深沢秋男研究室 自著を語る 1

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◆自著を語る 1◆
■自著を語る■

 自著と言っても、実際には編著・共編・校訂・校注・複製などもあるので、純粋に自分の著書ではない。ただ、長い間には種々様々な本を出し、その時その時に、多くの方々のお世話になったり、御配慮を頂いた事が少なくない。そんな事を備忘録も兼ねて整理しておきたいと思う。


【1】可笑記評判 (校訂)
A5判、278頁、和装、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。発行部数122部。制作実費1部800円。
(1)凡例、(2)可笑記評判本文 巻一〜巻十、(3)固有名詞索引、(4)章段数対照表・章段対照表、(5)振り仮名・漢字一覧、(6)書誌、(7)口絵(東京大学附属図書館所蔵本)
万治3年2月刊行の、浅井了意著『可笑記評判』を全冊校訂したもの。底本は東京大学附属図書館所蔵本。『可笑記』本文は収録せず、振仮名も省略した。ただし、主要な振仮名は巻末に一括掲載している。

●印刷は孔版タイプ印刷で、印字は江東区住吉の文進社、印刷は文京区本郷の一龍社。製本は千代田区神田の謡本専門の川嶋製本。
●昭和41年5月発行の『文学研究』第23号に「『可笑記』と『可笑記評判』―現実批判を中心に―」を発表したが、これを契機に『可笑記評判』の本文全冊を『文学研究』に掲載する話が出た。準備を進めてゆくと大部過ぎて雑誌掲載は無理となり、単行本化す事に変更し、自費出版で近世初期文芸研究会から発行する事になった。
●巻一から1巻ずつ原稿を作り、文進社で印字・印刷した。タイプ印刷に活字が無い場合は、日本活字・岩田母型で一般印刷の活字を購入し、作字もした。それでも無い文字は印鑑店(はんこ屋)で刻印して揃えた。
●寄贈先は、仮名草子研究者と主要図書館であったが、その後、折々古書店に出る事があり、昭和62年11月の『日本書房目録』では12000円であり、平成19年1月の『渥美書房国語国文学文献目録』NO84では10500円であった。 ●『可笑記評判』に関しての最初の口頭発表が、重友毅先生の主催される日本文学研究会であり、その機関誌としての『文学研究』に掲載するという話から出発したためか、本書出版の折、重友先生は序文を書いて下さると申された。しかし、単なる校訂の本でもあり、これは御辞退した。
●翌年の8月28日、市ヶ谷の私学会館で、出版記念会をして下さった。高橋俊夫先生の『西鶴論考』と私の『可笑記評判』の合同である。本心は御遠慮したかったが、重友先生のお考えに従った。座席は、高橋先生の隣が重友先生、私の隣が、何と久松潜一先生であった。長澤規矩也・杉本圭三郎・神保五弥・冨士昭雄・谷脇理史・江本裕の諸先生始め、日本文学研究会の常任委員の先生方が出席して下さった。その意味で、この本が私の処女出版であり、最初で最後の出版祝賀会というセレモニーとなった。私は、心から感謝して、2人の兄にも出席してもらった。
●スピーチの中で、久松先生が、深沢さんの『可笑記評判』は見ていないが、と申されたのには、テーブルの下に潜りたい思いであった。私は、この本を久松先生にも、中世専攻の杉本先生にも献呈していなかった。また、長澤先生は、お話の冒頭で、本日は2人のために、学外の先生方に多く出席して頂き、感謝申し上げます、と述べて下さった。その事は今も忘れられない。
●私の処女出版は、手作りのタイプ印刷の自費出版であったが、重友先生や、諸先輩の御配慮で、このように祝福して頂いた。


【2】浮世ばなし 付、明心宝鑑 (影印、解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・12、B5判、318頁、昭和47年8月20日、勉誠社発行、定価5500円。
原本所蔵者 横山重・長澤規矩也、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(浮世ばなし 1巻〜五巻・明心宝鑑 上下2巻)、(3)解題

