艶魔伝

                     幸田露伴


  風流魔記

 風流魔(ふうりうま)は余(よ)の旧作なり。嘗て之を活版に付(ふ)し、世間に出(いだ)さしめむとして、書肆春陽堂主人(しよししゆんやうだうしゆじん)に託(たく)す。主人は同業者中に侠を以て名あり。然れども一見便(すなは)ち辞して曰く、文字放逸不羈(はういつふき)に過ぐ、私(ひそ)かに憚(はゞか)るところあって之を公(おほやけ)にするに堪へずと。余因(よつ)て更に金港堂(きんかうだう)に付す。金港堂亦之を難(かた)んず。適々(たま/\)最も深く余を愛せる婦人、草稿を閲(けみ)して戚然(せきぜん)として容(かたち)を正し、曰く、学海大人(がくかいたいじん)の言、真(まこと)に君を欺(あざむ)かず。妾も亦君が譏(そしり)を士林に獲んことを傷(いた)み、又嫉(ねた)みを女流に買はんことを悲しむ。君幸に妾を愛せば、妾が言(い)を納れて、復(ふたゝ)び之を公にせんとするなかれと。余遂に意を決して之を焼く。然れども謄本(とうほん)存ずるあり、独り謂(おも)へらく、士林の譏弾(きだん)を受く、我に於て何かあらむ。女流の忌(い)むところとなる、我に於て何をか病(や)まむ。我(われ)我が興に乗じて文を作るに当つてや、仏(ぶつ)にも礼せず、夜叉(やしや)をも畏(おそ)れず、素(もと)より寵辱(ちようじよく)の何物たるを忘る。文の譏弾を受け、忌むところとなる、初めより其分(ぶん)なり。我は唯汲々(きふ/\)として寵辱の何物たるを忘るゝあたはざらむことを恐れ、我が興に乗ずるの深からざることを恐る、未だ其譏らるゝを恐れず、忌まるゝを恐れず。常に念(おも)ふ、我が文章天下人士に深仇(しんきう)とせらるゝに至つて、漸く語るに足り、天下人士の好友たるに至って、僅(わづか)に誇るべしと。風流魔の如きは、未だ深仇と目(もく)せらるゝにも至らずして、窃(ひそか)に譏の来(きた)ることの少く、忌まるゝことの多からざらむを恥づるのみ。何の遑(いとま)あつてか譏を受け忌むところとなるを慮(おもんぱか)らむ耶(や)と。然れども彼女の情誼(じやうぎ)を思うて、深く悪文を筺底(きやうてい)に蔵して人に示さず、新(あらた)に意を立て風流魔と題し、別に一篇の文字をつらねむとするに至れり。今学海、思軒(しけん)二先生の風流魔について賜ひたる高文、柵草紙(しがらみざうし)に載せらるゝに当り、聊(いさゝ)か此事を記す。前(さき)に云へる婦人、名は弱子(じやくし)。常に余が心の海の波打際(なみうちぎは)を逍遙(せうえう)せる女仙なり。
    廿四年二月
                           露 伴



     人々足元あやふきおとし穽(あな)
       仕掛(しかけ)の機関(からくり)はこんなものか

 御手紙拝見いたし御身の上御齢(おとし)御器量等委細(ゐさい)承知仕(つかまつ)り候、且又伝受金(でんじゆきん)たしかに受取申候。
 扨色道(しきだう)と一概には申し候へども、表裏ある事にてござ候。表とは律義一遍(りちぎいつぺん)の色恋にて、主親(しゆうおや)にも隠しだてに及ばず、誰に聞(きか)れても苦しからざる筋の事、仮令(たとへ)ば夫を恋ひ妻を恋ひ候やうの事なれば、きまりきつたるお話し、別段御伝受の致しやうもこれ無く候。然しお前様御身分などより推察いたし候て、無論裏の方の御執心(しふしん)と考へ候につき、あらかた左に記し述候。都(すべ)て何によらず表は易(やさ)しきものにて琴曲も裏組を弾(ひき)こなすまでには一寸(ちよつと)面倒に候通り、別(わけ)て斯道(このみち)の表はともかくも、裏の手のむづかしきは中々に候。つまり表は目的一つ故女の道を真直(まつすぐ)にたどりさへ致せばよろしく候へども、裏は目的二つ故千鳥足(ちどりあし)に色恋を縫ふてあるきながら財宝を拾ひ取るやうなむづかしき業(わざ)とよく/\御用心なされべく候。其代り御伝受申し候廉々(かど/\)、よく御つかひこなしなされ候へば、天下の男共如何様(いかやう)の堅蔵変人(かたざうへんじん)なりともくる/\と手の内にまろめ候事造作(ざうさ)もなき業(わざ)にて、玉の輿に乗ろうと臘虎(らつこ)の蒲団に寐ようと、お前様の好自在(すきじざい)に候。此後御運めでたく御出世あそばされ候節は何卒(なにとぞ)わたくしへ御福分(おふくわけ)お忘れなく下されたく候。
 先(まづ)色道裏の手の第一は、貌(かほ)をつくる事肝要に候は申すまでもなく候へど、白粉(おしろい)の付(つけ)やうの濃いの薄いの、口紅(くちべに)のさしやうの江戸風(えどふう)の京都(きやうと)風のと、其様な詮義だてして薄墨(うすずみ)を唇(くちびる)に擦り玉虫色(たまむしいろ)に光らするなどの訳にてはなく、唯顔形(かほかたち)の汚(きた)なき処に気を注(つけ)て取去り申すやう心掛候へば、俗に垢抜したると申す風に相成るべく候。にきびそばかすは白附子(はくぶし)を酒に錬(ね)りて寐際(ねぎは)に付れば全治(なほり)候。ひゞ霜やけは爪際(つめぎは)へ垢のたまるやうの事なきまで気を注(つけ)て平常(ふだん)清潔に致され候へば憂ひなし。総体(そうたい)顔のつくりは時々の流行(はやり)にて変り候へど眉を剃り付(つけ)たり髪際(はえぎは)を抜き揃へたりするは極(ごく)の野暮(やぼ)に候故、矢張素地(やはりきぢ)を其まゝにて念入れ磨(みが)きたて、自然頬の上のむく毛のなくなる程毎日/\糠(ぬか)かふすまか小豆(あづき)の粉などにてざつと洗はれべく、廉(やす)き石鹸はよろしからず、石鹸ならばピアルスをお用ゐなされべく候。夏向は肥(ふと)りたる方(かた)あせぼには弱られ候が胡瓜(きうり)の切口(きりくち)にて摺(こす)られ候がよろしく候。歯は油断なく良き歯磨にて磨きさへすれば齲歯(むしくひ)となる気遣なく候。風邪(かぜ)ひき頭痛逆上(づつうのぼせ)の時は必らず食後毎にロ中掃除怠たらぬやうなさるべく、髪の毛薄赤く又は縮れたるに染粉や野師薬(やしぐすり)はよろしからず、梧桐(あをぎり)の葉の茎(ぢく)を五分位づゝに切り温湯(ぬるまゆ)に浸(ひた)しをけば暫らくしてぬら/\としたる汁(しる)出候、是(これ)を髪洗ふたびに付候へば色美しく黒く柔●(クルマヘン+「而」+「大」)(やはらか)に素直(すなほ)になり候事受合にて、此法を覚へたる或女は始終水髪にて頭自慢致し居り候。糸瓜(へちま)の水は大騒ぎして作るには及ばず、干瓢(かんぺう)を少しづゝ湯に浸して用ふるがよろし。半紙へ鶏卵(たまご)の蛋白(しろみ)を引き乾かして置(おい)て一二寸づゝも切りて糠袋へ入れられべし、それを用ふれば顔の色照るばかりになり候、鶏卵(たまご)一つにて十度十五度ぶりはあるべく候。都(すべ)て御洒落(おしやれ)は浴後(ゆあがり)に手足の爪を取るやうな不覚な心得にては役に立(たゝ)ず候。素人(しろうと)は一日で顔身体(からだ)を奇麗に致さんとあせり候故呉絽(ごろ)の垢擦で鼻の頭を磨(す)りむき、鴬の糞で額の艶(つや)を失ひ候ごとき大笑(おほわらひ)となり候。気を長く持(もつ)て毎日の事に致し候へば三助(さんすけ)に指さゝるゝほどの長湯にも及ばず一月もたてばめつきり女振(をんなぶり)のあがるものに候。是等は申さずとも却つて能(よ)くごぞんじもあるべければあらましにして、第二は姿に候。姿と申して半分は衣物履物冠(きものはきものかぶ)りの物帯持物に候へど、流行廃(はやりすた)りむづかしければ是と指して御教へ申し難く、大概は御自分の御工夫(くふう)にあるべし。首付足付腰付、姿の三大事に候。屈(かゞ)み過ぎたるは雁首真直(がんくびまつすぐ)過ぎたるは掻頭首(かんざしくび)、両方ともによろしからず、女の首付坐りたる時は雁になるとも掻頭(かんざし)になるな、歩行(あるく)時はかんざしになるとも雁になるなと申す此二句よく/\御味はひなさるべく、七分と三分の間を行(ゆき)てよろし。腰付は浮(うい)たるも据(すわ)りたるも皆悪し、先(まづ)は尻を重たそうに見せずして腰のすわりたるがよろし。足付は姿の根本大々事なり。昔時(むかし)より足の指に力を入れてあるくものに美人なし、女を買ふに足の拇指(おやゆび)を見るといふ女衒道(ぜげんだう)の云伝(いひつたへ)も候。塵埃(ほこり)を立(たて)る擦(す)り足、地ひゞきする力足(ちからあし)勿論悪女なり、踏張足齷齪足外輪大股(ふんばりあしあくせくあしそとわおほまた)いぢかり股無論美人ならず、早足の女必らず男に捨(すて)られるもの、遅足(のろあし)の女屹度朋輩(きつとほうばい)に蔑(さげ)すまるゝもの、凡(すべ)て坐敷を歩む時は軽くしとやかに足袋半分(なかば)より多くは裾の内より露(あら)はさず、往来をあるく時は下駄(げた)の鼻緒をたよらず、ゆたかに軽き音さしてあるかるべく候。第三は嗜(たしな)みにて、色艶よくするため鳥獣の肉を嫌はず、湯茶(ゆちや)を多く飲まず、津唾(つば)を乱(みだり)りに吐かず、塵を捻(ひね)り鬢(びん)をいぢるやうの五月蝿(うるさ)き手癖(てくせ)を戒(いまし)め、無暗と衣紋(えもん)を直す如き事をなさず、起居(たちゐ)に骨鳴り節鳴りさせず、万事に付(つけ)て気を付(つけ)心を用ゐて仮令(たとへ)ば寐ごみに踏込(ふみこま)るゝとも醜き姿を見せず、よしや内々葱蒜(ない/\ねぎにら)を食ふたりとも其後にて直ちに熱湯に酢を点(さ)したるをもて嗽(うがひ)して人に知らせざる様巧者にする事にて候。一度手に入れたる男を取迯(とりにが)し候も器量姿の衰ふる故にはあらで此嗜(たしなみ)のゆるみ候より起る事にて、いぎたなく枕を外(はづ)し、差櫛(さしぐし)を刎(は)ね飛(とば)し、脇の下の白なまづを現はし、然も鼻より提灯(ちやうちん)を出し夢の中に落したる白銅貸を捜し居る囈語(うはごと)など云ふ所を旦那見られては三年の恋もさめるものにて候。