深沢秋男研究室 百人一首の研究

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百人一首の研究 目次
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 嵒歓涌貅鵝廚箸僚于颪
●私の研究のホームグランドは、近世初期の仮名草子である。百人一首に特に興味があった訳でもない。にも拘らず、百人一首に手を着けたのは、如儡子・斎藤親盛が『百人一首抄』という百人一首の注釈書を遺していたからである。斎藤親盛の全面的な解明がライフワークである以上、この注釈書を避ける訳にはゆかない。
●仮名草子の先学、野間光辰氏も、田中伸氏も、手は着けられたが、その入り口の段階で、共に他界されてしまった。また、百人一首研究者の方々は、仮名草子作者の著作など、軽視されたかどうかは知らないが、田中宗作氏の『百人一首古注釈の研究』の中で言及されているに過ぎない。ならば、私がやらねばならぬではないか。そんな切迫した状況の中で、この主題に着手した。

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●如儡子の『百人一首抄』の分析に着手して気付いたことは、世に多数伝存する百人一首のテキストに、歌人の配列の上で、2つの系列があるという事であった。そして、成立時期の点で、いずれが先か、というのが、専門家の間で問題の争点になっていた。平成8年頃のことである。
●吉海氏などの専門家のアドバイスを頂きながら始めたが、実は、如儡子の『百人一首抄』は、いわゆる一般的な百人一首の配列とは異なる、百人秀歌型の配列であり、しかも、百人秀歌型とも完全には一致しない配列であった。仮名草子の作者・如儡子は如何なるテキストを底本に使ったのか。
●如儡子の百人一首注釈書には、水戸彰考館所蔵の『百人一首抄』の他に、国会図書館所蔵の『酔玉集』という伝本もあった。これは、一般的な配列である。私は、この2つの注釈書の関係を明らかにするために数年間を費やした。百人一首の研究は実にシンドイ。何をするにも100回繰り返す必要があるからである。
●如儡子は注釈書の「奥書」で「誠に、せいゑい、海をうめんとするにことならすや。」と言っている。「精衛■(土偏+眞)海」という中国故事。不可能な事を企てて、ついに徒労に終わる、というたとえ。基礎的で、解りやすく啓蒙的な、この大部な注釈書を書き終えた著者・如儡子の思いがよく伝わってくる。

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●如儡子の「百人一首」注釈は、私の推測では、寛永18年(1641)、著者39歳の頃成立したものと考えられる。従来次の2点の所在が明らかであった。
[A] 『百人一首抄』(水戸彰考館文庫蔵)
[B] 『酔玉集』(国立国会図書館蔵)
ところが、次の2点が、相次いで発見された。
[C] 『百人一首註解』(京都大学図書館蔵)
この本は、島津忠夫氏と乾安代氏が「百人一首注釈叢刊15」として刊行。両氏は著者未詳、江戸中期の写本として詳細な解説を付けている。ただし、私が調査した結果、この著者は如儡子と判明した。
[D] 『砕玉抄』(武蔵野美術大学図書館蔵)
これは、浅田徹氏が所蔵に気付き、如儡子の著書であると、私宛知らせて下さったもの。このように、如儡子・斎藤親盛の百人一首の注釈書は、現在、その所在が明らかになった。これら4点の成立時期は、次の如く推測される。
[D] 『砕玉抄』万治3年(1660)58歳 ?
[A] 『百人一首抄』寛文2年(1662)60歳
[B] 『酔玉集』寛文3年(1663)61歳 ?
[C] 『百人一首註解』寛文5年(1665)63歳 ?
これら4点の著作の関連を、これから解明する予定である。

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目  次
 
一、はじめに
二、略書誌
三、『百人一首鈔』・『酔玉集』歌人配列対照表
四、田中伸氏、野間光辰氏の研究
五、『百人一首鈔』と『酔玉集』の本文異同
 〔一〕 省略・脱落関係
   (1)『酔玉集』の省略・脱落
   (2)『百人一首鈔』の省略・脱落
 〔二〕 漢字・仮名の異同
   (1)『百人一首鈔』が漢字のもの
   (2)『酔玉集』が漢字のもの
 〔三〕 用字の異同
 〔四〕 仮名遣いの異同
 〔五〕 その他の異同
   (1)語句の異同
   (2)長文の異同
 〔六〕 歌の異同
 〔七〕 まとめ(系統図・試案)
六、今後の課題(京都大学所蔵写本『百人一首註解』との関連など)
   (注)
  付記
 
 
  一、はじめに
 
 如儡子の「百人一首」の注釈書として、水戸彰考館に『百人一首鈔』が、国立国会図書館に『酔玉集』が所蔵されている。この両書に関しては、田中宗作氏、田中伸氏、野間光辰氏によって研究の端緒が開かれた。
 野間光辰氏は、田中宗作氏の『百人一首古注釈の研究』によって如儡子の『百人一首鈔』を知り、昭和五十一年刊の岩波書店の『国書総目録著者別索引』によって『酔玉集』の存在を知り、驚喜して閲覧調査したと記しておられる。田中伸氏もほぼ同様の経過を辿って両書に出会っておられるが、仮名草子研究の二先学が、如儡子の新しい著作に出会った時の喜びが我々にまで伝わってくる。それにしても目録の尊さをも痛感せずにいられない。私も、三先学の驥尾に付して、この二書に関して卑見を述べた事があるが、それは序説の域に止まるものであった。本稿では、それらを踏まえて、具体的な分析を試みたいと思う。
 
  二、略書誌
 
 『百人一首鈔』
所在 水戸彰考館文庫(巳/拾六/巳二十七上)
体裁 大本、四巻四冊、写本、袋綴じ。
表紙 薄黄茶色原表紙、縦二七九ミリ×横一九九ミリ(1冊目)。
題簽 左肩に書題簽、
   「百人一首鈔 一(〜三、四止)」縦二一〇ミリ×横三七ミリ(1冊目)。
内題・尾題 無し。
匡郭 無し。一行の字の高さは、序は一八八ミリ前後、歌は一、二字下げの二行書きで一七〇ミリ前後、歌の注釈は一九〇ミリ前後、頭注は六〇ミリ前後。
丁付 無し。
丁数 一冊目……八五丁(内、序説六丁)。
   二冊目……七九丁。
   三冊目……九四丁(他に巻末に遊紙一丁)。
   四冊目……八四丁(内、奥書二丁)。
   合 計……三四二丁。
行数 序説・本文は毎半葉七行、頭注は一五行前後。
字数 本文は一行一五字前後、頭注は九字前後。
内容 「百人一首」の注釈書。各項は歌人名、略伝、和歌一首、注釈となっており、略伝、注釈に対して小字の頭注を付す。
   一冊目……序説・十六首を収録、二冊目……二六首を収録、
   三冊目……二八首を収録、四冊目……三〇首を収録。
本文 漢字交じり平仮名で、大部分の漢字に振り仮名を施す。部分的に濁点を付すが、句読点は無い。朱の補筆が少し有る。
序  第一冊目の一丁〜六丁に序説あり。
跋  第四冊目の八三丁オ〜八四丁オに自跋があり、その末に、
   「時寛永巳之仲冬下幹江城之旅伯身
       雪朝庵士峯ノ禿筆作
              如儡子居士」
   とあり、八四丁ウの中央に、
   「寛文二壬寅歳晩夏中旬
               重賢書之」
   とある。
その他 三冊目、三八丁ウ上部に紙片二枚を貼付し注を記す。
 
 
 『酔玉集』
所在 国立国会図書館(118/合4/166)
体裁 大本、十巻十冊(四冊に合綴)、写本、袋綴じ。
表紙 白味薄黄色原表紙、草花模様あり。縦二六九ミリ×横一八二ミリ(1冊目)。原表紙の上に帝国図書館の茶色保護表紙あり。
題簽 左肩に霞文様書題簽、
   「酔玉集 一(〜十終)」縦一七〇ミリ×横三四ミリ(一冊目)。
   保護表紙の左肩に、子持枠題簽、文字は墨書で次の如くある。
   「酔玉集 一、二」    「酔玉集 六、七、八」
   「酔玉集 三、四、五」  「酔玉集 九、十/止」
目録題 無し。ただし、各巻頭に収録歌人名を記す。
内題 巻一の2丁オの序説の前に「百人一首」とある。
尾題 無し。
匡郭 無し。一行の字の高さは、序は一九〇ミリ〜二〇〇ミリ、歌は一行書きで二〇五ミリ前後、歌の注釈は二字下げで一八二ミリ前後。
丁付 無し。
丁数 巻一……四二丁(内、半丁空白、歌人名半丁、序説四丁)。
   巻二……二八丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻三……二三丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻四……二一丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻五……二五丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻六……二六丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻七……二三丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻八……二三丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻九……一八丁(内、半丁空白、歌人名半丁)。
   巻十……二二丁(内、半丁空白、歌人名半丁、跋一丁)。
   合計……二五一丁。
行数 序説・本文は毎半葉十行。
字数 一行二十字前後。
内容 「百人一首」の注釈書。各巻それぞれ十首を収録。
本文 漢字交じり平仮名で、部分的に振り仮名を施す。部分的に濁点を付すが、句読点は無い。朱引・朱点が少しある。
序  巻一の二丁〜五丁に序説あり。
跋  巻十の二一丁ウ〜二二丁オに自跋があり、その末に、
   「時寛永己之仲冬下幹江城之旅泊身雪朝庵士
    峯一禿筆作也」
   とあり、一行あけて、次の年記がある。
   「于時延宝庚申秋涼」
 
 
  三、『百人一首鈔』・『酔玉集』歌人配列対照表
 
 『百人一首鈔』と『酔玉集』の歌人の配列は以下の如くである。
 
『百人一首鈔』       『酔玉集』        
  序説           序説          
1 天智天皇御製     1 天智天皇        
2 持統天皇御製     2 持統天皇        
3 柿本人丸       3 柿本人丸        
4 山辺赤人       4 山辺赤人        
5 中納言家持      5 猿丸太夫        
6 安倍仲磨       6 中納言家持       
7 参議篁        7 安倍仲麿        
8 猿丸太夫       8 喜撰法師        
9 中納言行平      9 小野小町        
10 在原業平朝臣     10 蝉丸          
11 藤原敏行       11 参議篁         
12 陽成院御製      12 僧正遍昭        
13 小野小町       13 陽成院         
14 喜撰法師       14 河原左大臣       
15 僧正遍昭       15 光孝天皇        
16 蝉丸         16 中納言行平       
17 河原左太臣      17 在原業平朝臣      
18 光孝天皇御製     18 藤原敏行朝臣      
19 伊勢         19 伊勢          
20 元良親王       20 元良親王        
21 源宗于        21 素性法師        
22 素性法師       22 文屋康秀        
23 菅家         23 大江千里        
24 壬生忠岑       24 菅家          
25 凡河内躬恒      25 三条右大臣       
26 紀友則        26 貞信公         
27 文屋康秀       27 中納言兼輔       
28 紀貫之        28 源宗于朝臣       
29 坂上是則       29 凡河内躬恒       
30 大江千里       30 壬生忠岑        
31 藤原興風       31 坂上是則        
32 春道列樹       32 春道列樹        
33 清原深養父      33 紀友則         
34 貞信公        34 藤原興風        
35 三条右太臣      35 紀貫之         
36 中納言兼輔      36 清原深養父       
37 参議等        37 文屋朝康        
38 文屋朝康       38 右近          
39 右近         39 参議等         
40 中納言敦忠      40 平兼盛         
41 平兼盛        41 壬生忠見        
42 壬生忠見       42 清原元輔        
43 謙徳公        43 権中納言敦忠      
44 中納言朝忠      44 中納言朝忠       
45 清原元輔       45 謙徳公         
46 源重之        46 曽祢好忠        
47 曽祢好忠       47 恵慶法師        
48 大中臣能宣朝臣    48 源重之         
49 藤原義孝       49 大中臣能宣朝臣     
50 藤原実方朝臣     50 藤原義孝        
51 藤原道信       51 藤原実方朝臣      
52 恵慶法師       52 藤原道信朝臣      
53 三条院御製      53 右大将道綱母      
54 儀同三司母      54 儀同三司母       
55 右大将道綱母     55 大納言公任       
56 能因法師       56 和泉式部        
57 良暹法師       57 紫式部         
58 西行法師       58 大弐三位        
59 大納言公任      59 赤染衛門        
60 清少納言       60 小式部内侍       
61 和泉式部       61 伊勢大輔        
62 大弐三位       62 清少納言        
63 赤染衛門       63 左京大夫道雅      
64 紫式部        64 権中納言定頼      
65 伊勢太輔       65 相模          
66 小式部内侍      66 大僧正行尊       
67 中納言定頼      67 周防内侍        
68 周防内侍       68 三条院         
69 左京太夫道雅     69 能因法師        
70 大納言経信      70 良暹法師        
71 大僧正行尊      71 大納言経信       
72 中納言匡房      72 祐子内親王家紀伊    
73 祐子内親王家紀伊   73 権中納言匡房      
74 相模         74 源俊頼朝臣       
75 源俊頼朝臣      75 藤原基俊        
76 崇徳院        76 法性寺入道前関白太政大臣
77 待賢門院堀河     77 崇徳院         
78 法性寺入道前関白大政太78 源兼昌         
79 左京太夫顕輔   ・臣79 左京太夫顕輔      
80 源兼昌        80 待賢門院堀河      
81 藤原基俊       81 後徳大寺左大臣     
82 道因法師       82 道因法師        
83 藤原清輔       83 皇太后宮太夫俊成    
84 俊恵法師       84 藤原清輔朝臣      
85 後徳大寺左太臣    85 俊恵法師        
86 皇太后宮太夫俊成   86 西行法師        
87 皇嘉門院別当     87 寂蓮法師        
88 殷冨門院太輔     88 皇嘉門院別当      
89 式子内親王      89 式子内親王       
90 寂蓮法師       90 殷冨門院大輔      
91 二条院讃岐      91 後京極摂政前太政大臣  
92 後京極摂政前大政太臣 92 二条院讃岐       
93 前大僧正慈円     93 鎌倉右大臣実朝     
94 参議雅経       94 参議雅経        
95 鎌倉右太臣      95 前大僧正慈円      
96 正三位家隆      96 入道前太政大臣     
97 権中納言定家     97 権中納言定家      
98 入道前大政太臣    98 従二位家隆       
99 後鳥羽院御製     99 後鳥羽院        
100 順徳院御製      100 順徳院         
  奥書           奥書          
 
 右に掲げた歌人配列対照表からわかる通り、両書の配列にはかなりの異同がある。この点に関しては、かつて検討したことがある。
その結果、『酔玉集』は所謂、一般の「百人一首」の配列であるが、『百人一首鈔』は「異本百人一首」の配列に極めて近いものである事が明らかになった。「異本百人一首」系統の配列の本文には、‥曽堀遠州筆『百人一首』(跡見学園短大図書館蔵)、天正十八年紹巴筆三部抄、E貘膵駟験惴Φ羲実◆三部抄、せ杏抄・巻子本、セ杏抄・江戸前期写本、Ω悦古活字本等があるが、『百人一首鈔』の配列がこれらの「異本百人一首」の配列と異なる点は次の二箇所のみである。
 (1)、「西行法師」が「異本百人一首」では、通行の「百人一首」と同じ86番であるのに対し、如儡子の『百人一首鈔』は58番となっていること。
 (2)、「左京太夫道雅」と「周防内侍」の順序が、「異本百人一首」では「左京太夫道雅→周防内侍」であるのに対し、『百人一首鈔』は「周防内侍→左京太夫道雅」となっていること。
 如儡子の『百人一首鈔』と、この二点が一致するもの、つまり、完全に同じ配列のテキストは、現在のところ確認し得ない状態である。今後、三部抄系統の伝本の調査を進めて、同じ配列のテキストを確定したいと思っている。
 
 
  四、田中伸氏、野間光辰氏の研究
 
 一、田中伸氏「如儡子の注釈とその意義―『百人一首鈔』と『酔玉集』―」(『二松学舎大学論集』百周年記念号、昭和52年10月、『近世小説論攷』昭和60年6月10日発行に収録)
 『酔玉集』を最初に論じたのは田中伸氏である。氏は右の論文で『百人一首鈔』と『酔玉集』をかなり具体的に比較されている。その結果を要約すると以下の如くである。
 (以下『百人一首鈔』を『鈔』、『酔玉集』を『酔』と略称)
 ◆懍筺戮砲脇注が有るが『酔』には無い。『鈔』は歌人の伝記、歌の注釈、頭注の漢字の大部分に振仮名を付けているが、『酔』の振仮名は少ない。
◆歌人の伝記の記述について、18・藤原敏行、6・中納言家持、の二例を比較して、『酔』は系図を多く掲げるなど、両者には相当の違いがあり、同じ原本からの写本と考えることは出来ない。あるいは、二写本の書写者がそれぞれに歌人伝を勝手に綴ったことも考えられる。
、序説の比較。『酔』は『鈔』の頭注の部分を序説の冒頭に組み入れているが、あるいは、『酔』の原本には、全体ではないかも知れないが、頭注が有り、それを本文の中に組み入れて書写したのではないか。『酔』には二十一字の脱字があるが、これは書写の際の脱落と考えるのが妥当である。ただし、原本の書写の際の脱落か、『酔』の書写の際の脱落かはわからない。
ぁ歌の注釈の本文の比較。86・西行法師、18・藤原敏行の二例を比較、「殆んど大きな変化はなく、用字等のみに終始していて、歌人の伝記におけるような大きな差異は見られない。ということは頭注や歌人の伝記とは別にして、本文においては書写による受継ぎが行われていたと考えるのが妥当のようである。」
ァ奥書の比較。「(これらの異同は)書写の際の誤りとばかりは断定出来ない。仮に口述筆記による原本という場合も考えられるのではないだろうか。……この口述筆記の可能性の問題は、今後の問題としたいが、いずれにしても、頭注も完備している『百人一首鈔』の方が、信頼すべき写本だといえそうである。」
Α◆峺什澆了笋猟敢困糧楼呂ら云えば、これらの内本文はまず書写によって受けつがれ、その本文を元として、歌人の伝記や頭注は口頭で講ぜられたものではなかったかということである。尤も『酔玉集』の方は注釈の部分は、或は書写者が幽斎の注釈などを利用し、別の注釈となったのではないかと考えられる。…更にその受講者の多くは、江戸在住の武士たちであったとも判断出来る」
 長い論文の要約紹介であるため、わかりづらい点があるかと思うが、二書に初めて分析を加えられた田中伸氏は、留保点を残しながらも、両書の関連を、このように位置付けておられる。
 
 二、野間光辰氏「如儡子系伝攷(中)」(『文学』46巻12号、昭和53年12月、『近世作家伝攷』昭和60年11月30日発行に収録)
 「田中伸氏もほぼ私と同じ経過を辿って、両書の紹介と比較・検討を試みていられる。……そしてこの百人一首注釈の基礎となった先人の注釈は何であったかは判らぬが、すぐれた教養人であった父盛広と同様歌学の嗜みもあったと考えられる如儡子が、江戸在住の武士達を相手に講釈した原稿であったろうと推定する。この推定、半ば首肯すべく半ばは従いかねるように思う。…(奥書を引用)…ここに「さるひな人のせめをうけ」とある。勿論その鄙人が誰であるか判らぬが、とにかくさる鄙人の依頼を受けてその文責を果たすべく、鈍才ながらこの書を著わしたというのである。前にも述ぶる如く、奥書の「寛永巳之仲冬下幹」は寛永十八年十一月、江戸における筆作たることは明らかであるが、「江戸在住の武士たち」のためとは思いもよらぬ。
 しかし田中宗作氏も説かるる如く、本書の注釈すこぶる通俗平易、秘訣・口伝などに拘わらず、啓蒙的なる点に特色があるが、最初から全文に振仮名を施し頭注を加えたものであったかどうか、私は疑う。彰考館本は、寛文二年六月重賢なる人の書写するところである。当時如儡子は二本松にあり、重賢なる人にこの旧作を書写せしめ、それを前に置いて講読したのではなかったか。全文の振仮名・頭注は、聴講の際重賢がこれを書き入れたものではないかと思う。……『酔玉集』は『鈔』の改稿本である。『鈔』における百人の順序前後するを通常の『小倉百人一首』の順序に改め、歌人の小伝には多く系図を出し、『鈔』に見る如き振仮名・頭注を施さぬ。その外は用字の相違・文章の脱落が指摘せられる程度で、大きな改変はない。私はこれを改稿といったが、外題を『酔玉集』と改め、歌人の系図を掲出するなどしながら、初稿の『鈔』起筆の紀年「寛永巳之仲冬下幹」をそのまま存している点よりいえば、如儡子自身による改稿と見るべきであろう。……(序説冒頭の頭注の組み入れは)これはもと『鈔』の前書冒頭の文章の頭注であったのを、誤って前
書の本文の前に書き写したもので、明かに書写者の手違いである。書写は如儡子没後に行なわれているから、その底本となった如儡子の改稿本は、恐らくその晩年二本松において執筆せられたものであろう。」
 以上、田中・野間両氏の御研究を整理紹介したが、それぞれに、すぐれた分析と推測を提出しておられる。
 以下、両氏の研究を踏まえつつ、より具体的に『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係を分析・解明したいと思う。
 
 
 
  五、『百人一首鈔』と『酔玉集』の本文異同
 
 両書の関係を明らかにする手続きの一つとして、まず、本文の異同関係の調査から進めたい。前述の如く、『百人一首鈔』には頭注があり、頭注・歌人伝記・注釈本文ともに、殆どの漢字に振仮名が付けられているが、振仮名は一応対象外とし、頭注・歌人伝記に関しても、いずれ分析を加えることとして、ここでは、歌の注釈本文を対象とする。
 
