上知令と『井関隆子日記』


『井関隆子日記』にみられる武家の「家」観念
              朝倉有子

 日本の近世史研究において家族史研究、及び女性史研究に欠くことのできない史料の一つに宗門人別帳があるが、最近は宗門帳を利用した研究が著しい進展をみせている。たとえば、農村女性のライフサイクルといった観点からの分析、封建制の動揺が農民の家督相続の上にどのような変化を与えたかを検証したもの、さらに一ケ村のみでなく、より広い地域の中で農民家族の動向を考えるもの等々、貴重な成果が蓄積されている。
 家族史、女性史の立場から光をあてることによって、すでに定説化されている、あるいは評価が定まっている歴史事象の新しい側面を描き出していくのが家族史、女性史研究の眼目の一つであり、前述の諸成果もそのような立場から新しい歴史像を構築したものである。私の家族史に対する関心もそこにあるといえよう。
 一方、農民ではなく、武家の家族の日常を窺いうる史料の一つに『井関隆子日記』(深沢秋男校注・勉誠社刊)があるが、この『日記』は井関家に代表される旗本層の日常を伝えてくれるとともに、従来とは多少異なる歴史の見方を提示してくれる素材であるように思われる。
 たとえば、天保改革時の上知令は、江戸、大坂周辺の大名、旗本の領知を上知することで幕領の一円化をめざした、幕権強化政策であると評価されている。しかし、『日記』では、「おのおの遠つ祖のいさをにより、いともかしこき神ノ命の身自ら御杖先もてさし給はれる処、あるは末の世長うかはることあるまじき標のふみに、御朱印おして給はれるなど、家と宝とひめおきしもこたびの御定によりみないたづらとなりぬ」、「其祖の墓などあるはことに歎きわびあへる」と、家の祖先の戦功によって獲得した知行地の喪失、家宝である朱印状を反故とし、累代の墓所を失うことと、もっぱら「家」の観点から述べられている。すなわち、上知令とは旗本層にとって「家」の存続の危機であり、幕府による彼らの「家」の否定として認識されているのである。したがって、『日記』では「利を思ふ」のではなく、「家」の存続の面から、上知令に対する批判が展開されていくのである。
 ささやかな例ではあるが、今後このような事例をつみ重ねていくことで、歴史事実を見直す作業を続けてゆきたい。
               (お茶の水女子大・日本近世史)
(『比較家族史研究』創刊号、1986年9月、比較家族史学会)


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