雑誌『太陽』掲載の鈴木重嶺の和歌等 (付『読売新聞』の記事)

 

雑誌『太陽』は、明治27年、博文館から発行開始された。この雑誌には「文苑」(「各種の詩歌美文を収む、風雲に寄懐し、時事に蒿目す、忽にして流麗閑雅、忽にして幽咽悲壮、読者此に至りて衆香の圃に遊び積玉の園に入るが如し。」)の欄があり、高崎正風・勝安房・小中村清矩・本居豊頴・近衛忠煕・井上頼圀・佐々木信綱等の和歌が掲載されている。ここでは、鈴木重嶺の歌等を紹介する。なお、この掲載の事は菊池真一氏の御教示によって知る事ができた。原物の確認には、昭和女子大学図書館・近代文庫のお世話になった。ここに記して感謝申し上げます。なお、調査し得ない部分も残っているが、更に補ってゆきたいと思う。              200611月9日 深沢秋男

 

 

第1巻第2号(明治28年2月5日)

   一月一日によめる  従五位 鈴木重嶺

年たちてひもとく花もあるものを氷は何にむすほるらん

 

第1巻第5号(明治28年5月5日)

           従五位 鈴木重嶺

 二つなき身はすてぬ共国のため大和たましひ忘なよゆめ

 

◎第1巻第7号(明治28年7月5日)

      (郭公)         鈴木重嶺

 都にはいてしばかりを時鳥だみたるこはましらさりけり

 

◎第1巻第9号(明治28年9月5日)

  同(夕立)     従五位 鈴木重嶺

  雲かゝるひえの山風吹きおろしにほの海つらゆふ立のふる

 

第1巻第10(明治28年10月5日)

   松間月      従五位 鈴木重嶺

 ときはなる松の色こそたならね月の光のそへはなるらん

 

第1巻第11(明治28年11月5日)

   同(里擣衣)    従五位 鈴木重嶺

 さやけくもきこえけるかな夕月夜小倉の里に衣うつなり

 

第1巻第12(明治28年12月5日)

   浦千鳥          鈴木重嶺

 まかね路のおと絶はてゝ竹芝の浦へにしはし千鳥なくなり

 

2巻第1(明治291月5日)

   新年待鶯     従五位 鈴木重嶺

年たてとまた鶯そせぬ春を待てやなかんとすらん

 

2巻第4(明治29年2月20日)

   新年山      従五位 鈴木重嶺

長閑にも富士の高嶺そ霞なる年立けふの見物にやせん

 

2巻第5号(明治29年3月5日)

   雨後鶯      従五位 鈴木重嶺

雨霽れてなく鶯の羽ふるひ梅のしつくもちる朝け哉

 

2巻第11号(明治29年5月20日)

   嶺松年久     従五位 鈴木重嶺

 五十猛の神のまきけん種ならし松そ老ける櫛古の峯に

 

2巻第13号(明治29年6月20日)

   首夏鶯      従五位 鈴木重嶺

 梅原や青葉と成し枝に来てちなみ忘れすうくひすの鳴

 

2巻第17号(明治29年8月20日)

   扇            鈴木重嶺

 さはかりの扇の中に限りなき風をはいかて閉止けん

 

2巻第18号(明治29年9月5日)

   夕納涼          鈴木重嶺

 夕まくれ友ひき連て川の辺に涼む程こそ夏なかりけれ

 

2巻第20号(明治29年10月5日)

   仲秋翫月     従五位 鈴木重嶺

 皆人のめつらむ心くみしりて月も今宵は影みかくらむ

 

第2巻第23号(明治29年11月20日)

   閑庭菊      従五位 鈴木重嶺

 五本の門の柳は招かねどまがきの菊をひとぞとひくる

 

第3巻第1号(明治30年1月5日)

   同(新年梅)        鈴木重嶺

 新玉の年たつのみか待々し梅さへけさはほゝゑみに鳬

 

第3巻第3号(明治30年2月20日)

   冬川           鈴木重嶺

 うならか水遊ひせし川もはや汀いつしか氷り初たる

 

第3巻第7号(明治30年4月5日)

   岡梅       従五位 鈴木重嶺

 人なみのゆきゝの岡の梅の花下枝大方たをされにけり

 

第3巻第8号(明治30年4月20日)

   友            鈴木重嶺

 世の中の難波の事もよしあしを争ふ友の頼母しきかな

 

第3巻第12号(明治30年6月15日) 博文館十周年記念臨時増刊

  寄松竹祝   鈴木重嶺君()

 「寄松竹祝謌 并 反哥  従五位穂積重嶺

 松こそは万代ふときけ竹こそは 

 千よふときけよろつ代と限り 

 ありけり千世となほかきり

 ありけりかきりなききみか

 御代にはたくふへくもの

 こそなけれ君か御代には

    反哥

 神代よりかはらぬ天と地もあるを

 たくへむものゝなしとおもひき

 

第3巻第16号(明治30年8月5日) 

     八十四翁 従五位 鈴木重嶺

 夏虫の影写れはそ音もせぬいさゝ小川の有としらるゝ

 

第4巻第1号(明治31年1月1日) 

    新年祝   八十五翁 従五位 鈴木重嶺

 としたちて高きいやしきひくしめは御代長かれといはふなりけり

 

第4巻第11号(明治31年5月20日) 

    同(古戦場)         鈴木重嶺

 涙こそそろ流るれ衣河みづくかばねは神となれども

 

第4巻第14号(明治31年7月5日) 

