玉くしげ
本居宣長

(藤田徳太郎訳)


此書はある身分のある御方に、道の大旨、現代に処する心得を書いて奉つたものである。それには、歌をも詠んで書き添へたが、その中の詞を取つて、このやうに玉くしげと名づけた。その歌は、
  身におはぬしづがしわざも玉くしげあけてだに見よ中の心を
(身分不相応な、卑しい者がその意見を書いたものであつても、中に書いてある精神だけは、読んで理解して頂きたい。)



      真実の道

 真実の道は、天地の間に行き渡つて、いづれの国までも、同様にたゞ一筋である。ところがこの道は、ひとりわが皇国にだけ正しく伝はつて、外国においては皆、上古より既にその伝来を失つてゐる。それ故に、外国においては、また別に、さまざまの道を説いて、各々その道を、正しい道のやうに申してゐるが、さうした外国の道は、皆末々の枝葉の道であつて、古来の真実の正しい道ではない。たとへここかしこに似てゐるところがあるにしても、さうした末々の枝葉の道の意(こゝろ)をまぜこぜにして用ひたのでは、真実の道にはかなひにくいのである。さてそのわが国にのみ伝はる一筋の本来の真実の道の趣旨を、大体申して見よう。


      むすびの霊力

 まづ第一に、此世の中の総体の道理を、よく心得ておかなくてはならない。その道理といふのは、この天地も諸神も万物も、皆悉くその根本は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)と申す二柱の神の「産霊(むすび)の御霊(みたま)」(物事を産み出す霊力)と申すものによつて、生まれ出たものであつて、世に人類が生れ出たり、万物万事が現はれ出るのも、皆この「御霊」によらないことはないといふことである。だから神代の始めに、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二柱の大御神が、国土、万物、及び諸神を生成し給うたのも、その本は、皆、かの二柱の神の「産霊の御霊」によつたものである。一体、この「産霊の御霊」と申すのは、不思議な神の御しわざであるから、いかなる道理によつてさうなるのかなどといふことは、人の智慧をもつては、全く推量して識ることの出来るものではない。ところが、外国においては、正しい道の伝来がないからして、この神の産霊の御しわざを知ることが出来ないで、天地万物の道理をも、陰陽、八卦、五行などといふ理屈を立てて、これを説明しようとするが、これらは皆、人智をもつて推測した妄説であつて、実際にはさうした道理のあるはずがない。かくて、伊邪那岐の大御神が、女神伊邪那美命のお隠れになつたのを、深く悲しまれて、夜見(よみ)の国まで慕つて行かれたが、この現実の御国に帰られて、その夜見の穢れにお触れになつた御身を清めようとせられ、筑紫の橘小門(たちばなのをど)の檍原(あはぎはら)で御禊をなされ、清浄の御身になられてから、天照大御神が御出現あそばされたのであるが、天照大御神は、御父伊邪那岐命の御委託によつて、永く高天原を御治めになるのである。天照大御神と申し奉るのは、忝くも今この世を現に照して居られる天日の御事である。さうして、この天照大御神は、皇孫邇邇芸尊に、「葦原の中つ国をしろしめせ」(日本を御治めになるがよい)と仰せがあつて、天上からこの国土にお降しになつた、その時に、大御神の勅命には、「天つ日継(ひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、天壌(あめつち)と窮まりなかるべし」(皇統の栄えますことは、天地と共に無窮無限である。)とあつたが、この勅命こそ、道の根元であり、大本である。


      神代の事実

 かうして、大体世の中の万般の道理、人の道は種々の事がらに全部備はつてゐて、これに洩れてゐることはない。従つて、真実の道に志を持つてゐる人は、神代の様子をよく/\研究して、何事においても、その神代の事跡を調べて、物の道理をば知るべきである。その神代の種々の事がらといふのは、皆神代の古伝説である。古伝説といふのは、誰が言ひ出したといふこともなく、全く遥かなる上代より語り伝へたものであつて、つまり古事記や日本書紀に記されてゐるものを申すのである。
 さてこの二つの書物に記されてゐる趣旨は、まことに明白であって、何ら疑ひもないことであるのに、後世になつて、これらの神典を説く者が、或は神秘(奥儀)、口伝などといふことを造り出して、とんでもない虚偽を説き教へ、或は外国風の理屈にばかり捉はれて、神代の妙趣を信ずることが出来ないでゐる。前述の如く、世の中の道理といふものは、みな神代の事がらに備はつてゐるといふことをも悟ることが出来ない。すべてわが国の古伝説の趣旨を主とすることが出来ず、外国の説に従つて解釈しようとするから、その外国の言ふ説に合はないことは、全部自分勝手の意見をもつていい加減に自分の好む方に歪曲して説明する。例へば、高天原とは帝都をいふなどと説明して、天上の事ではないとし、また天照大御神をも、ただ日本の遠祖の方であらせられて、この国土にまします神人の如く説き、天日ではないと云つたりする。かうした類は、皆外国の理屈にこびへつらうて、無理にその趣旨にあはさうとする自分勝手の仕方であり、古伝説を殊更に狭く小さく解釈して、古伝説の趣旨も普く行きわたることがなく、大本の精神を失ひ、大いに神典の趣旨に背いてゐるものである。


