『日本に引揚げた人々』

   高杉 志緒 著
 
          平成23年12月24日、図書出版のぶ工房発行
          A5判、222頁、定価1800円+税

 

日本に引揚げた人々  目次


『日本に引揚げた人々』の出版を喜ぶ ………………… 金子和正 … 001

「日本に引揚げた人々」――序にかえて ……………… 高杉志緒 … 008

  凡例 ……………………………………………………………………… 014


第T章 「京城」での暮らしと博多港引揚 ……………………………… 021
     ――森下昭子氏(旧姓 波多江)談話聞書

第U章 「満洲」から福岡ヘ――河野ナ氏談話聞書 …………………… 045

第V章 MRUの思い出――岩永知勝氏談話聞書 ……………………… 103

第W章 「京城日赤」と引揚医療――村石正子氏(旧姓 木村)
     談話聞書 ………………………………………………………… 125

第V章 「博多港引揚援護局 聖福寮」の思い出
     ――内山和子氏談話聞書 ……………………………………… 171

謝辞・初出一覧――あとがきにかえて ………………… 高杉志緒 … 202

英文要旨 ………………………………………… 英訳 David Kalischer 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
高杉志緒(たかすぎ しお)

本籍 山口県。福岡市在住。
学習院大学哲学科卒業、修士(哲学、同大学大学院)。
文学博士(福岡大学大学院)。現在、下関短期大学准教授。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


『日本に引揚げた人々』の出版を喜ぶ
                           金子和正


 「外地」(海外)で営々と築き上げた生活の基盤をすべて失い、僅かな身の周りのも
のを待って祖国に帰ってきたものの、家もなく、職もない。引揚後はどうすればよいの
か。多くの引揚者にとっては困惑と絶望的な日々でした。それは、私の家族においても
変わりませんでした。
 「外地」で育ち、博多港に引揚げてきた体験者ということで、紙面をいただき少しば
かり私(金子和正)の思い出をお話ししてみたいと思います。
 私は上海で生まれ育ち、昭和二十一年四月六日、博多港に上陸しました。十七歳の時
です。
 その前年の昭和二十年、私は学徒動員で上海市内楊樹浦路にある軍需工場(戦時中、
日本側が中国の紡績工場を接収使用していました。大きな紡績用の機械が止まったまま
になっているのを見たことがあります。)で手榴弾などを作っていました。八月十三日
の朝だったでしょうか、突如、「直ぐに寝具や手回りの荷物をまとめて帰宅し、指示が
あるまで自宅で待機せよ」との命令がありました。工場の倉庫を改造した宿舎に泊まり
込みの私たちは わけがわからぬままに急遽荷物を纏め、トラックに乗って帰宅したの
ですが、何の指示も無く待機するうちに、十五日に終戦の玉音放送を聴いたのです。 
日本からの中継ですから雑音がひどく、よく聞きとれませんでした。
 終戦直後の上海の様子については、内山完造『花甲録』(岩波書店、昭和三十五年)
に詳細に記されていますので、それをご覧頂くことにして、何よりも一般在留邦人に
とっての重大事は、もう上海にはおれなくなるのだ、ということでした。引揚はいつに
なるだろうか。乗船通知は配船予定が確定せず、決まり次第通報があるというのです。
 私たちは昭和二十一年四月一日午後四時頃、「明朝四時に集結せよ」との通知を受け
ました。この日は徹夜の荷作りでした。携帯荷物は一人につき、「金一千円、衣類三十
キロ、夜具上下二枚、食器台所用具一式、手廻り品は持てるだけ」ですから違反しない
よう注意が必要です。
 翌二日午前四時、旧皇軍休憩所広場に集結、トラックに乗せられて旧上海市政府跡の
広場に向かいました。八時頃到着、十時頃より携帯荷物の検査。厳重な検査を覚悟して
いましたが、検査官は荷物には手もふれず、身体検査も形式的に行っただけでした。午
後四時乗船、この船はLSTと称される米軍の上陸用舟艇で、収容力は約一千二百人。
引揚者は全員梯子で船底までおりてゆき、船底に詰め込まれたのです。その晩はそのま
ま碇泊、着の身着のまま荷物にもたれて寝ました。
 翌三日午前八時出港。船底ですから温・湿度が高く、携帯の弁当が腐れはじめました。
四日・五日は平穏無事でしたが、対馬海峡に入った六日の午前八時頃でしたか、左舷約
百メートルのところに機雷が浮遊しているのです。暫くして又機雷、船内は恐怖と緊張
に包まれました。
 四月六日、午後二時ごろ博多港に着岸。それまでは海の色など見る余裕も無かったの
ですが、改めて海を見たときは驚きました。青く澄み切っているのです。上海の揚子江、
黄浦江の褐色に濁った流れしか知らない私は、海の色に驚き、その美しく青い海をデッ
キの上から飽きずに眺めたことでした。
 いよいよ下船です。夫々三十キロ入りの大きなリュックサックを背負い、両手には食
料(米や砂糖・塩など)を入れた大きな手提げを持って、桟橋を下りるのですが、上陸
した途端、DDTを身体に振りかけられ、左手の甲に消毒済みの紫色のスタンプをポン
と押されたのです。この紫色は、上海の市場で豚の足に押されていた色と同じではあり
ませんか。この時はじめて「ああ、俺は敗戦国の人間なのだ」という実感がわいてきま
した。
 博多港には、一般邦人・軍人・軍属、併せて約百三十九万人の引揚者が上陸したと聞
きますから、恐らく百三十九万通りの引揚体験があることでしょう。本書は、「辛い体
験はもう思い出したくない」と多く辞退される中に、聞き書きに応じて下さった方々の
貴重な記録であると思います。
 聞き書きは、ただ聞き取った話をそのまま書けばそれでよいというのではありません。
切れ切れに語られた話を、主観を交えず話者の言葉で復元せねばならないのです。また、
語られた事跡と年月については年表やその他の資料で確認し、語中に現れた人物につい
ても知っておく必要があるはずです。従って、編集作業を進めてゆくには、強い忍耐力、
それにもまして話者に対する深い愛がなければできないと思うのです。
換言すれば、本書は、引揚者の体験談を中心にした戦後の混乱期の一面を窺う得難い資
料集というべきものでありましょう。著者高杉志緒さんは本務ご多忙の中を長年にわ
たってこの問題に取り組み、積極的に『西日本文化』或いは『下関短期大学紀要』に発
表されておりますが、このたび未発表のものも含めて、『日本に引揚げた人々』と題し
て一冊にまとめ、いよいよ出版の運びとなりました。誠  に嬉しく慶賀にたえません。
心よりお喜びを申し上げる次第です。

 平成二十三年(二〇一一)八月六日

      (かねこ かずまさ・元天理大学附属天理図書館貴重書部長)



新刊案内(近世文学・その他)に戻る
はじめに戻る