艶魔伝

                     幸田露伴


  風流魔記

 風流魔は余の旧作なり。嘗て之を活版に付し、世間に出さしめむとして、書肆春陽堂主人に託す。主人は同業者中に侠を以て名あり。然れども一見便ち辞して曰く、文字放逸不羈に過ぐ、私かに憚るところあって之を公にするに堪へずと。余因て更に金港堂に付す。金港堂亦之を難んず。適々最も深く余を愛せる婦人、草稿を閲して戚然として容を正し、曰く、学海大人の言、真に君を欺かず。妾も亦君が譏を士林に獲んことを傷み、又嫉みを女流に買はんことを悲しむ。君幸に妾を愛せば、妾が言を納れて、復び之を公にせんとするなかれと。余遂に意を決して之を焼く。然れども謄本存ずるあり、独り謂へらく、士林の譏弾を受く、我に於て何かあらむ。女流の忌むところとなる、我に於て何をか病まむ。我我が興に乗じて文を作るに当つてや、仏にも礼せず、夜叉をも畏れず、素より寵辱の何物たるを忘る。文の譏弾を受け、忌むところとなる、初めより其分なり。我は唯汲々として寵辱の何物たるを忘るゝあたはざらむことを恐れ、我が興に乗ずるの深からざることを恐る、未だ其譏らるゝを恐れず、忌まるゝを恐れず。常に念ふ、我が文章天下人士に深仇とせらるゝに至つて、漸く語るに足り、天下人士の好友たるに至って、僅に誇るべしと。風流魔の如きは、未だ深仇と目せらるゝにも至らずして、窃に譏の来ることの少く、忌まるゝことの多からざらむを恥づるのみ。何の遑あつてか譏を受け忌むところとなるを慮らむ耶と。然れども彼女の情誼を思うて、深く悪文を筺底に蔵して人に示さず、新に意を立て風流魔と題し、別に一篇の文字をつらねむとするに至れり。今学海、思軒二先生の風流魔について賜ひたる高文、柵草紙に載せらるゝに当り、聊か此事を記す。前に云へる婦人、名は弱子。常に余が心の海の波打際を逍遙せる女仙なり。
    廿四年二月
                           露 伴



     人々足元あやふきおとし穽
       仕掛の機関はこんなものか

 御手紙拝見いたし御身の上御齢御器量等委細承知仕り候、且又伝受金たしかに受取申候。
 扨色道と一概には申し候へども、表裏ある事にてござ候。表とは律義一遍の色恋にて、主親にも隠しだてに及ばず、誰に聞れても苦しからざる筋の事、仮令ば夫を恋ひ妻を恋ひ候やうの事なれば、きまりきつたるお話し、別段御伝受の致しやうもこれ無く候。然しお前様御身分などより推察いたし候て、無論裏の方の御執心と考へ候につき、あらかた左に記し述候。都て何によらず表は易しきものにて琴曲も裏組を弾こなすまでには一寸面倒に候通り、別て斯道の表はともかくも、裏の手のむづかしきは中々に候。つまり表は目的一つ故女の道を真直にたどりさへ致せばよろしく候へども、裏は目的二つ故千鳥足に色恋を縫ふてあるきながら財宝を拾ひ取るやうなむづかしき業とよく/\御用心なされべく候。其代り御伝受申し候廉々、よく御つかひこなしなされ候へば、天下の男共如何様の堅蔵変人なりともくる/\と手の内にまろめ候事造作もなき業にて、玉の輿に乗ろうと臘虎の蒲団に寐ようと、お前様の好自在に候。此後御運めでたく御出世あそばされ候節は何卒わたくしへ御福分お忘れなく下されたく候。
 先色道裏の手の第一は、貌をつくる事肝要に候は申すまでもなく候へど、白粉の付やうの濃いの薄いの、口紅のさしやうの江戸風の京都風のと、其様な詮義だてして薄墨を唇に擦り玉虫色に光らするなどの訳にてはなく、唯顔形の汚なき処に気を注て取去り申すやう心掛候へば、俗に垢抜したると申す風に相成るべく候。にきびそばかすは白附子を酒に錬りて寐際に付れば全治候。ひゞ霜やけは爪際へ垢のたまるやうの事なきまで気を注て平常清潔に致され候へば憂ひなし。総体顔のつくりは時々の流行にて変り候へど眉を剃り付たり髪際を抜き揃へたりするは極の野暮に候故、矢張素地を其まゝにて念入れ磨きたて、自然頬の上のむく毛のなくなる程毎日/\糠かふすまか小豆の粉などにてざつと洗はれべく、廉き石鹸はよろしからず、石鹸ならばピアルスをお用ゐなされべく候。夏向は肥りたる方あせぼには弱られ候が胡瓜の切口にて摺られ候がよろしく候。歯は油断なく良き歯磨にて磨きさへすれば齲歯となる気遣なく候。風邪ひき頭痛逆上の時は必らず食後毎にロ中掃除怠たらぬやうなさるべく、髪の毛薄赤く又は縮れたるに染粉や野師薬はよろしからず、梧桐の葉の茎を五分位づゝに切り温湯に浸しをけば暫らくしてぬら/\としたる汁出候、是を髪洗ふたびに付候へば色美しく黒く柔●に素直になり候事受合にて、此法を覚へたる或女は始終水髪にて頭自慢致し居り候。糸瓜の水は大騒ぎして作るには及ばず、干瓢を少しづゝ湯に浸して用ふるがよろし。半紙へ鶏卵の蛋白を引き乾かして置て一二寸づゝも切りて糠袋へ入れられべし、それを用ふれば顔の色照るばかりになり候、鶏卵一つにて十度十五度ぶりはあるべく候。都て御洒落は浴後に手足の爪を取るやうな不覚な心得にては役に立ず候。素人は一日で顔身体を奇麗に致さんとあせり候故呉絽の垢擦で鼻の頭を磨りむき、鴬の糞で額の艶を失ひ候ごとき大笑となり候。気を長く持て毎日の事に致し候へば三助に指さゝるゝほどの長湯にも及ばず一月もたてばめつきり女振のあがるものに候。是等は申さずとも却つて能くごぞんじもあるべければあらましにして、第二は姿に候。姿と申して半分は衣物履物冠りの物帯持物に候へど、流行廃りむづかしければ是と指して御教へ申し難く、大概は御自分の御工夫にあるべし。首付足付腰付、姿の三大事に候。屈み過ぎたるは雁首真直過ぎたるは掻頭首、両方ともによろしからず、女の首付坐りたる時は雁になるとも掻頭になるな、歩行時はかんざしになるとも雁になるなと申す此二句よく/\御味はひなさるべく、七分と三分の間を行てよろし。腰付は浮たるも据りたるも皆悪し、先は尻を重たそうに見せずして腰のすわりたるがよろし。足付は姿の根本大々事なり。昔時より足の指に力を入れてあるくものに美人なし、女を買ふに足の拇指を見るといふ女衒道の云伝も候。塵埃を立る擦り足、地ひゞきする力足勿論悪女なり、踏張足齷齪足外輪大股いぢかり股無論美人ならず、早足の女必らず男に捨られるもの、遅足の女屹度朋輩に蔑すまるゝもの、凡て坐敷を歩む時は軽くしとやかに足袋半分より多くは裾の内より露はさず、往来をあるく時は下駄の鼻緒をたよらず、ゆたかに軽き音さしてあるかるべく候。第三は嗜みにて、色艶よくするため鳥獣の肉を嫌はず、湯茶を多く飲まず、津唾を乱りに吐かず、塵を捻り鬢をいぢるやうの五月蝿き手癖を戒め、無暗と衣紋を直す如き事をなさず、起居に骨鳴り節鳴りさせず、万事に付て気を付心を用ゐて仮令ば寐ごみに踏込るゝとも醜き姿を見せず、よしや内々葱蒜を食ふたりとも其後にて直ちに熱湯に酢を点したるをもて嗽して人に知らせざる様巧者にする事にて候。一度手に入れたる男を取迯し候も器量姿の衰ふる故にはあらで此嗜のゆるみ候より起る事にて、いぎたなく枕を外し、差櫛を刎ね飛し、脇の下の白なまづを現はし、然も鼻より提灯を出し夢の中に落したる白銅貸を捜し居る囈語など云ふ所を旦那見られては三年の恋もさめるものにて候。下女を叱る時などには殊更色気を失ひ嗜みを忘られべからず、女は情をもつて人を使ふべく義理をもつて廉々しく人を責るはまことに聞苦しく候。