下女を叱る時などには殊更色気を失ひ嗜みを忘られべからず、女は情をもつて人を使ふべく義理をもつて廉々(かど/\)しく人を責(せむ)るはまことに聞苦しく候。第四は芸にて、是は左(さ)まで大切のものにもなけれど、三味線の調子を心得、仮名書(かながき)の走り筆に文字の角とれて丸く、花の投込(なげこみ)やうにも無理の無きほどまで位は知らねばよろしからず。喉は開(あ)かずと耳は開け、手を利(き)かずとも眼は利けと申し候通り、喉の開きて歌ふ一節(ひとふし)妙なるは云ふまでもなし、せめては歌ふ事をよくせずとも聞分(きゝわく)る耳の開きたるがよろし、声のよきは黒闇(くらやみ)にも見ゆる美人とてひとしほの名誉に候へば、塩酸加利水(えんさんかりすゐ)にて時々の含嗽(うがひ)怠たらず、竜眼肉(りゆうがんにく)を常に用ゐるなど精々大切になさるべく候。第五は癖にて、是は銘々の持前故是非なきものの様なれど美人にあるべき癖とあるまじき癖とあり、癖のなき女には利ロ(りこう)の男は決して昵(なづ)まぬものに候。物を欲しがる癖、大酒を飲む癖、泣言を繰り返す癖、おしやべりの癖、居眠りの癖、腹立(はらだち)やすき癖、吝惜(りんしよく)の癖、大笑ひする癖、下がゝりの障(さは)りいふ癖、高慢の癖、太つ腹らしくいふ癖などは美人にあるまじき癖なり、寛容(おうやう)すぎる癖、物云はぬ癖、夜もすがら寐られぬ癖、おのれを抑へて人を立(たて)る忍耐の癖、物事案じ過(すご)す癖、泣かずに恨む癖、恨まずに愁(うれ)ふる癖、小供を愛(めづ)る癖、小説を好む癖、神仏を信心(しんじん)する癖、又は猫蝶螢小鳥などのやさしき生物(いきもの)を愛する癖、金銭を空費せぬ癖、人形を愛する癖、男に逢ふを嫌ふ癖、侠気(をとこぎ)あるより少し出過(ですぎ)る癖などは、皆それ/\の深き訳ありて男をのろくする癖の類(たぐひ)なれば美人にありて苦しからず。精々あしき癖を去りてよき癖だけを残されべく候。以上の五つは色道裏の手の基礎(もと)にて、是より先は愈々男をたらして藁に逢ふたる海鼠(なまこ)のやうにぐにや/\となし、塩かけられたる蛞蝓(なめくぢ)のごとくとろ/\とろけさする手管(てくだ)の魂胆(こんたん)、手加減眼加減秘密の大事、よく/\読(よみ)てさとられべく候。
 柔術の極意は相敵(あひて)の力にて敵手(あひて)を倒すごとく色道裏の手の極意(ごくい)はつまり男の心にて男を誑(たぶ)らかすばかりに候。一体男と申すものは大馬鹿のあんぽんたんにて、自惚(うぬぼれ)より外は何も知らぬもの故、其自惚を此方の種にして色々の魔法を使ひ、好(すき)自在に仕こなす事に候。真(まこと)に能く女に惚れる男は千人に一人に候、大抵の男は女には惚れず、自分の自惚に惚れて迷つて騒ぐものに候。扨(さて)第六は眼にて候。眼の使ひやうは三十六通りもござ候べけれど最初は振掛目(ふりかけめ)とや申すべき、情目遣(なさけめづか)ひと昔時(むかし)の人の申せしも是なり。是は一寸(ちよつと)男の頭へ軽く此方(こなた)の眼の光りを振りかけてやるだけにてよろしく、然(しか)する時根性(こんじやう)の定まらぬ男は一寸(ちよつと)女に見られたるだけなるに最早(もはや)内心にて、アヽ今朝(けさ)出る時髭を剃(あた)つて来れば良(よか)つたなどと下(くだ)らぬ見栄(みえ)を其場限りの心ながらも考へ候ものなり。三四度も振りかけてやり候へば、鈍(にぶ)き男も鋭き男も心付(つけ)て外へ出る時白足袋(しろたび)の垢(よご)れを厭(いと)ひ帽子の塵を払ひ候。此時はほんの見栄だけなれど殊更に見栄をする男の心中をかしき白痴(たはけ)に候。又は却つて平常(ふだん)の通りにてすましゆき候男もあれど其男の眼の此方(こなた)へ一寸(ちよつと)にても注ぎ候は矢張(やはり)たましひのふらつきたる証拠にて、其男は見栄(みえ)をせぬといふ事を内々見栄に致し居る奴に候。次はたぐり目とも云ふべきか、此方(こなた)より男を見れば見られて男見返すとたん、此方は他所(よそ)を向き候て男遠慮なく我を見るやうになし、男又他所を見候時は此方の眼にて追かけ男を見候やうの事、即ち眼来り眼去る間の霊機(れいき)をもつて男の魂魄(たましひ)をたぐり寄せ候やうの訳なり。酒のまだ廻らぬうちの一坐、芝居の隣り枡、温泉宿にての近付(ちかづき)、遊芸の稽古処、其他堅き座敷にても此眼使ひ男を動かし出す力あり候。但し醜男(ぶをとこ)へは此眼使ひに及ばず、又此方(こなた)より眼を送り候時向ふよりもいやな眼付いたすもの御座候、夫等(それら)の男は大の助倍(すけべい)か馬鹿か銭(ぜに)なしの半可通(はんかつう)かなり、其中にも冷蔑(さげすむ)やうに此方(こなた)を見るは贋豪傑(にせがうけつ)にて、少ししつつこく応接(もてなせ)ば直(ぢき)に手もなく融(と)ける氷の仁王様(にわうさま)のやうな奴に候。睨むやうに正しく見返すは心剛(こゝろつよ)き頼母(たのも)しき見込ある男なれど、それには他方(よそ)を向く代り自分の膝を見候へばよろしく、何にせよ見かへす男は此方の者に候。此外喜びをあらはす細眼、すねて見せる下眼、怒(おこ)つて見せる怖(こは)い眼(黒眼を正しく据(すゑ)て怒つては色気を失ひ候、筋斜(すぢかひ)にして額で睨む心持あるべし)、酔(よつ)たつもりに見するちら/\眼、心配を粧(よそ)ふ空眼(そらめ)(何処(どこ)とも目的(あて)なくして眼に力なきやう●(メヘン+「登」)視(みまも)る)、愈々男を手に入れるに近き時分のぢつと見る殺し眼(此方(こなた)を見る男の眼にひつたりと見合(みあは)して離れぬようにすれば、男堪(こら)へずして間抜(まぬけ)の笑顔(ゑがほ)するか言葉を出すか手を出すものにて、此時は最早(もはや)義理も欲も忘れ居るものなり)、手に入れて後は口舌(くぜつ)の種を作るための癇癪眼(かんしやくめ)、後朝(きぬ/゛\)に未練を引(ひか)せる睡そうなあどけない眼(後朝(きぬ/゛\)にはつきりと眼を明くは悉(こと/゛\)くわるし)、など種々(いろ/\)の眼付御自分にてよく/\御工夫なさるべく候。手管(てくだ)の極意は心の謀計(たくみ)口のきゝ様にあらず、物云はぬ眼の働きに候。第七は振(ふり)にて、閨(ねや)の中の振(ふり)までを合(あは)すれば七十二振ありといへど実は際限なく候。姿とは差(ちが)ひ候て大事の者に候。男は女を口説(くどく)に言葉を用ゐ候が、女が男を口説(くどく)に口を用ゐるやうな拙(つたな)き事にては浄瑠璃(じやうるり)の御姫様の色事(いろごと)同然、黒人業(くろうとわざ)には候はず。さりとて男を口説(くどか)ず候ては生捉(いけどり)難く候、そこで女は振(ふり)をもつて口説(くどく)が肝要にござそふろ。然し尻を持(もつ)てまゐる様ないやらしき振(ふり)は蔑視(さげすま)るゝ種なれば中々むづかしきものなれど、都(すべ)て同年位までの男をば犬猫を愛する様に仕こなし、自分より年上の男には十一二の女の児が兄に物をねだるやうにあまつたれ、気象(きしやう)はつきりと気高(けだか)き生れの男には和(やさ)しく罪のない振(ふり)を為すがよろしく候。鼻紙を丸めて抛(はふ)り、はんけちを食(くひ)さきなぞするぢれたふり、挿頭(かんざし)で頭を掻(かい)たり、袖袂で口を掩(おほ)ふたりするおもはゆげの振(ふり)は旧腐(ふるくさ)く候へば其時々に新しく工夫なさるべく候。古くても男を手に入れたる後、身をもたせ掛(かけ)、又は前髪を男の膝に擦(す)り付(つけ)、又男の小指をつかまへて食付き腋(わき)をくすぐり、二の腕を捻(つね)り背を叩き、ぶつまねしたり打(ぶ)つたり、招いだり迯隠(にげかく)れたり、後面向(うしろむい)たり揺(ゆさ)ぶつたりする乱れた振(ふり)は人をでれ/\とさする働きあり。男の手の平を見ながら、オヤあなたの手は妾(わたし)のより柔らかで憎らしいよ、ピツシヤリポンと拍けば其まゝ男は打つた手を抑へて、それでも力は此位あると握りしむるより、なんでもなき中も忽ち乱れるものにて、是れ訳もなき振(ふり)にて男の心を掻きむしる口説方(くどきかた)なり。何程女振(をんなぶり)よくとも歌舞(かぶ)巧者なりとも十の七まで男の迷ふ訳は夫等(それら)の故にはあらず、此振(ふり)といふ者のうまさにありと覚悟致されべし。昔時(むかし)より貞女賢女などの横恋慕(よこれんぼ)仕かけられ候も多分此振に知らず/\あだなる所ありて男の心を動かし候より、思はぬ迷惑をかけらるゝ事にもなり候と考へられ候。凡(すべ)ての振(ふり)堅く正しく候はば余程の馬鹿の外は道ならぬ恋を仕掛(しかけ)まじく候。扨振(ふり)の秘伝は意味のなき訳の分らぬ振する事に候。是は男の勝手に任せて道理を付(つけ)させ候にて大抵野郎は自惚(うぬぼれ)つよき故、いゝ加減に意味を付(つけ)て腹の中に深く味はひ、悦喜する者に候。若し又あしく取り候とも元々訳の分らぬ振(ふり)故此方の講釈次第にてさん/゛\口舌(くぜつ)の揚句、ウンそうか、おれが悪かつたなぞと鼻毛をのばし候。忘れても振(ふり)は大事々々。第八は語気に候。是は中々手紙には記し難くロ伝(くでん)ものに候へどあらましは、烈しき言葉遣ひ、迫りたる言葉づかひ、圧伏(おしふ)する言葉遣ひ、込上(こみあげ)たる言葉遣ひ、軽薄なる言葉遣ひなどに気を注(つけ)て、なるべく長閑(のどか)に優にしなやかになされて良(よろ)しく、例へばお軽(かる)の辞(ことば)、風に吹(ふか)れて居たわいなとあるにて優にやさしく聞ゆれど、風に吹(ふか)れて居たんでーと烈しくては食ひ付(つき)そうなり、風に吹(ふか)れてたんだと迫りては艶(つや)なく、風にふかれて居たのサと云へば軽薄にすげなし。又、風に吹(ふか)せて居たわいなと云へばせの字とれの字だけ僅(わづか)に一字の差なれども、まことに人を圧し伏する強き女の様聞ゆるなり。