平成11年度(1999)センター入試に『井関隆子日記』出題される

平成11年度大学入試センター試験本試験古典問題「国語T・国語U」に『井関隆子日記』の天保13年2月21日の条が出題された。試験は、平成11年1月17日に実施された。
その後、明治大学、京都大学の入試にも出題されたので、ここでは、大学入試センター試験の問題を紹介する。
試験問題の原物を所蔵しているが、ここで紹介するのは、表現的にも、縦書き、横書きの点など、実物とはかなり異なっている。その点は、御了承願いたい。

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第3問 次の文章は、江戸時代後期に生きた武家の女性が書いた日記の一節である。これを読んで、後の問い(問1〜6)に答えよ。(配点 50)

 二十一日。来む二十まり九日の日は、故あるじの身罷られし日にて、今年十年まり七年になむな〔a〕れれば、後のわざせむとするに、その頃は公事さし合〔b〕ひぬべかめれば、明日御法おこなはせむと定めたりと聞く。一日強飯ほどこし、今日は夕食ととのへ、仏に供へ、かつ下郎までにつかはす。いでや(ア)はかなくも月日のたちけるかな。そのかみ、このぬし病によりて仕へをかへし奉り、いたはりおこた〔c〕りなば、今は心やすうはかなき楽しみをもせむ、とものせられしかど、そのいたつきつひにおこたらで、篤しうなれるほど、かくてはえ生くべくもあらず、いかにかせまし、とて憂ひ嘆か〔d〕れしを、かたへに聞く心地、え堪へがたかりしが、かの昔の人も「きのふ今日とは」と詠めりしごと、たれもかぎりとなり、心地たがひて人事を知らざらばこそあらめ、A さなからむには、これにまさる悲しさもあはれさも、えあるまじければ、ことわりと思ふものから、(イ)いかがはかけとどめむ。おのれ、今まであらむともおぼえざりしに、かうながらへてこの事にあ〔e〕へるも、 B 明日こそ知らね、暮れぬ間の今日はあはれなり。
  あり果〔f〕てぬ世にはあれども今はとて命惜しみし人しかなしも
かかるぞ人の真心にはありける。契沖とかいへりし法師の言ひしごと、今はの際にいたりて、悟りがましき事言ふ人は、人のまことならずと言へる、さもあることなりかし。
  ふたたびとあはぬこの世を惜し気なくさかしら言ふは人のまことか
 おほかた、昔より世の人の心ども、(ウ)ことわりによりて思ひとり、まことの心にはあらぬうはべのつくろひのみ多かり。そは生死のうへのみにあらず。心にはうれしと思へど人にはその色を見せず、あるは、いと貧しき人もうへには足り顔つくりなど、かかるたぐひいとなむ多かる。唐にはかかるたぐひなほ多かるにか、楽天が世に浮き沈みせしその折々作りし詩どもかぎりなく多く、後には仏の道にも入りて、かたがた、この世もその身ももとよりはかなう仮なるものに悟りて、いささか心をかくる所なし、とやうに言へる事あまたなり。そのおもむき、妻子をもかへりみず、宝をも欲りせず、世の人の栄えを求めず、身の貧しきをもいささか憂へずとて、物にもたとへていと細かにくさぐさ言ひつくしたる、その詞はいさぎよく、げにもと思はるるやうなれど、さばかりものの情けどもに詳しくゆきわたりてあらむ人の、わざと求めて、みな捨てたり忘れたりと言へるは空言なめり。そは、しか詳しう言ふにつけ、心には憂はしく思ふことのなかなかにあらはるるなり。C されば、この翁の、昔失せにしうからどもを祭る詞に、常にうれたく悲しく、忘れがたき事のかぎりを述べたるにて明らかなり。おほかた、悟りてふものは詞のうへのみにて、まことにしか思ひきはめたる人なむなかめる。それもしまことにあらむには、その生まれいと愚かにして足らはず、父母妻子をもかなしとも思ひたらず、世の中のさまももののあはれもえ知らぬ痴れ者にて、とり所なき人なるべし。
                       (『井関隆子日記』による)

                                  (注)1 二十一日――天保十三年(一八四二)二月二十一日。この年、筆者は五十八歳。
   2 二十まり九日――二十九日。「まり」は「余り」の意。
   3 故あるじ――筆者の亡夫、井関親興。親興の没後、井関家は子の親経が跡を継いでいる。
   4 後のわざ――亡夫の法事。
   5 公事――公務。
   6 御法――法事。
   7 強飯――蒸したもち米。葬儀や法事のときに親類や知人などに配る習慣があった。
   8 「きのふ今日とは」――『伊勢物語』百二十五段の、「昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ」に続く歌。「つひに行く道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを」。
   9 契沖――一六四〇年〜一七〇一年。江戸時代の僧、国学者。
   10 楽天――中国唐代の詩人。白居易(七七二年〜八四六年)。「楽天」はその字。
   11 昔失せにしうからどもを祭る詞――亡くなった親族を弔い祭る文章。


問1 傍線部(ア)〜(ウ)の解釈として最も適当なものを、次の各群の@〜Dのうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は【20】〜【22】
 

(ア)はかなくも  【20】
@あっという間に
Aなにごともなく
Bむなしくも
Cいいかげんに
D心細くも

(イ)いかがはかけとどめむ  【21】
@どうしたら涙をとめることができるだろうか
Aどんなに助かりたいことであろうか
Bどれほど面影を心に残しておきたいことか
Cどうしてこの世に引きとめることができようか
Dどういうわけでこの世に未練を残すのであろうか