第四は芸にて、是は左まで大切のものにもなけれど、三味線の調子を心得、仮名書の走り筆に文字の角とれて丸く、花の投込やうにも無理の無きほどまで位は知らねばよろしからず。喉は開かずと耳は開け、手を利かずとも眼は利けと申し候通り、喉の開きて歌ふ一節妙なるは云ふまでもなし、せめては歌ふ事をよくせずとも聞分る耳の開きたるがよろし、声のよきは黒闇にも見ゆる美人とてひとしほの名誉に候へば、塩酸加利水にて時々の含嗽怠たらず、竜眼肉を常に用ゐるなど精々大切になさるべく候。第五は癖にて、是は銘々の持前故是非なきものの様なれど美人にあるべき癖とあるまじき癖とあり、癖のなき女には利ロの男は決して昵まぬものに候。物を欲しがる癖、大酒を飲む癖、泣言を繰り返す癖、おしやべりの癖、居眠りの癖、腹立やすき癖、吝惜の癖、大笑ひする癖、下がゝりの障りいふ癖、高慢の癖、太つ腹らしくいふ癖などは美人にあるまじき癖なり、寛容すぎる癖、物云はぬ癖、夜もすがら寐られぬ癖、おのれを抑へて人を立る忍耐の癖、物事案じ過す癖、泣かずに恨む癖、恨まずに愁ふる癖、小供を愛る癖、小説を好む癖、神仏を信心する癖、又は猫蝶螢小鳥などのやさしき生物を愛する癖、金銭を空費せぬ癖、人形を愛する癖、男に逢ふを嫌ふ癖、侠気あるより少し出過る癖などは、皆それ/\の深き訳ありて男をのろくする癖の類なれば美人にありて苦しからず。精々あしき癖を去りてよき癖だけを残されべく候。以上の五つは色道裏の手の基礎にて、是より先は愈々男をたらして藁に逢ふたる海鼠のやうにぐにや/\となし、塩かけられたる蛞蝓のごとくとろ/\とろけさする手管の魂胆、手加減眼加減秘密の大事、よく/\読てさとられべく候。
 柔術の極意は相敵の力にて敵手を倒すごとく色道裏の手の極意はつまり男の心にて男を誑らかすばかりに候。一体男と申すものは大馬鹿のあんぽんたんにて、自惚より外は何も知らぬもの故、其自惚を此方の種にして色々の魔法を使ひ、好自在に仕こなす事に候。真に能く女に惚れる男は千人に一人に候、大抵の男は女には惚れず、自分の自惚に惚れて迷つて騒ぐものに候。扨第六は眼にて候。眼の使ひやうは三十六通りもござ候べけれど最初は振掛目とや申すべき、情目遣ひと昔時の人の申せしも是なり。是は一寸男の頭へ軽く此方の眼の光りを振りかけてやるだけにてよろしく、然する時根性の定まらぬ男は一寸女に見られたるだけなるに最早内心にて、アヽ今朝出る時髭を剃つて来れば良つたなどと下らぬ見栄を其場限りの心ながらも考へ候ものなり。三四度も振りかけてやり候へば、鈍き男も鋭き男も心付て外へ出る時白足袋の垢れを厭ひ帽子の塵を払ひ候。此時はほんの見栄だけなれど殊更に見栄をする男の心中をかしき白痴に候。又は却つて平常の通りにてすましゆき候男もあれど其男の眼の此方へ一寸にても注ぎ候は矢張たましひのふらつきたる証拠にて、其男は見栄をせぬといふ事を内々見栄に致し居る奴に候。次はたぐり目とも云ふべきか、此方より男を見れば見られて男見返すとたん、此方は他所を向き候て男遠慮なく我を見るやうになし、男又他所を見候時は此方の眼にて追かけ男を見候やうの事、即ち眼来り眼去る間の霊機をもつて男の魂魄をたぐり寄せ候やうの訳なり。酒のまだ廻らぬうちの一坐、芝居の隣り枡、温泉宿にての近付、遊芸の稽古処、其他堅き座敷にても此眼使ひ男を動かし出す力あり候。但し醜男へは此眼使ひに及ばず、又此方より眼を送り候時向ふよりもいやな眼付いたすもの御座候、夫等の男は大の助倍か馬鹿か銭なしの半可通かなり、其中にも冷蔑やうに此方を見るは贋豪傑にて、少ししつつこく応接ば直に手もなく融ける氷の仁王様のやうな奴に候。睨むやうに正しく見返すは心剛き頼母しき見込ある男なれど、それには他方を向く代り自分の膝を見候へばよろしく、何にせよ見かへす男は此方の者に候。此外喜びをあらはす細眼、すねて見せる下眼、怒つて見せる怖い眼て怒つては色気を失ひ候、筋斜にして額で睨む心持あるべし)、酔たつもりに見するちら/\眼、心配を粧ふ空眼とも目的なくして眼に力なきやう●視る)、愈々男を手に入れるに近き時分のぢつと見る殺し眼を見る男の眼にひつたりと見合して離れぬようにすれば、男堪へずして間抜の笑顔するか言葉を出すか手を出すものにて、此時は最早義理も欲も忘れ居るものなり)、手に入れて後は口舌の種を作るための癇癪眼、後朝に未練を引せる睡そうなあどけない眼にはつきりと眼を明くは悉くわるし)、など種々の眼付御自分にてよく/\御工夫なさるべく候。手管の極意は心の謀計口のきゝ様にあらず、物云はぬ眼の働きに候。第七は振にて、閨の中の振までを合すれば七十二振ありといへど実は際限なく候。姿とは差ひ候て大事の者に候。男は女を口説に言葉を用ゐ候が、女が男を口説に口を用ゐるやうな拙き事にては浄瑠璃の御姫様の色事同然、黒人業には候はず。さりとて男を口説ず候ては生捉難く候、そこで女は振をもつて口説が肝要にござそふろ。然し尻を持てまゐる様ないやらしき振は蔑視るゝ種なれば中々むづかしきものなれど、都て同年位までの男をば犬猫を愛する様に仕こなし、自分より年上の男には十一二の女の児が兄に物をねだるやうにあまつたれ、気象はつきりと気高き生れの男には和しく罪のない振を為すがよろしく候。鼻紙を丸めて抛り、はんけちを食さきなぞするぢれたふり、挿頭で頭を掻たり、袖袂で口を掩ふたりするおもはゆげの振は旧腐く候へば其時々に新しく工夫なさるべく候。古くても男を手に入れたる後、身をもたせ掛、又は前髪を男の膝に擦り付、又男の小指をつかまへて食付き腋をくすぐり、二の腕を捻り背を叩き、ぶつまねしたり打つたり、招いだり迯隠れたり、後面向たり揺ぶつたりする乱れた振は人をでれ/\とさする働きあり。男の手の平を見ながら、オヤあなたの手は妾のより柔らかで憎らしいよ、ピツシヤリポンと拍けば其まゝ男は打つた手を抑へて、それでも力は此位あると握りしむるより、なんでもなき中も忽ち乱れるものにて、是れ訳もなき振にて男の心を掻きむしる口説方なり。何程女振よくとも歌舞巧者なりとも十の七まで男の迷ふ訳は夫等の故にはあらず、此振といふ者のうまさにありと覚悟致されべし。昔時より貞女賢女などの横恋慕仕かけられ候も多分此振に知らず/\あだなる所ありて男の心を動かし候より、思はぬ迷惑をかけらるゝ事にもなり候と考へられ候。凡ての振堅く正しく候はば余程の馬鹿の外は道ならぬ恋を仕掛まじく候。扨振の秘伝は意味のなき訳の分らぬ振する事に候。是は男の勝手に任せて道理を付させ候にて大抵野郎は自惚つよき故、いゝ加減に意味を付て腹の中に深く味はひ、悦喜する者に候。若し又あしく取り候とも元々訳の分らぬ振故此方の講釈次第にてさん/゛\口舌の揚句、ウンそうか、おれが悪かつたなぞと鼻毛をのばし候。忘れても振は大事々々。第八は語気に候。是は中々手紙には記し難くロ伝ものに候へどあらましは、烈しき言葉遣ひ、迫りたる言葉づかひ、圧伏する言葉遣ひ、込上たる言葉遣ひ、軽薄なる言葉遣ひなどに気を注て、なるべく長閑に優にしなやかになされて良しく、例へばお軽の辞、風に吹れて居たわいなとあるにて優にやさしく聞ゆれど、風に吹れて居たんでーと烈しくては食ひ付そうなり、風に吹れてたんだと迫りては艶なく、風にふかれて居たのサと云へば軽薄にすげなし。又、風に吹せて居たわいなと云へばせの字とれの字だけ僅に一字の差なれども、まことに人を圧し伏する強き女の様聞ゆるなり。