●横山重氏・前田金五郎氏は、近世文学書誌研究会の名のもとに、主として横山重氏所蔵の赤木文庫本を底本にして、精密な原本の複製本を勉誠社から刊行した。本書はその「仮名草子編」第1期の12である。
●本書は、勉誠社版「近世文学資料類従」第1期の最初のものであるから、刊行に至る経緯を少し詳しく記す。昭和46年(1971)11月9日、前田金五郎先生のお宅へ伺った。新しい企画があるので相談したい、という連絡を頂いたからである。そこで初めて「近世文学資料類従」の件を知らされた。前田先生は、横山重先生の意向による事でもあると前置きされ、「仮名草子編」の1期刊行リストを示され、この中から担当したい作品を選ぶようにと申された。私は『浮世ばなし』と『可笑記評判』を担当させて頂く事にした。『堪忍記』もとどうか、と言われたが、この作品は田中伸氏か小川武彦氏が、既に諸本調査を進めているらしいと申し上げ、遠慮した。
●実は、これと前後して、横山重先生からも、この件の御連絡を頂いた。横山先生は、私が研究職ではない事を気にされて、このチャンスを与えて下さった由である。私の研究は、本書の担当を契機として、『可笑記』研究から仮名草子研究へと範囲を広げていった。それは、横山先生と前田先生の御配慮のお蔭である。
●12月3日、前田先生宅へ伺い、横山先生御所蔵の、
1『浮世ばなし』(江戸版)
2『浮世物語』(京都版)
3江戸版の写真
この3点を拝借した。これらの原本を手元に置いて、諸本調査を進められたのは、誠にありたい事であった。
●『明心宝鑑』は、中国善書の一つで、仮名草子にも大きな影響を与えていた。仮名草子との関連は、前田先生が既に研究されており、有益な資料である故、これを付載する事になった。漢籍・和刻本では、恩師・長澤先生の御研究が第一であったので、先生の御所蔵本を使用させて頂いた。


【3】可笑記大成―影印・校異・研究― (共編著)
A5判、764頁、昭和49年4月30日、笠間書院発行、定価11000円。田中伸氏・小川武彦氏と共編著。本書は文部省の、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版である。
使用原本は、11行本は小川武彦氏蔵本、12行本は国会図書館蔵本、無刊記本は長澤規矩也先生蔵本、絵入本は横山重先生蔵本である。
 目 次
第1編 本文・校異(小川氏・深沢)
第2編 万治版挿絵について(小川氏)
第3編 「可笑記」の研究
第1章 底本書誌解題と諸本調査報告(深沢)
第2章 校異による本文異同の考察(深沢)
第3章 「可笑記」の成立と書名(田中氏)
第4章 作者如儡子について(田中氏)
第5章 「可笑記」の内容(田中氏)
第6章 「徒然草」と「甲陽軍鑑」の受容について(田中氏)
あとがき(田中氏)

●本書刊行のきっかけは、昭和43年6月23日、日本近世文学会春季大会での発表であった。私の「『可笑記』の諸本」と題する25分の発表が終ると、田中伸氏の反論意見が出された。寛永19年版11行本と12行本の先後をめぐる問題であった。私は11行本が先だと主張し、田中氏は12行本が先だと反論された。実は、『可笑記』の諸本調査は、私と同時に田中氏も進めておられた事が、この時わかった。15分間討論したが、お互いに譲らず、司会者の神保氏も、あとは2人で話し合って欲しいと打ち切られた。
●昼食時、田中氏が私の席にこられたので、原物のコピーを示して説明したところ、ようやく納得して下さった。この11行本と12行本の先後関係は、実に微妙で、私も発表要旨では12行本を先としていたが、発表当日、口頭で、11行本が先であると訂正したほどである。私は、2ヶ月足らずの間に、この両版の先後関係を判断する、決定的な証拠を発見したのである。
●昭和45年4月、田中伸氏から、『可笑記』の影印本を出す事になったので、共編者として本文の校異を担当しないか、という連絡を頂いた。私は重友先生の許可を得て、有難く参加させてもらう事にした。笠間書院を通して、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)を申請して、補欠になり、やがて繰上げ採択された。
本書は、田中伸氏の御厚情によって編者に加えて頂いたものである。
 

【4】新可笑記 (影印、解説)
近世文学資料類従 西鶴編・11、B5判、296頁、昭和49年10月25日、勉誠社発行、定価9500円。
原本所蔵者 吉田幸一、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(新可笑記、1巻〜5巻)、(3)解題

