続猿蓑

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作者データ

 松尾芭蕉 等

   芭蕉は、1644(寛永21)〜1694(元禄7)





底本データ

 書名

  『〔校註〕俳諧七部集』(〔 〕内は角書)
 編著者

   潁原退蔵
1894年(明治27)〜1948年(昭和23)
 発行年月日

   昭和十六年(1941)二月十八日
 発行所

   明治書院
 底本の奥付

   昭和十六年二月十日印刷
   昭和十六年二月十八日発行
   〔校註〕俳諧七部集
   定価 金 壱円五拾銭
   著者  潁原退蔵
   発行者 東京市神田区錦町一丁目十六番地
       三樹退三
   印刷者 東京市本郷区真砂町三十六番地
       亀谷良一
   印刷所 東京市本郷区真砂町三十六番地
       日東印刷株式会社
   発行所 東京市神田区錦町一丁目
       振替口座東京四九九一番
       〔株式会社〕明治書院
         電話神田(25)二一四七番
                二一四八番
                二一四九番





作品データ

 『続猿蓑』は半紙本二冊、元禄十一年刊、井筒屋板である。板元の言ふ所によれば、何人の撰とも分らないが、翁遷化の後伊賀上野なる翁の兄の許にあつた草稿を、そのまゝ世に弘める事にしたのだといふ。板木には正しく墨消書入等の跡があり、全体の体裁も整はない点が見られ、事実何人かの草稿のまゝの如く思はれる。然るにこの書については当事から種々論難があつて、越人の如きは『不猫蛇』や『猪の早太』で支考の偽撰事を痛論した。その後またこれに疑を挿むものが多く、為に七部の中から除かうとさへされて居る。しかしこの書の全部を支考の偽撰と認める事もまた当らないので、これについては従来種々考証論議されて居る。就中志田義秀氏の論考(改造社版『俳句講座』所収「俳書解説篇」参照)は最も詳細で、要するに本集は芭蕉が生前関係したものである事は確かであり、その後支考によつて若干手を加へられたものと認められて居る。なほ志田氏の論考以後紹介された参考資料をあぐれば、元禄七年九月二十五日附正秀宛芭蕉の書簡に、「伊賀へ素牛便之節御状並月の御句感心、飛入客則続猿蓑に入集申候」とあり、正秀の「飛入の客に手をうつ月見哉」の句は、正しく今の『続猿蓑』中に入集して居る。又元禄七年九月十日附去来宛(推定)芭蕉の書簡に、  猿蓑後集いせより支考参候を相手に漸々仕立候。いそがしまぎれに取かため候へば無心元存候へ共、前集に大まけはすまじき様に存候。尤下見板之あらまし又々貴様へ御世話成不被下候はでは成申まじく候。 とあつて、これによれば芭蕉がこの集の後見をした事は疑ふ余地がない。許六の『歴代滑稽伝』に「江戸にて保生沾圃をすゝめ、続猿蓑を手伝して伊賀に帰る」とあるのなどから案ずるに、最初芭蕉は沾圃をして本集を撰ばしめ、元禄七年故郷伊賀に滞在中伊勢から来た支考を相手に編輯を終へ、すでに去来に出版の相談までして居る間に歿したのである。その草稿を支考が幾分自己に有利に改竄し、井筒屋に上梓せしめたものが、即ち今の『続猿蓑』であらう。だからそれは決して越人等の言ふ如く、偽撰として排すべきものではない。支考が「祖翁一代の法華経」(削掛の返事)と讃して居るのは、些か私する嫌がないではないが、芭蕉晩年の軽みを代表するものとして、『炭俵』より更に重きをなすものと言はなければならぬ。たゞ若干支考の私意を加へた所が認められ、純粋性を傷けて居る事は惜しむべきである。(潁原退蔵前掲書解説より)



諸本・研究史





入力者

菊池真一





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