風に吹れて居るといへば青々と美しき春の柳の長閑に立るごとく、いとめでたき女の、なよ/\と衣にも勝ざるありさま想ひやらるゝなり、風に吹せてといへば節くれだちたる老木の松虚空に兀然と聳えたるやうにて何となく女めかず、筋骨たくましき男の兜脱ぎすてゝ突立たるがごとく想ひやらるゝなれば、女にしても亭主を尻に敷く類と危ぶまるゝ者にて候。風に吹れて居たのがどうしたといふほど込上ては凄じき嬶左衛門なり。箇様に色々申しても是は言葉の違ひにて語気と申す者にはあらず、語気は言葉の勢にて手紙にあらはし申し難く候へど、右等の色々の言葉を声を出してお試しなされ候はば自然と語気の色々ちがふことに御心付れべく候はんと存じ候。さてやさしき語気を用ゐるやう御心がけあり候はば自然とやさしき言葉をも用ゐられ候やうに相なるべく、されば言葉を美しくやさしくなされんとするよりまづ語気を美しくやさしくなされんと覚悟なさるべく、語気をやさしく美しくなされんとならば先怒ること、周章る事、嫉む事、下鄙たる事などのはしたなき事を心の中に慎み抑へらるべく候。百の言葉を治すよりは一の語気をなほし改むるときは千に万にも活用くべく、百の語気をなほしあらたむるよりは一の心を改め直すときは千にも万にもはたらくべく候。油屋おこんの彼浄瑠璃をよく聞候へば浄瑠璃語りの声の中におこんはおこんの語気、まんのはまんのの語気ありて、其語気によりおこんの美しき容態、まんのの憎らしき顔付まであり/\と見ゆるやうに思はれ候、それにて大概御会得なさるべし。ある好色の盲人ふしぎにも美人を鑑定致し候を如何様の事にて分るかと尋ね候に、第一は声色、第二は足音、第三は語気と申し候。声の色は金切声胴魔声など稟賦にて致し方なく候へども足音語気は心を用ゐさへすれば治るべく候。申し候へばつまり真の美人は真の善女にて真の善女には優にやさしき語気の具はりある筈なれば、色道裏の手の修行も煎じ詰て論ずれば善女となるより外の心掛なきことなり。盗賊の山寨を百年関はずに置ば其中間に必らず法律起り礼楽生じ教法も出来て千年も経ば今日の我等のやうになるべきと同じ道理、不思議の天の定め、恐ろしき微妙の理にて、色道裏の手の詐り多きもとゞのつまり虚言から出る誠の天道、妄想を用ゐ尽して真趣の現ずる訳に候。然し悟つては手練手管の詐偽計略はだめとなり候。)此の語気を能く使ひこなして自在になし、甘つたるき語気に男をなでつけ、ぴんしやんしたる語気に男をぢれさせ、泣そうな語気に男を深入りさせ、すました語気に男を思ひ迷はせ、すねくねした語気に男をもどかしがらせ、軽き語気に男をおもしろがらせ浮したて、力を入れて緊乎とせし語気に男の魂魄を取て抑へて迯出さぬやう此方の巾着の中に推し込み、沈みたる語気心配想な語気にて後朝に別れ行く男の後髪を引とらへ置く様臨機応変の鍛錬をつまれなば天晴すさまじき男殺しなるべく候。第九は語形に候。美人の使ふまじき言葉を紅く小さなる唇より洩すほど愛想の尽るものはなし。おさんや玉に御膳をやつておくれといふ語の形は美し、おさんや玉に御膳をおやりといへば其次なり、玉にめしを食せろと吩咐ればあさましくて女にあらず。あなた浮気をするときゝませんよは上なり、おまへ浮気を仕ちやあいやだよは中なり、浮気を仕て見やがれ唯は置ねへぞと来ては下の下の甚だしきにてむかし吉原の羅生門けころ見世女郎の品格なり。すべて意はひとつにても男の心に異つたる感じあり。仮令ば男浮気をしても上の詞を思ひ出したる時は、それに自分の自惚を添へて想像して、アヽ今頃はおれの写真に針でもさして恨み泣て居やしないかと憫然も起り、可愛くもなり逢たくもなりて遂に逢に行くなり。中の詞を思ひ出したる時は、あれはブツ/\口小言を云ながら火鉢の灰をくる/\と掻廻したりなんぞして、ヱヽどうせうとチつて居るだろう、行てやろうかよそうか、と懐中に相談する所なり。下の詞を思ひ出したる時は、彼奴め大方やけ酒を煽つておれの事を散々に悪く云つてるらしい、剣呑だからまあよそうとなるものぞかし。第十は機転に候。機転のうまくならぬ中は其他の事如何ほど良く出来候とも皆無益になり申候。機転のきく様にならんとて是は中々宛もなき事なれど機転のきかぬとは察しのわるきより起るもの、察しのわるきとは察せぬより起るものと御覚悟なされ、精々思ひやりといふ事に心をお用ゐ習はし候はれなば察しもよくなるべく、従つて機転の利くやうにもなられべくと考へ申候。以上の五つは手管手錬の器械なれば此器械よく研ぎあげられず候ては進退むづかし、十分器械を整へられて後のあやつり様は次にしるし候にあり。
 男を釣り候は魚を釣り候と少しも異りなく、甘き餌にて尽く鉤を隠して見へぬ様なし、釣糸を丈夫にして振切り迯られぬ様仕掛、鉤を鋭く慥に腮へ刺るやう致し置き、錘を以て沈め、水底に居る魚の鼻の頭へ見せびらかす時は直に釣れるものなり。姿形をかざり、柳清香の花の露のと申すものに好き匂ひさせて作り立るは餌なり、釣綸は神かけて離れまいなどと契り交す言葉なり、錘は傾城ならば新造芸者ならば仮母か待合の女将軍の類、お前様御身分では別に定まりて無けれどつまり介添様のものと心得らるべし。さてそれにて支度万端よろしければ、痩せぎすの男もだぽ鯊づらの男も、●の如きひんなり男も鮪の如き無骨男も鮒も鯰も、鯛のやうな色男も出世の見込ある鯔魚のやうな若佼も雑魚も泥鰌も争ひ食ひ付て鉤にかゝるものにて候。然し釣魚も魚の向々にて道具を変へ香餌を換ねばならぬごとく、男によりて此方の仕掛を変ねば甘く釣れぬ訳あり。されば男を見る事第一の肝要に候が、然し人を見る事の難かしさは昔より色々の論もあるほどにて、韓非の説難鬼谷の忤合なども人を観るといふ事を能くすれば読には及ばざるべきほどの大事なれば、一朝一夕に御伝受いたし難く候。人を観分るに職業を以てするはいと易き事にて、如何に衣服を変じたりとも言葉つき滑らかに低きは商人、粗く大きなるは船乗り、手の中に豆などあるは大工左官の儕輩、身内奇麗に肉付柔らかき者の中にて言葉叮嚀ならぬは書生、横柄に威権どるは官員、兎角半可通にて軽きは銀行員なぞと一々其職業を的るは花の時分向ふ嶋の茶店に半日も腰を掛居れば訳なく発明できるなれど、是はあまり役たゝぬ見分様とおぼしめさるべし。さて第十一は右様の次第にて金を見る事に候。男の腹中金あるか、又は金の融通よく利く男か、体裁ばかりの見掛倒しか、有福の家の息子株金はありながら自由にできぬかなどを見分ず候ては、木綿布子着たる大尽を見のがし、羽二重の犢鼻褌しめた素寒貧に引かゝるやうの馬鹿を見候。まづ十分云たそうな所を七分に扣へて口きゝ、人まかせにして我を張らず、言葉かど/\しく鋭からず、身分をあからさまにせず、衣服持物に際だちたる好み見えず、眉の間豊かに若き男は身分よき人の息子株にて、即ち金はなくとも金の蔭を持ち居るなり。金持の人は衣服立派なりとも何処かに少し間抜たる所気のきかぬ所あり、是は金持といふ者は自然と人に作られたる衣服持物を有て一々自分より作らぬによりてなり。例えば、是は極渋くてよろしうござるとすゝめられて繻珍の結構なるを買つて帯には博多でもなかろうと生渋がりに渋がりながら、それに釣合つた衣服を注文しようともせずして極品の糸織いやにニヤケたる柄の者を着るごとし。すべて一ツ一ツを離して見れば結構ながら全体の作りを見れば何か可笑き所あるやうな気味あり、床には啓書記の山水天下の珍品を掛て其下に巴里製の花皿置くといふ調子もすべて人に作らるゝ故なり。