小夜曲(せれなあど)

               竹久夢二


北越行
急がるゝ
路杳かなり 幾山河
ひとたびゆかばまたかへるまじ。

路遠し
ゆくてはくらき野路のはて
泪をのみてぢつとみやれる。

また再
みじかとおもへばさしぐまる
街にも身にも未練はなけれど。

さらばとて
かへりみすればこれはこれ
涙ながれて街もみえなく。

七年を
現とみればはかなしや
夢とおもへばあまりかなしき。

港屋の
波に千鳥の提燈に
灯をいるゝ頃ぞ
われ遠くきぬ。

別れえぬ男の意地とおもへるや
この悲は
恋か情か。

これやこの
死ぬに死なれず死なざれば
今はわが身のおきどころなし。

殺すとも
そなたはそなたわれはわれ
ふたつの死骸かゝはりもなし。

越の海や
こゝはふたりが死所
仇なれども手をとりてなく。

なげだせし命なれども
殺しえぬ
憎きそなたは仇か味方か。

夕闇は
ふたりをこめてうつゝなく
そこはかとなく千鳥なけるも。

この指を
この白き手を
この肌を
さすとも恨なきにと泣けど。

なげだせし
この頚さへ 腕さへ
わがものならず
なんとすべけむ。

きみ刺さば
われもいかでか死なざらむ
死にゆくものに何の債ぞ。

悲哀の
責債はきみに残すまじ
われ死にゆかばともに埋めむ。

きみ泣かせわれと泣かるゝ
冬の雨
わびしき宿をめぐりて降れば。

霊は今
涙にうかび声をなみ
けなばけぬがに生けりともなし。

手をとりて
きみものいはずわれいはず
大天地のいまか消ゆらむ。

さしぐめる
ひとの頸のたよりなさ
とのもは雪のひそやかにふる。

たましひのぬけたうつそみ
とぼ/\とあてなく歩む
街の片影。


港屋風景
なつかしき娘とばかり思ひしを
いつか悲しき恋人となる。

あはれまた
泣きたまふかや たまさかに
逢へる今宵ぞよきことを言へ。

春なれば
ほのかに花も咲きつらむ
そよらと人の帯やとくらむ。

手にまけば恨はながし
かいだけは命みじかし
きみが黒髪。

なげけとて
ヂング・ダングと鐘の鳴る
わけて暮春はものゝかなしき。

またみむはいつの宵ぞも
月草の
あはれ今宵も咲きいでにけり。

仇情
かけまじものとちかひしを
恋なりしとは君も知りしや。

青麦の青きをわけて
はる/゛\と
逢ひにくる子とおもへばかなしも。

ほのかなる
黒髪のかげの黒子に
涙かけしと人にしらゆな。

片時も忘れねばこそきつるにと
きけばかごともあさましからず。

かごといふ口は何もて糊せまし
唇こそはよしとおもへる。

なにゆゑの
涙ときけど答なし
命きゆべしものいひたまへ。

これやこの
抱かば露と消えなまし
なぐさめかねしきみが現身。

手をはなち
涙ぬぐひてかへしやる
心細やのきみが腰紐。

ふりかへり
ふりかへりゆく後影
きみまつ母も寂しき一人ぞ。

君かへす路は夕となりにけり
いざ戸をひけ
ひとりねてまし。

死ぬばかりこがれしひとは
わがまへにありとおもへど
うつゝともなし。

ゆふぐれはかならず君のよるとしも
かねごとせねど
出窓こひしや。

逢ふとみし夢も束の間
夏の夜は
君が帯よりいやみじかけれ。

きな/\と
何をさしぐむ柳ぞも
ひそやかにふる夜の五月雨。

なにかして
ふつと涙のうかみいづ
スウヰトピイをつまむとせしに。

あはれきみ
しのび泣くとも音なたてそ
ふたりの恋をしられぬがため。

草色の帷はふかくたれてねむ
恋の小鳥ののがれざるやう。

この年月
風もいとひて育てたる
親にそむけとわれやいひけむ。

ひとり子の
しろき白玉まなむすめ
かなしき恋をわれゆゑにする。

眼をとづれば
心のうちにうかみいづ
なかまほしけれひとの眸。

いつしかに
短かき夏の夜もあけぬ
かなしき文をよみがてにして。