  〔一〕 省略・脱落関係
 
 整理番号は、一般的配列の「百人一首」の順序の番号で示した。
それぞれ、「省略・脱落」の部分に傍線を付した。
 
 (1)『酔玉集』の省略・脱落……34
 
序鈔=そのいはれは花散葉落て後も実と根とさへ有なればふたゝび若枝を生して
 酔=其いはれは若枝を生して
3鈔=長く/\しよを独かもねんと爰をいはん為斗也
 酔=なが/\しなり
4鈔=吟興たゞならず面白きなりさま/\の気色言に出ても尽しがたしされば此の哥には
 酔=きんかうたゝならされは此哥には
5鈔=世間の秋の物さひかなしき時節をよめる也唯鹿の声をきゝて秋はかなしきといふにはあらず
 酔=世中の秋の物さひしくかなしくといふにはあらす
6鈔=古き詩の妙なる辞も有をや但霜は降をも置といへり哥によるべし
 酔=古き詩のたえなる詞も有へし
7鈔=すなはち春日山の事三笠山是也月かもとは古郷春日山に出し月か
 酔=則春日山に出し月か
8鈔=扨此哥常の人のよむならば世をうぢ山と人はいへども
 酔=さて人はいへとも
10鈔=行も帰るも別てはしるもしらぬも相坂の関といふ迄は
 酔=行もかへるもといふまては
10鈔=又かならず下て此関を通り下れる人も又必のぼつて此関を通らぬ人はなし
 酔=かならすくだりて此関を通らぬ人はなし
12鈔=次のとしの春よめる哥に0みな人は花のたもとになりにけり苔の衣0かはきだにせよ此うた古今集の詞書にいはくふかくさのみかどの御宇蔵人の頭にて夜昼馴つかうまつりけるを諒闇になりければ更に世にもまじはらずしてひえの山にのぼりかしらおろしてげりその又のとしみな人は御服ぬぎてあるはかうふり給はりなどよろこびけるを聞てよめるとあり
 酔=次のとしの春読る哥とて右にあらはす皆人は花の衣の哥なり
13鈔=泪の渕に臥しづみかなしみの山にわけまよふよし也万のことみなかくのごとし
 酔=涙の渕にふししつみぬることし
15鈔=よろこぶとよむ哥の心まづ君がためとは臣下をさして宣ふ也つゝとは
 酔=よろこぶとよむなりつゝとは
15鈔=御心よろこばしからんと也まことにありがたき御心ざし御詠哥沈吟すべし扨臣下を
 酔=御心よろこばしからんとなりさて臣下を
16鈔=聞ならばといふ詞今かへりこむとは頓而帰参むと云詞也先此哥は
 酔=きくならはといふ詞先此歌は
20鈔=世にはかくれもなく顕れ聞えけんさても此愁かなしみのやる方もなく
 酔=世にはかくれなく見やるかたもなく
23鈔=詠吟あるべし歌の心は月にさへ打むかへば数/\心砕てひたずら物こそかなしけれさて
 酔=よく詠吟せられはかなしけれさて
25鈔=其名に相応せばといふ詞なにしおふとも又名にしおひたるなどもよめり名にしのし文字
 酔=その名に相応せはといふ詞にしの字
25鈔=さて此もがなを願ひがなと云て何をがなゝどゝねがひたる詞也人にしられて
 酔=さてこの人にしられて
31鈔=三芳野ともいふ花の道地也ふれるとは雪の降といふ詞此哥は
 酔=三吉野ともいふこの哥は
32鈔=といふはながれもあへぬ木葉ぞと落しつけての云分也
 酔=といふぶんなり
33鈔=悲しむべきに非ずとおもひさだめ悟明むるさへ
 酔=かなしむさへ
34鈔=わが友達にてもなきにといふ詞さて此哥は下の句より上の句の五もじへ読つゞけて詠吟すれば哥の心よくきこゆる
 酔=わがともたちにてもなきにといふことは歌の心はよくきこえたり
36鈔=極熱のうれへにたへかねたる折しも今宵の月の涼しく冴たるに打向ては
 酔=極熱うれへにうちむかひては
48鈔=万境に依て転ずといふ事もあるをやされば心鏡とて心をば鏡に喩へり何ものか
 酔=ばんけうにたうなにものか
49鈔=胸のうちにもえこがるゝ事偏にかのゑじのたくひのごとくに夜にさへなりぬればおもひのほむらむねに燃こがれていとゞ苦しけれども
 酔=胸のうちに燃へ焦ていとゝくるしけれは
53鈔=苦しきよしをいひ入給ふ時とりあへずそのまゝよみて出し給ふとかや
 酔=くるしきよしをいひ入給ふとかや
54鈔=忘れまいといふ詞かたければとは頼果かたければなどいふ詞命ともがなとは命もがなと願ことば也
 酔=わすれまいといふ辞なり
56鈔=先此哥は煩らはしく心細き時おもふ人のもとへ読てやりけり歌の心は
 酔=まつ此哥の心は
58鈔=理り述たり扨もそなたにはいかゞおぼしめし出給ひて今又
 酔=ことはりのべていま又
61鈔=けふ九重とは今の洛平安城をさしていへり惣じて九重とは都の事也
 酔=九重とは都のことなり
67鈔=何くれの物がたりしける時かの周防の内侍寄臥してありけるか枕もがなと
 酔=いつもの物語しける折枕もがなと
85鈔=わがおもふ心のまゝにならざる事也哥の心は物おもふ身の曲として
 酔=我思ふ身のくせとして
88鈔=先此哥は旅宿の逢恋といふ題をよめり歌の心は旅の屋どりにて相初し
 酔=まつこの哥は旅宿にてあひそめし
96鈔=嵐の庭の雪とは花の雪花のふゞきなど云て花のちるは雪の降ごとくなれば雪にたとへていへる也
 酔=あらしの庭の雪とは花のちるを雪にたとへていへる心なり
 
 (2)『百人一首鈔』の省略・脱落……22
 
1鈔=されば本屋と云あきの田のかりほの庵の笘をあらみが廊下也
 酔=されは本屋と云は我衣手は露にぬれつゝが本屋なり廊下といふはあきの田のかりほの庵のとまをあらみか廊下といふ物なり
16鈔=美濃の国にもおなじ名あり先一せつに此哥因幡の国にてよめり
 酔=美濃国にもおなし名有猶因幡国しるへきか又濃州稲葉山をなすらへてよめると云々まつこの哥いなはのくにゝてよめる
20鈔=つかはしけるとありこと出きてとは
 酔=つかはしけるとあり是は宇多の御門の御時彼御息所〔時平公母〕に忍ひてかよひけるがあらはれてのちにつかはしたる哥なりことのいできてとは
21鈔=又やがて来てちぎらんなど慰められしにすこし心をすさめ
 酔=又やかてきてなくさめんとのちそのことはをまことのたのみとしてこゝろめたかくもなくさめられしにすこし心をすさめ
23鈔=奇妙の哥と申さたせり
 酔=きめうの哥と申さたせりこの心を古哥にも
   ●詠れはちゝに物思ふ月に又我身ひとつの峯のおかな(ママ)
   ●大かたは月をもめてしこれそこのつもれは人の老となるもの
25鈔=何れに付てもしのぶ恋のうたとこゝえべし
 酔=いつれにつけても忍ふ恋の哥と心得へし又ある説にいふ詞書に女のもとにつかはしけると云々此名にしおはゝといふ五もしは逢坂のあふてさねかつらのさねといひかけたる詞也いねるの心にとれり小寝なりさてさねかつらはこれをひきとるにしげみあるものなれはいつくよりくるとも見えぬなりそのことくわかおもふ人も世にしらすしてくるよしもかなといへる也このうたは詞つよくして更によわみなく侍り一躰の哥と見ゆ新勅撰なとに此躰おほくいれりよくく・公夫すへしとそ又人にしられての文字を清説当流に不用之この儀は今迄すいぶん忍ひたれとも思余てさらはいかゝせんとなと打ふてゝいへる成へし
31鈔=吟心をしはかるべし
 酔=吟心あるへし
   ●さらてたにそれかとまかふ山のはの有明の月にふれる白雪為家卿の歌なり逍遥院の御哥にも
   ●おき出る袖にたまらぬ雪ならは有明の月と見てや過まし
35鈔=あらずとよませたり
 酔=あらずとよませたりさるによりてなさけもあらずは草木の事也
38鈔=せいもんの事也ちかひてしのてもじは
 酔=せいもんの事なり誓てしといひつゝけてちかひてありしといふ心又ちかひてしのて文字は
39鈔=やどり也一説には
 酔=やとりなりよもぎうとは上臈の住あらし給へる旧跡といへると申伝へりたゝし一説には
41鈔=哥の上手成事うたがひなき所分明ならずや
 酔=哥の上手なる事うたかいなきところくやみのやまひしむなしくなりぬといふ事分明ならすや
42鈔=いかに盟し事よと心得べしとなり
 酔=いかにちきりし事よと心得へしとなり
   ●波たゆる比ともしらす末の松まつらんとのみおもひけるかな
   うきふね君の心かはりたる時薫大将の読てをくられたる哥なり
43鈔=むかしとはあながちに
 酔=心は逢ての後に切なる心也人生知字憂患之始〔東坡此心也〕人は物の心をしらぬがよき也物をしりては無尽期なり昔とはあなかち
45鈔=さあればさりとも情あるべき
 酔=さあればさりとも哀とおほしめし給ひて道柴の露のまも情あるへき
47鈔=荒果蓬生と昨日けふのごとくに
 酔=あれはてゝ蓬生となり侍るさて此所へ哥人たちあつまりたまひてむかしをしたひなつかしと此宮居あれたる秋の心を感じ歌とも詠せらるゝ時に此哥も読るなり唯しあながちはう/\とあれたるにはあらずいかなる金殿玉楼もあるしなけれは心あれたるやうにおもひなされ又みなさるゝものなり伊勢物語にあばらなるいたじき月のかたふくまてふせりてとこれありしもかならずく・はうく・と荒はてたるにてはなしたゞあるじなき宿のおもひなし見なしのさまなり哥の心はけふ此河原院へきたりてみるにあるしなくあれはてたる屋とのくせとして門は葎生とぢ庭はよもぎをへうつもれ軒のしのふにかたぶきかべは御門まで草にこほれかゝりて露しん/\と物さひふくろふせうけいの枝に嘆き野干蘭菊の草村にかよふへくおほえたりかゝるところは人げつねにしげくとも物さひしかるへきに況露うちはらふ人もなくかなしき秋きて何とやらんものさひしきよそほひをみるにつけてもかのあるしの大臣をおもひ出しこひしたひまいらせるに一しほ悲しきいやまさりてさてもかくまて荒果たる物かなきのふのことくに
50鈔=長くもがな此もがなを
 酔=詞書に女のもとよりかへりてつかわしけると有後朝の哥なるへし心は一度のあふ事もあらば命にもかへんとおもひしを立わかれて名残切なるまゝにその心もいつしか引かゑて命のながくもがなとよめる心尤哀深にやながくものかなを
53鈔=急て門を開とかおぼしめす
 酔=いそき門をあけんとすれともかぎを尋おそなはりしをなどしもをそくあくるとかおほしめさん
56鈔=あらざらん
 酔=詞書に心持れいならず侍りける比人につかはしけると有哥の心は先あらさらん
64鈔=或は今迄みざりしも俄にあらはれ
 酔=あるひはいまゝてあるかと見しもたちまちにかくれあるひはいまゝて見ざりしも俄にあらはれ
64鈔=〔無し〕
 酔=●ものゝふの八十宇治河の網代木にいさよふ浪の行衛しらすも
69鈔=是正風躰なるべし
 酔=これしやうふうていなるへし但末代の人正風とばかり心得てなをざりに眼をつけばあまりにやすく力なくなるへしとや此哥は古今人丸の歌に
   ●立田河紅葉ゝなかる神なひの室の山に時雨ふるらし
   この類ひなるへしと云々此哥内裏の合の時のうたにて出来る事おりにあへる秀逸なるへし殊更作者の手柄なり
70鈔=得心したる由也
 酔=心得たるよしの歌なり又此歌は定家卿ふかくおもしろき事に思ひ給ひて朝夕詠吟ありしといふ
   秋よたゝなかめすてゝもいてなまし此里のみの夕へと思はゝ
94鈔=惣じてきぬたをきくを悲しき類にする事は0と云て古里
 酔=そうじてきぬたをかなしきたぐひにする事はやもめのきぬたをかなしきたぐひにする事はやもめのきぬたと云てふるさとにて
 
 ここには、『鈔』・『酔』の省略・脱落関係の異同を整理して掲出したが、全体では10万字近い大部な著作であるため、異同箇所もかなりの量となる。したがって、この省略・脱落関係も大体15字以上のものに限る事にした。1字・2字・3字等のものが、これ以外にもあるが、必要な場合は他の項目で取り上げたい。
 
 (1)『酔玉集』の省略・脱落……34
 『酔』の省略・脱落は34あるが、これらの大部分が『酔』の誤脱と考えられる。5は前の「かなしき」から後の「かなしき」に目移りして「物さひ」を「物さひしく」と改め、その途中を脱落させたものと思われる。7も「春日山」が二度出てくるが、前から後へ目移りしての脱落であろう。16は「いふ詞」→「云詞」、20は「かくれもなく」→「やる方もな」、31は「ともいふ」→「といふ」、32は「いふ」→「云」、34は「さて此哥」→「哥の心」、49は「こがるゝ」→「こがれて」、53葉「給ふ」→「給ふ」、54は「詞」→「ことば」、56は「哥」→「歌」、61は「九重」→「九重」、85は「おもふ」→「おもふ」、96は「雲とは」→「雲に」と、これらは、いずれも、類似した語が続けて使われている場合、前の語から後の語に目移りして、その間の文を脱落させた可能性があると思われる。
 6は『酔』の文章でも意味は通るが、「有をや」から「よるべし」へ目移りして「有へし」と改め、途中の文を脱落させたものであり、『酔』が意識的に省略したものではないと思われる。12は『酔』が部分的に文章を変えて、長文を省いているが、これでは『酔』は意味が通じない。15の1は、『鈔』は「哥の心まづ君がためとは臣下をさして宣ふ也」とあり、「心」を見せ消ちで「詞」に正している。「心」ではやはり文意が通じない。『酔』の写した原本は「心」になっていたので、この部分を意識的に省いたものと思われる。
 このように『酔』が省略・脱落させたものは、その大部分が『酔』の誤脱と言ってよいものであり、この事は、この両書の本文の優劣を考える場合に参考となる。また、15の1の異同は、『酔』が直接『鈔』を書写したものではない事の一つの証左になると思う。
 
 (2)『百人一首鈔』の省略・脱落……22
 『鈔』の省略・脱落は22あるが、これらの内、1、38、39、45、47、53は『鈔』の誤脱と思われる。殊に47は長文の脱落である。前の「あれはてゝ」から「荒果たる」へ目移りしたものと思われるが、脱落の分量は全四三三字であり、仮に『鈔』の書写した如儡子の原本が、毎半葉10行、1行20字とすると、1丁で四〇〇字であるので、ちょうど1丁分の脱落という事になる。つまり、丁移りによる目移りの可能性があるものと思われる。
 64の1、94は『酔』の文章が重複しているもの。したがって『酔』の書写の折の誤りと思われる。
 その他のものは、内容から判断して、『鈔』が省略したり誤脱させたというよりも、『酔』の原本または『酔』が書写した折に、他の古注等を利用して補ったものと推測される。
 20は、例えば『百人一首(幽斎抄)』に「つかはしけるとあり。是は宇多の御門の御時かの御息所〔時平公女〕に忍ひてかよひけるかあらはれて後につかはしたる哥也。事出きてとは」とあり、23も『百人一首(幽斎抄)』に「長明/なかむれは千々に物思ふ月に又わか身ひとつの峯の松風/業平/大かたは月をもめてしこれそこのつもれは人お老となるもの」とある。その他の、23・31・42・43・50・56・64の2・69・70も『百人一首(幽斎抄)』に同様の文がある。『酔』の原本または『酔』の書写者が増補した折使用した古注が『百人一首(幽斎抄)』であるか否かは、今にわかに断定出来ないにしても、『酔』の本文が、単に『鈔』の改稿ではなく、先行の古注ののいずれかを利用して増補したものである事を、ここで指摘しておきたい。
 
  〔二〕 漢字・仮名の異同
 
 漢字・仮名の異同に関しても、全巻対校済みであるが、全体を掲出すると大量になるので、一首から十首までに範囲を限定して調査結果を掲げた。( )の中は出現度数。
 
  (1)『百人一首鈔』が漢字のもの……八三九
 
間→あいた(5)、明→あか、飽→あき、明→あきらか(3)、明→あけ、足→あし(3)、足柄→あしから、朝→あした、足引→あしひき、明日→あす、当→あた・あたり(3)、暖→あたゝ、価→あたひ、跡→あと、兄→あに、哀→あはれ(3)、愛→あひ(2)、逢→あひ・あふ・あは(3)、相→あふ(5)、逢坂→あふさか、相坂→あふさか、天→あまの、天香具→あまのかく、非→あら、顕→あらは(5)、有→ある・あり(13)、主→あるし、案→あん。
幾→いく、幾年→いくとし、異見→いけん、急→いそ、出→いた・いて(3)、徒→いかつら(3)、一聨→一れん、稲穂→いなば、稲→いね、曰→いはく(2)、謂→いはれ(3)、況→いはんや(3)、云→いひ・いは・いふ(37)、庵→いほ・いほり(4)、今→いま(4)、忌→いみ、居→ゐ。
請→うけ、哥→うた(2)、打→うち(10)、内→うち(3)、宇治→うち、移→うつ(2)、埋→うつ・うつも(4)、疎→うとき、裏→うら(2)、嬉→うれ、愁→うれへ。
得→え・へ(2)、栄燿→えいよう、選→えら(6)。
送→おく(2)、治→おさめ、男鹿→おしか(4)、教→おしへ、惜→おしまる、落魄→おちぶれ、落→おと、音信→おとつれ、驚→おとろか、衰→おとろへ・おとろふ(2)、同→おな・をな(2)、帯→おひ、多→おほ(3)、思→おも、面白→おもしろ(5)、及→およふ。
鏡→かゝみ、書→かき(2)、限→かき・かぎり(2)、掛→かけ、懸→かけ、鵲→かさゝき(3)、重→かさ・かさな(3)、頭→かしら、方→かた、敵→かたき、片敷→かたしき、且→かつは、叶→かな、悲→かな(5)、必→かならず、彼→かの(11)、帰→かへ(3)、萱→かや、通→かよ、仮→かり、仮初→かりそめ(2)、刈→かり・かる(3)、枯→かれ(2)、感→かん。
帰→き、儀→ぎ、消→きえ、聞→きこ、刻→きざ、岸→きし、来→きたる・き(5)、倚廬→きろ、吟興→きんかう。
草→くさ(2)、下→くた(2)、砕→くた、委→くはし、委細→くはしく、汲→くみ、暮→くら・くらし(2)、苦→くる・くるし(3)、暮→くれ、郭→くわく。
境界→けうがい、気しき→けしき(3)、気色→けしき、実→けに、今日→けふ。
爰→こゝ(3)、心→こゝろ(2)、去年→こそ、毎→こと、事→こと(2)、異→こと、今年→ことし、詞→ことは(5)、理→ことはり、断→ことはり、此→この(11)、籠→こも・こめ(2)、今宵→こよひ、是→これ(2)、比→ころ(8)、衣→ころも(2)声→こゑ。
坂→さか、栄→さかへ、咲→さき(4)、開→さき、前→さき、幸木→さけ、定→さため、扨→さて(7)、偖→さて、郷→さと、冴→さへ・さえ(3)、囀→さへつ、更→さら、去→さり(3)。
執→しう、執心→しうしん、然→しか、茂→しけ・しげ(3)、至極→しこく、子細→しさい(2)、入→しほ(4)、所詮→しよせん(2)、白重→しらかさ、印→しるし(2)、白→しろ(2)、白妙→しろたえ(3)。
随分→すいふん、過→すぎ・すく(4)、勝→すく、少→すこし(2)、已→すでに・すて(2)、既→すでに、則→すなはち、澄→すま・すみ(2)、住→すむ・すみ(7)。
節→せつ。惣→そう(3)、底→そこ(5)、備→そなは、其→その(13)、初→そむ、空→そら(3)。
大概→大がひ、妙→たえ(3)、互→たかひ(2)、類→たぐひ(2)、田子→たこ(2)、慥→たしか、助→たすけ、只→たゝ・たゞ(3)、正→たゝ、唯→たゞ(4)、但→たゝし(3)、立→たち、忽→たちまち(2)、尋→たつ、尊→たつと、辰巳→たつみ、奉→たてまつ、種→たね、旅→たひ、度→たひ、給→たま、為→ため(5)、弾→たん。千尋→ちいろ、散→ちる。
遣→つか・つかは(3)、使→つかひ、付→つき・つけ(7)、尽→つく(2)、着→つく、作→つくり、着→つけ、伝→つたは・つたふ(3)、壌→つちくれ、続→つゝく・つゝけ(6)、妻→つま(3)、褄→つま、積→つも、釣→つり。
天然→てんねん、眺望→てうぼう。
所→ところ、年→とし(3)、迚→とても、飛→とび、留→とま、笘→とま(6)、篷→とま、冨→とみ、共→とも(7)、取→とり(4)、取分→とりわけ(5)、通→とを。
永→なか、長→なが(2)、詠→なかめ(4)、啼→なく、歎→なけ(2)、名残→なこり、余波→なこり、懐→なつか、鳴→なら(2)、也→なり(75)、成→なる・なり(5)、鳴子→なるこ、馴→なれ、猶→なを。握→にきり、悪→にく。濡→ぬれ(2)、澪→ぬれ。寝覚→ねさめ、寝→ねる。残→のこ、後→のち、長閑→のとか、登→のぼらん・のほり(3)。
端→はし、走→はし、初→はしめ(2)、肌→はたへ、果→はて・は(2)、花→はな(3)、端山→はやま。引→ひき・ひく(8)、畢竟→ひつきやう、一→ひと、独→ひとり(2)、隙→ひま、冷→ひやゝか、開→ひら、昼→ひる、貧賤→ひんせん。富貴→ふうき、葺→ふく・ぶき(4)、吹→ふく、含→ふくみ・ふく(3)、房→ぶさ、冨士→ふし(5)、不審→ふしん、臥→ふす(2)、防→ふせ、麓→ふもと、冬→ふゆ、降→ふり・ふる(4)。経→へ(4)、隔→へた(2)、辺→へん(2)、篇→へん。帆→ほ、外→ほか、程→ほと(2)、発露→ほろ。
間→ま(5)、盲相→まうさう、罷→まかり、枕→まくら、実→まこと、正→まさ、真砂→まさこ、又→また(4)、先→まつ(9)、待→まつ、真白→まつしろ(2)、全→まつたく、政→まつりこと、政事→まつりこと、迄→まで(5)、窓→まと(2)、眼→まなこ、丸寝→まろね。身→み、見→み、三笠→みかさ(2)、短→みちか、皆→みな、三穂→みほ。迎→むか、向→むかひ、結→むす。名誉→めいよ、召→めし。持→もた、専→もつはら(2)、求→もとめ、物→もの(15)、紅葉→もみち、守→もり、唐→もろこし。
安→やす、破→やふ、漸→やゝ、哉覧→やらん。行→ゆく・ゆき(5)、故→ゆへ(4)、夢→ゆめ。世→よ、夜→よ(3)、能→よく、由→よし、余情→よせい、依→よつ、読→よみ・よむ・よま・よめ(11)、蓬→よもき、喜→よろこ、万→よろつ。
諒闇→りようあん、霖雨→りんう。零落→れいらく。輪→わ、我→わ・わか(2)、別→わかれ(2)、分→わけ(3)、業→わさ、渡→わた(3)。猪→ゐ、韻→ゐん、益→ゑき、置→をき・をく(2)、自→をのつから。
 