    同(深山滝)         鈴木重嶺

 うき時の泪なにせむ君が代の数によまばやみ山べのたき

 

第4巻第21号(明治31年10月20日) 

    仲秋翫月          鈴木重嶺

 皆人のめづらん心くみしりて月もこよひは影みがくらん

 

第4巻第24号(明治31年12月5日) 

鈴木重嶺翁の逝去

 不慮の怪我にて老体を痛められたる歌学界の泰斗鈴木重嶺翁は養生叶はず去

 月廿六日逝去せられぬ。氏の詳伝は肖像と共に次号に載すべし。

 

第4巻第25号(明治31年12月20日) 

物故四名士  写真銅版

〔○四条隆謌侯 ○鈴木重嶺翁 ○青山貞男 ○佐久間貞一君〕

 「○故鈴木重嶺翁

去月二十六日物故せられたる鈴木重嶺翁の伝記の『読売』に載せられたるに拠れば、翁は江戸の人にて卑賤より身を興し、一とたび相川県の参事を勤めしが、引退の後専ら敷嶋の道に心を潜めて種々の流派の競へる中に泰然本居の流を汲み居たり、翁初めの名は大之進、翠園と号す、躯幹大にして性質温雅、「恥を知れ」てふ一語を己の守として八十余年の久しき未だ一度も瞋れる色を顕はさりしとぞ、初め翁の三枝何某に仕へて未だ武士たらざりし頃、剣道柔道抔好みてひそひそ修業しけるに、友の内歌よむ人ありて己もいつか嗜なむ事となり、子供ながらに詠み連ねし事もあり、其後翁が主と共に出でける時或る武家屋敷に人々稽古しつるを見て、

  劒太刀鞘にをさまる世になれて

      みかぬわさの恥かしき哉

と朗詠しける、這は翁が齢二十ばかりの時の事なりしが、偶々閣朗老水野越前守此歌を聞きて下郎に稀なる志、末頼母しゝとて、深くも望を属し、軈て召し出して御徒士の列に加へらる、斯れば翁も奮励して役向に出精し、読書習字は独修にて歌をば村山素行に学びしが、程なく御徒士目付に進み、後佐渡奉行を命ぜられて兵庫頭に任ぜられ、維新の際にも任所に在りしが、将軍大政を奉還せりと聞きて帰府するにも佐渡奉行の格を乱さず、槍押立てゝ官兵の中を通りければ、心憎き豪傑よとて鈴木兵庫頭の名は早くも薩長の間に知られぬ、廃藩の折佐渡は難治の国とて、政府の人々逡巡しければ、西郷吉之助は勝安房に適任の人ありやと問ふ、安房は翁が奉行中の治績を挙れるを知りて之を進め、吉之助も扨は音に聞く兵庫頭よとて、終に相川県の参事に挙げたり、されど翁は引退の時まで何人の推薦なりしやを知らざりしと、翁又健筆にて幼少より日記を怠らず、細大筆に随て録するもの積で五十余巻に及ぶ、名けて翠園叢書と云ふ、翁は功成り名遂げて悠々己の道を楽みしが、去月十二日日本倶楽部の歌会に臨み、帰途誤りて車より墜ち肩を傷けて病床に在り、一旦快方に赴きたれども、更に気管支加太児を起し、同月廿六日午前三時八十五歳を一期として溘焉簀を易へられたり。

 

 

『読売新聞』の記事

明治11年1月24日() 903号、朝刊、1面

 ○鈴木重嶺大人が牛込橋の寿亭を借て毎月一度づゝ歌の会を開き高貴の方々

  も出席されるといふ

 

明治24年8月24日、5101号、朝刊、2面

 ○老壮 国学大家見立表

  左に記るす所は大八洲生の投寄に係るものなり、其の当否は知らざれど其

  の儘茲に記すことゝなしぬ

 老壮 国学大家見立表  大八洲生

  国を思ふ心しなくは千々の

     書を読むともかひなからまし

 老大家

 国文家 久米幹文 大人

 国語家 文学博士 黒川真頼 大人

 国歌家 鈴木重嶺 大人

 国法家 文学博士 小中村清矩 大人

 国史家 本居豊頴 大人

 壮大家

 同(国文家)  落合直文君

 同(国語家) 関根正直君

 同(国歌家) 井上通泰君

 同(国法家) 小中村義象君

 同(国史家) 萩野由之君

 

明治25年10月24日、朝刊、2面

◎鈴木翁の和歌会  歌人鈴木重嶺翁は来月十五日を期して門下を自邸に集

 め盛なる和歌会を催す由なるが其題は「初冬雪」なりと云ふ

 

明治31年11月25日、7676号、朝刊、4面

 ◎名士の車より落るもの多し (馬車人力車の不祥歳)

本年は如何なる不吉の年柄なるか畏くも先に伊勢大廟の炎上あり又内閣の変動三回に及びたるが馬車人力車にも不祥の事多し先頃は大岡硯海氏新調の一頭立馬車を山下町附近の堀に乗り入れ馬は速死し馬車は毀れ馬丁亦重傷を負へり続ひて此頃は鈴木重嶺翁腕車より落ちて病を発し危篤に瀕するを伝ふ而して堤内匠頭また落車して股を切断するに至り柏田文部次官は脳を痛めて第一医院に入院し佐藤病院副院長も落車して腕を挫折し谷山京橋警察署長もまた落車して面部及腕を痛め朝比奈知泉氏も面部及左腕に負傷したり

 

(『読売新聞』の記事に関しても、菊池真一氏の御教示を頂いた。記して感謝申し上げます。)