きみはきみは
かなしや親の眼をぬすみ
受話器とれると泣く音きこゆる。

今宵かも
われ死にはてむわれ死なば
鈴かけの葉の青く残らむ。

幾日きみに
逢はさりしやとかゞのふる
あはれや指のほそりたるかも。

かの娘
われと遊ばずなりしより
通草はいつか実となりにけり。

鉦叩
鉦叩こそなきいづれ
どこをせうどにたづねましかば。

そらだのめ
それをたよりにこの橋を
昨日のごとく今日もわたるや。

今ははや
片便さへたえはてぬ
なにをたよりに床をはなれむ。

朝の床
われなほ今日も生きてあり
この歓喜のあたらしきかな。

時ふれば
なべて涙はきゆるもの
いたましむるな若きたましひ。

さりげなき人の噂も心なや
詩も絵筆も焼かれぬといふ。

広重の家のうしろの堀割は
流れもあへず
いまもあるらむ。

いつしらず
夜またこの橋によりしよな
月にさそはれいでしならぬに。

相逢ふが
終の望のごとくにも
あふことばかりおもふ頃かな。

つぎの夜も
はたつぎの夜もつぎの夜も
逢はじとおもへば涙ながるゝ。

そのかみの
三味の師匠をたづねゆき
あの娘のことをきくもかなしや。

西河岸のお地蔵様の情しらず
御籤をひけばまた凶とでる。

恋知らず情知らずの石地蔵
かの液垂掛さきてすてなむ。

消息に
「枕辺ちかく鳴かむもの
なくもかひなき籠の●(ムシヘン+「車」)は」

婢がひそかに告げし
消息の「死ぬばかり病む」と
いふはまことか。

婢よ。
とく/\かへり告げよかし
われ健かに君をまつとぞ。



蝦夷松前

ゆけど/\
あはれぬ子ゆゑ
青山の青きをわけて
今日もゆく身か。

巷ゆかば
さみしきこともわするかと
巷へいでゝ涙ぬぐへる。

街の子は街の娘と遊ぶめり
この悲哀にあづからぬがに。

あぢきなや
たれもつれなくあたらねど
たれもわがみにかゝはりもなし。

すこやかに木の葉はそだち
春はきぬ。
このかひなはもたれにかけまし。

それまではたゞそれまでは
健かにあらむとおもへば
涙こぼるゝ。

今日は今日としてけふも暮れにけり
昨日につゞく明日ならなくに。

春の雨
桜の花をこめてちる
たほやめならばけなましものを。

ひともあらばつみてかざらん野路の花
野路ゆきくれて
ひともあらなく。

はかなさに
草にまろべばほろ/\と
眸毛のひまにおつる白露。

春くれて
ほのかに青き夏くれば
わが世さびしくなりまさるなり。

つゝましく母の辺にゐて衣ぬふと
消息をする
かなしき娘。

言にいでゝ
いはゞ山彦かへりこむ
いはでやひとりものおもふべき。

雨の音は
間遠になりぬ。
はる/゛\と
まだみもしらぬ港おもほゆ。

春にそむき
いとはかなげにふるまへる
われならなくに涙ながるゝ。

よるべなく寂しき命いたはりつ
青き絵具をとける頃かも。

嘆けとて
夕の鐘はなりいづる
あはれはかなき身のおきどころ。

いとほしく
われをいたはるはかなさに
しみ/゛\軒のあまだれをきく。

とりとめて悲しきこともあらざるに
心わびしく絵筆おもたや。

つれなさも
恋のつらさもしりぬるを
こはこれたれを恋ふるにやあらむ。

白蓮の
しづくしらたましら/゛\と
知らぬがにして忘れむものか。

五月なかば
柱暦をはぐ指に
ふつとかなしき思出のあり。

いつとなく
わするゝとなく文絶えて
あはれことしの夏もいぬめり。


海浜哀歌

なつかしや
芋の畑の路とほく
郵便脚夫きたる朝あけ。

●(「聰」の左側が「片」)により編物をするわが少女
ものやおもへる
スノウドロツプ。

心中の噂もいつかたえにけり
浜の旅館の夏もふけぬる。

世の掟
やぶりて逢ひにこよといふ
男のむりをゆるしたまふや。

恋人は
わがかたはらにつゝましく
