『徳川義臣伝』
菊池真一所蔵。明治16年9月出版。岡田良策編輯。金松堂出版。小本。紫色表紙。和装。銅版。題簽・扉題に、「明治戦記」の角書あり。題簽下部に「甲」とあるから、「乙」本もあるか。未見。序記は「明治十二年九月」。半丁(1頁)の下段に人物名と図と和歌(俳句の場合もあり)、上部に人物伝概略を記す。50人掲載。明らかな誤字は訂正した。
[松平肥後守][松平越中守]
[丹羽左京太夫][板倉伊賀守]
[山川大蔵][牧野越中守]
[大久保一翁][勝安房守]
[永井玄蕃][榎本和泉守]
[小笠原壱岐守][大鳥圭介]
[安藤鶴翁][跡部遠江守]
[池田大隅守][近藤勇]
[松平太郎][佐久間近江守]
[久保田備前守][小笠原伊織]
[林昌之助][大久保紀伊守]
[永井主水正][比留間良八]
[新井鐐太郎][榊原健吉]
[芳賀織部][今井四郎太]
[中根量蔵][滝川倉之助]
[大久保主馬][平山弥三郎]
[大矢内竜五郎][坂田信吾]
[内山政太郎][中条金之助]
[天野八郎][新開儀三郎]
[近藤武雄][糸賀藤三郎]
[妻木主膳][伊庭八郎]
[加藤下総守][水野日向守]
[土方歳三][伊東三郎]
[相馬翁輔][加藤平内]
[竹中春山][酒井才助]
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奥州会津の城主にして廿八万石を領し徳川十四代の将軍に従ひ京師にあり此時也長藩頻りに洛中を伺ひ不慮の戦争にも之れに打勝浪士のふつとうに及ぶも直ちに鎮静に至らしめ先帝の御感浅からず然るに十五代慶喜公の御代に至り伏見鳥羽の戦争より本国会津に籠城に及び兵を八方に出して官兵を防ぎ数十度の戦ひに寄手大ひに敗るゝと雖も官軍会兵の武勇を感ぜしといふ明治元年九月廿四日降伏し方今華族にして其芳名高し
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若松に見し夢さめて悔をのみ田なべの里に伏ぞわづらふ
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勢州桑名の城主たり会津中将と倶に京師にあり此時徳川慶喜公大政を奉還せられ大坂に退かれしが再度上洛の折柄は会津と侶倶に先降たり頃は慶応四年正月三日のことにして伏見の関門に到りし時俄かに戦端を開き双方の死傷も多かりしが幕兵敗るるに及んで海路江戸に遁れ会津城に拠り屡兵を交へて戦ひ尤も烈しく然れども衆寡敵せずして降り今華族たり
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国守るますらたけおはさりなからゆくへはかれぬ世の姿かな
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奥州二本松の城主なり慶応四年松平肥後守朝敵の名あり官軍大挙して進み来るの際丹羽家に於ても会津に荷担し兵士を八方に出して官兵に抗す然るに白川城忽ち陥るに及んで脱兵を始め四方に散ず官軍勢ひを得て二本松城に迫る諸士城中に立こもると雖も遂に大手を破られ敵城中に乱入す藩主搦手より落て会津城中にのがれ其後くだりて今華族に列せられてあり
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初秋は草木にのみの露なるをつひに袖にもくだすなるらん
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板倉伊賀守は幕府の代には閣老にして慶喜公と共に京師にあり大坂に退き又江戸に返る此時諸士東北に脱走するを以て伊賀守も走る然るに脱兵振はず大敗の時彦根の軍門に降りて宇都宮城中にあり時に大鳥圭介大兵を率ひ結城を落し進んで宇都宮城を攻落す伊賀守城中にあるを以て脱兵之れを奪つて去る板倉勝静之れより会津に走り又函館におちのちくだりしといふ
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心あらば筑波の山のほとゝきす君が旅寝をなくさめてなけ
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山川大蔵は会藩の国老として文武共に秀でたる人なり藩主朝敵の名を受たるより大ひに憤激して藩士を八方に出張せしめ其身も又諸軍を総轄して官軍を防くに尽力す後藩主降らるゝに臨みて刑に就かん事を願ひ後幽閉せられたるも幾程も無く官途に就き陸軍中佐を拝命す佐賀の役には衆にぬきんで城中に入り重手を負たるにより非役士官となり鹿児島の役にも軍功ありしときく
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若松の下枝の嵐吹かへて薩摩の灘に波立にけり
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越後長岡の城主なり戊辰の変革には幕府を再度興さんと藩士及ひ会藩江戸の諸脱士を城内に籠らせまた各所に出張せしめて大ひに戦ふ此時や東北諸々の戦争尤も烈しと雖も長岡の如きは又激烈にして両軍の死傷殊に多く一度城陥ると雖も又これを復し其後官軍の拠る処となるに及んで藩主は会津に落尚ほ脱士をつのりしば/\抗撃せしも後降られたりといふ
