賜 天覧 台覧
日本児童文庫
図画と手工の話
             山本鼎著
              ARS



目上(めうへ)の方々(かた/゛\)へ

 日本児童文庫(につぽんじどうぶんこ)  巻中(かんちゆう)の一冊(いつさつ)を任(まか)せられたことは、実(じつ)に光栄(こうえい)でした。差(さ)し当(あた)り、数十万(すじゆうまん)の児童(じどう)ならびにその目上(めうへ)の方々(かた/゛\)に、自分(じぶん)の意見(いけん)を読(よ)んでもらへることはまことに果報(かほう)です。私(わたくし)は油絵(あぶらえ)かきですが、ふとした動機(どうき)で教育(きよういく)の方面(ほうめん)へ首(くび)を突(つ)つ込(こ)みました。教育(きよういく)といつてももちろん美術(びじゆつ)に関(かん)したことで、世(よ)に『自由画(じゆうが)』と称(よ)ばれる、あゝいふ絵(え)の最初(さいしよ)の鼓吹者(こすいしや)は私(わたくし)です。もちろん、今日(こんにち)のいはゆる自由画(じゆうが)の成績(せいせき)そのものには、私(わたくし)を安(やす)んぜしめない傾向(けいこう)がいろ/\あります。たとえぱ、色彩(しきさい)一途(いちず)に流(なが)れて、でつさんの進歩(しんぽ)を伴(ともな)はないことや、臨物写生(りんぶつしやせい)一点(いつてん)ばりの弊(へい)等々(とう/\)大(おほ)いに指導者(しどうしや)の注意(ちゆうい)を喚起(かんき)せねばなりませんが、しかし自分等(じぶんら)のあの運動(うんどう)は、結局(けつきよく)有意義(ゆういぎ)であつたと思(おも)ひます。日本(につぽん)の子供達(こどもたち)は、あの運動(うんどう)の結果(けつか)、『自然(しぜん)』に就(つ)いて学(まな)ぶようになり、各自(かくじ)に表現法(ひようげんほう)を工夫(くふう)し、独創(どくそう)の楽(たの)しみを知(し)るようになりました。そして小学校(しようがつこう)の美術的学科(びじゆつてきがくか)は、家庭(かてい)や社会(しやかい)に親(した)しいものとなつて来(き)たのであります。
 世(よ)には、高踏的(こうとうてき)な美術(びじゆつ)にのみ存在(そんざい)の意義(いぎ)を附(ふ)し、庶民通俗(しよみんつうぞく)の美術心(びじゆつしん)を蔑視(べつし)する人(ひと)がありますが、私(わたくし)の性分(しようぶん)及(およ)び思想(しそう)は、むしろ庶民通俗(しよみんつうぞく)の美術心(びじゆつしん)に、より多(おほ)く関心(かんしん)せしめ、成熟期(せいじゆくき)の画道(がどう)よりも、原始的(げんしてき)画道(がどう)の方(ほう)に美術(びじゆつ)の真髄(しんずい)を感悟(かんご)せしめます。私(わたくし)はもし父(ちゝ)の業(ぎよう)を継(つ)いで医(い)を職(しよく)としたなら、『公衆衛生(こうしゆうえいせい)』を専攻(せんこう)したかも知(し)れません。私(わたくし)は子供達(こどもたち)の図画手工(ずがしゆこう)の学習(がくしゆう)を『美(び)』に関(かん)した衛生思想(えいせいしそう)の涵養(かんよう)と見(み)てをります。国民(こくみん)の保健(ほけん)を完全(かんぜん)にし、体力(たいりよく)を増進(ぞうしん)せしむるには、衛生思想(えいせいしそう)の普及(ふきゆう)を第一(だいいち)とし、親切(しんせつ)で老練(ろうれん)な開業医(かいぎようい)を到(いた)る所(ところ)にもち、生粋(きつすい)の医学者(いがくしや)を数多(かずおほ)く持(も)たねばなりますまい。それと同(おな)じわけで、わが国民(こくみん)をして『美(び)』に対(たい)する徳性(とくせい)を完備(かんび)せしめ、作家(さつか)をして雄大(ゆうだい)な為事(しごと)をなさしむるには、生粋(きつすい)な美術(びじゆつ)だけでは足(た)りません。通俗(つうぞく)な美術(びじゆつ)も、小国民(しようこくみん)の美術教育(びじゆつきよういく)も、共(とも)に必要(ひつよう)です。しかも現状(げんじよう)はどうでせう、展覧会美術(てんらんかいびじゆつ)は繁盛(はんじよう)ですが、産業的美術(さんぎようてきびじゆつ)や、子供(こども)の美術教育(びじゆつきよういく)は貧相(ひんそう)もしくは陳腐(ちんぷ)です。すなはち、大衆(たいしゆう)の日常生活(にちじようせいかつ)には『肉(にく)』がありません。
 さて、この一冊(いつさつ)は、子供(こども)さんに図画(ずが)や手工(しゆこう)を教(をし)へるようにと、文庫(ぶんこ)は組(く)み込(こ)まれたものでせうが、技術(ぎじゆつ)の指導(しどう)は文字(もじ)ではやりにくい、それに綿密(めんみつ)にかけばかく程(ほど)、読(よ)む身(み)にとつては退屈(たいくつ)でせうし、描(か)き方(かた)作(つく)り方(かた)は学校(がつこう)でおほよそ教(をそ)はつてをられるわけですから、私(わたくし)はもつぱら興味(きようみ)をそゝるように心掛(こゝろが)けて、小説風(しようせつふう)に筋(すぢ)を立(た)てて、叙事(じよじ)や会話(かいわ)でそくばくの指導(しどう)を試(こゝろ)みました。それにしても、全体(ぜんたい)にむづかしすぎると思(おも)ひますが、とかく思想(しそう)を述(の)べたい私(わたくし)ではあるし、表現法(ひようげんほう)が未熟(みじゆく)なせいで致(いた)し方(かた)ありません。もつともところ/゛\、子供(こども)の知識(ちしき)をあへて度外視(どがいし)して、お両親(りようしん)や先生(せんせい)を相手(あひて)に書(か)いてあります。たとへば『四人展覧会(よにんてんらんかい)』の原(はら)さんのおしやべりなどがそれで、結局(けつきよく)私(わたくし)は、この本(ほん)を読(よ)む子供(こども)さんが親近(しんきん)な目(め)うへに、更(さら)に噛(か)みくだいてもらふことを望(のぞ)んでゐるのです。どうぞそのことを、よろしくお願(ねが)ひ致(いた)します。なほ解(かい)し難(がた)い点(てん)がありましたら、御指摘(ごしてき)下(くだ)さい、『学習新聞(がくしゆうしんぶん)』紙上(しじよう)でお答(こた)へ致(いた)しますから。

   昭和三年八月
                     山本 鼎




目次(もくじ)
 一 旅行(りよこう)のおしたく…………………………三
 二 高原(こうげん)の避暑地(ひしよち)……………一九
 三 浅間山(あさまやま)の写生(しやせい)…………二六
 四 太郎君(たろうくん)の静物画(せいぶつが)……三七
 五 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)…………五五
 六 油絵(あぶらえ)かきさん……………………………六五
 七 百姓家(ひやくしようや)の鎮雄君(しづをくん)七八
 八 油絵(あぶらえ)かきさんのお話(はなし)………八六
 九 みち子(こ)さんのすけつちぶつく…………………九六
一〇 雨(あめ)ふりの二日間(ふつかかん)……………一一二
一一 ぎによーるのお芝居(しばゐ)………………………一四二
一二 四人展覧会(よにんてんらんかい)…………………一六四
一三 みち子(こ)さんから鎮雄(しづを)さんへの手紙(てがみ)一七五
一四 鎮雄(しづを)さんからみち子(こ)さんへの手紙(てがみ)一八二
一五 お母(かあ)さんの夜話(やわ)……………………一九二
一六 お母(かあ)さんの夜話(やわ)……………………二〇三
一七 鎮雄君(しづをくん)からの小包(こづゝ)み……二〇九
一八 孝子(こうこ)さんの図案(ずあん)………………二一六
一九 みち子(こ)さんの更紗(さらさ)…………………二三二



図画と手工の話



装幀・恩地孝四郎
挿絵・山本 鼎




一、旅行(りよこう)のおしたく

 みち子(こ)さんのおうちでは、毎年(まいねん)海辺(うみべ)へ避暑(ひしよ)するのでしたが、今年(ことし)は山(やま)へゆくことになりました。それは、弟(おとうと)の太郎君(たろうくん)がいつぞや歌舞伎座(かぶきざ)の童謡音楽会(どうようおんがくかい)で、白秋(はくしゆう)さんの『秩父(ちゝぶ)の宮様(みやさま)』を聴(き)いて来(き)てから、急(きゆう)に山(やま)へゆきたくなり、姉(ねえ)さんも妹(いもうと)も身方(みかた)につけて、熱心(ねつしん)にお母(かあ)さんを説(と)き伏(ふ)せた結果(けつか)でした。
 太郎君(たろうくん)は丈夫(じようぶ)で活溌(かつぱつ)なくせに、皮膚(ひふ)だけは生(う)まれつき弱(よわ)く、虫(むし)にさゝれるとじきに水腫(みづぶく)れになつて、夏中(なつじゆう)両脚(りようあし)に繃帯(ほうたい)をしてゐるようなわけでしたから、お母(かあ)さんは、虻(あぶ)やぶよの多(おほ)い山地(さんち)をさけて、砂浜(すなはま)や塩風(しほかぜ)で皮膚(ひふ)を鍛(きた)へてやらなければならないと考(かんが)へ、静浦(しづうら)行(ゆ)きを主張(しゆちよう)したのですが、とう/\子供達(こどもたち)の同盟軍(どうめいぐん)に負(ま)かされて、信州(しんしゆう)行(ゆ)きときまり、軽井沢(かるゐざは)と山(やま)一(ひと)つを隔(へだ)てた星野温泉(ほしのおんせん)の、落葉松(からまつ)林(ばやし)のなかの小(ちひ)さな夏季別荘(かきべつそう)をかりて、八月(はちがつ)一(いつ)ぱいをそこに送(おく)ることになつたのでした。
 で、昨日(きのふ)からその旅行(りよこう)のお支度(したく)でうちじゆう大騒(おほさわ)ぎなのです。大小(だいしよう)の旅行鞄(りよこうかばん)が三(みつ)つ、蒲団包(ふとんづゝ)みが二(ふた)つ、柳行李(やなぎごうり)が一(ひと)つ、すつかり荷造(にづく)りがすんで玄関(げんかん)にまとめられ、お母(かあ)さんが、茶(ちや)の間(ま)で飲料(いんりよう)や薬品類(やくひんるい)をばすけつとにつめてゐるところに、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)が、買(か)ひ物(もの)を両手(りようて)に提(さ)げて、えらい勢(いきほ)ひで帰(かへ)つて来(き)ました。そして先(さき)を争(あらそ)つて買(か)ひ物(もの)の御報告(ごほうこく)です。
「お母(かあ)さん、僕(ぼく)ね、お金(かね)をみんな使(つか)つちまひましたよ、三脚(さんきやく)はずいぶん高(たか)いんですよ。ほらこんな三脚(さんきやく)、僕(ぼく)、山崎(やまざき)さんの持(も)つてゐるような大(おほ)きいのが欲(ほ)しかつたのだけれど、あれは二円(にえん)八十銭(はちじつせん)もするんですつて、かなはないや……」
「子供(こども)はそれでたくさんだわ、──お母(かあ)さん、太郎(たろう)さんはずいぶんなまいきよ、しよーういんどの油絵(あぶらえ)の道具(どうぐ)が欲(ほ)しくてしようがないの」
「なんだい、みいちく、自分(じぶん)だつて欲(ほ)しいくせに、こないだ山崎(やまざき)さんに空(から)のちゆーぶを貰(もら)つてよろこんでゐたぢやないか」
「空(から)ぢやないわ、お気(き)の毒様(どくさま)、とても美(うつく)しいばいおれつとこばるとがどつさり出(で)て来(き)たわ。──くれぱすさん、いーだ」
「なにつ」
 太郎君(たろうくん)はいきなり姉(ねえ)さんの買(か)ひ物(もの)に飛(と)びかゝりました。姉(ねえ)さんは驚(おどろ)いてかなきり声(ごゑ)をあげ、くれいよんや鉛筆(えんぴつ)の組(く)み合(あは)せを買(か)つてもらつて大(おほ)よろこびの小(ちひ)さい孝子(こうこ)さんも、びつくりしてお母(かあ)さんの背(せ)なかへ駈(か)け寄(よ)りました。お母(かあ)さんは破顔(はがん)しながらたしなめます。
「みち子(こ)さん。大(おほ)きななりをしてその声(こゑ)はなんですね。二人(ふたり)とも早(はや)くお買(か)ひ物(もの)をお父様(とうさま)にお目(め)にかけていらつしやい」
 みち子(こ)さんたちのお父(とう)さんは、お医者様(いしやさま)です。午前(ごぜん)の診療(しんりよう)がすみ、その時(とき)手術服(しゆじゆつふく)のまゝ庭(には)に出(で)て花畑(はなばたけ)をいぢつてゐられましたが、子供(こども)たちに呼(よ)ばれると縁側(えんがは)へ戻(もど)つて来(き)て、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)の買(か)ひ物(もの)の説明(せつめい)を、面白(おもしろ)そうに、ちよい/\質問(しつもん)をはさみながら聴(き)くのでした。
「お父(とう)さん、僕(ぼく)のはこれだけです」
 さういふ太郎君(たろうくん)の買(か)ひ物(もの)は、三脚(さんきやく)、かるとん、画板(がばん)、ぺーぱぶろつく、くれぱすの五品(いつしな)で、皆(みな)絵(え)の用品(ようひん)でした。お父(とう)さんにまづ、
「ほう、絵(え)かきさんの腰(こし)かけを買(か)つて来(き)たね」
といはれて、太郎君(たろうくん)は、はにかみながらも大得意(だいとくい)でした。
 今度(こんど)の買(か)ひ物(もの)で、太郎君(たろうくん)を有頂天(うちようてん)にさしたのは、一本(いつぽん)の丸太(まるた)が、開(ひら)くと三本脚(さんぼんあし)になるこの奇妙(きみよう)な腰(こし)かけでした。学校(がつこう)で遠足(えんそく)をした時(とき)、大勢(おほぜい)があるひは草原(くさはら)の上(うへ)に坐(すわ)り、あるひは石(いし)に腰(こし)かけ、あるひは新聞紙(しんぶんし)や風呂敷(ふろし)きを地面(じめん)に敷(し)いて写生(しやせい)をやつてゐるなかに、四五人(しごにん)、この腰(こし)かけをもつてゐる子供(こども)がゐて、勝手(かつて)なところで腰(こし)かけてゐるのを見(み)てから、欲(ほ)しくてたまらなかつた器具(きぐ)でした。それ故(ゆゑ)太郎君(たろうくん)は、顔(かほ)を輝(かゞや)かしてお父(とう)さんに説明(せつめい)するのです。
「お父(とう)さん、これはね、三脚(さんきやく)つていふんですよ。こないだ山崎(やまざき)さんがお母(かあ)さんに『三脚(さんきやく)を買(か)つておやりなさい』つていつたの、地(じ)べたや草(くさ)の上(うへ)に坐(すわ)つて写生(しやせい)すると病気(びようき)になるんですつて、──僕(ぼく)これですつかり揃(そろ)つちやつた」
「道具(どうぐ)をそろへて、へたくそな絵(え)をかいては駄目(だめ)だぜ太郎(たろう)、──なんだい、このぼーる紙(がみ)に紐(ひも)のついてる物(もの)は……」
 太郎君(たろうくん)が即答(そくとう)出来(でき)なかつたので、みち子(こ)さんが説明(せつめい)しました。
「お父(とう)さん、これはかるとんていふ物(もの)よ、描(か)いた絵(え)を散(ち)らさずにこのなかにしまつておくんです。かるとんて、フランス語(ご)ですつて。先生(せんせい)がね、自分(じぶん)の作(つく)つた物(もの)を粗末(そまつ)にするようではいけません。絵(え)や図案(ずあん)はかるとんに挟(はさ)んでちやんと保存(ほぞん)しなさいとおつしやつたんです。それで、わたし達(たち)は皆(みんな)かるとんを持(も)つてゐるんです。太郎(たろう)さんは甲上(こうじよう)の絵(え)でもなんでも、かまはずなくしてしまひますから、私(わたし)が買(か)つてやつたんです」
「ふむ、そりや感心(かんしん)だ、みいちくさんも女学校(じよがつこう)になつてから急(きゆう)にえらくなつたね」
「知(し)らないわ、いやあなお父(とう)さん」
「あつはつはつはつ──くれぱすつてやはりくれいよんかい」
 太郎君(たろうくん)は、かうきかれてちよつとひるみました。といふのは、さつき、姉(ねえ)さんといひあひをした時(とき)、「くれぱすさん、いーだ」といはれたあのことからです。太郎君(たろうくん)がくれぱすを愛用(あいよう)しだしたのは今学期(こんがつき)からですが、くれぱすを使(つか)ふようになつてから、太郎君(たろうくん)はめきめきと絵(え)が上手(じようず)になつて、学校(がつこう)では甲上(こうじよう)をつゞけ、展覧会(てんらんかい)ではきつと賞(しよう)をもらふのでした。それは、くれぱすはくれいよんよりもずつと描(か)きいゝからで、例へば、くれいよんは色(いろ)が重(かさ)なり合(あ)ふだけで、よくまざりませんが、くれぱすはぱすてるのように自由自在(じゆうじざい)にまざるのです。又(また)くれいよんでは、暗(くら)い色(いろ)の上(うへ)へ明(あか)るい色(いろ)はきゝませんが、くれぱすはそれが勝手(かつて)にきゝます。ですからこの頃(ごろ)の太郎君(たろうくん)の絵(え)は、まるで油絵(あぶらえ)のようです。もつとも大人(おとな)の油絵(あぶらえ)のように、丸(まる)みや遠近(えんきん)の感(かん)じは出(で)てゐませんが、色合(いろあ)ひの深(ふか)さや、明(あか)るい色(いろ)で描(か)きおこしてあることなどがさうです。
 太郎君(たろうくん)は好(この)んでみち子(こ)さんや、孝子(こうこ)さんや、女中(じよちゆう)の徳(とく)やなどをもでるにして、肖像(しようぞう)を描(か)きますが、その顔(かほ)の肉色(にくしよく)の出(だ)し方(かた)は、ざつとこんなあんばいです。まづ、くれぱすのほわいと(白(しろ))で顔全体(かほぜんたい)を薄(うす)く塗(ぬ)りつぶします。それからその上(うへ)を、おれんぢ(橙黄(だい/\き))でかきまはします、次(つ)ぎにばあみりよん(朱(しゆ))とくりむそん(紅(あか))をまぜくります。そして又(また)、ほわいと(白(しろ))を使(つか)つて描(か)きまぜながら、思(おも)ふ肉色(にくしよく)を作(つく)るのですが、それは実(じつ)に、ちーすのように潤(うるほ)ひをもつた底味(そこあぢ)のある肉色(にくしよく)なんです。面白(おもしろ)いのは、眉毛(まゆげ)や瞳(ひとみ)のところなどを、ないふの尖(さき)を使(つか)つてくれぱすをさらひ取(と)ることです。くれぱすは柔(やはら)かいから、さうしないと眉毛(まゆげ)や瞳(ひとみ)を描(か)き表(あらは)さうとする黒(くろ)なり暗褐色(あんかつしよく)なりが、地(じ)の明(あか)るい色(いろ)とまじつてぼやけてしまふからなのです。また着物(きもの)の模様(もよう)とか屋根瓦(やねがはら)とかいふものを、太郎君(たろうくん)は、まづ地(じ)を一様(いちよう)に塗(ぬ)りつぶしておいて、明(あか)るい色(いろ)でのんきに描(か)きおこすのです。すべてかうした技巧(ぎこう)は、くれぱすを使(つか)ひ出(だ)してから、太郎君(たろうくん)がひとりでくふうしたものでした。
 太郎君(たろうくん)やみち子(こ)さんが、よく山崎(やまざき)さん山崎(やまざき)さんといふのは、お母様(かあさま)の従弟(いとこ)に当(あた)る人(ひと)で、美術学校(びじゆつがつこう)の生徒(せいと)さんですが、その人(ひと)が太郎君(たろうくん)のくれぱす画(が)を見(み)て感心(かんしん)し、「太郎君(たろうくん)は色(いろ)に対(たい)していゝ感覚(かんかく)をもつてゐる、いつそ油絵(あぶらえ)をやらして見(み)たいね」と申(まを)したことがありますが、太郎君(たろうくん)も実(じつ)はこの頃(ごろ)、油絵(あぶらえ)を描(か)いて見(み)たいのです。くれぱすそつくりの色合(いろあ)ひが出(で)て、くれぱすよりはずつと高等(こうとう)なものらしい油絵(あぶらえ)の具(ぐ)といふものが欲(ほ)しくてたまらないのですが、文房堂(ぶんぼうどう)のしよーういんどに飾(かざ)つてあるうちの一番(いちばん)安(やす)いものでも、一揃(ひとそろ)ひ七円(しちえん)五十銭(ごじつせん)もするし、すもーるちゆーぶでも一色(いつしよく)二三十銭(にさんじつせん)しますから、太郎君(たろうくん)はたゞ眺(なが)めて楽(たの)しむより仕方(しかた)がない、そこで姉(ねえ)さんに「くれぱすさん」とひやかされて、ひどく侮辱(ぶじよく)を感(かん)じたわけなんです。
 しかし、中学(ちゆうがく)にはひれば、山崎(やまざき)さんが、今(いま)自分(じぶん)の使(つか)つてゐる本式(ほんしき)の絵(え)の具箱(ぐばこ)をくれるといふし、その時(とき)、お母(かあ)さんが絵(え)の具(ぐ)や筆(ふで)を買(か)つてくださる約束(やくそく)ですから、太郎君(たろうくん)は内心(ないしん)楽観(らつかん)はしてゐるんです。で、活溌(かつぱつ)な声(こゑ)でお父(とう)さんに答(こた)へました。
「ちがひます、くれいよんなんて、孝子(こうこ)ちやんの使(つか)ふ絵(え)の具(ぐ)ですよ、くれぱすはね、お父(とう)さん、要(よう)するに固形(こけい)油絵(あぶらえ)の具(ぐ)なんですつて、だから僕(ぼく)の……」
「要(よう)するにだつて、山崎(やまざき)さんのまねをしてゐるわ、なまちやんね」
「だまつてろい、みいちく、いーぜるをおつぺつしよつちまふぞ」
 今日(けふ)みち子(こ)さんの買(か)ひ物(もの)のうちで、いーぜる(画架(がか))はすたー(明星(みようじよう))でした。折(を)り畳(だゝ)み式(しき)の旅行用(りよこうよう)いーぜるを手(て)に入(い)れたみち子(こ)さんの喜(よろこ)びは、小(ちひ)さい頃(ころ)、友禅(ゆうぜん)の振(ふ)り袖(そで)を着(き)せたお人形(にんぎよう)さんを京都(きようと)の叔母(をば)さんからもらつた時(とき)の喜(よろこ)びと同(おな)じものでした。太郎君(たろうくん)は得意(とくい)で三脚(さんきやく)に腰(こし)かけて見(み)せましたが、みち子(こ)さんも得意(とくい)でいーぜるをそこに組(く)み立(た)てゝお父(とう)さんにお目(め)にかけました。
「きやしやな画架(がか)だね、風(かぜ)に吹(ふ)き飛(と)ばされそうだな」
「えゝ、これが一番(いちばん)小(ちひ)さいの、でも旅行(りよこう)のすけつちにはこれで十分(じゆうぶん)よ。風(かぜ)が強(つよ)い時(とき)は、ここのところに紐(ひも)をつけて、石(いし)か棒杭(ぼうぐひ)にゆはひつけておけば大丈夫(だいじようぶ)ですつて、お父(とう)さん、信州(しんしゆう)は風(かぜ)が吹(ふ)いて──。西(にし)の方(ほう)に日本(につぽん)アルプスが見(み)えるんですつてね、私(わたし)早(はや)くいーぜるを立(た)てゝ描(か)きたいわ」
「今夜(こんや)たつのかい」
「いゝえ、明日(あした)になつちやつたの」
「あの辺(へん)は風(かぜ)が強(つよ)いよ、それにすさまじい夕立(ゆふだ)ちが来(く)るね、雷(かみなり)の大(おほ)きいこと」
「やあこはいな、僕(ぼく)、蚊帳(かや)のなかへ逃(に)げ込(こ)むんだ。お父(とう)さん、虹(にじ)が出(で)ますか」
「そりや出(で)るとも」
「二重(にじゆう)の虹(にじ)も出(で)ますか」
「出(で)るだらうな」
「すてきだなあ、お父(とう)さんね、姉(ねえ)さんがもつてゐる英国(えいこく)の絵(え)に、二重(にじゆう)の虹(にじ)が出(で)てゐるんですよ」
「えゝ、ジヨン・シスレーの『盲(めしひ)たる少女(しようじよ)』つて絵(え)よ。手風琴(てふうきん)を膝(ひざ)においた盲(めくら)の娘(むすめ)が土堤(どて)に腰(こし)かけてゐて、遠景(えんけい)に村(むら)が見(み)えて、暗(くら)い空(そら)に虹(にじ)が二筋(ふたすぢ)出(で)てゐたわね。太郎(たろう)さん、どうして二重(にじゆう)の虹(にじ)が出(でせ)るか知(し)つてゝ」
「知(し)つてる、蜃気楼(しんきろう)とおんなじなんだらう」
「えゝ、さう、太郎(たろう)さんえらいわね。──お父(とう)さん、こんないゝ水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)も買(か)ひました。ちゆーぶのよりは、この陶器(とうき)にはひつた練(ね)り製(せい)のが、絵(え)の具(ぐ)がかたまらなくて一番(いちばん)いゝんですつて。──私(わたし)、うんと水絵(みづえ)を描(か)かなくつちや」
「ふむ、これはちよーくだね」
「いゝえ、こんてーです。こんてーで素描(そびよう)して、らつくで止(と)めて、それから水絵(みづえ)の具(ぐ)で淡彩(たんさい)するのが、今(いま)学校(がつこう)で大(おほ)はやりなんです。滝田先生(たきたせんせい)はお父(とう)さん、そりや効果(こうか)がやかましいんですよ。水絵(みづえ)は手際(てぎは)がむづかしいから、でつさんがくづれがちでいけない。君達(きみたち)の眼(め)と手(て)にはこんてー淡彩(たんさい)が最(もつと)も適(てき)してゐるつておつしやるの。私(わたし)もこんてー淡彩(たんさい)は、はぎれがよくて好(す)き……」
「その巻(ま)き尺(じやく)のようなのはなんだね」
「これですか、画用紙(がようし)を水張(みづば)りにする時(とき)の縁貼(ふちば)り用(よう)の紙(かみ)です」
「なに、そんなものか、ちとぜいたくだね」
 みち子(こ)さんは、首(くび)をすくめて赤(あか)くなりました。滝田先生(たきたせんせい)もおつしやつた、「水絵(みづえ)の写生(しやせい)には、必(かなら)ず画板(がばん)に紙(かみ)を水張(みづば)りすることを怠(おこた)つてはいけない。縁貼(ふちば)りの紙(かみ)は丈夫(じようぶ)な紙(かみ)でさへあれば、ほぐで結構(けつこう)だ。五分(ごぶ)ぐらゐの幅(はゞ)に切(き)つて、糊(のり)をたつぷりつけて、手早(てばや)くお貼(は)りなさい」と。ところが、今日(けふ)文房堂(ぶんぼうどう)で、美(うつく)しいお嬢(じよう)さんがこれを買(か)つてゐたので、みち子(こ)さんはつい釣(つ)り込(こ)まれて買(か)つてしまつたのです。それ故(ゆゑ)、お父(とう)さんに「ぜいたくだね」といはれてぐうの音(ね)も出(で)ませんでした。みち子(こ)さんはてれた顔(かほ)をして、お父(とう)さんに文房堂(ぶんぼうどう)の伝票(でんぴよう)をお目(め)にかけました。それには左(さ)のように表示(ひようじ)してあります。
 画架(がか)(五号(ごごう)) 三円(さんえん)五十銭(ごじつせん)
 三脚(さんきやく) 一円(いちえん)七十銭(しちじつせん)
 画板(がばん) 五十銭(ごじつせん)
 かるとん 五十銭(ごじつせん)
 十三色入(じゆうさんしよくい)り水彩(すいさい)絵(え)の具箱(ぐばこ)
    三円(さんえん)五十銭(ごじつせん)
 筆(ふで)10、7、1、三本(さんぼん) 七十八銭(しちじゆうはつせん)
 ぺーぱーぶろつく三冊(さんさつ)一円(いちえん)
    五十九銭(ごじゆうきゆうせん)
 すけつちぶつく 一冊(いつさつ) 三十八銭(さんじゆうはつせん)
 こんてー 三本(さんほん) 三十銭(さんじつせん)
 くれぱす(二十四色入(にじゆうししよくい)り)一個(いつこ)
    六十銭(ろくじつせん)
 組(く)み合(あは)せ文房具(ぶんぼうぐ)一個(いつこ)
    五十銭(ごじつせん)
 縁貼(ふちば)り用紙(ようし)一巻(ひとま)き 十五銭(じゆうごせん)
   合計(ごうけい)金(きん)拾四円也(じゆうよえんなり)
 みち子(こ)さんは、それに、かう説明(せつめい)を加(くは)へました。
「今日(けふ)のお買(か)ひ物(もの)は、お母(かあ)さんにおゆるしを受(う)けて、めい/\の郵便貯金(ゆうびんちよきん)を使(つか)ひました、太郎(たろう)さんが四円(よえん)出(だ)し。私(わたし)が十円(じゆうえん)出(だ)したんです。太郎(たろう)さんのお買(か)ひ物(もの)は三円(さんえん)七十三銭(しちじゆうさんせん)で、私(わたし)のが九円(きゆうえん)七十二銭(しちじゆうさんせん)でしたから、五十五銭(ごじゆうごせん)あまつたの。それで孝子(こうこ)さんに組(く)み合(あは)せ文房具(ぶんぼうぐ)を買(か)つてやりました。──孝子(こうこ)ちやん、あなたのお土産(みやげ)をお父(とう)さんにお目(め)にかけない」
 孝子(こうこ)さんは、もう箱(はこ)から出(だ)して、なかみをそこらに散(ち)らかしてゐましたが、姉(ねえ)さんにさういはれて、急(いそ)いで箱(はこ)へあつめかゝりました。

