昭和女子大学図書館所蔵「桜山文庫」

                 深沢 秋男

 

  はじめに

 

 この度、鹿島神宮宮司・鹿島則良氏の御配慮によって、『桜山文庫目録 和書之部』を全文紹介することができた。この機会に、鹿島則文の収集した「桜山文庫」の内、国文学関係の書物が昭和女子大学図書館に譲渡された経緯を整理しておきたいと思う。

 桜山文庫の所蔵者・鹿島則幸氏から、譲渡先に関して一任する旨の依頼を受けたのは、昭和59年(1984)のことであった。所蔵者・鹿島則幸氏、古書評価者・一誠堂書店酒井宇吉氏、購入者・昭和女子大学(人見楠郎氏・原田親貞氏等)、今、振り返ってみると、関係者の中で他界された方々も少なくない。現在、私の手元には、この桜山文庫移管に関する資料がある。関係者に失礼にならない範囲で、その経過を、出来る限り具体的に年月を追って記しておきたいと思う。

 なお、ここに記す内容は、点数・冊数など、全て私のメモに基づくものであり、現在の昭和女子大学図書館のものではない。この記録が図書館に御迷惑をおかけしては済まないので、最初にお断りしておく。

 

  蔵書の整理・評価から納品完了まで

 

 昭和59年9月2日

 鹿島氏の御自宅へお伺いし、氏の御要望を詳しく伺って、事を進めることにした。その折、次の5点を拝借した。

春雨物語 写本 2冊

瑳玖郎譜 写本 1冊

読忠義水滸伝 版本 3冊

万葉集注釈 写本 1冊

本草和名 版本 2冊

これらは、文庫の保存状態が推測できるような本を選んだもので、購入者に説明する時に、見て頂くためである。

 その後、鹿島氏から連絡を頂き、蔵書の評価は、長年親しくお付き合いしている、神田の一誠堂書店の酒井宇吉氏にお願いすることにして、蔵書は一誠堂書店へ移送されたという。その時に、大きなリンゴ箱に入れて、119箱であったとも知らされた。私は、およそ1万冊弱と予測した。則文が生涯をかけて収集したものであり、量も少なくはない。また、その評価額もかなりのものになるだろう。私にとっては、一世一代の大仕事である。失敗は許されない。譲渡先も検討の結果、私の勤務先の昭和女子大学を第一とし、次に鹿島氏の母校・国学院大学、以下、私の母校・法政大学、国会図書館、国文学研究資料館などの順序で進めようと考えた。この間、朝倉治彦氏、島本昌一氏、杉本圭三郎氏、渡辺守邦氏、中村幸彦氏等の御助言を頂きながら、慎重に進めた。

 

 昭和59年10月11日

 昭和女子大学短期大学部国文学科の、学科長・原田親貞先生に御相談し、国文科と、文学部日本文学科の各科会に書類を提出して検討して頂いた。幸い、全員の先生方の賛成を得たので、「桜山文庫一括購入に関する御願い」という書類を、昭和女子大学学長・人見楠郎先生に提出した。私は、この書類に、次のような趣旨を盛り込んだ。

 「桜山文庫は、嵯峨本『撰集抄』とか『春雨物語』・『井関隆子日

 記』・『燕石十種』の原本など、貴重なものもあるが、その収集範

 囲が広く全般に及び、殊に近世後期の国学者等の書入れ本・旧蔵

 書が多く、この点で、今後の研究に多くの可能性を持つ蔵書であ

 ると思われる。分量は約1500点・6000冊前後と予想され、

 評価額は未定であるが、6000万円前後ではないかと思われ

 る。」

 この書類は、学科長の原田先生を通して、人見先生に提出され、幸いにも人見学長の許可を頂き、この件は進行してもよいことになった。当時、私は昭和女子大学に採用されて2年目であり、まだ専任講師の立場であった。