紅き糸もて編物するも。

白き手を
われにあづけてうつゝなく
海みるひとになにのうつれる。

海をみて
けふのひと日はくらしけり
あすといふ日はいかにすごさん。

逢はぬ日は
またあのことを母刀自に
きかれてやあらむ
ないてやあらむと。

母の眼をしのびて
逢ひにくるひとの
いとしや肩のこのほそりやう。

鳥とべばきみかとぞおもひ
風ふけばきみかとぞおもふ。
かなしき通路。

夏の夜は
わけて逢ふ夜はみじかきに
涙ぬぐひてものいひたまへ。

かへらじと
径のかたへにくづをれて
をさなきひとは音にたてゝなく。

たまさかに
あひつるものを
いかなれば
ひたすらきみはなきたまふらむ。

九十九里
月見草さく浜づたひ
ものおもふ子はおくれがちにて。

けふもまた
浜の真砂になが/゛\
わが足跡のつゞくあはれさ。

世の常の少女のごとく
いつはりをいふきみならば
すてゝもゆかれむ。

「別れては何をたよりに生きむ身ぞ」
涙のひまに言へることはも。

もの言はゞ
きみが涙をさそふべし
抱きし肩をいぢらしとみる。

春くれば
また逢ふこともあるべけれ
さは泣くなかれ
いざや別れむ。


樹下低唱

「あの浜に
椿の花もさいて候
琴も上手になりて候」

母と娘が
さゝやかにすむかの浜に
あはれさびしや春もきぬとぞ。

死ぬ薬
袂にひめてなくといふ
風のたよりもたえてひさしや。

かゝりしと
あの夜のきみのおもひいづ
浜の浜茄子さきいづる頃ぞ。

日は日ねもす
夜は夜もすがら
通路にまてどくらせどまてどくらせど。

来べければ
さな嘆きそとしかれども
若き心のきゝわけもなき。

さばかりのこと嘆かじとおもひきり
草をつめども
唄をうたへど。

おもふまじ
つれなきことはおもふまじ
旅はつれなきものときくもの。

詮もなき思ひすてよと
よする波
千鳥はおもひきられずとなく。

現とも夢ともわかぬはかなさに
夕霧ふかくたれし通路。

母の眼を
ぬすみて逢ひにこよといふ
男の無理をゆるしたまふや。

おもひわび
つみてはくづし くづしては
浜の真砂と今日もあそべる。

草にねて
はる/゛\渚みわたせば
草の実ほどにみゆる漁人。

なにことぞ
今宵の胸のさわぎやう
あはで死なむといひしならぬに。

おもひ泣く
若き心をすかしつゝ
暁をまつこゝろもとなさ。

夜あけぬれば
あけぬればとてあてもなき
望をかけて眠らむとする。

夜もすがら
かたき枕をもてあまし
とつおいつして
波の音きく。


旅愁

さだめなく鳥やゆくらむ
青山の
青のさみしさかぎりなければ。

白き風
麦のうへをばそよらふく
女役者の京訛りかな。

めのかぎり菜の花さいて
蝶まひて 風すこしある
山城の国。

いつかまた
逢坂山の渡鳥
きみおもひつゝひとり越えゆく。

君をみに
朋はる/゛\伊賀の山を越え
山城の国にいりしたそがれ。

夕かけて
きみが門辺をさまよふは
蛍なりしとひとにはつげよ。

川岸につみかさねたる材木に
身をなげかけてなげく若者。
橋のへに
きみは川辺の木のもとに
これが別れかきみが袖ふる。

淡紅の
小鹿の角をぬらすほど
若草山にふる春の雨。

ほの/゛\と
野茨のかをり身にしむも
あひにゆく子をおもひそむるも。

つゝましく
悲しむまゝにかなします
心のそばのぬれし草かな。

みもはてぬ悲しき夢はおもひすて
ゆく旅人と
たれかおもはむ。

こゝの港
かしこの町と
わたりつゝゆかば
悲しきこともわすれむ。


渡鳥

渡鳥
たれ渡鳥ならざらん
明日の塒のさだめなき子等。

よしさらば
旅のふすまのうすくとも
われらふたりが塒なるもの。

かたはらに君やねむるとさぐりみる。
宵のねざめも
旅はかなしき。

停車場の
闇に人目をしのびつゝ
