金 鈴


               九条武子





明如上人の弟姫として、大谷光瑞氏の令妹として、わが武子夫人は、御影堂の北、四時の花絶えせざる百花園のうちにうまれぬ。緋の房の襖のおく深くひととなりて、縫の衣に身をよそはれ、数多の侍女にかしづかれ、日毎に遊びつるは、飛雲閣、白書院、黒書院、月花の折々に訪ひつるは、伏見の三夜荘なりき。桃山時代の豪華なる建築、徳川盛期の画人の筆になれる襖画は、その目にしみ、心にうるほひて、濶達なる性とともに、典雅なる質は養はれき。えにしさだまりて外遊の旅に出で、欧州の国々をゆきめぐりて、世界の文明の潮流をも浴みつ。爾来十年、泰西に研学にいそしまるる背の君を待ちつつ、道のために地方を巡らるる外には、ひとり錦華殿のうちにあした夕べをおくりて、あるは洋琴を友とし、あるは画筆に親しまる。さはれ、法の道におほしたてられし静かなる胸にも、猶さびしさのみたされざるものあればにや、その折々の思ひはあふれて、数百首のうたとしなりぬ。この金鈴一巻よ、世にうつくしき貴人の心のうつくしさ、物もひしづめる麗人の胸のそこひの響を、とこしへに伝ふるなるべし。
   大正九年六月            佐佐木信綱