風に吹(ふか)れて居るといへば青々と美しき春の柳の長閑(のどか)に立(たて)るごとく、いとめでたき女の、なよ/\と衣(きぬ)にも勝(たへ)ざるありさま想ひやらるゝなり、風に吹(ふか)せてといへば節(ふし)くれだちたる老木(おいき)の松虚空(こくう)に兀然(こつぜん)と聳えたるやうにて何となく女めかず、筋骨たくましき男の兜(かぶと)脱ぎすてゝ突立(つつたつ)たるがごとく想ひやらるゝなれば、女にしても亭主を尻に敷く類と危ぶまるゝ者にて候。風に吹(ふか)れて居たのがどうしたといふほど込上(こみあげ)ては凄じき嬶左衛門(かゝあざゑもん)なり。箇様(かやう)に色々申しても是は言葉の違ひにて語気と申す者にはあらず、語気は言葉の勢(いきほひ)にて手紙にあらはし申し難く候へど、右等の色々の言葉を声を出してお試(ため)しなされ候はば自然と語気の色々ちがふことに御心付(おこゝろづか)れべく候はんと存じ候。さてやさしき語気を用ゐるやう御心がけあり候はば自然とやさしき言葉をも用ゐられ候やうに相なるべく、されば言葉を美しくやさしくなされんとするよりまづ語気を美しくやさしくなされんと覚悟なさるべく、語気をやさしく美しくなされんとならば先(まづ)怒ること、周章(あわて)る事、嫉(ねた)む事、下鄙(げび)たる事などのはしたなき事を心の中(うち)に慎(つゝし)み抑へらるべく候。百の言葉を治(なほ)すよりは一の語気をなほし改むるときは千に万にも活用(はたら)くべく、百の語気をなほしあらたむるよりは一の心を改め直すときは千にも万にもはたらくべく候。油屋(あぶらや)おこんの彼(あの)浄瑠璃をよく聞候へば浄瑠璃語りの声の中におこんはおこんの語気、まんのはまんのの語気ありて、其語気によりおこんの美しき容態、まんのの憎らしき顔付まであり/\と見ゆるやうに思はれ候、それにて大概御会得(ゑとく)なさるべし。ある好色の盲人ふしぎにも美人を鑑定致し候を如何様(いかやう)の事にて分(わか)るかと尋ね候に、第一は声色(こわいろ)、第二は足音、第三は語気と申し候。声の色は金切声胴魔声(かなきりごゑどうまごゑ)など稟賦(うまれつき)にて致し方なく候へども足音語気は心を用ゐさへすれば治るべく候。(箇様(かやう)申し候へばつまり真(まこと)の美人は真の善女にて真の善女には優にやさしき語気の具(そな)はりある筈なれば、色道裏の手の修行(しゆぎやう)も煎じ詰(つめ)て論ずれば善女となるより外の心掛なきことなり。盗賊の山寨(さんさい)を百年関(かま)はずに置(おか)ば其中間に必らず法律起り礼楽(れいがく)生じ教法も出来て千年も経(へ)ば今日の我等のやうになるべきと同じ道理、不思議の天の定め、恐ろしき微妙の理にて、色道裏の手の詐(いつは)り多きもとゞのつまり虚言(うそ)から出る誠の天道、妄想(まうざう)を用ゐ尽して真趣の現ずる訳に候。然し悟つては手練手管(てれんてくだ)の詐偽計略(さぎけいりやく)はだめとなり候。)此の語気を能く使ひこなして自在になし、甘つたるき語気に男をなでつけ、ぴんしやんしたる語気に男をぢれさせ、泣(なき)そうな語気に男を深入りさせ、すました語気に男を思ひ迷はせ、すねくねした語気に男をもどかしがらせ、軽き語気に男をおもしろがらせ浮(うか)したて、力を入れて緊乎(しつかり)とせし語気に男の魂魄(たましひ)を取(とつ)て抑へて迯出さぬやう此方(こなた)の巾着(きんちやく)の中に推(お)し込み、沈みたる語気心配想な語気にて後朝(きぬ/゛\)に別れ行く男の後髪(うしろがみ)を引(ひつ)とらへ置く様臨機応変の鍛錬(たんれん)をつまれなば天晴(あつぱれ)すさまじき男殺しなるべく候。第九は語形に候。美人の使ふまじき言葉を紅く小(ちひ)さなる唇より洩すほど愛想(あいそ)の尽(つき)るものはなし。おさんや玉(たま)(猫の名)に御膳(ごぜん)をやつておくれといふ語(ことば)の形は美し、おさんや玉に御膳をおやりといへば其次なり、玉にめしを食(くは)せろと吩咐(いひつけ)ればあさましくて女にあらず。あなた浮気(うはき)をするときゝませんよは上(じやう)なり、おまへ浮気を仕ちやあいやだよは中なり、浮気を仕て見やがれ唯は置(おか)ねへぞと来ては下(げ)の下の甚だしきにてむかし吉原(よしはら)の羅生門(らしやうもん)けころ見世女郎(みせぢよらう)の品格なり。すべて意(こゝろ)はひとつにても男の心に異(ことな)つたる感じあり。仮令(たとへ)ば男浮気をしても上の詞(ことば)を思ひ出したる時は、それに自分の自惚(うぬぼれ)を添へて想像して、アヽ今頃はおれの写真に針でもさして恨み泣(ない)て居やしないかと憫然(あはれみ)も起り、可愛(かはゆ)くもなり逢(あひ)たくもなりて遂に逢(あひ)に行くなり。中の詞を思ひ出したる時は、あれはブツ/\口小言(くちこごと)を云ながら火鉢の灰をくる/\と掻廻したりなんぞして、ヱヽどうせうとチ(おこ)つて居るだろう、行(いつ)てやろうかよそうか、と懐中(ふところ)に相談する所なり。下の詞を思ひ出したる時は、彼奴(きやつ)め大方やけ酒を煽(あふ)つておれの事を散々(さん/゛\)に悪く云つてるらしい、剣呑(けんのん)だからまあよそうとなるものぞかし。第十は機転に候。機転のうまくならぬ中(うち)は其他の事如何(いか)ほど良く出来候とも皆無益になり申候。機転のきく様にならんとて是は中々宛(あて)もなき事なれど機転のきかぬとは察しのわるきより起るもの、察しのわるきとは察せぬより起るものと御覚悟なされ、精々(せい/゛\)思ひやりといふ事に心をお用ゐ習はし候はれなば察しもよくなるべく、従つて機転の利くやうにもなられべくと考へ申候。以上の五つは手管手錬(てくだてれん)の器械なれば此器械よく研(と)ぎあげられず候ては進退むづかし、十分器械を整へられて後のあやつり様(やう)は次にしるし候にあり。
男を釣り候は魚を釣り候と少しも異(かは)りなく、甘(あま)き餌(ゑ)にて尽(こと/゛\)く鉤(はり)を隠して見へぬ様なし、釣糸を丈夫にして振切り迯(にげ)られぬ様仕掛(しかけ)、鉤を鋭く慥(たしか)に腮(あご)へ刺(さゝ)るやう致し置き、錘(おもり)を以て沈め、水底(みなぞこ)に居る魚の鼻の頭(さき)へ見せびらかす時は直(ぢき)に釣れるものなり。姿形をかざり、柳清香(りうせいかう)の花(はな)の露(つゆ)のと申すものに好き匂ひさせて作り立(たて)るは餌なり、釣綸(つりいと)は神かけて離れまいなどと契(ちぎ)り交(かは)す言葉なり、錘は傾城(けいせい)ならば新造芸者(しんぞげいしや)ならば仮母(かりおや)か待合(まちあそ)の女将軍の類(たぐひ)、お前様御身分では別に定まりて無けれどつまり介添様(かいぞへやう)のものと心得らるべし。さてそれにて支度(したく)万端よろしければ、痩せぎすの男もだぽ鯊(はぜ)づらの男も、●(「魚」へん+「箴」)(さより)の如きひんなり男も鮪(まぐろ)の如き無骨(ぶこつ)男も鮒(ふな)も鯰(なまづ)も、鯛(たひ)のやうな色男も出世の見込ある鯔魚(いな)のやうな若佼(わかうど)も雑魚(ざこ)も泥鰌(どぜう)も争ひ食ひ付(つき)て鉤にかゝるものにて候。然し釣魚(つり)も魚の向々(むき/\)にて道具を変へ香餌(ゑば)を換(かへ)ねばならぬごとく、男によりて此方(こなた)の仕掛を変(かへ)ねば甘(うま)く釣れぬ訳あり。されば男を見る事第一の肝要に候が、然し人を見る事の難(むづ)かしさは昔より色々の論もあるほどにて、韓非(かんぴ)の説難鬼谷(ぜいなんきこく)の忤合(ごがふ)なども人を観るといふ事を能くすれば読(よむ)には及ばざるべきほどの大事なれば、一朝一夕に御伝受いたし難く候。人を観分(みわく)るに職業を以てするはいと易き事にて、如何(いか)に衣服を変じたりとも言葉つき滑(なめ)らかに低きは商人(あきんど)、粗(あら)く大きなるは船乗り、手の中に豆などあるは大工(だいく)左官の儕輩(ともがら)、身内奇麗に肉付柔らかき者の中にて言葉叮嚀ならぬは書生、横柄(わうへい)に威権どるは官員、兎角(とかく)半可通にて軽きは銀行員なぞと一々其職業を的(あて)るは花の時分向(むか)ふ嶋(じま)の茶店(ちやみせ)に半日も腰を掛居れば訳なく発明できるなれど、是はあまり役たゝぬ見分様(みわけやう)とおぼしめさるべし。さて第十一は右様(みぎやう)の次第にて金を見る事に候。男の腹中金あるか、又は金の融通(ゆうづう)よく利(き)く男か、体裁(ていさい)ばかりの見掛倒(みかけだふ)しか、有福の家の息子株(むすこかぶ)金はありながら自由にできぬかなどを見分(みわけ)ず候ては、木綿布子(もめんぬのこ)着たる大尽を見のがし、羽二重の犢鼻褌(ふんどし)しめた素寒貧(すかんぴん)に引(ひつ)かゝるやうの馬鹿を見候。まづ十分云(いひ)たそうな所を七分に扣(ひか)へて口きゝ、人まかせにして我(が)を張らず、言葉かど/\しく鋭からず、身分をあからさまにせず、衣服持物(もちもの)に際だちたる好み見えず、眉の間(あひだ)豊かに若き男は身分よき人の息子株にて、即ち金はなくとも金の蔭を持ち居るなり。金持の人は衣服(みなり)立派なりとも何処(どこ)かに少し間抜(まぬけ)たる所気のきかぬ所あり、是は金持といふ者は自然と人に作られたる衣服持物を有(もつ)て一々自分より作らぬによりてなり。例えば、是は極(ごく)渋くてよろしうござるとすゝめられて繻珍(しゆちん)の結構なるを買つて帯には博多(はかた)でもなかろうと生渋(なましぶ)がりに渋がりながら、それに釣合(つりあ)つた衣服を注文しようともせずして極品(ごくひん)の糸織いやにニヤケたる柄(がら)の者を着るごとし。すべて一ツ一ツを離して見れば結構ながら全体の作りを見れば何か可笑(をかし)き所あるやうな気味あり、床(とこ)には啓書記(けいしよき)の山水(さんすゐ)天下の珍品を掛(かけ)て其下に巴里製(パリーせい)の花皿置くといふ調子もすべて人に作らるゝ故なり。