「われも
P12464
ちち御前(ごぜん)の御(おん)もとへまいら(まゐら)【参ら】む」とて、はしり【走り】出(いで)
給(たま)ふを、めのとの女房(にようばう)とりとどめ【留め】奉(たてまつ)る。六代(ろくだい)御前(ごぜん)
ことしはわづかに十二(じふに)にこそなり給(たま)へども、よのつ
ねの十四五(じふしご)よりはおとなしく、みめかたちゆう(いう)【優】に
おはしければ、敵(かたき)によはげ(よわげ)【弱気】をみえ【見え】じと、おさふる袖(そで)の
ひまよりも、あまりて涙(なみだ)ぞこぼれける。さて御輿(おんこし)
にのり給(たま)ふ。武士(ぶし)ども前後(ぜんご)左右(さう)に打(うち)かこ(ン)【囲ん】で出(いで)に
けり。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)御輿(おんこし)の左右(さう)についてぞ
P12465
まいり(まゐり)【参り】ける。北条(ほうでう)のりがへ【乗替】共(ども)おろしてのすれ【乗すれ】ども
のらず。大覚寺(だいかくじ)より六波羅(ろくはら)までかちはだしに
てぞ走(はしり)ける。母(はは)うへ・めのとの女房(にようばう)、天(てん)にあふぎ地(ち)に
ふしてもだえ【悶え】こがれ給(たま)ひけり。「此(この)日(ひ)ごろ平家(へいけ)の
子(こ)どもとりあつめ【集め】て、水(みづ)にいるるもあり、土(つち)にう
づむ【埋む】もあり、おP2397しころし【殺し】、さしころし【殺し】、さまざまに
すときこゆれば、我(わが)子(こ)は何(なに)としてかうしなは【失は】ん
ずらん。すこし【少し】おとなしければ、頸(くび)をこそきら【斬ら】ん
P12466
ずらめ。人(ひと)の子(こ)はめのとな(ン)ど(など)のもとにをき(おき)て、時々(ときどき)
見(み)る事(こと)もあり。それだにも恩愛(おんあい)(をんあひ)はかなしき【悲しき】
習(ならひ)ぞかし。况(いはん)や是(これ)はうみおとし【落し】て後(のち)、ひとひ【一日】
かたとき【片時】も身(み)をはなたず、人(ひと)のもたぬものを
もちたるやうにおもひ【思ひ】て、朝(あさ)ゆふふたりの中(なか)にて
そだて【育て】しものを、たのみ【頼み】をかけし人(ひと)にもあかで
別(わかれ)しそののちは、ふたりをうらうへ【裏表】にをき(おき)て
こそなぐさみつるに、ひとりはあれどもひとりは
P12467
なし。けふより後(のち)はいかがせん。此(この)三(み)とせが間(あひだ)(あいだ)、よる
ひるきも【肝】心(こころ)をけしつつ、おもひ【思ひ】まうけ【設け】つる
事(こと)なれども、さすが昨日(きのふ)今日(けふ)とはおもひ【思ひ】よらず。
年(とし)ごろは長谷(はせ)の観音(くわんおん)(くわんをん)をこそふかう【深う】たのみ【頼み】
奉(たてまつ)りつるに、終(つひ)(つゐ)にとられぬる事(こと)のかなしさよ。
只今(ただいま)もやうしなひ【失ひ】つらん」とかきくどき【口説き】、泣(なく)より
外(ほか)の事(こと)ぞなき。さ夜(よ)もふけけれどむね【胸】せき
あぐる心(ここ)ち【心地】して、露(つゆ)もまどろみ給(たま)はぬが、めの
P12468
との女房(にようばう)にの給(たま)ひけるは、「ただいまちとうちま
どろみたりつる夢(ゆめ)に、此(この)子(こ)がしろい【白い】馬(むま)にのりて
来(きた)りつるが、「あまりに恋(こひ)しうおもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へば、
しばしのいとま【暇】こう【乞う】てまいり(まゐり)【参り】て候(さうらふ)」とて、そばにつ
いゐて、何(なに)とやらん、よにうらめしげ【恨めし気】に思(おも)ひて、さめざめ
と泣(なき)つるが、程(ほど)なくうちおどろかれて、もしやとかた
はらをさぐれ【探れ】ども人(ひと)もなし。夢(ゆめ)なり共(とも)しばしも
あらで、さめぬるP2398事(こと)のかなしさよ」とぞかたり給(たま)ふ。
P12469
めのとの女房(にようばう)もなきけり。長(ながき)夜(よ)もいとど明(あか)し
かねて、涙(なみだ)に床(とこ)も浮(うく)ばかり也(なり)。限(かぎり)あれば、鶏人(けいじん)暁(あかつき)
をとなへて夜(よ)も明(あけ)ぬ。斎藤六(さいとうろく)帰(かへ)りまいり(まゐり)【参り】たり。
「さていかにやいかに」と問(と)ひ給(たま)へば、「只今(ただいま)まではべち【別】
の御事(おんこと)も候(さうら)はず。御文(おんふみ)の候(さうらふ)」とて、とりいだい【出い】て奉(たてまつ)る。
あけて御(ご)らんずれば、「いかに御心(おんこころ)ぐるしうおぼし
めされ候(さうらふ)らむ。只今(ただいま)までは別(べち)の事(こと)も候(さうら)はず。いつしか
たれだれも御恋(おんこひ)しうこそ候(さうら)へ」と、よにおとなし
P12470
やかにかき給(たま)へり。母(はは)うへ是(これ)を見(み)給(たま)ひて、とかうの
事(こと)もの給(たまは)ず。ふみをふところ【懐】に引入(ひきいれ)て、うつ
ぶしにぞなられける。誠(まこと)に心(こころ)の内(うち)さこそはおはし
けめとおしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。かくて遥(はるか)に時刻(じこく)
おしうつりければ、「時(とき)の程(ほど)もおぼつかなう候(さうらふ)に、帰(かへり)まい
ら(まゐら)【参ら】ん」と申(まう)せば、母(はは)うへ泣々(なくなく)御返事(おんぺんじ)かいてたう【賜う】で
けり。斎藤六(さいとうろく)いとま申(まうし)て罷出(まかりいづ)。めのとの女房(にようばう)せ
めても心(こころ)のあられずさに、はしり【走り】出(いで)て、いづくを
P12471
さすともなく、その辺(へん)を足(あし)にまかせてなき
ありく程(ほど)に、ある人(ひと)の申(まうし)けるは、「此(この)おくに高雄(たかを)(たかお)
といふ山寺(やまでら)あり。その聖(ひじり)文覚房(もんがくばう)と申(まうす)人(ひと)こそ、鎌
倉殿(かまくらどの)にゆゆしき大事(だいじ)の人(ひと)におもは【思は】れまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
おはしますが、上臈(じやうらふ)(じやうらう)の御子(おんこ)を御弟子(おんでし)にせんとて
ほしがら【欲しがら】るなれ」と申(まうし)ければ、うれしき事(こと)をきき
ぬと思(おも)ひて、母(はは)うへにかく共(とも)申(まう)さず、ただP2399一人(いちにん)高
雄(たかを)(たかお)に尋入(たづねい)り、聖(ひじり)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)て、「ち【血】のなかよりおほ
P12472
し【生し】たて【立て】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、ことし十二(じふに)にならせ給(たま)ひ
つる若君(わかぎみ)を、昨日(きのふ)武士(ぶし)にとられてさぶらふ【候ふ】。御命(おんいのち)
こい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ひて、御弟子(おんでし)にせさせ給(たま)ひ
なんや」とて、聖(ひじり)のまへにたふれ【倒れ】ふし、こゑ【声】もおしま(をしま)【惜しま】ず
なきさけぶ【叫ぶ】。まこと【誠】にせんかたなげにぞ見(み)えたり
ける。聖(ひじり)むざんにおぼえければ事(こと)の子細(しさい)をとひ
給(たま)ふ。おきあが(ッ)【上がつ】て泣々(なくなく)申(まうし)けるは、「平家(へいけ)小松(こまつの)三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の北方(きたのかた)の、したしうまします人(ひと)の御子(おんこ)を
P12473
やしなひ奉(たてまつ)るを、もし中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の君達(きんだち)とや人(ひと)
の申(まうし)さぶらひけん、昨日(きのふ)武士(ぶし)のとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
まかり【罷り】さぶらひぬるなり」と申(まうす)。「さて武士(ぶし)をば誰(たれ)と
いひつる」。「北条(ほうでう)とこそ申(まうし)さぶらひつれ」。「いでいでさらば
行(ゆき)むかひ【向ひ】て尋(たづね)む」とて、つきいで【出で】ぬ。此(この)詞(ことば)をたのむ【頼む】
べきにはあらね共(ども)、聖(ひじり)のかくいへば、今(いま)すこし【少し】人(ひと)の心(ここ)
ち【心地】いできて、大覚寺(だいかくじ)へかへりまいり(まゐり)【参り】、母(はは)うへにかくと
申(まう)せば、「身(み)をなげに出(いで)ぬるやらんとおもひ【思ひ】て、我(われ)も
P12474
いかならん淵河(ふちかは)にも身(み)をなげんと思(おも)ひたれば」
とて、事(こと)の子細(しさい)をとひ給(たま)ふ。聖(ひじり)の申(まうし)つる様(やう)を
ありのままに語(かた)りければ、「あはれこい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】て、今(いま)一度(ひとたび)
見(み)せよかし」とて、手(て)をあはせてぞなかれける。聖(ひじり)
六波羅(ろくはら)にゆきむか(ッ)【向つ】て、事(こと)の子細(しさい)をとひ給(たま)ふ。北条(ほうでう)申(まうし)
けるは、「鎌倉殿(かまくらどの)のおほせに、「平家(へいけ)の子孫(しそん)京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)に多(おほ)く
しのん【忍ん】でありときく。中(なか)にも小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のP2400子息(しそく)、
中御門(なかのみかど)の新(しん)大納言(だいなごん)のむすめの腹(はら)にありときく。
P12475
平家(へいけ)の嫡々(ちやくちやく)なるうへ、年(とし)もおとなしかんなり。いかにも
尋(たづね)いだし【出し】て失(うしな)ふべし」と仰(おほ)せを蒙(かうぶり)て候(さうらひ)しが、此(この)
程(ほど)すゑずゑのおさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)をば少々(せうせう)取(とり)奉(たてまつり)て候(さうらひ)つれ共(ども)、