      世界の本国

 そもそも天と地とは一枚のものであつて、その間に隔てのないものであるから、高天原は万国が同じやうに戴いてゐるところの高天原であつて、天照大御神は、その天をお治めになる御神であらせられるから、宇宙間に、この大神と並ぶものはなく、永久に天地
ある限り、遍く照らしまして、四海万国皆此の御徳光を蒙らないといふことはない。またいづれの国でも、この大御神の御蔭に洩れては、一日片時も存在することは出来ない。このやうに世の中において最も尊く、有難いのはこの大御神であらせられる。ところが外国では、皆神代の古伝説を失つてゐるから、この大御神を尊敬し奉ることを知らず、ただ人智によつて推測した考をもつて、みだりに日月は陰陽の精であるなどと定めておいて、その他に、或は支那では天帝といふものを立てて、この上なく尊いものとして、その他の国でも、種々の道に主と定めて尊奉するものもあるが、それらは皆想像の理屈をもつて云つたり、或は、みだりに説を作り出して云つてゐるものであつて、いづれも皆、人が仮にその名を設けたものではあつても、実際には、天帝とか天道などといふものがあるものではない。一体外国では、このやうに、実態のない物ばかりを尊んで、天照大御神の御蔭の、まことに尊く有難いことをば、知らないでゐるのは、実にあきれたことであるが、わが皇国は、特別の事情があるからして、神代の正しい古伝説が、詳しく伝へられて、この大御神の御由来をも窺ひ知ることが出来、これを尊み奉る道理をも知つてゐるのは、実に有難い御事である。
 さてわが皇国に特別の事情があるといふのは、まづこの四海万国を照らしておいでになる、天照大御神が御出生あそばされた御本国であるから、万国の根元、大本である御国であつて、万事が外国よりはすぐれて結構である。その個々の点を申すことは難かいしいが、その中まづ第一に、稲は、人の命を続かせ保たせて、この上もなく大切なものであるが、その稲が万国にすぐれて比類のないことをもつて、その他のことはこれに準じて知るべきである。ところが、この国に生れた人は、元来稲には馴れてゐて普通のこととなつてゐるから、それに気がつかないのである。幸ひにこの御国の人間と生れたからには、これほどすぐれて結構な稲を、朝夕一ぱいに食べるにつけても、まづ皇神たちの有難い御恩籟を思ひ奉らなければならないことであるのに、さういふ考へさへなくて過すのは、実に畏多いことである。さてまたわが国の皇統は全く、この世をお照らしになる天照大御神の御子孫にましまして、かの天壌無窮の神勅のやうに、万々歳の後までも、御動きになることはなく、天地のある限りは御伝はりになる御事は、即ち道の大本である、この一事が、このやうに、かの神勅のお言葉どほりに実現して、現在少しも違つて居られるところのないことをもつて、神代の古伝説が、虚偽でないこともわかるであらうし、また外国の到底及ぶところではないことをも知るであらうし、前述の特別の事情があるといふ理由もこれで悟るべきである。外国では、いかにも賢さうに、種々の道を説いて、各々自分ひとり尊い国のやうに申してゐるが、その根本である王統が続かず、度々変つて、非常に乱雑であることをもつて、万事その言ふことが皆虚偽であつて、真実でない事を推量すべきである。
 以上のやうに、わが国は、天照大御神の御本国であり、その皇統のお治めになる御国であつて、万国の根元、大本であるところの御国であるから、万国ともに、この御国を奉戴し臣服して、四海の内は皆この真実の道に遵ひ頼らなければ、どうにもならぬ道理であるのに、今日にいたるまで、外国ではすべて、上述の事情を知る者はなく、ただいい加減に、わが国を海外の一小島とばかり考へて、真実の道が、この皇国にあることなどは、もちろん夢にも知らず、妄説ばかり言つてゐるのは、また実にあきれたことであつて、これはひとへに神代の古伝説がないためである。このやうに、外国には古伝説がないから、この事情を知らないのも致し方がないが、わが国には明白に、正しい伝説があるのに、世の中の人はこれを知る事が出来ず、ただかの外国の妄説だけを信じて、その説に捉はれ迷ひこんで、却つて、つまらぬ夷狄の国を尊く思つて尊敬してゐるのは、ますます呆れたことではないか。たとへ外国の説がまさつてゐたとしても、縁もゆかりもない外国の説を用ひるよりは、自分の本国の伝説に遵ひ頼るのが順当な道であるのに、まして外国の説は皆嘘偽りであつて、わが国の伝へが皆真実であるにおいては尚更のことである。
 併しながら、外国風の小利巧な見識が、千有余年の間、心の奥底にしみこんでゐて、その外のことは思はぬ世の中の人々であるから、今このやうに申しても、誰も早速には信じることが出来ないであらうが、総じて外国風の小利巧な意見といふものは、よく考へて見ると、却つて愚かなことである。今一段と高いところを考へて、真実の道理といふものは、人間の考への及び難いことであつて、人間の心に想像するところとは、大いに相違してゐることのあるものだといふことを、よくよく悟らなければならない。またかの外国人の思つてゐるやうに、わが国の人も、この国をば、ただの小国のやうにばかり思つてゐるために、天地の間に行き渡つてゐる真実の道が、かやうな小国にだけ伝はるといふことは、どうであらうかなどと、疑ふ人もあるであらうが、これまた、生半可な一通りの意見に過ぎないのであつて、深く考へないものである。
 一体、物の尊卑善悪といふものは、その形の大小によるものではないから、国も、どのやうに広くても卑しい悪い国があり、狭くても尊く美しい国がある。その中に、昔からの外国の事情を考へて見ると、とかく広い国は、大抵人民も多くて強く、狭い国は、人民が少くて弱いから、勢ひに押されて、狭い国は広い国に従ひつくので、自然と広い国は尊く、狭い国は卑しいやうになつたのであるが、ほんたうの尊卑善悪は、広狭にはよらないものである。その上、すべて外国は、土地は広大でも、いづれもその広大な割合には、田地人民は甚だ僅少である。例へば、支那などは、諸々の夷狄の中では、よい国として聞えてゐるが、それさヘわが国に比べれば、やはり人民は甚だ僅少で、たゞいたづらに土地が広いばかりである。このことは、かの国の書物に、その時代時代の総人口総戸数などを挙げてゐるのと、わが国の戸数人口とを比べて見れば、よく知られることである。また現在においても、わが国の諸国では、同じ一国の中でも、土地は広くても、人民または産物の少い所があり、反対に、狭くても、人民や産物の多い所もあるからして、総じて、土地の広い狭いといふことには、捉はれるべきではないことを悟らなければならない。昔大国・上国・中国・下国、大郡・中郡・下郡・小郡と区別を定められたのも、必ずしも、土地の大小に拘泥したことではないのである。ところが、昔から世の人は此ことを考へないで、土地の広狭をもつて、その国の大小を定めるのは当を得ないことである。わが皇国は、古来、田地・人民が甚だ多く、稠密なことは、全く外国には類がないから、この人口や産物によつて勘定するときは、わが国は甚だ大国であり、殊に豊饒で富裕で、勇武且強盛なことは、いづれの国もよく及ぶものではない。このことも亦特別の事情があることであつて、何事も神代より、皇祖神たちが、このやうに、国々の尊卑優劣をはつきりとしておおきになつたものである。


