平家物語(城方本・八坂系)巻第四
新院厳島御幸
ぢしよう四ねんしやうぐわつついたちのひとばどのにはぐわん三のおんあひだなりけれどもにふだうしやうごくもゆるされずほうわうもまたおほきにおそれさせおはしましければにふだうのけんゐにはばかつてさんにふするひともなくさくらまちのちうなごんしげのりおとうとさきやうのだいぶながのりこの二にんばかりぞおんゆるされをかうむつてはまゐられけるおなじき四かのひ六はらにはとうぐうのおんはかまぎならびにおんまなきこしめすなんどよにはかくめでたきことどもありしかどもほうわうはただとばどのにしておんみみのよそにぞきこしめされけるおなじき二ぐわつ十八にちにとうぐうおんとし三さいにてせんそありしゆじやうはことなるおんつつがもわたらせたまはざりしかどもおしおろしたてまつつていつしかひとしんゐんとぞまをしけるそのころのいうそくのひとびとのいつしかなるこんどのごじやうゐかなとのたまひあはれけるなかにもへいだいなごんときただのきやうばかりこそうちのおんめのとそつのすけのをつとたりしかばこのたびのごじやうゐいつしかなりとたれやのひとかまをさるべきゐこくにはしうのせいわう三さいしんのぼくてい二さいわがてうにはこんゑのゐん三さい六でうのゐん二さいこれみなきやうはうのなかにつつまれていたいをただしてせざりしかどもあるひはせつしやうおうてくらゐにつきあるひはぼこういだいててうにのぞむとみえたりごかんのくわうせうくわうていはうまれて百にちといへばせんそありせんしようわかんかくのごとしとまをされたりければひとびとあなおそろしものなまをされそさればそれはよきためしかはとぞかたぶきあはれけるとうぐうせんそありしかばにふだうしやうごくふうふともにじゆん三こうのせんじをかうぶりねんくわんねんしやくをたまはつてじやうじつのものをめしつかはるゑかきはなつけたるさふらひどもいでいつてひとへにゐんみやのごとくにてぞさふらひけるしゆつけのひとのじゆん三こうのせんじをかうぶらせたまふことはほこゐんのだいにふだうどのかねいへこうのほかはうけたまはりおよばずしゆつけののちもえいぐわはなほつきせずとこそうけたまはれおなじき三ぐわつ十九にちにしんゐんあきのいつくしまへごかうとぞきこえしていわうみくらゐをさらせたまひてのちしよしやのごかうのはじめにはあるひはやはたかもかすがなんどへこそごかうならせたまふにこれははるばるとあきのいつくしままでのごかうをいかにとまをすにしらかはのゐんはくまのへごかういちのゐんはひよしのやしろへごかうなるすでにしりぬえいりよにありといふことをごしんちうにふかきごぐわんありまたごむさうのつげありとぞおほせけるたうじあきのいつくしまをばいつかうへいけのあがめまをされければうへにはへいけにごどうしんしたにはまたほうわうのいつとなくとばどのにおしこめられてわたらせたまふそのおんいのりのおんためとぞおぼえたるおなじき三ぐわん(ぐわつ)十八にちのまんだあさしんゐんさきのうたいしやうむねもりをめしてみやうにちごかうのついでにとばどのへまゐらばやとおぼしめすはぜんもんにふれずしてはあしかりなんやとおほせければむねもりこのおほせうけたまはるかたじけなさにいかでかさるおんことのわたらせたまひさふらふべきとまをされたりければじやうわうなのめならずぎよかんあつてさらばやがてなんぢとばどのにまゐりこのよしをそうせよかしとおほせければむねもりかしこまつてうけたはまりやがてとばどのにまゐりこのよしをそうしまをされたりければほうわうもあまりにおぼしめすおんことなればこはゆめやらんとぞおほせけるおなじき三ぐわつ十九にちのあかつきがたしんゐんにふだうしやうごくのしゆくしよにし八でうをしゆつぎよなるかすみにくもるありあけのつきのひかりもおぼろにてこしぢへかへるかりがねのくもゐにおとづれゆくをきこしめすにつけてもをりふしあはれにおぼしめすぐぶのひとびとにはまづさきのうたいしやうむねもり三でうのだいなごんさねふさとうだいなごんさねくに五でうのだいなごんくにつなつちみかどのさいしやうのちうじやうみちちかたかくらのちうじやうやすみちれいぜんのせうしやうたかふさくないのせうむねのりなんどぞまゐられけるよもほのぼのとあけければじやうわうとばどのにまゐらせたまひまづもんをさしいつてえいらんあるにはるもすでにくれなんとしてなつこだちにぞなりにけるこずゑのはないろおとろへみやのうぐひすこゑおいたりひとまれにしてこぐらくものさびしげなるおんありさまをごらんぜらるるにつけてもまづおんなみだぞすすみけるきよねんのしやうぐわつ六かのひしゆじやうてうきんのおんためにほうぢうじどのへぎやうかうなりたりしにはしよゑぢんをひきしよきやうれつにたつてまんもんをひらきゐんじのくぎやうまゐりむかつてかもんれうえんだうをしきさしもただしかりしぎしきけふはいちじもなしただゆめとのみこそおぼしめせそののちさくらまちのちうなごんしげのりきやうまゐりむかつてごきそくまをされたりければじやうわういらせたまひけりほうわうはしんでんのはしがくしのまにてまちまゐらつさせたまひけりじやうわうはことし廿にならせおはしましけるがあけがたのつきのひかりにはへさせたまひてぎよくたいもことにうつくしくおんぼぎけんしゆんもんゐんにすこしもたがはせたまはずよくにまゐらつさせたまひたりければほうわうはまづこにようゐんのおんことをおぼしめしいでておんなみだにむせばせおはしますそののちりやうゐんちかうござあつてややはるかにおんものがたりありごもんだふのやうたれうけたまはるべうもなしおんまへにはあまぜばかりぞさぶらはれけるそののちはるかにひたけてのちじやうわうとばどのをたつてぞいでさせたまひけるじやうわうはほうわうのぜいなんのりきうのこていいうかんせきばくのものさびしげなるおんありさまをごらんじおかせたまへばほうわうはまたじやうわうのいつとなきりよはくわうぐうのなみのうへふねのうちのおんすまひおぼつかなくぞおぼしめすまことにそうべうやはたかもかすがなんどをばさしおかせたまひてこれははるばるといつくしままでのごかうをばしんめいもなどかかんおうなかるべきごぐわんじやうじゆうたがひなしとぞおぼえたる
源氏そろへ
 おなじき三ぐわつ廿六にちにしんゐんあきのいつくしまへごさんちやくありにふだうのさいあいのないしがしゆくしよくわうきよになるなか一りやうにちごとうりうあつてきやうゑぶがくなんどおこなはれけりこくしゆふぢはらのありつなかんぬしさへぎのかげひろざすそんえいけんじやうかうふるしんりよもうごきにふだうしやうごくのこころもさだめてはたらくらんとぞおぼえたるおなじき四ぐわつ三かのひしんゐんくわんぎよのついでにふだうしやうごくのしゆくしよふくはらのべつげふにいらせたまふにふだうのおとといけのちうなごんよりもりきやうのしゆくしよくわうきよになるおなじき四かのひいへのしやうとてぢもくおこなはれけりにふだうのやうしたんばのかみきよくにじやうげの五ゐまごにごんのすけせうしやうこれもりは四ゐのじゆじやうとぞきこえしおなじき五かのひじやうわうふくはらをたたせたまひててらゐにいらせたまひおなじき六かのひとばにつかせたまふみやこよりのおんむかへのくぎやうでんじやうびととばのくさつまでまゐられけりおなじき七かのひみやこにはしんていのごそくゐとぞきこえしごそくゐはだいごくでんにてこそとげらるべけれどもだいごくでんはひととせやけたりしかばだいじやうくわんのちやうにてとげらるべしとしよきやうごさたありけるに九でうのみぎのおとどのまをさせたまひけるはだいじやうくわんのちやうはぼんにんのいへにとつてもくもんじよていのところなり。だいごくでんなからんうへは、ししんでんにてこそとげらるべけれとて、ししんでんにてぞとげられける。さんぬるかうはう四ねん十一ぐわつに、れいぜんのゐんのごそくゐを、ししんでんにてとげられたりしは、ごじやきによりて、かしこへぎやうかうもかなはざりしゆゑなり。さればそのれいいかがあるべからん。ただご三でうのゐんの、えんきうのかれいにまかせて、だいじやうくわんのちやうにてあるべきものをと、とりどりにまをされしかども、九でうどののおんはからひのうへは、ちからおよばせたまはず。おなじき八かのひ、ちうぐうこうきでんより、じじうでんにうつらせたまひて、たかみくらへ、まゐらせたまひしおんありさま、めづらしかりしみものなり。へいけのひとびとも、みなしゆつしまをされけり。なかにもこまつどののきんだちばかりこそ、きよねんの八ぐわつに、おとどかうじたまひしかば、いまだいろにて、しゆつしもなかりけり。さきのうたいしやうむねもり、こんどのごそくゐのゐらんなく、めでたかりしことどもを、こまやかにしるして、ふくはらへまをされたりければ、にふだうどのも二ゐどのも、ゑみをふくみてぞおはしける。よにはかく、めでたきことどもありしかども、せけんはいまだらくきよせず。だいじやうほうわうのだい二のみこ、もちひとのわうとまをし、おんはははかがのだいなごんすゑなりのおんむすめ、三でうたかくらにましましければ、ひとたかくらのみやとぞまをしける。おんとし十五とまをし、しやうぐわつ十五にちに、ここのへのほか、こんゑかはらのおほみやのごしよにして、ひそかにごげんぷくあり。まさしう一ゐんだい二のみこにてわたらせたまへば、いまはたいしにもたち、みくらゐにもつかせたまふべけれども、たうじのおんぼぎけんしゆんもんゐんのおんそねみによつて、おしこめられてわたらせたまへば、はなのもとのはるのあそびには、しがうをふるつて、てづからぎよせいをかき、つきのまへのあきのえんには、ぎよくてきをふいて、みづからがいんをあやつり、かくてあかしくらさせたまふほどに、ぢしよう四ねんには、おんとし三十にならせおはします。おなじきうづき九かのひのよにいりて、げん三ゐよりまさにふだうしのびつつ、みやのおんまへにまゐり、ひそかにまをされけることこそ、なによりもおそろしけれ。まさしう一ゐんだん(だい)二のみこにてわたらせたまへば、いまはたいしにもたち、みくらゐにもつかせたまふべきひとの、いまだしんわうのせんじをだにも、かうぶらせたまはぬおんことをば、こころうしとはおぼしめされさふらはずや、うへにこそしたがふやうにさふらへども、たうじたれかへいけをそむかぬものやさふらふ、はやはやごむほんおぼしめしたたせたまひ、へいけをほろぼさせおはしましさふらへかし。またほうわうのいつとなく、とばどのにおしこめられてわたらせたまふ、そのおんいきどほりをもやすめまゐらつさせたまはんは、ごかうかうのおんいたりにてこそさふらはんずれ。さだにもさふらはば、にふだうも、こども一りやうにんもちてさふらへば、などか一ぱうのおんかためになりまゐらせではさふらふべき、そのほかりやうじをだにもたうづるほどならば、よろこびをなして、はせまゐらんずるげんじどもこそ、くにぐににおほうさふらへとて、いちいちにまをしつづく。まづきやうとには、ではのかみみつのぶがこどもに、いがのかみみつもと、ではのはんぐわんみつなが、げんはんぐわんみつしげ、ではのくわんじやみつよし、くまのには、ためよしがばつし十らうよしもりとて、しんぐうのへんにかくれゐてさふらふ。