此(この)若公(わかぎみ)【若君】は在所(ありどころ)をしり奉(たてまつ)らで、尋(たづね)かねて既(すでに)むな
しう【空しう】罷下(まかりくだ)らむとし候(さうらひ)つるが、おもは【思は】ざる外(ほか)、一昨日(をととひ)(おととひ)
聞出(ききいだ)して、昨日(きのふ)むかへ【向へ】奉(たてまつり)て候(さうら)へども、なのめならず
うつくしうおはする間(あひだ)(あいだ)、あまりにいとおしく(いとほしく)て、
いまだともかうもし奉(たてまつ)らでをき(おき)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)」
P12476
と申(まう)せば、聖(ひじり)、「いでさらば見(み)奉(たてまつ)らむ」とて、若公(わかぎみ)【若君】の
おはしける所(ところ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へば、ふたへおり
もの【二重織物】の直垂(ひたたれ)に、黒木(くろき)の数珠(じゆず)手(て)にぬき【貫き】入(いれ)ておは
します。髪(かみ)のかかり、すがた、事(こと)がら、誠(まこと)にあてに
うつくしく、此(この)世(よ)の人(ひと)とも見(み)え給(たま)はず。こよひ
うちとけてね給(たま)はぬとおぼしくて、すこし【少し】
おもやせ給(たま)へるにつけて、いとど心(こころ)ぐるしうらう
たくぞおぼえける。聖(ひじり)を御(ご)らんじて何(なに)とかおぼし
P12477
けん、涙(なみだ)ぐみ給(たま)へば、聖(ひじり)も是(これ)を見(み)奉(たてまつ)てすぞろに
墨染(すみぞめ)の袖(そで)をぞしぼりける。たとひ末(すゑ)の世(よ)に、いか
なるあた敵(かたき)になるともいかが是(これ)を失(うしな)ひ奉(たてまつ)るべきと
かなしう【悲しう】おぼえければ、北条(ほうでう)にの給(たま)ひけるは、「此(この)若
君(わかぎみ)を見(み)奉(たてまつ)るに、先世(ぜんぜ)の事(こと)にや候(さうらふ)らん、あまりに
いとおしう(いとほしう)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)り候(さうらふ)。廿日(はつか)が命(いのち)をのべてたべ。
鎌倉殿(かまくらどの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)あづかり候(さうら)はん。聖(ひじり)鎌倉殿(かまくらどの)を
世(よ)にあらせ奉(たてまつ)らむとて、我(わが)身(み)も流人(るにん)であり
P12478
ながら、P2401院宣(ゐんぜん)うかがふ(うかがう)【伺う】て奉(たてまつ)らんとて、京(きやう)へ上(のぼ)るに、案
内(あんない)もしらぬ富士川(ふじがは)の尻(すそ)による【夜】わたりかか(ッ)て、既(すで)に
おしながされんとしたりし事(こと)、高市(たかいち)の山(やま)にて
ひ(ッ)ぱぎ【引剥】にあひ、手(て)をす(ッ)て命(いのち)ばかりいき、福原(ふくはら)の
籠(ろう)の御所(ごしよ)へまいり(まゐり)【参り】、前(さきの)右兵衛督(うひやうゑのかみ)(うひやうへのかみ)光能卿(みつよしのきやう)につき奉(たてまつ)て、
院宣(ゐんぜん)申(まうし)いだいて奉(たてまつり)しときのやくそく【約束】には、「いかなる
大事(だいじ)をも申(まう)せ。聖(ひじり)が申(まう)さむ事(こと)をば、頼朝(よりとも)が一期(いちご)の
間(あひだ)(あいだ)はかなへ【適へ】ん」とこその給(たま)ひしか。其(その)後(のち)もたびたび
P12479
の奉公(ほうこう)、かつは見(み)給(たま)ひし事(こと)なれば、事(こと)あたらしう
はじめて申(まうす)べきにあらず。契(ちぎり)をおもう【重う】して
命(いのち)をかろうず【軽うず】。鎌倉殿(かまくらどの)に受領神(じゆりやうがみ)つき給(たま)はずは、
よもわすれ給(たま)はじ」とて、その暁(あかつき)立(たち)にけり。斎藤五(さいとうご)・
斎藤六(さいとうろく)是(これ)をきき、聖(ひじり)を生身(しやうじん)の仏(ほとけ)の如(ごと)くおもひ【思ひ】
て、手(て)を合(あはせ)て涙(なみだ)をながす。いそぎ大覚寺(だいかくじ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て
此(この)由(よし)申(まうし)ければ、是(これ)をきき給(たま)ひける母(はは)うへの心(こころ)のうち、
いか斗(ばかり)かはうれしかりけん。されども鎌倉(かまくら)のはか
P12480
らひなれば、いかがあらむずらんとおぼつかなけれ
ども、当時(たうじ)聖(ひじり)のたのもしげ【頼もし気】に申(まうし)て下(くだ)りぬる
うへ、廿日(はつか)の命(いのち)ののび給(たま)ふに、母(はは)うへ・めのとの女房(にようばう)
すこし【少し】心(こころ)もとりのべて、ひとへに観音(くわんおん)(くわんをん)の御(おん)た
すけ【助け】なればたのもしう【頼もしう】ぞおもは【思は】れける。かくて
明(あか)し暮(くら)し給(たま)ふ程(ほど)に、廿日(はつか)のすぐる【過ぐる】は夢(ゆめ)なれ
や、聖(ひじり)はいまだ見(み)えざりけり。「何(なに)となりぬる事(こと)や
らん」と、なかなか心(こころ)ぐるしうて、今更(いまさら)またもだえ【悶え】こがP2402れ
P12481
給(たま)ひけり。北条(ほうでう)も、「文学房(もんがくばう)のやくそく【約束】の日数(ひかず)も
すぎぬ。さのみ在京(ざいきやう)して年(とし)を暮(くら)すべきにも
あらず。今(いま)は下(くだ)らむ」とてひしめきければ、斎藤五(さいとうご)・
斎藤六(さいとうろく)手(て)をにぎり肝(きも)魂(たましひ)(たましゐ)をくだけ共(ども)、聖(ひじり)もいまだ
見(み)えず、使者(ししや)をだにも上(のぼ)せねば、おもふ【思ふ】はかりぞ
なかりける。是等(これら)大覚寺(だいかくじ)へ帰(かへ)りまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「聖(ひじり)もいまだ
のぼり候(さうら)はず。北条(ほうでう)も暁(あかつき)下向(げかう)仕(つかまつり)候(さうらふ)」とて、左右(さう)の袖(そで)を
かほにおしあてて、涙(なみだ)をはらはらとながす。是(これ)をきき
P12482
給(たま)ひける母(はは)うへの心(こころ)のうち、いかばかりかはかなし
かり【悲しかり】けむ。「あはれおとなしやかならむものの、聖(ひじり)の
行(ゆき)あはん所(ところ)まで六代(ろくだい)をぐせよといへかし。もし
こひうけ【乞請】てものぼらむに、さきにきりたらんか
なしさをば、いかがせむずる。さてとく【疾く】うしなひ【失なひ】
げなるか」とのたまへば、「やがて此(この)暁(あかつき)の程(ほど)とこそ見(み)え
させ給(たまひ)候(さうら)へ。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、此(この)程(ほど)御(おん)とのゐ仕(つかまつり)候(さうらひ)つる北条(ほうでう)の家
子(いへのこ)郎等(らうどう)ども、よに名残(なごり)おしげ(をしげ)【惜し気】におもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
P12483
或(あるいは)(あるは)念仏(ねんぶつ)申(まうす)者(もの)も候(さうらふ)、或(あるいは)(あるは)涙(なみだ)をながす者(もの)も候(さうらふ)」。「さて此(この)子(こ)
は何(なに)としてあるぞ」との給(たま)へば、「人(ひと)の見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)ときは
さらぬやうにもてないて、御数珠(おんじゆず)をくらせおはし
まし候(さうらふ)が、人(ひと)の候(さうら)はぬとき【時】は、御袖(おんそで)を御(おん)かほにおしあてて、
御涙(おんなみだ)にむせばせ給(たま)ひ候(さうらふ)」と申(まうす)。「さこそあるらめ。おさ
なけれ(をさなけれ)【幼けれ】ども心(こころ)おとなしやかなるものなり。こよひ
かぎりの命(いのち)とおもひ【思ひ】て、いかに心(こころ)ぼそかるらん。しばし
もあらば、いとまこう【乞う】てまいら(まゐら)【参ら】むといひしか共(ども)、P2403廿日(はつか)
P12484
にあまるに、あれへもゆかず、是(これ)へも見(み)えず。けふ
より後(のち)又(また)何(いつ)の日(ひ)何(いつ)の時(とき)あひ見(み)るべしともおぼえ
ず。さて汝等(なんぢら)はいかがはからふ」との給(たま)へば、「これはいづく
までも御供(おんとも)仕(つかまつ)り、むなしう【空しう】ならせ給(たま)ひて候(さうら)はば、
御骨(おんこつ)をとり奉(たてまつ)り、高野(かうや)の御山(おやま)におさめ(をさめ)【納め】奉(たてまつ)り、出家(しゆつけ)
入道(にふだう)(にうだう)して、後世(ごせ)をとぶらひ【弔ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むとこそおもひ
な(ッ)て候(さうら)へ」と申(まうす)。「さらば、あまりにおぼつかなうおぼゆる【覚ゆる】
に、とうかへれ」との給(たま)へば、二人(ににん)の者(もの)泣々(なくなく)いとま申(まうし)て
P12485
罷出(まかりいで)つ。さる程(ほど)に、同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)十六日(じふろくにち)、北条(ほうでうの)四郎(しらう)若公(わかぎみ)【若君】具(ぐ)
し奉(たてまつり)て、既(すでに)都(みやこ)を立(たち)にけり。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)涙(なみだ)に
くれてゆくさきも見(み)えね共(ども)、最後(さいご)の所(ところ)までとお
もひ【思ひ】つつ、泣々(なくなく)御供(おんとも)にまいり(まゐり)【参り】けり。北条(ほうでう)「馬(むま)にのれ」と
いへどものらず、「最後(さいご)の供(とも)で候(さうら)へば、くるしう【苦しう】候(さうらふ)まじ」とて、
血(ち)の涙(なみだ)をながしつつ、足(あし)にまかせてぞ下(くだり)ける。六代(ろくだい)御
前(ごぜん)はさしもはなれがたくおぼしける母(はは)うへ・めのとの