      儒者の議論の批評

 ところが近世になつて、儒者などが、ひたすらに支那をほめ尊んで、何事も皆かの国だけがすぐれてゐるやうに言ひ立てて、畏くもわが皇国をば、さげすむのをもつて、見識の高いことにして、殊更にわが国をむやみに軽蔑し悪く云はうとして、或はわが国には古くは道はなかつたとか、総じて文化の開けたことも支那よりは遥かに遅れてゐるとか言ひ、或は、わが国の古典の古事記・日本書紀などであつても、これを支那の古書に比べて見ると、遥かに後世の作であると云つて、古伝説を否定し、或は日本書紀の文章を見て、上古の事は皆、後世の造り事であると悪く言つてけちをつけるといふやうな類は、皆例の小利巧な、皮相な一通りの議論であつて、精密に考へないものである。その上、支那の書物にばかり拘泥して心が迷はされ、他にすぐれたもののあることを知らないものであるから、却つて見識もまことに小さく、低級なことであると思ふ。またこのやうに、他国のことを内とし、わが本国のことを、逆に外にするといふのは、自分たちが頼り所としてゐる孔子の道にも甚だ背くものである。
 すべて右のやうな議論の不当なことを言ふなら、まづわが国の古へに道がなかつたといふのは、わが国の方にこそ、真実のすぐれた道のある事を知らないで、ただ支那の道をのみ道と心得てゐる誤りである。この支那の道は、末々の枝葉の道であるから、どんなことを説いてゐたところで、それに拘泥すべきことではない。次に、文化が早く開けたといふ点で、支那をすぐれてゐると思ふのも誤りである。早く文化が開けたやうに見えるのは、実はすべての事が早く変化したからであつて、これ即ちかの国の風俗が悪く軽薄なためである。それはどういふわけかといふと、かの支那は、上古より人の心が小利巧で、すべて物事は、旧いものによることを貴ばず、ひたすらに自分の思慮や工夫によつて改め変へることを、よいこととするのがその国の風俗であるから、自然と世の中の様子が時代を追うて、早く推移し変化したのである。ところがわが国は、正直で重厚な風俗であつて、何事もたゞ昔の事跡に従ひ、これをよく守つて軽々しく自分勝手な智慧で改めるやうなことはしなかつたから、世の中の様子が、時代を追うて推移し変化することも、自然早くはなかつたのである。この重厚な風俗は、今日でもまだ残つてゐるのである。なほついでにこの変化の遅速の優劣を言ふならば、牛馬鶏犬などといふ類は、生れてから成長することが甚だ早いものであるが、人間は、これらに比べて見ると、成長することは甚だ遅い。かうしたことから類推して見ると、すぐれてゐるものは変化することが遅いといふ道理もあるはずである。またかの成長することの早い鳥獣などは、命が短く、人間は遅くて命が長いことから考へて見ると、世の中の様子の移り変ることの早い処は、その国の生命が短く、移り変わることの遅い国は、生存することも、長久なのであらう。その証拠は数千万年を経て後に現はれるはずである。また古書の事を、その著作の時代をもつて論じるのも皮相な議論である。理由は、右に述べた通り、支那は甚だ小利巧で自分勝手な智慧をふりまはすのがその国の風俗であつて、その古書も、各々の作者が自分の心の思ひつきを書き出したものであるから、その書の時代に応じて、古いか新しいかといふ優劣の差が存在するわけであるが、わが国の古へは、重厚な風俗であつて、すべてのことに、自分勝手な智慧をば用ひないで、軽々しく旧いものを改めるやうなことなどはしなかつたからして、古い伝説も、ただ神代から語り伝へられたまゝで伝はつて来たものを、その古伝説のまゝに記されたのが古事記・日本書紀であるから、かの軽薄な支那人の著はした書物などとは、同等に、時代の古い新しいことをもつて論ずべきではない。著作の時代こそ、後ではあつても、その伝説の内容は神代のまゝであるから、支那の古書などよりは、却つて遥かに古いことであるにおいては、尚更のことである。但し、日本書紀は、支那の書籍の体裁を羨んで、漢文で修飾せられた書物であるから、その文章によつて解釈するときには、疑はしいことも多いであらう。だから日本書紀見るには、文章に拘泥せず、古事記と比較して見て、その古伝の内容を知るべきである。大体右に述べた事情などをよく悟つて、すべて儒者たちの小利巧な議論に、迷はされるやうなことがあつてはならないのである。