二、高原(こうげん)の避暑地(ひしよち)

 信越線(しんえつせん)軽井沢駅(かるゐさはえき)のつぎが沓掛駅(くつかけえき)、そこで下車(げしや)して、旧草津街道(きゆうくさつかいどう)を浅間山(あさまやま)のほうへ十八町(じゆうはつちよう)ばかりはひると、「星野温泉(ほしのおんせん)入(い)り口(ぐち)」とかいたぺんき塗(ぬ)りの標柱(ひようちゆう)にでつくはします。温泉宿(おんせんやど)はそれからなほ四五町(しごちよう)おくの谷合(たにあ)ひのへいぼんな盆地(ぼんち)に建(た)つてゐますが、木造(もくぞう)のごく粗末(そまつ)な、ちよつとあのへんの小学校(しようがつこう)に似(に)た横長(よこなが)い家屋(かおく)、別棟(べつむね)の浴場(よくじよう)があり、玉突(たまつ)き場(ば)があり庭(には)には田船(たぶね)をうかべた池(いけ)もあれば、てにすこーともあつて、夏場(なつば)は、避暑客(ひしよかく)と浅間登山(あさまとざん)のすぽーつ連(れん)でことのほか混雑(こんざつ)するところです。しかし、それは宿(やど)の近辺(きんぺん)にかぎられ、まはりの小山(こやま)の落葉松(からまつ)林(ばやし)のなかに点在(てんざい)する別荘(べつそう)は、又(また)さびしいくらゐ閑静(かんせい)なのです。
 昨日(きのふ)みち子(こ)さん達(たち)が、こゝへ着(つ)いた時(とき)は、あいにく吹(ふ)き降(ぶ)りで、まるで景色(けしき)は見(み)えず、迎(むか)への自動車(じどうしや)に体(からだ)と荷物(にもつ)を無事(ぶじ)にはこばれて、まづ安心(あんしん)はしたものゝ、宿(やど)に一(いち)ばん遠(とほ)い別荘(べつそう)とて、水(みづ)も火(ひ)もなか/\間(ま)に合(あ)はず、雨気(うき)は部屋(へや)いつぱいにつまつて、八月(はちがつ)といふに唇(くちびる)が灰色(はひいろ)になりそうな冷(ひ)えかた、とりあへず障子(しようじ)をしめて、子供達(こどもたち)にめりやすのしやつを着(き)せたようなわけでした。
 間(ま)もなく、宿(やど)からをかもちで運(はこ)ばれた食膳(しよくぜん)で、お夕飯(ゆふはん)をすませて、お母(かあ)さんも徳(とく)やも、ほつとしましたが、電燈(でんとう)は東京(とうきよう)へんの五燭(ごしよく)ほどに暗(くら)く、そのうへ幾度(いくど)か消(き)えて、蝋燭(ろうそく)の用意(ようい)のない身(み)をめんくらはせ、谷(たに)あひにしぶく風雨(ふうう)の声(こゑ)がだん/\恐(おそ)ろしくなりだして、孝子(こうこ)さんはとう/\泣(な)き出(だ)すし、太郎君(たろうくん)もみち子(こ)さんもお母(かあ)さんの傍(そば)にかたまつてだまつてしまふありさま。誰(たれ)しも幻滅(げんめつ)を感(かん)じて、口(くち)には出(だ)さないが、「こんなことならおなじみの静浦(しづうら)にすればよかつた」と後悔(こうかい)しながら、言葉(ことば)すくなに一同(いちどう)早寝(はやね)をしたのでありました。
 ところが今朝(けさ)起(お)きて見(み)るとどうでせう、天地(てんち)は嘘(うそ)のように変(かは)つてゐます。朝(あさ)五時(ごじ)、がらす窓(まど)が映写幕(えいしやまく)のように明(あか)るくなつた部屋(へや)のなかで、みち子(こ)さんは、ばつちり眼(め)をあいてゐます。むろん寝床(ねどこ)のなかで、両手(りようて)をかろく蒲団(ふとん)の上(うへ)へ投(な)げ出(だ)して、なにかうれしそうに聴(き)き耳(みみ)を立(た)つてゐましたが、やがてお母(かあ)さんに呼(よ)びかけました。
「お母(かあ)さん──お母(かあ)さん──お母(かあ)さんてば。鳥(とり)が鳴(な)いてゝよ、お天気(てんき)そうよ」
「をや/\、おねぼうしましたね、でもみいちやん、雨(あめ)は降(ふ)つてゐるようね」
「いゝえ、あれ瀬(せ)の音(おと)よ。私(わたし)もはじめ雨(あめ)の音(おと)と思(おも)つたわ。ほら、鳥(とり)が鳴(な)いてゐるでせう、ぴーぴちよ──ぴーぴちよつて。変(かは)つた声(こゑ)ね、あの声(こゑ)を聴(き)いてゐるとなんだかお母(かあ)さん、深山(しんざん)へ来(き)たような気(き)がするわ」
「ほんとにね、お母(かあ)さんもなんて鳥(とり)か知(し)らないけれど、谷川(たにがは)にゐる小(ちひ)さな鳥(とり)で、あの鳥(とり)が鳴(な)くと雨(あめ)が霽(は)れるといふね。いつかみいちやんも村山(むらやま)さんに、登山(とざん)のお話(はなし)をうかゞつたでせう。村山(むらやま)さんがお友達(ともだち)と二人(ふたり)で、日本(につぽん)アルプスへ登(のぼ)つて、鎗(やり)が岳(たけ)の下(した)から飛騨(ひだ)の蒲(かま)が谷(たに)に下(くだ)らうとして、大(たい)そう難儀(なんぎ)をなすつた、あのお話(はなし)さ」
「えゝ、ひどい夕立(ゆふだ)ちで、焚(た)き火(び)は消(き)えちやうし、てんとのなかまで水(みづ)が流(なが)れるのでまつ暗(くら)やみのなかに強力(ごうりき)と四人(よにん)で、わらぢを積(つ)み重(かさ)ねてそれに腰(こし)かけて夜明(よあ)けを待(ま)つたお話(はなし)でせう」
「さう/\、やつと夜(よ)が明(あ)けて見(み)ると、一(いつ)ぱいの濃霧(のうむ)で、まだ小雨(こさめ)がふつてゐて、とんと島流(しまなが)しにあつてゐるようであつたとおつしやつたね。着物(きもの)もお米(こめ)もぐつしより濡(ぬ)れてしまふし、もしこの霧(きり)がはれなかつたら立(た)ち往生(おうじよう)と観念(かんねん)してゐると、なんといふ強力(ごうりき)だつたかね、あゝさう、惣八(そうはち)といふ、自分(じぶん)の打(う)つた羚羊(くらしゝ)の毛皮(けがは)を、胴着(どうぎ)に仕立(した)てゝ着(き)てゐるおぢいさんでしたね。その人(ひと)が、小鳥(ことり)の鳴(な)き声(ごゑ)を聴(き)きつけて、あいつが鳴(な)いてゐるから、大丈夫(だいじようぶ)雨(あめ)は上(あが)るといつたので、皆(みな)活(い)きかへつたとお話(はなし)になつたらう。──あの鳥(とり)ですよ、きつと」
「ぢやあ、今日(けふ)は大丈夫(だいじようぶ)お天気(てんき)ね。もう起(お)きて開(あ)けませうか、お母(かあ)さん」
 みち子(こ)さんは縁側(えんがは)の戸(と)を開(あ)けると、叫(さけ)び声(ごゑ)をあげました。
「まあ、すてき。お母(かあ)さん早(はや)く来(き)てごらんあそばせよ。とても美(うつく)しい景色(けしき)よ、上天気(じようてんき)で、遠(とほ)くの山(やま)が見(み)えます」
 なるほど、その縁側(えんがは)からは、雨(あめ)の玉(たま)のきら/\する渓谷(けいこく)の草木(そうもく)を前景(ぜんけい)にして、遠(とほ)く甲信国境(こうしんこつきよう)の連山(れんざん)よりも又(また)うすく、麗(うるは)しい朝日(あさひ)に霞(かす)んで八(やつ)が嶽(たけ)が見(み)えました。中景(ちゆうけい)のそーす色(いろ)の帯(おび)は、沓掛(くつかけ)の民家(みんか)でせう。今(いま)そこから、瓢箪(ひようたん)の形(かたち)に白(しろ)い煙(けむ)りが吐(は)き出(だ)されました。駅(えき)の汽缶車(きかんしや)の蒸気(じようき)です。そのあたり一(いつ)たいの、畳(たゝみ)を敷(し)いたような緑野(りよくや)は、桑畑(くはばたけ)、馬鈴薯畑(じやがいもばたけ)、きやべつ畑(ばたけ)です。きやべつ畑(ばたけ)は青磁色(せいじいろ)で、もつと高(たか)みへいつて見(み)おろすならば、同色(どうしよく)の畑(はたけ)がこの辺(へん)一(いつ)ぱいにひろがつてゐるのに驚(おどろ)くでせう。なんでも東長倉村(ひがしながくらむら)西長倉村(にしながくらむら)にかけて、五千町歩(ごせんちようぶ)もきやべつ畑(ばたけ)があるといふことです。も一(ひと)つこの辺(へん)に目立(めだ)つものは、氷室(ひむろ)です。みち子(こ)さんの別荘(べつそう)からも、一(ひと)つ見(み)えます。地面(じめん)にめり込(こ)んだようなせいの低(ひく)い藁屋根(わらやね)の家(いへ)がそれで、そばに必(かなら)ず池(いけ)があります。冬(ふゆ)にかゝるとその池(いけ)の面(おもて)は、落葉松(からまつ)の丸太(まるた)と蓆(むしろ)で造(つく)つた高(たか)い防風壁(ぼうふうへき)でいくつかにしきられて、清水(しみづ)が張(は)られます。軽井沢(かるゐざは)の天然氷(てんねんごほり)なるものは、その清水(しみづ)で造(つく)られてあの小屋(こや)に貯蔵(ちよぞう)されるのです。
 みち子(こ)さん達(たち)の別荘(べつそう)のあるところは、わらび野(の)といふ、小高(こだか)い岡(をか)で、南向(みなみむ)きの縁側(えんがは)の前(まへ)は、わづかな地面(じめん)をのこして、野菜(やさい)の段々畑(だん/\ばたけ)になつてをり、そのさきは虎杖(いたどり)の茂(しげ)つた河原(かはら)で、昨夜(ゆふべ)の豪雨(ごうう)に水(みづ)かさをました瀬川(せがは)が、碓氷河(うすひがは)を目(め)ざして、見(み)えがくれにはしつてゐます。眼近(まぢか)く、落葉松(からまつ)山(やま)の交叉(こうさ)するかなたに、雲水(うんすい)の笠(かさ)を伏(ふ)せたような浅間(あさま)が、空(そら)いつぱいに跨(またが)つてゐます。沓掛(くつかけ)からの登山路(とざんろ)は頂上(ちようじよう)までわづかに三里(さんり)、この上台(うはだい)の千(せん)が滝(たき)遊園地(ゆうえんち)をぬけて、山道(さんどう)にはひり、小浅間(こあさま)の裾(すそ)を通(とほ)つて急(きゆう)な登(のぼ)りにかゝるのですが、登山者(とざんしや)は松明(たいまつ)をもやして、たいてい深夜(しんや)に出発(しゆつぱつ)し、夜明(よあ)け前(まへ)に頂上(ちようじよう)へ着(つ)き、頂上(ちようじよう)で日(ひ)の出(で)を拝(おが)むのをめあてにするのです。しかし、なにぶん昨夜(ゆうべ)のあの風雨(ふうう)では、さぞ美(うつく)しかつたであらう今朝(けさ)の日(ひ)の出(で)を拝(をが)んだ人(ひと)は一人(ひとり)もなかつたに相違(そうい)ない。
 太郎君(たろうくん)は、浅間(あさま)が見(み)えると聞(き)いて、顔(かほ)も洗(あら)はずに丸木橋(まるきばし)のところへおりて来(き)て、まともに朝日(あさひ)を浴(あ)びた赤肌(あかはだ)の浅間(あさま)を、絶(た)え間(ま)なく吐(は)き出(だ)されるうす茶色(ちやいろ)の煙(けむ)りを、あかず眺(なが)めてゐるのでした。

