平成23年度、京都大学入試に『井関隆子日記』出題される


●平成23年2月25日に実施された、京都大学平成23年度(2011年度)の入試、文系の古典に『井関隆子日記』が出題された。平成11年度(1999)の大学入試センター試験の本試験、平成20年度(2008)の明治大学入試に続き、今回で3回目である。

●出題されたのは、天保11年5月26日の条である。その部分は以下の通りである。実際に出題されたものは縦書きであり、傍線・振り仮名・(1)〜(5)なども入っている。ここに掲げるものは、表記などの点で異なる部分があることをお断りする。

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〔三〕次の文は、江戸時代の武家の女性が記したものである。これを読んで、後の問に答えよ。(五〇点)

 ふるさとの荒れたる様を見て、昔の人の嘆きつる歌共、いと多かる。そはいみじかりつる都の年経てあらずなりぬる様、はた己が住めりし里など、いつしか異やうに変はれるを見ては、おのづからあはれ催すべかめり。己が生まれつる所は、四つ屋といひて、公人などいふかひなきものの彼是住みわたりつれど、かやぶき板屋などむねむねしからず。大方田舎めきよろぼひたる家ども打ちまじれり。一とせ如月のつごもりばかり、此わたりを行きかひしけるついでに、入りて見けるに、昔すめりし家のあとは草むらとなりぬ。そこはかとなく分け入るに、しかすがに庭とおぼしきわたりは植木など枯れ残り敷石所々にあり。いたく苔むしたる井筒に立ちより見れば、水のみ昔にかはらず澄めり。かの「あるじ顔なる」と詠めりしもことわりにて、はやくのことさへ思ひ出でらる。古くおぼえし木どもみだりがはしう繁りあひ、はた垣のもとに並植ゑたる桜の木ども、かたへは枯れてむらむらに残れるが、折知り顔に色めきたれど、花もてはやす人もなかめるを、誰見よとてかと思ふに、おもほえずうち嘆かれぬ。此花の木どもはそのかみ母屋に向かひたれば、親はらから打ちつどひ春毎に、盃とりつつ打ち興じもてはやしつるを、今は其世の人独りだに残らず、ただ我のみたちおくれて、昔の春の夢語りを、さらに語らふ友もなし。
  こととはぬ花とはおもへどいにしへをとはまくほしき庭ざくら哉
 奥の方は少しくだりて、片山かけたる坂をゆくに、父君の愛でて植ゑつると聞きおきたる、梅の木どもの大きなる、かたへは朽ちなどしつれど、若葉の色いと清気にて、花の盛りには雪とのみ見渡されにしも、ただ今の心地してすずろに物がなし。
                             (『井関隆子日記』より)


 しかすがに=そうはいっても。
 あるじ顔なる=『源氏物語』の登場人物の一人、明石の尼君が、久しぶりに戻ってきた旧宅の遣水を見て詠んだ歌「住み馴れし人はかへりてたどれども清水ぞ宿のあるじ顔なる」の一句。
問一 傍線部(1)について、その理由を筆者はどのように考えているか、説明せよ。
問二 傍線部(2)について、引用された和歌の大意を踏まえつつ、筆者の気持ちを説明せよ。
問三 傍線部(3)〜(5)を、適宜ことばを補いながら、現代語訳せよ。

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