つのくにには、ただのくらんどゆきつな、ただのじらうともざね、おなじき八らうたかより、おほたのたらうたかよし、てしまのくわんじやよりもと、かはちのくにには、むさしのごんのかみよしもとにふだう、しそくいしかはのはんぐわんだいよしかね、やまとのくにには、うのの七らうちかはるがこどもに、たらうありはる、じらうなりはる、三らうきよはる、四らうよしはる、あふみのくにには、やまもと、かしはぎ、にしごりが一たう、みのをはりには、やまだのじらうしげひろ、かうべのたらうしげなほ、いづみのじらうしげみつ、うらのの四らうしげすけ、あじきのじらうしげより、そのこの四らうしげずみ、くわいでんのはんぐわんだいしげくに、きたの三らうしげなが、やしまの四らうしげとき、そのこのたらうとききよ、かひのくにには、たけたのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、そのこのこじらうながきよ、一でうのじらうただより、いたがきの三らうかねのぶ、ゐさはの五らうのぶみつ、へんみのくわんじやありよし、やすだの三らうよしさだ、しなののくにには、おほうちのたらうこれよし、きそのくわんじやよしなか、をかだのくわんじやちかよし、そのこの四らうしげよし、ひらがのくわんじやもりよし、そのこのこ四らうよしのぶ、いづのくにには、るにんさきのうひやうゑのごんのすけよりとも、ひたちのくにには、ためよしが三なん、三らうせんじやうよしのりとて、しだのうきしまにかくれゐてさふらふ、さたけのくわんじやまさよしがこどもに、たらうただよし、じらうたかよし、三らうよしすゑ、四らうよしむね、五らうよしきよ、むつのくにには、よしともがばつし、九らうくわんじやよしつねとて、これらはみな六そんわうのごべうえい、ただのまんぢうがこういんなり。
いたちの沙汰(あひ)
 むかしはげんぺいさうにあらそひて、いづれしようれつもさふらはざりしかども、いまはうんれいまじはりをへだてつつ、しうじうのれいにもなほおとれり。くにはこくしにしたがひ、しやうはりやうけのままなりければ、くじざふじにかりたてられて、よるひるやすきこころもさふらはず、かれらにりやうしをだにも、くだしたうづるほどならば、よろこびをなしてませまゐり、へいけをほろぼし、きみをみくらゐにつけまゐらせむこと、じじちはめぐらしさふらふまじと、かやうにたのもしげにまをされたりければ、みやはこのことおほきにおぼしめしわづらはせたまひけるが、そのころこあこまのだいなごんすけみつがまご、びんごのぜんじこれみつがこに、せうなごんこれながは、ならびなきさうにんなりければ、にんさうせうなごんとぞまをしける。あるときかれがみやをみたてまつつて、きみはみくらゐのさうわたらせたまふ、あひかまへててんがのおんことおぼしめしすてさせたまふべからずとまをしたりしにあはせて、三ゐにふだういままたかやうにまをされければ、これひとへにてんせうだいじんじやう八まんぐうのおんはからひにこそと、おぼしめし、まづくまのにさふらふ十らうよしもりをめして、くらんどになさる。ゆきいへとかいみやうしてりやうしをたぶ。おなじき四ぐわつ廿八にちにみやこをたつて、あふみのくによりはじめて、くにぐにのげんじどもに、つげしらせてこそとほりけれ。おなじき五ぐわつ八かのひ、いづのくににくだりつき、るにんさきのうひやうゑのごんのすけよりともに、りやうしをたてまつる。せんじやうよしのりはあになりければ、たばんとてひたちのくにへもくだりけり。きそのよしなかはをひなりければ、しらせんとて、それよりせんだうへこそかかりけれ。さるほどにほうわうは、しゆんくわんなりちかなんどがやうに、とほきくにはるかのしまへもながしうしなはんずるにこそと、おぼしめされけれども、さはなくて、ただとばどのにして、ことしはふたとせにならせおはします。おなじき五ぐわつ十二にちのとりのこくばかりに、とばどのには、おほきなるいたちのおびただしうなきて、ごしよちうをはしりければ、ほうわうおんうらかたあそばして、あふみのかみなかかねが、いまだそのころつるくらんどにて、おんまへちかうさふらひけるをめされて、これやすちかがもとにもちてゆき、きつとかむがへさせよとおほせければ、なかかねかしこまりうけたまはり、やすちかがもとにゆきむかふ。やがてかんがへてまゐらせけり。なかかねいそぎかへりまゐりけれども、よははやふけぬ。しゆごのぶしきびしうして、もんをもあけざりければ、なかかねもとよりあんないはしつたり、ついぢをのぼりこえ、おほゆかのしたをくぐつて、きりいたよりかんじやうをたてまつる。ほうわうひらいてえいらんあるに、三かがうちのおんよろこびならびにおんなげきとぞうらなひまをしける。三かがうちのおんよろこびとはなになるらんとおぼしめしければ、いつとなくとばどのに、おしこめられて、わたらせたまひたりしを、さきのうたいしやうむねもりのきやうをりふしまをされしによつて、とばどのをいだしたてまつつて、八でうからすまるなるびふくもんゐんのごしよへいれたてまつる。これぞおんよろこびなる。またおんなげきとはなになるらんとおぼしめしければ、おなじき十四かのとりのこくばかりに、たかくらのみやのごむほんといふことあらはれて、きやうちうのさうどうなのめならず、これぞおんなげきなる。さきのうたいしやうむねもりのきやうはやむまをたてて、ふくはらへこのよしをまをされたりければ、にふだうおほきにいかつて、せんずるところみやをばとりたてまつつて、とさのはたへながしたてまつるべしとて、じやうけいにはとうだいなごんさねくに、ぶしにはではのはんぐわんみつなが、げんたいふのはんぐわんかねつなをさきとして、つがふそのせい三百よきにてぞむかはれける。このげんたいふのはんぐわんかねつなとまをすは、三ゐにふだうのじなんなり。へいけかやうに三ゐにふだうみやをすすめまゐらせけるとは、ゆめにもしらざりけるによりてなり。みやは五ぐわつ十五にち、よるのくもまのつきをながめさせたまひて、なんのおんゆくへもおぼしめしよらざりつるに、ここに三ゐにふだうのつかひとて、ふみもつたるをとこひとり、いそがはしげにてまゐりたり。
信連合戦
 みやのおめのとご、六でうのすけのたいふむねのぶこれをよむ。ごむほんすでにあらはれさせたまひて、六はらよりくわんにんどもが、べつたうせんをうけたまはつて、おんむかへにまゐりさふらふ、とうとうごしよちうをいでさせたまひて、みゐでらへいらせたまふべし、にふだうもこどもらうじうひきぐして、やがてまゐらむずるさふらふとぞよみあげたる。みやはこのことおほきにおぼしめしわづらはせたまひければ、ちやうさひやうゑのじようはせべののぶつらがまをしけるは、べちのやうやさふらふべき、ただにようばうのしやうぞくをからせたまふべしとまをしたりければ、みやはかさねたるぎよいに、いちめがさをぞめされける。くろまろとまをすわらはに、つつみにものいれていただかせらる。すけのたいふむねのぶはひたたれにたまだすきあげて、からかさもつておんともつかまつる。たとへばせいしがぢよをむかへてゆくがごとくにて、たかくらおもてのこもんよりいでさせたまひ、たかくらをのぼりに、こんゑをひがしへすぎさせたまひけるに、おほきなるみぞのありけるを、いとものかるやかに、さつとこえさせたまひければ、みちゆきびとがたちとどまつて、あれはしたなのにようばうの、みぞのこえやうかなと、あやしげにみとがめまゐらせければ、みやは、いとどあしばやにこそすぎさせたまひけれ。みやはなにごとも、とりあへぬおんさまにて、さしものてうはうどもを、とりわすれさせたまひけるなかにも、せみをれこえだとて、ふたつのおんふえをつねのおんまくらにとりわすれさせたまひたりけるを、たちかへつてもとらまほしくぞおぼしめされける。さるほどにごしよのおんるすには、のぶつらいちにんさふらひけるが、みぐるしきものあらば、とりしたためんとて、ごしよちうをはしりめぐつてみけるに、このおんふえをみつけたてまつつて、あなあさまし、これはきみのさしものごひさうにて、あんなるものをとて、五ちやうがうちにて、おつつきまゐらせければ、みやなのめならずぎよかんあつて、われしなば、このふえをごくわんにいれよとぞおほせける。みややがて、なんぢもおんともにさふらへかしとおほせければ、のぶつらかしこまつてまをしけるは、あのごしよにのぶつらがさふらふことをば、きやうちうのじやうげみなぞんぢのことにてさふらふに、それもそのよは、おちてなかりけりなんどいはれむこと、ゆみやとりは、かりにもなこそをしうさふらへ、くわんにんどもにひつとあひしらひあひしらうて、一ぱううちやぶつて、やがてまゐらむずるさふらふとてはしりかへる。のぶつらがそのよのしやうぞくには、とくさのかりぎぬのしたに、もえぎのはらまきをき、ゑふのたちをぞはいたりける。三でうおもてのそうもんをも、たかくらおもてのこもんをも、ともにひらいてぞまちかけたる。あんのごとくそのよのやはんばかりに、六はらのつはものども三百よきにておしよせたり。なかにもげんたいふのはんぐわんかねつなは、ぞんずるむねありとて、はるかのもんぜんにひかへたり。ではのはんぐわんみつながはむまにのりながら、ごもんのうちにかけいり、おほにはにひかへ、あぶみふんばりつつたちあがり、だいおんじやうをあげて、みやのごむほんすでにあらはれさせたまひて、六はらよりくわんにんどもがべつたうせんをうけたまはつて、おんむかへにまゐりてさふらふ、とうとうごしよちうをいでさせたまふべしとまをしたりければ、のぶつらおほゆかにたつて、たうじはごしよにてもさふらはず、おんものまうでのおんるすにてさふらふ、なにごとぞことのしさいをまをされよといひければ、みつなが、なんでうこのごしよならではいづくにかわたらせたまふべき、そのぎならば、しもべどもまゐつてさがしたてまつれとぞまをしける。のぶつらおほきにいかつて、ものにもこころえぬくわんにんどもがもののまをしやうかな、たとひきみのてうてきとならせたまひて、いつてんがをかたきにうけさせたまはんからに、むまにのりながら、ごもんのうちへまゐるだにも、きつくわいなるに、あまさへしもべどもまゐつて、さがしたてまつれとはいかでかまをすぞ、ごぜんにはさひやうゑのじようはせべののぶつらがさふらふぞ、まぢかうよつてあやまちすなとぞまをしける。はるかのもんぜんにひかへたりける、げんたいふのはんぐわんかねつなこのよしをききて、をめいてかけいり、かねつながらうどうに、かねたけといふやつはきこゆるだいりきのがうのものなりけるが、うちもののさやをはづし、のぶつらをめにかけて、おほゆかのうへへきつてのぼる。のぶつらこのよしをみるよりも、かりぎぬのおびひぼひつきつてなげのけ、ゑぶのたちとはいへども、みをばすこしこころえてうたせたりけるを、ぬきあはせ、かたきはおほたちおほなぎがたにてふるまへども、のぶつらがゑふのたちにきりたてられて、あらしにこのはのちるやうに、にはへさつとぞおりたりける。ころはさつきもちのよの、ひとむらさめのくもまより、ありあけのつきのあらはれいでて、あかかりけるに、のぶつらはあんないしや、かたきはぶあんないなり、ここのめんらうにおつかけてははたときり、かしこのつまりにおつつめてはちやうときる。