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山深み雲井はるかにめつらしく声きこゆなり山ほとゝきす
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大久保一翁は徳川家の臣にして博学多識始め右近将監といふ大監察使たり後長崎奉行にうつり越中守に任せらる慶応三年若年寄となる翌年王師東下するに際し慶喜公の内命を蒙り百方尽力して江戸に事なからしむ明治五年に東京府知事を拝命し同九年に教部少輔に転し十年に至つて元老院議官をはいめいし今尚ほ勤続せらる
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ちりはらひちりはらひても払えぬ心のちりよいかにしてまし
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勝安房守は始め麟太郎といふ安政年中幕命に依て操船の術を長崎に学びのち海軍奉行となり又欧州へ使ひす此君博学非凡にして門に入るの英傑尤も多く維新の官軍東下するに際し慶喜公の内命を受て東西にほんそうし遂に江戸に事なからしむるに至る後召されて参議に任せられ又海軍卿を兼らる然れ共幾程もなく其職を辞し専ら雪月花を友として娯まれける
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五月雨にしばしは濁れ隅田川すむを常なる世にしあなれは
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永井玄蕃は幕臣にして尤も強勇の聞あり榎本以下の人々と共に品川沖より軍艦に乗じ直ちに函館に走り上陸に及んで江刺を攻て破り又松前城をも乗取大ひに勢を得てより榎本を総裁と為し其身も又副総裁を兼て遂に五稜郭をも陥れます/\官軍と相戦ひ頗る両軍に其名を知らる海陸の兵大挙して悉く脱兵の得る処となる其後諸士に代り降伏す
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飛ちがふ弾丸の日毎にたへぬより今に小鳥の陰さへも見す
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榎本は通称を鎌次郎と称す諱は武揚梁川と号す幕府瓦解の際には開陽丸といふ軍艦に乗じ以下六艘を率ゐて品川を脱し直ちに函館に上陸す榎本は海軍に熟し頗る軍略あるを以て其機図りて陸軍には大鳥之れに応じて尽く地を得るにより衆議に依て総裁に仰がれたり明治二年の春官軍大挙して迫るに及んで之れに当る又敵味方驚かしむ後衆に代りて降られ当時は正四位にて全権公使となり北京に赴かれたり
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沖なかのそなれ洲崎を立鳥も見ゆはかりなる秋の夜の月
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小笠原壱岐守は幕府の頃は執政にして慶喜公に従ひて始め京師にあり大政奉還の砌りには大ひに意存を述伏見の戦争より大坂に退きまた江戸に遁る然るに公は上野に恭順謹慎せらるゝを以て意をけつし板倉伊賀守と相謀りて脱走し尚ほ大ひに奥羽の諸藩を説きもつはら官軍に抗し幕府を再こうなさんと謀るも奥羽一敗の後は遂に降られたり
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賑ひをむかふる年は来ぬれども淋しさまさるあさましの世や
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大鳥圭介は歩兵頭なり其性剛強博学非凡精兵を率ゐて江戸を脱し結城の城を陥し進んで宇都宮城を抜き官軍為めに破るゝ事数十度に及び諸藩大鳥の指揮に驚くといふ夫れより日光に留ります/\兵を諸方に出し又会津に落て大隊長となり奥州一敗の後は函館に到り榎本松平等の諸士謀り屡々官軍をなやまし降りて後は工部省に奉職し今は従四位勲二等にして元老院議官なり
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水や空そらや水とて見へわかぬかよひてすめる秋の夜の月
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奥州磐城平の城主にして幕府の世閣老たりし安藤対馬守の父なり隠居の後鶴翁といふ戊辰の役江戸の脱兵陸続と落来るの時彰義隊の惣隊長池田大隅守諸兵を率ゐて来る鶴翁時に城中にあり藩士は江戸にありて不在なりしも鶴翁池田其他を城中に入れ以て官軍に抗す筑後備前大村以下の藩兵磐城平を囲み日夜戦争に及ぶ両軍大ひに死傷あり遂に防戦の協はざるより城を自焼して走り後降るといふ
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木かくれに残れる花もちりはてゝ名残ぞ惜き春の暮かな