●横山・前田両先生は、私が仮名草子の『可笑記』を研究していたので、西鶴のこの作品を担当させて下さった。諸本調査を進めるうちに、吉田幸一先生の所蔵本が最善本と判明した。そこで、私は横山先生に、この本の担当は吉田幸一先生にお願いしたいと連絡した。吉田先生は横山先生を通して、予定通り私に担当するようにと返事を下さった。私は感謝して解説を執筆した。
●この『新可笑記』は、元禄9年11月初版刊行、というのが、従来の定説であった。ところが、この本の刊記はおかしい。奥付の半丁がそっくり入れ替えられている。私は、初版初印とは断定できないという説を出した。


【5】江戸雀 (影印、解説)
近世文学資料類従 古板地誌編・9、B5判、424頁、昭和50年11月23日、勉誠社発行、定価10000円。 原本所蔵者 赤木文庫、監修 横山重、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(江戸雀、巻1〜巻12)、(3)解題

●この本の担当は、横山先生から直接指名された。それまで、『江戸雀』の初印本は、全く知られていなかった。従って従来の研究では、和田万吉氏・高木利太氏・長澤規矩也氏・丸山季夫氏のいずれも、この『江戸雀』の著者を菱川師宣(吉兵衛)としておられた。これは、後印本の刊記に拠ったためである。
●後印本の刊記は、「武州江戸之住/絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記に拠れば、菱川吉兵衛が本文も絵も執筆し描いた事になる。ところが、初印本の刊記には「武州江戸之住 近行遠通撰之/同絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記によれば、著者は近行遠通であり、絵師は菱川吉兵衛という事になる。勿論、初印本が正しい。
●横山先生は、この幻の初印本の担当を私に配当して下さった。しかし、この本の発行までには、私としては苦しい経験をした。それは時期を同じくして、恩師・長澤規矩也先生が、有峰書店から江戸地誌シリーズの刊行を発表した為である。 ●『江戸雀』の刊行は、横山先生と私の合作であると言ってもいいかも知れない。横山先生からの書簡を、先生に御迷惑にならない範囲で記録しておきたい。

◎昭和48年9月11日 封書
今度、勉誠社で古板地誌の複製を出版する事になった。収録予定リストを送るので、担当希望の作品を出すように。という連絡を頂いた。担当者には何名か考えているので、各自の希望が出たところで調整して決定したい、というもの。私は江戸関係の作品、1、2点に印を付けて返送した。その結果、『江戸雀』の担当を指示された。
◎昭和49年4月25日 はがき
「江戸雀の初印本と再印本の差を見て貰ひたい。私から藤園さんに頼んで、本を池嶋宅まで送ってくれと云って見る。それ不可なら、貴兄が藤園堂を訪問せねばならぬ。○藤園本の題簽と奥の写真は勉誠へ送りました。――江戸雀は文字が小さいから、本文を大きく出すために、天地をそのまゝ出さずに、本文だけを大きく出す工夫をしたい。――本文の中で、両者の差のある所は、再印本のその部分の写真も出して、解説の中で示す方よし。」
◎昭和49年5月24日 はがき 速達
近々『江戸雀』の原本を渡すので来て欲しい。「この本を自宅で見れば、他の本は一見するのみでよろしいと思ふ。」続けて、有峰書店で、江戸地誌叢書10巻を出すという。内容見本をみると第1巻に『雀』を入れて、影印と活字翻刻とを併用するという。「師宣撰画とあり。やはり後印本也」と追記されていた。
■6月9日、伊東市の勉誠社の池嶋氏の別荘に横山先生を訪ね『江戸雀』の初印本・後印本・江戸図3点の5点を拝借した。借用書は書かず、手帳にメモしたのみ。横山先生は、「それだけあれば、家が1軒建つからね、決して電車の中では広げるナ、家に帰ってゆっくり見なさい。」と申された。
千葉の家に帰宅して、早速、初印本をゆっくり拝見した。これが師宣か、と浮世絵の祖・モロノブの本物に出会って、目が開かれた思いがした。以後、学生などに師宣の浮世絵を説明する時は、この瞬間の事を念頭において述べている。犬小屋入りの江戸図を、8畳間一杯に広げて調査できた事も、だたただ、感謝した。拝借した原本は12月21日に御返却申し上げた。
◎昭和49年6月21日 はがき
「江戸雀の御調査感謝。貴説、近行遠通が初印本に手を入れしかといふ事、私、賛成。近行遠通の名を削りしも、彼の発意か。延宝八年の『江戸方角安見図』にも、作者の名を出さず。当局の意向をソンタクして表へ顔を出さぬのかも知れぬ。尚、御調査願ふ。」
◎昭和49年8月2日 はがき
「江戸雀、初印本と再印本の大差のあるところ、再印本の方から、三、四枚の写真を、解説のところで出して、初印本の頁を記して、対照するやうに、御配慮ありたし。○再印本も近行遠通の手を経てゐるとの御説は、傾聴に値ひす。彼は江戸方角安見図(延宝八年)では作者名を出してゐません。風向きの悪いのに気づいたか。○しかし、私案に拘らず、貴説を通して下さい。」
◎昭和49年8月20日 はがき
「御手紙ありがたう。方針はすべて貴案のやうでよろしく。削除のところは、撰者近行遠通の意志によるものらしとの貴説よろしきか。江戸雀、はじめて真相を得るらし。その旨は、池嶋氏にも云って、頁数の多くなるのを恐れるなと云って下さい。或いは二冊にする方よきか。原本を私に返すのを急がずともよい。今はただ、正確で行き亘る事を望む。健康が大切。あまり根をつめる事勿れ。」
◎昭和50年2月6日 はがき
「勉誠の「定本地誌」へ「江戸雀」の解説を渡しませんか。……○その場合、原本を出すべきか。(目下、私方にあり。)○年度末で御多忙でせう。ハガキでよく、簡単な手紙をください。御用は私に云って下さい。御指定のやうに致します。」
◎昭和50年9月24日 はがき
「江戸雀の解説の校正のコッピー拝受。返送せずともよしとあり、私許に止めておきます。大兄の記述、すべてよく、過、不足もなく、公正と思ひました。遠近道印の地図は、私の書いた後に、/改撰江戸大絵図 元禄二年二月 板屋板/といふものを得ました。これは、延宝四年板と同じく、一分十間積りの図を、その後の変化を入れて、改撰したものです。私は四十年かゝって、これだけを得たのです。」