せんじのおつかひをば、いかでかくはつかまつるぞといひければ、せんじとはなんぞとて、さんざんにこそはきりたりけれ。たちゆがめばをどりのき、ふみなほしおしなほし、もみにもうでぞきつたりける。たちどころにくきやうのつはものども十四五にんぞきりふせたる。そののちたちのさき五すんばかり、うちをつてすててけり。こしのかたなをさぐりけれども、さやまきおちてなかりければ、ちからおよばずおほてをひろげ、もんぜんのかたへとゆくほどに、ここにてつかの八らうがなぎなたもつていできたり。のぶつらなぎなたにのらむととんでかかる。いかがはしたりけむ、あしうのりそんじ、ももをぬいさまにつらぬかれ、のぶつらこころはたけうすすみけれども、たいぜいのなかにとりこめられて、とりこにこそせられけれ。そののちごしよちうをさがしたてまつりけれども、みやわたらせたまはざりければ、のぶつらばかりからめとつて、六はらへこそかへられけれ。つぎのひのまんだあさ、さきのうだいしやうむねもりのきやうおほゆかにたつて、のぶつらをおつぼのうちにめしいだし、まことやわをとこは、せんじとはなんぞとてきつたるか。のぶつらさんさふらふ、このほどあのごしよを、よなよなものがうかがひさふらふを、なんでうことのあるべきとおもひあなづつて、えうじんをもつかまつりさふらはぬところに、このよのやはんばかりに、なにかはしらず、よろうたるものが参百きばかりうちいつてさふらふを、なにものぞととうてさふらへば、せんじのおつかひとなのるあひだ、たうじはせつたう、がうたう、さんぞく、かいぞくらなんどいふやつばらどもが、あるひはせんじのおつかひ、あるひはきんだちのおいでなんど、かねがねなのるとうけたまはつてさふらふあひだ、せんじとはなんぞとてきつた(イ切りたん候)さふらふ。うたいしやう、せんじのおんつかひあつこうし、ちやうのしもべにんじやうせつがい、かたがたもつてきくわいなり、さだめてみやのおんありかをば、しりまゐらせたるらん、よくよくせめとうて、そののちかはらにひきいだし、かうべをはねさふらへとぞのたまひける。のぶつらおほきにあざわらつて、せんじのおつかひあつこうし、ちやうのしもべにんじやうせつがいこともなげにさふらふや、かねよきたちだにももつてさふらはば、三百にんのくわんにんどもをば、よも一にんもあんをんにてはかへしさふらはじ、これはがうたうめらおどさんためのゑふのたちにてさふらへば、なにほどのことさふらふべき、ことごとしうとぞまをしける。そのうへみやのおんありかをばしりまゐらせずさふらふ、たとひしりまゐらせてさぶらふとも、さふらひほどのものが、まをさじとおもひきつてんずることを、きうもんにおよんでまをすべきや、みやのおんために、かうべをはねられまゐらせんこと、こんじやうのめんぼくめいどのおもひでなるべしとて、そののちはものもまをさず。へいけのさぶらひどもらうせうなみゐたりけるが、あつぱれがうのもののてほんかなと、くちぐちにほめければ、あるもののまをしけるは、あれがかうみやうは、いまにはじめぬことぞかし、かれが十六のとし、だいばんしうのとめかねたるがうたう六にんを、二でうほりかはに、ただ一にんおひかけ、四にんきりふせ、二にんをからめとつて、そのときなされたりしさひやうゑのじようぞかし、きられんことのをしさよをしさよと、くちぐちにをしみたてられて、うたいしやうもさすがをしうやおもはれけん、もしおもひなほつたらば、たうけにほうこうをもいたせかしとて、はうきのひのへぞながされける。そののちへいけほろび、げんじのよとなつて、かまくらにくだり、かぢはらへい三かげときについて、ことのこんげんをくはしうまをしたりければ、かまくらどの、みやのおんために、こころざしのふかきほどをかんじたまひて、のとのくににごおんありとぞきこえける。

 みやはたかくらをのぼりに、こんゑをひんがしへ、かはをわたつて、によいざんにかからせおはします。いつならはせたまふべきなれば、おんあしかけぬ、はれぬ、ちあえつつ、あゆみぞかねさせたまひける。なつぐさのしげみがもとのつゆけさも、さこそはおんところせくおぼしめされけめ。むかしきよみはらのてんわうの、おほとものわうじにおそれさせたまひて、やまとのくによしののやまへ、わけいらせたまひしおんことまでも、いまこそおぼしめししられけれ。しらぬやまぢにかからせたまひて、よもすがらまよはせおはします。とかくしてあかつきがた三ゐでらへいらせたまひけり。みやだいしゆにむかつて、おほせられけるは、かひなきいのちのすてがたさよ、しゆとをたのんでこれまできたれるなりとおほせければ、だいしゆかしこまつてうけたまはり、やがてほうりんゐんにごしよしつらうておきたてまつり、ぐごしたててまゐらせけり。おなじき十六にちに、こんゑがはらにさふらひけるげん三ゐよりまさにふだう、いへのこらうじうひきぐして、つがふそのせい三百よき、やかたにひかけ、みゐでらへこそまゐりけれ。としごろひごろもあればこそありけめ、いかなればことししも、三ゐにふだう、かかるむほんをおもひたたれける、ゆゑをいかにとまをすに、ごにちにきこえしは、さきのうだいしやうむねもりのきやうの、ふしぎのことをのみしたまひけり。さればひとのよにあればとて、いふまじきことをいひ、すまじきことをすることをば、かねてよくみなひとのしりよあるべきことどもなり。たとへばそのころ三ゐにふだうのちやくし、いづのかみなかつなのもとに、きこえたるめいばあり。かげなるむまのいつきばかりなるが、なをばこのしたとぞまをしける。うたいしやうこのよしをつたへききたまひて、いづのかみのもとへししやをたてて、それにきこえさふらふこのしたを、たまはつてみさふらはばやと、のたまひつかはされたりければ、いづのかみのごへんじには、さるむまをもつてさふらひつるを、このほどあまりにのりそんじて、いたはらせんがために、ゐなかへつかはしてさふらふ、やがてめしこそのぼせさふらはめと、へんじせられたりければ、うたいしやうさてはとておはしけるところに、へいけのさぶらひどもらうせうならびゐたりけるが、あるもののまをしけるは、あつぱれそのむまはをととひまでもさふらひつるものを、きのふもさふらひし、けさもにはのりさせさふらひつるものをなんど、くちぐちにまをしあはれければ、うたいしやう、さてはをしむござんなれ、にくしそのむまこへとて、あるひはさぶらひしてはせはせつ、あるひはふみなんどして、ひびに五六どなんどぞ、こはれける。ちちの三ゐにふだうどのこのよしをききたまひて、いづのかみをようでのたまひけるは、たとひこがねをもつてむまにしたりといふとも、さやうにひとのこばむを、をしむべきやうやある、はやはやそのむま六はらへつかはすべしとのたまへば、いづのかみのごへんじには、まつたうむまのをしきにてはさふらはず、ただけんゐについて、こはるるとなれば、やすからずさふらうてこそ、いままでもつかはしさふらはざりつれとて、ちからおよばず六はらへ、このむまをこそつかはされけれ。うたいしやうひきまはさせ、みるべきほどみて、むまはよきむま、ただしぬしがをしみつることこそにくけれ、やがてなのりを、かなやきにしさふらへとて、いづのかみなかつなといふかなやきをしてぞおかれたる。きやくじんきたつて、これにきこえさふらふこのしたを、たまはつてみさふらはばやとまをすときは、あのなかつなめがことさふらふか、あのなかつなめひきいだせ、なかつなめにくつわはげよ、うてはれなんどぞのたまひける。いづのかみこのよしをききたまひて、ちちの三ゐにふだうどのにまをされけるは、いつかむまをばうてとはいへども、はれとはいふ、さしもひとのみにかへてをしかりつるむまを、けんゐについて、こはるるをだにもやすからずさふらふに、けふこのごろなかつながむまゆゑに、てんかのわらはれぐさとなりさふらひぬることこそ、かへすがへすもくちをしうさふらへ、はぢをみむよりは、しにをせよとまをすことのさふらふものをなんど、やうやうにまをされたりければ、三ゐにふだうまことに、ひとにさやうにせられては、いのちいきてもなににかはせん、さりながらびんぎをうかがふみにてこそあれとて、おはしけるが、さすがわたくしにてはおもひもたたで、みやをすすめまゐらせけるとぞうけたまはる。これにつけてもあにのおとどのことをのみぞ、いまさらしのびまをしける。あるときおとどさんだいのついでに、ちうぐうのおんかたへまゐらせたまひたりけるに、いづかたよりともしらぬ、おほきなるくちなはの、おとどのおはしけるさしぬきのひだりのりんをはひまはりけるあひだ、おとどこのよしかくとまをさば、にようばうたちもさわがせたまひ、ちうぐうもさだめておどろかせたまひなんずと、おもはれければ、ひだりのてにては、くちなはのかしらをおさへ、みぎのてにては、ををおさへ、やはらなほしのそでのうちにひきいれつつ、おんまへをついたつてぞまかりいでられける。おとどちうもんにおはして、六ゐやさふらふ六ゐやさふらふとめされけれども、をりふしひと壱にんもさふらはざりけるに、いづのかみなかつなの、いまだそのころゑぶのくらんどにてさふらはれけるが、なかつなとおいらへまをしてまゐられたり。おとどこのくちなはをたぶ。なかつなたまはつて、でんじやうのこにはをへて、ゆばどのにいで、みくらのこどねりをめして、これたまはれとのたまへば、きやつかしらをふつてにげさりぬ。そののちわたなべのきほふの、たきぐちをめして、このくちなはをたぶ。たきぐちたまはつてすててんげり。つぎのひのまんだあさ、おとどよきむまにくらおかせ、たち一ふりそへて、いづのかみのもとへおくりつかはさるとて、さてもきのふのふるまひこそ、いうにみえられさふらへ、このむまはのりいちのむまなり、やいんにおよんで、ぢんげよりけいせいのもとなんどへかよはれんずるとき、もちひらるべうさふらふとのたまひつかはされたりければ、いづのかみのごへんじには、六ゐのことば、おとどのごへんじなりければ、まづおんむまかしこまつてうけたまはりさふらひぬ、さてもきのふのおんふるまひは、げんじやうらくににてさふらひしかとぞまをされける。いかなればあにのおとどはかくこそゆゆしうおはせしに、おんおとうとのむねもりは、さしもひとのをしむむまをこひとつて、てんがのだいじにおよびぬるこそあさましけれ。なかにもわたなべのきほふのたきぐちがしゆくしよは、六はらのうらかきのうちなりければ、おくればせして、とどまりたるよしを、うたいしやうききたまひて、きほふめせとてめされけり。めされてきほふまゐりたり。うたいしやうやがていであひ、たいめんしたまひて、などなんぢはさうでんのしゆ三ゐにふだうがともをばせでとどまりたるぞ、いかさまにもぞんずるむねのあるかとのたまへば、きほふさんさふらふ、ひごろはしぜんのこともさふらはば、まつさきかけて、うちじにつかまつるべうぞんじさふらひつるが、こんどはなにとおもはれさふらひてやらん、このよしかくともしらせられさふらはねば、まかりとどまりさふらふ、うたいしゃう、としごろなんぢがこのへんをいでいりつるを、あつぱれめしつかはばやとおぼしつるに、たうけにほうかうをいたせよかし、三ゐにふだうがおんには、すこしもおとるまじきぞとよ、ただしてうてき三ゐにふだうにどうしんをやすべき、またたうけにほうこうをいたさんとやおもふとのたまへば、きほふ、さんさふらふ、たとひさうでんのよしみさふらふとも、いかでかてうてきにどうしんをばつかまつりさふらふべき、ぜんあくたうけにほうこうをいたさうずるさふらふとまをしたりければ、うたいしやうなのめならずよろこびたまひていりたまふ。