此(かく)の如き金持は言葉ゆたかにのつしりとして座敷一杯に坐りて遠慮を知らず、されば少しシツツコク甘へたれる風を見すれば実に惚(のろ)きものにて、是等の人を死(しに)金持と申候。言語うまく人を可笑(をかし)がらせ、然も内端(うちば)でも鷹風(おほふう)でもなく、身姿抜目(みなりぬけめ)なく、一風の好みありて冠(かむ)りもの新しく、然も世間の状態(ありさま)を知り、呑込(のみこみ)よく行渡りよく、さのみ奢(おご)りもせざるは金の融通(ゆうづう)よく利く男にて、懐中(ふところ)に大金(たいきん)なくとも是等の男をたらし候へば相応の金を引出しやすく候。金の動く中に居る男は仮令(たとひ)金なくとも生(いき)金持ちなれば、引負(ひきおひ)などさするまでには相応に取るゝなり。衣服通(みなりつう)がりて仕掛口舌上手(しかけくぜつじやうず)なる男は大抵銭なしに候。銭なき故に己(おのれ)の心意気(こゝろいき)を見て呉(くれ)といふ様な調子にて、男自身にも金の他(ほか)の者にて身を飾る弱みあれば、自然と音羽屋成田屋(おとはやなりたや)の仮声(こわいろ)をつかひ、新内端唄(しんないはうた)或は囈語(ねごと)を噛む様な河東節(かとうぶし)、又は季もなき駄発句(だぼつく)、てには違ひの和歌などに力(りき)むと知るべし。生意気(なまいき)はまづ有福ならざるより起る見栄(みえ)と思ふてきつと間違ひなく候。時として金ある人の生意気にて女に向ひ腹を売るといふもあれど、金ある人の生意気はまるで芸にも洒落(しやれ)にもならず、金なき奴の生意気は芸になりかゝり洒落になりかゝりに候、能く/\ならぬとなりかゝりの区別を御考へなされ候はば見誤りあるまじく候。平常(ふだん)金なき人の急に金を持(もつ)たるは一番よく知れ申し候。人の性質により相違あれども大抵は急に勢よくなり候か急に別の人の如く寛容(おうやう)になるかの二ツに候。箇様(かやう)の時は此方(こなた)も急に巻上(まきあげ)る算段(さんだん)よろしく候。急に無理口舌(くぜつ)して激(はげ)まし憤(いか)らせ吐出(はきだ)さするか、急に待遇(あしらひ)を好くしてねだり取るか、いづれにせよ急にすれば残らず取れるものなり。第十二は質(たち)を見るにあり。金を出すにも人々の質(たち)あり。如才(じよさい)なき男は此方(こなた)より云ふては出さぬものにて、此方より匂はすれば自分で悟りて天晴(あつぱれ)気の利(きい)たるつもりに、自分の金を取られながら自分の手柄(てがら)のごとく、内心悦(えつ)に入りて脆くも出すものなり。おとなしき男正直(しやうぢき)の男は論に及ばず、悋惜(りんしよく)の質(たち)はつまり金に未練を引きて思ひきれぬの故色(いろ)にも未練を引(ひき)て思ひきらぬものなれば、随分愛想(あいそ)を尽(つか)さるゝかと思ふほど五月蝿(うるさ)く責(せむ)る時は矢張(やはり)少しづゝ出し、決して女を思ひすてぬなり。一時(いちじ)に大金を出させんとすれば金を思ひ切らずに女を思ひきる事あり。又金を使ふに活(いか)して使ふの殺して使ふのと詮議だてを腹中(ふくちゆう)にする質(たち)の男は大抵金のなき半可(はんか)なり、論ずるに足らず。又身分よき人にて何でもなき時、列(なら)べて寐たる我枕の抽出(ひきだ)しに十円札の一枚も入れをきながら知らぬ顔して行くやうな事をするものあり、決して此質(たち)の人に金の話しなぞ夢にもすべからず、唯其あとにて新らしき櫛掻頭(かんざし)の類、或は襦袢の襟、半掛指環(ゆびわ)など何にても眼に付(つく)ものを其金高に応じて一寸(ちよつと)買ひ、身に付置(つけお)くべし、是(これ)秘事なり。其男其次来るとき必らず女の身の周囲(まはり)を見るものなり。或は、ウヽと内心うなづいた限(ぎ)りにするか、或は、オヤ其指環は珍らしい石入りだ。ほんとにありがたうございました、お向(むか)ふの光(みつ)ちやんにも好い石だつてほめられましたよ。御礼は門違(かどちが)ひだろう。アラ此間あなたに頂いたんぢやありませんか。フヽ大分粋(だいぶすゐ)だの。誰かにかぶれてサ。といふやうな問答で男は充分満足し、チリ/\と肝の臓に堪(こた)えて嬉しがるものなり。ましてや其指輪の裏面に男の名頭(ながしら)の羅馬字(ローマじ)と女の名頭のローマ字とを組合(くみあは)して金港堂出版本(きんかうだうしゆつぱんぼん)の裏の印(しるし)のやうなものの彫りてあるなぞに至りては、王爵(わうしやく)のデレ助(すけ)となるべし。然し是はよく/\男を見定めて後の事なり、迂濶(うくわつ)にしては執箆返(しつぺいがへ)しを食ふ事あるべし。男の気性(きしやう)呑込めぬ内は野暮(やぼ)に返すが無難なり。まづ此様な事をする男は女にかけては凡人より少し馬鹿にて世事にかけて平(なみ)の人より少し利口にて、バッとしたる遊びなど好まぬ質(たち)なり。又半可通なる男も此様の事をするものなれば御用心なさるべく候。第十一は金の初(はじめ)を見る事、此条は金の中を見る事、第十三は金の終りを見る事に候。何(ど)の様の男にても色を酒の肴(さかな)にして遊び又は酒を糧(かて)にして色を漁(あさ)る者の懐中(ふところ)末の末までよろしき訳なし、いづれ身体にも脾胃損腎虚財布(ひゐそんじんきよさいふ)にも脾胃損腎虚の苦しみを生ずるなれば、よく/\それを見透(みすか)して金の終りを悟り、よき汐に吾身を迯退(にげの)くやうにすること肝要にて、其迯様(にげやう)は末に記し置候。勝気(かちき)なる男は金の無くなり際(ぎは)になれば心いら/\となり、酒量平日(つね)より進み、夜更(ふく)るまで心よげに騒々しく語りさやぎ、暁天(あけ)がたに僅か目(ま)どろみ、少しも屈托の模様を露(あら)はさぬものなり。かゝる容態(ようだい)の時は用心すべし。気弱(きよわ)の男は足遠くなり、言葉つき弱くなり、酒を平日(つね)より甘(うま)がらず酔(よひ)こぢれ、早く寝ても眠ること遅く、もし/\と起しても返辞に疎(うと)く、膝のうしろ、手の付根(つけね)など折屈(をりかゞ)みの所々しつとりと汗ばみ居るは是(これ)心配のあるためと知るべし。都(すべ)て妻にもあらぬ女に心通はす程の白痴男(たはけをとこ)の生命(いのち)は金なれば、金に乏しくなるにつけ其男の容態何処(どこ)やらに影の薄い様な所生じ、処置ぶりに間抜あらはれ、追付(おつつけ)六文の銭(ぜに)もなき一文なし亡者(まうじや)となり、六道(ろくだう)の辻車引く身となる前兆たしかに知るゝなり。但し此時此方(こなた)の眼児(まなこ)明らかに早く迯支度(にげじたく)を為し置(おか)ざれば付纏(つきまと)はれて悪足(わるあし)となられ、共に奈落(ならく)に沈む故此段は大切とおぼさるべし。然し一度男を零落(おちぶれ)させて見れば金の終り位見易きはなし。愈々次の条よりは手管の奥儀なり、十分気を注(つけ)て読(よま)るべく候。
 第十四は影を与ふる法にて、未だ男を手に入れざるうち男を聢(しか)と引(ひき)よする手管なり。前にも申したる通り素(もと)より男は自惚(うぬぼれ)つよきもの故、何でもなき事に独(ひと)り悦喜(よろこび)する程の白痴(たはけ)に候へば、まして此方(こなた)に心ありて釣りよせんとする餌(ゑさ)にかゝらざるは無く候。然し初めよりべつたりと仕掛候は却つてなれなれし過(すぎ)て価値(あたへ)低く候なれば、先(まづ)身を与へず影を与ふる事よろしく候。影を与ふると申すは、仮令(たとへ)ば甘き者の匂ひを嗅(かゞ)するやうの道理にて、つまり酒好(ずき)の人に酒をば飲(のま)せず、酒の香の芬々(ふんぷん)たるを嗅するごとく、喉をぐび/\致させ、涎(よだれ)を垂(たれ)させ、堪えられぬと云(いは)するは実(まこと)に匂ひだけ嗅するところにあり。色道も此通りにて最初はまづ前に記したる眼と振(ふり)にて仕かけ、男の持物のおもしろき所を見出して誉(ほ)め、男の話しに身を入れて聞き、扇面又は幅紗(ふくさ)などに書画を望み、其礼として我毛糸細工の洋灯敷(ランプしき)縮緬の肘(ひぢ)つきなどを餽(おく)り、男の誉むる役者芸人(げいにん)を共に誉め、男の嫌ふ事を共に嫌ひ顔(がほ)し、男の能く知り居ることを態(わざ)と尋ね問ひて誇りかに答へさせ、其答を感心し顔に聞き候など、是等は当世乳臭き束髪(そくはつ)の小娘供(こむすめども)も為(す)る事にて其敵手(あひて)となる乳臭き少年共と互に喜びあふて、男女交際とか何とか体裁よき名を付(つけ)て清潔(きれい)がり、矢張(やはり)内実は淫心の匂ひだけを嗅せ合ふてぐびつく喉を抑へ居る事に候。然し是等にては余り拙(つたな)く鈍(にぶ)く候。今少し確(しか)と影を与ふるは男の立居(たちゐ)に一方(ひとかた)ならず心を配り、男手水(てうづ)に立(たゝ)ば石鉢に水はありながら下女(げじよ)に吩咐(いひつけ)て温湯(ぬるま)を進(まゐ)らせ、夏ならば絽(ろ)の御羽織脱(ぬが)せ申して人手にかけず畳み、或は其人に風を送り、又は附居(つきゐ)る女(前に記せし錘(おもり)なり)の口より慫慂(すゝめ)させておもはゆげの振(ふり)しながら一節(ひとふし)うたふ唱歌にほのめかし、或は話しの序(ついで)に昔時(むかし)の人に比(たぐ)へて其男容貌(きりやう)自慢の気味あらば、佐野次郎左衛門(さのじろざゑもん)の容色では八橋(やつはし)の嫌つたが無理ではなし生命(いのち)とられたとて栄様(えいさま)を色にしたは女と生れての本望なるべしといへば、男最早(もはや)女を八橋の如く思ひて自分は美男栄之丞(えいのじやう)の気になるなり。又其男器量よからずば、何程美しきとて栄之丞に迷ふたる八橋の心愚(おろか)なり、男は気で持ち生海鼠(なまこ)は酢(す)で保(も)つとさへ云ふものを、気性ある次郎左衛門を酷(むご)くしたる心あさまし、さればこそ冥理(めうり)も尽きて見苦しく終りたれ、と云へば、男腹中にて、ムヽ此女は人形食(にんぎやうぐひ)ではなし、面白い根性(こんじやう)だなぞと誉(ほ)むるなり。