鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(8)


                      深沢 秋男
                      菅野 貴子

鈴木重嶺関係資料は、これまで7回にわたって紹介してきた。今回は、その後調査することが出来たものを紹介したいと思う。今回紹介する資料は、深沢秋男所蔵のものである。配列は、年代順にしたが、厳密ではない。今後も追加されるものと思われるので、その都度紹介したい。

 1、類題武蔵野集 二編
中本、版本、上下2冊、縦一八一ミリ×横一二八ミリ。灰白色布目原表紙。左肩に四周無郭の肌色原題簽「類題武蔵野集 二編 上(下)」。上巻の前見返しに「仲田顕忠大人輯/類題武蔵野集 二編/蓬園社中蔵板」。序は2丁分あるが序題は無い。序の末に「藤原朝臣正典主」とあり、単線で囲む。下巻最終丁ウに跋があり、その末に「江戸浅草堂前善徳寺向仲田氏」とある。内題「武蔵野集二編上(下)」。尾題無し。匡郭無し。柱刻無し。丁付は各丁ウのノドに「二春 一(〜廿三)」
「二夏 一(〜十五)」「二秋 一(〜十九)」「二冬 一(〜十四)」(以上、上巻)、「二恋 一(〜十二)」「二雑 一(〜廿二)」(以上、下巻)。下巻、巻末の「武蔵野集二編作者姓名録」は、四周単辺で柱刻は「武蔵野集次編姓名録 ○一(二)」「武蔵野集二編姓名録 ○三(〜十一)」。上巻=73丁、内、序2丁、下巻=45丁、内、姓名録10丁半、跋半丁。序=毎半葉6行、本文=毎半葉10行、姓名録=毎半葉8行、跋=9行。下巻後見返しに刊記がある。「安政四丁巳年八月/発行/書肆/京寺町通松原/勝村治右衛門/大坂心斎橋北久太郎町/河内屋喜兵衛/江戸日本橋通二丁目/山城屋佐兵衛」。蔵書印、各巻1丁オに「熊谷蔵本」の縦長方形黒印、各巻最終丁に「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。上巻の春18丁目に、秋15丁が入っている(春18丁は落丁、秋15丁は重複)。
春5丁ウに「雨中鶯/おなしくはぬるとも花のかけにとや雨の日くらしうくひすの鳴 穂積重嶺」
春6丁ウに「鶯老 水にすむかはつに春やゆつるらん花に鳴鳥こゑおひにけり 重嶺」
春7オに「余寒/又さらにむすほゝれてもみゆるかなては霜に水はこほりに 重嶺」
春8オに「梅花 帯雨 はる雨や霞のまよりそゝくらん梅の花かさしつくおつなり 重嶺」
夏10オに「月前蛍 なか??にものゝかけにはあらはれて月にかくるゝ夜はのほたるか 重嶺」
冬9オに「雪後月 ふりやむを□にかをしみし晴てこそ雪をもてらせ山端の月 重嶺」
冬14オに「山家歳暮 こむ春のまうけたにせぬ山里は年をゝしむと人やみるらん 重嶺」
恋7ウに「逢後増恋/逢坂はこえさらましを思ふこといとゝましみつありとしりせは 重嶺」
恋8ウに「夏恋 夏川におふるうきもの花みてもよるへをなみにぬれぬ日そなき 重嶺」
雑6オに「幽栖思友 つひにさは世をそむかんといひし人いかゝはしけん音つれもせぬ 重嶺」
雑7ウに「山家送年 山里もしる人おほくなりにけりいまはいつくに身をかくさまし 重嶺」
雑9オに「羇中晩風 旅衣うら悲しかるゆふくれにかたのまよひをふくあらしかな 重嶺」  
「武蔵野集二編姓名録」の「シ」の項に「重嶺 鈴木大之進」とある。

 2、松の言の葉
半紙本、版本、1冊、縦二二六ミリ×横一五四ミリ。灰白色布目原表紙。中央上部に四周単辺の原題簽「松の言の葉 全」。前見返しに「松の言の葉」。序は2丁あるが序題は無い。自序の末に「かくいふは明治十二年といふとしの五月わたらひのいすゝの川のへにすめる植松有園」とある。3丁目に序があり、その末に「以撰序。明治己卯中秋前一日。/梅邨之田哲(印)(印)」とある。内題は「寄松祝」と本文1丁オにある。巻末に跋1丁あり。跋の末に「明治十二年五月 田しろ邨の松園羅恵」とある。本文は四周単辺、毎半葉14行、丁付は各丁ウのノドに「松第一(〜十四)」とある。全18丁、内序3丁、跋1丁。蔵書印、「小出彦太郎章」の円形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
2丁オに「鈴木従五位重嶺/なからへて君こそはみめ曳うゑしやとの小まつの千世のおひ末」とある。

 3、汀の玉藻
半紙本、版本、本文は洋活字、1冊、縦二〇四ミリ×横一四〇ミリ。灰白色布目原表紙。左肩に無辺の躑躅色原題簽「み芸はの玉藻」。前見返しに「明治十八年三月刊行/汀のたま藻/大川氏蔵「是胤之印」(朱印)」。1丁序があり、序題は無く、序の末に「明治十あまり八とせといふ年一月はつかあまりやをかの日東京下谷ひと小中村清矩しるす」とある。丁付無界の柱部の下部に「一(〜廿二)」とある。全23丁、内序1丁。序は半葉10行、本文は毎半葉13行。後見返しに紙片貼付「大川宗炳/静岡安西壱丁目南裏町」とある。蔵書印、「よしたね」の円形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
1丁ウに「なからへて限りしられぬ齢ひこそふしてふ川のたくひなるらめ 従五位 鈴木重嶺」
【参考】6丁ウに、鹿島則文と鹿島則孝の歌あり。
「くめと??尽せぬふしの川水と君かよはひは限りしられす 伊勢国 正七位 鹿嶋則文」「名にしおふ大川波のなみこえて君か齢は千世やへぬらん 則文父 七十三翁 鹿嶋則孝」