此の如き金持は言葉ゆたかにのつしりとして座敷一杯に坐りて遠慮を知らず、されば少しシツツコク甘へたれる風を見すれば実に惚きものにて、是等の人を死金持と申候。言語うまく人を可笑がらせ、然も内端でも鷹風でもなく、身姿抜目なく、一風の好みありて冠りもの新しく、然も世間の状態を知り、呑込よく行渡りよく、さのみ奢りもせざるは金の融通よく利く男にて、懐中に大金なくとも是等の男をたらし候へば相応の金を引出しやすく候。金の動く中に居る男は仮令金なくとも生金持ちなれば、引負などさするまでには相応に取るゝなり。衣服通がりて仕掛口舌上手なる男は大抵銭なしに候。銭なき故に己の心意気を見て呉といふ様な調子にて、男自身にも金の他の者にて身を飾る弱みあれば、自然と音羽屋成田屋の仮声をつかひ、新内端唄或は囈語を噛む様な河東節、又は季もなき駄発句、てには違ひの和歌などに力むと知るべし。生意気はまづ有福ならざるより起る見栄と思ふてきつと間違ひなく候。時として金ある人の生意気にて女に向ひ腹を売るといふもあれど、金ある人の生意気はまるで芸にも洒落にもならず、金なき奴の生意気は芸になりかゝり洒落になりかゝりに候、能く/\ならぬとなりかゝりの区別を御考へなされ候はば見誤りあるまじく候。平常金なき人の急に金を持たるは一番よく知れ申し候。人の性質により相違あれども大抵は急に勢よくなり候か急に別の人の如く寛容になるかの二ツに候。箇様の時は此方も急に巻上る算段よろしく候。急に無理口舌して激まし憤らせ吐出さするか、急に待遇を好くしてねだり取るか、いづれにせよ急にすれば残らず取れるものなり。第十二は質を見るにあり。金を出すにも人々の質あり。如才なき男は此方より云ふては出さぬものにて、此方より匂はすれば自分で悟りて天晴気の利たるつもりに、自分の金を取られながら自分の手柄のごとく、内心悦に入りて脆くも出すものなり。おとなしき男正直の男は論に及ばず、悋惜の質はつまり金に未練を引きて思ひきれぬの故色にも未練を引て思ひきらぬものなれば、随分愛想を尽さるゝかと思ふほど五月蝿く責る時は矢張少しづゝ出し、決して女を思ひすてぬなり。一時に大金を出させんとすれば金を思ひ切らずに女を思ひきる事あり。又金を使ふに活して使ふの殺して使ふのと詮議だてを腹中にする質の男は大抵金のなき半可なり、論ずるに足らず。又身分よき人にて何でもなき時、列べて寐たる我枕の抽出しに十円札の一枚も入れをきながら知らぬ顔して行くやうな事をするものあり、決して此質の人に金の話しなぞ夢にもすべからず、唯其あとにて新らしき櫛掻頭の類、或は襦袢の襟、半掛指環など何にても眼に付ものを其金高に応じて一寸買ひ、身に付置くべし、是秘事なり。其男其次来るとき必らず女の身の周囲を見るものなり。或は、ウヽと内心うなづいた限りにするか、或は、オヤ其指環は珍らしい石入りだ。ほんとにありがたうございました、お向ふの光ちやんにも好い石だつてほめられましたよ。御礼は門違ひだろう。アラ此間あなたに頂いたんぢやありませんか。フヽ大分粋だの。誰かにかぶれてサ。といふやうな問答で男は充分満足し、チリ/\と肝の臓に堪えて嬉しがるものなり。ましてや其指輪の裏面に男の名頭の羅馬字と女の名頭のローマ字とを組合して金港堂出版本の裏の印のやうなものの彫りてあるなぞに至りては、王爵のデレ助となるべし。然し是はよく/\男を見定めて後の事なり、迂濶にしては執箆返しを食ふ事あるべし。男の気性呑込めぬ内は野暮に返すが無難なり。まづ此様な事をする男は女にかけては凡人より少し馬鹿にて世事にかけて平の人より少し利口にて、バッとしたる遊びなど好まぬ質なり。又半可通なる男も此様の事をするものなれば御用心なさるべく候。第十一は金の初を見る事、此条は金の中を見る事、第十三は金の終りを見る事に候。何の様の男にても色を酒の肴にして遊び又は酒を糧にして色を漁る者の懐中末の末までよろしき訳なし、いづれ身体にも脾胃損腎虚財布にも脾胃損腎虚の苦しみを生ずるなれば、よく/\それを見透して金の終りを悟り、よき汐に吾身を迯退くやうにすること肝要にて、其迯様は末に記し置候。勝気なる男は金の無くなり際になれば心いら/\となり、酒量平日より進み、夜更るまで心よげに騒々しく語りさやぎ、暁天がたに僅か目どろみ、少しも屈托の模様を露はさぬものなり。かゝる容態の時は用心すべし。気弱の男は足遠くなり、言葉つき弱くなり、酒を平日より甘がらず酔こぢれ、早く寝ても眠ること遅く、もし/\と起しても返辞に疎く、膝のうしろ、手の付根など折屈みの所々しつとりと汗ばみ居るは是心配のあるためと知るべし。都て妻にもあらぬ女に心通はす程の白痴男の生命は金なれば、金に乏しくなるにつけ其男の容態何処やらに影の薄い様な所生じ、処置ぶりに間抜あらはれ、追付六文の銭もなき一文なし亡者となり、六道の辻車引く身となる前兆たしかに知るゝなり。但し此時此方の眼児明らかに早く迯支度を為し置ざれば付纏はれて悪足となられ、共に奈落に沈む故此段は大切とおぼさるべし。然し一度男を零落させて見れば金の終り位見易きはなし。愈々次の条よりは手管の奥儀なり、十分気を注て読るべく候。
 第十四は影を与ふる法にて、未だ男を手に入れざるうち男を聢と引よする手管なり。前にも申したる通り素より男は自惚つよきもの故、何でもなき事に独り悦喜する程の白痴に候へば、まして此方に心ありて釣りよせんとする餌にかゝらざるは無く候。然し初めよりべつたりと仕掛候は却つてなれなれし過て価値低く候なれば、先身を与へず影を与ふる事よろしく候。影を与ふると申すは、仮令ば甘き者の匂ひを嗅するやうの道理にて、つまり酒好の人に酒をば飲せず、酒の香の芬々たるを嗅するごとく、喉をぐび/\致させ、涎を垂させ、堪えられぬと云するは実に匂ひだけ嗅するところにあり。色道も此通りにて最初はまづ前に記したる眼と振にて仕かけ、男の持物のおもしろき所を見出して誉め、男の話しに身を入れて聞き、扇面又は幅紗などに書画を望み、其礼として我毛糸細工の洋灯敷縮緬の肘つきなどを餽り、男の誉むる役者芸人を共に誉め、男の嫌ふ事を共に嫌ひ顔し、男の能く知り居ることを態と尋ね問ひて誇りかに答へさせ、其答を感心し顔に聞き候など、是等は当世乳臭き束髪の小娘供も為る事にて其敵手となる乳臭き少年共と互に喜びあふて、男女交際とか何とか体裁よき名を付て清潔がり、矢張内実は淫心の匂ひだけを嗅せ合ふてぐびつく喉を抑へ居る事に候。然し是等にては余り拙く鈍く候。今少し確と影を与ふるは男の立居に一方ならず心を配り、男手水に立ば石鉢に水はありながら下女に吩咐て温湯を進らせ、夏ならば絽の御羽織脱せ申して人手にかけず畳み、或は其人に風を送り、又は附居る女なり)の口より慫慂させておもはゆげの振しながら一節うたふ唱歌にほのめかし、或は話しの序に昔時の人に比へて其男容貌自慢の気味あらば、佐野次郎左衛門の容色では八橋の嫌つたが無理ではなし生命とられたとて栄様を色にしたは女と生れての本望なるべしといへば、男最早女を八橋の如く思ひて自分は美男栄之丞の気になるなり。又其男器量よからずば、何程美しきとて栄之丞に迷ふたる八橋の心愚なり、男は気で持ち生海鼠は酢で保つとさへ云ふものを、気性ある次郎左衛門を酷くしたる心あさまし、さればこそ冥理も尽きて見苦しく終りたれ、と云へば、男腹中にて、ムヽ此女は人形食ではなし、面白い根性だなぞと誉むるなり。