  (2)『酔玉集』が漢字のもの……二二三
 
あかつき→暁、あき→秋(2)、あきらか→明、あげ→上、あはせ→合、あま→天、ある・あるひ→或(3)、ある・あり→有(3)。いそ→急、いた→至、いふ・いへ・いはり→云(6)、いほり・いほ→庵(3)、いろ/\→色々。うき→浮(3)、うきよ→浮世、うけ→請、うた→歌(2)、うた→哥(13)、たち→内(2)、うち→宇治、うつ→移(2)、うま→馬、うら→浦。えた→枝。お→尾、おく→奥、おぼ→思(3)、おも・おもひ→思(12)。
かく→書、かげ→陰、かすみ→霞、かな→悲(4)、かならす→必。きえ→消(3)、きみ→君。く→来、くら・くれ→暮(2)。けしき→気しき。こと→事(7)、ことは→詞、この→此(5)、このかた→已来、これ→是(5)、ころ→比。
さかり→盛、さく・さき→咲(3)、さた→沙汰(2)、さて→扨(3)、さま→様。しかる・しかれ→然(2)、じまん→自慢。すぎ→過、すなはち→則、すみ→住。せひ→是非。その→其(2)、そめ→初、それ→夫。
たかやす→高安、たゝ→正、たま→給、ため→為、たもち→保。ちる・ちり→散(2)。つく→尽、つく→作(2)、つけ→付、つね→常、つひに→終、つゆ→露。とき→時(3)、とをく→遠、ところ→所、とし→年、との→殿、とり→取。
なかめ・なかむる→詠(6)、なく・なき→鳴(2)、なつ→夏(2)、なり→也、なり・なる成(4)、なを→猶。にごり→濁。ね→根、ね→嶺、ねん→年。
は→葉(2)、はうし→法師、ばかり→斗、はかりこと→謀、はし→橋、はつ→初、はひ→庇、はや→早、はる→春(4)、はれま→晴間。ひとり→独。ふか→深(3)、ふし→冨士、ふね→船、ふら・ふり・ふる→降(3)。ほと→程。
まさこ→真砂、まへ→前。み→見(2)、みたれ→乱。むかし→昔。もし→文字、もつて→以、もの→物(3)、もみぢ→紅葉、もる→守。ゆく→行(2)。よ→世(2)、よ→夜(2)、よめ→読(3)よる→夜。わが→我(6)、わた→渡。
 
 漢字・仮名の異同は、一首から十首までの、十分の一の範囲の調査結果であるが、『鈔』が八三九に対して、『酔』が二二三となり、『鈔』の方が三・七倍の割合で漢字表記が多い事がわかる。漢字表記されている語を見ると、也→なり、云→いふ、有→あり、其→その、彼→かの、の如く一般的なものが多いが、中には、落魄→おちふれ、音信→おとつれ、倚廬→きろ、千尋→ちひろ、余波→なこり、余情→よせい、諒闇→りようあん、霖雨→りんう、のような語もある。第十一首以下を眺めて、やや難解・特異なものを列挙すると、
以下の如くである。
 存命→なからへ、蜉蝣→ふゆう、少時→しはし、体容→かたち、証哥→せうか、寔→けに、実→けに、分野→ありさま、耄然→もうせん、恙→つゝか、遺玄→ゆうけん、難面→つれなき、難顔→つれなき、五音相通→五いんさうつう、何方→いつかた、賞翫→せうくわん、朝朗→あさほらけ、明更→あけほの、晨明→あけほの、長閑→のとか、知音→ちゐん、呂律→りよりつ、聖代花洛→せいたいくわらく、蜀江→しよくこう、秋興→しうけう、正風躰→しやうふうてい、愁傷→しうしやう、急雨→むらさめ、終宵→よもすから、精誠→しやうせう……
 『酔』は、右に見た通り、仮名書きが多く、しかも『鈔』の如く特異な漢字は殆ど使っていない。漢字表記を多くして、その漢字にことごとく振り仮名を施している『鈔』は、仮名草子作者・如儡子の著作にふさわしいものと言うことが出来る。
 
  〔三〕 用字の異同
 
 意味が同じで用字が異なるものを掲出した。『鈔』→『酔』の如く示し、( )の中の数字は出現度数である。
 
游→遊、憐→哀、相坂→逢坂、蜑→海士、銀漢→天の川、顕→現、晨明→有明(3)、在明→有明、犬→狗、寿→命、曰→云、賤→陋、印→記、憂名→浮名、憂世→浮世(4)、哥→歌(95)、歌→哥(27)、愁→憂、王位→皇位、皇子→王子、王子→皇子、王道→皇道、男鹿→●《「鹿」の下に「葭」からクサカンムリをとったもの》、大友→大伴、覚束→无朧、俤→面影(2)、想→思、隔別→各別、飾築→餝筑、梶→楫(2)、首途→門出、悲→慟、銀→金、川→河(33)、河→川(7)、堪忍→勘忍(2)、儀→義(4)、義→儀(二)、二月→如月、雲一点→雲一天、爰→是、事→●《「古」の下に「又」》、辞→詞(13)、詞→辞(11)、詞→語、言→詞、込→籠、五輪→五倫。
斎宮→斉宮、開→咲、偖→扨(3)、滴→雫、信実→真実、即→則、澄→清(3)、世間→世の中(23)、天→空(3)、高根→高嶺(2)、多古→田子、頼→馮(2)、躰→体(5)、大裏→内裏、財→宝、唯→只、断→絶、龍田→立田、立田→龍田、貴→尊、羇人→旅人、玉→魂、玉しゐ→魂、盟→契(3)、契→約(2)、盟→約(2)、鵆→千鳥(3)、謹→慎、朝廷→朝帝、時代→時世(2)篷→笘(2)、朋→友(2)。
永→長(4)、長→永(2)、仲磨→仲丸(2)、詠→眺、渚→汀、啼→鳴(10)、鳴→啼、泣→嘆、泣→啼、歎→嗟、余波→名残、波→浪(11)、浪→波(3)、泪→涙(15)、南良→奈良(5)、成→也(2)、猶→尚、迯→逃。
坊→房、初瀬→泊瀬、引→曳(2)、久堅→久方、非情→非生、扶持→夫持、舟→船(11)、船→舟、古郷→古里(2)、郭公→時鳥(2)、時鳥→郭公、杜宇→時鳥、杜鵑→時鳥、子規→郭公、蜀魂→時鳥。
真→実(2)、実→誠、真→寔、誠→実、信→真、帝→御門(14)、岑→峯(5)、嶺→峯(3)、京→都、太山→深山(2)、深山→深山、岷江→民江、群雲→村雲、村雲→急雲、丹葉→紅葉。
●《「義」の右に「鳥」》→山鳥(2)、三月→弥生(2)、余寒→夜寒、慾→欲(2)、芳野→吉野(2)、読→誦(6)、来生→来世、連枝→連子、分→別、笑→哂、夫→男。
 
 ここには、意味が同じで、用字の異なるものを一括してみたが、両書の用字の使い方には、多少違った傾向が見られる。
 賤→陋、男鹿→●、覚束→无朧、飾築→餝筑、悲→慟、事→●、歎→嗟、笑→哂。
 このように、『鈔』よりも『酔』の方が、ややむずかしい用字を使用しているものもわずかにあるが、
 游→遊、蜑→海士、銀漢→天の川、晨明→有明、寿→命、哥→歌、首途→門出、開→咲、躰→体、財→宝、羇人→旅人、鵆→千鳥、篷→笘、朋→友、詠→眺、啼→鳴、余波→名残、泪→涙、南良→奈良、迯→逃、郭公→時鳥、杜宇→時鳥、杜鵑→時鳥、蜀魂→時鳥、京→都、丹葉→紅葉、●→山鳥。
 このように『鈔』の方が特異な用字を使っている事の方が多い。また、『鈔』=憂世・憂名、『酔』=浮世・浮名、は両書の書写年代を反映しているのかも知れない。いずれにしても、これらの用字の異同から、『酔』は、やや一般化された本文であると言い得るのではないかと思われる。
 
  〔四〕 仮名遣いの異同
 
 ここには、仮名遣いの異同を一括して掲げた。一応五十音順とし、『鈔』→『酔』のように示した。異同の字に傍線を付した。( )の中の数字は出現度数である。
 
あはさり→あわさり、あはせ→あわせ(2)、あはぢ→あわぢ、あはぬ→あわぬ、あはれ→あわれ(12)、あはん→あわむ、あらはさ→あらわさ、あらはれ→あらわれ、あるひは→あるいは、あるひは→あるゐは。
いかならむ→いかならん、いかん→いかむ、いたはり→いたわり(3)、いたはる→いたわる、いはく→いわく(2)、いはひ→いわゐ、いはひ→いわひ、いはむ→いはん(3)、いはれぬ→いわれぬ、いはれまし→いわれまし、いふ→いう、いらへ→いらゑ。
うけむ→うけん、うへ→うゑ(2)、うるはしく→うるわしく、うを→うほ。えいさん(叡山)→ゑいさん、えいはじ→ゑいはじ(2)えたる→ゑたる、えならぬ→ゑならぬ(3)、えや→ゑや、えらみ→ゑらひ(7)、えらみ→ゑらみ、えらめ→ゑらべ、えん→ゑん。
おくれ→をくれ、おこなはる→おこなわる、おしくも→をしくも、おらむ→おらん、おゐて→おひて(4)、おゐて→おいて、おはしませ→おわしませ(2)、おほえ→おほへ(3)、おほゐ河→おほひ川、おもはする→おもわする、おもはぬ→をもわぬ、おもはれ→おもわれ(2)、おもひ→をもひ、おもほえて→おもほへて(2)、をかす→おかす、をき→おき、をきて→おきて(2)、をきまとわせ→おきまとわせ、をく→おく、をくり(送)→おくり、をける→おける、をこせたり→おこせたり(2)、をこなはる→おこなはる、をこなひ→おこなひ、をさふる→おさふる(2)、をし(惜)→おし(2)、をしけれ→おしけれ(2)、をしこめ→おしこめ、をしなべて→おしなべて、をしはかられ→おしはかられ、をしはかり→おしはかり、をしへ→おしへ、をしまつき→おしまつき、をしもとす→おしもとす(2)、をそかり→おそかり、をそし→おそし、をつる→おつる、をとつれ→おとつれ(3)、をとめ→おとめ、をとろへ→おとろへ、をなし→おなし、をの(己)→おの、をのつから→おのつから(2)、をのれ→おのれ(2)、をよひて→およひて、をよぶ→およぶ(3)、をらめ→おらめ、をり(居)→おり、をろか→おろか(3)。
かいな→かひな、かはして→かわして、(3)、かはせし→かわせし、かはり(る)→かわり(る)(5)、かひなく→かいなく(6)きこえ→きこへ(2)、きこへ→きこえ、きは→きわ、きはめて→きわめて。けむ→けん。こえなん→こへなん、ことはれとも→ことわれとも、こは→こわ、こむ(来)→こん(2)。
さいはひ→さいわゐ、さえたる→さへたる、さかへし→さかえし、さそはれ→さそわれ(3)、さはかし→さわかし、さはく→さわく(2)、さはり→さわり(2)。したはれん→したわれん、しつらひ→しつらい、しらむ→しらん、しゐて→しひて。せいえい→せいゑい、せむ→せん(4)。
たえね→たへね、たくひ→たくい、たゝすまひ→たゝすまい、たゝむ→たゝん(3)、たへに→たえに。ついでに→つゐでに、つくろひて→つくろいて、つゐに→ついに、つゐに→つひに。とゝめむ→とゝめん。
なからん→なからむ、なにわえ→なにわへ(2)、なむ→なん(5)ならはす→ならわす、ならむ→ならん(2)、なりて→なつて、なん→なむ。ねがはくは→ねがわくは、ねられむ→ねられん。
はうぜん→ぼうぜん、はかす→わかす、はひまとはる→はいまとはる、はらひ→はらい。ぼたひ→ぼたゐ、ほゐ→ほい。まうけ(設)→まふけ、まうて(詣)→まふて(2)、まへ→まゑ(2)。見え渡り→みゑわたり、みじかき→みぢかき(5)。 むかひ→むかい(2)。もえこがる→もへこがる、もぢ(文字)→もじ、もちひて→もちいて(10)。
やなぐゐ→やなぐひ。よそほひ→よそおひ。らむ→らん(3)。れむ→れん。わつらひ→わつらい、わびたる→はびたる。
 
 両書の仮名遣いの異同を一括したが、仮名遣いは近世初期以後、特に乱れてきた経過があり、ここでも、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの間で入り交じっている。気付いた点を挙げると、
 あはせ→あわせ、あはぢ→あわぢ、あはれ→あわれ、あらはれ→あらわれ、いたはる→いたわる、いはく→いわく、いはひ→いわい、いはれ→いわれ、うるはしる→うるわし、おこなはる→おこなわる、おはしませ→おわしませ、おもはぬ→おもわぬ、かはして→かわして、こは→こわ、さいはひ→さいわゐ、さそはれ→さそわれ、さはり→さわり、したはれ→したわれ、ねかはくは→ねかわくは、ならはす→ならわす。
 「は→わ」が約40と非常に多く、『酔』は現代仮名遣いを多用している事がわかる。次に、
 をき→おき、をきて→おきて、をく→おく、をくり→おくり、をける→おける、をこせたり→おこせたり、をこなひ→おこなひ、をさふる→おさふる、をしこめ→おしこめ、をしまつき→おしまつき、をそし→おそし、をつる→おつる、をとつれ→おとつれ、をとろへ→おとろへ、をなし→おなし、をのつから→おのつから、をのれ→おのれ、をよふ→およふ、をろか→おろか。
 「を→お」が、これも約40と多いが、『酔』は逆に歴史的仮名遣いを多用している事になる。ただ、これらは現代仮名遣いと共通しているものであり、「む・ん」の異同も、む→ん=14、ん→む=2、と『酔』は「ん」を多用している事をも合わせて考えると、全体的に『酔』は表音式仮名遣いが多いと言い得るかも知れない。
 『鈔』は、折々見せ消ちで仮名遣いの訂正をしている。如儡子の原本を忠実に書写した重賢が、後で補筆した可能性がある。
 
 
 
 
  〔五〕 その他の異同
 
 ここには、〔一〕〜〔四〕以外の異同の主要なものを整理して掲げた。便宜上、一字〜六字の短い語句のものを (一)とし、比較的長いものを (二)として分けた。
 
  (1) 語句の異同
 
 ここには、序説から跋文までの、漢字一字・二字等の異同で、単なる用字の違いではなく、意味上違いのあるものをまとめた。整理番号は、一般的配列の「百人一首」の順序の番号で示し、
 5・『鈔』→『酔』  の如く示した。適宜改行したが意味はない。
 
1・書奉→入奉、1・詠哥→御哥、2・相合→相叶、2・御詠哥→御製、2・師説→時節、3・崇貴→貴宗、4・名山→名所、6・半天→空、9・雅倉→雅子、9・云事→云心、9・下臥→起ふし、11・四国隠州→隠岐国、11・羇→四□、11・事→身、16・一説→一詞、17・常夜→長夜、18・理→事、19・身→君、20・名文字→類文字、22・梅→木毎、23・物→事、24・御恵→御心、26・哥人→歌仁、27・畢ぬ→侍る、29・暁→晩、30・奇語→奇特、30・西→南、31・風情→風景、33・一栄一落無常→一栄一楽無情、37・風色→風景(2)、39・序の分→序詞、39・人→心、41・病→煩、41・声→餌、42・中→事、45・哀→命、46・大切→大事、47・心→事、47・心地→心持、49・詞→事、49・禁中→大内、49・仮名→殿名、53・実→寔に、53・江州→近江国、53・妙句→名句、54・事→物、54・後生→後世、55・一栄一落→一栄一楽、56・行末→行衛、58・恨→身、59・詞→心、59・文→又、59・生出→萌出、59・葉も茎も→葉も草も、59・春草→若草、59・女御高位→女御更位、60・便の文→使の文、60・心肝→心感、60・詠→歌、61・伊勢太輔→伊勢大輔(2)、61・御宇→御時、61・城→都、61・対したり→題したり、61・作→業、61・桜→花、64・景物→景気、64・秋の曙→夜の曙、64・人世→人間、65・善業→善悪、65・前業→善業、66・心地→心持、67・時→折、71・吟→義、72・御宇→御時、73・播摩→播州、76・中→沖、76・景物→景気、76・好景→風景、78・心地→心持、79・今宵→今夜、79・吟→味、80・行末→行衛、81・半天→空、81・古今→言語、81・哥人→感じ、81・詩仁→詩人、81・詩哥→詠哥、83・執→悪鋪、86・執心→執念、88・心→句、93・堺→事、94・夫→おとこ、94・夫→男、94・一栄一落→一栄一楽、95・仏陀の冥感→仏躰の冥勘、95・御法→御祷、95・所願→諸願、95・執行→修行、99・御哥→御製、99・忠孝→忠切、跋・衆人→執心、跋・伯身→泊身、跋・ノ→一。
 
 ここに掲げたものの内、『酔』が誤りと思われるもの、誤りとまではゆかないが、『鈔』の方がよい表現と思われるものは以下の通りである。
 2の3、11の2、11の3、16、18、20、22、23、26、29、30の1、30の2、33、39の1、39の2、42、45、47の2、49の3、53の3、55、56、59の2、59の4、60の2、61の4、64の2、65の1、65の2、76の1、80、81の2、88、94の2、99の2、跋の1、跋の3。
 これらとは逆に、『鈔』が誤りと思われるもの、または、『酔』の方がよい表現と思われるものは、次の4のみである。
 19、27、61の1、跋の2。
 右の数量関係から見ても、『酔』は誤りの多い本文である事がわかる。
 右に掲げたもの以外のものは、『鈔』・『酔』いずれの場合も意味は通じるものと言える。ただ、それらの中でも、3の「崇貴→貴宗」であるが、『鈔』は「崇貴とはあがめたつとむ也」と注を付している如く、いずれかというならば、『鈔』の方が適切な表現と言える。4も富士山の事であるから「名山」の方が自然のようである。17は、『古事記』には『鈔』と同じ「常夜」とある。46は「波荒く大事の渡也さあれば梶のよからんふねさへも大切(大事)の渡なるに」とあるが、『鈔』は「大事」を重ねて使用する事を避けたのであろうか。47は「河原院とは源の融の太臣と申人妙にやさしき御心(事)にて」という文章なので、これも、いずれかと言うなら『鈔』の「心」の方がよいかも知れない。このような見方をすれば、49の1、60の1、86、93、94の1、等も『鈔』の方が適切な文章と言えるかも知れない。
 9の1「宇治の雅倉の宮→宇治の雅子の宮」は、応仁天皇の子の莵道稚郎皇子の事であるが、『鈔』は頭注で「一とせ応神天皇と申みかどおはしけり仁徳雅倉と申二人の皇子あり仁徳は御兄雅倉は御弟也」と注している。この条に関しては、未詳の点が多く、さらに調べたいと思っている。
 以上、その他の異同の内、短い語句の異同に関して整理してみたが、ここでは、『酔』の本文に誤りの多い事がわかった。さらに、次の項とも合わせて考える事にする。
 
  (2) 長文の異同
 
 ここには、序説から跋文までの、比較的長い文章の異同のものを掲げた。ただし、便宜的に分けたのみで、厳密なものではない。整理番号は、一般的配列の「百人一首」の順序の番号で示した。異同の部分には傍線を付した。
 