二、浅間山(あさま)の写生(しやせい)

 菜(な)つぱの味噌汁(みそしる)と福神漬(ふくじんづ)けで朝御飯(あさごはん)がすむと、みち子(こ)さんも太郎(たろう)さんもさつそく写生(しやせい)に出(で)かけました。お母(かあ)さんは、「まあ、もう出(で)かけるのかい。荷物(にもつ)のしまつをしたり、皆(みんな)でお父(とう)さんへ御手紙(おてがみ)を出(だ)したりして、午後(ごご)に写生(しやせい)に出(で)ればいゝのに」とおつしやつたが、二人(ふたり)ともがまんが出来(でき)ませんでした。
 太郎君(たろうくん)は、くれぱすと画用紙(がようし)のぶろつくを風呂敷(ふろし)きに包(つゝ)んで左手(ひだりて)にかゝへ、御自慢(ごじまん)の三脚(さんきやく)を大事(だいじ)そうに右手(みぎて)にもつて先(さき)にたち、みち子(こ)さんは、買(か)ひたての絵(え)の具箱(ぐばこ)とこんてー、筆巻(ふでま)きに巻(ま)いた筆(ふで)、(みち子(こ)さんは、筆(ふで)の尖(さき)がいたまないように簾(すだれ)の筆巻(ふでま)きに巻(ま)いてもつ)清水(しみづ)をみたした水筒(すいとう)、らつくの壜(びん)と霧吹(きりふ)きなどを入(い)れた雑嚢(ざつのう)を肩(かた)に掛(か)け、画用紙(がようし)のぶろつくをむき出(だ)しで小(こ)わきにかゝへ、お気(き)に入(い)りの画架(がか)を三脚(さんきやく)と一(いつ)しよに紐(ひも)でゆはへて右手(みぎて)で鉄砲(てつぽう)担(かつ)ぎにかついで後(あと)につゞきました。
 うちの前(まへ)をすぐ河原(かはら)におりて一本橋(いつぽんばし)のところへ来(き)てちよつと浅間山(あさまやま)を眺(なが)めてゐましたが、二人(ふたり)ともそこで描(か)く気(き)はないと見(み)えて、むかうの土手(どて)を登(のぼ)つて街道(かいどう)へ出(で)ました。昨日(きのふ)雨(あめ)のなかを自動車(じどうしや)で上(のぼ)つて来(き)た道(みち)です。右手(みぎて)は赤土(あかつち)の崖(がけ)、左手(ひだりて)には製材所(せいざいしよ)があつて、大(おほ)きな丸太(まるた)がどつさり転(ころが)してありました。
「太郎(たろう)さん、こゝの音(おと)よ、あのぷろぺらのような響(ひゞ)きは、こゝの丸鋸(まるのこぎり)の唸(うな)りだつたわ」
 さつき、御飯(ごはん)をたべてゐた時(とき)、どこからともなく響(ひゞ)いて来(く)る、かん高(だか)い、けれども澄(す)んだ気(き)もちのいゝ唸(うな)りは、皆(みんな)を不思議(ふしぎ)がらせましたが、不思議(ふしぎ)のありかはこゝでした。
 初(はじ)めて製材所(せいざいしよ)を見(み)た太郎君(たろうくん)は、ぴつくりした顔(かほ)で眺(なが)めてゐます。ずつくの厚(あつ)ぼつたい布(ぬの)を縄(なは)で前掛(まへか)けにしめて鉢巻(はちま)きをしたをぢさんが、鎖(くさり)で釣(つ)つた巨大(きよだい)な丸太(まるた)を、捻(うな)りをたてて回転(かいてん)する大丸鋸(おほまるのこぎり)に押(お)し当(あ)てると、まるで薯(いも)を切(き)るように無造作(むぞうさ)に切(き)れてゆく。みち子(こ)さんは、見(み)てゐるうちに、自分(じぶん)の体(からだ)に鋸(のこぎり)の歯(は)がはひつて来(き)そうな気(き)がして寒気(さむけ)だちました。
「私(わたし)こはいわ、太郎(たろう)さん、もう行(ゆ)きませうよ」
「ゆかう、どつちへ、姉(ねえ)さん」
「浅間山(あさまやま)の方(ほう)へ行(ゆ)きませうよ」
 二人(ふたり)は、間(ま)もなく千(せん)が滝(たき)の遊園地(ゆうえんち)へ出(で)ました。そこは縦横(じゆうおう)に道路(どうろ)が作(つく)られた広(ひろ)い野原(のはら)で赤屋根(あかやね)あるひは破風作(はふづく)りの夏季(かき)別荘(べつそう)があちこちに散在(さんざい)し、原(はら)をめぐる丘陵(きゆうりよう)の中心(ちゆうしん)に、ちようどお伽話(とぎばなし)のお城(しろ)のようなぐりーんほてるが建(た)つてゐます。遊園地(ゆうえんち)からは浅間山(あさまやま)が裾野(すその)までも一目(ひとめ)にはひりました。前景(ぜんけい)はたゞ野(の)つ原(ぱら)で、雑多(ざつた)な花(はな)が咲(さ)いてゐます。二人(ふたり)は明(あか)るい広大(こうだい)な風景(ふうけい)に呑(の)まれて、文句(もんく)なく写生(しやせい)にとりかゝりました。太郎君(たろうくん)は道(みち)ばたに三脚(さんきやく)を据(す)ゑ、みち子(こ)さんは草原(くさはら)へ少(すこ)しはひつたところにいーぜるを立(た)てゝゐます。「太郎(たろう)さん、少(すこ)し雲(くも)が出(で)て来(き)てね。空(そら)にも噴煙(ふんえん)にも、山(やま)にも、太陽(たいよう)の光線(こうせん)が輝(かゞや)いてゐて、まるで印象派(いんしようは)の油絵(あぶらえ)のようね」
「………………」
「中腹(ちゆうふく)から上(うへ)のあづき色(いろ)は、あれはみんな石(いし)や灰(はひ)よ。頂上(ちようじよう)のゑぐつたようなところがえるみりよんでせう、あすこはきつと昔(むかし)の噴火口(ふんかこう)だわ」
「………………」
「双眼鏡(そうがんきよう)があると、きつと頂上(ちようじよう)にゐる人(ひと)たちが見(み)えてよ。太郎(たろう)さん。お父(とう)さんがいらしつた時(とき)、登(のぼ)つて見(み)ない」
「だまつておかきよ、姉(ねえ)さん」
「いーぜるは案外(あんがい)描(か)きにくいわね、私(わたし)やはり膝(ひざ)の上(うへ)で描(か)かう」
「姉(ねえ)さん、はんけち下(くだ)さい」
「はんけち──あら、忘(わす)れて来(き)てゐるわ」
「困(こま)つたなあ、僕(ぼく)も忘(わす)れて来(き)ちやつた、着物(きもの)で拭(ふ)かうかしら」
「くれぱすの滓(かす)を拭(ふ)きとるのでせう、それなら、草(くさ)の葉(は)の大(おほ)きいのをとつて使(つか)ふといゝわ」
 太郎君(たろうくん)はなるほどゝ思(おも)つて、柏(かしは)の葉(は)をもぎつて来(き)ました。くれぱすはくれいよんよりは軟(やはら)かなので、描(か)くにつれ絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)に少(すこ)しづゝ滓(かす)が出(で)ます。又(また)、ほわいと(白(しろ))などを他(ほか)の絵(え)の具(ぐ)とまぜた場合(ばあひ)、絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)がよごれますから、次(つ)ぎの色(いろ)に用(もち)ひる時(とき)、きれで尖(さき)を拭(ふ)く必要(ひつよう)があります。
それにくれぱす画(が)は、しば/\指(ゆび)を使(つか)ひますから、指(ゆび)を拭(ふ)く為(ため)にもきれが入(い)り用(よう)です。そこで、いつもはんけちのぼろを用意(ようい)してゐるのですが、今日(けふ)はあわてゝ、忘(わす)れて来(き)てしまつたのです。
 太郎君(たろうくん)は、ぶろつくを膝(ひざ)の上(うへ)にひらき、こばると(青(あお))、ほわいと(白(しろ))、れもん(黄(き))、ぴんく(赤(あか))などのくれぱすの棒(ぼう)を左手(ひだりて)に握(にぎ)つて、今(いま)しきりに空(そら)を描(か)いてゐます。例(れい)の通(とほ)り、鉛筆(えんぴつ)でかろく図取(ずど)りをつけて、それから空(そら)と山(やま)と野原(のはら)とを、大(おほ)まかな色(いろ)の面(めん)に描(か)きわけました。 冴(さ)えた空(そら)の色(いろ)は、最初(さいしよ)一面(いちめん)にほわいとが塗(ぬ)られ、その上(うへ)へこばるとが加(くは)へられて、指(ゆび)で平(たひら)にまぜられました。それから又(また)、れもんえろーや、ぴんくや、ほわいと(ほわいと)や、こばるとなどが使(つか)はれて、しかもそれが、一面(いちめん)の澄(す)んだ空色(そらいろ)となつてゐます。それは、単(たん)に画用紙(がようし)の上(うへ)へこばるとをあつさりつけたよりは、たしかに深(ふか)みのある美(うつく)しい色合(いろあ)ひでした。
 太郎君(たろうくん)は空(そら)がすむと山(やま)へうつりました。
 今度(こんど)は、山(やま)の色(いろ)を出(だ)すのに必要(ひつよう)な色(いろ)を、一束(ひとたば)に手(て)にもつて、せつせと描(か)き進(すゝ)んでゐます。今度(こんど)は空(そら)の時(とき)のように、指(ゆび)を使(つか)はずに、絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)で、ぱすてるを描(か)く時(とき)のように調色(ちようしよく)するのでした。錆色(さびいろ)の山肌(やまはだ)に灰色(はひいろ)の皺(しわ)が表(あらは)れてをりますが、太郎君(たろうくん)はそれを現(あらは)すのにやはり例(れい)の手法(しゆほう)でやつてゐます。すなはち、えろーおーかーで、素描(そびよう)をするように山(やま)の姿(すがた)をべたに描(か)いてから、その上(うへ)へらいとれつどを用(もち)ひ、それをほわいとでうすめて、更(さら)に又(また)、うるとらまりんや、くりむそんれーきや、えろーおーかーを交互(こうご)に使(つか)つて、ほゞ眼(め)に見(み)る山(やま)の色(いろ)を出(だ)すのでした。そしてその錆色(さびいろ)の面(めん)へ、灰色(はひいろ)の絵(え)の具(ぐ)で、のんきに皺(しわ)を描(か)きおこしました。
 太郎君(たろうくん)はちやめでおしやべりですが、絵(え)を描(か)いてゐる間(あひだ)は、おそろしくまじめです。口(くち)をとがらし、身(み)をかゞめ、だまりこくつて描(か)いてゐます。ところが、みち子(こ)さんは絵(え)を描(か)いてゐる時(とき)の方(ほう)がおしやべりです。
「太郎(たろう)さん、うまく出来(でき)て。私(わたし)てこずつてしまつたわ。こんてーでは、かういふぼうつとした景色(けしき)はむづかしいわよ」
「………………」
「だめ/\、あんなに軽々(かる/゛\)と空(そら)に消(き)えてゆく煙(けむ)りが、こんなに重(おも)たく描(か)けちやつた。まるで、お蚕(かひこ)がくつついてゐるようだわ」
などゝひとりごとが絶(た)えません。
 実際(じつさい)かうつした、ぼうとした、色(いろ)と調子(ちようし)で持(も)つてゐる景色(けしき)には、こんてーは不向(ふむ)きでした。こんてーは、どうしても、形(かたち)のはつきりした物(もの)を描(か)くのに適(てき)してゐます。例(たと)へば、この景色(けしき)にしても、煙(けむ)りは空(そら)よりもこんてーに描(か)きいゝでせうし、山(やま)は煙(けむ)りよりも描(か)きいゝでせうし、陰日向(かげひなた)のはつきりした中景(ちゆうけい)の森(もり)は山(やま)よりも描(か)きよいでせう。
 全体(ぜんたい)、みち子(こ)さんが、この景色(けしき)を見(み)て、「まあ美(うつく)しい」と思(おも)つた時(とき)、なにを美(うつく)しいと思(おも)つたのでせうか。おそらく色彩(しきさい)と調子(ちようし)の美(うつく)しさでしたらう。さうならば、みち子(こ)さんは、水彩画(すいさいが)を作(つく)る方(ほう)が賢(かしこ)かつたといふものです。水色(みづいろ)の空(そら)へ仄(ほの)かに渦(うづ)を描(えが)くうす茶色(ちやいろ)の噴煙(ふんえん)は、水絵(みづえ)の具(ぐ)ならやりよいです。みち子(こ)さんの形容(けいよう)した、あづき色(いろ)の山(やま)と、染(そ)め出(だ)されたような裾野(すその)の緑(みどり)、又(また)それを遠見(とほみ)にする手前(てまへ)の原(はら)のあざやかな緑草(りよくそう)、その緑(みどり)の毛氈(もうせん)に、とんと刺繍(ししゆう)をしたように、紅(あか)、紫(むらさき)、黄(き)、白(しろ)の草花(くさばな)がまき散(ち)らされてゐる、さような色(いろ)どりの美観(びかん)は、こんてー淡彩(たんさい)ではどうも表(あらは)しにくいのです。こんてー淡彩(たんさい)には、かへつて、みち子(こ)さんが背(せ)をむけてゐる、東(ひがし)の方(ほう)の落葉松(からまつ)山(やま)がいゝもていふでせう。それは、うぐひす餅(もち)を積(つ)んだような、輪郭(りんかく)の面白(おもしろ)い山々(やま/\)で、植林(しよくりん)された落葉松(からまつ)の鉾尖(ほこさき)が、日(ひ)に光(ひか)つて鱗(うろこ)のようですし、前景(ぜんけい)の原(はら)つぱには、野生(やせい)の秦柏(ぺぼう)などがぼつ/\生(は)えてゐて、素描(そびよう)にもつて来(こ)いの景色(けしき)です。
 みち子(こ)さんも、ひとりごとのなかで、絵(え)の具(ぐ)を選(えら)びそこなつたことをこぼしてゐますが、なにごとにも、はまり役(やく)といふものがあつて、目的(もくてき)によつて、それ/゛\そのはまり役(やく)を用(もち)ひないと結局(けつきよく)骨折(ほねを)り損(ぞん)になるのです。例(たと)へば、『君(きみ)が代(よ)』はらつぱで吹(ふ)くよりおるがんで弾(ひ)く方(ほう)がいゝようなものです。みち子(こ)さんは、今日(けふ)の写生(しやせい)で、も一(ひと)つ似(に)たような経験(けいけん)をしてゐます。それはこんてーで素描(そびよう)する時(とき)には、いーぜるを置(お)いて描(か)くより膝(ひざ)の上(うへ)で描(か)く方(ほう)がやりよく、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)する場合(ばあひ)は、膝(ひざ)の上(うへ)よりは、いーぜるの上(うへ)に置(お)いてする方(ほう)がやりよく、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)する場合(ばあひ)は、膝(ひざ)の上(うへ)よりは、いーぜるの上(うへ)に置(お)いてする方(ほう)が手捌(てさば)きがよいといふことです。こんてーの棒(ぼう)が短(みじか)い為(ため)ばかりでなく、素描(そびよう)の場合(ばあひ)は、指(ゆび)に力(ちから)がはひるので、台(だい)のある方(ほう)がぐあひよく毛筆(もうひつ)で色(いろ)どりする時(とき)には、軽(かる)くふれるからいーぜるでさしつかへない、のみならず、筆洗(ひつせん)をとりつけた絵(え)の具箱(ぐばこ)を片手(かたて)にもつてしなければならないので、膝(ひざ)の上(うへ)ではすこぶる手都合(てつごう)が悪(わる)いのです。
 さて太郎君(たろうくん)の絵(え)もみち子(こ)さんの絵(え)も、殆(ほとん)ど同時(どうじ)に出来(でき)上(あが)りました。見(み)れば、空(そら)には団子雲(だんごぐも)がおびたゞしく散(ちら)ばつて、山(やま)の色(いろ)はずつと濃(こ)くなつてゐます。太陽(たいよう)は次第(しだい)に南(みなみ)に廻(まは)り、風(かぜ)も出(で)て来(き)ました。
 散歩(さんぽ)の避暑客(ひしよかく)も三々五々(さん/\ごゞ)、太郎君(たろうくん)やみち子(こ)さんの写生(しやせい)を、立(た)ち寄(よ)つて眺(なが)めて、ほゝゑんで過(す)ぎ去(さ)りました。いつか野球(やきゆう)もはじまつてゐます。上(うへ)の方(ほう)に大(おほ)きなぐらうんどがあつて、毎年(まいねん)早稲田(わせだ)の選手連(せんしゆれん)が練習(れんしゆう)に来(く)るのでした。真夏(まなつ)の豪快(ごうかい)な山野(さんや)に、ばつとの音(おと)がかつと鳴(な)つて、守備軍(しゆびぐん)の緊張(きんちよう)したかけ声(こゑ)が湧(わ)く。
 太郎君(たろうくん)は、姉(ねえ)さんを促(うなが)して、赤土(あかつち)の土手(どて)の上(うへ)からしばらく、見物(けんぶつ)しました。

四、太郎君(たろうくん)の静物画(せいぶつが)