 一誠堂書店の酒井宇吉氏の予定では、蔵書の整理及び評価完了は、昭和60年5月頃ということであったが、実際には1年間ほど遅延した。この間、国文科や図書館の方々とともに、一誠堂書店へ伺い、酒井氏の整理の現場を拝見しりした。

 私は、折々、鹿島氏・酒井氏とは連絡をとって、進行状態を確認していたが、そんな時、酒井氏から、分量も多いので、場合によっては、分売もやむを得ないのではないか、という連絡をもらった。私は、早速、神田へお伺いして、分売は極力回避して、「桜山文庫」の名を後世へ伝えたい旨、直接酒井氏に懇請した。幸い、酒井社長も私の願いを聞き入れて下さった。

 この事に関しては、この間に、中村幸彦先生から、貴重な御助言を頂いていた。昭和61年2月19日付のお手紙では、次のようなお言葉を頂いた。

 「……文庫は残ったもの全部散らさず、貴学で購入の御準備との

 事、安心いたしました。私かつての図書館員としての経験から申

 上げますと、心得のある方の集められたものの中にも、一寸見ま

 した時は、何の役にも立たぬと思われる本などもまじって居りま

 して、目ぼしい本だけ選択していたいた方が、などと思うこと

 も度々ございましたが、全部いたゞいて居りますと、何の役にも

 立たないと思った本も大いに役立ったことが次第に判明などいた

 すことでございます。又、自分の処に既にあるものと重複するも

 のがあり(高価ならばなお更)躊躇される時もありますが、それ

 を購求しなかった事が、後からくやまれる事もあり「古い和本に

 は同じものはないと思え」など、次第に考えるようになり、後輩

 の諸君にも話すことでございます。既に散らさぬ様、お考えの由、

 結構なことと存じます。御努力、そっくり貴学へお入れなさる事

 を願い上げます。

中村先生からの私信であるが、大先達の金言として、あえて紹介させて頂いた。

 

 昭和61年7月5日

 第1次の整理結果及び評価価格が、酒井宇吉氏から届いた。874点、5683冊である。日本文学科長・尾崎暢殃、国文学科長・原田親貞、国文学科講師・深沢秋男の3名連名で、人見楠郎学長宛の報告書を提出し、承諾を頂いた。

 

 昭和61年7月15日

 酒井宇吉氏から、以下の報告を頂いた。

@ 、第1次提出リスト以外に、次のものがある。

A、虫損がひどいもの、段ボール箱に5個。あまり貴重なもの

 は無い

 B、明治期の洋本・雑誌、段ボール箱に10個ほど。

B、桜山文庫の内、伊勢関係のものは、伊勢神宮に移り、鹿島家関

 係のものは鹿島則幸氏が保存している。

C、鹿島則幸氏は、第1次リストの外に、次のものを所蔵しており、

 昭和女子大学が一括購入の意思がある場合は譲って下さる由。

古事記伝 版本 45冊

群書類聚 版本 (揃いではない)

春雨物語 写本 文化5年本 2冊

雨月物語 版本 3冊

井関隆子日記 自筆写本 12冊

有馬日記 稲掛大平著 本居宣長書入本

馬琴の書入本

大塩平八郎関係 18冊

延喜式

 

 昭和61年9月5日

「物品供給契約書」作成 (第1次、概要)

 発注者 学校法人 昭和女子大学 理事長 人見楠郎

 供給者 合名会社 一誠堂書店 代表社員 酒井宇吉

 供給者は、「桜山文庫旧蔵本」(詳細別紙)を、昭和61年9月

 20日までに納入する。

 発注者は、その代金を、昭和61年10月末日までに支払う。

 

 昭和61年9月17日(水)

 桜山文庫、第1次、5683冊受入れ完了。受入れ作業は、午前10時40分〜午後2時30分。

 一誠堂書店からは、酒井宇吉氏以下5名、昭和女子大学からは、原田親貞先生、青柳武図書館長以下全図書館員、深沢秋男が参加。総冊数は、最終的に、5704冊と確定。蔵書は、一時、現在使用していない図書館長室に保管した。

