大谷秀實編『祭典礼法』鹿島則文の序文
 高原光啓氏の論文「明治期 神社祭式書の紹介」(『禮典』第36号、平成24年7月、国学院大学、禮典研究会発行)で、大谷秀實編『祭典礼法』(皇学館大学図書館所蔵)に鹿島則文が序を寄せていることを教えて頂いた。則文の書いたものは少ないので、高原氏の了解を得て紹介することにした。
 鹿島則文の「祭典礼法序」は皇典講究所の13行の罫紙に書かれている。紹介するに当って、適宜改行し、句読点を補った。

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大谷秀實編『祭典礼法』 鹿島則文 序

祭典礼法序
初まなひのたすけとなるは階梯しをりとなす。手ちかきものにつきて、わけいるよりよろしきはなし。
神事は神代よりつたへこし、わか皇国の式にて、ことくにの風をましへず、たゝしく厳なるもあまたのとしなへて、あやまりたかへしこともはたすくなからす。それを考へ正さんには、ふるきふみによりて明らむる。なすは初学のたやすきわさにはあらすなんありける。
新しきを愛て流行におもむく世のならひなれは、今しも正しとゝのひおかすして、このゝちいくはくの年をへなは、終にあとかたなく最みたり。
かはしてならむとて、皇典講究所の生徒の教科にも加へ、神官の材を考へさたむるうちにも、作業の科としていれられたるは、まことに宜しき事にこそあれ。
されどその階梯しをりともせん、入やすきものゝなくては猶たとたとしうおもひ誤ることもあらんとて、大谷の大人このころものせられしはこの書になん有ける。この書いさゝかなるものなれと、初学の人たちこれを階梯ともしをりともして、古学にわけいらは、正しく厳なる規式より起居進退に至るまて、思ひ誤り、ふみ惑ふこともすくなく、道の奥にいり易からんと、よろこはるゝまゝに、いさゝかおもふむねをのへてはし書とす。
          明治十七年三月  かしまのりふみ
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 鹿島則文は、慶応2年(1866)、水戸浪士と交流したという理由で、八丈島へ流された。明治2年(1869)赦免となり帰郷する。明治6年に鹿島神宮大宮司となり、明治17年4月には、伊勢神宮大宮司に任ぜられ、伊勢に赴任している。この『祭典礼法』に寄せた序は、伊勢に赴任する直前のものと思われる。 

 この度、大谷秀實の『祭典礼法』に寄せた、則文の序文に関して御教示下さった、高原光啓氏に厚く御礼申し上げます。
                平成25年8月3日
                        深沢秋男 



"深澤 秋男" <kinbun@dream.jp>