『古典にみる日本人の生と死 いのちへの旅』
     明治大学人文科学研究所叢書

     原 道生・金山秋男・居駒永幸 共著
   
 
            2013年5月15日、笠間書院発行
            A5判、450頁、定価3800円+税

 
  目   次

はじめに ………………………………………………………… 金山秋男  i


 生と死の古代                     居駒永幸

    はじめに ――生と死の境界―― …………………………    2

第1章 生と死の起源神話 ……………………………………………    7

    はじめに 7
    一 黄泉国神話と邇々芸命婚姻神話 8
    二 アメワカヒコの葬儀と遊部 22
    結び 35

第2章 敗死する皇子と歌 ……………………………………………   37

    はじめに 37
    一 倭建命 38
    二 忍熊王 44
    三 大山守命 48
    四 軽太子と軽大郎女 53
    結び 58

第3章	死者の歌の発生 ………………………………………………   60

    はじめに 60
    一 倭建命の大御葬歌 61
    二 奄美沖縄の葬歌 68
    結び 77

第4章 挽歌と境界表現 ………………………………………………   78

    はじめに 78
    一 建王の悲傷歌 79
    二 天智挽歌 85
    三 人麻呂の泣血哀慟歌 91
    四 尼理願の挽歌 99
    結び 110

第4章	古代的「命」への視座――「命の全けむ人は」の歌―― 
          ……………………………………………………  112

    はじめに 112
    一 思国歌の「命」 113
    二 「命の全けむ人は」の意味 117
    三 万葉歌の「命/またし」 119
    結び 125