 4、現今自筆百人一首 
大本、版本、1冊、玉詠者居住地目録・奥付は洋活、縦二二七ミリ×横一六五ミリ。灰白色原表紙。左肩に子持枠原題簽「現今自筆百人一首/網野延平編/全」。前見返は菜の花色で「網野延平編/現今自筆百人一首/版権免許 (朱印)」。1丁序があり、序題は無く、序の末に「明治十九年九月五日 網野延平」とある。丁付は本文の版心部の下部に「一(〜五十)」とあり、玉詠者居住地目録・奥付の版心は、上部に魚尾、下部に「五十二(〜五十四)」とある。全54丁、内序1丁、本文50丁、居住地目録2丁、奥付1丁。序は半葉8行、本文は毎半葉ごとに一人の歌人の歌を自筆で収録。奥付は54丁目に「明治十九年十月二日/版権免許/○上等製本彩色入奉書摺 全一冊 定価金七十五銭/○中等製白紙印刷仕立 全一冊 定価金五十銭/編輯兼出版人 日本橋区蠣売町弐丁目拾五番地 網野延平」他に、製本兼販売所、売捌所など記載。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
15丁オに「重嶺/寄蛍恋/ほたるたにひるは/もえぬを君をわか/おもひはよるに/かきらさり/けり」。巻末の玉詠者居住地目録には「重嶺 従五位 鈴木 牛込区神楽町弐丁目拾七番地」とある。

 5、江戸会誌 第一巻第一号
A5判、1冊。編輯人 小宮山綏介、発行所 博文館。第1巻第1号、明治二十二年八月廿六日発行。80頁。巻頭に祝詞として、勝安房・鈴木重嶺・佐々木弘綱の歌を掲載する。
「鈴木重嶺/思ひおこす人しあらすは大江門の/むかしのさまをたれかしるへき」

 6、花園
中本、縦一九〇ミリ×横一二七ミリ。洋活の短歌雑誌。明治二十七年(第1号)〜明治二十九年(第28号)、発行兼編輯人、広島県備後国御調郡尾道町字十四日五十五番邸、宮地保義。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
○  第4号、明治27年8月25日発行
「鈴木重嶺/楠木正行母/母そはのかけにおひたつ橘の若木のはなも世かをりつゝ」 
○第5号、明治27年9月25日発行
「鈴木重嶺/無常/あはれ世はかくこそありけれ咲花も散ての後は水のうたかた」 
○第9号、明治28年1月25日発行
「鈴木重嶺/江秋霜/浪風も奈古の入江は秋ふけて蘆のうら葉にしもそ見えける」 
○第15号、明治28年7月25日発行
「従五位 鈴木重嶺/垣夕顔/なかかきの内に匂へと見る人の心へたてぬはなのゆふかほ」 
○第17号、明治28年9月25日発行
「鈴木重嶺/苔径月/露むすふ苔路をゆけは照月のたまなす影をふむそかしこき」 
○第19号、明治28年11月25日発行
「従五位 鈴木重嶺/夜千鳥/真かね路の音静まりて竹芝の浦わまちかく小夜ちとりなく」 
「宮地景義還暦の賀におくりこされし和歌/今年生のこまつを庭にひきうゑて千年へぬへき友とせよ君 従五位 鈴木重嶺」

 7、海野の花
中本、縦一八七ミリ×横一四〇ミリ。洋活の短歌集。薄香色原表紙。中央上部に無界の原題簽「海野の花」。前見返しに、子持枠の中に「点者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/橋村淳風大人/編者 石和長麿/海野の花/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に1丁分、師岡正胤の「海野の花を見て」がある。内題「海野廼花」。尾題無し。丁付は版心の下部に「一(〜十九)」。全20丁、内序1丁。本文は子持枠・毎半葉12行。奥付は後見返しに「明治廿九年一月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1丁オに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 立春山」十番を収録。本文16丁オに「鈴木重嶺大人撰」として「点競 曙鶯」を収録。

 8、海野の花 第二輯
中本、縦一八六ミリ×横一三五ミリ。洋活の短歌集。薄香色原表紙。中央上部に無界の原題簽「海野の花」。前見返しに、子持枠の中に「点者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/橋村淳風大人/編者 石和長麿/海野の花/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に2丁分、従四位男爵津守国美の「海野の花を見て」、従五位男爵沢田泰国の「海野の花てふ文を見て」がある。内題「海野廼花 第二輯」。尾題「海野の花第二輯終」。丁付は版心の下部に「一(〜四・九・十・七・八・九・十〜二十)」。全22丁、内序2丁。丁付に乱れがあるが落丁ではないようである。本文は子持枠・毎半葉12行。奥付は後見返しに「明治廿九年九月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文12丁ウに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 渡夕立」八番を収録。