今少し下卑れば打解たる振に二種三種の肴を整へ、主人顔に酒盞さしつさゝれつ、酒に乱れて居ずまゐを崩し、言葉つき仇めかしく笑ひさゞめく内にさては忍び駒にちんとはぢきて、おゝさへおゝさへ喜悦ありや我此盃を外へはやらじとおもしろや向ふの人に思ひざし嬉し顔なると唄つてチューと鼠鳴するなどの事なり。尚下品ならば男の飲さしを取つて知らする様に知らせざる様に甘そうに飲む類にて、大抵是ほどに仕掛れば男家に帰りても碌には寐らぬ訳あり、女の影法師聢と男の懐の中にある故也。第十五は楔を呉れるなり。山人如何程力自慢なりとて大木を割るに楔なくてはかゝり得ぬものなり、男如何程自惚強くとも此方上品におとなしくして居れば無下には掛り得ぬものなれば、是非きつかけをまちて取てかゝらんと野心をさし挟み居ると知るべし、其時此方より好き汐を見図らひ少しの楔を与ふれば男それに便りて満身の自惚の力量を振ひ、よしや此女盤根錯節の堅い奴にもせよ我力にてコヂ破つて呉れんと意気組すさまじく掛りて来るなり。其くせ此楔といふ者むづかしき事にもあらず、ありふれたる詰らぬ手にて前の影を与ふる中の逆手に止るなり。仮設ば前のは我に就て云ふ代り是は男に就て云ふものにて、ほんとにあなたは罪作りだよと云へば、男。是はきびしい、何故々々。ホヽ誰かに聞てごらんなさい。だれに。わたしは知りませんよウと此位なるは罪の軽き楔なるべく、も少し強きはべつたりと、あなた妾しの兄さんになつて頂戴ナなどいふ時男素早き質なれば、亭主ぢやあ不得心だろうなぞと最早打込んで来るなり。是より話しは一足一足に進みて男は手に入れたりと思ふより此方の手に盛り込るゝをば知らず、都て上品に仕掛る時は是非此楔を巧みに男に与えねば男掛りかぬると思ふべし。初めより下品に交際ば沙汰に及ばず候。第十六は気を奪ふとて、是は腹中ゆたかたる大尽又は痩我慢の半粋なる男に用ゐて殊の外おかしき事あり。近き頃或芸者神奈川辺の去大尽を手に入れて馴染重なり、衣類持物まで美を尽しての賜物数々貰ひしのみか、然も引ぬきて正妻の位にそなへ二十幾戸前の蔵の鍵まで与へられんとの内談、追付同業の誰彼へ配るべき赤飯の胸算用まで出来て居るとも知らず、某銀行の支配人とかが半月程前より一方ならぬ贔屓、それも曰くありてとは悟れど取らぬは損と是にも、例の影を与へ楔をあたふる数々の仕こなし、支配人愈々悦喜し金銀を投うち丹誠を運べば扨遂に愈々となり、或待合に啣へ込れて三味線ぬきの小座敷、梁塵も動かねば風も入らぬしんみりとした酒盛、さゞめ言も浮気を退て互に腹を売る台詞しつくりおもしろく、天晴京伝の洒落本にも無さそうな黒人の真実、色道第一根本ありがたい所は此処ぢやなぞと男はとろけかゝりて大満足大恐悦がり、うと/\する振を見て取り、お感冒めすなとゆり起して、こちへござれと柔らかな手に引立、灯し火粋なる座敷に伴ふ此時十時の時計チン/\と響くを聞捨て共に臥床に入る途端、あはだゝしく下女が姐さん電報がといふを受取り、女眉を寄せながら心配相に見れば封筒に至急の朱印、どつきりして開いて見て涙おろ/\と落しながら推まろめて投やり、ゑゝどうせうと胸の閊へ苦しげなるを男あきれ惑ひて兎角介抱し、仔細を問へば指さす電報、それを取つて見るに横浜より、チヽビヨウキムヅカシスグコイとあり。女は嘆息しながら、辛や浮世、よき事に魔がさして・・・・・・然し今宵は誓文くつされどこに行るゝものぞ、とひつたり男に寄り添ふを取て撞退け、我へのなさけかはしらぬが親の死目を他所に見させて我何の面白い事なし、行け、ソレ十一時の急行列車にはまだ間に合ん、少なけれど見舞の足しにもと大札四五枚。何にも云はず涙だけ見せて男をふし拝み、車を急がせ横浜には行ざりける。是ひとつには男みづからの粋ばまりなれど、ひとつは作略に男の気を奪ふて、身をぱ汚さず影を与て実を取る仕懸巧みなる故なり。凡て肌をゆるして男をたらすは拙く、心をゆるすと見せて迷はすべく、肌をゆるさねばならぬやうの仕義にもならば甘く男の気を奪つて肉欲の出所を失ふやうに仕掛らるべく候。気を奪ふには境界を瓦落離とかゆるにあり。おのれの病気を云立親の命日を云立にする類は余程のろき男にはよけれど平常の者には悪し、大方前より仕組置て其時に湧あがりし事の如くするがよろしく候、拙き時は男に見すかされ恥をかくべく候。第十七は我を捨るなり。我を立るものを愛するは大人君子度量の極めて広きものにあらざれば能はざる事にて、世間の男ども何によらず自分は自分の我を立ながら他人の我を立るを憎み候ものなり。真に能く我を尚むものならば他人の我を立るをも愛し見るべき訳にて、お釈迦様などこそ真に能く我を尚とまれたる方なれ、さればこそ提婆達多が我をも露憎み玉はず海の如き御胸の中に容れ玉ひたるなれ、大抵の男は自分の我を尚みて人の我を憎み、人には人の我を捨させて自分の我に同ぜしめんと図る白痴に候へば、此方我を立候時は中々此方を愛する事出来ず此方を忌むものなり。それ故愚人に愛されんとせば我を捨てねばならず、言葉を換て申せば我を捨て人に近寄るものは其心極めて険悪なる奴にて、昔時より奸雄と申すもの一生我を捨る工夫ばかりに心を苦しめ居たるに相違なく、鄙しき者の頂上は我を捨る奴なり。元来良き我ならば捨るに及ばず、悪しき我なる故捨るならば我を捨るものは即ち悪しき人間にて、我を捨るも其人間の我なれば、つまり忍びて我を捨るは恐ろしき大悪人なる事云ふまでもなし。然し猶深く考ふれば真に能く我を捨得られなば大聖人なること疑ひなく、又真に能く我を立得られなば大聖人なること疑ひなし。表裏融通知れ切たる話しなれど、前にも申す通り凡人は我を立得ず我をも真には捨得ざる中間のぶら/\に候所が五十年の棲処に候へば、其凡人を相手にする色道の秘密は痩我慢して我を捨るにあり。然し爰に不思議の妙ありて天道の恐ろしき事に身の毛立つ訳あり、第八の語気の条にも記せし通り色道裏の手のあさましきも詰り煎じ/\て見れば表の正しき所に帰らねばならぬごとく、我を捨男の心を蕩かす此条もまた余程妙なものにて候。一体色道裏の手は皆恋と見せて男を誑らかすなれど愈々男を誑らかさんと密に深く考ふれば、其考へ出す悪事の手段数々の中に電光の閃めきて眼を射るやうに驚ろかされ候事のみござ候。扨元来男にもせよ女にもせよ真実に惚れたる時は強て我を立るものにあらず、自然と男は女の我を能く立て女は又自然と男の我を立てるより、自分の我を捨る訳にはあらねど我恋人の我を尚び、知らず/\男の我に女は従ひ女の我を男は愛し、何時の間にか我を捨るようになり行て人の我を立るを忌みし昔時の小さなる心おしひろめられ、互ひの心春の空のやうに和らぎ長閑に楽しくなるなり。恋は神聖とは是等をや申すべき、噫。されば正真の恋ならば悠然と満足しながら人の我を愛し自分の我は捨り行くなるに、恋に似する裏の手の工夫にては無理に痩我慢して我を捨る其苦しさ中々出来難く、是非もなき天理言語に及ばず候。是に拠りて考ふれば無我のように見ゆるお釈迦様など申す大聖人は一切衆生禽獣にまで惚れて自分の我欲は自然捨り行きたるかも知らず、大きな恋が大きな人を作つたるにて高が知れたる人間のへボ思想が聖人とならしめたりとは思はれぬなり。我を捨るトヾの詰りは身を捨命を惜まぬなれどそれまで踏込むには及ばず、先づ一切の所業男の性質に合ふやうに仕掛、すべて男の自惚て居る所に同意し下らぬ事にまで我意を抑へて忍耐するなり。