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跡部遠江守は水野越前守の舎弟にして頗る智略大度あり幕府の世には目付役を除くの外勉めざるの役なく大坂町奉行たりし時大塩平八の暴動ありしも忽ち尽力して鎮撫為さしむ之れより其名全国に噪がし江戸町奉行となりて又大ひに改革する処あり市民皆よろこぶ夫れより後次第に昇進す慶応三年若年寄となり当今議官たる大久保大給の両君らと共に国事に尽力す瓦解の際隠居して楽善と号す又朝廷屡々徴も老年なるを以て辞し年七十余にて卒す
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争はず靡きもやらぬ青柳の枝ふし垂て風に動かす
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池田大隅守は幕府の臣にして勇気絶倫文武に長ぜり上野屯集の彰義隊の惣隊長となり山内にあり此時官軍諸方の口により無二無三に攻寄来るに大隅守は輪王寺宮を守護し八方下知を伝へて防がせしも寄手の進撃するどくして遂に黒門口の破れしゆへ宮を落しまいらせ夫れより千住に至り熊本勢を破りて奥州に落磐城平の城により再び官軍に抗し弾丸尽たるより城に放火して函館に落后降りて英明をのこす
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都にて思ひしよりも面白しまた陸奥の花そ夕ばへ
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近藤勇は武勇衆に秀で当時其英明尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るゝ中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せず(ママ)して敗軍なし残兵を率ゐて走りけるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇を捕へんとす勇力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる
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君のため身を棄てこそ丈夫の猛き心を四方にしめさん
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松平太郎は幕府の臣にして文武両道に熟達したる英傑なり瓦解に臨み諸士の脱走するを見て大鳥等と深くしめし合せ始め両野二州の間をほん走して官兵の様を伺ひ或は味方の内情を探り又奥羽の諸藩降の後は函館に落榎本以下の人々と倶に相謀つて海陸の軍備を整へ以て官兵に抗し頗る武名を現はせり然れ共弾薬尽く竭人心皆労するを以て降後官に徴されて今芳名の高し
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月かけに晴て隈なくうつ浪は函館山のさほ鹿の声
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佐久間近江守は歩兵頭なり慶喜公に随ひて京師に在勤し又大坂に退く内府上洛せらるゝに際し歩兵一大隊を率ゐて会桑二藩の後に続き伏見関門の間近く至る然るに忽ち戦端を開きしかば近江守は歩兵に指揮なし会藩をたすけて戦ひしが官兵尤も烈しく左右よりして攻撃為すにぞ東軍大ひに乱れかゝるを茲破られては協はじと自ら陣頭に馬を進め縦横相当つて遂に乱軍中に討死す
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東にはけふを限りの命とぞ知らでや人の我をまつらむ
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久保田備前守は歩兵頭なり佐久間近江守と倶に京師にありしが伏見鳥羽の戦争東軍一時勝利を得たるも山崎に陣せし藤堂勢の忽ち官軍に応援して幕勢の中央を乱発なすにぞ勝誇りたる関東勢も之れが為に大ひに乱れ衆軍惣崩れとなるを見るより備前守は乱れたる歩兵を再度び隊伍を正し会藩を援けて藤堂勢に相当り一歩も退ず奮闘なし遂に乱弾に当りて討死す
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浪花江の芦間の雪と諸ともに消ても残す猛き名のみは
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小笠原伊織は浩気隊に入り又脱して彰義隊に加はり上総木更津にあり時々因備の兵矢庭に押寄遁るゝに路なし伊織死を極めて農家の門前なる松の梢に上り官兵の来るを待つ其半ならんとする時大喝一声して梢より飛下り忽ち二人を打果し尚十方相当ると雖も衆寡敵せず已に危ふき其折柄脱走の徒三十人取つて返し伊織を救ひ辛くして遁れ夫より下総に落て大ひに敵に当り其後函館にて死す
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見渡せば雲井遥にゆく雁の友はくれてやもの憂をなく
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林昌之助上総貝淵にて一万石余を領したり幕府瓦解の時に臨み自ら陣屋を焼払ひ脱走されし時八十九才なり本国を去り小田原に至り大久保家と相謀り箱根の険阻に拠りて薩長土の大軍を引受数度勝利を得たると雖も大久保家の官軍降りて豆州に走り気船に乗じて水戸に上陸し夫れより仙台に落江戸脱兵と倶に数度戦争に及びしが後官軍に降られたり