きほふはあるかさふらふさふらふとて、あしたよりゆふべにおよぶまでしこうす。そのひのくれがたに、きほふまをしけるは、みやならびに三ゐにふだうどの、三ゐでらにとうけたまはりさふらふが、わたなべたうには、ぞんぢやうそれがしたれがしなんどぞさふらふらん、おもふにこころにくうもさふらはず、さだめてようちなんどをもせさせられさふらはんずらむ、しぜんのこともさふらはば、えりうちなんどをもつかまつるべうぞんじさふらふが、このほどのりてようにあひぬべきむまをもつてさふらひつるを、したしきやつにぬすまれて、むま一ぴきももちさふらはず、あはれさもしかるべうさふらはば、おんむま一ぴきくだしたまはりさふらはばやとまをしたりければ、うたいしやういかにもして、あらせつけばやとおもはれければ、しろあしげなるむまのなをば、なんれう(イなんちやう)とつけて、さしもひざうせられたりけるめいばに、きんぷくりんのくらおいてぞたうだりける。きほふおんむまたまはつて、なのめならずよろこび、しゆくしよにかへり、あはれさらば、ひのとうしてくれよかし、このむまにうちのりて三ゐでらにはせまゐり、みやならびに三ゐにふだうどののまつさきかけてうちじにせんと、おもひけるこそおそろしけれ。しだいにくらうもなりしかば、さいしどもをばしのばせて、みづにちどりをおしたる、ひやうもんのひたたれに、きくとぢおほきらかにしてぞきたりける。ぢうだいのきせなが、ひをどしのよろひをき、くはがたうつたる五まいかぶとのををしめ、いかものづくりのたちをはき、廿四さいたるおほなかぐろのやおひ、ぬりごめとうのゆみもちて、たきぐちがこつはうをわすれじと、たかのはにてはいだりける、まとや一てぞさしそへたる。げにんのをのこにたてわきはさませ、やかたにひかけ、三ゐでらへこそまゐりけれ。そののち六はらには、きほふがしゆくしよより、ひいできたれりとてさうだうす。うたいしやうまづ、きほふはあるか。さふらはずとまをす。すはやきやつにだしぬかれつることこそやすからね、しやつおつかけ、いけどりにせよとのたまへば、へいけのさぶらひども、らうせうなみゐたりけるが、いやいやきほふはきこゆるだいりきのがうのものにて、つよゆみせいひやうなり、廿四のやにては、まづ廿四にんはいころされなんず、おとなせそとて、むかふものこそなかりけれ。そののち三ゐでらには、きほふがさたあつて、あつぱれこのもの一にんをば、めしぐせらるべうさふらひつるものをなんど、くちぐちにまをしあはれければ、三ゐにふだうかねてよつく、きほふがこころのそこをやしりたまひたりけむ、いたづらにそのもの、とらへからめられはよもせじ、みよたんだいまこれへまゐらうずるものをとのたまふところに、きほふつつとまゐりたり。さればこそとぞのたまひける。きほふまをしけるは、いづのかうのとののこのしたがかはりに、六はらのなんれうをこそとつてまゐりてさふらへとまをしたりければ、いづのかみなのめならずよろこびたまひて、やがてそのむまをきほふにこうて、をがみをきりすてさせ、むかしはなんれう、いまはたひらのむねもりにふだうじやうはんといふかなやきをして、おなじ十八にちのまんだあさ、六はらのそうもんのうちへおひいれられたりければ、へいけのさぶらひども、これをみつけてさうどうす。うたいしやう、こんど三ゐでらへよせたらんには、ひとをばしるべからず、まづきほふめをいけどりにせよ、のこぎりにてくびきらんずるものをとて、をどりあがりをどりあがりいかりたまへども、いまだなんれうがをがみもおひず、かなやきもまたうせざりけり。
三井寺より山門へ牒状
 さるほどに三ゐでらには、みやいらせたまひてのち、おほせきこせきほりきつて、かひがねならし、だいしゆおこつてせんぎす。きんじつせじやうのていをみるに、ぶつぽふのすゐびわうぱふのらうろうただこのときにあたれり。いまきよもりにふだうがぼあくをいましめずんば、いづれのひかくわいけいをきよめんや。しかるにたかくらのみやたうじへにふぎよのこと、これひとへにてんせうだいじん、しやう八まんぐう、しんらだいみやうじんのみやうじよにあらずや。てんじんちるゐもやうがうをたれ、ぶつりきしんりきもさだめてかうぶくをくはへたまふべし。そもそもほくれいはゑんとん一みのけうもんなり、なんとはまたげらふとくどのかいぢやうなり、てふそうのところなどかくみせざるべきとて、ならへもやまへもてふじやうをこそおくりけれ。まづさんもんへのじやうにいはく、をんじやうじてふすえんりやくじのがことにがふりよくをいたしてたうじのぶつぽふはめつをたすけられんとこふじやうみぎにふだうじやうかいがために、ぶつぽふをほろぼし、わうばふをかたぶけむとす。うちにつけほかにつけ、なげきをなしうらみをなすあひだ、しうたんきはまりなきところに、こんげつ十五にちのよ、一ゐんだい二のみこ、たかくらのみやふりよのなんをのがれむがために、ひそかににふじせしめたまふところなり。ここにゐんぜんとがうして、いだしたてまつるべきむねしきりにせめありといへども、しゆと一かうこれををしみたてまつる。よりてかのぜんもんぶしをたうじへいれんとす。たうじのぶつぽふのすゐびまさにこのときにあたれり。しよしゆなんぞしうたんせざらむや。それえんりやくをんじやうりやうじは、もんぜき二にあひわかるといへども、がくするところは、おなじくゑんとん一みのけふもんなり。たとへばとりのさうのつばさのごとし。またはくるまの二のわににたり。一ぱうかけむにおいては、いかでかそのなげきなからんやは。ことにがふりよくをかうぶつて、たうじのぶつぽふはかいをたすけらるべくんば、ねんらいのゐこんをわすれて、ぢうせんのむかしにふくせん。しゆとのせんぎかくのごとし。たいしゆらぢしよう四ねん五ぐわつのひとぞかいたりける。
三井寺より南都への牒状
 さるほどにさんもんには、このじやうをひけんして、なんぞたうじのまつじのみとして、とりのさうのつばさくるまのりやうりんなむどおさへて、かくでうらうぜきなりとて、へんてふにもおよばず。つぎになんとへのじやうにいはく、をんじやうじてふすこうふくじのがことにがふりよくをかうぶつてたうじのぶつぽふはめつをたすけられんとこふじやうみぎぶつぽふのしゆしようなることは、わうぽふによる。わうはふまたちやうきうなることも、かならずぶつぽふによる。ここにしきりのとしよりこのかた、へいしやうごくぜんもんじやうかいがためにぶつぽふをほろぼし、てうせいをみだる。うちにつけほかにつけ、なげきをなしうらみをなすあひだ、しうたんきはまりなきところに、こんげつ十五にちのよ、一ゐんだい二のみこ、たかくらのみやふりよのなんをのがれんがために、にはかににふじせしめたまふところなり。ここにゐんぜんとがうしていだしたてまつるべきむね、しきりにせめありといへども、しゆと一かうこれををしみたてまつる。よりてくわんぐんをはなちつかはさるべきむね、そのきこえあり。ぶつぽふといひわうぱふといひ、一じにまさにはめつせんとす。それたうのゑしやうてんしは、くわんぐんをおこして、ぶつぽふをほろぼさしめむとせしとき、しやうりやうせんのしゆとかつせんをいたして、これをふせぐ。いはんやむほん八ぎやくのはいにおいてをや。なかんづくなんきやうれいなくして、つみなきちやうじやをはいるせらる。このときにあらずんば、いづれのひかくわいけいをかうぶらんや。しゆとねがはくは、うちにはぶつぽふはめつをたすけ、ほかにはまたあくぎやくのはんるゐをしりぞけば、どうしんのいたり、ほんくわいにたりぬべし。しゆとのせんぎかくのごとし。ぢしよう四ねん五ぐわつのひ  だいしゆらとぞかきたりける。
南都より円城寺への返牒
 そののちなんとには、このでうをひけんして、とうだいこうふくてらでらのだいしゆ、しふゑしてせんぎす。せんぎことをはつてのち、やがてまゐるべきよしのへんてふをこそおくりけれ。そのじやうにいはく、こうふくじてふすをんじやうじのがことにらいてふいつしにのせられたりみぎさきのだいじやうだいじんたひらのあそんきよもりがために、きじのぶつぽふをほろぼさしめむとするよしのことてふす。ぎよくせんぎよくくわりやうかのしうぎをたつといへども、きんしやうきんくこれみなおなじく、一だいのけうもんよりいでたり。なかんづくなんきやうほつきやうともににて、によらいのでしたり。じじたじたがひにてうだつがましやうをふくすべし。そもそもきよもりにふだうはへいけのさうかう、ぶけのぢんかいなり。そふまさもり、くらんど五ゐのいへにめしつかへて、しよこくじゆりやうのさくをとる。おほくらきやうためふさかしうししのこけびゐしよにふし、しゆりのだいぶあきすゑはりまのたいしゆたりしむかし、みまやのべつたうしきににんず。しかるをただもりしようでんをゆるされんとせしとき、とひのらうせうほうこのかきんををしみ、ないげのえいぐわおのおのばだいのしもんになく。ただもりせいうんのつばさをかいつくろふといへども、よのためなほはくをくのたねをかろんじ、なををしむせいしそのいへにのぞむことなし。しかるにきよもりにふだう、さんぬるへいぢぐわんねん十二ぐわつに、だいじやうてんわういつせんのこうをかんじて、ふじのしやうをさづけられたまひしよりこのかた、たかくしやうごくにあがり、かねてひやうぢやうをたまはる。なんしあるひはたいくわいをかたじけなくし、あるひはうりんにつらなり、によしあるひはちうぐうしきにそなはり、あるひはじゆごうのせんをかうぶる。ぐんていそしみなきよくろにあゆみ、そのまごかのをひことごとくちくふをさく。かみきうしをとうりやうし、はくしをしんだいして、みなぬひぼくじうとなす。一もこころにたがへば、わうこうといへどこれをとらへ、へんげんみみにさかふれば、くぎやうといへどこれをからむ。しかりといへども、あるひは一たんのしんみやうをのびんがため、あるひはへんしのれうにくをまぬかれんとおもひて、ばんじようのせいしなほめんてんのこびをなして、ぢうだいのけくんかへつてしつかうのれいをいたす。よよさうでんのけりやうをうばふといへども、じやうさいもおそれてしたをまき、みやみやさうしようのしやうゑんをとるといへども、けんゐにはばかつてものいふことなし。かつにのるあまり、きよねんのふゆ十一ぐわつに、だいじやうくわうのすみかをつゐぶくして、はくろくこうのみをおしながす、ほんげきのはなはだしきことまことにこきんにたえたり。そのときわれらすべからくは、ぞくしゆにゆきむかつてそのつみをとふべきなり。しかりといへども、あるひはしんりよにあひはばかつて、わうけむをしやうじ、あるひはうつたうおさへてくわういんをおくるあひだ、かさねて一ゐんだい二のしんわうのみやをうちかこみたてまつるところに、八まん三しよかすがのだいみやうじん、ひそかにやうがうをたれ、せんひつをささげ、きじにおくりつけ、しんらのとぼそにあづけたてまつるところなり。これひとへにわうぱふつくべからざるむねあきらけし。したがつてきじしんみやうをすててしゆごしたてまつるでう、がんしきのたぐひたれかずゐきせざらむや。そのときわれらゑんゐきにあつて、そのじやうをかんずるところに、きよもりにふだうなほきようきをおこして、きじにみだれいらんとするよしのこと、ほのかにつたへうけたまはりおよぶによつて、かねてそのよういをいたす。十七にちにたいしゆにふれ、十八にちのたつの一てんにしよじにてふそうし、まつじにげぢし、ぐんしをえてのちあんないをたつせんとするところに、せいてうとびきたつてはうくわんをなげたり。すじつのうつねん、一じにかいさんす。かのたうかしやうりやういつさんのひしゆ、なほぶそうのくわんびやうをかへす。いはんやわこくなんぼくりやうもんのしゆと、いかでかぼうしんのじやるゐをはらはざらんや。よりてさうゑりやうのぢんをあはせて、よろしくわれらがしんぱつのつげをまつべし。はやくじやうをさつしてぎたいなることなかれ。しゆとのせんぎかくのごとし。ぢしよう四ねん五ぐわつのひ  だいしゆらとぞかきたりける。