      吉凶禍福の論

 さて世の中にあるすべての種々の事がらは、大小となく、天地の間に自然に存在することも、人間の身の上のことも、人のするしわざも、皆悉く神の御霊により、神の御計らひによるものであるが、総体神には、尊卑・善悪・邪正さま/゛\の神があるからして、世の中の事も、吉事、慶事ばかりではない。悪事・凶事も混つて、国の乱れなども折々は起り、世のため人のために悪い事なども行はれ、また人間の吉凶禍福などの、正しい道理に当てはまらないことも多いが、これらは皆悪い神のしわざである。悪い神といふのは、かの伊邪那岐の大御神が御禊(みそぎ)をなされたとき、夜見の国の穢れから出現せられた、禍津日神(まがつびのかみ)といふ神の御霊によつて、種々の横しまな事、悪い事を行ふ神たちであつて、このやうな神が、盛んにあばれるときには、皇祖神たちの御守りになる御力にも及ぶことがお出来にならないこともあるのは、これ即ち神代からの有様なのである。さて正しい事、良い事ばかりではなくて、このやうに、横しまな事、悪い事も必ず混つてゐるのは、これも亦さうあるべき根本の道理があるのである。その委しい事情などについては、「古事記伝」に述べて置いたが、あまり長くなるので、ここには言ひ尽しにくい。
 さて夜見の国の穢れといふことについて、一二云ふべきことがある。まづ夜見といふのは、地下の根底にあつて、根国(ねのくに)・底国(そこのくに)とも云ひ、甚だ汚なく悪い国で、死んだ人の行くところである。その始めは、伊邪那美尊(いざなみのみこと)がお崩(かく)れになつて、この夜見の国にお行きなつたが、黄泉戸喫(よもつへぐひ)と言つて、その国で煮炊(にたき)した物をお食べになつた穢れによつて、永久にこの顕国(うつしくに)(現在の国、地上の国)にお帰りになることが出来ず、この穢れによつて、遂に凶事悪事の神となられて、その穢れから、かの禍津日神(まがつびのかみ)が出現せられたのであるから、この道理をよく思つて、この世で最も深重に忌み慎まなければならないものは、物の穢れである。かくて世の中の人は、貴い人でも賤しい人でも、善人も悪人も、みな悉く、死ねば必ずかの夜見の国に行かないわけにゆかないのは、まことに悲しいことである。このやうなことをいふと、たゞもう大へんに浅薄なことであつて、とりとめもないことのやうに聞えるが、これ神代のほんたうの伝説であつて、不思議な道理がそのやうにあらしめたことであるから、なまじつか人間の平凡な智慧などで、とやかく思案すべきことではない。ところが、外国では様々の道を作つて、人の生死の道理をも面白く賢さうに説くことではあるが、それは、或は人知の当て推量の理屈をもつて言つたり、或は世の中の人が成程と信ずることが出来るやうに、都合よく造つたものであつて、いづれも面白くは聞えるけれども、皆嘘偽りであつて真実ではない。総体、人間が賢さうに造り上げた意見などといふものは、尤もなやうに聞え、真実の伝説は、却つて、浅薄で愚かなことのやうに聞えるものではあるが、人間の智慧には限りがあつて、人知では測り知られぬところも多いのであるから、すべてその浅薄で愚かに聞えることに、却つて無限に深い不思議な道理が存在するものであるのを、いたらぬ人間の智慧によつて、このことを疑ひ、かの造りごとの尤もらしく聞える方を信じるのは、自分一個の心を信じるといふものであつて、却つて甚だ愚かなことである。


      人情の自然

 かやうに人が死ねば、妻子・眷属・朋友・家財、その他万事をふりすてて、馴れたこの世に永く別れ去つて、再び立ち還つて来ることも出来ず、必ずかの穢い夜見の国に往くことであるから、世の中に死ほど悲しいことはないものであるのに、かの外国の種々の道においては、或はこれを深く悲しんではならぬ道理を説き、或はこの世においてのしわざの善悪や心の処置のし方によつて、死後、どうなつて行くかといふことをも、いろ/\と広く且詳しく説いてゐるため、世の中の人が皆これらに迷つて、そのやうな説を尤もなことと思ひ、信仰して、死を深く悲しむことを愚かな心の迷ひのやうに考へてゐるから、これを恥かしく思つて、強ひて迷はぬふりをしたり、悲しまぬ様子をよそつたり、或は辞世などと言つて、大袈裟に悟りきつた風の
言葉を遺したりなどするのは、すべてこれは皆大きな偽りの造りごとであつて、人情に背き、真実の道理にはかなはないことである。すべて喜ぶべきことをも、それほどに喜ばず、悲しむべきことをも、それほどに悲しまず、驚くべきことにも驚かず、とかく物に動ぜぬことを、よいこととして貴ぶのは、皆外国風の嘘偽りであつて、人間の真実の感情ではなく、まことに厭はしいことである。就中死といふことは、殊に悲しまずには居られぬことであつて、国土や万物をお造り上げになり、世の中の道をお始めになつた伊邪那岐の大御神でさへ、かの女神のお崩(かく)れになつたときには、全く小供のやうに、泣き悲しみもだえあそばされて、かの夜見の国まで慕つておいでになつたではないか。これがほんたうの感情といふものであつて、世の中の人も必ずそのやうになくてはならぬ道理である。それゆゑ、上古の、未だ外国の説が混らなかつた以前、人の心が素直であつた時には、死んだ後どうなつて行くのであらうかといふやうな理屈などを、とやかくと工夫するやうな、無益な小利巧な意見はなくて、ただ死ねば夜見の国に行くものであると、道理のまゝに心得てゐて泣き悲しむより外のことはなかつたのである。