 9、海野の玉 初篇
中本、縦一八七ミリ×横一三三ミリ。洋活の短歌集。枯色原表紙。左肩に無界の原題簽「海野の玉 初篇」。前見返しに、子持枠の中に「撰者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/橋村淳風大人/編者 石和長麿/海野の玉/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に2丁分、従五位諏訪忠元の「歌者和心」がある。内題「海野の玉 初編」。尾題「海野の玉初編 終」。丁付は版心の下部に「一(〜丗六)」。全39丁、内序2丁、凡例1丁。本文は子持枠・毎半葉8行。凡例に「一 本集は出詠者の和歌を匿名にて毎月点者の撰択批評を乞ひ来りし明治廿九年一月より六月迄の集歌を一巻に編輯せしなり……/明治廿九年十月 編者謹識」等とある。奥付は後見返しに「明治廿九年十一月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文12丁ウに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 春祝」十八番を収録。
本文19丁ウに「鈴木重嶺大人撰」とあり、「首 夏山 秀逸」など、23丁オまで短歌を収録。

 10、海野の玉 二篇
中本、縦一八七ミリ×横一三三ミリ。洋活の短歌集。枯色原表紙。左肩に無界の原題簽「海野の玉 二篇」。前見返しに、子持枠の中に「撰者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/橋村淳風大人/編者 石和長麿/海野の玉/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に3丁分、従五位勲四等高崎親章の「明珠揚光」、正七位石川昌三郎の「海野の玉といふ謌ふみを見て」がある。内題「海野の玉 弐編」。尾題無し。丁付は版心の下部に「一(〜丗八)」。全42丁、内序3丁、凡例1丁。本文は子持枠・毎半葉8行。凡例に「一 本集は出詠者の和歌を匿名にて毎月点者の撰択批評を乞ひ来りし明治廿九年七月より十二月迄の集歌を一巻に編輯せし也……/明治三十年三月 編者謹識」等とある。奥付は後見返しに「明治三十年四月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1丁オに「鈴木重嶺大人撰」とあり、「立秋露 秀詠」等とあり、4丁ウまで短歌を収録。
本文20丁オに「鈴木重嶺大人撰」とあり、「朝時雨 秀詠」等とあり、22丁オまで短歌を収録。
本文33丁オに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 冬祝」十六番を収録。

 11、海野の玉 三篇
中本、縦一八六ミリ×横一三三ミリ。洋活の短歌集。枯色原表紙。左肩に無界の原題簽「海野の玉 三篇」。前見返しに、子持枠の中に「撰者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/鈴木弘恭大人/橋村淳風大人/鶴久子大人/海野の玉/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に2丁分、従三位子爵前田利鬯の題歌「ひろひえし海野ゝ玉はなかく世にもてはやさるゝ宝なりけり」、従七位宇高正郎の「海野の玉てふ冊子に」がある。内題「海野の玉 参編」。尾題無し。丁付は版心の下部に「一(〜五十一)」。全54丁、内序2丁、凡例1丁。本文は子持枠・毎半葉8行。凡例に「一 本集は出詠者の和歌を匿名にて毎月点者の撰択批評を乞ひ来りし明治三十年一月より六月迄の集歌を一巻に編輯せし也……/明治三十年八月 編者 石和長麿謹識」等とある。奥付は後見返しに「明治三十年八月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文27丁オに「鈴木重嶺大人撰」とあり、「庭新樹 秀詠」等とあり、30ウまで短歌を収録。
本文44丁オに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 独聞時鳥」廿七番を収録。

 12、海野の玉 四篇
中本、縦一八六ミリ×横一三三ミリ。洋活の短歌集。枯色原表紙。左肩に無界の原題簽「海野の玉 四篇」。前見返しに、子持枠の中に「撰者/鈴木重嶺大人/橘道守大人/師岡正胤大人/橋村淳風大人/鈴木弘恭大人/鶴久子大人/編者 石和長麻呂/海野の玉/信濃 磐廼舎出版」とある。巻頭に1丁分、岩本尚賢の「海野の玉といふ歌集のはしに」がある。内題「海野の玉 四編」。尾題無し。丁付は版心の下部に「一(〜四十)」。全42丁、内序1丁、凡例1丁。本文は子持枠・毎半葉8行。凡例に「一 本集は出詠者の和歌を匿名にて毎月点者の撰択批評を乞ひ来りし明治三十年七月より十二月迄の集歌を一巻に編輯せし也……/明治丗一年五月 編者 石和長麿謹識」等とある。奥付は後見返しに「明治三十一年七月 日発行(非売品)/編輯兼発行人 石和長麿/長野県小県郡県村海野三百四十七番地……発行所 磐廼舎/長野県小県郡県村海野三百四十七番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文12丁オに「鈴木重嶺大人撰」とあり、「隣擣衣 秀詠」等とあり、14ウまで短歌を収録。
本文34丁ウに「鈴木重嶺大人判」とあり、「歌合 雪中訪人」廿一番を収録。

 13、千代の山松
大本、洋活字本、1冊、縦二二九ミリ×横一五五ミリ。黄蘖色原表紙。中央に無界の原題簽「千代の山松」。巻頭に日向七郎平の肖像写真と歌がある。内題「千代の山松」本文は子持枠で毎半葉15行、丁付は本文の版心部の下部に「一(〜廿五)」とある。全25丁。奥付は後見返しに「明治二十九年八月十五日発行(非売品)/編輯者 島田加茂/原籍茨城県真壁郡新治村大字横塚丗六番地/寄留栃木県宇都宮市伝馬町二十五番地/発行人 日向小次郎/茨城県真壁郡新治村大字横塚十六番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1丁オに「日向七郎平七十賀歌/寄松祝/東京/百年に三十とせたらぬ庭の松のこる千年そ久しかりける 従五位 鈴木重嶺 八十三」