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向かへて尽さば月に浮雲の曇り勝なる身とはなるへき
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大久保紀伊守は幕府に於て大監察使なり君家を再度興さんと謀り上野山内に屯集せる彰義隊を指揮し群り寄たる官軍をば落花の如く打ちらします/\死力尽して戦ひしが昼過る頃中堂其他に砲火の燃上り味方戦ひ難儀と見しゆへ又候黒門口を差して進み来しに官軍より打放せし砲丸頭上に当りて頭未塵に相成ければ何をか以て堪る可き其場を去らず死したりとぞ
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武士の身を棄てこそ世の中へ名を残すべきけふの思ひて
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永井主水正は幕臣中にても馬術の達し又剣道さへ衆に越へたり東台に籠りて諸士と共に官軍寄来るを待ち自ら精を左右に従へ黒門内より打出先手にありし薩兵に突て入火花をちらして戦ふたり此時鵜飼某と名乗之れ又馬にて馳付来り切てかゝるを者ともせず忽ち鞍の前輪に引寄せ其まゝ生捕にして山内に引上敵味方の眼を驚かせしといふ
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名もしらぬ離れ小島も時ありて秋の月夜に覗ぬるなり
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比留間良八は彰義隊の伍長にして撃剣及び砲術に達す官兵潮の湧が如く三橋内外に充満し飛丸は宛然雨にひとしく砲烟天を覆ひ更に人色をも便ぜず良八爰を先途と黒門口を守りて戦ひしが寄手攻撃いと激しく已に破れんと為すに臨み比留間は大唱叫んで敵中に割て入り縦横無尽相当り数人の者を切倒せしが其身も鉄石に非ざれば数ヶ所手疵に山内にしりぞきてしす
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初雷に仮寝の夢のさめにけり
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新井鐐太郎は彰義隊の伍長にして武道に達し又書を善するを以て隊中の記録をも司る官軍押寄るときくより近藤武雄新開儀三郎らと共に山内を縦横し八方に兵を配て戦争し其危ふからん方を救はんと鐐太郎は歩兵隊を預りて中堂前にありしが官軍の攻撃黒門口のみ烈しければまつしくらに切ていで藤堂勢に手痛く当り其上山内に退しが深手の為に死せしといふ
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武士の思ひ込たる心より石に立つ箭もありとこそきけ
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榊原健吉は幕府の臣多しと雖も剣道を以て右に出る者なかりしといふ十四代将軍家茂公上洛の折柄随ひて京師にあり其後江戸にかへりしも幕府瓦解に至りしより壮士ら上野に屯集す健吉も又彰義隊に入りしが法親王をごゑいとして本坊にあり然るに大手危ふきと聞より菅沼三五郎と共に切て出四角八面当るに任せる勇戦は向ふ敵なく然共兵火中堂にかゝるを見て山内に引上たり
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すたれたる世には殊さら剣太刀研し誠の大和たましひ
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芳賀織部は勇猛の人にして平常大酒を好み必ず一度に二升を飲然れ共かつて酩酊の色なく言語いさゝか変ることなしといふ諸士脱走するに際し織部は野州に走り会藩と共に宇都宮近傍にあり一日農家に入て酒えんを催ふする折柄突然官兵の四面を囲む居合す諸士狼狽して遁る織部自若として猶酒を飲めてに酒樽を携へて討手に当り何なく囲みを破て味方に合し又も携へし酒を飲しといふ
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世の人の言の葉草は何かせん思ひ詰たる武士はたれ
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其前は九州の人なりとか幕府の旗下にぞくし専ら平日と雖も武道を論じ兵学を好み曽て余の雑談をせしことなしといふ慶応四年三月の始め疾くも江戸を脱して下総にあり又下野に到りて備前彦根の兵と戦ひ大ひに勝利を得たるも味方寡兵なるを以て追撃せず人数を引揚て日光に走り又白川城により其後仙台に落駒ヶ峯の戦ひに敵十人をきり討死せしといふ
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仇守る峯のかゝり火消へ果て夏も寒けき風のふくなり