 今日(けふ)、太郎君(たろうくん)は静物画(せいぶつが)を描(か)きました。きやべつと茄子(なす)がもでるで、八(や)つ切(ぎ)りの画用紙(がようし)へくれぱすで十二分(じゆうにぶん)に描(か)いてあります。十二分(じゆうにぶん)といつても、太郎君(たろうくん)のことだから、細(こま)かいところを描(か)いてはゐない。物(もの)をかたまりに見(み)て、その大(おほ)づかみな色合(いろあ)ひなり濃淡(のうたん)なりをかなり真実(しんじつ)に写生(しやせい)してゐるのです。例(たと)へば、きやべつは、葉脈(ようみやく)とか、ひだのぴら/\とかいつたものは、すこぶる大(おほ)ざつぱに描(か)いてありますが、きやべつのもつ新鮮(しんせん)な明(あか)るい緑色(りよくしよく)が冴(さ)え冴(ざ)えと出(だ)されてをり、それに照応(しようおう)する茄子(なす)の暗紫色(あんししよく)など実(じつ)に良(よ)い色(いろ)です。その上(うへ)形(かたち)の特色(とくしよく)がうまくつかんである。物(もの)の丸(まる)みも描(か)いてなく、ばつくとの関係(かんけい)などいろ/\、むろん行(ゆ)き届(とゞ)いた描写(びようしや)はしてなくも、とにかく、為事(しごと)に迷(まよ)ひがなく、絵(え)が活(い)きてゐるから愉快(ゆかい)です。
 太郎君(たろうくん)のように、肖像(しようぞう)を描(か)くことのすきな者(もの)は、風景画(ふうけいが)よりも静物画(せいぶつが)がうまいようです。それは、肖像(しようぞう)も静物(せいぶつ)も室内(しつない)でおちついてやれる、そのことが性分(しようぶん)に合(あ)ふからでもありませうが、それよりも、静物(せいぶつ)は肖像(しようぞう)と同様(どうよう)、実物大(じつぶつだい)に描(か)くことが出来(でき)るのに、風景(ふうけい)となると幾万立方尺(いくまんりつぽうしやく)の景色(けしき)を、一尺四方(いつしやくしほう)の絵(え)にしようといふのですから、見(み)る眼(め)と描(か)く手(て)との聯絡(れんらく)がなか/\むづかしい。みち子(こ)さんの先日(せんじつ)の浅間山(あさまやま)の写生(しやせい)なども、噴煙(ふんえん)のむく/\を、静物(せいぶつ)を描(か)く時(とき)の気(き)もちで描(か)いたからあんなに重(おも)くるしくなつてしまつたのです。煙(けむ)りを景色(けしき)として描(か)けばよかつた、煙(けむ)りでも、山(やま)でも、草木(くさき)でも、景色(けしき)の道具(どうぐ)と思(おも)つて描(か)かないとしくじります。みち子(こ)さんが、あの噴煙(ふんえん)を景色(けしき)の一(ひと)つの道具(どうぐ)と思(おも)つて描(か)いたら、山(やま)や森(もり)にくらべて、うつすりと流(なが)れたあの煙(けむ)りを、もつと/\簡単(かんたん)な線(せん)ですましておいたにちがひありません。
 太郎君(たろうくん)は、東京(とうきよう)では静物(せいぶつ)を描(か)いたことがなく、こゝへ来(き)てはじめてその面白(おもしろ)みを知(し)りました。なんでも、温泉宿(おんせんやど)から西瓜(すいか)をもらつた時(とき)のこと、皮(かは)の黒(くろ)ずんだ、みの赤(あか)い、とんと鯨(くぢら)の切(き)り身(み)のようなあの西瓜(すいか)に、ふと絵心(えごゝろ)が動(うご)いて、皿(さら)に二切(ふたき)れ盛(も)つて写生(しやせい)したのがはじめでした。その後(ご)、胡瓜(きうり)を描(か)き、とまとを描(か)き、信州特産(しんしゆうとくさん)の青(あを)いりんごを描(か)きました。そして今度(こんど)のきやべつと茄子(なす)です。それらの野菜(やさい)は、いつもお夜食(やしよく)後(ご)、提灯(ちようちん)をつけて、徳(とく)やと一(いつ)しよに、時(とき)にはお母(かあ)さんを引(ひ)つぱり出(だ)して、沓掛(くつかけ)の町(まち)へ出(で)かけて買(か)ひ出(だ)して来(く)るのでした。
 市中(しちゆう)で育(そだ)つたみち子(こ)さん達(たち)にとつて、この沓掛(くつかけ)行(ゆ)きは、別荘(べつそう)へ来(き)てからの一(ひと)つの楽(たの)しみでした。町(まち)へ出(で)て見(み)ると、なか/\賑(にぎ)やかで、どの店(みせ)でも別荘(べつそう)の人達(ひとたち)が買(か)ひ物(もの)をしてゐました。買(か)ひ物(もの)ばかりでなく、二軒(にけん)ある理髪店(りはつてん)はいつも満員(まんいん)ですし、夏季(かき)を当(あ)てこみに出来(でき)た一軒(いつけん)のかふえも、あかりが輝(かゞや)いて、二階(にかい)にも下(した)にも酔(よ)つぱらひがゐました。ある晩(ばん)は、停車場前(ていしやじようまへ)の大榎(おほえのき)の下(した)に、救世軍(きゆうせいぐん)が大提灯(おほじようちん)を立(た)て、太鼓(たいこ)を打(う)つて人寄(ひとよ)せをやつてゐました。
 昨夜(ゆうべ)は、みち子(こ)さんと徳(とく)やがお留守番(るすばん)で、お母(かあ)さんと太郎君(たろうくん)と孝子(こうこ)さんの三人(さんにん)づれで買(か)ひ物(もの)に出(で)ました。ちようど旧(きゆう)のお盆(ぼん)に当(あた)り、町(まち)ではあちこちで迎(むか)へ火(び)を焚(た)いてゐました。東京辺(とうきようへん)では精霊迎(しようりようむか)へにをがらを焚(た)きますが、この地方(ちほう)では樺(かば)の樹皮(じゆひ)を焚(た)く習慣(しゆうかん)です。
 その光景(こうけい)は、太郎君(たろうくん)や孝子(こうこ)さんの眼(め)に珍(めづら)しいものでした。
「お母(かあ)さん、あれなにしてゐるの」
と、孝子(こうこ)さんが質問(しつもん)します。
「お母(かあ)さん、あすこにあるものなに」
と、火(ひ)の前(まへ)に置(お)かれた、箸(はし)で脚(あし)をつけた、胡瓜(きうり)や茄子(なす)を、太郎君(たろうくん)が不思議(ふしぎ)がります。
「あれはね、お迎(むか)へ火(び)といつてね、もうおなくなりになつたお祖父様(ぢいさま)やお祖母様(ばあさま)や、御先祖(ごせんぞ)の方々(かた/゛\)を御招待(ごしようたい)する為(ため)の焚(た)き火(び)なの。よく御覧(ごらん)、胡瓜(きうり)がお馬(うま)で、茄子(なす)が牛(うし)なんですよ。お祖父様達(ぢいさまたち)は、あのお馬(うま)やお牛(うし)に乗(の)つていらつしやるのよ」
「あんな小(ちひ)さなお馬(うま)に乗(の)るお租父様(ぢいさま)なの」
「お祖父様(ぢいさま)といつてもね、形(かたち)はないの、お祖父様(ぢいさま)の魂(たましひ)が今夜(こんや)めい/\のおうちへ帰(かへ)つていらつしやるんです。みんなが、丈夫(じようぶ)に、正直(しようじき)に、楽(たの)しく暮(くら)してゐるかどうか見(み)にいらつしやるの」
「そしてどうするの」
「そしてどうするのには困(こま)りましたね、──お祖父様達(ぢいさまたち)の魂(たましひ)は、お盆(ぼん)の間(あひだ)、めい/\のおうちの仏壇(ぶつだん)のなかにいらしつて、皆(みんな)が仲(なか)よく働(はたら)いてゐるのを見(み)ると、安心(あんしん)してお帰(かへ)りになるんです」
「どこへお帰(かへ)りになるの」
「十万億土(じゆうまんおくど)といふ遠(とほ)い/\魂(たましひ)の国(くに)へ」
「お母(かあ)さん、なぜうちではお迎(むか)へ火(び)を焚(た)かないの。うちにはお祖父様(ぢいさま)たちの魂(たましひ)は帰(かへ)つて来(こ)ないの」
「さあ、おうちはね、お祖父様達(ぢいさまたち)の魂(たましひ)はお盆(ぼん)だけでなく、始終(しじゆう)おうちに、私達(わたしたち)と一(いつ)しよにいらつしやるのです。だから太郎(たろう)さんがだゞをこねたり、喧嘩(けんか)をしたりするのを、にがい顔(かほ)して見(み)ていらつしやるだらうし、おさらひをしたり、絵(え)を描(か)いたりするのを、うれしそうに見(み)ていらつしやるにちがひない」
 をりから、子供(こども)の一隊(いつたい)が、盆燈籠(ぼんどうろう)を提(さ)げたり、ほゝづき提燈(ちようちん)をもつたりして、「ぼん/\ぼんの十六日(じゆうろくにち)に……」といふお盆(ぼん)の歌(うた)を合唱(がつしよう)しながらやつて来(き)ました。この一隊(いつたい)は、駅(えき)を突(つ)き当(あた)りに見(み)る四辻(よつつじ)の、左右二町(さゆうにちよう)ばかりの間(あひだ)を幾度(いくど)となく練(ね)り歩(ある)くのでした。
 それらの絵巻(えま)き物(もの)のような情景(じようけい)は、太郎君(たろうくん)や孝子(こうこ)さんの頭(あたま)に強(つよ)くのこりました。そして二人(ふたり)の記憶(きおく)から幾枚(いくまい)となく面白(おもしろ)い絵(え)が生(うま)れたことです。
 お母(かあ)さんは、荒物屋(あらものや)へ寄(よ)つて、日和下駄(ひよりげた)と蝋燭(ろうそく)を買(か)ひ、お菓子屋(かしや)へ寄(よ)つて、源氏豆(げんじまめ)とかきもちを買(か)ひ、最後(さいご)に四辻(よつつじ)の角(かど)の八百屋(やほや)で、今日(けふ)太郎君(たろうくん)のもでるとなつた野菜(やさい)を買(か)ひました。
 八百屋(やほや)の亭主(ていしゆ)は熊(くま)さんといつて、まつたく名(な)の通(とほ)り毛(け)むくじやらの大男(おほをとこ)ですが、子供好(こどもず)きな人(ひと)で、わらび野(の)へ御用(ごよう)きゝに来(く)るたび、みち子(こ)さんや太郎君(たろうくん)の絵(え)を見(み)て、ぎようさんに感心(かんしん)して見(み)せたり、わざと悪口(わるくち)をいつたりして、特(とく)に太郎君(たろうくん)とは仲(なか)よしでした。別荘(べつそう)へ来(く)るとまづ最初(さいしよ)に、
「坊(ぼつ)ちやん、新(あたら)しい絵(え)が出来(でき)たかね」
といつた調子(ちようし)です。
「いつか、皆(みな)さんを押(お)し出(だ)しにつれてつてやるかない。そりやあ面白(おもしれ)えですぞ、お嬢(じよう)さん。熔岩(ようがん)つうものを知(し)つてゐますか」
「知(し)つてゐるわ、──押(お)し出(だ)しに迷(まよ)ひ込(こ)むと出(で)られなくなるつて、ほんとう」
「そりやあ、へえつてはあぶないね。今度(こんど)荷馬車(にばしや)をもつて来(き)て、皆(みな)さんを乗(の)せてつてあげませう」
「おほゝ、荷馬車(にばしや)へ乗(の)るんですの」
「奥(おく)さんもお出(で)かけなせえまし、歩(ある)くには、女衆(をんなしゆう)の足(あし)では少(すこ)し遠(とほ)すぎやすからなあ。車(くるま)の上(うへ)へ蒲団(ふとん)を敷(し)いて、そこにある赤(あか)げつとうでも敷(し)いて乗(の)り込(こ)んで御覧(ごらん)なさい。屋台(やたい)でお花見(はなみ)にゆくあんばいですぞ。あつはつはつはつ」
などゝ、気(き)のいゝおやぢさんです。
 その熊(くま)さんが、ちようど店(みせ)にゐて、
「やあ坊(ぼつ)ちやん、今晩(こんばん)は。今夜(こんや)はお母(かあ)さんをひつぱつて来(き)たね」
と、もみ手(で)をして迎(むか)へるのでした。お母(かあ)さんの買(か)ひ物(もの)を風呂敷(ふろし)きにまとめてから、別(べつ)にきやべつを一(ひと)つ、大(おほ)きな手(て)のひらにのせて、
「坊(ぼつ)ちやんどうだい、これを描(か)いて見(み)やせんか。とても見事(みごと)なきやべつだね、静物(せいぶつ)にようごわすぞ」
 熊(くま)さんは、わらび野(の)の別荘(べつそう)で、絵(え)に関(かん)したいろ/\なてくにつく(術語(じゆつご))ををそはりました。すけつち、もでる、素描(そびよう)、静物(せいぶつ)等々(とう/\)、そして静物(せいぶつ)のもでるにといつて、太郎(たろう)さんにきやべつをくれたわけです。
 きやべつに就(つ)いて、熊(くま)さんはお母(かあ)さんにこんな話(はなし)をしました。
「奥(おく)さん、昨今(さつこん)めしあがるきやべつは、とてもおいしうごわせうが。一年中(いちねんじゆう)で今(いま)が一番(いちばん)うめえ時(とき)だし、なんしよ、こゝのきやべつと来(き)た日(ひ)にやあ日本一(につぽんいち)でごわすからなあ。きやべつは土地(とち)がよかつたり、こやしがきゝすぎたりすると育(そだ)ちがよすぎて、葉(は)がこはくなりましてなあ。ところがこゝらの火山灰(かざんばひ)で練(ね)れた畑(はたけ)に出来(でき)るきやべつときちやあ、甘(あま)くてやはらかで、よそのきやべつとくらべて、たしかに四五枚(しごまい)は葉(は)が多(おほ)ごわせう。それに御覧(ごらん)なさい、こねえに球(たま)が引(ひ)き緊(しま)つてゐて、しかもしな/\してゐるからね。──東京辺(とうきようへん)のお知(し)り合(あ)ひへ送(おく)つておあげになるなら、奥(おく)さん、今(いま)がようごわすぞ」
 熊(くま)さんは、商売(しようばい)にもなか/\じよさいがない。太郎君(たろうくん)は、もらつたきやべつを風呂敷(ふろし)きにわたさずに、自分(じぶん)でかゝへてかへりました。
 太郎君(たろうくん)の今日(けふ)の静物画(せいぶつが)は、まつたく傑作(けつさく)です。描(か)き方(かた)がよかつたといふばかりでなく、静物(せいぶつ)の組(く)み立(た)てがまづよかつたのです。静物(せいぶつ)の組(く)み立(た)てとは、例(たと)へば今日(けふ)の場合(ばあひ)で、きやべつと茄子(なす)と、それを入(い)れた笊(ざる)との取(と)り合(あは)せ及(およ)びその置(お)き場所(ばしよ)の選(えら)び方(かた)がそれです。御覧(ごらん)なさい、きやべつはやゝ扁平(へんぺい)な球体(きゆうたい)、茄子(なす)は袋形(ふくろがた)の球体(きゆうたい)でいづれもどつしりしたかたまり。それを盛(も)つた笊(ざる)はあらい籠目(かごめ)がところ/゛\こはれてゐる軽(かる)い物体(ぶつたい)です。又(また)、きやべつは明(あか)るく涼(すゞ)しい緑色(みどりいろ)で、茄子(なす)は深(ふか)い烏羽色(からすばいろ)、茎(くき)のところに眼(め)のさめるような緑(みどり)がぼかしにされてゐます。そして、笊(ざる)は黄色味(きいろみ)がゝつた灰色(はひいろ)、その色合(いろあ)ひや形態(けいたい)の取(と)り合(あは)せがまづよいぢやあしませんか。それが、縁側(えんがは)の板(いた)の間(ま)に、白壁(しらかべ)の陰(かげ)になつた部分(ぶぶん)をばつくにして、いゝぐあひに置(お)かれてゐるのです。
 太郎君(たろうくん)はまだ小(ちひ)さいから、かれこれと四捨五入(ししやごにゆう)して配置(はいち)したわけではなく、無造作(むぞうさ)に笊(ざる)に入(い)れられた野菜(やさい)なり、その笊(ざる)の無造作(むぞうさ)に置(お)かれた場所(ばしよ)なりが、偶然(ぐうぜん)、形(かたち)、色(いろ)、濃淡(のうたん)のいい配合(はいごう)をもつてゐたといふものです。さういへば、偶然(ぐうぜん)な趣(おもむ)きにかへつて面白(おもしろ)いものがあるものです。静物(せいぶつ)なども、わざ/\くふうして組(く)み立(た)てるより、物(もの)の偶然(ぐうぜん)な組(く)み立(た)てを、絵心(えごゝろ)でとらへたがよろしい。太郎君(たろうくん)は、もちまへの率直(そつちよく)さで、いゝ偶然(ぐうぜん)をとらへたのであります。
 お夜食後(やしよくご)、みち子(こ)さんは、そのまゝちやぶ台(だい)のところにのこつて、お母(かあ)さんを相手(あひて)に、太郎君(たろうくん)の今日(けふ)の静物画(せいぶつが)の批評(ひひよう)をきつかけに、なが/\とおしやべりをやりました。
「今日(けふ)の太郎(たろう)さんの静物画(せいぶつが)は、ほんとによく出来(でき)てゐるわね。太郎(たろう)さんはひよつとすると天才(てんさい)よ、美術家(びじゆつか)になるといゝわ」
「美術家(びじゆつか)なんて、まつぴらです。太郎(たろう)はお父(とう)さんのあとつぎですよ」
「美術家(びじゆつか)は一生(いつしよう)貧乏(びんぼう)するもんだつて、ほんとかしら。でもみんな立派(りつぱ)なうちに住(すま)つて、気楽(きらく)そうぢやないの」
「さういふ人(ひと)は、千人(せんにん)のうちの十人(じゆうにん)ですよ」
「だつてお母(かあ)さん、お医者(いしや)だつて、えらい人(ひと)やお金(かね)もちの人(ひと)は、千人(せんにん)のうちの十人(じゆうにん)ぢやなくつて」
「そりやあさうですが、美術家(びじゆつか)なんて、天才(てんさい)がなければなるもんぢやないでせうね」
「でもお母(かあ)さん、自分(じぶん)がすきなら仕方(しかた)ないでせう。すきなことを職業(しよくぎよう)にする方(ほう)が幸福(こうふく)よ」
「職業(しよくぎよう)にせずに、美術(びじゆつ)は楽(たの)しみにするがいゝのね」
「滝田先生(たきたせんせい)も同(おな)じことをいつていらしつたわ。だけど私達(わたくしたち)は皆(みんな)さう思(おも)つてゐるわ、好(す)きなことを職業(しよくぎよう)にしなければならないつて」
「そりやあなた達(たち)のその考(かんが)へはまちがつてはゐないけれど、好(す)きなことでは職業(しよくぎよう)にならない場合(ばあひ)もかなり多(おほ)いのよ。世(よ)の中(なか)とか、くらしとかいふものは又(また)別(べつ)でね。……おほゝ、みいちやんをお相手(あひて)に大(たい)そう年寄(としよ)りじみたお話(はなし)になつたのねえ」
「さうかしら」
「あなた、さつき太郎(たろう)に大(たい)そうむづかしいお講義(こうぎ)をしてゐましたねえ」
「お講義(こうぎ)ぢやないわ、滝田先生(たきたせんせい)の静物画(せいぶつが)のお話(はなし)でせう」
『お母(かあ)さんも拝聴(はいちよう)しませうかね」
「いやあだ、お講義(こうぎ)ぢやないつてば。──ぢやお話(はなし)しませうか、なんだかごてついたお話(はなし)よ。お母(かあ)さんにもわからないか知(し)れない、よくつて、──静物画(せいぶつが)つてねお母(かあ)さん、フランス語(ご)で、なちゆーるもるとといふのですつて、なちゆーるは『自然(しぜん)』といふことで、もるとは『死(し)』といふことなのですつて、それが熟語(じゆくご)になつて『静物(せいぶつ)』、画家(がか)の術語(じゆつご)なんです。花(はな)や果物(くだもの)の絵(え)は昔(むかし)からありますが、静物画(せいぶつが)といふ名(な)は十九世紀(じゆうくせいき)のフランスの絵(え)かきがつけたんですつて。お母(かあ)さん、セザンヌつて人(ひと)知(し)つてるでせう。山崎(やまざき)さんが崇拝(すうはい)してゐる人(ひと)よ。そのセザンヌの静物(せいぶつ)が有名(ゆうめい)になつてから、世界中(せかいじゆう)に静物画(せいぶつが)がはやり出(だ)したのですつて。それまでは、肖像(しようぞう)とか歴史(れきし)とか、風俗(ふうぞく)とか風景(ふうけい)とか、また裸体(らたい)などゝいふものでなければ、立派(りつぱ)な絵(え)とならなかつたのが、セザンヌが出(で)て以来(いらい)、林檎(りんご)や、ぱんや、なぷきんや、花瓶(かびん)などゝいふものも、絵(え)の立派(りつぱ)なもていふとして取(と)り扱(あつか)はれるようになつたのですつて」
「近頃(ちかごろ)、みいちやんは、よくもていふ/\といふのね、なんのことですの」
「もていふつてこと、──それも画家(がか)の術語(じゆつご)よ、絵(え)になるもでるのことなんです。太郎(たろう)さんが、徳(とく)やの肖像(しようぞう)をかくでせう。すると、徳(とく)やがその絵(え)のもていふなんです。私(わたくし)が浅間山(あさまやま)を写生(しやせい)したでせう、その時(とき)は浅間山(あさまやま)がもていふだつたんです。わかつて、──でね、セザンヌの描(か)いた林檎(りんご)の静物画(せいぶつが)なんか、絵(え)の具(ぐ)が二三分(にさんぶ)の厚(あつみ)みになるくらゐ、研究的(けんきゆうてき)に描(か)きつめてあるのですつて、セザンヌは、もでるの林檎(りんご)が腐(くさ)つてしまふと、他(ほか)の林檎(りんご)と取(と)り代(か)へて描(か)いたそうです。セザンヌつて人(ひと)は、それは為事(しごと)に熱心(ねつしん)な人(ひと)で、写生(しやせい)に夢中(むちゆう)になつてゐて、とう/\お母(かあ)さんのお葬式(そうしき)に間(ま)に合(あ)はなかつたんですつてさ」
「ですから、絵(え)かきさんなどゝいふものはしまつが悪(わる)いのよ、変人揃(へんじんぞろ)ひですからねえ」
「まつたくそれはさうね、滝田先生(たきたせんせい)なんかもやつぱり変人(へんじん)だわ。私達(わたくしたち)もう半年(はんとし)になるでせう、だのに絵(え)の先生(せんせい)でゐながら、ちつとも描(か)くことを教(をし)へてくれないわ」
「理窟(りくつ)ばかり教(をし)へるんだね」
「さうでもないわ、たゞ描(か)き方(かた)なんかを教(をし)へないの。そのくせ、絵(え)は眼(め)と手(て)の為事(しごと)ですと、口癖(くちぐせ)のようにおつしやるんです。──おつと、又(また)お話(はなし)が脱線(だつせん)しちまつたわ。静物画(せいぶつが)のお話(はなし)は、これからが大切(たいせつ)なのよ。静物画(せいぶつが)を描(か)く時(とき)には、二方面(にほうめん)の注意(ちゆうい)がいると、滝田先生(たきたせんせい)はおつしやつたの。一(ひと)つは『画的構成(がてきこうせい)』に関(かん)する注意(ちゆうい)で、一(ひと)つは『詩的景情(してきけいじよう)』に関(かん)する注意(ちゆうい)ですつて、むづかしいでせう。肖像(しようぞう)や風景(ふうけい)を写生(しやせい)する場合(ばあい)とちがつて、静物画(せいぶつが)を作(つく)る場合(ばあい)はね、お母(かあ)さん、もていふを勝手(かつて)に作(つく)ることが出来(でき)るんですつて。そりやさうなの、肖像(しようぞう)や風景(ふうけい)では、目鼻(めはな)を置(お)きかへて見(み)たり、山(やま)や草木(くさき)の位置(いち)をかへて見(み)たりすることは出来(でき)ませんものね。ところが、静物(せいぶつ)は、自分(じぶん)の考(かんが)へで自由(じゆう)に作(つく)つて見(み)られるでせう。だからそれぞれの、物(もの)の形(かたち)なり色合(いろあ)ひなり、又(また)は濃淡(のうたん)なり、線(せん)なりを、好(す)きに組(く)み合(あは)せて、いゝもていふを作(つく)り上(あ)げることが出来(でき)る、その為事(しごと)は、洋品店(ようひんてん)で、わいしやつや、帽子(ぼうし)や、すてつきや、ねつくたいなどをしよーういんどに美(うつく)しく飾(かざ)りつけるのと同(おな)じわけなんですつて。だけど、その為事(しごと)が、物(もの)の形(かたち)や色合(いろあ)ひや濃淡(のうたん)の、面白(おもしろ)い組(く)み合(あは)せといふだけでは足(た)りないとおつしやるんです。例(たと)へば、どんなにさうした画的構成(がてきこうせい)の面白味(おもしろみ)を出(だ)す為(ため)といつても、鮭(さけ)の切(き)り身(み)と長靴(ながぐつ)とを一(いつ)しよに持(も)ち出(だ)してはをかしいし、林檎(りんご)と金槌(かなづち)をもち出(だ)してもをかしい。やはりそこに作(つく)られる景情(けいじよう)には、無理(むり)のない、詩的統一(してきとういつ)がなくてはいけないとおつしやるんです。そのお話(はなし)のあとでね、私達(わたくしたち)の描(か)いた静物画(せいぶつが)を例(れい)にとつて批評(ひひよう)をなすつたのですが、面白(おもしろ)かつたわ。菅野(すがの)さんの絵(え)にね、香水(こうすい)の壜(びん)と、ばたのいれ物(もの)とが配置(はいち)してあつたもんだから、『これもその一例(いちれい)です、なる程(ほど)、おきしふるの壜(びん)は青(あを)く、ばたのはひつたがらす器(き)は黄色(きいろ)く、どちらも透明体(とうめいたい)でその点(てん)に別段(べつだん)不調和(ふちようわ)はない。だが、ばたのいれ物(もの)と香水(こうすい)の壜(びん)の同居(どうきよ)は少(すくな)くとも鑑賞(かんしよう)をつまづかせるものがある』と、おつしやつたので、菅野(すがの)さん真赤(まつか)になつて突(つ)つ伏(ぷ)してしまつたわ。私(わたし)その時(とき)は成功(せいこう)しちやつたのよ、板(いた)の間(ま)の玉葱(たまねぎ)を描(か)いたんです。その絵(え)を先生(せんせい)が取(と)り上(あ)げて、『これなどは、景情(けいじよう)がまことに自然(しぜん)ですね。その上(うへ)画的構成(がてきこうせい)も無難(ぶなん)です。この作者(さくしや)は、玉葱(たまねぎ)のぐるーぷを絵(え)にしたばかりでなく、玉葱(たまねぎ)が板(いた)の間(ま)に倒影(とうえい)してゐるその影(かげ)の画的効果(がてきこうか)をも見(み)のがさなかつた』とおつしやつたの。私(わたし)さういはれて、きまりが悪(わる)かつたわ。なぜつて、私(わたし)、影(かげ)が見(み)えたからたゞ描(か)いたゞけなんですもの。ですが、先生(せんせい)のお話(はなし)を聴(き)いて以後(いご)、私(わたし)は影(かげ)とかばつくといふ、物体(ぶつたい)をとりまくまはりの現象(げんしよう)を注意(ちゆうい)するようになつたわ」
 みち子(こ)さんのお話(はなし)はなほも続(つゞ)きました。その間(あひだ)、太郎君(たろうくん)は、お座敷(ざしき)の方(ほう)で、『世界童話集(せかいどうわしゆう)』にはまりこんでゐるのでした。