 14、三津之長目
中本、縦一八五ミリ×横一二五ミリ。洋活の短歌追悼集。灰白色原表紙。中央上部に直接「三津之長目」と印刷。巻頭に水浅葱色の1丁に、「雅人□致/従四位子爵大田原一清」とある。内題「三津之長目」。尾題無し。頁付は小口の下部に「一(〜六十六)」。全66頁。本文は無界で毎頁17行。奥付は66頁に「明治廿九年十月廿三日発行〔非売品〕/発行者 石川彦七/愛知県宝飯郡御馬村九拾三番戸」等とある。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形黒印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1頁に「石川祚興翁追悼集/春季混題/散はてしはなをみるにも長かれとおもひし君のしのはるゝ哉 従五位 鈴木重嶺/八十二」
本文21頁に「石川信栄還暦賀集/ことし生のこまつを庭に引植てちとせへぬへき友とせよきみ 従五位 重嶺/八十二」

 15、松の五百枝
大本、洋活字本、1冊、縦二二一ミリ×横一五〇ミリ。白色原表紙。中央に直接「松の五百枝」と印刷。巻頭に大蔵の朝臣直茂の「松の五百枝はしかき」がある。内題「松井重義八十歳寿賀」本文は子持枠で毎頁14行、頁付は本文の小口の下部に「○一(〜○二十六)」とある。全28頁、内はしがき2頁、略伝1頁、奥付1頁。奥付は26頁に「明治三十年八月廿八日発行(非売品)/編輯者兼発行者 松井要太郎/愛知県北設楽郡仮嶺村大字豊邦弐番戸」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1頁に「昔しよりいひなりたれとちよふへき松にたくへて君をことほく 従五位 鈴木重嶺/八十四翁」

 16、述懐百人一首
中本、版本、1冊、縦一九五ミリ×横一三六ミリ。水色原表紙。中央を白抜きにして直接「述懐百人一首/附明治三十六歌仙」と印刷。巻頭に4丁の序あり。「永懐以慰其心/明治三十年六月下浣/梅閣」「教草実のなる御代にさき□□てかをりことなることの葉のはる/きみ子」「百人一首の出てきたるとき詠める 宣/みやひをか花と匂へる言の葉を□□つとひして見るそうれしき」「海老沢千種二人の吾兄の撰出侍るこの述懐百首は……涛園主人勲」続いて自序1丁あり、その末に「明治三十年長月の末つかた 波延舎重信誌す」とある。続く2丁に「江刺恒久翁撰/明治三拾六歌仙/□園主人」「六歌仙秀逸天位 岩代国佐藤由衛君/六歌仙秀逸地位 上野国大野寛蔭君/六歌仙秀逸人位 下総国遠藤国香君」とある。尾題「明治風調 述懐百人一首/附明治三十六歌仙 終」。丁付は無し。全19丁、内、序4丁、自序1丁、六歌仙、天地人2丁。序・本文とも子持枠で、本文は毎半葉12行。10丁目から「明治風調述懐百人一首」となっている。奥付は後見返しに「仝(明治三十)年仝(十)月 日発行 実価金拾六銭/催主 海老沢宣/茨城県東茨城郡堅倉村大字鶴田/編纂兼発行者 千種重信/茨城県水戸市大字下市七軒町/発行所 波廼舎/右仝
所」等とある。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形黒印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文11丁オに「仝(東京) 従五位 八十四翁 鈴木重嶺/雪のう□に道しるへせし□るもあらす老てかひなき我やなになり」

 17、言葉のはやし 第二巻第三号
A5判、洋活短歌雑誌、1冊。発行兼編輯人 添田光世、発行所 東京歌道会。第2巻第3号、明治三十四年一月三十日発行。72頁。巻頭に「東京歌道会規約」があり、名誉会友には、久我建通・水野忠敬・井上頼圀・佐々木信綱・小出粲・三田葆光等が名を連ねている。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文18頁に「故 鈴木重嶺/
百日紅/夏深くなるにまかせてさるなめり なれにまさらむ花もなきかな
月/国はらにみちたるのみか久かたの 空もせはしとすめる月かけ
菊盛久/大かたの盛はやかてうつろふを 世に菊はかり久しきはなし
ある日静子ぬしを家にとひて/このめひく音もきこえて静けきぬ 松ふく風のたえま??に」
幸逢太平代/嬉しくも老くたつ身はかく斗 ひらけし御代に逢ひにける哉
本文27頁に「詠史清渚集(承前)/故 鈴木重嶺編/磯部最信/弟橘姫命/橘のみはあら浪にしつめとも あつまてふ名は世に匂ひけり……重嶺/衣通姫/姉川の水のこゝろはゝかれとや やなきになひく天つ風には/……重嶺/清寧天皇/みめくみのあまねからすはあかし潟 ふたつの玉のみ子は得まし」

 18、明治五百人一首 初編
中本、版本、1冊、縦一八五ミリ×横一二四ミリ。肌色布目原表紙。左肩に四周双辺の紅色原題簽「明治五百人一首 初編 全」。前見返しは紅色紙に「中邨良顕大人校閲/弾舜平琴緒編輯/明治五百人一首 初編/桐園蔵梓」。序は初めの2丁に「妙言無古今/明治庚寅初春/□重□題」とあり、続く2丁の叙の末に「しき嶋のやまとにしきはあめの下おもふはかりのそてとなれかし/常陸の久米幹文」とある。内題「明治五百人一首 短冊帖の歌」、尾題無し。四周単辺、柱刻は、「一(〜四)」(序)「春(夏・秋・冬・恋・雑・広告) 一(〜三十九)」。全43丁、内序4丁、広告1丁。本文は毎半葉14行。38丁ウに「通計 人員五百名 内 四百七拾弐名男子/二拾八名婦人/歌数五百首/春部 百〇五首/夏部 六十六首/秋部 九十首/冬部 八十首/恋部 三十九首/雑部 百二十首」とある。奥付は後見返しに「同年(明治廿三年)同月(六月)廿五日出版 定価金三拾五銭/編輯兼出版者 弾舜平/大坂市東区高麗橋三丁目五十九番屋敷」等とある。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形朱印、「小川氏文庫」の方形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文33丁オに「東京 従五位 七十七翁 鈴木重嶺/竹/くれたけの千代もとこそは思はねとあえまほしきは操なりけり」   