      政道の論

 一体これらのことは国家の政治などには必要のない申しごとではあるが、皇神(すめがみ)の道と外国の道との、真偽の差別を知る心得にはなることである。
 さて、この世の中に、悪いこと、横しまなこともあるのは、皆悪い神のしわざであるといふことを、外国では知ることが出来なくて、人間の禍福などの、道理に当てはまらぬことのあるのをも、或は皆因果応報であると説いてこじつけたり、或はこれを天命、天道と言つてすましてしまふ。併しながら、因果応報の説は、上にも述べたとほり、都合のよいやうに作つたものであるから、論ずるには足りない。また天命、天道といふのは、支那の上古において、殷の湯王、周の武王などといふ者が、主君を滅ぼして、その国を奪ひ取つた大逆の罪を云ひのがるために、道理の通らないことをも、無理に通しておかうとするための、こじつけの言葉であると知るがよい。もし実際に天の命、天の道であるならば、何事も皆、必ず正しく道理のまゝに有るべきはずであるのに、世の中には、道理に当てはまらないことが多いのは、どとうしたことであらうか。つまり、これらも皆、神代の真実の古伝説がないからして、さま/゛\に都合のよいやうに造り上げた説なのである。
 さて右のやうに、善悪邪正のさま/゛\のことがあつて、或は、天照大御神の皇統にまします朝廷をも、軽んじ申し上げて、横しまなことをほしいまゝにやり、武威を振つた北条、足利のやうな逆臣も出て来て、かういふ者にも天下の人が靡き従ひ、朝廷は大いに衰へさせられて、世の中の乱れた時などもないわけではないが、併しながら、悪は遂に善に勝つことは出来ぬといふ神代の道理、及びかの宝祚の永遠に栄え給ふといふ神勅の大本は動くべからざることであるから、さやうな逆臣の家は、遂に皆滅び亡せて跡かたもなくなり、天下はまたしてもめでたく泰平の御代に立ち返り、朝廷は厳然としてお動きになることはない。これはどうして人力のよくすべきところであらうか。また外国のよく及ぶところであらうか。
 さて右のやうに、中世に朝廷が大いに衰へあそばされたことがあつたのは、天下が乱れたためにお衰へあそばされたのであると思ふのは、普通の考へ方ではあるが、実際は、朝廷がお衰へあそばされたために、天下が大いに乱れて、すべてのことも衰へ棄たれたのである。この道理をよく思はなくてはならない。そもそも、かの足利氏の末頃の時代は、前代に未だかつて見ない有様であつて、天下は常闇に変るところがない。すべての事が、この時にいたつて、全部衰へ棄たれて、ほんたうに破壊乱世の頂上であつた。ところが、織田、豊臣の二将が出られて、横しまな乱世を取り鎮めて平定し、朝廷の御再興を図り、尊皇の誠を尽して、世の中も漸く泰平に赴いたが、その後、遂にまた今のやうに天下がよく治まつて、古へにも類稀なほどまで、めでたい結構な御代に立ち帰つて、栄えるといふことは、ひとへにこれは徳川家康の勲功、盛徳によるものであつて、その勲功、盛徳といふのは、まづ第一に、朝廷が甚だお衰へになつてゐたのを、かの織田、豊臣の二将の事跡に倣つて、なほも次々にと御再興申しあげ、いよいよますます御尊敬を厚く深くして、次第に諸々の武士や万民をも愛撫し治められたことが即ちそれである。此の立派なおしわざは自然と真実の道にかなひ、天照大御神の大御心にもかなはせられて、天神・地祇も、手厚い御加護を垂れ給ふからして、このやうに御代がめでたく治まつてゐるのである。かやうに云ふのは、何も時世にこびへつらつて、いゝ加減にいふのではない。現に徳川家の武運が隆盛であつて、天下が長い間泰平無事であるのは勿論のこと、また前代には未だかつてなかつた結構なことなどが、いろ/\とこの御代から起つてゐることなど、あれやこれやを考へ合せて、そのさうであることがわかるからである。
 一体、武将の政治は、かの北条、足利のやうに、大本でまします朝廷を重んじ奉ることが闕けては、たとへどれほど仁徳を施し、諸々の武士をよく手なづけ、万民をよく愛撫しても、皆これは自分一個のための智慧たくらみであつて、道にかなふことではない。この点が、わが国と外国とが、その根本の大いに違つてゐるところなのである。そのわけは、外国には永く定まつてゐる真実の主君といふものがないから、ただその時代その時代で、世の中の人をよく靡かせ従へさせてゐる者は、誰でも王となるのがその国の風俗であるから、その道として立ててゐるところの趣旨も、その国の風俗によつて立てたものであつて、主君を殺して国を奪ひとつた賊でさへも、道にかなつた聖人と仰ぐのである。