序鈔=かの新古今集は花と葉とあまり有て実と根はたらざる也
 酔=かの新古今集は花と葉とあまり有て実と根とはたらす
序鈔=所詮畢竟の心さしは作者にかゝはらす
 酔=所詮ひつきやうの心さしは作者にかまはず
1鈔=仮初に作れる庵の事
 酔=かりそめに作家なり
1鈔=王道の政事よろづおちぶれすたれ行事
 酔=王道のまつりことよろつおほれすたれゆく事
1鈔=真其ごとく万落魄すたれ行
 酔=まことに万おちぶれすたれゆく
48鈔=真其ことく本心は本よりうごきはたらく物には
 酔=寔にそのことくこひはもとよりうごきはたらくものには
77鈔=真其ごとくわが中の
 酔=そのことくわかなかの
4鈔=打出てとは立出てと云心打といふ詞は辞の助と云物也
 酔=うち出てとは立出てといふ詞うちといふ事は詞のたすけとい
   いふ物なり
4鈔=此哥一首の詠吟此つゝといふ詞にかぎれる也
 酔=此哥一首の詠吟此国とことはにかきれる也
5鈔=されば此哥は秋はいかなる時分かすぐれて物悲しきといふに
 酔=されは此時分はいかなる時分かすくれて物かなしきといふに
8鈔=身を治心をやすんじ本分の道理に徴して読るうた也
 酔=身をおさめ心やすく凡夫の道理を徹してよめる哥なり
9鈔=よそほひをながめ愛しもてなしたるよし也偖
 酔=よそほひを詠あひして賞し扨
9鈔=天下をおさめ給ふ御代の花盛なるよといへる
 酔=天下をおさめ給ふにより今を春へと花の盛なるよといへる
9鈔=あるときはおもひおもはれ又ある時はねたみかこたれさて夢のうき世のうき身を渡るいとなみなんどにかゝつらひさへられてとやかくや心紛れ今日よあすよと
 酔=ある時はおもひをも入またある時はねたみかこちかこたれ夢の浮世の身をいとなみとにかくにさへられてとやかくと心みたれてけふよあすよと
10鈔=彼相坂の関を通りて行かふ羇人共
 酔=かのあふ坂の関のゆきかよひ行旅人とも
14鈔=みちのくとは陸奥と云詞奥州のことしのぶもぢずりとは信夫文字摺と書ども人めしのぶ事也堪忍の心に用ひてよめる
 酔=みちのくとは陸奥国といふ事奥州信夫郡に忍草を紋につけたるすり也紋を乱れすり付たるゆへに乱るゝといはんための序なり又しのぶもぢずりとはしのふ人めしのふ又勘忍の心にもちいて読る
14鈔=又此哥も例の序哥也先みちのくといひ出したるはしのぶとうけんため奥州に信夫の郡あるゆへぞ又しのぶと云てはもぢずりとうけんためぞ信夫の郡にもぢずりある故也これまでが序の分にて肝要は誰故にみだれそめにしわれならなくにと爰をいはん為斗也
 酔=又此哥も例の序歌なりまつみちのくといひいたしたるはしのふ同前ため又しのふといひては文字摺とうけんためこれまては序の分肝要はたれゆへにみたれそめにしわれならなくにとこゝをいはんためはかりなり
15鈔=臣下をはごくまんためにはかゝるうきめも何ならず此心ばせを感じ
 酔=臣下をはごくみ給ふによりなぐさめんためにかゝる御心はへを感じ
19鈔=さても命のきえらるべき物かとかきくどきたるさま也
 酔=さても命の消えさりしものかとかきくときたるさまなり
20鈔=こと出きてとは密通の世間に顕れてと云事
 酔=ことのいできてとはくぜちわざはひの出来世間にあらはれてといふ事
21鈔=又やがて来てちぎらんなど慰められしにすこし心をすさめ泪ををさへてさらばと立別て後其詞を真の頼としてうしろめたくもけふの夕べ明日の暮かと心をそらにまちあこがれ
 酔=又やかてきてなくさめんとのちそのことはをまことのたのみとしてこゝろめたかくもなくさめられしにすこし心をすさめ涙をおさへて後そのことはをたのみとしてけふの夕へあすの暮よと心を空にまちこがれ
22鈔=あるせつに山かふりに風といふ字を書て嵐とよむなれば
 酔=或説に山を上におきて風といふ字をかきてあらしと読なれは
25鈔=わがもとへくるといふ事に用ひてさてあふといふ名とくるといふ名に相応せばといふ詞
 酔=わがもとへくるといふ事にもちいてあふといふなとさうおふせばといふことはなり
30鈔=哥の心はほの見し様の俤を忘れかねいやましの恋となり
 酔=哥の心は見し俤をわすれかねいやましのおもひとり
31鈔=雪月花の三景物とて世間にありとあらゆる見物の中にも
 酔=雪月花の三景とて世の中にあらゆるなかにも
32鈔=此風はげしく吹みだしたる落葉のうかへる谷川の風景心にしめて詠吟すべし
 酔=やまかせ吹みたしたる落葉のうかへるたに河の風景の心よと詠吟すへし
33鈔=あらき雨風のおりから花のちるを見れば
 酔=あらき雨風のおもしろからぬに花のちるを見れは
33鈔=此哥を此和哥集の秘歌二首の内一首と伝へきゝ侍る
 酔=この哥を和歌集の秘歌二首の一首と伝へり
35鈔=此程は中絶ひさしく宿をからで
 酔=此ほとは長くたゝ久しく屋どをからで
35鈔=又知ぬともかならず一首の内に云いるゝ事ならひ也
 酔=又しらぬともかならすはむかしの内にいる事ならひなり
41鈔=其後飛鳥井殿の注本又細川玄旨の註本あるひは法橋昌琢兼与などの註訳見聞たりしにもさはうけたまはらず
 酔=そのゝち飛鳥井の注本又細河玄旨の注本或は法橋昌琢又兼与なとの注本を見聞たりしにもさやうになし
43鈔=いやましのおもひにこがれある時は又逢見ん事を
 酔=いやましのおもひにこかれしかは又あひみん事を
48鈔=歌の心はおもふ人の難面心をば動きはたらかぬ岩尾にたとへ
 酔=哥の心はおもふ人のつれなき心はおとろきおとろかぬ岩かわらにたとへ
55鈔=今はばうぜんと荒果たるといふ心也流てとは滝の水の流ると云心をも含せて
 酔=今はばうぜんと荒はて流るといふ心をふくませて
55鈔=盛なりし昔は広沢の池の辺に
 酔=盛なりしむかしは大津の池の辺に
55鈔=今は土草に埋れ……………名ばかりは土草にも埋れず
 酔=いまは土蔵にうつもれ……名ばかり土蔵にもうつもれず
59鈔=さりとはおもしろき事あつたら物よとたはふれながらも
 酔=さりとはをもしろき事よとたはふれなからも
60鈔=さぞ心もとなく切にうしろめたくおぼすらん
 酔=さこそ心もとなくせつにおほすらん
60鈔=下の句にてまだ文もみぬとちむばうしたる也
 酔=下の句にてまだ文も見ぬと読しなり
60鈔=哥道のこれあるによつて事の急なる時も
 酔=歌道の心懸あるによつて事の急成時
62鈔=内の御物忌に籠るとて
 酔=うちの御物わすれにこもるとて
62鈔=彼大納言清少納言のつぼねのうちへしのび来て
 酔=かの大納言のつほねのうちへ忍ひきて
62鈔=秦の始皇帝に………始皇帝第一……其後始皇帝より
 酔=秦の昭王に…………昭王第一………そのゝち又昭王より
63鈔=三条の宮に門番けいごを仰つけかたく守り給へば
 酔=三条の宮に門にけいこをすへまいらせたまへは
64鈔=かの宇治川と申は水上は砕たる山高くそびへ
 酔=かのうぢ川と申は水上しけりやま高くそびへ
65鈔=此袖だにもいまた朽すたらざるに憂恋すると云
 酔=袖だにもいまだひがたきうき恋するといふ
65鈔=歎にかひはなけれどもとてもしすべき命ならば
 酔=なけくはかひあらしとてもしすへき命ならは
66鈔=げにく・唐杜牧之といへる人の名詩にも
 酔=けにく・唐土杜子美といふ人の名詩にも
66鈔=尤哀たぐひありがたきにや
 酔=尤哀類なき御詠哥なり
69鈔=はらく・と打散音は時雨白雨かともうたがはれ
 酔=はらく・とうち散し音はしくれ夕立かともあやまたれ
70鈔=此さびしさは更く・のがるべからずいづくも替らぬ秋の夕暮
 酔=このさひしさはさらく・のかれかたしいつくいかなるところもかわらぬ秋のゆふくれ
71鈔=芦の丸屋とは蘆がやぶきのつくろはぬ家也
 酔=あしのまろやとは草深き家なり
71鈔=家のむねかども立ぬかりほの名也
 酔=家のむねかともたゝぬ家なり
71鈔=六月の末つかた暑かはしきけふの日も
 酔=六月の末つかた暑もうすくなりけふの日も
72鈔=さもあらば恨ねたみ恋し悔しの泪は袖に
 酔=さもあらば恨妬悲しみ悔しき涙は袖に
73鈔=睡赴(ママ)昭陽淡々………………三十六宮無 粉光
 酔=睡赴(ママ)眼陽淡淡………………三十宮無 粉光
74鈔=嵐山颪北気ひかたおなし東風野分凩なとみな風の名也
 酔=嵐山おろしきたけひがたおなし古事のわけこがらしなとみな風の名なり
74鈔=底の心は思ふ人のいやましに難顔を歎てかくいへる詞
 酔=そこ心はおもふ人のいやましにつれなきにうらみていへる詞
74鈔=真に及まじき姿とほめられたりとかや
 酔=まことにおよふましき姿とほめたまふとにや
75鈔=秋もいぬめりとは秋も過たりと云詞
 酔=秋もいぬめりとは秋もすがたの辞なり
76鈔=春の海辺の空えもいはれぬ面白さ限りなき景物をつくろはず
 酔=春の海辺の空へつゝきたりといふにもいわれぬ面白さかきりなき景気を繕はず
76鈔=海上の好景を題せる也又勝王閣の賦にも
 酔=海上の風景を題せるなり又滕王の閣賦にも
77鈔=川瀬の洲崎などにこれある岩に当りたる水はかならず彼岩にせかれて両方へ別れ流る物也され共又つゐにはかならず流れの末にては落合本のごとく一つにながれ合物なれ
 酔=河の瀬の洲先なとにある岩せかれて両方へわかれてながるゝものなりされとも又つゐには頓て落合てもとのことくひとつに流あふものなり
79鈔=いかに面白からん詠の中にもあながち是やとうち驚く
 酔=いかにおもしろからんなかめの中にもあがりこれやとうちをどろく
80鈔=後の朝とは夕べ逢て立別たるけさの事
 酔=後のあしたとは夕部寄合なれてあくる朝たちわかれたる事
82鈔=思ふ人はいとゞ難面さのみいや増りゆくに
 酔=思ふ人はいよく・つれなくいやまさりゆくに
84鈔=此哥はさし当りてよろづ物うきと思ふ時代も何かと打過し
 酔=此哥は万物うきと思ときよもなにかと打過し
85鈔=此夜はかくつれなくも明がたき物にはあらじとうらめしく
 酔=このよはかくつれなくも明かたきかなとうらめしくて
88鈔=芦の道地也仮ねとはかりそめにぬると云詞也しかるを蘆を刈に云かけたり
 酔=蘆の仮寝とは仮染にぬるといふ詞なりしかるをあしにいひかけたり
88鈔=芦は節のある草なれば一ふしといふ心をも含めり
 酔=芦には節ある草なれはふしあひをはよといふ物なればこの心をふくみ
89鈔=命絶よと歎しづめるよし也
 酔=命絶よとおもひつめたるよしなり
92鈔=此哥は奇 石恋と云題をよめり
 酔=此歌は石による恋といふ題にてよめり
93鈔=綱手とはあまの小舟のつなてなはの事つなてのてもじ澄てよむべし
 酔=つなてとはあまの小舟のつなでなりつなてのてもし濁てよむへし
94鈔=三芳野は大和の国の名所花の道地の山
 酔=みよしのは大和の名所なり
94鈔=何さま此哥は
 酔=かやうに此哥
96鈔=うやまはれしかども今は年老さらび隠居閉戸の身と成
 酔=うやまはれしが今は年おひゐんきよの身となり
97鈔=海辺夕暮の気色静なる事
 酔=海辺の夕暮のしつかなる気しきなり
98鈔=風戦とはかぜのそよぐと云心
 酔=かせそよくとは風にあたりて物ことうこく物なりこれをそよくといふなり
98鈔=哥の心は所く・水の流はおほけれとも
 酔=哥の心は所く・水のなかれはほそけれとも
99鈔=神道を崇め仏法を守り聖教を用ひ五つのみちよくかなひ忠孝を専とし王道を補ひ
 酔=神道を守り仏法たつとみせうげうをもちいず五の道を払ひ忠切をもつはらとし王道をおきなひ
100鈔=国土安穏に上仁義を守り下礼信にきふくして万思し召のまゝなりしが
 酔=国土あんおんには仁義をまもり下には礼儀たゞしく真にきぶくしてよろつ思しめすまゝたりしが
 
 ここには、比較的長文の異同を一括して掲げたが、全体で約80である。この内、『酔』の誤りと思われるものは、次の15である
 1の2、5、8、25、35の2、48、55の1、60の1、62の1、62
 の2、73、74の1、75、79、99。
 8は、「本分」を「凡夫」としているが、耳から聞いた折に招じた誤りの可能性がある。74の1も「東風」を「こぢ」と聞き、「古事」と書いたのではないか。35は、「一首」を「ハ昔」と誤読したものであろうか。48の「岩屋」→「岩かわら」は「屋」を「瓦」と誤読したところから生じた可能性があり、これは『酔』の書写した原本が「瓦」と漢字表記していた事を推測させる。62の1も「物忌」を「物忘」と誤読して「物わすれ」と記したものと思われる。
 いずれにしても、これらの誤りは、書写の折の誤脱・誤写と、耳から聞く過程で生じたものが多いと思われるのであり、この事は、『酔』の本文の成立事情を推測する手掛かりとなる。
 次に、『酔』が誤りとまではゆかないが、文章が不自然であり、いずれかと言うと『鈔』の方がよいものを掲げると、次の27となる。
 4の1、9の1、9の2、10、14の2、21、22、30、31、32、33の2、35の1、64、69、71の1、71の2、71の3、77、82、85、88の1、88の2、92、94の1、98の2、100 。
 22は嵐の字の説明であるが、『鈔』は「山かふりに風」と記し、『酔』は「山を上におきて風」と記している。これは耳がら聞いた折に生じた異同のように思える。32は「此」→「やま」であるが、書写の折、「此」を「山」と誤写し、その後「やま」になった可能性がある。
 次に、『鈔』の誤りと思われるものは、次の3である。
 62の3、76の2、96。
 さらに、『鈔』が誤りとまで言えないが、『酔』の方がやさしく自然な文章と思われるものは、次の7である。
 19、41、43、60の2、65の1、66の2、76の1。
 ここでも、『酔』の誤り、いずれかと言えば『鈔』の方がよい文章と思われるものが、合計42に対し、『鈔』の誤り等は10と非常に少ない事が明らかとなった。これは両写本の文章の優劣を考える上で参考となる。
 これらの他のものは、『鈔』・『酔』いずれでも文意は通じるものとなっている。この中で一、二注意したい。
 14の1、ここで『酔』は「奥州信夫郡に忍草を紋につけたるすり也紋を乱れすり付たるゆへに乱るゝといはんための序なり」と補っているが、この文は、『百人一首(幽斎抄)』に「奥州信夫郡に忍草を紋につけたるすり也。紋を乱れすり付たる故に乱るゝといはん為の序也。」とあること。
 20では、「くぜちわさはひの出来」とあるが、これも『百人一首(幽斎抄)』に「くせちわさはひの出来」とあること。
 これらの事例から、『酔』が、『百人一首(幽斎抄)』などの、先行の古注を参照・利用している事がわかる。
 次に、1の3、48、77で、『鈔』は「真其ごとく」を使っているが、これは『可笑記』の作者の多用するものである。これを『酔』は「まことに」「寔に」「そのことく」と改めている。
 また、59では「あつたら物よ」、94では「何さま」を使っている。これも『可笑記』の作者のよく使う言葉である。これを『酔』は、省いたり、「かやうよ」に改めたりしている。これらの事からわかるように、『鈔』の文章には『可笑記』の作者の文章(言葉)が伝えられており、『酔』はそれらを改めている傾向がある、と言うことが出来る。
 
 
  〔六〕 和歌の異同
 
 配列は、一般的配列の「百人一首」の順序とし、『鈔』・『酔』の順序で掲げた。『酔』の歌人名で歌の前の名前が異なる場合は、〔 〕の中に示した。異同の部分に傍線を付した。
 
1天智天皇御製
 秋の田のかりほの庵の笘をあらみわが衣手は露にぬれつゝ
 天智天皇
 秋の田のかりほの庵の笘をあらみわか衣手は露にぬれつゝ
2持統天皇御製
 春過て夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまのかく山
 持統天皇
 春過て夏来にけらし白妙のころもほすてふ天のかく山
3柿本人丸
 足引の山鳥の尾のしだり尾のなが/\し夜をひとりかもねん
 柿本人丸
 あし曳の山鳥の尾のしたり尾のなか/\し夜を独かもねむ
4山辺赤人
 田子の浦にうち出て見れば白妙のふじの高根に雪はふりつゝ
 山辺赤人
 田子の浦にうち出て見れは白妙のふしの高嶺に雪は降つゝ
5猿丸太夫
 奥山に紅葉ふみ分なく鹿の声きく時ぞ秋はかなしき
 猿丸太夫
 奥山に紅葉ふみわけ鳴鹿の声きく時そ秋はかなしき
6中納言家持
 鵲のわたせるはしにをく霜のしろきをみれば夜そ更にける
 中納言家持
 鵲のわたせるはしにをく霜のしろきを見れはよそ更にける
7安倍仲磨
 天の原ふりさけ見れば春日なるみかさの山に出し月かも
 安倍仲麿〔安倍仲麻呂〕
 天の原ふりさけ見れは春日なるみかさの山に出し月かも
8喜撰法師
 我が庵は都のたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり
 喜撰法師
 わか庵は都のたつみしかそすむ世をうち山と人はいふなり
9小野小町
 花の色はうつりにけりな徒にわが身よにふるながめせしまに
 小野小町
 花の色はうつりにけりないたつらに我身よにふる詠せしまに
10蝉丸
 これやこの行も帰るも別てはしるもしらぬもあふ坂の関
 蝉丸
 是やこの行も帰るも別てはしるもしらぬもあふさかの関
11参議篁
 和田のはら八十嶋かけて漕出ぬと人にはつげよ海士の釣ぶね
 参議篁
 和田の原八十嶋かけて漕出ぬと人にはつけよ海士の釣船
12僧正遍昭
 天津風雲のかよひ地吹とぢよをとめのすがたしばしとゞめむ
 僧正遍昭
 天津風雲のかよひち吹とちよ乙女の姿しはしとゝめん
13陽成院御製
 筑波根のみねより落るみなの川恋ぞつもりて渕と成ける
 陽成院
 筑波祢の峯より落るみなの河恋そ積て渕となりぬる
14河原左太臣
 陸奥のしのぶもぢすり誰ゆへにみだれそめにし我ならなくに
 河原左大臣
 みちのくの忍ふもちすり誰ゆへにみたれそめにし我ならなくに
15光孝天皇御製
 公がため春の野に出てわかなつむわがころも手に雪は降つゝ
 光孝天皇
 君かため春の野に出てわかな摘我衣手に雪はふりつゝ
16中納言行平
 立わかれいなばの山の岑に生ふるまつとしきかば今帰りこん
 中納言行平
 立別いな葉の山の峯におふるまつとしきかは今かへりこん
17在原業平朝臣
 千早振神代もきかず龍田川からくれなゐに水くゞるとは
 在原業平朝臣
 千早振神代もきかず龍田河からくれなゐに水くゝるとは
18藤原敏行
 住の江のきしによる波よるさへや夢のかよひ路人めよくらむ
 藤原敏行朝臣
 住の江のきしによる波よるさへや夢の通路人めよくらん
19伊勢
 難波がたみじかきあしのふしの間もあはで此よを過してよとや
 伊勢
 難波かたみしかき蘆のふしのまもあわて此世を過してよとや
20元良親王
 侘ぬれば今はたおなじなにはなる身をつくしてもあはんとぞ思ふ
 元良親王
 侘ぬれは今はたおなし難波なるみをつくしてもあはむとそ思ふ
21素性法師
 今来むといひし斗に長月の有明の月を待出つるかな
 素性法師
 今来んといひしはかりに長月の有明の月を待出つる哉
22文屋康秀
 吹からに秋の草木のしほるればむべ山かぜをあらしといふ覧
 文屋康秀
 吹からに秋の草木のしほるれはむへ山風を嵐といふらん
23大江千里
 月見れば千々に物こそかなしけれわが身一のあきにはあらねど
 大江千里
 月見れはちゝにものこそかなしけれ我身ひとつの秋にはあらねと
24管家
 此たびはぬさも取あへず手向山紅葉のにしき神のまに/\
 管家
 此度はぬさもとりあへす手向山紅葉のにしき神のまに/\
25三条右太臣
 名にしおはゞ相坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな
 三条右大臣
 名にしおはゝ相坂山のさねかつら人にしられてくるよしも哉
26貞信公
 小倉山みねの紅葉々心あらばいま一たびの御幸またなむ
 貞信公
 小倉山峯の紅葉葉こゝろあらは今一度の御幸またなん
27中納言兼輔
 みかの原わきてながるゝ泉川いつみきとてか恋しかるらむ
 中納言兼輔
 みかの原わきてなかるゝ泉河いつみきとてか恋しかるらん
28源宗于
 山里は冬ぞさびしさ増りける人めも草もかれぬとおもへば
 源宗于朝臣
 山里は冬そさひしさまさりける人めも草もかれぬと思へは
29凡河内躬恒
 心あてにおらばやおらむはつ霜のをきまどはせるしらきくの花
 凡河内躬恒
 心あてにおらはやおらん初霜のをきまとはせる白菊の花
30壬生忠岑
 有明のつれなく見えし別よりあかつきばかり憂物はなし
 壬生忠岑
 有明のつれなく見えし別より暁はかりうき物はなし
31坂上是則
 朝ぼらけ有明の月と見るまでによし野のさとにふれるしら雪
 坂上是則
 朝ほらけ有明の月と見る迄によし野ゝ里にふれる白雪
32春道列樹
 山川に風のかけたるしがらみはながれもあへぬ紅葉也けり
 春道列樹
 山河に風のかけたるしからみはなかれもあへぬ紅葉也けり
33紀友則
 久堅の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらん
 紀友則〔友則〕
 久方の光のとけき春の日にしつ心なくはなのちるらん
34藤原興風
 誰をかもしる人にせん高砂の松もむかしの友ならなくに
 藤原興風
 誰をかもしる人にせん高砂の松もむかしの友ならなくに
35紀貫之
 人はいさ心もしらずふるさとははなぞむかしの香に匂ひける
 紀貫之
 人はいさ心もしらす古郷ははなそむかしの香ににほひける
36清原深養父
 夏の夜はまだよひながら明ぬるを雲のいづこに月やどるらん
 清原深養父
 夏の夜はまた宵なから明ぬるを雲のいつこに月やとるらむ
37文屋朝康
 白つゆに風の吹しく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける
 文屋朝康
 しら露に風の吹しく秋のゝはつらぬきとめぬ玉そちりける
38右近
 わすらるゝ身をば思はずちかひてし人の命のおしくも有かな
 右近
 わすらるゝ身をはおもはすちかひてし人の命のおしくも有かな
39参議等
 浅ぢふのをのゝ篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
 参議等
 浅茅生のをのゝしの原忍ふれとあまりてなとか人の恋しき
40平兼盛
 忍ぶれど色に出にけりわが恋はものやおもふと人のとふまで
 平兼盛
 忍ふれと色に出にけり我恋はものや思ふと人のとふまて
41壬生忠見
 恋すてふ我が名はまだき立にけり人しれずこそおもひそめしか
 壬生忠見
 恋すてふ我名はまたきたちにけり人しれすこそおもひそめしか
42清原元輔
 契きなかたみに袖をしぼりつゝすへのまつ山なみこさじとは
 清原元輔
 契りきな形見に袖をしほりつゝ末の松山浪こさしとは
43中納言敦忠
 