   金鈴

                     九条武子

ゆふがすみ西の山の端つつむ頃ひとりの吾は悲しかりけり

緋の房の襖はかたく閉されて今日もさびしく物おもへとや

かりそめの別とききておとなしううなづきし子は若かりしかな

ひとたびの誓こそげに尊とけれ生死の道はいとかろきもの

みわたせば西も東も霞むなり君はかへらずまた春や来し

おのが世とひとの住む世とことなるやふみしめ立ちぬ大地の上

いくとせをわれにはうとき人ながら秋風ふけば恋しかりける

もとゆひのしまらぬ朝は日ひと日わが髮さへもそむくかと思ふ

くぐりいづる絽がやのしつの緋縮緬しつとり重き山荘の朝

空高う月の上るも知らざりき物思ひしづみ幾時か過ぎし

ものうさに二日こもりてつくろはず我が黒髮もかなしかりけり

ほととぎすわれにひとりの君ありといふことさへもわすれて聞きぬ

おもひみればおのれてふものいましむと人のつくりし掟なりけり

これはこれわが本心か十年の虐げられし恋のむくいか

あけくれをわびて暮せば部屋のうち春寒うして梅もかをらず

家をすて吾をもすてん御心か吾のみ捨てむおんたくみかや

うらみごときこえむ時をまつ身にはこの玉の緒もたふとかりけり

よき月夜都のそらにひとり居れど山も見ゆはた大海も見ゆ

月夜かな思はてなきこの身にはあまりかなしくよき月夜かな

よき月夜すあしのつまのほの青う露にぬれたり芝生にたてば

へだたりておなじ月みる君とわれ人間の身はいとかひもなし

やるせなき心静めて衣縫へばめでたたへけり老人どもは

ちさき身のせばきこころにながむれば大あめつちは辺際もなし

生るるも死するも所詮ひとりぞとしかおもひ入れば煩悩もあらず

掟ゆゑならはしゆゑといくたびかあきらめ難きあきらめもする

ひがし山春の夕べをみぬ人にわがこの歌はいかできかせむ

はてしなき天つみ空ぞ目にうつるうつろ心にわれありや猶

吾子つれて人はたのしむ春の野にわれはもひとり草つみて居ぬ

いとほしと悲しとかつはおもへどもつよきしもとに我が心うつ

ほほゑみて今日の一日も暮れけるよやごとなき身とめであがめられ

静寂は今ぞ尊きあめつちに声なく月とわれとありただ

雨がふる涙のやうな雨がふる寂しやこよひとくいねてまし

くれてゆくあめの書院にひとりゐてきくも悲しき鴬のこゑ

あはれにもつかれはてたるしれ人は夜さへひるさへただ君をのみ

する/\と衣桁の衣のおちて又もとの沈黙にかへる春の夜

春の来てついぢの外のゆきかひはややにしげかりわれかくてあれど

このしらせよきしらせぞと春はいへどまた偽りとそら目して聞く

さながらにさばきの鐘をきく如し三百余日罪にくらせば

人のゆく道とわがゆくこの道と天地万里のへだたりあらむ

知りつつもおのがこころにうらぎれるいらへなどしつかろきほこりに

夜くればものの理みな忘れひたふる君を恋ふとつげまし

別には千万言の言葉より黙してあるが嬉しとし思ふ

たたけどもたたけどもわが心しらずピアノの鍵盤は氷の如し

薄ら日もささで暮れたりかかる日は人の心もつめたかるらむ

つたへきく神にしてなほ戦ひき人間の世のなどしづかならむ

初夏は春よりもなほ独居のほとほとつらくむねにせまりく

星しろき秋の夜なるを今のこゑ梟のごとし寂しき夜かな

ある時は毒薬のごとおそれつつ人の涙をぬぐはでありけり

聖者には夢も迷ひもあらずとやいともつめたきおん心かな

ことわりも智恵なき子にはせんなしと唯この我をあざけりたまへ

凡界のかなしさ故に見るを得ず声もとどかぬ二千里の外

書く人もいふ人もはた咎はあらずものがたりめくわが宿世ゆゑ

五位鷺のするどき声に今しわれ思ひ居しことふと忘れたり

八重のさうび真紅にさけば君あらぬ部屋もほのぼの明けゆく心地

満身の血潮は冷えて閃くは氷のごとき理の刃のみ

冷されし血に洗ひつる刃なりわが思ふ子よ見ざれ触れざれ

わづらはしうつし世なれば女なれば下品下生の恋をきくかな

春がすみ峰よりわれにやはらかう天つ薄衣そとかけてゆく

みづからがそむきし故にむくいありつ天にはとがも偽りもなし

十年をわびて人まつひとりゐにざれ言いはんすべも忘れし

あな尊とこの夜の月の美しさ天にやうやう近づく心地

あぢきなき日とはた長き夜といふくるしき時のいつまでかつづく

偽の中にいきづく世の人に尊きなぞは知らさであらまし

御消息くるによしなしさながらに流人の如きわびしさにをり

あふぎ見れば月は澄みたり忘れなむ涙すとてもなにのかひぞも

風心地三日こもればうばが膝に子供のやうな無理も云ひたや

絵ぶすまの呉春の人に冬の日がうすら/\とさすもわびしき

女たちみな遠ざけておばしまによりそひをれば夕べとなりぬ

なにをもて慰めやらむかの日より胸のいとし子おとろへゆきぬ

酔ふばかりあまき躑躅の香にひたり人なつかしきけふの夕ぐれ