仮令ば君故ならば我命何の惜かるべき、ましてや君の仰せには生血を絞り片腕を抜るゝとも露厭はじ、世間の評判親類目上の思慮我を禽獣のやうに見て爪弾きするとも一身君に任せし我少しも関はずといふやうなる意気込にて、男酒嫌ひなれば今までは日に一升の大酒なりしとも酒盞を石灯籠に打き付て金毘羅様に禁酒を誓ひ、男学問を好ば他所にて内々伊勢竹取徒然草の二くだり三条は聞習ひ、男法華ならば門徒を廃め、男猫を厭はば泣の涙を揮つて鰹節添へて玉を余所に遣る位はまだな事、今少し奮発しては、殺すとも活すともどうせ貴郎に任せた身体、身は我物にもあらじ我父母の物にもあらじと、男の懐中にわが魂魄を投込なり。然し余り強く我を捨ては、後にて別離の時困る事出来すべし、よく/\注意あるべく候。第十八は身を奪ふなり。是は男に我身を任せたる頃身を捨る代りに確と男の身を我方に奪ひ取り置くなり。我を捨たるばかりにては此方却つて損の如くなれど詰りは我を捨る事が種となつて男の身を我所有とする方便、縦横に男を動かし自在にかきのめすは身を奪ふにあり。仮設ば、そんなに大きな者で御飲なすつてはいけませんよ、毒ですよ。マアいゝから酌な。毒ですよ、もう御廃なさいと云へば。毒でもいゝからまあ一杯酌な。何いゝ事がありますものか、貴郎ひとりの身体ぢやアあるまいし、と斯う云ば生酔の臓腑にも、あなた一人のからだぢやあるまいしの一句キリ/\と染み渡りて無上に嬉しく有り難く、自分の身体を奪はれたりとは気が付ず、そんならもうおつもりに仕やうと細い眼をすること受合、男の阿房は図の知れぬものなり。感冒召すなよ猪牙とやらといふて背面より女房が羽織を着せたるには浮気男も閉口したるが、是其言葉の裏には男の身の奪はるゝだけの愛情あり。又傾城が、朝寒し駕籠屋の息の白う見ゆるに垢付たりとも是を下に召して土手の風に御身をいたはられよと、我着たる衣を男に着させて帰すなど矢張男の身を奪ふ訳にて、最早斯くなれば男の身は男自身の持物ならで女の掌の中の丸薬同然、自由自在に捻り廻される馬鹿に候。第十九は火を入れる如き手なり。是は酒の少しく腐くなりたるに火を入るゝ如く、男の少し遠退きたる時仕掛るなり。昔しは此手を初紅葉と申してあきくちに濃うなる色仕掛と洒落申し候なり。男は素より浮気者なれば一月か二月繁々通ひたる後は必らず又他に気を移して少時足の遠ざかるものなり。さて適々来りたる時此方より平常に待遇へば必らず何となく物足らぬ様の心地して男おもしろがらぬものなれば、其時思ひ切て火を入れ、したゝかに男を焼いてやるべし。但し焼き様むづかしけれど、先は片手に火を持ち片手に水を持つ様の心得あるべし。仮令ば男の入り来るを見て髪容姿の乱れたるをも顧みる遑なく突然あさましき面相して胸倉を引捕へ、おまへはおまへは、性悪男め、何処の馬骨に引かゝつて居たと号き立て撞き廻すやうにては両手に火を持て頭顱から容赦なく焼つくす素人がゝりなれば、男堪らず真黒に焦されてほう/\の体に敗北し二度とは寄付ぬなり。初紅葉とは此様な無造作にあらず。男入り来るを見るより何となく顔付を莞爾つかせ、起居いそいそとして悦ばしき風をあらはし、手早く髪容を収め、万端奇麗事に男の尻を坐蒲団に居させて後、待ちし夜の長かりしは貴郎のつめたい時計にては知られまじと口説き、一昨日は髪を空に結はせしと恨み、数々の心尽し手鏡を米櫃の底に伏せて愚なる咒術までを頼みにせし可笑さなどを、或は真面目に或は興じて元気づきながら物語り、酒機嫌よく侑め、夜も更て二人切りとなりたる時拍子と呼吸を見計らひ、ヂリ/\焼き出すべし。今日は何して御来臨なすつたのだろう、いつそ御いでがなければ好いに、と斯切り出されては男だまつては居られず、来なければ好つたなら帰りませふよ、と内心は帰りたく無くつてもツンとして立つ袖を周章て捕へ、涙を潤ませながら、あらそうぢや有りませんよ。ナニ帰ります帰ります。マアどうせふ、わたしがウッカリ饒舌つたは貴郎を御帰し申そふつて云た訳ぢやありませんよ、ヨウ、ヨウ、マア座て下さいよ。ヱヽ留るな、帰る。どうしても御帰りなさるの。知れた事サ。ハイ/\そんなら御止め申しませんサア御帰り遊ばせ、併し御忘れ物が。何。見ませんか。冗談云ふな何もない。ヱヽぢれつたいホントに口惜しい、貴郎の眼にはそれが見えませんか、と無闇矢鱈に泣てかゝつて引ずり倒せば男脆くも坐る、其膝に此方の頭を載せて鼻声に急しく為永流の常口説で、貴郎が此間御来になつたきり影も形も御みせなさらないからどんなに気に揉んだか知れやしません、新聞を読んでも草双紙を読んでも少しも面白い事はなく、馬鹿らしいほど唯貴郎の事ばかり気になつて気になつて、いつそ貴郎に最初から御眼にかゝらなかつたら斯も無ろふと勿体ないが御恨み申す気も出て、どうせ頓間な妾達にお構ひなさらないが無理ではない、ヱーもう愚痴は止やうと思つても生憎眼に立つ貴郎の御姿それに引れて又愚痴も湧き、何処の増花が御止め申して居る事かと口惜くもなり、至らぬ心は至らぬ心だけに苦労する内不図今日の御来臨、嬉しい中にも今日の嬉しさが明日から又毎日々々物思ひの種子となるかと思へば寧そ御来臨なさらずばと、ツイ口走つたに訳も聞ずの御腹立、それほど邪見になさるなら夢にも現にも見ゆる貴郎の面俤を妾の胸の中から御忘れなく取り奪つて、而して御帰りなさいまし、執念深い妾に見込れたのが貴郎の御不運、それまではマア御かへし申す事は出来ません、ヱヽ口惜しい、人に是程の心配さして置て和しい言葉も掛て呉れぬ男めと、涙の水を片手に嫉妬の火を片手に、火水一度に責立れば、男の根性鉄の如くなりとも鍛冶糞のやうにぼろ/\となり、腹の中にて、ウー此女は馬鹿に己に惚て居やがると増長させる鼻毛を確かに女の手に引張られて、其夜は鐘が仲人の中直り、翌日からは又々忠勤出頭怠りなきものなり。第二十は幻術にて、是れ老功の女にあらざれば遣ふ事に心付ざる極秘なり。元来世の中には云へぬ事あり為せぬ事あり、道理と云ふものもあり人情といふものもありて随分七面倒なものなれど、馬を鹿と云ひ鷺を鴉となし、道理を破り人情を乱り、自己が思ふまゝ勝手に撹回す事の出来るは幻術の境中なり。此幻術を横より覗きて書たるへボ小説などは腐るほどあれど幻術の本来を見たる者なし。幻術とは夢なり、此夢の中の事は他人が知る事も出来ず道理が糺す事も出来ず、縦横無敵勝手次第なり。されば夢の中にては憎しと思ふ奴を殺す事も出来、千里隔た人に逢ふことも出来、どうでも好になるなれば、此夢を嘘に作れば悟空が魔法よりもまだ自由になるべく、然も夢の嘘と夢の実とは当人より他に見分ること難く、手錬手管も此幻術を使ふに到つては骨頂にて、深き道理ありて大自在の魔法たしかに行はるゝ大秘密、一々明らさまには説かず次の実話を能々味はひて会得致さるべし。或男は若きよりあばずれにて女を憐み和しくするなどいふ事さらに無く唯金あるに任せて我意を揮ひしが、或時芳原の遊びも結構だけにて面白からずと、某の宿場を素見し某小店にて廿三四の美しき女あるを見付、惜い者と一夜買ばかりの心にて遊びしに待遇さら/\として不甘所も甘い所もなし、唯其女情夫と口説でも仕過したる後なりしか憂鬱ぐ様子ありけるが何となく奥床しき所ありて、次の夜も通ひ又其次の夜も通ひしに別段変りて面白き事もなく、少しづゝは打解て来るばかりなりしに、其女は中々如才なく世馴れて仕こなしに下手な所なく十年も勤め仕たらんかと思ふほど抜目なし。