今少し下卑(げび)れば打解(うちとけ)たる振(ふり)に二種三種(ふたしなみしな)の肴(さかな)を整へ、主人顔に酒盞(さかづき)さしつさゝれつ、酒に乱れて居ずまゐを崩し、言葉つき仇めかしく笑ひさゞめく内にさては忍び駒にちんとはぢきて、おゝさへおゝさへ喜悦(よろこび)ありや我此盃(さかづき)を外へはやらじとおもしろや向ふの人に思ひざし嬉し顔なると唄つてチューと鼠鳴(ねずみなき)するなどの事なり。尚下品ならば男の飲(のみ)さしを取つて知らする様に知らせざる様に甘(うま)そうに飲む類(たぐひ)にて、大抵是ほどに仕掛(しかく)れば男家に帰りても碌(ろく)には寐(ねむ)らぬ訳あり、女の影法師聢(しか)と男の懐(ふところ)の中にある故也。第十五は楔(くさび)を呉れるなり。山人如何程(いかほど)力自慢なりとて大木を割るに楔なくてはかゝり得ぬものなり、男如何程自惚(うぬぼれ)強くとも此方(こなた)上品におとなしくして居れば無下(むげ)には掛り得ぬものなれば、是非きつかけをまちて取(とつ)てかゝらんと野心をさし挟(はさ)み居ると知るべし、其時此方(こなた)より好き汐を見図(みはか)らひ少しの楔を与ふれば男それに便(たよ)りて満身の自惚(うぬぼれ)の力量を振ひ、よしや此女盤根錯節(ばんこんさくせつ)の堅い奴(やつ)にもせよ我力にてコヂ破つて呉れんと意気組すさまじく掛りて来るなり。其くせ此楔といふ者むづかしき事にもあらず、ありふれたる詰らぬ手にて前の影を与ふる中の逆手に止(とゞま)るなり。仮設(たとへ)ば前のは我に就(つい)て云ふ代り是は男に就て云ふものにて、ほんとにあなたは罪作りだよと云へば、男。是はきびしい、何故(なぜ)々々。ホヽ誰かに聞(きい)てごらんなさい。だれに。わたしは知りませんよウと此位なるは罪の軽き楔なるべく、も少し強きはべつたりと、あなた妾(わた)しの兄さんになつて頂戴ナなどいふ時男素早き質(たち)なれば、亭主ぢやあ不得心だろうなぞと最早(もはや)打込んで来るなり。是より話しは一足一足に進みて男は手に入れたりと思ふより此方(こなた)の手に盛(も)り込(こま)るゝをば知らず、都(すべ)て上品に仕掛(しかく)る時は是非此楔を巧みに男に与えねば男掛りかぬると思ふべし。初めより下品に交際(つきあへ)ば沙汰に及ばず候。第十六は気を奪ふとて、是は腹中ゆたかたる大尽又は痩我慢の半粋(はんすゐ)なる男に用ゐて殊の外おかしき事あり。近き頃或芸者神奈川辺(げいしやかながはへん)の去(さる)大尽を手に入れて馴染(なじみ)重なり、衣類持物まで美を尽しての賜物(たまもの)数々貰ひしのみか、然も引(ひき)ぬきて正妻の位にそなへ二十幾戸前(とまへ)の蔵の鍵まで与へられんとの内談、追付(おつつけ)同業の誰彼へ配るべき赤飯(せきはん)の胸算用(むなざんよう)まで出来て居るとも知らず、某(なにがし)銀行の支配人とかが半月程前より一方ならぬ贔屓(ひいき)、それも曰(いは)くありてとは悟れど取らぬは損と是にも、例の影を与へ楔をあたふる数々の仕こなし、支配人愈々悦喜し金銀を投(なげ)うち丹誠を運べば扨遂に愈々となり、或待合に啣(くは)へ込(こま)れて三味線ぬきの小座敷、梁塵(りやうぢん)も動かねば風も入らぬしんみりとした酒盛(さかもり)、さゞめ言も浮気を退(のけ)て互に腹を売る台詞(せりふ)しつくりおもしろく、天晴京伝(あつぱれきやうでん)の洒落本(しやれほん)にも無さそうな黒人(くろうと)の真実、色道第一根本ありがたい所は此処(こゝ)ぢやなぞと男はとろけかゝりて大満足大恐悦がり、うと/\する振(ふり)を見て取り、お感冒(かぜ)めすなとゆり起して、こちへござれと柔らかな手に引立(ひつたて)、灯(とも)し火(び)粋なる座敷に伴ふ此時十時の時計(とけい)チン/\と響くを聞捨て共に臥床(ふしど)に入る途端(とたん)、あはだゝしく下女が姐(ねえ)さん電報がといふを受取り、女眉を寄せながら心配相に見れば封筒に至急の朱印、どつきりして開いて見て涙おろ/\と落しながら推(おし)まろめて投(なげ)やり、ゑゝどうせうと胸の閊(つか)へ苦しげなるを男あきれ惑(まど)ひて兎角(とかく)介抱し、仔細を問へば指さす電報、それを取つて見るに横浜(よこはま)より、チヽビヨウキムヅカシスグコイとあり。女は嘆息しながら、辛(つら)や浮世(うきよ)、よき事に魔がさして・・・・・・然し今宵(こよひ)は誓文(せいもん)くつされどこに行(ゆか)るゝものぞ、とひつたり男に寄り添ふを取(とつ)て撞退(つきの)け、我へのなさけかはしらぬが親の死目(しにめ)を他所(よそ)に見させて我何の面白い事なし、行け、ソレ十一時の急行列車にはまだ間に合(あは)ん、少なけれど見舞の足しにもと大札(おほさつ)四五枚。何(なん)にも云はず涙だけ見せて男をふし拝み、車を急がせ横浜には行(ゆか)ざりける。是ひとつには男みづからの粋ばまりなれど、ひとつは作略(さりやく)に男の気を奪ふて、身をぱ汚(けが)さず影を与(あたへ)て実(じつ)を取る仕懸(しかけ)巧みなる故なり。凡(すべ)て肌をゆるして男をたらすは拙く、心をゆるすと見せて迷はすべく、肌をゆるさねばならぬやうの仕義にもならば甘(うま)く男の気を奪つて肉欲の出所(でどこ)を失ふやうに仕掛(しかけ)らるべく候。気を奪ふには境界(きやうがい)を瓦落離(ぐわらり)とかゆるにあり。おのれの病気を云立(いひたて)親の命日を云立にする類(たぐひ)は余程のろき男にはよけれど平常(なみ)の者には悪し、大方前より仕組置(おき)て其時に湧(わき)あがりし事の如くするがよろしく候、拙き時は男に見すかされ恥をかくべく候。第十七は我(が)を捨(すつ)るなり。我を立(たつ)るものを愛するは大人(たいじん)君子度量の極めて広きものにあらざれば能(あた)はざる事にて、世間の男ども何によらず自分は自分の我を立(たて)ながら他人の我を立(たつ)るを憎み候ものなり。真(まこと)に能く我を尚(たつと)むものならば他人の我を立(たつ)るをも愛し見るべき訳にて、お釈迦(しやか)様などこそ真に能く我を尚(たつ)とまれたる方(かた)なれ、さればこそ提婆達多(だいばだつた)が我をも露憎み玉はず海の如き御胸の中に容(い)れ玉ひたるなれ、大抵の男は自分の我を尚みて人の我を憎み、人には人の我を捨(すて)させて自分の我に同ぜしめんと図る白痴(たはけ)に候へば、此方(こなた)我を立(たて)候時は中々此方を愛する事出来ず此方を忌(い)むものなり。それ故愚人に愛されんとせば我を捨てねばならず、言葉を換(かへ)て申せば我を捨(すて)て人に近寄るものは其心極めて険悪なる奴(やつ)にて、昔時(むかし)より奸雄と申すもの一生我を捨(すつ)る工夫ばかりに心を苦しめ居たるに相違なく、鄙(いや)しき者の頂上は我を捨(すつ)る奴なり。元来(もとより)良き我ならば捨(すつ)るに及ばず、悪(あ)しき我なる故捨(すつ)るならば我を捨(すつ)るものは即ち悪しき人間にて、我を捨(すつ)るも其人間の我なれば、つまり忍びて我を捨(すつ)るは恐ろしき大悪人なる事云ふまでもなし。然し猶深く考ふれば真(まこと)に能く我を捨得られなば大聖人なること疑ひなく、又真に能く我を立得られなば大聖人なること疑ひなし。表裏融通知れ切(きつ)たる話しなれど、前にも申す通り凡人は我を立得(たてえ)ず我をも真(まこと)には捨(すて)得ざる中間のぶら/\に候所が五十年の棲処(すみどころ)に候へば、其凡人を相手にする色道の秘密は痩我慢して我を捨(すつ)るにあり。然し爰(こゝ)に不思議の妙ありて天道の恐ろしき事に身の毛立つ訳あり、第八の語気の条(くだり)にも記せし通り色道裏の手のあさましきも詰り煎(せん)じ/\て見れば表の正しき所に帰らねばならぬごとく、我を捨(すて)男の心を蕩(たら)かす此条(くだり)もまた余程妙なものにて候。一体色道裏の手は皆恋と見せて男を誑(たぶ)らかすなれど愈々男を誑らかさんと密(ひそか)に深く考ふれば、其考へ出す悪事の手段(てだて)数々の中に電光の閃めきて眼を射るやうに驚ろかされ候事のみござ候。扨元来(もとより)男にもせよ女にもせよ真実に惚れたる時は強(たつ)て我を立(たつ)るものにあらず、自然と男は女の我を能く立て女は又自然と男の我を立てるより、自分の我を捨(すつ)る訳にはあらねど我恋人の我を尚(たつと)び、知らず/\男の我に女は従ひ女の我を男は愛し、何時(いつ)の間(ま)にか我を捨(すつ)るようになり行(ゆき)て人の我を立(たつ)るを忌みし昔時(むかし)の小さなる心おしひろめられ、互ひの心春の空のやうに和(やは)らぎ長閑(のどか)に楽しくなるなり。恋は神聖とは是等をや申すべき、噫(あゝ)。されば正真(しやうしん)の恋ならば悠然と満足しながら人の我を愛し自分の我は捨(すた)り行くなるに、恋に似する裏の手の工夫にては無理に痩我慢して我を捨(すつ)る其苦しさ中々出来難く、是非もなき天理言語に及ばず候。是に拠りて考ふれば無我のように見ゆるお釈迦様など申す大聖人は一切衆生禽獣(いつさいしゆじやうきんじう)にまで惚れて自分の我欲は自然捨(すた)り行きたるかも知らず、大きな恋が大きな人を作つたるにて高(たか)が知れたる人間のへボ思想が聖人とならしめたりとは思はれぬなり。我を捨(すつ)るトヾの詰りは身を捨(すて)命を惜(をし)まぬなれどそれまで踏込(ふんご)むには及ばず、先づ一切の所業男の性質に合ふやうに仕掛(しかけ)、すべて男の自惚(うぬぼれ)て居る所に同意し下(くだ)らぬ事にまで我意を抑へて忍耐するなり。