賜 天覧 台覧
日本児童文庫
図画と手工の話
             山本鼎著
              ARS



目上の方々へ

 日本児童文庫  巻中の一冊を任せられたことは、実に光栄でした。差し当り、数十万の児童ならびにその目上の方々に、自分の意見を読んでもらへることはまことに果報です。私は油絵かきですが、ふとした動機で教育の方面へ首を突つ込みました。教育といつてももちろん美術に関したことで、世に『自由画』と称ばれる、あゝいふ絵の最初の鼓吹者は私です。もちろん、今日のいはゆる自由画の成績そのものには、私を安んぜしめない傾向がいろ/\あります。たとえぱ、色彩一途に流れて、でつさんの進歩を伴はないことや、臨物写生一点ばりの弊等々大いに指導者の注意を喚起せねばなりませんが、しかし自分等のあの運動は、結局有意義であつたと思ひます。日本の子供達は、あの運動の結果、『自然』に就いて学ぶようになり、各自に表現法を工夫し、独創の楽しみを知るようになりました。そして小学校の美術的学科は、家庭や社会に親しいものとなつて来たのであります。
 世には、高踏的な美術にのみ存在の意義を附し、庶民通俗の美術心を蔑視する人がありますが、私の性分及び思想は、むしろ庶民通俗の美術心に、より多く関心せしめ、成熟期の画道よりも、原始的画道の方に美術の真髄を感悟せしめます。私はもし父の業を継いで医を職としたなら、『公衆衛生』を専攻したかも知れません。私は子供達の図画手工の学習を『美』に関した衛生思想の涵養と見てをります。国民の保健を完全にし、体力を増進せしむるには、衛生思想の普及を第一とし、親切で老練な開業医を到る所にもち、生粋の医学者を数多く持たねばなりますまい。それと同じわけで、わが国民をして『美』に対する徳性を完備せしめ、作家をして雄大な為事をなさしむるには、生粋な美術だけでは足りません。通俗な美術も、小国民の美術教育も、共に必要です。しかも現状はどうでせう、展覧会美術は繁盛ですが、産業的美術や、子供の美術教育は貧相もしくは陳腐です。すなはち、大衆の日常生活には『肉』がありません。
 さて、この一冊は、子供さんに図画や手工を教へるようにと、文庫は組み込まれたものでせうが、技術の指導は文字ではやりにくい、それに綿密にかけばかく程、読む身にとつては退屈でせうし、描き方作り方は学校でおほよそ教はつてをられるわけですから、私はもつぱら興味をそゝるように心掛けて、小説風に筋を立てて、叙事や会話でそくばくの指導を試みました。それにしても、全体にむづかしすぎると思ひますが、とかく思想を述べたい私ではあるし、表現法が未熟なせいで致し方ありません。もつともところ/゛\、子供の知識をあへて度外視して、お両親や先生を相手に書いてあります。たとへば『四人展覧会』の原さんのおしやべりなどがそれで、結局私は、この本を読む子供さんが親近な目うへに、更に噛みくだいてもらふことを望んでゐるのです。どうぞそのことを、よろしくお願ひ致します。なほ解し難い点がありましたら、御指摘下さい、『学習新聞』紙上でお答へ致しますから。

   昭和三年八月
                     山本 鼎




目次
 一 旅行のおしたく…………………………三
 二 高原の避暑地……………一九
 三 浅間山の写生…………二六
 四 太郎君の静物画……三七
 五 孝子さんの絵草紙…………五五
 六 油絵かきさん……………………………六五
 七 百姓家の鎮雄君七八
 八 油絵かきさんのお話………八六
 九 みち子さんのすけつちぶつく…………………九六
一〇 雨ふりの二日間……………一一二
一一 ぎによーるのお芝居………………………一四二
一二 四人展覧会…………………一六四
一三 みち子さんから鎮雄さんへの手紙一七五
一四 鎮雄さんからみち子さんへの手紙一八二
一五 お母さんの夜話……………………一九二
一六 お母さんの夜話……………………二〇三
一七 鎮雄君からの小包み……二〇九
一八 孝子さんの図案………………二一六
一九 みち子さんの更紗…………………二三二



図画と手工の話



装幀・恩地孝四郎
挿絵・山本 鼎




一、旅行のおしたく

 みち子さんのおうちでは、毎年海辺へ避暑するのでしたが、今年は山へゆくことになりました。それは、弟の太郎君がいつぞや歌舞伎座の童謡音楽会で、白秋さんの『秩父の宮様』を聴いて来てから、急に山へゆきたくなり、姉さんも妹も身方につけて、熱心にお母さんを説き伏せた結果でした。
 太郎君は丈夫で活溌なくせに、皮膚だけは生まれつき弱く、虫にさゝれるとじきに水腫れになつて、夏中両脚に繃帯をしてゐるようなわけでしたから、お母さんは、虻やぶよの多い山地をさけて、砂浜や塩風で皮膚を鍛へてやらなければならないと考へ、静浦行きを主張したのですが、とう/\子供達の同盟軍に負かされて、信州行きときまり、軽井沢と山一つを隔てた星野温泉の、落葉松林のなかの小さな夏季別荘をかりて、八月一ぱいをそこに送ることになつたのでした。
 で、昨日からその旅行のお支度でうちじゆう大騒ぎなのです。大小の旅行鞄が三つ、蒲団包みが二つ、柳行李が一つ、すつかり荷造りがすんで玄関にまとめられ、お母さんが、茶の間で飲料や薬品類をばすけつとにつめてゐるところに、みち子さんと太郎君が、買ひ物を両手に提げて、えらい勢ひで帰つて来ました。そして先を争つて買ひ物の御報告です。
「お母さん、僕ね、お金をみんな使つちまひましたよ、三脚はずいぶん高いんですよ。ほらこんな三脚、僕、山崎さんの持つてゐるような大きいのが欲しかつたのだけれど、あれは二円八十銭もするんですつて、かなはないや……」
「子供はそれでたくさんだわ、──お母さん、太郎さんはずいぶんなまいきよ、しよーういんどの油絵の道具が欲しくてしようがないの」
「なんだい、みいちく、自分だつて欲しいくせに、こないだ山崎さんに空のちゆーぶを貰つてよろこんでゐたぢやないか」
「空ぢやないわ、お気の毒様、とても美しいばいおれつとこばるとがどつさり出て来たわ。──くれぱすさん、いーだ」
「なにつ」
 太郎君はいきなり姉さんの買ひ物に飛びかゝりました。姉さんは驚いてかなきり声をあげ、くれいよんや鉛筆の組み合せを買つてもらつて大よろこびの小さい孝子さんも、びつくりしてお母さんの背なかへ駈け寄りました。お母さんは破顔しながらたしなめます。
「みち子さん。大きななりをしてその声はなんですね。二人とも早くお買ひ物をお父様にお目にかけていらつしやい」
 みち子さんたちのお父さんは、お医者様です。午前の診療がすみ、その時手術服のまゝ庭に出て花畑をいぢつてゐられましたが、子供たちに呼ばれると縁側へ戻つて来て、みち子さんと太郎君の買ひ物の説明を、面白そうに、ちよい/\質問をはさみながら聴くのでした。
「お父さん、僕のはこれだけです」
 さういふ太郎君の買ひ物は、三脚、かるとん、画板、ぺーぱぶろつく、くれぱすの五品で、皆絵の用品でした。お父さんにまづ、
「ほう、絵かきさんの腰かけを買つて来たね」
といはれて、太郎君は、はにかみながらも大得意でした。
 今度の買ひ物で、太郎君を有頂天にさしたのは、一本の丸太が、開くと三本脚になるこの奇妙な腰かけでした。学校で遠足をした時、大勢があるひは草原の上に坐り、あるひは石に腰かけ、あるひは新聞紙や風呂敷きを地面に敷いて写生をやつてゐるなかに、四五人、この腰かけをもつてゐる子供がゐて、勝手なところで腰かけてゐるのを見てから、欲しくてたまらなかつた器具でした。それ故太郎君は、顔を輝かしてお父さんに説明するのです。
「お父さん、これはね、三脚つていふんですよ。こないだ山崎さんがお母さんに『三脚を買つておやりなさい』つていつたの、地べたや草の上に坐つて写生すると病気になるんですつて、──僕これですつかり揃つちやつた」
「道具をそろへて、へたくそな絵をかいては駄目だぜ太郎、──なんだい、このぼーる紙に紐のついてる物は……」
 太郎君が即答出来なかつたので、みち子さんが説明しました。
「お父さん、これはかるとんていふ物よ、描いた絵を散らさずにこのなかにしまつておくんです。かるとんて、フランス語ですつて。先生がね、自分の作つた物を粗末にするようではいけません。絵や図案はかるとんに挟んでちやんと保存しなさいとおつしやつたんです。それで、わたし達は皆かるとんを持つてゐるんです。太郎さんは甲上の絵でもなんでも、かまはずなくしてしまひますから、私が買つてやつたんです」
「ふむ、そりや感心だ、みいちくさんも女学校になつてから急にえらくなつたね」
「知らないわ、いやあなお父さん」
「あつはつはつはつ──くれぱすつてやはりくれいよんかい」
 太郎君は、かうきかれてちよつとひるみました。といふのは、さつき、姉さんといひあひをした時、「くれぱすさん、いーだ」といはれたあのことからです。太郎君がくれぱすを愛用しだしたのは今学期からですが、くれぱすを使ふようになつてから、太郎君はめきめきと絵が上手になつて、学校では甲上をつゞけ、展覧会ではきつと賞をもらふのでした。それは、くれぱすはくれいよんよりもずつと描きいゝからで、例へば、くれいよんは色が重なり合ふだけで、よくまざりませんが、くれぱすはぱすてるのように自由自在にまざるのです。又くれいよんでは、暗い色の上へ明るい色はきゝませんが、くれぱすはそれが勝手にきゝます。ですからこの頃の太郎君の絵は、まるで油絵のようです。もつとも大人の油絵のように、丸みや遠近の感じは出てゐませんが、色合ひの深さや、明るい色で描きおこしてあることなどがさうです。
 太郎君は好んでみち子さんや、孝子さんや、女中の徳やなどをもでるにして、肖像を描きますが、その顔の肉色の出し方は、ざつとこんなあんばいです。まづ、くれぱすのほわいとで顔全体を薄く塗りつぶします。それからその上を、おれんぢでかきまはします、次ぎにばあみりよんとくりむそんをまぜくります。そして又、ほわいとを使つて描きまぜながら、思ふ肉色を作るのですが、それは実に、ちーすのように潤ひをもつた底味のある肉色なんです。面白いのは、眉毛や瞳のところなどを、ないふの尖を使つてくれぱすをさらひ取ることです。くれぱすは柔かいから、さうしないと眉毛や瞳を描き表さうとする黒なり暗褐色なりが、地の明るい色とまじつてぼやけてしまふからなのです。また着物の模様とか屋根瓦とかいふものを、太郎君は、まづ地を一様に塗りつぶしておいて、明るい色でのんきに描きおこすのです。すべてかうした技巧は、くれぱすを使ひ出してから、太郎君がひとりでくふうしたものでした。
 太郎君やみち子さんが、よく山崎さん山崎さんといふのは、お母様の従弟に当る人で、美術学校の生徒さんですが、その人が太郎君のくれぱす画を見て感心し、「太郎君は色に対していゝ感覚をもつてゐる、いつそ油絵をやらして見たいね」と申したことがありますが、太郎君も実はこの頃、油絵を描いて見たいのです。くれぱすそつくりの色合ひが出て、くれぱすよりはずつと高等なものらしい油絵の具といふものが欲しくてたまらないのですが、文房堂のしよーういんどに飾つてあるうちの一番安いものでも、一揃ひ七円五十銭もするし、すもーるちゆーぶでも一色二三十銭しますから、太郎君はたゞ眺めて楽しむより仕方がない、そこで姉さんに「くれぱすさん」とひやかされて、ひどく侮辱を感じたわけなんです。
 しかし、中学にはひれば、山崎さんが、今自分の使つてゐる本式の絵の具箱をくれるといふし、その時、お母さんが絵の具や筆を買つてくださる約束ですから、太郎君は内心楽観はしてゐるんです。で、活溌な声でお父さんに答へました。
「ちがひます、くれいよんなんて、孝子ちやんの使ふ絵の具ですよ、くれぱすはね、お父さん、要するに固形油絵の具なんですつて、だから僕の……」
「要するにだつて、山崎さんのまねをしてゐるわ、なまちやんね」
「だまつてろい、みいちく、いーぜるをおつぺつしよつちまふぞ」
 今日みち子さんの買ひ物のうちで、いーぜるはすたーでした。折り畳み式の旅行用いーぜるを手に入れたみち子さんの喜びは、小さい頃、友禅の振り袖を着せたお人形さんを京都の叔母さんからもらつた時の喜びと同じものでした。太郎君は得意で三脚に腰かけて見せましたが、みち子さんも得意でいーぜるをそこに組み立てゝお父さんにお目にかけました。
「きやしやな画架だね、風に吹き飛ばされそうだな」
「えゝ、これが一番小さいの、でも旅行のすけつちにはこれで十分よ。風が強い時は、ここのところに紐をつけて、石か棒杭にゆはひつけておけば大丈夫ですつて、お父さん、信州は風が吹いて──。西の方に日本アルプスが見えるんですつてね、私早くいーぜるを立てゝ描きたいわ」
「今夜たつのかい」
「いゝえ、明日になつちやつたの」
「あの辺は風が強いよ、それにすさまじい夕立ちが来るね、雷の大きいこと」
「やあこはいな、僕、蚊帳のなかへ逃げ込むんだ。お父さん、虹が出ますか」
「そりや出るとも」
「二重の虹も出ますか」
「出るだらうな」
「すてきだなあ、お父さんね、姉さんがもつてゐる英国の絵に、二重の虹が出てゐるんですよ」
「えゝ、ジヨン・シスレーの『盲たる少女』つて絵よ。手風琴を膝においた盲の娘が土堤に腰かけてゐて、遠景に村が見えて、暗い空に虹が二筋出てゐたわね。太郎さん、どうして二重の虹が出るか知つてゝ」
「知つてる、蜃気楼とおんなじなんだらう」
「えゝ、さう、太郎さんえらいわね。──お父さん、こんないゝ水彩絵の具も買ひました。ちゆーぶのよりは、この陶器にはひつた練り製のが、絵の具がかたまらなくて一番いゝんですつて。──私、うんと水絵を描かなくつちや」
「ふむ、これはちよーくだね」
「いゝえ、こんてーです。こんてーで素描して、らつくで止めて、それから水絵の具で淡彩するのが、今学校で大はやりなんです。滝田先生はお父さん、そりや効果がやかましいんですよ。水絵は手際がむづかしいから、でつさんがくづれがちでいけない。君達の眼と手にはこんてー淡彩が最も適してゐるつておつしやるの。私もこんてー淡彩は、はぎれがよくて好き……」
「その巻き尺のようなのはなんだね」
「これですか、画用紙を水張りにする時の縁貼り用の紙です」
「なに、そんなものか、ちとぜいたくだね」
 みち子さんは、首をすくめて赤くなりました。滝田先生もおつしやつた、「水絵の写生には、必ず画板に紙を水張りすることを怠つてはいけない。縁貼りの紙は丈夫な紙でさへあれば、ほぐで結構だ。五分ぐらゐの幅に切つて、糊をたつぷりつけて、手早くお貼りなさい」と。ところが、今日文房堂で、美しいお嬢さんがこれを買つてゐたので、みち子さんはつい釣り込まれて買つてしまつたのです。それ故、お父さんに「ぜいたくだね」といはれてぐうの音も出ませんでした。みち子さんはてれた顔をして、お父さんに文房堂の伝票をお目にかけました。それには左のように表示してあります。
 画架 三円五十銭
 三脚 一円七十銭
 画板 五十銭
 かるとん 五十銭
 十三色入り水彩絵の具箱
    三円五十銭
 筆10、7、1、三本 七十八銭
 ぺーぱーぶろつく三冊一円
    五十九銭
 すけつちぶつく 一冊 三十八銭
 こんてー 三本 三十銭
 くれぱすり一個
    六十銭
 組み合せ文房具一個
    五十銭
 縁貼り用紙一巻き 十五銭
   合計金拾四円也
 みち子さんは、それに、かう説明を加へました。
「今日のお買ひ物は、お母さんにおゆるしを受けて、めい/\の郵便貯金を使ひました、太郎さんが四円出し。私が十円出したんです。太郎さんのお買ひ物は三円七十三銭で、私のが九円七十二銭でしたから、五十五銭あまつたの。それで孝子さんに組み合せ文房具を買つてやりました。──孝子ちやん、あなたのお土産をお父さんにお目にかけない」
 孝子さんは、もう箱から出して、なかみをそこらに散らかしてゐましたが、姉さんにさういはれて、急いで箱へあつめかゝりました。

二、高原の避暑地

 信越線軽井沢駅のつぎが沓掛駅、そこで下車して、旧草津街道を浅間山のほうへ十八町ばかりはひると、「星野温泉入り口」とかいたぺんき塗りの標柱にでつくはします。温泉宿はそれからなほ四五町おくの谷合ひのへいぼんな盆地に建つてゐますが、木造のごく粗末な、ちよつとあのへんの小学校に似た横長い家屋、別棟の浴場があり、玉突き場があり庭には田船をうかべた池もあれば、てにすこーともあつて、夏場は、避暑客と浅間登山のすぽーつ連でことのほか混雑するところです。しかし、それは宿の近辺にかぎられ、まはりの小山の落葉松林のなかに点在する別荘は、又さびしいくらゐ閑静なのです。
 昨日みち子さん達が、こゝへ着いた時は、あいにく吹き降りで、まるで景色は見えず、迎への自動車に体と荷物を無事にはこばれて、まづ安心はしたものゝ、宿に一ばん遠い別荘とて、水も火もなか/\間に合はず、雨気は部屋いつぱいにつまつて、八月といふに唇が灰色になりそうな冷えかた、とりあへず障子をしめて、子供達にめりやすのしやつを着せたようなわけでした。
 間もなく、宿からをかもちで運ばれた食膳で、お夕飯をすませて、お母さんも徳やも、ほつとしましたが、電燈は東京へんの五燭ほどに暗く、そのうへ幾度か消えて、蝋燭の用意のない身をめんくらはせ、谷あひにしぶく風雨の声がだん/\恐ろしくなりだして、孝子さんはとう/\泣き出すし、太郎君もみち子さんもお母さんの傍にかたまつてだまつてしまふありさま。誰しも幻滅を感じて、口には出さないが、「こんなことならおなじみの静浦にすればよかつた」と後悔しながら、言葉すくなに一同早寝をしたのでありました。
 ところが今朝起きて見るとどうでせう、天地は嘘のように変つてゐます。朝五時、がらす窓が映写幕のように明るくなつた部屋のなかで、みち子さんは、ばつちり眼をあいてゐます。むろん寝床のなかで、両手をかろく蒲団の上へ投げ出して、なにかうれしそうに聴き耳を立つてゐましたが、やがてお母さんに呼びかけました。
「お母さん──お母さん──お母さんてば。鳥が鳴いてゝよ、お天気そうよ」
「をや/\、おねぼうしましたね、でもみいちやん、雨は降つてゐるようね」
「いゝえ、あれ瀬の音よ。私もはじめ雨の音と思つたわ。ほら、鳥が鳴いてゐるでせう、ぴーぴちよ──ぴーぴちよつて。変つた声ね、あの声を聴いてゐるとなんだかお母さん、深山へ来たような気がするわ」
「ほんとにね、お母さんもなんて鳥か知らないけれど、谷川にゐる小さな鳥で、あの鳥が鳴くと雨が霽れるといふね。いつかみいちやんも村山さんに、登山のお話をうかゞつたでせう。村山さんがお友達と二人で、日本アルプスへ登つて、鎗が岳の下から飛騨の蒲が谷に下らうとして、大そう難儀をなすつた、あのお話さ」
「えゝ、ひどい夕立ちで、焚き火は消えちやうし、てんとのなかまで水が流れるのでまつ暗やみのなかに強力と四人で、わらぢを積み重ねてそれに腰かけて夜明けを待つたお話でせう」
「さう/\、やつと夜が明けて見ると、一ぱいの濃霧で、まだ小雨がふつてゐて、とんと島流しにあつてゐるようであつたとおつしやつたね。着物もお米もぐつしより濡れてしまふし、もしこの霧がはれなかつたら立ち往生と観念してゐると、なんといふ強力だつたかね、あゝさう、惣八といふ、自分の打つた羚羊の毛皮を、胴着に仕立てゝ着てゐるおぢいさんでしたね。その人が、小鳥の鳴き声を聴きつけて、あいつが鳴いてゐるから、大丈夫雨は上るといつたので、皆活きかへつたとお話になつたらう。──あの鳥ですよ、きつと」
「ぢやあ、今日は大丈夫お天気ね。もう起きて開けませうか、お母さん」
 みち子さんは縁側の戸を開けると、叫び声をあげました。
「まあ、すてき。お母さん早く来てごらんあそばせよ。とても美しい景色よ、上天気で、遠くの山が見えます」
 なるほど、その縁側からは、雨の玉のきら/\する渓谷の草木を前景にして、遠く甲信国境の連山よりも又うすく、麗しい朝日に霞んで八が嶽が見えました。中景のそーす色の帯は、沓掛の民家でせう。今そこから、瓢箪の形に白い煙りが吐き出されました。駅の汽缶車の蒸気です。そのあたり一たいの、畳を敷いたような緑野は、桑畑、馬鈴薯畑、きやべつ畑です。きやべつ畑は青磁色で、もつと高みへいつて見おろすならば、同色の畑がこの辺一ぱいにひろがつてゐるのに驚くでせう。なんでも東長倉村西長倉村にかけて、五千町歩もきやべつ畑があるといふことです。も一つこの辺に目立つものは、氷室です。みち子さんの別荘からも、一つ見えます。地面にめり込んだようなせいの低い藁屋根の家がそれで、そばに必ず池があります。冬にかゝるとその池の面は、落葉松の丸太と蓆で造つた高い防風壁でいくつかにしきられて、清水が張られます。軽井沢の天然氷なるものは、その清水で造られてあの小屋に貯蔵されるのです。
 みち子さん達の別荘のあるところは、わらび野といふ、小高い岡で、南向きの縁側の前は、わづかな地面をのこして、野菜の段々畑になつてをり、そのさきは虎杖の茂つた河原で、昨夜の豪雨に水かさをました瀬川が、碓氷河を目ざして、見えがくれにはしつてゐます。眼近く、落葉松山の交叉するかなたに、雲水の笠を伏せたような浅間が、空いつぱいに跨つてゐます。沓掛からの登山路は頂上までわづかに三里、この上台の千が滝遊園地をぬけて、山道にはひり、小浅間の裾を通つて急な登りにかゝるのですが、登山者は松明をもやして、たいてい深夜に出発し、夜明け前に頂上へ着き、頂上で日の出を拝むのをめあてにするのです。しかし、なにぶん昨夜のあの風雨では、さぞ美しかつたであらう今朝の日の出を拝んだ人は一人もなかつたに相違ない。
 太郎君は、浅間が見えると聞いて、顔も洗はずに丸木橋のところへおりて来て、まともに朝日を浴びた赤肌の浅間を、絶え間なく吐き出されるうす茶色の煙りを、あかず眺めてゐるのでした。