さりとて男を別段厚く取扱ふといふにもあらねど云ふに云はれぬ仕こなしのコツの妙に、あばずれの男も柔和しく、又通ひたる夜の暁方、女呻されて苦しげなるを男心付て起せば、ホッと息吐き、胸をさすりながらアヽ苦しかりしといふ。怖い夢でも見たかと問へば、渓河の凄じく泡だちて漲り落る向岸に顔は知れぬ男立て妾を招く故、怖々ながら心細き丸木橋渡りて中頃まで到りし時、背面にも男来りて其丸木橋を頻りに推し動かすより足も縮みて声も出ず、落るを恐るゝ中終に真倒様に揺り落されて夢醒めしといふ。男は笑つて、余所の千話の心に掛りし故ならんなどと慰め帰りしが、其夜また行きしに暁方にまた其女呻され苦しむを起して問へば、女は不思義なる面地して男を見ながら又同じ夢見たりといふに、男も少し気味わるくなり、一日間を置きて又行き、昨夕はと問へば昨夕は然る夢見ざりしと答ふ。扨さま/\遊び戯ぶれ共寐しての其暁方又もや女の唸さるゝに流石の男愈々気味あしく、女も眼覚て気味悪気に男の顔眺めながら深く案じ入りしがやがて、おん前様は妾と前世に良らぬ縁にても有るかお前様と添寐せし此三夜さ同じ苦しき夢を見る事不思義なり、何とも合点まゐらねど余り恠異なれば、此後も来ていたゞきたきは山々なれどお通ひ下さるまじくと涙ぐみながら頼まれて、男何とも言葉なく呆れて返答に及ばず帰りしが、此事気になりて昼夜忘れ難く、不思義々々々と思ふより自分の夢にも其やうのありさまを見て愈々不思義に堪かね、親しき友に話して段々其女の様子を聞けば、其頃足近き田舎客此女に愛着深く、根引して遠国へ連行んとの相談中、女は出世は嬉しけれど土くさき男に伴ふを厭にて返答いまだに確とせざるよし。是を聞て男急に女の心の底を知たるつもりになり、身の毛立つまで怪しく可愛くなつて早速に田舎客の鼻明せ、横より根引して箕輪あたりに囲ひ置しが其後女は逃亡して行衛知れずになりし。此話し中々分る事にあらず、お前様も多分御わかりにはなるまじきが若是を悟られて脚色を変へ用ゐられなば伝受も是きり無用に候べし。第二十一は八陣と申すべき手にて、随分罪深き事なれど男を没落さする早道是に止まりたる法なり。男此方に迷ひて父母をはじめ親類一家の異見など食ひ、浮世の義理金銭の都合其他色々の件より自然足を運び難くなる時分、飽までも恋と恨みと愚痴を強くし、欲と見栄と我身を弱くし、其あり様を男の耳に入るゝなり。仮令ば、男の為し枕を独り寐の床に抱て眠り、手箱の中より男の写真幾度か取出しては溜息つく/゛\眺めて急に仕舞ひ頓て又私に取り出しては見、今日は此前方様の来臨なすつた日から幾日めぞと一日に三度も人に尋ね、劇場の噂など口に上せず)、寐衣のまゝ髪も乱れしまゝ午刻頃まで起るに懶く)、食事進まず)などの容態を例の錘によりてソツと知らする時は男堪らず、可愛い奴めどうして其儘に置れうぞと死門に向つて身挺んで、有程の金つかみ、出来る程の才覚めぐらし乗切て出て来るべし。元より男とて一概に馬鹿にはあらざれば最初は生門を見認め、今夜は行くとも差支なしと思ふ時だけ女の許にも来るなれど、段々深くなりて後此の如き場合となりては自ら死門に馳せ入るなり。されば此男生て家に帰る道なく、五日なり六日なり但しは半月なり此方の手の中の者にて金使ひの抜殻となるまでは後へも先へも行ぬべければ、其時急に剥ぎ取りて其儘捨るべし。世間の息子達女に迷ひて身を泯ぼすは大抵此死門に突入る故にて、行けば帰れなくなるを知りつゝ行く故敵の陣中に落入りて出所なく往生するなり。情死とは二人連立て悪魔王の作れる死門に入るからの事にて、恋より直に情死とはならず、恋より先づ盲目となり、盲目より生門死門の差別を知らずに歩み、終にかへりみちの無き道をあるきて八方ふさがりの地獄に到り、其地獄の中の深き井戸に飛込んで終るなり。能く新聞などに出る遊女の情死の起原を尋ぬるに男に入れ揚て段々と無理を重ね、仮令ば衣物の事にて云ふて見れば、着更の衣裳有丈を男の為に質入れするが最初にて是はまだ帰る道ある所、次は坐敷着まで質入れする所、是も苦しきながら帰るべき道あり。扨其次は質入れしたる衣物を一寸借り出して来て当座の用を済せ然も其をまた他所へ質入れする所にて、斯くなれば既早利足は二重に払はねばならず、鎗繰は愈々むづかしくなり畢竟死門に着物を入れたるにて帰るべき道なし。衣物のみならず夜着蒲団耳盥嗽茶碗櫛笄は申すに及ばず一切の物を皆死門に打込み、自分の年期までも死門に打込み、世間の義理までを死門に打込み、其義理を生かして立られなくなり、とゞの詰り自分の生命を失ふ訳に至るなり。浮世の義理と恋に責られて情死するとは人も思ひ当人も思ふなるべけれど、能く傍目で糺して見れば恋で先づ盲目となつて、帰れなくなる道即ち死門に駈込むより情死などいふものは起る事に候。比翼塚鴛鴦塚など喋々しく云ふは馬鹿気たることにて実は羽抜鳥塚盲目鳥塚とも申すべきか。第二十二は鼓の糸と或人の洒落し手に候。鼓の糸は左程強く締るものにはあらず、唯末の糸にて多くの縦の糸を繰る時だけの霊機に良き音も悪き音もあり。男を取扱ふも頭より尻尾まで強く締付る事難し、唯後朝の時うまく締付置べし。古くよりの恋歌を見ても如何にも男を蕩かし其後髪を引張るといふほどの力あるは後朝の歌に多し。浄瑠璃の「深ふなるほど朝迎ひ待せて置ての一言が勤め離れた女房の気、とある文句を考へて魂胆あるべしと大眼子が教を遺せしは誠に能く穿ちたるものにて、此心得是非とも無ければ男逃るものにて候。第二十三倶利加羅落し。第二十四栓子抜き。第二十五鳥粘黐。第二十六白玉の杓子。第二十七水飴の髭がらみ。第二十八人中針。第二十九蜘の掛糸。第三十腹やぐら、など申す手は大極秘の秘の秘の秘密此処には記さず、右八ケ条伝受御執心ならば尚多分の伝受金にて口伝いたすべく候が随分御工夫なさるべく候。
 第三十一は縄張りとて、是は男の落目になりたる時それに巻込れぬ用心に候。此用心なき女は折角調製し着物を剥がれ簪を取られ男もろともに苦む様なるたり。一体手管に二つあり、一つは掛る手管一つは捨る手管にて、丁度将棊をさすに下手は取る駒の詮議ばかりして捨る駒の詮義を知らぬ故思はぬ事に出合ひて負となれど、上手は捨る駒に心を付るより自然と敵手は働らけぬ様なりて此方の勝となる如く、色道も其通り下手の女は仕掛の手管のみは甘くやれども捨る手管に拙き故、恨みをも受け意趣をも含まれ無理情死又は殺害などに逢ふものなり。上手の女は男を振り捨る段の手管を用ゐるに巧みなれば此様の憂ひなし。是より以下は馬鹿な男を振り捨る手管を記し候へばよく/\味はゝるべく候。大体男の金銀を取りし後は、用もなき阿呆め一昨日来いといふ様に突出す事通例なれど、是大きなる初心の女にて、昔時より少しにても名を残せし程の女の此様なるは絶て無し。傾城にしてさへ馴染重なりたる後は大尽零落ても手錬茶屋にて云々との紋切形ありし事、古き洒落本にちらほら見ゆる事なり。されば男零落はてゝ縁切れし後までも良く思はるゝ女こそ手管の上手なれ。詰り一切の手管を手管と思はせず実情と思はすると、手管を手管と気が付するとの大きなる相違は、唯僅かに別れ退く時分の一寸したる所にあり。見事手管に仕てやつて家蔵身代まで吸取りたりとて、彼奴め手管にかけて我をだましたる憎き衒妻めと恨まるゝ様にては下手なり。可愛い者であつたが縁がなくて此始末、アヽ是非もなしと諦らめさせるが上手なり。