 逢見ての後の心にくらぶればむかしは物をおもはざりけり
 権中納言敦忠
 逢見ての後の心にくらふれはむかしは物をおもわさりけり
44中納言朝忠
 逢ことのたへてしなくは中/\に人をも身をもうらみざらまし
 中納言朝忠
 逢事の絶てしなくは中/\に人をも身をも恨さらまし
45謙徳公
 あわれともいふべき人はおもほへて身のいたづらに成ぬべきかな
 謙徳公
 哀ともいふへき人はおもほへて身のいたつらになりぬへき哉
46曽祢好忠
 遊らの戸をわたる舟人かぢをたへ行衛もしらぬこひの道かな
 曽祢好忠
 遊らのとを渡る舟人楫をたえ行衛もしらぬ恋の道かな
47恵慶法師
 八重もぐらしげれるやどのさびしきに人こそ見へねあきは来にけり
 恵慶法師
 八重葎しけれる宿のさひしきに人こそみへね秋は来にけり
48源重之
 かぜをいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物をおもふころかな
 源重之
 風をいたみ岩うつ浪のをのれのみくたけて物をおもふ比かな
49大中臣能宣朝臣
 みかきもりゑじのたくひのよるはもえひるはきへつゝ物をこそおもへ
 大中臣能宣朝臣
 御垣守衛士のたく火の夜は燃てひるは消つゝ物をこそおもへ
50藤原義孝
 君がためおしからざりしいのちさへながくもがなとおもひけるかな
 藤原義孝
 君かためおしからさりし命さへなかくもかなとおもひぬる哉
51藤原実方朝臣
 かくとだにえやはいぶきのさしもぐささしもしらじなもゆるおもひを
 藤原実方朝臣
 かくとたにえやは伊吹のさしも草さしもしらしなもゆる思を
52藤原道信
 あけぬればくるゝ物とはしりながらなをうらめしき朝ぼらけかな
 藤原道信朝臣
 明ぬれはくるゝものとはしりなからなをうらめしき朝ほらけ哉
53右大将道綱母
 なげきつゝひとりぬる夜のあくるまはいかにひさしきものとかはしる
 右大将道綱母
 嗟きつゝひとりぬる夜の明るまはいかに久しきものとかはしる
54儀同三司母
 忘れじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな
 儀同三司母
 忘れしの行すゑまてはかたけれはけふをかきりの命ともかな
55大納言公任
 滝のおとは絶て久しく成ぬれどなこそながれてなをきこへけれ
 大納言公任
 滝の音は絶て久しく成ぬれと名こそなかれて猶きこえけれ
56和泉式部
 あらさらん此よのほかのおもひでにいま一たびのあふよしもがな
 和泉式部
 あらさらむこの世の外の思ひ出に今一度の逢よしもかな
57紫式部
 めぐりあひて見しやそれともわかぬまにくもがくれにしよはの月かな
 紫式部
 めくりあひて見しやそれとも分ぬまに雲かくれにし夜半の月哉
58大弍三位
 ありま山いなのさゝはら風ふけばいてそよ人をわすれやはする
 大弍三位
 有馬山いなのさゝ原風吹はいてそよ人をわすれやはする
59赤染衛門
 やすらはでねなまし物をさよ更てかたふくまでの月を見しかな
 赤染衛門
 やすらはてねなまし物をさよ更てかたふくまての月を見しかな
60小式部内侍
 大江山いくのゝ道のとをければまだふみもみずあまのはしだて
 小式部内侍
 大江山いく野の道の遠けれはまたふみもみすあまの橋たて
61伊勢太輔
 いにしへのならの都の八重ざくらけふこゝのへににほひぬるかな
 伊勢太輔〔伊勢大輔〕
 いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな
62清少納言
 よをこめて鳥のそらねははかるともよにあふ坂のせきはゆるさじ
 清少納言
 夜をこめて鳥のそらねははかるとも世にあふさかの関はゆるさし
63左京太夫道雅
 今はたゞおもひたへなんと斗を人づてならでいふよしもがな
 左京大夫道雅
 今はたゝ思ひ絶なむとはかりを人つてならていふよしもかな
64中納言定頼
 朝ほらけうぢの川ぎりたえぐ・にあらはれわたるせゝのあぢろぎ
 権中納言定頼
 朝ほらけ宇治の川霧たえく・にあらはれ渡瀬々の網代木
65相模
 うらみ侘ほさぬ袖だにあるものをこひにくちなん名こそおしけれ
 相模
 恨侘ほさぬ袖たにある物を恋にくちなむ名こそ惜けれ
66大僧正行尊
 もろともに哀とおもへやまざくら花よりほかにしる人もなし
 大僧正行尊〔前大僧正行尊〕
 諸ともに哀とおもへ山桜花より外にしる人もなし
67周防内侍
 春のよの夢ばかりなる手枕にかいなくたゝむなこそおしけれ
 周防内侍
 春の夜の夢はかりなる手枕にかいなくたゝん名こそおしけれ
68三条院御製
 心にもあらで浮世にながらへばこひしかるべきよはの月かな
 三条院
 心にもあらてこの世になからへは恋しかるへき夜半の月かな
69能因法師
 あらし吹三室の山のもみぢ葉は龍田の川のにしきなりけり
 能因法師
 あらし吹みむろの山の紅葉ゝは立田の河のにしき也けり
70良暹法師
 さびしさに宿をたち出てながむればいつくもおなじ秋のゆふぐれ
 良暹法師
 さひしさに宿を立出て詠はいつくも同し秋のゆふ暮
71大納言経信
 夕されはかとたのいなばおとつれてあしのまるやに秋風ぞふく
 大納言経信
 ゆふされは門田のいなはをとつれてあしのまろやに秋風そ吹
72祐子内親王家紀伊
 音にきくたかしのはまのあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ
 祐子内親王家紀伊
 音にきくたかしの浜のあた波はかけしや袖のぬれもこそすれ
73中納言匡房
 高砂の尾上のさくら咲にけりとやまのかすみたゝずもあらなん
 権中納言匡房〔前中納言匡房〕
 高砂の尾のへの桜咲にけり外山のかすみたゝすもあらなん
74源俊頼朝臣
 うかりける人をはつせの山颪はげしかれとはいのらぬものを
 源俊頼朝臣
 うかりける人を初瀬の山おろしはけしかれとは祈らぬものを
75藤原基俊
 契りおきしさせもか露を命にてあはれことしの秋もいぬめり
 藤原基俊
 契りをきしさせもか露を命にてあわれことしの秋もいぬめり
76法性寺入道前関白大政太臣
 和田のはらこぎ出てみれば久堅の雲井にまがふ奥津しら波
 法性寺入道前関白大政大臣〔法性寺入道前関白太政大臣〕
 和田の原漕出て見れは久かたの雲井にまかふ奥津白波
77崇徳院
 せをはやみ岩にせかるゝ滝川のわれてもすへにあはんとぞおもふ
 崇徳院
 瀬をはやみ岩にせかるゝ滝川のわれても末にあわむとそおもふ
78源兼昌
 淡路嶋かよふ千鳥のなくこゑにいくよねざめぬ須广の関守
 源兼昌
 淡路しかまたかよふ千鳥の啼声にいく夜寝覚ぬ須磨の関守
79左京太夫顕輔
 秋風にたなびく雲のたえまよりもり出る月のかげのさやけさ
 左京太夫顕輔
 秋風にたなひく雲の絶間よりもれ出る月の影のさやけき
80待賢門院堀河
 ながゝらむ心もしらずくろかみのみだれて今朝は物をこそおもへ
 待賢門院堀河
 なかゝらむ心もしらす黒髪の乱てけさは物をこそおもへ
81後徳大寺左太臣
 時鳥なきつるかたをながむればたゞ有明の月ぞのこれる
 後徳大寺左大臣
 郭公啼つるかたをなかむれはたゝ有明の月そのこれる
82道因法師
 おもひ侘さても命はあるものをうきにたえぬはなみだ成けり
 道因法師
 思ひ侘さても命はある物をうきに絶ぬは涙なりけり
83皇太后宮太夫俊成
 世中よ道こそなけれおもひ入やまのおくにも鹿ぞなくなる
 皇太后宮太夫俊成
 世中よ道こそなけれ思ひ入山の奥にも鹿そ啼なる
84藤原清輔
 ながらへば又此ごろやしのばれむうしと見しよぞ今はこひしき
 藤原清輔朝臣
 なからへは又この比や忍はれんうしと見し世そ今は恋しき
85俊恵法師
 よもすがら物おもふ比は明やらぬねやのひまさへつれなかりけり
 俊恵法師
 夜もすからものおもふ比は明やらて閨のひまさへつれなかりけり
86西行法師
 なげゝとて月やは物をおもはするかごちがほなるわがなみだかな
 西行法師
 嗟けとて月やは物を思はするかこちかほなる我涙かな
87寂蓮法師
 村雨の露もまだひぬ槙の葉にきりたちのぼる秋の夕ぐれ
 寂蓮法師
 村雨の露もまたひぬ槙の葉に霧たちのほる秋の夕暮
88皇嘉門院別当
 なには江のあしのかりねのひとよゆへ身をつくしてや恋わたるべき
 皇嘉門院別当
 難波江のあしのかりねの一夜ゆへみをつくしてや恋渡るへき
89式子内親王
 玉の緒よ絶なばたえねながらへばしのぶることのよはりもぞする
 式子内親王
 玉の緒よ絶なはたへねなからへは忍ふる事のよはりもそする
90殷冨門院太輔
 見せばやなをしまの海士の袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず
 殷冨門院大輔
 見せはやな雄嶋の海人の袖たにもぬれにそぬれし色はかはらす
91後京極摂政前太政太臣
 きり/\す鳴や霜夜のさむしろにころもかたしき独かもねむ
 後京極摂政前太政大臣
 螽なくや霜夜のさむしろにころもかたしき独かもねむ
92二条院讃岐
 我が袖はしほひに見えぬおきの石の人こそしらねかはくまもなし
 二条院讃岐
 我〔袖とも恋とも〕は塩ひに見えぬ沖の石の人こそしらねかはくまもなし
93鎌倉右太臣
 世の中は常にもかもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも
 鎌倉右大臣〔鎌倉右大臣実朝〕
 世の中はつねにもがもな渚こくあまの小舟のつなてかなしも
94参議雅経
 みよし野の山の秋風さよふけてふるさとさむく衣うつなり
 参議雅経
 みよしのゝ山の秋風さよ更てふる里さむく衣うつなり
95前大僧正慈円
 おほけなくうき世の民におほふかなわがたつそまに墨染の袖
 前大僧正慈円
 おほけなくうき世の民におほふかなわか立杣にすみ染の袖
96入道前大政太臣
 花さそふあらしの庭の雪ならでふり行ものは我が身成けり
 入道前太政大臣
 花さそふあらしの庭の雪ならてふり行物はわか身也けり
97権中納言定家
 来ぬ人をまつほの浦の夕なきにやくやもしほの身もこがれつゝ
 権中納言定家
 来ぬ人をまつほの浦のゆふなきにやくやもしほの身もこかれつゝ
98正三位家隆
 風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎそ夏のしるし成ける
 従二位家隆〔正二位家隆〕
 風そよく奈らの小川の夕暮はみそきそ夏のしるしなりける
99後鳥羽院御製
 人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふゆへに物おもふ身は
 後鳥羽院
 人もおし人もうらめしあちきなく世を思ふゆへに物おもふ身は
10順徳院御製
 百敷やふるき軒端のしのぶにもなをあまりあるむかし成けり
 順徳院
 百敷やふるき軒端の忍ふにもなをあまりあるむかし也けり
 
 和歌の異同で、漢字・仮名の異同、清濁の異同を省略して、全体を見ると、仮名遣いの異同が最も多い。特に、「ん・む」が多い。「ん→む」が、3、20、36、56、63、65、77と、7あり、「む→ん」が12、18、26、27、29、67と、6ある。注釈本文と歌との違いは、注釈本文の中では、「む→ん」が14、「ん→む」が2と、『酔』が「む」を「ん」にしているケースが多かったが、これに対して、歌のところでは、7対6と、ほぼ半数である、という事である。歌の書写は、両書ともかなり忠実に行っているのに対して、注釈の本文では、ある程度書写者の考えが入った故かと推測される。
 19「あはで→あわて」、75「あはれ→あわれ」、77「あはん→あわむ」は、注釈本文と同様の異同である。
 79の「さやけさ→さやけき」、85の「明やらぬ→明やらて」、は『酔』の誤りと思われるが、13の「成ける→なりぬる」、50の「おもひけるかな→おもひぬる哉」は、諸注ともかなりばらついている。
 68の「浮世→この世」、78の「淡路嶋→淡路しかまた」、92の「我が袖は→我〔袖とも恋とも〕」の異同について、諸注は次の如くである。
68○浮世 水無月抄(うき世)、幽斎抄(うき世)、永青注(うき世)、後水尾注(うき世)、寛永八幽斎抄(うき世)、さねかづら(うき世)、師説抄(うき世)、貞徳頭書抄(うきよ)、諺解(うきよ)、中院本聞書(憂世)。
 ○この世 紹巴抄、伝小堀遠州本、三部抄A(此世)、三部抄B(此世)、光悦本(此世)、姿絵(此世)。
78○淡路嶋 伝小堀遠州本(あはぢ嶋)、三部抄A(淡路島)、三部抄B(淡路島)、幽斎抄、後水尾注(淡路島)、光悦本、姿絵(あはぢ島)。
 ○淡路しかまた 寛永八幽斎抄、貞徳頭書抄、諺解、師説抄(淡路〔かた島〕)、紹巴抄(淡路がた)、水無月抄(あわ地かた)、中院本聞書(淡路方)、永青注(淡路かた)、さねかづら(あは路かた)。
92○我が袖は 紹巴抄(我袖は)、幽斎抄(我袖は)、永青注(我袖は)、後水尾注(我袖は)、中院本聞書(我袖は)、寛永八幽斎抄(我袖は)、貞徳頭書抄(わか袖は)、さねかづら(我袖は)、師説抄(我袖は)。
 ○我〔袖とも恋とも〕 伝小堀遠州本(わがこひは)、水無月抄(我が恋は)、三部抄A(我恋は)、三部抄B(我恋は)、光悦本(我恋は)、姿絵(わか恋は)、諺解(我恋は)。
 『鈔』は、前述の如く、「異本百人一首」に極めて近い配列になっている。この点から考えるなら、『鈔』の語句がこの系統のものと共通する可能性が高い事が予想されるが、この三例からは、明瞭な結果となっていない。この少ないデータから、他の諸注との関連を判断する事は出来ない。ただ、78の『酔』の「淡路しかまた」が、寛永八幽斎抄、貞徳頭書抄等の刊本と同様になっている事は注意しておきたい。
 次に、歌人の身分に関しての異同は以下の如くである。
43○中納言敦忠 三部抄A、三部抄B、光悦本、伝小堀遠州本(権)
 ○権中納言敦忠 紹巴抄、幽斎抄、永青注、水無月抄、後水尾注、中院本聞書、寛永八幽斎抄、貞徳頭書抄、さねかづら、師説抄、姿絵、諺解。
66○大僧正行尊 紹巴抄、幽斎抄、永青注、後水尾注、中院本聞書、寛永八幽斎抄、貞徳頭書抄、さねかづら、師説抄、姿絵、諺解。
 ○前大僧正行尊 水無月抄、三部抄A、三部抄B、光悦本、伝小堀遠州本(前大僧正行尊)
73○中納言匡房
 ○権中納言匡房 紹巴抄、幽斎抄、永青注、水無月抄、後水尾注、中院本聞書、寛永八幽斎抄、貞徳頭書抄、さねかづら、師説抄、姿絵、諺解。
    三部抄A(前中納言匡房)、三部抄B(前中納言匡房)、光悦本(前中納言匡房)、伝小堀遠州本(前中納言匡房)。
 この異同を見ると、三部抄等の「異本百人一首」系統のものと他の諸注と一応分かれている点もある。この問題は、改めて調査・検討したいと思っている。
 
 
  〔七〕 ま と め
 
 以上、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係を、本文異同に限って調査・分析してきたが、これらの調査の結果、次の事が言い得ると思われる。
 
 
1、『酔』には、34の長文の省略・脱落があるが、これらの内、大部分は『酔』の誤脱である。これは『酔』の本文が、『鈔』よりも劣ったものであるという事になる。
2、『鈔』の省略・脱落は、22であるが、この内『鈔』の誤脱は、6のみで、他は『鈔』の省略というよりも、『酔』が他の注釈書、例えば『百人一首幽斎抄』などを利用して補った可能性が高い。
3、漢字・仮名の異同から、次の事が明らかになった。これは一首から十首までの範囲の中での比較ではあるが、『鈔』が漢字のものが、八三九であるのに対して、『酔』が漢字のものは、二二三に過ぎず、『鈔』の方が、三・七倍の割合で漢字表記が多い。これらの漢字の中には、かなり特異なものも含まれていて、『可笑記』の作者の字使いとも相通じるものがあり、さらに、その漢字のことごとくに振り仮名を施す文章は、仮名草子の作者の著作にふさわしいものである、と言うことが出来る。これらの要素の少ない『酔』は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。また、この判断は十一首以降、つまり全体を通してみても、誤りはないものと思われる。
4、漢字の用字の調査結果から、『鈔』には、より特異な用字が多く、『酔』は、やや一般化した文章になっていると言い得る。
5、両書の仮名遣いを比較してみると、『酔』は、いずれかと言うと、表音式仮名遣いを多く使っている。これは、書写年代が『鈔』りも後という事と関連しているように思える。また、『鈔』は本文・振り仮名を見せ消ちで訂正したところが、かなりあり、これは『鈔』の書写態度が、原本に忠実である事を示している。
6、その他の異同を見ると、一字〜六字という短い語句の比較から、『酔』の誤りが非常に多く、『鈔』の誤りは極めて少ない事が明らかとなった。ここから、『酔』の本文は、『鈔』よりも劣ったものであると言う事が出来る。
7、長文の異同でも、『酔』の誤りが多く、『鈔』の誤りは少ない。これは、やはり文章の優劣を決める根拠となる。また、この異同の部分でも、『酔』は他の注釈書(『幽斎抄』など)を利用して文章を改めたり、補ったりしている。
8、『鈔』の文章の中には、『可笑記』の中でよく使われている語句がしばしば見られるが、これを『酔』は一般的な語句に改めている。『酔』の本文は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。
9、歌の比較では、注釈本文程の大きな異同は少ないが、ここでも『酔』の誤りが目に付く。また、『酔』は改稿段階または書写段階で、寛永八年幽斎抄等の刊本を利用した可能性がある。
10、異同関係を記すのに、書写年が『鈔』は寛文二年(一六六二)、『酔』は延宝八年(一六八〇)である事から、『鈔』→『酔』と表記してきたが、異同関係を総合的に考える時、『酔』が『鈔』を書写した事はあり得ないと判断される。従って、当然の事であるが、『鈔』が『酔』を書写する事はあり得ないので、この二つの写本は、別々に如儡子の原本から書写した可能性が高い。
11、「百人一首鈔」という書名は、中世末から近世初期にかけて作られた多くの注釈書に「○○抄」という書名が付けられているが、その流行に従ったものであろう。「抄」はもともと「抜き書き」の意であったが、中世末に抄物という中国の漢詩・漢籍等に注釈を加えた一群の著作が出された。おそらく最初は原文は抄出であったため「○○抄」としたが、次第に全文に注釈を加えた著作にもこの「抄・鈔」を付けるようになったのであろう。
12、「酔玉集」という書名は、如儡子の命名であろう。書写者が書写した折に付けたとするには、特異な書名であると思われる。如儡子にとって「百人一首」は、和歌の珠玉の集ともいうべき存在であり、それに心を奪われ、多大な労力を注ぎ込んだ著作であった。そんなところからの命名ではないかと思う。
 
 以上、二写本の本文異同の調査を通して、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係を整理してみたが、考察の過程で未解決の項も少しはあった。ただ、それらは、全体の結論に影響を及ぼす程のものではないと思う。従って、現時点では、このような結果となった事を報
告したい。
 『百人一首鈔』にも『酔玉集』にも、それぞれ原本があった。如儡子の自筆本であったか、自筆本からの転写本であったかは断定し得ないが、『百人一首鈔』は自筆本からの可能性が高いと思われる。
 
 
 
  六、今後の課題(京大本『百人一首註解』との関連など)
 
 本年二月二十八日、「百人一首注釈書叢刊・15」として、島津忠夫氏、乾安代氏の編になる、京都大学附属図書館所蔵の『百人一首註解』が和泉書院から発行された。その解題(乾氏執筆)に、
 「本書は、翻刻底本とした京都大学附属図書館蔵本のほか伝本の存在が確認されていない、いわゆる孤本である。」
 とされ、以下、書誌、書写者、注釈史上での位置・特徴、享受と影響等、成立・作者、と詳細な解説を付けておられる。その解説によれば、この写本は、江戸時代中期の書写であるが、底本の書写者は、その書写状況から推測するに、教養も、また『百人一首』の基本的な知識さえもあまりない人物のようであると推測しておられる。
 本書の特徴は、他の注釈書類にみられない記述にある、とされ、具体的にその条を列挙して、
 「……師説あるいは自らが集めてきた説に対して、それが間違っていると判断した場合には、堂々とその説を否定し、自説を展開しているのである。つまり、本書の『百人一首』注釈史上での特徴というのは、このような独自の(正しくは独力の、というべきかもしれないが)注釈にある、ということになろう。」
 としておられる。成立及び作者についても、四一番歌等の記述を検討され、
 「本書の作者が、『幽斎抄』や、昌琢・兼与の『百人一首』注釈を(その一部だけかもしれないが)参看したとするならば、それは恐らく、慶長一〇年代後半以降のことであろう。むしろ注目すべきなのは、昌琢・兼与という江戸時代初期の連歌師の著作を見ているという記述にある。幕藩体制の中に組み込まれていく時期の、里村南家・猪苗代家という連歌の家の当主の注釈を、本書の作者はどのようにして手に入れたのであろうか。
  本書の作者もまた、連歌師だったのではないだろうか。」
 と推測されている。そして、最後に次の如く記しておられる。
 「以上に述べてきたことを総合して考えると、本書の作者というのは、系統だった教えを受けるということのあまりなかった、一地方連歌師だったのではないだろうか。そしてその成立は、里村家(南家)・猪苗代家といった連歌の家が、連歌の家として確立してからそれ程間もない頃のことだったのではないだろうか。」
 
 実は、この新たに紹介された、京大本『百人一首註解』は、如儡子の「百人一首鈔」の転写本であることが、この度の本文異同の調査過程で判明した。しかも、『百人一首鈔』というよりも『酔玉集』に近い本文である。不思議な事は『鈔』・『酔』のいずれか一本を書写したものではないという事である。多くは『酔』の文章であるが、ある部分は『鈔』に拠っている。つまり、如儡子の「百人一首」注釈には『鈔』・『酔』以外にさらに一本あった可能性のある事が判明したわけである。
 以上、如儡子の「百人一首」注釈について、特に『百人一首鈔』と『酔玉集』の関連を本文異同を中心に考察してきたが、まだ残された問題は少なくない。『百人一首鈔』頭注の事、『百人一首鈔』と同配列のテキストの確定、歌人の記述に関する両書の比較検討、諸注釈との関連、そして、この度紹介された京大本『百人一首註解』との関連等々、今後の課題にしたいと思う。
 
  如儡子の「百人一首鈔」系統図(試案)
 
 現段階では、未詳の点が多く、ここでの系統図は文字通りの試案に過ぎない。今後、さらに調査・検討を加えて改訂してゆきたい。
 
[注]鈔・自筆本…………寛永十八年(一六四一)成立、『百人一首鈔』如儡子自筆本(伝存未詳)
   鈔・重賢書写本……寛文二年(一六六二)重賢書写本『百人一首鈔』(彰考館蔵本)
   酔・自筆本…………『酔玉集』如儡子自筆本(伝存未詳)
   酔・転写本…………延宝八年(一六八〇)書写『酔玉集』(国会図書館蔵本)
   註解・自筆本………伝存未詳
   註解・転写本………江戸中期書写(京都大学図書館蔵本)
   異本百人一首………配列が通常の配列と異なるもの
 
 
(系統図省略。『近世初期文芸』第15号参照のこと)
 
 
 