大衆そろへ
 おなじき廿二にちのくれかたに、げん三ゐよりまさにふだう、みやのおんまへにまゐつて、まをされけるは、さんもんはこころがはりしぬ、なんとはいまだまゐらず、このてらばかりにては、いかにもかなひがたし、いまはみかたにらうせう二千よにんはあるらん、いざやこんや六はらへようちにせん、まづらうそうどもはによいがみねよりからめてにむかふべし、もしたいしゆあくそうどもをば、一二百にんさきだてて、しらかはのざいけにひをかけて、くだりにゆかば、きやうしらかはのはやりうのものども、あはやこといできたりとて、さだめてはせむかはんずらむ、そのときいはさかさくらもとにひつかけひつかけ、たたかはんまに、いづのかみをたいしやうとして、六はらにおしよせ、かざかみよりひをかけて、ひともみもうでせめたらんに、などかだいじやうのにふだうやきいだしうたざるべきとぞまをされける。ここにへいけのいのりしける、一によばうのあじやりしんかいといへるものあり。せんぎのにはにすすみいで、かうまをせばへいけのかたうどするとやおぼしめされさふらふらん、それはさもさふらふべし、いかでかわがてらのはぢをおもひ、もんとのなをもをしまではさふらふべき、いくさはせいにはよらず、はかりごとによると、むかしよりまをしつたへてさふらへば、よくよくごえうじんあつてよせさせたまふべしと、わざわざよをふかさんがために、さしもなきことをながながとぞせんぎしける。ここにじようゑんばうのあじやりきやうしうは、もしやうぞくにかしらつつみ、おほきなるうちかたなおしくつろげてさすままに、せんぎのにはにすすみいで、しようこをほかにひくべからず、わがてらのほんぐわん、きよみはらのてんわう、おほとものわうじにおそれさせたまひて、やまとのくによしののやまへわけいらせたまひしとき、そのせいわづかに十七き、されどもいがいせにいで、みのをはりのおんせいをもつて、おほとものわうじをほろぼし、つひにみくらゐにつかせたまふ。きうてうふところにいり、じんりんこれをあはれぶといふほんもんあり、じよをばしるべからず、きやうしうがもんとにおいては、こんや六はらにおしよせてうちじにせよやとぞまをしける。ゑんまんゐんのたいふげんかくすすみいでて、せんぎはしおほし、いそげやすすめ、よのふくるにとぞまをしける。まづによいがみねへむかふらうそうどものたいしやうぐんには、げん三みにふだう、じようゑんばうのあじやりきやうしう、りつざうばうのあじやりにちいん、そつのほうげんぜんちがでしぎはう、ぜんやうをさきとして、つがふそのせい六百よにん、かぶとのををしめてぞうつたちける。まつさかよりむかふあくそうどものたいしやうぐんには、ゑんまんゐんのたいふげんかく、りつざうばうのいがのきみ、ほふりんゐんのおにとさ、かれら三にんは、うちものとつてはおににもかみにもあはむといふ、一にんたうせんのつはものなり。びやうどうゐんにはいなばのりつしやがうたいふ、じやうきゐんのあらさど、すみの六らうばう、つつゐほうしにきやうのきみ、あくせうなごん、きたのゐんには、こんくわうゐんのろくてんぐ、たいふ、しきぶ、のと、かが、さど、びんごらなり。かやのちくご、おほやのしゆんちやう、ひのをのぢやうおん、四らうばう、まつゐのひご、五ちゐんのたじま、じようゑんばうのあじやりきやうしうがばうに、六十にんがうち、かがのくわうじよう、ぎやうぶ、しゆんしう、ほうしばらには、一らいほうしぞすすんだる。だうしゆにはつつゐのじやうめうめいしゆん、をぐらのそんげつ、そんえい、ぢけい、らくぢう、かなこぶしのげんえいばう、ぶしにはいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、六でうのくらんどなかいへ、そのこくらんどたらうなかみつ、しもかうべのとう三らうきよちか、わたなべたうにははぶく、はりまのじらうさづく、さつまのひやうゑのじよう、きほふのたきぐち、ちやう七、となふ、あたふのうまのじよう、きよし、すすむ、さわぐ、むつる、つづくのげんだをさきとして、つがふそのせい一千よにん、てんでにたいまつをぞもつたりける。さるほどにみゐでらには、みやいらせたまひてのち、おほぜきこせきほりきつて、さかもぎゆひふさぎたりければ、ほりにはしわたし、さかもぎのけむとしけるまに、じこくおしうつつて、せきのにはとりことごとくなきあひぬ。いづのかみこのよしをききたまひて、ここにてとりないては、六はらへははくちうにこそよせんずらめ、こはいかがせんとのたまふところに、ゑんまんゐんのたいふげんかく、しばしとよ、いこくにさるためしあり、かんのせうわうのおんとき、まうしやうくんいましめをかうぶり、めしこめられしに、はかりごとをもつて、にげまぬかれむとせしとき、かんこくのせきにいたる。かのせきのならひにて、にはとりのなかざるほどは、せきのとあけてとほすことなし。まうしやうくん三千のかくのうちに、てんかつといへるつはものあり。あまりににはとりのなくまねをよくしければ、ひとけいめいとぞまをしける。いまだうしのこくばかりのことなりけるに、てんかつたかきところにはしりのぼり、いむけのそでを二三どほととうちたたき、にはとりのなくまねをゆゆしくしたりければ、せきのにはとりききつけてなきあひぬ。とりのそらねにばかされて、せきのとあけてとほすことあり。これもさだめてかたきのはかりごとにてもやなかすらん、ただよせばやといひけれども、さつきのみじかよなりければ、よはほのぼのとぞあけにける。いづのかみ、ようちにはさりともとこそおもひしに、ひるいくさにてはいかにもかなふまじ、さらばてどもをよびかへせやとて、おほてはまつざかよりとつてかへし、からめてはによいがみねよりひつかへす。いづのかみのたまひけるは、せんずるところこれは、一によばうがながせんぎによつてこそよはあけたれ、にくにくしそのばうきれとて、ばうにおしよせさんざんにこそせめたりけれ。ふせぐところのでしどうしゆく十よにんうちころさる。いちによばうもいたでおうて、はふはふ六はらにまゐり、このよしをまをしたりけれども、へいけはいとさわぐけしきもましまさず。おなじき廿三にちのまんだあさ、げん三ゐよりまさにふだう、みやのおんまへにまゐつてまをされけるは、ようちには、さりともとこそぞんじさふらひつるに、ひるいくさにてはいかにもかなひさふらふまじ、いまはなんとへいらせたまふべうもやさふらふらんとまをされたりければ、みやも、いまはのときにもなりしかば、よろづおんこころぼそくやおぼしめされけん、せみをれこえだとて、ふたつのおんふえを、さしもごひさうありけるを、なかにもせみをれをば、こんだうのみろくにこめまゐらつさせたまひけり。そもそもこのおんふえとまをしたてまつるは、とばのゐんのおんとき、そうてうのみかどへ、こがねを千りやうおくらせおはしましたりければ、そのごへんぱうかとおぼしくて、しやうじんのせみのごとくに、ふしつきたりけるかんちくを、ひとよおくらせおはしましたりければ、みかどなのめならずぎよかんあつて、わがてうにるゐあるべからず、ちようはうをいかでかただはえらせらるべきとて、だいなごんのほういんかくそうにおほせて、だんじやうにたてしちにちかぢして、ゑらせられたりしおんふえなり。さればおぼろけのぎよいうには、とりもいだされざりけるを、あるときのぎよいうに、たかまつのちうなごんさねいへのきやううけたまはつて、このおんふえをふかれけるに、ただよのつねのふえのやうにこころえて、とりわすれてひざよりしもにおかれたりければ、ふえやとがめけむ、せみをれにけり。それよりしてこそせみをれとはなづけられけれ。しかるを、このみやのつたはらせたまひて、いつのよまでもおんみをはなたじとこそおぼしめされけれども、りうげのあかつき、ちぐのおんためにとおぼえて、あはれなりしおんことなり。なかにもじようゑんばうのあじやりきやうしうは、はとのつゑにすがり、みやのおんまへにまゐつてまをしけるは、いづくのうらわまでも、おんともつかまつるべうぞんじさふらへども、七じゆんにあまりぎやうぶもかなひがたうてさふらへば、でしにてさふらふぎやうぶしゆんしうをまゐらせさふらふ、このしゆんしうとまをすは、とうごくさがみのくにのぢうにん、やまだのすどうぎやうぶのじようとしみちがこにてさふらふなり、ちちのぎやうぶのじようは、さんぬるへいぢによしともにつれて、六でうかはらにてうちじにつかまつりさふらひぬ、このしゆんしうはきやうしうにいささかゆかりあるによつて、えうせうよりあとふところにおほしそだててさふらへば、こころのおくまでも、よくぞんじしつてさふらふ、いづくのうらわまでもめしぐせらるべうさふらふと、なみだもせきあへずまをしたりければ、みやもまたいつのよしみにか、かくはまをすらめとて、おんなみだにむせばせおはします。これをはじめとして、らうそうどもはみないとままをして、まかりとどまりさふらふあくそうどもは、みなおんともにぞさふらひける。みやのおんせいわづかに一千よにんにはすぎざりけり。みやは、いつかおんむまにもめしもならはせたまふべきなれば、てらとうぢとのあひだにて、六ケどまでごらくばあり。これはさんぬるよ、うちとけぎよしんもならざりつるゆゑなりとて、うぢのびやうどうゐんへいれたてまつり、しばらくこれにてごきうそくあり。
橋合戦