(ウ)ことわりによりて思ひとり  【22】
@善悪に従って判断し
A状況に応じて思い直し
B思い込みで結論づけ
C理屈によってとらえ
D正義をたてに決めつけ

問2 波線部〔a〕〜〔f〕についての文法的説明として正しくないものを、次の@〜Eのうちから一つ選べ。解答番号は【23】。

 @ 〔a〕「れれ」は、動詞の活用語尾に、完了の助動詞「り」の已然形が接続したもの。
 A 〔b〕「ひぬ」は、動詞の活用語尾に、完了の助動詞「ぬ」の終止形が接続したもの。
 B 〔c〕「りな」は、動詞の活用語尾に、完了の助動詞「ぬ」の未然形が接続したもの。
 C 〔d〕「れし」は、尊敬の助動詞「る」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形が接続したもの。
 D 〔e〕「へる」は、動詞の活用語尾に、完了の助動詞「り」の連体形が接続したもの。
 E 〔f〕「てぬ」は、完了の助動詞「つ」の未然形に、打消の助動詞「ず」の連体形が接続したもの。

問3 傍線部A「さなからむには、これにまさる悲しさもあはれさも、えあるまじければ」の解釈として最も適当なものを、@〜Dのうちから一つ選べ。解答番号は【24】。

@この世に執着があるならば、死ぬことにまさる悲しく耐えがたいことはありえないので
A死の覚悟がないとしたら、この世との別れにまさる悲しくさびしいことはありえないので
B人生経験が浅ければ、死別にまさる悲しく心の痛むことはありえないので C意識がはっきりとしているならば、死にまさる悲しくせつないことはありえないので
D信仰心がなかったら、死を迎えることにまさる悲しくわびしいことはありえないので

問4 傍線部B「明日こそ知らね、暮れぬ間の今日はあはれなり」から筆者のどのような気持ちがうかがわれるか。その説明として最も適当なものを、次の@〜Eうちから一つ選べ。解答番号は【25】。
                 
@今日無事に夫の十七回忌をいとなむことができ、夫が亡くなってからの年月の流れの早さとわが身の老いにあらためて気づいて感慨にふけっている。
A人の命のはかなさに思いをいたし、夫の十七回忌を迎えるまでよくぞ生きながらえたものだと感に堪えない気持ちで歳月の流れをかみしめている。
B年をとってから夫と死別して癒やしがたい悲しみを味わい、明日から一人でどのように生きていけばよいか漠然とした不安にかられている。
C明日になれば気持ちが紛れるかもしれないと思いつつも、夫の十七回忌を終えた今日は、夫が亡くなった時の悲しみが蘇ってきて、やりきれなさを感じている。
D夫が亡くなり一人になってしまってからの暮らしを心配しつつも、明日のことは誰にもわからないのだから、せめて今日一日を大切にしたいと思っている。
E夫に先立たれて生きる支えを失ったものの、仏の加護によって今日まで生きながらえて亡夫の十七回忌をいとなむことができることを感謝している。

問5 傍線部C「されば、この翁の……述べたるにて明らかなり」とあるが、何が「明らか」であるのか。その説明として最も適当なものを、次の@〜Eのうちから一つ選べ。解答番号は【26】。

@契沖の言うように、臨終に際して悟りがましいことをいうような人は、道理に縛られ、体裁をつくろっているばかりで、人の心の本当のあり方がまったくわかっていないということ。
A契沖の言うように、昔から世の中の人は、心の中で本当に思っていることは決して表にあらわさず、たとえ貧しくても満足しているように振る舞うことが多いということ。
B契沖の言うように、うわべだけつくろって本心を表にあらわさない人たちは日本より中国に多く、白楽天が作った多くの詩も、決して彼の本心が書かれたものではないということ。
C白楽天は、人情の機微をこまごまと表現した詩人たちを、自分の心を嘘偽りなく語ったと評価しているが、それは決して彼らの本質を言い当ててはいないということ。
D白楽天が、世渡りで苦労したあげく、この世は所詮はかない仮のものであり、まったく顧みるべき価値はないと考えて、ひたすら仏道に入るのを望んでいたこと。
E白楽天は、家庭の幸せとか富とか出世とかいった世俗的なことはすべて捨てたと、詩の中でいさぎよい言葉を使ってもっともらしく言っているが、それは彼の本心ではないということ。

問6 本文全体からうかがわれる筆者の考えを説明したものとして最も適当なものを、次の@〜Eのうちから一つ選べ。解答番号は【27】。

@夫が死ぬ時に命を惜しんだことを思うと、いつ死を迎えてもこの世に未練はないと悟りの境地に達している人でも、心穏やかに死を迎えるのはなかなか難しいものであると考えている。
A二度とはない人生なのだから心やすく余生を楽しみたいと語った晩年の夫の言葉はごく自然なものであり、余生は感情のおもむくままに気楽に過ごすべきだと考えている。
B夫が死に臨んで生に執着したように、人間はさまざまな感情をそのまま表にあらわすのが自然なことであり、感情をごまかしたり偽ったりするのは愚かなことであると考えている。
C日本とは逆に、中国では喜怒哀楽といった人間的な感情や立身出世などの世俗的な欲望を素直に表にあらわすことをせず、理屈や観念によって押し殺していると考えている。
D悟りすました人でも真の悟りに至った人は少なく、家族を大事にせず人情の機微も解さないような、何のとりえもない愚か者の方が、かえって悟りに近いと考えている。
Eこの世のあらゆることを煩悩として退ける仏教は人間の自然な感情を押し殺すものであると批判し、日常生活ではともかく、少なくとも詩歌の中では感情をありのままに表現すべきであると考えている。