五、孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)

 孝子(こうこ)さんは九(こゝの)つ、尋常(じんじよう)二年生(にねんせい)です。ふだんはむつつり屋(や)でひよつとすねて泣(な)き出(だ)せば半日(はんにち)も泣(な)いてゐるといふたち。みち子(こ)さんも太郎君(たろうくん)も行(おこな)ひが目(め)に立(た)つ方(ほう)ですが、孝子(こうこ)さんの行(おこな)ひは目立(めだ)ちません。それゆゑ、寝(ね)そべつて本(ほん)を読(よ)んでゐたり、とくにつれられて温泉場(おんせんば)の方(ほう)に遊(あそ)んでゐたりするところを見(み)てはゐても、なにが好(す)きで、どうして遊(あそ)んでゐるかはつきりしません。ところが、孝子(こうこ)さんがひとり黙(だま)つて描(か)いた絵(え)の数(かず)は、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)の描(か)いた絵(え)を一(いつ)しよにしたのよりもまだ多(おほ)いのだから面白(おもしろ)い。
 孝子(こうこ)さんは小(ちひ)さいからでもありますが、性分(しようぶん)もあつて、いつさい写生(しやせい)といふことをしません。いつも、自分(じぶん)の見(み)たこと聞(き)いたこと、あるひは本(ほん)で知(し)つたことなどを、苦(く)もなくぶつつけに描(か)くのでした。さうして、たいていの絵(え)には孝子(こうこ)さん自身(じしん)が描(か)き込(こ)んであります。
 このあひだの晩(ばん)、町(まち)で見(み)て来(き)たお迎(むか)へ火(び)の光景(こうけい)なども、幾枚(いくまい)かに描(か)いてありますが、どれにもぎやんぷどれすを着(き)て、小(ちひ)さなお下(さ)げ髪(がみ)に大(おほ)きなりぼんを結(むす)んだ孝子(こうこ)さんが描(か)いてあります。あの時(とき)は、お母(かあ)さんも太郎君(たろうくん)も一(いつ)しよでしたから、お母(かあ)さんも太郎君(たろうくん)も描(か)いてあります。かういふ絵(え)は写生(しやせい)では出来(でき)ないわけです。
 孝子(こうこ)さんはくれいよんよりも毛筆(もうひつ)で描(か)くのが好(す)きで、普通(ふつう)の墨(すみ)をすり、普通(ふつう)の水筆(すいひつ)を使(つか)つて素描(そびよう)して、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)したものが一番(いちばん)多(おほ)く、素描(そびよう)だけのものや、色彩(しきさい)をくれいよんでやつたものや、万年筆用(まんねんひつよう)のいんきで描(か)いたものなどもあります。紙(かみ)は、画用紙(がようし)でも、半紙(はんし)でも広告(こうこく)のちらしの裏(うら)だつても、白(しろ)い紙(かみ)でありさへすればよいらしく、たゞどうも大(おほ)きい紙(かみ)が好(す)きのようです。だから、こちらへ来(き)たてに、お母(かあ)さんが「はい、孝子(こうこ)さんの画用紙(がようし)」といつて、藁半紙(わらばんし)を一帖(いちじよう)下(くだ)さつた時(とき)には、孝子(こうこ)さん大喜(おほよろこ)びでした。以後(いご)、たいてい、藁半紙(わらばんし)に絵(え)を描(か)いてゐますが、一帖(いちじよう)はとうに描(か)きつくして、お草紙(そうし)がもう三(みつ)つも出来(でき)てゐます。お草紙(そうし)といふのは、藁半紙(わらばんし)に描(か)いた孝子(こうこ)さんの絵(え)が、二十枚(にじゆうまい)ぐらゐもたまるとお母(かあ)さんが綴(と)ぢて表紙(ひようし)をつけて、日(ひ)づけと番号(ばんごう)を書(か)いておいて下(くだ)さるその帖(じよう)のことです。さうした絵草紙(えぞうし)を一枚々々(いちまい/\)見(み)てゆくと、こゝへ来(き)てからの孝子(こうこ)さんの行動(こうどう)が、一々(いち/\)わかりました。
 ある日(ひ)、孝子(こうこ)さんは落葉松林(からまつばやし)に遊(あそ)んで、蟻(あり)の巣(す)をひつくりかへしてゐます。林(はやし)のなかの日当(ひあた)りのいゝ、人(ひと)の通(とほ)りそうもない小道(こみち)には、瀬戸(せと)の竈(かまど)のように蟻(あり)の巣(す)が並(なら)んでゐますが、莨色(たばこいろ)に枯(か)れた、落葉松(からまつ)の細(こま)かい葉屑(はくづ)を積(つも)らしてこしらへた、山(やま)の形(かたち)のお城(しろ)で、そこに住(す)む蟻(あり)は、黒(くろ)いかなり大(おほ)きな蟻(あり)です。蟻達(ありたち)はところ/゛\に窪(くぼ)んでゐるゑくぼのような門(もん)から出(で)たりはひつたりして働(はたら)いてゐます。たつた三疋(さんびき)で虻(あぶ)の死骸(しがい)を引(ひ)つぱり込(こ)んでいつたり羽蟻(はあり)の羽(はね)の片(かた)つぺらをくはへて馳(か)けて来(き)たり、門(もん)のところで、出(で)て来(き)た蟻(あり)とくちづけしてせはしく引(ひ)つかへしたりするのを見(み)てゐるうちに、誰(たれ)しも、お城(しろ)のなかの模様(もよう)を見(み)たくなりますが、孝子(こうこ)さんもやはり見(み)たくなつて、自分(じぶん)がやつたか、徳(とく)やにやらしたか、とにかく巣(す)をひつくりかへしたと見(み)えます。
 そして蟻(あり)のお城(しろ)の大混乱(だいこんらん)を見(み)てびつくりし、悪(わる)いことをしたと後悔(こうかい)したことでせう。せつかく大勢(おほぜい)がゝりで立派(りつぱ)なお城(しろ)を築(きづ)きあげ、お城(しろ)のなかにはちやんとした町(まち)と住居(すまゐ)を作(つく)り、女王様(じよおうさま)を護(まも)りながら、食(た)べ物(もの)を蓄(たくは)へたり、子供(こども)を育(そだ)てたり、誰(たれ)ひとり休(やす)む者(もの)もなく、平和(へいわ)に勤勉(きんべん)に働(はたら)いてゐるところへ、だしぬけの災難(さいなん)です。たちまちお城(しろ)はくづれて町(まち)も住居(すまゐ)も埋(うづ)まつてしまひ女王様(じよおうさま)も護衛兵(ごえいへい)も、落葉松(からまつ)の砂(すな)の奥深(そこふか)く埋(うづ)められてしまひました。でもその砂(すな)のなかゝら、そくばくが、すばやく湧(わ)くように出(で)て来(く)る。見(み)ると、どの蟻(あり)も、自分(じぶん)の体(からだ)の三倍(さんばい)ぐらゐもある、半透明(はんとうめい)な白(しろ)い俵(たはら)をかついで右往左往(うおうさおう)に逃(に)げのびてゆくのでした。孝子(こうこ)さんは、学校(がつこう)で蟻(あり)のお城(しろ)のお話(はなし)を聴(き)いてゐましたから、その白(しろ)い俵(たはら)が、蟻(あり)の赤(あか)ちやんを入(い)れた包(つゝ)みであることは知(し)つてゐました。
 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)には、『黒蟻(くろあり)の御殿(ごてん)』といふ画題(がだい)で、この時(とき)の情景(じようけい)が、三枚(さんまい)続(つゞ)きに描(か)かれてゐます。『平和時代(へいわじだい)の御殿(ごてん)』『大震火災(だいしんかさい)』『女王様(じよおうさま)の病院(びよういん)慰問(いもん)』といひたいような三図(さんず)になつてゐて、皆(みな)人(ひと)の姿(すがた)に描(か)いてあり、緋(ひ)の袴(はかま)や、軍服(ぐんぷく)や、白(しろ)い看護服(かんごふく)などを着(き)てゐるのです。たゞ顔(かほ)や手足(てあし)は皆(みな)黒(くろ)んぼうで小(ちひ)さい黒(くろ)い赤(あか)ちやんは、白(しろ)い抱(だ)き蒲団(ぶとん)にくるんでありました。
 ある日(ひ)はまた、孝子(こうこ)さんは谷(たに)の方(ほう)で鳩(はと)を見(み)て来(き)て鳩(はと)を描(か)いてゐます。この辺(へん)にゐる鳩(はと)はもちろん山鳩(やまばと)で、真昼時(まひるどき)、閑静(かんせい)な森(もり)のなかで、ぽつぽーお/\/\と、いかにもゆるやかに鳴(な)いてをります。孝子(こうこ)さんの絵(え)には、ちよこれーと色(いろ)の鳩(はと)が、落葉松(からまつ)の枝(えだ)にとまつてゐた、見(み)たまゝを描(か)いてありました。
 ある日(ひ)は又(また)、孝子(こうこ)さんは、みなし子(ご)になつた仔犬(こいぬ)を描(か)いてゐます。温泉宿(おんせんやど)の前(まへ)の池(いけ)の端(はし)の貸(か)し別荘(べつそう)で、ある朝(あさ)犬(いぬ)が子(こ)を産(う)みました。ところが、困(こま)つたことに、子(こ)を産(う)み落(おと)して間(ま)もなく、母犬(はゝいぬ)が行(ゆ)くへ不明(ふめい)になりました。宿(やど)の者(もの)や別荘(べつそう)の人達(ひとたち)が、その日(ひ)霧雨(きりさめ)の降(ふ)るなかを手分(てわ)けしてさがしましたが見(み)つかりません。馬車屋(ばしやや)さんは、「それらしい犬(いぬ)が河原(かはら)で草(くさ)を食(た)べてゐた」といふし、町(まち)から上(のぼ)つて来(き)た豆腐屋(とうふや)の小僧(こぞう)さんは、「その犬(いぬ)が、わらび野(の)の一本橋(いつぽんばし)を渡(わた)つてゐるのを見(み)た」といひました。けれども、よく朝(あさ)になつても帰(かへ)つて来(き)ませんでした。なんでも、その母犬(はゝいぬ)は、お腹(なか)がだいぶ大(おほ)きくなつてから、ある晩(ばん)梯子段(はしごだん)を落(お)ちて、頭(あたま)をひどく打(う)つて気(き)が変(へん)になつたのだといふことでした。しかし、お産(さん)は尋常(じんじよう)にすみ、子供達(こどもたち)はみなし子(ご)になつたことも知(し)らずに、みるくで無事(ぶじ)に育(そだ)ちました。一体(いつたい)母犬(はゝいぬ)といふのが、リリー(白百合(しらゆり))と名(な)づけられたお姫様(ひめさま)のような犬(いぬ)でしたから、誰(たれ)の目(め)にもついてゐて、その子(こ)の不幸(ふこう)は遠(とほ)い沓掛(くつかけ)の町(まち)の方(ほう)でも噂(うはさ)になりました。孝子(こうこ)さんもその噂(うはさ)を聞(き)いて、わざ/\見(み)に出(で)かけた一人(ひとり)です。びーるの空(あ)き箱(ばこ)に藁(わら)を敷(し)いたなかに、まだ眼(め)を開(あ)かない三匹(さんびき)が、芋虫(いもむし)のように這(は)ひ廻(まは)つてゐました。孝子(こうこ)さんの絵(え)には、その見(み)たまゝの子犬(こいぬ)と、重(おも)そうな乳房(ちぶさ)をさげたリリーが、雨(あめ)の中(なか)にしよんぼりとたゝずんでゐる姿(すがた)が描(か)いてありました。
 ある日(ひ)は又(また)、遊園地(ゆうえんち)の方(ほう)へいつたと見(み)えて、和服(わふく)でぱらそるをさした、三人(さんにん)づれの都(みやこ)びたお嬢(じよう)さんや、檜木笠(ひのきがさ)をかむり、着蓙(きござ)をしよつて千(せん)が滝(たき)の原(はら)をおりて来(く)る。浅間帰(あさまがへ)りの一行(いつこう)を描(か)いてゐます。
 ある日(ひ)は又(また)、孝子(こうこ)さんは、『棟梁(とうりよう)の死(し)』を絵(え)にしてゐます。それはなかば話(はなし)に聞(き)き、なかば見(み)て来(き)て描(か)いたもので、これは二枚続(にまいつゞ)きです。街道(かいどう)から温泉道(おんせんみち)へ少(すこ)しはひつた小高(こだか)いところに桐(きり)と楓(かへで)で日射(につしや)を防(ふせ)いだ一軒家(いつけんや)がありますが、そこは、勘(かん)さんとよばれる棟梁(とうりよう)の住(す)まゐで、棟梁(とうりよう)の他(ほか)に、二人(ふたり)の若(わか)いお弟子(でし)が寝泊(ねとま)りしてゐて、貸(か)し別荘(べつそう)の建築(けんちく)やら普請(ふしん)やらをやつてゐるのでありますが、ある真(ま)つ昼間(ぴるま)、棟梁(とうりよう)の勘(かん)さんは、突然(とつぜん)卒中(そつちゆう)でなくなりました。
 勘(かん)さんは禿頭(はげあたま)の小男(こをとこ)で、おだやかな老人(ろうじん)でしたが、寂(さび)しいことに子供(こども)はなく、二人(ふたり)の弟子(でし)を自分(じぶん)の子(こ)のように可愛(かわい)がつてゐるのでした。故郷(こきよう)といつても、そこから五里(ごり)ばかり南(みなみ)の松原湖(まつばらこ)の近(ちか)くの村(むら)で、そこには先祖(せんぞ)の墓地(ぼち)と、勘(かん)さんよりも年寄(としよ)りのおかみさんが、留守(るす)をしてゐるといふことでした。棟梁(とうりよう)の死(し)はまもなく付近(ふきん)へ知(し)れわたつて別荘(べつそう)の人達(ひとたち)も次(つ)ぎ/\にその一軒家(いつけんや)へくやみを述(の)べに来(き)ました。といふのは、この棟梁(とうりよう)はいつもにこ/\してゐたばかりでなく、無口(むくち)で親切(しんせつ)だつたからです。例(たと)へば、建(た)て具(ぐ)のちよつとした直(なほ)しでも気軽(きがる)く受(う)け合(あ)つて、しかもそのうちの人達(ひとたち)が散歩(さんぽ)に出(で)た留守(るす)とか、湯(ゆ)にいつた留守(るす)とかに出(で)かけていつて註文通(ちゆうもんどほ)り直(なほ)しておくといつたふうでした。ですから誰(だれ)しにも『善人(ぜんにん)の死(し)』といふ、感(かん)じを与(あた)へて、その夜(よ)のお通夜(つや)は、まるで、お釈迦様(しやかさま)のお通夜(つや)のようでした。お弟子達(でしたち)の手製(てせい)の棺(かん)に納(をさ)められた勘(かん)さんのなきがらを取(と)り巻(ま)いて、二人(ふたり)のお弟子(でし)はもちろん、千(せん)が滝(たき)の方(ほう)の別荘(べつそう)普請(ふしん)に出稼(でかせ)ぎに来(き)てゐる。お仲間(なかま)の大工(だいく)さん連(れん)もゐれば、別荘(べつそう)のはいからな奥(おく)さんや旦那方(だんながた)、温泉宿(おんせんやど)の主人(しゆじん)、番頭(ばんとう)、女中(じよちゆう)さん、それから、二人(ふたり)の通夜僧(つやそう)など狭(せま)い部屋(へや)に一(いつ)ぱいでした。そして家(いへ)の外(そと)には、縁側近(えんがはちか)く、主人(しゆじん)におともをして来(き)た別荘(べつそう)の犬達(いぬたち)が五六匹(ごろつぴき)ゐますし、勘(かん)さんの養(やしな)つてゐた、猫(ねこ)も金魚(きんぎよ)も、やはりこの活(い)きた涅槃図(ねはんず)のなかにありました。
 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)には、蝋燭(ろうそく)の光線(こうせん)に強(つよ)められたその涅槃図(ねはんず)が描(か)いてあります。一枚(いちまい)には、早朝(そうちよう)、人力車(じんりきしや)に乗(の)つた坊(ぼう)さんを先頭(せんとう)に、棺(かん)を護(まも)つて故郷(こきよう)へ向(むか)つた、質素(しつそ)な行列(ぎようれつ)が描(か)いてありました。
 こんな風(ふう)に、孝子(こうこ)さんはあらゆる事柄(ことがら)を絵(え)にするのです。むろん絵草紙(えぞうし)のなかには、花(はな)も野菜(やさい)も描(か)いてあるし、牛(うし)も馬(うま)も昆虫(こんちゆう)も描(か)いてあれば、水車(すいしや)もとろつこも描(か)いてあります。たゞ、孝子(こうこ)さんが描(か)かないのは肖像(しようぞう)です。なるほど、孝子(こうこ)さんは、事柄(ことがら)の絵(え)のなかにいろいろな人物(じんぶつ)を描(か)いてゐますが、その顔(かほ)でも姿(すがた)でも、皆(みんな)同(おな)じようで、むしろ着物(きもの)で老若男女(ろうじやくだんじよ)がわかるくらゐなものです。つまり孝子(こうこ)さんは、浮世絵画家(うきよえがか)です。見(み)たり、聞(き)いたりする世間(せけん)の行事(ぎようじ)や風俗(ふうぞく)を、皆(みな)毛筆画(もうひつが)に描(か)いてのける、無邪気(むじやき)な浮世絵師(うきよえし)なのです。