ところがわが皇国の朝廷は、天地の果てまで永久に照しておいでになる天照大御神の御皇統であらせられて、取りも直さず、その大御神の神勅によつて、お定まりになつてゐるところであるから、万々年の末の時代においても、日月が天にまします限り、天地の変らない限りは、どこまでも、この朝廷を大君と奉戴して畏み敬ひ奉らなければ、天照大御神の大御心にかなひ奉ることが出来ず、この大御神の大御心に背き奉つては、一日片時も存在することが出来ないからである。ところが中世に、この道に背いて、朝廷を軽んじ申し上げた者でも、暫くは子孫までも栄えて、驕つたやうなこともあつたのは、ただかの禍津日神(まがつびのかみ)のした凶事であつて、どうしてこれを正しい道の手本とすることが出来ようか。ところが、世の中の人は、この根本の道理、真実の道の趣旨を知らないで、儒者などは、小利巧な智慧をふるつて、むやみに各々の時代の得失を論じ、皆ただ外国の悪い風俗の道の趣旨を手本として、或はかの逆臣であつた北条の政治などをも、正道であるかのやうに論ずるなどは、いづれも根本のところが違つてゐるから、どれほど正論のやうに聞えても、つまりは真実の道にかなはぬことである。下々の者は、たとへこの大本を取り違へても、その身一身だけの損失であるに反し、かりにも、一国一郡をも領有してゐる主君、またはその国の政治を執り行ふやうな人などは、道の大本をよく悟つてゐないでは、すまされぬことである。それで末梢的な小さいことのためには、支那の書をも適度に学んで、都合によつては、その方のことをも混へ用ひてもよからうが、道の根本のところにいたつては、上述の趣旨を、よくいつも心にしつかりと把握して、これを忘れてはならないことである。一体、国がよく治まるか、または乱れるかは、下の者が上の者を敬ひ畏れるか否かにあることであつて、上にある人が、その上を厚く敬ひ畏れるならば、下にある者もまた次々にその上にある人を、厚く敬ひ畏れるやうになつて自然と国がよく治まるものなのである。
 さて今日の御代といふのは天照大御神の御計らひと、朝廷の御委任とによつて、徳川家康から以下次々に、将軍家が天下の政治を執り行つて居られる御代であつて、その政治を、また一国一郡と分けて、大名たちが各々これを預かつて居る状態であるから、その各々の領内の民も全く自分一個の民ではなく、国も自分一個の国ではなくて、天下の民は皆、今日これを徳川家康以下の代々の将軍家に、天照大御神が御預けになつた御民である。国もまた天照大御神が御預けになつた御国である。従つて、かの家康が定められたことや、代々の将軍家の掟は取りも直さず天照大御神のお定め御掟であるから、殊に大切に思つて、この御定め御掟に背くまい、これを頽(くづ)すまいとよく守つて、またその国々の政治は、天照大御神から次々にと次第して預かつてゐる国政であるから、出来るだけ大切に執り行はなければならないことであり、民は、天照大御神からお預かり申し上げてゐる御民であるといふことを忘れないで、これもまたまことに大切に思つて、養ひ育て愛撫しなければならないことは、大名として甚だ重要なことであるから、下々の事務を執り行ふ人々にも、この趣旨をよく示して置いて、心得違ひのないやうにいつも気をつけておかなければならないことである。
 さてまた上に述べたやうに、世の中の有様は、万事皆善悪の御所為であるから、よくなるのも、悪くなるのも、最後のところは、人力のよく及ぶことではない。神の御計らひのとほりでなくては、物事は出来て来ないものであるから、この根本のところをよく心得てゐて、たとへ少々は国のために悪いことであつても、従来存在してゐて改めにくいやうなことは、急にこれを除き改めようとしてはならないことである。改めにくいものを無理に急に直さうとすると、神の御しわざに逆らつて、却つてやりそこなふこともあるものである。すべてこの世の中には、悪事でも凶事でも必ず混らなくてはあり得ない神代の深い道理があることであるから、とにかく、十分に善事や吉事ばかりの世の中にするといふことは、到底出来ないことと知らなければならない。ところが、儒道などでは、隅から隅まで掃き清めたやうに、世の中を善事ばかりにしようとする教へであつて、到底それは不可能な無理なことである。それであるから、かの聖人といはれた人々の時代においても、その国中に、悪事や凶事がなかつたといふことは不可能であつたのではないか。また人間の智慧は、どれほどに賢くても、程度があつて、想殺することの不可能なところは、到底考へ知ることが出来ないものであるから、善いことと思つてすることでも、実際には、悪く、悪いと思つて禁ずることも、実際には、さうではない場合もある。或はまた、今は善い事でも将来のためには悪く、今は悪い事も、後のためには善いといふ道理もあつたりするのを、人間にはどうしてもわからないこともあるのであつて、すべて人間の考へでは理解の出来ないことが多いから、とにかく世の中のことは、神の御計らひによらなくては、どうにもならぬことである。