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中根は会藩の士にて小隊長なり藩主朝敵の命を受て諸藩の官軍陸続として奥羽に出張するに当り会藩も又兵を出して之れに当る此時量蔵は先陣に進みて野州今市駅に押来る官兵には土州因州薩長其他の兵雲霞の如くなりけるも会兵は江戸兵と合して大ひに戦ふ時に四月廿一日なり中根は一歩もしりそかずしゆうにぬきんで力戦なせしか銃丸数かしらにあたりて討死す
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我君の為に命は惜からす世に残すべき猛き名のみを
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滝川倉之助は遊撃隊の伍長なりとか武州飯能にありて官軍の来るを待ち自ら先に進んで血戦なす此時押寄諸藩の兵には筑前筑後大村佐土原川越等の軍勢五月廿二日の暁天より諸道を塞ぎて攻寄たるが倉之助は一人衆に抽で佐土原勢を破り尚ほ接戦に及ぶ内はや能仁寺に火の罹り味方難戦と見るよりも後殿して火中に死す官兵其勇を惜むといふ
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仇なりと人な惜そますら男の果る今はの心こそしれ
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大久保主馬は江戸を脱して直ちに奥州白川城にあり自ら斥候となりて官兵の陣を窺ふ此時官兵にも斥候あり疾くも探つて主馬を捕縛し陣営に繋きて糾問す主馬欺て曰く当陣営を離るゝ事半町にして地雷火を仕掛置たり疾く本営を立退すんば隊中の諸士焼死せんといふ営中の者驚きて営を転せんと為す其混雑に紛れて辛くも遁れ去る追兵来るの時は一人を蹴殺し山林に入りて免れたりしと
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剣太刀いはひまつれる神ならは祈らすとても護りこそせめ
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平山は会藩の士にして小隊長なり先陣として今市駅まて出張し土州の兵と大ひに戦ふ此時は四月廿一日にして早天より両軍入乱れて血戦に及ぶ然るに中根量蔵に於ても討死し稍会兵の崩れんと為す弥三郎踏止り北る味方を励ましつゝ無二無三に敵中へ斬込当るを幸ひ切立しが土州勢に取囲れ進退茲に谷りければ一歩も退す奮戦に及ひ乱くん中に死す
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君のため身を棄てこそ武士の又真心を世に残さはや
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大矢内竜五郎は彰義隊の伍長にして頗る撃に長せり上野山内に屯集なせしが官軍寄すると聞よりも黒門口を堅く守り爰を先途と防きしか寄手の攻撃烈しかりければ率や日頃の武勇を見せんと長剣を打振突出なし群り寄たる藤堂勢を縦横無尽に切靡尚も進んて切立るに官兵多勢なるを以て竜五郎を取囲みしに辛くも血路を開き静岡に到りて自殺すといふ
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のとけしと思ふ日もなし弥生かな
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坂田信吾は本所外手町に住して五百石を食む幕府瓦解の時には僅かに十六才なり諸士陸続として脱走するを見るより憤然勇気を起し上総に集まる脱兵の後を慕ひ潜かに我家を脱し行徳宿に至る此時官兵衛其風俗を怪み捕へんと為す信吾遁れ難きを知り忽ち抜刀して衆皆迯る信吾夫れより其首を取りて脱走隊に入り降伏の後官途に就き鹿児島の役に死す
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乱れにし世にも違へす春なれや羨しくも花は咲けり
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内山政太郎は散兵隊の指揮役なり青山南町に住居せしか瓦解に臨んで疾くも脱走の用意を為し両野三州の戦争を伺ひありしに或る夕暮間者一人の来りて内山の邸を伺ふ政太郎疾に之れを知ると雖も尚ほ知らざる如く間者邸内に忍びて椽の下に入る此時最早脱走の士往々集会するにそ内山諸士に向ひ今日各自に引出物をせんと直ちに間者を引出して首を切り夫より脱走致せしとそ
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千万の仇を防けと武士のふせき兼たる夏の夜の蚊を
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中条金之助は幕臣の中にても武名尤も諸人に知られり瓦解の時に臨み諸士東北に走るを以て金之助も彰義隊中に入り又隊長と仰がれたり然るに同隊中なる天野八郎らと軍議の合さるより大ひに其意を異にし五月十五日官軍攻寄ると聞よりも前後部下の兵士を従ひ武州飯能の脱兵に投し夫れより両野の間だを蹂躪して頗る官兵を悩し尚ほ奥羽の諸藩と兵を合して戦ひしといふ