女房(にようばう)にもわかれはて、住(すみ)なれし都(みやこ)をも、雲井(くもゐ)の
P12486
よそにかへりみて、けふをかぎりの東路(あづまぢ)におもむ
かれけん心(こころ)のうち、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。駒(こま)をはやむ
る武士(ぶし)あれば、我(わが)頸(くび)うたんずるかと肝(きも)をけし、物(もの)
いひかはす人(ひと)あれば、既(すで)に今(いま)やと心(こころ)をつくす。四(し)の宮河
原(みやがはら)とおもへ【思へ】ども、関山(せきやま)をもうち越(こえ)て、大津(おほつ)の浦(うら)に
なりにけり。粟津(あはづ)の原(はら)かとうかがへ【伺へ】ども、けふもはや
暮(くれ)にけり。国々(くにぐに)宿々(しゆくじゆく)打過(うちすぎ)々々(うちすぎ)行(ゆく)程(ほど)に、駿河[* 「駿川」と有るのを他本により訂正]国(するがのくに)にP2404も
つき給(たま)ひぬ。若公(わかぎみ)【若君】の露(つゆ)の御命(おんいのち)、けふをかぎりとぞ
P12487
きこへ(きこえ)【聞え】ける。千本(せんぼん)の松原(まつばら)に武士(ぶし)どもみなおりゐて、
御輿(おんこし)かきすゑさせ、しきがは【敷皮】しいて、若公(わかぎみ)【若君】すへ(すゑ)【据ゑ】奉(たてまつ)る。
北条(ほうでうの)四郎(しらう)若公(わかぎみ)【若君】の御(おん)まゑ(まへ)【前】ちかうまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、
「是(これ)まで具(ぐ)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるは、別(べち)の事(こと)候(ざうら)はず。もし
みちにて聖(ひじり)にもや行(ゆき)あひ候(さうらふ)と、まち【待ち】すぐしまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるなり。御心(おんこころ)ざしの程(ほど)は見(み)えまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)ぬ。山(やま)
のあなたまでは鎌倉殿(かまくらどの)の御心中(ごしんぢゆう)(ごしんぢう)をもしり【知り】がたう
候(さうら)へば、近江国(あふみのくに)にてうしなひ【失ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)よし、披露(ひろう)
P12488
仕(つかまつり)候(さうらふ)べし。誰(たれ)申(まうし)候(さうらふ)共(とも)、一業(いちごふ)(いちごう)所感(しよかん)の御事(おんこと)なれば、よも
叶(かなひ)候(さうら)はじ」と泣々(なくなく)申(まうし)ければ、若君(わかぎみ)ともかうもその
御返事(おんぺんじ)をばしたまはず、斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)を近(ちか)う
めし【召し】て、「我(われ)いかにもなりなん後(のち)、汝等(なんぢら)都(みやこ)に帰(かへ)(ッ)て、穴
賢(あなかしこ)道(みち)にてきら【斬ら】れたりとは申(まうす)べからず。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、
終(つひ)(つい)にはかくれ【隠れ】あるまじけれども、まさしう此(この)有様(ありさま)
きい【聞い】て、あまりに歎(なげき)給(たま)はば、草(くさ)の陰(かげ)にてもこころ
ぐるしう【心苦しう】おぼえて、後世(ごせ)のさはりともならむずる
P12489
ぞ。鎌倉(かまくら)まで送(おく)(をく)りつけてまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)と申(まうす)べし」と
の給(たま)へば、二人(ににん)の者共(ものども)肝(きも)魂(たましひ)(たましゐ)も消(き)えはてて、しばしは
御返事(おんぺんじ)にもをよば(およば)【及ば】ず。良(やや)あ(ッ)て斎藤五(さいとうご)「君(きみ)にを
くれ(おくれ)【遅れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て後(のち)、命(いのち)いきて安穏(あんをん)に都(みやこ)まで上(のぼ)り
つくべしともおぼえ候(さうら)はず」とて、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てふしにけり。既(すで)に今(いま)はの時(とき)になりしかば、若公(わかぎみ)【若君】西(にし)
にむかひ【向ひ】手(て)を合(あはせ)て、静(しづか)に念仏(ねんぶつ)唱(となへ)つつ、頸(くび)をのべ
てぞ待(まち)給(たま)ふ。狩野(かのの)工P2405藤三(くどうざう)親俊(ちかとし)切手(きりて)にえら
P12490
ばれ、太刀(たち)をひ(ッ)【引つ】そばめて、右のかた【方】より御(おん)うしろに
立(たち)まはり、既(すで)にきり奉(たてまつ)らむとしけるが、目(め)もくれ心(こころ)も
消(きえ)はてて、いづくに太刀(たち)を打(うち)あつべしともおぼえ
ず。前後(ぜんご)不覚(ふかく)になりしかば、「つかまつ【仕つ】とも覚(おぼえ)候(さうら)
はず。他人(たにん)に仰付(おほせつけ)られ候(さうら)へ」とて、太刀(たち)を捨(すて)てのきに
けり。「さらばあれきれ、これきれ」とて、切手(きりて)をえ
らぶ処(ところ)に、墨染(すみぞめ)の衣(ころも)袴(はかま)きて月毛(つきげ)なる馬(むま)にの(ッ)【乗つ】
たる僧(そう)一人(いちにん)、鞭(むち)をあげてぞ馳(はせ)たりける。既(すで)に只今(ただいま)
P12491
切(き)り奉(たてまつ)らむとする処(ところ)に馳(はせ)ついて、いそぎ馬(むま)
より飛(とび)おり、しばらくいきを休(やすめ)て、「若公(わかぎみ)【若君】ゆるさせ
給(たま)ひて候(さうらふ)。鎌倉殿(かまくらどの)の御教書(みげうしよ)是(これ)に候(さうらふ)」とてとり【取り】出(いだ)し
て奉(たてまつ)る。披(ひらい)て見(み)給(たま)へば、まことや小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維
盛卿(これもりのきやう)の子息(しそく)尋出(たづねいだ)されて候(さうらふ)なる、高雄(たかを)(たかお)の聖御房(ひじりごばう)申(まうし)
うけんと候(さうらふ)。疑(うたがひ)をなさずあづけ奉(たてまつ)るべし。北条(ほうでうの)四
郎殿(しらうどの)へ  頼朝(よりとも)とて御判(ごはん)あり。二三遍(にさんべん)おしかへしおしかへし
よう【読う】で後(のち)、「神妙(しんべう)々々(しんべう)」とて打(うち)をか(おか)【置か】れければ、「斎藤五(さいとうご)・
P12492
斎藤六(さいとうろく)はいふにをよば(およば)【及ば】ず、北条(ほうでう)の家子(いへのこ)郎等共(らうどうども)も
皆(みな)悦(よろこび)の涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。P2406泊瀬六代(はせろくだい)S1208さる程(ほど)に、文覚(もんがく)つと出(いで)
きたり、若公(わかぎみ)【若君】こい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】たりとて、きそく【気色】誠(まこと)にゆゆし
げなり。「「此(この)若公(わかぎみ)【若君】の父(ちち)三位(さんみの)(さんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)は、初度(しよど)の戦(たたかひ)の
大将(たいしやう)也(なり)。誰(たれ)申(まうす)共(とも)叶(かなふ)まじ」との給(たま)ひつれば、「文覚(もんがく)が
心(こころ)をやぶつては、争(いかで)か冥加(みやうが)もおはすべき」な(ン)ど(など)、悪
口(あつこう)(あつかう)申(まうし)つれ共(ども)、猶(なほ)(なを)「叶(かなふ)まじ」とて、那須野(なすの)の狩(かり)に下(くだ)り
給(たま)ひし間(あひだ)(あいだ)、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)文覚(もんがく)も狩庭(かりば)の供(とも)して、やうやうに
P12493
申(まうし)てこい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】たり。いかに、遅(おそ)ふ(おそう)おぼしつらん」と
申(まう)されければ、北条(ほうでう)「廿日(はつか)と仰(おほせ)られ候(さうらひ)し御約束(おんやくそく)
の日(ひ)かずも過(すぎ)候(さうらひ)ぬ。鎌倉殿(かまくらどの)の御(おん)ゆるされ【許され】なきよ
と存(ぞん)じて、具(ぐ)し奉(たてまつり)て下(くだ)る程(ほど)に、かしこうぞ。爰(ここ)
にてあやまち仕(つかまつ)るらむに」とて、鞍(くら)をい(おい)【置い】てひか【引か】せたる
馬共(むまども)に、斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)をのせ【乗せ】てのぼせらる。「我(わが)
身(み)も遥(はるか)に打(うち)送(おく)(をく)り奉(たてまつり)て、しばらく御供(おんとも)申(まうし)たう
候(さうら)へ共(ども)、鎌倉殿(かまくらどの)にさして申(まうす)べき大事共(だいじども)候(さうらふ)。暇(いとま)申(まうし)
P12494
て」とてうちわかれてぞ下(くだ)られける。誠(まこと)に情(なさけ)ふ
かかりけり。聖(ひじり)若公(わかぎみ)【若君】を請(うけ)とり奉(たてまつり)て、夜(よ)を日(ひ)に
ついで馳(はせ)のぼる程(ほど)に、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)熱田(あつた)の辺(へん)にて、
今年(ことし)も既(すで)に暮(くれ)ぬ。明(あく)る正月(しやうぐわつ)五日(いつか)の夜(よ)に入(いり)て、
都(みやこ)へのぼりつく。二条(にでう)猪熊(ゐのくま)なる所(ところ)に文覚房(もんがくばう)の
宿所(しゆくしよ)あり【有り】ければ、それに入(いれ)奉(たてまつり)て、しばらくやすめ奉(たてまつ)り、
夜半(やはん)ばP2407かり大覚寺(だいかくじ)へぞおはしける。門(かど)をたたけ共(ども)