あしたゆふべ夕べあしたに君を思ひわれはも住めり千里のをちに

美しき夕べなりけり八幡あたり山すそ薄ううすづく入日

片すみに追ひのけられてそれのみか忘られはてしわれにやはあらぬ

うたがひはかくて深くもなるものかあまりに人をおもひせまりて

青によし奈良はも恋しわが氏のみ祖の神はしづまりませり

川床に友染洗ふ人も来ず千鳥しばなく春さむの家

心すこしなごみやすべき常暗のうつろのなかにひとりしあらば

夜の雨にまじる虫の音わがむねに白刃の如くいたしつめたし

病葉をたのみていこふ白き蝶かなしきさまをみするものかな

天地にわれ待つものはあらなくに耳もとに来てささやくはなぞ

とほつ人たよりはあらず正月もなかばになればものはかなかり

ふる雪に今日のゆふべのとく暮れてかなしき空をひとりながむる

京言葉ふさはしこよひ宵宮の祇園ばやしのながれくる町

なれなれしこのひとりゐの静けさをまたなくめでぬ大方の日は

たまゆらもうれしやかくてわれあればたからのごとく尊とみ思ほゆ

ゆくといふ子ゆかじとする子あらそひにうつくしき夢いつかさめける

月まてどいでぬ宵かも待ちあかすわが心いとおぼつかなけれ

わがこころ二つのむねに領ぜられめでつうらみつ苦しき身かな

ひややかに人と人とを見おろせばわがゆく道もおのづから見ゆ

神の火か魔の火か知らずわれゆかむその火の光いざなふ方に

わが血潮高鳴るほかに天地のおとてふものは更にさらになし

春雨に似げなくすこしはげしきは君が不興の声かとおもふ

ながくともわれにみじかき春の日と昨日は思ひ今日は思はず

見ずや君あすは散りなむ花だにも力のかぎりひと時を咲く

広重の水と町とをおもほゆる道頓堀のあるゆふべかな

春の夜を網雪灯のほのあかり庭の桜の足もとにちる

封きりし銀の平うちおきわすれ燕のやうににげていにける

高廊下階段のぼる三尺のわがふり袖のおもたかりしも

春の夜を魔ものがたりの戯れに十六の児はいとま乞ひけり

いまは昔むねに巣くひし鳥ありき悲しき声にさりてかへらず

君しらずわれまた知らずあめつちにいとへだたりて生れこし身ぞ

しきたへの枕の下に歌しけば源氏の君にまみえむ夜かな

老もなく死もなき国に常楽のゑみとほこりをまもれわが歌

地のめぐみ天のめぐみをゆたにうくるわが身尊とき春のあけぼの

わづらはし朝の人はあざみゆきぬ夕べの人はたたへてすぎぬ

みじか夜の夢こそいともはかなけれわれより人をうばひてぞゆく

なにがしの少将めきてめでたけれあやめ花咲く池殿のゆふべ

やはらかき春雨の音聞く宵をうれし旅より消息は来ぬ

さることをきかばをのゝきおびえなむ聞かじきくまじむづかしきこと

黒髪のその一すぢのふるへだにいかでみすべき見すべしやわれ

大天地人をも世をもほろぼして我と彼とをいかしめ給へ

わが胸にかへらぬ人かあまりにもはかなし声もまぼろしもなき

今しわれ岐路にぞ立てる明き道暗き道みゆいづれを踏まむ

さとされて牢獄のうちに入りし子は十年にしてうたがひを知る

捨てられてなほ咲く花のあはれさにまたとりあげて水あたへけり

よき人のなさけをまもる玉虫は女が秘めてもつ物とこそ

みづからにうちかつならひわれにあり唯それ故に偽りも言ふ

うらみごと少しおぼえて文書けばくろかみさへも筆にまとひぬ

ゆきずりの人よりもなほ冷やかに瞳かへして物のたまはず

銀の鈴金の鈴ふり天上に千の小鳥は春の歌うたふ

のがさじとあけぼの色の春の糸に旅ゆく君を縫ひこめおかむ

天地にみなぎる春の心にもなづみかねたるわが思かな

なにとなう心たらはぬ七日かなわれも旅路にいでばと思ふ

何とかやくしきもの世にありといへどふたりは知らすその外のこと

よの人の常なる言とあぢきなや知れど詮なし此時にすら

人の命いとも尊し偽りの恋になさけにいかで汚さむ

ひと一歩われまた一歩退きて近よらぬはた心やすけれ

人として生くべくあまり冷えはてし君よ火山のふところにいれ

須磨明石源氏絵巻の小屏風に夢まもらせてやはらかに寝る

ねがはくは化鳥となりてわがむくろはるかにかけれ人の国まで

かの君をたそそゝのかしつれて来よさらばよきものわれあたへむに

人間の生死の道をおどろかぬわれとなりしもこの願より

何の因何の果なるやわが生をまとひはなれず呪咀と妬と

罪業の闇とこしへにふかうして聖者もわれをすてたまふかや

をのここそいとはしきものそれよりもいとはしきものは女なりけれ

うつそみの世の人なれば女なればこの我ままもゆるしたまふや

君きたり歓喜の笑はわがもたるすべてなりしかつかの間なりき

与へられし氷のむろの上にしてくすしや此身焔ともゆる

なにごとも人間の子のまよひかや月は久遠のつめたき光

北狄に君をやりつる心地してこの夜さみしく虫の声きく

陶器のちさきかけらも月の夜は何の玉かとわれをあざむく