二、浅間山の写生

 菜つぱの味噌汁と福神漬けで朝御飯がすむと、みち子さんも太郎さんもさつそく写生(しやせい)に出かけました。お母さんは、「まあ、もう出かけるのかい。荷物のしまつをしたり、皆でお父さんへ御手紙を出したりして、午後に写生に出ればいゝのに」とおつしやつたが、二人ともがまんが出来ませんでした。
 太郎君は、くれぱすと画用紙のぶろつくを風呂敷きに包んで左手にかゝへ、御自慢の三脚を大事そうに右手にもつて先にたち、みち子さんは、買ひたての絵の具箱とこんてー、筆巻きに巻いた筆、清水をみたした水筒、らつくの壜と霧吹きなどを入れた雑嚢を肩に掛け、画用紙のぶろつくをむき出しで小わきにかゝへ、お気に入りの画架を三脚と一しよに紐でゆはへて右手で鉄砲担ぎにかついで後につゞきました。
 うちの前をすぐ河原におりて一本橋のところへ来てちよつと浅間山を眺めてゐましたが、二人ともそこで描く気はないと見えて、むかうの土手を登つて街道へ出ました。昨日雨のなかを自動車で上つて来た道です。右手は赤土の崖、左手には製材所があつて、大きな丸太がどつさり転してありました。
「太郎さん、こゝの音よ、あのぷろぺらのような響きは、こゝの丸鋸の唸りだつたわ」
 さつき、御飯をたべてゐた時、どこからともなく響いて来る、かん高い、けれども澄んだ気もちのいゝ唸りは、皆を不思議がらせましたが、不思議のありかはこゝでした。
 初めて製材所を見た太郎君は、ぴつくりした顔で眺めてゐます。ずつくの厚ぼつたい布を縄で前掛けにしめて鉢巻きをしたをぢさんが、鎖で釣つた巨大な丸太を、捻りをたてて回転する大丸鋸に押し当てると、まるで薯を切るように無造作に切れてゆく。みち子さんは、見てゐるうちに、自分の体に鋸の歯がはひつて来そうな気がして寒気だちました。
「私こはいわ、太郎さん、もう行きませうよ」
「ゆかう、どつちへ、姉さん」
「浅間山の方へ行きませうよ」
 二人は、間もなく千が滝の遊園地へ出ました。そこは縦横に道路が作られた広い野原で赤屋根あるひは破風作りの夏季別荘があちこちに散在し、原をめぐる丘陵の中心に、ちようどお伽話のお城のようなぐりーんほてるが建つてゐます。遊園地からは浅間山が裾野までも一目にはひりました。前景はたゞ野つ原で、雑多な花が咲いてゐます。二人は明るい広大な風景に呑まれて、文句なく写生にとりかゝりました。太郎君は道ばたに三脚を据ゑ、みち子さんは草原へ少しはひつたところにいーぜるを立てゝゐます。「太郎さん、少し雲が出て来てね。空にも噴煙にも、山にも、太陽の光線が輝いてゐて、まるで印象派の油絵のようね」
「………………」
「中腹から上のあづき色は、あれはみんな石や灰よ。頂上のゑぐつたようなところがえるみりよんでせう、あすこはきつと昔の噴火口だわ」
「………………」
「双眼鏡があると、きつと頂上にゐる人たちが見えてよ。太郎さん。お父さんがいらしつた時、登つて見ない」
「だまつておかきよ、姉さん」
「いーぜるは案外描きにくいわね、私やはり膝の上で描かう」
「姉さん、はんけち下さい」
「はんけち──あら、忘れて来てゐるわ」
「困つたなあ、僕も忘れて来ちやつた、着物で拭かうかしら」
「くれぱすの滓を拭きとるのでせう、それなら、草の葉の大きいのをとつて使ふといゝわ」
 太郎君はなるほどゝ思つて、柏の葉をもぎつて来ました。くれぱすはくれいよんよりは軟かなので、描くにつれ絵の具の尖に少しづゝ滓が出ます。又、ほわいとなどを他の絵の具とまぜた場合、絵の具の尖がよごれますから、次ぎの色に用ひる時、きれで尖を拭く必要があります。
それにくれぱす画は、しば/\指を使ひますから、指を拭く為にもきれが入り用です。そこで、いつもはんけちのぼろを用意してゐるのですが、今日はあわてゝ、忘れて来てしまつたのです。
 太郎君は、ぶろつくを膝の上にひらき、こばると、ほわいと、れもん、ぴんくなどのくれぱすの棒を左手に握つて、今しきりに空を描いてゐます。例の通り、鉛筆でかろく図取りをつけて、それから空と山と野原とを、大まかな色の面に描きわけました。 冴えた空の色は、最初一面にほわいとが塗られ、その上へこばるとが加へられて、指で平にまぜられました。それから又、れもんえろーや、ぴんくや、ほわいとや、こばるとなどが使はれて、しかもそれが、一面の澄んだ空色となつてゐます。それは、単に画用紙の上へこばるとをあつさりつけたよりは、たしかに深みのある美しい色合ひでした。
 太郎君は空がすむと山へうつりました。
 今度は、山の色を出すのに必要な色を、一束に手にもつて、せつせと描き進んでゐます。今度は空の時のように、指を使はずに、絵の具の尖で、ぱすてるを描く時のように調色するのでした。錆色の山肌に灰色の皺が表れてをりますが、太郎君はそれを現すのにやはり例の手法でやつてゐます。すなはち、えろーおーかーで、素描をするように山の姿をべたに描いてから、その上へらいとれつどを用ひ、それをほわいとでうすめて、更に又、うるとらまりんや、くりむそんれーきや、えろーおーかーを交互に使つて、ほゞ眼に見る山の色を出すのでした。そしてその錆色の面へ、灰色の絵の具で、のんきに皺を描きおこしました。
 太郎君はちやめでおしやべりですが、絵を描いてゐる間は、おそろしくまじめです。口をとがらし、身をかゞめ、だまりこくつて描いてゐます。ところが、みち子さんは絵を描いてゐる時の方がおしやべりです。
「太郎さん、うまく出来て。私てこずつてしまつたわ。こんてーでは、かういふぼうつとした景色はむづかしいわよ」
「………………」
「だめ/\、あんなに軽々と空に消えてゆく煙りが、こんなに重たく描けちやつた。まるで、お蚕がくつついてゐるようだわ」
などゝひとりごとが絶えません。
 実際かうつした、ぼうとした、色と調子で持つてゐる景色には、こんてーは不向きでした。こんてーは、どうしても、形のはつきりした物を描くのに適してゐます。例へば、この景色にしても、煙りは空よりもこんてーに描きいゝでせうし、山は煙りよりも描きいゝでせうし、陰日向のはつきりした中景の森は山よりも描きよいでせう。
 全体、みち子さんが、この景色を見て、「まあ美しい」と思つた時、なにを美しいと思つたのでせうか。おそらく色彩と調子の美しさでしたらう。さうならば、みち子さんは、水彩画を作る方が賢かつたといふものです。水色の空へ仄かに渦を描くうす茶色の噴煙は、水絵の具ならやりよいです。みち子さんの形容した、あづき色の山と、染め出されたような裾野の緑、又それを遠見にする手前の原のあざやかな緑草、その緑の毛氈に、とんと刺繍をしたように、紅、紫、黄、白の草花がまき散らされてゐる、さような色どりの美観は、こんてー淡彩ではどうも表しにくいのです。こんてー淡彩には、かへつて、みち子さんが背をむけてゐる、東の方の落葉松山がいゝもていふでせう。それは、うぐひす餅を積んだような、輪郭の面白い山々で、植林された落葉松の鉾尖が、日に光つて鱗のようですし、前景の原つぱには、野生の秦柏などがぼつ/\生えてゐて、素描にもつて来いの景色です。
 みち子さんも、ひとりごとのなかで、絵の具を選びそこなつたことをこぼしてゐますが、なにごとにも、はまり役といふものがあつて、目的によつて、それ/゛\そのはまり役を用ひないと結局骨折り損になるのです。例へば、『君が代』はらつぱで吹くよりおるがんで弾く方がいゝようなものです。みち子さんは、今日の写生で、も一つ似たような経験をしてゐます。それはこんてーで素描する時には、いーぜるを置いて描くより膝の上で描く方がやりよく、水絵の具で彩色する場合は、膝の上よりは、いーぜるの上に置いてする方がやりよく、水絵の具で彩色する場合は、膝の上よりは、いーぜるの上に置いてする方が手捌きがよいといふことです。こんてーの棒が短い為ばかりでなく、素描の場合は、指に力がはひるので、台のある方がぐあひよく毛筆で色どりする時には、軽くふれるからいーぜるでさしつかへない、のみならず、筆洗をとりつけた絵の具箱を片手にもつてしなければならないので、膝の上ではすこぶる手都合が悪いのです。
 さて太郎君の絵もみち子さんの絵も、殆ど同時に出来上りました。見れば、空には団子雲がおびたゞしく散ばつて、山の色はずつと濃くなつてゐます。太陽は次第に南に廻り、風も出て来ました。
 散歩の避暑客も三々五々、太郎君やみち子さんの写生を、立ち寄つて眺めて、ほゝゑんで過ぎ去りました。いつか野球もはじまつてゐます。上の方に大きなぐらうんどがあつて、毎年早稲田の選手連が練習に来るのでした。真夏の豪快な山野に、ばつとの音がかつと鳴つて、守備軍の緊張したかけ声が湧く。
 太郎君は、姉さんを促して、赤土の土手の上からしばらく、見物しました。