人(ひと)なければ音(おと)(をと)もせず。築地(ついぢ)のくづれより若公(わかぎみ)【若君】の
P12495
かひ【飼ひ】給(たま)ひけるしろい【白い】ゑのこ【犬子】のはしり【走り】出(いで)て、尾(を)(お)
をふ(ッ)てむかひ【向ひ】けるに、「母(はは)うへはいづくにまします
ぞ」ととは【問は】れけるこそせめての事(こと)なれ。斎藤六(さいとうろく)、築
地(ついぢ)をこえ、門(かど)をあけていれ【入れ】奉(たてまつ)る。ちかう【近う】人(ひと)の住(すみ)
たる所(ところ)とも見(み)えず。「いかにもしてかひなき命(いのち)を
いか【生か】ばやと思(おも)ひしも、恋(こひ)しき人々(ひとびと)を今(いま)一度(いちど)見(み)ばや
とおもふ【思ふ】ため也(なり)。こはされば何(なに)となり給(たま)ひけるぞや」とて、
夜(よ)もすがら泣(なき)かなしみ給(たま)ふぞまこと【誠】にことはり(ことわり)【理】と
P12496
覚(おぼえ)て哀(あはれ)なる。夜(よ)を待(まち)あかして近里(ちかきさと)の者(もの)に尋(たづね)
給(たま)へば、「年(とし)のうちに大仏(だいぶつ)まいり(まゐり)【参り】とこそうけ給(たまはり)【承り】候(さうらひ)しか。
正月(しやうぐわつ)の程(ほど)は長谷寺(はせでら)に御(おん)こもりと聞(きこ)え候(さうらひ)しが、其(その)
後(のち)は御宿所(おんしゆくしよ)へ人(ひと)の通(かよ)ふとも見(みえ)候(さうら)はず」と申(まうし)ければ、
斎藤五(さいとうご)いそぎ馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て尋(たづね)あひ奉(たてまつ)り、此(この)よし
申(まうし)ければ、母(はは)うへ【上】・めのとの女房(にようばう)つやつやうつつともおぼえ
給(たま)はず、「是(これ)はされば夢(ゆめ)かや。夢(ゆめ)か」とぞの給(たま)ひける。
いそぎ大覚寺(だいかくじ)へ出(いで)させ給(たま)ひ、若公(わかぎみ)【若君】を御覧(ごらん)じ
P12497
てうれしさにも、ただ先立(さきだつ)ものは涙(なみだ)なり。「早々(はやはや)
出家(しゆつけ)し給(たま)へ」と仰(おほせ)られけれども、聖(ひじり)おしみ(をしみ)【惜しみ】奉(たてまつ)て
出家(しゆつけ)もせさせ奉(たてまつ)らず。やがてむかへ【向へ】と(ッ)て高雄(たかを)(たかお)
に置(おき)(をき)奉(たてまつ)り、北(きた)の方(かた)のかすか【幽】なる御有様(おんありさま)をもとぶ
らひ【訪ひ】けるとこそ聞(きこ)えし。観音(くわんおん)(くわんをん)の大慈(だいじ)大悲(だいひ)は、
つみ【罪】あるもつみなきをもたすけ【助け】給(たま)へば、昔(むかし)もかかる
ためし【例】多(おほ)しといへども、ありがたかりし事共(ことども)
なり。P2408さる程(ほど)に、北条(ほうでうの)四郎(しらう)六代(ろくだい)御前(ごぜん)具(ぐ)し奉(たてまつ)て
P12498
下(くだ)りけるに、鎌倉殿(かまくらどの)御使(おんつかひ)(おつかひ)鏡(かがみ)の宿(しゆく)にて行逢(ゆきあひ)
たり。「いかに」ととへば、「十郎(じふらう)(ぢうらう)蔵人殿(くらんどどの)、信太(しだの)三郎(さぶらう)先生
殿(せんじやうどの)、九郎(くらう)判官殿(はうぐわんどの)に同心(どうしん)のよし聞(きこ)え候(さうらふ)。討(うち)奉(たてまつ)れとの
御気色(ごきしよく)で候(さうらふ)」と申(まうす)。北条(ほうでう)「我(わが)身(み)は大事(だいじ)のめしうど【召人】
具(ぐ)したれば」とて、甥(をひ)(おい)の北条(ほうでうの)平六(へいろく)時貞(ときさだ)が送(おく)(をく)りに
下(くだ)りけるを、おいそ【老蘇】の森(もり)より「とう【疾う】わとの【和殿】は帰(かへ)(ッ)て
此(この)人々(ひとびと)〔の〕おはし所(どころ)聞出(ききいだ)して討(うつ)てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」とて
とどめ【留め】らる。平六(へいろく)都(みやこ)に帰(かへ)(ッ)て尋(たづぬ)る程(ほど)に、十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)の
P12499
在所(ありどころ)知(しり)たりといふ寺(てら)法師(ほふし)(ほうし)いできたり。彼(かの)僧(そう)に
尋(たづぬ)れば、「我(われ)はくはしう【詳しう】はしら【知ら】ず。しり【知り】たりといふ僧(そう)
こそあれ」といひければ、おし【押し】よせ【寄せ】てかの僧(そう)をからめ
とる。「是(これ)はなんのゆへ(ゆゑ)【故】にからむるぞ」。「十郎(じふらう)(じうらう)蔵人殿(くらんどどの)の
在所(ざいしよ)し(ッ)【知つ】た(ン)なればからむる也(なり)」。「さらば「おしへよ(をしへよ)【教へよ】」とこそ
いはめ。さう(左右)なうからむる事(こと)はいかに。天王寺(てんわうじ)にと
こそきけ【聞け】」。「さらばじんじよせよ」とて、平六(へいろく)が聟(むこ)の
笠原(かさはら)の十郎(じふらう)(じうらう)国久(くにひさ)、殖原(うゑはら)(うへはら)の九郎(くらう)、桑原(くはばらの)(くわばらの)次郎(じらう)、服部(はつとり)
P12500
の平六(へいろく)をさきとして其(その)勢(せい)卅(さんじふ)余騎(よき)、天王寺(てんわうじ)へ
発向(はつかう)す。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)の宿(しゆく)は二所(ふたところ)あり。谷(たに)の学頭(がくとう)伶
人(れいじん)兼春(かねはる)、秦六(しんろく)秦七(しんしち)と云(いふ)者(もの)のもとなり。ふた手(て)に
つく(ッ)て押(おし)(をし)よせたり。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)は兼春(かねはる)がもとに
おはし【在し】けるが、物具(もののぐ)したるもの共(ども)の打入(うちいる)を見(み)て、
うしろより落(おち)にけり。学頭(がくとう)がむすめ二人(ににん)あり。とも
に蔵人(くらんど)のおもひもの【思者】なり。是等(これら)をとらへて蔵人(くらんど)の
ゆくゑ(ゆくへ)【行方】を尋(たづぬ)れば、姉(あね)は「妹(いもうと)(いまうと)にとへ」といふ、妹(いもうと)(いまうと)は「姉(あね)にとへ」P2409と
P12501
いふ。俄(にはか)に落(おち)ぬる事(こと)なれば、たれにもよもしら【知ら】せじ
なれども、具(ぐ)して京(きやう)へぞのぼりける。蔵人(くらんど)は熊野(くまの)
の方(かた)へ落(おち)けるが、只(ただ)一人(いちにん)ついたりける侍(さぶらひ)、足(あし)をやみ
ければ、和泉国(いづみのくに)八木郷(やぎのがう)といふ所(ところ)に逗留(とうりう)してこそ
ゐたりけれ。彼(かの)家主(いへぬし)の男(をとこ)(おとこ)、蔵人(くらんど)を見(み)し(ッ)【知つ】て夜(よ)も
すがら京(きやう)へ馳(はせ)のぼり、北条(ほうでう)平六(へいろく)につげたりければ、
「天王寺(てんわうじ)の手(て)の者(もの)はいまだのぼらず。誰(たれ)をかやるべき」
とて、大源次(おほげんじ)宗春(むねはる)といふ郎等(らうどう)をよう【呼う】で、「汝(なんぢ)が宮(みや)たて
P12502
たりし山僧(さんぞう)はいまだあるか」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。「さらばよべ」とてよばれ
ければ、件(くだんの)法師(ほふし)(ほうし)いできたり。「十郎(じふらう)蔵人(くらんど)のおはします、
討(うつ)て鎌倉殿(かまくらどの)にまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」。「さうけ
給(たまはり)【承り】候(さうらひ)ぬ。人(ひと)をたび候(さうら)へ」と申(まうす)。「やがて大源次(おほげんじ)くだれ、人(ひと)も
なきに」とて、舎人(とねり)雑色(ざふしき)(ざうしき)人数(にんじゆ)わづかに十四五人(じふしごにん)
相(あひ)そへてつかはす【遣す】。常陸房(ひたちばう)正明(しやうめい)といふものなり。
和泉国(いづみのくに)に下(くだり)つき、彼(かの)家(いへ)にはしり【走り】入(いり)て見(み)れ共(ども)
なし。板(いた)じきうちやぶ(ッ)【破つ】てさがし、ぬりごめ【塗籠】の
P12503
うちを見(み)れどもなし。常陸房(ひたちばう)大路(おほち)にた(ッ)て
みれ【見れ】ば、百姓(ひやくしやう)の妻(つま)とおぼしくて、おとなしき女(をんな)(をうな)の
とをり(とほり)【通り】けるをとらへて、「此(この)辺(へん)にあやしばうだる
旅人(たびびと)のとどま(ッ)【留まつ】たる所(ところ)やある。いはずはき(ッ)て捨(すて)む」と
いへば、「ただいまさがさ【探さ】れさぶらふ(さぶらう)つる家(いへ)にこそ、
夜部(よべ)までよに尋常(じんじやう)なる旅人(たびびと)の二人(ににん)とどま(ッ)【留まつ】て
さぶらひつるが、けさな(ン)ど(など)いで【出で】てさぶらふ【候ふ】やらむ。
あれに見(み)えさP2410ぶらふおほや【大屋】にこそいまは
P12504
さぶらふ【候ふ】なれ」といひければ、常陸房(ひたちばう)黒革威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の
腹巻(はらまき)の袖(そで)つけたるに、大(おほ)だち【太刀】はいて彼(かの)家(いへ)に
走入(はしりいり)てみれ【見れ】ば、歳(とし)五十(ごじふ)ばかりなる男(をのこ)(おのこ)の、かち【褐】の直
垂(ひたたれ)におり烏帽子(ゑぼし)(をりゑぼし)【折烏帽子】き【着】て、唐瓶子(からへいじ)菓子(くわし)な(ン)ど(など)とり
さばくり、銚子(てうし)どもも(ッ)て酒(さけ)すすめむとする処(ところ)に、
物具(もののぐ)したる法師(ほふし)(ほうし)のうち入(いる)をみて、かいふいてにげ
ければ、やがてつづいてお(ッ)【追つ】かけたり。蔵人(くらんど)「あの僧(そう)。
や、それはあらぬぞ。行家(ゆきいへ)はここにあり」との給(たま)へば、
P12505
はしり【走り】帰(かへ)(ッ)て見(み)るに、白(しろ)い小袖(こそで)に大口(おほくち)ばかりきて、
左(ひだり)の手(て)には金作(こがねづくり)の小太刀(こだち)をもち、右(みぎ)の手(て)には
野太刀(のだち)のおほき【大き】なるをもた【持た】れたり。常陸房(ひたちばう)「太