わかれ/\にゆくもはかなし。

中七日。
人目をしのぶ旅籠住居
つれ/゛\にひく三味も身にしむ。

旅にあひ
旅にわかれてわすれゆく
かりそめごとゝきみはおも(ママ)や。

宵々は
人目をつゝみさまよひぬ
紙子姿にわれをなぞらへ。

落人に
身をなぞらへて忍びいづ
たわむれごとも泪をさそふ。

ひとごとか
いな/\いまは身のうへに
ふりくる雨ぞしみ/゛\ぬるゝ。

母が家へ
君をやるとてむすびやる
帯ほそ/゛\とやせにけるかも。

母がすむ
在所へきみをかへしたる
朝の枕のしろきわびしさ。

吾娘子を
うまれ在所へかへしたる
朝の味噌汁うすくすめるも。

いまごろは
母が手ずから結びやる
髪に泪やかけてかたれる。

まつといふ
かりそめごとも旅なれば
涙ぐむまであはれはそひて。

けふひと日
あはぬばかりに恋しさは
ひとゝせあはぬさまに恋しき。

かへりきて
わが枕辺にものがたる
涙まじりの在所の話。

つゝましくやさしくものをいふ子ゆゑ
きかでやみぬるかず/\のこと。

なんといふ
やさしきことをいふ子ぞも
あきたまふまでわすれたまふな。

かりそめの枕はいともやはらかし
黒髪おちて夢は夜にいる。

この針を
こゝまでかへしいねてんと
時計をしめすかなしき戯。

相の山
雨もふるやとなげきつる
宿のふすまにせまるたそがれ。

漫珠沙華
簪をさしてゆら/\と
お紺が墓のかたはらにさく。

油屋の浦の田圃の漫珠沙華
お紺の血かといふはたが子ぞ。

油屋の
浦庭暗く木槿の
ほのかに匂ふ秋の夕ぐれ。

古市の街のはづれの濁川
おはぐろとんぼとべばかなしも。

空低き鳥羽の入江をみをろして
やさしきことをいひし君はも。

酔どれの腕をくぐりておど/\と
走りよりたるきみを忘れず。

遅々として雲もうごかぬ神路山
やさしき涙きみへながるゝ。

明日よりは
また揆とりて唄うたふ
因果の身かといひてなげきぬ。

いまははや
これが別れの宴かと
涙ぬぐひて三味とりあぐる。

かりそめの
旅の別とおもへども
あかず手をとり涙ながすも。

せまりくる
別れの時をまてる間の
やるせなき身はひとつとぞなる。

おくらるゝ我身も
おくる君が身も
けふよりいかに淋しくすまむ。

いたはりつ
いたはられつゝたちつくす
山の峡なる夜の停車場。

刻々に
遠ざかりゆくおもかげの
かなしみのはては涙とぞなる。

夜ふけて
二人降りたつ停車場の
敷石の音におどかれぬる。

さしよする頬のつめたさいぢらしさ
きれ/゛\にいふわかれのことば。

このまゝに
鳥と鳥とのわかれより
あはれはかなく別るゝふたりか。

岐阜の山
山の谷々花さかば
またかへりみむ
すこやかにあれ。

いやとほく
きみにわかれてゆく旅の
山の谷々秋ふかみゆく。

山の宿
ひとりしてさすひとはりの
傘のしづくにぬるゝ片袖。

木曾川や
みぎわ/\の野の花も
かりそめならずなつかしきかな。

物思
木曾の桟橋たよ/\と
あやふくわたる恋のぬけがら。

鐘鳴れり。
木曾の福島秋なかば
さかりしひとをおもひねにして。

宵々の
きみがやさしきもの越しを
おもひぞいづる旅のふすまに。

木曾川の
みぎわにさける紫の花のかはゆし
ひとににたれば。

なんといふやさしき花ぞ
手につめば
つまるゝまゝに
露とけにつゝ。

こゝはこれ
美濃と飛騨との国境
とほくわかれてわれやきにけむ。

けふの日は
旅にまぎれてすぎぬべし
あすよりいかにおもひすごさむ。

かりそめの
別れとおもひいさぎよく
わかれてきつるわれにやはあらぬ。

かくばかり恋しきものを
かの宵に
なにとて別れかへりこしやと。

つかれはて
夜汽車の窓にうちかくる
腕かはゆくやせにけらしも。

人々の
眠れるなかにひとりさめ