四、太郎君の静物画

 今日、太郎君は静物画を描きました。きやべつと茄子がもでるで、八つ切りの画用紙へくれぱすで十二分に描いてあります。十二分といつても、太郎君のことだから、細かいところを描いてはゐない。物をかたまりに見て、その大づかみな色合ひなり濃淡なりをかなり真実に写生してゐるのです。例へば、きやべつは、葉脈とか、ひだのぴら/\とかいつたものは、すこぶる大ざつぱに描いてありますが、きやべつのもつ新鮮な明るい緑色が冴え冴えと出(だ)されてをり、それに照応する茄子の暗紫色など実に良い色です。その上形の特色がうまくつかんである。物の丸みも描いてなく、ばつくとの関係などいろ/\、むろん行き届いた描写はしてなくも、とにかく、為事に迷ひがなく、絵が活きてゐるから愉快です。
 太郎君のように、肖像を描くことのすきな者は、風景画よりも静物画がうまいようです。それは、肖像も静物も室内でおちついてやれる、そのことが性分に合ふからでもありませうが、それよりも、静物は肖像と同様、実物大に描くことが出来るのに、風景となると幾万立方尺の景色を、一尺四方の絵にしようといふのですから、見る眼と描く手との聯絡がなか/\むづかしい。みち子さんの先日の浅間山の写生なども、噴煙のむく/\を、静物を描く時の気もちで描いたからあんなに重くるしくなつてしまつたのです。煙りを景色として描けばよかつた、煙りでも、山でも、草木でも、景色の道具と思つて描かないとしくじります。みち子さんが、あの噴煙を景色の一つの道具と思つて描いたら、山や森にくらべて、うつすりと流れたあの煙りを、もつと/\簡単な線ですましておいたにちがひありません。
 太郎君は、東京では静物を描いたことがなく、こゝへ来てはじめてその面白みを知りました。なんでも、温泉宿から西瓜をもらつた時のこと、皮の黒ずんだ、みの赤い、とんと鯨の切り身のようなあの西瓜に、ふと絵心が動いて、皿に二切れ盛つて写生したのがはじめでした。その後、胡瓜を描き、とまとを描き、信州特産の青いりんごを描きました。そして今度のきやべつと茄子です。それらの野菜は、いつもお夜食後、提灯をつけて、徳やと一しよに、時にはお母さんを引つぱり出して、沓掛の町へ出かけて買ひ出して来るのでした。
 市中で育つたみち子さん達にとつて、この沓掛行きは、別荘へ来てからの一つの楽しみでした。町へ出て見ると、なか/\賑やかで、どの店でも別荘の人達が買ひ物をしてゐました。買ひ物ばかりでなく、二軒ある理髪店はいつも満員ですし、夏季を当てこみに出来た一軒のかふえも、あかりが輝いて、二階にも下にも酔つぱらひがゐました。ある晩は、停車場前の大榎の下に、救世軍が大提灯を立て、太鼓を打つて人寄せをやつてゐました。
 昨夜は、みち子さんと徳やがお留守番で、お母さんと太郎君と孝子さんの三人づれで買ひ物に出ました。ちようど旧のお盆に当り、町ではあちこちで迎へ火を焚いてゐました。東京辺では精霊迎へにをがらを焚きますが、この地方では樺の樹皮を焚く習慣です。
 その光景は、太郎君や孝子さんの眼に珍しいものでした。
「お母さん、あれなにしてゐるの」
と、孝子さんが質問します。
「お母さん、あすこにあるものなに」
と、火の前に置かれた、箸で脚をつけた、胡瓜や茄子を、太郎君が不思議がります。
「あれはね、お迎へ火といつてね、もうおなくなりになつたお祖父様やお祖母様や、御先祖の方々を御招待する為の焚き火なの。よく御覧、胡瓜がお馬で、茄子が牛なんですよ。お祖父様達は、あのお馬やお牛に乗つていらつしやるのよ」
「あんな小さなお馬に乗るお租父様なの」
「お祖父様といつてもね、形はないの、お祖父様の魂が今夜めい/\のおうちへ帰つていらつしやるんです。みんなが、丈夫に、正直に、楽しく暮してゐるかどうか見にいらつしやるの」
「そしてどうするの」
「そしてどうするのには困りましたね、──お祖父様達の魂は、お盆の間、めい/\のおうちの仏壇のなかにいらしつて、皆が仲よく働いてゐるのを見ると、安心してお帰りになるんです」
「どこへお帰りになるの」
「十万億土といふ遠い/\魂の国へ」
「お母さん、なぜうちではお迎へ火を焚かないの。うちにはお祖父様たちの魂は帰つて来ないの」
「さあ、おうちはね、お祖父様達の魂はお盆だけでなく、始終おうちに、私達と一しよにいらつしやるのです。だから太郎さんがだゞをこねたり、喧嘩をしたりするのを、にがい顔して見ていらつしやるだらうし、おさらひをしたり、絵を描いたりするのを、うれしそうに見ていらつしやるにちがひない」
 をりから、子供の一隊が、盆燈籠を提げたり、ほゝづき提燈をもつたりして、「ぼん/\ぼんの十六日に……」といふお盆の歌を合唱しながらやつて来ました。この一隊は、駅を突き当りに見る四辻の、左右二町ばかりの間を幾度となく練り歩くのでした。
 それらの絵巻き物のような情景は、太郎君や孝子さんの頭に強くのこりました。そして二人の記憶から幾枚となく面白い絵が生れたことです。
 お母さんは、荒物屋へ寄つて、日和下駄と蝋燭を買ひ、お菓子屋へ寄つて、源氏豆とかきもちを買ひ、最後に四辻の角の八百屋で、今日太郎君のもでるとなつた野菜を買ひました。
 八百屋の亭主は熊さんといつて、まつたく名の通り毛むくじやらの大男ですが、子供好きな人で、わらび野へ御用きゝに来るたび、みち子さんや太郎君の絵を見て、ぎようさんに感心して見せたり、わざと悪口をいつたりして、特に太郎君とは仲よしでした。別荘へ来るとまづ最初に、
「坊ちやん、新しい絵が出来たかね」
といつた調子です。
「いつか、皆さんを押し出しにつれてつてやるかない。そりやあ面白えですぞ、お嬢さん。熔岩つうものを知つてゐますか」
「知つてゐるわ、──押し出しに迷ひ込むと出られなくなるつて、ほんとう」
「そりやあ、へえつてはあぶないね。今度荷馬車をもつて来て、皆さんを乗せてつてあげませう」
「おほゝ、荷馬車へ乗るんですの」
「奥さんもお出かけなせえまし、歩くには、女衆の足では少し遠すぎやすからなあ。車の上へ蒲団を敷いて、そこにある赤げつとうでも敷いて乗り込んで御覧なさい。屋台でお花見にゆくあんばいですぞ。あつはつはつはつ」
などゝ、気のいゝおやぢさんです。
 その熊さんが、ちようど店にゐて、
「やあ坊ちやん、今晩は。今夜はお母さんをひつぱつて来たね」
と、もみ手をして迎へるのでした。お母さんの買ひ物を風呂敷きにまとめてから、別にきやべつを一つ、大きな手のひらにのせて、
「坊ちやんどうだい、これを描いて見やせんか。とても見事なきやべつだね、静物にようごわすぞ」
 熊さんは、わらび野の別荘で、絵に関したいろ/\なてくにつくををそはりました。すけつち、もでる、素描、静物等々、そして静物のもでるにといつて、太郎さんにきやべつをくれたわけです。
 きやべつに就いて、熊さんはお母さんにこんな話をしました。
「奥さん、昨今めしあがるきやべつは、とてもおいしうごわせうが。一年中で今が一番うめえ時だし、なんしよ、こゝのきやべつと来た日にやあ日本一でごわすからなあ。きやべつは土地がよかつたり、こやしがきゝすぎたりすると育ちがよすぎて、葉がこはくなりましてなあ。ところがこゝらの火山灰で練れた畑に出来るきやべつときちやあ、甘くてやはらかで、よそのきやべつとくらべて、たしかに四五枚は葉が多ごわせう。それに御覧なさい、こねえに球が引き緊つてゐて、しかもしな/\してゐるからね。──東京辺のお知り合ひへ送つておあげになるなら、奥さん、今がようごわすぞ」
 熊さんは、商売にもなか/\じよさいがない。太郎君は、もらつたきやべつを風呂敷きにわたさずに、自分でかゝへてかへりました。
 太郎君の今日の静物画は、まつたく傑作です。描き方がよかつたといふばかりでなく、静物の組み立てがまづよかつたのです。静物の組み立てとは、例へば今日の場合で、きやべつと茄子と、それを入れた笊との取り合せ及びその置き場所の選び方がそれです。御覧なさい、きやべつはやゝ扁平な球体、茄子は袋形の球体でいづれもどつしりしたかたまり。それを盛つた笊はあらい籠目がところ/゛\こはれてゐる軽い物体です。又、きやべつは明るく涼しい緑色で、茄子は深い烏羽色、茎のところに眼のさめるような緑がぼかしにされてゐます。そして、笊は黄色味がゝつた灰色、その色合ひや形態の取り合せがまづよいぢやあしませんか。それが、縁側の板の間に、白壁の陰になつた部分をばつくにして、いゝぐあひに置かれてゐるのです。
 太郎君はまだ小さいから、かれこれと四捨五入して配置したわけではなく、無造作に笊に入れられた野菜なり、その笊の無造作に置かれた場所なりが、偶然、形、色、濃淡のいい配合をもつてゐたといふものです。さういへば、偶然な趣きにかへつて面白いものがあるものです。静物なども、わざ/\くふうして組み立てるより、物の偶然な組み立てを、絵心でとらへたがよろしい。太郎君は、もちまへの率直さで、いゝ偶然をとらへたのであります。
 お夜食後、みち子さんは、そのまゝちやぶ台のところにのこつて、お母さんを相手に、太郎君の今日の静物画の批評をきつかけに、なが/\とおしやべりをやりました。
「今日の太郎さんの静物画は、ほんとによく出来てゐるわね。太郎さんはひよつとすると天才よ、美術家になるといゝわ」
「美術家なんて、まつぴらです。太郎はお父さんのあとつぎですよ」
「美術家は一生貧乏するもんだつて、ほんとかしら。でもみんな立派なうちに住つて、気楽そうぢやないの」
「さういふ人は、千人のうちの十人ですよ」
「だつてお母さん、お医者だつて、えらい人やお金もちの人は、千人のうちの十人ぢやなくつて」
「そりやあさうですが、美術家なんて、天才がなければなるもんぢやないでせうね」
「でもお母さん、自分がすきなら仕方ないでせう。すきなことを職業にする方が幸福よ」
「職業にせずに、美術は楽しみにするがいゝのね」
「滝田先生も同じことをいつていらしつたわ。だけど私達は皆さう思つてゐるわ、好きなことを職業にしなければならないつて」
「そりやあなた達のその考へはまちがつてはゐないけれど、好きなことでは職業にならない場合もかなり多いのよ。世の中とか、くらしとかいふものは又別でね。……おほゝ、みいちやんをお相手に大そう年寄りじみたお話になつたのねえ」
「さうかしら」
「あなた、さつき太郎に大そうむづかしいお講義をしてゐましたねえ」
「お講義ぢやないわ、滝田先生の静物画のお話でせう」
『お母さんも拝聴しませうかね」
「いやあだ、お講義ぢやないつてば。──ぢやお話しませうか、なんだかごてついたお話よ。お母さんにもわからないか知れない、よくつて、──静物画つてねお母さん、フランス語で、なちゆーるもるとといふのですつて、なちゆーるは『自然』といふことで、もるとは『死』といふことなのですつて、それが熟語になつて『静物』、画家の術語なんです。花や果物の絵は昔からありますが、静物画といふ名は十九世紀のフランスの絵かきがつけたんですつて。お母さん、セザンヌつて人知つてるでせう。山崎さんが崇拝してゐる人よ。そのセザンヌの静物が有名になつてから、世界中に静物画がはやり出したのですつて。それまでは、肖像とか歴史とか、風俗とか風景とか、また裸体などゝいふものでなければ、立派な絵とならなかつたのが、セザンヌが出て以来、林檎や、ぱんや、なぷきんや、花瓶などゝいふものも、絵の立派なもていふとして取り扱はれるようになつたのですつて」
「近頃、みいちやんは、よくもていふ/\といふのね、なんのことですの」
「もていふつてこと、──それも画家の術語よ、絵になるもでるのことなんです。太郎さんが、徳やの肖像をかくでせう。すると、徳やがその絵のもていふなんです。私が浅間山を写生したでせう、その時は浅間山がもていふだつたんです。わかつて、──でね、セザンヌの描いた林檎の静物画なんか、絵の具が二三分の厚みになるくらゐ、研究的に描きつめてあるのですつて、セザンヌは、もでるの林檎が腐つてしまふと、他の林檎と取り代へて描いたそうです。セザンヌつて人は、それは為事に熱心な人で、写生に夢中になつてゐて、とう/\お母さんのお葬式に間に合はなかつたんですつてさ」
「ですから、絵かきさんなどゝいふものはしまつが悪いのよ、変人揃ひですからねえ」
「まつたくそれはさうね、滝田先生なんかもやつぱり変人だわ。私達もう半年になるでせう、だのに絵の先生でゐながら、ちつとも描くことを教へてくれないわ」
「理窟ばかり教へるんだね」
「さうでもないわ、たゞ描き方なんかを教へないの。そのくせ、絵は眼と手の為事ですと、口癖のようにおつしやるんです。──おつと、又お話が脱線しちまつたわ。静物画のお話は、これからが大切なのよ。静物画を描く時には、二方面の注意がいると、滝田先生はおつしやつたの。一つは『画的構成』に関する注意で、一つは『詩的景情』に関する注意ですつて、むづかしいでせう。肖像や風景を写生する場合とちがつて、静物画を作る場合はね、お母さん、もていふを勝手に作ることが出来るんですつて。そりやさうなの、肖像や風景では、目鼻を置きかへて見たり、山や草木の位置をかへて見たりすることは出来ませんものね。ところが、静物は、自分の考へで自由に作つて見られるでせう。だからそれぞれの、物の形なり色合ひなり、又は濃淡なり、線なりを、好きに組み合せて、いゝもていふを作り上げることが出来る、その為事は、洋品店で、わいしやつや、帽子や、すてつきや、ねつくたいなどをしよーういんどに美しく飾りつけるのと同じわけなんですつて。だけど、その為事が、物の形や色合ひや濃淡の、面白い組み合せといふだけでは足りないとおつしやるんです。例へば、どんなにさうした画的構成の面白味を出す為といつても、鮭の切り身と長靴とを一しよに持ち出してはをかしいし、林檎と金槌をもち出してもをかしい。やはりそこに作られる景情には、無理のない、詩的統一がなくてはいけないとおつしやるんです。そのお話のあとでね、私達の描いた静物画を例にとつて批評をなすつたのですが、面白かつたわ。菅野さんの絵にね、香水の壜と、ばたのいれ物とが配置してあつたもんだから、『これもその一例です、なる程、おきしふるの壜は青く、ばたのはひつたがらす器は黄色く、どちらも透明体でその点に別段不調和はない。だが、ばたのいれ物と香水の壜の同居は少くとも鑑賞をつまづかせるものがある』と、おつしやつたので、菅野さん真赤になつて突つ伏してしまつたわ。私その時は成功しちやつたのよ、板の間の玉葱を描いたんです。その絵を先生が取り上げて、『これなどは、景情がまことに自然ですね。その上画的構成も無難です。この作者は、玉葱のぐるーぷを絵にしたばかりでなく、玉葱が板の間に倒影してゐるその影の画的効果をも見のがさなかつた』とおつしやつたの。私さういはれて、きまりが悪かつたわ。なぜつて、私、影が見えたからたゞ描いたゞけなんですもの。ですが、先生のお話を聴いて以後、私は影とかばつくといふ、物体をとりまくまはりの現象を注意するようになつたわ」
 みち子さんのお話はなほも続きました。その間、太郎君は、お座敷の方で、『世界童話集』にはまりこんでゐるのでした。

五、孝子さんの絵草紙

 孝子さんは九つ、尋常二年生です。ふだんはむつつり屋でひよつとすねて泣き出せば半日も泣いてゐるといふたち。みち子さんも太郎君も行ひが目に立つ方ですが、孝子さんの行ひは目立ちません。それゆゑ、寝そべつて本を読んでゐたり、とくにつれられて温泉場の方に遊んでゐたりするところを見てはゐても、なにが好きで、どうして遊んでゐるかはつきりしません。ところが、孝子さんがひとり黙つて描いた絵の数は、みち子さんと太郎君の描いた絵を一しよにしたのよりもまだ多いのだから面白い。
 孝子さんは小さいからでもありますが、性分もあつて、いつさい写生といふことをしません。いつも、自分の見たこと聞いたこと、あるひは本で知つたことなどを、苦もなくぶつつけに描くのでした。さうして、たいていの絵には孝子さん自身が描き込んであります。
 このあひだの晩、町で見て来たお迎へ火の光景なども、幾枚かに描いてありますが、どれにもぎやんぷどれすを着て、小さなお下げ髪に大きなりぼんを結んだ孝子さんが描いてあります。あの時は、お母さんも太郎君も一しよでしたから、お母さんも太郎君も描いてあります。かういふ絵は写生では出来ないわけです。
 孝子さんはくれいよんよりも毛筆で描くのが好きで、普通の墨をすり、普通の水筆を使つて素描して、水絵の具で彩色したものが一番多く、素描だけのものや、色彩をくれいよんでやつたものや、万年筆用のいんきで描いたものなどもあります。紙は、画用紙でも、半紙でも広告のちらしの裏だつても、白い紙でありさへすればよいらしく、たゞどうも大きい紙が好きのようです。だから、こちらへ来たてに、お母さんが「はい、孝子さんの画用紙」といつて、藁半紙を一帖下さつた時には、孝子さん大喜びでした。以後、たいてい、藁半紙に絵を描いてゐますが、一帖はとうに描きつくして、お草紙がもう三つも出来てゐます。お草紙といふのは、藁半紙に描いた孝子さんの絵が、二十枚ぐらゐもたまるとお母さんが綴ぢて表紙をつけて、日づけと番号を書いておいて下さるその帖のことです。さうした絵草紙を一枚々々見てゆくと、こゝへ来てからの孝子さんの行動が、一々わかりました。
 ある日、孝子さんは落葉松林に遊んで、蟻の巣をひつくりかへしてゐます。林のなかの日当りのいゝ、人の通りそうもない小道には、瀬戸の竈のように蟻の巣が並んでゐますが、莨色に枯れた、落葉松の細かい葉屑を積らしてこしらへた、山の形のお城で、そこに住む蟻は、黒いかなり大きな蟻です。蟻達はところ/゛\に窪んでゐるゑくぼのような門から出たりはひつたりして働いてゐます。たつた三疋で虻の死骸を引つぱり込んでいつたり羽蟻の羽の片つぺらをくはへて馳けて来たり、門のところで、出て来た蟻とくちづけしてせはしく引つかへしたりするのを見てゐるうちに、誰しも、お城のなかの模様を見たくなりますが、孝子さんもやはり見たくなつて、自分がやつたか、徳やにやらしたか、とにかく巣をひつくりかへしたと見えます。
 そして蟻のお城の大混乱を見てびつくりし、悪いことをしたと後悔したことでせう。せつかく大勢がゝりで立派なお城を築きあげ、お城のなかにはちやんとした町と住居を作り、女王様を護りながら、食べ物を蓄へたり、子供を育てたり、誰ひとり休む者もなく、平和に勤勉に働いてゐるところへ、だしぬけの災難です。たちまちお城はくづれて町も住居も埋まつてしまひ女王様も護衛兵も、落葉松の砂の奥深く埋められてしまひました。でもその砂のなかゝら、そくばくが、すばやく湧くように出て来る。見ると、どの蟻も、自分の体の三倍ぐらゐもある、半透明な白い俵をかついで右往左往に逃げのびてゆくのでした。孝子さんは、学校で蟻のお城のお話を聴いてゐましたから、その白い俵が、蟻の赤ちやんを入れた包みであることは知つてゐました。
 孝子さんの絵草紙には、『黒蟻の御殿』といふ画題で、この時の情景が、三枚続きに描かれてゐます。『平和時代の御殿』『大震火災』『女王様の病院慰問』といひたいような三図になつてゐて、皆人の姿に描いてあり、緋の袴や、軍服や、白い看護服などを着てゐるのです。たゞ顔や手足は皆黒んぼうで小さい黒い赤ちやんは、白い抱き蒲団にくるんでありました。
 ある日はまた、孝子さんは谷の方で鳩を見て来て鳩を描いてゐます。この辺にゐる鳩はもちろん山鳩で、真昼時、閑静な森のなかで、ぽつぽーお/\/\と、いかにもゆるやかに鳴いてをります。孝子さんの絵には、ちよこれーと色の鳩が、落葉松の枝にとまつてゐた、見たまゝを描いてありました。
 ある日は又、孝子さんは、みなし子になつた仔犬を描いてゐます。温泉宿の前の池の端の貸し別荘で、ある朝犬が子を産みました。ところが、困つたことに、子を産み落して間もなく、母犬が行くへ不明になりました。宿の者や別荘の人達が、その日霧雨の降るなかを手分けしてさがしましたが見つかりません。馬車屋さんは、「それらしい犬が河原で草を食べてゐた」といふし、町から上つて来た豆腐屋の小僧さんは、「その犬が、わらび野の一本橋を渡つてゐるのを見た」といひました。けれども、よく朝になつても帰つて来ませんでした。なんでも、その母犬は、お腹がだいぶ大きくなつてから、ある晩梯子段を落ちて、頭をひどく打つて気が変になつたのだといふことでした。しかし、お産は尋常にすみ、子供達はみなし子になつたことも知らずに、みるくで無事に育ちました。一体母犬といふのが、リリーと名づけられたお姫様のような犬でしたから、誰の目にもついてゐて、その子の不幸は遠い沓掛の町の方でも噂になりました。孝子さんもその噂を聞いて、わざ/\見に出かけた一人です。びーるの空き箱に藁を敷いたなかに、まだ眼を開かない三匹が、芋虫のように這ひ廻つてゐました。孝子さんの絵には、その見たまゝの子犬と、重そうな乳房をさげたリリーが、雨の中にしよんぼりとたゝずんでゐる姿が描いてありました。
 ある日は又、遊園地の方へいつたと見えて、和服でぱらそるをさした、三人づれの都びたお嬢さんや、檜木笠をかむり、着蓙をしよつて千が滝の原をおりて来る。浅間帰りの一行を描いてゐます。
 ある日は又、孝子さんは、『棟梁の死』を絵にしてゐます。それはなかば話に聞き、なかば見て来て描いたもので、これは二枚続きです。街道から温泉道へ少しはひつた小高いところに桐と楓で日射を防いだ一軒家がありますが、そこは、勘さんとよばれる棟梁の住まゐで、棟梁の他に、二人の若いお弟子が寝泊りしてゐて、貸し別荘の建築やら普請やらをやつてゐるのでありますが、ある真つ昼間、棟梁の勘さんは、突然卒中でなくなりました。
 勘さんは禿頭の小男で、おだやかな老人でしたが、寂しいことに子供はなく、二人の弟子を自分の子のように可愛がつてゐるのでした。故郷といつても、そこから五里ばかり南の松原湖の近くの村で、そこには先祖の墓地と、勘さんよりも年寄りのおかみさんが、留守をしてゐるといふことでした。棟梁の死はまもなく付近へ知れわたつて別荘の人達も次ぎ/\にその一軒家へくやみを述べに来ました。といふのは、この棟梁はいつもにこ/\してゐたばかりでなく、無口で親切だつたからです。例へば、建て具のちよつとした直しでも気軽く受け合つて、しかもそのうちの人達が散歩に出た留守とか、湯にいつた留守とかに出かけていつて註文通り直しておくといつたふうでした。ですから誰しにも『善人の死』といふ、感じを与へて、その夜のお通夜は、まるで、お釈迦様のお通夜のようでした。お弟子達の手製の棺に納められた勘さんのなきがらを取り巻いて、二人のお弟子はもちろん、千が滝の方の別荘普請に出稼ぎに来てゐる。お仲間の大工さん連もゐれば、別荘のはいからな奥さんや旦那方、温泉宿の主人、番頭、女中さん、それから、二人の通夜僧など狭い部屋に一ぱいでした。そして家の外には、縁側近く、主人におともをして来た別荘の犬達が五六匹ゐますし、勘さんの養つてゐた、猫も金魚も、やはりこの活きた涅槃図のなかにありました。
 孝子さんの絵草紙には、蝋燭の光線に強められたその涅槃図が描いてあります。一枚には、早朝、人力車に乗つた坊さんを先頭に、棺を護つて故郷へ向つた、質素な行列が描いてありました。
 こんな風に、孝子さんはあらゆる事柄を絵にするのです。むろん絵草紙のなかには、花も野菜も描いてあるし、牛も馬も昆虫も描いてあれば、水車もとろつこも描いてあります。たゞ、孝子さんが描かないのは肖像です。なるほど、孝子さんは、事柄の絵のなかにいろいろな人物を描いてゐますが、その顔でも姿でも、皆同じようで、むしろ着物で老若男女がわかるくらゐなものです。つまり孝子さんは、浮世絵画家です。見たり、聞いたりする世間の行事や風俗を、皆毛筆画に描いてのける、無邪気な浮世絵師なのです。