刀(たち)なげさせ給(たま)へ」と申(まう)せば、蔵人(くらんど)大(おほき)にわらは【笑は】れけり。
常陸房(ひたちばう)走(はしり)よ(ッ)【寄つ】てむずときる。ちやうどあはせて
おどり(をどり)【躍り】のく。又(また)よ(ッ)【寄つ】てきる。ちやうどあはせておどり(をどり)【躍り】
のく。よりあひよりのき一時(ひととき)ばかりぞたたかふ(たたかう)【戦う】たる。
蔵人(くらんど)うしろなるぬりごめの内(うち)へしざりいら【入ら】むと
P12506
し給(たま)へば、常陸房(ひたちばう)「まさなう候(さうらふ)。ないら【入ら】せ給(たま)ひ候(さうらひ)そ」と
申(まう)せば、「行家(ゆきいへ)もさこそおもへ【思へ】」とて又(また)おどり(をどり)【躍り】出(いで)て
たたかふ【戦ふ】。常陸房(ひたちばう)太刀(たち)を捨(すて)てむずとくむ(くん)【組ん】でどう
どふす【臥す】。うへ【上】になり下(した)になり、ころびあふ処(ところ)に、大源
次(おほげんじ)つ(ッ)といできたり。あまりにあはて(あわて)【慌て】てはいたる太刀(たち)
をばぬかず、石(いし)をにぎ(ッ)て蔵人(くらんど)のひたい(ひたひ)をはたと
う(ッ)て打(うち)わる。蔵人(くらんど)大(おほき)にわら(ッ)【笑つ】て、「をのれ(おのれ)【己】は下臈(げらふ)(げらう)なれば、
太刀(たち)長刀(なぎなた)でこそ敵(かたき)をばうて、つぶてにて敵(かたき)うつ
P12507
様(やう)やある」。P2411常陸房(ひたちばう)「足(あし)をゆへ」とぞ下知(げぢ)しける。
常陸房(ひたちばう)は敵(かたき)が足(あし)をゆへとこそ申(まうし)けるに、あまりに
あはて(あわて)【慌て】て四(よつ)の足(あし)をぞゆう【結う】たりける。其(その)後(のち)蔵人(くらんど)の
頸(くび)に縄(なは)をかけてからめ、ひき【引き】おこし【起し】ておしすへ(すゑ)【据ゑ】
たり。「水(みづ)まいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」との給(たま)へば、ほしい(ほしひ)【干飯】をあらふ(あらう)【洗う】てまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】たり。水(みづ)をばめし【召し】て糒(ほしひ)(ほしいひ)をばめさず。さしをき(おき)
給(たま)へば、常陸房(ひたちばう)と(ッ)てくうて(ン)げり。「わ僧(そう)は山法師(やまぼふし)(やまほうし)か」。「山
法師(やまぼふし)(やまほうし)で候(さうらふ)」。「誰(たれ)といふぞ」。「西塔(さいたふの)(さいとうの)北谷(きただに)法師(ぼふし)(ぼうし)常陸房(ひたちばう)正
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明(しやうめい)と申(まうす)者(もの)で候(さうらふ)」。「さては行家(ゆきいへ)につかは【使は】れんといひし
僧(そう)か」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。「頼朝(よりとも)が使(つかひ)か、平六(へいろく)が使(つかひ)か」。「鎌倉殿(かまくらどの)の御使(おんつかひ)(おつかひ)候(ざうらふ)。
誠(まこと)に鎌倉殿(かまくらどの)をば討(うち)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むとおぼしめし【思し召し】候(さうらひ)しか」。「是(これ)
程(ほど)の身(み)にな(ッ)て後(のち)おもは【思は】ざりしといはばいかに。おもひ【思ひ】
しといはばいかに。手(て)なみの程(ほど)はいかがおもひ【思ひ】つる」と
の給(たま)へば、「山上(さんじやう)にておほく【多く】の事(こと)にあふ(あう)【逢う】て候(さうらふ)に、いまだ
是(これ)ほど手(て)ごはき事(こと)にあひ候(さうら)はず。よき敵(かたき)三人(さんにん)に
逢(あひ)たる心地(ここち)こそし候(さうらひ)つれ」と申(まうす)。「さて正明(しやうめい)をばいかが
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思食(おぼしめ)され候(さうらひ)つる」と申(まう)せば、「それはとられなんうへは」とぞ
の給(たま)ひける。「その太刀(たち)とりよせよ」とて見(み)給(たま)へば、蔵
人(くらんど)の太刀(たち)は一所(いつしよ)もきれず、常陸房(ひたちばう)が太刀(たち)は四十二
所(しじふにところ)きれたりけり。やがて伝馬(てんま)たてさせ、のせ【乗せ】奉(たてまつり)ての
ぼる程(ほど)に、其(その)夜(よ)は江口(えぐち)の長者(ちやうじや)がもとにとどま(ッ)【留まつ】て、
夜(よ)もすがら使(つかひ)をはしらかす【走らかす】。明(あく)る日(ひ)の午刻(むまのこく)斗(ばかり)、
北条(ほうでう)平六(へいろく)其(その)勢(せい)百騎(ひやくき)ばかり旗(はた)ささせて下(くだ)る程(ほど)に、
淀(よど)のあかゐ河原(がはら)【赤井河原】でゆき逢(あう)(あふ)たり。「都(みやこ)へP2412はいれ【入れ】奉(たてまつ)る
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べからずといふ院宣(ゐんぜん)で候(さうらふ)。鎌倉殿(かまくらどの)の御気色(ごきしよく)も
其(その)儀(ぎ)でこそ候(さうら)へ。はやはや御頸(おんくび)を給(たま)は(ッ)て、鎌倉殿(かまくらどの)の
見参(げんざん)にいれ【入れ】て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」といへば、さらばとて
あかゐ河原(がはら)【赤井河原】で十郎(じふらう)(じうらう)蔵人(くらんど)の頸(くび)をきる。信太(しだの)三郎(さぶらう)
先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)は醍醐(だいご)の山(やま)にこもりたるよしき
こえ【聞え】しかば、おしよせてさがせどもなし。伊賀(いが)の
方(かた)へ落(おち)ぬと聞(きこ)えしかば、服部(はつとり)平六(へいろく)先(さき)として、伊賀
国(いがのくに)へ発向(はつかう)す。千度(せんど)の山寺(やまでら)にありと聞(きこ)えし間(あひだ)(あいだ)、おし
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よせてからめむとするに、あはせの小袖(こそで)に大口(おほくち)
ばかりきて、金(こがね)にてうちくくんだる腰(こし)の刀(かたな)にて腹(はら)
かききつ[* 「きん」と有るのを高野本により訂正]てぞふしたりける。頸(くび)をば服部(はつとり)平六(へいろく)と(ッ)て(ン)
げり。やがてもたせて京(きやう)へのぼり、北条(ほうでう)平六(へいろく)に見(み)せ
たりければ、「軈(やが)てもたせて下(くだ)り、鎌倉殿(かまくらどの)の見参(げんざん)に
入(いれ)て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」といひければ、常陸房(ひたちばう)・服部(はつとり)
平六(へいろく)、おのおの頸共(くびども)もたせて鎌倉(かまくら)へくだり、見参(げんざん)に
いれ【入れ】たりければ、「神妙(しんべう)也(なり)」とて、常陸房(ひたちばう)は笠井(かさゐ)へ
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ながさる。「下(くだ)りはてば勧賞(けんじやう)蒙(かうぶ)らむとこそおもひ【思ひ】
つるに、さこそなからめ、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)流罪(るざい)に処(しよ)せらるる
条(でう)存外(ぞんのほか)の次第(しだい)なり。かかるべしとしり【知り】たりせば、
なにしか身命(しんみやう)を捨(すて)けん」と後悔(こうくわい)すれ共(ども)かひぞ
なき。されども中二年(なかにねん)といふにめし【召し】かへさ【返さ】れ、「大将
軍(たいしやうぐん)討(うち)たるものは冥加(みやうが)のなければ一旦(いつたん)いましめ
つるぞ」とて、但馬国(たじまのくに)に多田庄(ただのしやう)、摂津国(つのくに)に葉室(はむろ)
二ケ所(にかしよ)給(たま)は(ッ)て帰(かへ)り上(のぼ)る。服部(はつとり)平六(へいろく)平家(へいけ)の祗候人(しこうにん)
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たりしかば、没官(もつくわん)せられたりけP2413る服部(はつとり)返(かへ)し給(たま)
は(ッ)て(ン)げり。六代被斬(ろくだいきられ)S1209さる程(ほど)に、六代(ろくだい)御前(ごぜん)はやうやう十四五(じふしご)にもなり
給(たま)へば、みめかたちいよいようつくしく、あたりもてり
かかやく【輝く】ばかりなり。母(はは)うへ是(これ)を御覧(ごらん)じて、「あはれ
世(よ)の世(よ)にてあらましかば、当時(たうじ)は近衛司(こんゑづかさ)(このゑづかさ)にてあらん
ずるものを」との給(たま)ひけるこそあまりの事(こと)なれ。鎌
倉殿(かまくらどの)常(つね)はおぼつかなげにおぼして、高雄(たかを)(たかお)の聖(ひじり)の
もとへ便宜(びんぎ)ごとに、「さても維盛卿(これもりのきやう)の子息(しそく)は何(なに)と
P12514
候(さうらふ)やらむ。昔(むかし)頼朝(よりとも)を相(さう)し給(たま)ひしやうに、朝(てう)の
怨敵(をんでき)をもほろぼし、会稽(くわいけい)の恥(はぢ)をも雪(きよ)むべき
ものにて候(さうらふ)か」と尋(たづね)申(まう)されければ、聖(ひじり)の御返事(おんぺんじ)
には、「是(これ)は底(そこ)もなき不覚仁(ふかくじん)にて候(さうらふ)ぞ。御心(おんこころ)やすう
おぼしめし【思し召し】候(さうら)へ」と申(まう)されけれ共(ども)、鎌倉殿(かまくらどの)猶(なほ)(なを)も
御心(おんこころ)ゆかずげにて、「謀反(むほん)おこさばやがてかたうどせう
ずる聖(ひじり)の御房(ごばう)(ご(ン)ばう)也(なり)。但(ただし)頼朝(よりとも)一期(いちご)の程(ほど)は誰(たれ)か傾(かたぶく)べき。
子孫(しそん)のすゑぞしら【知ら】ぬ」との給(たま)ひけるこそおそろし
P12515