      顕事・幽事

 それなら何事もただ神の御計らひにお任せして、よくても悪くても、なりゆきのまゝに捨てておいて、人間はこれを少しもいじくつてはならないものなのかと思ふ人もあるであらうが、これもまた大いに間違つた考へである。人間も、人間の行はなくてはならないだけのことは、これを行ふのが、人間の道であつて、その上で、そのことが成功するか成功しないかといふことは、人力の及ばぬところであるといふことを悟つて、無理なことをしてはならないのである。
 然るに、人間の行はなければならないことだけでも行はないで、ただなりゆきのまゝに捨てて置くのは、人の道に背いてゐる。このことは、早く神代に定まつてゐる趣旨があるのである。
 大国主命が、この天下を皇孫瓊瓊杵尊にお譲り申し上げて身を避けられ、天神(あまつかみ)の勅命に帰順し奉られたときに、天照大御神と、高皇産霊神(たかみむすびのおほかみ)の仰せ言で、御約束の事があつた。その御約束に、「今から後は、世の中の顕事は、皇孫の天皇がこれを知ろし召すがよい。大国主命は、幽事(かみごと)を知ろし召すがよい」とあつて、これは万世の後までも易(かは)る事のない御定めである。幽事といふのは、天下の治乱・吉凶・人の禍福など、その外のことでも、すべて、何者のすることともはつきりとは知れないで、冥々のうちに神のなし給ふ御しわざを言ひ、顕事といふのは、世の人の行ふ事業であつて、世にいふ人のしわざであるから、皇孫の天皇の御上で顕事と申し上げるのは、即ち天下をお治めになる御政治の御事である。かやうにして、この御約束によつて、天下の政治でも何でも、皆ただ幽事に任さなければならぬとは御定めにならず、顕事は皇孫の天皇が知ろし召すべきものであるとある以上は、その顕事の御行ひがなくてはならず、また皇孫の天皇が天下をお治めになる顕事の御政治がある以上は、現在これを分ち持つて預つてゐる各国々の顕事の行政もまたなくてはならないことである。これが即ち人間も、その身分身分に応じて、必ず行はなくてはならないだけのことは行はずには居られない道理の根本なのである。
 さて世の中のことは皆神の御計らひによることであるから、顕事と言つても、つまりは幽事以外のことではないが、やはりその間に差別のあることであつて、その差別は、譬へば、神を人とすると、幽事は、人の動くやうなものであり、世の中の人間は人形で、顕事はその人形に首や手足などがあつて、それが動くやうなものである。かやうにして、その人形がいろいろに動くのも、実はこれも人が人形を遣ふからのことではあるが、人形の動く所はこれを遣ふ人とは別にあるのであつて、人形に首や手足などがあつて、それがよく動くからして、そこに人形の人形たる所以があるのであるが、首や手足もなく、動く所もなかつたなら、何を人形の人形たる所以としようか。
 さて大国主命と申し上げるのは、出雲の大社の御神であつて、最初にこの天下を経営せられ、また多勢の神々をひきゐられて、右の御約束のとほりに、世の中の幽事をつかさどつて行なつて居られる御神でおいでになるから、天下中の人々は、上下ともに恐れ畏み敬ひ尊み奉らなければならない御神であらせられる。一体、世の中のことは、神の御霊によらなくては何事も出来ないものであるから、明暮、その御恩徳を忘れず、天下国家のためにも、各々の身のためにも、種々の神々をお祭りするのは、大切なことである。善い神を祭つて、幸福を祈るのはもちろんのこと、また禍を免れるために、荒々しい神を祭つて、その御心を和げるのも、古への道である。ところが「人の吉凶禍福は、各々の心の正邪、行ひの善悪によることであるのに、神に祈るのは愚かなことである。神がどうしてこれを聴かれようか」などと云ふのは、儒者の普通の論ではあるが、かやうに自分勝手な理屈ばかりを云ひ立てて、神事を粗末にするのは、例の小利巧な支那の意見であつて、これは、神には悪い神も居らて、横しまな災ひのある道理を知らないための誤謬なのである。