 19、明治五百人一首 二編
中本、版本、1冊、縦一八四ミリ×横一二三ミリ。肌色布目原表紙。左肩に四周双辺の躑躅色原題簽「明治五百人一首 二編 全」。前見返しは躑躅色紙に「弾琴緒編輯/明治五百人一首 二編/桐園蔵梓」。序2丁に「寧楽の御代の万葉集をはしめ廿余りの勅撰の集ともを見わたすに……□□光□しるす」とある。内題「明治五百人一首二編 短冊帖の歌」、尾題「明治五百人一首二編終」。四周単辺、柱刻は、「春(夏・秋・冬・恋・雑) 一(〜三十九)」。全40丁、内序1丁。本文は毎半葉14行。38丁ウに「通計 人員五百名 内 四百五十五名男子/四十五名婦人/歌数五百首/春部 九十八首/夏部 八十七首/秋部 八十二首/冬部 六十八首/恋部 四十首/雑部 百廿五首」とある。奥付は後見返しに「同年(明治三十三年)同月(二月)廿一日発行 正価金三拾五銭/編輯兼発行者 弾舜平/大阪市東区高麗橋三丁目五十九番邸」等とある。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文34丁オに「東京 従五位 ●鈴木重嶺/筏/筏士の岩にふれしとさすみても障りおほかる世にこそありけれ」

 20、新自讃歌評論
半紙本、版本、本文は洋活字、1冊、縦二二九ミリ×横一五〇ミリ。卍つなぎ空押模様水色原表紙。左肩に子持枠原題簽「新自讃歌評論 全」。前見返しに「海上胤平述/新自讃歌評論/文学書院」とある。巻頭2丁に自筆の海上胤平自序がある。3丁オに、編輯者・徒然坊の「新自讃歌」があり、ウに「新自讃歌作者/○小出粲 ○鈴木重嶺 ○松浪資之 ○高崎正風/○橋村淳風 ○末永茂世 ○黒田清綱 ○加藤安彦/○本居豊頴 ○三浦千春 ○黒川真頼 ○佐々木信綱」とある。内題「新自讃歌評論」、尾題「新自讃歌評論畢」。後半に「新自讃歌評論附録」を収録、本居豊頴、黒田清綱、小出粲、佐々木信綱の歌を評論する。本文は子持枠、毎半葉15行。版心は上部に魚尾、下部に丁付「一(〜四十五)」全50丁、内序等3丁、附録19丁、広告2丁。奥付は後見返しに「明治三十六年三月五日発行 定価金五十銭(朱の押印)/著作者 海上胤平/東京都神田区裏猿楽町二番地/発行所 文学書院/東京市下谷区徒町三丁目五十一番地」等とあり、特約販売所として、吉川半七・誠之堂・中西書店・光風館・岡崎屋書店・東文館が出ている。
本文4丁〜6丁に鈴木重嶺を収録。
「   新年祝世              鈴木重嶺
霞た○に立あへぬま○に天地を御代のためしに引はしめ○つ○ゝ
 霞も立たぬまに御代のためしに引はしめつゝとは、いと?
 ?いふかし。大御代の、天地と共に、不窮といふことは、
 年の始、又春に限りていふへき詞にあらす。しかるに霞も
 たゝぬまに、御代のためしに天地を引はしめつゝとあるは、
 ことわりたゝす。古歌に(子の日する野への小松のなかり
 せは千世のためしに何をひかまし)、かくいはされは、た
 めしに引といひたる趣意立へからす。結句に(つゝ)とあ
 るもかなはす。いとみたりなり。かくても自讃の歌なりと
 や。
   遠山霞
竹芝の○浦○わ○は○去○年○にかはら○ぬ○を霞そめけり安房の遠山
 二句(浦わは去年に)といひたる、これも亦句をなさす。
 三句(かはら○ぬ○を)とあるは、(かはら○ね○と)といふへき
 をや。
山中弘道か歌に
  舟はつる津島の浦の朝和にから山まゆも霞む春かな
   筍
○伸○た○つ○もほらるゝもありて○う○き○ふ○しは猶竹の子ものかれさりけり
 (伸たつもほらるゝもありてうきふしは云々)といへる、
 こは照応せす。(うきふしは)といふ詞は(ほらるゝ)か
 たには叶ふへけれと、(伸立)にはよしなき詞なるをや。
 さては、歌になるへからす。かはかりのことわりたにわき
 まへさるにや。
五十猛神の蒔けむ種ならし○松そ生たる○く○し○ふ○る○の○嶺○に
 此歌も、三句にて切たり。正格にあらさることは、前にい
 へり。五十猛の神くしふるの嶺に木種蒔けむとは、しひこ
 とならすや。さて諸々の木種、皆五十猛の神のまかさるは
 なし。此歌のことくいひては、たゝことなり。かゝるもの
 は、歌とはいふへからす。四句(松)とあるも、よしなし。
 何の木にてもいはるへきをや。結句も(くしふるの○嶺に)
 と一文字あまりて、句法に叶はす。又(くしふるの嶺)
 にも限らす、いつくの○山にも、○野にも、さしかへのなるへ
 けれは、此句、動きて詮なし。
    捨かたきもの
もろこしの鳥のあとこそ捨られね吾秋津洲の物ならなくに
 吾国のものにも、捨へきものあり、捨へからさるものあり。
 もろこしの物とて、あなかちにすつへきかは、ことわりたゝ
 ぬことをいへるものかな。此歌も、三句切にて、正格なら
 す。
    捨たきもの
手弱女の何○か○ら○さ○えにほこるらむ三の従ふ道を○わ○す○れ○て
 二の句(からさえ)とあるは、雅言にあらす。此歌も三句
 にて切たれは正しからす。これまたたゝことにてをさなし。
 結句(わすれて)とあるは(しらすて)といふへき処なる
 をや。
    竹
色かへぬ竹の操を心にて吾世の○ほ○とも○過○し○て○し○か○な
 四の句(吾世を)といふへきを、詞たらはねは、(ほと)
 といふことを、さしはさみたりや。こはうめ草といふへし。
 さて又結句の(過してしかな)とはみたりなり。(てしか
 な)とは、なしかたきことを願ふ詞なり。こゝはおのれの
 心を、おのれの心にて、定むるなれは、(我世過さむ)と
 か、(世をすこさまし)とか、いふへきなり。かはかりの
 ことたにわきまへさるにや。
   月(旋頭歌)
○わ○ひ○人の袖の露にもやとりけるかな限りなく広き御空にすめる月かけ
 初句(わひ人)に限らす。○奥○山○の○草○の○露にも、ワタツミ海若○の○浪
 の○上○にも、又外にいくらもいはるゝなり。されは此句、動
 きてすはりかたし。又三句以下、句々さま??にいはるへ
 けれは、いとみたりならすや。初句(わひ人)とあるは、
 以下に応する詞なくて叶はす。趣向もをさなし。且又自讃
 歌十首の中に、殊更に、此諸歌めきたるを、一首加へたる
 は、いかなる故そ。自はよみ得たりとのわさならむか。
   はちすはな(折句)
はらへするちの輪くゝりてすみの江の○浜○に○す○ゝ○め○は夏としもなし
 一二の句、つゝきつたなし。こゝは(はらへとの茅の輪)
 といふへきなり。四句(浜にすゝめは)といへるは、うひ
 ??しくて、調をなさす。此の歌、○は○ち○す○は○なといふこと
 を、句の頭におきてよめるは彼古今集の折句にならへるも
 のにや。素より?言なれは、歌のつたなきも亦ことわりそ
 かし。
   寄埋火述懐
かくなから埋れはつとも埋火のはひもとほりて世をは○渡○ら○し
 結句は、三句の(埋火)よりうくる詞なれは(渡らし)と
 いひては叶はす。さて又、はひもとほりて世を渡るとは、
 俗にいふ詞にて叶はす。歌にいはむには(おもねりて)又
 (こひへつらひて)なといふへきをや。されとこゝにては
 よしなし。匍廻りて、世はわたられす。居行腰ぬけならむ
 には、匍廻りもすへし。語意もしらさるいひさまならすや。」