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何事も替り果たる世の中に又替らしな武士の道
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天野八郎は彰義隊の隊長にして頗る撃剣に長じ且文章和歌をも能くす上野山内に籠りて官軍を引受自ら山王台に在りて歩兵を指揮し黒門口を防きしが寄手眼に余る大軍なれば遂に敗られて官兵山内に充満す八郎残兵を率ゐて血戦をなし近付寄手数人を斬り夜に入て根岸より三河島に落不図御門主に見へ御供の協はさるより密に本所外手町に潜伏せしが捕はれて獄中に死す
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北にのみ稲妻ありて月くらし
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新開儀三郎は彰義隊の伍長にして武術に達し上野東叡山に立籠り主家を再度復せんと血気の勇を頼みとし同志と謀り遂に戦端を開きしが寄手は味方に十倍して雲霞の如く攻寄せたれ共兼て期したる事なれば爰を先途と防ぎしが薩兵頗る奮激してあはや黒門口の破れんとするに臨み近藤武雄らと供に打て出群る薩長の兵を追立しが数ヶ所に深手を受たれば山内に退いて死す
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光るかと見るまに消る花火かな
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近藤武雄は彰義隊の伍長にして武術衆に勝れり五月十五日の払暁より官軍雲霞の如く押寄せ来り弾丸雨霰の如くに打掛黒門口を破らんと為す武雄新開儀三と共に山王台にて防戦せしか官兵の攻激鋭くして味方苦戦と見るよりも一手の鋭隊を以て山下の敵を追払はせ其身は長刀を打揮て薩兵に切入り宛然仁王の荒たる如く数人の官軍を切靡し遂に数ヶ所の手傷を受けて切死なす
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樹はなれに唯ひと声やほとゝきす
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糸賀藤三郎は歩兵指揮役なり主家瓦解の際に臨み歩兵二小隊を率ゐて上野に拠り彰義隊に合兵して専ら武威をしめし只只管幕府の再興を謀りしか彰義隊中に粗暴の者ありて官兵を暗殺なす事尠なからず故に明治元年五月十五日官軍の大兵上野を囲む時に藤三郎は最早必死と歩兵を指揮し散兵を以てよせてを打悩ましその身も抜刀して敵にあたり遂に山内に自殺す
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唯恨む人の心のたのみなきさとこそなりてまたいかにせん
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妻木主膳は幕府の目付役なり慶喜公に随ひ京師にありて諸藩の内情を能く探り頗る時世に困苦す大樹大坂に退ぞかれてより再度上洛の折柄伏見の戦ひ敗れ残らず大坂に引上たるが夫れより江戸に遁る此時妻木は大坂城に踏止り八方苦慮して尽力する折柄はや長藩の押寄来り城内に込入らんとなす主膳少しも驚かず北る味方を三人迄切殺し城に火を掛屠腹して相果ける長藩義気を感じて祭を設くといふ
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君かため身を尽してん難波かたあしかる事のよしやありとも
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撃剣を以て有名なりし伊庭軍兵衛の子息なり頗る剣道に長し又力量の勝れり幕府瓦解に臨んで八郎は直ちに江戸を脱し林昌之助と合兵して箱根の険阻に拠り小田原の大久保家を語らひ大ひに官兵と戦ふ時敵中に囲まれ左りの腕を切れけるが屈せず囲を破りて豆州より海路を走る時に銚子沖にて難船しけるも八郎者ともせず激浪を游ぎ越して横浜に至り英人の情けに依つて函館に渡り後軍中に死すといふ
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露とのみ消ゆくけふの名残にや樹々の梢をつゝむ白雲
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加藤下総守は幕府の旗下にして勤仕並寄合なり彰義隊中に在しが五月十五日の戦ひ破れしより辛くも官軍の囲を開き其夜根岸の農家に潜み翌日音羽護国寺に集り天野八郎に別れ尚ほ謀る事のありてや同寺の門前に忍び居たり彦根の兵之れを聞矢庭に其家を囲む下総守遁れ難きに主従五人大喝叫んで出十方敵を追捲りしが遂に深手を受て切死なしたり
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十六夜の月と此世を悟れとも尚うらみなるけふの御代哉
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水野日向守は下総結城の城主なり幕府瓦解と聞よりも本国に於て兵を催し且彰義隊等の落来る者を集めたり其臣小幡某方向を誤る事を論じて随はす兎角する内官兵迫るに及んで日向守之れと戦ひ遂に城を落る又脱兵と共に大挙して官兵を逐再度城に拠る官軍又之れを取る日向守走つて江戸に来り上野屯集の彰義隊中に入り尚ほ屡々寄手に抗し後降らる