おもへることはみなきみがこと。


恋慕夜楽

いそ/\と
軒安燈に灯をいるゝ
あるじのつまの襟にふる雪。

三の糸
きれなばきれねむすぶとも
どうせそはれる仲ぢやないもの。

しづごゝろなく
カフエの卓に夜をまつ
このわびしさをたれにやらなむ。

たれをとて
おもひきわめて恋ふならず
泣かまほしさの心なるらむ。

いつしらず
身は公園の掛椅子に
夜をまつ人となりにけらしな。

はしたなき巷の人の口のはに
かひなくたゝむ名こそをしけれ。

いつしかに
浅きうき名もたちけらし
浮世新道
夏のたそがれ。

いまごろは
さぞや曲輪のとりさたに
そなたの母もないてあるらむ。

美き衣を
炬燵にかけて今かとぞ
家出せし娘を母やまつらむ。

母ひとり娘ひとりすめる明暮の
さみしからまし
白粉の花。

お座敷の
あひま/\の手習も
あなたのためときけばいとほし。

ぬぎすてし小袖のごとくうちしほれ
泣きゐるきみにせまる
たそがれ。

しく/\と
泣きながらくる袖萩の
絃のねじめか夜の秋雨。

いそ/\と
オオバシウスの踏心地
ぬれてかへるもうれしき後朝。

雪の日は
ゆふぐれかけて三味線の
音にこそたてね
きみこひわたる。

辻棲の
あはぬ話もおもしろや
このきぬ/゛\のうその涙も。

ふりかへりふりかへりゆく振袖の
おもげにみゆる
小野の別路。

そらどけしまゝにいつしか夏にいる
そなたの帯か
わが恋ごろか。

うか/\と
街の巷にきにけりな
たぞ手をとりてわれにものいへ。

音なたてそ
宵のねざめの落櫛も
身にしみ/゛\とひびく恋ごろ。

提灯の
影に切火の音きこゆ
放埒の日も夕にいるや。

二人して
壁にかゝれし楽書を
けしにしのんだ宵もあつたけ。

子供でもないのに
どうしてこんなに寂しいやら
ねまきの袖をそつといだけば。

春の夜の●(「聰」の左側が「片」)よりなげし文殻が
わがゆく海を白鴎とぶ。

ほの暗き
蔵の二階にいだかれし
白縫姫よ遠くわかれぬ。

もしやそなたかと
門のとこまででゝみたに
なんにもなくて雨ばかりふる。

かの夏にわかれましものを
さいかちのいつか実となり
から/\となる。

青き脈ほのにかなしき御手とりて
垣を越えけり茨の垣を。

名もきかず日も忘れけり
紅薔薇
髪にかざせし娘とばかり。

日はくれぬ
くれてもひとのみゆるかと
とざせし窓をあくるときめき。

鴨川や
露台にちかき小夜千鳥
うつゝなにきくあさき思寝。

数多く
赤き鳥居のならべるも
恋するひとのつきぬ恨も。

白猫と
ジヨウカアとでゝたわむるゝ
林檎畑の春の夜の月。

しやな/\と天神様の反橋を
喜蝶がわたる
者の昼かな。

朝詣
よき子たまへと右投ぐる
華表のうへの有明の月。

袖屏風
はれがましやとたち舞へば
きみのだらりのなげく
春の夜。

うしろより
わが眼ふたぐはたれなるぞ
とへどもいはぬ春の清水。

とつおいつ
紙屋治兵衛が橋わたる。
師走九日小夜千鳥なく。

しく/\と
涙ぐみたる灯がふたつ
とけつもつれつ水にながるゝ。

綻びし衣はぬはずもよしや母
なが子の恋はまたもやぶれぬ。

声々に
いとまごひするそのなかに
ひとり泣きゐしきみを忘れず。



竹久夢二文学館
第7巻
歌集
万田務監修
1993年12月15日 初版第1刷発行
発行者 高野義夫
発行所 日本図書センター
〒112 東京都文京区大塚3-4-13 電話03-3947-9387
制作 オフィスコヤマ
装幀 成田克彦
印刷・製本 亜細亜印刷/関製本
定価3,800円(本体3,690円)
ISBN4-8205-9278-5 C0391 P3800E(第7巻)
ISBN4-8205-9271-5 C0391 P38000E(セット)