 (注1)○田中宗作氏『百人一首古注釈の研究』(昭和41年9月20日、桜楓社発行)
     ○田中伸氏「如儡子の注釈とその意義―『百人一首鈔』と『酔玉集』―」(『二松学舎大学論集』百周年記念号、昭和52年10月、後『近世小説論攷』昭和60年6月10日、桜楓社発行 に収録)
     ○野間光辰氏「如儡子系伝攷(中)」(『文学』46巻12号、昭和53年12月、後『近世作家伝攷』昭和60年11月30日、中央公論社発行 に収録)
 (注2)○「『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説」(長谷川強編『近世文学俯瞰』平成9年5月8日、汲古書院発行に収録)
 (注3)○(注2)に同じ。
 (注4)・伝小堀遠州本『百人一首』(跡見学園短期大学図書館蔵、吉海直人氏翻刻『同志社女子大学日本語日本文学』3号、平成3年10月)
     ・天正十八年紹巴筆三部抄(国文学研究資料館、紙焼)
     ・東京大学国文学研究室蔵・三部抄(国文学研究資料館、紙焼)
     ・三部抄・巻子本、江戸前期写本(跡見学園短期大学図書館蔵)
     ・三部抄・江戸前期写本か(跡見学園短期大学図書館蔵)
     ・光悦古活字本『百人一首』
 (注5)○『百人一首(幽斎抄)』(「百人一首注釈書叢刊・3」荒木尚氏編、平成3年10月10日、和泉書院発行)
 (注6)○(注5)に同じ。
 (注7)○『百人一首水無月抄』(碧冲洞叢書・82輯、簗瀬一雄氏編、昭和43年8月20日発行、私家版)
     ○『百人一首(幽斎抄)』(「百人一首注釈書叢刊・3」荒木尚氏編、平成3年10月10日、和泉書院発行)
     ○『百人一首注(永青文庫蔵)』(「百人一首注釈書叢刊・3」荒木尚氏編、平成3年10月10日、和泉書院発行)
     ○『後水尾天皇百人一首抄』(「百人一首注釈書叢刊・6」島津忠夫氏・田中隆裕氏編、平成6年10月10日、和泉書院発行)
     ○『百人一首抄』細川幽斎著、寛永八年刊(吉海直人氏翻刻、『国文学研究資料館紀要』14号、昭和63年三月)
     ○『百人一首さねかづら』(「百人一首注釈書叢刊・8」寺島樵一氏編、平成8年2月20日、和泉書院発行)
     ○『百人一首師説抄』(「百人一首注釈書叢刊・5」泉紀子氏・乾安代氏編、平成5年2月28日、和泉書院発行)
     ○『貞徳頭書/百人一首抄』(加藤磐斎編、寛文2年)
     ○『百人一首諺解』(「百人一首注釈書叢刊・14」今西祐一郎氏・福田智子氏・菊地仁氏編、平成7年10月30日、和泉書院発行)
     ○『百人一首聞書(京都大学中院文庫蔵)』(「百人一首注釈書叢刊・2」有吉保氏・位藤邦生氏・長谷完治氏・赤瀬知子氏編、平成7年3月10日、和泉書院発行)
     ○『百人一首紹巴抄』(吉海直人氏翻刻『同志社女子大学日本語日本文学』4号、平成4年10月)
     ○伝小堀遠州本『百人一首』(跡見学園短期大学図書館蔵、吉海直人氏翻刻『同志社女子大学日本語日本文学』3号、平成3年10月)
     ○東京大学国文学研究室蔵・三部抄(国文学研究資料館、紙焼、中世/11・2・9)
     ○東京大学国文学研究室蔵・三部抄(国文学研究資料館、紙焼、中世/11・2・10)
     ○光悦古活字本『百人一首』
     ○『姿絵百人一首』吉海直人氏翻刻『同志社女子大学日本語日本文学』6号、平成6年10月)
 
  付  記
 如儡子の「百人一首」注釈に関して、田中宗作氏、田中伸氏、野間光辰氏の御研究を参照しながら、分析してきたが、残された課題の方がむしろ多い結果となった。如儡子が跋文で、中国故事の「精衛填海」を引用した心情がよくわかる気がする。私はもとより百人一首研究が専攻ではない。その点不十分な事も多いのではないかと心配している。専攻の諸先生の御指導を切に念じている。
 『百人一首鈔』は仮名草子作者の著作であり、非常に啓蒙的な内容である。しかし、「百人一首」注釈史に何か寄与する要素もあるのではないか、と思っている。この点も、百人一首の研究者に御検討頂けるなら幸いである。
 本稿を成すにあたって、水戸彰考館文庫、国立国会図書館、国文学研究資料館をはじめ多くの機関の資料を使用させて頂いた。記して心からの謝意を表する。
 
  (『近世初期文芸』第15号掲載論文。平成10年12月10日発行)

デ}柑劼痢嵒歓涌貅鵝彙躰 ―京大本『百人一首註解』との関係―

   目  次

  一、京大本『百人一首註解』の書誌

 二、京大本『百人一首註解』の書誌的問題点

  1、十七番歌・在原業平朝臣の脱文について

  2、配列について

 三、乾安代氏の『百人一首註解』解説

 四、異同からみた『百人一首註解』の位置

  1、序説について

  2、その他の異同について

   〔1〕『酔玉集』の省略・脱落

   〔2〕『百人一首鈔』の省略・脱落

   〔3〕長文の異同

 五、まとめ

 

 

 

 如儡子の「百人一首」注釈に関しては、これまでも何度か考察を加えてきたが、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係について分析の過程で、京都大学附属図書館所蔵の『百人一首註解』が、如儡子の「百人一首」注釈の一本である事が判明した。京大本『百人一首註解』は、島津忠夫氏、乾安代氏によって校訂・刊行された(百人一首注釈書叢刊・15、平成10年2月28日、和泉書院発行)。本稿では、この京大本『百人一首注解』について分析・考察を加え、その位置付けを試みたいと思うが、島津・乾両氏の御研究に負うところが大きい。まず、この学恩に感謝して、考察に入りたい。

 書誌についても、同書の解題で乾氏が記しておられるが、私の調査と多少異なる点もあるので、これをまず報告する。

 

  一、京大本『百人一首註解』の書誌

 

所 在 京都大学附属図書館蔵(請求記号=4−23 ヒ6。登録番号=32758。平成10年11月20日調査) 。

体 裁 半紙本、上・下 2冊、写本、袋綴じ。

表 紙 縹色原表紙、縦二四一ミリ×横一七二ミリ(上)、縦二四二ミリ×横一七一ミリ(下)。〔本書は近世中期頃の書写と思われ、この表紙は虫損などの状態から考えて書写段階からのものと判断した〕。

題 簽 左肩に書題簽、白紙に文字は墨書。

    「百人一首註解 上」縦一五六ミリ×横二七ミリ。

    「百人一首註解 下」縦一五八ミリ×横二七ミリ。

目録題・内題・尾題 無し。

匡 郭 無し。一行の字の高さは、多くは二一〇ミリ前後で、最も高いものは二二〇ミリ位。

丁 付 無し。

丁 数 上=七六丁、下=六三丁、合計=一三九丁。

行 数 序説=毎半葉十二行〜十四行。

    本文=毎半葉十一行〜十四行。

字 数 序説=二十四字前後(7行目以下は1字下げ)。

    本文=二十三字前後。

内 容 「百人一首」の注釈。

    上=序説・天智天皇〜藤原義孝の五十首を収録。

    下=藤原実方〜順徳院の五十首を収録。

    歌の配列は、一般の「百人一首」と同様であるが、八十八番歌以下が異なる配列となっている。

     88皇嘉門院別当、89前大僧正慈円、90入道前太政大臣、

     91後京極摂政太政大臣、92、二条院讃岐、93鎌倉右大臣、

     94参議雅経、95式子内親王、96殷冨門院大輔、97権中納

     言定家、98正三位家隆、99後鳥羽院御製、10順徳院御製。

本 文 漢字交じり平仮名(一部片仮名2行割書き)。振仮名をまれに施す。濁点を付すが句読点は無い。歌人名は大字三字前後下げ。歌は二字下げとし、二行書きで下の句は更に二字下げとしている。

序 説 上の1丁〜2丁に自序あり。

跋   無し。

奥 書 無し。

書込等 上の前表紙、題簽の右に白紙(縦九六ミリ×横一八ミリ)を貼付、墨書にて「れ百三拾弐」とある。下の後見返しのノドの下寄りに墨書にて「九拾軒町」とある。

蔵書印 「京都帝国大学図書之印」(五〇ミリ×五〇ミリ)陽刻方形朱印。「○明治三二・四・一二購求/京大図」(径二一ミリ)陽刻円形朱印。「32758」の紫スタンプ。

その他 十七番歌・在原業平朝臣の注釈は3行と7字で以後は空白となっている。

 

 

 

  二、京大本『百人一首註解』の書誌的問題点

 

 1、十七番歌・在原業平朝臣の脱文について

 

 三十三丁ウは、十六番歌の末尾2行に続き、

 「    在原業平朝臣

   ちはやふる神代もきかす龍田川

     からくれなひに水くゝるとは

 ちはやふるとはむかし地神五代目の帝天照太神の

 御弟素戔嗚尊国をあらそひ給ふ事ありしに

 太神御心にすます覚しめし天の岩戸へ引籠せ

 給へは月日光り               」

 とあり、以後、3行程空白となっていて、後続の文が脱落してい

る。三十四丁オの1行目は、十八番歌・藤原敏行朝臣となっている。

 この条の『酔玉集』(国会図書館蔵)は、

 「    在原業平朝臣(伝記省略)

 千早振神代もきかず龍田河からくれなゐに水くゝるとは/

 ちはやとかきてちわやとよむへし千早振とは/(21オ)むかし地神五代めの帝天照太神御兄のそさのを/のみことゝ国を諍給ふ事有しに太神御心に/すまずおほしめし天の岩戸へひきこもらせ/給へは月日の光をうしなひ此世界長夜の闇と/なる八百万の神たちこれを嘆かなしみ岩戸のまてに/て神楽をそうしなとして天照太神の御心を/なくさめたてまつり出御を侘申給ひける時ちはやの/袖を振翻給ひしより今の世までに至りて神といひ/けん枕詞にもちゆるなりさて千早とは今の世にも/かぐら男八乙女の袖のなかき直垂のやうなるものなり/(21ウ)神世もきかすとは神代にも聞およばずといふことはな/り神代にもといふに文字を略したるてにはなり唐紅/とはいかにも色の紅の事水くゝとは紅染の絹に/つゝめる水のそのきぬをもりて出ることしといふ/詞立田の川は大和国の名所なり歌の心は龍田河秋/もすゑになりぬれば水上の山く・色こき紅葉み/な散つくして此川の流せきあへぬはかりうかひたゝ/よひたるひま/\に岩にせかれし白波のつきかへり/たる気しきさながら紅染のからきぬをもつて包/たる水もり出て涌かへり流るゝことしさてもかくゑなら/(22オ)ずおもしろきけしき風情そのかみ神変奇特不/思儀の事のみおほかりし地神五代の御宇に/も終に聞およはぬとなり心詞よくかけあひてき/めうふしきの哥なるよし申伝たり           」

とある。また、『百人一首鈔』(水戸彰考館蔵)は、

 「    在原業平朝臣(伝記省略)

  千早振神代もきかず龍田川

  からくれなゐに水くゞるとは/(53ウ)

 ちはやとかきてちわやとよむべし/千早振とは昔日地神五代めの帝/天照太神御兄そさのをの尊と国/をあらそひ給ふ事ありしに太神御/心すまずおぼしめし天の岩戸へ引籠/らせ給へば月日光を失ひ此世界/(下略)                 」

とある。

 京大本『百人一首註解』(以下『註解』と略称)は注釈の冒頭の「ちはやとかきてちわやとよむべし」を脱落させている。これは右に掲出したところからも判る通り、『百人一首鈔』(以下『鈔』と略称)の1行分である。また、『註解』が脱落させた部分は『鈔』で四二九字、『酔玉集』(以下『酔』と略称)で四二二字である。仮に『鈔』の如く毎半葉7行、1行15字とすると、1丁約二一〇字となり、2丁で四二〇字となる。漢字・仮名の異同もあるため、厳密には言えないが、『註解』は『鈔』に近い行数・字数の親本から書写し、その2丁分を脱落させたものと推測される。従って、次の十八番歌が次丁の最初の行から書かれている事も納得出来る。ただ、『注解』は注釈の4行目に7字まで書き、以下3行程空白にしているので、この誤脱は『註解』の書写者によるものではなく、その親本が既に落丁になっていたものと推測される。

 

 2、配列について

 

 『註解』の歌人の配列は、一般の「百人一首」と同様であるが、八十八番歌以下が異なっている。『酔』・『鈔』と比較して掲げると次の如くである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・『酔玉集』     ・『百人一首注解』  ・『百人一首鈔』   ・

・皇嘉門院別当   ・皇嘉門院別当   ・殷冨門院太輔   ・

・式子内親王    ・前大僧正慈円   ・式子内親王    ・

・殷冨門院大輔   ・入道前太政大臣  ・寂蓮法師     ・

・後京極摂政太政大臣・後京極摂政太政大臣・二条院讃岐    ・

・二条院讃岐    ・二条院讃岐    ・後京極摂政大政太臣・

・鎌倉右大臣実朝  ・鎌倉右大臣    ・前大僧正慈円   ・

・参議雅経     ・参議雅経     ・参議雅経     ・

・前大僧正慈円   ・式子内親王    ・鎌倉右太臣    ・

・入道前太政大臣  ・殷冨門院大輔   ・正三位家隆    ・

・権中納言定家   ・権中納言定家   ・権中納言定家   ・

・従二位家隆    ・正三位家隆    ・入道前大政太臣  ・

・後鳥羽院     ・後鳥羽院御製   ・後鳥羽院御製   ・

・順徳院      ・順徳院御製    ・順徳院御製    ・

・奥書       ・(無し)      ・奥書       ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『註解』の書写状態に関しては、乾氏も、その解題で指摘されている通り、八十八番歌以下は、丁移りで次の歌になるという事は全く無く、さらに各条の末尾に空白も無い。この事から、書写者が順序を変更したというよりも、書写に使用した親本が既にこの配列になっていた可能性の方が高いと言い得る。すでに報告済みであるが、『酔』はいわゆる一般的な「百人一首」の配列であるが、『鈔』は「異本百人一首」の配列に近いものである。これに対して、『註解』は、大部分は一般的な「百人一首」の配列であるが、89式子内親王・90殷冨門院大輔と95前大僧正慈円・96入道前太政大臣とが入れ替わっている。何故このように四歌人を入れ替えたのか、その理由も未詳であるし、これと同じ配列のテキストも現在確認し得ない。今後、さらに調査したいと思う。

 

  三、乾安代氏の『百人一首註解』解説

 

 乾安代氏は、この京大本『註解』について、かなり詳細な分析を加えられている。まず、書写者については、平仮名の「は」「わ」の使い分けが恣意的であり、当て字・誤字は多く、書き損じた文字を右脇に書き直したりしている。また、歌順の誤りにも無頓着で、和歌本文や作者の表記も誤った例があり、『百人一首』の基本的な知識もあまり無い人物であろうとされている。

 さらに、一番歌、五番歌、七三番歌の誤写を例示され、京大本が、原本を親本とする転写本ではなく、原本から数回程度は転写が重ねられたものであろうと推測された。

 次に、注釈史上での位置・特徴に関して言及され、九番歌・二一番歌・七五番歌等を一例として掲出され、「つまり、二条家流の注釈を断片的に引用はしていても、その内容の吟味もあまりしないままの、言わば聞きかじり程度の引用にすぎない。」とされている。

 これはこれで、私も異論がある訳ではないが、御参考までに、二一番歌の、乾氏が引用された部分の『註解』と『鈔』(22番歌)を掲げると以下の通りである。

「此/(38オ)哥六条家にては一夜の事と講釈せらるれとも/左様に見捨は心浅きよし申伝へり或人曰此哥を/顕昭法橋はたゝ一夜のことくすまし伝れ共左様に心得/ては浅はかにして詠吟うすし定家卿の曰はつ秋の/頃□はや秋もくれ月も有明に成たりと心得へき也(略)定家曰顕昭は惣而哥を浅くみる/人也といへり」

                     (『註解』21番歌)

「此うたは六条家にては一夜の事に講/(19オ)釈せらるれどもさやうに見ては心浅きよし/申伝へりある人の曰此歌を顕昭法橋/は只一夜の事と註し侍れどもさやう心/得ては心あさはかにして詠吟うすし/定家卿の曰初秋の比よりはや秋も暮/月も有明に成たると心得べきと也(略)定家の曰顕昭はさうじてうたを/あさく見る人といへりとかや     」(20オ)(『鈔』22番歌)

『酔』も加えて、三写本を比較してみると、かなりの異同があるが、『註解』の誤りと思われる二箇所を、『鈔』→『酔』→『註解』の順に示すと、次の如くである。

 ○さやうに見ては→さやうに見すては→左様に見捨は

 ○事と註し侍れども→事と註し伝れとも→ことくすまし伝れ共

 『鈔』→『酔』→『註解』の順で誤りが多くなっている。

 さらに『鈔』には「六条家」の条に、以下の頭注を付している。(殆どの漢字に振仮名を付すが、改行の/と共に省略した。)

「六条家とは修理の太夫顕季其子息左京太夫顕輔又其子清輔顕昭法橋など也定家の父俊成卿もとは此顕輔の猶子門弟にてすでに顕広と名乗けりしかれども年さかんの後哥の躰をよく心得て金吾基俊の門弟になりて二条家の道をたてり基俊は貫之よりの伝受旧流也紀の貫之一流を二条家といふ俊成卿基俊の門弟になりてさて顕広をあらため俊成と名乗かへられたり」

 『鈔』の著者は、このように詳細な注を各所に施している。

 乾氏は、さらに続けて、二七番歌・二八番歌・四七番歌・八八番歌・九七番歌・九九番歌の記述を掲げ、他の注釈書に見られない記述のある点に本書の特徴があるとされ、二番歌・七四番歌の記述の如く、「師説」を求める姿勢を見せる一方で、四一番歌・五九番歌の如く、師説あるいは諸説に対して、「それが間違っていると判断した場合には、堂々とその説を否定し、自説を展開しているのである。つまり、本書の『百人一首』注釈史上での特徴というのは、このような独自の(正しくは独力の、というべきかもしれないが)注釈にある、ということになろう。」とされている。

 本書の成立時期・著者に関しては、四一番歌の記述を手掛かりとして推測を提出されている。(参考のため、『鈔』との異同の主なものを〔 〕の中に示した。)

「其子/さいは一とせ青蓮院尊円新〔親〕王御自筆の百人/一首の佳〔註〕本を拝見せしにも恋すてふといひ出/したる忠見か詞つつかひさりともゆうけんにして/(62ウ)一入面白とありき其後鷹井〔飛鳥井殿〕の佳〔註〕本又細川玄旨の/佳〔註〕本或は法橋昌琢兼与なとの佳本〔註訳〕み聞たりしにも/左様になし〔さはうけたまはらず〕」

 乾氏は、この記述を史実との関連で検討され、

「本書の作者が、『幽斎抄』や、昌琢・兼与の『百人一首』注釈を(その一部だけかもしれないが)参看したとするならば、それは恐らく、慶長一〇年代後半以降のことであろう。」

 と推測されている。さらに、氏は著者の検討に進み、

「むしろ注目すべきなのは、昌琢・兼与という江戸時代初期の連歌師の著作を見ているという記述にある。幕藩体制の中に組み込まれていく時期の、里村南家・猪苗代家という連歌の家の当主の注釈を、本書の作者はどのようにして手に入れたのであろうか。

  本書の作者もまた、連歌師だったのではないだろうか。  」

 と、推測、さらに、六番歌・三番歌・三五番歌・四九番歌の記述を掲出されて、あまり基礎知識のない連歌師と推測された。そして、最後に、以下の如く総括された。

「以上に述べてきたことを総合して考えると、本書の作者というのは、系統だった教えを受けるということのあまりなかった、一地方連歌師だったのではないだろうか。そしてその成立は、里村家(南家)・猪苗代家といった連歌の家が、連歌の家として確立してからそれ程間もない頃のことだったのではないだろうか。」

 右に見てきた如く、乾氏は京大本『註解』を詳細に分析・検討され、本書の書写状態、書写者、注釈書としての特徴、成立時期、著者についての推測を提出された。以下、詳しく述べるところからも分かる通り、実は、本書の原本は仮名草子作者の如儡子・斎藤親盛の著作であり、その成立は、おそらく寛永十八年十一月であろう。しかし、右の乾氏の研究が無駄であったとは、決して思わない。これが文学研究の一つの過程であり、氏の提出された見解は、今後、本書を研究してゆく上で、非常に参考になる。

 

  四、異同からみた『百人一首註解』の位置

 

 1、序説について

 

 『鈔』において、序説は次の如く書き始められている。

「抑此百首の和哥は京極黄門藤原/の定家卿古今後撰拾遺詞花千載/金葉後拾遺新古今集なとのうちをえら/みすぐりて妙なる秀哥斗をあつめ/られたり其比定家卿山城の国小倉/(1オ)山の山庄をしつらひ住れしが彼山/庄の障子に百枚の色紙をおし自/筆をもつて此百首の和哥を書/付朝夕の眼をうるをし耳をすまさ/れぬされば小倉の色紙とて今の/世までも残り伝り人/\もてなし/価かぎりなき定家の掛物これなり/(1ウ)……(下略)」

 ところが『酔』には、この前に半丁分、『註解』には6行分の文章が付加されている。実は、これは『鈔』においては頭注にあたる文章である。『鈔』は大本で、毎半葉7行、1行約15字という、ゆったりとした立派な写本であるが、序説第1葉表は、5行ドリとし、ノドに余白を設けている。この余白と上部の余白を利用して注が付されている。

「和哥の二字うたにやはらぐと読たり古き書に天地を動し目に見え/ぬ鬼神をかんじしめたけくいさめる武士の心をやはらぐるはうたの徳なりと見え/たり京極は都にあり此所に定家住給へるゆへに京極殿と申黄門は中納言/の唐名此時定家/中納言の官也定家は/名乗さだいへとよむ也/卿とは其人をもちい/あがめる時書字也但/一位二位三位のくらゐ/の人迄書べし」

 本文とは異なり小字で、これが注である事は明瞭である。この文を『酔』は冒頭の半丁に入れ、『註解』も2字ほど高くして一応区別はしているが、いずれも注の体裁を採っていない。

 さらに『鈔』は「妙なる秀哥」に「妙なる秀哥とはすぐ/れておもしろき哥と/いふ心也」と注を付けているが、『註解』は本文の中に2行割書きとして「タエナリトハスクレテ/ヲモシロキ哥ト云心也」と追加している。

 この序説の体裁から考えて、おそらく、如儡子の自筆本も、このように第1葉表のノドと上部の余白を利用して「和哥」についてのやや長い注を付していたのであろう。それを『鈔』は忠実に書写したものと推測される。『酔』・『註解』は共に、頭注を序説冒頭の文章と判断して、本文中に組み入れてしまったのであろう。この事は、『酔』・『註解』の自筆本には、それぞれ頭注があったものと思われるが、両者は、自筆本→写本→親本→現存写本の、いずれかの段階で省いてしまったものと推測される。これらの書写状態を総合的に考えると、『酔』・『註解』が、より近い関係にあると言う事が出来る。

 次に、三写本の異同の主なものを、『鈔』→『酔』→『註解』の順で掲げると、以下の如くである。

 ”雹里凌瓦鬆武士を→武士を

 黄門は中納言の唐名→黄門は中納言のから名→広門中納言の若名

 C翡叱世隆洩蘂中納言なり→中納言也

 いらゐの人迄書べし→位の人をなにの卿と書なり→以来の人を何卿と書也

 サ極黄門→京極黄門→京極光門

 δ蟆箸粒殃これなり→定家の掛物是なり→定家掛物是迄

 通具有家の五人におほせて→通具有家の五人におほせて→道朝在家の五人の仰て

 ┐修里い呂譴浪峪桐嬪遒童紊蘯造蛤とさへ有なればふたゝび若枝を生して花開葉しける物也→其いはれは若枝を生して花さき葉しける物なり→其いわれはわかゑを生して花さき葉しけるもの也

 世間盛衰の鏡→世間盛衰の鑑→世間せいすいの鐘

 或ひは世に聞えざる→或は世にきこえさる→世に聞へさる

 憚られけるにや→はかられけるにや→はかれけるにや

 作者にかゝはらす→作者にかまはず→作者にかまはす

 哥読むする人/\→哥よまんずる人/\→哥にまんする人々

 これを案ずるに→是をあんするに→案するに

 後の人の名付なるにや→後の人の名つけらるにやのちのひとゝは為家なり→後の人の名付成る故也後の人とは為家なり

 右の異同を見ると、 Ν・ぁΝ─Ν・・と『酔』・『註解』共通のものが多く、◆ΝぁΝァΝΑΝАΝは『註解』の誤りである。┐蓮愎譟戞Α愧隹髻戮紡舂未慮軛Δあり、は、この二写本が為家の事を補っている。これらの異同から考えて、『酔』と『註解』はより近い関係にある事が判り、『註解』は最も劣った文章であると言い得ると思われる。