此相違中々雲泥なれど黒人も当世の田舎出女郎待合の女将軍に腮で使はるゝ薄ツペラ芸者などは気がつかねば、あはれ夫相応の無法男に執念く恨まれて、掛し手管の返礼に出刃包丁一枚モルヒネ三匁づゝの因果の報ふ話し多し。されば男を振捨て退く時の手管能々呑込ざれば御前様も行末危ふく、小新聞を過去帳にして浮名を止めらるゝなるべし。是を思ふに淫婦毒婦など世の人の口に残るは捨る手管の大の下手にて、まだ色道男たらしは青い/\女、夫より却つて悪き噂も残さゞる者に手管の大上手大淫婦大毒婦ある筈なるに、是に心付ざる男ども淫婦毒婦と見へ透たる浅墓な女をばかり責むるは暎るものだけしか見えぬ硝子眼、是を人間の眼とは云はず人形の眼の御客さまと云ふなり。あだし事は扨置きて、縄張りとは男の我身に食ひ込まぬ様防ぐなり。仮令ば男懐中寒く又は商買職業を失ふて何うか仕様はあるまいかなど食ひ込みて来るべき前に此方より同じやうの事云ひ出すにて、男が困窮ると云ふ事を口より出す前に此方より困窮ると云ひ出し置けば其縄に閊へて、三十円ばかり工面をとも云ひ出せぬなり。此縄張り置ざる時無心云ひ掛られては此方受太刀となり、何程云訳しても不実薄情と聞とらるゝ故縄張は大切の手、第十条と見くらべて男金のなくなる時分はそろ/\と縄を張り置くべし、是等は誰も知る事なり。第三十二は鎹を抜く事専一なり。男と此方との間を緊乎と離れぬやうする為に使ひし色々の鎹釘即ち昔時ならば起請誓紙の類を反故にするべし。比翼紋の付し者なぞはそれぐるみ男を捨べし、一ツ一ツ二人の中の鎹釘になり居るものを抜去りいつにても無理なく離れらるゝやうに為すべし。第三十三は案山子を置く事にて、是は最初より男を誑らかすには是非とも準備あるべきにて、田舎に頑固なる親父又は意地悪き継母或は行衛知れぬ放蕩の兄ありなどと前々より吹込置くなり。昔時より遊女など白痴の大尽の金を貪ぼる時にも、此案山子にせかせて財布を搾りし事あり。此等の案山子素より有るにあらずとも名ばかりにても調製置く時は、愈々男と切れ難き時分に一茶番ありてとゞの詰り、不本意ながら親兄などの心を背き難くて辛きは山々なれど別離るといふ風に涙仕掛で退くべし。大抵の男是非もなしとあきらめて仕舞ひ、恨みは案山子に向つて我身は良く思はるゝ者なれば行末又其男立身したる時乗り込むは造作もなき事なり。第三十四は器量ごかしといふ手にて中々名手なり。仮令ば段々と落魄はてゝ互に悲しくなり行き、地獄の青鬼がそろ/\彼世から情死二ケ月間にありとでも入札しそふな時に臨み、男と添寐の囈言又は夢ばなし或は男の居ぬ所にての独り言などに、例の幻術を用ゐて、家の人は今こそ衰ろへたれ行末は必らず立身出世さるゝに違ひなし、ひと器量充分に備はりし御方、昨晩の夢にも昔しに帰り立派になり玉ひてまざ/\と我前に立玉ひしを見たりといふ様の事を男の耳に入れ置く時は、男気丈夫になりて内心例の自惚を起し、少時の間何れへなりとも立越如何なる業なりとも為して再度錦をかざるべしなど考へ浮むものなれば、其相談などにかゝりて来るなり。其時別離の厭なる事、男心の移り易きが心配なる事など喞ちながら、思ひ切たる風にて、我頭に付し簪まで売りて路用を作りやり、沖縄とか北海道とか成るべく遠き国へ出し遣り、御帰家までは柱を噛つても辛防しますほどに精々手柄して早ふ帰つて無事な御顔見せて下されと泣きの涙に送り別るれば、男は歯ぎしり噛みて、アヽあり難き貞女の心ざし百年忘れ難し、身を粉に砕きても一生懸命出来るたけの事して、昔時に勝る栄華を此可愛い者にさせなくては南無観世音我男と生れし甲斐なしと誓ひを立、男泣して遠国へも行ぞかし。箇様の手管は罪極めて深けれども罪をほろぼす道理もありて、却つて案外嘘より実が出て男を出世さする事あり。但し金目の物は二月三月前より外へこかして蔵し置くなり。第三十五は小便とて、是は昔時町家の娘など小面の剥げたるを作り立させ、御大名の目に止るやう仕掛、支度金沢山取りて御妾奉公致させ、殿様添寐の暁寐小便したたかすれば、何ほど色好みの大名も驚きて御下となるなれど、さりとて支度金返せと云ひ玉ふ事もなく、又其悪き風評をさるゝをも恥玉へば何の仔細なく其まゝ別離るゝなり。当時売買の其まゝ流れとなるを小便といふも是より出たる事にて、是れ男に我身を罪の無き悪き者に思はせて直に退く企み、一番の酷らしき手、相対密夫筒もたせと変らざる悪事に候へど、まさかに当世小便は拙し。近き頃ある美しき女然る銭なし男と深く契りけるが、何某華族様其女を見て是非に権妻にとの望み申込るれば父母是をよろこび、御家令の三太夫もろとも頻りと娘に説すゝめければ女余義なく、済まぬ心の中にも暫し清む月の雫花の露に顔を作り髪を整へ、日頃より百倍美しくなつて参上するに殿様御悦喜浅からず、日に増し馴れ睦み玉ひしが、或時冬の夜の酒宴に御流れ頂戴せし女の手の指つきの怪しく屈まりたるを見付られ、其指は如何せしとの御尋ねに顔あかくして、生れ付と申しければ、今まで知れざりし程の事別段醜くからず、美人も必らず何処ぞに少しは美ならざる所あり、浮世に完全の者はなしと此間聞いたが真実にそうぢや、ナニ少しも恥る事はないと仰せありて御寵愛少しも変らざりし。其後また共寐の閨の中蘭灯幽かなる時、アヽむづ痒しと女が自ら媚めかしき眉のあたり掻き撫たる白き指の腹に眉毛四五本抜けて付たるを殿は目早く見付給ひしより、其時は何も仰せられず、後にて糺させられしに三太夫探索して色を変て帰り来り、段々素性をしらべしに三代前に怪しき筋ありと申し上ければ終に御暇となり、御手当を丸々儲けて女は初の男と世帯を持ける。其訳を聞くに、黒き筆の毛少し鋏み取りて眉の間に植置き前々よりの仕掛に癩病と疑はせ、急に退きし手管のよし。かゝる事色色工夫せば新規の妙手いくらもあるべく候。右二十七ケ条あらましを記し申し候。
 凡ての心得は初めにも書記せし通り、男の自惚一ツを種子にする事に候へば、自惚の行方を御考へなされ候はば幾らも御自分にて御発明出来べく候、また御前様御自分に自惚萌し候はば手管一つも役たゝずとおぼしめさるべく候。ゆめ/\此伝受御他言あるまじく高が知れたる当世のにやけ才子ふやけ才子充分にかきのめし、さん/゛\に馬鹿にされべく候。めで度かしこ
                丹波太郎右衛門

    蘆野花子さま
                       


昭和二十五年八月十五日印刷
昭和二十五年八月二十日発行

露伴全集第二巻
  頒価四百八拾円

著作権者    幸田文
編  纂    蝸牛会
      東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地
発行者     岩波雄二郎
      東京都西多摩郡霞村根ケ布三八五番地
印刷者     山田一雄
      東京都西多摩郡霞村根ケ布三八五番地
印刷所     大化堂

      東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地
発行所    株式会社 岩波書店
            電話(代表)九段(33)二八七番
            振替口座東京七四四一六番

はじめにもどる
登録作品リスト(五十音別)にもどる
登録作品リスト(作者別)にもどる
登録作品リスト(時代別)にもどる


---------------

J−TEXT MAIL: kikuchi@j-text.com