六、油絵かきさん

 ある日の午後、日盛りのすばらしい暑さが少しくゆるんで、空にのし上つた入道雲が北へ崩れはじめ、そろ/\横雲が棚曳き入らうとする時分、遊園地の原の、人気に遠いところで、油絵を描いてゐる人がありました。大きないーぜるに十二号ほどのかんばすを立てかけ、三脚に腰をおろして、一心ふらんに谷向うの落葉松山を写生してゐるのです。白地の絣を着て、鍔の広い海水帽をかむつたせいの高い人で、この人は、もう三日前からいつも今頃こゝにいーぜるを立てゝゐるのですが、太郎君は、今日写生帰りにふとそれを見つけてみち子さんと一しよに、行く手をさへぎる塹壕のような空堀を、降りて登つて、やつとこゝへ来たのです。
 来て見ると、自分達より先に男の子が一人、熱心に油絵かきさんの為事を見てゐました。その子も鍔広の麦藁帽をかむり、餌箱のような木作りの箱を肩にかけ、手には風呂敷包みと手製らしい三脚をもつてゐるのでした。太郎君とみち子さんは、それを見ると、顔を見合せて柔和にうなづき合ひました。
 油絵かきさんは、谷から首を出したうるしの木を描いてゐるところでした。柄の長い筆で、ぱれつとの絵の具をすくひ取つて、右上りに、弾くような筆つきで描いてゐます。太郎君もみち子さんも、山崎さんの描き振りとはまるで違ふのを面白く思ひました。山崎さんのはかんばすの上へ絵の具を置いてゆくような描きぶりですが、この人のは絵の具を打ち付けるような描きぶりです。又、山崎さんの使つてゐる筆は赤毛ですが、この人のは白毛です。みち子さんは、太郎君の耳に口を寄せて、
「この方のは豚毛よ」
と、さゝやきました、すると太郎君は、普通の声で、「姉さん、山崎さんとどつちが上手でせう」
と、たづねます。みち子さんがめんくらつて答へずにゐると、太郎君は又、
「空の色がすてきだねえ」
といひます。絵かきさんは、そのませたいひ方に破顔して、写生しながら太郎君に話かけました。
「君は絵が好きだね」
「…………」
「君は油絵をかくの」
「描かない。僕、くれぱすで描くんです」
「姉さんは描くの」
「姉さんは水彩絵の具で描くんです」
「東京から来たのですか」
「えゝ」
「絵がたくさん出来たかね」
「えゝ」
「君のおうちはどこ」
「僕のうち、──牛込の喜久井町」
「いや、こゝでのおうちさ」
「おほゝ、太郎さん。いやあね、──あの私達、星野温泉のわらび野の別荘にゐるんです〕
と、みち子さんが引き取つて答へました。
「あゝ星野ですか、──君はどこです」
と、だまつてゐるも一人の男の子に振り向いて絵かきさんがたづねました。
「おらあうちは、こゝぢやねえ」
との答へ、
「ぢや沓掛かね」
「うむ」
と、甚だ簡単です。
 やがて絵かきさんは、為事を切り上げて、絵の具箱を閉ぢ、画架や三脚をたゝんでずつくの袋にをさめ、さて大きく伸びを一つしてから、子供達の方へ向いて草のなかにあぐらをかきました。それから煙草を取り出してうまそうにふかすのでした。ふかしながら、はじめて三人の子供が皆写生道具を携へてゐるのに気がついて、
「やあ、みんな吾輩と同じ商売なんだね」
と、とんきよな声を出したものですから、子供達はいはるゝまゝに面白がつて自分達の絵を出して見せました。絵かきさんは、それを愉快そうに見て、
「どうして、君達はなか/\うまいや、いつかもつと絵を見せてもらひたいね。──僕のゐるところは遊園地のね、お湯のところから右へ曲つて二軒めのうちだから、いつでも遊びに来給へ」
 さういつてさようならをしたのであります。これが縁で、三人の子供と油絵かきさんはその後大の仲よしになりました。
 この油絵かきさんは、原四郎といつて、美術雑誌などにをり/\名を見かける、新進の画家でした。目下の職業は学校の先生ですが、道楽に絵を描いてゐるのではなく、東京で小学校に勤めながら、出来るだけのひまで、画家の修業をしてゐるのです。で、この夏季休暇には、雲と山とをうんと描くつもりで、年とつたお母さんと一しよに、千が滝の貸し別荘にもう一月も前から来てゐるのでした。みち子さんと太郎君は、あの後幾度も原さんの別荘をたづねて、お母さんとも懇意になり、時々一しよになる沓掛の少年ともお友達になりました。あの少年は、沓掛の町はづれにある射的場の近くの百姓家の子供で、太郎君よりは一つ年上の十二歳、軽井沢小学校の尋常五年生でした。
 原さんが、ゆつくりお話をしてくれるのは、いつも雨の降る日でしたから、雨が降ると、たいてい三人が原さんのところで一しよになりました。原さんのお母さんはもう腰の曲りかけたおばあさんでしたが、まめな人で、三人の子供がそろつた日には、おやつになにかしらこしらへてくれました。葛のお菓子、かるめら、稲荷ずし、この年とつたお母さんは、息の四郎も加へて四人の子供が、自分の手作りの御馳走を食べながら、無邪気な話にふけるのを大そう満足に思ひました。原さんは顎の角ばつた、眉毛の太い、一見武骨な骨相ですが、案外声のやさしい、それにお話のうまい人でした。
「みち子さんの御注文で、今日は油絵のお話をする約束だつたね」
と、原さんが始め出すと、三人はゐずまひをなほして緊張するのです。
「油絵のお話といつてもいろ/\あるが、まづ油絵の歴史を話さうかね。──油絵つてものは、今からざつと五百年ばかりも昔、十五世紀の頃に、ドイツのフランドルといふところの絵かきさんが発明したものです。その絵かきさんはジヤン・ワ゛ン・アイクといふ名だがその人の有名な絵を、君達もいつか三色版刷りで見るにちがひない。それはね、『フラマンドの商人夫妻』といふ画題の、縦長い暗い絵で、衣のような服を着た商人夫婦が向ひ合ひに立つてゐて、突き当りの壁に懸つた円い鏡に、二人の顔が映つてゐる、それが『二重の肖像』といはれて有名になつたんだとさ。つまりその時分にはさういふ綿密な写生は珍しかつたんだね。油絵のない前の、西洋の絵は、おもにふれすこといふ絵でね、これはずつと大昔からあつた。どういふ絵かといふに、多く壁画でね、漆食ひを塗つてそれが乾かないうちに、泥絵の具で描き上げてしまはなければならない厄介な絵なのさ。今も見られるイタリアのお寺の壁画は、たいていこのふれすこなんだよ。ところで、ワ゛ン・アイクが油絵をやり出すと、その頃立派な絵かきが大勢ゐたイタリアへたちまち広まつて、間もなく世界中へ行きわたつてしまつた。どうして油絵がそんなにすばやく広まつたかといへば、絵の持ちがいゝばかりでなく、使ひよくて、どんなものでも描き現せるとくをもつてゐたからだね。太郎君はくれぱすを使つてゐるけれども僕達が小学生の時分にはあんなものはなかつた。似たようなものでは、けちな色しか出ない色鉛筆があつたゞけさ。ところが、やがてくれいよんが出て来るし、くれいよんよりももつと都合のいゝくれぱすなんてものが出て来た。ちようど、歩くよりお駕籠がしやれてゐると思つてゐると、人力車が現れてお駕籠がぺけになり、人力車でをさまつてゐると自転車が出て来て人力車がぺけになり、自転車で鼻を高くしてゐると自動車が飛び出して、自転車はぺけになつた。いまに飛行機が飛びまはつて自動車がぺけになるかも知れないね。もつともそんなにどん/゛\便利になることが、人間のしあはせかどうかは、わからない」
「西洋では、油絵ばつかりなんですか」
「まあさうだね、そりやあ、油絵の他に水彩画もあれば木炭画もあり、鉛筆画もあればぺん画もあり、ぱすてる画もあればてんぺら画もある。さつき話したふれすこを描く人だつてあるにはあるが、百分の九十ぱーせんとは油絵だね」
「まあ、日本もいまにさうなるでせうか」
「さあ、どうかねえ、日本には日本画といふものがあるからね、しかし、二十年前には東京美術学校の日本画科の志望者は西洋画科の倍できかなかつたといふが、この節は反対に西洋画の志望者が日本画の倍になつてゐるそうだ。そして西洋画をやる連中は、たいてい油絵かきだからねえ……みち子さんの学校では油絵をやる人は少いですか」
「えゝ、先生が別段おすゝめにならないせいか、五年の人が七八人やつてるくらゐです」
「みち子さんは昨年、明治大正美術展覧会を見たでせうね。あの時、高橋由一といふ人の『鮭』の絵が出てゐたが覚えてゐますか」
「覚えてゐます。鱗の銀光りした皮や赤い身のところなど、まるでほん物のようでしたわ」
「あの絵などがね、日本人の描いた有名な古い油絵の一つです。もつとも、あれより前にも油絵を描いた人はある。日本に油絵画法を輸入したのは、永禄年間阿蘭陀船で長崎へやつて来たスペイン人やポルトガル人で、その赤髯さんに教はつた山田右衛門といふ武士が日本で最初の油絵かきだそうだ。その人の描いた『泰西王族騎馬図』といふ絵が、松平子爵、たぶん節子姫の御実家と思ふが、そこに今でもあるといふことです」
「先生、その山田といふ油絵かきは、刀をさしてゐたんですか」
と、太郎君が質問しました。
「むろん両刀をさしてゐたね、裃をつけて、ちよん髷を結つてゐたさ」
 武士がぱれつとをもつていーぜるにむかつて油絵を描いてゐる姿を想像して、四人とも笑ひ出しました。
「ちよん髷といへば、このあひだ雑誌をよんだら、面白いことが書いてあつたよ、話さうか」
 話して頂戴、話して/\と大騒ぎです。「そんなに騒ぐ程の話ぢやないんだよ。──あのね、ロシアの小説家でゴンチヤロフといふ人があるんだ。その人が若い時分、軍艦へ乗つて日本へ来たのさ。そして見聞きしたことを日記に書いておいたんだが、その日記にこんなことが書いてある。日本の浦賀といふ港の入り口へ錨をおろした。朝、靄の晴れるのを待つて望遠鏡で陸地を見たが、ずいぶん美しい景色だ。小山のところ/゛\に大砲がならんでゐた。噂にきいた通り日本人は戦争好きな民族らしい。誰も/\頭の上にぴすとるを一挺づゝ載せてゐる」
「いやあだ、おほ、ほ、ほ」
「あつはつはつはつ」
「あつはつはつはつ」
 原さんのお講話は、いつもこんな風に脱線して、しりきりとんぼに終るのが例でした。

七、百姓家の鎮雄君

 沓掛の少年は、名を鎮雄といひ、代々養蚕を主業とする、自作農の家庭に生ひ立ちました。今は両親とお祖母さんと、まだ乳ばなれをしない小さな妹との五人家族で、庭の方には、とらくたーの代りをしてくれる土佐牛や、毎日卵を産んでくれる鶏や、鎮雄君の弁当箱をくはへて、小学校へのおともをする、忠実な白犬などが住んでゐます。鎖雄君のお父さんはだんまりやでつきのわるい人ですが、お母さんの方は人づきのいゝ、賑かな、すこしあわて者です。しかし二人とも案外気の弱い正直なたちですから、借金も作らず喧嘩もせず、いたつて平和な一家です。
 鎮雄君はおつとりした子供で、小さい時から絵を描くことが好きでした。一般の農家では、子供が学校で絵を習ふことなどは無用のことゝ思ひ、一箱二十五銭もするくれいよんを、年に二箱も買つてやらねばならぬ、近来の学校のやり方に不服でしたが、鎮雄君は幸ひに、両親がある事情で子供の美育に興味をもつてゐたので、まだ絵らしいものゝ描けない四五歳ぐらゐの時分から、鎮雄君の描くものを、両親が面白がつて見てくれました。
「この子はまあ、めたなを描いてるの。地べたにすわつちまつて、着物が汚れるでねえかい」
「はふときなあ、母やんを描えてるとよ」
「鎮坊、これ母やんかや。まるで輪つぱのようだいな」
 その頃、鎮雄君の筆は、石ころや棒つ切れで、地面や壁が紙でした。その広い紙の面へ牛、犬、鶏、蛙、鯉、自転車、鉄砲、母さんなどを描いて遊ぶのでしたが、さういふものを描き表さうとして描くのではなく、右から左へぐる/\線を描き廻したり、とん/\点を打つたりしてゐるうちに、偶然それらしい形が現れると、あつぷだとか、しろだとか、母やんだとかいつてお得意なのでした。そのうち、鎮雄君は古新聞紙を八つ切りにした画用紙をあてがはれて、墨筆で描くようになりました。もう『輪つぱの母やん』でなく、円い線のなかへ、眼鼻がつきました。しかしまだ、顔からじかに手足の出た母やんでした。間もなく鎮雄君の『母やん』には胴体がつき、耳がつき、着物が着せられました。たぶん、その頃でしたらう、お母さんが藁半紙を買つてくれると、お父さんが泥絵の具を作つてくれました。お茶碗のなかに、墨、紺青、生黄、べんがらの四色を、薄い膠で溶いてくれたのですが、それは、お父さんが、冬の間、木彫りの風俗人形に用ひる絵の具でした。
 ついでにお話しますが、信州には農民美術研究所といふものがあつて、毎年冬になると、農家の人達に、木彫りの人形を作ることや、指し物で箱をこしらへてそれに浮き彫りを施すことや、くり物の木地に模様をつけて美しく塗り上げることや、小さな家具を作ることや、刺繍や機織りでいろ/\な布帛工芸品を作ることなどを教へてゐますが、鎮雄君のお父さんも、そこで風俗人形を彫ることを教はつて、もう四五年来、それを冬期の副業にしてゐるのであります。
 その年の農事も終り、田畑は一面の鳶色にさびれて、国境の山々に初雪のかぶる頃となれば、鎮雄君のお父さんは、蚕室の一角を仕切つた臨時の為事場に、ゆつくりとあぐらをかいて、左手に握つた朴の木の個材を、二三挺の鑿を動かしてずん/\人形にしてゆきます。この人の御得意は高さ二三寸の『養蚕風俗人形』で、その白木彫りがいくつかたまると、為事場を掃き浄めて、絵の具を溶き、終日色彩をやるのでした。
 鎮雄君は、それが見てゐたくて、幾度も為事場に入り込みましたが、すぐと、
「子供は来るでねえ」
と、追ひ出されてしまひ、そのたびにあばれ泣きをしました。するとお祖母さんが、赤砂糖を一さじ手のひらにあけてくれて、
「鎮坊にも大きくなつたら、父やんのような為事場をつくつてやらずいなあ。そしたら、鎮坊は、でかい人形を彫るかや」
などゝなだめてくれるのでした。お父さんは木彫りの人形を作りますが、お母さんは織り物をやりました。やはり研究所で習つた技術で、一貫目二円ばかりの屑繭を買つて、それから腕よりの太い糸をとり、それを色染して、この辺にありふれた機にかけて織るのです。むろん反物は織らず、帯地や嚢物地を変つた縞柄に織るのでした。──こんなわけで、鎮雄君は、同村の多くの子供達より、たしかにしあはせでした。お父さんもお母さんも、質朴な農家に人となつた者ですから、美術について、なんのお話もしてくれませんでしたが、鎮雄君の図画や手工の進歩を他の学科の進歩と同様に喜んでくれる、そのことはすいぶん幸福でした。
 小学校へはひつて、級の上るに従ひ、すべての科目にいろ/\な用具がいりますが、両親は文句いはずにそれを買つてくれました。それ故鎮雄君は、くれいよんも、くれぱすも水彩絵の具ももつてゐるのです。でも「三脚を買つておくれ」とせがんだ時には、「自分で作りな」と叱られました。しかし結局、お父さんがこしらへてくれました。胡桃の木で脚を作つて、お母さんの織つたぼろ織りを座にした立派なものです。絵の具箱は鎮雄さんが最近作つたものでした。写生用の絵の具その他の雑品を入れて持ち歩くための箱で、みかん箱を板にくづして鉋をかけ、四隅の組み方は簡単にして、膠でつけた上に、襖の取つ手に用ひる、細い丈夫な四分一針を細かく打ちました。それからお父さんに教はつた通り、べんがらにすこし墨をまぜた泥絵の具を酪素で溶いて一面に塗り、細い丸鑿で、考へておいた縁飾りを浮き彫りに彫つてから、お父さんにふき漆を三度ばかりかけてもらつたものです。鎮雄君のこの絵の具箱は、学校で有名なものとなり、いつの写生にも得意で肩にかけて出るのでした。
 近頃鎮雄君の描く絵は、ちよつと孝子さんの絵と太郎君の絵を一しよにしたようなものでした。まはりの生活情景を好んで絵にするところは孝子さんのようだし、山なり、木なり、家屋なり、静物なりの形を、洋画風に影日向に現したりする工合は太郎君のようです。しかし、鎮雄君の絵は、今も大部分水墨彩画です。子供の時分から描きなれた毛筆と泥絵の具とは、くれぱすよりも水彩絵の具よりも使ひいゝのでした。
 学校の校長さんは、他の生徒が皆くれいよんあるひはくれぱすで描いてゐるなかに、鎮雄君だけが、ちがつた材料で描いてゐることを、教育的でないとしていやがりましたが、受け持ちの先生が「もていふと画用品は、生徒に自由に選ばせるのがほんとだ」といつてなつとくさせました。その受け持ちの先生は、若い人ですが、小学校の勤めを心から楽しんでゐる非常なまじめな人でした。「自分は生徒に仕へること武士の主君に仕へるごとくありたい」また「教室の設備のごときは末の問題である、自分が教師として教室にゐさへすれば、それで生徒が安心して勉強するように、己を修養しなければならない」これがその人の言葉です。
 鎮雄君は、よい風景の田舎に、よい御両親と、よい先生に育てられてゐるしあはせな子供でありました。

八、油絵かきさんのお話

 原さんは、今日も三人の子供にとりまかれてお講話をやつてゐます。
「版画の話をしろ、には困つたな。こいつ案外ごて/\してゐてね。だが君達のように知識欲の盛んなのは結構、外国の小説を読むと、十ぐらゐの子供がいろ/\なことを知つてゐて、なまいきなことをしやべるのに驚くが、考へて見ると上杉謙信は十三歳で三軍を指揮してゐるし、森鴎外さんは十四歳の時、新聞に論説を発表したといふからねえ。──ぢやあ、このことは簡単にお話するとしよう。でも眠くなるかも知れないぜ、眠くなつたら遠慮なくお眠りなさい。この原大先生も、おねむになつたらかまはずねてしまふから」
「あらひどい、そんな大先生つてないわ。眠くなつたら、みんな自分の膝をつねりませうよ、いゝこと」
「おら、股に錐をぶつさすかなあ」
「僕のお父さんはね、昔ねむたい時に、金盥に水を張つて、そこへ時々顔を突つ込んでは勉強したとさ。そのうちにあんまり眠くなつて、とう/\金盥に顔を突つ込んだまゝ寝てしまつたんだつて」
「金盥のなかで、いびきをぶく/\ぶく/\とかきながらね。──どつこい、お話にとりかゝらう。少々むづかしいが、まづ最初にこれだけのことは頭に入れておいてもらひたいね。版画には、『創作版画』と『複製版画』の二種類があつて、創作版画は美術品として扱はれ、複製版画は工業品として扱はれる。──これが一つ、次ぎに、版画は、絵と、彫りと、摺りの三つの技術から成り立つてゐる。──これが一つ。それから、版画の種類には、銅版、石版、木版がある、──これが又一つ。なほ、版には、凹版、凸版、平版の三種類がある。これがも一つ。都合四つのけぢめをしつかり、覚えておき給へ。そこで木版の話となるが、木版は日本のも西洋のも凸版なんだ、鎮雄君は、でこぼこといふ言葉を知つてゐるかね」
「知りやせん」
「さうだらう、江戸の言葉だからな、でこぼことは、出たりへこんだりといふ言葉で、漢語がすなはち凹凸さ。だから凹版はへこんだ版で、凸版は出た版さ。銅版は凹版、石版は平版、木版は凸版、鎮雄君のやる芋版も凸版さね。凸版は板面のけづり残された部分へ肉をつけて、摺られるが、凹版は反対に、けづり取つた部分へ肉を食はしておしつけるようにして刷る。紙幣や郵便切手など皆その凹版を刷つたものです。だから、指でさすつてみ給へ、肉が紙の上へ盛り上つてゐるから」
「平版はどうするです」
「平版、すなはち石版はね、平な石版石の上へ油墨かくれいよんで絵を描いて、薬品で止めると、絵のところだけ肉が乗るんさ」
「それなら、謄写版も、平版ね」
「まあさうだね、──さて日本木版と西洋木版だが、これが同じ木版でもだいぶちがふ。まづ、日本の木版は板目へ彫るが、西洋の木版は木口へ彫る。板目は逆目が立つから彫刻道具は自然細い切り出しのような小刀か丸鑿を用ひる、従つてあまり細いものは彫りにくい。ところが、木口は縦横自在に刀がきくから、突いて彫るような刀でさしつかへなく、それに木口は堅いから細かい彫刻がやれる。それで西洋の木版は、絵の陰日向がみんな細かい線で彫り出してあるね」
「西洋の版画はみんな機械刷りだつて、さうですか」
「さうです、日本の木版は板目を使ふでせう、だから水絵の具で摺れるが、外国の木版は木口で、しかも堅い柘植の木を使ふから水分を吸収しない、そこで肉刷りとなる。肉刷りは機械で刷れるが水絵の具では機械刷りは困難だ」
「おらあ学校では、版画によく謄写版の肉を使うぜや」
「君達の木版は、やはり水墨で摺るがいゝね」
「お習字の墨でいゝですか」
「お習字の墨は膠が多すぎて摺りにくいから、やはり版摺りの使ふ墨を使ふことだね。摺る時にちよい/\糊をまぜながら使ふのだがね」
「おら、版画は彫る時の方が面白え」
「そりや、たゞ墨摺りだからさ。一体日本の木版画は、摺りに直うちがあるんだぜ。あの『ばれん』といふやつが大したものなんだ、世界中のどんな精巧な印刷機械も、あの竹の皮に包んだおせんべいのような道具にかなはないのだから面白いよ」
「どうしてゞせう」
「水絵の具のせいもあるが、手で摺るからだね」
「浮世絵は先生、みんな版画ですか」
「いや、浮世絵の古いところは、皆肉筆ですよ。版画も初めは墨摺りで、色は皆筆でさしたものでね、だん/\色数が多くなつて、鈴木春信といふ絵師が出て、錦絵といはれるほどに、浮世絵版画を色彩的なものにしたといふ話です」
「今でも、浮世絵師はあるんですか」
「さあ今、浮世絵師とはつきり折り紙のついた人はゐないようだが、鏑木清方さんとか伊東深水さんとかいふ人達は浮世絵画家といふのだらうね、版画で浮世絵を作る人は全くないようだ。──どうです。版画の話はこゝらで切り上げようぢやないか」
「えゝ、でも先生、なにか他に版画に関係した面白いお話はなくつて」
「そりやあ、いろ/\あるさ、だが太郎君はねむたそうぢやないか。──ぢやあね、『不動様の眼玉』といふお話をして打ち切りにしよう。面白い話ぢやなくてちよつと気味の悪いお話ですよ。今から四十年も昔のことだが、審美書院といふ、おもに美術の絵本を出版してゐる本屋の、版彫りの為事場に、銀さんに、も一人なんといふ名の人だつたか忘れてしまつたが、とにかく、板目彫りの名人が二人ゐたんだ。ある時、すてきにやかましい為事があつて二人の腕競べになつたんだね、そのやかましい為事の一番むづかしいところは、不動様の瞳の小さい線を彫ることで、かれ等二人はその一点に神魂をこらしたといふものさ、さつきも話したように、板目は逆目立つから、細い切り出しのような小刀だといつたでせう。さういふ刃先で小さい丸い線をすつきりと彫り上げることは容易なわざぢやないんだ。──銀さんが朝早く為事場へ来て見ると、もう×さんは為事場へ先に来て机にうつむいてゐる。翌朝、×さんは自分より先に来て机に向つてゐる銀さんを見た。そんな風でせり合ひは日に/\深刻になつていつたが、ある朝×さんが出勤して見ると、為事場の梁に銀さんがぶらさがつて冷くなつてゐる。それから×さんも間もなく気が狂つちまつたそうだ。銀さんも×さんも、小さな丸い線を彫るには、その部分へ柘植の木口を入れ木して、西洋木版のびゆらんといふ刀で彫れば、楽にうまくゆくことを知らなかつた筈はないんだが、二人の腕競べは、子供の時から使ひなじんだ、あの小さな切り出しの先で、不動様の眼玉の円を見事に仕上げて見せることにあつたので、とう/\命まで賭けちまつた。──みち子さんどう思ひますね、かういふ真剣な職人気質を貴く思ふでせう。ほんとに、まつたく貴い。だからこの場合のようなもつたいない使ひ方を、僕は惜しく思ふ」

