〈新刊紹介〉
深沢秋男著 『井関隆子の研究』

                        

坂 梨 隆 三


 本書は、その日記で一躍注目されるようになった近世後期の旗本夫人、井関隆子の全体像を追究した書である。日記の発見者である深沢氏が、昭和五十三年に『井関隆子日記』を刊行されるやまずそれは近世史の藤田覚氏によって『史学雑誌』八八−四(昭和五四年)で紹介された。藤田氏はその後、一文を草して、十一代将軍家斉の没日は閏一月晦日というのが現在の歴史上の通説であるが、隆子日記によれば、閏一月七日であったことが知られるということを述べた(『本郷』二八号、二〇〇〇年)。ドナルド・キーン氏は朝日新聞に三日間にわたって、この日記について書いた(昭和五九年四月四、五、六日)。また、平成十一年度の大学入試センター試験で、この日記から出題され、さらに広く世に知られるようになったのである(本書にはその問題文も収録されている)。歴史上、文学史上のこの日記の価値については今さら言うまでもないであろう。 
 本書は、研究篇と資料篇から成る。紙幅の都合上、研究篇の目次を摘記して示す。
 研究篇 第一章(全三節よりなる)井関隆子の生涯             
 第二章(全十節よりなる)井関隆子の文学I『井関隆子日記』/ 第三節 著作の動機/第四節 批判的精神 /第六節 歴史的記述 /第七節 風俗描写/ 第八節 自然描写/第九節 和歌 /第十節 日記文学としての価値                       
 第三章(全五節よりなる)井関隆子の文学Uその他の作品 /第一節『さくら雄が物かたり』五、井関隆子の仏教批判 /第二節『神代のいましめ』 三、主人公・某の少将のモデル /第三節『いなみ野』
 第四章(全八項よりなる)井関隆子の人間像 二、的確な人間認識と歴史意識 三、天性の批評者 四、持続する批評精神 五、豊かな学殖と合理的見識 六、旺盛な好奇心と執筆意欲 七、旗本夫人の気位と気品
 第一章では、『徳川実紀』『続徳川実紀』『柳営補任』『寛政重修諸家譜』等各種の史書、家系図、過去帳、古地図を用いて、隆子の生涯が明らかにされ、また、『井関隆子日記』中の歴史的事実が解明されて行く。この辺りの緻密な考証は歴史学の研究書を思わせる。
 『井関隆子日記』があらゆる角度から分析・考察される第二章はまさに圧巻であり、一読者としてやはり最も印象深いのは、隆子の批判精神である。第二章の第四節では「批判的精神」として、二、仏教批判 三、儒教批判、国学者批判 四、政治批判の順で論証されていく。そして、結論部の第四章では、井関隆子が「天性の批評者」であり、また、「持続する批評精神」の持ち主であったことが論じられる。
 批判精神の一例として、隆子は迷信を信じなかった。自分は、忌み事は一切してこなかったが、こんなに長生きしているし、家の次男が痘瘡にかかった時、神を祀ったが効果はなくて死に、長男が罹ったときは一切祀らなかったが全快したと言う。また、十二支というものも中国で考え出されたもので、本来あるものではない。自分の生まれ年だからと言ってどうということはない、それは迷信だと言う(pp64‐65、p330)。
 隆子の合理的な精神は、福沢諭吉を想起させる。神社のご神体を投げ捨て、代わりに小石を入れたが何の祟りもない、神様のお札を踏んでも何事もない、うらない、まじない、いっさい信じない、神様・仏様がこわいとかありかたいとかいうことはちっともない(『福翁自伝』)という福沢の精神は、そのまま隆子の精神に通じるように思われる。
 福沢よりも五十年ほど早く生まれた隆子が、すでに福沢と同様のことを言っているのである。武士としては下級に属する福沢と、同じ武士でも旗本夫人である隆子とは違うところもあろう。しかし、このような江戸後期の武士階級に共通して見られる合理精神・気概といったものが、来るべき明治の激変期にも、どうにか日本が対処し得た一因であったように思われるのである。
第三章(第二節ノ三)では、某の少将を、新田孝子氏が松平定信と想定するのに対して、深沢氏は水野忠邦を考える。その推論の過程は、名探偵が事件を解決していく推理小説を読んでいくような楽しさを味わわせてくれる。
 氏は、卒論で仮名草子を選択し、それを生涯の研究テーマと決めていた。廻りの夾雑物には敢えて近づかず、ストイックに、高く掲げた理想に進むタイプの氏よりすれば、当初いたずらに『井関隆子日記』に関わることには、ためらいもあったであろう。しかし、この日記の価値を知り、その魅力にとりつかれるほどに、氏は、その著者、井関隆子を世に伝えずんばおかずという使命感に駆られるようになっていった。
 深沢氏は仮名草子研究によって知られる。とりわけ、『可笑記』と言えばだれもが即座に氏の名を挙げるであろう。三十点を超える著書、六十編以上の論文の多くはたしかに近世初期文学、仮名草子に関するものである。しかし、『井関隆子日記』の発掘、その校注本と今回の著書刊行の意義は、氏が仮名草子研究に残された業績に決してひけをとるものではないと信じる。
 氏は、これまでにも多くの作品を影印・翻刻のかたちで、研究者に提供してこられた。いつの世にも、資料を自分一人で抱え込んで人には見せまいとする人もいる。氏はまったくその対極にある。氏のホームページには多くの貴重な情報が盛り込まれ、広く公開されている。
 先生は今年三月、昭和女子大で一応の定年を迎えられる。その最後の年に、井関隆子研究を集大成することを秘かに期しておられたのだ。そして、本書の刊行は十一月一日、まさに井関隆子の祥月命日である。ここにも先生の粋な生き方が表れている。                       
 なお、『井関隆子日記』の自筆原本は現在、桜山文庫の内、国文学関係の約八千冊とともに昭和女子大学ヘ一括譲渡された。先生の尽力によるものである。こうして、昭和は隆子自筆日記の所蔵者としても名を高からしめることとなったのである(因みに、第三章で論じられる『神代のいましめ』は鈴木重嶺の「翠園叢書」に蔵するものであったが、これが一括して昭和女子大学に寄贈されることになったのも同様である)。
 併せて言う、本書刊行に続いて十二月十五日、『仮名草子研究文献目録』(菊池真一氏との共編、A5判300頁)という親切・丁寧な書が刊行された。本書の基礎となる作業はすでに昭和三十五年に開始されているのだから驚く。他ジャンルにおいても以後これに続くものが出てくるだろうが、本書はその手本を示したものと言うことができる。
       (さかなし りゅうぞう  東京大学名誉教授・本学非常勤講師)
              【昭和女子大学『学苑』第773号、2005年3月】

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