君はあらず待てどもまてど月は出です空と人とのうらめしき夜ぞ

うらみ寝にふすまかづきて秋の夜をいねむとすれば何の鳥かなく

わびてくらすこの夕暮を人は来ぬ砂の中より玉得たる如し

女たち三人の旅のさがなさよ中の一人はいつもさびしう

美しき水のながれとはしきやし黒かみの子がつくりしゆめぞ

木屋町の夏のゆふぐれうすものゝたもとにえりにふきしゆふ風

まぼろしが夢のやうにもうまれいでてもの思はする春の夜の月

たそがれはをすの内外をへだてつつ端座す人はみじろぎもせず

智恵の子は大盤石の下じきにならむとせしをのがれしと笑ふ

よみの道をわれひとりゆく心地しぬ夜半のねざめに虫の音きけば

水色の渦の日傘し宇治川の川そひをゆく二人の女

書ひらけば寂光院のものがたりなみだぐましも秋の夜にして

ひたふるにおもひせまれば梟は山へ山ヘとわが魂さそふ

さかしらにおのれをしらで云ふ言葉猿のやからが笑ひこそせめ

宇治川の瀬の音ききつつなげきけむ大ひめ君に似たる宿世か

そのかみの大姫君もわがごときうれへにひたりながめし夕日

あめつちを野にさく花にうづめてもかなしかりけりおとろへのわれ

祐信の乗合船の女らがひそひそ/\かたる春の夜の夢

人間の穢土には惜しと桜花天にをかへす春の夕風

落日は巨人の魂かわがたまか炎の如く血汐のごとし

つめど/\くづるとし聞く冥府の石かなはぬ術といふか否あらじ

あなかしこ天蓋の下に経誦するはたちの御僧しづ心ありや

山ざくらいま狂乱の舞をまふ卯月なかばの山荘の宵

このねぬるあしたつめたき長局すあしの裾に秋立つらむか

大君は天つ日のごとし物皆をたゞおほらかにはぐくみおはす

よろこびの鐘ひびきうづまく大地に戦やみし七月朔日(大正八年七月)

錠口の杉戸のひまゆ初春の曙の光ほのにほひ来ぬ(元旦七首)

ちちとなく鴬ばりのわたどのを燭とらせゆく元日の晨

みあかしは輝きみちて誦す経に御堂の春ぞ明けそめにける

元旦のひかりみちたる鴻の間に君なき春を久しとぞ思ふ

口紅のあかきがいともおもはゆう今更めきぬわが春すがた

紅梅の袿の裾をかいどりてはねつきし姉の目にこそのこれ

君なくてうつろの身なり春くとも年はゆくとも要なしわれは

冬は来ぬ一葉/\にうらみもちてボアーの森はちりてゆくらむ(仏蘭西のおもひで)

大比叡の杉の並木のすぐなるを世にもめでたき宿世とし思ふ(比叡にのぼりて)

あけのしとね雪洞の灯もにほやかに踊みる吾がおもはゆさかな(新潟にて)

焔なす緋の衾身を包めどもつめたかりけりこの身この胸

あなたふと一万尺の連峰にけふの日しづみたそがれゆくも(信濃の旅にて)

おごそかにそそりたつ山神の山人間の子よ汚さでをあれ

わが声のいと美しうきこゆなり山ふところの秋草の原

山たかみ空なほ高みつく/゛\と地の上のわれは悲しうなりぬ

まなかひに金色の雲輝きぬ忘られがたき夕べなりけり

たふとしや千草もわれも光あり山に入らんず夕日のまへに

さみどりのみ空に高く煙立つけぶり立つ山見つつものおもふ

あさましくはた尊しといふべきか千の瞳のわれによる時(旅にて)

この身これたふとくあるか否あらずぬかづくひとを尊しと思ふ

寝られねば虫の声など聞きわけてそぞろに物の悲しき夜かな

虫の音と流の音ととけ入ればわれはいつしかねむりに入りし

山の峡ところどころ/゛\に雪を見ていま近江路にわかれむとする

空のはて見れども見れど雪の山都はいづこ君はいづこぞ

茫然と囚はれ人は海にゆく海は悲しきものがたりいふ

紺碧の波の底よりうきいでしわれとし思ひ春の海みる

うつとりとながめてあれば水底のそのささやきも聞くここちする

暁の欄にゐよれば久方のあまのはしだて神代のごとし

三夜荘父がいましし春の頃は花もわが身も幸多かりし(父の法会に)

幸うすきわが十年のひとり居に恋しきものを父とし答ふ

歌よめとをしへられつる九つの父がみまへのわれの恋しさ

あなかしこちらぬ華さく寂光の常世の春にゑみまさむ父

千万の宝はむなし尊ときはおやよりつづくただ此身のみ


 金鈴  終



(奥付)

大正九年六月二十日 印  刷
大正九年六月二十五日発  行
大正九年八月二十五日再版発行
大正十年六月十一日 三版発行

【定価金弐円】

金鈴
不許複製


編者兼
発行者     佐々木信綱

     東京市神田区美土代町一丁目廿一番地
印刷者     白井赫太郎

     東京市神田区美土代町一丁目廿一番地
印刷所     東京活版所

     東京市本郷区西片町十番地
発行所     竹柏会
          振替東京八〇〇八番

     東京市神田区表神保町三番地
発売元    〔株式会社〕東京堂




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