九、みち子さんのすけつちぶつく

 みち子さんはこつちへ来る時、すけつちぶつくを買つて来ましたが、入道雲が一枚、豚と鶏が一枚描いてあるだけで、あとは皆白紙です。みち子さんはそれを苦にして幾度も「私困つてしまふわ、すけつちぶつくがちつとも填らないのですもの」とこぼすのでした。実は、お休みになる前の日、滝田先生が生徒に夏休み中の絵のことについて、いろ/\な注意をなさつた時、みち子さんにはかうおつしやつたのです。
「あなたはくろつきいが下手だから、この夏すけつちぶつくをくろつきいで一ぱいにしておいでなさい」
と、くろつきいとはやはりすけつちのことで、たゞ普通すけつちといへば、物に臨んで写生することですが、くろつきいといふ言葉は、それを一そう手早く大づかみにやる場合に使はれるのです。みち子さんは、女学校へはひつた最初の週にそのくろつきいをやらされました。滝田先生が、「今日はこれからくろつきいをやりますが、くろつきいといふことを知らない方が多いかも知れない、知つてゐる人はちよつと手をあげて見て下さい」
といはれた時、手を挙げた人は二人しかありませんでした。みち子さんも小学校では聴いたこともない名でしたから、なんのことだらうと胸を轟かして先生の説明を聴きました。
「くろつきいはフランス語で、美術家の間では普通のてくにつくですが、そのことは別段珍しいことでなく、あなた達も誰だつて二三度はやつたことがあるはずです。つまり、すばやくすけつちをすることで、たゞ変つてゐるのは、くろつきいの学習では、描写の目的を単純にし、時間を制限することです。例へば、くろつきいの為事では、多く姿勢をつかまうとします、そして、十分、十五分といふ短時間に写生し終るようなわけですから、普通のすけつちの気構へだとめんくらひます。しかしこのくろつきいの勉強は、眼と手を鍛へるためには大いに必要で、僕は皆さんにこれをうんとやらせるつもりです。くろつきいがうまくなると人物や動物に限らず、山に対しても花に対しても、そのもちまへの姿勢が一目で頭にはひるようになり、簡潔な線や濃淡ですつきりとそれを表すことが出来るでせう──東洋画の批評に、よく気韻生動といふことを申しますが、東洋画のみならず、西洋画にも、いや、それはあらゆる美術に大切なことで、僕は皆さんの為事に対しても第一にそれを見るでせう。ところで、気韻の方はとにかく、生動の方は、くろつきいの学習が大いにこれを養つてくれるはずです。僕は技術の素性のよしあしをいつもくろつきいで判断しますが、たいてい間違ひません。それは工夫する余裕のないとつさの場合の行為に、その人の素質が丸出しになるのと同じようなわけで、眼と手が一気に働かなければならぬくろつきいは、ごまかしが利かないからであります。
 さて、これから庭へ出てくろつきいをやることにしますが、まづ道具を周到に用意して下さい。画板に画用紙をぴんでしつかりと止めて下さい、庭での為事ですから風が吹いて紙がへら/\動くと描きにくいから、ぴんで四隅を止めて下さい。それから鉛筆だつたらなるべく濃くかける鉛筆をありつたけ削つておくのです、といふのは、短時間の写生ですから、折れたのを途中で削つてゐると、気がせいて気合ひが乱れるからです。鉛筆の他、こんてーでも、くれいよんでも、ぺんにいんきでも、墨と毛筆でもよろしい。しかしさういふものは消すことが利かないから、くろつきいには鉛筆が一番便利です。丸しんの4B位がちようどいゝですね、で、その用意が出来たら、めい/\椅子をもつて外へ出て下さい」
 かういつて滝田先生は庭へ生徒をつれ出して、そこでまたいはれました。
「そこでと、今日は最初ですから僕がもでるになりませう。さあ、蛇でも打つような恰好だが、これがもでるです。皆さんは、僕から二間もはなれたところへ思ひ/\に位置をきめて下さい、立つて描かうと、腰かけて描かうと、それは御自由、今日のくろつきいは僕の姿勢をすけつちすることが目的ですから、よく『姿勢』を見て下さい。あなた達はいつたい絵を描く時に、描かうとする物を頭に入れず、もていふにむかつてすぐ筆をとつて描き出す癖があるでせう。あれがいけません、もていふをとつくりと眺めて、対象の特色を十分頭に入れてから筆をおとりなさい。
 例へば、今の場合、僕の姿勢をそれ/゛\の座位からよく御覧なさい、僕といふ人間の姿勢がどんな感じであるかに注意して御覧なさい。僕の体はずいぶん頑固です、鶴のようにすつきりとしてはゐないし、象のように丸々ともしてゐない、とにかく、あなた達の眼の前にはつきりと僕の姿勢があります。その姿勢は、手、足、胴、頸、頭のつりあひ、及び運動から作られてをり、その全体にもまた部分にもこの姿勢の意気組みが行きわたつてゐるはずです。──位置がきまつたらよく見るために一二分間を費しなさい、そして形がよく頭にはひつたところで勇敢に筆をお運びなさい。ところで、も一つ注意しておきたいことは、画用紙の面へ、僕の姿勢をどういふ風にとり入れるかの問題です。これもなかなか重大なことなんです、あなた達の前に構へられたその画用紙は、絵を描くに臨んで、もはや単なる紙ではない、それはすなはち形を具へた面です。それは壁画をかく時の壁の面と同じ意義の面であり、刺繍する時の布の面と同じ意義の面であり、眼鼻口を配置されてある顔の面と同じ意義の面です。そこで、同じすけつちをするにしても、僕の姿勢をその紙の面へ工合よくとり入れてもらひたい。もしも手当り放題に描くならば、全身を描くつもりではじめながら、腰のあたりで紙の端になつてしまつたり、または片隅へちゞこまつて、見苦しい紙の空地が出来てしまつたりするでせう。──では始めますよ、時間は十分間です、いゝですか」
 みち子さんは、もでるを横向きに見る位置に椅子を据ゑて、いはれた通りにもでるを眺め、紙の面をはかり、またもでるを見たりして描きはじめましたが、気がせいて筆が空走りするので、消したり描いたりして姿勢が容易につかめませんでした。ちよつと隣りの人のを覗いて見ると、自分のよりはずつと大きく描いてゐます、で、はつと迷ひかけた時、もでるの先生が「ちよつと皆さん、こゝで描く手を休めて下さい」とおつしやつたので、思はず溜め息をついたようなわけでした。
「今ちようど五分たつたところです。こゝでちよつと注意しておきますがね、どうももでるをよく見ないで描いてゐる人がある、紙の上へこゞみかゝるようにして、夢中で描いてゐる、それはいゝが、その描きつゝあるくろつきいがその人の眼に見たもでる、すなはち僕の姿勢と似てゐるかどうか、とにかくこゝらで筆を休めて、自分の絵と自分の見るもでるとをよく見くらべて御覧なさい。そしてちがつてゐたら、どこが違つてゐるかを見出して御覧なさい。しかる後、そのをかしい部分をぐん/\直すのです。ごむで消して直してもいゝし、かまはず上へ、より濃い線で描きおこしてもよろしい、そんな直しをしてゐる間に時間がたつてしまつて、半ばで終るかも知れないが、決して差し支へない。さういふ骨折りは、次ぎのくろつきいに役立つて来ますからね。ではあと五分間、さあ」
 みち子さんは、もでると自分の絵とを見くらべてびつくりしました。肩がまるで違つてゐるのです、もでるの肩は、日々の夕刊で見る宇治山田の米友のようにがつしりしてゐるのに、自分のすけつちした肩はびーる壜のようにこけてゐるではありませんか、のみならず、手が脚よりも長くなつてゐました。みち子さんは気まり悪さに顔を赤くして直しにかゝりました。
「おしまひ」
 五分たつと先生はかういつてぽーずをやめました、すると「あら」とか「あら困るわ私」とか「あらひどいわ」とかいふ声があちこちに起りました、多くの人が描きかけであつたからです。でも皆ほつとして、絵を見せ合つたりかくしたりしてはしやぎ出しました。滝田先生は椅子をならべさせて、そこへ全部の絵を立てかけて総評を試みました。
「やあ、奇抜なのがあるぞ、これはまるで木の根つこだね。これはまた、豚の胎児だ、をや、これは筋ばつてみいらのようだ……」
 まつたく先生の比喩通りの絵であつたし、それがさつき大まじめで写生した結果なのですから、それを描いた者も見る者も、涙の出るほど笑ひこけました。
「今日は一つ/\の批評はやめます、全体についていふと、第一に為事の目的をよくのみ込んでゐないのがいけない。姿勢をつかむといふその事をはつきり頭においてゐない結果、もでるを眼の前においてのすけつちであるのに、僕の姿勢がつかめてゐないといふどころではなく、人間だか木の根つこだかわからぬものが出来上つたりしてゐる、まさか、僕の姿がさう見えたわけではない、『姿勢』を見ずに部分々々を、おつかなぴつくりで描いたためと思ひます。まつたく細かいところに気をとられて、姿勢を作つてゐる大きな線を見出せなかつた人が多いですね。今日のくろつきいは姿勢を描くのですから例へぱ、眼鼻口なぞは略しちまつても差し支へない。ところが、耳のなかのれりーふき彫りや、洋服のぼたんや、小さな皺などを描いてゐて、かんじんな姿勢が一寸法師になつてゐたりしては、あいた口がふさがらないといふものです。それから、相当達者にすけつちしてはあるが、眼と手が別々に働くらしい人がだいぶある、眼が見て命ずるものを手が描くのでなく、手が習慣的に動いて、無意味に筆が走るのです。例へば、顔の輪廓を、もでるの如何にかゝはらず玉子なりに描いちまつたり、僕の洋服姿はきつとむく/\した線が出てゐるはずと思ふが、それが、きりつと緊つた、洋服屋のかたろぐにあるような洋服姿になつてゐたりすることです。人物に限らず、すべての物にそれ/゛\の特徴がありますその特徴があるひは線に、あるひは色彩に、あるひは調子に、あるひは組み立てに、際立つて表れてゐるとする、それを眼ざとく見きはめて、簡潔に表現するのがくろつきいの精神なのですから、そのことをしつかりと意識してほしいです」
 みち子さんの絵は、滝田先生が終りに注意した「無意味に筆が走る」欠点をもつてゐました。水彩画にはその欠点がないのに、鉛筆のすけつちだと眼と手がはなれ/゛\に働くのは、まつたく不思議なことでした。
 山崎さんは、それを「絵手本を模写した祟りだ」と申しましたが、さうかも知れません。みち子さんは『すけつち画帖』といふ本をもつてゐて、熱心にそれをまねたものです。ですから、みち子さんの鉛筆すけつちは、略し方でも、陰日向のつけ方でも、線の筆勢でも、よくその『すけつち画帖』の絵に似てゐます。滝田先生はその上つすべりな技巧をきらつて、かつてみち子さんにかう注意したことがあります。
「あなたは、手で描かずに眼で描く習慣をおつくりなさい」
と、──かような次第でみち子さんは、日がたつにつれてすけつちぶつくの余白が苦になるのでした。ところが一昨日のことです、油絵かきさんが遊びに来て、みち子さんの心配をまじめに聴いてくれ、そしてかう教へました。
「ぢやあね、みち子さん、かうし給へ、孝子さんのように、藁半紙へ墨と毛筆ですけつちして見給へ」
「藁半紙へ、でも滝田先生がすけつちぶつくへ一ぱい描いて来いとおつしやつたのよ」
「だつて、すけつちぶつくへ何を描けといふのですか、くろつきいぢやないのですか。すれば、どんな紙へくろつきいしてもよいわけですよ、またくろつきいが鉛筆に限つたことはない」
「えゝ、それは先生もおつしやいました」
「さうでせう、だから、こゝでみち子さんに今まで使ひつけない材料で、同じくくろつきいをやらして見ようといふんです。まあ心配しずに僕のいふ通りにして御覧なさい。僕が竹の矢立てをかすから、あれをもち、藁半紙を十枚ばかりも画板へぴんで止めて持つて出給へ」
「私毛筆のすけつちなんて、したことがないからなんだか恐ろしいわ、どんな風に描くんでせう」
「描き方なぞあらかじめ考へずに、物にぶつかつてぐん/\描き給へ」
「鉛筆で下図をつけるのですか」
「さあ、さうでもよいし、ぶつつけでもいゝ。さうだ、ぜひ共ぶつつけにおやりなさい。
毛筆は一本の筆で毛のように細い線も出せるし、棒のように太い線も出せるから、それをうまく使ふのですね。今までの鉛筆すけつちの呼吸なんか考へずに、毛筆と墨を使ひいゝように使つて見給へ」
 ちようどその晩、温泉宿の方で盆踊りの催しがありました。てにすこーとのある広揚のまんなかへ長い落葉松の柱を立てゝ、そのてつぺんから八方へ綱を引いてあたりの立ち木に結びつけ、その綱に万国旗やもーるを飾りつけてありました。日が暮れると、沓掛の町から踊り自慢や唄ひ自慢の若い衆がやつて来る、大太鼓が運ばれる、篝火が焚かれる、宿のお客や別荘の人達が三々五々浴衣がけでやつて来る、踊り場をとりまく蓆の見物席にびーるやお煮しめが運ばれる、谷向うの落葉松山からまん丸いお月様が出て来る、そして早くも頬かむり尻つぱしよりの一列の大きな輪がつくられる。その最初の輪に参加した連中は、たいていこの辺の盆踊りを心得た人々と見えて、音頭取りが、
  天龍くだあればあしぶうきにい
        濡れえるう…………
と唄ひ出すと、一斉に両手を前後にさばいて、脚どりおもしろく踊り出すのでした。みち子さんは、うち中で蓆の席からそれを見物しました。むろん千が滝から油絵かきさんも見に来て、輪が四五度も廻つた時分、尻つぱしよりになつて踊りの渦へ飛び込んでゆきました。
  天龍くだればしぶきに濡れる
        袷やりたや足袋そへて
  木曾へ木曾へと搗き出す米は
        伊那や高遠のあまり米
  笠を手にとり皆さまさらば
        長いお世話になりました
 数ある伊那節の踊りが終ると、「木曾のなあ、なかのりさん」といふ木曾節がはじまり、その踊りがすむと安来節、大漁節、佐渡おけさ、といふ風に各地の俗謡がくりかへされて、踊りの輪はかれこれ三時間も続きました。
 みち子さんはこの晩、真剣に毛筆のくろつきいをやりました、踊つてゐる有り様や立つたり、坐つたり、腰かけたりして踊りを見てゐる、さま/゛\なぐるーぷれやぽーずを、熱心に写生しました。月光や篝火で、明暗の二調子に浮き出した偶然のもでるは毛筆に捉へよかつたし、暗い部分を墨で大胆に描きつぶすのが愉快でした。材料が変つたため、これまでの鉛筆画の技巧が役立たなくなつたと見えて、自然と新味なでつさんが出来上りました。もつともみち子さんにはそれが、従来の鉛筆のでつさんよりもはつきりとよいものであるかどうかはわかりませんでしたが、とにかくそれを描いた時、もつと/\描きたくて、紙が足りなかつた程に油が乗つた、その緊張した気持ちを思ひ出して嬉しくなりました。それに翌日、原さんに見せると、原さんは、
「これは大漁だ、しめ/\、皆活きてゐる」
といつて賞めましたから、みち子さんはすけつちぶつくに対して、すつかり気楽になりました。