六、油絵(あぶらえ)かきさん

 ある日(ひ)の午後(ごゞ)、日盛(ひざか)りのすばらしい暑(あつ)さが少(すこ)しくゆるんで、空(そら)にのし上(あが)つた入道雲(にゆうどうぐも)が北(きた)へ崩(くづ)れはじめ、そろ/\横雲(よこぐも)が棚曳(たなび)き入(い)らうとする時分(じぶん)、遊園地(ゆうえんち)の原(はら)の、人気(ひとけ)に遠(とほ)いところで、油絵(あぶらえ)を描(か)いてゐる人(ひと)がありました。大(おほ)きないーぜるに十二号(じゆうにごう)ほどのかんばす(絵布(えぬの))を立(た)てかけ、三脚(さんきやく)に腰(こし)をおろして、一心(いつしん)ふらんに谷向(たにむか)うの落葉松山(からまつやま)を写生(しやせい)してゐるのです。白地(しろじ)の絣(かすり)を着(き)て、鍔(つば)の広(ひろ)い海水帽(かいすいぼう)をかむつたせいの高(たか)い人(ひと)で、この人(ひと)は、もう三日前(みつかまへ)からいつも今頃(いまごろ)こゝにいーぜるを立(た)てゝゐるのですが、太郎君(たろうくん)は、今日(けふ)写生(しやせい)帰(がへ)りにふとそれを見(み)つけてみち子(こ)さんと一(いつ)しよに、行(ゆ)く手(て)をさへぎる塹壕(ざんごう)のような空堀(からぼり)を、降(お)りて登(のぼ)つて、やつとこゝへ来(き)たのです。
 来(き)て見(み)ると、自分達(じぶんたち)より先(さき)に男(をとこ)の子(こ)が一人(ひとり)、熱心(ねつしん)に油絵(あぶらえ)かきさんの為事(しごと)を見(み)てゐました。その子(こ)も鍔広(つばひろ)の麦藁帽(むぎわらぼう)をかむり、餌箱(ゑさばこ)のような木作(きづく)りの箱(はこ)を肩(かた)にかけ、手(て)には風呂敷(ふろしき)包(づゝ)みと手製(てせい)らしい三脚(さんきやく)をもつてゐるのでした。太郎君(たろうくん)とみち子(こ)さんは、それを見(み)ると、顔(かほ)を見合(みあは)せて柔和(にゆうわ)にうなづき合(あ)ひました。
 油絵(あぶらえ)かきさんは、谷(たに)から首(くび)を出(だ)したうるしの木(き)を描(か)いてゐるところでした。柄(え)の長(なが)い筆(ふで)で、ぱれつとの絵(え)の具(ぐ)をすくひ取(と)つて、右上(みぎあが)りに、弾(はじ)くような筆(ふで)つきで描(か)いてゐます。太郎君(たろうくん)もみち子(こ)さんも、山崎(やまざき)さんの描(か)き振(ぶ)りとはまるで違(ちが)ふのを面白(おもしろ)く思(おも)ひました。山崎(やまざき)さんのはかんばすの上(うへ)へ絵(え)の具(ぐ)を置(お)いてゆくような描(か)きぶりですが、この人(ひと)のは絵(え)の具(ぐ)を打(う)ち付(つ)けるような描(か)きぶりです。又(また)、山崎(やまざき)さんの使(つか)つてゐる筆(ふで)は赤毛(あかげ)ですが、この人(ひと)のは白毛(しろげ)です。みち子(こ)さんは、太郎君(たろうくん)の耳(みゝ)に口(くち)を寄(よ)せて、
「この方(かた)のは豚毛(ぶたげ)よ」
と、さゝやきました、すると太郎君(たろうくん)は、普通(ふつう)の声(こゑ)で、「姉(ねえ)さん、山崎(やまざき)さんとどつちが上手(じようず)でせう」
と、たづねます。みち子(こ)さんがめんくらつて答(こた)へずにゐると、太郎君(たろうくん)は又(また)、
「空(そら)の色(いろ)がすてきだねえ」
といひます。絵(え)かきさんは、そのませたいひ方(かた)に破顔(はがん)して、写生(しやせい)しながら太郎君(たろうくん)に話(はなし)かけました。
「君(きみ)は絵(え)が好(す)きだね」
「…………」
「君(きみ)は油絵(あぶらえ)をかくの」
「描(か)かない。僕(ぼく)、くれぱすで描(か)くんです」
「姉(ねえ)さんは描(か)くの」
「姉(ねえ)さんは水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)で描(か)くんです」
「東京(とうきよう)から来(き)たのですか」
「えゝ」
「絵(え)がたくさん出来(でき)たかね」
「えゝ」
「君(きみ)のおうちはどこ」
「僕(ぼく)のうち、──牛込(うしごめ)の喜久井町(きくゐちよう)」
「いや、こゝでのおうちさ」
「おほゝ、太郎(たろう)さん。いやあね、──あの私達(わたくしたち)、星野温泉(ほしのおんせん)のわらび野(の)の別荘(べつそう)にゐるんです〕
と、みち子(こ)さんが引(ひ)き取(と)つて答(こた)へました。
「あゝ星野(ほしの)ですか、──君(きみ)はどこです」
と、だまつてゐるも一人(ひとり)の男(をとこ)の子(こ)に振(ふ)り向(む)いて絵(え)かきさんがたづねました。
「おらあうちは、こゝぢやねえ」
との答(こた)へ、
「ぢや沓掛(くつかけ)かね」
「うむ」
と、甚(はなは)だ簡単(かんたん)です。
 やがて絵(え)かきさんは、為事(しごと)を切(き)り上(あ)げて、絵(え)の具(ぐ)箱(ばこ)を閉(と)ぢ、画架(がか)や三脚(さんきやく)をたゝんでずつくの袋(ふくろ)にをさめ、さて大(おほ)きく伸(の)びを一(ひと)つしてから、子供達(こどもたち)の方(ほう)へ向(む)いて草(くさ)のなかにあぐらをかきました。それから煙草(たばこ)を取(と)り出(だ)してうまそうにふかすのでした。ふかしながら、はじめて三人(さんにん)の子供(こども)が皆(みんな)写生道具(しやせいどうぐ)を携(たづさ)へてゐるのに気(き)がついて、
「やあ、みんな吾輩(わがはい)と同(おな)じ商売(しようばい)なんだね」
と、とんきよな声(こゑ)を出(だ)したものですから、子供達(こどもたち)はいはるゝまゝに面白(おもしろ)がつて自分達(じぶんたち)の絵(え)を出(だ)して見(み)せました。絵(え)かきさんは、それを愉快(ゆかい)そうに見(み)て、
「どうして、君達(きみたち)はなか/\うまいや、いつかもつと絵(え)を見(み)せてもらひたいね。──僕(ぼく)のゐるところは遊園地(ゆうえんち)のね、お湯(ゆ)のところから右(みぎ)へ曲(まが)つて二軒(にけん)めのうちだから、いつでも遊(あそ)びに来給(きたま)へ」
 さういつてさようならをしたのであります。これが縁(えん)で、三人(さんにん)の子供(こども)と油絵(あぶらえ)かきさんはその後(ご)大(だい)の仲(なか)よしになりました。
 この油絵(あぶらえ)かきさんは、原四郎(はらしろう)といつて、美術雑誌(びじゆつざつし)などにをり/\名(な)を見(み)かける、新進(しんしん)の画家(がか)でした。目下(もつか)の職業(しよくぎよう)は学校(がつこう)の先生(せんせい)ですが、道楽(どうらく)に絵(え)を描(か)いてゐるのではなく、東京(とうきよう)で小学校(しようがつこう)に勤(つと)めながら、出来(でき)るだけのひまで、画家(がか)の修業(しゆぎよう)をしてゐるのです。で、この夏季休暇(かききゆうか)には、雲(くも)と山(やま)とをうんと描(か)くつもりで、年(とし)とつたお母(かあ)さんと一(いつ)しよに、千(せん)が滝(たき)の貸(か)し別荘(べつそう)にもう一月(ひとつき)も前(まへ)から来(き)てゐるのでした。みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)は、あの後(ご)幾度(いくど)も原(はら)さんの別荘(べつそう)をたづねて、お母(かあ)さんとも懇意(こんい)になり、時々(とき/゛\)一(いつ)しよになる沓掛(くつかけ)の少年(しようねん)ともお友達(ともだち)になりました。あの少年(しようねん)は、沓掛(くつかけ)の町(まち)はづれにある射的場(しやてきば)の近(ちか)くの百姓家(ひやくしようや)の子供(こども)で、太郎君(たろうくん)よりは一(ひと)つ年上(としうへ)の十二歳(じゆうにさい)、軽井沢小学校(かるゐざはしようがつこう)の尋常五年生(じんじようごねんせい)でした。
 原(はら)さんが、ゆつくりお話(はなし)をしてくれるのは、いつも雨(あめ)の降(ふ)る日(ひ)でしたから、雨(あめ)が降(ふ)ると、たいてい三人(さんにん)が原(はら)さんのところで一(いつ)しよになりました。原(はら)さんのお母(かあ)さんはもう腰(こし)の曲(まが)りかけたおばあさんでしたが、まめな人(ひと)で、三人(さんにん)の子供(こども)がそろつた日(ひ)には、おやつになにかしらこしらへてくれました。葛(くず)のお菓子(かし)、かるめら、稲荷(いなり)ずし、この年(とし)とつたお母(かあ)さんは、息(むすこ)の四郎(しろう)も加(くは)へて四人(よにん)の子供(こども)が、自分(じぶん)の手作(てづく)りの御馳走(ごちそう)を食(た)べながら、無邪気(むじやき)な話(はなし)にふけるのを大(たい)そう満足(まんぞく)に思(おも)ひました。原(はら)さんは顎(あご)の角(かく)ばつた、眉毛(まゆげ)の太(ふと)い、一見(いつけん)武骨(ぶこつ)な骨相(こつそう)ですが、案外(あんがい)声(こゑ)のやさしい、それにお話(はなし)のうまい人(ひと)でした。
「みち子(こ)さんの御注文(ごちゆうもん)で、今日(けふ)は油絵(あぶらえ)のお話(はなし)をする約束(やくそく)だつたね」
と、原(はら)さんが始(はじ)め出(だ)すと、三人(さんにん)はゐずまひをなほして緊張(きんちよう)するのです。
「油絵(あぶらえ)のお話(はなし)といつてもいろ/\あるが、まづ油絵(あぶらえ)の歴史(れきし)を話(はな)さうかね。──油絵(あぶらえ)つてものは、今(いま)からざつと五百年(ごひやくねん)ばかりも昔(むかし)、十五世紀(じゆうごせいき)の頃(ころ)に、ドイツのフランドルといふところの絵(え)かきさんが発明(はつめい)したものです。その絵(え)かきさんはジヤン・ワ゛ン・アイクといふ名(な)だがその人(ひと)の有名(ゆうめい)な絵(え)を、君達(きみたち)もいつか三色版刷(さんしよくばんず)りで見(み)るにちがひない。それはね、『フラマンドの商人夫妻(しようにんふさい)』といふ画題(がだい)の、縦長(たてなが)い暗(くら)い絵(え)で、衣(ころも)のような服(ふく)を着(き)た商人夫婦(しようにんふうふ)が向(むか)ひ合(あ)ひに立(た)つてゐて、突(つ)き当(あた)りの壁(かべ)に懸(かゝ)つた円(まる)い鏡(かゞみ)に、二人(ふたり)の顔(かほ)が映(うつ)つてゐる、それが『二重(にじゆう)の肖像(しようぞう)』といはれて有名(ゆうめい)になつたんだとさ。つまりその時分(じぶん)にはさういふ綿密(めんみつ)な写生(しやせい)は珍(めづら)しかつたんだね。油絵(あぶらえ)のない前(まへ)の、西洋(せいよう)の絵(え)は、おもにふれすこといふ絵(え)でね、これはずつと大昔(おほむかし)からあつた。どういふ絵(え)かといふに、多(おほ)く壁画(へきが)でね、漆食(しつく)ひを塗(ぬ)つてそれが乾(かわ)かないうちに、泥絵(どろえ)の具(ぐ)で描(か)き上(あ)げてしまはなければならない厄介(やつかい)な絵(え)なのさ。今(いま)も見(み)られるイタリアのお寺(てら)の壁画(へきが)は、たいていこのふれすこなんだよ。ところで、ワ゛ン・アイクが油絵(あぶらえ)をやり出(だ)すと、その頃(ころ)立派(りつぱ)な絵(え)かきが大勢(おほぜい)ゐたイタリアへたちまち広(ひろ)まつて、間(ま)もなく世界中(せかいじゆう)へ行(ゆ)きわたつてしまつた。どうして油絵(あぶらえ)がそんなにすばやく広(ひろ)まつたかといへば、絵(え)の持(も)ちがいゝばかりでなく、使(つか)ひよくて、どんなものでも描(か)き現(あらは)せるとくをもつてゐたからだね。太郎君(たろうくん)はくれぱすを使(つか)つてゐるけれども僕達(ぼくたち)が小学生(しようがくせい)の時分(じぶん)にはあんなものはなかつた。似(に)たようなものでは、けちな色(いろ)しか出(で)ない色鉛筆(いろえんぴつ)があつたゞけさ。ところが、やがてくれいよんが出(で)て来(く)るし、くれいよんよりももつと都合(つごう)のいゝくれぱすなんてものが出(で)て来(き)た。ちようど、歩(ある)くよりお駕籠(かご)がしやれてゐると思(おも)つてゐると、人力車(じんりきしや)が現(あらは)れてお駕籠(かご)がぺけになり、人力車(じんりきしや)でをさまつてゐると自転車(じてんしや)が出(で)て来(き)て人力車(じんりきしや)がぺけになり、自転車(じてんしや)で鼻(はな)を高(たか)くしてゐると自動車(じどうしや)が飛(と)び出(だ)して、自転車(じてんしや)はぺけになつた。いまに飛行機(ひこうき)が飛(と)びまはつて自動車(じどうしや)がぺけになるかも知(し)れないね。もつともそんなにどん/゛\便利(べんり)になることが、人間(にんげん)のしあはせかどうかは、わからない」
「西洋(せいよう)では、油絵(あぶらえ)ばつかりなんですか」
「まあさうだね、そりやあ、油絵(あぶらえ)の他(ほか)に水彩画(すいさいが)もあれば木炭画(もくたんが)もあり、鉛筆画(えんぴつか゜)もあればぺん画(が)もあり、ぱすてる画(が)もあればてんぺら画(が)もある。さつき話(はな)したふれすこを描(か)く人(ひと)だつてあるにはあるが、百分(ひやくぶん)の九十(くじゆう)ぱーせんとは油絵(あぶらえ)だね」
「まあ、日本(につぽん)もいまにさうなるでせうか」
「さあ、どうかねえ、日本(につぽん)には日本画(につぽんが)といふものがあるからね、しかし、二十年前(にじゆうねんまへ)には東京美術学校(とうきようびじゆつがつこう)の日本画科(につぽんがか)の志望者(しぼうしや)は西洋画科(せいようがか)の倍(ばい)できかなかつたといふが、この節(せつ)は反対(はんたい)に西洋画(せいようが)の志望者(しぼうしや)が日本画(につぽんが)の倍(ばい)になつてゐるそうだ。そして西洋画(せいようが)をやる連中(れんじゆう)は、たいてい油絵(あぶらえ)かきだからねえ……みち子(こ)さんの学校(がつこう)では油絵(あぶらえ)をやる人(ひと)は少(すくな)いですか」
「えゝ、先生(せんせい)が別段(べつだん)おすゝめにならないせいか、五年(ごねん)の人(ひと)が七八人(しちはちにん)やつてるくらゐです」
「みち子(こ)さんは昨年(さくねん)、明治大正美術展覧会(めいじたいしようびじゆつてんらんかい)を見(み)たでせうね。あの時(とき)、高橋由一(たかはしよしいち)といふ人(ひと)の『鮭(さけ)』の絵(え)が出(で)てゐたが覚(おぼ)えてゐますか」
「覚(おぼ)えてゐます。鱗(うろこ)の銀光(ぎんびか)りした皮(かは)や赤(あか)い身(み)のところなど、まるでほん物(もの)のようでしたわ」
「あの絵(え)などがね、日本人(につぽんじん)の描(か)いた有名(ゆうめい)な古(ふる)い油絵(あぶらえ)の一(ひと)つです。もつとも、あれより前(まへ)にも油絵(あぶらえ)を描(か)いた人(ひと)はある。日本(につぽん)に油絵画法(あぶらえがほう)を輸入(ゆにゆう)したのは、永禄年間(えいろくねんかん)阿蘭陀船(おらんだぶね)で長崎(ながさき)へやつて来(き)たスペイン人(じん)やポルトガル人(じん)で、その赤髯(あかひげ)さんに教(をそ)はつた山田右衛門(やまだうえもん)といふ武士(さむらひ)が日本(につぽん)で最初(さいしよ)の油絵(あぶらえ)かきだそうだ。その人(ひと)の描(か)いた『泰西(たいせい)王族(おうぞく)騎馬図(きばず)』といふ絵(え)が、松平(まつだひら)子爵(ししやく)、たぶん節子姫(せつこひめ)の御実家(ごじつか)と思(おも)ふが、そこに今(いま)でもあるといふことです」
「先生(せんせい)、その山田(やまだ)といふ油絵(あぶらえ)かきは、刀(かたな)をさしてゐたんですか」
と、太郎君(たろうくん)が質問(しつもん)しました。
「むろん両刀(りようとう)をさしてゐたね、裃(かみしも)をつけて、ちよん髷(まげ)を結(ゆ)つてゐたさ」
 武士(さむらひ)がぱれつとをもつていーぜるにむかつて油絵(あぶらえ)を描(か)いてゐる姿(すがた)を想像(そうぞう)して、四人(よにん)とも笑(わら)ひ出(だ)しました。
「ちよん髷(まげ)といへば、このあひだ雑誌(ざつし)をよんだら、面白(おもしろ)いことが書(か)いてあつたよ、話(はな)さうか」
 話(はな)して頂戴(ちようだい)、話(はな)して/\と大騒(おほさわ)ぎです。「そんなに騒(さわ)ぐ程(ほど)の話(はなし)ぢやないんだよ。──あのね、ロシアの小説家(しようせつか)でゴンチヤロフといふ人(ひと)があるんだ。その人(ひと)が若(わか)い時分(じぶん)、軍艦(ぐんかん)へ乗(の)つて日本(につぽん)へ来(き)たのさ。そして見聞(みき)きしたことを日記(につき)に書(か)いておいたんだが、その日記(につき)にこんなことが書(か)いてある。日本(につぽん)の浦賀(うらが)といふ港(みなと)の入(い)り口(ぐち)へ錨(いかり)をおろした。朝(あさ)、靄(もや)の晴(は)れるのを待(ま)つて望遠鏡(ぼうえんきよう)で陸地(りくち)を見(み)たが、ずいぶん美(うつく)しい景色(けしき)だ。小山(こやま)のところ/゛\に大砲(たいほう)がならんでゐた。噂(うはさ)にきいた通(とほ)り日本人(につぽんじん)は戦争(せんそう)好(ず)きな民族(みんぞく)らしい。誰(たれ)も/\頭(あたま)の上(うへ)にぴすとるを一挺(いつちよう)づゝ載(の)せてゐる」
「いやあだ、おほ、ほ、ほ」
「あつはつはつはつ」
「あつはつはつはつ」
 原(はら)さんのお講話(こうわ)は、いつもこんな風(ふう)に脱線(だつせん)して、しりきりとんぼに終(をは)るのが例(れい)でした。

七、百姓家(ひやくしようや)の鎮雄君(しづをくん)