 21、新自讃歌評論
20の『新自讃歌評論』と同じ本であるが、奥付の「定価金五十銭(朱の押印)」は無い。また、部分的に書き込みがある。さらに、この本には発行所・文学書院の宣伝と思われる紙片(縦一一一ミリ×横一四六ミリ)が挿入されている。
「海上胤平翁著 自讃歌評論 和本全一冊 定価五十銭 郵税四銭/附 本居豊頴黒田清綱小出粲の三家集評論/後鳥羽帝の御宇時の歌仙十六人に勅し各自讃歌十首を奉らしめ給ひき自讃歌集是也明治の御代に至り新自讃歌世に顕れたり即現代知名の歌人小出粲鈴木重嶺松浪資之高崎正風橋村淳風末永茂世黒田清綱加藤安彦本居豊頴三浦千春黒川真頼佐々木信綱等諸氏の出詠百十首を蒐輯せり然るに其歌悉法を乱し理にたかひ或は調格を失へり椎園翁初学者の或は之に惑されんことを深く憂へ毫も仮借するなく其誤りを正し其忘を弁し又本居翁の秋屋集黒田翁の瀧園歌集小出翁のくちなしの花佐々木氏詠歌数十首につき縦横論難を下したるものは新自讃歌評論是なり苟虚名におちす権門富貴に阿らす誠心誠意歌道を研究せんとするものは一覧せよ自覚する所思ひ半に過む」
なお、既刊書等として、次の四点を掲げている。
○  海上胤平翁著『長歌改良論弁駁』、○三栗屋主人述『大八州学会詠歌邪正論』、○海上胤平翁述『歌学会歌範評論』、○論者海上胤平/作者加藤千浪『詠史百首評論』