      人の行ふ道

 さてかの顕事(あらはにごと)の国々の行政のし方、並に一般の人の行ふべき事業は、どのやうなのが、真実の道にかなふものであるかといふと、まづ上古において、天皇の天下を御治めになつた御方法は、古語にも、「神随(かむながら)天下(あめのした)知ろし召す」(神の御心のまゝで天下をお治めになる)と申し上げて、ただ天照大御神の大御心を大御心として、万事神代に定まつてゐる事跡のまゝにお行ひになり、その中に、御心でお定めになりにくいこともあるときは、御卜占(うらなひ)によつて、神の御心を問ひただされお伺ひになつて行はせられるのであつて、総じて何事でも、大抵は御自分の御智慧の御意見をお用ひにはならなかつたが、これが真実の道にかなつた正しい御行ひのし方である。その時代には、臣下たちも下万民も、同じやうに心が素直で正しかつたから、皆 天皇の御心をわが心として、ただひたすらに、朝廷を畏れ慎んで、上の御掟のまゝに従ひ守つて、少しも各々の利巧ぶつた意見を立てるやうなことはなかつたからして、上と下とがよく和合して、天下は立派に治まつたのである。ところが支那の道を混へ用ひられる時代になつては、自然とその理屈ばつた風俗に感化せられて、人々の自分勝手な利巧ぶつた意見が出て来るにつれて、下々も上の御心を自分の心としないやうになつて、万事が面倒で次第に治めにくくなつて、後には遂に、かの支那の悪い風俗と大して変らぬやうにもなつたのである。一体かやうに、西の方の外国から、さま/゛\の事、さま/゛\の物が渡来し輸入せられて、それを取り用ひるのも、皆善悪の神の御計らひであつて、これもまた、そのやうになつて来るはずの道理のあることである。そのわけを述べると話が長くなるから、ここでは云ひ尽すことがむづかしい。さて時代が推移するに従つて、右のやうに、世の中の有様も人の心も変つて行くのは、自然の勢ひであるといふのが普通の議論であるが、これは皆神の御しわざであつて、実は自然の現象ではない。さてそのやうに、世の中の有様の推移するのも皆神の御しわざである以上は、人間の力の到底及ばないところであるから、その中によろしくないことがあるからといつても、急に改め直すことの出来にくい点も多いのである。然るに、古への道によるとしても、上の政治も下々の行ひも、無理に上古のやうに、これを立て直さうとするときは、神のその時の御計らひに逆らつて、却つて道の趣旨にはかなひにくいものである。現代の世の中の国家の政治は、また現代の世の中の様子に従つて、今日の上(かみ)の御掟に背かず、今まで存在して来たとほりの形をも頽(くづ)すことなく、証例のあることはよくこれを守つて政治を執り行ふのが、即ち真実の道の趣旨であつて、とりも直さず、これがかの上古の神の御心のまゝにお治めになつた趣旨にもかなふのである。尤も、刑罰なども、許されるだけは寛大にして許すのが、天照大御神の御心であつて、神代にその証例がある。併しながら、また時に臨んでは、やむを得ずしなければならないやうなことがある場合のやり方としては、上古でも、謀叛をするやうな者があるときなどは、多勢の人を誅戮して征伐をせられたこともあるやうに、これもまた神代の道の一端であるから、今の世の中であつても、それになぞらへて、何事によらず、その事その時の様子によつて、適宜の処置をしなければならないことである。
 次に、下々の一般の人の身の行ひ方は、どうすればよいかと言ふに、まづすべて、人といふものは、かの産霊大神(むすびのおほかみ)の産霊(むすび)の御霊(みたま)によつて、人のつとめて行はなければならないことだけは、もとからすべて身に具へて生れて来たものであるから、各々が必ずつとめて行はなければならないほどのことは、教へを俟たなくてもよくつとめて行ふものである。例へば、君によく仕へ奉り、父母を大切にし、先祖を祭り、妻子や召使ひをあはれみ、人々ともよく交はつたりなどするといふやうな類、また各々の家業をつとめることなどは、みなこれは人間として必ずよくしなくてはならないことであるから、誰でも身に具へてゐる程度だけは、外国の教へなどを借らなくても、もとより皆よく考へ悟つてゐることで、十分につとめて行ふことである。ところが、その中にはまた、心がけが悪く、右の行ひなどの闕けた者も、世には往々あるもので、人のためにも世のためにも悪い事を企てて行ふ者などがあるのは、これもまた悪い神のしわざであつて、さういふ悪い者も、絶無であるといふことが出来ないのは、神代からの道理なのである。
 人間ばかりではなく、すべての物も、よい物だけを揃へるといふわけには行かないで、中には悪い物も必ず混つてゐるものであるが、それらの甚だ悪い物は、棄てることもあり、また悪いところを直したりすることもあるのであるから、人間でもさういふ悪い者を教へて過ちを直すのもまた道であつて、これが即ちかの橋の小門(をと)の御禊(みそぎ)の道理である。併し、大体神は、物事を寛大にして、許されることは、大抵は許されて、世の中の人がのんびりと打解けて楽しんでゐるのを御喜びになることであるから、それほどに悪くない者までを、なほも厳しく教へ諭すやうなことはしないでもよい。このやうに、人の身の行ひを、あまり詳細なことまで匡正して窮屈にするのは、皇祖神たちの御心にはかなはぬことであるから、大してその益がなく、却つて人間の心が狭苦しく小利巧になつて、多くは悪くなるばかりである。このやうに、教へが詳細で末梢的な支那の国などでは、邪知が深くて姦佞な者が、殊に多く居つて、その時代時代の国が治まりにくいのをもつてしても、その証例を見ることが出来るであらう。ところが、この道理を知らないで、一般の人を厳しく教へ立てて、全部を立派な善人ばかりにしようとするのは、かの支那風の無理なしわざであつて、これを譬へて見ると、一年の間を、いつも三四月の頃のやうに、穏かで暖かい季節にばかりしておかうとするやうなものである。寒暑は、人間でも、何でも、苦痛なものであるが、各夏の時候もあるからして、万物が、よく育成するのである。世の中もそのとほりで、吉事があれば必ず凶事もあるものであり、また悪い事があるのによつて、善い事は生じるものである。また昼があれば、夜もあり、富める人があれば、貧しい人もなくてはならぬ道理である。それゆゑ、上古に道の正しく行はれた時代であつても、やはりこの道理のとほりであつて、悪い人もその時代時代に居つて、それはその悪いしわざの軽重に従つて、上(かみ)においてもお許しにならず、人々も許さなかつたことなのである。併しながら、上古は、悪い者は悪いが、一般の人は、心が素直で正しく、ただ上の御掟を恐れ慎しんで守り、その身分身分に応じて、行はなければならぬ身分相応のしわざを行つて、世を過したのである。それであるから、今日の世の中においても、同じことで、悪いことをする者は、その軽重によつて、上よりもお許しにならず、世の中の人も許すことがないからして、その他の人は、少しくらゐ道理にあはないことなどがあるからと言つても、むやみに人を深く咎めたりしないでもよいことである。今の世の中の人は、ただ今日の御上(おかみ)の掟を、よく慎しんで守り、自分一個の勝手な利巧ぶつた妙な行ひをするやうなことなく、今日この世で、行なつてもよい程度だけのことを行ふより外のことがあつてはならない。これが即ち神代から伝へられた真実の道の趣旨なのである。謹んで記す。            本居宣長


以上、藤田徳太郎『国学者論集』による。
本居宣長は、1730(享保15)〜1801(享和元)。
藤田徳太郎は、1901〜1945。
同書の奥付。
国学者論集
定価二円五十銭
昭和十七年五月三十日印刷
昭和十七年六月五日発行
著作者 藤田徳太郎
    本郷区根津西須賀町五番地
発行者 相賀ナヲ
    東京市神田区一ツ橋二ノ五
印刷所 三光社印刷所
    東京市神田区猿楽町二ノ九
印刷者 加藤鎌次郎
    東京市神田区猿楽町二ノ九
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