 沓掛(くつかけ)の少年(しようねん)は、名(な)を鎮雄(しづを)といひ、代々(だい/\)養蚕(ようさん)を主業(しゆぎよう)とする、自作農(じさくのう)の家庭(かてい)に生(お)ひ立(た)ちました。今(いま)は両親(りようしん)とお祖母(ばあ)さんと、まだ乳(ちゝ)ばなれをしない小(ちひ)さな妹(いもうと)との五人家族(ごにんかぞく)で、庭(には)の方(ほう)には、とらくたーの代(かは)りをしてくれる土佐牛(とさうし)や、毎日(まいにち)卵(たまご)を産(う)んでくれる鶏(にはとり)や、鎮雄君(しづをくん)の弁当箱(べんとうばこ)をくはへて、小学校(しようがつこう)へのおともをする、忠実(ちゆうじつ)な白犬(しろいぬ)などが住(す)んでゐます。鎖雄君(しづをくん)のお父(とう)さんはだんまりやでつきのわるい人(ひと)ですが、お母(かあ)さんの方(ほう)は人(ひと)づきのいゝ、賑(にぎや)かな、すこしあわて者(もの)です。しかし二人(ふたり)とも案外(あんがい)気(き)の弱(よわ)い正直(しようじき)なたちですから、借金(しやつきん)も作(つく)らず喧嘩(けんか)もせず、いたつて平和(へいわ)な一家(いつか)です。
 鎮雄君(しづをくん)はおつとりした子供(こども)で、小(ちひ)さい時(とき)から絵(え)を描(か)くことが好(す)きでした。一般(いつぱん)の農家(のうか)では、子供(こども)が学校(がつこう)で絵(え)を習(なら)ふことなどは無用(むよう)のことゝ思(おも)ひ、一箱(ひとはこ)二十五銭(にじゆうごせん)もするくれいよんを、年(ねん)に二箱(ふたはこ)も買(か)つてやらねばならぬ、近来(きんらい)の学校(がつこう)のやり方(かた)に不服(ふふく)でしたが、鎮雄君(しづをくん)は幸(さいは)ひに、両親(りようしん)がある事情(じじよう)で子供(こども)の美育(びいく)に興味(きようみ)をもつてゐたので、まだ絵(え)らしいものゝ描(か)けない四五歳(しごさい)ぐらゐの時分(じぶん)から、鎮雄君(しづをくん)の描(か)くものを、両親(りようしん)が面白(おもしろ)がつて見(み)てくれました。
「この子(こ)はまあ、めたなを描(か)いてるの。地(じ)べたにすわつちまつて、着物(きもの)が汚(よご)れるでねえかい」
「はふときなあ、母(かあ)やんを描(け)えてるとよ」
「鎮坊(しづぼう)、これ母(かあ)やんかや。まるで輪(わ)つぱのようだいな」
 その頃(ころ)、鎮雄君(しづをくん)の筆(ふで)は、石(いし)ころや棒(ぼう)つ切(き)れで、地面(じめん)や壁(かべ)が紙(かみ)でした。その広(ひろ)い紙(かみ)の面(めん)へ牛(うし)、犬(いぬ)、鶏(にはとり)、蛙(かへる)、鯉(こひ)、自転車(じてんしや)、鉄砲(てつぽう)、母(かあ)さんなどを描(か)いて遊(あそ)ぶのでしたが、さういふものを描(か)き表(あらは)さうとして描(か)くのではなく、右(みぎ)から左(ひだり)へぐる/\線(せん)を描(か)き廻(まは)したり、とん/\点(てん)を打(う)つたりしてゐるうちに、偶然(ぐうぜん)それらしい形(かたち)が現(あらは)れると、あつぷ(鯉(こひ))だとか、しろ(犬(いぬ))だとか、母(かあ)やんだとかいつてお得意(とくい)なのでした。そのうち、鎮雄君(しづをくん)は古新聞紙(ふるしんぶんし)を八(や)つ切(ぎ)りにした画用紙(がようし)をあてがはれて、墨筆(ぼくひつ)で描(か)くようになりました。もう『輪(わ)つぱの母(かあ)やん』でなく、円(まる)い線(せん)のなかへ、眼鼻(めはな)がつきました。しかしまだ、顔(かほ)からじかに手足(てあし)の出(で)た母(かあ)やんでした。間(ま)もなく鎮雄君(しづをくん)の『母(かあ)やん』には胴体(どうたい)がつき、耳(みゝ)がつき、着物(きもの)が着(き)せられました。たぶん、その頃(ころ)でしたらう、お母(かあ)さんが藁半紙(わらばんし)を買(か)つてくれると、お父(とう)さんが泥絵(どろえ)の具(ぐ)を作(つく)つてくれました。お茶碗(ちやわん)のなかに、墨(すみ)、紺青(こんじよう)、生黄(きおう)、べんがらの四色(ししよく)を、薄(うす)い膠(にかは)で溶(と)いてくれたのですが、それは、お父(とう)さんが、冬(ふゆ)の間(あひだ)、木彫(きぼ)りの風俗人形(ふうぞくにんぎよう)に用(もち)ひる絵(え)の具(ぐ)でした。
 ついでにお話(はなし)しますが、信州(しんしゆう)には農民美術研究所(のうみんびじゆつけんきゆうじよ)といふものがあつて、毎年(まいねん)冬(ふゆ)になると、農家(のうか)の人達(ひとたち)に、木彫(きぼ)りの人形(にんぎよう)を作(つく)ることや、指(さ)し物(もの)で箱(はこ)をこしらへてそれに浮(う)き彫(ぼ)りを施(ほどこ)すことや、くり物(もの)の木地(きじ)に模様(もよう)をつけて美(うつく)しく塗(ぬ)り上(あ)げることや、小(ちひ)さな家具(かぐ)を作(つく)ることや、刺繍(ししゆう)や機織(はたお)りでいろ/\な布帛(ふはく)工芸品(こうげいひん)を作(つく)ることなどを教(をし)へてゐますが、鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんも、そこで風俗人形(ふうぞくにんぎよう)を彫(ほ)ることを教(をそ)はつて、もう四五年来(しごねんらい)、それを冬期(とうき)の副業(ふくぎよう)にしてゐるのであります。
 その年(とし)の農事(のうじ)も終(をは)り、田畑(たはた)は一面(いちめん)の鳶色(とびいろ)にさびれて、国境(こつきよう)の山々(やま/\)に初雪(はつゆき)のかぶる頃(ころ)となれば、鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんは、蚕室(さんしつ)の一角(いつかく)を仕切(しき)つた臨時(りんじ)の為事場(しごとば)に、ゆつくりとあぐらをかいて、左手(ひだりて)に握(にぎ)つた朴(ほう)の木(き)の個材(こざい)を、二三挺(にさんちよう)の鑿(のみ)を動(うご)かしてずん/\人形(にんぎよう)にしてゆきます。この人(ひと)の御得意(おとくい)は高(たか)さ二三寸(にさんずん)の『養蚕(ようさん)風俗人形(ふうぞくにんぎよう)』で、その白木彫(しろきぼ)りがいくつかたまると、為事場(しごとば)を掃(は)き浄(きよ)めて、絵(え)の具(ぐ)を溶(と)き、終日(しゆうじつ)色彩(しきさい)をやるのでした。
 鎮雄君(しづをくん)は、それが見(み)てゐたくて、幾度(いくど)も為事場(しごとば)に入(い)り込(こ)みましたが、すぐと、
「子供(こども)は来(く)るでねえ」
と、追(お)ひ出(だ)されてしまひ、そのたびにあばれ泣(な)きをしました。するとお祖母(ばあ)さんが、赤砂糖(あかざとう)を一(ひと)さじ手(て)のひらにあけてくれて、
「鎮坊(しづぼう)にも大(おほ)きくなつたら、父(とう)やんのような為事場(しごとば)をつくつてやらずいなあ。そしたら、鎮坊(しづぼう)は、でかい人形(にんぎよう)を彫(ほ)るかや」
などゝなだめてくれるのでした。お父(とう)さんは木彫(きぼ)りの人形(にんぎよう)を作(つく)りますが、お母(かあ)さんは織(お)り物(もの)をやりました。やはり研究所(けんきゆうじよ)で習(なら)つた技術(ぎじゆつ)で、一貫目(いつかんめ)二円(にえん)ばかりの屑繭(くづまゆ)を買(か)つて、それから腕(うで)よりの太(ふと)い糸(いと)をとり、それを色染(しきせん)して、この辺(へん)にありふれた機(はた)にかけて織(お)るのです。むろん反物(たんもの)は織(お)らず、帯地(おびじ)や嚢物地(ふくろものじ)を変(かは)つた縞柄(しまがら)に織(お)るのでした。──こんなわけで、鎮雄君(しづをくん)は、同村(どうそん)の多(おほ)くの子供達(こどもたち)より、たしかにしあはせでした。お父(とう)さんもお母(かあ)さんも、質朴(しつぼく)な農家(のうか)に人(ひと)となつた者(もの)ですから、美術(びじゆつ)について、なんのお話(はなし)もしてくれませんでしたが、鎮雄君(しづをくん)の図画(ずが)や手工(しゆこう)の進歩(しんぽ)を他(ほか)の学科(がつか)の進歩(しんぽ)と同様(どうよう)に喜(よろこ)んでくれる、そのことはすいぶん幸福(こうふく)でした。
 小学校(しようがつこう)へはひつて、級(きゆう)の上(のぼ)るに従(したが)ひ、すべての科目(かもく)にいろ/\な用具(ようぐ)がいりますが、両親(りようしん)は文句(もんく)いはずにそれを買(か)つてくれました。それ故(ゆえ)鎮雄君(しづをくん)は、くれいよんも、くれぱすも水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)ももつてゐるのです。でも「三脚(さんきやく)を買(か)つておくれ」とせがんだ時(とき)には、「自分(じぶん)で作(つく)りな」と叱(しか)られました。しかし結局(けつきよく)、お父(とう)さんがこしらへてくれました。胡桃(くるみ)の木(き)で脚(あし)を作(つく)つて、お母(かあ)さんの織(お)つたぼろ織(お)りを座(ざ)にした立派(りつぱ)なものです。絵(え)の具箱(ぐばこ)は鎮雄(しづを)さんが最近(さいきん)作(つく)つたものでした。写生用(しやせいよう)の絵(え)の具(ぐ)その他(た)の雑品(ざつぴん)を入(い)れて持(も)ち歩(ある)くための箱(はこ)で、みかん箱(ばこ)を板(いた)にくづして鉋(かんな)をかけ、四隅(よすみ)の組(く)み方(かた)は簡単(かんたん)にして、膠(にかは)でつけた上(うへ)に、襖(ふすま)の取(と)つ手(て)に用(もち)ひる、細(ほそ)い丈夫(じようぶ)な四分一針(しぶいちばり)を細(こま)かく打(う)ちました。それからお父(とう)さんに教(をそ)はつた通(とほ)り、べんがらにすこし墨(すみ)をまぜた泥絵(どろえ)の具(ぐ)を酪素(らくそ)で溶(と)いて一面(いちめん)に塗(ぬ)り、細(ほそ)い丸鑿(まるのみ)で、考(かんが)へておいた縁飾(ふちかざ)りを浮(う)き彫(ぼ)りに彫(ほ)つてから、お父(とう)さんにふき漆(うるし)を三度(さんど)ばかりかけてもらつたものです。鎮雄君(しづをくん)のこの絵(え)の具箱(ぐばこ)は、学校(がつこう)で有名(ゆうめい)なものとなり、いつの写生(しやせい)にも得意(とくい)で肩(かた)にかけて出(で)るのでした。
 近頃(ちかごろ)鎮雄君(しづをくん)の描(か)く絵(え)は、ちよつと孝子(こうこ)さんの絵(え)と太郎君(たろうくん)の絵(え)を一(いつ)しよにしたようなものでした。まはりの生活情景(せいかつじようけい)を好(この)んで絵(え)にするところは孝子(こうこ)さんのようだし、山(やま)なり、木(き)なり、家屋(かおく)なり、静物(せいぶつ)なりの形(かたち)を、洋画風(ようがふう)に影日向(かげひなた)に現(あらは)したりする工合(ぐあひ)は太郎君(たろうくん)のようです。しかし、鎮雄君(しづをくん)の絵(え)は、今(いま)も大部分(だいぶぶん)水墨彩画(すいぼくさいが)です。子供(こども)の時分(じぶん)から描(か)きなれた毛筆(もうひつ)と泥絵(どろえ)の具(ぐ)とは、くれぱすよりも水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)よりも使(つか)ひいゝのでした。
 学校(がつこう)の校長(こうちよう)さんは、他(ほか)の生徒(せいと)が皆(みな)くれいよんあるひはくれぱすで描(か)いてゐるなかに、鎮雄君(しづをくん)だけが、ちがつた材料(ざいりよう)で描(か)いてゐることを、教育的(きよういくてき)でないとしていやがりましたが、受(う)け持(も)ちの先生(せんせい)が「もていふと画用品(がようひん)は、生徒(せいと)に自由(じゆう)に選(えら)ばせるのがほんとだ」といつてなつとくさせました。その受(う)け持(も)ちの先生(せんせい)は、若(わか)い人(ひと)ですが、小学校(しようがつこう)の勤(つと)めを心(こゝろ)から楽(たの)しんでゐる非常(ひじよう)なまじめな人(ひと)でした。「自分(じぶん)は生徒(せいと)に仕(つか)へること武士(ぶし)の主君(しゆくん)に仕(つか)へるごとくありたい」また「教室(きようしつ)の設備(せつび)のごときは末(すゑ)の問題(もんだい)である、自分(じぶん)が教師(きようし)として教室(きようしつ)にゐさへすれば、それで生徒(せいと)が安心(あんしん)して勉強(べんきよう)するように、己(おのれ)を修養(しゆうよう)しなければならない」これがその人(ひと)の言葉(ことば)です。
 鎮雄君(しづをくん)は、よい風景(ふうけい)の田舎(ゐなか)に、よい御両親(ごりようしん)と、よい先生(せんせい)に育(そだ)てられてゐるしあはせな子供(こども)でありました。

八、油絵(あぶらえ)かきさんのお話(はなし)

 原(はら)さんは、今日(けふ)も三人(さんにん)の子供(こども)にとりまかれてお講話(こうわ)をやつてゐます。
「版画(はんが)の話(はなし)をしろ、には困(こま)つたな。こいつ案外(あんがい)ごて/\してゐてね。だが君達(きみたち)のように知識欲(ちしきよく)の盛(さか)んなのは結構(けつこう)、外国(がいこく)の小説(しようせつ)を読(よ)むと、十(とを)ぐらゐの子供(こども)がいろ/\なことを知(し)つてゐて、なまいきなことをしやべるのに驚(おどろ)くが、考(かんが)へて見(み)ると上杉謙信(うへすぎけんしん)は十三歳(じゆうさんさい)で三軍(さんぐん)を指揮(しき)してゐるし、森鴎外(もりおうがい)さんは十四歳(じゆうしさい)の時(とき)、新聞(しんぶん)に論説(ろんせつ)を発表(はつぴよう)したといふからねえ。──ぢやあ、このことは簡単(かんたん)にお話(はなし)するとしよう。でも眠(ねむ)くなるかも知(し)れないぜ、眠(ねむ)くなつたら遠慮(えんりよ)なくお眠(ねむ)りなさい。この原(はら)大先生(だいせんせい)も、おねむになつたらかまはずねてしまふから」
「あらひどい、そんな大先生(だいせんせい)つてないわ。眠(ねむ)くなつたら、みんな自分(じぶん)の膝(ひざ)をつねりませうよ、いゝこと」
「おら、股(また)に錐(きり)をぶつさすかなあ」
「僕(ぼく)のお父(とう)さんはね、昔(むかし)ねむたい時(とき)に、金盥(かなだらひ)に水(みづ)を張(は)つて、そこへ時々(とき/゛\)顔(かほ)を突(つ)つ込(こ)んでは勉強(べんきよう)したとさ。そのうちにあんまり眠(ねむ)くなつて、とう/\金盥(かなだらひ)に顔(かほ)を突(つ)つ込(こ)んだまゝ寝(ね)てしまつたんだつて」
「金盥(かなだらひ)のなかで、いびきをぶく/\ぶく/\とかきながらね。──どつこい、お話(はなし)にとりかゝらう。少々(しよう/\)むづかしいが、まづ最初(さいしよ)にこれだけのことは頭(あたま)に入(い)れておいてもらひたいね。版画(はんが)には、『創作版画(そうさくはんが)』と『複製版画(ふくせいはんが)』の二種類(にしゆるい)があつて、創作版画(そうさくはんが)は美術品(びじゆつひん)として扱(あつか)はれ、複製版画(ふくせいはんが)は工業品(こうぎようひん)として扱(あつか)はれる。──これが一(ひと)つ、次(つ)ぎに、版画(はんが)は、絵(え)と、彫(ほ)りと、摺(す)りの三(みつ)つの技術(ぎじゆつ)から成(な)り立(た)つてゐる。──これが一(ひと)つ。それから、版画(はんが)の種類(しゆるい)には、銅版(どうばん)、石版(せきばん)、木版(もくはん)がある、──これが又(また)一(ひと)つ。なほ、版(はん)には、凹版(おうはん)、凸版(とつぱん)、平版(へいはん)の三種類(さんしゆるい)がある。これがも一(ひと)つ。都合(つごう)四(よつ)つのけぢめをしつかり、覚(おぼ)えておき給(たま)へ。そこで木版(もくはん)の話(はなし)となるが、木版(もくはん)は日本(につぽん)のも西洋(せいよう)のも凸版(おうはん)なんだ、鎮雄君(しづをくん)は、でこぼこといふ言葉(ことば)を知(し)つてゐるかね」
「知(し)りやせん」
「さうだらう、江戸(えど)の言葉(ことば)だからな、でこぼことは、出(で)たりへこんだりといふ言葉(ことば)で、漢語(かんご)がすなはち凹凸(おうとつ)さ。だから凹版(おうはん)はへこんだ版(はん)で、凸版(とつぱん)は出(で)た版(はん)さ。銅版(どうはん)は凹版(おうはん)、石版(せきはん)は平版(へいはん)、木版(もくはん)は凸版(とつぱん)、鎮雄君(しづをくん)のやる芋版(いもばん)も凸版(とつぱん)さね。凸版(とつぱん)は板面(ばんめん)のけづり残(のこ)された部分(ぶぶん)へ肉(にく)をつけて、摺(す)られるが、凹版(おうはん)は反対(はんたい)に、けづり取(と)つた部分(ぶぶん)へ肉(にく)を食(く)はしておしつけるようにして刷(す)る。紙幣(おさつ)や郵便切手(ゆうびんきつて)など皆(みな)その凹版(おうはん)を刷(す)つたものです。だから、指(ゆび)でさすつてみ給(たま)へ、肉(にく)が紙(かみ)の上(うへ)へ盛(も)り上(あが)つてゐるから」
「平版(へいはん)はどうするです」
「平版(へいはん)、すなはち石版(せきはん)はね、平(たひら)な石版石(せきばんいし)の上(うへ)へ油墨(あぶらずみ)かくれいよんで絵(え)を描(か)いて、薬品(やくひん)で止(と)めると、絵(え)のところだけ肉(にく)が乗(の)るんさ」
「それなら、謄写版(とうしやばん)も、平版(へいはん)ね」
「まあさうだね、──さて日本木版(につぽんもくはん)と西洋木版(せいようもくはん)だが、これが同(おな)じ木版(もくはん)でもだいぶちがふ。まづ、日本(につぽん)の木版(もくはん)は板目(いため)へ彫(ほ)るが、西洋(せいよう)の木版(もくはん)は木口(こぐち)へ彫(ほ)る。板目(いため)は逆目(さかめ)が立(た)つから彫刻道具(ちようこくどうぐ)は自然(しぜん)細(ほそ)い切(き)り出(だ)しのような小刀(こがたな)か丸鑿(まるのみ)を用(もち)ひる、従(したが)つてあまり細(こまか)いものは彫(ほ)りにくい。ところが、木口(こぐち)は縦横自在(じゆうおうじざい)に刀(とう)がきくから、突(つ)いて彫(ほ)るような刀(とう)でさしつかへなく、それに木口(こぐち)は堅(かた)いから細(こま)かい彫刻(ちようこく)がやれる。それで西洋(せいよう)の木版(もくはん)は、絵(え)の陰日向(かげひなた)がみんな細(こま)かい線(せん)で彫(ほ)り出(だ)してあるね」
「西洋(せいよう)の版画(はんが)はみんな機械刷(きかいず)りだつて、さうですか」
「さうです、日本(につぽん)の木版(もくはん)は板目(いため)を使(つか)ふでせう、だから水絵(みづえ)の具(ぐ)で摺(す)れるが、外国(がいこく)の木版(もくはん)は木口(こぐち)で、しかも堅(かた)い柘植(つげ)の木(き)を使(つか)ふから水分(すいぶん)を吸収(きゆうしゆう)しない、そこで肉刷(にくず)りとなる。肉刷(にくず)りは機械(きかい)で刷(す)れるが水絵(みづえ)の具(ぐ)では機械刷(きかいず)りは困難(こんなん)だ」
「おらあ学校(がつこう)では、版画(はんが)によく謄写版(とうしやばん)の肉(にく)を使(つか)うぜや」
「君達(きみたち)の木版(もくはん)は、やはり水墨(すいぼく)で摺(す)るがいゝね」
「お習字(しゆうじ)の墨(すみ)でいゝですか」
「お習字(しゆうじ)の墨(すみ)は膠(にかは)が多(おほ)すぎて摺(す)りにくいから、やはり版摺(はんす)りの使(つか)ふ墨(すみ)を使(つか)ふことだね。摺(す)る時(とき)にちよい/\糊(のり)をまぜながら使(つか)ふのだがね」
「おら、版画(はんが)は彫(ほ)る時(とき)の方(ほう)が面白(おもしれ)え」
「そりや、たゞ墨摺(すみず)りだからさ。一体(いつたい)日本(につぽん)の木版画(もくはんが)は、摺(す)りに直(ね)うちがあるんだぜ。あの『ばれん』といふやつが大(たい)したものなんだ、世界中(せかいじゆう)のどんな精巧(せいこう)な印刷機械(いんさつきかい)も、あの竹(たけ)の皮(かは)に包(つゝ)んだおせんべいのような道具(どうぐ)にかなはないのだから面白(おもしろ)いよ」
「どうしてゞせう」
「水絵(みづえ)の具(ぐ)のせいもあるが、手(て)で摺(す)るからだね」
「浮世絵(うきよえ)は先生(せんせい)、みんな版画(はんが)ですか」
「いや、浮世絵(うきよえ)の古(ふる)いところは、皆(みな)肉筆(にくひつ)ですよ。版画(はんが)も初(はじ)めは墨摺(すみず)りで、色(いろ)は皆(みな)筆(ふで)でさしたものでね、だん/\色数(いろかず)が多(おほ)くなつて、鈴木春信(すゞきはるのぶ)といふ絵師(えし)が出(で)て、錦絵(にしきえ)といはれるほどに、浮世絵(うきよえ)版画(はんが)を色彩的(しきさいてき)なものにしたといふ話(はなし)です」
「今(いま)でも、浮世絵師(うきよえし)はあるんですか」
「さあ今(いま)、浮世絵師(うきよえし)とはつきり折(を)り紙(がみ)のついた人(ひと)はゐないようだが、鏑木清方(かぶらききよかた)さんとか伊東深水(いとうしんすい)さんとかいふ人達(ひとたち)は浮世絵画家(うきよえがか)といふのだらうね、版画(はんが)で浮世絵(うきよえ)を作(つく)る人(ひと)は全(まつた)くないようだ。──どうです。版画(はんが)の話(はなし)はこゝらで切(き)り上(あ)げようぢやないか」
「えゝ、でも先生(せんせい)、なにか他(ほか)に版画(はんが)に関係(かんけい)した面白(おもしろ)いお話(はなし)はなくつて」
「そりやあ、いろ/\あるさ、だが太郎君(たろうくん)はねむたそうぢやないか。──ぢやあね、『不動様(ふどうさま)の眼玉(めだま)』といふお話(はなし)をして打(う)ち切(き)りにしよう。面白(おもしろ)い話(はなし)ぢやなくてちよつと気味(きみ)の悪(わる)いお話(はなし)ですよ。今(いま)から四十年(しじゆうねん)も昔(むかし)のことだが、審美書院(しんびしよいん)といふ、おもに美術(びじゆつ)の絵本(えほん)を出版(しゆつぱん)してゐる本屋(ほんや)の、版彫(はんほ)りの為事場(しごとば)に、銀(ぎん)さんに、も一人(ひとり)なんといふ名(な)の人(ひと)だつたか忘(わす)れてしまつたが、とにかく、板目彫(いためぼ)りの名人(めいじん)が二人(ふたり)ゐたんだ。ある時(とき)、すてきにやかましい為事(しごと)があつて二人(ふたり)の腕競(うでくら)べになつたんだね、そのやかましい為事(しごと)の一番(いちばん)むづかしいところは、不動様(ふどうさま)の瞳(ひとみ)の小(ちひ)さい線(せん)を彫(ほ)ることで、かれ等(ら)二人(ふたり)はその一点(いつてん)に神魂(しんこん)をこらしたといふものさ、さつきも話(はなし)したように、板目(いため)は逆目立(さかめだ)つから、細(ほそ)い切(き)り出(だ)しのような小刀(こがたな)だといつたでせう。さういふ刃先(はさき)で小(ちひ)さい丸(まる)い線(せん)をすつきりと彫(ほ)り上(あ)げることは容易(ようい)なわざぢやないんだ。──銀(ぎん)さんが朝早(あさはや)く為事場(しごとば)へ来(き)て見(み)ると、もう×さんは為事場(しごとば)へ先(さき)に来(き)て机(つくゑ)にうつむいてゐる。翌朝(よくあさ)、×さんは自分(じぶん)より先(さき)に来(き)て机(つくゑ)に向(むか)つてゐる銀(ぎん)さんを見(み)た。そんな風(ふう)でせり合(あ)ひは日(ひ)に/\深刻(しんこく)になつていつたが、ある朝(あさ)×さんが出勤(しゆつきん)して見(み)ると、為事場(しごとば)の梁(はり)に銀(ぎん)さんがぶらさがつて冷(つめた)くなつてゐる。それから×さんも間(ま)もなく気(き)が狂(くる)つちまつたそうだ。銀(ぎん)さんも×さんも、小(ちひ)さな丸(まる)い線(せん)を彫(ほ)るには、その部分(ぶぶん)へ柘植(つげ)の木口(こぐち)を入(い)れ木(き)して、西洋木版(せいようもくはん)のびゆらんといふ刀(とう)で彫(ほ)れば、楽(らく)にうまくゆくことを知(し)らなかつた筈(はず)はないんだが、二人(ふたり)の腕競(うでくら)べは、子供(こども)の時(とき)から使(つか)ひなじんだ、あの小(ちひ)さな切(き)り出(だ)しの先(さき)で、不動様(ふどうさま)の眼玉(めだま)の円(えん)を見事(みごと)に仕上(しあげ)げて見(み)せることにあつたので、とう/\命(いのち)まで賭(か)けちまつた。──みち子(こ)さんどう思(おも)ひますね、かういふ真剣(しんけん)な職人(しよくにん)気質(かたぎ)を貴(たふと)く思(おも)ふでせう。ほんとに、まつたく貴(たふと)い。だからこの場合(ばあひ)のようなもつたいない使(つか)ひ方(かた)を、僕(ぼく)は惜(を)しく思(おも)ふ」