 私は、この件を鹿島則幸氏、島本昌一氏(法政大学)等の関係者に電話で報告した。

 

 昭和61年9月29日(月)

 蔵書の燻蒸。関東港業株式会社に依頼。全蔵書をシートで被覆し、10分間ガス注入、24時間密閉した。館長の青柳先生が一昼夜立ち会って下さった。

 10月3日、蔵書を館長室より書庫へ移動する。

 

 昭和61年10月29日(水)

 第1次リスト以外の書物の処理。

 A、虫損がひどいもの、段ボール箱に5個。この中には、『捜奇録』・『帳中香』・虫食本等数百冊などがある。これは、本日全て受領完了。書名等の解らないものの処理は図書館で行う。

 B、明治期の洋本・雑誌、段ボール箱に10個ほど。

これは、購入しないことにした。

 

昭和62年4月7日(火)

 第2次分受領。

 第2次分は、春雨物語・雨月物語・古事記伝・井関隆子日記・有馬日記等、33点・403冊である。昭和62年3月29日、深沢が大学院生と3名で、鹿島氏のお宅へ伺い、昭和女子大学で購入する旨を申し上げ、書物の郵送を依頼した。4月7日、鹿島則幸氏より郵送にて昭和女子大学図書館へ届けられた。

 

 昭和62年5月7日(火)

 一誠堂書店・酒井宇吉氏、第2次分評価のために来学。5月22日に評価額が決まり、6月末日に支払いを済ませ、昭和女子大学の所蔵となった。

 これで、桜山文庫の蔵書の、昭和女子大学図書館への移管作業は全て完了した。

 なお、一誠堂書店の酒井宇吉氏には2年間余り、お世話になったが、酒井氏の対応と古書の評価は誠実なものであった。

 

 昭和女子大学所蔵「桜山文庫」の現状

 

 以上、桜山文庫の内、国文学関係の蔵書が、昭和女子大学図書館へ移管された経過を略述したが、鹿島則文の収集した桜山文庫は「珍籍奇冊三万冊」(鹿島敏夫氏『先考略年譜稿』)と言われている。これらの蔵書が、その後、どのように分割され、現在、伝えられているか、私にわかる範囲で整理してみると、以下の通りである。

1、茨城県立歴史館寄託 鹿島則幸家文書

『鹿島郡鹿島町 鹿島則幸家文書目録』(平成元年3月31日、茨城県立歴史館発行)によれば、鹿島神宮関係の史料、1403点が、昭和54年4月に鹿島則幸氏から茨城県立歴史館に寄託されたという。これらの史料は、鹿島家累代のもので、中には「桜山文庫」の蔵書印が押されたものもあるというので、鹿島則文の関係書も含まれているものと推測される。