 さるほどに三ゐにふだうなかつないげのぶしどもは、うぢばしのなか三げんひかせてかいだてにかき、むまひやさせ、くらがひおこなひなんどしけるほどに、へいけのかたには、このよしをききて、あはやたかくらのみやこそ、なんとへおもむかせたまふなれ、にくにくしそのぎならば、おつかけてうちたてまつれやとて、たいしやうぐんにはにふだうの三なんさひやうゑのかみとももり、をひにちうぐうのすけみちもり、おとうとにさつまのかみただのり、さぶらひたいしやうには、かづさのかみただきよ、ちやくしたらうはんぐわんただつな、ひだのかみかげいへ、そのこたいふのはんぐわんかげたか、ゑつちうのぜんじもりとし、じらうびやうゑもりつぎ、むさしの三らうさゑもんありくにをさきとして、つがふそのせい三万よき、ぢしよう四ねん五ぐわつ廿三にちのむまのこくばかりに、こばたやまをうちこえて、うぢばしのつめにぞおしよせたる。むかひのびやうどうゐんに、かたきありとみてんげれば、へいけのさぶらひども、えびらのほうたてうちたたき、てんもひびき、だいちもゆるぐばかりに、ときつくること三ケどなり。へいけのさぶらひどもあまりにいさみほこつてわたるほどに、せんぢんがはしをひいたぞ、あやまちすな、はしをひいたぞ、あやまちすなと、いひけれども、ちかきものこそききつけけれ、ごぢんはこれをききつけず、ただおしにおしてわたるほどに、せんぢん二百よきおしおとされ、みづにおぼれてながれけり。そののちげんぺいたがひに、はしのさうのつめにうつたつてやあはせす。げんじのかたには、わたなべたうのいけるやぞ、ものにはつよくとほりける。三ゐにふだうは、ちやうけんのひたたれに、しなかはをどしのよろひをき、ゆみをつよくひかんとて、わざとかぶとはきたまはず。ちやくしいづのかみなかつなは、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひをき、けふをさいごとたたかはんとて、これもかぶとはきざりけり。五ちゐんのたじまは、もくらんぢのひたたれに、ひをどしのよろひをき、くはがたうつたる五まいかぶとのををしめ、しらえのおほなぎなたのさやをはづし、はしのつめにすすみいで、むかひのきしより、さしつめひきつめさんざんにいけるやの、あがるやをばついくぐり、さがるやをばをどりこえ、むかうてくるやをば、なぎなたにてきつておとす。しよにんめをすます。それよりしてぞ、やぎりのたじまとはまをしける。つつゐのじやうめうめいしゆんは、かちのひたたれに、くろかはをどしのよろひをき、くはがたうつたる五まいかぶとのををしめ、いかものづくりのたちをはき、廿四さいたるおほなかぐろのやおひ、ぬりごめどうのゆみに、このむしらえのおほなぎなたをぞとりそへたる。はしのつめにすすみいで、だいおんじやうをあげて、ものそのものにてはなけれども、みやのおんかたに、つつゐのじやうめうめいしゆんとて、をんじやうじにおいては、そのかくれなし、へいけのかたに、われとおもはむずるひとびとは、すすめやむかへ、げんざんせんとて、やたばねといて、おしくつろげさしつめひきつめさんざんにいけるに、やにはにかたき十二きいおとし、十一きにておはせたれば、ひとつはのこつてえびらにあり。いまはゆみをもからとなげすて、えびらをもといてかはへなげいれ、つらぬきぬいて、はだしになり、かぶとのををつようしめける。かたきみかたあれはいかにとみるところに、はしのゆきけたを、さらさらとはしりわたる。ひとはおそれてわたらぬを、じやうめうがここちには、ただ一でう二でうのおほぢとこそはふるまひけれ。まづむかふかたきをば、なぎなたにて四にんなぎ、五にんにあたるとき、なぎなたうちをつてすててけり。つぎにたちをぬいてきりけるが、三にんきりふせ、四にんにあたるとき、あまりかぶとのはちにつよううちあて、めぬきのもとよりちやうとをれ、ぐつとぬけて、かはへざんぶとぞいれにける。たのむところはこしがたな、ひとへにしなんとのみぞくるひける。ここにじようゑんばうのあじやりきやうしがうしもぼうしに、いちらいほうしとて、しやうねん十八さいになりけるが、もくらんぢのひたたれにもえぎのはらまきをき、三まいかぶとのををしめ、うちものぬいてかたになげかけ、これもはしのゆきけたを、さらさらとはしりわたり、じやうめうはたつたり、よくべきやうはなかりけり。ここをせんどとたたかひけるじやうめうが、かぶとのてつさきにてうちかけ、あしうさふらふじやうめうばうとて、かたをゆらりとをどりこえてぞたたかひける。じやうめうはいちらいをうたせじとつづく、いちらいはまたかたきのなかにわつていり、さんざんにたたかひ、ぶんどりあまたして、わがみもうちじにしてんげり。そのまにじやうめうは、はしのゆきけたを、はふはふびやうどうゐんのしばにかへり、もののぐぬきおき、よろひにたつたるやめをかぞふれば六十三、うらかくやは五ところなり。されどもいたでならねば、かしらをつつみ、じやうえをき、ゆみきりをつてつゑにつき、あみだぶまをしてなんとのかたへぞまかりける。そののちじようめうがわたつたるをてほんにして、かたきみかたはしのゆきけたをはしりわたりはしりわたりしようぶをす。とほきをばゆみにてい、ちかきをばたちにてきり、くまでにかけてとるもあり、とらるるもあり、ひきくんでさしちがへてかはへいるものもあり、はしのうへのいくさ、ひいづるほどにぞみえたりける。さぶらひたいしやうかづさのかみただきよ、たいしやうぐんのおんまへにまゐつてまをしけるは、いまはかはをわたさんずるにてさふらふが、をりふしさみだれのころにて、みかさはるかにまさりたり、さればよどいもあらひかはちぢへやまゐりさふらふべきとまをしけるところに、ここにしもつけのくにのぢうにん、あしかがのたらうとしつながこに、またたらうただつなとて、しやうねん十七さいなりけるが、しげめゆひのひたたれに、もえぎをどしのよろひをき、くはがたうつたる五まいかぶとのををしめ、あししろのたちをはき、廿四さいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもつて、れんせんあしげなるむまのふとくたくましきに、きんふくりんのくらおいて、のつたりけるが、すすみいでてまをしけるは、あしうもまをさせたまひたるかづさどのかな、さればよどいもあらひかはちぢをば、てんぢくしんたんのぶしがまゐつてわたすべきか、それもおもふに、われらこそわたさんずれ、めのまへなるかたきをのがしたてまつつて、なんとへいれまゐらせなば、よしのとつがはのおんせいがまゐりては、いよいよみかたのおんだいじなるべし、とうごくにはとねがはとまをすおほかはあり、このながゐのわたり、すぎのわたりとて、ともにだいじのわたりあり、せんねんちちぶとあしかがなかをたがひ、かつせんをつかまつりさふらひしに、あしかが、につたのにふだうをかたらうて、おほてはこのながゐのわたり、すぎのわたりへはにつたのにふだう、からめてにまはりさふらひしに、すぎのわたりにいくらもよういしたりしふねどもを、ちちぶがかたよりわられて、につたのにふだうのまをししは、かはをへだてたるいくさに、ふねがなければとて、ふちせをきらふやうやある、みづにおぼれてしなばしね、いざわたらむとて、たいぜいがむまいかだをつくつてわたせばこそ、とねがはをもわたしけめ、このかはのていをみるに、とねがはにはいくほどまさじおとらじな、とのばらいざわたさんとて、たづなかいくり、たいぜいがまつさきにこそうちいれたれ。つづくつはものたれたれぞ、たいこ、おほむろ、ふかす、やまかみ、なはのたらうひろずみ、さぬきの四らうたいふ、をのでらのぜんじたらう、へやこの七らう、らうどうには、とねの六四らう、きりやた五らう、うぶがたじらう、おほをかのあん五らうをさきとして、つがふそのせい三百よき、くつばみならべてうちいれたり。あしかがあぶみふんばりつつたちあがり、だいおんじやうをあげてげぢしけるは、つよからむむまをばうはてにたてて、よわからんむまをばしたてになせ、むまのあしのおよばんほどは、たづなをくれてあゆませよ、はずまばかいくつておよがせよ、さきなるむまのをにとりつけ、くらつぼにみづしどまば、さうづにのりさがつて、むまにはよわくみづにはつよくあたるべし、くらつぼにのりさだまつて、あぶみをつよくふめ、むまのかしらしづまばひきあげよ、いつたうひいてひつかつぐな、かはなかにてかたきいるともあひびきすな、かぶとのしころをかたぶけよ、いつたうかたぶけて、てへんいさすな、かねにわたいて、あやまちすな、みづにしなうてわたすべし、わたせやわたせやとげぢしつつ、三百よきを一きもながさず、むかひのきしにさつとわたす。
宮の最後
 そののちあしかがたかきところにうちあがり、むちにてよろひのみづなでくだし、あぶみふんばりつつたちあがり、だいおんじやうをあげて、これはむかしてうてきまさかどをたひらげてけんじやうかうぶりたりし、たはらとうだひでさとに五だいのまつえふ、しもつけのくにのぢうにん、あしかがのたらうとしつながこに、またたらうただつなとて、しやうねん十七さいにまかりなる、かやうにむくわんむゐなるものの、みやにむかひたてまつつて、ゆみをひきやをはなつこと、みやうけんにつけてそのおそれすくなからずさふらへども、ゆみもやもみやうがのほども、へいけだいじやうのにふだうどののおんみのうへにぞさふらふらん、みやのおんかたにわれとおもはんひとびとは、すすめやむかへ、げんざんせんとて、びやうどうゐんのしばにおしよせ、ひいづるほどにぞたたかひける。これをはじめとして、二万よきのつはものどもも、みなうちいれうちいれわたしければ、さしもにはやきうぢがはなれども、むまひとにせかれて、みづはうへにぞたたへたる。おのづからはづるるみづには、なんにもたまらず、おしながさる。そのなかにいがいせのつはもの六百よき、むまいかだおしやぶられ、みづにおぼれてながれけり。もえぎ、ひをどし、あかをどし、いろいろのよろひかぶとのうきぬしづみぬながれけるは、かみなびやまのもみぢばの、みねのあらしにさそはれて、たつたのかはのあきのくれ、ゐせきにかかつてながれもやらぬにことならず。なかにもひをどしのよろひきたりけるむしや三にん、うぢのあじろにかかつてゆられけるを、いづのかみみたまひて、いせむしやはみなひをどしのよろひきてうぢのあじろにかかりぬるかなこれはひののげん三、とばのげん六、くろだの五らう四らうとまをすものなり。なかにもくろだはふるつはものなりければ、ゆみのはずをいはのあひにねぢたて、わがみもあがり、のこり二にんをもたすけけるとぞうけたまはる。さるほどに三ゐにふだうは、みかたのいくさまけいろにみえしかば、かなはじとやおもはれけん、わかたいしゆあくそうども廿よにんつけたてまつつて、みやをばなんとへさきだてたてまつり、わがみはこどもらうじうのこりとどまりて、ふせぎやいけり。なかにも三みにふだうのじなんげんたいふのはんぐわんかねつなは、あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひをき、くはがたうつたる五まいかぶとのををしめ、いかものづくりのたちをはき、廿四さいたるおほなかぐろのやをおひ、ぬりごめどうのゆみに、しらえのおほなぎなたのさやをはづいて、ちちの三ゐにふだうどのにかかりけるかたきに、かへしあはせかへしあはせさんざんにたたかはれけるところに、へいけのさぶらひたいしやうかづさのかみただきよがよつぴいていけるやに、うちかぶとをしたたかにいさせて、ひるみたまふところを、かづさのかみがわらはおちやうて、げんたいふのはんぐわんとむずとくむ。はんぐわんはてはおはれたりけれども、きこゆるしたたかびとにておはしければ、とつておさへ、わらはがくびかききつてなげのけ、おきあがらんとしたまふところを、かづさのかみがらうどうあまたおちあひて、げんたいふのはんぐわんのくびをとる。