『仏のいのち 佐藤正眞老師 僧堂口宣集』
       田村寛三 編
平成19年5月10日、『仏のいのち 佐藤正眞老師 僧堂口宣集』刊行会発行。
(酒田市本町1−1−5)
B6判・186頁、1500円
      

目 次

佐藤正眞老師 肖像
佐藤正眞老師 略歴

佐藤正眞老師口宣集 序 ……………………………玉木芳宗老師…    1

先師の口宣集発刊に際して……………………………佐藤卓美………    4

原田門下伝承の口宣集出版を喜ぶ ……………………池田大忍…     6

ま え が き …………………………………………田村寛三…    14
禅匠佐藤正眞老師をしのんで …………………………田村寛三…    22


僧堂口宣集
      
一、活埋■ …………………………………………………………………  30
二、番ばらの平四郎 ………………………………………………………  32
三、線香と剃刀坐禅 ………………………………………………………  35
四、奕堂禅師と雲水 ………………………………………………………  36
五、越後の念仏農民 ………………………………………………………  39
六、香厳禅師の百計千謀の偈 ……………………………………………  40
七、幾たびか打著に逢うて ………………………………………………  42
八、柱時計のカッチン、カッチン ………………………………………  44
九、木葉念佛 ………………………………………………………………  47
十、大麦小麦二升五合 ……………………………………………………  49
十一、蒼龍の窟に下る ……………………………………………………  51
十二、無字の家に投げ入れて ……………………………………………  54
十三、四つめのマリで羅漢さんに ………………………………………  56
十四、信のちから …………………………………………………………  58
十五、鳥尾得庵中将の発心 ………………………………………………  59
十六、恵林寺の快川和尚 …………………………………………………  60
十七、青頭巾の老僧 ………………………………………………………  63
十八、砂のたとえ …………………………………………………………  67
十九、秉炬のはじまり ……………………………………………………  69
二十、一休禅師の逸話 ……………………………………………………  73
二十一、衣食の為に坐禅すべからず ……………………………………  77
二十二、万物即無 …………………………………………………………  81
二十三、道元禅師の元旦法語 ……………………………………………  82
二十四、みなこれ道の丸出し ……………………………………………  85
二十五、火の玉になって …………………………………………………  85
二十六、玉木祥通老師の降誕会法語 ……………………………………  86
二十七、宇宙いっぱいのバン ……………………………………………  87
二十八、無明の罪 …………………………………………………………  89
二十九、勇猛の衆生は成仏一念頭にあり ………………………………  92
三十、火を鑚るが如し ……………………………………………………  94
三十一、魔 境 ……………………………………………………………  96
三十二、大木を斧で伐るように …………………………………………  98
三十三、被毛戴角にして帰らん ………………………………………… 102
三十四、道は近きに存り ………………………………………………… 105
三十五、松に古今の色無し ……………………………………………… 109
三十六、如浄禅師の風鈴頌 ……………………………………………… 112
三十七、仏の種子を己れの腹田に植えよ ……………………………… 115