22、蓬園月次歌集 第三編
半紙本、版本、本文は洋活字、上下2冊、縦二三五ミリ×横一五九ミリ。水浅葱色原表紙、彩色の梅花、紅葉、水流等の模様を配す。左肩に四周双辺の躑躅色原題簽「蓬園月次歌集 第三編 上(下)」。上巻の扉は本文用紙と共紙、四周双辺で中央に「蓬園月次歌集第三編」とある。序題は1丁オに「蓬園月次集序」とあり、序の末に「明治四十年十二月/文学博士木村正辞」とある。内題は上巻「蓬園月次歌集第三編上」、下巻は「蓬園月次歌集第三編下」とあり、尾題は無い。本文は、毎半葉16行。丁付は無い。上巻、序3丁、本文28丁、下巻、本文29丁、作者一覧2丁、合計62丁。本文は「春歌・夏歌(上巻)・秋歌・冬歌・恋歌・雑歌(下巻)」の順序で配列。下巻末の作者一覧には、毛利元徳・二条基弘・久我建通・松浦詮・黒川真頼・本居豊頴・小中村清矩・鈴木重嶺・小出粲・加藤安彦・橘道守・佐々木信綱・鶴久子・中島歌子など、九十四名が掲げられている。奥付は、上下巻後見返しに「明治四十一年六月十日出版/(非売品)/編輯兼発行印刷者 塙忠雄/四谷区北伊賀町二十五番地」等とある。蔵書印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。「書林白州堂」の付箋あり。
本文上2丁オに「新年松/ちよふてふまつの緑をあらたまのとしたつけふのみるものにせむ 重嶺」
本文上2丁ウに「新年梅/こそさきし梅もあれともあらたまの年のたち枝そ香はまさりける 重嶺」
本文上3丁ウに「春近/いつかたもなやらふ声そきこゆなる冬さへけふはにけてゆくらむ 重嶺」
本文上12丁ウに「花似雲/さかりこそくもとは見ゆれむかしよりまかへしもうへ遠山さくら 重嶺」
本文上14丁オに「山落花/さくらちるやまのそはちをこえゆけは雲ふみわくる心地こそすれ 重嶺」
本文上15丁ウに「春海/うなはらは浪しつかにてさくら貝ひろふたもとにはるかせそふく 重嶺」
本文上19丁オに「新竹/おひいてし竹に我身もならはゝやすくなるのみかふしもありけり 重嶺」
本文上25丁オに「樹陰●/こかけこそ涼しかりけれ鳴く●のこゑのしくれはそてもぬれねと 重嶺」
本文下25丁オに「山居/やまかけにすむかひもなしひらけゆくよには折々ひとのとひきて 重嶺」

23、旧幕府 第二巻第二号
A5判、歴史雑誌、1冊。編輯者 戸川安宅、発行所 合資会社富山房雑誌部。第2巻第2号、明治三十一年二月二十日発行。102頁。前見返しに目次がある。巻頭に「鈴木重嶺翁」の写真がある。

 24、志能夫具佐
半紙本、版本、本文は洋活字、1冊、縦二二二ミリ×横一五〇ミリ。七宝つなぎ空押模様白緑色布目原表紙。左肩に子持枠原題簽「志能夫具佐」。1丁に序があるが序題無し。「ことし十一月十六日は先師宝所庵翁の五十年忌後の師詞林園翁の十三年忌にあたれりたゝし後の師は月はおくれたれとこれをもともにして追悼の筵をひらきやことなきあたりにこひまつり親しき友たちにもこひをしへ子にもよませたるかなしみの哥こゝらの数になりにたるをまとゐにもれし人たちにも見せまゐらせむとてかくはものしつるになむ又其日床にかけし宝処庵翁の碑文と詞林園翁の略伝とをも人々にしらせまほしくて巻のはしめにうつし出つ時は明治といふとしの十あまり七とせしはすはかり/翠園鈴木重嶺誌」。2丁・3丁に「村山素行翁碑面・碑裏文」があり、これは版刷、以下洋活字。4丁オに「伊庭秀賢翁略伝」、5丁オに「思往時 兼題」とあり、以下、故華頂宮御息所 郁子御方・久我建通・松平慶永・松浦詮・勝安房など、三百名と鈴木重嶺の歌を収録している。全20丁、内序1丁、村山素行碑文2丁、伊庭秀賢翁略伝1丁。内題・尾題・丁付・刊記無し。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形黒印、「松浦家蔵」の方形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻
)」の方形朱印。
本文最終丁オに「うけ継し教へもなかは遂なくに昔は遠くなりにけるかな 従五位 鈴木重嶺」とある。

 25、旅路のすさび
半紙本、洋活字、1冊、縦二二六ミリ×横一五三ミリ。卍つなぎ空押模様練色原表紙。中央上寄りに四周双辺の肌色原題簽「旅路のすさび」。序題は序丁オに「旅路のすさひ序」とあり、「草のまくらをひきむすひけんたひの空こそうきこともおほかりけめちかき世となりてはさるわつらひもをさ??あらすなりにたるをまして今の大御代となりてはさかしき山みちもたひらかにつくりなしたれは馬くるまの行かひもやすくあらき海つらもしようきせんといふ船のまうけあれは浪風のさはりもすくなけれは旅のゆきかひをこゝろゆくものゝかすにかそふることゝなりにたるもひらけゆく世のさちにこそはありけれ鈴木の翁はおのれよりは十とせあまりのこのかみなれとくに??の名たかきところ??見てこんとてひたふるにおもひたゝれたるは草ひきむすふうきことのあらぬはさらにもいはすゆくみちのやすきによりてにそありけるその日記なりぬこれ見てよとてもて来て見せられたるをひとわたりうちみてその日数をかそぬれはいてたちし日よりかへりつきたるまてはつかにひと月はかりなるをかくあまたのくに??ところ??を見めくられたるはいかにこゝろゆきけんなこれそ今の大御代にうまれあひたるさちにはあるとうちよろこはるゝにつけても
いにしへの草のまくらはたしのひいてらるかしかくいふはむそちのおきな黒川の真頼なり」と黒川真頼の序がある。内題は「旅路のすさひ」、尾題・匡郭は無し。版心は「○ 序・一(〜二十六)」とある。本文は毎半葉12行。全27丁、内序1丁。奥付は26丁ウに「明治廿一年五月十日出版(非売品)/編輯兼発行人 鈴木重嶺/東京牛込区神楽町二丁目十七番地/印刷人 加藤安彦/東京四谷区四谷仲町三丁目八番地」とある。蔵書印「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
巻末に「……此日記行かへりのさまをもらさず書とゞめまく思へど日ごと車にてはしりたれば見聞しこともわすれもれたるが多し其心して見給へかし/明治二十年九月  鈴木重嶺しるす」とある。