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むら雲のかゝる浮世に今しはしやかて晴なんあまつ神風
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土方歳三は幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽の戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を悩す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立けるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ
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行末はいかになるらん武士の涙に袖をひたすけふかな
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伊東三郎は臥龍隊の准隊長にして頗る槍術に達し又水練を能くす瓦解の際には同志の者と謀りて下野に走り薩長土の大軍に当り毎も薄手をも屓しことなく味方の者皆怪むが如く其後越後に落大ひに勇名を現はす又秋田に落たる折柄は官兵の追撃太だ急にして前に川あり進退已に谷る此時親友磯野某の眼前に討死す三郎之れを見棄るに忍び(ママ)首を切て口にくわへ急流に飛入て遁れ後其首を手厚く葬りしといふ
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海山によしや屍を晒すとも抔忍ばれんあさましき世を
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相馬翁輔は彰義隊中にても其名高く始めより野州に走り諸国の脱士を煽動して大ひに武名をも知られたり此時水野日向守脱兵に心を寄るを聞に翁輔直ちに日向守を説き推て隊長となします/\両野の間を縦横して威を揮ひしが官兵陸続として迫るに付翁輔いよ/\脱兵を鼓舞し薩長因備の強兵に当り出没自在の進退を以て大ひに寄手を破りしが後討死せしとかきゝぬ
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咲匂ふ花の上野の桜花あふきて見るもなみたなりけり
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加藤平内は幕臣にして勇名の聞へあり慶応年間に組合銃隊第一大隊の頭となり其後歩兵頭となる明治元年に至り諸士の脱走するに臨み平内は部下の歩兵を引率して奥州に走り会津により会藩と謀り大隊長となりて歩兵其地の脱兵を率ゐ今市駅へ出張して備前土州を始として薩土芸の大軍に当り或るは散兵を用ひ又は奇計を施し正変自在の進退駈引を以て大ひに勇名を挙られたり
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世の常にあらぬ卯月の空にまた時鳥たに憂を鳴めり
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竹中入道春山は其前丹後守といふ文武共に達し主家瓦解の折柄は八方力を尽し大ひに謀る処あり上野東叡山に屯集せる彰義隊の壮士等竹中をして軍師と仰きしより春山意を決して上野にあり時に官兵押寄ると聞よりも壮士を三橋の内外に伏寄手の来る見より其図を謀りて切出さしめ大ひに勝利を得せしめたるも衆寡敵せずして遂に惣軍一敗に及びしゆへ山内を落られたり
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此春はよるの錦の山桜咲かひもなくちるそわひしき
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酒井才助は彰義隊の伍長にして剣道にすぐれ力量も又衆に越へたり天野八郎春日左衛門等と意を合せ隊中の士の挙動を探り大ひに諸士の内情を知る故に戦ひの前夜に至り飯能に遁れし者又少なからず然れ共酒井は勇気撓まず五月十五日の暁天より山王台に在て衆敵を防ぎ自ら寄手に当る事八度に及びしが三橋の側にて薩長の兵に両囲れしが漸くにして切抜山内に入るや深傷の為に死す
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時ありて咲ちるとても桜花なに惜むへきけふの思ひて
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(奥付)
明治十六年九月十日出版御届
同 十六年九月出版
編輯人 東京府士族
岡田良策
浅草区西三筋町三十四番地
出版人 東京府平民
辻岡文助
日本橋区横山町三丁目二番地
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