三ゐにふだうこのよしをみたまひて、よろづこころぼそくやおもはれけん、ゆみやになつつうちものになつつ、たたかはれけるが、かたき四五ききつておとし、わがみもいたでおひければ、びやうどうゐんのしばにかへり、もののぐぬぎおき、わたなべのちやうしちとなふをめして、はやはやなんぢかたきのてにかけで、わがくびうてとのたまへば、となふなくなく、おんくびたまはつつともぞんじさふらはず、ごじがいだにもさふらはばと、なみだもせきあへずまをしたりければ、三ゐにふだうさらばとてにしにむき、かうじやうにねんぶつす百べんとなへたまひけるが、ねんぶつをとどめ、さいごのことばぞあはれなる。うもれぎのはなさくこともなかりしにみのなるはてぞかなしかりけるそののちたちのきつさきをはらにおしあて、うつぶしにふしつらぬかつてぞうせられける。ことし七十五にぞなられける。かならずそこにてうたよむべきにはあらねども、わかうよりすかれたりければ、さいごまでもわすれざりけりとあはれなり。となふなくなくおんくびたまはつてひたたれにつつみ、おほきなるいしにくくりあはせて、うぢがはのふかきところにしづめてんげり。さるほどに三ゐにふだうのちやくし、いづのかみなかつなははしのうへにてたたかはれけるが、かたき七八ききつておとし、わがみもいたでおひければ、びやうどうゐんのしばにかへり、もののぐぬぎおき、じがいしてこそうせたりけれ。そのくびをば、しもかうべのとう三らうきよちかとつて、びようどうゐんのつりどののしたへぞなげいれたる。なかにも六でうのくらんどゆきいへ、そのこくらんどたらうなかみつは、たいぜいのなかにわつていり、さんざんにたたかひ、かたき四五ききつておとし、いつしよにうちじにしてんげり。このくらんどとまをすは、こ六でうのためよしがじなん、こたてはきせんじやうよしかたがちやくし、きそのくわんじやにはあになりけり。三ゐにふだうえうせうよりふぢして、くらんどにもなしたりしかば、そのおんをわすれじと、こんどどうしんしてうちじにしたりけるこそあはれなれ。なかにもわたなべきほふのたきぐちをば、へいけいかにもしていけどつて、うたいしやうどののげんざんにいれんとおもひあはれけるに、きほふさきにこころえてんげれば、てにもたまらずかけまはる。たいぜいのなかにわつていり、にしよりひがしへ一わたり、きたよりみなみへ一わたり、とつてはかへし、わつてはとほり、さんざんにたたかひ、かたき十四五ききつておとし、わがみはふかでもうすでもおはずして、びやうどうゐんのしばにかへり、三ゐにふだうのむくろのへんにちかづき、ひごろは一しよにとちぎりたてまつりしことなればとて、はら十もんじにかききつて、おなじまくらにふしにけり。なかにもゑんまんゐんのたいふげんかくは、つりどのにたつたりけるが、なぎなたのえくきみじかにとりなし、たいぜいのなかにわつていり、さんざんにたたかひ、一ぱううちやぶつて、うらへつつといで、かはへざんぶとぞとびいりける。かたきみかた、あはやげんかくこそじがいしてんげるとまをしけるに、もののぐをもぬかず、ぐそくひとつもすてずして、みづのそこをくぐつて、むかひのきしにわたりつき、だんにあがりなぎなたうちふり、いかにへいけのひとびと、これまではおんだいじかようとて、てらのかたへぞまかりける。なかにもへいけのかたのさぶらひたいしやう、ひだのかみかげいへは、ふるつはものなりければ、いまはさだめてみやはなんとへぞさきだたせたまふらんとて、五百よきにておひかけたてまつる。あんのごとくくわうみやうせんのとりゐのまへにておつつきたてまつり、さしつめひきつめさんざんにいたてまつる。たがいるやともみえざるに、しらはのやひとすぢきたつて、みやのおんそばはらにたちければ、やがておんむまよりおちさせたまひけり。へいけのつはものあまたおちあひて、みやのおんくびたまはりけり。くろまるとまをすわらはも、ここにてうちじにす。ぎやうぶしゆんしうもうたれにけり。わかだいしゆあくそうども二十よにんつきたてまつりたりけるも、もるるは一にんもなかりけり。みないつしよにてぞうたれにける。なかにもみやのおめのとご、六でうのすけのたいふむねのぶは、てんがだい一のだいおくびやうしやなりければ、みやはうたれさせたまひしかども、じがいをもせずうちじにをもせで、むまにまかせておちゆくほどに、むまはよわしかたきはちかづく、かなはじとやおもひけん、にいのがいけにとびいつてもひきかづき、めわづかにみいだしてぞゐたりける。いけのはたをうちすぎうちすぎしけるかたきのなかに、はるかにひきさがつて、五百きばかりうちとほりけるかたきのなかをみけるに、じやうえきたまへるひとのくびもなきを、しとみのもとにかいてとほる。あれはいかにとみたてまつるに、これぞわがしうのみやにてわたらせたまひける。われしなばごくわんにいれよとおほせなりしこえだときこえしおんふえも、いまだおんこしにぞさされたる。やがてはしりもいでて、とりつきたてまつらばやとはおもひけれども、それもさすがおそろしければ、ただみづのそこにて、かはづとともにぞなきゐたる。かたきみなうちとほりてのち、いけよりあがり、ぬれたるものどもしぼりきて、ゆふべにおよんでみやこへいる。にくまぬものこそなかりけれ。さるほどになんとのだいしゆ、みやのおむかへにまゐりけるが、つがふそのせい七千よにん、せんぢんはこづにすすめば、ごぢんはいまだこうふくじのなんだいもんにぞささへたる。されどもみやははやくわうみやうせんのとりゐのまへにて、うたれさせたまひぬときこえしかば、だいしゆちからおよばず、なみだをおさへてひきかへす。いま五十ちやうがあひだをまちつけさせたまはずして、うたれさせたまひけるみやのごうんのほどこそうたてけれ。
若宮の沙汰(あひ)
 さるほどにへいけのさぶらひどもはいづのかみいげつはもの五百よにんがくびとつてそのひのよにいつてみやこへいるへいけのゆかりのひとびといさみののしりたまふことなのめならずなかにも三みにふだうのくびはおほきなるいしにくくりあはせてうぢがはのふかきところにしづめてんげればなかりけりただしみやのおんくびみしりたてまつつたるものぞなかりけるてんやくのかみさだなりがごれうぢのおんためにとてつねはまゐりたりければこれぞさだめてみしりたてまつりたるらんとてめされけれどもげんしよらうとてまゐらず一とせおんひたひにあしきおんかさのいできさせたまひたりしをもこのさだもりがやうやうにれうぢまをしてこそいままでもあんをんにはわたらせたまひしをこんどあへなううしなひたてまつりけるこそあさましけれさるほどにいよのかみ(イ伊豆守)もりのりのむすめ三ゐのつぼねとて八でうのにようゐんにさぶらはれけるをみやよなよなめされければうちつづきわかみや三ところいできさせたまひけりこれぞさだめてみしりたまひたるらんとてたづねいだしたてまつるこのにようばうあるくびを一めみてなみだにむせばれけるにぞみやのおんくびとはしりてげるこのにようばうをばなのめならずにようゐんのおんいとほしみにておはしければみこのみやたちをもわがおんこのごとくおぼしめされてつねはぎよいのおんふところにてそだてまゐらつさせたまひけりなかにもこんねん七さいにならせたまひけるわかみやのわたらせたまひけるをにふだうおとといけのちうなごんよりもりをもつてわかみやとうとういだしまゐらつさせたまふべきよしをまをされたりければにようゐんいざとよそれはさやうのことのきこえつるあかつきがためのとのにようばうがこころをさなくもとりたてまつりていづかたへかゆきぬらんゆきがたもしらずとぞおほせけるこのよりもりのきやうとまをすはにようゐんのおんめのとぢみやうゐんのさいしやうどのにあひぐせられたりければひごろはさしもむつまじうおぼしめされけるにいまこのわかみやのおんことまをされければいつしかあらぬひとのやうにうとましうぞおぼしめされけるちうなごん六はらにかへりまゐつてこのよしまをされたりければにふだうおほきにいかつてなんでうそのごしよならではいづくにかわたらせたまふべきそのぎならばごしよちうをさがしたてまつれとぞのたまひけるちうなごんまたごしよにまゐりもんぜんにつはものおきなんどしてこのよしまをされたりければわかみやまをさせたまひけるはなじかはくるしうさふらふべきただとくいださせおはしますべしとまをさせたまひければにようゐんいとほしやわれからにだいじのいでくることをあさましうおぼしめしてただとくいだすべしなんどのたまふことのいとふしさよなにしにかかくうきひとをこの六七ねんてならしたてまつていまかくうきめをみることよとておんなみだにむせばせおはしますおんぼぎ三みのつぼねのおんことはなかなかまをすにおよばずにようくわんたちつぼねのにようばうめのわらはにいたるまでみなそでをぞぬらしけるちうなごんもさすがいはきならねばよにもあはれにおもはれけれどもさてしもあるべきならねばわかみやひとつことにのせたてまつて六はらへぐそくしたてまつらるさきのうたいしやうむねもりのきやうこのわかみやをみたてまつつてあはれにおもひまゐらせられければちちのおんまへにおはしてあはれこのみやのおんいのちをばむねもりにたびさふらへかしとまをされければにふだうさらばやがてごしゆつけせさせたてまつれとぞのたまひけるうたいしやうこのよしをにようゐんへまをされたりければにようゐんなのめならずおんよろこばせおはしましてただともかうもよきやうにとぞおほせけるやがてにんなじどのにしてごしゆつけせさせたてまつるやすゐのみやだうそんときこえしはこのわかみやのおんことなりまたならにも一ところわたらせたまひけれこれをばおんめのとごのさぬきのかみいへひでとりたてまつてほつこくにおちくだりしをきそこれをばわがしうにしたてまつらんとてとりたてまつてゑつちうのくにみやざきといふところにごしよしつらうておきたてまつりたりしが一とせきそうじやうらくのときぐそくしたてまつてみやこにのぼりげんぞくせさせたてまつるさてこそげんぞくのみやともまをしまたはきそがみやともまをしきのちにはさがのへんのよりといふところにわたらせたまひければひとのよりのみやとぞまをしけるさてもせうなごんこれながはみやをばあしうみそんじたてまつりたるものかななかごろとうじう(イ通乗)ときこえしさうにんはおほ二でうどのをば三だいのくわんぱくおんとし八十そちのうちのおとどをばるざいのさうわたらせたまふとまをしたりしにたがはずむかししやうとくたいししゆじゆんてんわうをみまゐらつさせたまひきみはわうしのさうわたらせたまふとまをさせたまひたりしはむまこのだいじんにころされさせたまひけりむかしはさせるさうにんとしもはなけれどもさもしかるべきひとはみなかくこそゆゆしうわたらせたまひしにこれはせうなごんこれなががひがごと也(なり)とぞひとまをしけるかのけんめいしんわうぐへいしんわうはけんわうせいしゆのみこにてさきのちうしよわうあとのちうしよわうとてともにめでたうわたらせたまひたりしかどもいつかごむほんおこさせたまひたりし
三井寺炎上