一〇、雨ふりの二日間

「お母さん、今日の天気予報はね、『北寄りの風、雨は降つたりやんだり』と出てゐますよ」
「まつたくその通りのお天気ですね、別所行きはおやめだね」
「つまらないなあ、あしたお天気になつたら行くの。お母さん」
「別所行きは、いつそお父様がおいでになつた時にしませうかね、みいちやんも風つぴきのようだし、このお天気は二三日なほらないでせうよ」
「いやだあ、お母さん、僕つまらないや」
「かういふ時に太郎さん、原さんにぎによーるを作ることを教へて戴けばいゝでせう」
「さうだ、ぎによーるをこしらへよう。さうしてお父さんがいらしつたらぎによーるのお芝居をしませうか」
「それがいゝ/\、皆さんでお父様の歓迎会をおしなさい」
「お母さん、私も計画があつてよ」
「さう、あなたの計画は何」
「私のはね、四人展覧会といふの、うちの三人に沓掛の鎮雄さんを入れて四人の美術展覧会をするの、いけない」
「結構ですね、でもこのお部屋にならばるかしら」
「お母さん、お父さんは幾日ぐらゐいらつしやるの」
「せい/゛\三日でせうね」
「ぢや三日にわけて陳列するわ」
「おほゝ、帝展と同じねえ」
「だつてお母さん、四人の絵を集めると三百枚ぐらゐもあるわよ」
 前日来しけ気味で、みち子さんはとう/\風をひき、検温して見ると、三十七度五分ありました。それで蒲団のなかで本を読んでゐたのでしたが、太郎君がぎによーるを教はりに原さんのところへ出かけるといふので、一しよに行かうとしてお母さんに叱られました。で、太郎君は女中の徳やに送られて千が滝へ参りました。原さんは机のまはりに書類を散らかしてなにかせつせと書き物をしてゐましたが、太郎君の声を聴くと、例の調子で机に向つたまゝ声をかけました。
「太郎兵衛さんやつて来たな。いまゆくからねえ、そちらでおばあさんとお話しておいで。や、ねえやと来たね」
 茶の間でおばあさんに、瓦せんべいを御馳走になつてゐると、間もなく原さんが出て来ました。
「姉さんはどうしたね」
「風をひいたんです、寝てゐます」
「熱があるの」
「五分あるんですつて、でも僕と一しよにぎによーるを教はりに来ようとして、お母さんに叱られちやつたのです」
「なに、ぎによーるを教はりに来たのかい、のんきだなあ」
「いけないの、僕ね、お父さんが来たらぎによーるのお芝居をしようと思つたのです。出来ますか」
「そりや出来るさ、だが姉さんの脚本は出来たのかい」
「まだ出来ないの。お母さんがね、原さんに作つてもらふといゝつて」
「原さんに作つてもらふといゝつて、のんきだなあ、僕は今大変なんだぜ」
「どうしたの」
「いや、どうもしたんぢやないがね、雑誌の原稿に追はれてゐるのさ、──君のお父さんはいつ来るんだい」
「来週くるんですつて」
「そりや困つたね、こおつと、ぢやまりおねつとの脚本からでもなにかさがして見ようかな」
 原さんは奥へいつてまりおねつとの脚本をもつて来て、しきりに眼を通してゐましたが、やがてうなづいて、
「ぢや、これでもやるとして、まあ人形を作つて見よう。『マルセルの悪戯』といふお芝居だがね、人形が五ついるね、犬が出て来るので困るが、やつぱり犬も作るんだな」
「マルセルつてなに」
「人の名だよ、マルセルつていふ少年が主人公で、他に役者が四人出るんだ、マルセルのお母さんに、マルセルの妹のマルセリヌに、お友達のピエロ、それからトロアパツトといふ犬なんだ、──うまく人形が作れるかな」
「作れます、先生。鎮雄君とちやんと約束してあるんです。鎮雄君のお父さんはね先生、人形を彫るんですつて、人形を彫る鑿が三つも四つもあるんですつて、鎮雄君は黒ん坊のぎによーるを持つてゐますよ」
「さうかね、そいつはうまいや。ぢや僕が今夜これを翻訳しておくからね、明日、君のうちで鎮雄君もよんで人形をこしらへることにしよう」
「えゝ、いゝなあ、ぢや僕、これから鎮雄君のうちへいつて来ませうか」
「それがいゝ、そして明日鑿と鋸を持つて来てもらふといゝね」
 太郎君は、一たんわらび野へかへり、おひるをたべてから、又徳やと一しよに鎮雄君のところへ出かけましたが、途中碓氷川の河原に鎮雄君を見かけました。四五人の子供と、大きなかしぐるみの木の下で、小石を投げては落した胡桃を、河原の岩の上で割つてゐるところでした。鎮雄君は太郎君からぎによーるのことを聞くとずいぶんよろこびました。
 翌日もやはり降つたりやんだりで、空は前日よりも暗く、気温は急に下つて皮膚が鳥肌になりました。朝御飯がすみ、日課のおさらひも終つた八時頃、鎮雄君が鑿や泥絵の具や黒ん坊のぎによーるを持つてやつて来ると間もなく、油絵かきの原さんが、三尺ばかりの細い丸太を二本、鉄砲かつぎに担いでやつて来ました。原さんの顔を見ると太郎君はいきなり脚本のことをたづねる、原さんは原稿の綴じたのを出して振つて見せました。
 やがて一通り挨拶がすむと、うち中原さんを囲んで脚本を読んでもらひました。
「これは『マルセルの悪戯』といふ脚本ですが、ぎによーる劇の脚本ではなく、あやつり人形の脚本です。登場人物は、
  マルセルといふ少年
  トロアパツトといふ犬
  ピエロといふ少年
  マルセリヌといふ少女
  マルセルとマルセリヌの母親
の五人で、一幕二場になつてゐます。まづ第一場──
    (往来あるひは広場の一隅にて小犬一匹ゐる、マルセル、ぶら/\と遊びながら登場)
マルセル──やあ、トロアパツトがゐる。来い/\、こんなところでなにをしてるの。つうつう、来い/\。
    (小犬動かずにゐる、マルセル近づいて犬の尻尾を引)
犬──わん、わん、わん
マルセル──やうやくものをいつたね、お友達が来たからぼんじゆーるは)といつてゐるのだらう。の尻尾を引つぱりつゞける)
犬──わん、わん、わん。
マルセル──僕を噛むんだね、よし、食ひつけるなら食ひついて見ろ。
    (犬は飛びついて少年の手を噛む)
マルセル──をや/\大変だ、誰か来て下さい……狂犬が出た……
    け出して来る)
ピエロ──なんだ、僕の犬が狂犬になつたつて。あんなおとなしい犬が、気ちがひになつたつて。
マルセル──ほんとうだよ、こんなに僕の手に食ひついた。
ピエロ──どれ、見せてごらん。
マルセル──〔手を出しながら)こゝだよ、こんなに歯の形がついてるだらう。
ピエロ──これつぽつちなら大丈夫だい、そして君が犬をどうかしたのだらう。
マルセル──いゝや、僕は別に大したことはしないよ。
ピエロ──大したことをしないつてのは、なにかしたことだらう。
マルセル──あの、ちよつとじようだんをしたゞけさ、……どうするだらうと思つて尻尾をちよつと引つぱつただけさ。
ピエロ──あゝ、きつとさうだらうと思つた。よし、そいぢや、君ならどうするかちよつと耳を引つぱつてやらう。(マルセルの耳を引つぱる)
マルセル──おこつちやいけないよ、ねえ君、僕は君と一しよに遊ばうと思つて出て来たんだよ。
ピエロ──いやだよ、今日君と遊ばないよ、そんないたづらつ子はいやだよ。
マルセル──そいぢや、つまらないから僕は帰る。
ビエロ──かつてに帰るさ。
 これが第一場の終りで、第二場は、
    (室内、椅子、机など適宜にあるべし。マルセリヌ机に寄りかゝつて熱心に絵本を見てゐる。ところヘマルセルそつと入り来る)
マルセル──一つ悪戯をしてやらうか。
    (しのび足に近づいて、マルセリヌの髪をちよつと引つぱつて戸のかげに隠れる)
マルセリヌ──りかヘりながら)私の髪の毛を引つぱるのは誰。をや、誰もゐないようだ、なんか私の気のせいかしら。
    (マルセル再び出て毛を引く)
マルセリヌ──まあうるさいこと、誰がそんな悪戯をするの。ちあがつて方々を見廻す)一体、どうしたといふんだらう。誰も見えないようだが、髪の毛が胸掛けのぼたんにでも巻きついてゐるのかしら。
    (また机の前に戻つて絵本に見入る。と、マルセル現れて、今度は強く力一ぱいに引いたので、マルセリヌ椅子もろともに倒れる)
マルセリヌ──お母さん、お母さん。
母──せつけた出会ひがしらに隠れんとするマルセルを見つけて、手を引つぱつてくる)なんといふことをする人ですか、お前は。この悪戯小僧は。
マルセル──きながら)わざとしたんぢやありません、/\/\。
マルセリヌ──私の髪の毛をむやみに引つぱるものだから、椅子ごと倒れちやつたの。
マルセル──きながら)ひい/\/\、ちよつといたづらをして見たゞけなのです。
母──さうした悪戯をして遊ぶものではありません。もし妹の足か腕を折つたらどうするつもりです、あぶないぢやありませんか。罰にそこへ立つていらつしやい。
    (母親は少年をつれて片隅へ立たす)
母──さあ、マルセリヌいらつしやい、お買ひ物に一しよにつれていつてあげませう。悪戯者にはひとりでお留守番さしておきませう。
マルセリヌ──ねえお母さん、私はそんなに痛くはなかつたの。兄さんもこれからあんな悪戯はしないでせうから、今日は許してあげて下さい。
母──まあ可愛いこと、お前はほんとうに親切で思ひやりのある子ですよ。けれどもあの悪戯ものは見せしめの為に少し罰をせぬといけません。
マルセル──僕は意地悪でしたのではなかつたのです。ほんとうにちよつとした悪戯なのです。
母──お前はさういひますが、他の人をいやがらして自分が面白がるのは意地悪と同じことです。もしお前のお友達から悪戯をされゝばいやでせうが。だから自分でいやなことを他の人にしてはいけませんよ。
 これで幕になつてゐます」
「なんだか、あつけないわね」
「読んではあつけないけれど、舞台にかけると相当面白いでせうよ。例へばね、脚本には『マルセルぶら/\と遊びながら登場』と書いてあるが、そのぶら/\出て来るところなんかをうまくやるんだね」
「トロアパツトの尻尾を引つぱるところも面白いね、尻尾をなんでこしらへるの先生」
「竹の枝で作るといゝよ」
「広場のかきわりを作らなければならないわね」
「椅子やてーぶるもこしれえるですか、先生」
「こしらへるんだね、小さい舞台だから有り合せの椅子てーぶるは使へないからね」
「原さん、ぎによーるつて人形の名ですの」
「さうです、人形の名ですが、脚本によつてさま/゛\なぎによーるが出て来るのです。ある時は頑固な陸軍少佐であつたり、ある時はちと低能な音楽家であつたり、ある時は智慧のある狡猾な番頭であつたり、ある時ははしつこい少年であつたりするのだそうです。まづ能狂言の太郎冠者といつたあんばいですな。ぎによーるといふのは、一体かういふ芝居を発案したフランス人の名で、つまりその人の名が、いつも主役の名になつてゐるのですね。ギニヨールといふ人はリオン市の人で、あの傀儡劇を用ひてフランスの少年を教化しようとしたのだそうです。教化といつても勧善懲悪ではなく、フランスの小国民にういつとを養成しようとしたのですなあ。世の中へ立つと、ういつとといふものはずいぶん必要ですからねえ、──眼のつけどころがいかにもフランス人ですよ」
「ほんとですわ、これからの世の中は、協議会とか、演説会とかいふものがずいぶん大切なことになるようですから、ういつとがます/\必要になりますわ」
「さうですよ、……奥さんは鶴見祐輔さんの『北米遊記』といふ本をお読みでしたか」
「いゝえ、まだ拝見しません」
「あの本にね。鶴見さんの愉快な演説の話があるのです。『北米遊記』は鶴見さんが米国中を演説して歩いたことの記録なのですが、その演説といふのが、おもに例のカリホルニヤの移民法の攻撃なのです。御存じのように、あの移民法つてやつは、日本国民を馬鹿にしたもので、それは日米戦争もおこりかねない性質のものですが、大多数の日本国民にはまだその侮辱がはつきり意識されてゐない。そこで、鶴見さんは、米国人に向つて、『日本人は君達の失礼がどういふものかを、まだよく知らないでゐる。だが、それを知つた時は、たゞぢやすみませんぞ』といふ意味の演説をやつたのです。ところが、長々しい演説よりも、演説のなかにはさんだ、ちよつとした笑ひ話の方が有名になつたのでした。その笑ひ話といふのはかうです。
 数年前、日本のある田舎で、二人の青年が裁判所へ出ました。一人が訴へていふには、あの男が、昨日私の頭をなぐりました。そこで裁判官が、なぜなぐつたかと、もう一人の青年にたづねました。するとその青年が、だつてあいつは、五年前僕のことを、河馬に似てゐるといつたからです、と答へました。裁判官が驚いて、五年前に河馬といはれて、なぜ昨日なぐつたのかときゝました。するとその青年は、慨然として、そりやあ、あいつが僕のことを河馬といつたのは、五年前にちがひありませんが、しかし、僕が河馬を見たのは、昨日動物園へいつて初めてなのですといひました」
「おほほゝゝゝゝ」
「あつはつはつはつ、あつはつはつはつ」
 孝子さん以外の誰しも、このお話のをかしみがわかつて笑ひ出しました。「どうです奥さん、うまいもんぢやありませんか。鶴見さんがういつとをもたない人だつたら、かういふ気のきいた比喩は出来なかつたでせう。しかもかうした穿つた短話こそ、いつまでも人の頭にのこるものなのです」
「まつたくねえ、かういふお話をうかゞうと、ぎによーるも馬鹿に出来なくなりますわね」
「さうですよ、ぎによーるはこの頃は、銀座の夜店にまで売つてをりますが、たゞ指をさし込んで、無意味にやあとこせ見たいな踊りをさせるだけで少しも人形がいかされない、やはり脚本を作つて舞台を仕組まなけりや駄目です。フランスでは、市中の公園に小さなぎによーるの舞台が出来てゐて、公園に遊んでゐる子供達に、毎日幾回も、三十分ぐらゐづゝのお芝居を見せてくれるそうですよ」
「それはいゝ思ひつきですね」
「なんでも、リユクサンブール公園といふ、神田のまんなかにあるような公園では、プラタナスの林のなかにそれがあつて、芝居の始まる知らせに、とん/\/\/\と太鼓を鳴すそうです。すると、あちこちから、子供や保姆が集つて来て、十すう(日本の一銭に当りますかな)を払つて見物するのだそうです。もつとも十すう払ふと椅子に腰かけて見られるので、お金を払はない子供も、一本の縄でしきつた見物席の外に立つて、かつてに見物することが出来るのだそうですよ」
「先生、早く人形をこしらへませうよ」
「さうだ/\、ぢや、まづ為事の役割りをきめようかね。第一場のかきわりは、みち子さんが受け合つて下さい」
「うれしい、私腕をふるつて見るわ。布を使ふの、それともぼーる。大きさはどのくらゐですか」
「いや、さういふ細目はあとできめて、めい/\に書いて渡さう」
「先生、僕は」
「太郎君は、鎮雄君と人形や椅子、てーぶるをこしらへてくれ給へ。それからお母さんにひとつ、ぎによーるの着物を作つていたゞきませうかね」
「をや/\、私もお仲間入りですの。ですが、うまく布があればいゝが」
「なに、なんでもいゝのです。有り合せの布を見て、それによつてくふうしますから、おありの布をあとで出して見せていたゞきませうか」
「孝子ちやんはなにをするの」
「孝子ちやんには人形の彩色や、かきわりの彩色のお手伝ひをしてもらひませうね。孝子ちやんは毛筆がおなじみだから」
「徳やは」
「ねえやには、絵の具を溶いたり、水を運んだりする、皆の御用たしを頼まう」
「先生は」
「吾輩かね、まづ諸君の顧問役だね。──そこでと、ぎによーるだが、五つのうち、鎮雄君はどの人形を作るね」
「おらあ、どれでもいゝ」
「先生、鎮雄さんは、マルセリヌにピエロを受けもつといゝわ」
「うむ、さうしよう。ぢや太郎君は、マルセルとお母さんを彫り給へ、犬は、僕が受け合はう。で、次ぎにそれ/゛\の人形の顔や恰好をきめなければならないが、マルセルはいくつぐらゐかな」
「マルセルは、太郎さんそつくりの悪戯坊主だわ。ですから、十一ぐらゐでせう」「まつたくだ、それでは太郎君を目標にしよう。口のとんがつてゐるあんばいなど、ぎによーるにもつて来いのもでるだからね、あつはつはつ」
「さうらおこつた、おこるといよ/\口が尖つてよ」
「なぐるぞ、みいちく」
「おつと喧嘩はよした。ところで太郎君ね、マルセルは耳を引つぱられなければならないから、耳を大きく出ばらしておく必要があるぜ」
「マルセルのお母さんは、先生」
「お母さんは、やはり君のお母さんをもでるにし給へ」
「おほゝゝゝ、ありがたい仕合せね」
「だが、太郎君も鎮雄君も、もでるを手近にきめたつて、それに似せようとしてはいけないよ。たゞ年頃ぐらゐをもでるにすればいゝのだぜ。ぎによーるには、顔の癖を誇張しないと、舞台へ出して引つ立たないからね。例へば円い顔はうんと円く、おでこはぐんと出ぱらすんだ。とにかく、彫り出す前に紙へ想像を描いて見るといゝね」
「マルセリヌの髪の毛はどうするだい」
「さうだ、マルセルに髪の毛を引つぱつて引き倒されるところがあつたね。なに、別にさがつてゐなくともいゝけれど、なにかとりつけてもいゝね」
「とうもろこしの穂ではいけねえかい」
「とうもろこしの穂だつて、──なるほど、そいつはいゝや。マルセリヌは西洋の子だから、紅い毛でいゝね。鎮雄君は頭がいゝぞ」
「おらあ考へたぢやねえで、こないだ学校で、みんなが軽井沢の西洋人を人形にこしらへた時、先生がをしへてくれたです」
「さうか、とにかく結構。そこで、ピエロだが、これは鎮雄君自身をもでるにするといい。といつても、さつきもいつた通り、君に似せるのぢやない。自分ぐらゐの、西洋人の子供だと思つて作ればいゝ、マルセルより一つ二つ大きいくらゐのね。──ぢや、縁側の方へいつて為事にかゝらう。どろの木を二本もらつて来たから、まづ、これを鋸で五寸ぐらゐの長さにきつて、乾しておくことだね」
 かうして総がゝりで、ぎによーる劇のおしたくがはじまりました。
 太郎君も鎮雄君も、まづぎによーるの顔を紙へいろ/\に描いて見ました。みち子さんは、お母さんに床のなかへ追ひ込まれて、寝ながら舞台装置を考へました。原さんがみち子さんに与へた覚え書きは、こんなものです。
   一、舞台は間口一間。
    (茶の間の六畳を用ひることゝし、両わきに襖をたてゝ、舞台間口をつくるがよし)
   二、舞台の高さは畳より曲尺で三尺ぐらゐ。
   三、舞台の奥行きは、一尺五寸乃至一尺八寸ぐらゐ。
   四、舞台と畳との間に布を張り舞台裏の見えぬようにすること。
   五、舞台の奥は、壁幕をさげること。
   六、かきわりはぼーる紙でも布でも、ありあはせの好つごうなものを用ひること。
   七、舞台の板敷きは、布もしくは紙をぴつたりと張ること。
 原さんはどろ丸太を、ちようど炭屋さんが楢炭をきるようにぶつ切りにして、縁側に乾しならべておいて、町へ買ひ物に出かけました。人形の首を作るに必要な、鋸や、鑿や、切り出しや、泥絵の具は、鎮雄君が持つて来ましたが、椅子、てーぶるを作るには、錐も、釘も入り用だつたからです。原さんは買ひ物の帰りに河向うの製材所へ寄つて、第二場の小道具を造るに必要な板と、棒きれをもらつて来ました。製材所の裏手に、山のように投げすてゝあるけんたのうちからよつて来たものです。
 ぎによーるの意匠がきまり、道具や材料が整つた時分に、ちようどお昼でした。おひるをすばやくすまして原さんは、太郎君や鎮雄君と、為事場に当てた南向きの広い縁側に車座にあぐらをかいて、顔の彫り方を説明しました。
「まづこの丸木を左手にかう持つて、君達の描いたぎによーるの肖像と三四分間も見くらべるのだね。すると丸木の面に、眼、鼻、口のでこぼこをどう彫り起すか、その見当がついて来る。そこで、眼や、鼻や、顎などの、ひつこむべきところへ鋸を入れるのです。入れながら、そのきり込みの深さが、鼻なり顎なりを、望み通りに出ばらし得るかどうかを、ちよい/\注意する。それから鑿を右手に、かういふ風に歯を下むけに持つて、彫つて行くのだがね。ちようど鎮雄君のもつて来た黒ん坊があるから、大体あれをよく見ておけば、手順がのみ込めるわけだね。太郎君のマルセルは耳を出つぱらせるから、一番横幅の広い木をとり給へ。耳の出つぱりは堅と横から鋸を入れて、耳の形をあらかた作つておくといゝ」
 鎮雄君は、お父さんが人形を彫るところを常に見てゐるし、ちよい/\真似して彫つたこともあるので、要領ののみ込みがよく、ためらはずにマルセリヌに取りかゝりました。
 太郎君も負けずに、マルセルを作りはじめましたが、原さんは見てゐて、たえず指し図しなければなりませんでした。指し図しながら自分はトロアパツトの製作をはかどつてゐましたが、トロアパツトが着物を着てゐないことに気がつくと、頭を掻いて笑ひ声をあげました。
「あつはつはつ、こいつはいけねえ、犬の奴は裸と来てゐる」
 さうです、ぎによーるは、着物が袋になつたなかへ手を入れて、頸の穴へ人差し指をさし込み、小指と栂指を用ひて、人形の両手を働かす手人形ですから、操り人形のように自由でない。そこで原さんは首をひねつたあげく、トロアパツトの胴なかへ竹の長い箸をさし込んであつかふことにしました。
 顔の彫刻がすむと、頸へ指をさし込む穴をほるのですが、これは円の中心へつぼ錐で穴をあけ、それを切り出しの尖でゑぐり広げました。かうして首がすむと、次ぎには板ぎれで手の先を二つづゝこしらへました。それもかたづくと、こんどはいよ/\色彩です。およそ、趣味的な手工で、仕上げ程楽しいものはありません。一刻も早くその楽しい為事にかかりたくて、誰しも気のせくものですが、原さんは学校の先生をしてゐる人ですから、さういふ場合になか/\きちようめんでした。
「出来た/\、さていよ/\色彩だが、こゝでおやつといたさうかね。道具やぎによーるを床の間へならべておいて、ねえやに為事場をきれいにしてもらつて、それから仕上げにとりかゝりませう」
 かういつて、彫刻と色彩の工程に、くぎりをつけました。おやつといつても、もう五時頃であつたし、息もつかない程の勤労のあとで、おなかゞすいてゐたところでしたから、馬鈴薯の蒸したのにばたをつけてたべた、そのおやつは忘れられないおやつでした。
 お茶のあとで原さんは、お母さんの取り出した小ぎれから、ぎによーるの着物のきれをえらびました。マルセルは青い着物ですから、みち子さんの着物の裾まはしのほぐし物だといふ、水色のめりんすが間に合ひました。ピエロは黒のぶるーずですが、ちようどいゝ布がなく、これは舞台用の布と一しよに町で買つて来ることにしました。マルセリヌは赤い着物ですから、絹も木綿もありましたが、原さんは孝子さんの着物であつたといふ華やかな友禅模様のめりんすをとりました。マルセリヌの母親は紫色がいゝといふ意見で、これも適当なきれが見つかりました。着物の仕立てはお母さんの受けもちになつてゐましたから、おやつがすむとお母さんは、鎮雄さんの黒ん坊を参考にして、四つの着物を縫つてくれました。
 ぎによーるの仕上げは、まつたくたのしい為事でした。小丼に薄い膠で胡粉を溶いて、それを、うすく塗つては乾し、塗つては乾し、三度ばかりして、真白くなつたところで、皿へ溶いた泥絵の具で色彩するのですが、それでぎによーるは活きたようになります。色彩が終ると、糊で首と手に着物をとりつけ、更にそこへ細いりぼんを廻して、小さい鋲を打つてしつかりととめます。五つのぎによーるは、かうしてその日のうちに見事に出来上りました。
 原さんが片手にマルセル、片手にピエロをもつて、マルセルが耳を引つぱられるところをやつて見せると、皆笑ひ声をあげて、拍手しました。朝にはなんの表情もない、どろの小丸太であつたものが、ちよつとした創作力と、ちよつとした手の細工とで、日暮れ方にはそれ/゛\性格を具へた四つの人形と変つて、三本の指の使ひ方で、どんなしぐさをもやつてのける。──それは一同に不思議な感動を与へました。お母さんは、心から感心してかういひました。
「やれば、なんでも出来るものですこと」
 原さんは、うれしそうに、その言葉を引きとつて、
「さうですとも、あしたはみち子さんの舞台装置や、椅子、てーぶるの小道具が出来上つたところで、ひとつ試演をやりませう。舞台効果といふやつは又格別ですからねえ。もしうまくいつたら、も一つ脚本を見つけておいて、お父さんのおいでの時、大久保さんの別荘でも拝借して、別荘の人達や宿屋の人達全部にお目にかけようぢやないですか」
「やあ、万歳」
「ぎによーる万歳」
「ぎによーる万歳」
「万歳」
「万歳」