  おわりに――古代文学の死生観―― …………………………  126


 「身替り」劇をめぐっての試論             原  道生
   ――逆説的な「生」の意義づけ――

    はじめに――「身替りの贋首」―― ……………………  132

第1章	「贋首」の計成立の前提 …………………………………  136
      ――「生き顔と死に顔は相好の変はるもの」―― 

第2章 「身替りの論理」の発見 …………………………………  146

    一 「身替りの論理」とは――意図と結果の有機的結合 146
    二 三段階の展開――近世演劇への道程 149

第3章 生け贅としての身替り――記紀の挿話から―― ………  151

第4章 神仏による身替り――利生霊験譚の流れ―― …………  156

    一 説経節・初期浄瑠璃 156
    二 加賀掾・角太夫 172
    三 元禄期の近松――浄瑠璃と歌舞伎 182
    四 紀海音 201

第5章 弱者の果たす身替り――現世の人間関係の中で―― …  209

    一 中世的源流 209
    二 浄瑠璃の継承――初期の諸作 229
    三 身替り劇の開花――宝永期以降の近松 259

おわりに ……………………………………………………………  303


生死解脱の諸相                 金山秋男

    はじめに――日本人の死生観―― ………………………  308

第1章 色空不二 ……………………………………………………  314

    一 無門 314
    二 掃蕩門 325
    三 扶起門 332

第2章 身心脱落、脱落身心―― 道元 …………………………  341

第3章 空即是色の美学 ………………………………………………  367

    一 世阿弥 373
    二 芭蕉 378

第4章 遊行と放浪 ……………………………………………………  386

    一 一遍 386
    二 放哉 405

第5章 意識という不幸――漱石の苦闘 ……………………………  422

おわりに――いのちへの旅―― ……………………………………  445

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はじめに

 「いのち」ということばが私たちに想起させる内容は、半世紀前のものとは余りにも異ったものになってきている。
 それは、人間の生老病死が、私たちの日常生活において、益々見えにくくなってきているからである。それと平行して、いのちへの畏敬や共感も同様に失われてしまっている。
 いのちへの畏れや共感というものは、言うまでもなく、道徳や思想といった時代的表層というより、日々の生活に根差した習俗として継承され、共有されていくものである。
 どのような社会にも、そこにはなんらかの枠(規範)があるのと同様に、文化にも型というものがある。文化としての生老病死が失われたとすれば、その文化の生老病死の型が失われたからにほかならない。
 たとえば、死には死にまつわる文化の型があり、それが葬礼や法要やその型特有の墓制を生み出してきたのである。だから、その型が失われることは、死が文化として消えていくことであり、それはとりもなおさず、私たちが死を了解し、受け入れ、死と和解する手立てを失ったことを意味する。
 古来、日本人は相次ぐ艱難の中でもどうしてあのように強く生き、従容として死んでいけたのだろうか。そこには文化としての生老病死が脈々と継承されていたからにちがいない。
 自己中心的で物質万能の今日では、いのちは、自分のものであり、勝手に処分できるものでしかない。
 他方、伝統や文化が共有されていた時代には、いのちは自己を超え、他者とつらなり、万物に開かれていたといってよい。
 そのいのちの暖かさや哀しさやなつかしさを体得するには、人が生まれ、老い、病み、そして死んでいく現場に立ち合い、共体験するに若くはない。なぜなら、そこには必ず生老病死をめぐることばや仕来り、儀礼や信仰があり、それらが文化として継承されて来たにすぎない。
 本書は、いのちへの遡行を通して、文化・型の発生のメカニズムを見極めようとする三人の学徒の熱意から生まれた共同研究の成果である。
 居駒永幸は、『万葉集』や記紀神話などの古代文学のみならず、沖縄の神歌などを研究する気鋭の学究の徒だが、本書では日本人独得の死生観や霊魂観がどのような儀礼を生み、かつ葬歌や挽歌を生んだかを洞察している。
 原道生は、近松門左衛門の人形浄瑠璃を中心に据えた近世演劇研究の泰斗だが、本書ではいわゆる「身替り」劇に焦点を絞り、その類型の多様さやその発展過程を考察するとともに、他者の代りに死ぬということがどのような意味を持ち、逆説的な「生」の意味づけをなしえたかを考究している。
 金山秋男は、道元や親鸞や一遍の研究から入り、次第に日本人の死生観や宇宙観を中心にした死生学を追求してきたが、本書では幾人かの宗教者、芸能者や文人の生死解説の諸相を見極めようとしている。
 以上のように、明治大学人文科学研究所の総合研究の成果として刊行される本書は、それぞれの文学、芸能、宗教の観点からいのちというこの不可思議な現象を凝視することで、文明の発展の中で生と死をめぐる文化を見失いつつある現代人に、かつての豊かな視座の回復を目指すものである。
 従って、本書はあくまで研究書でありつつも、できるだけ多くの人に読んでいただきたいという思いから、注を除き、表現を易しくするなど、一般書に近いスタイルをとるに至った。
 本総合研究に研究費と成果刊行費の助成をあおいだ明治大学人文科学研究所に感謝申し上げる。
 また、刊行に際して、無理難題を辛抱強くお聞き入れ下さった笠間書院の重光徹氏にも心よりお礼申し上げたい。
    二〇一三年三月吉日
                                   金山秋男
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著者 
    
原 道生(はら みちお)
明治大学名誉教授。 1936年東京都生まれ。東京大学大学院博士課
程中退(単位取得)。著書に『近松門左衛門』新潮社、『近松集』尚学
図書。共編著に『日本文芸史―表現の流れ―近世』河出書房新社、
『近松浄瑠璃集 上・下』岩波書店など。

金山秋男(かねやま あきお)
明治大学教授。死生学・基層文化研究所代表。 1948年栃木県生ま
れ。東京大学大学院博士課程修了。著書に『歎異抄』致知出版、
『「生と死」の図像学』至文堂、『巡礼―その世界』風間書房、『人はな
ぜ旅に出るのか』風間書房、『生と死の東西文化史』方丈堂出版な
ど。

居駒永幸(いこま ながゆき)
明治大学教授。 1951年山形県生まれ。國學院大學大学院博士課程
修了。著書に『古代の歌と叙事文芸史』笠間書院、『東北文芸のフォ
ークロア』みちのく書房、共編著に『日本書紀[歌]全注釈』笠間
書院など。                    




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