 ご三でうゐんのだい三のわうじすけひとのしんわうときこえしはおんこころもがうにごさいがくもゆゆしうわたらせたまひしかどもしらかはゐんなんとかおもひまゐらつさせたまひたりけむつひにみくらゐにもつけまゐらつさせたまはずさればそのおんこころをなぐさめまゐらせんとにやおんこはなぞののさだいじんどのにげんじのしやうをさづけまゐらつさせたまひてむゐより三ゐしてやがてちうしやうになしまゐらつさせたまひけりむかしより一せいのげんじのむゐより三ゐになることはさがのてんわうのみこやうぜいゐんのだいなごんさだむのきやうのほかはうけたまはりおよばずおなじき廿四かにぢもくおこなはれてさきのうたいしやうむねもりのおんこじじうきよむねしやうねん十二さいになられけるが三ゐして三ゐのじじうとぞまをしけるちちのきやうはこのよはひにてはわづかにひやうゑのすけにてこそおはせしにさこそよをとるひとのこならんからにおそろしおそろしとぞひとまをしけるこれはみなもとのもちひと三ゐにふだういげつゐたうのしやうとぞきこえしおなじき廿五にちにみなもとのもちひと三ゐにふだういげてうぷくせられたりしきそうかうそうたちにけんしやうおこなはれけりこのみなもとのもちひととまをすはたかくらのみやのおんことなりまさしく一ゐんだい二のみこにてわたらせたまひけるをここのへのうちをおひいだしたてまつつてうしなひたてまつるのみならずぼんにんにさへなしまゐらせぬることこそくちをしけれひごろはさんもんのだいしゆいささかのこともあればみたりがましくうつたへつかまつるがこんどはをんびんのぎをぞんじておともせずしかるになんと三ゐでらはあるひはみやをふぢしたてまつるあるひはおんむかへにまゐるこれひとへにてうてきなりとてならをもてらをもはつかうあるべしとぞきこえしへいけさらばまづをんじやうじをはつかうせよやとてたいしやうぐんにはにふだうの三なんさひやうゑのかみとももりおととにさつまのかみただのりさぶらひ大しやうにはゑつちうのぜんじもりとしじらうびやうゑもりつぎかづさの五らうびやうゑただみつをさきとしてつがふそのせい三千よきおなじき五ぐわつ廿七にちにをんじやうじへはつかうせられけりてらにもおほぜきこぜきほりきつてさかもぎひいてまちかけたりふせぐところのだいしゆ三百よにんうちころさるそののちぢちうにみだれいつてひをはなつやくるところはどこどこぞほんかくゐんしんによゐんじやうきゐんだいがくゐんけおんゐんふげんゐんしやうりうゐんこんがうわうだうけいそくばうけうたいくわしやうのほんばうならびにごほんぞんごわうぜんじんのしやだん八けん四めんのだいかうだうしゆろうきやうざう二かいのろうもんくわんちやうだうすべてだうしやたふめうあはせて六百廿七うおほつのうらのにしのざいけ二千八百五十三うことごとくちをはらふそのなかにこんだう一うやけのこりけるこそふしぎなれだいしのわたしたまへる一さいきやう七千よくわんぶつざう二千よたいもたちまちにけぶりとなるこそかなしけれほうもんしやうげうのやくるけぶりにはだいぼんてんわうのまなこもくれしよてん五めうのがくもこのときながくばうじけんらうぢしんのたんしきりにこがれりうじん三ねつのくるしみもまさるらんとぞおぼえたる三ゐでらはこれあふみのぎだいりやうがわたくしのてらたりしをてんぢてんわうへよせたてまつてごぐわんとなすほんぶつはかのみかどのごほんぞんしやうじんのみろくとぞきこえさせたまひししかるをけうたいくわしやう百六拾ねんおこなうてのちちしようだいしにふぞくしたてまつるとしたてんじやうまにはうでんよりあまくだらせたまひてはるかにりうげげしやうのあかつきをまたせたまふてんぢてんぶぢとうこれ三だいのみかどのおんうぶゆをめされたりしによつてこそ三ゐでらとはなづけられけれかくめでたかりしせいせきもいまはなにならずけんみつしゆゆにほろびてがらんさらにあともなし三みつのだうぢやうもなければしんれいのひびきもたえ一げのぶつぜんもなければあかのおともせざりけりしゆくらうせきとくのめいしはぎやうがくにわかれじゆほうさうしようのでしどもはきやうげうにこそわかれんだれ
あひ
 そうかう十二にんけつくわんせらる。あくそうどもには、つつゐのじやうめうみやうしゆんをさきとして、卅よにんをきんごくせらる。三ゐにふだうみやをば、さしもたのもしげにまをして、すすめまゐらせたりけれども、をんごくはしらず、きんごくのげんじだにもまゐらねば、みやをもあへなううしなひたてまつり、わがみもしそんも、ことごとくほろびぬるこそあさましけれ。
ぬえ(空+鳥)
 そもそもげん三ゐよりまさにふだうの、一ごのあひだかうみやうとおぼしきことおほきなかにも、ことにはこのゑのゐんのおんとき、しゆじやうよなよなおびえさせたまふことあり。くだんのごなうは、ひがし三でうのこむらより、くろくも一むらごてんのうへに、おしおほふとおぼしきときは、しゆじやういよいよおびえさせたまひけり。これによつてさんもんなんとのきそうかうそうにおほせて、だいほふひほふしゆせられけり。またぶしをもつてもけいごあるべしとて、げんぺいりやうかのつはものをぞめされける。よりまさのきやうのいまだそのころひやうごのかみたりしとき、めしぬかれてまゐる。これはほりかはのてんわうのぎよう、くわんぢのころかとよ、しゆじやうかやうにおびえさせたまふことあり。そのときのしやうぐんよしいへのあそんをぞめされける。かうのかりぎぬのそでながやかにかいつくろひ、なんでんにしこうして、めいげんすること三どののち、これはさきのむつのくにのかみみなもとのよしいへのあそんぞやと、かうじやうに三ケどまで、ののしつたりければ、ごなうやがておこたらせたまひけり。こんどそのれいとぞきこえし。よりまさまをしけるは、てうかにぶしおかるることは、ゐちよくのともがらをしりぞけ、またはぎやくほんのものを、しづめられんがためにてこそあるに、めにもみえぬへんげのものいよとのちよくぢやうこそ、しかるべからね、とはまをしながらりんげんそむきがたうして、しらあをのかりぎぬのそでながやかにかいつくろひ、たのみきつたるらうどう、とほたふみのくにのぢうにんゐのはやたに、ほろのかさきりにてはいだりけるや一こしおほせ、ぬりごめどうのゆみに、やまどりのをにてはいだりけるとがりやふたつとりそへ、なんでんにしこうして、よふくるまませけんをうかがひみるほどに、あんのごとく、そのよのやはんばかりに、ひがし三でうのこむらよりくろくも一むら、ごてんのうへに五ぢやうばかりぞたなびいたる。くもすきにみければ、くものなかにすがたあるものあり、よりまさとがりやをとつてうちつがひ、よつぴいてひやうといる。ふつとあたる。よりまさえたりやおうとやさけびをこそしたりけれ。やがてやたちながらていじやうへどうとおつ。ゐのはやたつつとよりとつておさへ、こしのかたなをぬき、つかもこぶしもとほれとほれと、九かたなぞさいたりける。そののちてんでにひをとぼしてみたまへば、かしらはさる、むくろはたぬき、をはくちなは、あしてはとらのごとくにて、なきごゑぬえにぞにたりける。きたいふしぎのものなりけり。ごなうやがておこたらせたまひけり。しゆじやうぎよかんのあまりに、ししわうとまをすぎよけんを、よりまさにこそくだされけれ。らいちやうのさふたまはり、ついでごてんのきざはしを、なからばかりおりくだらせたまひて、よりまさにたまはしける。ころはうづき十かあまりのことにてもやさふらひけん、ほととぎすくもゐに二こゑ三こゑおとづれてすぎければ、やがてさだいじんどの、ほととぎすなをもくもゐにあぐるかなとおほせられかけたりければ、よりまさかしこまつてうけたまはり、もとよりこのむことなれば、つきをそばめにかけて、ゆみはりづきのいるにまかせてとつかまつて、ぎよけんをたまはつてまかりいづ。そののちくだんのへんげのものをば、うつぼふねにいれて、にしのうみへぞながされける。そのときのけんしやうには、たんばの五かのしやうをぞたまはりける。また二でうのゐんのぎよう、おうはうのころかとよ、ぬえとまをすけてうが、よなよなぢんとうにないて、しばしばしんきんをなやましたてまつる。せんれいにまかせて、またよりまさをぞめされける。よりまさまをしけるは、げんぺいりやうけのうちより、めしぬかれてまゐること、みのめんぼくとはまをしながら、いおふせんことふぢやう、いそんぜむことはけつぢやうなり、ただいまいそんずるほどならば、ゆみきりをつてさんりんにまじはるべし、さるにても八まんだいぼさつあはれみをたれさせたまへと、しんちうにきせいして、またなんでんにしこうす。ころはさつきはつかあまりのことなれば、さみだれさへにかきくれて、めざすともしらぬやみなるに、くだんのけてうが、ただ一こゑおとづれて、二こゑともなかざれば、いづくにありともしりがたし。すがたもかたちもみえざれば、いづくをやつぼとさだめがたし。よりまさはかりごとに、かぶらをとつてうちつがひ、よつぴいてひやうといる。ぬえかぶらのおとにおどろいて、こくうにしばらくひひめいたり。つぎにこかぶらをとつてうちつがひ、よつぴきしばしたもつて、ひいふつとぞいおとしたる。ごなうやがておこたらせたまひけり。しゆじやうぎよかんのあまりに、ぎよいを一りやうよりまさにこそくだされけれ。こんどはおほゐのみかどのうだいじんきんよしこうたまはりついで、ごてんのきざはしを、なからばかりおりくだらせたまひて、よりまさにうちかづけさせらるとて、むかしのやうゆうはくものほかなるかりをい、いまのよりまさはあめのなかにぬえをいえたりとぞおほせける。やがてうだいじんこう、さつきやみなをあらはせるこよひかなとおほせられかけたりければ、よりまさかしこまつてうけたまはり、たそがれどきもすぎぬとおもへばとつかまつて、ぎよいをたまはつてまかりいづ。よりまさゆみやをとつててんがになをあぐるのみならず、かだうのかたにも、いうにやさしかりけりと、きんちうさざめきあへり。そのときのけんじやうには、わかさのとうのみやかはをぞたまはりける。そもそもこのよりまさのきやうとまをすは、つのかみよりみつに五だいのまご、さきのみかはのかみよりつなのまご、ひやうごのかみなかまさのあそんのこなりけり。はうげんにまつさきかけたりしかども、させるごおんにもあづからず、へいぢにおほくのしんるゐをすててみかたにまゐりたりしかども、おんじやうこれおろそかなり。ぢうだいのしよくなれば、おほうちのしゆごうけたまはつてとしひさし。されどもしようでんをばゆるされざりしかば、はるかにとしたけよはひかたぶいてのち、じゆつかいのわか一しゆよみてこそ、しようでんをもゆるされたりしか。ひとしれずおほうちやまのやまもりはこがくれてのみつきをみるかなとつかまつつて、四ゐしてしばらくさふらひけるが、また三ゐをこころにかけて、のぼるべきたよりなければこのもとにしひをひろひてよをわたるかなとつかまつつて三ゐになされ、しゆつけしてほうみやうじやうれんとぞまをしける。たんばの五ケのしやう、わかさのとうのみやかは、いづのくにをもちぎやうして、しそくなかつなずれうになし、さてあるべかりしひとの、よしなきむほんおもひたち、みやをもあへなううしなひたてまつり、わがみもしそんことごとくほろびぬるこそあさましけれ。


 

入力者:荒山慶一



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