太祖瑩山禅師に学ぶ ……………………………………玉木祥通老師… 118

業障と本来空、坐禅修行 …………………………………田村寛三… 122

独参について ………………………………………………田村寛三… 153

あ と が き ……………………………………………田村寛三… 171

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十六、恵林寺の快川和尚

 名将、武田信玄の跡をついだ武田勝頼の天下無敵、勇猛果敢な騎馬軍団も、天正十年
(一五八二)三月十一日、織田信長の鉄砲戦術の前にあえなく一敗地にまみれた。そして
とうとう攻め滅ぼされた時、生き残った武田勢の一部は菩提寺である乾徳山恵林寺(一三
三〇年夢窓疎石国師によって開創された臨済宗妙心派の古刹である。今に残る庭は夢窓国
師の作)へ逃げこんだ。これを追ってきた信長は、かねて住持の快川和尚が傑僧であるこ
とを知っていて、武田兵を引き渡し、ぜひ自分に仕えるようにと申し入れた。これに対し
「佛につかえる者として、どうして衣の袖にすがってきた者を引き渡すことができようか」
と毅然とこれを一蹴した。
 怒った信長は直ちに恵林寺攻撃を命じた。快川和尚は火をかけられた恵林寺山門の楼上
に五十人もの弟子たちとともに閉じこもった。そして「お前たちが今まで修行に励んだの
は、今日のような生死の一大事に対処するためである。さあ、生死巌頭のこの場にのぞん
でさいごの一句を言ってみよ」と弟子たちに迫った。弟子たちが一人づつ末期の一句を言
い終わると、さいごに快川和尚は「安禅は必らずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火
もおのずから涼し」と静かに言い放った。この遺偈は、のちに慶長十一年(一六○六)徳
川家康によって再建された四脚門、赤門の山門の左右の柱に大きな聯としてかかげられて
いる。
 それから若い僧に「お前はここを脱して我等のさいごのありさまを後世に伝えるように」
と命じた。その間にも煙が入ってくる。僧は「泣く泣くその場を立ち去った(末宗和尚は、
のがれて那須の雲巌寺にひそみ、徳川家康に命じられて恵林寺を再興した。現在、開山堂
には夢窓国師、快川和尚、末宗和尚の三像が安置されている。)。その後一同で楞厳経を
誦した。煙は次第に部屋中に立ちこめる。山門にもすでに火がつき、燃えはじめている。
しかし誰一人として逃げようとするものはなく、端然と坐してお経を誦した。そのうち煙
にまかれて一人倒れ、二人倒れして、とうとうさいごの憎も倒れてしまった。こうして快
川和尚と五十人の弟子たちは壮絶な火定をとげた。
 不思議なことに、そのさいごの憎が誦しかけていたお経本の頁が開かれたまま焼け死ん
だ憎の腹の下に残っていて、ここまで誦されていた、とはっきりわかるという。
 恵林寺ゆかりのお寺さんでは今でも恵林寺焼失の日に楞厳経をみんなで誦するという。
さいごの経句に至ると、みな声をつまらせ号泣して終るという。佐藤正真老師も佛縁があっ
てその会座に参加して楞厳経を誦する機会を得た。さいごの経句に至ると恵林寺山門上の
壮絶な場面が彷彿として瞼に浮かび、思わず絶句して号泣した。並みいる憎はみなうつぶ
して泣いている。やがて号泣がやんで静かになる。だが憎たちはそのまま死んだように横
たわっている。まるで恵林寺山門上の悲劇を再現しているようだったと、話されたことが
あった。
 唐の詩人杜荀鶴の「夏日悟空上人の院に題す」の詩の中にも同じような句がある。
 「心頭を滅却すれば火もおのずから涼し」とは無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感
じられる。すなわちどんな苦難にあっても、その境涯を毅然して心頭にとどめなければ苦
難を感じないとの意である。
 火や煙に攻められるときは火や煙に成り切ればよい。寒熱の地獄をくぐる茶柄杓も心な
ければゴボゴボ……である。
 佐藤老師はこの句で、一番大事なところは「おのずから」だといわれた。火になりきれ
ば、火は火を感じるあたわじ、火もまたおのずから涼しいのである。もともと自己と境遇
は一つである。自己即境遇である。生死去来眞実人体、六道の間に生死去来する凡夫の身
が、そのまま永遠の法身である。刹那生死、刹那生滅ともいい、一瞬に生住滅を繰り返す
という。最近科学では物質素粒子が刹那生滅を繰り返していることを発見証明している。
毎日出る垢は小さな、なきがらである。さいごの死体はごとりと落ちた大きな垢である。
 逃げようと、自分と火とが二つになるから熱いのである。火と一つになれば寒熱を越え
て火そのものとなる。生死も同じで二つに見るから苦しく、悲しいのであり、生死と一つ
になれば何もないはずである。仏教では生死(呉音)と読む。生と死とをわけない。生死
とは梵語でサンサーラといい、流転とか迷いの意味を含む。
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佐藤正眞老師 略暦