けれ【恐ろしけれ】。母(はは)うへ是(これ)をきき給(たま)ひて、「いかにも叶(かなふ)まじ。はやはや
出家(しゆつけ)し給(たま)へ」と仰(おほせ)ければ、六代(ろくだい)御前(ごぜん)十六(じふろく)と申(まうし)し
文治(ぶんぢ)五年(ごねん)の春(はる)の比(ころ)、うつくしげP2414なる髪(かみ)をかた【肩】の
まはりにはさみ【鋏み】おろし、かきの衣(ころも)、袴(はかま)に笈(おひ)(をひ)な(ン)ど(など)こし
らへ、聖(ひじり)にいとまこう【乞う】て修行(しゆぎやう)にいでられけり。斎藤
五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)もおなじさまに出立(いでたち)て、御供(おんとも)申(まうし)けり。
まづ高野(かうや)へまいり(まゐり)【参り】、父(ちち)の善知識(ぜんぢしき)したりける滝
口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)に尋(たづね)あひ、御出家(ごしゆつけ)の次第(しだい)、臨終(りんじゆう)(りんじう)のあり様(さま)
P12516
くはしう【詳しう】きき給(たま)ひて、「かつはその御跡(おんあと)もゆかし」とて、
熊野(くまの)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)ひけり。浜(はま)の宮(みや)の御前(ごぜん)にて父(ちち)の
わたり給(たま)ひける山(やま)なり【山成】の島(しま)を見渡(みわた)して、渡(わた)らま
ほしくおぼしけれども、浪(なみ)かぜむかう【向う】てかなは【叶は】ねば、力(ちから)
をよば(およば)【及ば】でながめやり給(たま)ふにも、「我(わが)父(ちち)はいづくに沈(しづみ)給(たま)
ひけむ」と、沖(おき)よりよする【寄する】しら波(なみ)【白波】にもとは【問は】まほしく
ぞおもは【思は】れける。汀(みぎは)の砂(いさご)も父(ちち)の御骨(ごこつ)やらんとなつ
かしう【懐しう】おぼしければ、涙(なみだ)に袖(そで)はしほれ(しをれ)【萎れ】つつ、塩(しほ)くむ
P12517
あまの衣(ころも)ならねども、かはく(かわく)【乾く】まなくぞ見(み)え給(たま)ふ。
渚(なぎさ)に一夜(ひとよ)とうりう【逗留】して、念仏(ねんぶつ)申(まうし)経(きやう)よみ、ゆび【指】
のさきにて砂(いさご)に仏(ほとけ)のかたちをかき【書き】あらはして、
あけ【明け】ければ貴(たつと)(た(ツ)と)き僧(そう)を請(しやう)じて、父(ちち)の御(おん)ためと供養(くやう)
じて、作善(さぜん)の功徳(くどく)さながら聖霊(しやうりやう)に廻向(ゑかう)して、亡者(まうじや)に
いとま申(まうし)つつ、泣々(なくなく)都(みやこ)へ上(のぼ)られけり。小松殿(こまつどの)の御子(おんこ)
丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)は、八島(やしま)のいくさ【軍】より落(おち)てゆくゑ(ゆくへ)【行方】も
しら【知ら】ずおはせしが、紀伊国(きいのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)湯浅(ゆあさの)権守(ごんのかみ)宗
P12518
重(むねしげ)をたのん【頼ん】で、湯浅(ゆあさ)の城(じやう)にぞこもられける。是(これ)を
きい【聞い】て平家(へいけ)に心(こころ)ざしおもひ【思ひ】ける越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)・
上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)(ごらうびやうへ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)(しつびやうへ)・飛P2415弾【*飛騨】(ひだの)四郎兵衛(しらうびやうゑ)(しらうびやうへ)以下(いげ)の
兵共(つはものども)、つき奉(たてまつ)るよし聞(きこ)えしかば、伊賀(いが)伊勢(いせ)両国(りやうごく)の
住人等(ぢゆうにんら)(ぢうにんら)、われもわれもと馳集(はせあつま)る。究竟(くつきやう)の者共(ものども)〔数(す)〕百騎(ひやくき)(ひやつき)
たてこもるよし聞(きこ)えしかば、熊野(くまのの)別当(べつたう)、鎌倉殿(かまくらどの)
より仰(おほせ)を蒙(かうぶり)て、両三月(りやうさんぐわつ)が間(あひだ)(あいだ)八ケ度(はちかど)よせて攻戦(せめたたかふ)。城(じやう)
の内(うち)の兵(つはもの)ども、命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ずふせき【防き】ければ、毎度(まいど)に
P12519
みかた【御方】おい(おひ)【追ひ】ちらさ【散らさ】れ、熊野(くまの)法師(ぼふし)(ぼうし)数(かず)をつくひ(つくい)【尽くい】てう
たれにけり。熊野(くまのの)別当(べつたう)、鎌倉殿(かまくらどの)へ飛脚(ひきやく)を奉(たてまつ)て、
「当国(たうごく)湯浅(ゆあさ)の合戦(かつせん)の事(こと)、両三月(りやうさんぐわつ)が間(あひだ)(あいだ)に八ケ度(はちかど)よ
せて攻戦(せめたたかふ)。され共(ども)城(じやう)の内(うち)の兵(つはもの)ども命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ず
ふせく【防く】間(あひだ)(あいだ)、毎度(まいど)に御方(みかた)おい(おひ)おとさ【落さ】れて、敵(かたき)を寃(しえたぐる)に
及(およば)(をよば)ず。近国(きんごく)二三ケ国(にさんがこく)をも給(たま)は(ッ)て攻(せめ)おとす【落す】べき」よし
申(まうし)たりければ、鎌倉殿(かまくらどの)「其(その)条(でう)、国(くに)の費[* 「貴」と有るのを高野本により訂正](つひえ)人(ひと)の煩(わづらひ)なる
べし。たてごもる所(ところ)の凶徒(きようど)(けうど)は定(さだめ)て海山(うみやま)の盜人(ぬすびと)にてぞ
P12520
あるらん。山賊(さんぞく)海賊(かいぞく)きびしう守護(しゆご)して城(じやう)の口(くち)を
かためてまぼるべし」とぞの給(たま)ひける。其(その)定(ぢやう)に
したりければ、げにも後(のち)には人(ひと)一人(いちにん)もなかりけり。鎌
倉殿(かまくらどの)はかりこと【策】に、「小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)の、一人(いちにん)も二人(ににん)も
いきのこり給(たま)ひたらむをば、たすけ【助け】奉(たてまつ)るべし。其(その)
ゆへ(ゆゑ)【故】は、池(いけ)の禅尼(ぜんに)の使[* 「便」と有るのを他本により訂正](つかひ)として、頼朝(よりとも)を流罪(るざい)に申(まうし)なだ
め【宥め】られしは、ひとへに彼(かの)内府(だいふ)の芳恩(はうおん)(はうをん)なり」との給(たま)ひ
ければ、丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)六波羅(ろくはら)へ出(いで)てなのら【名乗ら】れけり。やがて
P12521
関東(くわんとう)へ下(くだ)し奉(たてまつ)る。鎌倉殿(かまくらどの)対面(たいめん)して「都(みやこ)へ御上(おんのぼり)
候(さうら)へ。かたほとりにおもひ【思ひ】あて【当て】まいらする(まゐらする)【参らする】事(こと)候(さうらふ)」とて、
すかし上(のぼ)せ奉(たてまつ)り、お(ッ)さま【追つ様】に人(ひと)をのぼせ【上せ】て勢
田(せた)の橋(はし)の辺(へん)にて切(きつ)て(ン)げり。P2416小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)六人(ろくにん)
の外(ほか)に、土佐守(とさのかみ)宗実(むねざね)とておはしけり。三歳(さんざい)より大炊
御門(おほいのみかど)(おほいみかど)の左大臣(さだいじん)経宗卿(つねむねのきやう)の養子(やうじ)にして、異姓(いしやう)他人(たにん)
になり、武芸(ぶげい)の道(みち)をばうち捨(すて)て、文筆(ぶんひつ)をのみたし
な(ン)で、今年(ことし)は十八(じふはち)になり給(たま)ふを、鎌倉殿(かまくらどの)より
P12522
尋(たづね)はなかりけれ共(ども)世(よ)に憚(はばか)(ッ)ておい(おひ)出(いだ)されたりければ、
先途(せんど)をうしなひ【失ひ】、大仏(だいぶつ)の聖(ひじり)俊乗房(しゆんじようばう)(しゆんぜうばう)のもとに
おはして、「我(われ)は是(これ)小松(こまつ)の内府(だいふ)の末(すゑ)の子(こ)に、土佐守(とさのかみ)
宗実(むねざね)と申(まうす)者(もの)にて候(さうらふ)。三歳(さんざい)より大炊御門(おほいのみかどの)左大臣(さだいじん)
経宗公(つねむねこう)養子(やうじ)にして、異姓(いしやう)他人(たにん)になり、武芸(ぶげい)のみち
を打捨(うちすて)て、文筆(ぶんひつ)をのみたしなんで、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)に
罷成(まかりなる)。鎌倉殿(かまくらどの)より尋(たづね)らるる事(こと)は候(さうら)はね共(ども)、世(よ)におそれ【恐れ】
ておい(おひ)出(いだ)されて候(さうらふ)。聖(ひじり)の御房(ごばう)(ごんぼう)御弟子(おんでし)にせさせ給(たま)へ」
P12523
とて、もとどりおしきり給(たまひ)ぬ。「それもなを(なほ)【猶】おそ
ろしう【恐ろしう】おぼしめさ【思し召さ】ば、鎌倉(かまくら)へ申(まうし)て、げにもつみ【罪】ふかかる
べくはいづくへもつかはせ【遣せ】」との給(たま)ひければ、聖(ひじり)いとお
しく(いとほしく)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)て、出家(しゆつけ)せさせ奉(たてまつ)り、東大寺(とうだいじ)の油
倉(ゆくら)といふ所(ところ)にしばらくをき(おき)奉(たてまつ)て、関東(くわんとう)へ此(この)よし
申(まう)されけり。「何(なに)さまにも見参(げんざん)してこそともかうも
はからはめ。まづ下(くだ)し奉(たてまつ)れ」との給(たま)ひければ、聖(ひじり)力(ちから)をよ
ば(およば)【及ば】で関東(くわんとう)へ下(くだ)し奉(たてまつ)る。此(この)人(ひと)奈良(なら)を立(たち)給(たま)ひし日(ひ)より
P12524