一一、ぎによーるのお芝居

 八月十日、わらび野の別荘は、盆とお正月が一しよに来たような陽気さです。朝一番でお父さんが着き、思ひがけぬ山崎さんも来ました。それは真夏の、すばらしい朝で、谷々をうづめてゐた夜来の霧が、湯気のように動いて、一時、峯々を薄墨にぼかし、それが拭ふがようにはれたあとには、緑したゝるばかりの山々と、瑠璃色の空が現れました。みち子さんのお父さんは、迎への自動車に荷物ばかりを運ばせ、十八町の山路を景色を楽しみながら歩かうといはれる、子供達はもとより賛成で、あたりの風物をわが物顔に説明して進みました。しかし実は今日は、風景どころでなく、お父さんの顔を見るなり話したいことがあつたので、お父さんの仙人じみた楽しみをゆるしておけず、わらび野へ着くまでには何もかも、三人がゝりで聞かせてしまひました。仕合せなことに、このお父さんは、自然の景色をすくように、子供達特有の無邪気でそして活溌な、あの心の景色をもすきましたから、予想した三日間の閑静が、閑静どころの話でないことを知つても、当てがはづれたような気はしませんでした。それどころでなく、久しぶりに一家団欒の朝御飯をやりながら、進んで子供達の計画を聴くのでした。子供達の説明によると、お父さんの歓迎にわらび野でやる筈であつたお芝居も展覧会も、いつか遊園地の方まで評判になり、その結果、お芝居は今日の午後大久保さんの別荘で、展覧会は千が滝遊園地の倶楽部で、三日間開かれることになつてゐるといふ、それで油絵かきの原さんと、鎮雄君の学校の絵の先生と二人で展覧会の方を一切引き受けることになり、十里ばかりも西の上田市から、会場用の幕を借り込んだり、絵に台紙をつけたり、画題の札を作つたり、謄写版で解説を刷つたりして、この二晩三晩をそれにつぶしてゐるような騒ぎでした。又、わらび野の三少年少女と、沓掛の一少年は、更に三日がゝりで、新しい脚本のぎによーるを作り、みち子さんは舞台装置で夢中になりました。お母さんや徳やは、又そのこま/゛\した御用達しでかなり忙しい上に噂を聞いて為事場を見せてもらひに来る別荘の子供達や、そのおともの人人の応接にめんくらふような次第でした。でも今日は、もうすつかり支度は整つて、床の間に九つのぎによーるが、てん/゛\の身振りで行列してゐました。といふのは、どれも人形台に懸けてあつたからです。人形台をこしらへさしたのはお母さんの考へでした。五分板を七寸平方ぐらゐに切つたのを台板にして、それへ三叉になつた棒をたてた人形台ですが、つまり三叉は人間の三つの指になるわけですから、人形を寝かしておくよりは面白味があるといふものです。
お父さんはその人形を見て、すつかり感心してしまひました。更にあとの脚本の人形は、原さんのお手伝いなしに、子供達の合作に出来上つたと聞いて、いよ/\感心しました。山崎さんも、少年達の活溌な制作力と自分の迷ひ多い画生活とを思ひくらべて、ちらと、気はづかしくなつたそうです。
 朝御飯も賑やかにすみ、大きなばすけつとから取り出してくれるお父さんのお土産に気を取られてゐるところへ、鎮雄君がやつて来ました。今日は、これから、原さんにも来てもらつて、大久保さんの別荘で舞台をつくらなければならないのです。それで早くも鎮雄君が立ち寄つたわけですが、みち子さんのお父さんは鎮雄君を見ると、お医者らしい磊落さで「やあ鎮雄君かね」とにこ/\しながら立つて来て、箱入りの絵の具をくれました。それは、野原と旭の絵をれつてるにして貼つてある、米国製の上等なぱすてるでした。やがて子供達は揃つて大久保さんの別荘へ出かけました。そして昼すぎ、三時になつても帰つて来ないので、お母さんが気をもんで徳やに見せにやると、もう別荘にはゐず、遊園地の展覧会で、自分達の絵を熱心に見てゐました。
 午後五時少し前、星野地籍の一番高い岡の上から、どん/\/\/\/\/\といふ太鼓の音がきこえて来ました。それは人寄せの太鼓で、原さんが、いつぞやみち子さんのお母さんに話してゐた、リユクサンブール公園の人寄せ太鼓をまねて、いゝ気もちで叩いてゐるのです。わらび野からはお父さんを先頭に、山崎さん、お母さん、徳やと、悉く岡をおりてゆきました。定刻の五時には、大久保さんの別荘の見物席の十畳の間は、子供で一ぱいになり、大人は遠慮して皆縁側に坐りました。舞台を見ると幕がなく、たゞ、ぱくつと暗い鳶色の口があいてゐるだけでした。やがてのこと、太鼓がどん/\/\と六つばかりもなると、日よけを利用したらしい竪縞のどん帳が、すつと引かれて舞台がかくれる、と殆ど同時に、袴をはいた原さんが正面へ出て来て、あいさつをやりました。そしてぎによーるの由来と四少年の労作ぶりを報告したのち、かういひました。
「では、これからいよ/\始まります。最初は『マルセルの悪戯』といふお芝居で、その次ぎは、『声楽の先生』といふお芝居、人形使ひは、わらび野のみち子さんに沓掛の鎮雄君、今度大鼓が鳴ると同時に幕があきます」
 原さんが引つ込むとすぐ太鼓がなりました。幕がつゝつと引かれる、第一場、パリ裏街の広場とでもいふような光景、地面ははんぺん形の石敷きと見受けられ、空は明るい水色です。果して右手寄りにトロアパツトがゐます。原さんの作つた竹箸で動かされる犬です、みち子さんがやつてゐるか、ぎごちなく動いてゐます。すると、左手の長屋のかげから、青い着物の人影がぶら/\と現れる、いたづら坊主のマルセルです。「やあトロアパツトがゐる。来い/\、こんなところで何をしてるの。つう/\、来い/\」まさに鎮雄君の声です。不思議に、ふだんの信州なまりがない、しかもぶら/\と、犬の処へやつて来た風つきがなか/\うまいので、見物の子供達は大よろこびで、大人は一斉に拍手しました。マルセルがトロアパツトに近づいて、尻尾を引つぱるしぐさよろしく、竹箸のトロアパツトは「わん、わん、わん」となきながら、右手かき割りの方へ身を寄せてゆく、マルセルがなほもからかひながら尻尾をひつぱると、「わん、わん、わん、わん」とはげしく鳴きながら、ちよつと長屋のかげへかくれたと思ふと、突嗟、身をひるがへして来てマルセルの手元へ「わん」といつてかみつきました。みち子さんが手早く竹箸を反対の胴にさして突出したのだらうと、お母さんも徳やも、その早わざに感心しましたが、実は、反対むきに棒をさしたトロアパツトをも一つ、原さんが用意してゐたのであります。とにかくその呼吸がうまくいつたので、又もや、拍手喝采で湧き立ちました。
 こんなあんばいに第一場はうまくすみ、第二場も無事にすんで、二十分間の休憩といふわけです。三十分足らずのお芝居で二十分の休憩は滑稽ですが、外題が変るのだから仕方がありません。二十分たつた時分、又原さんが現れて、
「マルセルの悪戯は、思ひの外うまくゆきました。次ぎは『声楽の先生』といふ一幕物で、これはぎによーる劇の脚本をちようど遊園地に来てらしつた、足立先生がもつてゐられて早速訳して下さつたのであります。今度の人形使ひは、かく申す小生と、軽井沢小学校の、中西君であります。一体子供がするといゝのですが、子供達は今度は見物したいといふので、大人が罷り出る次第であります。──口上さようつ」
 例によつて太鼓が鳴ると幕があきました、やはりみち子さんの舞台装置ですが、今度はかき割りを用ひず、霞幕や、袖幕だけで象徴的に客間の感じが作つてありました。すなはち、突き当りの壁幕が玉子色で、床が鳶色、霞幕が黒、袖幕がおりーぶといつた風です。その簡単な舞台へ最初に現れたのが、赤つ毛を七三にわけた、眼の大きい、鼻のでかい、紺服のおやぢ、旦那のゼフイルです。それから、左のような会話で、一幕五場のおどけ芝居がつゞきました。
 ゼフイル──ギニヨール、ギニヨール。
 ギニヨール(ゼフイルの下男)──旦那、お呼びになりましたか。
 ゼフイル──あい、呼びましたよ、……ギニヨール、いよ/\来月挙げることになつた私の結婚式披露会の席でね、なにかちよつとした歌を唄つて見ようかしらと、実は思ひついたのだがね。
 ギニヨール──旦那のお思ひつきは至極結構なことです、昔から唄ふ者の心は常に満足だと申しますからね。
 ゼフイル──うむ、さうだ、その通りだ。だがね、唄ふ為にはやはり多少とも練習をしなければならないのでね。
 ギニヨール──練習ですつて、なんの/\、そんな必要があるものですか、あのぺんき屋や壁模様かきを御覧なさいませ、あいつらは朝つぱらから晩頃まで、手を働かしてゐる間じゆう唄ひ通しですが、一度だつて習つたことなどありませんですよ。
 ゼフイル──そりやあ、わかつてるがね、ギニヨール、私は少し違ふんだよ。私はね、誰が聴いても上手だと思ふように、正式に法則通りに唄ひたいのだ。
 ギニヨール──あゝさうですか、私共がたゞ楽しみに唄ふのと違つて、本式の歌唄ひのように、お唄ひにならうといふのなら、また別ですよ、旦那。
 ゼフイル──だから、今朝、声楽の教師が来るように依頼してある。
 ギ二ヨール──あゝさうですか、それは結構でございます。あゝ声学の先生、そりや、大そう結構でございます。 ゼフイル──そしてちよつとした小曲、極く気の利いた一節を教へてくれることになつてゐるのだ。やがて先生が来るから、この部屋へ通しておいて、私へ知らしておくれ。
 ギニヨール──はい、承知いたしました。
 ゼフイル──ねえ、ギニヨール、私はそれで客人達をあつといはせようと思つてゐるのだが、嫁御寮や舅姑も感心するだらうかね。
 ギニヨール──それで皆さんを感心させる事が出来れば、旦那それこそ大した事ですよ。
 ゼフイル──いや、まつたくだよ。私はね、客人達に、まあこのゼフイルさんの声の美しいこと、これはほんとうに大した声量だ、実に優雅な抑揚だ、すてきだ、と讃嘆されたいと思つてゐるのだ。
 ギニヨール(独語)──なんて大したうぬぼれだ。
 ゼフイル──まあ、そんなわけだから先生が見えたらすぐ知らせておくれ。
 ギニヨール──はい承知いたしました。
(両人左右に別れて退場す)

第二場

(マルクマル、(音楽教師)ギニヨールとともに登場)
 ギニヨール──あなたですか、声楽の先生は。
 マルクマル──えゝ、さうです。時にゼフイルさんは御在宅でせうね。
 ギニヨール──はい、お待ちかねですから、すぐ知らしてまゐりませう。 マルクマル──お宅にはぴあのはあるんでせうね。
 ギニヨール──いゝえ、ぴあのなんぞはありませんよ。しかし狩猟らつぱならあります。
 マルクマル──そんなものは役に立ちません。
 ギニヨール──お役に立たぬ、しかし立派な狩猟らつぱですよ。
 マルクマル──どんな立派でもらつぱがぴあのの代用になるものですか。
 ギニヨール──をゝ、そんなことはないでせう。大したちがひがあるわけぢやなし、ただ上を叩くのと、中へ吹き込むとのちがひだけぢやありませんか。
 マルクマル──それは誰だつて承知のことですが、らつぱで歌の稽古は出来ませんよ。
 ギニヨール──そんなものですかねえ、先生。しかし反対によく手入れをしたらつぱはきら/\と美しく輝いて、実に見事ですよ。ぴあのなんぞは比較になりませんね、あの一列に並んだところは河馬の歯ですね、胴体からいつても全く獣ですよ。
 マルクマル──河馬の悪口なんどはどうでもよろしい、ぐず/\話してゐる間に僕は金をおとしてゐるのですから。
 ギニヨール──どちらのぽけつとから落ちるのですか。
 マルクマル──いや、時間をむだにするのは金を落すと同じことだといふのです。一刻毎が僕には金の価があるのですから。早く御主人に取り次いで下さい。
 ギニヨール──大急ぎで知らせませう、どうぞこちらへお通り下さい。
(二人退場)

第三場
 ゼフイル──さあ、どうぞこちらへ先生、この部屋は反響が強いので大変いゝと思ひます。といふのは、いつもリゴロ(下男の息)を呼ぶたびに、リゴロは先程御覧になりました下男の忰でありますが、はつきりと、自分の呼ぶ通りに響きかへつて来る程ですから。
 マルクマル──はあ、さうですか、それは又不思議ですな。
 ゼフイル──いや、全くこれだけは誰でも聞いたものが皆不思議がるのですよ。それはさうと、および立てしました用事の方をお話いたしませう。実は、唱歌の教授を願ひたいのです、もちろん極く簡単な一節だけをね。
 マルクマル──そんなことでいゝのですか。
 ゼフイル──一度ぎりしか歌はないのですから、たくさんに習ふ必要はないのです。ほんのちよつとしたものでいゝのですから。
 マルクマル──さうですか、よろしい、では早速始めませう。えへん/\、気をつけて下さい。……ど……れ……み……ふあ……そ……ら……し……ど……さあ僕が発音する通りやつて御覧なさい、これは大してむづかしくはないでせう。
 ゼフイル──えへん、ど……れ……み……ふあ……そ……ら……し……ど。
 マルクマル──を……それで結構々々。あなたはとてもいゝ声を持つてをられる、それに抑揚も大変よろしい、殆ど僕とかはらない程です。さあ、も一度くり返して、ど……し……ら……そ……ふあ……み……れ……ど……。
 ゼフイル──今度は大分むづかしいようですね、まあやつて見ませう。ど……し……ら……そ……ふあ……み……れ……ど……。
 マルクマル──どうして、なか/\上手に出来ました。その声でなら、おぺらで番附け売りになれますよ。
 ゼフイル──そんなにほめて下さると、お世辞でも私は嬉しい。
 マルクマル──それでは次いで、……ど……み……そ……ど……。
 ゼフイル──ど……み……そ……ど……。
 マルクマル──その通り、……ど……そ……み……ど……。
 ゼフイル──ど……そ……み……ど……。
 マルクマル──いや、おひ/\よくなつて来ました。この調子でやれば、上手になれます、今日の練習はこれだけに致しませう、──では五ふらん戴きます。
 ゼフイル──なんですつて。
 マルクマル──これで五ふらんですと申し上げたのです。
 ゼフイル──これで五ふらんだつて、このとんま奴、そんなでたらめな直をいはないで。
 マルクマル──いや/\どうして御主人、僕は一練習で百ふらんぐらゐまでの教授をしてゐます。僕は御覧の通り。
 ゼフイル──そんなに高い練習料をとつてゐれば、百万長者になつてしまふでせうに。
 マルクマル──お説の通りですが、打ちあけて申し上げると、その直ではどうしてもお客を見付けられないのです。
 ゼフイル──そりや、それがあたりまへだと私も思ふ。
 マルクマル──あなたは、只今の練習で御不足ですか。
 ゼフイル──どうしまして、大満足ですが、しかし三ふらんより以上の直があるとは思ひませんね、三ふらん差し上げますから、ギニヨールとリゴロにもちよつと練習してやつて下さい、かれらも披露会にはよぶことにしてゐますから。
 マルクマル──まつたくあなたは押しの強い人ですね。よろしい、初めてお伺ひしたことですから今日だけはお言葉通りに致しませう。三人の練習に三ふらんしか戴かぬのですから、お一人前、僅に一ふらんづつです。
 ゼフイル──さうして頂ければ、これから友人達にお世話致しますよ。きつと御紹介しますから、あてにしてゐて下さい。
 マルクマル──では三ふらん戴きませう。
 ゼフイル──すぐギニヨールルを来さしますから、今いつたように、ちよつと練習してやつて下さい。そして練習は二ふらんだといつて下さい、そしたら私の分と一しよに払ふでせうから。待つて下さい、すぐよこしますから。
(ゼフイル退場)
 マルクマル──をゝ、をゝ、僅か三ふらんの金にいろ/\な条件がついて来た、こんなことと知つたら来るのではなかつたのに。

第四場
(ギニヨールとマルクマル登場)

 ギニヨール──ねえ先生、主人が私にもなにか唱歌の練習をするようにいつてゐましたから一つやつてもらひませうか。
 マルクマル──えゝ、さうです、君の息さんにもね。さあ、大急ぎでやりませう、僕も時間がないのですから(急調子)ど、れ、み、ふあ、そ、ら、し、ど、ど、し。ら、そ、ふあ、み、れ、ど。
 ギニヨール──そんなに速くですか。
 マルクマル──えゝ、全速力で、僕は忙しいのだ。あぺりちいふ(食前)に待ち合せる人があるのだから。
 ギニヨール──どれみふあらしどそ。
 マルクマル──えゝ、違つた、そらしど、だ。
 ギニヨール──なんだ、めんどくさいこと、いやあり難う。
 マルクマル──さあ、それで二ふらんです。
 ギニヨール──二ふらんですつて。主人は私の練習は、おそへ物だといつてましたぜ。
 マルクマル──いや/\それは違ふ、君に二ふらんと、息さんに一ふらんもらふ筈になつてゐるのです。
 ギニヨール──そりやまた話が違ふ。では正直にいひますが、私は唱歌の練習なんぞはしたくないのです。まあ待つて下さい、今忰を呼びますから、一練習してやつて下さい。そしていくらかときいたら、三ふらんだと答へて下さい。そしたら、私達の分は一しよにとれるわけですから、すぐ呼んで来ます。(ギニヨール退場)
 マルクマル──をゝ、もうこんなことは御免だ。たつた小銀貨三個のために、なんだかだと文句をつけられてる間に、時間ばかりたつてしまふ。一体もう何時頃かしら。(うろ/\と退場)