昭和2年8月26日 山梨県西八代郡下部町に生れる。
  22年3月   福井県小浜市発心寺専門僧堂に安居。
          以後原田祖岳老師・原田雪水老師に参随。
  23年3月   酒田市永運寺住職佐藤源漲の室に入り嗣法。
  41年2月   酒田市永運寺住職に就任。永運寺滴心参禅会(毎週一、
          二回)、海晏寺参禅会(毎月一回)指導。
  47年4月   福島市好国寺専門僧堂単頭に就任。
  54年5月   好国寺専門僧堂師家・玉木祥通老師の室内の大事を了畢
          し、印可証明を受く。
  63年7月   曹洞宗師家拝命。好国寺専門僧堂師家に就任。
平成元年7月    永運寺住職を退任。
  3年3月    曹洞宗師家養成所講師に就任。
 16年8月30日 78歳、遷化。
平成2年より青森県七戸町瑞龍寺参禅道場に年1回、平成5年より東京都品
川区東照寺国際参禅道場に年2回、攝心会師家として定期的に、その他随所で参禅指導。
著書『正法眼蔵滴凍水』全五巻。

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あ と が き

 いまの我が国は行きすぎた資本而上主義のため、競争が激化し、閉鎖・格差社会をうみ
出し、混迷と不安におおわれている。いじめによる自死やトップ階級の犯罪が多いのも特
徴である。生命尊厳の理由がわからなくなり、人命の価値は唯、経済的、機械的な効用だ
けに求められるようになった、当然の結果かも知れない。
 では人命は地球よりも重い、とする考えは一体どこから来たものであろうか。この問い
に、私は仏教が一番適切な答えを持っていると思う。仏教は私達人間の内には無限絶対な
仏の生命が厳然と存在している、と高らかに宣言する。臨済禅師が「赤肉団上、一無位の
真人(仏)有り、常に汝等諸人の面門より出人す、未だ証拠せざる者は看よ看よ」と獅子
吼しているのはその端的である。尽十方世界真実人体、尽十方世界自己の光明(自己の全
体)も仏教の金言である。私が本書の出版を思い立った、一つの理由はここにある。
 今まであまり仏教書を読んだことのない人たちから何とか読んでもらいたい、というの
が念願である。"禅"の生の精神や空気に少しでも触れてもらおうと、あえてむづかしい"禅
語"を多く使用した。その代り禅語にはルビを振ったり、注釈をつけて、おのずから禅への
入門書になるようにした。禅はわからない、というが、頭でわかろうと思わないで、唯、
無心になって、頭をからっぽにして読めば、一カ所でも、なるほどとうなずく文章に必ず
行き当たるはずである。そこを手掛かりに何度でも読んでいただきたい。
 もともと禅は言葉や文章ではあらわせないものである。わからないのがあたりまえ、只、
一言でも心の琴線に触れるものがあれば、それを手がかりに読み進むことである。今、参
禅してる人、今まで仏教書をあまり読んだことのない人から入門書として読んでもらいた
い。一人でも多く"禅精神"を手に入れ、禅に親しんでいただきたい。不安なストレス社会
のこととて、心の安心を求めてあえいでいる人が多い。そうした人たちに、いやしや慰め
への具体的な入門、
手引書となることを心から願っている。
 本書にのせている道歌は飯田■隠老師の『禅友に与ふるの書』から引用したものが多い。
 私が生れて初めて発心寺の臘八大攝心に参加した時には、カルチュアショックの連続だっ
た。窓には外景が見えないように幕を張っており、話すことも、ものを読むことも、キョ
ロキョロとあたりを見回すことも禁じられ、ひたすら手を組み、自己の内心を見つめ(内
観)つづける。まさに攝心(心を攝める)である。驚いたことには午後十時やっと一日の
差定(日程)が終り、ヤレヤレと冷たい煎餅蒲団に、くるまっていると、同部屋の四人の
