『旗本夫人が見た江戸のたそがれ――井関隆子のエスプリ日記』

     深沢秋男 著

        2007年11月20日・文藝春秋 発行

        文春新書・606、232頁、定価730円

目 次

 

  はじめに  9

 

第一章    旗本夫人の批評眼――心の風景と幕末の記録  13

  一 鹿島則文と桜山文庫

    蔵書家の数奇な生涯 三万冊の珍籍奇冊

  二 血縁なき家族との暮らし

    隆子の離婚と再婚 恵まれた家計

  三 活き活きとした主婦の記録

    多岐にわたる筆先 旺盛な批判精神 情報が集まる環境

    書かねばならぬ日記へ

 

第二章 江都有情――武士と町人の生活  30

 

  一 井関家の四季

    九段坂下の屋敷 鹿屋園の庵主 豪華な元旦の拝領物 

    愛酒家の月見 花見の趣向 絶好の酒肴 四谷の実家の復興

  二 江戸の風俗・風聞

    将軍上覧の天下祭 改革下の神田祭 両国の川開き 

    盛大なる佃島の花火 浅草の「眼力太夫」 平将門の首を拝む

    永代寺の陰間

  三 江戸の事件簿

    イ 旗本心中事件

      思わぬ人違い 一線を越える 心中決行の暁

    ロ 品川心中事件

      冤罪・騙り・恨み 江戸詰め侍の女遊び 女の裏切り

      幽霊登場 落語の原話か

    ハ 余聞・風聞

      上総のふたなり 長安寺の好色僧

 

第三章 天保の改革――衰退する統治力  94

  

  一 迷走する改革

    書かずにおれない三方所替 出羽の駕籠訴 出羽の山伏 三方所替の

    中止 家斉没日の謎 家斉側近の罷免 大奥も粛清 三佞人の評判 

    寄合に降格された人々 天保の改革、発令さる 二宮尊徳の印旛沼工

    事 氏栄の左遷 燃える土 工事が中止に 上知令に不満続出 将軍

    の真意 忠邦への反発 利で行えば恨み多し 

  二 日光東照宮への長い道のり

    将軍、最後の参詣 葬式用具を持参 演習の見物衆 将軍家慶、出発

    す 社参の意義

  三 水野忠邦批判

    賄賂を求める人物 八王子村のいざこざ 隆子の小説のモデル 罷免

    に世間は歓呼 忠邦の返り咲き

   

第四章 江戸城大奥――エリート官僚は見た!  146

 

  一 中奥と大奥をつなぐ御広敷

    大奥トップ事務官・井関親経 御用人拝命 名代で京に出張 莫大な

    出張手当て 大名並みの旅立ち うるわしの上方土産

  二 将軍家斉の素顔

    植物愛好家 九段坂上の火除け地 権勢ふるう中野碩翁 同性愛の殿

    様たち 大奥に粛清の嵐 家斉の没日は? 幕府の公式記録 奥医師

    の大失態 家斉の葬儀 あやしい徳川正史

  三 将軍家慶の心持ち

    猿楽愛好家 家慶夫人の没日 日蓮宗批判 養女を歓待

  四 家定夫人の謎

    正夫人の実父 光格天皇の崩御 有姫の縁組 有姫の実父は誰か

五 江戸城、炎上す

  早朝の出火 大慌ての大奥 早い火の廻り 黄金白銀も焼失 出火元

  と死体の始末 家定の見舞い品

 

終 章 井関隆子という自我――近代の眼差し  206

  一 確かな歴史意識と人間認識

二 天保期の批評者

三 豊かな学識と知性

四 旺盛な好奇心と執筆意欲

五 旗本夫人の気位と気品

  六 敬愛された母・祖母

 

  あとがき  222

 

  井関隆子関連略年表  224

 

  参考文献  230                                     

 

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はじめに

 

 歴史は新しい事実の発見によって修正を迫られる。そういう意味では、歴史は常に書き改められる運命にあるといっていいかも知れない。

私たちは、歴史上のさまざまの人物に出会ってきた。それと同時に全く知られていかった人物と出会うということも時としてある。

一つの資料の発見によって、今まで知られていなかった人物が歴史の上に登場することさえ有り得る。

 幕末期、江戸城に近い、九段坂下に一人の旗本女性がいた。井関隆子という。彼女は大変な読書家であり、絵も描き歌も詠み創作もしていた。しかし、何よりも彼女の存在を後世に伝えることになったのは、五年間にわたる膨大な日記であった。

この日記には、ちょうど天保の改革が行われた、天保十一年(1840)一月一日から十五年(1844)十月十一日までの江戸の様子が、生き生きと伝えられている。しかも、彼女の息子が御広敷御用人(大奥との連絡、事務処理などを行う役職で、その責任者)で、十一代将軍徳川家斉の正室・広大院(松の殿)の掛を長年勤めたという関係で、江戸城大奥の様子が詳細に伝えられることとなったのである。

この一人の女性の日記は、鋭い批評意識に貫かれ、しかも正確な情報に裏付けられており、この天保期の歴史に修正を迫るものを少なからずもっている。

(以下省略)