 26、こゑのなこり
半紙本、版本、1冊、縦二三二ミリ×横一五五ミリ。卍つなぎ空押模様練色原表紙。左肩に枠無し原題簽「故衛の那許離」。序は2丁あるが序題は無い。序の末に「明治二十一年七月/千家尊福しるす/金井明善七十七叟書」とある。内題・尾題・匡郭無し。本文のみ版心に丁付あり、「一(〜二十七)」。全30丁、内序2丁、跋1丁。本文は毎半葉10行。奥付は後見返しに「明治廿一年十月一日印刷/同年十月三日出版/編輯者 鈴木重嶺/東京牛込区神楽町二丁目十七番地/印刷兼発行者 宇津木貞夫/同神田区小川町四十七番地/売捌所 伊豆田冨太郎/同京橋区南伝馬町二丁目八番地」とある。蔵書印、「熊谷蔵本」の縦長方形黒印、「柴田蔵書之印」の方形朱印、「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文7丁ウに「聞子規懐昔」とあり、郁子御方・近衛忠熙・久我通建以下の歌を収録。
本文27丁オに「なく??も雲かくれ行ほとゝきす過しむかしをうちしのへとや 従五位 鈴木重嶺」とある。
巻末に鈴木重嶺の跋1丁がある。「わか師翁の追悼哥は三とせはかりさきに/ものせしに友たちまたをしへ子のうちにも今は/世になきか多きを是はた祭らまほしく思ひ/おこし聞子規懐昔といふ題をまうけてやことなき/あたりをはしめ此道の友たちにすゝめて哥を/あつめ六月三十日に追悼のむしろを/なむひらきけるはしめに出したる歌は其人/たちの自筆たにさくをあつめ神霊にかへ/わか近きあたりなる末吉桜をかりのゆにはと/□て礒部大教正を祭主としておの??うた/よみつゝ在し世をしのひしをなき人も天かけり/よろこはれけむとそおしはからるゝ其うた/ともをかく物しつるはこのむしろにつら/ならさりしひとたちにも見せまほしう/おもひてなむ/明治二十一年七月 穂積重嶺しるす」

 27、翠園寿筵歌集
半紙本、洋活字、1冊、縦二二三ミリ×横一五二ミリ。白茶色原表紙。中央上寄りに直接印刷「翠園寿筵歌集 完」、右下に「非売品」とある。巻頭3頁に「松竹/娯/八十六翁/従一位忠熈(印)(印)」とある。内題「翠園寿筵歌集」、尾題「翠園寿筵歌集終」。全74頁、内巻頭題字3頁。毎頁16行。奥付、最終頁に「明治廿六年九月十五日印刷/仝年仝月十九日発行/編輯兼発行人 鈴木重嶺/東京市牛込区神楽町弐丁目拾七番地……」等とある。蔵書印「深澤(陰刻)蔵書(陽刻)」の方形朱印。
本文1頁に「庭上松/庭の面の松の葉かすは老らくのちよをかそへんためし成らん 従一位 近衛忠熈」として、以下、久我建通・正親町実徳・毛利元徳・蜂須賀茂韶・前田利嗣・勝安房など千五十余名の歌を収めている。巻末には、「補助」として、佐々木古信・江刺恒久・加藤安彦・楳村宣雄・小俣景徳・和田耘甫・今川忠昌・市川重胤・小原秀真の歌を収め、「会主」として、重明二女 鈴木きせ子・仝長女 鈴木多子・仝妻 鈴木峯子・仝男 鈴木重孚・重嶺男 鈴木重明の歌を収め、最後に、「色かへぬ庭の老松我も世にあらんかきりはなれを学はん 従五位 八十翁 鈴木重嶺」を掲げている。
 この『翠園寿筵歌集』は、明治二十六年(一八九二)、八十歳を迎えた鈴木重嶺が、傘寿の祝いとして、これまで、役職や歌を通じて交流のあった名士・友人・教え子・親族など千名以上の人々に歌を寄せてもらって出版した歌集である。


  付 記
 今回は、その後入手した鈴木重嶺関係の資料を紹介した。これらは、古書店から購入したものであるが、ネット情報では、菊池真一氏のお世話になったものが少なくない。記して感謝申し上げる。
 今回も、昭和女子大学の卒業生、菅野貴子氏に参加してもらった。菅野氏には、主として、資料の翻刻作業を担当してもらい、最終的には深沢が確認した。菅野氏の協力に対して感謝している。
 鈴木重嶺関係資料の紹介も、今回で八回目である。私が鈴木重嶺に関与する事になったのは、平成七年のことであるから、もう十五年も前になる。重嶺の御子孫・松本誠先生との関係からである。鈴木重嶺の伝記研究を志しながら、それを果たせずに急逝された、先生の思いを少しでも、後世へ伝えたいと、今もそう念じている。
             平成二十三年一月十五日
                      深沢 秋男
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※ 本稿は、平成23年4月発行の『芸文稿』第4号に掲載したものです。巻末の『志能夫具佐』の写真は省略しました。表記の上で、原物と異なる点がありますので、論文等に引用する場合は、『芸文稿』第4号のものを使用して下さい。