第五場
(リゴロとマルクマル登場)
 マルクマル──あゝ、やうやくやつて来た。坊つちやん、君は音楽になか/\熱心なんですつてね。
 リゴロ──えゝ、さうですよ先生。僕は小さい時から好きなんです、薪割りで酒瓶をたたいたりしたのです。
 マルクマル──さうですか、そりやいゝことだ。これから唱歌を教へてあげようと思ふが、あまり時間がないから大急ぎで一つやりますよ。どみそど……さあこの通りに唄つて御覧。
 リゴロ──それはカルメンで唄ふのですか、フオーストにあるのですか、先生。
 マルクマル──カルメンでもフオーストでもよろしい、まちがはないように注意することです。僕が教へようとすることはそれだけ、さあ/\始めて。
 リゴロ──どみそど、どみそど。
 マルクマル──上出来/\、本式に声楽の練習をしたのだから、これで授業料が三ふらん。
 リゴロ──これで三ふらんですつて。ね先生、あなたはだんすを知つてゐますか。
 マルクマル──いや/\坊ちやん、僕はだんすは知らないよ。
 リゴロ──そんなら、先生が、正式に歌ひ方の練習をして下さつたのだから、これから僕が、だんすを教へてあげませう。本式にね。
    (リゴロ退場して帚を持つて再び現れ、声楽師の頭を叩く)
 リゴロ──一、二、一、二、一、二、御覧なさい、これがむぬえつとです。それからこれが、がぼつとですよ。よく気をつけて。さあこれが三ふらん、差し引きしてさようなら。
 マルクマル(逃げ出しながら)──いやはや、これは。諺に、音楽は人の品性を優雅にするといふのに。幕

 この劇は小一時間もかゝりました。読んでは大して面白味はないが、ぎによーるの舞台にかけるとわけもなく人を笑はせるのでした。殊に子供達にとつては、筋よりもその場/\の動作が問題です。とにかく、父さん歓迎の家庭劇が思はぬ発展を見たといふものです。その後、この二組のぎによーるは、あちこちにかりられて、いろ/\な脚本を演じたのであります。

一二、四人展覧会

 みち子さんが発起した四人展覧会は、軽井沢の方まで知れわたりました。それは遊園地の事務所で、停車場その他へ手製のぽすたーを配つたからです。それ故三日間に千人近い人が見に来たそうです。見に来た人々は、四人の子供の趣味や技巧の異りを見て、大そう面白く思ひました。最も人気のあつたのは孝子さんの絵で、太郎君と鎮雄君は同じ位、みち子さんの作が一番閑却されたといふことです。それについて油絵かきの原さんの意見はかうです。
「実際、絵の素質は孝子さんが一番いゝ、のみならず、その傾向も学ぶべきだ。見聞きする物や事柄を楽々と絵にしてしまふ、あのゆき方は、絵のうまいまづいは別問題として羨ましい。自分たちのように、景色も人物も、とんと静物のように眼の前に置いてゞなければ絵が出来ないようではあはれである。いや自分一人や、美術学校の卒業生位が皆それであつても差し支へないが、日本国中、何百万といふ小国民が一斉にさうなるようだと簡単な問題でない。だが、孝子さんの絵をほめる多くの人は、子供らしい比喩、例へば『蟻の御殿』の黒ん坊の擬人蟻が、振り袖や、どれすを着てゐるところなどにまづ破願し、写生ばなれのした表現のあどけなさを賞美するが、その賞賛の反面は、往々少年期から青年期へかけての、一見平凡な、そのくせ迷ひ多い複雑な為事に対して、自然無同情に傾き、その態度は論理的に見ると教育の否定を意味することになる。なる程、みち子さんの絵には孝子さんのような、空想の奇抜さはなく、技巧もとかく末梢的である。だが、今日の専門家の美術を果して末梢的でないといへるだらうか。みち子さんは今日の展覧会の絵画を、自分の学習の実際に照して批評的に見ようとする、知識欲の盛んな、正系な近代女性である。親類にセザニズムの油絵画家をもち、学校では美術学校出のりありすと(写実主義者)を先生に戴き、自分等お近づきの者からもいつ知らず現代の洋式写生へと引つぱり込まれる。そのことの、結局の良否は別として、みち子さんの絵を原始的画道の孝子さんの絵と比較して、『複雑で面白味がない』とけなすことは、ちと気の毒ではあるまいか。太郎君の肖像画の、くれぱすの色の、独特なにゆあんす(色合ひ)を指して、『子供の作とは思へない、先生の手がはひつてゐるだらう』などゝ批評した人がちよい/\あつたといふが、けしからぬ馬鹿者である。自分はこの眼で太郎君の為事を見てゐる。教養された大人の却つて考へ及ばぬ、その不思議な技巧の始終を見届けて感心してゐるのだ。あれを見ると、今日びの多くの油絵写生家──自分もまさにその一人であるが──は、まるで『技巧』といふものを知らないといつても過言でなさそうである。ルフランのかんばす(画布)へルフランの絵の具で、とんと活版職工が植字をするように、景色や、静物や、裸婦を描写したところで、それが技巧といへるだらうか。仮にお料理の腕を技巧と見れば、今日の油絵書生の大多数は『味の素』で味を出すことを便利とし、あるひはそれしか知らない連中である。ところが太郎君はどうだ、一々の絵を自分の工夫と努力で調味してゐるではないか。たゞ問題は、太郎君がまだ悟りの結果としてそれをやつてゐるのでなく、従つて、『味の素』についても、何等の見識をもたないといふ点にあらう。鎮雄君の絵も、学年が進むにつれてまづくなつてゐる。それはなぜだらう、このことは鎮雄君にかぎらず、一般の子供の通則のように思はれてゐる。私は『教育』を貴ぶ。『教育』が保存したい結構な素質までも一しよくたに破壊することはある。しかし、それをより完全な形で取り戻すのもまた『教育』であることを考へなければならない。鎮雄君は、今壊されてゐるのである、眼が手におくれて来たのである。蓋しすべての大人が同じような不仕合せに悩んではゐないか。世にあかでみつくといふ冷かし言葉があるが、それは、眼の進歩を全く失つて、手のみで絵を描く習慣に陥つた、作家の神経衰弱症に与へられる言葉である。だが、大きなことはいへない。われ/\の世間にも、鎮雄君の世間にも、眼を肥してくれる機会はどうもすくないのであるから、──きやべつは軟かさや味はひが宝である、ところが肥しが利きすぎると葉が徒らに育つて硬くなり、野菜として劣等品になるといふ。鎮雄君も肥しが利きすぎたかも知れない。いや、もつと正しいいひ方をすれば、不適当な肥しが与へられたのかも知れない。もしもきやべつに痩せた土がよいとするならば、痩せた土はすなはちよい肥しを意味するわけである。学校の先生や家庭の父兄は、子供の素質に応じて肥しの適否を実験的に取り扱はねばなるまい。しかり、われ/\の職務たるや、まことにむづかしい次第である。それにつけてももまたなんと待遇のお安いことよか、あつはつはつはつ」
 原さんは会場に太郎君の両親や、鎮雄君の両親を迎へて、自分の好みから、また教育者の立ち場から、四人の為事の長短をいろ/\話してきかせました。それによると、孝子さんと鎮雄君は、毛筆と日本絵の具、太郎君はくれぱすもしくは油絵の具、みち子さんは水彩絵の具を、いつまでも使はせるがよいことになります。つまり、それ/゛\に手なじんだ材料であり、また材料そのものから独特の絵が生れ来つたことに鑑みて、無考へに画用品を変へさすなといふことです。今日の小学校では、幼年はくれいよん、すこし長じてはくれぱす、高等小学や中学になると水絵の具、油絵の具はなほ一段高級な画用品、といふように心得てゐるが、さうした教育界の習俗は馬鹿らしいといふことです。太郎君のお父さんは開業医で、もとより実験主義者ですからすぐ共鳴して、自分の畑へ引きとつて答へました。
「ごもつともですな、私共の方でも、頻繁に新薬が現れて、はやる医者に新薬は附きものだが、さて、新薬といふものは高いが特色で、多く利き目はないですな」
 黙つてきいてゐる鎮雄君のお父さんにも、「絵の直打ちは作の新古にかゝはらない」といふ説や、「子供の画学に新しい、いはゆる便利な画用品が、必ずしも教育的に優良とは限らない」といふ説はうなづけました。鎮雄君のお父さんは木彫人形を作りますが、はじめその色彩にちゆーぶ入りの安い水彩絵の具を便利として用ひたところ、ぢきに腿色したのにこりて、こんどはあらびあごむで泥絵の具を溶いて使ひましたが、これも顔科の定着について不安があり、それに色がとかく陰気になるのでした。それで結局、奈良人形などの色彩の手法通り、膠のうすいので日本絵の具をといて用ひるようになりました。もつともさうした古来の手法は決して便利でない。例えば、胡粉を自分で溶いて、よく漉して使はなければならないようなわけで閑つぶしですが、しかし、為事といふものは楽しんでかゝると効果のためには手数を惜まなくなるものです。──原さんと鎮雄君のお父さんとに、こんな会話がありました。「鎮雄君の近頃の絵は色彩をおもにくれいよんでやつてゐますね、水墨とくれいよんとはどうもつきが悪いし、泥絵の具にくらべて不経済でもありますね」
「さうでごわすな、この頃は、めたへえ写生をしやして、はじめはそれでも泥絵の具をもつて出やしたが、何分不便だもんで、最近はくれいよんきり使つてゐるようでごわす」
「鎮雄君の水墨のでつさんはつゞけさしたいものですね、特色ですよ」
「はい、墨はよさねえようです」
「矢立てを使つてゐますね」
「はい、祖父さんからもらつて来やして、あればかりは、いつも持つて出るようでごわすな」
「鎮雄君は泥絵の具のぱれつとを持つてゐるそうですね」
「さあて、そんな物をもつてゐやすかなあ」
「なんでも、あなたに教はつて作つた物だそうですぜ」
「なに、あれですか、エジプトのぱれつとのことでごわせう。あつはつはつはつ」
「さうです、どんな式なものか見せてもらはうと思つてゐたんですが、どんな風な物ですか」
「なに、ざつとした物でごわすよ。私に木彫を教へておくれやした先生が持つてゐて、その見取り図があつたものですから、野郎せつこうよくこしらへてゐやしたつけが、なんでも、エジプトの壷の絵かきは、あゝいふぱれつとを用ひたものだそうでごわすなあ」
「僕は話しにはきいたが見たことはありません。どんな物です」
「さようですなあ。長い名札のような板で、その上の方に碁石程の大きさの深い窪みが五つばかり作つてありやしてなあ、そこへ、泥絵の具の堅練りを入れておくのですな、持ち方は左手に板の下の方を握り、筆はちよつと線香のような細い棒でごわしてなあ、なんでもそれは、エジプトの草の茎で、尖をくだくと、とても細かく割れるのだといふ話でごわした」
「そいつは変つてゐますね、だが色彩用には不向きですな」
「さうどこぢやごわしねえ、まづ線描きのものでごわせう」
「それにしても、僕は鎮雄君を見ていつも感心するんです。いろ/\な物を自分で作つてゐる、今のそのエジプトのぱれつとでも、例の浮き彫りを施した絵の具箱でも、画架でも画板でも、ぺん軸でも、必要品をたいてい手製してゐる。まつたく、趣味と勤労とのよい風習ですね。先日も友達とかし胡桃をおとして河原の石の上で割つてゐたといふから、食べたのかと思つてきくと、なに、胡桃の油で手製の筆箱の艶出しをするのだといふぢやないですか。さういふ自然の風流は、都会の子供のとても知らないことですよ」
 原さんは四人展覧会の会場で、いろ/\な人を迎接して、かういふ理窟つぽいおしやべりをやりながら、晴天三日間を惜みなく棒にふつてしまひました。

一三、みち子さんから鎮雄さんへの手紙

 鎮雄さん──大変御無沙汰致しました、お変りはなくつて。信州はもうすつかり秋の景色でせうね、星野の別荘にも、遊園地の別荘にも、もう一人もゐないでせうね。私達の帰る時分に、もう鎮雄さんのお気に入りのあの東の方のから松山はうつすり莨色になりかゝつてゐました。あの秋の音づれの色を忘れません。久しぶりに帰つて見て東京もいゝと思ひましたが、毎朝美しい山々を見られる鎮雄さんを羨ましいと思ひます。帰つた当座一日じゆう信州のお話をしてゐましたが、学校がはじまつて急に忙しくなつたので、すつかりそつちのことを忘れてゐました。太郎兵衛さんは今びり助になつて弱り込んでゐます、柿を食べすぎたんですの。孝子ちやんは元気です。わらび野にゐる時と同じようにだまつて絵をかいてゐます、まつたく孝子ちやんは天才的ね。原先生はどうなすつたでせう、その後一度もお目にかゝりません。でもきのふ、二科会の展覧会で絵を見て来ましたわよ。鎮雄さんあの絵よ、私達がお知り合ひになつたあの日に描いていらしつた、二十五号の落葉松山の絵よ。第三室のとつつきに懸かつてゐました、私第二室から三室へ曲ると、いきなりあの絵があつたので、はつとしましたわ。二科会へお出しになつたことなぞちつとも知らなかつたし、つい学校が忙しくて新聞も見なかつたでせう、まつたく不意でしたわ。私うれしくつて思はず声をあげたものですから、お友達に叱られちまひました。その室にゐた人がみんなこつちを振りむいたのですつて。ですが、あの岡の上で見た時の絵となんだか違つた絵のようよ。もつと明るいはつきりした絵と覚えてゐるんですが、展覧会場で見るせいか、妙に調子の弱い、原先生に憤られるかも知れないが、あまり引き立たない絵だと思つたわ。しかしお友達の話では、なにかの新聞にほめてあつたそうです。──鎮雄さんはまだ、帝展も二科展も見たことがないのね。田舎に住む人は、毎日いゝ景色を見てゐられるけれど、展覧会でいゝ絵を見たりする機会はない、都会に住む者は展覧会で良い絵を見る機会はあつても、毎日いゝ景色を眺めるわけにゆかない。まつたく、二ついゝことつてないものね。
 きのふは、学校の美術の日で、先生の『美術しーずん』といふお話を聴いてから、皆して展覧会を見物に出かけたのですが、美術の日のことを時々御報告する約束でしたから、今日のを第一回と思つて頂戴、お話は覚え書き風にかいてよ。

    『美術しーずん』のお話

「世間には、『美術しーずん』といふものがある、しーずんとは、季節のことで、例へば、お花見の頃は、お花見しーずんといふことが出来る。つまり一年中で最も多く、美術家の新作品を見られる時季を指して『美術しーずん』といふ。
 『美術しーずん』はフランスにも、英国にも、イタリーにも、ロシアにも、米国にも、要するに今日の文明国には皆それがあつて、たいてい春と秋とに別れてゐる。日本では毎年三月から五月頃までが春の美術しーずん、九月から十一月にかけて秋の美術しーずんである。そして美術しーずんに催される展覧会は、力からいつても大きさからいつても代表的なもので、従つて、新聞紙がこぞつてその景況を報導し、美術雑誌は特別号を編輯して仔細にそれを紹介する。
 わが現在の美術しーずんの代表的な展覧会は左の四つである。
  春季──春陽会
  秋季──日本美術院
            二科会
            帝国美術院
 この美術しーずんの四つの会の特色は会員の作品を発表するのみならず、製作品を一般から募集して鑑別と審査を行ひ、その年の傑作を世間に紹介することである。
 右四つの会は、現在のところ、際立だつた主義、主張の相違によつて対立はしてはゐない。画風は大体に於て似通つてゐる。
 右のうち、一番規模の大きいのは、帝国美術院の展覧会、すなはち帝展でこれは絵画、彫刻、工芸の三美術を包含し、絵画が、東洋風と西洋風の二部に区別されて、全体が四部の組織になつてゐる。そしてこの展覧会の経費は国庫から支出され、審査員は、年々文部大臣によつて任命される。この展覧会の特色は、大作が多いことである。もちろん大作必ずしも傑作ではない、しかし全体として華々しく賑かである。
 次ぎに大きいのは日本美術院の展覧会である。これは、絵画、彫刻の二部で、絵画部は東洋画に限られてゐる。そしてこの会は美術家自身が経営し、会員全体で毎年鑑別審査をやる。この展覧会の特色は研究心の盛んなことで、いつも『様式』が目に立つ。
 二科会、春陽会は、同じぐらゐな規模である。二科会に彫刻室があり、春陽会には、素描室、挿し絵室、版画室がある。これも会員の経営であること、日本美術院と同様である。二科会は曾つて、急進派であつたが、今日ではそのまゝ穏健派になつてゐる。(他にいろいろ急進派が出来たからだ)しかし、相かはらず、この会の特色として毎回未来派作品の陳列を見る。──春陽会はめい/\自由な画風であるが、しかし未来派風はなく、東洋風な絵が多い。
 二つの美術しーずんを通じて、右四大展覧会に集る応募作品の総数は、毎年約一万二千点内外で、その百分の七ぐらゐが及第して、公衆の前へ紹介される次第である」
 これがきのふのお話の要領よ、田舎にゐて展覧会などには縁遠い鎮雄さんには、こんなお話はさぞつまらないでせう。でも、これも又世の中の事実だから、知つておいて損はないと思ふわ。
 それでは、さようなら。今度はもつと面白いお話をお知らせ出来ると思ひます。鎮雄さんからの御報告を待つてゐます。   みち子

一四、鎮雄さんからみち子さんへの手紙

 お手紙受け取りやした。美術しーずんのお話ありがとう。原先生から、こねえだ手紙が来やした。冬のお休みに、こつちへおいでるそうです。僕の父やんに人形を彫ることを教はるのです。僕も一しよに教はりてえと父やんにお願ひしたら、父やんがいゝつていひやした。
 僕は、毎日学校へいつてゐやす。学校からかへると射的場へゆきやす。製材所の小父しやんは、鉄砲の名人ですよ。猟期にはひると、僕を猟へつれていつてくれるつつうから、僕は一(いつ)しよう懸命に射的を習つてゐやす。今年は鳥がえれえゐやす、きのふ星野へ栗をとりにいつたら、わらび野のみち子さんのゐた別荘の裏に、雉がかくねてゐやした。僕達の足おとに驚いて、ぱさ/\と舞ひあがつて、塩沢谷の方へ飛んでゆきやした。
 僕はみち子さんに巣箱のことを報告しやす。前週と今週の手工の時間に、僕達は巣箱のお話を聞き、それを作ることを教はりやした。──先生のお話通りにかいてみやす。

    巣箱のお話

「君達は、巣箱つてどんなものか、よく知つてゐるね。鳥の寝る箱、あのことさ、もつとも、鳩なんかゞ幾羽もはひつて寝られる大きな小屋は巣舎といひ、燕の宿屋は、巣台といふ。先生がこれからお話して、あとで、みんなでこしらへようといふ巣箱は、鳥小屋におく巣箱ではなく、庭や、林の、木の幹へとりつけておく巣箱なんで、さういふ巣箱はまだあまり見た人はないだらう。先生の叔父さんにね、農林省のお役人があつて、先生がまだ君達ぐらゐの小学生時分、よく益鳥の話をしてくれたが、その時さういふ巣箱の話を聞いたんだ。それを思ひ出して、こいつは一つ手工の時間に、めい/\で巣箱を作り、それを裏の林へ配置して見ようと思つたのです。で、さつそく、をじさんに巣箱のこしらへ方を問ひ合せてやつたら、先週、本を一冊おくつてくれた。それを見ると、巣箱に関係したことがいろ/\かいてあつて、巣箱の作り方もわかつた。先生は巣箱は木の板でこしらへるものとのみ思つてゐたが、どうしていろ/\な巣箱があるよ。丸太をきつてこしらへたものもある