して、飲食(いんしよく)(ゐんしよく)の名字(みやうじ)をた(ッ)て、湯水(ゆみづ)をものどへいれ【入れ】ず。
足柄(あしがら)こえて関本(せきもと)と云(いふ)所(ところ)にてつゐに(つひに)【遂に】うせ給(たま)ひぬ。
「いかにも叶(かなふ)まじき道(みち)なれば」とておもひ【思ひ】きら【切ら】れける
こそおそろしけれ【恐ろしけれ】。P2417さる程(ほど)に、建久(けんきう)元年(ぐわんねん)十一月(じふいちぐわつ)七日(なぬかのひ)
鎌倉殿(かまくらどの)上洛(しやうらく)して、同(おなじき)九日(ここのかのひ)、正二位(じやうにゐ)大納言(だいなごん)になり給(たま)ふ。
同(おなじき)十一日(じふいちにち)、大納言(だいなごん)右大将(うだいしやう)を兼(けん)じ給(たま)へり。やがて両職(りやうしよく)
を辞(じし)て、十二月(じふにぐわつ)四日(よつかのひ)関東(くわんとう)へ下向(げかう)。建久(けんきう)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)十
三日(じふさんにち)、法皇(ほふわう)(ほうわう)崩御(ほうぎよ)なりにけり。御歳(おんとし)六十六(ろくじふろく)、偸伽【*瑜伽】(ゆが)振鈴(しんれい)
P12525
の響[* 「闇」と有るのを他本により訂正](ひびき)は其(その)夜(よ)をかぎり、一乗(いちじよう)(いちぜう)案誦(あんじゆ)の御声(みこゑ)は其(その)暁(あかつき)に
おはり(をはり)ぬ。同(おなじき)六年(ろくねん)三月(さんぐわつ)十三日(じふさんにち)、大仏供養(だいぶつくやう)あるべしとて、
二月中(にぐわつちゆう)(にんぐわつぢう)に鎌倉殿(かまくらどの)又(また)御上洛(ごしやうらく)あり。同(おなじき)十二日(じふににち)、大仏殿(だいぶつでん)へ
まいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひたりけるが、梶原(かぢはら)を召(めし)て、「て(ン)がい【碾磑】の門(もん)の南(みなみ)の
かたに大衆(だいしゆ)なん十人(じふにん)をへだてて、あやしばうだる
ものの見(み)えつる。めし【召し】と(ッ)てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」との給(たま)ひけ
れば、梶原(かぢはら)承(うけたま)は(ッ)てやがて具(ぐ)してまいり(まゐり)【参り】たり。ひげをば
そ(ッ)てもとどりをばきらぬ男(をのこ)(おのこ)也(なり)。「何者(なにもの)ぞ」ととひ
P12526
給(たま)へば、「是(これ)程(ほど)運命(うんめい)尽(つき)はて候(さうらひ)ぬるうへは、とかう申(まうす)に
をよば(およば)【及ば】ず。是(これ)は平家(へいけ)の侍(さぶらひ)薩摩(さつまの)中務(なかつかさ)家資(いへすけ)と申(まうす)
ものにて候(さうらふ)」。「それは何(なに)とおもひ【思ひ】てかくはなりたるぞ」。
「もしやとねらひ申(まうし)候(さうらひ)つるなり」。「心(こころ)ざしの程(ほど)はゆゆし
かり」とて、供養(くやう)はて【果て】て都(みやこ)へいら【入ら】せ給(たま)ひて、六条河原(ろくでうかはら)
にてきら【斬ら】れにけり。平家(へいけ)の子孫(しそん)は去(さんぬる)文治(ぶんぢ)元年(ぐわんねん)の冬(ふゆ)
の比(ころ)、ひとつ【一つ】子(ご)ふたつ【二つ】子(ご)をのこさず、腹(はら)の内(うち)をあけ
て見(み)ずといふばかりに尋(たづね)と(ッ)て失(うしな)て(ン)ぎ。今(いま)は一人(いちにん)も
P12527
あらじとおもひ【思ひ】しP2418に、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)の末(すゑ)の子(こ)に、伊賀(いがの)
大夫(たいふ)(たゆふ)知忠(ともただ)とておはしき。平家(へいけ)都(みやこ)を落(おち)しとき、
三歳(さんざい)にてすて【捨て】をか(おか)【置か】れたりしを、めのとの紀伊(きいの)次郎
兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)為教(ためのり)やしない(やしなひ)【養ひ】奉(たてまつ)て、ここかしこにかくれあり
き【歩き】けるが、備後国(びんごのくに)太田(おほた)といふ所(ところ)にしのび【忍び】つつゐたり
けり。やうやう成人(せいじん)し給(たま)へば、郡郷(ぐんがう)の地頭(ぢとう)守護(しゆご)あや
しみける程(ほど)に、都(みやこ)へのぼり法性寺(ほつしやうじ)の一(いち)の橋(はし)なる所(ところ)に
しのん【忍ん】でおはしけり。爰(ここ)は祖父(そぶ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)「自然(しぜん)の
P12528
事(こと)のあらん時(とき)城郭(じやうくわく)にもせむ」とて堀(ほり)をふたへ【二重】に
ほ(ッ)て、四方(しはう)に竹(たけ)をうへ(うゑ)【植ゑ】られたり。さかも木(ぎ)【逆茂木】ひいて、昼(ひる)は
人音(ひとおと)(ひとをと)もせず、よるになれば尋常(じんじやう)なるともがらおほ
く【多く】集(あつま)(ッ)て、詩(し)作(つく)り歌(うた)よみ、管絃(くわんげん)な(ン)ど(など)して遊(あそび)ける
程(ほど)に、何(なに)としてかもれ【漏れ】聞(きこ)えたりけむ。その比(ころ)人(ひと)のおぢ
をそれ(おそれ)【恐れ】けるは、一条(いちでう)の二位(にゐの)入道(にふだう)(にうだう)義泰【*能保】(よしやす)といふ人(ひと)なり。その
侍(さぶらひ)に後藤兵衛(ごとうびやうゑ)(ごとうびやうへ)基清(もときよ)が子(こ)に、新兵衛(しんびやうゑ)基綱(もとつな)「一(いち)の橋(はし)に
違勅(いちよく)の者(もの)あり」と聞出(ききいだ)して、建久(けんきう)七年(しちねん)十月(じふぐわつ)七日(なぬかのひ)の
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辰(たつ)の一点(いつてん)に、其(その)勢(せい)百四五十騎(ひやくしごじつき)、一(いち)の橋(はし)へはせ【馳せ】むかひ【向ひ】、
おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】で攻戦(せめたたかふ)。城(じやう)の内(うち)にも卅余人(さんじふよにん)あり【有り】ける
者共(ものども)、大肩[* 「眉」と有るのを他本により訂正](おほかた)ぬぎに肩[* 「眉」と有るのを他本により訂正](かた)ぬいで、竹(たけ)の影(かげ)よりさし
つめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】散々(さんざん)にい【射】れば、馬(むま)人(ひと)おほく【多く】射(い)(ゐ)ころ
さ【殺さ】れて、おもてをむかふ【向ふ】べき様(やう)もなし。さる程(ほど)に、一(いち)の
橋(はし)に違勅(いちよく)の者(もの)ありとききつたへ、在京(ざいきやう)の武士(ぶし)ども
われもわれもと馳(はせ)つどふ【集ふ】。程(ほど)なく一二千騎(いちにせんぎ)になりしかば、
近辺(きんべん)の小(こ)いゑ(いへ)をこぼちよせ、堀(ほり)をうめ、おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】
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で攻入(せめいり)けり。城(じやう)のうちの兵共(つはものども)、うち物(もの)ぬいて走出(はしりいで)P2419て、
或(あるいは)(あるは)討死(うちじ)にするものもあり、或(あるいは)(あるは)いたで【痛手】おうて自害(じがい)す
る者(もの)もあり。伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)知忠(ともただ)は生年(しやうねん)十六歳(じふろくさい)になられ
けるが、いた手(で)【痛手】負(おう)(をふ)て自害(じがい)し給(たま)ひたるを、めのとの紀
伊(きいの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)入道(にふだう)(にうだう)ひざの上(うへ)にかきのせ【乗せ】、涙(なみだ)をはらはらと
ながい【流い】て高声(かうしやう)に十念(じふねん)(じうねん)となへつつ、腹(はら)かき切(きつ)てぞ死(しに)に
ける。其(その)子(こ)の兵衛(ひやうゑ)(ひやうへ)太郎(たらう)・兵衛(ひやうゑ)(ひやうへ)次郎(じらう)ともに討死(うちじに)してん
げり。城(じやう)の内(うち)に卅(さんじふ)余人(よにん)あり【有り】ける者共(ものども)、大略(たいりやく)討死(うちじに)自
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害(じがい)して、館(たち)には火(ひ)をかけたりけるを、武士(ぶし)ども馳入(はせいり)て
手々(てんで)(て(ン)で)に討(うち)ける頸共(くびども)と(ッ)て、太刀(たち)長刀(なぎなた)のさきにつら
ぬき、二位(にゐの)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)へ馳(はせ)まいる(まゐる)【参る】。一条(いちでう)の大路(おほち)へ車(くるま)やり出(いだ)
して、頸(くび)ども実検(じつけん)せらる。紀伊(きいの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)入道(にふだう)(にうだう)の頸(くび)は
見(み)し(ッ)たるものも少々(せうせう)あり【有り】けり。伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)の頸(くび)、人(ひと)争(いかで)か
みしり奉(たてまつ)るべき。此(この)人(ひと)の母(はは)うへは治部卿局(ぢぶきやうのつぼね)とて、八条(はつでう)の
女院(にようゐん)に候(さうら)はれけるを、むかへよせ奉(たてまつ)り見(み)せ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。「三歳(さんざい)
と申(まうし)し時(とき)、故(こ)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)にぐせ【具せ】られて西国(さいこく)へ下(くだ)(ッ)し後(のち)は、