仮令(たとへ)ば君故ならば我命何の惜かるべき、ましてや君の仰せには生血(いきち)を絞り片腕を抜(ぬか)るゝとも露厭(いと)はじ、世間の評判親類目上の思慮(おもはく)我を禽獣のやうに見て爪弾(つまはじ)きするとも一身君に任せし我少しも関(かま)はずといふやうなる意気込にて、男酒嫌ひなれば今までは日に一升の大酒なりしとも酒盞(さかづき)を石灯籠に打(たゝ)き付(つけ)て金毘羅(こんぴら)様に禁酒を誓ひ、男学問を好(このま)ば他所(よそ)にて内々伊勢竹取徒然草(いせたけとりつれ/゛\ぐさ)の二くだり三条(みくだり)は聞習ひ、男法華(ほつけ)ならば門徒(もんと)を廃(や)め、男猫を厭(いと)はば泣(なき)の涙を揮(ふる)つて鰹節(かつぶし)添へて玉を余所(よそ)に遣る位はまだな事、今少し奮発しては、殺すとも活(いか)すともどうせ貴郎(あなた)に任せた身体(からだ)、身は我物にもあらじ我父母の物にもあらじと、男の懐中(ふところ)にわが魂魄(たましひ)を投込(なげこむ)なり。然し余り強く我を捨(すて)ては、後にて別離(わかれ)の時困る事出来(しゆつたい)すべし、よく/\注意あるべく候。第十八は身を奪ふなり。是は男に我身を任せたる頃身を捨(すつ)る代りに確(しか)と男の身を我方(わがかた)に奪ひ取り置くなり。我を捨(すて)たるばかりにては此方(こなた)却つて損の如くなれど詰りは我を捨(すて)る事が種となつて男の身を我所有(もの)とする方便、縦横に男を動かし自在にかきのめすは身を奪ふにあり。仮設(たとへ)ば、そんなに大きな者で御飲(おのみ)なすつてはいけませんよ、毒ですよ。マアいゝから酌(つぎ)な。毒ですよ、もう御廃(おやめ)なさいと云へば。毒でもいゝからまあ一杯酌(つぎ)な。何いゝ事がありますものか、貴郎(あなた)ひとりの身体(からだ)ぢやアあるまいし、と斯う云(いへ)ば生酔(なまよひ)の臓腑にも、あなた一人のからだぢやあるまいしの一句キリ/\と染(し)み渡りて無上(むしやう)に嬉しく有り難く、自分の身体を奪はれたりとは気が付(つか)ず、そんならもうおつもりに仕やうと細い眼をすること受合(うけあひ)、男の阿房は図(づ)の知れぬものなり。感冒(おかぜ)召すなよ猪牙(ちよき)とやらといふて背面(うしろ)より女房が羽織を着せたるには浮気男も閉口したるが、是其言葉の裏には男の身の奪はるゝだけの愛情あり。又傾城(けいせい)が、朝寒し駕籠屋(かごや)の息の白う見ゆるに垢付(あかづき)たりとも是を下に召して土手(どて)の風に御身をいたはられよと、我着たる衣を男に着させて帰すなど矢張(やはり)男の身を奪ふ訳にて、最早(もはや)斯くなれば男の身は男自身の持物ならで女の掌(て)の中(うち)の丸薬(ぐわんやく)同然、自由自在に捻(ひね)り廻される馬鹿に候。第十九は火を入れる如き手なり。是は酒の少しく腐(ふる)くなりたるに火を入るゝ如く、男の少し遠退(とほの)きたる時仕掛(しかく)るなり。昔しは此手を初紅葉(はつもみぢ)と申してあきくちに濃うなる色仕掛(いろじかけ)と洒落(しやれ)申し候なり。男は素(もと)より浮気者なれば一月(ひとつき)か二月繁々(ふたつきしげ/\)通ひたる後は必らず又他に気を移して少時(しばし)足の遠ざかるものなり。さて適々(たま/\)来りたる時此方(こなた)より平常(なみ)に待遇(あしら)へば必らず何となく物足らぬ様の心地(こゝち)して男おもしろがらぬものなれば、其時思ひ切(きつ)て火を入れ、したゝかに男を焼いてやるべし。但し焼き様むづかしけれど、先(まづ)は片手に火を持ち片手に水を持つ様の心得あるべし。仮令(たとへ)ば男の入り来るを見て髪容姿(かみかたち)の乱れたるをも顧みる遑(いとま)なく突然(いきなり)あさましき面相して胸倉(むなぐら)を引捕(ひつとら)へ、おまへはおまへは、性悪男(しやうわるをとこ)め、何処(どこ)の馬骨に引(ひつ)かゝつて居たと号(わめ)き立て撞(つ)き廻すやうにては両手に火を持(もつ)て頭顱(あたま)から容赦なく焼(やき)つくす素人(しろうと)がゝりなれば、男堪(たま)らず真黒(まつくろ)に焦(こが)されてほう/\の体(てい)に敗北し二度とは寄付(よりつか)ぬなり。初紅葉(はつもみぢ)とは此様な無造作(むざうさ)にあらず。男入り来るを見るより何となく顔付を莞爾(にこ)つかせ、起居(たちゐ)いそいそとして悦ばしき風をあらはし、手早く髪容(かみかたち)を収め、万端奇麗事(きれいごと)に男の尻を坐蒲団に居(すゑ)させて後、待ちし夜の長かりしは貴郎(あなた)のつめたい時計にては知られまじと口説(くど)き、一昨日(をとつひ)は髪を空(あだ)に結はせしと恨み、数々の心尽し手鏡を米櫃(こめびつ)の底に伏せて愚(おろか)なる咒術(まじなひ)までを頼みにせし可笑(をかし)さなどを、或(あるひ)は真面目(まじめ)に或は興じて元気づきながら物語り、酒機嫌よく侑(すゝ)め、夜も更(ふけ)て二人切りとなりたる時拍子と呼吸を見計らひ、ヂリ/\焼き出すべし。今日(けふ)は何(どう)して御来臨(おいで)なすつたのだろう、いつそ御いでがなければ好いに、と斯(かう)切り出されては男だまつては居られず、来なければ好(よか)つたなら帰りませふよ、と内心は帰りたく無くつてもツンとして立つ袖を周章(あわて)て捕へ、涙を潤(うる)ませながら、あらそうぢや有りませんよ。ナニ帰ります帰ります。マアどうせふ、わたしがウッカリ饒舌(しやべ)つたは貴郎(あなた)を御帰し申そふつて云(いつ)た訳ぢやありませんよ、ヨウ、ヨウ、マア座(すわ)て下さいよ。ヱヽ留(とめ)るな、帰る。どうしても御帰りなさるの。知れた事サ。ハイ/\そんなら御止(と)め申しませんサア御帰り遊ばせ、併し御忘れ物が。何。見(みえ)ませんか。冗談云ふな何もない。ヱヽぢれつたいホントに口惜(くや)しい、貴郎(あなた)の眼にはそれが見えませんか、と無闇矢鱈(やたら)に泣(ない)てかゝつて引(ひき)ずり倒せば男脆くも坐る、其膝に此方(こなた)の頭を載せて鼻声に急(せは)しく為永流(ためながりう)の常口説(くどき)で、貴郎(あなた)が此間御来(おいで)になつたきり影も形も御みせなさらないからどんなに気に揉(も)んだか知れやしません、新聞を読んでも草双紙(くさざうし)を読んでも少しも面白い事はなく、馬鹿らしいほど唯貴郎(あなた)の事ばかり気になつて気になつて、いつそ貴郎(あなた)に最初から御眼にかゝらなかつたら斯(かう)も無(なか)ろふと勿体(もつたい)ないが御恨み申す気も出て、どうせ頓間(とんま)な妾達(わたしたち)にお構ひなさらないが無理ではない、ヱーもう愚痴(ぐち)は止(やめ)やうと思つても生憎(あいにく)眼に立つ貴郎(あなた)の御姿それに引(ひか)れて又愚痴も湧き、何処(どこ)の増花(ますはな)が御止(おと)め申して居る事かと口惜(くやし)くもなり、至らぬ心は至らぬ心だけに苦労する内不図今日(ふとけふ)の御来臨(おいで)、嬉しい中にも今日(けふ)の嬉しさが明日(あす)から又毎日々々物思ひの種子(たね)となるかと思へば寧(いつ)そ御来臨(おいで)なさらずばと、ツイ口走つたに訳も聞(きか)ずの御腹立(おはらだち)、それほど邪見(じやけん)になさるなら夢にも現(うつゝ)にも見ゆる貴郎(あなた)の面俤(おもかげ)を妾(わたし)の胸の中から御忘れなく取り奪(たく)つて、而(さう)して御帰りなさいまし、執念深(しふねんぶか)い妾(わたし)に見込(みこま)れたのが貴郎(あなた)の御不運、それまではマア御かへし申す事は出来ません、ヱヽ口惜(くや)しい、人に是程の心配さして置(おい)て和(やさ)しい言葉も掛(かけ)て呉れぬ男めと、涙の水を片手に嫉妬の火を片手に、火水(ひみづ)一度に責立(せめたつ)れば、男の根性(こんじやう)鉄の如くなりとも鍛冶糞(かぢぐそ)のやうにぼろ/\となり、腹の中にて、ウー此女は馬鹿に己(おれ)に惚(ほれ)て居やがると増長させる鼻毛を確かに女の手に引張(ひつぱ)られて、其夜は鐘が仲人(なかうど)の中直り、翌日からは又々忠勤出頭怠(おこた)りなきものなり。第二十は幻術(げんじゆつ)にて、是れ老功の女にあらざれば遣ふ事に心付(づか)ざる極秘(ごくひ)なり。元来(もとより)世の中には云へぬ事あり為せぬ事あり、道理と云ふものもあり人情といふものもありて随分七面倒なものなれど、馬を鹿と云ひ鷺(さぎ)を鴉(からす)となし、道理を破り人情を乱り、自己(おのれ)が思ふまゝ勝手に撹回(かきまは)す事の出来るは幻術の境中なり。此幻術を横より覗きて書(かき)たるへボ小説などは腐(くさ)るほどあれど幻術の本来を見たる者なし。幻術とは夢なり、此夢の中の事は他人が知る事も出来ず道理が糺(たゞ)す事も出来ず、縦横無敵勝手次第なり。されば夢の中にては憎しと思ふ奴(やつ)を殺す事も出来、千里隔(へだゝつ)た人に逢ふことも出来、どうでも好(すき)になるなれば、此夢を嘘に作れば悟空(ごくう)が魔法よりもまだ自由になるべく、然も夢の嘘と夢の実(まこと)とは当人より他(ほか)に見分(みわく)ること難(かた)く、手錬手管も此幻術を使ふに到つては骨頂にて、深き道理ありて大自在の魔法たしかに行はるゝ大秘密、一々明(あか)らさまには説かず次の実話を能々(よく/\)味はひて会得(ゑとく)致さるべし。或男は若きよりあばずれにて女を憐(あはれ)み和(やさ)しくするなどいふ事さらに無く唯金あるに任せて我意を揮ひしが、或時芳原(よしはら)の遊びも結構だけにて面白からずと、某(なにがし)の宿場(しゆくば)を素見(ひやか)し某小店(あるこみせ)にて廿三四の美しき女あるを見付(みつけ)、惜(をし)い者と一夜買(いちやかひ)ばかりの心にて遊びしに待遇(もてなし)さら/\として不甘所(まづいところ)も甘(うま)い所もなし、唯其女情夫(をとこ)と口説(くぜつ)でも仕過(しすご)したる後なりしか憂鬱(うれひふさ)ぐ様子ありけるが何となく奥床しき所ありて、次の夜も通ひ又其次の夜も通ひしに別段変りて面白き事もなく、少しづゝは打解(うちとけ)て来るばかりなりしに、其女は中々如才なく世馴れて仕こなしに下手(へた)な所なく十年も勤め仕たらんかと思ふほど抜目(ぬけめ)なし。