●昭和50年12月13日(土)『江戸雀』ができて、編集の中村さんが4冊届けてくれた。
私はその日に、まず、恩師・長澤規矩也先生にお届けして報告した。実は長澤先生は、前年の5月に、有峰書店から、江戸地誌叢書10巻を企画し、その中に『江戸雀』を影印と活字翻刻で収録すると公表されていた。これを知った横山先生は、先方はやはり後印本が底本のようである。しかし、それより、こちらは先に出すように、と解説原稿の仕上げを急ぐ事を指示された。私は、横山先生と長澤先生の板挟みの状態になってしまった。いずれも尊敬している大切な先生であった。この間、長澤先生には一切接触しないようにして、解説原稿を書き上げた。〔万一、お会いしたら、資料類従・古板地誌編の事をお話しする可能性もある。それでは、横山先生に対して申し訳ない。この1年間は厳しい日々の連続であった。〕そして、この日になったのである。私は事情を説明してお詫びした。長澤先生は本を広げて、良い本だ、良くやった、こちらはもう出さなくていいね。と私のこの間の失礼を許して下さり、本の出来映えを誉めてくれた。
次の日に、伊東の横山先生のお宅へ伺い、勉誠社から預かった本をお届けした。先生は、良くやった、と労いのお言葉をかけて下さり、大変喜ばれた。
●この『江戸雀』は、1冊の複製本であるが、その本当の著者を解明した画期的な本であり、その担当者に選ばれた私は幸せであった。私としては、尊敬する2人の先生の御意向の板挟みの中で進めた、調査研究であり、忘れる事のできない1冊である。


【6】可笑記評判 上 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・21、B5判、344頁、昭和52年1月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻1〜巻3)

●『可笑記評判』は、以前、タイプ印刷の私家版を出しているので、是非担当させて欲しいとお願いして、横山・前田先生の御許可を頂いた。前著では印刷面などで、思うような内容に出来なかった部分を改善する事が出来た。両先生に感謝している。


【7】可笑記評判 中 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・22、B5判、456頁、昭和52年2月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻4〜巻7)


【8】可笑記評判 下  (影印・解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・23、B5判、456頁、昭和52年3月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻8〜巻10)、(3)解題