 

 2、その他の異同について

 

 『鈔』・『酔』・『註解』三写本の関係を明らかにする手段として、『鈔』・『酔』の調査結果を利用したい。具体的な文章はスペースの節約の意味で極力省略するが、『近世初期文芸』第15号を参照して頂きたい。

 

 〔1〕 『酔玉集』の省略・脱落…………34

 『鈔』と『酔』を比較して、15字以上の大量の文章が『酔』で省略または脱落しているのは、34であったが、その内容を分析した結果は、大部分が『酔』の誤脱であった。

 さて、この34の異同の部分を『註解』と比較したところ、

 ◎『酔玉集』と同様に誤脱させているもの……………20

   序説・3・4・7・8・13・15の2・23・25の1・25の2・

   32・34・48・49・58・61・67・85・88・96。

 ◎『百人一首鈔』と同様の文章となっているもの……14

   5・6・10の1・10の2・12・15の1・16・20・31・33・36

   ・53・54・56。

 という結果となった。この34の異同の内、20が『酔』と同様に文章を誤脱させており、14が『鈔』と同様の文章となっている事は、『鈔』┳『註解』┳『酔』の順で劣った文章になっていると言う事が出来ると思われる。

 

 〔2〕 『百人一首鈔』の省略・脱落……23

 この23の異同の部分を『註解』と比較した結果は、次の如くとなった。

 ◎『百人一首鈔』と同様のもの……15

   1・16・20・23・25・31・42・43・50・56・64の1・64の2

   ・69・70・94。

 ◎『酔玉集』と同様のもの…………8

   21・35・38・39・41・45・47・53。

 右の内、1・35・39・45・47・53は『鈔』の誤脱と思われるものである。『註解』がこれらの内、38・39・45・47・53の5箇所が、『酔』と同様になっている事は、それだけ誤脱が少ない事になる。この限りにおいては『註解』の方が『鈔』よりも良い文章であると言える。また、61の1・94は『酔』の文章が重複しているものであり、この部分が『註解』は『鈔』と同様である事は、『酔』よりも『註解』の方が良い文章という事になる。

 これ以外のものは、『鈔』が省略・脱落させたというよりも『酔』または、その原本・親本が書写の折、他の古注等を利用して補った可能性が高いものである。

 一、二、具体的に三写本の本文を掲げてみると次の如くである。

  1 天智天皇

鈔 偖とりあつめいひ続れば秋の田のかりほの庵の笘をあらみとい

  ふ上の句に成也かくいひ続て肝要の所わが衣手は露に澪つゝと

  是をいはん為也されば本屋と云あきの田のかりほの庵の笘をあ

  らみが廊下也畢竟の所は

酔 さてとりあつめいひつゝくれは秋の田のかりほの庵のとまをあ

  らみといふ上の句になるなりかくいひつゝけて肝要の所は我衣

  手は露にぬれつゝと是をいはんためなりされは本屋と云は我衣

  手は露にぬれつゝか本屋なり廊下といふはあきの田のかりほの

  庵のとまをあらみか廊下といふ物なり畢竟の所は

註 扨取集言うつゝくれは秋の田のかりほの庵のとまをあらみと言

  上の句に成也かく言つゝけて肝要の所は吾我手は露にぬれつゝ

  か本屋也廊下と言は秋の田のかりほの庵のとまをあらみか廊下

  也ひつきやうの所は

 この条は、『鈔』『註解』の誤脱であるが、『鈔』は『酔』の2行目の「我衣手」から4行目の「我衣手」に目移りして、その間の21字を誤脱させたもの。『註解』は『酔』の3行目の1つ目の「ぬれつゝ」から2つ目の「ぬれつゝ」に目移りして、その間の28字を誤脱させたものと思われる。如儡子の注釈は、ややくどいと思われる文章であるが、これが、啓蒙期のこの作者の特徴でもある。

  20 元良親王

鈔 拾遺集の詞書にこと出きて後京極のみやすん所へつかはしける

  とありこと出きてとは密通の世間に顕れてと云事京極のみやす

  所は宇多の后の御事みやす所とかきてみやすん所とよむへし

酔 拾遺集の詞書にこといできてのちに京極の御息所につかはしけ

  るとあり是は宇多の御門の御時彼御息所〔時平公母〕に忍ひて

  かよひけるがあらはれてのちにつかはしたる哥なりことのいで

  きてとはくぜちわざはひの出来世間にあらはれてといふ事の御

  息所は宇多の后の御事なりといふ御息所と書て御息所と読へし

註 拾遺集の詞書に事出きて後京極のみやす所はうたのきさきの御

  事みやす所とかきてみや所と読へし

 この条は、『鈔』が誤脱させたというよりも、『酔』が古注等を利用して補った例である。この場合、『鈔』の文章でも支障はないが、『酔』は、

 「是は宇多の御門の御時彼御息所〔時平公母〕に忍ひてかよひけ

  るがあらはれてのちにつかはしたる哥なり」

 を補っている。そして、この部分は、例えば幽斎の注には、

 「是は宇多御門御時彼御息所に忍ひてかよひけるかあらはれて後

  つかはされたる哥なり」(『百人一首注』)

 「是は宇多の御門の御時かの御息所〔時平公女〕に忍ひてかよひ

  けるかあらはれて後つかはしたる哥也」(『百人一首幽斎抄』)

 この如くある。『酔』は、おそらく、これらの注を利用して補ったものであろう。ただし、『註解』は、「みやす所」または「御息所」による目移りの誤脱であろう。

 

 〔3〕 長文の異同……………約80

 『鈔』と『酔』において、序説から順徳院までの中で、比較的長い文章の異同は約80である。この二写本の異同の部分を『註解』と比較してみたい。『鈔』→『酔』→『註解』の順で示す。

 

 ◎『酔玉集』の誤りと思われるもの…………15

1の2 おちぶれ→おほれ→おほれ

5 此哥は秋は→此時分は→此哥は

8 心をやすんじ本分の→心やすく凡夫の→心安く本分の

25 事に用ひてさてあふといふ名とくるといふ名に相応せば→事に

  もちいてあふといふなとさうおふせば→に用ひてあふといふな

  とそうおうせは

35の2 一首の内に云いるゝ事→はむかしの内にいる事→はむかし

  のうちにいる事

48 心をば動きはたらかぬ岩尾に→心はおとろきおとろかぬ岩かわ

  らに→心はおとろきおとろかぬ岩かわらに

55の1 荒果たるといふ心也流てとは滝の水の流る→荒はて流る→

  あれはてたりといふ心也流てとは滝の水によそへて流る

60の1 さぞ心もとなく切にうしろめたくおぼすらん→さこそ心も

  となくせつにおほすらん→さこそ心本なくせつにおほすらん

62の1 内の御物忌に→うちの御物わすれに→うぢの御物わすれに

62の2 彼大納言清少納言のつぼね→かの大納言のつほね→かの大

  納言の局

73 睡赴昭陽淡々……三十六宮→睡赴眼陽淡淡……三十宮→睡赴眼

  陽淡淡……三十六宮

74の1 嵐山颪北気ひかたおなし東風野分凩なとみな風の名也→嵐

  山おろしきたけひがたおなし古事のわけこがらしなとみな風の

  名なり→嵐山おろしきたけひがた同しこちのわけかうしなと皆

  風の名也

75 秋も過たりと云詞→秋もすがたの辞なり→秋も過かたの事也

79 中にもあながち是やと→中にもあがりこれやと→中にもあがり

  これやと

99 神道を崇め仏法を守り聖教を用ひ五つのみちよくかなひ忠孝を

  専とし→神道を守り仏法たつとみせうげうをもちいず五の道を

  払ひ忠切をもつはらとし→神道を貴み仏道を守りせうけうを用

  い五の道をよく叶ひ忠孝を専とし

 『酔』の誤りと思われる、15について『註解』と比較してみたが、これらの内、8・55の1・99の3は『鈔』と同様で正しい文章となっている。また、73は「三十六宮」は正しいが、「眼陽」は誤りであり、74の1は、「東風」→「こち」は正しいが、「こからし」→「かうし」と誤っている。このように、『酔』の誤りと思われるものの大部分は『註解』も誤っているという結果になった。この事は『註解』の文章の優劣に関わる事となる。

 

 ◎『百人一首鈔』の誤りと思われるもの…………3

62の3 秦の始皇帝→秦の昭王→しんのしくわうてい

76の2 勝王閣の賦→滕王の閣賦→滕王閣の賦

96 うやまはれしかども今は年老さらび隠居閉戸の身と成→うやま

  はれしが今は年おひゐんきよの身となり→うやまわれしか今は

  年老隠居の身と成

 右の3の内、『註解』は62の3のみ『鈔』と同じで誤っているが、他の2は『酔』と同様に正しくなっている。

 

 ◎『酔玉集』の文章がやや不自然なもの…………26

 『酔』が誤りとまではゆかないが、やや文章が不自然であり、いずれかと言うと『鈔』の方が良い文章になっていると思われるものは、次の26である。

 4の1・9の1・9の2・10・14の2・21・22・30・31・32・33

 の2・35の1・64・69・71の1・71の2・71の3・77・82・85・

 88の1・88の2・92・94の1・98の2・100 。

 これらの条を『註解』と比較してみると、『鈔』と同様のものは、4の1・9の1・35の1・94の1・100 の5であり、10は、

10 彼相坂の関を通りて行かふ羈人共→かのあふ坂の関のゆきかよ

  ひ行旅人とも→かの相坂の関を通ひ行かふ旅人とも

 とあり、やや『鈔』に近いものと言える。また、77は、

77 川瀬の洲崎などにこれある岩に当りたる水はかならず彼岩にせ

  かれて両方へ別れ流る物也され共又つゐにはかならず流れの末

  にては落合本のごとく一つにながれ合物なれ→

  河の瀬の洲先なとにある岩せかれて両方へわかれてながるゝも

  のなりされとも又つゐには頓て落合てもとのことくひとつに流

  あふものなり→

  川の瀬の洲先なとに有岩にあたる水はかならす岩にせかれて両

  方へわれて流るゝ物也されとも又終にはやかて落あひてもとの

  ことく一つに流逢物也

 とあり、『註解』は、ある部分は『鈔』と、ある部分は『酔』と共通したものとなっている。

 残りの19は、全て『酔』と同様の文章となっている。

 

 ◎『百人一首鈔』の文章がやや不自然なもの……7

 『鈔』が誤りとまでは言えないが、『酔』の方がやさしく、自然な文章になっていると思われるものは、次の7である。

 19・41・43・60の2・65の1・66の2・76の1。

 これらの内、76の1は『鈔』と同様の文になっている。66の2は、

66の2 尤哀たぐひありがたきにや┳尤哀類なき御詠哥なり┳尤あ

  われたくひはありかたき御哥也

 とあり、『註解』の文章は『鈔』・『酔』が混合した形となっている。他の5はいずれも『酔』と同様の文章となっている。

 

 ◎『可笑記』的表現について

1の3 真其ごとく万落魄すたれ行→まことに万おちぶれすたれゆ

  く→寔に万おちふれすたれ行

48 真其ことく本心は本より→寔にそのことくこひはもとより→誠

  に其ことくほいわもとより

77 真其ごとくわが中→そのことくわかなか→其ことく吾なか

59 おもしろき事あつたら物よ→をもしろき事よ→おしきよ

94 何さま此哥は→かやうに此哥→かやうに此哥

 『鈔』には「真其ごとく」「あつたら物よ」「何さま」等『可笑記』の作者がよく使う言葉が使われているが、これを『酔』は他の表現に変えたり省いたりしている。そして、この傾向は『註解』にも言い得る。これは、『可笑記』の、やや特異な表現が『酔』・『註解』によって一般化されている、という事にもなるが、同時に如儡子の著作『百人一首鈔』の原初的な形から離れたものになっているという事でもある。

 

 以上、比較的長い文章の異同に関して、便宜的に幾つかに分けて分析してみた。『酔』の誤り15の内、『註解』が正しいものは3のみで、他は『酔』と同様であり、『酔』が不自然なもの26の内で、『註解』と『鈔』が同様のものは5のみで、他は『酔』と同様であった。『鈔』の誤り3の内、『鈔』と同じもの1、『酔』と同じもの2、『鈔』が不自然なもの7の内、『鈔』と同じもの1、『酔』と同じもの5、両者混合が1、という結果になった。この事実からも判る通り、『註解』の文章は『鈔』と『酔』の両者と共通する点があるが、『酔』と共通する部分が圧倒的に多い。この事は、同時に『鈔』よりも劣った本文であると言う事になる。また、『可笑記』の作者の癖のような表現も『酔』や『註解』では一般的な表現に改められており、それだけ、両者は如儡子の原本から離れたものと言う事になる。

 この外、漢字・仮名の異同、用字の異同、仮名遣いの異同、歌・歌人名等の異同、等もあるが省略する。また、ここでは、『鈔』と『酔』の異同箇所を中心に分析してきた。その他の部分に異同が無い訳ではない。しかし、右の比較で、三写本の関係・優劣を判断するには十分であると考え、これも省略した。

 

  五、ま と め

 

 前述の如く、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係については『近世初期文芸』第15号で分析・考察したが、その結果のみを掲げると以下の通りである。

 

1、『酔』には、34の長文の省略・脱落があるが、これらの内、大部分は『酔』の誤脱である。これは『酔』の本文が、『鈔』よりも劣ったものであるという事になる。

2、『鈔』の省略・脱落は、22であるが、この内『鈔』の誤脱は、6のみで、他は『鈔』の省略というよりも、『酔』が他の注釈書、例えば『百人一首幽斎抄』などを利用して補った可能性が高い。

3、漢字・仮名の異同から、次の事が明らかになった。これは一首から十首までの範囲の中での比較ではあるが、『鈔』が漢字のものが、八三九であるのに対して、『酔』が漢字のものは、二二三に過ぎず、『鈔』の方が、三・七倍の割合で漢字表記が多い。これらの漢字の中には、かなり特異なものも含まれていて、『可笑記』の作者の字使いとも相通じるものがあり、さらに、その漢字のことごとくに振り仮名を施す文章は、仮名草子の作者の著作にふさわしいものである、と言うことが出来る。これらの要素の少ない『酔』は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。また、この判断は十一首以降、つまり全体を通してみても、誤りはないものと思われる。

4、漢字の用字の調査結果から、『鈔』には、より特異な用字が多く、『酔』は、やや一般化した文章になっていると言い得る。

5、両書の仮名遣いを比較してみると、『酔』は、いずれかと言うと、表音式仮名遣いを多く使っている。これは、書写年代が『鈔』よりも後という事と関連しているように思える。また、『鈔』は本文・振り仮名を見せ消ちで訂正したところが、かなりあり、これは『鈔』の書写態度が、原本に忠実である事を示している。

6、その他の異同を見ると、一字〜六字という短い語句の比較から、『酔』の誤りが非常に多く、『鈔』の誤りは極めて少ない事が明らかとなった。ここから、『酔』の本文は、『鈔』よりも劣ったものであると言う事が出来る。

7、長文の異同でも、『酔』の誤りが多く、『鈔』の誤りは少ない。これは、やはり文章の優劣を決める根拠となる。また、この異同の部分でも、『酔』は他の注釈書(『幽斎抄』など)を利用して文章を改めたり、補ったりしている。

8、『鈔』の文章の中には、『可笑記』の中でよく使われている語句がしばしば見られるが、これを『酔』は一般的な語句に改めている。『酔』の本文は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。

9、歌の比較では、注釈本文程の大きな異同は少ないが、ここでも『酔』の誤りが目に付く。また、『酔』は改稿段階または書写段階で、寛永八年幽斎抄等の刊本を利用した可能性がある。

10、異同関係を記すのに、書写年が『鈔』は寛文二年(一六六二)、『酔』は延宝八年(一六八〇)である事から、『鈔』→『酔』と表記してきたが、異同関係を総合的に考える時、『酔』が『鈔』を書写した事はあり得ないと判断される。従って、当然の事であるが、『鈔』が『酔』を書写する事はあり得ないので、この二つの写本は、別々に如儡子の原本から書写した可能性が高い。

11、「百人一首鈔」という書名は、中世末から近世初期にかけて作られた多くの注釈書に「○○抄」という書名が付けられているが、その流行に従ったものであろう。「抄」とはもともと「抜き書き」の意であったが、中世末に抄物という中国の漢詩・漢籍等に注釈を加えた一群の著作が出された。おそらく最初は原文は抄出であったため「○○抄」としたが、次第に全文に注釈を加えた著作にもこの「抄・鈔」を付けるようになったのであろう。

12、「酔玉集」という書名は、如儡子の命名であろう。書写者が書写した折に付けたとするには、特異な書名であると思われる。如儡子にとって「百人一首」は、和歌の珠玉の集ともいうべき存在であり、それに心を奪われ、多大な労力を注ぎ込んだ著作であった。そんなところからの命名ではないかと思う。

 

 右の『鈔』と『酔』の関係は、これを『鈔』と『註解』の関係に置き換えても、それ程大きな問題はないように思われる。本文の優劣に関しては、『鈔』よりも『酔』・『註解』が劣っているという事は、この度の調査結果からも明瞭である。また、『酔』と『註解』の関係は、乾氏がその解説で指摘される通り、『註解』の書写者は、あまり教養もなく誤写が多い。これらの点も含めて考える時、やはり、『註解』の方が劣った本文という事になる。

 「百人一首註解」という書名であるが、この書名は一般的であり、その意味では、書写者でも付け得るものと思われる。しかし、京大本の書写者は、前述の如く、あまり基礎的な知識もない人物のようであり、あるいは、その親本等の書写者が付けたものであったかも知れない。さらに推測するならば、一本に「百人一首鈔」と付し、他の一本に「酔玉集」と命名した如儡子であってみれば、第三の注釈書に別の書名を付けた、という可能性もないとは言えない。

 

 以上、如儡子の「百人一首」注釈書に関して、『鈔』・『酔』・『註解』の三写本について、その本文異同を中心に考えてきたが、右に分析した結果から明らかな如く、如儡子の「百人一首」注釈の研究は、最も秀れた本文と判断される『鈔』を第一のテキストとして使用する必要がある。本文の優劣からみても、『鈔』→『酔』→『註解』の順序で、次第に劣ったものとなっている。しかし、『酔』も『註解』も、『鈔』を書写したものではなく、それぞれ、如儡子の原本から数度の転写を経て伝えられたものと推測され、時として正し、補う部分もある。研究に際しては、この二写本も十分検討して、併せ使用すべきものと思う。

 『鈔』の本文は、大部分の漢字に振り仮名を施し、上部に十分な余白を設け、ここに詳細な頭注を付加している。注釈本文も頭注もその内容は極めて初歩的で、平明で、啓蒙的である。決して高度な知識人を読者対象としたものではないと思われる。如儡子は、跋文を次のように記している。

 「つれ/\と、なかき日くらし、をしまつきによつて、墨頭の手中よりおつるに、夢うちおとろかし、をろか心の、うつり行にまかせて、此和哥集の、その趣を綴、しかうじて、短き筆に書けがらはし留り。まことに、せいゑい海をうめんとするにことならずや。されば、彼三神の見とがめ、つゝしみおもむけず。且又、衆人のほゝゑみ、嘲をも、かへり見、わきまへざるに似りといへども、さるひな人の、せめをうけ、辞するに、ことばたえ、退に道なくして、鈍き刃に、ちよれきを削り。人、是をあはれみ給へや」

 如儡子は「百人一首」の専門的な研究者でもなく、この注釈書も、高度な知識人に対して、何かを主張しようなどと思っての著作ではなかった。彼と同時代の庶民に、伝統的な和歌の世界を、易しく、分かりやすく紹介しようとしたものであろう。そのために、如儡子は、大変な労力を注ぎ込んだ。全三四二丁の本文の各条に小字で付された頭注。そして、その漢字の大部分に施された振り仮名。私はこの、頭注も振り仮名も如儡子自身の執筆と考えている。仮名草子の代表的な作者、啓蒙期の著者にして始めて成し得た注釈書だと言得るのではなかろうか。

 本書について、田中宗作氏、田中伸氏、野間光辰氏が言及されているが、内容に関しては、ようやく、その緒に就いたばかりである。田中宗作氏は本書の特色として、次の如く述べておられる。

 「かの宗祇抄や幽斎抄などの序説や奥書にあるように、相伝の意義と尊さをあくまでじぶんのよりどころとして、その権威を大上段に、ふりかざして、他見をいましめるがごときことばの片言隻句もないことは、この種の注としては注目すべきことであろう。……(略)……本書の意図したものは、従来の秘伝的、口伝的な束縛を受け、貴族趣味に堕していた百人一首旧注を改めて、わかりやすい百人一首注解を、より一般庶民にも行きわたらせようと童蒙的意図が多分に働いたものと見たいのであるが、果してひが目であろうか。……(略)……以上を要するに、本書の特色と価値は、伝統の旧注の根深い流行の中にあって、啓蒙的な面を開き、これを民衆に、理解しやすい内容に改変して近づけしめんとした点にあるように思う。」

 現在、最も具体的で的確な評価であると思われる。とはいえ、田中宗作氏も、この大部な著作の極わずかな条について論じられたに過ぎない。本格的な研究はこれからである。

 

 注1  崘}柑劼痢嵒歓涌貅鵝彙躰瓠宗愎豢冥検戮遼盜錣伐

     題(上)―」(『近世初期文芸』13号、平成8年12月)

    ◆屐愽歓涌貅齊筺戞頁}柑卉)研究序説」(『近世文学

     俯瞰』長谷川強編、平成9年5月8日、汲古書院発行)

    「如儡子の「百人一首」注釈―『酔玉集』の翻刻と解

     題(下)―」(『近世初期文芸』14号、平成9年12月)

    ぁ崘}柑劼痢嵒歓涌貅鵝彙躰瓠宗愽歓涌貅齊筺戮函愎

     玉集』―」(『近世初期文芸』15号、平成10年12月)

 注2 「『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説」(『近世文学俯

    瞰』長谷川強編、平成9年5月8日、汲古書院発行)

 注3 「如儡子の「百人一首」注釈―『百人一首鈔』と『酔玉

    集』―」(『近世初期文芸』15号、平成10年12月)

 注4 荒木尚氏編『百人一首注・百人一首(幽斎抄)』(百人一

    首注釈書叢刊・3、一九九一年10月10日、和泉書院発行)

 注5 ◎田中宗作氏『百人一首古注釈の研究』(昭和44年9月20

     日、桜楓社発行)

    ◎田中伸氏「如儡子の注釈とその意義―『百人一首鈔』

     と『酔玉集』―」(『二松学舎大学論集』百周年記念

     号、昭和52年10月、後『近世小説論攷』昭和60年6月10

     日、桜楓社発行 に収録)