人は、蒲団はしくものの、間もなく部屋を出てゆく。やがて外から何名かのムーッ、ムー
ッ、という無字単提の声が聞こえてくる。蒲団は寒いし、朝三時には起床と考えると、目
がさえて、とても眠られない。
 三日目の朝の独参の時、雪水老師に「眠られなくて困っております」と訴えると「みん
なは不眠不休で坐禅しようと励んでいるが、睡魔におそわれて困っている。あなたは幸い
に眠れないとすれば、徹夜で夜坐(墓場などの外で坐禅すること。禅堂のうしろにムシロ
が置いてあり、坐蒲とムシロを持って行ってすわる。)をしなさい。」といわれた。たい
ていの人は一時頃に戻ってくるが、中には七日間、ぶっとうし徹宵夜坐するものもおった。
顔を見ればヒゲだらけで眼だけがギラギラ光っていた。私の前の単の名札には「愛宮居士」
と書いてあり、背の高い外人が坐っていた。あとで知ったことだがこの人こそ、エノミヤ
神父というドイツ人の神父さん(カソリックでは神父、プロテスタントでは牧師)で本格
的坐禅修行をした最初の神父である。のちに坐禅堂を開き、文殊大士の代りに石を置いた
伝説上の人物だった。夜の八時二十分からは坐禅が始まって間もなく禅堂内の窓を全部明
けるので雪が吹き込んでくる。そのうちカーンと鐘が一声鳴ると、しばらくはシーンとし
ているが、ムーッという、鋭どい、大声を合図に、全員がムーッ、ムーッと大声を出す。
それはライオンが吠えるようなすさまじさで、堂内がわれんばかりである。最初、私は何
が何だか訳がわからず、坐っていても尻が浮き上がって困った体験をした。この時間だけ
は声を出して単提してもよいのだった。夜の食事後、部屋で寝ていると、風向きの関係で
たまに小浜駅から女声アナウンスの声が聞こえてくると、煩悩の旧里は捨てがたく、思わ
ず涙があふれて枕をぬらした。
 今どき、こんな秋霜烈日なきびしい修行をする道場があるのか、と魂消た。
 しかし、この七日間の体験は私を一変させた。その後、私の念頭から「悟り」を求める
心が去ったことはない。
 尤も意志薄弱な私のこととて、あまり熱心でもなかったし他のことヘフラフラと、のめ
りこむことは日常茶飯事で、決して首尾一貫とはいえないけれども心の奥底には、ずっと
持続していたことは事実で、本人がいうのだからまちがいないトホホ(三十七、仏の種子
を己れの腹田に植えよ、参照)。ずっと後になってからのこと、ちょっとした宗教体験を
すると得々として佐藤老師に独参し、披露した。初めのうちは「それはよい体験だ」といっ
てくれたが、何度目かには「そんなものは私は毎日のようにしている。大悟底の体験でな
い限り、持ってくるな」と一蹴された。そして「こんなことをいえないようでは師家など、
やっておれんわい」と独りごとをいった。今にして思えば師匠がいつまでも悟りにこだわ
る私の高慢な鼻をへし折ってくれたのである。
 公案に汝が持っていれば与えよう。もし持っていなければ、取り上げようと、いうのが
ある。これを地で行ったような話がある。天理教のある信者が修行の旅に出ようとして師
匠にお別れの挨拶に伺った。裸一貫の乞食修行なので、お金は一銭も持たない。只、托鉢
のお椀だけは後生大事に持っていた。師匠はそのお椀と箸を取り上げて弟子の目の前で、
地面に投げつけて割ったという。さいごの妄執の一髪をも、もぎとられた。修行のきびし
さを物語るよい話である。禅にも「乞椀打破」がある。
 先の公案は本来、無一物なのだから、学人が何も持っておりません、というと、その持っ
ておりません、という妄見をも奪いとる(把住)。一方、私はいっぱい持っております、
という学人には、もともと私達は乾坤大地一箇の我れ、宇宙大なのだから、もっともっと、
といって宇宙大の自己なることを自覚させる(放行)のである。
 ――以後、省略――



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