【9】井関隆子日記 上 校注
B6判、460頁、昭和53年11月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保11年1月〜12月、(4)解説。

●本書は、鹿島神宮大宮司家の第67代・鹿島則文のコレクション桜山文庫の中に所蔵されていた、幕末旗本夫人の自筆の日記・全12冊に注を付けて出したものである。
●私は、昭和36年に「『可笑記』論」という卒論を提出し、以後、仮名草子の研究を続けてきた。仮名草子は近世初期であり、この女性の日記は近世末期のものであった。ところが、私はこの『日記』の内容に強く惹かれていった。
●昭和47年11月3日、水戸の鹿島則幸氏をお訪ねした。重友先生が長年拝借していた、上田秋成の写本・桜山本『春雨物語』を返却するためであった。要件が済んだ後、鹿島様は、こんな物も御座いますが、と仰って、桐箱入の写本12冊の『日記』を見せて下さった。この件を前田金五郎先生に御報告しておいたところ、翌年の1月、鈴木棠三先生から連絡があり、神田の出版社・Kから稀書創刊というシリーズを出すので、この『日記』を、その中に収録したいので、鹿島氏を紹介して欲しいと言われた。別の要件もあったので、水戸に伺ってお願いしたところ、鹿島様は快諾して下さった。
●いろいろ経緯があった後、私に校訂を担当して欲しいという事になり、千葉の新検見川時代であったが、改めて『日記』を読み直して、優れた内容である事を確認して、仮名草子研究と並行して進める、という条件でお引き受けした。
●その後、鈴木先生との話し合いの結果、校訂から校注に変更し、私は独自の判断で、人名・地名・書名などの固有名詞にのみ注を付ける事にして、『広辞苑』に出ているレベルのものは、原則としてカットした。近世後期の言葉は、古語辞典も通用しないものが少なくなく、近世初期が専攻で、しかも浅学の私にとっては難行苦行の連続であった。
●全12冊の原本を、上中下の3冊にして出す事にして、上巻の原稿が仕上がった時、オイルショックのため、この企画は中止となってしまった。しかし、私は、仮名草子研究は中断して、この『日記』の校注に全力で取組んでいた。もう、後へは引けなかった。是が非でも、この『日記』を後世に伝えたい、そんな思いであった。
●昭和52年4月30日、勉誠社の池嶋社長に、この『日記』の出版をお願いした。5月7日、池嶋氏は自ら原稿を読んで判断され、出版を引き受けて下さった。書名も「天保日記」から「井関隆子日記」に変更して、ようやく日の目を見たのである。


【10】井関隆子日記 中 校注
B6判、456頁、昭和55年8月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)天保12年1月〜12月、天保13年1月〜12月、(3)鹿島則文と桜山文庫。

●巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を付載した。鹿島則文及び桜山文庫に関しては、それまで、まとまったものが無く、その当時の所蔵者・鹿島則幸氏の要請もあり、鹿島則文の顕彰も込めて纏めたものである。則文は、幕末・維新にかけて、鹿島神宮大宮司・伊勢神宮大宮司として、また、国学者・教育者として大変な活躍をした人物であるが、行動はするが、余りモノ書かぬ人物であった。何か、あの狩野亨吉と似通ったところがある。それをまとめて伝えたかった。


【11】井関隆子日記 下 校注
B6判、396頁、昭和56年6月5日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保14年1月〜12月、天保15年1月〜10月、(4)索引。

●長年の夢がようやく叶った。しかし、私は、10年間近く仮名草子研究から離れてしまった。これは、大きなロスになったと思う。そのまま仮名草子の研究を続けていれば、ライフワークの「如儡子の研究」は、もう纏まっていたものと思われる。自業自得である。
●『日記』全3巻が完結しても、世間からは、余り認めてはもらえなかった。昭和59年4月4日〜6日、ドナルド・キーン氏が『朝日新聞』の「百代の過客―日記にみる日本人―」で採り上げて下さり、少し知られるようになった。そして、平成11年1月18日、大学入試センター試験の本試験に出題されて、また、少し知られるようになった。平成19年1月2日〜3月4日、江戸東京博物館で開催された特別展「江戸城」には、昭和女子大学図書館所蔵の『井関隆子日記』の原本が展示されて、さらに世間に知られるようになった。





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