2、漢籍の『二十二史』

 水戸の水府明徳会彰考館文庫へ寄贈。

3、伊勢関係書

 伊勢神宮へ移管。

4、鹿島家関係書

 鹿島家所蔵(鹿島則幸氏・鹿島則良氏)。これに関しては、私も

 関係したことがあり、閲覧させて頂いたものを整理すると、以

 下の通りである。

 一、桜斎随筆       60冊

 一、雑記          1冊

 一、厳桜舎詠草 上下    2冊

 一、復古二年紀 上中下   3冊

 一、詠草 則文       1冊

 一、桜斎書噴集       7冊

  教院録 四

  伊勢記 五

  伊勢記 六

  皇典講究所記 七

  皇典講究所記 八

  皇典講究所記 九

  皇典講究所記 十

 一、則文諸祝儀 全       1冊

 一、末社遷宮記         2冊

 一、都日記 上         2冊

 一、嘉永七甲寅年品川御台場へ当宮御勧請仰付候次第  1冊

 一、雑録 全(康安元年旧記)  1冊

 一、万我津日の記 上下・附録  3冊

 一、三月十七日差出拝借地預   1冊

 一、御本宮之図(玉垣、御内陣之図)  1冊

 一、辰十二月四日御内陣初而開扉 1冊

 一、家茂将軍謁見記       1冊

 一、幕府朱印改渡記       1冊

 一、弘化三丙午正月十四日則孝 束着初之式  1冊

 一、水戸家書類 全       1冊

 一、桜斎家督記         1冊

 一、幕府祈祷次第記       1冊

 一、上京日記 単        1冊

 一、旧幕府判物差出本宮御印鑑御下り預  1冊

 一、明治元年戊辰三月十五日勅祭祝詞写  1冊

 この外にも、未見のものが鹿島家には所蔵されているものと思わ

 れる。

5、昭和女子大学所蔵「桜山文庫」

 第1次、874点、5704冊。第2次、33点、403冊。合

 計、907点、6107冊。これに、第1次のリスト以外の、虫

 食本等の数百冊が加わって最終的には約7千冊になった。

 

 蔵書印「櫻山文庫」・「秋田雨雀関係書簡」の寄贈

 

 鹿島則幸氏は、桜山文庫の蔵書が昭和女子大学図書館に移管されたのを記念して、則文が使用していた蔵書印「櫻山文庫」を昭和女子大学に寄贈された。蔵書印は、直径30ミリの黄楊の円形印で、彫りの深い立派なものである。

 昭和61年7月、鹿島氏は、昭和女子大学が桜山文庫の蔵書を一括購入し、所蔵・管理して後世へ伝えることに感謝され、その謝礼として、「秋田雨雀関係書簡」82通を御寄贈下さった。この書簡に関しては、大塚豊子氏が研究され、その詳細は「秋田雨雀の書簡(1・2・3)」として、昭和女子大学の『学苑』649号・651号・659号(平成6年1月・3月・11月)に発表されている。

 昭和61年11月8日(土)、鹿島則幸氏は昭和女子大学へお見えになった。青柳館長はじめ、蔵書の整理を担当された方々にもお会い下さった。その後、すでに防虫のための燻蒸も済ませ、貴重書を優先的に百点ほどは帙も作って、臨時の書架に保管されている桜山文庫を御覧になって、大変満足の御様子であった。

 お帰りの時、しばらく、私の研究室で移管に関した苦労話など、語り合ったが、鹿島様は風呂敷包みから、一枚の短冊を取り出された。

 これは、祖父の歌ですが、長年、私の居間に掛けていたものです。今後は、桜山文庫に近い先生の研究室に掛けて上げて下さい。祖父も喜ぶと思います。

  蚊やり火のけふりにとさす柴の戸を

    つきにたくは水鶏なるらむ  則文

杉の台に竹を張った見事な短冊額に入れられている。私は、有り難く頂き、机の脇に掛けて、『井関隆子日記』や『春雨物語』を履修している学生が研究室に来た時は、ここに掛けてある経緯を説明していた。因みに、定年退職後は、自宅の原稿執筆用のパソコン・デスク前に掛けさせて頂いている。

 鹿島様は、後帰宅の後、

 「……おかげ様で桜山文庫の縁付き先も確認出来、しゅうと・し

 ゅうとめの皆様にもお引きあわせ下さいまして有難うございまし

 た。よい方がたに見守られ、文庫本もよろこんでおる事とぞんじ

 ます。ここに至る迄になる長い間、お仲人役をおつとめ下さいま

 した貴方様に改めて心から、お礼申し上げます。……」

このような、身に余る礼状を下さった。研究者としても、これに勝る喜びはない。

 

 これで、鹿島則文の「桜山文庫」も、半永久的に後世へ伝えられるかと思うと、この一件に対して、御助言、御協力を賜った多くの方々に、心からの感謝と御礼を申し上げずにはいられない。

 皆様、本当に有難うございました。

                     平成21年10月17日

 

………………………………………………………………………………

 【注】本稿は、『近世初期文芸』第26号(平成21年12月25日発行)に掲載したものである。同誌には参考写真10点が掲載されているが、ここでは省略した。