さりとて男を別段厚く取扱ふといふにもあらねど云ふに云はれぬ仕こなしのコツの妙に、あばずれの男も柔和(やさ)しく、又通ひたる夜の暁方(あけがた)、女呻(うな)されて苦しげなるを男心付(こゝろづい)て起せば、ホッと息吐(つ)き、胸をさすりながらアヽ苦しかりしといふ。怖(こは)い夢でも見たかと問へば、渓河(たにがは)の凄じく泡だちて漲(みなぎ)り落(おつ)る向岸(むかうぎし)に顔は知れぬ男立(たち)て妾(わたし)を招く故、怖々(こは/゛\)ながら心細き丸木橋渡りて中頃まで到りし時、背面(うしろ)にも男来りて其丸木橋を頻(しき)りに推(お)し動かすより足も縮(すく)みて声も出(いで)ず、落(おつ)るを恐るゝ中終(うちつひ)に真倒様(まつさかさま)に揺(ゆ)り落されて夢醒めしといふ。男は笑つて、余所(よそ)の千話(ちわ)の心に掛りし故ならんなどと慰め帰りしが、其夜また行きしに暁方(あけがた)にまた其女呻され苦しむを起して問へば、女は不思義なる面地(おもゝち)して男を見ながら又同じ夢見たりといふに、男も少し気味わるくなり、一日間を置きて又行き、昨夕(ゆうべ)はと問へば昨夕(ゆうべ)は然(さ)る夢見ざりしと答ふ。扨さま/\遊び戯(たは)ぶれ共寐(ともね)しての其暁方(あけがた)又もや女の唸(うな)さるゝに流石(さすが)の男愈々気味あしく、女も眼覚(めざめ)て気味悪気(げ)に男の顔眺めながら深く案じ入りしがやがて、おん前様は妾(わたし)と前世(ぜんせ)に良(よか)らぬ縁にても有るかお前様と添寐(そひね)せし此三夜(みよ)さ同じ苦しき夢を見る事不思義なり、何とも合点(がてん)まゐらねど余り恠異(ふしぎ)なれば、此後も来ていたゞきたきは山々なれどお通ひ下さるまじくと涙ぐみながら頼まれて、男何とも言葉なく呆(あき)れて返答に及ばず帰りしが、此事気になりて昼夜忘れ難く、不思義々々々と思ふより自分の夢にも其やうのありさまを見て愈々不思義に堪(たへ)かね、親しき友に話して段々其女の様子を聞けば、其頃足近き田舎客(ゐなかきやく)此女に愛着深く、根引(ねびき)して遠国へ連行(つれゆか)んとの相談中、女は出世は嬉しけれど土くさき男に伴(ともな)ふを厭(いや)にて返答いまだに確(しか)とせざるよし。是を聞(きい)て男急に女の心の底を知(しつ)たるつもりになり、身の毛立(けだ)つまで怪(あや)しく可愛(かはゆ)くなつて早速(さつそく)に田舎客の鼻明(あか)せ、横より根引して箕輪(みのわ)あたりに囲ひ置(おき)しが其後女は逃亡して行衛(ゆくへ)知れずになりし。此話し中々分る事にあらず、お前様も多分御わかりにはなるまじきが若(もし)是を悟られて脚色を変へ用ゐられなば伝受も是きり無用に候べし。第二十一は八陣(はちぢん)と申すべき手にて、随分罪深き事なれど男を没落さする早道(はやみち)是に止(とゞ)まりたる法なり。男此方(こなた)に迷ひて父母をはじめ親類一家の異見など食ひ、浮世の義理金銭の都合其他色々の件より自然足を運び難くなる時分、飽(あく)までも恋と恨みと愚痴を強くし、欲と見栄(みえ)と我身を弱くし、其あり様を男の耳に入るゝなり。仮令(たとへ)ば、男の為(せ)し枕を独り寐の床に抱(だい)て眠り(恋)、手箱の中より男の写真幾度か取出しては溜息つく/゛\眺めて急に仕舞ひ頓(やが)て又私(ひそか)に取り出しては見(恨)、今日(けふ)は此前方様(かたさま)の来臨(おいで)なすつた日から幾日めぞと一日に三度も人に尋ね(愚痴)、劇場(しばゐ)の噂など口に上(のぼ)せず(欲弱(よくよわし))、寐衣(ねまき)のまゝ髪も乱れしまゝ午刻(ひる)頃まで起るに懶(ものう)く(見栄弱(みえよわし))、食事進まず(我身弱(わがみよわり))などの容態を例の錘(おもり)によりてソツと知らする時は男堪(たま)らず、可愛(かはゆ)い奴(やつ)めどうして其儘に置(おか)れうぞと死門に向つて身挺(ぬき)んで、有程(あるほど)の金つかみ、出来る程の才覚めぐらし乗切(のつきつ)て出て来るべし。元より男とて一概に馬鹿にはあらざれば最初は生門を見認(みと)め、今夜は行くとも差支なしと思ふ時だけ女の許にも来るなれど、段々深くなりて後此(かく)の如き場合となりては自ら死門に馳(は)せ入るなり。されば此男生(いき)て家に帰る道なく、五日なり六日なり但しは半月(はんつき)なり此方(こなた)の手の中の者にて金使ひの抜殻(ぬけがら)となるまでは後へも先へも行(いか)ぬべければ、其時急に剥(は)ぎ取りて其儘捨(すつ)るべし。世間の息子達(むすこたち)女に迷ひて身を泯(ほろ)ぼすは大抵此死門に突入る故にて、行けば帰れなくなるを知りつゝ行く故敵の陣中に落入りて出所なく往生するなり。情死とは二人連立(つれだち)て悪魔王(あくまわう)の作れる死門に入るからの事にて、恋より直(たゞち)に情死とはならず、恋より先づ盲目(めくら)となり、盲目(めくら)より生門死門の差別を知らずに歩み、終にかへりみちの無き道をあるきて八方ふさがりの地獄(ぢごく)に到り、其地獄の中の深き井戸に飛込んで終るなり。能く新聞などに出る遊女の情死の起原(おこり)を尋ぬるに男に入れ揚(あげ)て段々と無理を重ね、仮令(たとへ)ば衣物(きもの)の事にて云ふて見れば、着更(きがへ)の衣裳有丈(ありたけ)を男の為に質入れするが最初にて是はまだ帰る道ある所、次は坐敷着まで質入れする所、是も苦しきながら帰るべき道あり。扨其次は質入れしたる衣物(きもの)を一寸(ちよつと)借り出して来て当座の用を済(すま)せ然も其をまた他所(よそ)へ質入れする所にて、斯くなれば既早利足(もはやりそく)は二重に払はねばならず、鎗繰(やりくり)は愈々むづかしくなり畢竟(つまり)死門に着物を入れたるにて帰るべき道なし。衣物(きもの)のみならず夜着(よぎ)蒲団耳盥嗽茶碗櫛笄(みゝだらひうがひぢやわんくしかうがひ)は申すに及ばず一切(いつさい)の物を皆死門に打込み、自分の年期までも死門に打込み、世間の義理までを死門に打込み、其義理を生かして立(たて)られなくなり、とゞの詰り自分の生命(いのち)を失ふ訳に至るなり。浮世の義理と恋に責(せめ)られて情死するとは人も思ひ当人も思ふなるべけれど、能く傍目(わきめ)で糺(たゞ)して見れば恋で先づ盲目(めくら)となつて、帰れなくなる道即ち死門に駈込むより情死などいふものは起る事に候。比翼塚鴛鴦塚(ひよくづかゑんあうづか)など喋々(てふ/\)しく云ふは馬鹿気(げ)たることにて実は羽抜鳥塚盲目鳥塚(はぬけどりづかめくらどりづか)とも申すべきか。第二十二は鼓(つゞみ)の糸と或人の洒落(しやれ)し手に候。鼓の糸は左程強く締(しめ)るものにはあらず、唯(たゞ)末の糸にて多くの縦の糸を繰る時だけの霊機(こつ)に良き音も悪き音もあり。男を取扱ふも頭より尻尾まで強く締付(しめつく)る事難し、唯後朝(きぬ/゛\)の時うまく締付置(しめつけおく)べし。古くよりの恋歌(こひか)を見ても如何(いか)にも男を蕩(とろ)かし其後髪を引張るといふほどの力あるは後朝の歌に多し。浄瑠璃の「深ふなるほど朝迎ひ待(また)せて置(おい)ての一言(ひとこと)が勤め離れた女房(にようぼ)の気、とある文句を考へて魂胆(こんたん)あるべしと大眼子(だいがんし)が教(をしへ)を遺(のこ)せしは誠に能く穿(うが)ちたるものにて、此心得是非とも無ければ男逃(にぐ)るものにて候。第二十三倶利加羅(くりから)落し。第二十四栓子抜(せんぬ)き。第二十五鳥粘黐(とりもち)。第二十六白玉(しらたま)の杓子(しやくし)。第二十七水飴(みづあめ)の髭(ひげ)がらみ。第二十八人中針(にんちゆうばり)。第二十九蜘(くも)の掛糸(かけいと)。第三十腹(はら)やぐら、など申す手は大極秘の秘の秘の秘密此処(こゝ)には記さず、右八ケ条伝受御執心(ごしふしん)ならば尚多分の伝受金にて口伝(くでん)いたすべく候が随分御工夫なさるべく候。
 第三十一は縄張(なはば)りとて、是は男の落目(おちめ)になりたる時それに巻込(まきこま)れぬ用心に候。此用心なき女は折角調製(こしらへ)し着物を剥がれ簪(かんざし)を取られ男もろともに苦(くるし)む様なるたり。一体手管(てくだ)に二つあり、一つは掛(かけ)る手管一つは捨(すて)る手管にて、丁度将棊をさすに下手(へた)は取る駒の詮議ばかりして捨(すて)る駒の詮義を知らぬ故思はぬ事に出合ひて負(まけ)となれど、上手(じやうず)は捨(すて)る駒に心を付(つく)るより自然と敵手(あひて)は働らけぬ様なりて此方(こなた)の勝(かち)となる如く、色道も其通り下手の女は仕掛(しかけ)の手管のみは甘(うま)くやれども捨(すて)る手管に拙き故、恨みをも受け意趣をも含まれ無理情死(むりしんちゆう)又は殺害(せつがい)などに逢ふものなり。上手の女は男を振り捨(すて)る段の手管を用ゐるに巧みなれば此様の憂ひなし。是より以下は馬鹿な男を振り捨(すて)る手管を記し候へばよく/\味はゝるべく候。大体男の金銀を取りし後は、用もなき阿呆め一昨日(をとゝひ)来いといふ様に突出す事通例なれど、是大きなる初心の女にて、昔時(むかし)より少しにても名を残せし程の女の此様なるは絶(たえ)て無し。傾城(けいせい)にしてさへ馴染(なじみ)重なりたる後は大尽零落(おちぶれ)ても手錬茶屋にて云々との紋切形(もんきりがた)ありし事、古き洒落本(しやれほん)にちらほら見ゆる事なり。されば男零落(おちぶれ)はてゝ縁切れし後までも良く思はるゝ女こそ手管の上手(じやうず)なれ。詰り一切(いつさい)の手管を手管と思はせず実情(まこと)と思はすると、手管を手管と気が付(つか)するとの大きなる相違は、唯僅かに別れ退(の)く時分の一寸(ちよつと)したる所にあり。