    ◎野間光辰氏「如儡子系伝攷(中)」(『文学』46巻12号、

     昭和53年12月、後『近世作家伝攷』昭和60年12月30日、

     中央公論社発行 に収録)

如儡子の「百人一首」注釈、『砕玉抄』について
●武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫所蔵の『砕玉抄』は極めて貴重な存在である。列帖装、15折、209葉、写本1冊。歌人の配列は、一般的配列ではなく、水戸彰考館蔵の『百人一首抄』と同じである。しかも、参議タカムラの歌に大きな異同が認められる。この異同から、様々な事が推測される。私がこの写本を貴重な存在と言うのは、この異同から、本写本が、あるいは、著者の自筆本ではないかと、推測し得るからである。この作者の研究を続けて40年、初めて著者の自筆に巡り会えたか、と思うと、感慨深いものがある。

η}柑劼痢嵒歓涌貅鵝彙躰
――武蔵野美術大学美術資料図書館所蔵『砕玉抄』(序説)――


                     深 沢  秋 男


 一、はじめに

 如儡子の「百人一首」注釈に関しては、これまで、『百人一首鈔』(水戸彰考館文庫蔵)、『酔玉集』(国立国会図書館蔵)、『百人一首註解』(京都大学図書館蔵)に関して調査・考察を加えてきた。ところが、新たに武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫に『砕玉抄』という写本が所蔵されている事が判明した。
 平成十三年一月、中古・中世の和歌を研究しておられる、浅田徹氏より一通の封書を拝受した。氏は武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫調査の折、目録の記載「砕玉抄 如儡子著 著者筆者寛永6(1629)」という記載に目を止められ、その上、本書を閲覧されて、書誌と跋文を頭注も含めて書写され、お送り下さった。全く面識のない私に、如儡子を研究しているからということで、御自分の貴重な調査時間を割いて、わざわざ御教示下さった浅田氏の御厚意に対して、まず心からの感謝を申し上げる。
 早速、武蔵野美術大学美術資料図書館に閲覧を申込み、同年三月、調査させて頂くことが出来た。その報告から始めたい。

 二、武蔵野美術大学美術資料図書館蔵『砕玉抄』の書誌

調査年月日  平成13年3月6日。
所蔵者  武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫(199,147/Sa18/K)
装 丁  半紙本、列帖装、写本1冊。
表 紙  栗色原表紙カ、縦二三〇ミリ×横一七五ミリ。
題 簽  前表紙、中央上部に直接「砕玉抄」と墨書。
内 題  1丁オに「百人一首」
匡 郭  無し。1行の文字の高さは、
     序 =一六五ミリ前後。
     和歌=一七〇ミリ前後。
     注釈=一七〇ミリ前後。
     頭注= 四〇ミリ前後。
丁 付  無し。
丁 数  1帖= 一丁 〜 一二丁(12丁)
     2帖=一三丁 〜 二六丁(14丁)
     3帖=二七丁 〜 四〇丁(14丁)
     4帖=四一丁 〜 五六丁(16丁)
     5帖=五七丁 〜 六八丁(12丁)
     6帖=六九丁 〜 八二丁(14丁)
     7帖=八三丁 〜 九六丁(14丁)
     8帖=九七丁 〜一〇七丁(11丁)
     9帖=一〇八丁〜一二二丁(15丁)
     10帖=一二三丁〜一三八丁(16丁)
     11帖=一三九丁〜一五四丁(16丁)
     12帖=一五五丁〜一七〇丁(16丁)
     13帖=一七一丁〜一八四丁(14丁)
     14帖=一八五丁〜二〇〇丁(16丁)
     15帖=二〇一丁〜二〇九丁(9丁)
行 数  序 =9行
     本文=9行
     頭注=18行前後
字 数  序 =19字前後。
     本文=21字前後。
     頭注=8〜11字前後。
本 文  漢字交じり平仮名。大部分の漢字に振り仮名を付す。濁点が部分的にあり、句読点は無い。
     巻頭に序があり、次に天智天皇から順徳院までの百名の和歌を掲げ、それぞれの和歌には詳細な解説を付けている。歌人や解説には上欄に小字で語注を付けす。巻末に奥書を付けている。
奥 書  巻末(二〇八丁オ)に奥書があり、その末に、
      「時寛永巳之仲冬下幹江城之旅泊身
           雪朝庵士峯ノ禿筆作
                  如儡子居士」
歌人の配列順序  彰考館蔵『百人一首鈔』と同じ配列。
蔵書印等  1丁ウに「山崎家蔵」(陽刻方形朱印、縦26ミリ×横25ミリ)。前表紙裏に横長円形赤色スタンプ「武蔵野美術大学美術資料図書館/蔵書/46.8.31/32510(黒色)」(縦27ミリ・横42ミリ)。前表紙右上に青ラベル「911.147/Sa18/K」
その他  この写本は、製本は列帖装であり、摩損等の保存状態から判断して、かなり年数が経過しているものと思われる。その意味で、近世初期の書写本の可能性がある。

 三、武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫概要

 金原省吾氏は、武蔵野美術大学の前身・帝国美術学校の創立者の一人である。明治二十一年九月一日、長野県諏訪郡湖東村の河西家に生まれ、大正元年、島木赤彦の媒酌によって、長野県安曇郡大町の金原よしをと結婚して金原姓を名乗った。長野県師範学校、早稲田大学に学び、昭和三十年、『絵画に於ける線の研究』によって、早稲田大学より文学博士の学位を受けた。金原氏は、武蔵野美術大学の教授・教務主任として、教育経営に心血を傾注し、多くの俊秀を世に送り出した。
 金原氏の蔵書は、金原文庫として武蔵野美術大学美術資料図書館に所蔵されており、蔵書の内容は、日本および東洋美術関係の図書・雑誌で、漢籍・仏書を含む、約七千冊である。

 四、書名「砕玉抄」について

 如儡子の「百人一首」の注釈書には『百人一首鈔』『酔玉集』『百人一首註解』が伝存している。武蔵野美術大学美術資料図書館・金原文庫蔵の『砕玉抄』には前表紙の中央上部に「碎玉抄」と直接墨で書かれている。1丁ウの内題は「百人一首」とある。国会図書館の『酔玉集』には、三冊とも題簽に「酔玉集」とある。「酔玉集」ならば「玉に酔う」「珠玉の和歌に陶酔する」ということで、これはこれで書名になる。「砕玉抄」の場合、『徒然草』の注釈書『野槌』『鉄槌』の如く、原典をかみ砕いて分かりやすく読み解く、という意味にとれば、これも書名として不自然でもない。

 五、『砕玉抄』の歌人配列順序

 「百人一首」の歌人配列順序は二つに大きく分類できる。一つは、所謂、一般の「百人一首」の配列であり、もう一つは「異本百人一首」の系統の配列である。
 如儡子の注釈書のうち、『酔玉集』と『百人一首註解』は一般的な配列である。これに対し『百人一首鈔』は「異本百人一首」系統の配列に極めて近いものであるが、次の二点が異なる。
 1、「西行法師」が「異本百人一首」では、通行の「百人一首」と同じ86番であるのに対し、如儡子の『百人一首鈔』は58となっている。
 2、「左京太夫道雅」と「周防内侍」の順序が、「異本百人一首」では「左京太夫道雅→周防内侍」であるのに対して、『百人一首鈔』は「周防内侍→左京太夫道雅」となっている。
 この如儡子の『百人一首鈔』と完全に一致する配列のテキストは、現在までに確認する事が出来なかった。今回発見された『砕玉抄』の配列は『百人一首鈔』と完全に一致する。


  『砕玉抄』折丁明細一覧(武蔵野美術大学所蔵本) 1

  27オ                 1オ (空白)
  27ウ                 1ウ 序
  28オ                 2オ
  28ウ                 2ウ
  29オ                 3オ
  29ウ                 3ウ
  30オ 8 猿丸太夫          4オ
  30ウ                 4ウ
  31オ                 5オ (空白)
  31ウ                 5ウ 1 天智天皇御製
  32オ                 6オ
  32ウ 9 中納言行平         6ウ
  33オ                 7オ
  33ウ                 7ウ
  34オ                 8オ
  34ウ 10 在原業平朝臣        8ウ
  35オ                 9オ
  35ウ                 9ウ 2 持統天皇御製
  36オ                10オ
  36ウ 11 藤原敏行         10ウ
  37オ                11オ
  37ウ                11ウ
  38オ                12オ
  38ウ 12 陽成院御製        12ウ 3 柿本人丸
  39オ               ・・・・・・・・・・・・・・・・1折
  39ウ                13オ
  40オ 13 小野小町         13ウ
  40ウ                14オ
 ・・・・・・・・・・・・・・・・3折  14ウ
  41オ                15オ
  41ウ                15ウ
  42オ                16オ
  42ウ                16ウ 4 山辺赤人
  43オ                17オ
 @43ウ                17ウ
  44オ                18オ
  44ウ                18ウ
  45オ                19オ
  45ウ                19ウ 5 中納言家持
  46オ 14 喜撰法師         20オ
  46ウ                20ウ
  47オ                21オ
  47ウ                21ウ
  48オ 15 僧正遍昭         22オ 6 安倍仲磨
  48ウ                22ウ
  49オ                23オ
  49ウ                23ウ
  50オ                24オ
  50ウ                24ウ 7 参議篁
  51オ                25オ
  51ウ 16 蝉丸           25ウ
  52オ                26オ
  52ウ                26ウ
  53オ               ・・・・・・・・・・・・・・・・2折
  53ウ



  『砕玉抄』折丁明細一覧            2

  80ウ                54オ
  81オ 31 藤原興風         54ウ 17 河原左太臣
  81ウ                55オ
  82オ                55ウ
  82ウ                56オ 18 光孝天皇御製
 ・・・・・・・・・・・・・・・・6折  56ウ
  83オ               ・・・・・・・・・・・・・・・・4折
  83ウ                57オ
  84オ                57ウ
  84ウ 32 春道列樹         58オ
  85オ                58ウ
  85ウ                59オ
  86オ 33 清原深養父        59ウ 19 伊勢
  86ウ                60オ
  87オ                60ウ
  87ウ 34 貞信公          61オ 20 元良親王
  88オ                61ウ
  88ウ                62オ
  89オ                62ウ
  89ウ 35 三条右太臣        63オ 21 源宗于
  90オ                63ウ
  90ウ                64オ 22 素性法師
  91オ                64ウ
  91ウ                65オ
  92オ 36 中納言兼輔        65ウ
  92ウ                66オ
  93オ                66ウ 23 菅家
  93ウ 37 参議等          67オ
  94オ                67ウ
  94ウ                68オ
  95オ                68ウ 24 壬生忠岑
  95ウ               ・・・・・・・・・・・・・・・・5折
  96オ 38 文屋朝康         69オ
  96ウ                69ウ
 ・・・・・・・・・・・・・・・・7折  70オ
  97オ 39 右近           70ウ
  97ウ                71オ
  98オ                71ウ 25 凡河内躬恒
  98ウ 40 中納言敦忠        72オ
  99オ                72ウ
  99ウ 41 平兼盛          73オ 26 紀友則
  100 オ                73ウ
  100 ウ                74オ
  101 オ 42 壬生忠見         74ウ
  101 ウ                75オ 27 文屋康秀
  102 オ                75ウ
  102 ウ                76オ 28 紀貫之
  103 オ                76ウ
  103 ウ                77オ
  104 オ                77ウ
  104 ウ 43 謙徳公          78オ 29 坂上是則
  105 オ                78ウ
  105 ウ                79オ
  106 オ                79ウ
  106 ウ 44 中納言朝忠        80オ 30 大江千里



  『砕玉抄』折丁明細一覧            3

  133 オ                107 オ
  133 ウ                107 ウ
  134 オ               ・・・・・・・・・・・・・・・・8折
  134 ウ 60 清少納言         108 オ 45 清原元輔
  135 オ                108 ウ
  135 ウ                109 オ
  136 オ                109 ウ
  136 ウ                110 オ
  137 オ                110 ウ 46 源重之
  137 ウ                111 オ
  138 オ 61 和泉式部         111 ウ
  138 ウ                112 オ 47 曽祢好忠
 ・・・・・・・・・・・・・・・10折  112 ウ
  139 オ                113 オ 48 大中臣能宣朝臣
  139 ウ 62 大弐三位         113 ウ
  140 オ                114 オ
  140 ウ                114 ウ 49 藤原義孝
  141 オ                115 オ
  141 ウ 63 赤染衛門         115 ウ
  142 オ                116 オ 50 藤原実方朝臣
  142 ウ                116 ウ
  143 オ                117 オ
  143 ウ                117 ウ
  144 オ                118 オ 51 藤原道信
  144 ウ                118 ウ
  145 オ                119 オ 52 恵慶法師
  145 ウ                119 ウ
  146 オ                120 オ
  146 ウ                120 ウ
  147 オ 64 紫式部          121 オ
  147 ウ                121 ウ
  148 オ                122 オ 53 三条院御製
  148 ウ                122 ウ
  149 オ               ・・・・・・・・・・・・・・・・9折
  149 ウ 65 伊勢太輔         123 オ
  150 オ                123 ウ 54 儀同三司母
  150 ウ                124 オ
  151 オ 66 小式部内侍        124 ウ
  151 ウ                125 オ 55 右大将道綱母
  152 オ                125 ウ
  152 ウ                126 オ
  153 オ                126 ウ
  153 ウ                127 オ
  154 オ                127 ウ 56 能因法師
  154 ウ                128 オ 57 良◆法師
 ・・・・・・・・・・・・・・・11折  128 ウ
  155 オ 67 中納言定頼        129 オ
  155 ウ                129 ウ
  156 オ                130 オ
  156 ウ 68 周防内侍         130 ウ 58 西行法師
  157 オ                131 オ
  157 ウ                131 ウ
  158 オ 69 左京太夫道雅       132 オ 59 大納言公任
  158 ウ                132 ウ




  『砕玉抄』折丁明細一覧            4

  185 オ                159 オ
  185 ウ                159 ウ 70 大納言経信
  186 オ 86 皇太后宮太夫俊成     160 オ
  186 ウ                160 ウ
  187 オ                161 オ
  187 ウ 87 皇嘉門院別当       161 ウ 71 大僧正行尊
  188 オ    @           162 オ
  188 ウ                162 ウ
  189 オ 88 殷冨門院太輔       163 オ
  189 ウ                163 ウ
  190 オ                164 オ 72 中納言匡房
  190 ウ 89 式子内親王        164 ウ
  191 オ 90 寂蓮法師         165 オ
  191 ウ                165 ウ
  192 オ                166 オ 73 祐子内親王家紀伊
  192 ウ 91 二条院讃岐        166 ウ
  193 オ                167 オ 74 相模
  193 ウ 92 後京極摂政前太政太臣   167 ウ
  194 オ                168 オ
  194 ウ                168 ウ
  195 オ 93 前大僧正慈円       169 オ 75 源俊頼朝臣
  195 ウ                169 ウ
  196 オ                170 オ
  196 ウ 94 参議雅経         170 ウ 76 崇徳院
  197 オ               ・・・・・・・・・・・・・・・12折
  197 ウ                171 オ
  198 オ 95 鎌倉右太臣        171 ウ 77 待賢門院堀川
  198 ウ                172 オ
  199 オ                172 ウ
  199 ウ                173 オ 78 法性寺入道前関白太政太臣
  200 オ 96 正三位家隆        173 ウ
  200 ウ                174 オ
 ・・・・・・・・・・・・・・・14折  174 ウ 79 左京太夫顕輔
  201 オ                175 オ
  201 ウ 97 権中納言定家       175 ウ
  202 オ                176 オ 80 源兼昌
  202 ウ                176 ウ
  203 オ 98 入道前太政太臣      177 オ
  203 ウ                177 ウ 81 藤原基俊
  204 オ                178 オ
  204 ウ                178 ウ
  205 オ 99 後鳥羽院御製       179 オ
  205 ウ                179 ウ 82 道因法師
  206 オ                180 オ
  206 ウ 100 順徳院御製        180 ウ 83 藤原清輔
  207 オ                181 オ
  207 ウ                181 ウ
  208 オ 奥書             182 オ
  208 ウ                182 ウ
  209 オ                183 オ 84 俊恵法師
  209 ウ (空白)           183 ウ
 ・・・・・・・・・・・・・・・15折  184 オ 85 後徳大寺左太臣
                     184 ウ
                    ・・・・・・・・・・・・・・・13折


 右に『砕玉抄』の折丁明細と共に、歌人の配列順序をも一覧表として掲げた。如儡子がこのような独特の配列を採用しているのは、注釈を施す時に使用したテキストが、このような配列になっていたからであろうと考えられるが、『百人一首鈔』と『砕玉抄』の二本が一致する点から、『百人一首鈔』が『砕玉抄』を写したか、あるいはその逆に、『砕玉抄』が『百人一首鈔』を写した、という可能性もあり、さらに、『砕玉抄』『百人一首鈔』が別々に如儡子の自筆本を書写した、という可能性もある。

 六、第七番、参議篁の歌

 参議篁の歌は、一般的な「百人一首」の配列では十一番であるが、「異本百人一首」では七番である。また、一般的な「百人一首」収録の歌は、
  和田のはら八十嶋かけて漕出ぬと人にはつげよ海士の釣ぶね
である。ところが、『砕玉抄』では、以下に示す如く、上の句の中七、下五が、これとは異なる歌であり、これを改める注記が付されている。

   此哥ハかさねより書用へからす。此上書にある本哥を用へし
 
    わだの原こぎ出てゆくやそしまや
    人にはつげよあまのつりふね
 注
 頭   此哥ある人の本にかゝらんあるを、そのまゝかき付あや
     まれり。信用へきに非ず。さて、
      和田の原八十嶋かけて漕出ぬと人にハ告よ蜑の釣舟
     是をまことに用へし。かへす/\わだのはらこぎいで
     ゝゆュやそしまや とあるをばわるきとしるへし。

 記載の体裁は、別掲の写真を参照して頂きたいが、如儡子はまず「わだの原こぎ出てゆくやそしまや人にはつげよあまのつりふね」の歌を出し、右に小字で「此哥ハかさねより書用へからす。此上書にある本哥を用へし」と注記して、上の注に「此哥ある人の本にかゝらんあるを、そのまゝかき付あやまれり。信用へきに非ず。さて、 和田の原八十嶋かけて漕出ぬと人にハ告よ蜑の釣舟 是をまことに用へし。かへす/\わだのはらこぎいでゝゆくやそしまや とあるをばわるきとしるへし。」としている。
 『百人一首鈔』は、ただ、
  「和田のはら八十嶋かけて漕出ぬと
   人にはつげよ海士の釣ぶね   」
 とあるのみである。この両者の異同から、様々な推測をすることになる。
 如儡子は、「異本百人一首」系の本文を使用して注釈を加えた。その使用したテキストには、参議篁の歌は第七番として、「わだの原こぎ出てゆくやそしまや人にはつげよあまのつりふね」とあった。諸注を参照して注釈を付け加えてゆく過程で、「和田のはら八十嶋かけて漕出ぬと人にはつげよ海士の釣ぶね」が正しい事に気付き、注記で訂正した。このような経過を予想すると、この写本は著者自身の書写という可能性が高くなるように思われる。それにしても、『砕玉抄』収録の歌は、どこから得たものか。
  わたの原漕ぎ出し舟の友千鳥八十島がくれこゑきこゆ也
                     (新後撰集巻六、)
  わたの原こぎ出でゝみれば久方の雲居にまがふ沖津白波
                      (詞花集巻十、)
  限なく思ひしよりもわたの原漕ぎ出でゝ遠き末のうら浪
                    (新後拾遺集巻十、)
  わたのはらこぎいづるふねのとも千鳥やそしまがくれこゑきこ
    ゆ也               (雲葉集巻◆◆◆)
 等があるが、全く同じ歌は、現在のところ見当たらない。しかし、如儡子が、ある人の本を見てそのまま書写し、誤ったと言う注を付けているのであるから、このような歌人配列と参議篁の歌を収録した伝本があったと思われる。今後、さらに調査してゆきたい。

 七、『砕玉抄』と『百人一首鈔』の関係

 両者を比較してみると、記述形式は、歌人名、和歌、歌人の伝記、頭注、振り仮名等、ほとんど同様である。また、如儡子の奥書も同様である。現在、本文異同に関して全面的な比較検討はしていない。部分的な範囲での比較の結果では、『百人一首鈔』の方が振り仮名がやや多い。また脱落も『百人一首鈔』の方が多い。この点では、『砕玉抄』の方がより如儡子の自筆本に近い本文という事になり、『百人一首鈔』は劣った本文という事になる。
 また、列帖装の場合、製本してから書写する事が多かったとも言われており、如儡子は「異本百人一首」系の本文使用して注を付してゆき、後で参議篁の歌の誤りに気付き、その訂正を歌の右傍らと頭注と左の余白に追加したのではないか。『百人一首鈔』は、寛文二年に重賢が書写したものであるが、おそらく、如儡子が二本松に移住後、二本松の重賢が如儡子から借りて書写したものであろう。その時、如儡子は参議篁の歌の誤りについて説明し、その指示に従って書写されたのではないかと推測はされる。とするならば、この『砕玉抄』は、如儡子の自筆本という可能性が極めて高くなってくる。これらの諸点に関しては、改めて、調査・分析・考察を深めてゆきたいと思う。

●原本の写真は省略

  (注)1、「『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説」:『近世文学俯瞰』(長谷川強編、一九九七年五月八日、汲古書院発行)
     2、「如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』の翻刻と解題――(上)」:『近世初期文芸』第十三号(平成八年十二月)
     3、「如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』の翻刻と解題――(下)」:『近世初期文芸』第十四号(平成九年十二月)
     4、「如儡子の「百人一首」注釈――『百人一首鈔』と『酔玉集』――」:『近世初期文芸』第十五号(平成十年十二月)
     5、「如儡子の「百人一首」注釈――京大本『百人一首註解』との関係――」:『文学研究』第八七号(平成十一年四月)


  付  記
 本文中に記したが、平成十三年一月、浅田徹氏から感動的なお知らせを頂いた。浅田氏は武蔵野美術大学美術資料図書館の調査の折、『金原・服部文庫目録』の「砕玉抄 如儡子著 著者筆者 寛永6(1629) 209丁 24cm 和」という記述に目を止められ、閲覧され、詳細に亙ってお教え下さった。
 早速、武蔵野美術大学美術資料図書館宛、閲覧願を提出した。当初、図書館としては、資料の保存状況も良くないので閲覧不可として対処しておられたようであるが、浅田氏の情熱によって閲覧を許可して下さった。そんな経緯の結果、私も閲覧・調査する事が出来た訳である。原本は確かに保存状態が良好とは言えず、これを調査のためとは言え、全冊対校のために使用する事は出来ない。そこで、専門家による全冊複写の許可願を提出した。図書館では、慎重に検討され、複写の許可をして下さった。心から感謝申し上げます。
 この度の、武蔵野美術大学美術資料図書館所蔵の『砕玉抄』の調査に関して、御教示を賜りました浅田徹氏と、同図書館の館長先生はじめ、本庄氏・軍司氏など多くの方々の御高配を賜りました。ここに記して心から感謝申し上げます。

『近世初期文芸』第20号(平成15年12月)








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