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いき【生き】たり共(とも)死(しし)たり共(とも)、そのゆくゑ(ゆくへ)【行方】をしら【知ら】ず。但(ただし)故(こ)
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)のおもひ【思ひ】いづる【出づる】ところどころ【所々】のあるは、さにこそ」
とてなか【泣か】れけるにこそ、伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)の頸(くび)共(とも)人(ひと)し(ッ)【知つ】て(ン)げれ。
平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)は但馬国(たじまのくに)へ落行(おちゆき)て
気比(けひの)四郎(しらう)道弘(だうこう)が聟(むこ)にな(ッ)てぞゐたりける。道弘(だうこう)、越
中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)とはしら【知ら】ざりけり。され共(ども)錐(きりの)袋(ふくろ)にた
まらぬ風情(ふぜい)にて、よるになればしうと【舅】が馬(むま)ひき【引き】いだ
い【出い】てはせ【馳せ】ひき【引き】したり、海(うみ)の底(そこ)十四P2420五町(じふしごちやう)、廿町(にじつちやう)くぐり
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な(ン)ど(など)しければ、地頭(ぢとう)守護(しゆご)あやしみける程(ほど)に、何(なに)としてか
もれ聞(きこ)えたりけん、鎌倉殿(かまくらどの)御教書(みげうしよ)を下(くだ)されけり。
「但馬国(たじまのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)朝倉(あさくらの)太郎(たらう)大夫(たいふ)(たゆふ)高清(たかきよ)、平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、当国(たうごく)に居住(きよぢゆう)(きよぢう)のよしきこしめす【聞し召す】。
めし【召し】進(まゐら)(まいら)せよ」と仰下(おほせくだ)さる。気比[B ノ](けひの)四郎(しらう)は朝倉[B ノ](あさくらの)大夫(たいふ)(たゆふ)が聟(むこ)
なりければ、よびよせて、いかがしてからめむずると儀(ぎ)
するに、「湯屋(ゆや)にてからむべし」とて、湯(ゆ)にいれ【入れ】て、した
たかなるもの五六人(ごろくにん)おろしあはせてからめむとするに、
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とりつけばなげたおさ(たふさ)【倒さ】れ、をき(おき)【起き】あがれ【上れ】ばけたおさ(たふさ)【倒さ】る。互(たがひ)(たがい)に
身(み)はぬれたり、とりもためず。され共(ども)衆力(しゆりき)に強力(がうりき)か
なは【叶は】ぬ事(こと)なれば、二三十人(にさんじふにん)ば(ッ)とよ(ッ)【寄つ】て、太刀(たち)のみね長刀(なぎなた)
のゑ(え)【柄】にてうちなやしてからめとり、やがて関東(くわんとう)へまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、御(おん)まへにひ(ッ)【引つ】すゑさせて、事(こと)の子細(しさい)を
めし【召し】とは【問は】る。「いかに汝(なんぢ)は同(おなじ)平家(へいけ)の侍(さぶらひ)といひながら、故親(こしん)
にてあんなるに、しな【死な】ざりけるぞ」。「それはあまりに平家(へいけ)
のもろくほろびてましまし候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、もしやとねらひ
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まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるなり。太刀(たち)のみ【身】のよきをも、征矢(そや)の
尻(しり)のかねよきをも、鎌倉殿(かまくらどの)の御(おん)ためとこそこしらへ
も(ッ)て候(さうらひ)つれ共(ども)、是(これ)程(ほど)に運命(うんめい)つきはて候(さうらひ)ぬるうへは、と
かう申(まうす)にをよび(および)【及び】候(さうら)はず」。「心(こころ)ざしの程(ほど)はゆゆしかり
けり。頼朝(よりとも)をたのま【頼ま】ばたすけ【助け】てつかは【使は】んは、いかに」。「勇士(ゆうじ)
二主(じしゆ)に仕(つか)へず、盛次【*盛嗣】(もりつぎ)程(ほど)の者(もの)に御心(おんこころ)ゆるしし給(たま)ひては、
かならず【必ず】御後悔(ごこうくわい)候(さうらふ)べし。ただ御恩(ごおん)(ごをん)にはとくとく頸(くび)P2421を
めされ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、「さらばきれ【斬れ】」とて、由井(ゆゐ)の浜(はま)に
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ひきいだひ(いだい)【出い】て、き(ッ)て(ン)げり。ほめぬものこそなかりけれ。
其(その)比(ころ)の主上(しゆしやう)は御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)をむねとせさせ給(たま)ひて、政道(せいたう)
は一向(いつかう)卿(きやう)の局(つぼね)のままなりければ、人(ひと)の愁(うれへ)なげきも
やまず。呉王(ごわう)剣角(けんかく)をこのんじかば天下(てんが)に疵(きず)を蒙(かうぶ)る
ものたえ【絶え】ず。楚王(そわう)細腰(さいえう)(さいよう)を愛(あいせ)(あひせ)しかば、宮中(きゆうちゆう)(きうちう)に飢(うゑ)(うへ)て
死(し)するをんなおほかり【多かり】き。上(かみ)の好(このみ)に下(しも)は随(したが)ふ間(あひだ)(あいだ)、世(よ)の
あやうき(あやふき)【危ふき】事(こと)をかなしんで、心(こころ)ある人々(ひとびと)は歎(なげき)あへ【合へ】り。ここ
に文覚(もんがく)もとよりおそろしき【恐ろしき】聖(ひじり)にて、いろう(いろふ)【綺ふ】ま
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じき事(こと)にいろい(いろひ)【綺ひ】けり。二(に)の宮(みや)は御学問(ごがくもん)おこたらせ
給(たま)はず、正理(しやうり)を先(さき)とせさせ給(たま)ひしかば、いかにもして
此(この)宮(みや)を位(くらゐ)に即(つけ)(ツケ)奉(たてまつ)らむとはからひけれども、前(さきの)右大
将(うだいしやう)頼朝卿(よりとものきやう)のおはせし程(ほど)にかなは【叶は】ざりけるが、建久(けんきう)十年(じふねん)
正月(しやうぐわつ)十三日(じふさんにち)、頼朝卿(よりとものきやう)うせ給(たま)ひしかば、やがて謀反(むほん)をおこ
さんとしける程(ほど)に、忽(たちまち)にもれ【漏れ】きこえ【聞え】て、二条猪熊(にでうゐのくま)の
宿所(しゆくしよ)に官人共(くわんにんども)つけられ、めし【召し】と(ッ)て八十(はちじふ)にあま(ッ)て後(のち)、
隠岐国(おきのくに)(をきのくに)へぞながされける。文覚(もんがく)京(きやう)を出(いづ)るとて、「是(これ)
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程(ほど)老(おい)の波(なみ)に望(のぞん)で、けふあすともしらぬ身(み)をたとひ
勅勘(ちよくかん)なりとも、都(みやこ)のかたほとりにはをき(おき)給(たま)はで、隠岐
国(おきのくに)(をきのくに)までながさるる及丁【*毬杖】(ぎつちやう)冠者(くわんじや)こそやすからね。つゐに(つひに)【遂に】は
文覚(もんがく)がながさるる国(くに)へむかへ【向へ】申(まう)さんずる物(もの)を」と申(まうし)
けるこそおそろしけれ【恐ろしけれ】。されば、承久(じようきう)(ぜうきう)に御謀反(ごむほん)おこ
させ給(たま)ひて、国(くに)こそおほけれ【多けれ】、隠岐国(おきのくに)(をきのくに)へうつされ
給(たま)ひけるこそふP2422しぎなれ。彼(かの)国(くに)にも文覚(もんがく)が亡霊(ばうれい)
あれ【荒れ】て、つねは御物語(おんものがたり)申(まうし)けるとぞ聞(きこ)えし。さる程(ほど)に
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六代(ろくだい)御前(ごぜん)は三位(さんみの)(さんゐの)禅師(ぜんじ)とて、高雄(たかを)(たかお)におこなひすまし【澄まし】て
おはしけるを、「さる人(ひと)の子(こ)なり、さる人(ひと)の弟子(でし)なり。
かしらをばそ(ッ)たりとも、心(こころ)をばよもそらじ」とて鎌倉
殿(かまくらどの)より頻(しきり)に申(まう)されければ、安(あん)判官(はんぐわん)資兼(すけかぬ)に仰(おほせ)て召(めし)
捕(と)(ッ)て関東(くわんとう)へぞ下(くだ)されける。駿河[* 「駿川」と有るのを高野本により訂正]国(するがのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)岡辺(をかべの)権守(ごんのかみ)
泰綱(やすつな)に仰(おほせ)て、田越河(たごしがは)にて切[B ラ](きら)れて(ン)げり。十二(じふに)の歳(とし)
より卅(さんじふ)にあまるまでたもち【保ち】けるは、ひとへに長谷(はせ)の
観音(くわんおん)(くわんをん)の御利生(ごりしやう)とぞ聞(きこ)えし。それよりしてこそ
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平家(へいけ)の子孫(しそん)はながくたえ【絶え】にけれ。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十二(だいじふに)
応安三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)廿九日(にじふくにち) 仏子有阿書



入力者:荒山慶一

校正者:菊池真一

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