見事手管に仕てやつて家蔵身代(いへくらしんだい)まで吸取りたりとて、彼奴(きやつ)め手管にかけて我をだましたる憎き衒妻(あま)めと恨まるゝ様にては下手(へた)なり。可愛(かはゆ)い者であつたが縁がなくて此始末、アヽ是非もなしと諦(あき)らめさせるが上手なり。此相違中々雲泥なれど黒人(くろうと)も当世(たうせい)の田舎出(ゐなかで)女郎待合の女将軍に腮(あご)で使はるゝ薄ツペラ芸者(げいしや)などは気がつかねば、あはれ夫(それ)相応の無法男(むはふをとこ)に執念(しふね)く恨まれて、掛(かけ)し手管の返礼に出刃包丁(でばばうちやう)一枚モルヒネ三匁(もんめ)づゝの因果の報(むく)ふ話し多し。されば男を振捨(ふりすて)て退(の)く時の手管能々呑込(よく/\のみこま)ざれば御前様も行末危ふく、小新聞を過去帳にして浮名(うきな)を止(とゞ)めらるゝなるべし。是を思ふに淫婦毒婦など世の人の口に残るは捨(すて)る手管の大(だい)の下手(へた)にて、まだ色道男たらしは青い/\女、夫(それ)より却つて悪き噂も残さゞる者に手管の大上手大淫婦大毒婦ある筈なるに、是に心付(づか)ざる男ども淫婦毒婦と見へ透(すい)たる浅墓(あさはか)な女をばかり責むるは暎(うつ)るものだけしか見えぬ硝子眼(ガラスまなこ)、是を人間の眼とは云はず人形の眼の御客さまと云ふなり。あだし事(ごと)は扨置きて、縄張りとは男の我身に食ひ込まぬ様防ぐなり。仮令(たとへ)ば男懐中(ふところ)寒く又は商買職業を失ふて何(ど)うか仕様はあるまいかなど食ひ込みて来るべき前に此方(こなた)より同じやうの事云ひ出すにて、男が困窮(こま)ると云ふ事を口より出す前に此方(こなた)より困窮(こま)ると云ひ出し置けば其縄に閊(つか)へて、三十円ばかり工面(くめん)をとも云ひ出せぬなり。此縄張り置(おか)ざる時無心云ひ掛(かけ)られては此方(こなた)受太刀となり、何程云訳(いひわけ)しても不実薄情と聞(きゝ)とらるゝ故縄張は大切の手、第十条と見くらべて男金のなくなる時分はそろ/\と縄を張り置くべし、是等は誰も知る事なり。第三十二は鎹(かすがひ)を抜く事専一なり。男と此方(こなた)との間を緊乎(しつか)と離れぬやうする為に使ひし色々の鎹釘(かすがひ)即ち昔時(むかし)ならば起請誓紙(きしやうせいし)の類(たぐひ)を反故(ほご)にするべし。比翼紋の付(つき)し者なぞはそれぐるみ男を捨(すつ)べし、(是等の野暮をするものは今頃なけれど)一ツ一ツ二人の中の鎹釘になり居るものを抜去りいつにても無理なく離れらるゝやうに為すべし。第三十三は案山子(かゝし)を置く事にて、是は最初より男を誑(たぶ)らかすには是非とも準備(ようい)あるべきにて、田舎(ゐなか)に頑固なる親父(おやぢ)又は意地悪き継母(まゝはゝ)或は行衛(ゆくへ)知れぬ放蕩の兄ありなどと前々より吹込置くなり。昔時(むかし)より遊女など白痴(こけ)の大尽の金を貪(むさ)ぼる時にも、此案山子(かゝし)にせかせて財布を搾(しぼ)りし事あり。此等の案山子素(かゝしもと)より有るにあらずとも名ばかりにても調製(こしらへ)置く時は、愈々男と切れ難き時分に一茶番(ひとちやばん)ありてとゞの詰り、不本意ながら親兄などの心を背(そむ)き難くて辛(つら)きは山々なれど別離(わかれ)るといふ風(ふう)に涙仕掛(じかけ)で退(の)くべし。大抵の男是非もなしとあきらめて仕舞ひ、恨みは案山子(かゝし)に向つて我身は良く思はるゝ者なれば行末(ゆくすゑ)又其男立身したる時乗り込むは造作(ざうさ)もなき事なり。第三十四は器量ごかしといふ手にて中々名手なり。仮令(たとへ)ば段々と落魄(おちぶれ)はてゝ互に悲しくなり行き、地獄の青鬼(あをおに)がそろ/\彼世(あのよ)から情死(しんぢゆう)二ケ月間にありとでも入札(いれふだ)しそふな時に臨み、男と添寐(そひね)の囈言(うはごと)又は夢ばなし或(あるひ)は男の居ぬ所にての独り言などに、例の幻術を用ゐて、家の人は今こそ衰(おと)ろへたれ行末は必らず立身出世さるゝに違ひなし、ひと器量充分に備はりし御方(おんかた)、昨晩(ゆうべ)の夢にも昔しに帰り立派になり玉ひてまざ/\と我(わが)前に立玉ひしを見たりといふ様の事を男の耳に入れ置く時は、男気丈夫になりて内心例の自惚(うぬぼれ)を起し、少時(しばし)の間何(いづ)れへなりとも立越如何(たちこえいか)なる業(わざ)なりとも為して再度(ふたゝび)錦をかざるべしなど考へ浮むものなれば、其相談などにかゝりて来るなり。其時別離(わかれ)の厭(いや)なる事、男心の移り易きが心配なる事など喞(かこ)ちながら、思ひ切(きつ)たる風(ふう)にて、我頭(かしら)に付(つけ)し簪まで売りて路用(ろよう)を作りやり、沖縄(おきなは)とか北海道(ほくかいだう)とか成るべく遠き国へ出し遣り、御帰家(おかへり)までは柱を噛(しやぶ)つても辛防しますほどに精々手柄(てがら)して早ふ帰つて無事な御顔見せて下されと泣きの涙に送り別るれば、男は歯ぎしり噛みて、アヽあり難き貞女の心ざし百年忘れ難し、身を粉(こ)に砕きても一生懸命出来るたけの事して、昔時(むかし)に勝(まさ)る栄華を此可愛(かはゆ)い者にさせなくては南無観世音我(なむくわんぜおんわれ)男と生れし甲斐なしと誓ひを立(たて)、男泣して遠国へも行(ゆく)ぞかし。箇様(かやう)の手管は罪極めて深けれども罪をほろぼす道理もありて、却つて案外嘘より実(まこと)が出て男を出世さする事あり。但し金目(かねめ)の物は二月三月前より外へこかして蔵(かく)し置くなり。第三十五は小便とて、是は昔時町家(むかしちやうか)の娘など小面(こづら)の剥(は)げたるを作り立(たて)させ、御大名の目に止(とま)るやう仕掛(しかけ)、支度金(したくきん)沢山取りて御妾奉公(おめかけぼうこう)致させ、殿様添寐(そひね)の暁(あかつき)寐小便したたかすれば、何ほど色好みの大名も驚きて御下(おさげ)となるなれど、さりとて支度金返せと云ひ玉ふ事もなく、又其悪き風評(うはさ)をさるゝをも恥玉(はぢたま)へば何の仔細(しさい)なく其まゝ別離(わか)るゝなり。当時売買(うりかひ)の其まゝ流れとなるを小便といふも是より出たる事にて、是れ男に我身を罪の無き悪き者に思はせて直(たゞち)に退(の)く企(たくら)み、一番の酷(むご)らしき手、相対密夫筒(あひたいまをとこつゝ)もたせと変らざる悪事に候へど、まさかに当世小便は拙し。近き頃ある美しき女然(さ)る銭なし男と深く契りけるが、何某(なにがし)華族様其女を見て是非に権妻(ごんさい)にとの望み申込(まをしこま)るれば父母是をよろこび、御家令の三太夫(さんだいふ)もろとも頻りと娘に説(とき)すゝめければ女余義なく、済まぬ心の中にも暫し清(す)む月の雫(しづく)花の露に顔を作り髪を整へ、日頃より百倍美しくなつて参上するに殿様御悦喜(およろこび)浅からず、日に増し馴れ睦(むつ)み玉ひしが、或時冬の夜の酒宴に御流れ頂戴せし女の手の指つきの怪しく屈(かゞ)まりたるを見付(みつけ)られ、其指は如何(いかゞ)せしとの御尋ねに顔あかくして、生れ付(つき)と申しければ、今まで知れざりし程の事別段醜(みに)くからず、美人も必らず何処(どこ)ぞに少しは美ならざる所あり、浮世に完全の者はなしと此間聞いたが真実(まこと)にそうぢや、ナニ少しも恥(はぢ)る事はないと仰せありて御寵愛少しも変らざりし。其後また共寐(ともね)の閨の中(うち)蘭灯幽(かす)かなる時、アヽむづ痒(かゆ)しと女が自ら媚(なま)めかしき眉のあたり掻き撫(なで)たる白き指の腹に眉毛四五本抜けて付(つき)たるを殿は目早く見付給ひしより、其時は何も仰せられず、後にて糺(たゞ)させられしに三太夫探索して色を変(かへ)て帰り来り、段々素性(すじやう)をしらべしに三代前に怪しき筋ありと申し上(あげ)ければ終(つひ)に御暇(おいとま)となり、御手当を丸々儲けて女は初の男と世帯を持(もち)ける。其訳を聞くに、黒き筆の毛少し鋏(はさ)み取りて眉の間に植置き前々よりの仕掛に癩病(らいびやう)と疑はせ、急に退(の)きし手管のよし。かゝる事色色工夫せば新規の妙手いくらもあるべく候。右二十七ケ条あらましを記し申し候。
 凡(すべ)ての心得は初めにも書記(かきしる)せし通り、男の自惚(うぬぼれ)一ツを種子(たね)にする事に候へば、自惚の行方(ゆきかた)を御考へなされ候はば幾らも御自分にて御発明出来べく候、また御前様御自分に自惚(うぬぼれ)萌し候はば手管一つも役たゝずとおぼしめさるべく候。ゆめ/\此伝受御他言あるまじく高(たか)が知れたる当世のにやけ才子ふやけ才子充分にかきのめし、さん/゛\に馬鹿にされべく候。めで度(たく)かしこ
                丹波太郎右衛門(たんばたろゑもん)

    蘆野花子(あしのはなこ)さま
                       (明治二十四年二月)



昭和二十五年八月十五日印刷
昭和二十五年八月二十日発行

露伴全集第二巻
  頒価四百八拾円

著作権者    幸田文
編  纂    蝸牛会
      東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地
発行者     岩波雄二郎
      東京都西多摩郡霞村根ケ布三八五番地
印刷者     山田一雄
      東京都西多摩郡霞村根ケ布三八五番地
印刷所     大化堂

      東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地
発行所    株式会社 岩波書店
            電話(代表)九段(33)二八七番
            振替口座東京七四四一六番

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