九、みち子(こ)さんのすけつちぶつく

 みち子(こ)さんはこつち(信州(しんしゆう))へ来(く)る時(とき)、すけつちぶつくを買(か)つて来(き)ましたが、入道雲(にゆうどうぐも)が一枚(いちまい)、豚(ぶた)と鶏(にはとり)が一枚(いちまい)描(か)いてあるだけで、あとは皆(みな)白紙(はくし)です。みち子(こ)さんはそれを苦(く)にして幾度(いくど)も「私(わたし)困(こま)つてしまふわ、すけつちぶつくがちつとも填(うま)らないのですもの」とこぼすのでした。実(じつ)は、お休(やす)みになる前(まへ)の日(ひ)、滝田先生(たきたせんせい)が生徒(せいと)に夏休(なつやす)み中(ちゆう)の絵(え)のことについて、いろ/\な注意(ちゆうい)をなさつた時(とき)、みち子(こ)さんにはかうおつしやつたのです。
「あなたはくろつきいが下手(へた)だから、この夏(なつ)すけつちぶつくをくろつきいで一(いつ)ぱいにしておいでなさい」
と、くろつきいとはやはりすけつちのことで、たゞ普通(ふつう)すけつちといへば、物(もの)に臨(のぞ)んで写生(しやせい)することですが、くろつきいといふ言葉(ことば)は、それを一(いつ)そう手早(てばや)く大(おほ)づかみにやる場合(ばあひ)に使(つか)はれるのです。みち子(こ)さんは、女学校(じよがつこう)へはひつた最初(さいしよ)の週(しゆう)にそのくろつきいをやらされました。滝田先生(たきたせんせい)が、「今日(けふ)はこれからくろつきいをやりますが、くろつきいといふことを知(し)らない方(かた)が多(おほ)いかも知(し)れない、知(し)つてゐる人(ひと)はちよつと手(て)をあげて見(み)て下(くだ)さい」
といはれた時(とき)、手(て)を挙(あ)げた人(ひと)は二人(ふたり)しかありませんでした。みち子(こ)さんも小学校(しようがつこう)では聴(き)いたこともない名(な)でしたから、なんのことだらうと胸(むね)を轟(とゞろ)かして先生(せんせい)の説明(せつめい)を聴(き)きました。
「くろつきいはフランス語(ご)で、美術家(びじゆつか)の間(あひだ)では普通(ふつう)のてくにつく(術語(じゆつご))ですが、そのことは別段(べつだん)珍(めづら)しいことでなく、あなた達(たち)も誰(だれ)だつて二三度(にさんど)はやつたことがあるはずです。つまり、すばやくすけつちをすることで、たゞ変(かは)つてゐるのは、くろつきいの学習(がくしゆう)では、描写(びようしや)の目的(もくてき)を単純(たんじゆん)にし、時間(じかん)を制限(せいげん)することです。例(たと)へば、くろつきいの為事(しごと)では、多(おほ)く姿勢(しせい)をつかまうとします、そして、十分(じつぷん)、十五分(じゆうごふん)といふ短時間(たんじかん)に写生(しやせい)し終(をは)るようなわけですから、普通(ふつう)のすけつちの気構(きがま)へだとめんくらひます。しかしこのくろつきいの勉強(べんきよう)は、眼(め)と手(て)を鍛(きた)へるためには大(おほ)いに必要(ひつよう)で、僕(ぼく)は皆(みな)さんにこれをうんとやらせるつもりです。くろつきいがうまくなると人物(じんぶつ)や動物(どうぶつ)に限(かぎ)らず、山(やま)に対(たい)しても花(はな)に対(たい)しても、そのもちまへの姿勢(しせい)が一目(ひとめ)で頭(あたま)にはひるようになり、簡潔(かんけつ)な線(せん)や濃淡(のうたん)ですつきりとそれを表(あらは)すことが出来(でき)るでせう──東洋画(とうようが)の批評(ひひよう)に、よく気韻(きいん)生動(せいどう)といふことを申(まを)しますが、東洋画(とうようが)のみならず、西洋画(せいようが)にも、いや、それはあらゆる美術(びじゆつ)に大切(たいせつ)なことで、僕(ぼく)は皆(みな)さんの為事(しごと)に対(たい)しても第一(だいいち)にそれを見(み)るでせう。ところで、気韻(きいん)の方(ほう)はとにかく、生動(せいどう)の方(ほう)は、くろつきいの学習(がくしゆう)が大(おほ)いにこれを養(やしな)つてくれるはずです。僕(ぼく)は技術(ぎじゆつ)の素性(すじよう)のよしあしをいつもくろつきいで判断(はんだん)しますが、たいてい間違(まちが)ひません。それは工夫(くふう)する余裕(よゆう)のないとつさの場合(ばあひ)の行為(こうい)に、その人(ひと)の素質(そしつ)が丸出(まるだ)しになるのと同(おな)じようなわけで、眼(め)と手(て)が一気(いつき)に働(はたら)かなければならぬくろつきいは、ごまかしが利(き)かないからであります。
 さて、これから庭(には)へ出(で)てくろつきいをやることにしますが、まづ道具(どうぐ)を周到(しゆうとう)に用意(ようい)して下(くだ)さい。画板(がばん)に画用紙(がようし)をぴんでしつかりと止(と)めて下(くだ)さい、庭(には)での為事(いごと)ですから風(かぜ)が吹(ふ)いて紙(かみ)がへら/\動(うご)くと描(か)きにくいから、ぴんで四隅(よすみ)を止(と)めて下(くだ)さい。それから鉛筆(えんぴつ)だつたらなるべく濃(こ)くかける鉛筆(えんぴつ)をありつたけ削(けづ)つておくのです、といふのは、短時間(たんじかん)の写生(しやせい)ですから、折(を)れたのを途中(とちゆう)で削(けづ)つてゐると、気(き)がせいて気合(きあ)ひが乱(みだ)れるからです。鉛筆(えんぴつ)の他(ほか)、こんてーでも、くれいよんでも、ぺんにいんきでも、墨(すみ)と毛筆(もうひつ)でもよろしい。しかしさういふものは消(け)すことが利(き)かないから、くろつきいには鉛筆(えんぴつ)が一番(いちばん)便利(べんり)です。丸(まる)しんの4B(しびー)位(くらゐ)がちようどいゝですね、で、その用意(ようい)が出来(でき)たら、めい/\椅子(いす)をもつて外(そと)へ出(で)て下(くだ)さい」
 かういつて滝田先生(たきたせんせい)は庭(には)へ生徒(せいと)をつれ出(だ)して、そこでまたいはれました。
「そこでと、今日(けふ)は最初(さいしよ)ですから僕(ぼく)がもでるになりませう。さあ、蛇(へび)でも打(う)つような恰好(かつこう)だが、これがもでるです。皆(みな)さんは、僕(ぼく)から二間(にけん)もはなれたところへ思(おも)ひ/\に位置(いち)をきめて下(くだ)さい、立(た)つて描(か)かうと、腰(こし)かけて描(か)かうと、それは御自由(ごじゆう)、今日(けふ)のくろつきいは僕(ぼく)の姿勢(しせい)をすけつちすることが目的(もくてき)ですから、よく『姿勢(しせい)』を見(み)て下(くだ)さい。あなた達(たち)はいつたい絵(え)を描(か)く時(とき)に、描(か)かうとする物(もの)を頭(あたま)に入(い)れず、もていふにむかつてすぐ筆(ふで)をとつて描(えが)き出(だ)す癖(くせ)があるでせう。あれがいけません、もていふをとつくりと眺(なが)めて、対象(たいしよう)の特色(とくしよく)を十分(じゆうぶん)頭(あたま)に入(い)れてから筆(ふで)をおとりなさい。
 例(たと)へば、今(いま)の場合(ばあひ)、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をそれ/゛\の座位(ざい)からよく御覧(ごらん)なさい、僕(ぼく)といふ人間(にんげん)の姿勢(しせい)がどんな感(かん)じであるかに注意(ちゆうい)して御覧(ごらん)なさい。僕(ぼく)の体(からだ)はずいぶん頑固(がんこ)です、鶴(つる)のようにすつきりとしてはゐないし、象(ぞう)のように丸々(まる/\)ともしてゐない、とにかく、あなた達(たち)の眼(め)の前(まへ)にはつきりと僕(ぼく)の姿勢(しせい)があります。その姿勢(しせい)は、手(て)、足(あし)、胴(どう)、頸(くび)、頭(あたま)のつりあひ、及(およ)び運動(うんどう)から作(つく)られてをり、その全体(ぜんたい)にもまた部分(ぶぶん)にもこの姿勢(しせい)の意気組(いきぐ)みが行(ゆ)きわたつてゐるはずです。──位置(いち)がきまつたらよく見(み)るために一二分間(いちにふんかん)を費(つひや)しなさい、そして形(かたち)がよく頭(あたま)にはひつたところで勇敢(ゆうかん)に筆(ふで)をお運(はこ)びなさい。ところで、も一(ひと)つ注意(ちゆうい)しておきたいことは、画用紙(がようし)の面(めん)へ、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をどういふ風(ふう)にとり入(い)れるかの問題(もんだい)です。これもなかなか重大(じゆうだい)なことなんです、あなた達(たち)の前(まへ)に構(かま)へられたその画用紙(がようし)は、絵(え)を描(か)くに臨(のぞ)んで、もはや単(たん)なる紙(かみ)ではない、それはすなはち形(かたち)を具(そな)へた面(めん)です。それは壁画(へきが)をかく時(とき)の壁(かべ)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)であり、刺繍(ししゆう)する時(とき)の布(ぬの)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)であり、眼(め)鼻(はな)口(くち)を配置(はいち)されてある顔(かほ)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)です。そこで、同(おな)じすけつちをするにしても、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をその紙(かみ)の面(めん)へ工合(ぐあひ)よくとり入(い)れてもらひたい。もしも手当(てあた)り放題(ほうだい)に描(か)くならば、全身(ぜんしん)を描(か)くつもりではじめながら、腰(こし)のあたりで紙(かみ)の端(はし)になつてしまつたり、または片隅(かたすみ)へちゞこまつて、見苦(みぐる)しい紙(かみ)の空地(あきち)が出来(でき)てしまつたりするでせう。──では始(はじ)めますよ、時間(じかん)は十分間(じつぷんかん)です、いゝですか」
 みち子(こ)さんは、もでるを横向(よこむ)きに見(み)る位置(いち)に椅子(いす)を据(す)ゑて、いはれた通(とほ)りにもでるを眺(なが)め、紙(かみ)の面(めん)をはかり、またもでるを見(み)たりして描(か)きはじめましたが、気(き)がせいて筆(ふで)が空走(からばし)りするので、消(け)したり描(か)いたりして姿勢(しせい)が容易(ようい)につかめませんでした。ちよつと隣(とな)りの人(ひと)のを覗(のぞ)いて見(み)ると、自分(じぶん)のよりはずつと大(おほ)きく描(か)いてゐます、で、はつと迷(まよ)ひかけた時(とき)、もでるの先生(せんせい)が「ちよつと皆(みな)さん、こゝで描(か)く手(て)を休(やす)めて下(くだ)さい」とおつしやつたので、思(おも)はず溜(た)め息(いき)をついたようなわけでした。
「今(いま)ちようど五分(ごふん)たつたところです。こゝでちよつと注意(ちゆうい)しておきますがね、どうももでるをよく見(み)ないで描(か)いてゐる人(ひと)がある、紙(かみ)の上(うへ)へこゞみかゝるようにして、夢中(むちゆう)で描(か)いてゐる、それはいゝが、その描(か)きつゝあるくろつきいがその人(ひと)の眼(め)に見(み)たもでる、すなはち僕(ぼく)の姿勢(しせい)と似(に)てゐるかどうか、とにかくこゝらで筆(ふで)を休(やす)めて、自分(じぶん)の絵(え)と自分(じぶん)の見(み)るもでるとをよく見(み)くらべて御覧(ごらん)なさい。そしてちがつてゐたら、どこが違(ちが)つてゐるかを見出(みいだ)して御覧(ごらん)なさい。しかる後(のち)、そのをかしい部分(ぶぶん)をぐん/\直(なほ)すのです。ごむで消(け)して直(なほ)してもいゝし、かまはず上(うへ)へ、より濃(こ)い線(せん)で描(か)きおこしてもよろしい、そんな直(なほ)しをしてゐる間(あひだ)に時間(じかん)がたつてしまつて、半(なか)ばで終(をは)るかも知(し)れないが、決(けつ)して差(さ)し支(つか)へない。さういふ骨折(ほねを)りは、次(つ)ぎのくろつきいに役立(やくだ)つて来(き)ますからね。ではあと五分間(ごふんかん)、さあ」
 みち子(こ)さんは、もでると自分(じぶん)の絵(え)とを見(み)くらべてびつくりしました。肩(かた)がまるで違(ちが)つてゐるのです、もでるの肩(かた)は、日々(にち/\)の夕刊(ゆふかん)で見(み)る宇治山田(うじやまだ)の米友(よねとも)のようにがつしりしてゐるのに、自分(じぶん)のすけつちした肩(かた)はびーる壜(びん)のようにこけてゐるではありませんか、のみならず、手(て)が脚(あし)よりも長(なが)くなつてゐました。みち子(こ)さんは気(き)まり悪(わる)さに顔(かほ)を赤(あか)くして直(なほ)しにかゝりました。
「おしまひ」
 五分(ごふん)たつと先生(せんせい)はかういつてぽーず(姿勢(しせい))をやめました、すると「あら」とか「あら困(こま)るわ私(わたし)」とか「あらひどいわ」とかいふ声(こゑ)があちこちに起(おこ)りました、多(おほ)くの人(ひと)が描(か)きかけであつたからです。でも皆(みな)ほつとして、絵(え)を見(み)せ合(あ)つたりかくしたりしてはしやぎ出(だ)しました。滝田先生(たきたせんせい)は椅子(いす)をならべさせて、そこへ全部(ぜんぶ)の絵(え)を立(た)てかけて総評(そうひよう)を試(こゝろ)みました。
「やあ、奇抜(きばつ)なのがあるぞ、これはまるで木(き)の根(ね)つこだね。これはまた、豚(ぶた)の胎児(たいじ)だ、をや、これは筋(すぢ)ばつてみいらのようだ……」
 まつたく先生(せんせい)の比喩(ひゆ)通(どほ)りの絵(え)であつたし、それがさつき大(おほ)まじめで写生(しやせい)した結果(けつか)なのですから、それを描(か)いた者(もの)も見(み)る者(もの)も、涙(なみだ)の出(で)るほど笑(わら)ひこけました。
「今日(けふ)は一(ひと)つ/\の批評(ひひよう)はやめます、全体(ぜんたい)についていふと、第一(だいいち)に為事(しごと)の目的(もくてき)をよくのみ込(こ)んでゐないのがいけない。姿勢(しせい)をつかむといふその事(こと)をはつきり頭(あたま)においてゐない結果(け